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2009
12.31

年末のご挨拶

 ご挨拶

 当ブログ及びホームページをご覧いただいた皆様、今年一年、まことにありがとうございました。
 お励ましいただき、ご教示いただき、法務に縁を結ばれ、感謝感謝の日々でした。
 おかげさまにて当山は、無事、今年の法務を終えられます。
 心よりお礼申し上げます。
 新しい年が皆々様にとって生きがいのある佳き一年になりますようお祈り申し上げます。

 

「おん あみりたていせい からうん」※今日の守本尊阿弥陀如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。





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2009
12.31

恐山へ (1)

 昨夜遅く盛岡へ入り、好天の下を出発しましたが、八戸へ近づくにつれて雲が厚くなり、ついに盛大な雷雨です。
 立てた枯れ枝が発光したような稲妻が何度も正面に走り、いかにも夏らしくなかなかの勢いです。
 約3時間。
 六ヶ所村の目的地へはすんなりと到着し、雨もほとんど上がりました。

 ご供養し因縁を切り、法務のすべてを終えてから恐山へ向かいました。
 ちょうどむつ市へ入った頃、NHKFMラジオをつけたらシベリウスの交響詩『伝説』が流れ始めました。
 聞く者を慰撫し鼓舞していながら、いつの間にか幽霊のようにすうっと終わってしまう妙なところのある曲ですが、霊場へ向かう道すがらのBGMとしては最適でした。

 感心するほどくねくねと折れ曲がった参道を行くと、樹木の屏風にはさまれていた前方が突然開けて硫黄の匂いが車内へ流れこみ、空の碧を写したような湖と、見たことのない荒涼とした景色、それに白と茶色の蛇が地面へ貼りついたような伽藍が出迎えてくれました。
 もう4時半。
 観光客はほとんど居なかろうと思っていましたが、10台以上車がとまっており、私と相前後して大型バスも2台到着しました。

 

「おん あみりたていせい からうん」※今日の守本尊阿弥陀如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。





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2009
12.30

護摩祈祷の宇宙

 お正月にも行う護摩祈祷は、皆さんとみ仏と行者が一体になる空間をもたらします。

 護摩法における行者は以下の観想に入って法を修しています。

如来の心は確たる存在である
 その存在が智慧の炎となって燃え上がる
 炎を宿す護摩法の炉は如来の御身体である
 炉の口は如来の御口である
 炎は即ち行者の智慧と同一であるがゆえに
 如来の御身体と御口と炉の身体と口と行者の身体と口とは平等である」


 密教行者の修行は、この身このままでみ仏と一体化する即身成仏に尽きます。
 即身成仏は、乗り物の席を譲るように見返りを求めず他のためになる布施行によっても成就できます。

 この世へ修行にやってきた人間は、この世にあるものを通じて、いつでも故郷すなわちみ仏の世界の住人たる真姿に成ることができます。
「人間とモノとみ仏は一体」であり、それは、いのちのうねる大宇宙と人間とが根元的に一体であることを意味します。
 釈尊はその境地を体得され、当初、「これは決して人々に理解されないであろう」と考えられました。
 しかし、人々を救って欲しいとの神々の願いに応えた釈尊は立ち上がり、説法の旅へ出られました。
 そうして世界へ広まった仏法の歴史は、釈尊が悟られた境地の追体験法を研究確認する歴史であると言って過言とは思われません。
 その間、仏法は、各国の各民族の信仰や風土や習俗と調和し、それぞれの国で、地域で、万華鏡のようにさまざまな色合いを帯びつつ発展・深化してきました。
 仏法が深刻な対立をもたらさない宗教であるのは、互いの異なった色合いを尊びつつ、自分へ伝えられたものを大切にしてきたからです。
「お釈迦様はそうされなかった」という頑なな先祖返りも、「これだけが正しい仏教だ」という排他的な独善主義も、仏法の歴史とその柔軟ないのちを損なう考え方ではないでしょうか。

 飛鳥寺でも法隆寺でも天と地をつなぐ御柱が立てられました。
 新たに日本へ入った仏法と、大樹に神を感じ、柱をその象徴とする日本人の心とは、当初から見事に調和していたのです。
 それがお大師様の創案による大塔へつながり、私たちは御柱や大塔がみ仏のお心を宿す聖なる塔であことを感得し、大宇宙の広大深遠さに引き込まれます。
 仏心は私たちの心にある宇宙であり、聖なる塔に接する私たちは、心中の宇宙とみ仏の宇宙が一体になっているような境地へ入ります。

 護摩法によって、行者の観想通り護摩壇とそこに燃え上がる炎へみ仏方が降りれられ、法の場で願いをかける皆さんもまた、確かにみ仏のおわす場の住人になっています。
 法の空間と時間は、み仏と行者と皆さんを平等・一体にします。
 み仏のお慈悲と智慧によるご加護のなかろうはずはありません。
 法の場へ参加し、清浄体験をしていただきたいと願っています。

211230.jpg


 

「のうまくさんまんだ ばざらだん かん」※今日の守本尊不動明王様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。





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2009
12.30

さざれ石

「君が代」に「さざれ石の巌となりて」があります。
 岐阜県春日谷の『さざれ石公園』で出土するさざれ石は、天然記念物に指定されています。
 子供の頃は、岩が砕けて小さな石ころになるのは理解できても、小さな石が大きな岩になることは想像できませんでした。
 しかし、この地には雨水などに溶けやすい石灰質角礫岩という石灰石が出土し、鍾乳洞ができるのと同じ原理によって小石が溶けて積み重なり、年月と共に成長することを知って納得しました。

 古今集に採録されたこの歌は、もともと「わが君は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで」であり、「わが君」は必ずしも天皇陛下だけを指すものではなく、喜び事がある場合の主人公を立ててこう呼び、結婚や新築などのめでたい席で広く国民に唄われてきたという説もあります。

 さて、アメリカの国歌です。
「見よや朝の薄明かりに 黄昏ゆくみ空に浮かぶ われらが旗星条旗を 弾丸降るいくさの庭に 頭上高くひるがえる 堂々たる星条旗よ おおわれらが旗あるところ 自由と勇気ともにあり」
 また、イギリスの国歌です。
「神の救い われらが女王にあれ 幸と勝利栄光あれ 栄え給え わが女王」
 いずれも戦争の勝利に際して作られたものですが、もちろん、平和な時もこの歌詞が唄い続けられています。
 日本との国ぶりの違いは歴然としています。

 日本の進むべき道をよく考えたいものです。

 

「のうまくさんまんだ ばざらだん かん」※今日の守本尊不動明王様の真言です。
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2009
12.29

『四十二章経』第十九章 ─名声─

 このページは、機関誌『法楽』作りに参加された皆さんと一緒に、中国へ伝わった最初の仏教経典とされている『四十二章経』を学ぶ過程を綴っています。
 毎回、一章づつ、3年半かけて学び通す予定です。
 12月28日に学んだテーマは、「名声」です。

「仏の言(ノタマ)わく、
『人の情欲に随って華名(ケミョウ)を求むるは、譬えば香を焼(タ)きて、衆人(スニン)其(ソノ)香を聞けども、然(シカ)も香の以(モッ)て熏(ケブ)り、自ら焼(モ)えたるが如(ゴト)し。
 愚者は流俗(ルゾク)の名誉(ミョウヨ)を貪り、道眞(ドウシン)を守らず、華名(ケミョウ)は己(オノレ)を危うくするの禍(ワザワイ)なり。
 其(ソノ)悔(ク)ゆるは後(ノチ)の時に在り』」


 釈尊は言われました。
名誉欲を膨らませて名声を求めるのは、お香が燃えて薫り一時は周囲の人々を喜ばせても、自分はたちまち灰になってしまうようなものである。
 愚か者は世間的から華やかにもてはやされて得意になり、人の道を見失う。
 賞賛は人の道を危うくし災いをもたらしかねない危険なものである。
 賞賛に溺れるならば、一時は得意になろうとも、後に必ず悔いがやってくるであろう」

 人はどこにいても、人の上にありたいと思ったり、賞賛を求めたりしがちです。
 認めてもらいたいのです。
 その昔、牢屋にも牢名主がいました。
 僧侶でも高い僧位を求め手厚い供養を求める者は珍しくありません。
 釈尊は説かれました。
「罵倒されようと、敬礼されようと、苦難にあっても、安楽にあっても、動じない心で生きよう」

 名誉に汚れはありません。
 それは、意欲に善悪はなく、意欲が我執で穢れれば煩悩となり、慈悲心で動けば大欲になるのと同じです。
 世間から名誉が与えられたならば、智慧と慈悲をもってそれを自他のために活かせば良いだけのことです。
 名誉そのものを否定するのは、いのちをの根源にある意欲を否定するのと同じく、智慧なき姿勢です。
 釈尊は「名誉を求める心」を愚かであると指摘されました。
 大切なのは、名誉が与えられようと与えられまいと、自分の置かれた状況において淡々と教えを実践することのみです。

 

「のうまくさんまんだ ぼだなん あびらうんけん」※今日の守本尊大日如来(胎蔵界)様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。





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2009
12.29

納め不動と機関誌『法楽』作りが終わりました

 おかげさまにて、今年も無事、お焚きあげの修法をまっとうできました。
 仙台市や大崎市、遠くは関東方面などからも善男善女の願いを受けた品々が届けられ、供養され因縁を解かれた置物や写真などが天地へ還りました。
 心よりお礼申し上げます。
 また、機関誌『法楽』作りも順調に終わりました。
四十二章経』の勉強は第十九章まで進み、あと2年で全章を終えます。
 頑張りましょう。
 皆さんのご協力に心より感謝申し上げます。

 今日は朝から荒れ模様で、野外での修法は困難かと思われましたが、初参加の方とのお約束もあり、予定通り開運不動明王様の前で行いました。
 小雨に打たれながら法へ入り、経文「諸々の冥衆(ミョウシュウ)を焼き、後に法薬をもって安穏を得せしむ」あたりまで来ると、周囲は大分明るくなりました。
 お不動様の炎は、すさまじい法力で暗く愚かな煩悩を焼き滅ぼし、生木の皮が剥がされたようになった心へ甘露のようなお慈悲を与え、必ず癒してくださるのです。
 修法が終わる頃はほとんど雨があがり、堂内では『法楽』作りが進んでいました。
 皆さんと一緒に飲むお茶も食べるお弁当も格段においしく、お正月のご祈祷で元気に再会することを約束してお開きにしました。

2112228009.jpg

 ところで、参加されたAさんのお話には、皆さん唸らされました。
 
 Aさんは仏神への信仰が篤く、特に不動堂などを見かけると、掃除しないではいられなくなります。
 掃除を終えると「本当に気持が良い」そうです。
 そんなAさんが今年、お墓を造りました。
 遠くに住む息子さんも駆けつけ、何の問題もなく無事に開眼供養を終えたのですが、いつに変わらぬまじめな面持ちで立っていた息子さんが、実は交通事故のため脊椎に損傷を受けていたとは驚きです。
 Aさん自身も、後から「あの時はコルセットをしていたんだ」と聞かされ、事故の大きさと身体のダメージの少なさに仰天したそうです。

 バイクで走行中の息子さんは、右折してきた大型トラックに危険を感じ、左へ急ハンドルを切りました。
 その結果、遠心力で空中へ舞い、背中の真ん中からへし折られるように電柱へ激突し、気を失いかけました。
 脊椎が骨折し絶対安静となりましたが奇跡的に脊髄に損傷はなく、後遺症も残らずに退院できました。
 救急車で運ばれた病院の先生からは「奇跡ですね」と喜ばれました。
 息子さんは、親へ心配をかけたくないという一心でこうしたできごとを知らせず、黙って開眼供養へ参加したのです。
「私は話を聞いてご加護だと確信しました。何とありがたいことでしょうか」
 その後、あまり仏神へ関心のなかった息子さんも、「あそこで左へハンドルを切ったことも、こうしていられることも、すべてがご加護としか思えない」と手を合わせる心になったそうです。

 客観的には、事故が起こり大したケガでなくて済んだというだけですが、それは現象の説明でしかなく、人間にとって最も大切なのは、それをどうとらえるかということです。
 もしも息子さんが愚癡っぽい人だったならば、「コルセットして正月を迎えるなんて、私は何て不幸なんだろう」と暗くなるかも知れません。
 もしもAさんが強権的な人だったならば、「バイクは止めろと何度も注意しているのに、言うことをきかない親不孝者で困ったものだ」と怒るかも知れません。
 しかし、Aさん父子は仏神へ感謝し、小さな布施や奉仕に励みながら希望と自信と安心を抱いて新年を迎えます。
 この話を黙って聴いていた皆さんの心にある明かりも、きっと強さを増したことでしょう。
 Aさん、ありがとうございました。

 

「のうまくさんまんだ ぼだなん あびらうんけん」※今日の守本尊大日如来(胎蔵界)様の真言です。
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2009
12.28

土壌

 アナウンサーで朗読家のWさんは、

「何をどう話すか最後の微妙なところは、その人の教養のようなもので決まります。
決してマニュアル化できません」


と言われます。
 台本や作品はあくまで材料であって、それを使って人の心に訴える力は読み手の人格にあるのでしょう。

 弁護士の卵を育てるベテラン弁護士のIさんは

プロになる前の研修期間に浄瑠璃を鑑賞したり芝居を観たりすることの大切さを訴えてきましたが、『教養は個人の問題だから研修では専門の分野だけをやっていれば良い』という方向へ進んでいるようで残念です」


と言われます。
「実利を効率的に得る技術を正確に身につけさせるのが全一番」
という考え方を嘆いておられるのでしょう。

 どの道であれ、プロになるのは、すばらしい実をつける大木になるようなものです。
 実をつけるためには養分も、水も、陽光も必要です。
 しかし、一番大切なのは土壌ではないでしょうか。
 もしも土壌が毒素を持っているならば、実がおいしそうであればあるほど、多くの人々が食べて身体を壊されることでしょう。
 便利な刃物が鋭利であればあるほどいったん凶器になれば大きな被害をもたらすのと同じです。

 教養を身につけ人格を磨くことは、技術的には役に立たないようでありながら、あらゆる能力を正しく発揮するための土台であり前提です。
 教育における宗教の果たす役割もよく考える必要があるのではないでしょうか。

 

「のうまくさんまんだ ぼだなん あびらうんけん」※今日の守本尊大日如来(胎蔵界)様の真言です。
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2009
12.28

1月の聖悟 ─弘法大師の教え─

 今月も、お大師様の言葉をひもとき、教えに学びましょう。
 主題は文字(言葉)です。

如来説法は必ず文字による。
 文字の所在は必ず六塵(ジン)その体(タイ)なり。
 六塵の本(モトイ)は法仏の三密なり」

(み仏は、目や耳や鼻や舌や皮膚や意識などでとらえられる現象世界のすべてを通じて、常に説法をしておられる。
 それを教えとしてきちんととらえられるかどうかは、心の清らかさにかかっている。
 見える姿も聞こえる音も、そっくり、み仏の尊い身・口・意のはたらきなのである」

 私たちが何かを考える場合は、必ず言葉を用いています。
 たとえば、屹立する樹木を眺めて感じます。
「何て高いんだろう。
 これだけ太い幹になるまでには、一体、どれだけの時間を生きてきたんだろう。
 こうした古木には、人間など、とても太刀打ちできない気品がある」
 高い・太い・幹・時間・生きて・古木・人間・太刀打ち・気品、これらはすべて言葉です。

 このように具体的に考えなくとも印象が強く残っていれば、老人に出会った時にこの樹木を思い出すかも知れません。
「あっ、この人はあの樹のようだ」
 そして、自分が何に打たれたのかを考えているうちに、気づくかも知れません。
「長く生きているものって、すごいんだなあ」
 やがて、時間や、年輪や、植物や、人間や、一生などの言葉や観念が湧いてくれば、古木古老が訴えかけてくるものに、より深い納得を得られることでしょう。

 お大師様はこのことを指摘されました。

 眼・耳・鼻・舌・皮膚・意識(この6つを六塵といいます)によって私たちは世界と接し、生きています。

 眼で荘厳なお像を見て、清浄な別世界を感じます。
 耳でお経を聞いて、ご加護の世界へ引き入れられます。
 鼻でお線香の香りを嗅いで、非日常的な次元の空間を感じます。
 舌でご供物として捧げられたお菓子を味わい、深い安堵を感じます。
 手で数珠を繰り、真言がご本尊様へ届いて行くのを確信します。
 瞼に浮かぶご本尊様へ心で合掌し、帰依の心を深めます。

 見るものも聞くものもすべて教えを含み、現象世界はそのままに説法の世界となります。
 すべてが、み仏の見える姿(身体)、説く教え(口で話す言葉)、訴える意味(意識)であり、これを身口意(シンクイ)の三密といいます。

 他人の笑顔は自分の心にも極楽の花を開かせ、孤独の寂しさは同苦(我がことと感じて寂しさが起こること)の思いで胸を塞ぎ、バンザイする喜びは心を陽光で満たします。
 他人様に起こるできごとはすべて尊い説法であり、説法あればこそ、心に花が開き、胸が塞がり、心が明るくなり、霊性が活き活きします。
 また、太陽も月も星も山も川も町家もタヌキもキジもネコも皆、同じように光や仕草や声などをもって説法しているのです。

 私たちの生きている眼・耳・鼻・舌・皮膚・意識でとらえる世界がそのままに、み仏の身口意であるとは、何とありがたいことでしょうか。
 さあ、説法の世界であることを感じ取られるような瑞々しい心になろうではありませんか。
 
 

「のうまくさんまんだ ぼだなん あびらうんけん」※今日の守本尊大日如来(胎蔵界)様の真言です。
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2009
12.28

1月の守本尊様

 今月(1月5日から2月3日まで)は「小寒」と「大寒」の睦月です。
 守本尊虚空蔵菩薩様です。
『是處非處智力(ゼショヒショチリキ)』をもって、この世の姿をありのままに見つめ、真偽善悪虚実・尊卑・上下・清濁などをはっきりと区別し、迷いを解き放つ力と、行くべき道をお示しくださいます。





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2009
12.28

1月の真言

 1月守本尊様をご供養しお守りいただきたい時、願いを成就させたいと念じる時、つらい時、悲しい時、淋しい時は、合掌して真言真実世界の言葉)をお唱えしましょう。
 たとえ一日一回でも、信じて行なえば、ご本尊様へ必ず思いが届きます。
 回数は任意ですが、基本は1・3・7・21・108・1080回となっています。

虚空蔵菩薩(こ・くう・ぞう・ぼ・さつ) 

「ノウボウ アキャシャキャラバヤ オン アリキャ マリ ボリ ソワカ」


今月の真言をお聞きになるにはこちらをクリックしてください。音声が流れます


※お聞き頂くには 音楽再生ソフト が必要です。お持ちでない方は、
 こちらから無料でWindows Media Player がダウンロードできます。




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2009
12.27

人間の底力 (2)

 ブログ「人間の底力 (1)」へ書いたアメリカ人Aさんである。
 彼女は学生時代、政治家を志したが、実際にその世界で下働きをしているうちに、同じような志を持っていたはずの人々がそれを脇へ置き、あるいは失いつつ政治家としての階段を登って行く現実に失望した。
 世界旅行へでかけ、立ち寄った日本で英語教師をしているうちに仏教徒となり、結婚もした。
 今は、食生活や漢方などの研究をしつつ健康維持に関する広範囲な仕事をしている。
 研究熱心なAさんは、筋金入りのサーファーでもある。
 屈託のない笑顔を輝かせながら、重い言葉を吐く。

「自分が実際に自分の手で助けてあげられる人々を一人づつ助けることが一番確実なやり方だと思っています」


 もしかすると、日本では、政治に頼らずに世を変えようとするこうした人々が5人、10人と増えつつあるのではなかろうか。
 そんな夢想を抱かせるAさんの存在感は大きい。

 Bさんは、文字どおり最愛の妻を失い、心の均衡に支障をきたし、当山へ来られた。
 み仏の確かな救いを感じつつも、まだ、十全の状態には戻っていない。
 そんなBさんにとって、世間が浮き立つクリスマスからお正月の時期は辛い。
 手紙をくださった。

「この時期になると、皆が、TVが、街中が楽しそうにすればする程、妻を思い出してどうしようもない寂しさと孤独感におそわれます」


 涙腺が緩み鼻がムズムズしつつ続きを読んで瞠目した。
 永年のヘビースモーカー生活と縁を切ったのだという。
 しかも、最大の気晴らしだったパチンコも止めた。
 再開の衝動に襲われた時は、当山のご本尊様を思い出して踏みとどまるそうである。
 人並はずれて感受性が強く、何種類もの言葉を自在にあやつられるほどの才人がたった一人で依存症と闘い、克服しつつある。
 Bさんが本調子を取り戻すように祈っている職員たち共々、泣けた。
 これほど強烈な克己心があろうか。
 克己心こそが菩薩となるためのスタート点である。 

 Aさんも、Bさんも、悪しき共(グウゴウ…皆が意識せぬ間に作る社会的な)が吹き荒れるこの世界で、強く立ち、清浄な光を発している。
 人間の底力を教えていただいた。
 勇気をいただいた。
 それは当山にとっても、このブログを読んで下さった方々にとっても、新しい年を拓く力になることだろう。



「おん さんざんざんさく そわか」※今日の守本尊勢至菩薩様の真言です。
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2009
12.27

人間の底力 (1)

 車のラジオから流れる一般人の創った俳句や川柳に驚いたことは一度や二度ではない。

絶滅の憂い一番手は人か」


 私たちは、ここまで来てから「絶滅種を救え」「地球を救え」などと叫びだしたが、人間の(ゴウ)は、人間をこそ滅ぼそうとしているのではないかと指摘している。

 ノーベル平和賞を受けたオバマ大統領の率いるアメリカでは、盲腸になった時にかかる費用が100万円を超える。
 だから、軽微な段階で手術を受けられるのは、高額な保険金を支払っている人々だけである。
 貧困層は死にそうになって救急車ではこばれない限り救われない。
 貧困層の子供たちなどが通う学校で提供される給食は、著しく健康面への配慮に欠け、肥満や病気や低学力の原因となっている。
 来日し、日本における給食の実態を知って自分の子供時代をふり返り、ついには食事や漢方の研究家となったアメリカ人Aさんは、肩をすくめて言う。
「よく、ああいうものを食べていたものだと思います」

 我欲の肥大と、それに伴う思いやりの欠如が世界を覆っているのは、アメリカだけではない。
 若い頃、故国ではたらいていた中国人の妻がその時代に受けた公害によって発病し、急逝した結果、ご主人が当山の共同墓『法楽の礎』へ納骨されたのは、つい最近のことである。
 日本では、財閥をバックに総理大臣になった人が「定額給付金でうまいものを喰う」と言って恥じなかった。
 政治と金の問題を解決しようと提唱し、与党を追求して政権の座に座った総理大臣は、自分が使っている政治資金の出入りを全く把握していないという。
 その一方で、仙台市の地下鉄の構内には、毛布にくるまって夜を過ごす人たちがおられる。

 憂うる人、戦慄する人こそが、まっとうな人ではなかろうか。

「陽だまりにきてカマキリの力尽き」


 酷薄さを宿した生きとし生けるものの世界。
 いのちの裏にかならず貼りついている死の影。
 生と死が、スライド用のポジフィルムとプリント用のネガフィルムをいっぺんに見るかのごとく示されている。
 寒さの募る季節、ようやく陽光のある場所へたどりついてから死んだたった一匹のカマキリが、その小さな屍をもって、生きとし生けるものすべての〈生きようとする健気さ〉を体現している。
 それを哀れみ、同時に微笑みつつ見守っているみ仏の視線すら感じられる。

 私たちはこのカマキリと同じである。
 いつ死へ反転してもおかしくない今の生を生きている。
 生は確かだが、危うい。
 危ういが確かでもある。
 
 歌手の夢慧氏は、末期ガンを宣告されて以来、残された時間のすべてを再起の可能性にかけていた。
 10月11日、65歳で逝くおりには、家族の一人一人と握手をして「また、会おう」と言い、端然と去った。

 自分は懸命に陽だまりを目ざしているか。
 世界が反転する時、力尽きたカマキリに、寺子屋の建立を一緒に夢見てくださった夢慧氏に、恥じないで済むか。
 問いつつ生きたい。
 
 名も知らぬ二人の詠み人たちに人間の底力を知った。
 ありがたい。



「おん さんざんざんさく そわか」※今日の守本尊勢至菩薩様の真言です。
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2009
12.26

予報と予言

 最近の天気予報はとても詳しく、解りやすくなりました。
 好青年やうら若い美女が、いかにも確信ありげに地図を前にして説明します。
 科学的観測とそれに基づくデータ、そして最高の分析技術をもって解明された未来は、あたかも動かしようがないかと思わせますが、意外に、外れたりします。
 それでも私たちは「予報が外れたためにせっかくの旅行が台無しになったから、損害賠償せよ!」と訴えはしません。
 科学の限界を感じ、予報士たちの確信に宿っている誤差を許しているからです。

 あたかも科学が万能であるかのようなこの時代には、こうした予報予告がより精密に、そして、より遠くの未来にまで及ぶことが求められています。
 遺伝子の解析により、生まれた人間が、いつ、いかなる病気になるかまで解るとされ、外国にはそうしたデータを基にした生命保険もあると聞きました。
 やがては、人の寿命まで予告されるのかも知れません。
 しかし、医者から「あなたはこれまで、本当に普通の日常生活ができていたんですか?」「あなたはいつ死んでもおかしくありません」「長くて、あと一年でしょうか」などと分析、予告された人々が10年以上も生きている事例は、当山の周囲にいくつもあります。

 こうした予報予告の誤差は、分析する対象の変化の波がゆったりし、長い時間を要するものであるか、それとも波が小刻みに短時間で揺れるものであるかによって異なります。
 海流の流れと気象の変化を比べれば一目瞭然です。
 今、銚子沖にある黒潮が一ヶ月後にどこにあるかは割合正確に予報できるでしょうが、銚子の一ヶ月後の天気を正確に予報することは困難でしょう。

 いずれにしても、私たちは科学的予報・予告を当てにして生きています。
 その一方で、予言予知もまた、私たちの足を止めたり進めたりします。
 ある人から「もし、あなたの家に古い刃物があったら良くありませんよ」と言われ、たまたま刃物があると気になります。
 そして、不意の事故が起こるなどしたならば、たちまち処分したくなります。
 何となくでかける気にならなくてキャンセルした飛行機が堕ちたという事例も山ほどあります。
 予言予知に科学的根拠はありませんが、こうしたものをまったく無視して生きている方は少数派だろうと思われます。

 それはなぜか?
 私たちは、起こってしまった過去を見れば原因結果の糸がある程度つなげられ、納得できます。
 しかし、過去を見本とし、原因起こりつつあるできごとについていくら考えてみても、まだ起こらない未来における結果をもたらす〈すべての糸〉は発見・分析しきれないからです。
 そもそも、現在そのものが流れであり、物理学では〈現在〉を客観的に観ることが不可能であるとされています。
 私たちはこうしたことを直感的に知っており、第六感などが因果の糸をまったく見せないままに示す〈まだ来ぬ未来という結果〉を信じる場合があります。

「科学的」というお墨付きを欲しがる現代人は、こうした分野にまで科学のメスを入れようと頑張っていますが、きっと、「目の前にぶら下げられたニンジンを追う馬」であり続けることでしょう。
 なぜなら、科学は精神のはたらきの一方面であり、人々が生きるという現実のすべてをその原理だけで動かすことは不可能だからです。
 なにしろ、私たちは、信じる医師から「あなたはすぐに治ります。大丈夫」と太鼓判を押されただけで、胃腸薬によって風邪が治ってしまうことが珍しくない極めてアバウトな存在なのです。

 科学に頼りすぎると、切り捨てられる邪魔物と一緒に宝ものを捨ててしまいかねません。
 第六感に頼りすぎると、道理や論理によって考えるはたらきが鈍ってしないかねません。
 その人なりに、科学的知見と第六感のバランスを上手にとりながらやりましょう。
 それは、科学と宗教を共に尊ぶ生き方でもあるはずです。



「おん さんまやさとばん」※今日の守本尊普賢菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。





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2009
12.25

幻の三番

 早朝の勉強会で読んでいる『雨月物語』に真女児(マナゴ)の文字をみつけ、『浜辺の歌』を思い出しました。
 大正2年に詠んだ林古渓の詩へ大正7年に成田為三が曲をつけたこの歌の3番が「まなご今は」で終わるのです。
 
 しかし、残念ながら市販の本などには2番までしか掲載されていません。
 忘れがたい名詞・名曲なので書きとどめておきます。

1 あした浜辺を さまよえば
  昔のことぞ 偲ばるる
  風の音よ 雲のさまよ 
  寄する波も かいの色も
  
2 ゆうべ浜辺を もとおれば
  昔の人ぞ 偲ばるる
  寄する波よ かえす波よ 
  月の色も 星のかげも

3 はやちたちまち 波を吹き
  赤裳(アカモ)の裾ぞ 濡れひしじ
  病みし我は すでに癒えて
  浜の真砂(マサゴ) まなごいまは


まなご」は万葉集に「真女子」とあるところからきており、「いとし子」の意味です。
 たった42の文字が読む人や聞く人へ幼き遠い日へとつながる物語を想像させるすばらしい一節ですが、そもそも三節の歌として作詞されながら、後になって作詞者本人が第三節は原作の趣が失われていると言い、一節と二節のみが歌として残ったのだそうです。

 林古渓の心の裡は判りません。
 ただ、はっきりしているのは、失われつつある日本語がいかにすばらしい宝ものであるかということだけです。



「おん さんまやさとばん」※今日の守本尊普賢菩薩様の真言です。
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2009
12.25

因縁切り (その2)

 さて因縁切りです。
 こうした因縁を「切る」とはどういうことでしょうか?
「創ってしまったものを無くせるのか?」という疑問も生じます。
 過去は忘れ去られても、遡って消すことはできないからです。

 私は以下のように理解し、感じながら修法を行っています。
 
 正統な因縁切りの法が正しく行われるのは、色光を混ぜ合わせるようなものであり、美しい色が現れると同時に、明るさが増します。
 加法混色といわれるもので、赤・青・緑が上手に加えられれば白色を作り出すこともできます。
 しかし、悪因縁を創りながら無頓着で、嫌な結果が出たからといって適当に処置しようとするのは顔料を混ぜ合わせるようなものであり、やはり色彩は変化しますが、どんどん暗くなります。
 これは減法混色といわれる手法で、三原色の混合は黒に近づきます。
 カラー印刷が明度を失わないのは、顔料が混ぜられず、無数の小さな点として精妙に配置されているからです。

 また、こうも考えています。
 たとえば、自分の色情因縁を切りたいと願って修法するのは、霊性を磨く修行であり、それは生まれ持った仏性をはたらかせるということと同じです。
 かつて、ブログ『色情因縁の解決 1』において、こう書きました。

 色情因縁は「引力」の問題です。
 引力を肉体的に使えば性的関係に忙しくなり、煩悩に負けて倫理を忘れ、自他を破滅させもします。
 引力を知的に使えば大きく広い範囲へ届く影響力となり、その芳香は自他を向上・発展させます。
 色情によって生ずる結果は、無始以来の因縁が動いて出ます。
 悪行によって自分を罰するのは、他人ではなく自分です。誰のせいにもできません。
 因縁を浄化する最高の方法は菩提心(ボダイシン…み仏の心)で生きることです。
 そこへ到達すれば、生霊・死霊・怨霊など、どのようなものも受け付けません。


 色情因縁は特定の傾向です。
色情因縁とは、異性からの引力を強く感じる傾向であり、あるいは、異性へ引力を強く感じさせる傾向でもある」
色情因縁とは、異性へ強い関心を持つ傾向であり、あるいは、異性から強く感心をもたれる傾向でもある」

 こうした傾向自体に善悪はありません。
 傾向が弱ければ、思春期でもあまり異性への感心に悩まされず勉強に没頭して優等生になるかも知れませんが、それは、ただそれだけのことです。
 あるいは、傾向が弱ければ早くから出家して優秀な僧侶になるかも知れませんが、それもまた、それだけのことです。
 さんざん悩み苦しみ、勉強がろくに手につかない青春を送っても、その葛藤の体験が人間の器を育て、世の中を動かす大物になるかも知れません。
「空(クウ)」の哲学を確立した龍樹菩薩(ナーガールジュナ)は、若き日に透明人間になる神通力などを得て悪行に溺れ、死に損なってから一念発起して聖者となりました。

 傾向が善き結果をもたらすか、それとも悪しき結果をもたらすかは、ただ、霊性がどうなり、仏性の光が輝いているかどうかにかかっています。
 今の自分が帯びている因縁に強く問題意識を持ち、「どうにかしたい」と強く望み、悪しき結果をもたらしがちな部分を切り捨てたいと願って祈り、修法を行えば仏性がパワーとなって動くので、必ず「加法混色」になります。
 明るい方向へと運勢が変わります。
 異性への感心は異性への優しさとなり、異性からの関心へ肉体的に反応せず霊性のレベルで対応するようになります。

 つまり、因縁を「切る」とは、ダイコンを切るように、あるいは三段ロケットが三段目二段目と切り放すように行われるのではありません。
 悪しき結果をもたらしがちな面が抑えられ、善き結果をもたらしがちな面が伸ばされるのです。
 それは因縁の変容であり、み仏の光明世界へ人生の舵を切ることです。
 信じて行いましょう。
 加法混色を工夫して自分の人生を明るくし、その光で周囲をも明るく照らせたなら最高ではありませんか。



「おん さんまやさとばん」※今日の守本尊普賢菩薩様の真言です。
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2009
12.24

戒名の不思議

 中年のご夫婦生前戒名をお授けしました。
 儀式が終わってお茶をいただく時、ご主人がバッグからおもむろに三枚の細長い和紙を取り出し、机に並べられました。
仏壇などはまだ用意できていないんですが、戒名を書いて供養しています」
 まるでプリンターで作ったような文字の端正さにびっくりしましたが、その一枚にはすっかり目を奪われてしまいました。
 たった今お渡ししたご主人の戒名の一番上の文字と奥さんの戒名の二番目の文字が、熟語になって「~院」と一番上に書いてあるではありませんか。
 ご主人が静かに言われました。
「母の戒名です」

 一番上の熟語は魂の色合を表すものです。
 母親の魂の色合の一部を受け継いだご主人は、残りの部分を持った伴侶を見つけられたのです。

 夫婦ですからここまでの道のりではいろいろあったことでしょうが、み仏の前でお互いをいたわり合うお二人はまさに一心同体です。
 「あなたはあなた、私は私、人格が別なんだから権利もそれぞれ」といった意識があらゆる人間関係の土台となっているような現代にあっては実に貴重なお姿を見せていただきました。

 けんかをしようと何があろうと、たった一人になる日まで夫婦は一心同体を理想としたいものです。

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「おん あらはしゃのう」※今日の守本尊文殊菩薩様の真言です。
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2009
12.24

共同墓の外国人

 共同墓法楽の礎』には、外国人もおられます。
 ご縁になる方々は、それぞれ、ご事情を話されます。
 Aさんは中国から来ているうちに嫁ぎましたが、急に体調を崩します。
 原因は故国で務めていた工場の劣悪な労働環境が引き起こした公害でした。
 若い頃、家族のために懸命にはたらいたAさんは、還暦も迎えぬうちに白血病で急逝するという形で人生を終えました。
 お骨を連れてきたご主人は、泣き言を言いません。
 しかし、検死を受け、周囲の容易ならざる眼を感じたことは確かです。
 ご主人は、亡き妻の姓が中国では由緒来歴のあるものだったと力説しました。
 せめてもの手向けであろうと聴くこちらの心にも苦いものが滲みました。

 共同墓には、無宗教の方も、神道の方も、キリスト教の方も、外国人も眠っておられます。
 御影石に刻まれた戒名や名前を見るたびに、世間の一切を離れた安寧を想います。
 どこでどんな人生を送った人々も十三仏に守られ、霊性そのものとなっておられる向こうの世界が、遙かないずこかではなく、この世の次元に重なって感じられます。
 
 最近は、タヌキがよく現れます。
 丸々としており、走る姿は愛嬌たっぷりです。
 サギらしい大きな鳥も、池のほとりを餌場にしています。
 長い脚、びっくりするほど大きな翼は、フワッと舞い上がる時、まるで誇っているかのようです。
 
 この世に残した最後の痕跡であるお骨は一目に触れず、山に見守られ、樹木や花や動物たちの生きる自然へ還ります。
 そして、御霊は依り代の近くであの世の旅を続けておられることでしょう。
 ──み仏と同行二人(ドウギョウニニン)で。

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「おん あらはしゃのう」※今日の守本尊文殊菩薩様の真言です。
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2009
12.23

解毒 (その2)

 その一つは深呼吸です。
 まず、お腹を引っ込めながらゆっくりと息を吐き、吐ききったならば、今度はお腹を膨らませながら静かに充分に吸ってください。
 そして、天地からいただいた清浄な霊気がお腹から身体へ行きわたるようにイメージして、ちょっとの間息を止めてください。
 そして、また吐くのです。
 これを1・3・7・21回など任意に行えば、たいていのイライラ・ムカムカはおさまります。
 不思議なものです。
 
 もう一つは、散歩するなど、とにかく身体を動かすことです。
 それも、真言(大日如来の「オンバザラダトバン」など)や、ご宝号(弘法大師の「南無大師遍照金剛」など)や、暗記した教典などを心で唱えながらやれば、効果は絶大です。
 お釈迦様の弟子チューラパンダカさんは、「垢を除かん。塵を払わん」と唱えながら掃除をしただけで悟りを開かれたほどです。

 そして、を捧げ、飾り、「我、のごとく耐え忍び、心のを咲かせん」と唱えることです。
 きっと、忍耐を司る菩薩様がお救いくださることでしょう。

〈流行っているから良い〉のではありません。
 時代の空気に含まれている毒にやられないよう、気をつけましょう。



「のうぼうあきゃしゃきゃらばや おん ありきゃ まり ぼり そわか」※今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。





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2009
12.23

平成22年の運勢 ─生き方のヒント─

 平成22年も、仏法に導かれて無事安全に、そして活き活きと過ごしましょう。
 運勢生き方の要点を九字に表現しました。

【臨】焦らず、信念を貫きましょう。
「急がば回れ」です。
 今年は、停滞・渋滞が発生しがちです。
 焦りは禁物、急ぐ時ほど要注意です。
 ドライバーは進路を譲り、イライラしたなら深呼吸をしましょう。

【兵】手順・順番を考えてやりましょう。
「餅食ってから火にあたる」ではなりません。
 時間に追われていても、手順や準備の確認は怠らぬようにしましょう。
 抜けていると、後からが心配です。
 手順の決まっていることはマニュアル化しておくのも一法です。

【闘】善きことはくり返し、悪しきことはくり返さぬよう。
「くり返すことは最良の勉強法」
 知ったことが血肉になるためには復習や実践のくり返しが必要です。
 こうした時代こそ、確実に身につけているものが身を救います。

【者】目移りは禁物です。
「隣の芝生は青い」
 目移りは、自信のなさと焦りから起こります。
 楽な道はなく、うまい話も落ちてはいないと考えて無事安全です。

【皆】岐路に立ったなら、相談すべきは智者です。
「智者は惑わず、 仁者(ジンシャ)は憂えず、 勇者は懼(オソ)れず」
 迷っている時に相談すべき相手は迷いのない人です。
 同じように迷っている人と話せば一時的な安らぎは得られても、確かな道は選べません。
 ものごとを根本的に考え、自分の足でしっかり立っている人かどうか。

【陳】立ち止まる勇気と余裕を持ちましょう。
「正の字は一つ止まると書く」
「仁者は山を楽しむ」
 流れがおかしくなって来たと感じたなら、安易に惰性で押し切ろうとせず、立ち止まって状況判断などを行うことが肝要です。
 今年の「止」の力は想像以上のものがあると考え、いざという時に慌てぬよう、丹田に鋭気を養っておくゆとりを持ちたいものです。

【烈】仏神の道、天地自然の理へ眼を向けましょう。
「我を主とせず、教えを主とする」
 心におわす「仏性」と悪しき思いに警鐘を鳴らす「良心」へ素直に従いましょう。
 その清浄な心こそが、いざという時に仏神の光をしっかり受信します。
 濁った水は、せっかくの満月を宿せません。

【在】我欲を薄くし、大欲(タイヨク)でやりましょう。頑迷・強情に陥らぬよう。
「頑冥不霊(ガンメイフレイ)」にならぬよう。
 信念を通すことと、心の柔軟性を失うことは違います。
 信念とは、善き願いを保ち手放さない覚悟であり、願いの成就こそが目ざす到着点です。
 そこへの道のりが一直線である必要はありません。状況に応じていかに遠い回り道をしても、あるいは崖に爪を立てて登っても、智慧と勇気の総動員によってゴールせねばなりません。
 難所で本当の力を発揮させるものは我(ガ)でなく、霊性です。
 自己中心を離れた大欲です。だから、凝り固まった姿勢を「頑なで、道理に冥く、霊性がはたらかない」と言います。

【前】誠実、篤実に過ごしましょう。
「誠心誠意」は最強です。
 いつの世も誠を尽くす以上、尊い生き方はありません。
 いかなる分野の偉人も全て、誠を尽くした人々です。
「まこと」は実であり信であり真であり、「真実の言葉」です。
 目先の敏(ハシコ)さでうまくやれる時代は過ぎ去りました。
 人間性の底が問われる時代の到来です。



「のうぼうあきゃしゃきゃらばや おん ありきゃ まり ぼり そわか」※今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
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2009
12.22

解毒 (その1)

 今はやりの「ムカツク」は、さかんに毒を製造している状態す。
 恐ろしいことです。
 古来、仏教では、ガツガツとむさぼってやまないことを(トン)といい、イライラ・ムカムカ・ウヌッとなることを(ジン)といい、道理をわきまえない手前勝手な考えをもつことを(チ)といい、心身を破壊する「三毒」であると説かれてきました。

 怒っている人の吐く息を溜めて小動物をその中に入れておくと病気になってしまうほど心がつくる毒性はすさまじく、新聞紙上に毎日掲載される事件のほとんどは、このいずれかのはたらきと密接にかかわっています。

 さて、どうすれば解毒できるかはそう簡単ではありませんが、とにかく、若い人のあいだで「ムカツク」「ウザッタイ」「切れる」など、に通じる心の乱れが一種のはやりのようになっているのは憂うべきことなので、まずは、だれにでもできるの解消法を簡単に書いておきます。



「のうぼうあきゃしゃきゃらばや おん ありきゃ まり ぼり そわか」※今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
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2009
12.22

平成22年1月の運勢

 1月(1月5日から2月3日までの小寒大寒)の運勢について記します。

 今月はリーダーの「智慧」とついて行く人の「徳」が問われます。
 確かな人に学び、篤実な姿勢でものごとに当たれば開運に近づきます。
 特に、懸案の解決を願っている方は、高い見地からの判断に学んで対処し、打開しましょう。
 しかし、師や尊ぶべきものをないがしろしに、心のよりどころを失って根無し草になれば、自由を謳歌するどころではなく、心許ない状況に陥る危険性があります。

 仕事や交渉ごとなどは、うまく行きそうなのに思う通りにならない場面があることを想定し、慌てないで済むように準備をしておくことが肝要です。
 また、目先の損得に惑わされて失敗せぬよう、客観的な視点をはたらかせ、前向きだけで突っ走らず、踏みとどまるべきところではピッタリと立ち止まる勇気も必要です。
 生活においては、飲食の機会に不用意な言動で失敗しないように気をつけましょう。
「言わなきゃ分からない」一方で、「口は災いの元」でもあります。
 旅先では、使うお金と得られるもののバランスをよく考え、後悔しないように。
 美しい蜃気楼に迷うよりも、確かな道を根気強く一歩づつ歩んで開運しましょう。
 み仏のご加護を祈っています。

 今月も、人の道をしっかりと歩むために、菩薩をめざす六波羅密(ロッパラミツ)行に邁進し、まっとうに生きましょう。
[布施行と運勢お水を供えましょう。
 精進の人は小事にこだわらず、温和さを忘れず成功します。
 不精進の人は心の浅さや焦りを見られて侮られ持てる力が発揮できず失敗しがちです。
[持戒行と運勢塗香で手や心を清めましょう。
 精進の人は目下の意見などにも耳を傾け成功します。
 不精進の人は親しさだけに溺れ、なすべきことのメリハリを失って失敗しがちです。
[忍辱(ニンニク)行と運勢お花を供えましょう。
 精進の人は自分の至らなさを知って謙虚に行い無事安全です。
 不精進の人は傲慢さから古い人間関係などを失い裏切られもしがちです。
[精進行と運勢お線香を供えましょう。
 精進の人は小さな成功も大切にして将来に備え、未来を拓きます。
 不精進の人は一時の成功に目が眩み、大きなマイナスを発生させがちです。
[禅定行と運勢飯食(オンジキ)を供えましょう。
 精進の人は力量のある人に認められ、推進力を得て成功します。
 不精進の人は攻めるべき時に気づかず、飛躍のチャンスを失いがちです。
智慧行と運勢]灯火を供えましょう。
 精進の人はいつも他人の困苦に目を配り、窮地では自分も救われます。
 不精進の人はいざという時に救いの手がなくて途方に暮れ、失敗しがちです。

 皆さんの開運を祈っています。



「のうぼうあきゃしゃきゃらばや おん ありきゃ まり ぼり そわか」※今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
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2009
12.21

お大師様の疑問 (その2)

 燈火を掲げる僧侶となったみ仏の言葉です。 
「『大日経』こそが汝の求めている教典である」
 経典の名をつきとめたお大師様は、まだ誰も知らぬ幻の教典を求めて久米寺へ行き、祈願をかける日々を送りました。
 そしてある日、ついにあの僧侶が現われて「東塔に教典がある」と教え、秘密となっていた経典が世に出る時が来たことを喜びました。
 ところが、日本には誰一人としてこの経典を読み解ける人はいません。
 お大師様は、大日経と密教の全体像を学ぶために中国へ渡り、いのちの残り少ない恵果和尚から正当な後継者として伝授を受け、アジアの東端に密教を広められました。
 若いお大師様の強い向上心がなければ、即身成仏法はここまで高度に完成されなかったにちがいありません。
 感謝とともに、純粋な探求心の持つ力にうたれる思いがします。





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2009
12.21

例祭だより(12月の第二例祭)

 お寺が兎野に引越しして初めてのが降り積もりました。
 今週は急に冷え込んで「わ。とうとう冬がきたー!」という思いとともに心身が引き締まります。

 先月に護摩壇も講堂に引越ししていましたので、でも安心です。
 お寺の冬景色もほんとにいいものですね~☆

 さて、昨日は今年最後の例祭でした。
 お不動様の炎も高く高く燃え上がりました。

 ご参詣の皆さんの読経。
 住職の力強い太鼓の音。
 奥さんは例祭の様子をカメラに収めています。
 私の隣では丹野さんが大きな声でお経を唱えています。
 皆一心です。
 大きな講堂に煙は満ち。。。大日如来様の後ろの高窓から徐々に抜けていきます。

 ふと、前の本堂をなつかしく思う時があります。
 たくさんの檀信徒さん方の思い、住職はひたすら祈り続け、奥さんが必死で支えられ、数え切れないくらい護摩を焚き、壁や天井が黒くなっていました。
 また、ここでもそれが引き継がれ一つ一つ歴史が刻まれていくのですね~。

 皆様今年も本当にありがとうございました。

 来年もいろいろな事が法楽寺では始まります。
 皆様一緒に歩んでまいりましょうー♪

※この原稿は、橋里佳さんのブログ「大日如life」http://blog.goo.ne.jp/lebleucrystal/から転載させていただきました。



「おん ばざらたらま きりく」※今日の守本尊千手観音様の真言です。
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2009
12.21

年賀状

 信徒Sさんの投稿です。

「皆様にとって素敵な年になりますように」

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2009
12.21

寒い日のラーメン

 ご夫婦でやっておられるまじめなラーメン屋さんです。

「当店の手作り麺は、最高の粉と卵と水を加えて練り、ゆっくり熟成させて打ち上げました。
 防腐剤、着色料は、一切使用しておりません。
 安心・安全なものを提供しております」

 寒い日は、こんな「なべや」さんで暖まりませんか。

[何杯でも食べられそうな嬉しいラーメンです]
2112213nnabe

ギョーザも最高!]
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[メニューです]
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※℡022(271)8595



「おん ばざらたらま きりく」※今日の守本尊千手観音様の真言です。
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2009
12.21

【現代の偉人伝】第89話 ─福田衣里子─

 20歳になった福田衣里子氏は、フランス旅行で知ったパンの世界にうたれ、パン職人を目ざしている最中に自分がC型肝炎感染者であることを知った。
 原因は出生直後に投与された非加熱製剤だった。
 在籍していた大学を中退し、インターフェロンによる治療を始めた。
 最初は運が悪いとあきらめかけたが、国が認めた正規の手続きでなされた医療行為がたくさんの患者を生み、放置されていることに疑問を持ち、立ち上がった。
 平成16年4月、実名を公表し、薬害肝炎九州訴訟の原告となったのである。
 しかし、政治のメッカ永田町も行政のメッカ霞ヶ関も冷たかった。
 関係機関や関係者たちがそれぞれ自らを守る姿勢でいる現実と戦い、平成12年、「薬害肝炎救済法」の成立にこぎつけた。

「悪しき政治で命が奪われることもあるが、政治が正しく機能すれば多くの命が救える」


 こう知ったという。

 福田衣里子氏は、周囲の勧めで平成21年の衆議院議員選挙への立候補した。
 誹謗中傷への恐怖や、特定政党に属して患者救済活動に支障が生じる懸念を充分考えての決断だった。
 その結果、当選9回を誇る初代防衛大臣久間章生との熾烈な戦いに勝ち、民主党による政権交代の象徴ともなった。
 
 11月30日、参院本会議において、与野党の議員立法による薬害肝炎患者を救済する肝炎対策基本法が成立した。
 全員一致だった。
 ついに国の責任が明記され、国や自治体が患者を救う具体的道筋が確立された。
 政権の座についた民主党は自民党と徹底的に対立し、議員立法も原則的に難しく、しかも会期の関係でギリギリの最中、成立を目ざして国会を駆け回る福田衣里子議員の姿は何度もマスコミで報道された。
 福田衣里子議員なかりせば、これほどスピーディな患者への救済は得られなかったことだろう。
 8月30日の当選以来わずか3ヶ月での大いなる成果だった。

 ホームページにはこうした「主張」がある。

「私はこれまで多くの方々の支えで、未来と命を繋いでいただきました。
 これからは、この繋いでいただいた大切な命で、世の中の理不尽に立ち向かい、血の通った愛のある政治を取り戻すために全力で頑張る覚悟です」


 福田衣里子議員は、政治が変えられることを国民へ教えてくれた。
 もちろん、民主党へのかつてない追い風と、政権交代という環境を背景としてのできごとではあったが、選挙と、そこで選ばれた議員が「政治を正しく機能」させたのは紛れもない事実である。
 これからしばらく続くであろう混乱の時代にあっても、希望の灯火はきっと消えないことだろう。



「おん ばざらたらま きりく」※今日の守本尊千手観音様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。





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2009
12.20

第二十一回 映画「チベット チベット」を観る会

 おかげさまにて、今年最後の映画「チベット チベット」を観る会が終わりました。
 一年の間に、足をはこんだ方々は悲劇の真相、文化の危機、仏法と人間の崇高さ、国家の持つ意味などを強く感じられたことでしょう。
 来年も引き続きこの会を続けます。
 寺院を破壊し、宗教を禁じ、言葉を破壊し、文化を否定するのは精神の圧殺であり、殺人と同じです。
 それに対し、口を塞がれたチベットの人々は、もはや、父祖の地チベットで「否」の声を挙げらません。
 まず、知り、そして声を挙げましょう。
 泣きながら心を消されつつある人々を救うために──。
 仏法を守るために──



「おん あみりたていせい から うん」※今日の守本尊阿弥陀如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。





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2009
12.20

今年最後の例祭が終わりました

 おかげさまにて、今年の例祭を無事、終えることができました。
 護摩木を供養される方が増え、瞑想や写経も始まり、充実した例祭を続けた一年でした。
 参加された方々、願いをかけられた方々、あるいは遠くから見守っていてくださった方々、皆々様へ心よりお礼申し上げます。

 夜半、玄関前にタヌキが現れました。
 果物を置くと、喜んで食べました。
 林をつぶして道場を造る人間の小さな罪滅ぼしとなったように思われました。
タヌキキジたちと共に生きる聖地にしたい」と念じつつ、来年も進みます。

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「おん あみりたていせい から うん」※今日の守本尊阿弥陀如来様の真言です。
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2009
12.20

お大師様の疑問 (その1)

 若い日に、虚空蔵菩薩様のお力をいただいて見聞きしたものを強く記憶できるようになれる虚空蔵求聞持法(コクウゾウグモンジホウ)を授かったお大師様は、修練につとめ、四国の室戸岬で法を成就されました。
 その後、二十二歳で奈良の東大寺において受戒し、僧侶として一人前になられました。
 さて、自在に学びうる環境を得た天才は、あらゆる宗派を研究した結果、どうしても納得できない壁につきあたりました。
 釈尊はまぎれもなく成仏されたのに、日本の宗派は、
「迷いを晴らそう。
 空になろう。
 心のありようをつかもう。
 無念無想の境地に入ろう。
 一切が縁によって生まれ消滅する真実相を観よう。
 仏様になることこそ目標である」
などなど、それぞれにポイントを説いてはいても、釈尊のようにこの世で実際に成仏できる方法を説くものはなかったのです。
 その方法を示す最高の教えを求め、東大寺のご本尊様へ願をかけられたお大師様は、三十日目の明け方、み仏の霊告を受けられました。



「おん あみりたていせい から うん」※今日の守本尊阿弥陀如来様の真言です。
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2009
12.19

人は他人の身になれるか (その3)

 さっきの議論をした方は、とても頭が良く何でも自分で考え納得してから行動をしてこられたのでしょう。
 ただし、「考える」ことにいささかとらわれておられたのではないでしょうか。
 だから、自分というものは表面の心で考える自分だけだと思っておられたのでしょう。
 その思考の範囲では、自分は永遠に他人とは別な存在ですから、力士をかたどった二つの紙人形を土俵に見立てた台の上において台をたたき、どちらが先に倒れるかを競うゲームのような世界が現われます。
 しかし、み仏の教えを実践にうつした瞬間、自他の対立を超えた、み仏の子として自他平等の世界に住む自分が現われ、この世は相互供養極楽となり得るのです。
 自他が競い争う土俵とは違う世界が顕れます。
 
 若者は席を譲ってお婆さんを供養し、お婆さんはありがとうと感謝して若者を供養しました。
 自他の対立はどこにもありません。
「ああ、それは良いな」「そうだよなあ」と魂で感じた教えに接したならば、他のためになることをやりましょう。
 極楽はそこにしかないのですから。



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