--
--.--

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

2011
03.31

【現代の偉人伝】第119話 ─岩手県宮古市姉吉地区の叡智─

 今回の大災害に関する献身的行為は数え切れないほどあることだろう。
 目にとまったできごとを後世へ伝えたい。

 3月30日付の読売新聞は、「此処より下に家建てるな…先人の石碑、集落救う」という記事を載せた。

「此処(ココ)より下に家を建てるな」――。

 東日本巨大地震で沿岸部が津波にのみこまれた岩手県宮古市にあって、重茂半島東端の姉吉地区(12世帯約40人)では全ての家屋が被害を免れた。
 1933年の昭和三陸大津波の後、海抜約60メートルの場所に建てられた石碑の警告を守り、坂の上で暮らしてきた住民たちは、改めて先人の教えに感謝していた。

 「高き住居は児孫(ジソン)の和楽(ワラク) 想(オモ)へ惨禍の大津浪(オオツナミ)」

 本州最東端の?ヶ埼(トドガサキ)灯台から南西約2キロ、姉吉漁港から延びる急坂に立つ石碑に刻まれた言葉だ。
 結びで「此処より――」と戒めている。
 地区は1896年の明治、1933年の昭和と2度の三陸大津波に襲われ、生存者がそれぞれ2人と4人という壊滅的な被害を受けた。
 昭和大津波の直後、住民らが石碑を建立。その後は全ての住民が石碑より高い場所で暮らすようになった。
 地震の起きた11日、港にいた住民たちは大津波警報が発令されると、高台にある家を目指して、曲がりくねった約800メートルの坂道を駆け上がった。
 巨大な波が濁流となり、漁船もろとも押し寄せてきたが、その勢いは石碑の約50メートル手前で止まった。
 地区自治会長の木村民茂さん(65才)
「幼いころから『石碑の教えを破るな』と言い聞かされてきた。先人の教訓のおかげで集落は生き残った」と話す。

 地区内にいた住民のうち、津波の難を逃れられなかったのは4人だけである。
 主婦Aさんが、隣の地区にいた3人の子供を車で迎えに行き、共に行方不明になった。
 木村さんは言う。

「住民全員で無事を祝うことができないのは悔しい。
 将来に向け、こうしたつらい出来事を二度と起こさないようにしたい」

 千年に一度といわれるこれだけの天災に遭ってなお、地域の長(オサ)は、守る決意を新たにする。
 まことの賢者とはこういう人物ではなかろうか。

 今頃になって、「当初から指摘されていた原発の危険性」がさかんに言われ始めた。
 管轄大臣は、既存の原発がこうした災厄にも耐えるための案を一ヶ月で出せと号令した。
「今こそ、この事故を乗り越えて日本の技術力を世界へ示し、一層、原発を売り込むチャンスにしよう」と意気込む専門家もいるらしい。
 浅知恵は自然力にかなわないし、科学技術力には限界がある。
 せめて、こうした謙虚な視点は持ちたい。

 炯眼(ケイガン…優れた眼力)の人、佐伯啓思氏は「復興、新たな国家像で」において言う。

「復興策は、いますぐに行う『人に対する支援』と、中期的に検討すべき『社会基盤に対する支援』との、2段階に分けて考える必要がある。」
「原発は科学を基本に進歩してきた近代主義の象徴だ。
 その原発が今回の地震では被害を大きくしている。
 過度なグローバル競争と成長主義を転換すること。
 ある意味、マイナス方向への政策転換は非常に難しく、平時には誰も言い出せなかった。
 しかし、この考えはネガティブでも後ろ向きでもない。
 全く違うタイプの新しい社会を創造するということだ。」
「成長を第一に掲げた国家間の競争から一歩離れて、人間が自然と共生できる国の形に転換し、そのモデルを提示できれば、共感する国はヨーロッパを中心にたくさんあると思う。
 10年後、20年後に、グローバル経済の成長路線から日本が反転したきっかけは、あの地震だったと記憶されるような、何かを残すきっかけにしなくてはならない。」

 〈共生の国〉という国造りの処方箋は、権威ある人々の意見をあたふたとまとめ、「はい、こうです」と作れるはずもない。
 賢者と炯眼の士が求められているのではなかろうか。

〈洗濯をしたままだったのですか〉
230131.jpg

〈相棒のデッキはどこへ行ったのでしょう〉
230132.jpg

〈会場はなくなっても、歴史は皆さんの心に残り続けることでしょう〉
230133.jpg

〈まだ新しいタイヤなのに〉
230134.jpg

〈仏壇は壊れようと、祈ればきっとご本尊様にも御霊にもお会いできます〉
230135.jpg

〈選手たちはどこへ〉
230136.jpg

〈味わいのあるカップでは、どんな味が楽しめたのでしょう〉
230137.jpg

〈幾たびも、幾たびも、回されてご苦労さまでした〉
230138.jpg

〈まだ、お役ご免には少々、早かったのでは……〉
230139.jpg

〈どこまでも頑丈ですね〉
230140.jpg



 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。




「のうまく さんまんだ ばざらだん かん」※今日の守本尊不動明王様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。



[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン


スポンサーサイト
2011
03.31

東日本大震災 ─東北関東大震災・被災の記(その22)生活の証(アカシ)3─

 時間が経つのを忘れて写真を200枚ほども撮った頃でしょうか。
 ふと目を上げると、私と同じように腰をかがめては時々、何かをのぞき込んでいる中年の男性がいます。
 「ああ、Aさん……。」
 彼もきっと、ああして母親と形見を探すのだろうと思うと、見知らぬ人とAさんと私は一体になりました。

 近くに古いワゴン車が止まり、降り立ったのはヘルメットに作業着、足は私と同じ長靴姿の男性二人です。
 ご苦労様ですと声をかけ、避難所の場所を訊ねました。
 30才台の屈強な男たちは顔を見合わせて、明らかに困惑の表情を浮かべました。
 やがて、一人がそうですねえと口ごもってから、どこを教えようかなと考え、ここを登って行けば学校がありますがと言います。
 確かにこの近くに来てから三ヶ所ほど、公民館らしいところなどにテントが張られ、消防団員、自衛隊員、そして作業服をまとった人々が慌ただしく立ちはたらいている場所がありました。
 一瞬にして察しました。
 二人は私を〈見に来た人〉と感じたのでしょう。
 死ぬ生きるの現場では、そんな人を必要としてはいないのです。
 車にはジャンパーと手袋も用意しており、たとえわずかな時間でも何かを手伝いたいと思っていましたが、それ程度の心では通用しないのでしょう。
 お骨預かりに来られ、ご供養に来られ、人生相談に来られ、ご加持に来られ、ご祈祷に来られる方々のために修法する時のような覚悟でなければ、役に立たないのです。
 袈裟衣をつける時と、帰り際に1時間ほど手伝おうと考える時との心の落差に気づき、恥じ、もう一度、あらためて出直すことにしました。
 やっとの思いで、ありがとうございましたと言う私へ、訝(イブカ)しげにご苦労様ですと応えた二人は、双眼鏡で状況を視察し、慌ただしく消えました。

 修法に来て、亡き人へ語りかけ、供養し、丘をめざして必死に走ってきた人々の声を聞き、遺品たちと交感したならば、黙って立ち去るべきだったのです。
 もう一度、瞑目して祈る耳に聞こえるものはさらに少なく、ここの寂寞(ジャクマク…シーンとしていること)とした気配の深さは、かつて訪れた恐山など比べものにならないとすら感じられました。

 もう、『運命』を聴く気にはなれません。
 キャノンボール・アダレイ&マイルスデイヴィスの『サムシン・エルス』をかけて帰路につきました。
 ジャンパーと手袋は虚しく助手席にあります。

 ほんの十分ほど走ればもう、山の中です。
 遅い昼食をとろうと入った「道の駅」風の小さな食堂は、震災などなかったかのような活気が充満しています。
 売り場には地場産品がぎっしりと並び、ほうれん草などは売り切れになりかけています。
 注文しながら「ここは別世界ですね」と声をかけたら、レジ係の中年女性が「山の向こうがすっかりダメになったなんて信じられませんよねえ」と明るく答えました。
 ソバの注文が入ると売り場に並んでいる商品に走り、「また、出しておいて!」と叫びます。
 海には海の生活、山には山の生活……。
 よくわからなくなり、書棚にあった『少年アシベ』を手に取りました。
 作者の意図は頭で理解しても、心はまったく反応しません。
 店員さんたちにとって、おもしろいはずのマンガにむっつりと目を走らせる見知らぬ僧侶は、さぞや不気味だったのではないでしょうか。

 地平線の向こうまで届きそうなマイルスデイヴィスの寂びたトランペットも、炎のように駆け上がるキャノンボール・アダレイのアルトサックスも、数珠が旋転するようなハンク・ジョーンズのピアノも聴いている現実感が薄く、心は動きません。
 どうしても別れかねた一冊の童話『にんぎょひめ』を手にして帰山した私を、妻は「幽霊になって帰ってきたかと思った」そうです。
 予定の法務を終え、夜にキーボードを叩いている横で、愛猫クロがさかんにネコパンチをくり出しています。
 何と、その相手はさっき、首にかけて祈った袈裟です。
 時に警戒するようなしぐさで後ずさりし、ピョンと小さく跳んでは、パシッパシッと鋭いパンチを放ちます。
「大丈夫だよ。供養して欲しい方々だからね」
 言葉が通じたのか、クロは無関心になりました。
 やはり、私には私の役割があるのでしょう。
 よれよれになった『にんぎょひめ』を依り代とし、Aさんのお母さんをはじめ、修法の縁となったすべての御霊のために供養し続けます。

〈連れ帰り、乾かし、泥をぬぐいました〉
230331 004

〈クロがネコパンチを浴びせた袈裟〉
230331 002

 広田湾を調べたところ、2月13日に書かれた「広田湾産をおいしく 漁協女性部が料理試食会」がありました。
 あまりに悲しいのですが、無常の鬼と真正面から対峙するために、あえて、記録しておきます。
 なお、著作権のある東海新報社さんには連絡済みです。

 陸前高田市広田湾漁協女性部(長野元子部長)は12日、キャピタルホテル1000で広田湾産のカキやホタテ、エゾイシカゲ貝などを材料にした料理試食会「あがらんせ広田湾」を開いた。
 招待された市内や住田町の女性団体メンバーたちは「とてもおいしい」と舌鼓を打ち、海の環境を守っていくことの大切さを再認識した。
 同漁協女性部は、日ごろから魚食普及活動をはじめ合成洗剤を使わない運動、海難遺児を励ます募金活動などを展開。
 広田湾内の海産物は気仙川から流れる栄養豊富な水のおかげとなっていることから、川を大切にする気持ちを新たにし、海の恵みに感謝しようと平成21年から同川沿いの女性団体を招いて料理試食会を開いている。
 会場には各種女性団体から約70人が出席。
 長野部長は「湾内産のカキなどをどうぞ食べてください。参加ありがとうございます」とあいさつ。
 同ホテルの千葉宣光料理長がメニューを紹介し、料理方法を簡単に説明した。
 テーブルには「エゾイシガゲ貝の生寿司」「ホタテとカブの油焼き」「カキの磯辺揚げ」「殻付きカキのフライ」など13種類の料理が並べられ、さっそく試食が行われた。
 参加者は目と香りで料理を楽しみながら品定めし、好みのものをテーブルに運んでおいしそうに頬ばった。
 どの料理にも列ができるほどの人気ぶりで、とくにエゾイシカゲ貝のにぎり寿司は最も早く品切れとなった。
 意見交換会では「カキは美顔、美肌の効果があり、女性にはもってこいの食材でおいしかった」「このおいしさを一般の人にも知ってもらう機会を設けてほしい」「このようなカキやホタテが採れるのは広田湾の海がきれいだから。今後も美しい海を守っていくためにも合成洗剤などを使わないようにしよう」といった感想が寄せられた。





 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。




「のうまく さんまんだ ばざらだん かん」※今日の守本尊不動明王様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。



[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン


2011
03.30

【現代の偉人伝】第118話 ─岩手県陸前高田市の県立高田病院事務局長横沢茂氏─

 今回の大災害に関する献身的行為は数え切れないほどあることだろう。目にとまったできごとを後世へ伝えたい。
 3月23日付の読売新聞は、「命綱衛星電話守った…津波にのまれた事務局長」という記事を載せた。

 東日本巨大地震の大津波で全壊した岩手県陸前高田市の県立高田病院のスタッフが、一台の衛星電話を手に、市内の別の場所に設けた仮設診療所で被災者の診療を続ける。
「横沢伝声器」とスタッフが呼ぶこの衛星電話は、今月末で定年退職する予定だった病院事務局長の横沢茂さん(60才)が、命をかけて津波から守った。
 有線電話や携帯電話の不通が続く中、薬品調達や救急患者の情報収集の〈命綱〉となっている。

 11日の地震発生直後、鉄骨4階建ての病院は入院患者や医師のほか、避難してきた住民100人以上であふれていた。
「大きな津波が来るぞ」
 数分後、あちこちで声が上がった。
 三階にいた事務員の冨岡要さん(49才)は窓の外を見た。
 10メートルを超える大きな津波が迫っていた。
 一階事務室まで階段を駆け下りると、横沢さんが窓際に設置されていた衛星電話を取り外そうとしていた。
 通信衛星を介して通話する衛星電話は、地上の施設が壊滅すると使えなくなる携帯電話や固定電話と比べ、災害時に強い。
津波が来ます。早く逃げて下さい」
 冨岡さんは大声で伝えた。
 横沢さんは「これを持って行かなければダメだ」と叫んだ。
 冨岡さんは駆け寄り、横沢さんから衛星電話を受け取って、屋上まで駆け上がった。
 病院が四階まで津波にのみ込まれたのは、その直後。横沢さんは行方不明になった。

 衛星電話は11日こそ起動しなかったが、屋上からヘリコプターで救助されたスタッフらが十三日に再び試すと、回線がつながった。
 衛星電話で薬品や医療機器の融通を他の病院や業者に依頼。体制を整えた病院は震災4日後の15日、同市米崎町のコミュニティーセンターに診療所を仮設し、医療活動を再開した。
 22日も衛星電話が避難所の急患情報を得る唯一の手段だ。
 診療再開後は、毎日約150人以上が訪れる。
 高血圧や糖尿病の患者、地震のショックで眠れないと訴える人など様々だ。
 地震前から高血圧で通院していた菊池利義夫さん(83才)は「こんな状況でも、きちんと薬を出してもらえる。本当にありがたい」と話す。
 横沢さんの遺体は21日、遺体安置所を捜し歩いていた妻の澄子さん(60才)と長男の淳司さん(32才)らが確認。
 22日、同県紫波町の自宅に帰った。
 横沢さんは県の病院事務職員として単身赴任で県内を巡り、二年前から高田病院事務局長になった。
 同僚たちは「患者の目線に立った柔らかい語り口で好かれていた」と口をそろえる。
 遺体と対面した澄子さんは、「お父さん、ご苦労さま」と心の中で語りかけながら、右耳についた砂を手でそっと払った。
「患者のために忙しく、自宅への連絡まで気が回らないのでは」という祈りはかなわなかった。
 だが、今はこう思う。
「皆さんのために役だったのは本当に良かった。本人も家に戻ってこられて、安心したでしょう」
 衛星電話には「事務局長さんが天国で手伝いしています」と書かれた紙が張られている。


 もう記事だけで充分、何もつけ加えることはない。
 ただ、菩薩(ボサツ)道をめざす者として合掌しつつ思う。
「私も局長のように……」

〈持ち主は無事でしたか?〉
230121.jpg

〈座っていたのは女の子かな〉
230123_edited-3.jpg

〈「まほうのくすり」を信じましたか?〉
230122.jpg

〈何が入っているのだろう〉
230124.jpg

〈新婦が座ったのですか? それとも和尚さん?〉
230125.jpg

〈ビールはよく冷えましたか?〉
230126.jpg

〈憧れ〉
230127.jpg

〈まだ残っているのに〉
230128.jpg

〈もう、大の字になれない〉
230129.jpg

〈泥と慣れつつある悲しさ〉
230130.jpg



 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。




「のうまく さんまんだ ぼだなん あびらうんけん」※今日の守本尊大日如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン


 
2011
03.30

東日本大震災 ─東北関東大震災・被災の記(その21)生活の証(アカシ)2─

「毎日死者被災者にお祈りを続けておられるとのことですが、あなた方の宗派に呼びかけて、災害で亡くなった人の安置場所へ行って、死者を仮に弔ったり、肉親を失った人の悲嘆にくれた言葉をやさしく聴いてあげてくれませんか?」
 このように批判、要請をいただいてから一週間、母親を捜しに何度も何度も故郷へ走るAさんの気持に押され、私の車でガソリンスタンドに並んでくださったBさんご夫婦のおかげでやっと半日の遠出が実現できました。

 晴れてはいますが、春独特の薄い膜のような水蒸気が空にあって陽光はとても優しく、境内地は、これから被災地へ向かうのがウソのような気配です。
 フルトヴェングラーが指揮したベートーヴェンの交響曲第5番「運命」を聴きながら一路、一関へ向かいました。
 一関といえば、ジャズ喫茶ベイシーです。
 被害を受けて休業中という風の便りがあったので、世界一と言われる音場が回復できるかどうか心配です。
 あっという間に東北縦貫道路を抜けて東へ向かいます。
 まず、対向車の多さに驚きました。
 前の車があまりにゆったりと構えているので、「お先に」を決めたいのですが、ありとあらゆるタイプの車が途切れません。
 現地へ注ぎ込まれる人々の思いを想像しました。
 三度目に入った「運命」の冒頭は、聴くたびに、ベートーヴェン自身が意味を問われて「このように運命は扉をたたく」と答えたエピソードを納得させます。
 山道はいつもと変わらず、立派な瓦屋根に覆われた家にも地震に遭った形跡がなく、この先に〈災厄の地〉があるとはとても思えません。

 ところが、どんどん降りて標高が低くなったなと感じたとたんに、様子が一変しました。
 右手を走る大船渡線の線路上に安全帽をかぶった作業員の方々が群がり、根こそぎ倒れた樹木を除こうとしています。
 エッと思い胸の鼓動が変わった直後、突然、道路の両側に泥色一色の廃墟が現れました。
 家も車も樹木も、ありとあらゆるものが形を崩し、泥をかぶり、泥に埋もれています。
 津波が河を遡ったのでしょう。
 一瞬、ジョルジオ・デ・キリコの名画「一日の謎」がダブりました。

〈CRI_150961.jpgをお借りしました〉
CRI_150961.jpg

 交通整理に忙しい警察官や、黙々と瓦礫を片づける人々がいなければ、とても現実とは思えない光景です。
 顔の皮膚がこわばってゆくのを感じながら、携帯電話でAさんへ詳しい住所を尋ね、向かいました。

 低い位置の道路は通れず、一旦小高い所を迂回してから到着した現場は、一気に胸を冷たくするものでした。
 ナビが示すAさんの実家があった周辺は海に向かって広がった平地の中にあり、ただ、瓦礫が散らばり、たった一台の重機が少し動いているだけです。
 その近くに一台の軽トラックが止まっています。
 しかし、見渡す限り、人気はありません。
 一匹のネコもイヌも見えず、ウソのように明るい海の上に広がる薄水色の空をヘリコプターが一機、滑るように通って行きました。
 ジャンパーを脱いで袈裟を着け、力が抜けた身体を車から降ろして祈りました。
 そして、数珠をカメラに代えて手に取り、長靴に感謝しながら、まだ充分に柔らかな泥原を腑抜けのように歩き始めました。

〈視界の向こうでは日常生活が続いているのに〉
230101.jpg

〈ハレの時に使ったのでしょうか〉
230102.jpg

〈海中で育っていたいのちたちが、遙かな丘の上で窒息しています〉
230103.jpg

〈笑いも、解放も今は〉
230104.jpg

〈おばあちゃんが蓄えたのですか?〉
230105.jpg

〈カンバンも実をつける樹樹もすべては〉
230106.jpg

〈誰が大事にしていたのでしょう〉
230107.jpg

〈せっかく整理しておいたのに〉
230108.jpg

〈カタログに胸をときめかせた人は〉
230109.jpg

〈小正月を祝ったのですか?〉
230110.jpg




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。




「のうまく さんまんだ ぼだなん あびらうんけん」※今日の守本尊大日如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン


 
2011
03.29

東日本大震災 ─東北関東大震災・被災の記(その20)生活の証(アカシ)─

 Aさんのお母さんが行方不明のままなので、岩手県陸前高田市へ祈りにでかけました。
 当地は、かつて、托鉢修行で訪れた際、大歓迎をしていただいた忘れられない場所です。
 10数年ぶりに眺める光景は文字どおり廃墟でした。
 風光明媚で、人情あふれる人々の生きていた空間は、もはや海の泥と生活の残骸しかありません。
 小高い丘に立ち、目を閉じて祈る耳に聞こえるのはサーサー、パタパタ、ビュウビュウと残骸を吹き渡る大きな風の音、小さな鳥の声、たった一台しかない重機が時々動く音、潮騒は耳へ吹き付ける風に負けて聞こえません。
 修法を終え、あらためて見回す一帯は生活の証(アカシ)に埋めつくされています。
 その一つ一つへ語りかけつつ撮りました。

 かつて町のあった地域から入り江と空を眺めていると、まるでネガフィルムを見るような錯覚が起こります。
 波に追われてこの丘をめざす人々の声が聞こえてきそうです。
 駆ける子供たち、走る大人たち、走れないお年寄りを抱えた人々、必死の形相が皆、こちらを向いているのです。
 しかし、重機が静かになった視界では、木に引っかかったシャツなどが激しく震えているだけで、動くものも、一人の人間もいません。
 ついさっき、腰を落としてファインダーを覗く私の横で突然、声がしました。
「昨日はこの先まで通れたのにねえ」
 場違いの明るさを帯びた声に腰を伸ばすと、紺色のセーラー服に同色のスラックス姿で、二人の少女が自転車を押しながら通り過ぎます。
 忽然と現れて消えたあの制服姿は幻だったのでしょうか。

墓標:根元が顕わになった木の幹に引っかかっているジャンパーは誰が着ていたのですか?〉
230997mono.jpg

〈何を祝ったのですか?〉
230992.jpg

〈聴いた二人の心もスイングしたのですか?〉
230993.jpg

〈お子様ランチを乗っけたの?〉
230100.jpg

〈水が入ってもう、使えませんね〉
230994.jpg

〈よく勉強したね〉
230995.jpg

〈いつ、締めたのですか?〉
230996.jpg

〈何を作ったの?〉
230998.jpg

〈せっかくのオマケが〉
230999.jpg




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。




「のうまく さんまんだ ぼだなん あびらうんけん」※今日の守本尊大日如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン


 
2011
03.29

東日本大震災 ─東北関東大震災・被災の記(その19)できることのできる人─

 大震災の影響で使えなくなっているビルが少なくありません。
 おかげで各種勉強会が停止していますが、真剣に考えている方からは、ちゃんと質問が来ます。
「〈できることを行う〉のなら、誰でもそうではないですか?
 イメージしたり真言を唱えたりして修行した上で〈できることを行う〉のは、修行しない人と具体的に、どう違うのですか?」

 布施行は「の心」です。
 は天地を潤し、生きとし生けるもののいのちを育み、守ります。
 体内にを持つのがいきものであり、はいのちと共にあります。
 今回の災害によって、私たちは、あらためて道のありがたさを知り、コップ一杯のに感謝しました。
 一方、原発事故の影響で水が放射能に汚染されてつつあるることには、真綿で首を絞められるような感じがあります。
 水道水が乳幼児に飲めないだけでなく、誰にでも飲めなくなったなら、どうすれば良いのでしょうか?
 田舎には井戸も泉もあるので当座はしのげても、いずれ、空と大地が汚染されれば、地上に存在するものはすべて汚染から免れません。
 空から降る雨も、地中からあふれる泉水も、地上を流れる川水も、地上のいきものよりも多様ないきものを育む大海の水も、すべて、清らかな水はいのちの母であり、いのちの綱です。

 自分がこうした清らかな「水」になったつもりで生きようとするのが布施行です。
 わけへだてなく生きとし生けるものを生かす水、それは、思いやりを深める慈悲の心です。

 また、私たちは「水に流す」と言います。
 人と人との間に生じたしこりである怨みや怒りや嫌悪などを心から拭い去ろうとする時、私たちがイメージするのは水です。
 なぜ、私たちは「これまでのことは水に流しましょう」と握手した瞬間に、しこりを解消できるのでしょう?
 それは、心の深い部分で水を信頼しているからではないでしょうか。
 水に頼めばもう、大丈夫なのです。
 何となく、すっきりしきれない気持が残っていたとしても、もう、その時点で諦めがつきます。
 水にはかなわないからです。
 この先、いくらジタバタしようと、水へ約束し、水へ頼んだ以上、人知や人力ではもう、どうしようもないのだから「終わりにする」しかありません。
 古人は「水三尺流れれば清し」「水は三寸流れれば水神様が清める」と言いました。
 水への畏敬の念、水への信頼感が偲ばれます。
 また、日々の生活の現場でも、水は実際に清めの力を持っていました。
 その典型が「せせなぎ」という流れです。
 昔は人家の裏手から汚水を流す小さな溝が伸びており、近くの小川や用水路へ流れ込んでいました。
 途中にできた溜まりの周囲ではウドやフキやミズナやドクダミや甘草やホオズキが育ち、柿やイチジクなども根を張り、汚水は自然に浄化されたものです。
 
 自分がこうした清らかな「水」になったつもりで生きようとするのが布施行です。
 いかなるしこりや汚れも流し去る水、それは、空(クウ)を知る智慧の心です。

 こうして慈悲の心が育てば、他のためになる人となり、智慧の心が育てば、つまらぬことにこだわらぬ大らかな人となり、人間性が向上します。
 そうなれば、〈できることを行う〉内容が格段に異なるのは当然です。
 心の修行を行わずに、物惜しみし、見返りのない汗を流そうとせず、「私もできることはやっているのだから、それで良いのだ」と嘯(ウソブ)いている人と同じではあり得ません。
 ぜひ、育てる水、清める水のイメージを瞑想してください。
 ぜひ、誓いの文

「我、水のごとく、素直に、他を潤し、心の汚れを洗い流さん」

を唱えてください。
 ぜひ、布施行を守ってくださる菩薩(ボサツ)様の真言

「おん ばぎゃばてい だのう じはてい びしゃりじゃ ほらや だなん そわか」

を唱えてください。
 そうして身体と言葉と心(身・口・意)を水の徳に合わせれば、必ずや霊性が輝きを増し、できることの質が変わります。
 被災者の方々のため、救済や復興に人力しておられる方々のため、より、できることのできる人になりましょう。

〈28日の「日刊スポーツ」です。「岩手県」とあるところが何とも言えません
23032812_edited-1.jpg



 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。




「のうまく さんまんだ ぼだなん あびらうんけん」※今日の守本尊大日如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン


 
2011
03.28

東日本大震災 ─東北関東大震災・被災の記(その18)できることを行おう─

 今回の「還暦(60才)を過ぎた皆さん、出荷一時停止(自粛要請)の野菜を食べ、牛乳を飲み、日本の農業を救いましょう!」にはさまざまなご意見をいただいています。
「私は親をあの世へ送ってからでなければ安心して死ねません。」
「病気の妻を看護しているので、自分の身体をとても労っています。
 団塊の世代だから趣旨には納得できますが、実行できません。」
 といった内容の至極、まっとうで正直なお話もあります。
 理解できますとしかお応えのしようがありません。

 浅田次郎に「壬生義士伝」があります。
 飢饉に襲われた南部藩の吉村貫一郎は、妻子を養うために新撰組へ入隊します。
 抜群の腕前で周囲から一目置かれますが、功を挙げるたびに堂々とお金を手にするので、「守銭奴め」と軽蔑されもします。
 お金が要りような理由は誰にも明かしていないからです。
 そんな吉村貫一郎は、敗勢の濃い闘いになった時、南部藩の若者たちへ説いてきた「義」に生き「義」に死ぬ姿勢を貫くために、敵陣へ突入します。
 そして生き残り、故郷南部藩で最期を迎えます。

 人生の色合いは決して一色ではなく、一つの基準で価値判断ができるものでもありません。
 その人なりの「まこと」の尽くし方はさまざまであって、比較できません。
 だから、趣旨は「そう考え、そう実行できる人はやりましょう」というだけで、そう考えられず、そう実行できない人への価値判断は一切、行っていません。

「『自分の持っているあらゆるものを時に応じ、ことに応じ、相手に応じて与える布施行こそが菩薩行』といっても、現実的にそんなことはできないのではないでしょうか?」
 こうした内容の、突っ込んだご質問もいただきました。
 ごもっともです。
 喰うに困った方がおられるからといって、米びつを空っぽにして米を渡したならば、自分が翌日から米をもらいに歩かなければならなくなり、当然、家族も養えません。
 線路へ人が落ちるたびに飛び込んでいたならば、いのちがいくつあっても足りず、人間修行を継続できません。
 では、教えは〈絵空ごと〉の〈きれいごと〉なのか?
 もちろん、そうではなく、真実です。
 では、なぜ、み仏は、できもしない内容を説くのか?
 それは「そうしようという心で生きる」ことが大切だからです。

 誰かのためにならないではいられないのが菩薩(ボサツ)であり、正統な仏教徒、仏道行者はすべてここをめざすはずです。
 だから、基本的修行の最初にある「布施行」を実践しようとすれば、自分の身体も、財物も、善行によって吉祥がもたらされる可能性となる力である(善根)も、捧げようとします。
 一方で、身体は一つしかなく、財物にも限りがあり、善根などはあまり蓄えていません。
 それでもなお、捧げようとする姿勢を持って生きれば、いつか、どこかで、誰かのために、できる限りのことを実践できるはずです。
 私たちのいのちが限られた身体と共にあり、社会内で誰かと縁を結びながら生きている以上、できることも〈限られて〉いるので、すべてを捧げたいと願いつつ、できる〈限り〉のことしか実践できず、そうあって当然です。
 だから、〈これしかできない自分〉をよく見つめ、人間修行のいたらなさを実感し、謙虚に過ごせば、もう立派に教えを生きる存在であり、まぎれもなく、菩薩道を歩む行者です。

 釈尊にはたくさんの「前世物語」があります。
 飢えたトラに自分を食べさせたり、ウサギだった時に火へ飛び込み、行者へ自分を食べさせようとしたりといった、究極の布施行を何度も行ったからこそ、釈尊は生涯を説法と救済に捧げる菩薩になり、やがては如来(ニョライ)の位にまで昇りました。
 四国の出釈迦寺には捨身ヶ嶽禅定という山がひかえています。
 7才のお大師様が飛び降りた場所です。
 以下、出釈迦寺のホームページを抜載します。

「仏門に入って衆生を救済したいという願いがかなうならば霊験を現すよう、もしかなわないのであれば我が身を以て諸仏を供養すると念じて、断崖より飛び降りた。
 すると紫雲が湧き起こって釈迦如来が出現し、天女が真魚を受けとめた。
 そして釈迦如来は『一生成仏』と告げた。
 願いが成就することを告げられた大師は感激し、釈迦如来の姿を刻んで一宇を建立した。」

 釈尊やお大師様ならぬ凡夫である私たちは、こうした地点まではなかなか行けません。
 だから、どこかでリミッターがかかります。
 しかし、時として、そこを超えてしまう場合があります。
 大災害における献身的なはたらきでいのちを落とした方々はまさに、いのちをかけて菩薩行を実践された方々です。
 生き残った私たちは合掌しないでいられましょうか。
 それぞれの現場で献身的なはたらきをしておられる方々、また、生き残ったいのちをきちんと生きようと雛所などで自分を保ちながらがんばっておられる方々のためにも、合掌しないではいられません。

 そうしたわけで、今回の提案の心は「できることを行おう」という菩薩行にあります。
 どうぞ皆さん、ホームページからご意見をお寄せください。

〈時が来て……〉
230327 0012_edited-1



 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。




「おん さんざんざんさく そわか」※今日の守本尊勢至菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン



2011
03.27

東日本大震災 ─東北関東大震災・被災の記(その17)今、行おう─

 若者向けの人生論などで一世を風靡した高名な評論家が79才になり、述懐しました。

「私にはなすべきことも、是非ともやってみたいと思うこともなにひとつない。」
「うまくやれば、私はまだまだ老人なりのやりかたで、残された私の人生をたのしめそうな気がする。」
「老年をどのようにすごすか─これは大へんむずかしい問題であり、人、それぞれにちがった考え方の出来る問題であるが、私は一日一日、毎日毎日だけを考えて暮らして行きたいと思っている。」

 老いのすさまじさ、人間の底、への闇といったものを見せられた思いがします。

 武田泰淳氏は、戦中戦後を生きた人間として「生き残りの感慨」を書きました。

「考えれば、ずいぶんおびただしい数の日本国民が、今度の大戦でんだものだ。
 にもかかわらず、ぼくらは生き残った。
 生き残ったのは有難いことだ。
 ぼくみたいに忘れっぽい人間は、平常の時は、その有難さまで忘れてしまっている。
 だがいくら忘れっぽくても、時たまそれを思い出してギョッとすることがあるものだ。
 良心的な反省といった、厳格なものではない。
 肉感的にギョッとして、まるで精神的な貧血におちいったみたいに、判断の根拠がめまいをおぼえるのだ。」
「彼ら者ぜんぶと、ぼくら生者ぜんぶの関係が、一体どうなっているんだろうか。」
「生き残る者と、んでくれる者が必ずあるという、この地球上の『生存』の有様そのものが、生き残ったぼくらを『彼ら』に結びつけるのだ。」

 者と生者は断絶しているのではなく、両方がいのちの世界にかかわっているという感覚は理解できます。

 生涯にわたって水俣病の問題ととり組んだ石牟礼道子氏の言葉です。

「この世の(ゴウク…によるしみ)というものは、次のを生きる者たちの間に、なにかの機縁をえて、名づけられないやさしさとなって生き返ってくるにちがいない。」
「お日さまの光だって、いちなみな照り方はしないのだということを、永年つきあっている隣の小母さんとごく普通の会話をかわしているときに、その小母さんの白髪のほつれほつれぐあいをみていてふっと気づくことがあります。
 そのひとすじの髪に、どんなお日さまの陽があったのか、どんな闇夜があったのか。」

 を見つめから逃げない人生が深い思いやりに結晶しているさまは、究極の救いを感じさせます。

 今般、「還暦(60才)を過ぎた皆さん、出荷一時停止(自粛要請)の野菜を食べ、牛乳を飲み、日本の農を救いましょう!」と書いた背景にあるのは、み仏の教えです。
 チベット仏教の経典に「入菩薩(ボサツ)行論」があります。
 布施(フセ)や持戒(ジカイ)など、大乗仏教にとっては最も根本的な修行についてくわしく説き明かした経典ですが、その中に忘れられない一行があります。

ぬときも一切を手放すことは同じだが、今、有情(ウジョウ…いのちあるもの)らに与えることが最高である。」

(死ねば一切を手放さねばならない。手放すのは同じでも、生きているうちに他のために手放せば最高の生き方となる)
 私たちは、死ぬ時にあの世へ持ってゆけるものはありません。
 お金も、家も、名誉も、もちろん、好みのちゃわん一つ持ってゆけはしません。
 仏界へ還る魂につき従うのは、(ゴウ)だけです。

 この世は、しむ人々と苦しむいきものたちの巷です。
 見るに見かねる苦の解消のため、何かをしないではいられません。
 何かをするとは、何かを差し出すことです。
 差し出すものはまず、あの世へ持ってゆけない時間、金銭、財物、労力、そして最も大切なのは、自分が積んだ善行によってつくられた「善根(ゼンコン)」です。
 善行という〈原因〉と、やがていつか必ず自分へもたらされる良い〈結果〉とを結びつける〈力〉をも、苦しんでいる生きとし生けるもののために捧げるのです。
 ここに大乗仏教のいのちがあります。
 決して、自分が良い来世を得たいから、善行を実践するのではありません。
 自分の良き来世を担保してくれるはずの「善根」も含め、自分の持っているあらゆるものを時に応じ、ことに応じ、相手に応じて与える布施行こそが菩薩行の根本です。
 私たちが三回忌などの供養を行うのは、こうした回向(エコウ…回し向けること)が目的であり、「善根」をも回し向ける修法へ参加することが最高の供養である点はぜひ、認識しておきたいものです。

 さて、当山は日々、回向の修法を行っています。
 そして、さらに一人間としての自分ができることを考え、〈残されている時間=寿命〉を差し出すことにしました。
 還暦を過ぎるほど充分に生かされてなおいくばくかの時間が残されており、野菜や牛乳を買う程度のお金もあります。
 それらを多少「生きているうちに他のために」手放すことによって、放射能被害と風評被害によって壊滅させられようとしている農を救う一助になるなら、ありがたいことです。
 この考え方を広めたいのは、日本が非常事態だからです。
 数万人もの人々が一挙にいのちを落とし、原発事故の現場では日本の命運をかけた闘いが続いています。
 一人や二人の力では、日本をどんどん沈めようとしている社会的「業苦」に対抗できません。

 私たち老人は、二重の意味で「生き残り」です。
 一つは、武田泰淳氏と同じく巨大な災厄でいのちを落とさなかった者として、もう一つは、ここまで生かされた者として。
 生き残った私たち老人は、これからの農業と日本を担う若者のために、寿命が縮まるかも知れないという小さなリスクをおかしてもよいではありませんか。
 一人一人が多少のリスクを負えば、その勢いは必ずや大きな力となり、希望という風前の灯火を守ることもできるのではないでしょうか。
 老人には、評論家のように「なすべきこと」や「是非ともやってみたいと思うこと」がないわけではありません。
 今こそ、老人だからこそできることをやろうではありませんか。
「還暦を過ぎた皆さん、出荷一時停止(自粛要請)の野菜を食べ、牛乳を飲み、日本の農業を救いましょう!」

〈天地の恵み〉
230326 010



 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。

「おん さんまやさとばん」※今日の守本尊普賢菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン


2011
03.26

東日本大震災 ─東北関東大震災・被災の記(その16)福島県の野菜を食べよう(その2)─

還暦(60才)を過ぎた皆さん、出荷一時停止(自粛要請)の野菜を食べ、牛乳を飲み、日本の農業を救いましょう!」には、さまざまなご意見をいただいています。
 こうした状況下にあっては、一人一人が死生観が問われ、ふるまいが問われます。
 もはや、他がどうこうではありません。
 独立した肉体を持ち、呼吸し、食べ、排泄しているいのちの個体が、「人間としてどうなのか?」と自分へ問いを突きつけています。

「良い提案です。
 賛成です。
 直ちに行動に移したい。
 出荷停止のほうれん草などの野菜を受取人払いで自宅に送ってもらう運動にしませんか?」

原発騒動は、何も今回だけの問題ではなく、これから長く続いていくと思います。
 この国に住む者は、ある意味、腹をくくらねばならないと思っています。
 原発はいずれ今回のような事故を起こすと分かっていながら、何も行動を起こすことなく過ごしてきました。
 いや、原発によってもたらされたエネルギーを基にした繁栄を享受してきたことは疑いようのない事実です。
 仮に汚染物質を食したところで、影響が出るのが15年後、20年後なら、もう十分です。
 なにもなかったことに比べれば、余命は短くなるのかも知れませんが、覚悟を据えてしまえば、残りの人生は却って充実する、大事に生きようとするのではないかと愚考いたします。
 若い世代、あるいは孫子の世代に同じ覚悟をせよ、というのは酷でしょうが、我々はそんなことはありません。
 放射能後遺症による『尋常でない苦しみの中で』死を迎えることになったとしても、それはまた今、この時に生きている者の定めではないかと思います。」

野菜・飲料水から基準値を上回る放射性物質が検知された地域にいますと、放射能汚染への不安感が強く、当該野菜の出荷自粛については大げさで、農家の人を気の毒に思います。
 まもなく計画停電です。」

 生産者の方々は、「自粛」要請をはね返して流通させてみる気概を持ってみてはいかがでしょうか?
 流通業者の皆さん、販売店の皆さん、立ち上がりませんか。
 苦しんでいる皆さんの思いを、尊い野菜や牛乳に込めてください。
 決して安くする必要はなかろうと思います。
 心ある人々は、これまでの日常生活で慣れてきた判断基準とは異なった判断基準をもって、皆さんの血と汗の結晶へ選択の手を伸ばすことでしょう。

還暦(60才)を過ぎた皆さん、出荷一時停止(自粛要請)の野菜を食べ、牛乳を飲み、日本の農業を救いましょう!」
還暦を過ぎた皆さん、今こそ、真の『老人力』を示そうではありませんか。」



〈田んぼは待っています〉
230326 0082



 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。

「おん さんまやさとばん」※今日の守本尊普賢菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン


2011
03.25

東日本大震災 ─東北関東大震災・被災の記(その15)福島県の野菜を食べよう─

 3月20日、政府は、放射能汚染された野菜の出荷を一時停止(自粛要請)としました。
 そのおかげで、食べたからといって「すぐには健康に影響を及ぼさない(政府発表)」はずの野菜をつくってきた福島県・茨城県・栃木県・群馬県の農家は、事実上、壊滅させられつつあります。

 原発は私たちの文明がつくったものであり、誰一人、この事故に関係のない人はいません。
 また、この事故への対応に、まず警察、そして自衛隊、最後に消防を動かした政府もまた、私たちが選んだ〈選良〉の方々がつくったものであり、今の政治状況に関係のない日本人は一人もいません。
 ならば、農業を救い、これからの文明の方向性を決める重大な岐路で道を誤らないために、私たちに何ができるか、真剣に考え行動する責任もまた、私たち日本人は共有しているはずです。

 では、具体的に何を行うべきか?

 そこで、今年65才になる私は提案します。

還暦(60才)を過ぎた皆さん、出荷一時停止(自粛要請)の野菜を食べ、牛乳を飲み、日本の農業を救いましょう!」

 今の日本をつくった責任の大半は、これまで社会の牽引車だった還暦を過ぎた人々(以下、老人と呼びます)にあります。
 潔く責任を取ろうではありませんか。
 誰一人として失政の責任を取らない政治家の目を覚まさせるため、忘れられつつある道義や道徳を思い出すためにも、責任をとりましょう。
 もしも、若干、寿命が縮まったとしても、もう、これまで充分、生きたではありませんか。
 日本人の人口の約30パーセントを占める老人がこぞって汚染された野菜を食べれば、農家が存続するための小さな力となるだけでなく、これからの農業を守り発展させようとしている全国の心ある若者たちへの大きな励ましになることでしょう。
 「リスクを怖れること」と、「役割を果たすこと」とどちらを取るかは人間性の問題です。
 悪魔と化した原発のすぐそばで日夜汗を流す人々とその家族の思いを忖度(ソンタク…気持などをおしはかること)すれば、賢い老人は判断を誤らないことでしょう。

 皆さん、立場のある政治家や役所へ、「野菜を売ってください」と申し出ようではありませんか。
 ビクビクしているであろう〈立場のある人々〉へ、「将来、このことによる責任追及はしません」と約束しようではありませんか。
 地震による死者の3人に1人は60才以上です。
 私たち老人は、自分が、いち早く逝ってしまった人々と入れ替わっていたとしても、何の不思議もありません。
 逝った人々の御霊へ報いるため、供養するため、生き残りの私たち老人は、つまらぬリスクを怖れず、ありがたく野菜を喰い、牛乳を飲もうではありませんか。

 医療関係者の話です。

「沿岸部の状態は想像できない光景の連続です。
 まだ水の引かない地域では、これからどれだけ死体が見つかるかわかりません。
 知人の医師は目の前で病院がさらわれた後、妻と二人で泣きながら、どこへ行くともなく線路を歩いたそうです。
 すべてを失った知人の医師は、素手のまま、ずぶぬれになって黙々と検死をしています。
 酸素ボンベも、医薬品も、何もかもが足りません。
 生き残った人々は例外なく、人生観が変わることでしょうね。
 水につかった誰が誰ともわからないご遺体の群れを前に、皆さん、言われます。
 『せめて拝んでもらいたい』
 最近、さかんに葬式はいらない、お坊さんはいらないと騒がれていますが、私は〈やはり日本人は日本人だ〉と思います。
 お寺がどうこう、お坊さんがどうこう、お葬式がどうこうと言われていても、いよいよとなれば、皆さん、手を合わせないではいられないのです。
 お坊さんを必要としているのです。
 住職、ぜひ、みんなのために拝んであげてください」

 日本人(日本に住む人々)はやはり日本人です。
 今こそ、私たち老人は、日本人らしい死生観と胆力と道義心をもって、そのことを実証しましょう。

還暦(60才)を過ぎた皆さん、出荷一時停止(自粛要請)の野菜を食べ、牛乳を飲み、日本の農業を救いましょう!」

 私は本日、ただちに知り合いの国会議員へ強く申し出ますが、もはや、機能不全に陥りかけている政府だけを頼っていては、日本が立ちゆかなくなりかねません。
 政府がいかに過小に見積もろうと、もはや現時点でスリーマイル島原発事故よりも事態は深刻で、今後、悪化しないという保証はどこにもありません。
 手をこまねいてはいられません。
 私たちは、できるかぎりの実践を求められています。
 福島県・茨城県・栃木県・群馬県の野菜や牛乳を流通させる方法があれば、何でもやろうではありませんか。
 全国の勇気ある流通業者さん、販売店さん、ぜひ立ち上がってください。
 そして、還暦を過ぎた皆さん、今こそ、真の「老人力」を示そうではありませんか。

還暦(60才)を過ぎた皆さん、出荷一時停止(自粛要請)の野菜を食べ、牛乳を飲み、日本の農業を救いましょう!」

〈自然の恵み、血と汗の結晶。 img1103171402.jpgをお借りしました〉
img1103171402.jpg



 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。




「おん あらはしゃのう」※今日の守本尊文殊菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。

[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン


2011
03.24

2011年4月の運勢

 おかげさまで、やっと電話が通じました。
 まだ通じていない地域や場所で暮らしておられる方々のお気持、お察し申し上げます。
 ご葬儀やご供養やご納骨などのお申し込みで、これまでわざわざ足を運ばれた方々、まことにご苦労様でした。
 これからは、どのようなことでも、どうぞ電話やファクスにてお申し込みください。
「これからどうすれば…」という人生相談が重なっており、やや時期尚早ですが、4月の心構えについて書いておきます。
 皆さん、一日も早く苦境を乗り越えられますよう。
 
 2011年4月運勢──平成23年4月4月5日から5月5日まで)の運勢です。
 運気の流れを参考にし、人間修行の六波羅密(ロッパラミツ)行で改運し、開運し、快運となりますよう。

1 今月は誰しもが〈分を超えそうな荷〉を背負う時期なので、自分の力と周囲の様子へ細心の注意をはらい、足の裏が着く場所を確かめるようにしながら、一歩づつ確実に歩みましょう。
 今の私たちは、千年に一度という人類史上でもまれにみる大災害への対応にすべてをかけています。
 個々人の置かれた状況には違いがあっても、共に苦しい状況へ立ち向かうという点においてはまったく同じです。
 自分の背負ったものは、必ずどこかの誰かも一緒に背負ってくれています。
 一人ではありません。
 そして、自分もまた、どこかの誰かのためにきっとできることがあります。
「ありがとう」「おかげさま」「おたがいさま」。
 今こそ『愛語(アイゴ…思いやりのある言葉を用いること)』という布施行を実行しましょう。
 それによって、自分も必ず周囲の人へ安心と勇気を与えることができます。
 役に立てるのです。
 辛くてまだ、『和顔(ワゲン…和やかな顔を見せること)』という布施行はできないかも知れません。
 だから、決して無理をせず、たとえ涙顔であっても、何とか愛語から始めましょう。
 やがて『和顔』と『愛語』がつながるようになれば、知らぬ間に背負えるはずのないものをもしっかり背負い、足取りは一段と確かなものになっていることでしょう。

2 組織にあっては軸となる人の力が問われ、モノにあっては軸となる部分の強弱が吉凶を分けることでしょう。
 いかに立派なタイヤを用意しても車軸が弱ければ強い走りはできません。
 そして、タイヤは目立ちますが、車軸は隠れています。
 車軸は目立つ必要はありません。
 扇の要として動ぜず、揺るがず、確かな仕事をしていれば、タイヤは安心して悪路をも克服してくれることでしょう。

3 複数の船頭がいる船は進む方向が安定せず、行く先に迷い、優れた船頭に連れられた船は吉祥の岸へ到着することでしょう。
「船頭多くして船山に登る」と言います。
 西洋では「着付け係がたくさんいると、花嫁の衣装は場違いでおかしなものになる」と言います。
 複数の人々が相談する場合は、必ずしも押しの強い人や声の大きな人でなく、何よりも、人徳と判断力のある人を〈議長〉にしたいものです。
 そうでないと「三人いれば派閥ができる」といった良からぬ姿になりかねません。
 くれぐれも、自分の好みで私的なグループをつくろうとする人に注意して、協力態勢をつくりましょう。

4 人間の力だけで何でもできると考える人はなかなか信頼されず、人知を超えたものへ対する畏敬の念があり、仏神を敬う人へはたくさんの手が差し伸べられることでしょう。
 これまでも書きましたが、願いを成就したいならば、自分の努力と、周囲の縁(絆)の力と、仏神(ご先祖様も含みます)のご加護の力が必要です。
 古代中国に鼎(カナエ)という三本足の器がありました。
 足が一本でも長かったり短かったりすると水平に置けません。
 鼎のイメージを忘れずにやりましょう。

5 良からぬ野望を持って新規のものごとを始めれば、言葉による攻撃を受けて困難に陥ります。
 こうした時期には必ず「混乱に乗じる者」が登場します。
 不安な世情につけ込み、情報化社会の特性を利用しようとする場合もありましょう。
 私たちは良かれ悪しかれ、情報を共有する時代に生きています。
「善行を共に行い、悪行を行わず、行わせず、自らを清める」心で、良きことは早く広め、悪しきことは皆でいち早く抑え、苦境を脱するために力を合わせましょう。

 六波羅密(ロッパラミツ)による今月の修行です。

布施(フセ)行と運勢水を供えましょう。
 精進の人は、用心が功を奏して無事安全です。
 不精進の人は、無理に進んで自分を縛り、不測の事態もあって「泣き面にハチ」となりがちです。
[持戒(ジカイ)行と運勢塗香(ヅコウ)で身と心を清めましょう。
 精進の人は、目下の理解や協力を得て成功します。
 不精進の人は、色と欲によって惑い、柱を危うくしがちです。
[忍辱(ニンニク)行と運勢お花を供えましょう。
 精進の人は、智者の言葉に耳をかたむけて無事安全です。
 不精進の人は、勝手な予測が外れて孤立し、無用な争いとなりがちです。
[精進行と運勢お線香を供えましょう。
 精進の人は、小利に迷わず大胆に決断して成功します。
 不精進の人は、右、左と迷っている間に協力者を失い、「あぶはち取らず」になりがちです。
[禅定行と運勢]飯食(オンジキ)を供えましょう。
 精進の人は、親しむべき人を見誤らず無事安全です。
 不精進の人は、愚者との親しみによって予測せぬ凶事に巻き込まれがちです。
[智慧行と運勢]灯火を供えましょう。
 精進の人は、目先のニンジンに飛びつかず無事安全です。
 不精進の人は、好みに引きずられ、良かれと思っているうちに自他を窮地へ陥れがちです。

 皆さんの開運を祈っています。



 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。

〈仏法を守護し、共同墓を守護する多聞天(毘沙門天)〉
230314 023_edited-1



「のうぼうあきゃしゃきゃらばや おん ありきゃ まり ぼり そわか」※今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン

 
2011
03.23

東日本大震災 ─東北関東大震災・被災の記(その14)寺院の役割─

 日々、皆さんからお便りやご支援をいただき、深く感謝しています。
 さて、寺院役割についてご提言をいただきましたので、ご紹介し、考えてみます。

「毎日死者、被災者にお祈りを続けておられるとのことですが、あなた方の宗派に呼びかけて、災害で亡くなった人の安置場所へ行って、死者を仮に弔ったり、肉親を失った人の悲嘆にくれた言葉をやさしく聴いてあげてくれませんか?
 また葬儀屋さんと知り合いもあると思いますので、その方たちに頼んで、汚れたままに寝かされている人たちをきれいに死に装束を着せてあげるわけには行きませんか?  こういうときにこそ宗教家は実際に活動をして欲しいと願っています。
 よく外国の宗教に見られるように、仏教関係のネットワークで災害地で炊き出しをしたり、本堂を開放して被災者を受け入れたり出来ませんか?
 多分やっておられるところもあるのだとは思いますが、欧米国に比べるとどうも日本の宗教団体、特に仏教はあれだけ大きな組織でありながら目立つ活動が少ないように思います。
 報道されていないだけでしょうか?
 ご一考ください。」

 ご提言まことにありがとうございました。
 一般論としては妥当性を含むと考えられ、ご趣旨に同意することにやぶさかではありません。
 ただし、私が〈現地〉で相手を選ばず勝手に引導を渡す修法を行うべきかどうか、ご遺族や地域住民や役場の職員や医師や納棺師の仕事を手伝うべきかどうか、人生相談に乗ろうと避難所へ出向くべきかどうか、そして、そうした行為を実際に行えるかどうかという個別具体的な面においては、いくつかのポイントからお答え申し上げます。
 なお、当山は真言宗の伝授を受けた正統な寺院ですが、宗派に属さない単立の宗教寺院であり、「宗派に呼びかけ」は不可能であることを申し添えます。

1 ご趣旨をたとえてみれば、泥棒が多い社会になった時、縄を作っている職人へ、「お前の縄などすぐに切れて泥棒を縛る役にたたないから、仕事をやめて警察官の手伝いをしなさい」と言うのと同じパターンであり、縄の有効性、つまり、現実的には、祈りという宗教行為の有効性に関する信仰心や信念の問題なので、議論にどれだけ意義があるかはよくわかりません。
 だから、この先は、祈りの有効性を信じない方、及び、信じていても、当山の祈りは信じられないという方にとって読む必要はないかも知れません。
 しかし、真実を知って見解を変える方もおられる可能性があります。
 当山で人生相談をしたり、お通夜で戒名に関する法話を聴いたりして、〈戒名に関する真実〉を知ってから生前戒名を含め、戒名を求める方々がたくさんおられるという体験をふまえ、以下、念のため、時間を費やしてみます。

2 香川県に満濃池があります。
 この日本最大の灌漑用ため池は、かつて氾濫によって地域住民を苦しめていました。
 思いあまった住民は、お大師様に救ってもらおうと朝廷へ申し出、弘仁12年(西暦821年)、築池別当として派遣されたお大師様は陣頭指揮し、わずか4ヶ月ほどで完成させました。
 その間、お大師様は一心に修法を重ねられ、人々は昼夜を分かたずにはたらき、宗教行為と作業行為と仏神のご加護により世界的に評価の高い偉業は達成されました。
 もしもお大師様を信じない人がこの光景を目にしたならば、お大師様へ「一人でも人手が欲しいのに何をしているのか。お前も座っていないで、はたらけ。」と言ったかも知れません。
 それは人それぞれであっていたし方ありませんが、お大師様を信じる人なら到底、そうした発想は思い浮かばなかったものと思われます。
 私はお大師様ならぬ凡夫の身であり、「お前の祈りなど何になるのか」と言われれば、未熟・不徳のいたすところとお詫び申し上げるしかありません。
 ただ、当山の法務と共に歩む方々の中には、「一人でも人手が欲しいのに何をしているのか。お前も座っていないで、はたらけ。」と言う方はおられないと信じていることだけは、書いておかねばなりません。
 当山の祈りが現場への力になると信じて共に祈っておられる方々の願いを背負っている以上、環境エネルギー政策研究所所長飯田哲也氏や九州大大学院教授吉岡斉氏が指摘したように事故の孕む重大性を認識している以上、自分なりに〈日本が危機から脱出するために役立てる行動=信じる修法〉に励むのみです。
 また、こうした状況下でもネットを通じてご祈祷やご供養やご加持の要望があり、そうした〈信じる方々〉を脇へ置いて、使命を放棄するわけにはゆきません。

3 「じっと座っている暇があるなら現場で汗を流せ」とお考えかも知れませんが、当山の法務遂行状況を知っておられる方々は、誰一人、住職が暇人であると考えてはおられないと思われます。
 み仏へ仕える身である以上、あまりに当然ではありますが、3時4時に起き、カロリーメイトを車から降ろせない住職に空き時間はあまりないのを知っておられます。
 なぜ時間がないかといえば、これも当然ですが、行うべき法務をすべて行うのに1日24時間では足りないからです。
 能力のない住職が守る寺院の実態など、情けないことに、追われ通しでいのちをすり減らす日々でしかありません。
 今、携帯電話へ役員の方々から心配の声として入ってくるのは、いつ、ご縁の方々の安否がすべてつかめるだろうかという問題、固定電話が通じればご葬儀やご供養を求める新たなご縁が増えると予想されるが住職の身体が持たないのではないかという問題、皆さんと一緒に作り発送することになっている機関誌と新聞の印刷は、作業予定日の28日朝までに間に合うかどうかという問題などです。
 この一週間の予定はかなり飛びましたが、これもいちいちネットへ書かずとも、救いを求める新たなご縁の方々を含め何件ものご葬儀やご供養や納骨や人生相談を行っており、22日も朝から大郷町、大和町、富谷町と、自分で動く当山としてはまったく異例な送迎を受けつつ、修法を行いました。
 その中には、災害でいのちを落とした方々のご遺族が宗派を超えて当山へ修法を申し込まれたケースもあります。
 すでに6月まで予定が入っていることを知っている妻は、「現場へ行きたい」と聞いて「また、できもしない、夢みたいことを言って」と笑いました。
 しかし、何とかして〈恩の地〉へ入る覚悟でいます。

4 日常活動を行っている寺院とご縁のある方は、「宗派をあげて」という発想は、あまりされないのではないかと思われます。
 寺院の活動はそれぞれの寺院によって千差万別であり、寺院の予定は数ヶ月先まで入っているのが普通です。
(葬式坊主との揶揄に一理なしとはしませんが、真剣に救いを求める善男善女にとって、年忌供養などは何をさておいても行いたい大事な法会であり、人々はこうした機会を重ねるごとに仏法を学び、心を深めておられます。)
 寺院は求めに応じて法務を行っており、宗派で決めたある日、そうした予定を各寺院がキャンセルして共に何かを行うことが困難であるばかりでなく、ご親族が集まっての年忌供養など、その寺院でなければ果たせない役割を求めているご縁の方に迷惑をかけながら、他の法務を行う計画は、なかなか納得を得られないものと思われます。
 可能なのは、「宗派を代表して」という形ですが、そうしたことに、個々の寺院という立場で行う以上のいかなる価値があるのかよくわかりません。
 宗教者は宗教者としての信念で、カンバンをかけずとも、パフォーマンスを行わずとも、他人から知られずとも、できることを行おうとしています。
 でも、寺院が何を行っているか、住職が何を考えているかは、その寺院へ仏縁を求める方にはわかります。
 むしろ、慎みという点から考えれば、当山のブログなどで拙い法務の内容を公開するのは恥ずかしい限りですが、まさに弘法(コウボウ…仏法を広めること)のためと腹をくくり、続けています。

 ただし、全体的に「寺院の姿が見えにくい」というご趣旨にはまったく同感です。
 それは各宗派が宗派活動を行わないというよりは、そもそも、各寺院自体が死にかかわる以外の法務をあまり行っていないという点こそが原因であると思われます。
 全寺院が〈法務を見なおす〉ことを求められるようになって久しいのに、いろいろと寺院や僧侶についての具体的な人生相談をお聞きすると、そうしたと認識は決定的に不足していると感じています。
 当山ももちろん、今回のようなご叱責も念頭に置き、よりいっそうの日常活動に励み、少しでもご指摘にお応えしようと思います。

5 ご遺族や地域住民や役場の職員や医師や納棺師の仕事を手伝うことが、「実際に活動をして欲しい」というご要望へ真にお応えする方法なのかどうかは、よく考えてみなければなりません。
 当然ながら、現在、葬祭業者さんや石材業者さんや納棺師さんや農協の職員さんなどからさまざまな情報をいただき、ご相談も受けています。
 また、皆さんは、私が一行者としてどこへでもでかけて修法することを知っておられ、しばしば私の長靴姿を目にしてもおられますが、誰一人、「現場へ来てください」という人はいません。
 それには二つの理由があるものと思われます。
 一つは、人にはそれぞれの役割があるからです。
 プロの方々は皆さん、「私は私の役割をまっとうしますから、住職も住職の役割をまっとうしてください」という思いでおられるはずです。
 だから、知識も技術もない住職へ、僧侶でなくてもできることを依頼して時間を潰させる案など思い浮かぶはずはありません。
 皆さんは例外なく、住職へより詳しく惨状を伝え、よりねんごろに供養してもらいたいと願っておられます。
 もう一つは、なけなしのガソリンを使って住職を送り迎えして(私が、法務の約束をキャンセルして泊まりこむことを望む人は一人もいません)わずかな時間だけ現場体験をさせることが、納棺師など自分の役割を充分に果たすこと以上に重要だなどとは考えられず、そんな余裕もないからです。

 ただし、「死者を仮に弔う」ことはとても重要であり、時間もガソリンもない私が、現場へ行けないながらも、お彼岸の中日に皆さんと共に祈った功徳を回向(エコウ…回し向けること)したことは、「東日本大震災 ─東北関東大震災・被災の記(その13)ふるまい─」へ小さく書いたとおりです。
 また、「言葉をやさしく聴いてあげ」るのも、とても重要です。
 日々、人生相談を受けている身にはよくわかります。
 だからこそ、ガソリンが手に入ったなら、「弔う」ためにも、「供養する」ためにも、「聴いて寄り添う」ためにも、何とか時間と体力をやりくりしてでかけようとしています。
 私が今、〈現場にいないこと〉がご不満であるとするならば、もろもろの力不足をお詫び申し上げるしかありません。

6 他の寺院についてはわかりませんが、当山においては、ご葬儀やご供養や人生相談やご祈祷やご加持など、本堂を使う法務があり本堂の開放は不可能です。
 住職は家もなく本堂で寝起きしており、お風呂すらなく、善男善女が住職夫婦へ風呂をつくってやろうとお風呂場基金を集めてくださっている現状において、たった一つの建物を法務以外に開放することはできません。
 当山の法務と共に歩む方々の中で解放すべき、あるいは解放が可能であると考える方は、一人もおられないでしょう。
 ご希望の〈現地〉における炊き出しは物理的に不可能ですが、善男善女がご本尊様へ捧げられたものを、ここの〈現地〉において、できるかぎりお分けしています。

7 外国との比較、特にキリスト教との比較に関しては、論ずる資格も能力もなく、また、そうしたことを研究するよりも先に行うべき眼前の法務が待っているので言及しません。
 ただし、アメリカなどにおいては教会へ対する企業の寄進は非課税であり、実業家の夢は事業の成功と大きな寄進にあるとされていること、また、歴史に明らかなとおり軍と教会と企業が連携して世界中へ進出していること、あるいは国家に守られて寄進された莫大な財が世界を相手にどのように運用がなされているか、運用主体の実態はいかなるものか、などの情報がぼちぼちと漏れ始めていること、そして、私が無から一山を開いたように、日本における寺院は基本的に住職が自分で維持管理せねばならないこと、なども勘案されてはいかがかと、ご提案申し上げます。

 当山が、住職がいなければ法務の遂行に重要な支障をきたす小さな寺院であり、ここも被災している〈寺院の現場〉を離れる余裕がなく、ご指摘の〈被災の現場〉で活動を行えない点については私の力不足に原因があるので、お詫び申し上げます。

8 こうした妥当性を含むお申し出は、各寺院とご縁の方々が、個別に寺院へ申し出られるのがよろしいのではないでしょうか?
 あちらこちらの檀信徒さんが、ご縁の寺院へご趣旨のお申し出をされることはとても大切でありましょう。
 寺院が行うのはすべて宗教行為です。
 宗教的救いを求めるならば、宗教行為を求めるならば、ぜひ寺院を調べ、訪ね、選び、お申し出ください。

 結論として、今回の件は、当山のペースで行う他、どう考えても対応方法がないことをお詫び申し上げます。
 限られた時間の中、大急ぎで書いており、乱筆や失礼な表現もまた、お詫び申し上げます。



 般若心経を一緒にお唱えしましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。

〈大和町のスポーツセンターへ結集した支援部隊〉
230323 004

〈ついこの間まで、自衛隊を(日陰者)扱いしていた歴史があったことはもう、忘れられているかも知れません〉
230323 005

〈野営されるのでしょう。信徒である自衛隊員の方々、ご意見を述べられる幹部の方々を思い浮かべます〉
230323 007




「のうぼうあきゃしゃきゃらばや おん ありきゃ まり ぼり そわか」※今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン

 
2011
03.22

東日本大震災 ─東北関東大震災・被災の記(その13)ふるまい─

 電話はまだ不通、ガソリンもなく、被災した沿岸部へ祈りに行けませんが、無常の様子は、日々、訪れる方々の口を通して伝えられています。
 新聞やテレビの力はいかに大きくとも、目の光に身振り手ぶりを交えた体験談ほど雄弁ではありません。
 私たちは、忘れかけていた〈抗しがたい力〉を突きつけられました。
 しかし、生き残った人々は、今こそ、亡くなった方々へ正面から向き合っています。
 リルケの『重々しい時間』が思い出されます。

「誰かが 今泣いている 世界のどこかで
 理由もなく泣いている 世界の中で 
 わたしのことを 泣いている

 誰かが 今歩いている 世界のどこかで
 理由もなく歩いている 世界の中で
 私に向かって 歩いている
 
 誰かが 今死に掛けている 世界のどこかで 
 理由もなく死にながら 世界のなかで
 わたしをみつめる」        (生野幸吉:訳)

 
 直接、身内や友人、あるいは知人を失った方々も、あるいはそうした方々へ無言で心を寄り添わせる方々も、問われています。
「私は何者なのか?」
 21日の彼岸供養会では、数少ない参会者の方々と共に1時間半を越える祈りを捧げました。
 そして、最後に、法会の功徳を被災者の御霊へ届ける法を結んだところ、堂外に一陣の疾風が巻き起こり、数十秒で元の静けさに戻りました。
 きっと祈りは届いたことでしょう。
 墓地で、西を向いておられた大日如来様が地震後、不思議にもクルリと後ろ向きになったまま壇上から落ちなかったのは、津波に襲われた東方の御霊を供養するためだったのかも知れません。

 さて、被災地の復興に、あるいは避難所や病院など各現場の支援に、あるいは原発事故との闘いに、そして祈りに身体と心の汗を流す人々は、私たちが忘れかけていた真実を生きておられ、私たちを勇気づけます。
「私たちは生きものであり、自然そのものであり、そこには一瞬にして分解し消え去る脆さもあります。
 一方、〈自然の一部として与えられている自然の力〉を発揮するところにこそ、人間としての創造力の源があり、いとなみの喜びはそこからしかもたらされません。」

 私たちはあまりにも、創造力が生み出したモノたちや仮装された世界へのめり込み、〈自然の一部としての私たち自身〉を忘れかけていたのではないでしょうか。

 いわき市に住むAさんは言います。

「このあたりは原発から30キロ以上離れているのに、どんどん人がいなくなっています。
 商店へ来るトラックもなく、私たちは水のない状態で暮らし、水や食糧は近くの避難所から分けてもらう始末です。
 牛乳でも卵でも野菜でも、死ぬようなレベルの放射能ではないのだから普通に食べたいのに、売っていないのは本当に残念です。
 避難所はいっぱいとなり、自宅で一人暮らしをしている年配者へは、市役所の職員と私たちボランティアとで一軒づつ訪問して差し入れしています。
 住んでいるはずの人がどんどんいなくなり、配給先はアッという間に半分ほどへ激減しました。
 仙台へ行く人や東京へ行った人もいると聞いています。
 まあ、人生観の問題でしょうね。
 私たち残った住民は、避難命令が出るまで動きません。
 墓地とご先祖様は住職へ任せておく以上、何の心配もしていません。
 お詣りに行ける日が早く来るよう、離れてはいますが、住職と一緒に祈っています。」


 Aさんとのご縁を心から誇りに思います。
 自然の一部である自分の身体をいかに処置するか、いかに用いるか、非常時にこそ、隠しようもなく人間性が顕わになります。
 日本人の美しい精神を磨き、伝えてくださったご先祖様に恥ずかしくない日々を送りたいものです。

 3月21日付の河北新報は、「放射能の影響をどうとらえたらよいのか?」を掲載しました。
 執筆者は東北大加齢医学研究所の川島隆太教授です。
 これこそ、卓見の見本といえるのではないでしょうか。
 私も、原発事故が最悪の事態となることも覚悟しつつ祈り、現実的な対応としては、教授と同じく、できることなら廃棄されつつある福島県や茨城県の牛乳や野菜をどんどんいただき、両県を支援したいと願っています。

 以下、全掲します。

放射能の影響をどうとらえたらよいのか? 被ばく量、普段と同じ─報道・発表、科学的に正確】

 連日の新聞やテレビの報道にあるように、東京電力福島第1原発の事故は深刻な状況にあります。
 皆さま大変不安なことと思います。

〈「絶対」と言えず〉
 こうした中、信じられないことですが、放射能の被ばくを恐れて、診療を放棄し逃げだす医師まで出ていると聞きました。
 東北大医学系研究科の教授として、放射線防御に関する医師への教育が足りなかったと猛省するとともに、同じ医師として、そのような人がいることが悲しくて悔しくて仕方ありません。
 現在の放射能に関する報道は科学的には極めて正しいものです。
 東北大でも放射能の測定をいくつもの研究室で行っていますが、政府の発表にうそ偽りはありません。
 こうした報道を見聞きしていて皆さんが一番不安に思うのは、専門家が決して「絶対に」安全であるとは言ってくれないことだと思います。
 絶対ではないのだから、危険なのではないかと感じるのは当たり前です。
 専門家は科学者の良心から、絶対とは口が裂けても言うことができません。
 少し難しい言葉ですが、放射線の影響には確率的影響というものがあり、放射線を一度でも浴びると何らかの影響が出ると考えなくてはいけないと科学者は考えます。だから、うそをつきたくない科学者の口からは「恐らく」安全という言葉しか出てこないのです。

〈1年間続かない〉
 私たちは、普通に暮らしているだけでも、年に2~3ミリシーベルトという単位の放射線を自然界から被ばくしています。
 私たちの体の中にも、放射線を出し続けているイオンまであります。
 シーベルトとは難しい言葉に聞こえるかもしれませんが、単に放射能の影響力を表す単位と思ってくれれば良いです。
 現在、福島原発事故に伴う放射能は、宮城県の場合、1時間に0.2~0.3マイクロシーベルトの所が多いです。
 1000マイクロシーベルトが1ミリシーベルトですのであり得ないことですが、このままの状態が丸1年間続いたとして、被ばくする量は、0.3×24時間×365日=2628マイクロシーベルト、つまり2.6ミリシーベルトです。
 何と、普段自然に浴びている放射線量と同じなのです。
 現在の状態が丸一年続くほど、日本の科学力と技術力は低くありません。
 外国人たちが大勢、日本からの脱出を試みていますが、飛行機で米国や欧州に逃げ帰ると空気の薄い高高度の場所を飛行するため、地上にいるときよりも大量の放射線(宇宙線)を浴びます。
 その強さは80マイクロシーベルト。
 10日間、現在の放射能を浴び続けるのと一緒です。
 しかも現在心配されている放射能はほとんどが服や靴に付いています。
 自宅に帰り、服や靴を脱ぐと、24時間被ばくし続けることは難しいのです。
 この程度の放射能を気にする人は、飛行機に乗るとかえって大量に被ばくするので、船で逃げだすことを科学者として推奨します。

〈喫煙の方が有害〉
 先ほど「確率的影響」という話をしました。
 実際に放射能をどれだけ浴びると、どのような障害が起こるのかは、今回のような低濃度の放射線の場合は、影響が目に見えないので、明らかに影響が出る高い濃度の放射線を浴びた時の状況から類推しており、「確率的」という言葉を使います。
 ですので、正確にどの程度の悪影響があるかを正確に計算することは誰にもできませんが、同じ確率論で言えば、現在のレベルの放射能を1カ月間浴び続けるよりも、たばこを一箱吸う方が皆さんの寿命を縮めます。
 個人的な話をすると、茨城や福島でホウレンソウ、牛乳から放射能が検出されたと報道されています。
 ここ仙台では生鮮食品がとても入手しにくく、捨てるのであればぜひわけていただきたいです。
 私は50歳をすぎましたが、これらのホウレンソウをばくばく食べ、牛乳をごくごく飲んでも、私の寿命に影響がないことを知っていますので。



〈一体だけ、心棒があるわけでもないのに安置されていた場所ですっかり後ろ向きになり、被災した沿岸部へ正対された大日如来
230321 dainiti0742

2321 077dainiti

〈笹倉山へ沈み行く夕陽の残光を背に、いかなる加持(カジ)力を送っておられるのか〉
230321 adiniti081




「おん ばざら たらま きりく」※今日の守本尊千手観音様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン

 


2011
03.21

東日本大震災 ─東北関東大震災・被災の記(その12)合掌─

 いよいよという時、いざという時。私たちは合掌します。
 なぜでしょうか?
 信じるからです。
 何を?
 目に見えぬ何ものかを──。
 み仏を、神様を、ご先祖様を──。

 では、〈そうするしかない〉合掌とはなんでしょうか?
 右手はみ仏、左手は自分です。
 指を見ましょう。
 小指は〈地(チ)〉、薬指は〈水(スイ)〉、中指は〈火(カ)〉、人差し指は〈風(フウ)〉、親指は〈空(クウ)〉に当たります。
 地は、身体なら骨格、心なら守る心です。
 水は、身体なら血液、心なら潤す心です。
 火は、身体なら体温、心なら智慧の心です。
 風は、身体なら呼吸、心なら因縁を払う心です。
 空は、身体なら調和、心なら執着を離れる心です。
 こうした凡夫の身体と心の全てを右手のみ仏の世界、つまり、真実の世界へ合わせ、行き詰まりを突破するお力をいただきたいと願うのが合掌です。

 自分がやってきたことが行き詰まったから、自分がどうすればよいかいくら考えても、この先どうしたらよいかわからないから合掌するのではありませんか?
 経典は、本当に心から合掌した時、私たちの心は、日常的な自己本位の呪縛を離れ、本来の〈み仏の子〉としての心に変わると説いています。
 小指は永遠へのつながりを与えます。
 薬指は言葉を超えた救いを与えます。
 中指は汚れのない清らかさを与えます。
 薬指は因縁解脱の安心を与えます。
 親指は解放を与えます。
 だから、皆さん、合掌しましょう。
 そして、般若心経や、自分を一生お守りくださる守本尊様の真言を指針に唱えましょう。
 目の前にいかなる悲しみや落胆や不安や苦しみのがいても、合掌する時は、必ず5つの救いがもたらされます。
 たちは、み仏の光明で姿を消します。

 たちが姿を消している体験をしては無常を見つめ、無常を見つめてたちが出てきたならば、またたちを消す体験へ戻りましょう。
 やがて必ず、無常を見てもに負けない心がつくられます。
 そこが彼岸です。

 当山は、今日の彼岸供養会を予定どおり行います。
 どうぞ皆さん、どこにおられても、合掌してください。
 種々の事情で合掌できない方は心で合掌してください。
 み仏は必ず皆さんと共にあります。
 そして、鬼たちの消えた安心体験をしてください。
 法は必ず時空を超えて届きます。
 皆さんに安心を、御霊に安心を、そして被災の現場で闘う方々にご加護を、そして、原発へ水と電気を………。合掌

〈小さな尊い合掌〉
2303212.jpg




「おん あみりたていせい から うん」※今日の守本尊阿弥陀如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。



[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン


2011
03.20

東日本大震災 ─東北関東大震災・被災の記(その11)さらなる祈りを─

 ご祈祷のご依頼がありました。
 皆さんと共に祈りたいので、急いで掲載します。

 当山は、昨日の例祭から始めた強力な「水の祈り」を続けています。
 今からこのご依頼文を御宝前へ捧げてご祈祷を行います。
 皆さんも印刷し、神棚や仏壇や清浄な場所へ捧げて祈ってください。
 どうぞ皆さん、「般若心経」を唱えてください。
 御宝号「南無大師遍照金剛」を唱えてください。
 いのちを惜しまぬ勇者たちのために、日本のために、世界のために、子孫のために、そして私たちが、逃げずにまことを尽くす霊性を持った存在であり続けるために。

「皆さん
 どうかお願いがあります
 祈りを、皆さんの祈り
 今、福島原発で命がけで 我々の国、この日本を
 国民を
 あなたをあなたの
 家族を救う為に懸命に仕事をしている人々がいます。

 どうか祈って下さい!
 作業が成功するのを!
 お願いします!

 自衛隊特殊化学防護隊の
 隊員たちは志願者です。
 しかも年齢は55歳からうえ、もう子育ても終わりに近いので思い残す事は無いと志願者となったようです。
 その様な志願者が50名

 時事通信社の記事があります。
 東電が全国の電力会社、協力企業に助けを求めました。
 志願者です、決死隊として原発の内部作業をする原発関係者のベテランを募ったのです。
 中国電力の原発勤務40年というある男性が。
 この作業は自分達のようなベテランがやるべきだ、
 自分は定年まで後一年であるし、子育ても終わったとして、志願したそうです。
 ご家族は静かに思いを語る、自分の夫、父親の決意に何も言えなかたそうです。
 その方の娘さんは,今までと違う父のもの静かな顔を初めて見たそうです。
 志願者20名
 翌朝、いつも出勤する時のように。
 じゃあ、いってくる。
 と言って玄関を出てたそうです。
 
 原発での作業中、放射線被爆があります。
 国が定める限界被爆単位100ミリシーベルト。
 それが250ミリシーベルトになりました。
 何故なら、彼等が望んだからです。

 100ミリシーベルトではすぐ時間が経ってしまい数分では作業ができない。
 だから国に250に上げてくれと。
 その為の被爆量は覚悟の上なのです。
 
 そのおかげで
 昨日、あと一歩で臨界点と言う所で臨界が止まったのです。
 もし臨界点に達していたら。
 私達は今、この時を
 この時間を過ごしていません。
 家族と恋人と仲間、友人とこの時間が無かったかもしれないのです。
 
 半径300キロ生物の生存率は、限りなくゼロに近かったんです。
 今のこの時間は彼等のおかげなのです。

 経営側幹部たちは我が身安泰の為、情報を小出しにし、遠く離れた東京から出てきませんでした。

 お願いです皆さん
 祈って下さい!
 皆さんの祈り
 作業が成功するように
 祈って下さい!
 皆さんの想念を送って下さい!
 
 今日 放水作業が無事終わりました。
 
 明日の作業も成功するように。
 隊員たちが無事であるように。
 祈って下さい!
 
 どうかお願いします!
 
 そして家族、友人、仲間、一人でも多く方に知ってもらい
 祈ってほしいので伝えて下さい!
 お願いします!」


 内容はすべて、感じ、考え、想像していたとおりでした。
 真実でありましょう。
 当初の事故が人間の接近をどうにか許すレベルで止まっていたこと、そして、現場で闘おうと志願する勇者がいたこと、私たちの〈現在〉があるのは、その二つのおかげです。
 心で感謝の涙を流しつつ、仏神のご加護を祈っています。



 般若心経を一緒にお唱えしましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。

〈依頼文〉
230320 006




「おん あみりたていせい から うん」※今日の守本尊阿弥陀如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。



[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン


2011
03.20

東日本大震災 ─東北関東大震災・被災の記(その10)彼岸─

 お彼岸とは「彼(カ)の岸へ渡る時」です。
 どこからか?といえば「此(コ)の岸」からです。
 そして、彼岸とは悟りの世界であり、此岸(シガン)とは迷いの世界であるとされています。

 悟りの世界は、どこか「山の彼方の空遠く」にあるのではなく、自分自身の仏性が開いてみ仏の心で生きられるようになった時に「ここだ」と気づくのです。
 釈尊は気づかれてから3週間、その法楽の深々とした安心と喜びで動けなかったとされています。
 迷いの世界とは、自己中心で互いにぶつかり合い、傷つけ合っているこの娑婆(シャバ)です。
 釈尊は、私たちの迷いと苦の様子を

「みんな長い箸を持って食物を食べようとしているようなものであり、互いに食べさせ合えば全員が食べられるのに、どうにかして自分だけが食べようとして全員が苦しんでいるようなものである」

と説かれました。

 また、こうした物語があります。

 神通力を得たバラモン教の行者が4人いました。
 ある時、7日後に自分たちが死ぬことを知りました。
 皆、思います。
「我々は、天地をひっくり返し、太陽や月をつかみ、山を移し、川をせき止め、何でもできるはずだ。
 どうして死から逃れられないことがあろうか。」
 そして、それぞれ海の底、山の中、空中、雑踏へ逃れることにして、王様へ言いました。
「私たちはあと7日で寿命は尽きますが、死の運命から逃れてご覧に入れます。
 また、こうしてお目にかかれたならば、ぜひ、徳を讃えてください。」
 さて、それぞれ目的の場所へ隠れた行者たちは、7日後、熟した果実が落ちるようにいのちを落としました。
 役人が王様へ報告しました。
「1人の行者が町で急死しました。」
 王様は考えます。
「1人が死んだ以上、あとの3人も助かってはいないだろう。
 あれほどの神通力を持っていながらどうしてなのだろう。」
 そして、釈尊の元を訪ね、問いました。
「彼らははたして、死神から逃れられたでしょうか?」
 釈尊は答えます。
「王よ。
 人間には逃れられない四つの宿命がある。
 生まれること、老いること、病気になること、死ぬことである。
 空であろうと、海中であろうと、山中であろうと、この世に死から逃れられる場所はない。
 この宿命は業(ゴウ)の報いである。
 これを知って業を清め、宿命を克服するのが行者の務めである。」
 王様は、行者たちが死んだ後も迷ったままであるという真実を理解しました。


 私は「地の方所に、これを逃れて死を受けざるところあることなし(この世に死から逃れられる場所はない)」に接した時、当然のことをあらためて深く納得したものです。
 
 さて、今、福島県とその周辺では、脱出騒ぎで混乱が起こり、被災者がますます窮地に陥っています。

 Aさんのメールです。
「現在観測されている放射線数値は人体に全く問題のない数値です。
 X線やレントゲン、温泉の方がよっぽど高い数値を示しています。
 仮にこのまま何もなかった、普通の生活に戻った、としましょう。
 今度は風評被害が間違いなく起こります。
 福島県出身です。っていうだけで「放射線は大丈夫?」って思わないでください。

 福島県出身の女の子だからって、子供を生む時は大丈夫なの?って思わないでください。
 福島県産の野菜はとても美味しいです。
 福島県産の果物もとても美味しいです。
 福島県産のお米もとても美味しいです。
 お肉も、魚も、みんなが頑張って作ったりとったりしたものです。
 でも、福島県産、ってだけで毛嫌いしないでください。

 他の自治体や国はしっかりこの点も含めて被災地の復興をバックアップしていただきたいと思います。
 復興には人の力がどうしても必要です。
 一日でも早く復興するためには皆さんの力が必要なんです。
 物資の援助もお願いしたいですが、このことも是非頭に入れておいてください。
 お願いします。」

 大和町在住で福島県出身のBさんは、仙台市で財をなした富豪が早々と仙台市から去ったできごとに憤っていました。
 富豪はアメリカ人が80キロ圏内から脱出していることに不安が増し、100キロ圏内の仙台市から脱出したのです。
 
 一方Cさんは、北海道にいる子供から来るように言われて少し考えたけれども、仙台を離れず、当山へのお詣りを続けることにしました。
 地震で傾いた家の補修に大金がかかり、風向きによっては放射能も心配だけれど、ここで頑張りますと唇に力をこめます。

 関東在住のDさんは、自らも被災していながら国道4号線を通り、はるばるとカップラーメンや栄養ドリンクなどを届けてくれました。
「福島はあまり人気(ヒトケ)がありません。留まっている人々がかわいそうです。私たちの人間性が試されているのしょうね。」

 原発事故は日本原子力研究開発機構や政府や日本の問題だけでなく、もちろん福島県の問題でなく、私たち現代人が皆でつくった1つの流れがひき起こした世界的災厄であり、誰1人として無関係な人や責任のない人はいません。
 だからこそ、オバマ大統領は「私たち共通の問題であり、全力で支援する」と述べ、いち早く支援部隊を派遣しました。
(軍用機が物資を届ける場面などはチラッとテレビの片隅に映っても、活動の内容がほとんど報道されないのは不思議です。いかなる情報統制が行われているのでしょうか)
 私たちは、危険な現場で昼夜を問わず作業に励む方々へ感謝し、その無事を祈りつつ、周囲の人々のためにできることを行うしかありません。
 自分の身のふりようは、最悪の事態も覚悟しつつ、自分が信じられる情報源からの情報と、自分が背負っているものとを勘案して冷静に決めるのみです。
 ただし、以下の2点は、はっきりしているのではないでしょうか。
「自分たちがつくった死神から、自分だけが逃れることはできない。
 自分にできるのは克服することだけである。
 その方法には、現場での努力という物理的なものと、祈りという精神的なものがある。」
「いわば現代文明のツケを一身に背負った福島県を見殺しにしたり見捨てたりするならば、その人や県や国はいつか必ず自分だけが逃げたツケを払わねばならない」

 私たちの安心の世界は、この世で精進し、祈るところにしか見いだせません。
 せっかくのお彼岸です。
 釈尊が、不安迷いや怖れから脱する場所は、私たちの今、いるここでしかないと説かれたことをよく考えてみましょう。

〈智慧の行をお守りくださる菩薩様は、迷いを断つ剣を持ち、彼岸へ連れていってくださいます〉
智慧波羅密菩薩




「おん あみりたていせい から うん」※今日の守本尊阿弥陀如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。



[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン


2011
03.19

東日本大震災 ─東北関東大震災・被災の記(その9)原発へ雨を─

 18日からお彼岸に入りましたが、いつもは善男善女がたくさん訪れる『法楽の苑』も本堂もひっそりとしたままです。
 以前として石油事情が逼迫しており、開いたガソリンスタンドは長蛇の列です。
 仙台市内ではまだ水道が復旧していない地域も多く、当山へ水をもらいに訪れる方はポツポツと続いています。

 さて、原発事故は、文字どおり「時間との闘い」になりました。
 私たちの共業(グウゴウ…社会的業)が天災をきっかけとして起こした災厄は、私たちが心を清め、業を清めることが最後の決め手になります。
 現場で死闘を続ける方々に仏神のご加護があるよう、祈りましょう。
 天災を縁とした巨大な災厄を沈める巨大な天佑がもたらされるよう祈るのです。
 それは〈雨〉です。
 自らのこれまでを省み、自らの心を清めると共に、原発へ雨が注がれ、あるいは雨のように水が注がれ悪魔の勢いが削がれるよう、祈りましょう。

 こうした災厄に際しては、古来、般若心経が唱えられ、写経されてきました。
 ダライ・ラマ法王は、菅総理へ書簡を送って「日本で起こった地震と津波のニュースに、衝撃と悲しみを感じている」と伝え、インドのダラムサラで般若心経を10万回唱える法会が開催されました。
 僧侶、尼僧、一般人など1500人が参加し、成満となりました。

「日本の仏教徒がこの苦難に際し般若心経を唱えることはとてもよいことだ。被災して犠牲となった尊い方々の助けとなるのみならず、一層の災害を防ぐ助けにもなる」

 共に般若心経を唱えましょう。

 また、お大師様は、降雨法の達人でした。
 京都市中京区に「神泉苑」があります。
 未曾有の大干ばつになり、天皇の指示を受けたお大師様が降雨の修法を結び、京も日本も救った場所です。
 「名所旧跡めぐり 神泉苑(http://www5e.biglobe.ne.jp/~hidesan/shinsen-en.htm)」から抜載します。

「平安初期の天長元年(824)の大干ばつの折、天皇の勅命により東寺の空海(弘法大師)と西寺の守敏(しゅびん)との祈雨の法力競い合いが行われた。
 池に善女竜王を勧請し降雨を祈願した空海が勝ち以後、東寺は栄え、西寺は荒廃したとの伝承がある。
 その後、神泉苑において雨乞いの儀式が行われるようになり、斎衡年間(854-857)には祈雨霊所としての地位が確立され、東寺系真言密教僧により雨乞いや怨霊を鎮める聖地へと変わる。
 この話しには逸話がある。空海の祈祷によって三日三晩雨が降り続き空海の勝利に終わった「雨乞い合戦」。
 合戦に敗れた守敏は空海をねたみ、待ち伏せして矢を放ったところ、黒衣の僧が身代わりとなってその矢を受け、空海は難を逃れた。
 その黒衣の僧は、実はお地蔵様で、いつしか矢取地蔵と呼ばれるようになったという。
 その地蔵を祀る堂が東寺南門から九条通を西へ徒歩5分ほどのところにある市バス「羅城門」停留所前にある。」

 お大師様は弥勒菩薩(ミロクボサツ)のおそばから観ておられ、いつでも祈る者のそばへ来られ、お力を貸してくださいます。
 般若心経がなかなかとなえられない方は、お大師様のお力をいただく御宝号(ゴホウゴウ)をお唱えください。

南無大師遍照金剛(ナムダイシヘンジョウコンゴウ)」

 回数は、1・3・7・21・108・1080などです。
 これは、四国八十八霊場を巡ったことのある方なら、どなたにもおなじみの言葉です。

 当山も、原発めざして雨が降るよう、あるいは雨のように水が注がれるよう祈ります。
 托鉢僧となって現地へ行くつもりで祈ります。
 ぜひ、現場から逃げない勇敢な方々の背に、大きなご加護がありますよう。
 そして、日本が救われますよう。

竜王に守られて歩くお大師様〉
230319 003



 般若心経を一緒にお唱えしましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。




「のうまく さんまんだ ばざらだん かん」※今日の守本尊不動明王様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。



[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン


2011
03.18

東日本大震災 ─東北関東大震災・被災の記(その8)立ち止まり、立ち上がりましょう─

 凍てついた境内地に薄い朝日が射し、雪を除けてみたら、花ごと雪で覆われたはずの福寿草が、蕾となって雪解けを待っていました。
 これから昇る太陽の光を浴び、再び愛らしい花を開くことでしょう。

 一方で、原発事故は徐々に悪化の方向へ向かい、今の日本はまったく予断を許さない危機に瀕しています。
 大地震の起こした津波にさらわれ、崩壊した家屋に押しつぶされ、避難所で医療が行き届かずいのちを落としつつある方々は、天災の犠牲者です。
 また、原発事故で危機に遭遇している私たちは、人災の犠牲者になりつつあります。
 ただし、ここで言う「人」は、単に原発を推進してきた人々ではなく、日本人でもなく、「現代人」です。
 日本に住む私たちは、現代文明が抱える根本問題を引き受け、今、身をもって世界中へ示しています。
 それを私は「原発事故は、日本が犠牲になって、宿痾を世界中の〈共有者たち〉へ示す役割を果たすできごとではないか。」と書きました。
 人と人との間で消息が明らかになるにつれて、悲しみはますます深まり、原発事故が終息しない限り、不安はますます深まることでしょう。
 天の時と人の業が重なり、文字どおり未曾有の災厄になりました。
 古人はこうした時「魂消(タマゲ)た」と言ったものです。
 魂が消えそうになるのです。
 しかし、無常の鬼に魂の気を奪われつつ今こそ、私たちは祖先が培い、伝えてくれた〈人としてのまこと〉を尽くしながら、粛々となすべきことをなそうではありませんか。

 3月18日付の河北新報は辺見庸氏の「問われる徳目の真価」を掲載しました。

「われわれはこれから、ひととして生きるための倫理の根源を問われるだろう。逆にいえば、非倫理的な実相が意外にもむきだされるかもしれない。
 つまり、愛や誠実、やさしさ、勇気といった、いまあるべき徳目の真価が問われている。」
「これまでの余裕のなかではなく、非常事態下、絶対的困窮下で、愛や誠実の実現がはたして可能なのか。
 家もない、食料もない、ただふるえるばかりの被災者の群れ、貧者と弱者たちに、みずからのものをわけあたえ、ともに生きることができるのか。
 日常の崩壊とどうじにつきつけられている問いとは、そうしたモラルの根っこにかかわることだろう。」
「大地と海は、ときがくれば、平らかになるだろう。
 安らかな日々はきっとくる。
 わたしはそれでも悼みつづけ、廃墟をあゆまねばならない。かんがえなくてはならない。」

 
 私たちは悲しみや不安で動けなくなるかも知れません。
 その時は慌てず、とにかく静かにゆったりと深呼吸をして、じっと無常を見つめましょう。
 やがて、見わたす視界に、人々の優しい笑顔や、力強い作業姿や、片づけられ復興する町の様子が活き活きと入ってくるはずです。
 そうしたら、ゆっくりと立ち上がりましょう。
 たとえ永い時間がかかろうと、何が何でもここを乗り越え、ご先祖様から受け継いだ〈人としてのまこと〉を尽くす生き方を、次代へ残しましょう。
 そのためには、現場では役割を果たし、いずこにあっても心をつなぎ、現場以外では祈ることです。
 仏法は、「自らの努力と、縁の力と、仏神のご加護の力」によって善願は成就できると説いています。
 努めましょう、連帯しましょう、祈りましょう。
 そして、やがて開く福寿草のように、必ずや、復活しようではありませんか。



 般若心経を一緒にお唱えしましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。

〈春ならぬ雪景色〉
230318 004_edited-1

福寿草
230318 003




「のうまく さんまんだ ぼだなん あびらうんけん」※今日の守本尊大日如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン


 
2011
03.18

墓石の写真をお送りします

 この分では、お彼岸にお参りできない方が多かろうと存じます。
 当山では、ホームページの「お問い合わせ」欄からお申し込みがあれば墓石写真を撮り、ネットを通じてお送りしております。なお、ご供養のお経はhttp://www.hourakuji.net/pg111.htmlからお聞きいただけます。
 どうぞご遠慮なくお申し込みください。合掌
23031729 002
[投票のご協力をお願いします。合掌]
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

2011
03.17

東日本大震災 ─東北関東大震災・被災の記(その7)─

 朝に来られた方からの情報です。
「近くの牧場さんで、牛乳を無料配布しています。
 餌の量を減らしているのでいつもよりは出ていませんが、とにかく牛から搾れる全量を並んだ人々へ譲っています」
 新聞へ目を転じると、人々の善意、まこと、思いやり、そして譲り合い精神などにあふれるできごとがたくさん、報じられています。
 友人の経営する病院がやっと通電し、助かると信じ、寒いベッドで待った患者さんたちの笑顔がテレビの画面で輝いていました。
 一方、テレビは急激な円高を報じています。
 自分のお金を増やすことが目的である世界中の人々は、鵜の目鷹の目でチャンスを求めています。
 与謝野馨経済財政相が「不見識」と断じたとおり、円高が進めば、自動車などの産業が震災から復興する際に大きな壁となりますが、そんなことはお構いなしです。

 私はやはり、「日本人ここにあり」と胸を張るべきだと思います。
 もっと正確に言えば、日本人という国籍にこだわらず、日本に住むあらゆる人々と誇りを共有したいと思います。
 自衛隊のヘリコプターが、事故を起こした原発へ空中から放水するシーンを見ました。
 飛び立つように命じる側も、操縦桿を握る側も、その思いは察するに余りあります。

 いよいよ日本の命運をかけた時間が始まりました。
 当山はずっと祈ってきましたが、こと、ここに至った以上、皆さん、一緒に祈りましょう。
東日本大震災・ご支援のお願い」へ書いたように、ご先祖様方は自分で最善を尽くし、周囲の人々と手を取り合い、そして仏神へ祈って数々の危機を乗り越えて来られたのです。

 昨日、まったく異例なことに、天皇陛下がお言葉を述べられました。
 冒頭部分にある

「地震や津波による死者の数は日を追って増加し、犠牲者が何人になるのかも分かりません。
 一人でも多くの人の無事が確認されることを願っています。
 また、現在、原子力発電所の状況が予断を許さぬものであることを深く案じ、関係者の尽力により事態の更なる悪化が回避されることを切に願っています。」

こそが、危機の実態を明らかに示しています。

「何にも増して、この大災害を生き抜き、被災者としての自らを励ましつつ、これからの日々を生きようとしている人々の雄々しさに深く胸を打たれています。
 自衛隊、警察、消防、海上保安庁をはじめとする国や地方自治体の人々、諸外国から救援のために来日した人々、国内のさまざまな救援組織に属する人々が余震の続く危険な状況の中で日夜救援活動を進めている努力に感謝し、その労を深くねぎらいたく思います。」

には私も深く胸を打たれ、涙が流れました。
 この言葉にふさわしいのは天皇陛下だけです。
 そして、天皇陛下は祈っておられるに違いありません。

 祈りましょう。
 亡くなった方々のため、今を生きようとしている方々のため、そして原発事故を初めとする各地の現場で死力を尽くしている方々のために誰でもができるのは祈ることです。
 ご先祖様方と同じく、共に般若心経を唱え、あの世へもこの世へも、心のパワーを送りましょう。
 願わくば、私たちの祈りへ仏神の大きなご加護が加わりますように。





 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。

仏(ぶっ)説(せつ)摩(ま)訶(か)般(はん)若(にゃ)波(は)羅(ら)蜜(み)多(た)心(しん)経(ぎょう)

観(かん)自(じ)在(ざい)菩(ぼ)薩(さ)行(ぎょう)深(じん)般(はん)若(にゃ)波(は)羅(ら)蜜(み)多(た)時(じ)照(しょう)見(けん)五(ご)蘊(うん)皆(かい)空(くう)度(ど)一(いっ)切(さい)苦(く)厄(やく)舎(しゃ)利(り)子(し)色(しき)不(ふ)異(い)空(くう)空(くう)不(ふ)異(い)色(しき)色(しき)即(そく)是(ぜ)空(くう)空(くう)即(そく)是(ぜ)色(しき)受(じゅ)想(そう)行(ぎょう)色(しき)亦(やく)復(ぶ)如(にょ)是(ぜ)舎(しゃ)利(り)子(し)是(ぜ)諸(しょ)法(ほう)空(くう)相(そう)不(ふ)生(しょう)不(ふ)滅(めつ)不(ふ)垢(く)不浄(ふじょう)不(ふ)増(ぞう)不(ふ)減(げん)是(ぜ)故(こ)空(くう)中(ちゅう)無(む)色(しき)無(む)受(じゅ)想(そう)行(ぎょう)識(しき)無(む)眼(げん)耳(に)鼻(び)舌(ぜっ)身(しん)意(に)無(む)色(しき)声(しょう)香(こう)味(み)触(そく)法(ほう)無(む)眼(げん)界(かい)乃(ない)至(し)無(む)意(い)識(しき)界(かい)無(む)無(む)明(みょう)亦(やく)無(む)無(む)明(みょう)盡(じん)乃(ない)至(し)無(む)老(ろう)死(し)亦(やく)無(む)老(ろう)死(し)盡(じん)無(む)苦(く)集(じゅう)滅(めつ)道(どう)無(む)智(ち)亦(やく)無(む)得(とく)以(い)無(む)所(しょ)得(とっ)故(こ)菩(ぼ)提(だい)薩(さっ)埵(た)依(え)般(はん)若(にゃ)波(は)羅(ら)蜜(み)多(た)故(こ)心(しん)無(む)罣(けい)礙(げ)無(む)罣(けい)礙(げ)故(こ)無(む)有(う)苦(く)怖(ふ)遠(おん)離(り)一(いっ)切(さい)顚(てん)倒(どう)夢(む)想(そう)究(く)竟(きょう)涅(ね)槃(はん)三(さん)世(ぜ)諸(しょ)仏(ぶつ)依(え)般(はん)若(にゃ)波(は)羅(ら)蜜(み)多(た)故(こ)得(とく)阿(あ)耨(のく)多(た)羅(ら)三(さん)貘(みゃく)三(さん)菩(ぼ)提(だい)故(こ)知(ち)般(はん)若(にゃ)波(は)羅(ら)蜜(み)多(た)是(ぜ)大(だい)神(じん)呪(しゅ)是(ぜ)大(だい)明(みょう)呪(しゅ)是(ぜ)無(む)上(じょう)呪(しゅ)是(ぜ)無(む)等(とう)等(どう)呪(しゅ)能(のう)除(じょ)一(いっ)切(さい)苦(く)真(しん)実(じつ)不(ふ)虚(こ)故(こ)説(せつ)般(はん)若(にゃ)波(は)羅(ら)蜜(み)多(た)呪(しゅ)即(そく)説(せつ)呪(しゅ)曰(わつ)掲(ぎゃ)諦(てい)掲(ぎゃ)諦(てい)波(は)羅(ら)掲(ぎゃ)諦(てい)波(は)羅(ら)僧(そう)掲(ぎゃ)諦(てい)菩(ぼう)提(じ)薩(そ)婆(わ)訶(か)般(はん)若(にゃ)心(しん)経(ぎょう)

般若心経法の主尊である般若菩薩(ハンニャボサツ)です。手に持っておられるのが般若心経です〉
23031729.jpg




「のうまく さんまんだ ぼだなん あびらうんけん」※今日の守本尊大日如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン


 
2011
03.17

東日本大震災 ─東北関東大震災・被災の記(その6の2)─

 さっそく「東北関東大震災被災の記(その6)」へご批判をいただきました。
 まことにありがたいことです。
 投稿された方をAさんとさせていただきますが、おそらく、Aさんと似た感想を持たれた方がたくさんおられたのではないでしょうか。
 今日の「(その7)」をもって「東北関東大震災被災の記」を終了する予定でしたので、心より感謝しています。

 ご意見のあらましは以下のとおりです。 

原発反対という事は分かるのですが、其れと宗教的考察とがなかなか結びつかなくて困っております。(仮に第一要点とします) 

 今の時期に,『原発のメルトダウン(炉心溶融)が起こるとするならば、それは日本が廃墟となる日へのカウントダウンかも知れない。』などと言って、やたら人を不安に陥れる事は、今のこのタイミングでは正しい事とは思えません。(仮に第二要点とします)

 酒を飲み過ぎて死にそうになった人に向かって、『自制心なく酒を飲んだお前が悪い。 お前の間違いだ』と、病院のベッドのそばで責めているようなものです。
 酒の飲みすぎで死にそうな人のそばでは、早く回復するように励まし、元気になってからお説教をたれるべきと思います。(仮に第三要点とします)

 私が宗教家に今期待する事は、生命の危険を掛けてメルトダウンを防ごうとしている人たちの安全と成功を祈ってもらいたい事です。
 そして、今起きている事が落ち着いてから、この事を教訓としてもう一度原発について考察する事が必要と思います。(仮に第四要点とします)」


○第一要点について

 私たちは二つの世界に住んでいます。
 一つは、目や、耳や、鼻や、舌や、皮膚などではたらく五感を通じて入る情報を整理し、「これ有り」または「これ無し」と証明された科学的世界です。
 もう一つは、「これ無し」と証明されず、五感のいずれを通じるともなく感じとれる宗教的世界です。
 両世界は車の両輪であり、たとえば、科学は鋭利な包丁という道具を作って生活を便利にし、宗教は包丁で人を刺してはならないと道具の用い方を教えます。
 私は宗教者ですが、仏法には共業(グウゴウ…個々人のつくる業が集まって社会的業となったもの)という教えがあり、人は常に自分のつくる業(ゴウ)と社会的業(ゴウ)とを考えながら生きなければ、この世に幸せをもたらすことができないと考えているので、科学の分野に無関心ではいられません。
 個人的業(「不共業」といいます)が、巨大な共業の前に吹き飛ばされてしまうことは、「私自身広島で原爆の経験もあり」とおっしゃるAさんには、よくよくおわかりのことでしょう。
 こうした観点から、今ある情報や知識をもって何ごともコントロールできると考え、自然への畏れや人間の矮小さへの慎みを忘れたかのような勢いで、あまりにも危険なものをどんどんつくることを看過できないのです。

○第二要点について

 おっしゃることには首肯します。
 まことにそのとおりで、「報道関係者も非常に気をつけて意見を言っています」というご指摘も理解できます。
 だからこそ、私は宗教者として、批判や非難を覚悟の上で拙文を書きました。
 なぜなら、私たちは、ともすると「忘れやすい」からです。
 同じ理由から、私は、ご葬儀のおり、必ず、み仏の教えについてお話し申し上げます。
 最も深い悲しみの中にあり立ち止まっている時こそ、人間の真実や生と死の厳粛さ、そしてみ仏の教えについて考え自らを省みる重要な時間であり、故人がその死をもってつくってくださった貴重な機会を生かしていただくのが宗教者の務めであると信じているからです。
 Aさんは決してこの危機を忘れないことでしょう。
 身近な方の死に深く心を沈めた体験のある方もまた、〈死や供養はどこかにあるもの〉ではなくなっているはずです。
 そうした方々には、宗教者の話など余計なことかも知れません。
 しかし、「そうした方々」でない方々もたくさんおられるので、皆さんの不興を覚悟で多少、大げさに書きました。

○第三要点について
 
 三つの視点から私見を申し上げます。
 一つは、私は、「酒を飲み過ぎて死にそうになった人」も、「その人を介抱する人」も、「回復を祈る私」も、〈ともすれば酒を飲み過ぎる〉存在としてまったく等しく観じているという点です。
 昨日も来山された方やメールをくださった方などと、手を取り合い共に涙する思いで過ごしました。
 お身内を、友人を、社員を亡くされた方々のため、亡くなったすべての方々のため、祈りました。
 私自身、何種類も服用している処方薬を切らしていますが、自分より酷い境遇におられる方々のことを想い、ギリギリまで動かないつもりでいます。
 だから、この拙文は、決して、誰かをそちら側において説教を垂れるなどという姿勢で書いたものではありません。
 当然自分を含め、自分を初めとして今を生きている私たちすべてが省みようという趣旨のつもりですが、Aさんが「責め」と受け取られたとしたなら、私の未熟さのなすところであり、深くお詫び申し上げます。

 もう一つは、「早く回復するように励ま」すのは私の第一の本分であり、それはできる限り行った上でこうしたメッセージを発しているという点です。 
 僧侶が祈るのはあまりに当然であり、私は祈っていますとあまり書きませんが、「(その1)」に少し述べました。
「真っ暗な本堂に座り、供養法、ご加持法を行う。
 明日、夜が明けてから「大日法」「不動法」「大師法」を結ぼうと思う。」
 通電した今、3時過ぎには起床し、被災者の無事安全のため、亡くなられた方々を弔うため、修法しています。
 Aさんが「励まし」の言葉がないとご不満を感じられたなら、私の未熟さのなすところであり、深くお詫び申し上げます。
 実は締めくくりとして最後に予定していた「(その7)」が〈励ましの稿〉なのですが、ここまでの間、思慮が足りなかった点もまた、深くお詫び申し上げます。

 もう一つは、〈今〉を、原発問題だけでなく深い意味で非常事態と感じている点です。
 ご葬儀では、死者へはこの世とあの世の区切りをつける法を結んで引導を渡し、生者へは死者と共に生きて人間的に向上するお話を申し上げます。
 それはまったく別ものです。
 しかし、この事態にある私たちには、そうした区切りがないと感じています。
 亡くなられた人々、私も含め生きている人々、そして震災のさまざまな影響を受けて急速に生と死の縁へ向かっている人々は、非常事態を共有しています。
 だから、私にとって、亡くなられた人々のために供養を行うことも、生きている人々のために励ますことも、生と死の縁へ向かっている人々のために安全を祈ることも、そしてすべての人々のために省みることも同時進行となっています。
 Aさんが、「省みる」面ばかり強調されて思いやりが薄いと感じられたなら、私の未熟さのなすところであり、深くお詫び申し上げます。

○第四要点について

 宗教者ならまず祈る、そして原発などの諸問題は落ちついてから考察するべきではないかというAさんのご指摘に異論はありません。
 しかし、ここまで記した内容でお察しいただけたと思いますが、未熟な宗教者には順番どおりにできないこともあります。
 こうした未熟さが拙稿を目にされた方々へご不興、あるいはお怒り、あるいはご不満、あるいはご落胆などをお与えしたならば、心よりお詫び申し上げます。

○最後に

 石原慎太郎都知事は「日本人のアイデンティティーは我欲になっちゃった。アメリカ1 件のアイデンティティーは自由。フランスは自由と博愛と平等だ。日本はそんなもんない。我欲だよ。物欲、金銭欲」と言いましたが、私はまったく異なる見解を持っています。
 未曾有の危機にありながら国民が粛々と対応し、略奪や混乱のないこと、原発関係者はもちろん、医療従事者、福祉関係者、政府、各自治体、警察、自衛隊、消防庁、海上保安庁、あるいはボランティアなど、たくさんの国民が全力を尽くしていることを見れば、知事とは反対に「日本人ここにあり」と胸を張るべきではないでしょうか。

 原発の問題は、福島県民や避難している方々や日本人だけの問題ではなく、人類全体の問題です。
 戦後、奇跡的な復興を遂げた日本人は、あっという間に世界の先頭を走る国々の仲間入りをし、この問題では先頭を走る者の宿命として、文明の抱える業(ゴウ)を最も色濃く抱えてしまったというのが事実ではないでしょうか。
 私たちは先頭者だからこそ、実際に危機にあればこそ、率先して発想の転換をはかり使命をはたすべきではないかと考えています。

 こうした共業(グウゴウ)は私たち一人一人が一瞬一瞬のうちに積み上げて行くものなので、時節への配慮も少ないままに不遜な拙文を書きました。
 Aさん同様の感想を持たれた方々へは、心よりお詫び申し上げます。

 「(その7)」で書く予定だった〈励ましの稿〉は次回とします。
 ここまで読まれてなお、読んでみようかと思われたならば、どうぞご照覧ください。
 皆々様のご無事を祈っています。合掌

〈法の導き〉
230317101.jpg




「のうまく さんまんだ ぼだなん あびらうんけん」※今日の守本尊大日如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン


 
2011
03.16

東日本大震災 ─東北関東大震災・被災の記(その6)

 天変地異は不可抗力であり、人間のいかなるはからいをも、しばしば、やすやすと無にしてしまう。
 貞観(ジョウガン)11年(西暦869年)の「貞観地震」においても、津波で流された東北地方の方々は千人を超えたという。
 この世に別れを告げた人と、き残った人とを峻別したものは何か──。
 答は永遠に出ない。
 を分けたものの特定を許さないのが天変地異である。

 荒れ狂う暴風の前に、人間は一枚の木の葉でしかない。
 枝から離れずにいる者と、舞い落ちる者とは同じ位相にいる。
 二枚は、いずれがいずれであっても、おかしくない。
 津波に襲われてき残ったAさんが沖へ流されたBさんであってもおかしくない。
 さらに言えば、今、こうしてキーボードを叩いている私が、人知れず深海へ沈みつつある誰かであっても、ちっとも不思議ではないのだ。
 心からそう思う。
 まことに自然は峻烈である。

 一方、万の単位に上るであろう地震と津波による者の総数を遙かに超えておかしくないのが、原発事故の悪化によって放射能を受ける可能性のある人々である。
 識者が指摘しているとおり、半径~キロメートルなどというやさしい話ではなく、日本全土が汚染され、あるいは25年前にロシアのチェルノブイリ原子力発電所で発した事故の時と同じく、世界中へ放射能がまき散らされるかも知れない。
 まさに「ダモクレスの剣」が落ちるばかりになっているが、日本人の頭上に〈原発という剣〉を吊したのは他ならぬ日本人であり、ひいては現代人であることを深く省みなければならない。
 この省察は、日本人よりも早く、すでにドイツなどの国々において始まっている。
 私が
「原発のメルトダウン(炉心溶融)は日本が廃墟となる日へのカウントダウンかも知れない。
 しかし、世界がき残り、生き残った人々にとってこの事故が深い教訓となれば──、それもやむを得ない。」
と書いたのはこのことである。

 確かに地震の規模は〈想定外〉だったことだろう。
 しかし、過去に起こった地震の記録を調べて対策を講じた程度のことで、日本中をあるいは世界中を放射能で汚染しかねない原発の運転を安全であると断定し、いつ悪魔に転ずるかわからない神のように高性能な道具を制御し得ると判断したのは人間の仕業である。
 日本始まって以来未曾有(ミゾウ)の危機を招いた〈原因〉はあくまでも原発の開発・運転にあり、地震は〈縁〉であったことを肝に銘じたい。
 直接的原因である〈因〉と、間接的原因である〈縁〉とを取り違えてはならない。
 こうした取り違えをこそ、般若心経は「顚倒(テンドウ)」という。
 だから、原発事故による被害は、正確には「天災」でなく、「人災」に分類すべきである。

「そんなことを言うなら、橋が落ちたのも、船が流されたのもすべて人災なのか?」と問う声が聞こえてきそうだが、橋や船と原発は次元の違う存在だ。
 橋の問題は通る人の問題であり、船の問題は乗る人の問題だが、原発は人類全体の問題であることを認識せねばならない。
 人間が〈一面は神、一面は悪魔〉であるこの道具を思うがままに使いこなせると考えるところに現代文明の傲慢さがある。
 人間など、水道が出なくなれば、電気が通らなくなれば、電話が通じなくなれば、ガソリンやガスがなくなれば、たちまち、立ち往生する。
 東日本の太平洋側は、あっという間に、飲み水に困り、食糧に困り、治療に困り、薬に困り、暖に困り、伏す床に困る人だらけになった。
 水も食糧もなく摂氏0度の環境に裸で放り出されたならば、たった一ヶ月も自分のいのちすら保てない。
 こんな脆弱な人間が神や悪魔を思うがままに仕えさせるなど、土台、分を越えた欲だったのだろう。

 混迷深いアフガニスタンにおいて貧困層の医療に献身的な情熱を注ぎ、20年以上もの長い年月を過ごしている医師中村哲氏の血を吐くような警句を思い出す。

「我われの敵は自分の中にある。
 我われが当然とする近代的生活そのものの中にある」

 現代文明にどっぷりと浸っている私たちは、ここで立ち止まろう。
 プラント建設を〈原因〉とし、想定外の地震を〈縁〉として生じた原発事故の帰趨にかかわりなく、何としても立ち止まろう。
 
[補遺 ダモクレスの剣
 古代ギリシャの話である。
 ディオニュシオス王の境遇を讃えた臣下ダモクレスは、ある日、王が催す豪華な宴に招待された。
 ダモクレスがふと天井を見上げると、細い糸に吊された剣がぶら下がっている。
 王は、ダモクレスへ王の座が常に危険にさらされていることを示したのである。

 今、私たちの文明は、いかなる剣を自らの頭上へ吊しているのか。
 指折り数えるほどありはしないだろうか……。

〈雪の世界〉
230316 012

〈雪にまみれて餌を探す彼の真剣さは他人ごととでない〉
230316 015




「おん さんざんざんさく そわか」※今日の守本尊勢至菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン



2011
03.16

東日本大震災 ─東北関東大震災・被災の記(その5)─

 一寺院における東北関東大震災被災記録である。

【五日目(3月15日)】

 修法したりブログを書いたりしているうちに朝食の時間がなくなり、カロリーメイトを助手席へ放り込んで枕経のお宅へ向かう。
 農村で苦労しつつ建てた老夫婦の家は、土間にも廊下にも柱にも生活と歴史が染み込んでいる。
 作法通りに横たえられたご遺体は、顔にかかっているまっ白な布が尊厳をいっそう引き立たせている。
 不動明王の結界を結び、打ち合わせに入るが、故人のお人柄を聞く程度しかできない。
 とにかく斎場の様子がわからず、火葬の日取りが決められない。
 結局、当山の日程に合わせて先にご葬儀を行い、あとは斎場の順番待ちとなった。
 携帯電話が通じないので当山の予定が確認できず、葬儀を担当するJAの担当者を先導して帰山する。
 ところどころで一車線を塞いで車が数珠繋ぎになっているのは、ようやく開いたスーパーやガソリンスタンド近辺である。

 ご葬儀の日程が決まった時、石材業者のAさんがこられる。
 大規模に被災した七ヶ浜に社員がいるAさんは、知り合いからバイクを借りて駆けつけた。
 沿岸部を走ってみたが、町も村も寺院も墓地も想像を絶する壊滅ぶりだった。
 途中の状態はとても詳しく説明できないと剛胆なAさんが目を伏せる。
 水に浸かった家で、柱にもたれかかり事切れているご遺体を見たが、どうしようもなかった。
 漁師の話によると、流れ着いたご遺体はましな方で、海上保安庁や沖合の米艦が引き上げているご遺体は見られない状態だろうという。
 崩壊した店舗の中や瓦礫の隙間を(アサ)っているとしか思えない人もいたが、誰も止めない。
 仙台市営のいずみ墓園は、地下へ排水網を張り巡らしたために液状化現象が起こり、無惨な状態になった。
 インター近くの宮城霊園では崖が崩れており、手をつける方法がない。
 Aさんの社員がいずみ墓苑で作業中、やっと完成したお墓から職人が離れようとした瞬間、地震が発生して墓誌が倒れかかってきた。
 必死に支えようとしたが身の危機を感じ、逃げた途端、墓誌は壊れた。
 すみませんと涙ながらに報告する職人を、Aさんは「よくやった」と慰めた。
 これからお彼岸を迎えるがまったくどうしようもなく、国家レベルでの支援がなければ崩壊した墓地の復興は不可能だろう。
 知り合いの養鶏場にたち寄ってみたら、餌が枯渇したために鶏が卵を産まなくなったし、このままではもうすぐ全滅するだろうという。
 山形県にも取引業者はいるが、往復するなど、とてもできない相談である。
 わずかばかり残っていた卵の話をしているところへ病院の車が来た。
 患者さんのために卵を譲ってくれと頼まれ、大量に渡した。
 自分もパック詰めで手にしたAさんは、帰り際、貴重な卵を当山へも分けてくださった。

 仙台の断水は続いているのかも知れないが、当山へはもう、誰も訪れない。
 ガソリンがないのだろう。
 私たち夫婦は、残っている米を炊いて食べている。
 しかし、米やプロパンガスがなくなったなら、ご近所さんから米を譲っていただき、薪を拾って炊こう。
 ライターがなくなったなら、木材を擦り合わせて火を起こそう。
 ご葬儀での移動は、当山の歴史が始まって初めて、送迎をお願いするしかなかろう。
 いずれにしても、原発の事故が最悪の事態になれば、あらゆる願いも努力も徒労となる。

 実に、すべては、「仮に今、有る」だけである。
 核分裂が連続的に起きる再臨界が始まれば、わずか数十年前にアメリカのビルをも買いあさった日本人がいた小さな島々は、誰も寄りつかない孤島となり、自然の力で放射能が減衰するまで無人の森となる道を転げ落ちるかも知れない。

 芥川賞作家であり、時代を先導してきた言葉の名手石原慎太郎東京都知事が言った。
「この津波をうまく利用して、我欲を1回洗い落とす必要がある。
 積年たまった日本人の心のアカをね。
 これはやっぱり天罰だと思う。
 被災者の方々はかわいそうですよ」
「日本に対する天罰だ。
 大きな反省の一つのよすがになるんじゃないですか。
 それをしなかったら犠牲者たちは浮かばれない」
 あまりの波紋の大きさに、撤回し、「深くおわびします」と陳謝したが、発言は失言でなどあり得ない。
 本音にまちがいない。
 日本人のありようを批判する発言に真実が含まれてはいようが、本人の立つ位置と表現に問題があった。
〈日本人〉には自分も含まれているという視点と謙虚さがなく、〈ダメになった人々〉をそちら側に置き、自分はこちら側に立っていた。
 また、これまでも石原氏が好んで使っていた「天罰」は、受け止め方がとても幅広い。
 後になって「日本に対する天罰だ」と説明されても、多くの人々は「被災者たちが天罰を受けた人々であると指摘された」と感じたはずである。
 そして、苦しんでいる人々へ天罰の一言はあまりにも無慈悲に響いたのだが、石原氏は、批判されてもこの無慈悲さをなかなか想像できなかった。
 彼の年齢のなせるわざか、それとも作家でなく政治家になって人間を観る視点が変わったのか、権力者に待っている陥穽へ落ちたのか、……。
 
 ここに至り、天災の翌日に記した思いがよみがえる。

「不可知の領域への畏敬の念が宗教心の核であるならば、私たちは、あまりに宗教心から離れすぎていたのだ。
 原発のメルトダウン(炉心溶融)が起こるとするならば、それは日本が廃墟となる日へのカウントダウンかも知れない。
 しかし、世界がどうやら生き残るならば、生き残った人々が深い教訓とするならば──、それもやむを得ない。
 地球上ではこれまで、崩壊するなどと想像されなかったはずの高度な文明がいくつも消滅してきた。
 識者は、いろいろと原因を探すが、よくわからないものが多いという。
 もしかすると、それは形のない心の問題だからではなかろうか。
 そうだとすると……。」


 何でも知り得る、何でもなし得ると「知」の領域を過信し、無限に便利さ、快適さ、そして儲けを追い求め、ささやかな「知」の領域の向こう側に広がる広大な世界へ無頓着になり、無視してきたことをこそ、思い起こし、知らぬ間に〈分〉を過ぎていたことに気づき、しっかり立ち止まりたい。
 現代文明の最先端を行く日本は、文明の宿痾(シュクア…抱えた病気)とも言うべき精神のしこりを背負っているのではないか。
 原発事故は、日本が犠牲になって、宿痾を世界中の〈共有者たち〉へ示す役割を果たすできごとではないか。
 美しい空気を吸い、汚染されていない水を飲み、安全な米を食べてこそ、心身は健全にはたらき、保たれ、社会も存続し得る。
 そして、そうした生存の基礎は私たち一人一人が全員でつくってゆかねばならない。
 宿痾を克服し、「知」の暴走をくい止めつつ。
 
 著書『みほとけは あなたのそばに』へ挿入したエピソードを思い出す。
 かつて娑婆で商売し、さかんに飲み歩いていた頃、妻と幼い子供たちを連れて低い山へ登ろうとしたことがある。
 軽装で道に迷い、天候が崩れ、遭難しそうになった。
 突然現れた完全防備の青年に救われたが、彼はお礼に渡そうとした紙幣を受け取らず、名も告げずに立ち去った。

「手で水をすくったとき、ポケットの紙は何の役にも立たなかった。
 それは、お礼として渡すこともできず、心底ありがたいと主ながらも、感謝は風船のように行き場を知らず、宙に浮いていただけだった。

 彼は、自分の足で真実世界に立っていた。私は、かりそめの世界の漂流者だった。
 できごとの真の意味が解るまで、十年以上を要した。
 持てる財と社会的立場をすべて失わねばならなかったのである。」

 
 自分の未熟さを怖れず、精進の足りなさをこそ畏れ、皆さんと手を携えて永遠に菩薩道(ボサツドウ)を歩み続けたい。
 ──たとえ、今すぐ文明の悪魔に命根を断たれ、この世での役割を終えようとも。

〈多宝塔へ善男善女によって納められた宝珠は、すなわち弘法大師、すなわち大日如来です〉
230314 027




「おん さんざんざんさく そわか」※今日の守本尊勢至菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン



2011
03.15

東日本大震災 ─東北関東大震災・被災の記(その4)─

 一寺院における東北関東大震災被災の記録である。

【四日目(3月14日)】

 いつも3時か4時に起床しているので、5時過ぎまで寝ているのは辛い。
 避難所で眠れない方々がたくさんおられるのに不謹慎だが、仕方がない。
 暖房を節約せねばならず、風邪もひけないので、布団の中で明るくなるのを待つしかない。
 ようやく起きて祈っていると新聞が届く。
 河北新報は14日号、読売新聞は13日号である。
 紙面については書かない。
 それにしても、毎日、律儀に広告が入っているのは奇異な感じがする。
 一体誰が「売り出し」へ馳せ参ずるのか。
 ラジオは東京電力の計画停電について報じている。
「この計画が成功し、順調に電力が供給できるかどうかは国民の協力にかかっています」
 国民生活が変わる。経済活動が変わる。日本が変わる。
 それにしても、圧倒的な比重で日本の命運を握っているのは、やはり、原発事故の帰趨である。
 政府の発表が慎重なだけに、危機は高まっているのだろうと思う。
 ラジオは励ましのメッセージも次々と流すようになった。
「東北がんばれ!」
 日本人の心はこのまま復興へ向かうのか、それとも「がんばれ」は一時の高揚と感傷で終わり、長い忍耐の時代が待っているのか。

 クロが朝からまとわりつく。
 餌も食べるようになった。
 もう、余震は大丈夫なのだろうか。
 それにしても、足許に近すぎる。
 やはり警戒しているのか。

 Aさん宅へパソコンを受け取りに行くが留守で「9時に戻ります」との張り紙。
 近くのBさん宅へ立ち寄ったところ、カー用の充電器を貸してくれた。
 ありがたい。
 充電しながら移動している途中、携帯電話が鳴る。
 急いで手に取ると、思いもよらず通じ、何と、ご葬儀の依頼である。
 昨年から相談に来られていたBさんが亡くなり、泉中央駅前の葬祭会館に安置されているという。
 枕経へ行く約束をして帰山したところへ、Cさんが弟さんと娘さんを連れて応援に来られる。
 ご実家は津波による被害が最も激しい地域のひとつ陸前高田市で、やや高台にある実家は大丈夫かも知れないが本家はだめだろうとのこと。
 もちろん、故郷の誰とも連絡はついていない。
 靴を脱いで共同墓『法楽の礎』の基壇に登り、微妙にあちらこちらを向いた十三仏様の向きをなおし、パッキンをかる。
 適度に柔軟性のある接着剤でとめられていたので、動いても落ちなかったのだろう。
 唯一、基壇から落ちたのがお不動様だったのは、奴僕(ヌボク…奴隷)の心がそうさせたに違いない。
 それにしても、安定性が薄い小さな円筒型の壇上にある大きな大日如来が後ろ向きになってもほぼ、位置を変えず、基壇から落ちなかったのには、あらためて驚く。

 建物を造ってくださった(株)寺院サービスの社長が、棟梁を伴ってチェックにこられた。
 ご本尊様もお大師様もお不動様も、そして壁の側面に祀った150体の守本尊様方も無事だったのにはさすがに感激された様子で、念入りにお詣りされた。
 建物は天井の照明がつり下がったり、100坪ある建物を支える基礎の4隅がやや欠けた程度で、ピンとしている。
 柱も梁もあの激震に耐え、よくこれだけ大きな空間を守ってくれたものだ。
 技術の確かさに一層、信頼を深める。
 当山の建設にも尽力してくださった浜辺に住む職人さんと連絡がとれず、海岸近くに建てた寺院などはすべて助かっていないだろうという。
 見に行こうにも道路は通れず、ガソリンも少なく、なすすべがない。
「材木の手当も、職人の確保も、事務所の後片づけもどうにもならず、これからのことは何も考えようがありません」 

 昼食を摂る間もなく、空きっ腹のまま会館へ向かう。
 通電しているが照明はつかず、もちろんエレベーターも動かず、水も出ず、担当者は皆、私服である。
 着替え用にと通された部屋は、天井から落ちた煤が机も床も埋め尽くしている。
 長期間に渡って闘病を続けた方が亡くなり、覚悟していたとはいえ、皆さん、放然としておられる。
 無事赤ん坊が生まれた報道もあったが、実に、人の生死は時を選ばない。
 いつもどおりに不動明王の結界を張って御霊をお守りし、枕経の意味をご説明申し上げる。
 今後の日程は決めようがない。
 斎場と電話がつながらず、焼却炉の破損状況もわからないからだ。

 交通量がいつもの半分もなく、交通信号もところどころ消えている町を速やかに通過して帰山する途中、東北電力関係の工事を行う(株)ユアテックの車が何台も停まっており、間もない通電を確信する。
 インスタントラーメンをかき込み、妻を外回りに出してまもなく、メモをとっている机の脇で印刷機がクーッと音を出す。
 通電だ!
 デスクトップパソコンに走り、ロープで縛るなど安全な形に固定してからスイッチを入れる。
 画面を表示したままで重いハードディスクがキーボードを直撃しており、データの保存は絶望的だった。
 保存状態によってこれからの寺務が天と地ほどに違う。
 意外にも、檀家管理や機関誌などのデータはすべて生きていた。
 ブログもメールも大丈夫。
 溜まっていた山ほどのメールにまたまた感激して、涙があふれる。
 連載中の原稿2本を一気に仕上げ、2社へ送信する。
 以前の〈日常生活〉が一気に復活する。

 夕刻、B家同様、以前から相談にこられていたDさん夫婦が現れる。
 ご母堂様が亡くなられた。
 どんなに辛い時も笑顔を絶やさず、子供好きだった母親を盛大に送りたかったがどうしようもなく、自宅での家族葬にしたいという。
 明日の枕経を約束する。

 修法を終え、夜、久々に妻と並んでテレビの前に座ったが、お互いに無言。
 原発事故は案の定、悪化の一途をたどっている。
 電話はどこともつながらない。
 さっき、どうしてB家と話ができたのだろう。
 余震は続く。
 普段なら飛び起きるような強さでも、もう、慌てない。
 クロも逃げない。
 慣れとはこういうものか。
 ミシミシと一枚づつ壁が鳴り、だんだん揺れる場合は震源地が遠いのだろう。
 ドシンと来るのはもちろん近い。
 ゴーと地鳴りがしてから揺れる場合はどうなのか。
 ふり返ってみると、慣れた反面、これまでとはけた違いに、敏感になっている。
 私がこの状態であるならば、神経の細やかな方々のお気持はいかなる状態なのか。
 また、あの方、この方と思い出す。
 揺れが少なくなり、眠った。

〈細いテグス糸が張ってあるとはいえ、棚に固定されていなかったにもかかわらず一体も飛び出さなかったのは本当に不思議〉 
230314 012

〈身代わりとなって共同墓の基壇から一体だけ落ちたお不動様〉
230314 022




「おん さんまやさとばん」※今日の守本尊普賢菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン


2011
03.15

東日本大震災 ─東北関東大震災・被災の記(その3)─

 一寺院における東北関東大震災被災記録である。

【三日目(3月13日)】

 払暁、夢を見る。
 ジャンパー姿をした中年の男性が相次いで6人、現れては消えた。
 顔は判然としないが、布施行や持戒(ジカイ)行を導いてくださる六波羅密菩薩(ロッパラミツボサツ)様であると確信した。
 なぜなら、お一人が現れるたびに、それぞれ「布施」「持戒(ジカイ))」「忍辱(ニンニク)」「精進(ショウジン)」「禅定(ゼンジョウ)」「智慧」と感じたからである。
 そして、本地垂迹(ホンチスイジャク)が真実であることも知った。
 日本における神々は、み仏方が化身となって現れた権現(ゴンゲン)であるとするのが本地垂迹(ホンチスイジャク)説である。
 お不動様も、お地蔵様も、観音様も、さまざまな形をとって私たちをお救いくださると経典に銘記されている。
 ならば、み仏が日本の神々となり、神々が非常事態に際して被災現場ではたらくジャンパー姿の屈強な男となられて何の不思議があろうか。
 この国難を乗り越え、原発から放たれるであろう放射能の悪魔に耐えきれたならば、六波羅密菩薩(ロッパラミツボサツ)様を本堂に祀り、天神地祇(テンジンチギ)を祀る神社も建てたいと願う。

 文字が読めるまで明るくなるのを待って、「大日法」「不動法」「大師法」を修する。
 また、河北新報が届いた。
 読売新聞の12日号も届いた。
 朝日新聞はこない。

 墓石業者のAさんが見回りにきてくださった。
 人の背丈ほどもあるお地蔵様やお大師様が倒れているのを見て言葉を失う。
 私と二人で起こせるわけもなく、人力でできることは限られているが、足をはこんでくださったのはとにかく、ありがたい。
 安部屋さんで石倉地区に通電したことを聞いて、携帯電話の充電に走る。
 かつて講演したことのある集会所近くのお宅へ飛び込んだ。
 ご近所の方々が集まって注視しているテレビの画面に驚いた。
 かつて、写真でも見たことがなく、想像もできなかった光景が延々と流されている。
 しかし、今、ここで生きている人々は普段通りの雰囲気で言葉を交わす。
「ヤマザワではレジが仕えないから、ジュースなどは皆、百円均一で売ってくれたよ」
「今、子供たちがリュックを背負って犬たちの餌を探しに行っている」
「ガソリンスタンドでもどこでも、皆、ちゃんと並んでいたよ。日本人で良かったと思うね」

 電気も水もない娘がご飯をもらいにくる。
 Bさん親子が水をもらいに来て、米をといで帰った。
 純和風建築のお宅は壁と瓦がすべて落ちたという。

 Aさんがもう一度来て、できる限りの修理をやってくださる。

 Cさんが水をもらいに来る。
 常々、足が遠ざかっていたことを詫び、墓所の年間管理料を納める。
 近々に予定している年忌供養の打ち合わせをした。
 何となく現実感がない。
 本当にこのまま、予定通りやれるのだろうか。

 近くまででかけているうちに、利府町の墓石業者Dさんがご夫婦で来られたという。
「何でも申しつけてください」と名刺を残された。
 ありがたい。

 AさんとCさんがまた、水をもらいにくる。

 Dさんのあたりでも通電したと聞き、ペットボトルの水を土産としてノートパソコン、携帯電話、カメラの充電に向かう。
 夕べは水も電気もなく、近所の息子さん宅へお嫁さんと孫の様子を見に行ったので、たった今、帰宅したら電気が点き、掃除にとりかかったところだという。
 大阪に出張している息子さんは東京までは戻ったが、そこから北へ向かう手段がないらしい。
 Dさんご夫婦は後片づけに余念がなく、仏壇の前でご供養している間の充電だった。

 帰山してメモの作成にとりかかったが、間もなくOFFとなった。
 携帯電話も通じず、役に立たない。
 もう一度Dさん宅を訪ね、充電のためパソコンを一晩泊めていただく。
 Dさんは明朝6時前に会社へ向かうらしい。
 帰山すると、ラジオから政府の要望が聞こえる。
「電気の供給が危うい。不要不急の電気を使わぬよう、産業界も一般家庭も協力して欲しい」

 文字が見えなくなるまで修法する。
 おそらくは数万人にものぼるであろう犠牲者の菩提を弔うにはあまりに微力だが、ただ、やるしかない。
 やらないではいられない。
 ああ、あの人も、あの人も、無事だろうか……。

〈忍辱波羅密菩薩(ニンニクハラミツボサツ)は鏡を持つ。
 すべての現象は鏡面に映ったも影像のように確たる存在ではなく、鏡に映す菩薩の微笑のみが真実である。〉
 
ninnniku.jpg




「おん さんまやさとばん」※今日の守本尊普賢菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン


2011
03.15

東日本大震災 ─東北関東大震災・被災の記(その2)─

 昨夕、4日ぶりにメールを開いてみて感激しました。
 存じ上げている方々からも、見知らぬ方々からもたくさんの安否を問い、励ますお便りが届いていたからです。
 今から急逝された方の自宅葬に駆けつけねばならず、すべての方々へご返事を書けるのがいつになるかわかりませんが、失礼ながらここで皆さんへ心よりお礼申し上げておきます。
 本当に本当にありがとうございました。

 昨夜、テレビを見て絶句しました。
 瓦礫の山と化したふるさと南三陸町を眺める被災者は「何も考えられません」と放心したように語っていました。
 Aさんもこんなメールを寄せられました。
「Aです。
 住職ご夫妻共に御無事で何よりです。
 こちらも夫共に無事です。
 幸いにも大きな被害はありませんでした。
 地震発生と同時に自分が無意識に『不動明王』の真言を唱えまくっていたことには驚きです。
 神も仏も信じなかったはずなんですが・・・・。(笑)
 状況はまさに『神も仏も~』という感じなんですが、仏とはヒトの『仏性』のことなんじゃないかとかいろんなものが見えてきていて穏かに過ごしていた矢先の出来事でした。
 この先のことなどどうなるか分からない状況ですが、局地的にマグニチュード10位の出来事を経験した(?)自分は驚くほど静かな心境です。なんなんでしょうね…。」
 今はただ頭を垂れ、手を合わせるしかありません。
 しかし、実は、この〈静けさ〉こそが、私たちの失いつつある大切な心のありようなのではないでしょうか?

 それにしても、電話がほとんどつながらないので皆さんの安否がわからず、心配でなりません。
 無事を祈っています。

 以下、当日のメモを書きとめておきます。




【二日目(3月12日)】

 朝、河北新報が届いたのには驚き、今朝まで続いた大揺れの中で必死に原稿をまとめ、印刷し、配送したプロ根性には心底、脱帽の思いである。
 昨日、ビルにあって肝を潰すほどの揺れを感じながら一時たりとも音声を途切らせなかったラジオ局の方々、そして新聞関係の方々は私たちの誇りである。

 修法中にBさんが来山された。
 車イスの奥さんと買い物をしていて地震に見舞われ、地下売り場から階段を登る時、周囲の人々が我先に手伝ってくれたという。
 車が駐車場から出せなくなり途方に暮れていたら、バッタリ会った昔の部下が、車を貸してくれた。
 暖房がないので薬局へ行ったらもう何もなくガッカリしていたら、車イスを見た店長が独断で「寒いでしょうから、これを使ってください」とホッカイロをくれた。
 
 丹野君がやってきて、寺務所の整理にとりかかってくれた。
 いつものことながら仕事は手早い。

 寺子屋の予定も、「ゆかり人の会」の役員会の予定も、もちろん、自然消滅である。
 問い合わせの電話すらつながらない。

 娘が孫を連れて石油ストーブを探しにやってきた。
 以前使っていた古い本堂に一つあったが、建物の土台は崩れ、割れたガラス戸も外れているという。
 電気も水道もなく、一家4人、どうしようもない。
 後から、土鍋で炊いたご飯をおにぎりにして届けた。
 皆さんからいただいた米がたくさんあったのでその点は安心だった。
 いざとなれば川から水を汲み、薪を拾って炊けばしのげる。
 托鉢の日々を思い出す。
 一握りの米や一個のリンゴや一枚の硬貨をいただき、一つの缶詰を妻と分け合って食べたあの頃、米があるということは安心の土台だった。
 私たちの生活は、米を作る環境が近くにあって初めて真の安心を得られ、心の健全さも保たれるのではなかろうか。
 日本中を、あるいは地球上を地域ごとの役割によって分割し、無限に発達する交通網や輸送網で便利に結べばよいという考えは幻想ではないか。
 おいしい米とそれを育てる自然環境が確認できる安心以上、心身にとって必要性の高いものがあろうか。

 東電の福島第一原発2号機で原子炉の水位低下が始まり、近隣住民へ避難指示が出た。
 私には「やはり」としか思えない。
 東京都墨田区の新電波塔「東京スカイツリー」建設に、私たちの文明が色濃く孕む傲慢を感じる人は、あまりいないのだろうか。
 訝(イブカ)しくてならない。
 最近、どこかで、故内田百(ヒャッケン)の名句「なんでも知っている馬鹿もいる」を久方ぶりに目にした。
 モノを知っているだけでは人間としてどうにもならないという意味だったと記憶するが、私には、〈知り尽くしていると考える危うさ〉への指摘とも受け取れる。
 そもそも、真摯に知ろうとすればするほど、知っていない領分が広がっていることに気づくはずである。
 名医は言う。
「自分の力などで病気は治せない。患者さんの自己快癒力が高まるよう、わずかなお手伝いをさせてもらっているだけである」
 不可知の領域への畏敬の念が宗教心の核であるならば、私たちは、あまりに宗教心から離れすぎていたのだ。
 原発のメルトダウン(炉心溶融)は日本が廃墟となる日へのカウントダウンかも知れない。
 しかし、世界が生き残り、生き残った人々にとってこの事故が深い教訓となれば──、それもやむを得ない。

 地球上ではこれまで、崩壊するなどと想像されなかったはずの高度な文明がいくつも消滅してきた。
 識者は、いろいろと原因を探すが、よくわからないものが多いという。
 もしかすると、それは形のない心の問題だからではなかろうか。
 そうだとすると……。

〈寄り添って〉
230314 015




「おん さんまやさとばん」※今日の守本尊普賢菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン


2011
03.14

東日本大震災 ─東北関東大震災・被災の記(その1)─

 皆さん、法楽寺は生きています。
 ご本尊大日如来様も、お不動様も、お大師様も無事です。
 墓地も多少のことはありましたが、ほとんど大丈夫です。
 東日本大震災は未曾有の天災でしたが、住職夫婦も無事です。
 ご心配をおかけしました。
 こうしてまた、皆さんへ仏法のメッセージを発信することができて、感激にたえません。
 これはすべて、仏神のご加護と、皆さんのお心のたまものです。
 皆さん、本当に、ありがとうございました。

 当山の墓苑をお守りくださる石像のお地蔵様やお大師様やお不動様、そして五輪の塔や灯籠などは、墓石のほとんどが無事であったことと我が身をひき替えるかのように、倒壊し尽くしました。
 たくさんのご縁をいただいている共同墓『法楽の礎』は碑盤一枚落ちることなく、まったく無傷です。
 ご縁の御霊がすべてお守りいただいたことは一段の感激です。
 ただし、十三仏様のお不動様が倒壊し、根本仏大日如来様はクルッと後ろ向きになりました。
 今まで西を向いておられたのに、津波が来た東を向かれました。
 救いを求める人々の叫びに応えようとされたにちがいありません。
 
 それにしても沿岸部をはじめとする地域の方々の被災ぶりは言葉になりません。
 ついさっき、通電するまで、この3日間、文字が読めるかぎり「大日法」「不動法」「大師法」を重ねて修法していました。
 御霊方の安らぎのため、被災者の方々の安寧と再出発のため、そして、日本が再び力強く立ち上がるため、これからも修法し続けます。

 以下、後世のために、一住職の過ごした日々を記しておきます。




【一日目(3月11日)】

 3月11日午後2時30分過ぎ、宮床郵便局にいると突然強い地震にみまわれ、立ち話をしていた郵便局長と一緒にスタンドテーブルにつかまった。
「これは何なのだ」という感じで揺れがどんどん強まり、作業着を着た年配の男性と、野良着姿のお婆さんも木製のイスに座したまま「何だべねえ」とつぶやいた。
 局長は男女二人の若い職員へ「機材の下敷きになるなよ!」と指示したものの、動くこともできず、皆で「宮城県沖地震より強い」などと言葉を交わしながら、じっと弱まるのを待った。
 郵便局の機器はストップしたが、地震発生の直前にやりとりが終わっていたので、いつ届くかわからない数通の郵便物を依頼し、ずいぶん長かったなあと思いつつ、急いで帰山した。

 カーラジオは、
「10メートルを超える津波が予想されます!」
「すでに到達していると思われるところもあります!」
と、緊迫した調子で報じている。
「来るべきものが来た」
 すっかり観念し、舞い始めた吹雪をついて寺に着いたとたん、また、大きな揺れに襲われた。
 ちょうどAさん親子が参詣しておられ、妻と4人で立ったまま、ご本尊様が揺れるのを眺めた。
「さっきはもっと凄かったんですよ!
 ご本尊様が凄く揺れて、倒れるかと思いました」
 Aさんに言われ、あらためてよく見ると、ご本尊様は以前とまったく同じ位置におられ、正面のお大師様も、右横のお不動様も向き少しを変えただけで倒れてはいない。
 外陣両側の壁にお祀りしてある150体の守本尊様方も、一体残らず無事である。
 ありがたいと手を合わせる間もなく相次いで余震が襲来し、ご主人を自宅に残したままのAさんは、電話が不通と知って飲みかけのコーヒーを流し込み、急いで帰宅した。

 コーヒーを飲んで一息つき、ご本尊様を金色に輝かせていたライトが消えて暗くなった内陣へ入った。
 お不動様右脇のコンガラ童子は壇上におられた。
 左のセイタカ童子は床へ落ちていたが、異常ない。
 握った掌の空間を通っていた細長い木製の金剛杖は手から抜け出て遠くへ飛び、折れていなかった。
 ご本尊様の前机にある高さ1メートル半ほどの常華などはすべて倒れていた。
 位牌棚へ行ってみたら、ほとんどが倒れたり床へ落ちたりしていた。
 自分で手作りしたあまり奥行きのない粗末な壇ゆえ、申しわけないとの思いに頭を垂れ合掌した。
 余震が続き、まだまだ予断は許さないが、又落ちるかも知れないからといってそのままにしてはおけず、できる限り元へ戻した。

 境内地を見回る。
 共同墓は碑盤一枚落ちず、個人のお墓も大震災の割には、大した被害ではない。
 ただし、十三仏の主尊大日如来は不思議なことにまったく後ろ向きになってしまった。
 落ちているのは不動明王だけである。
 弘法大師、身代わり地蔵、灯籠、五輪の塔も倒壊した。
 身代わりとなって御霊方をお守りくださったのではなかろうか。

 パソコンのハードディスクなどが倒れ、印刷機は居場所を変え、手のつけようがないほどの惨状となっている寺務所の片付けに着手したころ、見に見えて陽がかげり始めた。
 袈裟衣で修法壇へ上がれる状態ではないので、暗くならないうちにジャンバーを着たまま、数珠を手に参拝者の座る場所で修法していた時、丹野君が着た。
 彼は、塩釜市に住む両親のうち、母親はデイサービスの日なので比較的安心だが、一人で家を守る父親と連絡がとれず心配だ。
 しかし、車で行ってみようにも大被害があった沿岸部方面ではどうにもならない。
 明日、明るくなってから会社の様子を見た上で向かうという。
 水道は使えるが電気と電話が止まった。
 ガスはプロパンなので復旧ボタンを押し、妻が土鍋で炊いたご飯を丹野君へ持たせ、早々に帰宅させた。
 
 携帯電話を開けてみるとBさんから何度も着信している。
 折り返し電話をしてみるが通じない。
 Bさんの奥さんは人工透析を行っているので、もしかしてどこか紹介してくれないかという切迫した状態ではないかと心配だ。
 ラジオからは想像を絶する状況が報告され続けている。
 何度もくり返し
「あっ。また大きな揺れがきました!皆さん落ち着いてください!どうぞ声をかけ合って待避してください」
と訴えている。
 おそらくアナウンサーのいる部屋は地上何階かであろう。
 落ち着いてくだいは、きっと、自分への言葉でもあるだろうと思いながら、逃げない人の心に合掌した。
 停電したままで、携帯電話も通じない。
 ローソクを届けるため、真っ暗になった道を長女の家へ向かう。
 もうすぐ80歳になる地元のCさんが何事もなかったかのように、いつも通り、犬を散歩させている。
 太平洋戦争を生き延びた人生の達人はやはり、違う。

 愛猫クロは隠れっぱなし。
 たまに顔を見せても飲まず食わずで、小刻みな震えが止まらない。
 デリケートなのだ。
 それとも、もっと大きな地震がくるのだろうか。

 真っ暗な本堂に座り、供養法、ご加持法を行う。
 明日、夜が明けてから「大日法」「不動法」「大師法」を結ぼうと思う。

〈すっかり後ろ向きになった大日如来
230314 0012

〈ヒゲも剃れませんが、頑張っています〉
230314 04022_edited-1




「おん さんまやさとばん」※今日の守本尊普賢菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン


2011
03.11

僧侶の懺悔(その1)

 僧侶や寺院が厳しい目を向けられている昨今ですが、私はこの道へ入って間もなく、一読してガーンと殴られたような気がした文章を大切にしています。
 真言宗智山派や豊山派などの始まりとなった改変者興教大師(コウギョウダイシ)覚鑁(カクバン)様が書かれた「密厳院発露懺悔文(ミツゴンインホツロサンゲノモン)」です。
 何やら難しそうですが、ゆっくり読めば内容は簡明で誰にでも理解でき、自分の至らなさを省みさせないではおかない迫力があります。

 お大師様の再来とまで称された覚鑁(カクバン)様は、僧侶が堕落している状況を嘆き、真言宗総本山金剛峰寺内の自坊「密厳院」にて3年もの間無言の行に没頭し、行を終えてすぐ、この文章を一気に書き上げました。
 後に、反対する勢力によって高野山を追われた覚鑁(カクバン)様は新しい派をつくり、文章を誓いの経文として定着させました。
 この経文はもちろん僧侶への戒めですが、当然、人の道を歩むべきどなたにとっても自分を見つめ直すポイントとなるものです。
 今からおよそ900年前、筆の先から不動明王の火炎をほとばしらせつつ書かれた名文を読んでみましょう。

「我等(ワレラ)懺悔(サンゲ)す。
 無始よりこのかた妄想(モウゾウ)に纏(マト)はれて衆罪(シュザイ)を造る。
 身口意(シンクイ)(ゴウ)、常に顛倒(テンドウ)して、誤って無量不善の(ゴウ)を犯す。
 珍財を慳悋(ケンリン)して施を行ぜず、意(ココロ)に任せて放逸にして戒を持せず、しばしば忿恚(フンニ)を起して忍辱(ニンニク)ならず、多く懈怠(ケダイ)を生じて精進(ショウジン)ならず、心意(シンニ)散乱して坐禅せず、実相に違背して慧(エ)を修せず。
 恒に是の如くの六度の行を退して、還(カエ)って流転三途(ルテンサンズ)の)を作る。」

(私たちは、以下の状態を悔い改めます。
 遙かな過去から現在に至るまで、真実に背いた自己本位の誤った妄想にとらわれて、さまざまな罪を犯してきました。
 身体も言葉も心も、そのはたらきは真実に背き、たくさんの誤った正しくないを積み重ねてきました。
 豪華な財物を集めるばかりで布施をせず、気ままに生きて戒律を守らず、たびたび怒って忍耐をせず、修行を怠って努め励まず、心は散乱したままで瞑想を行わず、真実のありように背いて悟りの智慧を修得しようとしない。
 いつもこのように、布施行や持戒行など六つの修行から離れ、悟りへ向かうどころか、地獄や餓鬼や畜生の三悪道へ堕ちる悪をつくっています。)

 すさまじい懺悔です。
 ご縁の方々の気持に寄り添わず、自己中心になってはいないか?
 財物を蓄えるばかりで、困った人々へ手を差しのべることを忘れてはいないか?
 気ままになり、よこしまなセックスや、つまらぬ怒りや、貪りにとりつかれてはいないか?
 いっさいの仮面をつけず、自分を含めた聖職者たちのありのままの様子を、心からみ仏へ披瀝(ヒレキ…申し述べる)しています。
 これは、悟らない限り陥って抜け出られない迷いの状態にあるのは万人共通の姿だけれども、迷いから脱するための修行に励むべき僧侶もまた、同じ姿のままであるという強烈な指摘です。
 護摩堂で修法中の覚鑁(カクバン)様を襲った暴漢たちは、猛火の中におられるお不動様と行者の場所におられるお不動様とまったく同じになっているありさまに驚き、畏れ、退散したとされていますが、まさにお不動様の憤怒が懺悔と一体になってほとばしる経文です。

 最高の叡智を謳われた傑僧(ケッソウ…抜きんでて優れた僧侶)が「我等懺悔す」と書き始めた時の気持を思うと、小学生が厳しい先生の前に立つような神妙な思いになります。
 以下、読み進みます。
 共に人の道を歩もうとする皆さんもそれぞれ、我が身をふりかえってみませんか。

〈たくましき者〉
230311 001





「のうぼうあきゃしゃきゃらばや おん ありきゃ まり ぼり そわか」※今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン

 
2011
03.10

宗教に救われる道筋

 宗教とは、安心と喜びと納得と生きがいを持って自他共に幸せに生きられる心になるための真理原理を与える〈修行を伴った思想体系〉です。
 そこには、
①説かれている道理真理として納得し感得する
真理のレベルでよきイメージをつくる
③よきイメージに生きる
という段階があります。
 そして、よきイメージはさまざまな苦を解消させる力を持っています。
 たとえば、愛する相手との別れも、憎い相手とのめぐり逢いも、たった二つの真理が腑に落ちていれば、乗り越えられます。
「自分もこの世も根本的なありようは苦である」
「あらゆるものは変化する→誰でもそのうちに死ぬ」
 だから、〈知って、イメージを育てること〉が宗教を生かし、宗教に生かされる道です。
 当山で行っているイメージ創りの一部です。

○人生の目的とは

理趣経(リシュキョウ)百字偈(ゲ)】

こよなき智慧の ひじりらは
いましこの世の つきるまで
つねに救いの わざをなし
涅槃(ヤスライ)にゆく こころなし。
般若(メザメ)と方便(テダテ) たぐいなき
加持(メグミ)のちから てり映えて
この世のまよい すべてみな
きよけきものと なりぬべし。
大欲(タイヨク)などの ちからもて
世のなかきよめ 調えて
この世の涯(ハテ)の 辺際(ハテ)までも
すべてのまよい つくさなん。
蓮華(ハナ)に深紅(シンク)の いろあるも
泥のけがれに 染まぬごと
けがれに染まぬ 大欲(タイヨク)は
あらゆるものを すくいなす。
きよき大欲(タイヨク) あるゆえに
安楽(タノシミ)ありて 富みさかえ
この世のなかに おもうまま
すくいのねもと 堅(カタ)むべし。


真理とは

四諦(シタイ)】

我ら苦にあり。
苦には因あり。
苦の因を滅すれば苦なし。
苦を滅するに道(ドウ)あり。」


①苦(ク)…自分もこの世も根本的なありようは苦である
②集(ジュウ)…苦には原因がある
③滅(メツ)…原因を滅すれば苦はなくなる
④道(ドウ)…苦を滅するには方法がある

○この世とは

【四法印(シホウイン)】

この世に常(ジョウ)なるものなし。
あらゆるものに実体なし。
この世も我が身もままならぬ。
煩悩(ボンノウ)を大欲(タイヨク)に変え、平安を得ん。

①諸行無常(ショギョウムジョウ)…あらゆるものは変化する
②諸法無我(ショホウムガ)…あらゆるものに不変の実体はない
③一切皆苦(イッサイカイク)…この世も人生もままならない
④涅槃寂静(ネハンジャクジョウ)…煩悩の業火が消えれば絶対の安心が得られる

○歩むべき道は

八正道(ハッショウドウ)】

我、見解を正しくせん。
我、思考を正しくせん。
我、言葉を正しくせん。
我、行動を正しくせん。
我、なりわいを正しくせん。
我、精進を正しくせん。
我、臆念(オクネン)を正しくせん。
我、心身を正しく整えん。


①正見(ショウケン)…正しい見解
②正思(ショウシ)… 正しい思念
③正語(ショウゴ)… 正しい言語行為
④正業(ショウゴウ)…正しい身体的行為
⑤正命(ショウミョウ)…正しい生業(ナリワイ)
⑥正精進(ショウショウジン)…正しい努力
⑦正念(ショウネン)…正しい臆念
⑧正定(ショウジョウ)…正しい心のおさまり

○人間修行は

【六波羅密(ロッパラミツ)】

我、水のごとく、素直に、他を潤し、心の汚れを洗い流さん。
我、塗香(ズコウ)のごとく、自他を清め、浄戒(ジョウカイ)そのものになり果てん。
我、雨風に負けず咲く花のごとく、堪え忍び、心の花を咲かせん。
我、線香のごとく、たゆまず、怠らず、最後までやりぬかん。
我、己を捨てて食べ物となる生きものに感謝し、心身を整えん。
我、灯明のごとき智慧の明かりで道を照らし、まっすぐに歩まん。


①布施は水の心
②持戒(ジカイ)は塗香の心
③忍辱(ニンニク)は花の心
④精進(ショウジン)は線香の心
⑤禅定(ゼンジョウ)は飯食(オンジキ)の心
⑥智慧は灯明の心

○養うべき心は

【四無量心(シムリョウシン)】

我、他へ幸せをもたらさん。
我、他の苦を除かん。
我、他の幸せを喜ばん。
我、他を平等に観ん。


①慈(慈愛)…相手の幸せを望む心
②悲(抜苦)…相手の不幸を取り除く心
③喜(随喜)…相手の幸せを自分の幸せと同じに喜ぶ心
④捨(浄捨)…相手に対するすなおで平静な差別を捨てた心

〈時ならぬ雪〉
230304 006




「おん ばざら たらま きりく」※今日の守本尊千手観音様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン

 


2011
03.09

真言の意味

 時折、唱える真言の意味を質問される場合があります。
 そもそも真言とは真実の言葉であり、み仏の聖なる言葉であり、それは、「まこと(真=言となっている)」なので、翻訳せず、そのまま唱えることになっています。
 だから、「三蔵法師(サンゾウホウシ)」として有名な玄奘三蔵(ゲンジョウ)の頃、インドから中国へ入った経典を翻訳する際に犯してはならない五つの不文律ができました。
 その第一が、「真言はみ仏の悟りの世界が直接言葉になったものであるから、翻訳せずに唱えねばならない」なのです。
 意味の探求に関しても、言葉の持つ真意にはレベルがあり、深意は、それを理解できるところまで修行できた者でなければ、せっかく師から聞いても無理解や誤解や曲解が生じる怖れがあるので、あまり説かれませんでした。
 実際、お大師様が真言の意義について説かれた『声字実相義(ショウジジッソウギ)』を読んでも、行者でなければ、ちんぷんかんぷんかも知れません。

 たとえば、ハチミツは身体に良いといかに詳しく説明されても、ハチミツが作られる過程をいかに詳しく説明されても、舐めてみない限り、ハチミツの〈いのち〉のところはつかめません。
 たとえば、体内から赤ん坊や宿便などを引き出す真言を知っても、信じて修行し、ギリギリの場面で実際に法を結ぶという体験がなければ真言は結局、意味を持たずその〈いのち〉をつかむことはできません。
 密教寺院である当山では当然、伝授された真言を含む法を修して逆子直しなどを行っています。

 信じて唱えなければ真実は明らかにならず、信じて唱えればどうなるか、お大師様は明確に示されました。

「真言は不思議なり観誦(カンジュ)すれば無明(ムミョウ)を除く、一字に千理を含み即身(ソクニン)に法如(ホウニョ)を証す」

(真言は不思議です。よく観て唱えれば我への執着から生じている迷妄が晴れます。
 たとえたった一字であっても言葉に尽くせぬほどの内容を含んでおり、そのままに真実世界を顕わにしているのです)
 亡くなった方をお送りする際に唱える真言の中に「ア」の一文字があります。
 もし、その意味は?と訊ねられても、一行者としては「確かに成仏していただくために唱えています」としか答えようがありません。

 ともあれ、勉強会で教えて欲しいとの強い要望があり、『真言陀羅尼』から抜粋、引用させていただいたものの一部を記しておきます。
 関心を持たれた方は、正しい唱え方を学び、正しく唱えてください。
 きっと、迷妄が薄れ、お救いの力を感得されることでしょう。

【子年生まれの方の守本尊…千手観世音菩薩】
「おん ばざら たらま きりく」
(金剛法に帰命したてまつる。フリーヒ。)
 フリーヒは「因縁所生にして塵垢にまみれ(無明の闇に覆われて)、自在なきわれら衆生が、涅槃(煩悩の消滅、さとり)を得る」。
【丑寅年生まれの方の守本尊…虚空蔵菩薩】
「のうぼうあきゃしゃきゃらばや おん ありきゃ まり ぼり そわか」
(虚空蔵尊に帰命したてまつる。おお、怨敵を撃ち滅ぼす尊よ、祥福あれ)
【卯年生まれの方の守本尊…文殊菩薩】
「おん あらはしゃのう」
(帰命す。ア・ラ・パ・チャ・ナ。)
 ア・ラ・パ・チャ・ナは「ア(菩提を求め)ラ(衆生を捨てず)パ(第一義に於いて)チャ(諸法を修して)ナ(自性あることなし)」。
【辰巳年生まれの方の守本尊…普賢菩薩】
「おん さんまやさとばん」
(帰命したてまつる、汝はさ三摩耶なり)
【午年生まれの方の守本尊…勢至菩薩】
「おん さんざんざんさく そわか」
(帰命したてまつる。サン・ジャン・ジャン・サハ、めでたし)
 サンは「染着遠離、諸漏大空」。ジャン・ジャンは「煩悩障、所知障の生を除いて大空を生ず」。「サハは不動堅住」。
【未申年生まれの方の守本尊大日如来
「のうまく さんまんだ ぼだなん あびらうんけん」
(あまねき諸仏に礼したてまつる。ア・ヴィ・ラ・フーン・カン)
【酉年生まれの方の守本尊…不動明王】
「のうまく さんまんだ ばざらだん かん」
(あまねき金剛尊に礼したてまつる。ハーン)
 ハーンは「大空の位に行き住することによって一切を降伏し、菩提心の大護をなす」。
【戌亥年生まれの方の守本尊… 阿弥陀如来】
「おん あみりたていせいからうん」
(甘露威光尊に帰依したてまつる。威徳光を世界に運載したまえ。円満したまえ)

〈密教の瞑想で観る本尊「ア」字〉
230309aji.jpg





「おん あみりたていせい から うん」※今日の守本尊阿弥陀如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。



[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン


back-to-top
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。