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2011
04.30

5月の守本尊

 5月は、立夏(リッカ)と小満(ショウマン)の皐月(サツキ…5月6日より6月5日まで)です。
 5月は巳(ウ)の月なので、守本尊普賢菩薩(フゲンボサツ)様です。

21080819 010

 普賢菩薩様は、『諸善解脱三昧智力(ショゼンゲダツサンマイチリキ)』という、苦を解決し心の平穏を保てる智恵をつかさどるみ仏です。
 煩悩は、自分を迷わせ、他から邪魔される具体的な魔ものとなって、いざ何かをしようとする時に、思わぬ妨げとなります。
 正しい方法によって自分を清め、周囲を清め、魔を祓いましょう。
 また、普賢菩薩様は、辰己年生まれの善男善女を一生お守りくださる守本尊でもあり、身体においては、主として腕や手をお守りくださいます。
 ご供養し、ご守護いただき、心豊かで無事安全に過ごしましょう。

 写真は、永代供養を行ってご加護を受けるため、当山の講堂へ納められた普賢菩薩様です。
 総丈は約35㎝あり、日本で唯一、護摩を焚いてできた灰が体内へ納められたご本尊様です。(奉納受付中)



 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。




「おん さんまやさとばん」※今日の守本尊普賢菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。





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2011
04.30

5月の真言

 5月の守本尊様をご供養しお守りいただきたい時、願いを成就させたいと念じる時、つらい時、悲しい時、淋しい時、あるいは感謝したい時は、合掌して普賢菩薩様の真言(真実世界の言葉)を唱えましょう。
 たとえ一日一回の行でも、信じて行なえば、ご本尊様へ必ず思いが届きます。
 続けて行う回数は任意ですが、基本は1・3・7・21・108・1080回となっています。

普賢菩薩(フゲンボサツ)

「おん さんまや さとばん」

今月の真言をお聞きになるにはこちらをクリックしてください。音声が流れます

※お聞き頂くには 音楽再生ソフト が必要です。お持ちでない方は、
 こちらから無料でWindows Media Player がダウンロードできます。


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 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。

「おん さんまやさとばん」※今日の守本尊普賢菩薩様の真言です。
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2011
04.30

『大日経』が説く心のありさま六十景 その32 ─迦留羅心(カルラシン)─

 私たちの心にある仏性が輝こうとする時、邪魔をする曇りがあります。
 せっかく霊性が機関車としてはたらこうとしているのに、ブレーキがかかります。
 曇りをもたらす貪りや怒りや迷いを脱し、感謝平安や智慧を獲得するためには、心の揺れ動いているありさまを正確に知る必要があり、『大日経』は、悟る前の曇った心模様を60の面から解き明かしています。
 その指摘を一つづつたどり、しっかり省みましょう。
 第32回目です。

30 迦留羅心(カルラシン)
 仲間と一緒でないと何もできない心です。

「朋党羽翼(ホウトウウヨク)の法に随順す」

 
 「迦留羅(カルラ)」はインドの神々の主たる梵天(ボンテン)が、仏法を守護し人々を救うためにどこまででも飛んで行けるよう変身した巨大な鳥です。
 不動明王が背負う炎などにも現れるとされ、実際に鳥の姿が表現されている炎もあります。
 「朋党」は友人と党派です。
 そもそもは中国でできた政治的な同志の集まりを指します。
 「羽翼」はつばさであり、右大臣、左大臣などというように、王様などの助けとなる人のたとえです。
 だから、全体としては、翼を持たない鳥が飛べないのと同じく、誰かの助けを借りなければ自分一人では何もできないような自立心や自信のない心の状態を指します。

 仏法の修行には勇猛心が欠かせません。
 経典は、大日如来のおはたらきを獅子奮迅と表現しています。
 無明が愚かな考えを起こさせ、煩悩が行動を命ずる時、それらをうち払い制御して、真理に立った判断と真実に即した行動をとるには心の強さが必要です。
 生やさしい気持では、自己中心的で、楽で、おもしろそうな方向へ行くだけです。

 仏法は「常・楽・我・浄(ジョウ・ラク・ガ・ジョウ)」という4つをもって、迷った状態と悟った状態を説きます。
 悟られた釈尊は、私たちの迷いを見極めました。

1 すべては変化を免れず無常なのに、財産などをいつまでも持っていられると考えている。
  「常」という錯覚です。
2 自分もこの世もままならないのに、思い通りにできると考えている。
  「楽」という錯覚です。
3 自分は儚い肉体に宿った儚い存在であり、実体的で不変なものではないのに、いつも自分が主であると考えている。
  「我」という錯覚です。
4 心は煩悩に覆われ、美しく見える肉体もまた汚物を体内に抱えた袋なのに、表面的な美しさに惑わされている。
  「浄」という錯覚です。


 しかし、真理を観る眼になれば、自分もこの世も「無常・無我・不浄」であることがわかると説かれました。
 そこから、根本真理としての四法印(シホウイン…4つの真理)が示されました。

1 諸行無常(ショギョウムジョウ)
 すべては時々刻々と変化しており、時間の流れに逆らっている「常」なるものはない。
2 諸法無我(ショホウムガ)
 すべては因と縁によって生じ、滅するので、自分を含め、それ自体として完結自立している「我」なるものはない。
3 一切皆(イッサイカイク)
 私たちは真理を知らず自己中心的に生きて互いにぶつかり合い傷つけあって、ままならぬ「」を生きている。
4 涅槃寂静(ネハンジャクジョウ)
 真理を知り、自己中心を離れた境地では自他を焼きしめる煩悩の炎が消え、絶対の安楽「寂静」がもたらされる。


 四法印は仏法として掲げ続ける旗であり、この旗の下に集うのが仏教徒です。
 
 仏法が奥深いのは、四法印を観て修行し悟りを開いた先に開ける境地は、否定したはずの「常・楽・我・浄(ジョウ・ラク・ガ・ジョウ)」になるということです。
 私たちは、真理を知らない無明と、自己中心の煩悩によって、財物に執着し、我を張り「常」や「我」の迷いに陥りますが、修行して「無常」や「無我」の境地に至れば、心のレベルが上がった世界で、「常」や「我」を知るのです。
 執着を離れた財物は、常にそのものなりのあり方で生存を保護し、自己中心を離れた自分は、自他のために自分でなければできない役割を確かに果たす確固たる存在になります。

 こうした教えを学び、所定の修行を行って心に深い納得と安心と力を得るためには決心や覚悟が必要です。
 誰かと一緒でなければ学べない、あるいは修行できないなどという状態では確かな結果を得られません。
 釈尊は説かれました。

「愚かしい者と共にいるのはである」
「共にいるのが正しく修行する者でなければ、荒野の像のごとく一人で歩むべし」


 ところで、迦留羅心を克服するための方法として、チームプレーが求められるスポーツの体験はとても有効ではないでしょうか。
 全体のために、自分でなければできない自分の立場に応じた役割を果たす。
 そのためにトレーニングを行う。
 スポーツが青少年の健全育成に果たす役割は大です。
 また、被災地へ向かうボランティアの方々も迦留羅心を克服する人々と言えるのではないでしょうか。
 全体を考え、自分を見つめ、そして断固、行いたいものです。

〈確固として〉
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「おん あらはしゃのう」※今日の守本尊文殊菩薩様の真言です。
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2011
04.29

5月の行事予定

 5月の行事予定です。
 この世の幸せとあの世の安心のため、み仏と祖霊のおわす聖地へおでかけください。

[第一例祭 2011/5/1(日)午前10:00
 講堂にて護摩を焚きます。
 参加は自由です。
 願いをかける方は少し早めに来山し、護摩木へ願い事を書いてください。
 講堂で懺悔し、不動明王の智慧がみなぎる護摩の火へ近づき、悪しきものを祓い、善き願いへ大きな力をいただいてください。
 太鼓と共に「観音経」3巻を唱えます。
 今月は、地震で亡くなられた方々の御霊供養も行います。

[寺子屋『法楽舘』] 2011/5/14(土)午後2:00
・場所 法楽寺講堂
・参加志納金 1000円(未成年者500円)
・申込方法:電話・ファクス・メールなど
・送迎車 午前9時30分「イズミティ21」より発車(要事前予約)
 1年間かけ、釈尊の教えを系統立てて学びます。
 その第三回目です。
 質問の時間も用意しますので、どうぞ、メモを持っておでかけください。
 事前にご質問をおよせいただいても結構です。
 寺院は学びの場です。
 共に学びましょう。
 詳しくはブログ「寺子屋『法楽舘』だより」をご覧ください。

[第二例祭 2011/5/21(土)午後2:00
 講堂にて護摩を焚きます。
 参加は自由です。
 願いをかける方は少し早めに来山し、護摩木へ願い事を書いてください。
 講堂で懺悔し、不動明王の智慧がみなぎる護摩の火へ近づき、悪しきものを祓い、善き願いへ大きな力をいただいてください。
 太鼓と共に「般若心経」3巻を唱えます。
 法話もあります。

お焚きあげ] 2011/5/28(土)午前10:00
お不動様のご縁日に、開運不動堂にて「供養会」及び「お焚きあげ」を行います。
一緒にお不動様のお経を読み、真言を唱えましょう。
お焚きあげをご希望の方は、必ず電話などで日時を連絡の上、お品をご持参、あるいはお送りください。28日とは限りません。いつでも結構です。

[機関誌『法楽』作り] 2011/5/30(月)午前9:00
 講堂にて、機関誌『法楽』を作ります。ご協力をお願いします。
『四十二章経』も共に学びましょう。

隠形流(オンギョウリュウ)居合道場] 毎週金曜日午後6:00(第一週のみ土曜日)
 法楽寺にて
 入門ご希望の方は、事前に連絡の上、見学してください。
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※上記諸行事の日程は、ご葬儀などにより予定変更になる場合があります。

※地震のために会場が使えなくなり、NHKカルチャーセンターの[講話「生活と仏法」]は終了となりました。4年超の長きにわたって受講された皆さん、これからも教えを学ぶ心で生きてください。合掌

〈新鮮な気持で〉
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「のうぼうあきゃしゃきゃらばや おん ありきゃ まり ぼり そわか」※今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。





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2011
04.29

東日本大震災 ─東北関東大震災・被災の記(その37)四十九日忌のお導き─

 大震災から48日、当日亡くなられた方々にとっての四十九日忌法要となりました。
 暗いうちはどしゃ降りだったのがウソのように晴れ上がり、今年は例年よりめっきり少ないウグイスの声が朝の境内へ響き渡りました。

 四十九日の坂をお導きくださるのは薬師如来です。
 左手に薬壺を持っている薬師如来はインドの言葉でバイシャジャ・グルといい、薬をもって治療する指導者を意味します。
 別名は大医王仏、その浄土は瑠璃(ルリ)の光で満ちており、光に包まれればいかなる病魔も消えるとされています。
 お大師様から伝えられたとされる経文にはこう書かれています。
「『薬師経』に『私の名号をひとたび耳にすれば、諸々の病はことごとく除かれ、心身は安楽になるであろう』と説かれている」
 経文は、瑠璃光が迷いの闇を祓う力を持っており、この世の12の苦しみをも消すと説いています。
 インドで暮らす人々は、太陽が東の空から昇り始める爽やかな早朝の青空に瑠璃の光を感じ、そこを浄土とする薬師如来を感得したのでしょう。

 さて、薬師如来はこの世の闇を祓うだけでなく、あの世の迷いをも解き去ります。
 中陰(チュウイン)という死後49日間の中間的ありようを脱し、み仏の世界へ溶け込む力添えをしてくださいます。
 私は、死後の導きとなる修法を三段ロケットと感じています。
 一段目は、葬儀で引導を渡す時です。
 この世とあの世の区切りを厳しくつける不動明王の法によって、御霊は迷わず、あの世へ旅立ちます。
 二段目は、四十九日忌の修法です。
 瑠璃光の法によって御霊はこの世へ未練を残さず、気配も残さず、すっきりとあの世の存在になりきられます。
 そして三段目は、七回忌の修法です。
 三回忌で阿弥陀如来の西方浄土に入りゆっくり安息を得られた御霊は、薬師如来と同じく東方の浄土におられる阿閦(アシュク)如来のお導きで、転生の流れへ入られます。
 こうした三段ロケットが無事はたらいてこそ、御霊は安心世界の旅人として役割を果たし、いつの日かまた、この世へ修行に来られます。
 日本では古来、薬師如来の信仰は厚く、四国八十八霊場中21ヵ寺で本尊となっています。

 四十九日忌の夜、夢を見ました。
 一枚の紙と厚めの白い封筒が目の前にあります。
 B4版ほどの紙にはやや大きい文字がいっぱいに打たれています。
 別に文字がかすれているいるわけでもないのに、どうしても読めません。
 封筒の中身はきっとお金です。
 意識をこらしているうちにわかりました。
 結納金なのです。
 3月11日に渡されたか、あるいは渡されることになっていた結納金、もしくは11日に結婚式を挙げる予定や婚姻届を出す予定が宙ぶらりんになっています。
 夢の中で一心に薬師如来へ祈りました。
「おん ころころ せんだりまとうぎ そわか」
 経典は、49種類の生きものを放ったり、お香を49返くゆらしながら経文を49回読誦するなど、49にちなんだ教えを説いています。
 きちんとした修法による安心を得られず漂ったままの思いを昇華させねばなりません。
 薬師如意様がもう一度修法せよと当山へ命じられたのでしょう。
 仏縁に合掌しました。

〈諸霊が成仏されますよう〉
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「のうぼうあきゃしゃきゃらばや おん ありきゃ まり ぼり そわか」※今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
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2011
04.28

真の救い ─病気が治りますように、貧困から逃れられますように─

 江戸時代に活躍した慈雲尊者(ジウンソンジャ)は、説きました。

「病(ヤマイ)ある身に薬師如来(ヤクシニョライ)を念じたてまつりて利益(リヤク)を得る。
 この病(ヤマイ)、真言宗の法門なり。
 貧窮なる身に毘沙門天王(ビシャモンテンノウ)を供養して、その利益(リヤク)を得る。
 この貧しき苦、法に入るべき門なり」

(病気になったこの身であるから、薬師如来を念ずる功徳が生じ、利益をいただきました。
 この病気は真言宗を信じ、救われる入り口となりました。
 貧窮したこの身であるから、毘沙門天王を供養する功徳が生じ、利益をいただきました。
 この貧窮という苦は、仏法への入り口となりました)

 病気に深く苦しみ、何とかして助かりたいと切に願うからこそ、薬を飲み、医者の指示を守り、そして薬師如来へ祈ります。
「何としてもこの病気を治してください。
 私にはどうしてもやらねばならないことがあります。
 こうしてはいられません。
 死ぬわけにはゆかないのです」
 自分も祈り、家族も祈り、薬師如来へ願掛けもします。
 あるいは貧しさに苦しみ、何としても生き延びたいと願うからこそ、仕事を探し、就職を祈ります。
 福徳を約束されている毘沙門天王にお詣りし、供養もします。

 こうして、母を呼ぶ赤子のような気持で仏神へすがるしかなくなった時こそ、慢心邪心が離れ、眠っていた仏心が目覚めます。
 仏心の目覚めはそのままに救いであり、実際に病気が治るかどうか、お金が手にはいるかどうかという結果はもはや、背景に退いています。
 ここが真の信仰に入れるかどうか、言いかえれば真に救われるかどうかの分かれ道です。
 慈雲尊者が説いた「利益を得る」は、決して、病気が治ることや裕福になることを意味してはいません。
 赤子のようになれたこと、そして仏心が目覚めたことを指しています。
 
 四国八十八霊場が開かれたきっかけは、強欲な庄屋衛門三郎が改心し、お大師様へ詫びようとしてぐるぐると後を追ったできごとでした。
 ようやくお大師様とめぐり会った時はもう、死がすぐそこまで迫っており、お大師様は懺悔した衛門三郎へ最後の願いを訊ねました。
 善き藩主となって人々のためになりたいという願いは聞き届けられ、後に衛門三郎はめでたく城主として生まれ変わりましたが、それは衛門三郎が確かに救われたという証の一つであり、救いそのものは、お大師様へ懺悔しそれが容れられた瞬間に達成されていたはずです。
 同じく、慈雲尊者は心から〈念じた〉時や〈供養した〉時、すでに救いの中にあったのです。

 似たような場面で念じたり供養したりする人でも、真の救いを得られない人もいます。
 どこまでも結果そのものを追う気持ばかりが強く、病気が治らなければ、あるいは裕福になれなければご利益はなかったと考える人です。
 こうしたタイプの人は、仏神との関係を、お金によってモノを買うのと同じレベルでしか考えられず、「お布施を差し出したのだから、それに対して結果を得られるのが当然である」と考え、望んだとおりになれば〈ご利益があった〉と考え、望んだとおりにならなければ〈ご利益がなかった〉としか考えられません。
 我欲を離れられず赤子になれない人にとって、仏神と自分との関係は、百円払えばリンゴを売ってくれる果物屋とお客さんの関係でしかありません

 元々は我欲に発する願いでも、願う心が純化されれば、必ず自分が愚かしく無力な存在であるという感覚が起こり、願いをかけられる仏神の偉大さ、尊さは相対的に大きく感じられてきます。
 自分が愚かしく無力だからこそ〈託す〉しかないのであり、自分でわかるし、できるのなら、祈る必要がありましょうか。
 正しく祈り、仏心が目覚めるのは、泥から育った蓮華が清浄な花を咲かせるのと同じです。
 病気を治したい、お金を得たいというのは我欲の範疇ですが、清らかな心で祈りに徹するならば、いつしか我欲は消え、感謝が生まれます。

 病気が治れば治ったなりに、治らなければ治らないなりに、裕福になれればなれたなりに、裕福になれなければなれないなりに、救われています。
 身体や金銭は空(クウ)なるモノの世界であり、それらは心の世界を動かす道具なので、道具は上手に用いられることによって、その時々の役割を終えます。
 釈尊は、川を渡り終えてなお、筏(イカダ)を引きずって行こうとする弟子へ諭しました。

「筏の役割は終わったのである。
 今度は脚が道具となる。
 なぜ、筏にこだわるのか」

 心がどうなったかが、私たちにとって最も肝心なことなのです。
 慈雲尊者が「利益を得る」と断じておられるのは、薬師如来毘沙門天王も必ず仏心を目覚めさせ、真の救いを与えてくださるという確信の表明です。
 当山も同じ確信をもって修法しています。
 善男善女すべてに真の救いがもたらされるよう、日々、祈っています。

〈癒すもの〉
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2011
04.27

千手観音の救い

 ご質問をいただきました。

「悩める友人がいる。
 問題を解決するために、病院へ行くなど有効と思われる方法を提案しても、グチを言い続けるだけで行動を起こせない。
 本人へ具体的な行動を起こさせる方法はないだろうか」
 お答えしました。

「人が聞く耳を持たない、あるいは持てない場合のまっとうな対処法は二つしかありません。
 一つは、心を寄り添わせ続けること、もう一つは、祈り続けることです。

 仏法の説く慈悲は、親友と喜怒哀楽を共にするように、心を寄り添わせるところから始まります。
 イソップ寓話の『北風と太陽』です。
 あきらめずに温かい心で接すれば、いつか耳が開かも知れません。

 祈りの力は時空を超えます。
 どうぞ、『良かれ』と願い、『良い方向へ行くように』と祈り、あるいは仏神へのご祈祷もお考えください。
 お大師様が宮中で始められたご加持の修法などは今も行者たちによって行われ、当山も東京や九州や北海道の方のために修法する場合があります。

 いずれにしても、見捨てるか見捨てないかは自分で決めるしかありません。
 見捨てれば無念さが伴い、見捨てないのもまた、辛いものです。
 アルベール・カミュは『シジフォスの神話』において、山の上へ石を押し上げ、それが滑り落ちてはまた押し上げる人間の、不条理へ対する姿勢を描きました。
 〈通じない〉時は、向かい風を受けながら峠を歩むようなものであり、試練の時期です。
 一歩一歩と進めば、やがては緩やかで楽な下り坂も、優しい追い風も訪れましょう。

 峠を歩む貴方の脚と、呻吟するご友人にみ仏のご加護がありますよう」。

 書き終わって、ため息が出ました。
 千手観音ならぬ身の限界が、またもや身に沁みたからです。
 すがる人も、すがる人と共に祈る行者も、千手観音を要請せざるを得ません。
 同時に千人万人の願いを聞き、同時に千人万人へ手を差し伸べてくださる方がおられるという確信が欲しい善男善女へ応えるのは、千手観音のお姿しかないからです。
 千は「無量円満」、無限にあり、不足するものはないことを意味します。
 いかなる苦をも除き、いかなる者へも救いをもたらすことが千の手に象徴されます。
 相手に応じ、内容に応じて智慧をはたらかせることが千の眼に象徴されます。
 秘密の呼び名を大悲金剛と申し上げ、観音様ではありながら、救済という結果を証する方でもあるので、マンダラでは、無限の宝ものをくださる虚空蔵菩薩のグループに入ります。
 尊像の手がほとんどの場合、42臂(ヒ…腕)となっているのは、中央にある合掌印と瞑想の定印を別にして、40臂がそれぞれ25の世界を司ることになっているからです。
 修法においてはこうお唱えします。

「千手(センジュ)各々(オノオノ)三摩耶(サンマヤ)を持(ジ)して衆生(シュジョウ)の願楽(ガンギョウ)を満たす。
 千掌(センショウ)の中において各々(オノオノ)皆一眼あり。
 千臂(センピ)広博(コウハク)の体にして二十五有(ユウ)に遊び、大悲方便(ダイヒホウベン)をもって諸々の有情(ウジョウ)の苦を断ず」


(無限の手がそれぞれ平等に救う力をもって人々の願いを満足させる。
 千の掌にはそれぞれ眼がある。
 千の腕は広く届き、それぞれ25の世界を網羅する。
 苦を見捨てない無限の思いやりと実践方法とをもっていのちあるものの苦を断ち切る)
「おん ばざら たらま きりく」
 千手観音様の世界へ通じる真言にかけ、修法するのみです。

〈28日に四十九日を迎えます。「理趣経百字偈」へこめた祈りが届けられました〉
230427 002



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「おん ばざら たらま きりく」※今日の守本尊千手観音様の真言です。
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2011
04.26

『四十二章経』第三十五章 ─苦─

 このページは、機関誌『法楽』作りに参加された皆さんと一緒に、中国へ伝わった最初の仏教経典とされている『四十二章経』を学ぶ過程を綴っています。
 毎回、一章づつ、三年半かけて学び通す予定です。
 4月25日の勉強は「」でした。

第三五章 

「仏の言(ノタマ)わく、
『人、道(ドウ)を為(ナ)すは亦(マタ)なり。
 道(ドウ)を為(ナ)さざるも亦(マタ)なり。
 惟(オモ)うに、人は生(ショウ)自(ヨ)り老に至り、老より病に至り、病より死に至る。
 その無量なり。
 心悩み、罪を積(カサ)ぬ。
 生死(ショウジ)息(ヤ)まず、その説き難(ガタ)し』」

 釈尊は説かれました。
「人が修行道を歩み、悟りを得ようとしても、なかなか、ままならないものである。
 そうかといって、修行せず、気ままに生きても叉、ままならないのは同じである。
 よく考えてみると、人は、生まれる時も、老いても、病気になっても、そして死を迎えるのも、すべては意のままにならず、苦が伴う。
 その〈ままならなさ〉は、人生を覆い、果てしない。
 悩みは心から離れず、いつしか罪を重ねてしまう。
 人はこうして生まれ、死に、輪廻転生(リンネテンショウ)をくり返す存在であり、悟らない限り、苦の果てることはない」

 仏法は釈尊の一言から生まれました。

「こは苦なり」。

 この言葉には前段があり、釈尊は林の中を歩いて木の葉を手にしながら説きました。

「私は木の葉ほどたくさんのことを知ったが、皆が悟りへ向かうために役に立つ言葉として説くべきものは少ないから、四つしか説かなかったのである」。
「こは苦なり」。
「こは苦の生起なり」。
「こは苦の滅尽なり」。
「こは苦の滅尽にいたる道なり」。

 要は、「私たちの生は根本的に苦であり、それには原因があり、原因を除去すれば苦はなくなるのであり、そうするには方法がある」というのです。

 当然、悟りを開いた釈尊の言葉として経典になっていますが、「こは苦なり」を口にしてみるたびに、若く聡明で繊細な釈尊は、娑婆にいる段階ですでにこのことを骨身に染みように感じていたからこそ、日常生活にまつわるすべてを離れて行者になられたのであろうという思いが固くなります。
 この深い慨嘆(ガイタン…やるせなさに憂い嘆くこと)が、仏法という泉から清水を流れ出させる力になったのではないでしょうか。

 人は、釈尊より遥か昔から、ままならないやるせなさを知っていました。
 天変地異によるいのちや財物の喪失、病気や戦いによる死、愛憎など人間関係の葛藤、──。
 実に人生は苦なのですが、人は皆、そこから逃げようとし、逃げる方法として楽を求めました。
 今を楽しむこと、勝者になること、地位や財物や家族に守られること、──。
 しかし、誰一人として死から逃れられないように、苦からも逃れきれません。
 たとえ強大な国の国王になろうが、否応なく老いて病み、心にある悪や欺瞞を自分は知っており、死に行く愛する者を死神から奪い返すことはできません。

 釈尊はただ一人、逃げようとはしませんでした。
 鳥についばまれる虫に、老いて斃れる人に自分を重ね合わせ、人とこの世を覆う苦の全体を相手にして「なぜ?」と問い「どうすれば克服できるか?」と問われたはずです。
 人間存在の根となっている問題について究極の問いを問い続け、苦から逃げずに克服されたからこそ、真の聖者となり、不変の真理を示すことができました。
 だからこそ釈尊は、私たちへ、「まず、そこに立て」と厳しく、くり返し、説かれます。
 ままならないから逃げようとするのではなく、ままならない状況を全身全霊で受け止め、その根本原因を見極めよと説かれます。
 この態度を貫くためには、自分だけがままならないのではなく、皆がままならないことを知る、言いかえれば、「他者の苦を我が苦と受け止める」ところまで行かねばなりません。
 なぜなら、〈自分だけ〉の問題なら、いくらでも逃げる方法を思いついてしまうからです。
 しかし、たとえば子供が病気になった時、逃げられましょうか?
 自分が闘病生活を終わりにしようと思えば、真の解決方法であるあるかどうかは別にして、心理的には選択肢として自殺もあり得ますが、病気で苦しむ子供を前にすれば、看病以外の選択肢はなく、逃れる先はありません。
老老介護の果ての自殺や心中などには、堪えきれない思いになります)
 自分も、この人も、あの人も、そしてこういう場面で、ああした場面で、苦しんでいる以上、「なぜ?」はすべてに共通する答を得るまで止まりません。

 釈尊は「自他の苦を受け止めよ」、「すべてに共通する原因を問え」、そうした上で「この真理を体得せよ」と徹底的に指導されたのではないでしょうか?
 こうした経過をたどらずに説かれた理論だけを知っただけでは、〈真理を生きる〉ことはできません。
 東日本大震災においても、全く同じです。
 地震で、津波で、あるいは避難所で逝かれた方々の無念を思い、被災された方々の苦を思い、自分の身に置き換えて受け止めない限り、与えられた試練を克服できず、真の慰霊はできません。
 逃げるのか、それとも克服するのか。
 私たちは、選択を迫られています。
 それをじっと観ておられるのは、み仏であり、神々であり、ご先祖様であり、御霊方であり、そして世界中の人々であることを肝に銘じて、今日を生きたいものです。

〈共に咲く力〉 
230425 004



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2011
04.25

東日本大震災 ─東北関東大震災・被災の記(その36)まことの言葉・徳光和夫─

 東日本大震災以来、以前よりも言葉に敏感になっているような気がしていましたが、24日は、朝に新聞を見てから、翌朝ネットニュースをチェックするまで、「ほう!」と思わされる言葉たちに出会いました。
 こうした日もあるのだな、被災された方々はどうなのかなと思いつつ、書き残しておきます。

 フリーアナウンサーの徳光和夫(70才)氏が『24時間テレビ』のマラソンランナーをつとめると知って驚きましたが、コメントはさらに強い力で心をつかみました。

「司会をしてきて、こなしていくことが多くなり、取り組むことがなかった。
 人の姿を見て泣いてきたけど、自分自身に泣いたことはない」。

 今や一世を風靡している感のある作詞家宮澤章二氏の言葉と並ぶ、忘れられないメッセージです。
「心は誰にも見えないけれど、心遣いは見える。
 思いは見えないけれど思いやりは誰にでも見える」。
 番組へ、徳光和夫へ、あるいは見せ物となるマラソンへの評価はさまざまでしょうが、10年前に急逝心筋梗塞で倒れた70才の人間が長距離を走ると決めた思いには真実があるはずです。
 寺院や僧侶への厳しい批判の一つが葬儀などの形式化です。
「聖職者とは感じられないような雰囲気の人がサッサッと出てきて、サッサッとお経を読み、式場にいる人々の心へ届く法話も行わずサッサッと帰ってしまう」。
 こんな不満や怒りが巷にあふれています。
 袈裟衣にかけて修法を行い袈裟衣をかけた法話を行う以外、僧侶が人間として生きる場面はないはずですが、現実はなかなかそうなっていないことが皆さんに見抜かれているのでしょう。
 まちがわずに「こなして」いるだけでは、こなす人に偽りがあり、それは本人が気づかなくても必ず露呈します。
 徳光氏は、日々、追われ、こなしている自分から離れない偽りに気づいたのではないでしょうか。
 マラソンランナーが「もうだめか」と思うあたりで頑張るのと、僧侶が一本の糸を張りつめるように修法するのは同じです。
 気を抜き手を抜いた瞬間に偽りとなり、真実ではなくなります。
 さらに精進して、徳光氏へエールを送ります。

 4月24日付の読売新聞「HONライン倶楽部」は作家伊集院静氏の言葉を伝えました。

「さまざまな光景が身体の中に入り込み過ぎて、やや混乱もしているが、何度もよみがえるのは、3月11日夜の、あの美し過ぎるほどの星空である。
 地上の惨劇と天上の美眺の相対は何を告げようとしていたのか。
 今後の作品に何をもたらすのだろうか。
 それは、読者に伝えられる何が、地上と天上の中にあったのかということになる。
 読者は私にとって森であり、海流でもある。
 葉のざわめきや闇の中の気配、汐音や風の音が読む人の声だと思っている。
 欲望や業の声ばかりが届く時もあれば尊厳や敬虔に似たものに聞こえる時がある。
 それでも同時代をともに歩いている。
 この頃、作品は〝祈り〟に近いものではと思うことがある。
 この震災と対峙して以来、その思いが深まった気がする。
 私は作家であるが同時に読者でもある。
 読書によって心を揺り動かされた時の感動は他に同等なものを知らない。
 この感動がある限り、私は作家として歩めるのだと信じている。
 今日執筆しているものが昨日よりもみずみずしいものであればと願って机にむかっている」。

 読者と作家は、作品を媒体として心を通わせます。
 作家の知性と感性が作品を生み出し、読者の知性と感性が作品に込められた作者の祈りを感じ取ります。
 読者の反応が示す気配を、作者は「森」や「海流」の動きのように受け止めます。
 伊集院静氏自身もまた、誰かの作品と接して、読者としての思いを持ちます。
 こめられた祈りを感じ取ります。
 そこで得た感動が自分の作品へ瑞々しさを与えるというのです。
 感動する瑞々しい伊集院静氏の魂が、3月11日夜に「地上と天上の中にあった」何かを瑞々しい作品として結晶させ、私たちへ届けてくれるよう祈っています。

 4月24日付の読売新聞は、「日本人と共に行動したい」という見出しで、ドナルド・キーン米コロンビア大学名誉教授(88才)の日本への帰化を伝えました。

「震災を前に『日本国民と共に何かをしたい』と思った。
 自分が日本人と同じように感じていることを行動で示したかった」。

 原発事故によって福島県からだけでなく、仙台市から去り、東京都からも去る人が続出している状況下でわざわざ来日し、東京・北区の住まいで永住するのです。
 故三島由紀夫や故安部公房らといかに親しく交流した親日家といえども、高齢の身で危険が取りざたされている東京へ移り住むとは信じられません。
 以下は、インタビューの要旨です。

【国籍取得の決意】
 震災で決意した。
 日本国民と共に何かをしようと思った。
 言葉も大切だが行動はもっと大切。
 国籍取得は日本への期待と確信の表現だ。
 終戦直後に私が見た東京を8年後に再び訪れると、よみがえっていた。
 日本が震災後、さらに立派な国になることを信じているから、私は明るい気持ちで日本へ行く。
【米国内の反応】
 今ほど親日的になったことはない。
 日本に関心のない人も「日本は頑張っている」と関心している。
 募金活動も広がり、一般市民が支援している。
 日本人の落ち着きが共感を得ている。
【日本への感謝】
 今年初め、日本で高熱を出して入院した。
 病院では、医師、看護師、そして全く関係ない人たちも私の回復を喜んでくれた。
 本当に感謝している。


 感謝せねばならないのは、私たち日本人です。
 風評で躍る人々、風評被害をもたらし、拡大させている人々は、爪の垢でも煎じて飲みましょう。

〈尊く、瑞々しく〉
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2011
04.24

5月の聖語 ─自分もこの世もマンダラ─

真言者、円壇をまず自体に置け」

真言行者よ、自分自身をマンダラとせよ)
 この身このままでみ仏となる方法を説く『大日経』は、自分という心(識)を持ち空(クウ)である身体はマンダラであると説きます。
 
 修行では、座禅を組んだ足からヘソのあたりまでは「地」、そこから胸あたりまでは「水(スイ)」その上に「火(カ)」、一番上に「風(フウ)」と観想します。
 同時に、色もイメージします。
 下から黄色、白、赤、黒、そして頭のてっぺんは「空」の消長で青です。
 こうして、行者には「地・水・火・風・空」の五輪と、眼に見えない「識」との六つによるマンダラが表れています。
 五色は、東西南北と中央の方位を示すものでもあって、私もネコも、村も国もマンダラです。
 年忌供養などで塔婆を建てるのは、ただの慣習やおまじないではありません。
 私たちにもこの世にも潜んでいる「地・水・火・風・空」の徳を見える面へ書き、「空」の徳を見えない裏側へ記して魂を込め、自分とこの世のすべての徳を捧げてご供養申し上げる誠意を表すのです。
 手土産を持ってお世話になったお宅を訪ねるのと同じであり、心を形に込めるのは有効で尊い方法です。
 自分と塔婆の関係は、伝授されている図によって明確です。

 釈尊は、何よりも「正見(ショウケン)」という正しいものの見方を説かれました。
 正しく、ありのままに観て生きるのが仏陀という悟った人であることを実証されました。
 悟った人は救われており、同時に救える人でした。
 釈尊の行脚(アンギャ)は、救いの確かさを証する旅でした。
 釈尊の入滅後、悟りと救いを求める行者たちは、〈釈尊へ至る方法〉を求め、研究しました。
 仏教史は方法の深化を示しており、インドでも中国でも、それは、この身このままで本来み仏である真の姿となる「即身成仏(ソクシンジョウブツ)」に結実しました。
 長澤弘隆師は説かれます。

「仏教史というのは大づかみに言いまして、紀元前にインドの釈迦さまでスタートしまして、だいたい十世紀頃密教というスタイルでインドでは終わってしまいます。
 その間およそ1400から1500年、小乗のアビダルマ仏教から、大乗の般若経系、法華経系、浄土教系、あるいは護国経典系、また中観・唯識の二大思想、そして華厳経系、密教系の仏教と、順次中国に伝わり、中国から日本に伝わってきました」。
「空海さんはインド仏教を理解し中国仏教をわきまえ、仏教思想の本流を時間軸の上でも正しくトレースできた人で、その意味で高野山というのはお釈迦さまからの全仏教史、全仏教思想史の終着点ということなんです」。

 編集工学の第一人者である松岡正剛氏も説かれました。

「密教は全仏教史を負って登場したものですが、まさに空海は仏教史のすべてを引き取ろうとしていますね」。


 塔婆の表面には「地・水・火・風・空」を象徴するインドの文字が書かれ、裏面には「識」を象徴するインドの文字が書かれています。
 表と裏で、マンダラ全体になっています。
 自分もマンダラ塔婆もマンダラ、この世もマンダラ、み仏の世界もマンダラ、そして、その徳を届ける御霊の世界もマンダラ──。
 即身成仏の世界はまことにありがたいものです。

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2011
04.23

東日本大震災 ─東北関東大震災・被災の記(その35)水脈の果て─

 津波で破壊され尽くした陸前高田市の海辺で祈った時の印象は、何日経っても鮮明です。
 印象に引かれた何かが記憶の底から浮かび上がろうとしていることを知ってはいても、もどかしいばかりでしたが、最近、やっとたぐり寄せました。
 金子兜太(トウタ)氏の俳句です。
水脈(ミオ)の果て炎天の墓碑を置きて去る」
 太平洋戦争で南方へ出征した金子兜太は、九死に一生を得てで帰国する時、「俺は運で救われただけじゃないか」と思い、生き残った者として、死者たちへ「一体、どう責任をとるのか……」と自問自答しました。
 そして、昭和21年11月、最後の引き揚げ船に乗って海に続く航跡を眺め、この句が生まれました。
 平成21年4月26日に放映されたNHK教育テレビの 「こころの時代」で本人が感想を述べています。
 以下、ネット上の「こころの時代へようこそ」から引用します。
 帰りの船の島から出る時に、こうずっと船が走っている水脈(みお)がずっと見えていますね。
 ちょうど夕暮れ時でしたけど、炎天のもとで、桟橋から出てくるわけですけども、ずっと水脈がひいていますね。
 その水脈の向こうに去って来た島があるわけですね。
 その島には死んだ人たちの墓碑がある、という思いですね。
「炎天の墓碑を置いて去る」というところに、この人たちに報いたい、という思いがあった、込められていた。
 その辺になってくると、とにかく生きる、と。
 そして死者に報いたいという思いがあった。
 これは思想というよりも、思いというふうに思ってもらった方がいいかも。
 実感の出てきた思い―思想じゃないですね。
 私が人っ子一人いない茫漠とした広田湾から去りがたいながら去るおりに感じた「生き残り」という感覚は、きっと、「墓碑を置きて去る」に通じていたのでしょう。
 そして、詩人が自分へつきつけた「死者に報いたい」もまた同様で、それは、だんだんに、祈る者としての責務というよりも、人間である証のようにすら思えてきました。

 阪神大震災から、まだ、たった16年しか経っていないのに、20名近い死者、数千名の怪我人、数万棟の被害、そして東京電力柏崎刈羽原子力発電所での火災を伴った新潟県中越沖地震を含む大規模地震が多発しています。
 しかも、関東、東海、そして宮城県沖における巨大地震の発生が確実視されている今、なおかつ、儲けること、飾ること、あくなき欲望を満足させることに突っ走る文明を続けて良いとはとても思えません。
 そんなことで「報いられる」はずがありましょうか。
 畏怖すべきものの前で謙虚になり、何とか〈全員へ生きるための衣食住〉を確保させてくださいというささやかな願いからやりなおすべきではないでしょうか。

 私たちはあまりに貪欲で、求めていたものは明らかに過剰でした。
 無くても生きられるものに「もっともっと」とこだわり、モノへ頼って心の豊かさを得ようとし、いつも、十本の手の指を開いて何かをつかもうと焦っていました。
 獲得競争の果てに人は道具となり、使う人も使われる人(何とおぞましい言葉でしょう)も人間性を失いつつありました。
 もう、こうした文明に別れを告げようではありませんか。
 生き残った私たちは、食べて、飲んで、排泄して、語り合い、寝て生きることの大変さと同時に、生きることのシンプルさに気づいたはずです。
 日本は、グローバリズム、市場原理主義といった呪縛を離れ、伝統的で同時に新しい文明を構築するという歴史的使命を持ちました。
 明治以来、西洋列国と先頭を争ってきた日本は、現代物質文明の超克においても先頭に立とうとしています。
 しっかり自覚したいものです。

〈日本らしく〉

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2011
04.22

2011年5月の運勢

 前回は、「おかげさまで、やっと電話が通じました」と書きました。
 東日本大震災の発生から、もう、一ヶ月半が過ぎようとしていますが、まだ当分、〈過去〉にはなりそうもありません。
 よりいっそう、互いに思いやり、手を携えましょう。
 2011年5月の運勢──平成23年5月(5月6日から6月5日まで)の運勢です。
 運気の流れを参考にし、人間修行の六波羅密(ロッパラミツ)行で改運し、開運し、快運となりますよう。

一 今月は「生みの悩み」と「生みの喜び」が現れます。
 それぞれがそれぞれの場においてじっくりと力を発揮すれば確かな手応えを得られましょう。
 仏法は、人がこの世に生まれる時に八苦の一つ「生苦(ショウク)」を体験すると説きます。
 生む親も生まれる子も、生死の境を越える時間を体験します。
 無事、生まれれば歓喜に包まれ、子が失敗すれば、再度のチャレンジを期して冥界へ還ります。親が失敗すれば、この世で縁となった人々へ別れを告げねばなりません。
 新たないのちの誕生のように、定められた難所を乗り越えて新たな出発や新たな展開がもたらされますよう。

二 若い世代や新しい勢力が伸びるかどうかによって混乱後の道筋が決まります。
 外国で初めて行った戦争である「白村江(ハクスキエ)の戦い」に破れ、天武天皇は決断しました。
 国名を「日本」として自主独立の道を歩むこと、それまで「大王」だった呼称を「天皇(スメラミコト)」とすること。
 それから1350年経った今も、「日本」に「天皇」がおられます。

三 耐えねばならない時期には中途半端に動かずじっと耐えて出発の準備に励みましょう。
燕雀(エンジャク)安(イズク)んぞ、鴻鵠(コウコク)の志を知らんや」。
 燕雀(ツバメとスズメ)のように小さな鳥には、鴻鵠(シギとサギ)の飛ぶ世界を理解できません。
 だから、鴻鵠たちは遠くへ飛ぶための準備として高い木のてっぺんに止まりますが、燕雀たちは「わざわざあんな高い所へ登るなんて」と笑います。
 しかし、時が至れば、鴻鵠たちは燕雀たちの視界の彼方へ飛び去ります。
 また、「鳴かず飛ばず」という故事もあります。
 危ない目にあった王様は、「余計な口出しをすると死刑にする」というお触れを出して、政事を放り出しました。
 やがて国が乱れ、家臣の一人が王様へ謎かけをします。
「一羽の鳥がいて三年間、飛ばず鳴かずです。この鳥は何という鳥でしょうか?」。
 王様は答えます。
「三年飛ばない鳥がひとたび飛んだならば、天までも達するであろう。ひとたび鳴いたならば、天下を驚かすほどの声を出しもしよう。もうしばし、待て」。
 そのうちに死刑覚悟で直訴する忠臣が現れ、ついに王様は動きます。
 そして、国政を我がものにしようとしていた人々を追い払い、真に国を考える人々を選んで新たな国造りをしました。

四 リーダーは良き補佐官に恵まれれば大きな力を発揮できますが、独断的であれば挫折へ近づきます。股肱之臣(ココウノシン)」という言葉があります。
「股」は身体の腿、「肱」は肘です。
 いずれも足や手が動く場合に要となり支えとなるので、「信頼でき頼れる部下」という意味です。
 広島に原爆が落とされた昭和20年8月6日から3日後の9日、戦争終結のために御前会議が行われました。
 臨席された昭和天皇は御年44才、その股肱之臣とうたわれた内閣総理大臣鈴木貫太郎は77才でした。
 陛下の願う混乱のない終結を実現するためには天皇陛下の御聖断を賜る他の方法はないと考えた鈴木総理は、チャンスを待ちます。
 日付の変わった翌10日午前2時をまわり、ポツダム宣言を即時受諾すべきとする東郷外相と、条件付受諾を譲らない阿南陸相との両説が互いに譲れないことを見極めた上で、御聖断によって決したいと発言しました。
 もはや、議論は出尽くしており、老総理に異論を唱える者はいません。
 陛下は、ただちに即時受諾への賛意を示され、方向が決まりました。
 そのおり、陛下は涙を流されましたが、自分の心中を察しながら絶妙のタイミングをつくった鈴木貫太郎への思いがあったのではないかと言われています。

 さて、今月の修行です。
布施(フセ)行と運勢水を供えましょう。
 精進の人は自分と他人を客観的に観て判断し、無事安全です。
 不精進の人は欲を出して他人の甘言に乗り、失敗させられがちです。
持戒(ジカイ)行と運勢塗香(ヅコウ)で身と心を清めましょう。
 精進の人は認められなくても誠を尽くし、陽の目を見ます。
 不精進の人は認められない不満から暴発しがちです。
[忍辱(ニンニク)行と運勢お花を供えましょう。
 精進の人は欲をそそる話に飛びつかず、無事安全です。
 不精進の人は目先の利益に惑わされて自分を忘れ、自滅へ走りがちです。
[精進行と運勢お線香を供えましょう。
 精進の人は目的意識を堅持し、支える人たちに恵まれます。
 不精進の人は、相手の言いなりになって自分を忘れ、裏切りに遭ったりしがちです。
[禅定行と運勢]飯食(オンジキ)を供えましょう。
 精進の人は守るべきものを守って無事安全です。
 不精進の人は外向きの気持が強く、おかしなものに引っかかって散財しがちです。
[智慧行と運勢]灯火を供えましょう。
 精進の人は小さな失敗にも自重して慎み、大事に至りません。
 不精進の人は失敗を取りかえそうと焦って強引に進み、墓穴を大きくしがちです。

 皆さんの開運を祈っています。

〈ひとひら〉
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2011
04.22

例祭だより(4月の第二例祭)

 4月16日(土)は第二例祭日でした。

 いろいろな面で大変な状況での例祭でしたが、なんとか無事終えました。
 住職は、今日の説法で、以前アメリカで起きた9・11の同時多発テロ事件で人命救助にあたった消防士の方々と、今回の福島原発事故に立ち向っている方々について触れました。
「皆さんはどういう思いで立ち向かったのでしょう、どういう思いで立ち向かっているのでしょうか」。
 私には、なんとも言葉になりません。

 先日NHKの放送で、アメリカハーバード大学マイケル・サンデル教授の講義を見ました。
 TV中継を使って日本を含めた何カ国かの学生さんを相手にする番組でした。
 主な内容の一つは今回の大震災を考え、振り返り、電気を大幅に減らす生活をして原発をなくせるかという内容で、ある国の学生さんは、原発は必要ないといい、又ある国の学生さんは今の生活水準を守る為には原発は必要だといって、さまざまな意見が飛び交いました。
 又、個人(自分自身・家族を含め)と集団とどちらが大事かという内容で、ある国の学生さんは個人が最優先とい、ある国の学生さんは集団(みんな)が大事だといい、やはり、いろいろな意見がありました。
 私自身は、考えれば考える程難しく思えます。

 震災後、何社かの企業の知り合いに震災直後の行動を教えていただく機会がありました。
 Aさんの場合は、大地震の直後、まず自分自身と家族の安全確保や生活の確保を第一として自宅待機せよという指示を受けました。
 Bさんの場合は、まず出社して業務につくようにという指示を受けました。
 会社の姿勢により、事業内容によって、危機管理の考え方は様々のようでした。
 もちろんガソリンや他の諸事情でどうしても指示どおりにできない方も大勢いたと思います。
 何が正しくて何が正しくないのか、それともどれも正しいのか。
 今回の震災によってみんなの考えや価値観も変わったような気がします。
 私自身も何がとは言えませんが、何かが変わったような気がしています。

 ※この稿は、行者丹野明宏君が書きました。

〈それぞれに……、一緒に……〉
230421 0582



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2011
04.21

【現代の偉人伝】第123話 ─仙石病院看護部長尾形妙子氏(宮城県)─

 3月11日、仙石病院理事長夫人で消化器内科・腫瘍内科担当の神部眞理子医師は、入院患者のいる病院で、ひたひたと迫る津波を見ていた。
「もうすぐ入ってくる」と覚悟した時、エントランスホールのすぐ先で悪魔の舌は止まり、やがて引いていった。
 電気は消えたが機材器具が無事だったので、通電するまでの間もスタッフと共に医療を続けられた。

 神部医師の自宅では、母親が覚悟を決めてマンションの一階から出なかった。
 じわじわと玄関から水が滲んでくる。
 しかし、水は数センチメートルの深さで止まり、4日後にボートで救助された。
 外の深さはゆうに1メートルに達していた。
 神部眞理子医師は、「玄関の優れた気密性が大きな被害をくい止めたのだろう」と言う。
 結局、家族は病院の理事長室で寝泊まりすることになった。

 理事長神部廣一氏は言う。
「患者さんの2割は亡くなったという実感がある。
 避難所などからどうにか通ってくる患者さんたちは皆、人を失い、財産を失い、職を失っている。
 私は、もう、何もこだわるものはなくなったという感じだ。
 うちの看護部長などは、夫と二人の子供を失いながら、懸命に仕事をしている。
 ただ、やるしかない」

 4月19日、看護部長尾形妙子氏(51才)の悲劇と奮闘は産経新聞の記事となった。
 引用し、後世に残したい。

「天国の娘 生きた証し」 合格していた看護師試験…母に証書

 娘は確かな“足跡”を遺していた。
 宮城県東松島市野蒜(のびる)で激しい津波に遭い、亡くなった尾形志保さん(22)が2月の看護師国家試験に合格していたことが分かり、母親の妙子さん(51)に合格証書が手渡された。
「私と同じ道に立ってくれた」。
 市内の病院で看護部長を務める母は、成長した娘が同じ看護師として、いまでも自分のすぐそばにいてくれていると信じている。

■「私と同じ道に…」

「言葉にならないです」
 祭壇に3人の遺影が並んでいた。
 津波は志保さんだけでなく妙子さんの夫、登志憲(としのり)さん(51)と長男、剛(ごう)さん(20)の命も奪った。
 自宅が流されてしまったため、妙子さんの携帯電話に残った画像を遺影にした。
 妙子さんが履くジーンズは志保さんの数少ない遺品だ。

 3月11日。激しい揺れがあったとき、妙子さんは病院で勤務中だった。
 志保さんは自宅で将来の病院勤務に備えた勉強をしていた。
 その後、剛さん、愛犬とともに車で、近くの高台にある避難所へ向かったようだ。
 登志憲さんも合流したとみられている。

■津波来ないでほしい

《津波が来ないでほしい》。
 志保さんがミニブログのツイッターにそう書き込んだ直後、「黒い波」が襲った。

 何日後のことだったか。
 気が動転していて思い出せない。
 廃虚と化した野蒜駅周辺で志保さんが見つかった。
 間もなく、そこから数十メートル離れた場所で水没した車中から、登志憲さんと剛さんが寄り添うように倒れているのが発見された。
「志保は几帳面(きちょうめん)で段取りの良い子。自分が最初に見つかることで『パパと剛も近くにいるよ!』と知らせてくれたんだと思う」
 多くの負傷者への対応に追われ、2週間近くも不眠不休の勤務を続けていた妙子さんに現実を受け止める余裕はなかった。
 清められた3人の遺体は、ほとんど傷がなく湯上がりのようだった。

 志保さんは仙台市内の大学で看護を学び、4月に県外の学校へ入学することが決まっていた。
 患者に真剣に接する母の姿が、看護師を志すきっかけだった。
「友達の赤ちゃんを、みんな取り上げるんだ」
 助産師志望。
 楽しげに夢を語る志保さんに、妙子さんは「婚期を逃すよ」と冗談めかした。でも、「結婚に興味はないよ」とかわされた。

「理想の旦那さんはパパ」。
 志保さんは常々こう話していた。
 震災後、妙子さんは志保さんのブログを見つけた。
 こんな書き込みがあった。
《明日で人生が終わるなら、友達皆に連絡して最後は家族と過ごしたい。「楽しかったよ」と伝えたい》

■厚労省も動く

 夫や子供たちは、なぜ死ななければならなかったのか。
 自分はなぜ残されたのか。
 妙子さんはいま、必死に答えを探している。
「『復興の兆し』というけれど、やっと現実と向き合い始めたところなんです」

 娘の看護師試験の合格を知ったのは3月末だった。
「志保が生きた証がほしい」。
 妙子さんは免許状を希望したが、国の規定上、亡くなった人には交付できない。

「何とかならないのか」。
 事情を知った議員らによって国会で取り上げられたこともあり、厚生労働省も動いた。
 特別に合格証書が作られ、被災地視察に向かう厚労省の責任者から、妙子さんに手渡されることになった。

「娘は本当に喜んでいると思います」。
 18日、合格証書と志保さんの遺影を胸に、妙子さんは涙をぬぐった。
「震災の真実を100年後も200年後も伝えてほしい。亡くなった多くの人のために。同じことが二度と起こらないように」


〈ご冥福を祈っています〉
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2011
04.21

寺子屋の教え『実語教・童子教』を考える(その18)─広い世界へ─

 かつては江戸時代の寺子屋などで盛んに学ばれていた人倫の基礎を説く『実語教(ジツゴキョウ)・童子教(ドウジキョウ)』について記します。
 私たちの宝ものである『実語教童子教』が家庭や学校の現場で用いられるよう願ってやみません。

八正(ハッショウ)の道(ミチ)は広(ヒロ)しと雖(イエド)も、
十悪(ジュウアク)の人(ヒト)は往(ゆ)かず。


(正しく生きるための八つの道は万人に開かれており、そこを歩めば広い世界へ出て行けるが、十の悪行を行っている人は、その道を歩めない)

 8つの道は「八正道(ハッショウドウ)」であり、釈尊が苦を離れるための方法として明示したポイントです。

1 正見(ショウケン)…正しい見解
2 正思(ショウシ)… 正しい思念
3 正語(ショウゴ)… 正しい言語行為
4 正業(ショウゴウ)…正しい身体的行為
5 正命(ショウミョウ)…正しい生業(ナリワイ)
6 正精進(ショウショウジン)…正しい努力
7 正念(ショウネン)…正しい臆念
8 正定(ショウジョウ)…正しい心のおさまり

 この道を行くための戒めが「十善戒(ジュウゼンカイ)」であり、慈雲尊者は、とてもわかりやすく説きました。

第一 慈悲、不殺生戒(ジヒ、スセッショウカイ)
  慈しみと憐れみによって、みだりな殺生をせずに生きよ。
 
第二 高行、不偸盗戒(コウコウ、フチュウトウカイ)
  節操を高く保ち、他人の領分へ手をかけずに生きよ。
 
第三 浄潔、不邪淫戒(ジョウケツ、フジャインカイ)
  行いを清らかにし、邪な獣性に導かれずに生きよ。
 
第四 正直、不妄語戒(ショウジキ、フモウゴカイ)
  正直な心で言葉を用い、嘘をつかずに生きよ。
 
第五 尊尚、不綺語戒(ソンショウ、フキゴカイ)
  高く尊い志を汚さず、言葉を飾らずに生きよ。
 
第六 従順、不悪口戒(ジュウジュン、フアックカイ)
  柔軟な心で言葉を用い、粗野な言葉で罵らずに生きよ。
 
第七 交友、不両舌戒(コウユウ、フリョウゼツカイ)
  誠の交流を尊び、人を離反させずに生きよ。
 
第八 知足、不貪欲戒(チソク、フドンヨクカイ)
  己の分を守り、貪らずに生きよ。
 
第九 忍辱、不瞋恚戒(ニンニク、フシンニカイ)
  耐えて動揺せず、つまらぬ怒りを起こさず生きよ。
 
第十 正智、不邪見戒(ショウチ、フジャケンカイ)
  正しい智慧を発揮し、真理に背く考えを持たずに生きよ。

 八正道を歩むための具体的戒めは、以下のとおりです。

1 正見の道を歩む方法 第十 正智、不邪見戒を守ること。

2 正思の道を歩む方法 第八 知足、不貪欲戒を守ること。
 第九 忍辱、不瞋恚戒を守ること。

3 正語の道を歩む方法 第四 正直、不妄語戒を守ること。
 第五 尊尚、不綺語戒を守ること。
 第六 従順、不悪口戒を守ること。
 第七 交友、不両舌戒を守ること。

4 正業の道を歩む方法 第一 慈悲、不殺生戒を守ること。
 第二 高行、不偸盗戒を守ること。
 第三 浄潔、不邪淫戒を守ること。

 こうして、人としてまっとうに生きるためのイメージと、日常生活における具体的な戒めとが説かれました。
 きっと、寺子屋では、子供たちが理解できるように、身のまわりで起こるできごとなどが題材として用いられたことでしょう。
 ちなみに、当山では「子供十善戒」をお勧めしています。

お約束(やくそく)

1  生(い)きものをむやみに殺(ころ)しません。
2  盗(ぬす)みません。
3  ふしだらなことをしません。
4  嘘(うそ)をつきません。
5  へつらいを言(い)いません。
6  悪(わる)い言葉(ことば)で話(はな)しません。
7  二枚舌(にまいじた)を使(つか)いません。
8  貪(むさぼ)りません。
9  妬(ねた)んだり、キレたりしません。
10 悪(わる)い考(かんが)えを起(お)こしません。


 なお、お大師様は、十善戒について、「自分が相手に対して悪いことをしない」というレベルを超え、この世は大日如来の顕れであるという深い視点から説かれました。
 自分といい、相手といっても、それはかりそめにそうなっているだけであり、自分と相手とは入れ替わっていたとしても何の不思議もありません。
 このことは普段、あまり意識されませんが、今回の大天災はよくよく教えてくれました。
 津波にさらわれて遠く深い海へと消えていった方々と自分とが入れ替わっていることを想像してみれば、自分はたまたま生きていられるだけであり、いのち全体から観れば〈生き残り〉であることは疑いようがありません。
 きっと、戦後、戦地から帰還した方々も、空襲に遭って生き延びられた方々も、同じ思いをされたのではないでしょうか。
 俳優であり、歌手でもあった鶴田浩二は、生涯、太平洋戦争における〈生き残り〉として、先に逝った方々への思いを捨てずに演じ、唄い、生き抜きました。
 また、遠い過去世を想像し、遠い来世を想像してみれば、相手は過去世に自分のご先祖さまであり、自分が来世に相手の生まれ変わりになっていたとしても何の不思議もありません。
 だから、

「一切の衆生を観るに、なおし己身(コシン…我が身)及び四恩(シオン)の如し」

とされました。
 生きとし生けるものは、それが自分であると観え、また、自分を生み、守っている国家社会、天地自然、ご先祖様や両親や肉親、あるいは仏法僧とも離れたものではないのです。
 ならば、みだりな殺生をするのは、自分のいのちを傷つけることであり、肉親やみ仏などを傷つけるのと何の変わりもありません。
 自分に与えられていないものを誰かから奪うのは、自分から奪い、自分を生かしてくれている自然から奪い、肉親から奪うようなものです。
 その愚かしさがよくわかるのではないでしょうか。
 お大師様の説かれた深いレベルの十善戒も忘れぬようにしたいものです。



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〈天地がここに……〉
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2011
04.20

東日本大震災 ─東北関東大震災・被災の記(その34)万羽鶴─

 祈りの思いを込めた万羽鶴が届きました。

「一瞬で あの一瞬の出来事で
 何も伝えることが できなくなったのですね。
 〝あれ〟も〝これ〟も伝えたいこと
 あったはず ですね。
 父に、母に、妻に、子に、祖父に、祖母に、
 兄に、弟に、姉に、妹に、叔父に、叔母に、
 先生に、友達に、上役に、部下に、同僚に、
 近所のおじさんに、おばさんに……
 ああ…… ああ……
 もう涙であとが続きません。
 せめて『折鶴』にその思いを託して
 お伝えください」

230420222.jpg

東日本大震災 ─東北関東大震災・被災の記(その30)今こそ、ハチドリになりましょう─」で書いたAさんからです。
 一羽、二羽、三羽、四羽、五羽。
 手に取ると、目にも、手にも、託された思いが伝わってきます。
 確かな願い──。
 鶴たちは飛び立とうとしています。

230420222 003

 アウシュビッツで死を迎える寸前、15才に満たないユダヤ人フランティセック・バスは『わが家』を書きました。

「ぼくは 広い世界を じっと見ている
 広い そして遠い世界を
 ぼくは 東南の方向を じっと見ている
 わが家の方を じっと見ている

 ぼくは わが家の方を じっと見ている
 ばくの生まれた 町の方を
 ぼくの町 ぼくのふるさとの町
 ぼくが どんなにそこへ帰りたがっていることか……」

 津波に呑みこまれ海へさらわれた人々は、詩人の願いとは反対の方向である西や北西へ帰りたかったことでしょう。
 今も、その方向を「じっと見ている」かも知れません。
 ああ、ああ、鶴たちよ、願わくばその小さな背に乗せ、連れ帰ってはくれないか……。

 茨木のり子氏は自分をふり返り、『知命』に書きました。

「ある日 卒然と悟らされる
 もしかしたら だぶんそう
 沢山のやさしい手が添えられたのだ」

 今、御霊へ、生きようとする方々へ、支えようとする方々へ、鶴の一羽一羽は小さな手となって添えられようとしています。

 広げた羽は3㎝、背丈は1㎝。
 鶴たちは、万人の思いを乗せて万人の思う方向へと飛び立とうとしています。
 薄紫、青緑、橙、赤、薄茶などの色たちは、どんな願いも聞いてくれそうです。
 35才の画家パウル・クレーはチュニジアで目覚めます。

「色彩が私を永遠にとらえた。なんという幸福。私と色彩はぴったりと一体なのだ」

 スイスで生まれドイツで活躍していた彼は、アフリカの解放された色彩に眼を瞠りました。
 願わくば、鶴たちの色が目印となり、御霊方が暗い海から救済の陽光が待つ方向へと昇られますように。

230420222 002


※プライバシーを守るために前稿では関西方面在住などと書きましたが、今回、お手紙を公開するにあたり、個人情報が広く知られる可能性があることをご理解いただいた上、写真を掲載しました。
 まごころを届けてくださった加藤さん、心から感謝しています。



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2011
04.19

東日本大震災 ─東北関東大震災・被災の記(その33)ハチドリになりましょう(その2)─

ハチドリになりましょう」という当山の呼びかけに、賛同される方々からの励ましや、ご助力をいただき、感激しています。
 ある病院(産婦人科)の院長先生は、以下のコメントを寄せられました。
「関西にいる友人から『先生のことだから、何かボランティアでもやっておられるのかと思っていました』と電話をもらいました。
 やはり、多少でもやれることがあればやるべきであると思いました。
 もし更年期の様にのぼせ症状、冷え、無気力症状。生理不順。妊娠中の気になること、産後の気分障害、低下。など夢中に過ごした一ヶ月を過ぎるとそろそろ発症することもあるので、その様な方がおられたら電話なり、ファクスなりでお話しできたらと思いました。
 もしその様な人がおられましたらお教えください。
 その方に電話をさせて頂きたく思います。」
 70才を越えた院長先生が、思うように病院へ行けない方のために直接電話で相談にのりたいというお申し出には、ただ、「ありがたい」と言うしかありません。

 作家の篠田節子氏は、小説『仮装儀礼』で、主人公鈴木正彦に言わせます。

「豊かで、平和な日本で、みんなで生きがい求めてトラウマ探しだ。
 バスジャックやったって、近所の子供を殺したって、トラウマがあれば心神耗弱(コウジャク)、無罪放免だ。我等一億、トラウマ乗りだ。退屈過ぎて、みんなで自分の精神を玩具(おもちゃ)にしたがる。」

 当たっている面があります。
 そこへ巧妙につけこむ怪しい宗教団体は、同じようなトラウマを持った人たちの囲い込みを競っています。
 しかし、千年に一度の大天災は、自分の心の隙に生じ、利用しようとする者たちに用意されもするそうした逃げ場所を許しません。
 死を感じながら確かな今を生きねばならない私たちは、周囲から温かい支えを受けたり、支え合ったりしながらも、逃げずに自分の足で立つことを求められています。

 極めてまっとうな人間なのに、人生が狂い新興宗教なる事業を企てるはめに陥った鈴木正彦は、座会と称する自由トークの会を始めます。
「だれもが、自分の事ばかりアピールしたいと思い他人の事情になど関心を持っていない。だから、相手に好きなだけ自分のことを語らせ、ちゃんと話を聞いてやれれば、人は必ず寄ってくる。」
 そして、気づかされます。

「普通の家庭生活を送っている多くの女性が、心の問題や神様について云々する以前に、社会のシステムや制度についての正確な知識を持っておらず、そのために問題が解決できす、相談相手もいない状況に置かれている。」

 人生相談を行っている当山も、同感できます。
 そして、お大師様の教え「病気には医薬と修法が両方とも必要である」を理解できます。
 だから、相談に来られる方々が抱えている問題に対して、宗教的な見方や心構えや祈りをお話しし、必要に応じて医師や弁護士や税理士や司法書士、あるいは政治家など、各方面の信頼できるプロを紹介しています。

 これから、鈴木正彦が指摘する範囲のトラウマではない、厳しいトラウマにとらわれる方々が続出することでしょう。
 そこで必要なのは、冒頭の先生のようなプロと、まごころで寄り添う家族や友人やボランティアなどの人々と、まっとうな宗教ではないでしょうか。
 三者がハチドリとしてそれぞれに力を尽くし、心の復興を軌道に乗せたいものです。
 先生へ相談してみたい方は、どうぞ、当山へお電話ください。

まごころが伝わりました〉
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2011
04.18

訂正とお詫び

 ケアレスミスがありました。

「東日本大震災 ─東北関東大震災・被災の記(その31)心のフリーズを解きましょう─」において、石川啄木に関し「アメニモマケズ」と書きましたが、これはもちろん宮沢賢治の作で、「はたらけど、はたらけど」の誤りでした。
「ゆかり人の会」の会員さんからご指摘いただき、文字どおり、赤面の至りです。
 訂正し、お詫び申し上げます。合掌
2011
04.18

共同墓『法楽の礎』に住職のお骨を合祀するお話

「福島の野菜を食べよう会」が終わり、それぞれが持ち寄った昼食をいただきながら、「ゆかり人の会」の役員会が催されました。
 会議では、お風呂場建築基金などが議題になりましたが、役員Aさんから、突如、突拍子もないご提案がありました。
共同墓に御住職のお骨を納められないでしょうか。
 これだけたくさんの檀信徒さんが法楽寺の法務に共鳴してくださっているのですから、正面にある共同墓で一緒に眠っていただければ、合祀の皆さんも、十三仏様に手を合わせる皆さんも、墓地で眠る我々もどんなに心強いかわかりません。」
 心底驚きました。
 僧侶は家族からも離れてポツンと眠る習わしになっているからです。
 おそらく、こうした共同墓に一緒に入る例はほとんどないものと思われます。
 しかし、無言で「そうしてください!」と希望している皆さんの顔を眺めると、一瞬にして決断がつきました。
 分骨すれば良いだけのことです。
(お釈迦様にご登場いただくのはまことに畏れ多いのですが、お釈迦様のお骨を分骨してたくさんの塔を造ったことが仏法の広がる大きな力になったので、分骨はとても良い弔い方とされています)
 私などと一緒であることが皆さんの安心につながるのなら、何でもやりましょう。
 さっそく、皆さんと同じく朱色を入れた碑盤を作り、皆さんより一段、低いところへ貼ることにしました。

「仏法遥かに非ず。心中にして即ち近し。」

 死後もお大師様の教えを掲げて共同墓法楽の礎』を守り、墓苑『法楽の苑』を守り、境内を守り、訪れる方々をお守りしましょう。

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2011
04.18

東日本大震災 ─東北関東大震災・被災の記(その32)「福島の野菜を食べよう会」は大盛況でした─

 4月17日、絶好の青天に恵まれ、「ゆかり人の会」と「仙台青山会」の役員さんをはじめたくさんの方々が続々とご来山され、本堂前で準備のお手伝いをされました。
 地元で採れた野菜だけを材料として作った漬け物を並べる方、採れたてのネギをネコ車へ入れて駆けつけてくださった方、佐コウ商店さん、そして手作りのパンを提供してくださった「ル・ブルー」さんなどが準備をする先から、どんどん売れはじめました。
 わずか1時間もたたないうちに、キュウリ以外はすべて売り切れ、その後、ご来山される方へ4時近くまでお詫びを申し上げるはめになりました。
 いかに自粛ムードがあるとはいえ、お花見などの行事が目白押しの日曜日にあって、これだけ多くの〈問題意識を持った〉善男善女にご来場いただいたことは、私はもちろん、お手伝いくださった方々にとっても、大きな励ましとなりました。
 必ずや、福島県の方々へも思いが届いたことでしょう。

 告知してくださった河北新報さん、「OH!バンデス」で紹介してくださったミヤギテレビさん、協賛してくださった方々、「駆けつけられませんが」とご志納金を送ってくださった方々、「ゆかり人の会」と「仙台青山会」の役員さん方、まことにありがとうございました。
 心より感謝申し上げます。

 ご来場された方々は、亘理や大河原や名取あるいは古川などにまで及び、皆さんからたくさんのお話をお聞ききしました。
 肉親を 知人を失った方々、あるいは家や職場を失った方々、あるいは九死に一生を得た方々、あるいは避難所の運営で汗を流している方々なども駆けつけ、そこここで語り合い、遠く福島におられる方々も含めて「共に」という心を共有されました。
 西側の境内地では、崩れかけた境内地周辺の復旧工事に励んでくださる方々が操縦する6台の重機がうなりを上げ、庭師さんたちも忙しくたちはたらいてくださり、〈生き残り〉の人々が生を営む聖地は、惜しみなく降りそそぐ陽光の下で輝いていました。
 もちろん、御霊方は、販売前の商品へご加持の法を結ぶ時からずっと一緒でした。
「今日は、水の中から、瓦礫の下から、ここへお招きしていますよ。
 お陽様の光は不足しません。
 暖まってください。
 生き残った人々の真摯な姿を、どうぞ、観てくいてください。」
 私の祈りは通じていたと信じています。
 結界内の空気を通じ、私の目と言葉を通じて、善男善女の心もまた、目に見えない世界へつながっていたと信じています。

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2011
04.17

東日本大震災 ─東北関東大震災・被災の記(その31)心のフリーズを解きましょう─

 福島県へ向かう私へ「放射能は大丈夫ですか?」と訊ねた子供連れの方がおられます。
 思いやりは半分、あとの半分は、放射能をくっけて帰ってこられると困るといったニュアンスでした。
 ありがとうございますと答えながら、思考停止に悲しくなりました。

 毎日、さかんに「がんばれ、日本!」が叫ばれています。
 それはそれで結構ですが、朝から晩まで心を一色に染める雰囲気に浸されて、それを異様に感じなくなることを想像すると、文字どおり背筋が寒くなります。
 思考停止が怖いのです。
 皆さんは、異様に感じられないのでしょうか。

 あの石川啄木、子供でも知っている「はたらけど、はたらけど~」を書いた彼がこう憤っていることはあまり知られていません。
「日本の教育は、人の住まぬ美しい建物である。」
 教育勅語一色で、人のありようを多様に考える雰囲気が圧殺されている状況にガマンがならなかったのです。
 心や情緒が活き活きとはたらかず、精神がこわばれば、人は誰かに使われるロボットへ近づきます。。
 教育勅語の内容を全否定する必要はありませんが、「明治最良の官僚」と広く国民から慕われ、明治天皇の信頼も厚かった榎本武揚(文部大臣)がこの構想に乗り気でなく、更迭されたことを考えてみたいものです。

 なぜ、「福島=原発=放射能=怖い」が条件反射になってしまうのか?
 それは想像力の欠如によるのではないでしょうか。
 発表される放射能の数値と健康被害に関する解説を聞いているだけではなりません。
 それだけでは自分と放射能との関係にしか思いはいたらず、自己中心的で短絡的な考えしか頭に浮かばないからです。
 自分を守る以外のことは飛んでしまって「福島=怖い」のみとなり、非人間的で、ものの道理からも外れた行動を招く恐れがあり、実際、そうした現実が増殖しつつあります。

 条件反射に陥らないためには、原発事故の現場ではたらいている方々、そのご家族、あるいは20キロ圏内や30キロ圏内に入っているばかりに、筆舌に尽くせない不便と不自由と差別と戦わねばならなくなった方々、あるいは支援や復興に汗を流しておられる方々の思いをできるだけ具体的に想像してみる必要があります。
 その上で情報を整理すれば、自己中心を離れた思考が動き、情報の解釈にこわばりがなくなります。
 短絡的思考や思考停止を避けられるはずです。
 非人間的で、ものの道理からも外れた行動は避けられるはずです。

 強い辛さ、苦しさ、悲しさ、淋しさに耐えつつ生きておられる方々、歯を食いしばって黙々と努力しておられる方々の思いを想像しましょう。
 心が一色に染められないよう〈自分〉を保ち、評論家やコメンテーターに判断を任せず、潤いのある柔軟な心で情報を整理しましょう。
 そうした一人一人が絆を深めてこそ、本当の「がんばれ、日本!」が実現されることでしょう。

〈勇気づけられます〉
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「のうぼうあきゃしゃきゃらばや おん ありきゃ まり ぼり そわか」※今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
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2011
04.16

東日本大震災 ─東北関東大震災・被災の記(その30)今こそ、ハチドリになりましょう─

 新聞は連日、涙を誘う〈巷(チマタ)の偉人伝〉であふれ、テレビは終日〈日本がんばれ〉とエールを送って来ますが、来山される方々のお話には、悲しいものが増えてきました。

 いわく、ウチの子は「福島県から移住した子供が、まるでばい菌であるかのように避けられているので可愛そうだけれど、近づくと自分もいじめられる。」と悩んでいます。
 いわく、集団での避難を受け容れた会館では、外出もチェックされ、まるで隔離されているかのような扱いで心が痛みます。
 いわく、魚屋へ行ったら、おじさんが「ウチには福島県あたりから来たものはありませんから、安心ですよ!」と叫んでいました。
 いわく、野菜や果物を売っているのですが、福島県産の商品を仕入れようとしても、市場に出て来ないので、どうにもなりません。
 いわく、友人の不動産屋から「報道されないけれど、原発から30キロ圏内どころか100キロ圏内あたりのお金持ちも、どんどん逃げ出しているよ。」と聞いて驚きました。


「この期(ゴ)に及んで、まだ自己中心なのですか」と言いたくなります。

 私たちは今、抗しがたい大自然の力を前にして、身ぐるみ剥がれた小さな存在としての自分に向き合っています。
 逝ってしまった人々や破壊され消失してしまった生活の基盤への思いが胸に迫り、自分を支えるのに懸命です。
 そしてなお、今を生きねばなりません。
 まことに世は無常、すべては(クウ)です。
 惨状には茫然とし、被災された方を前にして役に立つ言葉はありませんが、この世も私たちも、そもそも無常の存在であることが白日のもとで明らかになっている今、はだかの自分がはだかであることを引き受けて耐えるところからしか、何ごとも始まりません。

 一人では耐え難くなる時も、場面も、ありましょう。
 しかし、私たちは社会的動物であり、社会〈内〉存在でない人はいません。
 人はすべて絆という目に見えない糸で結ばれており、この世も、み仏の世界もマンダラです。
 だから、耐え難ければすがりましょう。
 人へ、仏神へ──。
 そして、支える力が出せる人は支えましょう。
 祈られる人は、支えを必要としている方々のために祈りましょう。
 支える人と支えられる人が一瞬後に入れ替わったとしても何の不思議もないことを、大自然は教えました。
 私とあなた、あるいは私とあの人が入れ替わり、私が避難所にいること、あるいはこの世に別れを告げていることを明確に想像してみましょう。
 そこから本当の絆が生まれるのではないでしょうか。

 日本は今、天災人災が加わり、未曾有の危機にあります。
 日々生きている私たちは善き業(ゴウ)も悪しき業(ゴウ)も積み続けており、それが社会的規模で集まったものが共業(グウゴウ)です。
 原発はまさに共業の産物として悪魔の形相を示し、私たちへ襲いかかっています。
 それに加えて、放射能を恐れる心が福島県などへのいわれなき忌避を引き起こし、風評被害もまた、悪しき共業の産物として福島県民などを苦しめています。
 私たち日本人(日本に住む人々)は、悪魔の面を持つことに想像力が至らず原発を造ってしまったという悪しき共業と、福島県民を苦しめているという悪しき共業に共同して責任を負わねばなりません。
 この共業から逃げられる人は一人もおらず、「共業は誰かに押し付け、自分だけが安全でありたい」と考えるのは誤りです。
 必ずツケが回ってくるのは、〈死なない人がいない〉ほど確かです。
 私たちは、進んで共業を引き受け、自分のできる力で自分を清め、その徳によって共業を清めようとするしか、〈まことある生き方〉はできません。

 アンデスの先住民に伝承されている『ハチドリのひとしずく』があります。
 当山はかつて、ブログ「できることをやりましょう ―『ハチドリのひとしずく』に学ぶ―」で紹介しました。

 ある日、森が火事になりました。
 動物たちは皆、我先にと逃げ出しました。
 ところが、クリキンディというハチドリだけは、くちばしに溜められるだけの水を運んでは火の上へ落とす作業をしています。
 逃げるのに忙しい動物たちは笑いました。
「そんなことをして何になるんだい?」
 火事の勢いの前ではあまりに無力なこととしか思えないからです。
 でも彼は答えました。
「私は、私にできることをしているだけだよ」

 皆さん、今こそ、ハチドリになろうではありませんか。

 最近、関西方面在住のAさんから、ご友人が被災者の方々を慰めようと作られた折り鶴のご相談をいただきました。
 被災者の方々を少しでも慰めたくて作ったけれども、どうしたらよいかわからないとのことです。
 もちろん、さまざまな機会に折り鶴を通してそのお心を伝えたいと願い、ありがたくお引き受けしました。
 追って、お便りもいただきました。

「大変な状況の中、とても情緒的な申し出だと承知していたことだったので、快くお引き受けいただいたこと、心から感謝の気持ちでいっぱいです。
 震災以降、毎日胸を痛めては少しですが物資を送ったり、運営しているサイトの収益から義援金を送らせていただいたり、思いつくことはとにかく実行していたつもりでしたが、今回の友人の『鶴を届けたい』という希望には正直少し困惑もしていたのです。
 それは『形のない気持ち』よりも今は『形のある支援』ではないのかと思っていたからでもあります。
 失礼を承知でお電話させていただき、住職のお話をうかがっていて、少し自分の頑なな思い込みを恥ずかしく感じました。
 本当にありがとうございます。
 気持ちを届けることができると知った友人の喜ぶ顔が今から楽しみです。
 この先も誰かに必要とされればいくらでも作ることでしょう。
 今日は私が癒されました。
 本当にありがとうございます。」

 誰しもがハチドリになれます。
 自己中心は自他を汚し、傷つけ、苦しめ、悪しき業をつくる心の迷いです。
 ハチドリになれば、自他を清め、癒し、勇気づけ、善き業をつくり、たった〈ひとしずく〉であろうと、必ず悪しき共業を清めます。
 Aさんのように、ご友人のように、ハチドリになろうではありませんか。



 例祭の護摩法を終えてから「新ふくしま農業協同組合」さんへ出向き、野菜を受け取ってきます。
 次々と出荷停止命令が出て採れたばかりの路地野菜などを投げてしまわねばならない悔しさ、営々と耕してきた農地を放棄しなければならない淋しさをお聞きすると、心に涙の雨が降り、不動明王に似た怒りの炎も燃え上がります。
 水と火を抱いて行ってきます。
 明日、〈まことある生き方〉を求める方々が一人でも多く山里へ足を運んでくださるよう、祈りながら。

〈あまりにも可憐で……〉
230415 0032



 般若心経を一緒にお唱えしましょう。
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「のうぼうあきゃしゃきゃらばや おん ありきゃ まり ぼり そわか」※今日の守本尊虚蔵菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。





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2011
04.15

東日本大震災 ─東北関東大震災・被災の記(その29)「福島県の野菜を食べよう会」を行う理由─

 当山へ深く理解を示す福島県在住のAさんからご質問をいただきました。
「なぜ、法務一筋の清浄なお寺をめざしている法楽寺がここまでやるんですか?
 きちんと説明してください。
 福間県民の一人として、いろいろな方がいろいろやってくださるのは確かにありがたいのですが、二つほど、心にひっかかることがあります。
 一つは、『かわいそう』と思われることを腹立たしく思う気持です。
 何の心配もない境遇にいる人がまったく普段通りの生活の中で、『福島県の人たちがかわいそうだからキュウリを買います』と言うテレビの画面へ、『結構です!』と怒鳴りたくなります。
 自分を安全なところにおき、いつもと変わらぬ生活をしている人から、簡単に、はいわかりました、かわいそうですねなどと言われたくないのです。
 もう一つは、福島県の窮状が営利行為や売名行為や思惑に利用されていることへの反発です。
 私たちは、見せ物にされたり、何かのチャンスと思われたりすることへとても敏感になっています。
 風評被害に負けず、現場で助け合いながら生き抜こうとしている私たちには、そうした人々へ対する耐え難い思いがあります。
 法楽寺が催事を行う本当の目的を答えてください。」

 まことにありがたいご指摘です。
 これは、「なぜ、お線香を捧げるのか?」という問いについての答え方と同じパターンになります。

 私がこう質問すると、多くの方々は答えられます。
「佳い香りがするから」
「お香は、向こう側へ逝った方々の食べ物だと聞いたことがあるから」
「邪気を祓って清らかになる感じがするから」
「香りに乗って、自分の気持が届くような気がするから」
「香りが届いて、ご先祖様がやって来られるような気がするから」

 今度は私が答えます。
「とてもすばらしい気持が表れていますね。
 そう感じたり、思ったりする心を大切にしてください。
 お線香を捧げる実践を続けてください。
 でも、供養の意義としては、もっと深いものもあり、そこまで考えてこそ、慣習ではない真の宗教行為になります。
 釈尊が入滅された後、捧げるお線香やお花などについての考察が進められ、卓越した行者たちはついに、それらが人間修行の根幹にかかわっていることに気づきました。
 捧げものと修行との関係です。
 仏道に励み菩薩(ボサツ)をめざす行者は必ず六波羅密(ロッパラミツ)行を行います。
 悟りへ至るために欠かせない6つの心をつくる修行です。
 では、お線香と修行はどういう関係にあるか?
 お線香は、いったん火をつけられれば淡々と自分を燃やしながら佳い香りをふりまき、燃え尽きた後にも佳い香りを残します。
 この姿こそ『精進』そのものであって、行者はお線香の香りと共に精進の心をつくり深めます。
 だから、皆さんはお線香を捧げる時、『お線香のように精進しますから、どうぞ安心してください。どうぞお守りください』と念じてください。
 皆さんが人間修行を行い、お線香のように精進する姿を見ていただく以上の供養はありません。
 このように、お線香を捧げる供養には、深い意義もあります。
 ぜひ、佳い香りを捧げるという気持から、精進の誓いまで、心を深めてください。」

 では、このパターンと今回催す会の関係はどうなのか?
 佳い香りを捧げようとしてお線香を点すことと、福島県の方々は大変だろうなと思ってキュウリを買うことは、同じく〈第一段階〉です。
 では、精進の誓いと同じ〈第二段階〉は何か?
 それは「共業(グウゴウ)に気づき、共業(グウゴウ)を清めようとすること」です。
 だから「風評被害は恥ずかしい・原発事故はみんなの問題」としました。

 私たちは生きながら善い業も積み、悪い業も積みます。
「私は業が深いから……。」などという場合は、「私は悪業をたくさん積んできたから、その結果、今の境遇になったのはしかたがない」という意味です。
 こうした一人一人の業が集まって共業という社会的な業がつくられています。
 業の堆積が歴史であり、わたしたちが今、どういう社会に住んでいるかを考えれば、これまで積まれた業の様子が理解できます。
 今の日本全体にとって最大の問題は原発事故の帰趨です。
 原発は私たち皆が積み上げた業の結果として造られ、悪魔となって私たちを追いつめています。
 事故の根本原因は、原発を造った共業であり、地震と津波は、事故を起こした間接的な原因(縁)であることをはっきり認識したいものです。
 だから、問題を解決するための出発点は、「自分たち皆でつくった悪しき共業は、自分たち一人一人が善い業を積むことによって変えねばならない」と気づくことにあります。

 悪しき共業の結果としてもたらされた苦を共有し、一人一人が善い業を積まなければ社会は変わらないという認識を肝に銘じていただく機会をつくるのは宗教者の役割です。
 事故の現場では、昼夜を問わず我が身を捨てた奮闘が続けられ、農家の方々は出荷制限や作付け禁止などに打ちのめされ、風評被害に追い打ちをかけられてなお、農業の未来のために奮闘を続けておられます。
 ぜひ、「福島の方々は大変だろうなあ」と心から思いやり、実際に野菜を買って食べ、「自分もかかわっているのだから、自分のできることをやる」実感を持っていただきたいと心から願っています。


〈笑顔です〉
230415 0062



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「おん ばざら たらま きりく」※今日の守本尊千手観音様の真言です。
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2011
04.14

『大日経』が説く心のありさま六十景 その31 ─狗心(クシン)その2─

 大日如来は、『大日経』において「狗心(クシン…犬のような心)」を戒めました。
 わずかな餌をもらって、すぐに尾を振る犬のように、少し修行して「そうか!」と何かを会得したような気持になっても、そんなことで満足してはならないという無限精進の教えです。
 それを密教では「勝義心(ショウギシン)」といい、悟りを求める「菩提心(ボダイシン)」とセットになって行者を導いています。
 また、「もっと、もっと」と貪らず、感謝を忘れない「少欲知足(ショウヨクチソク)」は釈尊による行者への戒めであり、身の回りの諸々のものには多くを求めずに感謝の心を持ち、だたひたすら修行に励むべしというのが本意です。

 では行者でない方々にとって、この二つの教えはどのような意義があるのでしょうか?
 それを解くカギは「菩薩(ボサツ)」にあります。
 菩薩とは、釈尊の悟りの境地を求める修行と研究が進み、時の流れと共に興った大乗(ダイジョウ)仏教が見つけた理想の修行者像です。
 梵語ではボーディ・サットヴァといい、ボーディ=悟り、サットヴァ=生者なので、「悟りと共にある人」という意味になります。
 それはどういう人か?
 過去と考えれば悟った人、現在を考えれば悟っている人、あるいは未来へ向かって悟りを求めている人となります。
 では具体的にどういうイメージなのか?
 イメージによる修行法によって確実に理想へ向かう歩む方法を確立した密教では、『理趣経(リシュキョウ)』の「百字の偈(ゲ)」が明らかにしています。
 その極めてわかりやすい5つのポイントは、これまで何度も書いたとおりです。
 ブログ「『理趣経(リシュキョウ)』百字偈 7」で、こうまとめました。

 み仏の子である私たちは、その本姿を生きるのが、自他共に幸せになるための方法です。
 それは菩薩として大欲に生きることです。
 菩薩とは、み仏から分けいただいたいのちの力である大いなる意欲を、清らかで正しく用いる存在です。

 菩薩は、自分だけが安楽を得ようとはしません。
 菩薩は、智慧と正しい方法とによってすべてを清らかなものに変えます。
 菩薩は、大欲(タイヨク)によってすべての迷いを消します。
 菩薩は、大欲によってすべてを救います。
 菩薩は、清浄な大欲があるからこそ、この上ない安心も、真の豊かさも、何ものにも妨げられない自由をも得られるのです。

 身体と心を携え、意欲を持ってこの世へ修行に来た私たちの本当の生き方が説き尽くされているのではないでしょうか。

 お大師様は、天皇の指示で密教の趣旨をまとめた書物において、菩薩の心構えを定められました。

「菩薩の用心は皆、慈悲を以て本(ホン)とし、利他(リタ)を以て先とす。」

 菩薩として生きる自覚を持っている人々はすべて、思いやりを根本とし、自利ではなく、利他の考えと行動を先にせよという教えです。

 さて、大乗仏教が菩薩という理想の修行者像に気づき、出家者と在家者を根本的には区別しない以上、菩薩は「理想の人間像」と言うべきです。
 修行と修法にすべてをかけ、み仏へいただくお布施へいのちを託す行者も、自分と家族や周囲の人々を守り生きて行く娑婆の方々も、生きる糧を得る方法は異なろうと、人間としての理想像は同じです。

 以上のことを考えれば、こうなりはしないでしょうか。
「思いやりを持ち、我がことについては多くを求めずに『おかげさま』と感謝し、周囲のことについては『おたがいさま』と手をさしのべ、こうした生き方に徹底できるよう無限の意欲と向上心を忘れないのが菩薩である。」
少欲知足(ショウヨクチソク)」を生活態度として我欲を離れ、「狗心」に逃げたり陥ったりせず、自己中心を離れた清浄な意欲を持って生きられるなら、他に何か必要なものがありましょうか。

 釈尊の教えも、大日如来の教えも、こうした不安な世であればますます燦然たる輝きを増しています。
 不動の道標(ミチシルベ)です。

〈ありがたいと合掌するのみです〉
230413 0032



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「おん あみりたていせい から うん」※今日の守本尊阿弥陀如来様の真言です。
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2011
04.13

『大日経』が説く心のありさま六十景 その30 ─狗心(クシン)その1─

 私たちの心にある仏性が輝こうとする時、邪魔をする曇りがあります。
 せっかく霊性が機関車としてはたらこうとしているのに、ブレーキがかかります。
 曇りをもたらす貪りや怒りや迷いを脱し、感謝や平安や智慧を獲得するためには、心の揺れ動いているありさまを正確に知る必要があり、『大日経』は、悟る前の曇った心模様を60の面から解き明かしています。
 その指摘を一つづつたどり、しっかり省みましょう。
 第30回目です。

29 狗心(クシン)
 ごく僅かなものを得ただけで喜び、こと足れりとする心です。

「少分(ショウブン)を得て以て喜足(キソク)となす」

 
 犬は飼い主を慕う思いがはっきりと表現できるとても可愛い動物です。
 しかし、一口、餌をもらっただけで大きく尾を振る様子を人間にあてはめれば、「誰かに少し良くしてもらうと、すぐに靡(ナビ)く卑しい人」となってしまいます。
 確かにこういうタイプの人は心の底が見えているようで、あまり尊敬されませんが、一方で、疑問が湧いてきます。
「待てよ、少欲知足(ショウヨクチソク)との関係はどうなるのだろう?
 欲を少なくして足るを知るのは、仏教が推奨する生き方だったはずなのに……。」

 釈尊の遺言とされる『仏遺教経(ブツユイキョウギョウ)』に有名な一節があります。

「知足(チソク)の人は地上に臥(フ)すと雖(イエド)も、なお安楽なりとす。
 不知足の者は、天堂に処すと雖(イエド)も亦(マタ)意(ココロ)に称(カナ)わず。
 不知足の者は、富めりと雖(イエド)も而(シカ)も貧し。」

「ああ、ありがたい」と、少しのものへ対しても感謝できる人は、地べたで寝るしかないような生活の中にすら安楽を見いだせます。
 しかし、いつも『もっと、もっと』と貪るばかりで感謝の薄い人は、天界にある宮殿のような所に住んでいてさえ、満足できません。
 足るを知る心がなければ、たとえいかなる富にめぐまれようと、心は貧しいままです。
 だから、身のまわりの問題については、早く『こと足れり』としなさい。
 真に心を豊かにする修行に励みなさい。
 生きて修行できさえすれば、そのこと自体がありがたいのであって、それ以上を求めてはなりません。
 ただひたすら修行に励みなさい。」
 こう説かれました。

 この教えを少し考えてみれば、疑問は解けます。
 行者が求める心を抑えるのは生活に関する部分であって、修行については、無限に心の向上をはからねばなりません。
 悟りの境地を求めるためにこそ、余分な欲はそぎ落とす必要があります。
 だから、インドの仏教がたどりついた密教においては、悟りを求める「菩提心(ボダイシン)」と、その意欲を高める「勝義心(ショウギシン)」が、修行者にとって忘れてはならない心の二本柱として確立されています。
 
 ところで、行動主義心理学を提唱したアブラハム・マズローは、「欲求段階説」を主張しました。
 人間の持つ基本的欲求には5段階があるというのです。

1 生理的欲求
2 安全の欲求
3 所属と愛の欲求
4 承認の欲求
(ここまでは「欠乏欲求」とされ、まず、これらが満たされないと不安でたまりません)
5 自己実現の欲求
(これが人間らしい「成長欲求」です)


 お大師様は、マズローに1000年以上、先んじて、「成長欲求」の内容を明確に示されました。
 それが「十住心論(ジュウジュウシンロン)」です。
 本能的欲求で生きる倫理以前の段階から、倫理に目覚める段階、倫理から宗教心へ行く段階、無我を知る段階とだんだんに心は深められ、高められます。
 こうした修行を行っていると、上記の疑問は起こりません。
 〈身のまわりの問題について〉考えてはいられないからです。

 ここまで考えると、「狗心(クシン)」は、少欲知足の否定ではなく、勝義心(ショウギシン)の教えであることが理解されます。
 これでいいやと安易に妥協したり、諦めたりせず、求めてやまない姿勢を貫きなさいと説いているのです。

 では、行者ではない普通の生活をしておられる方々にとっての「少欲知足」は何でしょうか?
 「狗心(クシン)」の教えはいかに考えるべきでしょうか?
 仏法が万人の救いである以上、こうした教えは必ず尊い導きになるはずです。
 それは次回、書きます。

〈メダカの春です〉
230412 007



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2011
04.12

東日本大震災 ─東北関東大震災・被災の記(その28)福島県の野菜を食べよう会─

福島の野菜を食べよう会 ─原発事故は皆の問題・風評被害は恥ずかしい─

日 時:4月17日(日)午前10時より(売り切れご免)
場 所:黒川郡大和町宮床字兎野1-11-1当山境内地にて(雨天の際は本堂にて)
電 話:022(346)2106
駐車場:100台可能
お願い:買い物袋やペットボトルなどをお持ちください。

 地震と原発事故を発端として生じているこのたびの諸々のできごとは日本全体の問題であり、問題解決のために国民すべてが行動を起こし、責任を共有することが大切であると考えています。
 当山は、行動の一環として上記の計画を立てましたので、皆々様のご来場を心よりお待ちしています。
 大震災に立ち向かうすべての方々と被災者の方々、そして犠牲になられた御霊へ、み仏のご加護がありますよう。



 現状を深く憂いています。
 天災に人災が加わっています。
 同じ天の下で暮らす私たち同胞は、絆をもって災厄へ立ち向かうべきではないでしょうか。
 人災は悪しき共業(グウゴウ…社会的)をつくり、悪しき共業は社会から潤いと信頼と安心と発展を奪います。
 何としても、一人一人が善きをつくり、共業を清めねばなりません。
 福島の方々は現地で奮闘しておられるので、大切な作物は、前日の夜、私がワゴン車で受け取りに出向き、翌日10時までに並べます。
 たとえわずかな品々であっても、心ある方々が実際に手にし、作った方々のご苦労を偲びながらおいしくいただけば、必ずや事態を良き方向へ転化させる力になるものと信じています。

230412 00666

〈嬉しい兆しです〉


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2011
04.12

十三仏様のご加護13 ―不動明王と枕経―

 枕経の後で、いつも、なぜ今、修法を行ったかをお話しします。
「亡くなられたばかりの方は、まだ、何が何だかわからないかも知れません。
 この世から離れると、この世ならぬ世界の方々がやってくることでしょう。
 その中には、懐かしい肉親や友人も、あるいは二度と会いたくない人や未成仏の苦を背負った亡者もいるでしょう。
 チベット人すべての導きとなっている『死者の書』にも、さまざまな霊との邂逅(思いがけない出会い)が説かれています。
 だから、迷わぬよう、悪しきものとの縁がつかぬよう、十三仏様のうち一番手となっている不動明王結界を張ってお守りします。
 アニメの結界師は「結(ケツッ)!」と叫びますが、私たち行者は主として九字などを用います。
 まあ、修法に似ていないこともありません。
 早く枕元へ駆けつけて、割合早いスピードで経文を唱えるのは、早くお守りするためです。」

 不動明王は衣をまとってはいますが、他のみ仏方とは、雰囲気がまったく異なります。
 それは、奴隷の姿だからです。
 また、他の方々は多くの場合、蓮華に坐しておられますが、不動明王だけは岩に坐し、何と、頭上に小さな蓮華を載せておられます。
 不動明王は、私たち凡夫をご主人様として自分の頭上へ置き、一番下の世界からヨイショと持ち上げ、救ってくださるためです。
 左手には、救い漏れがないように縛って引き寄せる縄を持ち、右手には、迷いを断ちきる剣を持っておられます。
 憤怒の形相は、親が、言葉だけではなかなか言うことをきかないわからずやの子供を叱る時の表情です。
 教えに耳を貸そうとせず、我欲まみれで強情な人をも、不動明王は見捨てません。
 悪の強さを圧倒する力の怒りで気づかせてくださいます。
 親が子供を慈しむ気持から強く叱るのと同じです。

 不動明王の「不動」には四つの意味があります。
 一つは、不動明王の「一人も残さず救い尽くそう」とする決して揺るがぬ決意を表しています。
 もう一つは、必ず安心の世界へ向かい、未成仏霊となって苦しまぬよう、み仏のおわす故郷へ還る御霊の決心を表しています。
 もう一つは、「帰依します」というすなおな気持に変わりがないことを不動明王の姿に託す私たちの決心です。
 そしてもう一つは、日常生活において平常心を保つ願いです。
 すべての思いを受ける不動明王は、大日如来の使者として、常に強大な力を発揮しておられます。

 さて、私たちの「不動の心」は「肝っ玉」などとも言われます。
 小説家高任和夫氏が『青雲の梯(カケハシ)』で書いた大田南畝(オオタナンポ)は天明期に活躍した狂歌師で、蜀山人(ショクサンジン)と名乗っていました。
「恐れ入谷の鬼子母神」は今だに残っている名言です。
 ある日、目黒の不動尊をお詣りした帰りに田楽屋で一杯やっていたところ、やはり独酌をやっていた武士へ店のお婆さんが生焼けの田楽を出してしまいました。
 怒鳴られて出し直しをしたら、今度は黒こげになっていたので、酔っていた武士は「そこへなおれ、たたっ切る!」と柄に手をかける騒ぎになりました。
 黙って見ていた蜀山人は腰の矢立から筆を取りだし、狂歌をしたためて示しました。
「こんがらと、焼けば良いのに急(セ)いたから、中に不動もありそうなもの」
「こんがら」は、こんがりと焼けたという意味に、不動明王の脇に立つ「コンガラ童子」をかけました。
「せいたから」は、慌てたという意味に、やはり不動明王の脇に立つもう一人の「セイタカ童子」をかけました。
 そして、真ん中に不動明王です。
 決まりました。
 こんな一首は、一同を驚きと称賛と笑いの渦に巻き込み、一件落着となりました。
 目の前で人の生死が分かれようとした時に、自分の得意分野でサラリと解決してしまう力量は桁外れです。
 ちなみに、蜀山人はこう詠んで74年の生涯を閉じました。
「今までは 人のことだと思ふたに 俺が死ぬとは こいつはたまらん」
 時代を動かした老中田沼意次に一目置かれていたのも納得できます。
 やはり不動心があったのでしょう。

 不動明王を前にして護摩修法を行うと、高さ1メートルにも満たない不動明王は大魔神のように巨大な姿になって火中へ入り、無限のパワーで堂内を満たします。
 その結界力は絶対であると信じています。

〈朧な春〉
230403 00222



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「のうまく さんまんだ ばざらだん かん」※今日の守本尊不動明王様の真言です。
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2011
04.11

東日本大震災 ─東北関東大震災・被災の記(その27)福島県の野菜─

 未曾有の東日本大震災から早くも1ヶ月が過ぎました。
 原発事故は依然として予断を許さぬ状況です。
 これまで何度も書いたとおり、この危機は、私たち全体が招いたものであって、決して東電や福島県へのみ責任を負わせるわけには行きません。
 特に風評被害などは、私たち日本人がしっかりした責任感を持てば、起こりえない人災です。
 かねて「できることをやりましょう」と訴えている当山は現在「福島野菜を食べよう会」を企画しています。
 ここ1両日中に、きちんと発表できるので、ぜひ、皆さんのご協力をお願いします。

 歌人水原紫苑さんは、河北新報「つなげる思い」で詠みました。

「原子の火に焼かれし唯一の国としてかくも畏(オソ)れを知らざりしわれら」
「凶事(マガゴト)はわれらすべての負うものぞ殊(コト)にも電気をもてあそびしわれら」


 ところで、あちこちで「お寺は何をしているのか」といった批判が高まっているように思われてなりません。
 被災の現場で姿が見えない、あるいは宗派で力を合わせて何かをやるといった形が見えないからでしょう。
 寺院の側に、「寺院は万人へ開かれた公器である」といった感覚が薄く、寺院の宗教活動がなかなか目に見えない形でのみ行われて来たところにその原因があり、深く省みなければなりません。
 その一方で、この機会に、寺院は普段、何を行っているところなのかを理解していただきたいと願いもしています。

 たとえば、4月10日は、墓石の修復が済み、亡くなられた奥さんの納骨式を行いました。
 本当はご兄弟などが参列する予定でしたが、度重なる地震の影響で思うに任せず、近くに住む方々のみとなりました。
 また、やっと転居できることになった方が住む新居のお祓いをとり行いました。
 不動産屋さんも、引っ越し屋さんも被害を受け、延び延びになっていた希望の日が、やっと実現しました。
 また、ご家族間の問題に関する人生相談がありました。
 もっと早く良き解決へ向かう糸口を欲しくておられましたが、やはり震災の影響でお身内にご不幸があったりして、予定を先延ばしにしておられました。
 また、お位牌を預かる方も来山されました。
 震災の影響もあって、とうとう、お位牌を自宅で供養することができなくなったのです。
 喪服姿で供養式を望まれ、「これで安心しました」と涙を流しながら帰られました。
 また、震災で職場を失った方が来山され、御守が流されてしまったので新たに御守を求め、同時に、安産を祈って帰られました。
 その間も、地震で破損してしまったお位牌をどうしたら良いかとか、お骨を預かってもらえるかなどのご相談などがあり、義援金を持参される方もありました。
 もちろん、すべての機会に、大震災に関するお話を聞かせていただき、当山の姿勢もお話し申し上げました。
 皆さんは、この世のことであれ、あの世のことであれ、さまざまな心の問題を解決したいと希望して、足をはこばれます。
 寺院の活動は、病院と同じであると考えています。
 被災現場での治療は必要ですが、だからといって、日常活動の場での治療を放棄するわけにはゆきません。

 こうした中で、何とか「福島野菜を食べよう会」を開催しようと奮闘しています。
 ぜひ、皆さんのご協力をお願いします。
 み仏のご加護をいただき、皆さんとの絆の力もお借りしながら、皆さんの「この世の幸せとあの世の安心」を実現したいと願っています。

〈3月11日に被災地の方角へクルッと回った大日如来は、震度5の余震にびくともせず、東方へ加持力を送っておられます〉
230411 002

〈ようやく皆さんの動きが本格化し、規格墓『法楽の廟(ミタマヤ)』での納骨式も行われました〉
230411 005



 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
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「のうまく さんまんだ ぼだなん あびらうんけん」※今日の守本尊大日如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。





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2011
04.10

寺子屋『法楽舘』 ─東日本大震災と般若心経の色即是空(第十六回が終わりました)─

 3月11日に予定していた前回の寺子屋法楽舘」は前日に起こった東日本大震災によって中止となり、今月も震度6を観測した余震の直後でしたが、参加される方々がおられ、一ヶ月おいた開講となりました。

 法話の中心はやはり、震災と原発事故に関するものでした。
 参加された方々からは活発なご意見が出され、真剣で深い対話の2時間でした。
 Aさんから出されたご質問の中に、般若心経の一節がありました。
「このたびの地震と津波には、言葉を失う思いでした。
 毎日、新聞に掲載される『犠牲者のご芳名』を丹念に読んでいます。
 あの松原が無くなったのか、あの町並みが消えたのかと、ただただ、茫然としています。
 私は最近、般若心経の有名な一節『色即是空(シキソクゼクウ)』が頭から離れません。
 人々が笑ったり泣いたりしながら生活を営んでいた町並が〈色(シキ)〉なのでしょう。
 そして、それが丸ごと海の彼方へ持ち去られ、何もなくなってしまった様子が〈空(クウ)〉なのでしょう。
 私にはこの二つの距離があまりにも遠くて、〈即〉と説かれても、とうてい理解できません。
 友人が生きていたあの家と、無くなった無の状態がどうして〈即〉なのか、いくら般若心経を読んでも、お釈迦様の悟りにはついて行けません。
 私が埋められない距離をどう考えれば良いのでしょうか?」

 このご質問には、いきなり消えてしまった現実に対する真摯な姿勢があり、一瞬瞑目した後にお答えしました。
「おっしゃる通りの解消できない気持を抱えた方々はたくさんおられるのではないでしょうか。
 事実を現実であると納得できないし、現実感が出てきても、自分は電気も水道もない避難所生活をしているのに、目線のすぐ向こうには普通に店が開き洗車までやっている光景があるというギャップに心が耐え難いという方々もおられます。
 有る世界と無い世界との距離の遠さは確かに途方もなく大きくて、同じ次元ではとらえられないのが実感でしょう。
 しかし、釈尊が観音様の心になって修行しておられた時、二つを〈即〉ととらえられ、一切の苦厄を離れられたこともまた真実です。
 だからこそ、この経典を信じて読誦する人々は救われてきました。
 私も救われた一人です。
 
 さて、距離については、こう考えられてはいかがでしょうか。
 たとえば、いかに堅固な城と屈強な兵隊に守られ、何の不足もない王様とて、一瞬後に心臓麻痺などでいのちを落とすかも知れません。
 そうなって何の不思議もありません。
 今回の地震で、永年かけて蒐(アツ)めた一個数百万円という壺などを失った方もおられます。
 なくなってみると驚きますが、在るということはそれほど脆いものなのです。
 自分の身体をはじめ、あらゆる現象世界はかりそめのものであるという認識が、『色即是空(シキソクゼクウ)』の前にある『五蘊皆空(ゴウンカイクウ)』です。
 現象異世界を成り立たせているモノや感覚作用など五つの要素(五蘊)はすべて、固定的な本質を持つものではないからこそ、『色即是空(シキソクゼクウ)』になります。

 釈尊の悟りの凄さは、〈絶対安全な王様〉の根本的なありようは〈今すぐ死んであたりまえな王様〉であると観てしまったところにあります。
 私たちは皆、やがて死ぬと知っていますが、今の〈生〉とやがて訪れる〈死〉の距離は感覚的に限りなく遠く、高齢の方や大病の方ででもなければ〈即〉が実感できません。
〈即〉の理に包まれているのは自分も、周囲の人々も、イヌやネコやウメやウグイスも、家も町も、山も川も変わりありません。
 この視点が「色は即ち是(コ)れ空」であり、そうしたかりそめのありようとして自分も町もあるという真実が「空は即ち是(コ)れ色」です。

 釈尊は、私たちが距離と感ずるのが勘違いであり、それは一つの真実を有(ウ)と無(ム)に分けて観ているために起こる錯覚であって、錯覚を解消すれば、『度一切苦厄(ドイッサイクヤク)』つまり、一切の苦や厄(ワザワ)いの世界を渡って安心の世界へ行けると説かれました。
 私たちは今、距離の前で立ちすくんでいますが、このまま以前の自分に還るのではなく、一歩深く感じ、考えられる自分にレベルアップしたいものですね。」

 Aさんも、皆さんも納得されたご様子でしたが、この問題にはもう少しつけ加えるべき点があるので、次回、書きます。

〈コンガラ童子目線の護摩法〉
230403 027

〈皆さんのご協力のおかげで、早くも身代わり地蔵様が復活しました。法楽寺は復興しつつあります〉
230410 001

〈可憐です〉
230410 007

〈厳然と立っています〉
230410 016

〈資金もないのに境内地の整備にとりかかってくださいました〉
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230410 005

230410 015

〈ウグイスも鳴き始めました〉
230410 0092



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2011
04.09

東日本大震災 ─東北関東大震災・被災の記(その26)東日本大震災と慈円(その2)

 慈円は、当時としてはかなりの長生きとなる70年の生涯で、見るべきものは見尽くしました。
 天変地異栄枯盛衰、権力者と権力を握る層の勃興と凋落、紙一重で分かれる生と死、湧き上がる歓喜と打ちのめされる悲哀、条理と不条理。
 そして、こうしたすべてを前に、慈円は「道理」という考え(魂のレベルでの感覚)へ行き着きました。
 ここでの「道理」は、単なる理論ではありません。
 「神なる創造主がおやりになることである」と論ずれば、「じゃあ、神様って一体誰なの?」「どうしてそんなに惨(ムゴ)いことをおやりになるの?」「こんなに酷いことをしない神様はいないの?」などと、果てしない論争になります。
 そもそも、理論とは、前提があって成り立つものなので、前提の立て方によって、無限の理論が登場します。
 魔女狩りや十字軍の歴史をひもとくまでもなく、キリスト教の指導者がコーランを焼き、イスラム教の指導者がキリスト教徒を悪魔として糾弾する様子を見ればすぐにわかります。

 私たちはこんなやりとりをします。
 Aさん。
「えっ、そうなの?──道理でねえ。どうもおかしいとおもったよ」
Bさん。
「そうだよなあ。やっぱりそうだよね」
 二人とも、何かの流れを、自然の前提としています。
 Aさんは仏教、Bさんは神道を信じていても、互いの会話は成り立っています。
 前提を〈言挙(コトア)げ〉せずとも、共通の納得が得られています。
 これが慈円の言う道理なのでしょう。
 道、つまり時間の流れに潜んでいる理(コトワリ)を認め合うという心のレベルは、仏様と神様を比べる理論のレベルよりも深く、道理の感覚は私たちの心の伏流水になっています。

 慈円は詠みます。

「こはいかに 又こはいかに とに斯(カ)くに 唯悲しきは 心なりけり」

「えっ、これは一体どういうことなの?」
「こんなバカなことがあって良いはずはない!」
 善が悪とされ、悪が善とされ、不条理が条理にとって代わり、できごとを自分で自分に説明できる判断基準を持てない私たちには、ただただ「悲しい」という共通の真実が与えられているだけだと言うのです。
 この「悲しみ」は、たとえば我が子を失った悲しみという種類のものでなく、人間は〈事態を受け容れる存在〉でしかないという深い慨嘆ではないでしょうか。
 それは単なる諦めではありません。
 受け止めて、そして、立ち上がるための〈足場〉なのです。

 私たち日本人(人種の意味ではなく、日本に住む人々という意味です)は、日本文化を守り育てているうちに、いつしかこうした足場をつくってきたのではないでしょうか。
 外国人を驚かす私たちのふるまいは、固い足場がもたらしたものであり、これこそが文化の精華、結晶であると自信を持つべきであると考えます。

 関白藤原忠通の子供として生まれた慈円は、2才で母親を失い、10才で父親を失い、13才で出家し、38才で天台宗のトップである座主となります。
 伝統仏教の最高位にありながら、迫害される法然を間接的に守り、やがては9才の親鸞を得度させた慈円は、とても柔軟な人だったと想像されます。
 それはきっと、道理を観たからなのでしょう。

 今回の大災害で生き残った私たちは、先に逝った方々と私たちを分けたものが何であるか、理解できません。
 津波を被った人々は、電気も水もない地獄で苦しみ、津波の届かなかったあたりにいる人々は、水も電気もある生活を何の変わりもないかのように続けていることの落差を、誰がどう説明できるでしょうか。
 しかし、私たちは黙々と後片づけを行い、黙々と生き、黙々と手伝い、黙々と立ち上がろうとしています。
 生死を分けるギリギリのところに咲いた、そして今、咲いている自己犠牲や献身や思いやりや連帯といった花々に励まされながら、今日へ、明日へ向かおうとしています。
 それが可能なのは、共通の心の足場を持っているからではないでしょうか。


 私はただただ、合掌しつつ、私にできるささいなことを行うしかありません。
 誰しもがきっと、そうでしょう。
 しかし、私たちは決してバラバラではなく、心の深いところで足場を共有しています。
 一人が立つだけの足場なら脆いかも知れませんが、巨大な足場ならビクともしません。
 当山の本堂が無事だったのは、もちろん地盤の問題もありますが、百坪を超えるべた基礎に建っていることも大きな理由だと言われています。
 皆さん、私たちは、日本の心という共通のべた基礎の上で一緒に立っています。
 これを信じて手をつなぎ、今日へ、明日へ向かおうではありませんか。

〈カエルはいつもどおり、卵を産みました〉
230329 002

〈高い位置にある当山の境内地にも大きな問題が生じました。もちろん、お墓などに何の影響もありませんが、擁壁工事はきちんとやっておかねばなりません。頑張ります〉
230329 005



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「おん さんざんざんさく そわか」※今日の守本尊勢至菩薩様の真言です。
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