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2011
07.31

人間の存在価値 ─宝生如来─

 ずっと世間的にトップを走り続けたAさんが、人生の一時休憩に入られました。
 心が疲れたのです。
 そして述懐されます。
「これまで、何もできないでいる自分の存在価値を疑い続けてきました。
 考えれば考えるほど、行き着く先は自殺でした」
 自他のためにあらん限りの力を発揮し〈負けない人生〉をめざしていたのに、力を出せないどころか家族を含め人の手を借りねば生きられなくなった自分は、否定の対象でしかなくなってしまったのです。

 しかし、人間存在価値を計る尺度というものはあるのでしょうか?
 たとえば、赤ん坊を考えてみましょう。
 彼らは一方的に親にすがって生きています。
 親は大変です。
 片時も目を離せません。
 一方的に世話をする側と世話をされる側ですが、何もできない赤ん坊の存在価値はどうでしょうか。
 赤ん坊は、親へ生きる勇気や仕事のやりがいや育てる幸せを与え、人として成長するための機会を与えています。
 親は、自分では何もできない赤ん坊によって生かされ学ばされているのです。

「それは、親が望んだことだから当然でしょう」
と言うのなら、うつ病になり、回復した妻のことを考えてみましょう。
 やはり〈自分では何もできなくなった〉妻は、私が本堂で祈っている間、ずうっと隣の暗い台所で立っていました。
「腰かけていれば良かったのに」
と言ってみても、立つことと座ることの選択ができない妻にはどうしようもないのです。
 さて、立っていただけの妻は、ごの方のために祈っていた私よりも存在価値が低いのでしょうか。
 そんなことは決してありません。
 祈っているのは〈自分で追いつめてしまった妻を自分で支えている私〉以外の誰でもなく、今の〈私〉は妻なくしてどこにも居はしないのです。
 最近、Tさんから私たち夫婦へ励ましの手紙をいただきました。
 それを考えると、祈っているのは〈夫婦を励ます手紙をくださったTさんに勇気づけられている自分〉であって、Tさんなくして〈私〉はどこにも居ないし、妻にとっての私、Tさんにとっての私も同じことです。
 そして、妻にとってのTさん、Tさんにとっての妻も同じです。
 
 誰でもが、の糸で結ばれた存在としてしか存在できず、の糸というかけがえのないものによって生かされている存在である以上、それぞれの間に存在価値の上下はまったくありません。
 こうした関係を仏教では「平等」と言い、その真理を観る「平等性智(ビョウドウショウチ)」を司るみ仏を宝生如来(ホウショウニョライ)とお呼びします。
 絶対の平等という視点に立てば、人はもちろん虫も鳥も犬も山も太陽もそして仏神も、ありとあらゆるものが自分にいのちを授け、今を生かしてくださっている宝ものであることに気づくのです。

 自分はそうした宝ものの世界に守られ、同時に自分もその世界の一員、―――宝ものなのです。

※この文章は平成16年に書いたものです。
※この文章は、もうネットで読んでいただけない古い綴りの中から行者高橋里佳さんがピックアップしたものを加筆修正の上、再掲しています。

20110707 012



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2011
07.31

東日本大震災 ─東北関東大震災・被災の記(その82)─生死の行方を分け、生を追求する現場

 仙石病院理事長神部廣一氏は、前回のシンポジウムに引き続き、「大震災の経験 医師として・被災地の住人として」と題する貴重なメモを作って講演されました。
 私がブログへ書いた「シンポジウムが終わりました ─トリアージ・応召─」を受け、大災害の現場における医師の行動と思いを柱として、東京都や岩手県からもかけつけた真剣なまなざしの参加者へ語りかけられました。
 以下、その要点を、氏からお借りした資料に基づいて(一部、表現を変えています。文責は法楽寺にあります)、まとめます。

1 災害時医療には、超急性期・急性期・慢性期がある。

2 沢山の人のいのちを救えるかどうかという超急性期と急性期には「DMAT」という災害急性期に活動できる機動性を持ったトレーニングを受けた医療チームが対応する。
・病院支援 被災地内で多くの傷病者が来院している病院に対し混乱の制止・機能維持を図り、トリアージ、診療などの医療支援を行う。
・域内搬送 ヘリコプターや救急車などによる傷病者の搬送で、現場から被災地内の医療機関、被災地内の医療機関から近隣地域への搬送の医療支援を行う。
・現場活動 現場でのトリアージ・緊急治療を行う。

3 トリアージ(選別)の内容。
・人材・資源の制約の著しい災害医療において、最善の救命効果を得るために、多数の傷病者を重症度と緊急性によって分別し、治療の優先度を決定すること。
・重症度・緊急度決定ではない。人材・資材が相対的に不足する状況では、全く処置されない(結果死亡する)場合がある。

4 トリアージでの傷病者振り分けの優先順位は「START法」によって決められている。
最優先治療群(重症群)赤のタグがつけられる(I)……生命を救うためただちに治療を必要とするもの。窒息、多量の出血、ショックなどの危険のあるもの。
 待機的治療群(中等症群)黄のタグがつけられる(II)……多少治療が遅れても生命に危険のないもの。基本的にバイタルサインが安定しているもの。
 保留群(軽症群)緑のタグがつけられる(III)……上記以外の軽微な傷病でほとんど専門医の治療を必要としないもの。
 死亡群 黒のタグがつけられる(0)……すでに死亡しているものまたは明らかに即死状態で心肺蘇生を施しても蘇生の可能性のないもの。

5 歩けるかどうか、呼吸はどうか、呼吸数はどうか、循環はどうか、意識レベルはどうか、といった手順で選別がなされる。
 無傷・待機・死亡・緊急治療・準緊急治療に分けられた患者はそれぞれの色のタグがどこかにつけられる。

6 オーバートリアージとアンダートリアージの発生は避けにくい。
・「優先度」というフィルター:人間の価値の優劣
・「トロッコ問題」→幸と不幸の選別、相殺(?)

7 大前提として、医療資源が災害に対して圧倒的に不足している状況がある。
・緊急度、重症度により傷病者を選別し救命の可能性の高い傷病者を優先することにより最大多数に最善を尽くす行為
・要所要所で繰り返し、何回も行う

8 トリアージを行う場合には、知性によって抑制された憐れみが必要である。
修羅場には盲目的であり、 負傷者の泣き声は聞こえない
・両手は背後に固く縛られている(治療しない/手を出さない)


 氏は「人は神になれるか」といった言葉も用いて手順の説明をされました。
 一人の人間の生死に直結しかねない選別・分類は、神ならぬ人間がどうしても行わねばならない、しかし人間にしかできない厳粛で過酷な仕事であることが想像できます。
 重要な言葉が提示されました。
 「オーバートリアージ」とは、患者さんの状態を〈重く〉判断し過ぎることです。
 「アンダートリアージ」とは、患者さんの状態を〈軽く〉判断し過ぎることです。
 オーバートリアージは治療する側に多少の問題が生ずる場合はあっても、結果的に患者さんを危険に陥れることはありません。
 一方、アンダートリアージは、救えたかもしれない人を亡くしてしまう危険性があります。

 この問題に関して、個人的な体験があります。
 数年前、境内地でユンボを操縦中に、7~8メートルある崖から重機ごと転落しました。
 境内地の整備を手伝っておられた方々の通報で救急車が駆けつけ、市立病院へ運ばれました。
 集中治療室へ入れられ、顔面から出血し、肋骨にヒビが入り、肝機能に問題がある状態でベッドに寝かされ、一晩中うなされたり、わめいたりする声を聞きながら泊まりました。
 翌朝、入院を勧められましたが、何をしていただけるのか訊ねたところ、安静にすることと薬を飲むことと知り、強く退院を申し出ました。
 仕事をしながらでも休息はとれるし、薬を飲むのも問題はないので当然です。
 集中治療室から翌日出て行った人は初めてだと主治医からあきれられましたが、今になって思うと、きっと、オーバートリアージに似たものだったのでしょう。

 「要所要所で繰り返し、何回も行う」にもまた頷かされ、死刑執行のボタンを思い出しました。
 日本の制度では、死刑執行人がボタンを押して絞首台が作動し、死刑囚は確実にこの世へ別れを告げます。
 執行の際、死刑執行人の精神的負担を軽減するため、3人の執行人が同時にそれぞれ自分の前にあるボタンを押します。
 どのボタンが作動ボタンであり、どのボタンがダミーのボタンであるかは決して知らされず、明らかにもされません。
 
 「知性によって抑制された憐れみ」とはいかなる精神でしょう。
 深い哀れみの心を持ちながらも、感情に流されず冷静な判断ができる状態なのでしょうか。
 プロの真骨頂を感じます。
 晩年の美空ひばりが涙を流しながら唄う場面をテレビで何度か観ました。
 画面にクローズアップされた両目からは少なくない涙が流れ出て頬を伝っているのに、歌そのものは微動だにしません。
 その一方で、レコード大賞などをもらった若い歌手などはボロボロで、まった歌にならなかったりします。
 私はいまだに、自分が時折、そうした歌手たちと近いところに来ていることを自覚し、省み、羞じながら法務を行っています。
 心で涙を流しながらビシッと引導を渡し終えると、全身の力が抜ける思いになる場合もありますが、一瞬後には供養のお経を唱え始め、淡々とご葬儀を終えます。

 氏の〈知性と憐れみ〉については、シンポジウム終了後、部下の女性との短い会話で納得し、嬉しくなりました。
 「先生はあまり言葉でどうこう言われませんが、私たちは先生の優しさを強く感じながら仕事をしています」
 それがあればこそ、「修羅場には盲目的であり、 負傷者の泣き声は聞こえない」厳しい仕事ができるのでしょう。
 「両手は背後に固く縛られている」にも衝かれました。
 緊急事態で判断するのが使命となった医師は、手が縛られているつもりで判断し続けるというのです。
 それは、治療しないではいられない思いの強さがあればこその戒めであり、いかに心で歯を食いしばっておられるか、想像しきれない次元であると感じました。

 有名な「トロッコ問題」は、一人一人が考えるしかありません。
 「制御不可能になったトロッコが暴走し、このままでは線路の先にいる作業員5人が死ぬであろう。
 自分が進路を切り替えれば5人を救えるが、別な線路にも作業員が1人いて、切り替えるのは、自分の意志でその1人を殺すことでもある。
 さ、どうするか、そして、その判断は倫理的にどうなのか」
 これに似た状況に立たされている方々の仕事の前では、素人は頭を垂れるのみです。
 
20110724 004



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2011
07.30

宗教者などの愚行

「なぜ学者宗教者なども酷い事件を起こすのでしょうか?
 皆さん、いったい何を勉強しているんでしょうかねえ」
 Aさんの憤慨に満ちた質問を待つまでもなく、セクハラから殺人まで、知識が人一倍あるはずの人や、仏神を前に厳しい修行をしているはずの人たちが見せる所行には、目を覆いたくなるものがあります。

 学者については、知識を得るための学問だけでは、心にあるスキを埋められないからです。
 スキとは、魔ものの入り込む余地です。
 正しさの抜け落ちた心の空洞とでも言えるでしょうか。
 これがあるかどうかは、知識の多少や地位の高低とは関係がありません。
 スキが少ない人とは、他人とのやりとりで言い負けない人ではなく、まっとうに生きている人のことです。
 人として正しくものごとを見分け、考え、話し、行動することがすべての前提でなければなりません。
 そのために釈尊はまず正しくあるための『八正道(ハッショウドウ)』を説かれました。

 宗教者については、拝むだけではまごころが出ないからです。
 時には、行(ギョウ)と称するものが、良識常識を忘れた愚か者をつくったりさえします。
 良識常識は学ぶ機会がなければ身につかず、それは宗教の教義以前の問題だからです。
 その意味で、『八正道(ハッショウドウ)』と『六波羅蜜(ロッパラミツ)』は、世間的正しさも宗教的正しさも含む広大な教えであり、具体的な生き方として師から説かれることが望まれます。
 師は日々、接する人々や各種情報から社会的現実を学びつつ、世間的正しさと宗教的正しさのズレや衝突の問題なども含めて弟子へこの二つを説かねばなりません。
 弟子は、人々と社会と自分の姿をよく見て、自分をチェックしつつ学び、師へ質問し、修行せねばなりません。
 そうして広く施す心、常に戒めに背かない心、何があっても我を張らず耐える心などをきちんを磨くことが大切です。
 何ものをも忘れさせたり、特殊な観念に入り込んだり、あるいは心を錐のように尖らせたりするだけの修行だけをいくら行おうと、良識常識は身につかず、心も円(マド)かになりはしません。
 だから「信仰心にも人を正しく向上させるものとそうでないものがある」と説かれています。
 「まず『八正道』ありき、人として何よりもまっとうでなければならない」と説かれていることからしても、宗教者に愚行があり得るのは当然なのです。
 私は自分の〈至らなさ〉をいつも羞じており、愚行の報に接すると、彼が自分であったかも知れないと想像しては奮い立つような気持でまた、生き直しにとりかかっています。

 地位や名誉や、あるいは立場や財物のある人たちが見せる愚行は、人として肝心なものはそれらに関係がないことを如実に教えてくれるありがたいできごとです。

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20110710 008



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2011
07.30

墓地のお隣さん

 雨が降りそうで降らず風もほとんどない穏やかな日のお昼前、規格墓法楽の廟』でA家の開眼供養納骨を行いました。
 お経の伴奏はウグイスなどの鳥たちの声。
 彼らが時々、合いの手を入れてくれます。
 全部終わったところで、交代しながら捧げたお線香が余りました。
「お隣さんへあげても良いんですよね?」
 これからお世話になるんですからと、お嬢さんの明るい声。
「もちろんです!」と即座に答えながら、心中で快哉を叫びました。
 こういう気持になってもらえれば、もう何も言う必要はありません。

 まだ若いAさんに習って年配のご親族も、次々と両隣へお焼香しておられます。
 やがて、共同墓法楽の礎』と万霊・無縁仏供養の『五輪之塔』へも廻り、手を合わせられました。

「ここは、なぜか〈お墓〉のような気がしません」
 散策でもするかのようにゆったりと周囲を眺めておられる方々から一番嬉しい言葉の一つを聞かせていただき、満たされた思いで本堂へ戻りました。

20110730 009



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2011
07.29

復活した人

 影形流(オンギョウリュウ)居合の心得を持つOさんから旭ヶ丘青年文化センターで行うバリトン独唱会にご招待いただき、かつてOさんと一緒に剣をふるった時期もある妻を同伴して、実に何年ぶりかでコンサートを鑑賞させていただきました。
 
 桐朋学園大学声楽科を首席で卒業し外国での研鑽なども行っていたOさんの前途洋々たる日々は、突然暗転しました。
 病魔に冒され、肝心の喉がやられたのです。
 四国八十八霊場巡りなどをして立ち直ったOさんは、教師を務めながらさらに専門分野に磨きをかけ、この日を迎えました。
 入り口ホールには色とりどりの花束の山、また山。
 「ああ、来て良かった」
 安心感としみじみした充実感(おかしなものです)を覚えました。

 歌うのはシューベルトの歌曲集「白鳥の歌」全14曲です。
 やや小柄なOさんですが、伴奏のピアノを右後ろにして舞台へ立つと、舞台全体を自然に従えたかのようなどっしりした存在感があり、広い空間にポツンといるといった感じはまったくありません。
 第一曲目「愛の使い」は温かく、第二曲「兵士の予感」は「ああ、ここでは、うす暗いたき火の光が、武器に映っているだけだ」といった歌詞らしい激しさがありました。
 一曲終わると拍手が起こるようになり、流れるような「春の憧れ」では大拍手が起きました。
 おなじみ「セレナーデ」は実に艶々して、光る墨で書いた行書のようでした。
 強さのある「滞在地」、堂々とした「遠い国で」、次いでタクトを振りながら歌っているかのような弾む「別れ」、一転して剛直な「アトラス」で前半が終わりました。

 後半は清らかな「彼女の絵姿」に始まり、明るい「漁師の娘」、そして静かな「まち」のあたりに来ると、曲間の拍手へにこやかに応えていたOさんの顔から柔らかさが消えました。
 〝そうだろうな〟と胸がつまり、よりいっそう彼の顔から目が離せなくなりました。
 よく見ると、薄暗い照明の下で数十㍍もの距離を隔てているにもかかわらず、彼の目の表情が解るのです。
 〝しっかり!〟と無言で声援を送りました。
 「海辺にて」は懐かしさにあふれ、「僕の分身よ、青ざめた仲間よ!」と歌うハイネの詩による「分身」は碧く深く、「ハトの便り」は語りかけるようでありながら希望に満ちた力強さもあり、ラストにふさわしい堂々とした一曲でした。
 アンコールの「セレナーデ」は、さっきよりやや軽やかで親しみがありました。
 二度目のアンコールで歌った「荒城の月」をしっかり心に録音してすべては終わりました。

 カーテンの降りた舞台裏で数秒Oさんと見つめ合い、静かに握手して別れました。
 たくさんのファンが通路で待っています。
 一時、厳しい表情を見せたOさんはいつもの観音様に戻り、ファンのもとへ向かいました。

20110725 001


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2011
07.29

「寺子屋『法楽舘』第十八回」について

 すっかり季節が変わりました。
 朝の気は立秋前の土用であることを示すかのように、ひんやりと冷たいものを含んでいます。
 午前3時を過ぎると、日の出を待ちかねたようにヒグラシたちが短いいのちの叫びで天地を満たします。
 さて、寺子屋法楽舘』では、7月30日(土)午後1時30分より、「大震災と原発問題(第二回) ~震災後の健康の保ち方~」と題してシンポジウムを開催します。

  多少、予定の変更があり、仙石病院理事長神部廣一医師より、前回のシンポジウムにおいて提起された二つの問題が、特にくわしく説明されます。
 一つはトリアージ、もう一つは応招(オウショウ)です。

1 トリアージとは、「人材・資源の制約の著しい災害医療において、最善の救命効果を得るために、多数の傷病者を重症度と緊急性によって分別し、治療の優先度を決定すること」(ウィキベディアより)です。
 一刻を争う緊急医療の現場で、たくさん担ぎこまれる患者をいかにして区分けするのか、結果的に患者の生死を決めかねないギリギリの場面における医療従事者の真実をお聞かせいただきます。

2 また、神部医師は、「応招とは、患者さんの救いを求める声に応じて患者さんと死に神との間へ割って入ること」と言われます。
 ウィキベディアは定義します。
 「応招義務とは、医師法第19条で『診療に従事する医師は、診察治療の求があった場合には、正当な事由がなければ、これを拒んではならない』と規定する、医師や医療機関に課せられた患者の診療義務のこと。
 罰則規定はない」
 死に神が連れ去ろうとする人を、磨き抜いた力で拒むプロの心をお聞かせいただきます。

 また、住職が、およそ以下のテーマでお話申し上げ、質疑応答も行います。

1 起こった地震も、津波も、そして原発の事故も、規模が大きく、非日常的なできごとである。
・「予想できなかった」
・「びっくりした」
・「打ちのめされた」

2 規模が非日常的なのであり、できごとのそれぞれは、いずれも無常の顕れであって、不可思議はどこにもない。
 ・人がいのちを失うこと
 ・家財を失うこと
 ・さまざまな別れがあること
 ・モノが壊れ、滅すること

3 うちひしがれ、立ち止まり、立ち上がろうとし、立ち上がった皆さんのお姿には、何かがそぎ落とされた清浄な気配、そして一種の透明な光が伴っている。
 ・無常に洗われたお姿の神々しさ
 ・現実を受け入れられない方の〈塞がり〉と戒名

4 非日常の持つ暴力によって知らされた〈忘れている日常の一面〉に気づき、被災された方々と透明な光を共有したい。
 ・後ろめたいなら、心に薄膜がかかっているなら、身口意を挙げて想像し、それぞれなりの「生き残り」を実感する
 ・周囲で氾濫している〈優しい言葉〉に流され思考停止しない
 ・医師が応召で死に神を切り離してくれる時を除き、いつも死を同伴者として生きている
 ・本ものの祭は必ず魂祭・霊祭・霊祀を伴い、生の乱舞は陰画を持つ
 ・死ぬ身として無常を生きるのが、(クウ)をつかむこと
 ・貪りは消えたか、慢心や怒りや妬みは消えたか、三毒の連動は

5 業(ゴウ)には不共業(フグウゴウ…個人的な業)と共業(グウゴウ…社会的な業)とがある。
 ・原発事故によっていのちと生活が壊された人々は、悪しき共業の犠牲者
 ・業を清めることと、共業を清めることのリンクした形がボランティアの姿であり、プロとして汗を流しておられる方々の姿
 ・み仏の智慧は一切智であり、共業も不共業も観る
 ・み仏の慈悲はわけへだてなく、身内や近しい人々と他人とを区別しない

6 原発産業とゲームのメーカー
 ・巨大な船は簡単に航路を変えられないが、タイタニックになってはならない
 ・信頼できるプロに学び、自分なりの信念を持ち、語り、行動する

7 東日本大震災寄附金付き切手
 ・自分に何ができるかは、本気度の問題
 ・真実、現実を前に立ち止まり、圧倒され、ひるみ、言葉を失って魂が裸になるところから、何かをやるか、ボランティアを始めるか、プロの力を発揮するか
 ・ボランティアの特権的意識
 ・壊れたままの公民館に見る捨身の真実
 ・黙ってお金を送り、黙って切手を買うのが本もの
 ・リスクを静かに引き受け、自分でつくった辛さや痛さに黙って耐えるところから新しい世界が開ける




・場所:法楽寺講堂
・参加志納金:1000円(未成年者500円)被災者は不要
・申込方法:電話・ファクス・メールなど
・送迎車:午後1時「イズミティ21」より発車(必ず乗車予約をしてください)

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2011
07.28

娘を見るより母親を見よ?

 古来「を見るより母親を見よ」と言われています。
 「ああ佳いさんだな。お嫁さんにしたいなあ」と思った時は、「惚れてしまえばアバタもえくぼ」の危険性があります。
 その時、冷静に人柄を判断できないので、むしろ、の成長に影響力の大きい母親を観察した方が総合的判断をまちがわないという経験則ができました。
 
 子育てにおける母親の努力と影響力はとてつもなく大きく、特に母親の関係には、母親と息子の関係とは異なった独特のものがあるので、経験則に一理も二理もあることは否めません。
 しかし、「母とは鏡のようなものである」と短略的に考えるのはどうでしょうか。
 
 たとえば、母親暴力亭主に耐えた生涯を送ったとします。
 も必ずそうするでしょうか。
 心理学ではいろいろと議論され、暴力の連鎖がもたらす問題も指摘されていますが、母親を哀れと思い、暴力の恐ろしさを心に刻み、自分は暴力的でない夫を選ぶ場合は当然あります。
 こうした問題の研究家になったり、家庭内暴力の追放運動に携わる場合もあります。
 酒乱でも、浮気性でも同じことです。
 道を選ぶ選ぶ際、意識的に選ぶ場合も無意識のうちに選んでしまう場合もあるので、ことはそう単純ではありませんが、いずれにしても道を選ぶのは娘本人です。

 はっきりしているのは、母親の性格なり生き様なりの特徴が、娘のそれにも出やすいということです。
 母親の特徴を「娘だから同じ」と限定的・決定的に見ず、各種の学説は参考程度にとどめ、それがどのように影響しているのかをきちんと自分の目と判断力で見分けたいものです。

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20110724 001



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2011
07.28

東日本大震災 ─東北関東大震災・被災の記(その81)─海への怒り

 7月26日付の朝日新聞は、「仲間奪った海 今も怒り消えぬ」を掲載しました。
 岩手県大槌町・大ケロ在住煙山佳成氏(72歳)の怒りです。

 「消防団に入って54年。約250人の町性本団長として指揮を執るため、妻に『後は頼むぞ』と言って、海岸へ走りました。
 団員たちは水門を閉めたり、寝たきりのお年寄りの搬送を頼まれたり、最期まで使命感を捨てなかった。
 『津波てんでんこ(津波の時は家族でもてんでんばらばらに逃げろ)』と言われるが、消防団は『てんでんこ』ではない。
 その結果、16人の団員の命を失ってしまいました。
 一家の大黒柱や大切な跡取り息子。
 火葬や葬儀に参列してご家族に何と声をかけてよいのか、いまだに答えが出せません。
 自分の妻も長男も、足の悪い90歳過ぎの義母を助けながら、高台の小学校に避難する途中で亡くなった。
 親類の家にお世話になっていますが、一人になると、亡くなった家族や団員たちの顔が浮かび、涙が出てくる。
 震災から4カ月が経つが、海への怒りは消えません」


 今まで、怒りを語る人にも記事にも会いませんでした。
 人知と人力の限りを尽くして大自然と対峙し、破れ、仲間たちが斃れ、自分は生き残り、それでもうちひしがれない男。
 ──この先、彼はいかなる真実をつかむのか。

 ところで、7月27日に開催した「法話対話生活仏法について』」へ参加されたAさんが、あるお婆さんの「母親から聞いた話」を紹介しました。

 「太平洋戦争が終わって2年後、母のもとへ、戦地へ行ったきりになっていた兄の遺骨が届きました。
 かねて、兄の戦友たちから、兄が『戦死したら母親の胎内へ戻りたい』と言っていたことを聞かされていた母は、衝撃と怒りのあまり、中でカラカラと小さな音がするだけで異様に軽い遺骨箱を庭へ投げ捨てました。
 壊れた箱から出てきたのは、一個のお菓子と『~霊位』と書かれた紙切れ一枚だけでした。
 庭へ駆け下りた母はお菓子と紙を飲み込み、大いに泣きました」


 納得できない心が激情を生み、行動する。
 それは一面、危険ではありますが、この母親が息子を思い続けていた真情は、おそらく母子にとって最上の行動をもたらしました。
 真情、不条理への怒り、逃げない姿勢がもたらす決着は神々しさを帯びています。

 逃げず、伏さない煙山佳成氏に半年、あるいは一年後、ぜひお会いしたいものです。

〔出征〕
 Aさんは、こんな話も紹介しました。

 「20歳で結婚したばかりの夫が招集されました。
 周囲は歓呼の声で送るのですが、夫は妻に言いました。
 『お前はあそこの木の前に立っていてくれ。
 私はきっと見つけて別れを告げよう』
 出征する若者たちで満載の列車は動き出しました。
 夫は、トイレの窓から思い出の木の前に立つ妻へ手を振り、妻は、はっきりとそれを知り、手を振りました。
 それが二人の永遠の別れになりました」



20110725 014



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2011
07.27

地霊を鎮め供養する

 Aさんは普段、おかしなものが見えるとか聞こえるとか言うタイプではなく、与えられた役割を果たしながら地道に生きているまっとうな人です。
 そんなAさんから切羽詰まったような顔で人生相談を受けました。
 さる場所で撮った写真の数枚に身体の同じ場所が欠損しているのです。
 欠損した向こう側はまったく自然に背後の景色が写っており、Aさんにも周囲の人々にも、映像に加工して周囲を騒がす要素はまったくありません。

 観た瞬間にある判断が出ました。
 地霊の関係です。
 しかし、「悪霊に身体を取られてしまうのでしょうか?」と青ざめる様子に、「ご加護の法を結びますから心配しないでください。決してあなたにそうした事故は起こりません」とだけ告げ、ご加持を行いました。
 もう大丈夫です。
 しかし、これほどの地霊なら、他の人々へも不安を与え続けるだろうと判断し、時間を見つけて岩手県の奥深くへ車をとばしました。

 その樹は大地の底から握り拳を突き上げるように立っていました。
 波頭が大海の突端であるのと同じく、古木・大木は地霊の象徴です。
『日本書紀』の言う世界です。
「磐根(イワネ)・木株(コノモト)・草場(クサノカキハ)も、なおよく言(モノ)語(イ)う」
 写真に写っている場所を確認し、あまり人目につかぬよう離れた位置から法を結びました。
 途端に青空と黒雲が混じり合っていた空から雷鳴が轟き、今にも大粒の雨が降り出しそうです。
 供養を含む修法を終え、同じ場所で〈ある写真〉を撮り、異常がないのを確かめて待避しました。
 雷鳴はやみ、夏の最後らしい熱気がやってきて天地をふさぎました。
 私が二度と同じ場所を訪れることはないし、異常事態も終熄することでしょう。
 樹と地霊に今生の別れを告げました。
 気のせいか、拳の容赦ない力は消え、樹と大地は一体になっていました。

 このところ、地霊屋敷神に関するご祈祷のご依頼が急増しています。
 千年に一度の大地震は、地に眠るものを揺り動かしました。
 地霊は私たちへ忘れかけていた何かを告げようとしているかのようです。
 地霊に関する興味深い文章を思い出しました。

 民俗学者野本寛一氏は指摘します。

「地霊は偏在する。
 そして不可視である」
「地霊は、絶対的に人と対立し、暴発し、乱動するものでもないし、また、常に親和的であるとも限らない──そう思われてきたのである」
「地霊が凝集する場もあるし、地霊が地の神・地神・ガラン様・屋敷荒神などの民族神として顕在化する場合もある。
 それらとは別に、精霊の一種である地霊が、他の精霊と複合する場合があることに注目しなければならない。
 木の精霊・沼地の精霊・淵の精霊・森の精霊などと複合する場、複合して顕現する場面があるのだ」


 そして、谷川健一氏の『魔の系譜』を紹介しています。

「八月の東北は、生きた者も死んだ者も、見えるものも見えないものも、炎のようにゆらぎ、躍動していた。
 私は旅行の途中、青森、弘前、五所川原とゆくきざきでねぶたに出会ったが、男も女も老人も子どもも参加するこのに、無数の精霊も合体して東北の夏を謳歌しているのではないか、と思わせるほど、つかの間の夏の閃光に照らし出された爆発的な興奮が東北の大地を蔽っていた。
 地霊の叫びに応えようとする反閇(ヘンパイ)のとどろく音を私は聞いた。
 むせかえるような大地の流動する熱気は異様であった」



 ダライ・ラマ法王は、『三十七の菩薩の実践』について説かれました。

「自らも輪廻(リンネ)の牢獄に捕らわれている、世俗の神にいったい誰を救うことができるのか。
 それゆえ、救いを求めても欺くことのない三宝(仏法僧)に帰依(キエ)をする。
 それが菩薩(ボサツ)の実践である」
「三宝(仏法僧)に帰依することが菩薩の実践です」
「帰依の対象が輪廻の牢獄に捕らわれている『神』であれば、業と煩悩に従っていることになります。
 輪廻世界の世俗の神や霊的な存在、あるいは土地の霊(地霊)などであれば、人間に障害を及ぼすといった話はよく耳にします」
「霊的というのは、死んだ人が霊になるといったことが餓鬼のことです」
「彼らには肉体や形がないだけで、そのほかは私たちとまったく共通なのです。
 そうであれば、当然、執着・怒り・無智の三毒をもっているため、私たちはそられに帰依することは避けなくてはなりません」
「この第七の偈頌(ゲジュ)では、業と煩悩にとらわれている世俗の神や霊的なものが、本当の意味において救済できないことを説いています」
「仏教徒であるか非仏教徒であるかは、この三宝に帰依しているかいないかによって区別されます。
 自分自身の考えで三宝を認めて信じることで、三宝が欺かない帰依の対象であることがわかるのです。
 そうなることで、さらなる確信で三宝への信頼が積み上げられ、真実の仏教徒となっていくのです。
 三宝を信頼することがないなら、外面的に真面目な修行者であっても、仏教の知識がどんなに豊富でも、仏教徒であるかどうかは疑わしいものとなります。
 仏教徒というのは、三宝に帰依していることによって決定されるのです」



20110725 011


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2011
07.26

救いはどこにあるか ─仏神を信じない人に救いはないか─

 作家Tさんと、こんなテーマのやりとりになりました。
を信じられない人は救われないのか?救いはどこにあるのか?」

 今回の妻の当病平癒はまぎれもなく奇跡的に〈救われた〉できごとですが、「行者として修法したからである」あるいは「みを拝んだからである」と言い切れるものではありません。
 確かに真剣に修法を行いました。
 しかし、それは妻だから特別になどということはなく、どなたのご依頼に対しても同じく誠心誠意行っている当然の職務であって、とりたてて「私がやった」というほどのことではないのです。
 妻にとって私以外の人にできない〈私がやった〉ことと言えば、そばにいて世話をした、それだけです。
 似たような状況で似たような行動をとることは誰にでも可能な、極めて当たり前な行動です。

 こうした結果が出たからといって、「拝んだから救われた」、あるいは「拝めば救われる」そして「拝まないと救われない」などと考えるならば、不遜と言うべきではないでしょうか。
 凡夫には精妙な因果関係がつかめません。
 本当は、「種を播いたら芽が出て花が咲いた」というできごと一つとっても、種と花との間をつなぐ時間に含まれるすべてを知るのは不可能であり、知り得る、あるいは想像し得る範囲について謙虚でなければなりません。
 拝むことも含め、愚かななりに真剣にやっていたら、ポンとお救いいただいた。
 真実はこれだけです。
 
 ご縁の方々の祈りの力もあったことでしょう。
 薬の効果もあったことでしょう。
 しかし、どれがどうとは言えません。
 そんなことが根本的に判るはずはなく、「みのご加護の力・薬やご縁の方々の縁の力・自分の努力という三力によってことは成った」とは僧侶であるがゆえの理解の話に過ぎません。
 妻のをそのまま引き受けてそばにいたことが結果的に「慈悲」というものに通じていたのではないかという分析も同じです。
 みならば、一切を知る智慧と純粋な慈悲の心をもってお救いくださるに相違ありませんが、凡夫には不可能です。
 煩悩(ボンノウ)という障害も克服できず、ましてや一切を知る意識に対する障害の克服など遙かな先にしかない一行者が、原因とそれにはたらきかけた縁と結果との糸を観られるはずはありません。

 はっきりしているのは、「真剣にやっていれば必ず〈その時〉が来る」ということです。
 あらためてふり返ってみると、劇的であるかどうかは別にして、真剣にやっておられるご縁の方々どなたにも、遅かれ早かれ〈その時〉が訪れています。
 凡夫には〈その時〉がいつやって来るかは判りません。
 判らないが黙々とやる、それが「真剣にやる」ということであり、その中に、を信じるという要素も含まれ得るのではないでしょうか。

 つまり、具体的な「~菩薩」や「~」を信仰するといった方法だけが救いの道ではないのです。
 その人その人なりに、真剣にものごとへ当たっている時は、すでに救いの道を歩んでいます。
 しかもそれは、作家ならば書いている時、画家ならば描いている時、漁師ならば釣っている時、僧侶ならば祈っている時とは限らず、人生のどの場面と限定されたものでもないのでしょう。
「書く」「描く」「釣る」「祈る」、その他真剣でまっとうな諸々の行いは、それぞれの人にとって救いへの入り口です。
 
 入り口がすべての人々へ与えられ、その向こうに広大で魂の震える世界が待っているのならば、冒頭の問への答は
「信仰とは限らず、真剣にやっていれば、必ず救いの世界への扉が開く」
となりはしないでしょうか。
 無論、密教行者である私は、そうしたありよう=真実全体が大日如来の悟りと救いのマンダラ世界であると信じています。

※この文章は平成16年に書いたものです。
※この文章は、もうネットで読んでいただけない古い綴りの中から行者高橋里佳さんがピックアップしたものを加筆修正の上、再掲しています。

20110724 003



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2011
07.25

抜苦与楽の真実

法句経』を学ぶ会で、メンバーへ妻の全快お礼を申し上げたところ、Sさんからこんな声が上がりました。
「良かったですね。奥さんは住職の妻という難しい立場だから、きっと愚痴も言えなかったんでしょうねえ」

 ハッとしました。
 妻がうつ病に罹る前は、妻が愚痴をこぼすと、決まって「愚痴は運勢を暗くする愚かなものであり、何の意味もない言葉だからやめなさい。そういう愚かな話で私の仕事の邪魔をしてはならない」と言うのみでした。
 私は、〈悪しき愚〉を対象とするだけで、〈愚痴を言う妻の心そのもの〉を正面から観てはいなかったのです。
 いつも人生相談に訪れる方々へは心を寄り添わせようとしているのに、なまじ夫婦は一心同体と考えているため、自分へ課しているように妻へも正しく生きることばかり求めていたのです。

 今回、夫として私のやったことは、「不安を取り除くのが自分にしてやれる、そして自分しかしてやれない仕事だから、何としてもそばにいてやる。そして祈る」これだけでした。
 妻の役割だった家事や経理を代わりに行う仕事などは誰にでもでき、また他人へ依頼するわけにもゆかないので身体の続く限り私がやるのは当然であって、当然です。
 今になって思うと、結果的に、そばにいることによって、人に会えず電話にでられない妻、料理も洗濯もできない妻、一人で風呂に入れない妻、着替えのできない妻、なかなか薬を飲めない妻、不安を口にする妻、一人でいるとただボーっとしているしかない妻、それらをすべてありのままに受け入れていました。
 それは、同時に愚痴を言わないではいられなかった心をも受け入れていたことになるのでしょう。
 そして、一気に雲が晴れたかのように治ってみると、あれほど愚痴っぽかった妻は、炊事洗濯から事務処理まで以前と変わりなく役割を果たしてくれてはいるものの、めっきり愚痴が少ない人間になっていました。

 Sさんのご指摘によって〝とはこういうものだったのではないか!〟とひらめき、一気に申し上げました。
 
は、苦を抜く『』と楽を与える『』とで成り立っています。
』はしみを我がこととして共にすること、『』は分け隔てのない友情です。
 ならば、とは、何よりもまず悩み苦しみ悲しむ人のそばに『寄り添う』ことではないか、同じ空気を吸っている者同士として〈共に居る〉ことではないでしょうか。
 そうして初めて祈りが通じるのではないでしょうか。
 たまたま私にやれるのは、そばにいて祈ることだけでした。
 私はもちろん超能力者でもなければ、聖者でもありません。
 一介の行者です。
 エイッと苦を抜いてしまう力はなく、ましてや楽を与えるなどという大それた仕事ができるはずもありません。
 妻へ苦を与えた愚かな夫としてやらねばならないこと、できることをやったに過ぎません。
 専門的な祈祷は別として、ほとんどは誰にでもできる普通のことです。
 それで妻の苦は抜けました。
 そして妻は緊張と不安と愚痴から離れて生きるという楽をつかみました。
 奇跡的な結果をお与えくださったのは、み仏にちがいありません」

 今、この稿を書きながら思い描くのは、誰に対しても分け隔てなくそばへ立ってくださったであろう釈尊のお姿であり、天皇であれ庶民であれ他宗派の僧侶であれ、分け隔てなく即身成仏(ソクシンジョウブツ)の真実道へ導こうとされたお大師様のお姿です。
 お二人に接した人々は皆、抜苦与楽の力を得たことでしょう。
 そのお姿は北極星のように遠く気高くただただ仰ぎ見るしかありませんが、遠く隔たった億万光年のうちのたった一歩だけでも近づけるよう、未熟なりに不徳なりに行じ続けて生をまっとうしたいものです。

※この文章は平成16年に書いたものです。
 過日も、震災の影響で十分な治療を受けられない時期があったために寿命を縮められた方のご葬儀を行いました。
 あらためて7年前を思い出し、震災や原発事故の影響でご家族がバラバラになっておられる方々のお心を想うと、いたたまれない気持になります。
 皆さんへ一日も早く真の救いの日が訪れるよう祈っています。
※この文章は、もうネットで読んでいただけない古い綴りの中から行者高橋里佳さんがピックアップしたものを加筆修正の上、再掲しています。

〈おかげさまにて境内地の草刈りを行っていただきました。当日参加できないからと事前に作業をされた方々もあり、あらためて深くお礼申し上げます〉
20110725 0072



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2011
07.25

『みやぎ四国八十八か所巡り道場』について

 このたび、青森県に住む方の特段のご助力により、仙台市泉区内にて、「みやぎ四国八十八か所巡り道場(仮称)」の建設にとりかかりました。
 約八千坪のなだらかな里山を利用し、自然の香り豊かな林間を歩くコースとなります。
 もとより大規模な開発など行えず、もちろん頭割りの資金集めも行いません。
 準備が整ったならば、広く全国からご寄進を募り、お心に応じて参道なども手作りしつつ一歩一歩と進める予定です。
 なお「ゆかりびとの会」の会員様方には、「法楽の会」の会員様方も含めて常々、当山の護持発展に特段のご助力をたまわっているので、当山にて会名の石碑を建てさせていただく予定です。

 四国八十八霊場は文字通り別世界です。
 各札所で真言と般若心経を唱え、それぞれのご本尊様とお大師様へ心を向けているうちに、心身を清風が吹き渡り、生まれ変わったような気持になります。
 同時に心の汚れも否応なく浮き上がり、知らん顔をしていた自分の愚かさと向かい合うことからも逃れられません。

 霊場は、地域ごとに発心(ホッシン)・修行・菩提(ボダイ)・涅槃(ネハン)の四つにグループ分けされており、番号順にお詣りすると、仏道を志し、修行に努め、悟りを得、安心の境地に入るという成道(ジョウドウ…修行の目的を達成すること)の体験ができます。
 この四つは一日に当てはめれば、起きての「さあ、やるぞ」、日中の精進、仕事を終えての満足、そして約束された安眠になります。
 一年に当てはめれば、春のスタート、夏の活躍、秋の収穫、冬の休息となります。
 人間の一生なら、子どもの頃・社会人の頃・仕事を終えた頃・ゆったりする頃となります。
 かつて写真集『四国名刹』へ書きました。
「四国八十八霊場では、動けなくなった方を再び歩ませる加持力の確かさや、心に貼りついたものを切り放つ因縁解脱のお慈悲に涙する得難い体験をした。霊場は行者にとって永遠の別世界である」
 当山の道場でも訪れる善男善女に別世界体験をしていただければありがたいと願いつつ、準備を進めています。

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2011
07.24

2011年8月の運勢

 2011年8月の運勢──平成23年8月(葉月…8月8日から9月7日まで)の運勢です。
 運気の流れを参考にし、人間修行の六波羅密(ロッパラミツ)行で改運し、開運し、快運となりますよう。

一「集結」が行われます。

 縄文時代の人々は、集まって暮らしました。
 大島直行氏の説によれば、そこでは三つの原理がはたらき、平和で安定的な暮らしが確保されました。
 一つは「取り過ぎないこと」です。
 お互いが欲に任せて、より大きな住居を造ろうとしたりせず、同じような住まいで、同じような器を使っていました。
 もう一つは「一元的にものを考えない」ことです。
 神話では動物も自然も人間と同等に話し、交流しており、この世のものたちは皆マンダラの世界で憩うように存在していました。
 そして、「戦争をしない」ことです。
 市場原理がないので、集団間の奪い合いが起こりません。
 おかげで一万年もの平和が保たれました。
 集まった人やモノが何をするか、よく考え、よく観ましょう。

二「停滞」が起こります。

 ものごとがうまく進まなくなった時、その原因を探す際は、慎重に、確かな道筋をもって考えましょう。
 たとえば人生相談とご加持を行っている私は、「貴方が金縛りに遭うのは、幼児の頃に親から虐待を受けた体験のせいです」といった心理療法的判断に時折、疑問を抱きます。
 激しく人道に背いた〈気づいておらず取り返しのつかない苦の泉〉を見つけなくとも、状況が結構、改善されるからです。
 また、進歩主義・共産主義・フェミニズム・構造改革などの〈すべての問題を解決する万能の斧〉らしきものが持つ危険性を嫌というほど見てきたからです。
 カール・サバー氏は「記憶の内容は必ずしも事実ではなく、迫真生のある記憶ほど偽者である可能性が高い。誘導尋問などによって記憶はつくられ得る」ことを証明しました。
 思い込みの持つ破壊力には充分注意せねばなりません。
 つまり、なぜうまく進まなくなったかを調べる場合は、自分に強く残っている印象などに頼るだけでなく、客観的に検証できる事実に基づいて行えば、大きくまちがうことはないということです。
「あの人があの時、あんなことを言ったばかりに……」と恨んだり悔やんだりするだけでなく、広く状況を見直すといった姿勢でやりましょう。

三「元の木阿弥」にならぬよう。

 すごろくが振り出しに戻るという機能を備えていることにはとても興味深いものがあります。
 一瞬の運気の動きが完成間近のものにやり直しを命じたり、到達点へあと一歩のところで挫折させたりといったできごとは、多くの方々が体験しておられることでしょう。
 反対に、どうにもならないギリギリの場面で思いもよらないできごとが起こり、すっかり場面を変えてくれて助かったという体験もあることでしょう。
 もちろん、悪い面では油断や驕り、あるいは良い面では普段の人付き合いなどが直接的、間接的原因になる場合もありますが、「運」としか言いようのないケースの前では口をつぐむしかありません。
 今回の災厄に関しても、運が明暗を分けたケースを山ほどお聞かせいただきました。
 私たちは、自分の力だけではどうにもならないこの世と人生の深淵に対して謙虚な気持を持ち、何かをコツコツと積み上げているならば、祈る敬虔な心を忘れないようにしたいものです。

四「埋もれさせているもの」を見直しましょう。

 私たちは何かを得ようと懸命な時、ともすると、持っている宝ものを忘れてしまいがちです。
 被災された方々や手助けに勤しむ方々に接すると、そうした宝ものを輝かせておられる様子に打たれたりします。
 忘れものを探してみませんか。

 今月も六つの修行を行いましょう。
 開運を祈っています。
[布施(フセ)行と運勢]水を供えましょう。
 精進の人は慎重に人の道を守り、安心です。
 不精進の人は鹿をを追って山を見ず、一部分しか見えない中で強引に突っ走り、失敗しがちです。
[持戒(ジカイ)行と運勢]塗香(ヅコウ)で身と心を清めましょう。
 精進の人は自分の実力を見極めて行い安心です。
 不精進の人は実力以上の野望を持ち、土台や中心を壊しがちです。
[忍辱(ニンニク)行と運勢]お花を供えましょう。
 精進の人は他人の良いところに学び、成就へ向かいます。
 不精進の人は他人の意見などを顧みずに独断専行し、途中で失敗しがちです。
[精進行と運勢]お線香を供えましょう。
 精進の人は事前の準備や人の養成によって前進します。
 不精進の人は前方の危険に気づかず、とっさの出来事へ感情で対応し、失敗しがちです。
[禅定行と運勢]飯食(オンジキ)を供えましょう。
 精進の人は立場なりに行い、周囲の協力を得て無事安全です。
 不精進の人は立場を超えた力を集めようとして争いを招きがちです。
[智慧行と運勢]灯火を供えましょう。
 精進の人は小さな積み重ねを大切にし、やがて成功します。
 不精進の人は立場をうまく利用しようとして無理に動き、錯覚に陥ったりしがちです。

20110724 0072



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2011
07.23

私心を離れる

Aさんは真剣です。
私心を離れるって、とても難しいですね。
 どうすれば良いんでしょうか?」
「答は簡単です。
 そう難しいことではありません。
『いつも自分を一番にする』という気持がなくなれば良いだけのことです」

 このテーマは、高邁な人生論や高僧のありがたいお話などになると、ことは大変かも知れませんが、体験を申し上げるならば、そんな大げさなものではないのです。
 たとえば、大地震にみまわれた新潟の人々を思った場合、どうでしょうか。

 もちろん「自分が一番可愛いんだから知った事じゃない」という人は論外です。
 一方で、「慈悲心を実践するには自分を一番にしてはならない。他を一番にしなければならない」とあまりに教条主義的になると、布団も食べ物も暖房器具もお金も全部送らなければならなくなります。
 あるいは〝自分は送ってやれない。貧乏なのが悲しい〟〝自分はいくらも送れない。結局自分が可愛いんだ。自分は何てダメなのか〟と深刻になるかも知れません。
 しかし、わが身を保ちながらやれる範囲、他のためになって心底嬉しい範囲というものが必ずあるはずです。
 それは各人各様(カクヨウ)千差万別であって、決して比べることはできません。
〈その人なり〉でしかないのです。
 まごころから奉仕するボランティアの姿がそれを雄弁に物語っています。

 経典に「自他差別(シャベツ)を離れる」と説かれているのは、区別するなということではありません。
 自他のものの区別はしっかりした上で、融通無碍(ユウヅウムゲ…こだわりを離れること)に、〈自分のためにしなければならない場合は自分を第一として自分のためにし、他人のためにしなければならない場合は他人を第一として他人のためにする〉、それだけです。
 結果的に〈自分なり〉でしかありませんが、そこには強(コワ)ばった自分というものがあるわけではありません。
 一方、私心は強ばっています。
 いかなる場合も、「自分にとってはどうか」とが欲のフィルターを通してしかものごとが見えず、常に損得を計算しています。
 打算を離れられません。
 フィルターは、ものごとをありのままに見せません。
 ありのままに見えなければ、判断材料が狂っているので、最善の道は永遠に見つからないのです。
 いくら知恵を用いてうまい近道を見つけたようでも、自他を幸せにする最短距離を行くことは決してできません。

 教えを学び、経典を読誦し、真言を唱えているうちに、自分のため他人のためなどという意識がなくなり、自然に〈自分なり〉にやることが、自(オノ)ずから自他を幸せにできるようになります。
 無心のボランティア活動などもまた、そこへ導きます。
 難しく考えるよりも、さっそく、やれることをやりたいものです。

※この文章は、平成16年に書いたものです。
※この文章は、もうネットで読んでいただけない古い綴りの中から行者高橋里佳さんがピックアップしたものを加筆修正の上、再掲しています。

20110721 0112



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2011
07.23

クロとネコの話

 当山にはクロという名のネコがいる。

 ご来山された方が「クロ!クロ!」と呼んでくれたり、「アッ、クロちゃん」と気づいてくれると、最も嬉しい。
 クロを我が家の一員と認め、しかも、親愛の情を抱いていてくださるからである。
 ご来山された方と交わす「うちでもネコを飼っていますが、ご住職のところにもネコがいますよね」という会話は次に嬉しい。
 初対面の人同士が同郷であることを知った途端、わけもなく二人の距離が少し縮まるようなものである。
 ご来山された方に「ネコがいて、お供えしたものは大丈夫ですか?」と訊かれたりすると、嬉しくない。
 議論にまったく不当なところはないが、家族の言い訳をしなければならないような状況だからである。

 Aさんが零(コボ)した。
ネコを飼いたいんですが、女房に反対されて困ったものです。
 ネコがいると、どんなに仕事が大変でも、家に帰ったら時に癒されると思うんですが……」
 それは困りましたねと相づちをうちながら、まったくそのとおりだと心で深く頷(ウナヅ)いた。
 Aさんが描くは正しく、大きな声では言えないが、ネコは(女房よりも)癒しになる。(「場合によっては」などとつけ加えておかないと危険な本音である)
 そして、出張しているBさんがある時、声をひそめて
「私は最近、家が恋しくなりました。
 べつに女房の顔を見たいわけではないんですが、ネコに会いたいんです。
 うちのは、そんなにすり寄るネコではなく、わりとそっけないんです。
 でも、ピョンとタンスの上に飛び乗る姿を想像しただけでも、堪りません」
と白状したことを思い出した。
 ここには重大な問題が隠れているので、おおっぴらに肯定できず、慌てて言った。
「ネコはかすがいですか。
 子供は一人前になれば、日常生活であまりそうした役には立ちませんが、クロは立派に役立ってくれています」
 さらに、Bさんと同じく、声のトーンを少し落としてつけ加えた。
女房にギャーギャー騒がれた後など、クロの顔を見ると本当に救われます。
 飼えるといいですねえ」
 Aさんは一段と、羨ましいなあという顔になり、私は内心、しまったと舌打ちした。
 Aさんのは正しいと、まっとうなことを言ったつもりだったが、少し不安と後悔の雲が心に発生した。
 どうも叶わなそうなを抱いているAさんにとって、あるいは酷な対応だったのかも知れないからである。
 ──医者から飲酒を控えさせられている人へ、あまりにも旨いお酒の話をしてしまったのかも知れないではないか。

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「おん あらはしゃのう」※今日の守本尊文殊菩薩様の真言です。
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2011
07.22

『大日経』が説く心のありさま六十景 その42 ─窟心(クッシン)─

 迷い、悩み、真実を求める時、たとえ真実への道が見つかっても、その途中にまた心を惑わすものたちが現れます。
 釈尊が成道(ジョウドウ…悟りを開くこと)する直前、化けものたちが邪魔をしようとした故事にも明らかです。
 いつの間にか、心に化けものが入りこんでいるかも知れないので、人生修行をまっとうするためには心のチェックが欠かせません。
大日経』は行者の曇った心模様を60の面から解き明かしています。
 その指摘を一つづつたどり、しっかり省みましょう。

40 窟心(クッシン)
 浮き世から逃れ、自分の不老長寿を第一とする心です。

「窟に入ることをなす法に順修す」


「窟」は、「神仙窟(シンセンクツ)」すなわち仙人のすむ窟(イワヤ)です。
 何らかの理由で人がこの世に、あるいは人間に嫌悪感を感じた時、仙人が住むような人里離れた場所へ逃避し、金輪際(コンリンザイ)、世間と関わらないで生きたいと思ったりします。
 深山での洞窟暮らしに憧れるのです。
 おそらく、どなたもが、一生のうちに何度かはこうした気持になることがあるのではないでしょうか。

 しかし、これは二重の意味で「叶わぬ願い」です。
 どこかへ逃げれば苦がなくなると考えるのは勘違いというものです。

 理由の一つは、苦の根本原因は自分の無明(ムミョウ)と煩悩(ボンノウ)にあり、自分からは逃げられないからです。
 釈尊の解かれた慈悲の「悲」には「苦を抜く」という意味があります。
 だから、教えを学び、心のトレーニングを行えば、必ず苦を抜いていただけます。
 おすがりするだけではなりません。
 ものの道理として教えに心から納得できてこそ、トレーニングが本ものになり、内なる力が湧き上がります。
 み仏は師であり、お手本であり、目標なのです。
 こうして自分の心のステージが上がれば、「誰かのせいで自分が苦しめられている」という状況から抜け出せます。

 もう一つは、誰かに喜んでもらう以上の喜びはないからです。
 釈尊の解かれた慈悲の「慈」には「楽を与える」という意味があります。
 だから、教えを学び、心のトレーニングを行えば、必ず楽を与えていただけます。
 しかし、おすがりするだけであれば「一時の安心」にしかならないのは、「悲」と同じ理です。
 自分の心のステージが上がればこそ、「ああ、嬉しい」と心底からの喜びを実感できる時が来ます。

 では、出家者はどうなのかということが問題になります。
 駆け込み寺と言われるとおり、寺院には逃げ込む先という面があります。
 僧侶は逃げた人々なのか?
 もちろん、出家する動機は千差万別であり一概には断じられませんが、救いを求める心にそうした面があることは確かです。
 だからこそ、この窟心の教えが欠かせません。

「ここは、安楽に憩う仙人の郷ではない。
 生き直すための道場である。
 生き直しは、慈悲の実践と智慧の獲得によってしか行われない。
 苦を除きたいならば、誰かのためになれる人になれ。
 これが菩提心(ボダイシン)である。
 智慧を獲得したいならば、縁起(エンギ)を観て、空(クウ)を悟れ。
 これが悟りである」


 菩提心を持ち、悟りを求めることは、寺院の中でしか行われないわけではありません。
 いつでも、どこでも、心を定めれば実践できます。
 だからこそ、皆が共に大きな船の乗員となれる大乗仏教です。
 隠形流(オンギョウリュウ)居合の道場では、いつも、こう指導しています。
「ここでは正確に学んでください。
 そして、稽古は、できる時に、できる場所で行ってください」
 仏法もまた、そのようにして私たちの血肉となるのです。

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2011
07.22

転換の訪れ

 早朝、漆黒の空間のところどころに浮かぶ雲の切れ間で大きな二つの星が並ぶように輝き、その一直線上に三日月が昇ってきました。
 星と月が協奏曲を奏でているかのような空を見上げた日、壇家Eさんから嬉しいお便りをいただきました。

「今年は暗いニュースばかりで心が痛みテレビを見ないようにしておりました。
 今の自分は何て幸せなんだろうと、日々手を合わせ感謝の気持でいっぱいです。
 不平不満は自分の心次第だと思うようになりました。~」

 ご主人を亡くされ続いて不如意のことごとに襲われたEさんは、これまで、ストレートに寂しさを詠んだ俳句を送ってくださいました。
 しかし、今回の作品は違います。

「庭さきの 小菊に癒され なごむ朝」

 ここまで来られる間、どれだけの思いが重なり重なったことか。
 とうてい第三者が忖度しきれるものではありません。
 ただ、確実なのは、今、Eさんの心に感謝という大きな宝ものがあることです。

 昨日はSさんからこんな話をお聞きました。
「夫を亡くして一周忌が終わっても、夫がもういないということが信じられませんでした。
 いつも夢を見ているような感じなんです。
 最近、やっと〝ああ死んだんだな〟と実感されるようになったばかりです。
 気持がすっかり落ち着きました。
 いつの間にかお導きいただいてたんですねえ。
 身内を亡くした者にとっては、教えていただき、供養していただくことが救いです」
 
 日々、辛い思いをしておられる方、苦しみと闘っておられる方、解消しにくい問題を抱えた方、そうした方々の人生相談をお受けし、修法をしている中でこのように〈転換〉された方に接すると、こちらにも感謝の思いが高まり、大きなお力をいたきます。
 み仏は必ずお救いくださいます。
 光明に包まれる〈転換〉は一瞬後に訪れるかも知れないのです。
 信じ、祈りましょう。

※この文章は、もうネットで読んでいただけない古い綴りの中から行者高橋里佳さんがピックアップしたものを加筆修正の上、再掲しています。

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2011
07.21

お詫び

 妻が回復して初めての例祭で、ご参詣の方々へ報告とお礼を申し上げました。
 これまでいかにたくさんの方々からお励ましいただき、お見舞いをいただき、そして直接間接に当山をお支えいただいたことか。
 思い出せば、そのありがたさは尽きることがありません。
 お布施だけでなく、手紙、果物や魚や野菜などの食べ物、CD、本、、花などをお送りいただき、また、住職は手が回らないだろうと草刈りや清掃をしていただき、他に場所を借りて『法楽』作りをしていただきました。
「皆でお見舞いをしたい」と、友人5人で本堂内に紫の御幕をかけていただきもしました。……………。

 今回のできごとで、いわば戦友と認識していた伴侶のはたらきの大きさを初めて本当に解りました。
 また、「枝を払っても解決しない。根を抜くべし」と説かれているとおり、ものごとの解決は根本から行わねばならないという釈尊の教えを再確認できました。
 確かに薬は欠かせませんでした。
 休養もそうです。
 しかし、何よりも決定的だったのは「安心」であったと確信しています。
 絶対にそばから離さず自分が治すのだという決心は揺らぎませんでした。
 妻の脚元にいつしか安心という大地ができていたからこそ、あの不動明王のご縁日である28日、まったく突然にスックとばかり立ち上がれたのでしょう。

 皆さんへお礼を申し上げているうちに、申し訳ないという思いがあふれ、涙をこらえられなくなりました。
 
 かつて、どこの病院を訪ねても「手術できません」と診断され、本堂裏の一部屋でどんどん元気がなくなりつつあった父の腹部動脈瘤が消えたことがありました。
 検査で驚いた医者は「もうありませんねえ」と言うだけでした。
 もしもあのまま父が寝込んだりしたならば法務に重大な支障があったことはまちがいありません。
 ギリギリのところで奇跡が起こったのです。

 生まれて間もない初孫の黄疸がひどくて「場合によっては手術も」と診断されていたのが、柘植(ツゲ)のお地蔵様を枕元へ置いたところお像が黄色に変色し、同時に全快したこともありました。
 今回もそうでした。
 家族や、2年以上も苦しんだ同じ病気の家族を抱えていたことのある親族や、そして医師から「住職も大変でしょうから入院させたら」と言われていた矢先、やはり奇跡が起こりました。
 医者の診断は「トンネルを抜けましたね」でした。
 こうして、確かに当山はお救いいただきました。
 法楽寺はこれからもしっかりやれというみ仏のお励ましなのでしょう。
 
 しかし、当山には、み仏の救いを求めて来られる善男善女が無数におられるのです。
 その方々がどうであるかを考えた時、いかに自分が未熟であるか、徳が足りないか、修行が足りないかを痛感せざるを得ません。
 ―――ただただ申し訳ない。
 さきほどの涙はその思いがもたらしました。
 これから先いのちのある限り、未熟者であればこそなおいっそうみ仏へおすがりし、み仏から存続を許されたこの寺院でただただ行じ祈り続けること、それしか道はありません。
 
 お礼とお詫びと決意を申し上げ、例祭の修法に入りました。
 火が消えかかり、煙が充満し、高野槇の護摩木がバチバチとはじけ、そして巨大な火柱の立ったすさまじい護摩でした。

※この文章は平成16年に書いたものです。
※この文章は、もうネットで読んでいただけない古い綴りの中から行者高橋里佳さんがピックアップしたものを加筆修正の上、再掲しています。

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2011
07.21

東日本大震災 ─東北関東大震災・被災の記(その80)─お骨をお預かりする方法

 最近、お骨を預けたいというお申し出が増えています。
 住む所や生活の形が決まらない、津波で流されたり地震で崩壊したりした墓地の修復に展望が見えない、お骨を誰がどうやって守って行くか定まらない、などなど多くの理由によって最終的なお骨の納め方を決められないのです。
 そこで、一切の宗教宗派にかかわらずお預かりし、ご供養している当山は、皆さんが安心してお骨を預かるために、当山独自のルールを設けました。
 ただ、漠然とお預かりするだけでなく、お預かりしながら年期供養をしっかり行う安心のパターンを考えました。

1 預ける期間は基本的に2年とし、2年後までに、いくつかの選択肢からその後を決める。

・当山の墓地『法楽の苑』へお墓を建てて埋骨する。
・当山の共同墓『法楽の礎』へ埋骨する。
お骨を引きあげる。
・再契約する。(やむを得ない場合)

2 年期供養の目標を決めて一定期間預け、その後、共同墓へ納骨する。

三回忌まで預ける
 三回忌は、阿弥陀如来のご守護の時期に入り、完全な安心世界で憩います。
 日の沈む方位である西方浄土におられるみ仏がお導きくださるのです。

・七回忌まで預ける
 七回忌は、阿閦(アシュク)如来のご守護の時期に入り、転生の動きが始まります。
 日の昇る方位である東方浄土におられるみ仏がお導きくださるのです。

・十三回忌まで預ける
 十三回忌は、大日如来のご守護の時期に入り、世界が照らされます。
 光のみ仏が転生する御霊の行く手を照らします。

・三十三回忌まで預ける
 三十三回忌は、虚空蔵菩薩のご守護の時期に入り、徳という宝ものをいただき新たな生を得る縁を待ちます。
 宝ものを生み出すみ仏が人間として転生するための福徳を授けます。

 最終的に納まる共同墓は、戒名などを碑盤へ明記してお詣りされる方々にわかりやすくする『法楽の礎』と、そうした形を一切残さない『五輪之塔』があり、選択できます。
 もちろん、共同墓へ納めた後も、三十三回忌であれ五十回忌であれ、年期供養はご希望どおりできます。
 自分の亡き後を想像した場合、子孫は別として、友人や兄弟などが会いに来てくれる期間を考えると、こうした形も必要なのではないでしょうか。

 皆さんからのご相談やご要望をお受けして、細部は鋭意検討中です。
 どうぞ、ご遠慮なく、ご意見などをお寄せください。
 皆さんの「この世の幸せとあの世の安心」のためにこそ、寺院は存在価値があるのですから。

20110704 020



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2011
07.20

富と権力と堕落と

 昨今、「葬式仏教」という貶称が定着し、寺社僧侶の堕落が問われています。
 しかし、宗教者の堕落という視点から歴史をひもとけば、いつの時代も寺社僧侶は特権階級として〈そうした面があったのだろう〉と思わされます。

 たとえば、比叡山や本願寺を屈服させた織田信長は「仏敵」と見なされていますが、客観的に観れば、必ずしもそうとばかり言えないようです。
 そもそも当時の寺社は強大な武力をバックに広大な土地を所有していただけでなく、流通をも牛耳って莫大なを蓄えており、井沢元彦氏によれば「影の経団連」だったそうです。
 公権力と対抗できるほどの力を持っているので、当然、同じ勢力である寺社同志の対立・闘争も起こります。
 特に「南無妙法蓮華経のみで救われる」とする日蓮宗と、「南無阿弥陀仏のみで救われる」とする浄土宗あるいは浄土真宗との対立は激しく、政治権力と複雑にからんだ僧侶や信徒たちは武力衝突をくり返しました。
 1536年、比叡山延暦寺側が京都市中の法華寺に焼き討ちをかけた「天文法華の乱」は「応仁の乱」よりも大規模で、女子供も皆殺しにするすさまじさでした。
 信長は公権力として治安を維持し、国家的規模の政策を遂行するために寺社の武装解除をさせようとして一連の行動をとったのです。

 権力必ず宗教を堕落させます。
 第一の理由は、宗教が存続する基盤となっている布施が汚れるからです。
 布施は差し出す側と、差し出されるものと、受ける側が清浄でなければ真の布施とはなりません。
 しかし、せっかく差し出されたものによって、行者である僧侶が豪勢な暮らしをするようでは、布施が受ける側に垢を生んでしまいます。
 蓄えられたと特権的な権力にマヒしないよう、行者は常に細心の注意をはらわねばなりません。

 第二の理由は、この二つは「他と戦う」ことなしに保持できないからです。
 当山では、しばしば申し上げます。
「争い戦うのは迷う人間のやることです。
 そうしたものを超越しており、そうしたものをなくさせるようにお導きくださるのが仏神ではないでしょうか?
 仏法に導かれた人が戦う相手は自分のみです。
 社会的悪業は、慈悲智慧とで氷を溶かすように消すのみです。
 仏法は他の戦いを説きません」

 僧侶がみ仏へ身をあずけ法務に邁進していれば、寺院が必要とするものは、仏法を信ずる人々によって〈必要な分だけ〉授かるものです。
 僧侶はそれを信じ、その範囲内でことを行い、いのちをつなぎつつ修行に励めば良いだけのことです。
 豪華な邸宅も高級車も、ましてや政治権力も、法務の遂行とは無縁です。
 いつの時代も、宗教的信念を超えて果てしなくを集め、世俗的権力を思いのままに動かそうとする宗教及び宗教者は堕落します。
 教団の規模の大きさや宣伝の美辞麗句に惑わされず、清浄であるか、堕落しているか、しっかり見分けたいものです。

※この文章は、もうネットで読んでいただけない古い綴りの中から行者高橋里佳さんがピックアップしたものを加筆修正の上、再掲しています。

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2011
07.19

破られた約束 ─亡霊に引きちぎられた花嫁─

「東日本大震災 ─東北関東大震災・被災の記(その69)─守られた約束いねむり先生」に書いた『守られた約束』へは、いろいろなご意見をいただきました。
 小泉八雲には、この物語と対になっているとも言うべき『破られた約束』があります。
 この作品もまた、男と女について考えさせられる示唆に富んだ傑作です。 

 死期の迫った妻は夫に問いかけます。
「貴方の再婚しないというお約束は侍の信義にかけたものですか?」
 そうだと答えると、二人で庭へ植えた梅の木のそばへ小さなと一緒に埋めて欲しいと頼み、願いはかなえられました。
 ところが夫は再婚し、婚礼から7日目の夜、城中へ出仕する夫に一人残された新妻は、夜半にの音を聞き、次いで経帷子(キョウカタビラ)を身につけ遍路のを持った女の来訪を受けます。

 はいってきた女には目がなかった──死んでからかなりになるのであろう。
 しどけなく、髪は顔のまわりに振りかかっている──そして女は、振り乱した髪のあいだから、見えもせぬ目をむけ、舌もない口で語った──」
「この家に──この家にお前はいてはいけない!
 ここの女主人は、まだ、わたしだ。
 出て行け。
 が、出て行く理由(ワケ)はだれにもいってはいけない。
 もし、あの人にいったら、お前を八つ裂きにしてやるから!」
 そういいつつ、幽霊は姿を消した。
 花嫁は、恐怖のあまり気を失った。
 夜あけまで、彼女はそのまま気を失っていた。


 翌日も同じことがおこり、新妻はついに夫へ離縁を嘆願します。
 もちろん納得できない夫はしつこく理由を尋ね、一切を聞かされます。

「もうあなたにお話ししてしまった以上、私はあの女(カタ)に殺されます!
 ──きっと殺されます!」


 そこで夫は警護に熟達した屈強な侍二人に寝ずの番を指示し、また登城します。
 おもしろい話などをして若妻をくつろがせ、「幼女のように」眠ったのを見届けた二人は碁を打ち始めます。

 しかし、またもや丑の刻に、彼女は恐怖のうめきとともに目をさました──の音が聞こえたのである!
 ……もうすでに近くにきていた、そしてだんだん近づいてきた。
 彼女はとび起きた。
 悲鳴をあげた──が、部屋には何一つ動く気配はなかった──ただ死のごとき静寂(シジマ)が──静寂はいよいよ増し──いよいよ深まりつつある。
 彼女は二人の武士のところへ駆け寄った。
 彼らは碁盤のまえに──じっと──たがいに相手を見つめ合ったまま──すわっていた。
 彼女は、二人に向かって金切り声をあげた。
 彼らをゆり動かした。
 彼らは、凍りついたように動こうとしなかった。

 あとで、彼らの述べるところによれば、彼らにはの音も聞こえた──彼女がゆり起こそうとしたのも知っている──が、それにもかかわらず、彼らは動くことも、口をきくこともできなかった。
 その瞬間から、耳も目もきかなくなった。
 黒々とした眠りが、彼らをとらえたのである。


 翌朝、夫が見たものは、新妻の首のない死体と、碁を打つしせいのまま眠っている二人の侍でした。
 むしり取られた首はなく、点々と続く血痕をたどる三人は「蝙蝠のようにキキーッと声を立てている魔性(アヤカシ)」を見つけます。
 魔性は「片手にを、もう一つの手には、血のしたたる首をつかんで」います。
 一人の侍が念仏と共に斬りつけると、「たちまち、それは土の上に崩おれ──経帷子と、骨と、髪が空しく散乱」しました。

 鈴は、その残骸のなかから、音を鳴らしてころがり出た。
 しかし、肉のない右手は、手首から離れながら、なおものたうっていた──指はまだ、血のしたたる首をしっかりとつかみ──まるで黄いろい蟹のはさみが、落ちた果実にくっついているかのように──かきむしり、切りさいなみつづけていた。

「これはひどい話だ」とわたしは、この話をしてくれた友人にむかっていった。
「この死人の復讐は──もしやるなら──男にむかってやるべきだ」
「男はみなそう考えます」
 彼はこたえた。
「しかし、それは女の感じ方ではありません」

 彼の言うとおりであった。



20110624 011



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2011
07.19

友人の埋骨

 初めて友人埋骨を行いました。
 三回忌を迎えた同級生A君を共同墓法楽の礎』へ納めたのです。
 かつて本堂でお別れ会を行った時は耐え難いほど湿っぽい雰囲気でした。
 思い出話では、好天だったのに〝あれは雨の日だっよね〟とかんちがいするほどです。
 しかし、三回忌ともなれば、もう、死はそれぞれに消化されており、思い出話をしたり近況を尋ね合ったりする参会者同士で笑顔が交わされています。
 やつれていた奥さんは、いくらか歳をとった気配はあるものの、元通りの元気な女性として活躍中とのこと。
 娘さん2人は結婚し、彼が亡くなる数ヶ月前に生まれた一番目の孫はもう2歳になりました。
 お婿さんたちも頼もしく、若い人たちは輝いています。

 目に微妙な笑いを含ませた友人B君が、やや小声で述懐しました。
「奥さん、すっかり元気になりましたよねえ―――」
 言外に、
〝男は女房に先立たれたらなかなかこうは行かないかも知れない。女性は強いなあ〟
〝死んでしまえばそれまでだなあ。あいつも早く逝ったもんだ〟
と言っています。
 私は黙って深く頷くしかありませんでした。

 これで良いのです。
 死後ただちにあげられる枕経の本尊不動明王が魔を祓って不安定な御霊を守られ、お釈迦様・文殊様・普賢様からこの世で聞きもらした教えを説いていただき、お地蔵様に迷わぬよう導かれ、弥勒様が開く極楽への扉を開け、薬師様に歩む力をお授けいただく、ここまでの49日で中陰(チュウイン)という中間的な状態を脱します。
 それから、観音様・勢至様そして阿弥陀様にお導きいただいて三回忌となります。
 弥陀浄土で御霊はすっかり安心の境地へと入っておられるのですから、残された人たちにも翳りがなくなって当然です。

「彼の分も」などと意気込む必要はありませんが、いつも仲間の前では明るくふるまい、懇親の場ではうっってつけの〈しきり役〉だった彼の笑顔を時には思い出しながら命分を生ききり、やがては「おーい、来たぞ。待たせたなあ」と再会の時を迎えたいものです。
 本堂で年期供養の修法を終え、共同墓法楽の礎』に着くころは、もうほとんど雨が上がり、雲の切れ間から裾に紅葉をまとった笹倉山が見えました。
 A君、安らかに……。

※この文章は、もうネットで読んでいただけない古い綴りの中から行者高橋里佳さんがピックアップしたものを加筆修正の上、再掲しています。

20110710 005



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2011
07.18

見知らぬ町

 イラクで日本人青年が惨殺されたとの情報に接し、ご加持に来られた自衛隊員の親御さんと話をした日の夜などは、見知らぬ町の光景が夢に現れたりします。
 
 埃っぽくごちゃごちゃした道を用心深く目的地へと歩いている時は、悪意や不審の目にさらされながらもどうにか進めます。
 しかし、帰り道はそう容易ではありません。
 一つ、また一つと、どこからともなく石つぶてが飛んできます。
 振り返っても犯人は判りません。眉をひそめ暗い目をしたあの商人のようでもあり、ものかげから冷たい目でこちらをじっと見ているあの少年のようでもあり、二階の窓から顔の上半分だけをのぞかせいる少女のようでもあります。
 判らないし判ってもどうにもならないので、不安から急ぎ足になります。
 そのうちに石つぶてはあられのようになり、恐怖で走り出します。
 走っても走っても帰り道は長く、遠く、身体のあちこちが堅い棒で突かれたような痛みに襲われます。
〝前からも来たらもう終わりだ〟と気づいて身体が凍りついた時、目が覚めました。
 まだ2時半です。

 もちろん善意の人々もたくさんいることでしょうが、外国軍への悪意や敵意や殺意を持った人々にあふれた町は、自衛隊員にとってまったく異次元の世界ではないでしょうか。
 ある関係者は声をひそめて「隊員の一部は、帰ってきてもしばらくは使いものになりません」と言われます。
 しばらくどころか、れっきとした心の病人になってしまう隊員が続出しているはずですが、その辺の事情はまったく国民に知らされていません。

 あの悪夢の空間から、一日一刻も早く無事に帰ってきて欲しい。
 今日も祈ります。

※この文章は、平成16年11月に書いたものです。
※この文章は、もうネットで読んでいただけない古い綴りの中から行者高橋里佳さんがピックアップしたものを加筆修正の上、再掲しています。

20110704 0152



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「おん あみりたていせい から うん」※今日の守本尊阿弥陀如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。



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2011
07.18

7月の聖語

 お大師様の言葉です。

「せっかく悟りの智慧を映し出す鏡が心にあっても、修行という縁がなければ、実際にはたらいて利益となる力を発揮できない。
 だから、長い時間をかけて石を少しづつ磨くように、布施など六つの修行を行い、芥子を一粒づつ大きな入れ物から出して入れ物を空っぽにするような永遠の時間をかけて、あらゆる行の原因となるものを積むのである」


 以下、原文です。
「智鏡(チキョウ)心に処すれども、縁なくば則ち利物(リモツ)の力を欠く。
 ゆえに、よく石を長時に磷(ヒスラ)かして、六度(ロクド)の行を積み、芥(ケイ)を永歳(エイサイ)に耗(ヘスラ)かして、万行の因をつむ」

 智鏡とは、心にある智慧を鏡に例えたものです。
 私たちは自己中心という色眼鏡で周囲を見るので、ありのままに世界をとらえることはなかなか難しいのですが、修行によって色眼鏡がはずれ、真実世界が心へ映し出されます。
 修行という縁があってこそ鏡は本来の役割を果たせます。
 修行六波羅密(ロッパラミツ)です。
 水のような布施、塗香のような持戒、花のような忍辱(ニンニク…忍耐)、線香のような精進、飲食のような禅定、灯明のような智慧
 芥は芥子のことで時間を象徴し、仏教では永遠の時間を以下のように例えます。
 縦・横・高さ約7キロメートルの立方体を芥子粒で満たし、100年に一度一粒づつ取り出し、それが空っぽになってもまだ尽きない時間が永遠であると想像するのです。
 いったん、「他のためになれる菩薩になろう」と決心したならば、永遠布施となる行いや、戒律にそった行いに励み続けねばなりません。
 考え、語り、行動するすべてが、布施や持戒などの徳目の実践につながらねばなりません。

 仏法の行者はこうした存在ですが、修行は寺院の中でだけ行われるものではありません。
 たとえ頭を丸めなくても、一念発起して仏道を歩もうと決心したならば、誰でもどこでも実践できます。
 被災地へ支援物資を送れば布施行です。
 カッとなった時に深呼吸をしたり、真言を唱えたりして怒りを鎮めれば持戒行です。
 軽蔑されても黙々とまっとうな仕事に励むならば忍辱行です。
 暑くとも、やろうと決めた勉強を行えば精進行です。
 周囲で突発的なできごとが起こっても、冷静に事態を把握して行動すれば禅定行です。
 人としてこうすべきであると気づいた時に、損得などを離れて実践できれば智慧行です。

 当山では7月14日にセミが鳴き始め、朝の気温も一気に下がりました。
 日中はすさまじい暑さですが、朝はもう、毛布なしでは風邪が心配になるほどです。
 季節が変わると、同じ季節を過ごした過去が思い出され、自分がいなくなった未来をも想像します。
 そして、今、確かに仏道を歩みさえすれば、〈永遠〉は瞬く間ではないかと思ったりもします。
 死の床についたダライ・ラマ一世は、死の直前、師は浄土に生まれ変わられますと言って励ます高弟へ語りました。

浄土に生まれることなど、一度たりとも考えたことはありません。
 私はこれから長い間、不浄な世界で、そこにいる人たちの助けとなるように死力を尽くす覚悟でいます。
 それ以外のことは考えられません」


 今、ここで「万行の因」を積み、わずかでも智鏡を輝かせたいものです。

〈朝靄と釈尊〉
20110717 0011

〈仕事をしているそばで本を枕に眠るクロ〉
20110717 0072



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2011
07.17

アルバム

 堂内の表示板へ貼る写真を探すため、整理がつかぬままに溜まってきたデータを調べました。
 古いアルバムをめくるのと同じです。
 新しい画面が現われるとたちまち〈その時〉がよみがえるものの、クリックして画面が変わった瞬間にきれいさっぱり霧消します。
 たくさんの〈その時〉があったのは確かですが、はもうどれも、どこにもありません。
 
 どうにか数枚を選んではみたものの、過去の傑作写真を貼り出すことには何か釈然としないものがあります。
 あるのは流れ続けてやまない〈〉だけだからです。
 賞味期限の切れた食べものを並べるのと同じような心の引っかかりが消えません。
 こうしてみると、インターネットのもたらす新鮮な〈〉の価値を再認識させられます。

 しかし、みの教えの価値は普遍的であり不変です。
 表示板を立てた目的は、より多くの方々にみの世界へ接していただくことにあります。
 ならば、変化の一瞬を切り取った写真にそれが顕われていれば、それで良い……。
 選ばれた写真はどうなのか。
 果たして願いにふさわしいものかどうか。
 目にする方々に判断していただくしかありません。

※この文章は、もうネットで読んでいただけない古い綴りの中から行者高橋里佳さんがピックアップしたものを加筆修正の上、再掲しています。

20110707 005



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2011
07.17

『大日経』が説く心のありさま六十景 その41 ─刺心(シシン)─

 迷い、悩み、真実を求める時、たとえ真実への道が見つかっても、その途中にまた心を惑わすものたちが現れます。
 釈尊が成道(ジョウドウ…悟りを開くこと)する直前、化けものたちが邪魔をしようとした故事にも明らかです。
 いつの間にか、心に化けものが入りこんでいるかも知れないので、人生修行をまっとうするためには心のチェックが欠かせません。
大日経』は行者の曇った心模様を60の面から解き明かしています。
 その指摘を一つづつたどり、しっかり省みましょう。

39 刺心(シシン)
 何ごとも後悔してしまう心です。

「一切処に悪作(オサ)を発起(ホッキ)するを性とす」


「悪作」とは、悪いことをしてしまう、あるいは悪いことが起こる、あるいは悪(ニク)むといった〈良くないことが起こる〉状態です。
 これを「発起」するとは、良くないことが起こると思うこと、もしくは良くないと不安にかられてしまうことです。

 私たちは、誤って悪行を行えば、省みて懺悔します。
 一方、善行を行えば、心に温かな感じや充実感や達成感や満足感などが起こり、自分を清めたような気持になったりもします。
 しかし、刺心にとりつかれれば、そうはゆきません。
 たとえば、ボランティアで被災された方の家を片付けた時は、〝どうして、もっときちんと整理できなかったのだろう。私はへたくそだ〟と悔やみ、運転中に道を尋ねられて教えれば、〝近くだから、車に乗せて行ってあげれば良かったのに。私は不親切だ〟と自己嫌悪に陥ったりします。
 もちろん、失敗をやらかしてしまったなら、もう大変です。
 こうした性向を持った人は、他人へ対しても同じ姿勢を貫きます。
 たとえば、夫のちょっとした浮気が発覚したなら、もう「人生は終わった」となり、破局へ突っ走るか、さもなければ、添い遂げて死が二人を分かつまで「あの時は!」と夫を責め、同時に「自分の結婚はまちがっていた。騙された私はバカだった」と自分を責め、挙げ句の果ては紹介者や仲人さんまで恨みの対象となってしまいます。

 このように、いつも自分の心を刺してしまう人は、当然、修行が身につきません。
 真言を108回唱えても、「私はいつまでも、たった108回しか唱えられない。こんなことでは願いがご本尊様へ届かないのではないか」と不安になります。
 この例で明らかなとおり、刺心は自分自身への不安や自信のなさの現れではあるけれども、その源は、環境であれ人であれ教えであれ世論であれ仕事の手順であれ、自分の周囲を信じられないところにあります。
 刺心を脱する方法は三つです。
 一つは、自分の刺心をとことん見つめ、抜け出られるよう導いてくれる師や教えを探すことです。
 それが見つかれば、もう、目的の半分は達成できたと言えます。
 すでに「信」があるからです。
 もう一つは、窮地に陥って誰かに、あるいは宗教などに救われ、問答無用に「ありがたい」と涙する体験です。
 その人や宗教が自分を救ってくれて今の自分があるのは、それらがその時、自分にとってかけがえのない確かな存在だったということです。
 刺心の人はすべてを霧の中に見失いながら生きていますが、見失いようのないものを得た体験が、霧の中からもっと他のものをも発見できる力となります。
 そしてもう一つは、「ありがたい」情報に接することです。
 友人など周囲の人々がそうしたできごとを教えるのも有効です。
 そして眠っている心の音叉が感動という共鳴をし始めれば、しめたものです。

 ただし、刺心があまりにも強く人間関係など日常生活を破壊しかねない時は、医師を訪ねるのも一法です。
 病気になれば、治療が生きるための強い杖になります。
 そうして〈信じられる人〉になりましょう。
 さて、信じられる人であるかどうか、一つのチェックポイントを書いておきます。
 仏法が2500年前から説いている布施の教えです。

「誰もが幸せになれる一番の方法は、誰もが善い心を持つこと。
 善い心とは誰かのためになろうとすること」


 どうでしょうか。
 心から深くこう思えるなら、刺心は消えて行くことでしょう。

201107162 0252

201107162 0202



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2011
07.16

『大日経』が説く心のありさま六十景 その40 ─羅刹心(ラセツシン)─

 迷い悩み、真実を求める時、たとえ真実への道が見つかっても、その途中にまた心を惑わすものたちが現れます。
 釈尊が成道(ジョウドウ…悟りを開くこと)する直前、化けものたちが邪魔をしようとした故事にも明らかです。
 いつの間にか、心に化けものが入りこんでいるかも知れないので、人生修行をまっとうするためには心のチェックが欠かせません。
大日経』は行者の曇った心模様を60の面から解き明かしています。
 その指摘を一つづつたどり、しっかり省みましょう。

38 羅刹心(ラセツシン)
 他の善き行動へ素直になれず邪魔する心です。

「善の中に於いて不善を発起(ホッキ)す」


 私たちは、他人の善行を目にした時、三つの心のどれかが起こります。
「ああ、すばらしい。私も手伝おう」
「ふん、良い子ぶって。気に入らない」
「関係ない」
 羅刹は、二番目の心でしか動けない存在です。

 こうした心の動きは6つの感覚からもたらされます。
 好(コウ)・悪(オ)・平(ヘイ)・楽受(ラクジュ)・苦受(クジュ)・不楽不苦受(フラクフクジュ)。
 好ましい、悪(ニク)い、無関心、楽と感じる、苦と感じる、どちらとも感じない。
 いずれにしても自己中心の物差しを当てる状態であり、煩悩とされています。
 除夜の鐘が叩かれる回数はなぜ108回なのか。
 それは、この6つが目や耳など6つの器官を通して発生し、それが過去、現在、未来と続いて108になるので、そのすべてを清めて新しい年を迎えるためです。

 好きなベッドで楽に眠ってこそ翌日も良い仕事ができるのに、「好」や「楽受」が煩悩とされるのは、それらが「もっと、もっと」と貪欲になる心を生むからです。
 悪しき行為を悪(ニク)み悪の蔓延に苦を感じるからこそ正しい行動をとるのに、「悪」や「苦受」が煩悩とされるのは、それらが自他を害する怒りに結びつくからです。
 好き嫌いなく、あまり苦楽を感じなければ平穏無事そうですが、「平」や「不楽不苦受」が煩悩とされるのは、それらが、空(クウ)に気づかないないなどの根本的な愚かさを助長するからです。
 6つの煩悩のままに生きては「貪・瞋・癡(トン・ジン・チ)」という怖ろしい三毒にまみれてしまいます。

 さて、羅刹心(ラセツ)は暴虐で、刑罰を加える時に用いる丈や剣を手に持ち、人肉を食べます。
 印は左手で剣を作る形であり、み仏のご守護のもとに悪を解き放つ右手の剣印とは反対に、自我を象徴する左手の剣で勝手に周囲のものを切ってしまいます。
 羅刹は、一切のものを良いと受けとめません。
 たとえば仏塔を建てる功徳に満ちた計画を聞いては、虫を殺す悪行だとして妨害しようとします。
 羅刹の感覚には「好」や「楽受」、そして「平」や「不楽不苦受」も欠けているのではないでしょうか。
 こうした感覚は野放しになれば貪欲や無智に至りますが、智慧でコントロールされれば、自他へ安心で快適で自由な日々をもたらします。
 しかし、感覚が欠けていれば安心も快適さも自由も知らず、もちろん他人のそうした喜びを尊ぶ心は起こりません。
 羅刹は哀れです。
 だから、み仏はマンダラの中へ招き入れ、南西の土地を守護する神に変えました。
 羅刹はみ仏のお慈悲の力で怒りの愚かさと、その害毒を知り、持ち前のパワーを発揮して仏国土を守っています。

 このような覚悟で羅刹心を克服しましょう。
「我、有徳者(ウトクシャ)を尊敬(ソンギョウ)し優雅さに生きん」
「我、善行を賛嘆(サンタン)し優雅さに生きん」
「我、善行に随順し優雅さに生きん」
 他人の善行へ素直になると、心に「好」や「楽受」や「平」や「不楽不苦受」が生まれ、それらが正しくコントロールされた優雅さに憩うならば、他人を邪魔したくなる殺伐さは消え果てることでしょう。

20110704 0242



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2011
07.15

橋温子先生のお習字教室が始まります

 名取市閖上被災された橋温子先生は、ご自身の辛い体験をおくびにも出さず、しっかりと日々を歩んでおられます。
 しかも、大石芳野氏の名作『それでも笑みを』に通じる笑顔にお会いすると、こちらが勇気づけられてしまいます。
 教室では、姿勢など基本から教えていただきますので、どうぞふるってご参加ください。
 また、イス席もありますので、正座の苦手な方や足の痛い方なども安心してご参加ください。

・日   時 8月7日(日)午後2時より3時半まで(毎月第一日曜日の同時刻に開催します)
・場   所 当山本堂
・ご志納金 大人1000円・中学生以下500円(被災された方は無料)
※1時30分に『イズミティ21』前へ乗り合わせの車がまいります。事前にお申し込みください。

20110704 01722



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2011
07.15

東日本大震災 ─東北関東大震災・被災の記(その79)─祈り、踊る人物と五行思想

 三内丸山遺跡から出土した縄文中期の土器片が気になってなりません。
 三内丸山遺跡発掘調査委員会委員長を務める岡村道雄名誉研究員(奈良文化財研究所)は、

「羽飾りを着けた様子から、祭祀に登場する人物と考えられる」
「めったに見られない人物画で、同時期にはほかに例がない」

と指摘しておられます。
 この土器片は、平成5年11月に同遺跡の盛土遺構「北盛土」で出土しており、今年の6月3日になって約600万点の選定作業中に発見されました。

 初めて新聞紙上で目にした時、文字になっていると気づきました。
 人の姿は「木」であり「火」であり「土」であり「水」と読めます。
 私たちは木のように成長し、火のように暖かく、時には燃え、土から生まれて土に足を踏みしめて生き、土に還り、水のように血液や呼吸が流れていてこそ生きられます。
 そして、ここに「金」が加われば五行(ゴギョウ)となりますが、金は道具であり、貨幣です。

 五行を考えたのは古代の中国人とされ、万物の元素を木・火・土・金・水とするものです。
 この思想は私たちの日常生活にも深く関わり、四方を必ず「前後左右」と表現する呼び方などにも現れています。
 合掌し祈りを捧げる尊い相手は北すなわち「水」の位置へ置きます。
 そうすると、後は南であり「火」の位置です。
 左は西であり「金」の位置、右は東であり「木」の位置、そして中心は「土」の位置です。
 さて、前後左右と四方の要素を並べれば「水→火→金→木」となります。
 また、自分は中心すなわち「土」の位置にいるので、動きのスタートは「土→水」となっています。
 土は堤防となって水を止め、水は火を消し、火は金(金属)属を溶かし、金(金属)は木を切るので、相手を克するという意味で「相克(ソウコク)」と言います。
 だから前後左右はこれ以外にない「相克」の順番であり、畏怖と願望を込めて「魔切り」の動きとされてきました。
 事実、当山で稽古を続けている隠形流(オンギョウリュウ)居合における四方の動きもまた、これが基本形になっています。

 それにしても、祈り、踊る人間の姿が木・火・土・水であり、金属を手にすれば物質文明や貨幣経済が生まれ、武器を発達させながら戦争も行うと考えれば、大きな示唆を感じます。
 安田喜憲氏(京都大学大学院教授)はこう述べておられます。

「私が縄文にも文明原理が存在すると主張するのは、落日の物質エネルギー文明に代わって、人類文明史を牽引する文明原理がそこには隠されているとみなすからである」


 私たちは今、東日本大震災によって私たちが忘れかけていた「無常」へ否応なく直面させられ、「無常を生きている者としていかに生きるか?」を問われています。
 私たち人間そのもの、つまり生きものである存在と、手にし頼りとして用いてきた道具たちとの関係を根本から見直すよう、この小さな破片は教えてくれているのではないでしょうか。
 4300年前に人間の原型を刻んだ先人へ深く頭を垂れる謙虚さから、私たちは出発すべきなのではないでしょうか。 

201107122 001



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2011
07.14

「クローズアップ現代」と「ためしてガッテン」そして吉原の遊女

 7月13日のNHKは「クローズアップ現代 検証・自衛隊史上最大の災害派遣」と「ためしてガッテン 血液からツヨくなる!熱中症で死ぬもんかSP」を相次いで放映しました。

1 クローズアップ現代 検証・自衛隊史上最大の災害派遣

 災害時における自衛隊の派遣は、公共性・緊急性・非代替性が認められた場合に限ります。
 そのため、活動は後方支援や初動への対応に限定されるのが普通です。
 ところが東日本大震災では、自治体機能が麻痺したり消滅したりといった状況、あるいは原発事故へ電力会社や警察や消防が対応しきれない状況となり、異例にも全面へ出ることとなりました。
 自衛隊は隊員の安全確保をはかりながら、これまで計画も作戦も訓練もなかったまったく新たな事態へ立ち向かいました。
 そこでいかに活躍したかを検証する時、見えてくるのは現場における智慧です。
 たとえば住民が夜間パトロールを望んでも、法規上できません。
 そこで現場の自衛隊は、物資を運ぶ際にわざとゆっくり走ったり、暗い小道へ入って遠回りしたりといった方法で、可能な限り住民の要望へ応えようと努力しています。
 当初の10万人体勢から4万人となりましたが、酷暑の中でその任務の重要性は高まるばかりです。

 番組の最後に植村秀樹(流通経済大学法学部教授)氏は二度、強調しました。
危機管理全体の中で自衛隊をどう位置づけるか、それは制度より運用で考えるべき課題です」
 もちろん、自衛隊が超法規的に動いたりしてはなりませんが、いたずらに制度をいじる議論を行うより、現場に即したはたらきかたをもっとよく考えるべきであるという指摘は、とても重要です。
 新しい制度やマニュアルを作ればうまくやれるという考えは、常に変化する現場や生きた人間が動く現実から乖離する危険性があります。
 私たちの考え方や政治が「仕組み作り」に偏っていないかどうか、省みたいものです。


2 ためしてガッテン 血液からツヨくなる!熱中症で死ぬもんかSP

 私たちはここ数年、「汗をかいたら塩分を補給しないと体調を崩す」と信じてきました。
 夏になると塩分グッズが大流行です。
 ところが、当番組で、いわば言い出しっぺの能勢博(信州大学大学院医学研究科教授)氏が意外な警告を発しました。
 大量の汗をかかないのに塩分を摂り過ぎると、ムダなばかりか高血圧などにつながる場合があり、普段の生活では塩分補給をあまり意識する必要はないというのです。
 そもそも、氏はスポーツ選手について研究し、汗と一緒に排出される塩分の補給が選手を熱中症などから守るということを発見しました。
 野外のスポーツなどで大量に汗が出る際の塩分の排出量は、暑い環境で過ごす日常生活における塩分の排出量とは桁違いに多いのです。
 だから「大量に汗をかく」場合のみ、塩分の補給を意識すべきで、そうでない場合は、あまり意識する必要はありません。
 大量に汗をかかない日常生活で塩分をどんどん摂ると、普段でも塩分過多になりやすい日本人は、熱中症を予防するどころか高血圧症などを引き起したり、そうした病気を進行させてしまったりする危険性が高まります。
 
 単純な図式化の危険性をいやというほど思い知らされました。
 おそらく当番組にそうした警告の意図はないと思われますが、「ワンフレーズ政治」の持つ欺瞞性や危険性を強く意識している私にとっては、塩分問題を通じてたくさんの人々がそうした面にも気づいて欲しいと切望する思いでした。


 いずれも日常生活の現場に肉薄する二つの番組は、はからずも、私たちの頭をコントロールしている先入観や思い込みに潜む問題をあぶり出しました。
 以下、かつて、吉原で起こった事件の顛末を記しておきます。

3 吉原の遊女

 吉原に身を落とした親孝行な遊女がいました。
 ある日、故郷の母親が重い病気に罹り、貧しいために薬も充分に与えられていないことを知りました。
 そこで廊主へ一日だけ暇をくださいと頼みましたが聞き入れられません。
 思いあまった遊女は放火に紛れて故郷を目指そうとしましたが、途中で捕らえられ、大岡越前守の裁きを受ける身になりました。
 当時の決まりでは、放火をした犯人は火あぶりの刑に処せられます。
 さて、判決が出ました。
 当然、火あぶりです。
 しかし、大岡越前守は、その前に遊女の孝行心は誰からも賞賛されるものであり、それに応えるよう監督官庁に命じました。
「貧しい母子を救うため遊女へ金五両を貸し付け、女性のやせ腕ゆえ、80年の返済期限を設けよ。
 返済後の遊女を処刑せよ」

20110624 010



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