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2011
12.31

1月の行事予定

 1月の行事予定です。
 この世の幸せとあの世の安心のため、み仏と祖霊のおわす聖地へおでかけください。

[正月修正会(シュショウエ)祈祷 2012/1/1(日)~3(火) 午前10:00~・午後2:00~
 新しい年を迎え、皆さんの除災招福を願って盛大に護摩を焚きます。
 参加は自由ですので、護摩の火に身を近づけ、悪しきものを焼き祓い、良き願いへ大きなご加護をいただいてください。
 なお、当山の開山を導いた秘仏大日如来像(作:江戸時代)のご開帳も行っておりますので、この機会にお詣りしてください。
 願いをかける方は少し早めにご来山の上、護摩木へ願い事を書いてください。

[第一例祭 2012/1/1(日)午前10:00~午前11:00
 今年は修正会と一緒になります。

[書道教室] 2012/1/8(日)午後2:00~午後3:30
・場  所  大師山法楽寺
・指  導  高橋温香(温子)先生
・ご志納金 1000円(未成年者500円)
 今年最初の稽古につき、書き初めを行います。
 イス席もありますので、お気軽にご参加ください。
(普段は毎月第一日曜日午後2時から開催します)

法話と対話「生活と仏法について」第十回] 2012/1/11(水)午前10:00~12:00
 釈尊の思いが凝縮されている『法句経』と、江戸時代まで寺子屋で用いられていた『実語教・童子教』とをテキストとし、合わせておりおりの出来事なども題材にした法話です。
 質疑応答も行います。
 会員制ではなく、その都度、まったく自由にご参加いただけます。
 どうぞ、ふるってご参加ください。
・場  所  仙台市旭が丘市民センター
・ご志納金 1000円(未成年者500円) これは目安であって自由です。被災された方は無料です。

[寺子屋『法楽館』第二十三回] 2012/1/14(土)午後2:00~午後3:30
 法話「新年を迎えて~年令による今年の運勢と生き方~」と対話を行います。
 年令ごとの運勢とその対処法をわかりやすくお話しします。
 ご質問も歓迎です。
 お気軽におでかけください。
・場  所  大師山法楽寺    
・ご志納金  1000円(未成年者500円・被災された方は無料です)
・送迎申込  午後1時30分に地下鉄泉中央駅近くの『イズミティ21』前へお迎えの車がまいります。乗車希望の方は前日までにご連絡下さい。
 
[第二例祭 2012/1/21(土)午後2:00~午後3:00
 講堂にて護摩を焚きます。
 参加は自由です。
 願いをかける方は少し早めに来山し、護摩木へ願い事を書いてください。
 講堂で懺悔し、不動明王の智慧がみなぎる護摩の火へ近づき、悪しきものを祓い、善き願いへ大きな力をいただいてください。
 太鼓と共に「般若心経」3巻を唱えます。
 法話もあります。

法話と対話「生活と仏法について」第十一回] 2012/1/25(水)午前10:00~12:00
 釈尊の思いが凝縮されている『法句経』と、江戸時代まで寺子屋で用いられていた『実語教・童子教』とをテキストとし、合わせておりおりの出来事なども題材にした法話です。
 質疑応答も行います。
 会員制ではなく、その都度、まったく自由にご参加いただけます。
 どうぞ、ふるってご参加ください。
・場  所  仙台市旭が丘青年文化センター
・ご志納金 1000円(未成年者500円) これは目安であって自由です。被災された方は無料です。

お焚きあげ] 2012/1/28(土)午前10:00
 お不動様のご縁日に、開運不動前にて「供養会」及び「お焚きあげ」を行います。
 人形や仏壇や写真など、燃えるものも、燃えないものも大丈夫です。
 一緒にお不動様のお経を読み、真言を唱えましょう。
お焚きあげをご希望の方は、必ず電話などで日時を連絡の上、お品をご持参、あるいはお送りください。
 当日とは限らず、いつでも結構です。

[機関誌『法楽』作り] 2012/1/30(月)午前9:00~
 講堂にて、機関誌『法楽』を作ります。ご協力をお願いします。
『四十二章経』も共に学びましょう。

[隠形流(オンギョウリュウ)居合道場]
 第一週の土曜日 午後6:00~8:00 法楽寺にて 
 第二週以降毎週金曜日 午後7:00~9:00 旭ヶ丘青年文化センターにて
 九字を切り、守本尊様のご加護をいただく密教独自の剣法です。
 女性や高齢者の方々が多く、厳しいながらも和気藹々と稽古しています。
 入門ご希望の方は、事前に連絡の上、見学してください。
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※上記諸行事の日程は、ご葬儀などにより予定変更になる場合があります。

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 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「のうまく さんまんだ ぼだなん あびらうんけん」※今日の守本尊大日如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。





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2011
12.31

本の価値 ─浅田次郎・恩地孝四郎─

 ブログ「恩と感謝」へ添付した写真の内容について、何件か問い合わせがありました。
 明治24年に生まれ昭和30年に逝った恩地孝四郎画伯の一文です。
 竹久夢二に師事した画伯は、特に版画と装本に偉才を発揮し、時代のリーダーとなりました。

 12月20日、作家浅田次郎氏など7人は、裁断機やスキャナーで書籍を電子化する通称自炊業者2社を相手取って差し止め訴訟を起こしました。
 その中で特に浅田次郎氏の言葉は忘れられません。

「作品は血を分けた子供と同然で、見ず知らずの人に利用され、 知らないところで利益が出るのは許せない。裁断された本は正視に耐えられない」


 文化の根幹を担う書籍の役割と、完成された一冊の本として作品を世に出すプロの願いと悲しみと怒りとが凝縮されています。
 なぜ、氏は、自分の子供が切り刻まれたと感じるのか?
 それは、本を手に取り、その重み、感触、香り、気配を感じとり、本の題名に作家のいかなる思いが込められているのかを若干、考え、おずおずと目次を確認するといった本との接触なしにはわかりません。
 言霊が凝縮して詰め込まれ、読者の精神を揺り動かす本には、畏敬の念を起こさせる力があります。
 作家が魂から絞り出す言霊に形を与えているもの、それが挿画や装填です。

 恩地孝四郎画伯の「本の美術」から一部分を転載します。

「本は文明の旗だ──
 旗は必ずしも生活必需品ではない。
 少なくとも衣食住のやうな意味での必需品ではない。
 衣食足りて礼節を知るの礼節みたいなものだ。
 但し礼節を知る前に存在する
 慎みみた様な本もむろんある。
 が、いづれにしても、
 本は生活に潤ひを与えるためのものである。
 若しくは文化を推進させるためのものである。
 そして、そのどちらの方にでも、
 快適な体裁をもつことが望ましいことになる。
 誰でも持って、読むに、ただみるにしても、
 快い体裁を整へてみることが望ましいのは当然だ。
 そこに、本に対するデザイン、
 本の体裁に関するデザイン、
 本の美術の必要があるわけである。
 本は文明の旗だ、
 その旗は当然美しくあらねばならない。
 美しくない旗は、
 旗の効用を無意味もしくは薄弱にする。
 美しくない本は、その効用を減殺される。
 則ち本である以上美しくなければ意味がない」


 電子書籍化は時代の要請であり、何ぴとも止められないことでしょう。
 レコードがCDになり、USBメモリで持ち歩けるようになったことを考えれば、装本で芸術的価値を高められた本の運命も推しはかられようというものですが、今回、津波に遭った役場や寺院が泥の中から発見した資料をもとに再活動を始めたこともまた事実です。
 変化の激流にあっても、私たちの心を養ってくれる作家や装本家の言葉に真実を見つける姿勢はなくしたくないものです。

〈隠形流(オンギョウリュウ)居合の女流剣士たちがお手伝いにかけつけ、コーヒーで乾杯しました〉
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2011
12.30

寺子屋の教え『実語教・童子教』を考える(その38)─他人の利用─

 江戸時代寺子屋などで盛んに学ばれていた人倫の基礎を説く『実語教(ジツゴキョウ)・童子教(ドウジキョウ)』について記します。
 日本人の宝ものである『実語教童子教』が家庭や学校で大人にも子供にも学ばれるよう願ってやみません。

他人の弓を挽(ヒ)かざれ、  
 他人の馬に騎(ノ)らざれ」


 この教えは、他人の道具を自分の道具のように気安く使ってはならないと戒めています。
 また、自分が利を得ようとして他人をうまく利用することをも戒めています。

 弓道家は、所有者の同意を得ない限り、決して他人の弓に触れません。
 それは、高価な弓にキズをつけたりしては大変だし、手慣れていない道具は危険でもあるという理由だけではありません。
 弓は単なるモノではなく、心と身体をつくり、心と身体と一体にもなる精妙な道具であり、それに手をかける無神経さがあっては弓道を究める資格がないからです。
 剣も同じであり、馬もまた、同じです。
 一頭の馬を育て、養うのは大変なことで、馬主は思いの丈をこめて飼育しています。
 まさに家族の一員であり、農家にとっては貴重な働き手、武士にとってはいのちを預ける相棒ともなります。

 こうした思慮、配慮は、まっとうな大人として社会生活を送る上で欠かせません。
 だから、隠形流(オンギョウリュウ)居合の行者は誓います。
「我、自他のものの区別をするは、人に疎(ウト)んぜられず、自他の発展を願うがゆえなり」
 自分のものと他人のものの区別をするのは、所有権や法律の問題以前に、他人の持つものに込められた他人の思いをおもんばかることができなければ、他人そのものを尊重できないからです。
 こうした面で無遠慮な人は、決して他人〈様〉を他人〈様〉と思ってはいません。
 その高慢さと愚かさが他人を遠ざけ、疎んじられるようになれば、自分も周囲の人々も共に発展の道を歩むことはできません。

 また、「他人のふんどしをしめて相撲をとる」という言葉と同じく、他人がそれに己(オノレ)をかけているものにあやかり、自分の力以上のことをやってうまく世渡りしようとするのは卑しい心です。
 もしも自分が弓を持っていなかったなら、あるいは粗末な弓しか持っていないなら、それもまた〈自分の力〉の範囲を示しています。
 だから、弓道をめざすなら気軽に他人の弓を借りたりせず、自分で汗を流し、自分なりの弓を用意すべきです。
 馬もまったく同じことです。
 持っていない自分をそのままに見つめるところからしか、自分の力の向上は始まりません。

 江戸時代寺子屋では、きっと、他人様の持ち物を尊ぶところを通して他人様を尊ぶ気持を教えたのでしょう。
 そして、〈持っていない自分〉をそにままに見つめ、受け入れるところから、卑しさのない清浄な向上心を導き出したのではないでしょうか。

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2011
12.29

1月の聖語

 お大師様の言葉です。

仏道、遠からず、回心(エシン)、すなわちこれなり」


仏道はどこか遠いところにあるのではなく、心を正しく回らせれば、そこにある)
 仏道は救いへの道です。
 救いは、特殊な難行苦行の先にだけ待っているのではありません。
 外へ救済者を求めるのではなく正しく自分の心を観れば、そこにみ仏を見出し、救いはたった今、あることに気づきます。

 この世は争いと調和と二つの原理で動いています。
 誰しもが調和による安心を求める心の方が強いにもかかわらず、日本では争いの原理が主流となりました。
 子供から大人まで〈バトル〉に夢中です。
 全員が勝者になれるかのように錯覚していますが、それはゲームの中だけの幻想であり、現実の社会は一握りの勝者とたくさんの敗者で構成されています。
 そして、勝者敗者の世界がどんどん離れていった結果、無慈悲な空気が人々の間に不安と不満を増大させているやに見受けられます。
 こうした時代であればこそ、日本文化の根にある大和の心に想いをいたし、仏法の慈悲と智慧、あるいは神道の惟神(カムナガラ…神意のままに)という大いなるものの前における謙虚で清浄な心に学び、心に潤いを取り戻したいものです。

 さて、年の初めに仏道の出発点である懺悔(サンゲ)を行い、お正月らしく心を清めましょう。
「無始よりこのかた、貪瞋癡(トンジンチ)の煩悩(ボンノウ)にまつわれて、身と口と心とにつくるところの諸々の罪科(ツミトガ)を皆ことごとく懺悔(サンゲ)したてまつる」
 懺悔は心の暗雲をうち祓い、満月を輝かせます。
 そして回心(エシン)が始まります。
 
〈道場の雪原を行ったのは誰?〉
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2011
12.29

1月の真言

 1月守本尊虚空蔵菩薩(コクゾウボサツ)様をご供養しお守りいただきたい時、願いを成就させたいと念じる時、つらい時、悲しい時、淋しい時は、合掌して真言(真実世界の言葉)をお唱えしましょう。
 たとえ一日一回でも、信じて行なえば、ご本尊様へ必ず思いが届きます。
 回数は任意ですが、基本は1・3・7・21・108・1080回となっています。

「のうぼう あきゃしゃきゃらばや おん ありきゃまりぼり そわか」

今月の真言をお聞きになるにはこちらをクリックしてください。音声が流れます


※お聞き頂くには 音楽再生ソフト が必要です。お持ちでない方は、
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2011
12.29

1月の守本尊様

 1月は、小寒(ショウカン)と大寒(ダイカン)の睦月(ムツキ…1月6日より2月3日まで)です。
 1月は丑(ウシ)の月なので、守本尊虚空蔵菩薩(コクゾウボサツ)様です。

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 虚空蔵菩薩(コクゾウボサツ)様は『是處非處智力(ゼショヒショチリキ)』をもって、この世の姿をありのままに見つめ、真偽・善悪・虚実・尊卑・上下・清濁などをはっきりと区別し、迷いを解き放つ力を与え、行くべき道をお示しくださいます。
 ご供養し、ご守護いただき、出発の月を心豊かに、無事安全に過ごしましょう。

 虚空蔵菩薩(コクゾウボサツ)様は、丑年生まれの善男善女を一生お守りくださる守本尊でもあります。
 写真は、永代供養を行ってご加護を受けるため、当山の講堂へ納められた千手観音様です。
 総丈は約35㎝あり、日本で唯一、護摩を焚いてできた灰が体内へ納められたご本尊様です。(奉納受付中)

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2011
12.29

恩と感謝 ─弔電の真実(その2)─

 当山は皆さんからいただくお手紙やメールへ返信がままならず、こうした形でプライバシーを守りながら、人生上の真実をより多くの方々と共有したい一心でおります。

 ブログを読まれたB夫氏からのご連絡で、できごとの持つ底知れぬ深みを感じました。
 B夫氏は、ご母堂様の最期を看とる際に、そっと告げられたそうです。(文面は変えてあります)
「お見事でした。後はお引き受けしました」
「今度は私の子として生まれてきてくださる時を待っています」

 こうして見送られた氏の心が私の音叉と共鳴し、私の心にお大師様の言葉が浮かんだのです。
「私は、いつ始めがあったとも言えない無限の過去からずっと、ありとあらゆる生きものたちの世界で父となり子となって生まれ変わり死に変わりし、訪れない世界はない。
 もしも智慧の眼力で輪廻転生の真実を見透すならば、一切の生きとし生けるものは自分の親であることがわかるであろう」

 そして、氏のささやきは、お大師様の師である恵果(ケイカ)和尚(ワジョウ)の言葉をも思い出させます。
「我(ワレ)は、過去世の契りにより、幾たびも生まれ変わっては汝と師弟関係を続け、密教を弘めてきた。
 今度は我(ワレ)が東国(日本)に生まれ、必ずや汝の弟子となろう」

 小泉八雲の『日本海に沿って』にある一文も忘れられません。
 出雲の貧しい百姓は、子供を育てられないので、妻が出産するたびに、死産と偽っては赤児を近くの川へ投げ捨てていました。
 暮らし向きが良くなってきた百姓は、7番目の子供を育てようとします。

「ある夏の夜のこと、男は赤ん坊を腕に抱き、庭先まで歩いていった。
 赤ん坊は生まれて五ヶ月になっていた。
 その夜は、大きな月が出ていてあまりに美しかったので、百姓は思わず声を上げた。
『ああ、今夜は珍しい、ええ夜だ』
 すると赤ん坊が父親の顔を見上げ、大人の口調でこうつぶやいた。
『お父つぁん、わしをしまいに捨てさしたときも、ちょうど今夜のような月夜だったね』
 そう言い残すと、その子は同じ年頃の赤ん坊と同じように、ひと言もしゃべらなくなった。

 その百姓は僧侶になった」



 居場所のない少年たちの「帰る家」であるロージーハウスを運営する認定特定非営利活動法人ロージーベルさんから便りが来ました。

「入所以来、彼らは以前の非行など考えられないほど真面目かつ着実に社会復帰に邁進しています。
 入所当時、家族に恵まれない少年たちはハウスでの生活に戸惑いを見せることもありましたが、心配をよそに、驚くほど早く規則ある生活にも溶け込んでくれました。
 彼らはロージーベル協力雇用主の下、入所後すぐに就労し、毎日、朝食後の『いってらっしゃい』から一日を始め、心の篭もったお弁当を食べ『お帰り』の声に迎えられ帰宅する日々を過ごしています。
 夕食後は毎日、子供たち・寮母・施設長が一日の出来事や相談ごとなどを話し、他愛のない話題で盛り上がり、ロージーハウスには笑いが絶えません。
 笑いの溢れる団欒の席で施設長の私は子供たちに『これが家族なんだよ』と話します。
 そして『これ以上に楽しい家庭をつくってね。』と…。
 子供たちが『はい』と答える時のすばらしい笑顔を皆さんにお見せ出来ないのが残念なくらいです」


 居場所を失い、ここに集う子供たちの過去世はいかなるものなのか。
 懸命な善意からほとばしる「これが家族なんだよ」の重み、そして、辛い過程を乗り越えて理想の家庭を願う子供たちの「はい」。
 こうした〈まこと〉はいかなる未来を創り、いかなる転生へと導くのか……。

 想いは尽きません。
 A子さん、B夫氏、本当にありがとうございました。

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2011
12.28

蜜 ─『四十二章経』第三十九章─

 このページは、機関誌『法楽』作りに参加された皆さんと一緒に、中国へ伝わった最初の仏教経典とされている『四十二章経』を学ぶ過程を綴っています。
 毎回、一章づつ、三年半かけて学び通す予定です。
 今回の勉強は「蜜」でした。

「仏(ほとけ)の言(のたま)わく、
『人の道(ドウ)を為(ナ)すは、猶(ナオ)し蜜を食(ジキ)するに、中辺(チュウヘン)も皆、甜(アマ)きが若(ゴト)し。
 吾が経も亦(マタ)爾(シカ)なり。
 その義皆、快(ココロヨ)し。
 行(ギョウ)ずれば道(ドウ)を得(エ)ん』」


 釈尊は説かれました。
「修行して悟りへ向かうのは、蜜を舐めるようなものです。
 さまざまな修行はどれも皆、心を高め深めるもので、それは、容器のどこにある蜜を舐めても同じく甘いのと同じなのです。
 私の説く教えもまた同じ道理で、さまざまな内容は皆、深い真理を含んでおり、それぞれに修行すれば必ず悟りへ到達することでしょう」

 釈尊は、悟られた内容を哲学論文のようにまとめ、順番に説かれたのではないようです。
 そもそも、説法を始めたのは帝釈天(タイシャクテン)の要請によるものであり、成道(ジョウドウ)後のスタートからして、求めに応じて相手のためになる内容を伝える「対機説法」でした。
 苦の内容に応じ、苦しむ人の理解能力に応じ、聞く人々の状況に応じ、問題を解決するのに最も適した教えが説かれました。
 それは、修行道場においても似たような状態だったのでしょう。
 修行が進み、たくさんの質問をする弟子はどんどんレベルを上げる一方、なかなか進まない弟子もいたはずです。
 そこで最悪なのは、わからないのにわかったつもりで、あるいはわかったふりをして先へ行こうとする態度です。
 これでは修行は偽りになります。
 今回の教えがいかなる場面で説かれたのかは定かでありませんが、もしかすると、あまり進めず焦る弟子を諭したのかも知れません。

 チューラパンダカの故事は有名です。
 暗愚でなかなか教えを覚えられないチューラパンダカが諦めようとしたおり、釈尊は「垢を除かん。塵を払わん」と唱えながら掃除するようにと指示しました。
 数年経ったある日、弟子が交代で説法する場面で、釈尊は、掃除しかしていないチューラパンダカを説法者に指名しました。
 きっと嘲る視線の集まる中、チューラパンダカは会場が静まるほどの説法を行いました。

 私はこの教えを知って以来いっそう、清掃に勤しむ方々を尊敬し、黙々と汗を流す方々を尊敬するようになりました。
 黙々と続ける精進は必ず、心にお線香の佳い香りのような徳を育てています。
 そして、空(クウ)の心でそうした人に接すれば、発散している香りに気づくはずです。
『法句経(ホックキョウ)』は説きます。
「徳の香りは風に逆らって薫ずる」
 花の香ならば風上へは流れませんが、徳の香は周囲の様子にかかわらず自(オノ)ずから香り、その情報をつかめる人には届くのです。
 立場や格好で人の心のレベルは推し量れないし、自分自身の心の鏡を磨かなければ、人が発しているものを心へ映し出せません。

 中沢新一著『鳥の仏教』に興味深い一節があります。

「チベットに仏教が根付こうとしていた初期の頃の話である。
 八世紀の中頃の東チベットにヴァイローチャナという若者がいた。
 子供の頃から大変な利発さで有名だったヴァイローチャナは、仏教の移植を図ろうとしていた王から命じられて、インドに仏教の高度な教えを求める旅に出たのだった。
 いくたの困難を乗り越えて旅を続け、ようやくシュリーセンハという師に巡り会うことのできた彼は、この師から『無為自然のままに存在の真理を知る』という教えを学んだ。
 そのヴァイローチャナがチベットに戻って最初に著した小さな書物にはなんと『知恵のカッコウ(リクパイ・クジュク)』という題名がつけられていた。
『知恵のカッコウ(リクパイ・クジュク)』の内容はとても高度で、つい先頃まで原始的な段階の宗教に甘んじていた民族が、いきなりこのような認識と表現にたどり着けたとは思えないほどである。
 ここから見えてくるのは、ボン教という仏教以前の新石器型の宗教が、すでにたいへんに高度な形而上学の思考を行っていたという事実ではないだろうか」


 ヴァイローチャナは大日如来を意味しますから。この若者はきっと神童だったのでしょう。
 また、チベットなどで、カッコウはシャーマンに霊力を与える神聖な鳥であるとされています。
 こうしたことを考えると、人はどうやって心を磨くか、心を磨くものは何であるか、そうしたことごとの多様性に「仏性」と「マンダラ」を感じます。
 私たちはひとしく悟りを開く能力の源である仏性(ブッショウ)を持っており、人の顔がそれぞれであるように仏性の輝き方もそれぞれであり、多様なままに救われるという真実がマンダラの深意ではないでしょうか。

 やはり、釈尊が説かれたとおり、仏法は無限の蜜です。
 縁に応じて舌に触れた時、その甘さに心を打たれるすなおさが肝要です。
 そして、その甘さを自分だけが味わうのではなく、ご縁の方々にも味わってもらいたいならば、自他の味覚を磨き、蜜に潤される世界へ飛び込みましょう。
 磨く方法は蜜を舐めることにあるとは、何と至福の成り行きでしょうか。

〈『鳥の仏教』より〉
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2011
12.27

恩と感謝 ─弔電の真実─

 A子さんの薄化粧した端正な顔は、文字通り眠っていると思えるような穏やかさで、生者の視線を迎えます。
「私たちがとんと忘れている安らかさとはこういうものではないか?」
 そして、惑う私たちを叱るような凛々しさは、帰って行く世界の高貴さを証明してもいます。

 A子さんは、「父親のいない子にしたくない」一心で酒癖の悪い夫に耐え抜き、夫の死後は、パートではたらきながら生計をまかない、夫が残した財物をすべて子供の教育へつぎ込みました。
 兄弟が不祥事を起こした時は積極的かつ献身的に対応して解決し、地域のためにも汗を流しました。

 和室の家族葬へ参加された方々の目は皆、死者の凛々しさが乗り移って強い意志の光をたたえています。
 弔辞はなく、弔電が読み上げられました。
「B夫君を生み、育ててくださった貴女に心から感謝します」
 数通には、まるで示し合わせたかのように、同志から高い評価を受けるB夫氏の生母であるがゆえの深い感謝と強い尊敬がこめられていました。
 聞いてみればあたりまえの文章ですが、内容のシンプルさと率直さが際立ち、忘れられません。
 母としての道を貫いた女性へのこの上ない送る言葉となりました。
 B夫氏の〈自分をかけて行う〉ひたむきさは、まさに母譲りだったのです。

 お大師様は説かれました。

「吾はこれ無始より已来(イライ)、四生(シショウ)六道(ロクドウ)の中に父となり子となって、いずれの生をか受けざる、いずれの趣(シュ…世界)にか生ぜざる。
 もし、恵眼をもってこれを観ずれば、一切の衆生はみなこれ我が親なり」


(私は、いつ始めがあったとも言えない無限の過去からずっと、ありとあらゆる生きものたちの世界で父となり子となって生まれ変わり死に変わりし、訪れない世界はない。
 もしも智慧の眼力で輪廻の真実を見透すならば、一切の生きとし生けるものは自分の親であることがわかるであろう)

 四生は、生まれ方によって分けられる生きものので世界です。
1 胎生(タイショウ)…胎内から生まれるほ乳類など。
2 卵生(ランショウ)…卵から孵化する鳥類や魚類など。
3 湿生(シッショウ)…湿気から生ずる虫など。
4 化生(ケショウ)…業(ゴウ)によって生ずる天人など。
 六道は業によって経巡る迷いの世界であり、地獄から天までの6つです。

 A子さんとB夫氏を想い、お大師様が生涯にわたって説かれた「四恩(シオン…国王・親・衆生・三宝の恩)」と輪廻転生を思います。
 地球上に忽然と現れたいのちの世界では、アリ一匹からクジラまで、恩人も敵も、すべてが欠かせない存在です。
 その中で人間のみが恩を知り、「おかげさま」と生き、「ありがとう」と去って行きます。
 人間を他の生きものと分ける最大の要素は、恩を知り感謝して生きることではないでしょうか。

 A子さん、B夫氏、本当にありがとうございました。
 おかげさまで、今日も道を歩めます。
 A子さん、十三仏様のお導きで必ずや絶対安心の世界へ向かわれますよう祈っています。
 B夫氏、いのちの捨て所で志をまっとうされますよう祈っています。

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2011
12.26

自分が得をするのでなければ「ありがとう」は不要か

 日本の医療体制が進み、休日に歯医者さんのお世話になれるのはありがたいことです。
 おかげで、虫歯の治療も歯の手入れもすっかり終わり、すぐ前にある塩竃神社へお詣りをし、清々しい気持で帰山できました。
 駐車場まで歩く石畳の公園に揺れながら舞い降りる雪の一ひら一ひらが嬉しく、とんとご縁のない「休」の意義を教えられたような気がしました。
 ああ、ありがたいなあとつぶやく車中で、数日前テレビで目にした人気弁護士の言動が思い出されました。
 そして、どこかに問題があるぞと直感した内容をよく考えてみました。

 あの夜は、テレビのスイッチを入れたら偶然彼が映っており、番組をよく観ていたわけではないので前後のいきさつは判りません。
 ただ、なぜか、彼はこんなことを主張していました。
「皆さんは弁護士へ報酬を払っていながら、『先生』とか『ありがとうございます』とか言ってぺこぺこしますが、おかしいです。
 皆さんはお金を払う側、つまりお客さんなんですから、お礼を言うべきなのはお金をもらう弁護士なんです。
 だから、皆さんは、先生などと敬語で呼ばず、むしろ『貴方を使ってやるんだ』といった感じで良いんですよ」
 人の苦を解決する職業にある人とは思えない驚くべきもの言いです。
 さっき、治療をしていただいた私も歯科医へお金を払いました。
 しかし、お金で歯科医を使うなどという考え方は一瞬たりとも頭に浮かんだことはありません。
 ただただありがたいだけです。
 
 労働と対価のやりとりはフィフティフィフティなので、どちらも目的とするものを得て潤い、人間としての立場が対等なのは彼の言うとおりであり、あたりまえです。
 だからこそはたらく方はきちっと仕事をし、対価を払う方も納得して支払うのであって、その関係自体には、どちら側にも余分なプラスもマイナスもありません。
 彼は、弁護士がありがとうと言えと主張してはいますが、頭の中には、「余分に何かを貰うわけでもない当前のことがらに、取りたててお礼を言う必要はない」という考え方があるのではないでしょうか。
 つまり、「差し引きして得しなければ、お礼は要らない」ということです。

 そもそも「ありがとう」は、「有り難い」つまりあたりまえでないところから起こっています。
 その意味では彼の考え方に一致しているようですが、問題はその先です。
 この言葉の意味するところは〈差し引きして得〉なのではなく、払う対価の大小を計算する心とは次元の異なるところではたらく〈得たものへの感謝〉と〈与えてくれた相手への感謝〉の気持が並ならず大きいということです。
 また、「おかげさま」は「お陰様」であり、言葉や思考では特定し切れない大いなる徳への感謝を表わします。
 私たちは、人間の思惑などには左右されず不断に照り続けている太陽の徳や、人知れず努力をして自分とは異なった何かを身につけて私たちを生かしてくれるあらゆる人々の徳へ、「様」と敬意を表してきました。
 そして、「ありがとう」「おかげさま」という感謝は、生きるという厳粛な事実の裏に隠されている人それぞれの懸命さ・健気さへの尽きぬ忖度であり、共感であり、ひいてはこの世そのもの、そして仏神への畏敬を含んでもいます。
 だからこそ、この二つの言葉は投げかけられた相手の心へも感謝を生み、無言で「こちらこそ」と返すやりとりは、清浄で温かな言霊(コトダマ)による救いの世界をもたらします。
 その意義は、死を前にした人の口から流れ出る一瞬に極まります。

 このような人間性の深いところから自ずとあふれ出る感謝の言葉を軽視する姿勢は、社会的影響力の大きい立場である以上、やはり大いに問題です。
 敬語についても、自分にとっての損得という視点から不要とする考え方は、あまりに情けないと言うしかありません。
 蓮華は、美しい大気と水と陽光だけでなく、泥に張った根から採る栄養もあればこそ、美しく咲きます。
 泥に育てられながら泥の色をまとわない蓮華の心で、善きことにも悪しきことにも学びたいものです。

(この文章は平成17年に書きました。もうネットで読んでいただけない古い綴りの中から行者高橋里佳さんがピックアップしたものを加筆修正の上、再掲しています)

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2011
12.25

2012年1月の運勢

 2012年1月の運勢──平成24年1月(師走…1月6日から2月3日まで)の運勢です。
 運気の流れを参考にし、人間修行の六波羅蜜(ロッパラミツ)行で改運し、開運し、快運となりますよう。

一 他人様の慶び事を心から喜ぶと、福が廻ってきます。
 今、ネットの世界では怖ろしい現象が現れています。
 やりとりしている仲間の誰かが就職するなど、より良い実生活へ入ると皆で攻撃するのです。
 嫉妬は人間にとって最も克服しがたい感情であるとされています。
 爆発の時が来るまで、その炎はこっそりと胸の奥で燃やされるのが普通でした。
 ところが、匿名性が隠れ蓑になるネット社会では良心のタガが外れ、正視に耐えかねる言葉が良識を超えた暴力性をもって飛び交っています。
 しかし、誰かの慶事を喜ばず、誰かの苦境を求める暗い心は必ず運勢を暗転させます。
 理由は、自分の心が磁石のようにはたらき、暗い情報を周囲の縁から引き寄せるからです。
 これでは厳しい現実が人々の運勢の暗転によってますます酷くなるばかりです。
 一方、菩薩(ボサツ)の実践法として説かれている「四摂法(シショウホウ)」の一つに同事(ドウジ)があります。
 相手の身になり、同じ心になってみることができなければ、真の思いやりは持てません。
 誰かの慶びを本当に喜ぶ温かくゆとりのある心で過ごしましょう。
 誰かのために、自分のために、そして社会のために。

二 自分は何を追うべきか、今、追っているものはどうなのか。
 馬の鼻先にニンジンをぶら下げるという話があるように、好物に気をとられていると無我夢中になります。
 それが善きことであれば問題はありませんが、悪しきことである場合も少なくありません。
 善きことがいつの間にか悪しきことに変質してしまっているのに、気づかないでいるかも知れません。
 特に気をつけるべきは、目的は正しくとも手段を誤るケースです。
 ケンカの仲裁へ割って入ったはずなのに、自分も殴り合いをするのでは話になりません。
 手段は目的にふさわしいものでなければ、目的自体が怪しくなります。

三 困難な状況でもじっと力を蓄えている人を見直しましょう。
 困難な状況では、一気に解決してくれそうな人に人々の期待が集まりがちです。
 しかし、ガンジーの言葉「よいものはカタツムリのように進むのです」は、いつの世でのも真理です。
 一人一人心が異なる人間社会で真に何かが変わるためには、異なった心の底に共通している部分を動かす力と時間が必要です。
 私たちは高校で習ったフランス革命を偉業としかとらえていませんが、フランスの識者は「フランスの未来に二度とあってはならない成り行き」と考え、各家庭での宗教教育を大切にしています。
 今こそ、志を持ち、人格の陶冶に励んでいる賢者の叡智が必要です。
 町内会から国会まで、根気強く諦めない賢者を選びたいものです。
 最近、国士と呼べる人物が一流企業の安定したポストを離れ、国策上、最もマスコミの取材から遠い世界へ身を投じました。
 この先、彼の名前が世間に知れるとしたら、蓄えた力を政治の表面で駆使できる立場に転身した時でしょう。
 目立ちたがりばかりに見える今、国家の根ともいうべきところで汗を流す人材こそ、カタツムリの典型です。
 野田総理の「どじょう」も結構ですが、私たちも「縁の下の力持ち」や「草の根」的なイメージを大切にしましょう。

四 正しいものは正しいとするすなおな気持が信用を得ます。
「策」よりも誠意誠心です。

五 仏神を粗末にし、目上を蔑ろにする傾向は危険です。
「形ばかり」は通用しません。

○み仏の子として、煩悩を脱し、菩薩になるための六つの修行を、日々、行いましょう。

[布施(フセ)行と運勢]水を供えましょう。
 精進の人は和平の精神が広く認められ幸運を引き寄せます。
 不精進の人は今の状態にこだわって我を張り、せっかくのチャンスを失いがちです。
[持戒(ジカイ)行と運勢]塗香(ヅコウ)で身と心を清めましょう。
 精進の人はままならない状況でも自重して無事安全です。
 不精進の人は功を焦って急進派に乗り、暗雲を呼びがちです。
[忍辱(ニンニク)行と運勢]お花を供えましょう。
 精進の人は善き友人との協力が大きな成功をもたらします。
 不精進の人は悪友との交友が足を引っぱり、実力者の助力を失いがちです。
[精進行と運勢]お線香を供えましょう。
 精進の人は勢いをうまくコントロールして失敗しません。
 不精進の人は勢いまかせに突っ走ろうとし、より強い相手にぶかって失敗しがちです。
[禅定行と運勢]飯食(オンジキ)を供えましょう。
 精進の人は誠実さが自然に徳の香となって広がり成功します。
 不精進の人は隠れた意図が隠れている相手から叩かれ、失敗しがちです。
[智慧行と運勢]灯火を供えましょう。
 精進の人は祖先からも目上からも信頼を受け、決まった道を歩めます。
 不精進の人は決まりどおりにならない状況を招き、理不尽に転落させられがちです。
 
 皆さんの開運を祈っています。

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2011
12.25

本厄の年にはどうすればよいか ─自心仏にめざめよう─

 成仏(ジョウブツ)とは、「仏に成る」ことですが、それは、小麦粉からパンを作るのとはわけがちがいます。
 自分が本来み仏であるという真実を自覚するという意味です。
 自覚すなわち「自ら覚る」というところがポイントで、「覚」には会得や察知という意味があるので明らかなとおり、「自分で、すでに〈在る〉み仏に気づく」のが成仏です。
 お大師様は成仏の「成」について詳しく説かれました。
1 不壊(フエ)…壊れない。
2 不断…断たれない。
3 不生(フショウ)…生まれない。
4 不滅…滅しない。
5 常恒…永遠である。
6 堅固…固く揺るがない。
7 清浄…汚れていない。
8 無始…始めがない。
9 無終…終わりがない。
 そして、決定的な一語を発せられました。

「法爾所成(ホウニショジョウ)にして、因縁所生(インネンショショウ)ではない」


(真実としてあるがままに完成されており、因縁によって生まれたものではない)
 私たちが生まれながらにしてみ仏の子であるという真実は、いつ、誰にとっても変わらず、因縁を超越しているのです。
 ここに、因縁にがんじがらめにされた世界でのたうち回る私たちを根本から救う教えがあります。

 仏道の門には二つあります。
 一つは、「修生始覚門(シュショウシガクモン)」と呼ばれるもので、修行によって生ずる安心や喜びを深めて行く方法です。
 向上門とも称し、煩悩まみれの凡夫が汚れをそぎ落としながら清浄なみ仏へ近づいて行く長い道のりです。
 自分の愚かさやこの世の非情さが骨の髄までわかり、そうした暗闇から一歩一歩と脱して行こうとします。
 もう一つは、「本有本覚門(ホンヌホンガクモン)」と呼ばれるもので、本よりあるみ仏に気づく方法です。
 向下門とも称し、自覚した「自分が本来み仏である」という真実を現実世界へ反映させて行く生き方です。
 自心仏(ジシンブツ)という〈自分の心におわすみ仏〉に導かれ、自他共に救われ発展する菩薩(ボサツ)行に邁進します。

 真言密教の特色は、お大師様が説かれた即身成仏(ソクシンジョウブツ)にあり、「この身このままで、み仏としての存在であることに気づく」ことをめざします。
 二つの門のうち、「本有本覚門(ホンヌホンガクモン)」が柱であり、それは、後に登場する浄土関係や法華関係の宗派へ大きな影響を与えました。
 本厄の年は特に、こうした考え方や実践が運勢を明るい方向へと転換させるのに役立ちます。
 なぜなら、本厄の特徴は、努力がなかなか正当に評価されなかったり、誤解や曲解を受けやすいところにあるからです。
 このように、因果の理を信じてまっとうに努力しても自分が納得できるような結果を得にくい時は、因果を離れた発想になってみる必要があります。
 お大師様は説かれました。

真言の果は、ことごとく因果を離れたり」


真言に導かれ、即身成仏する成り行きは、現象世界に見る因果律を離れている」

 私たちは、こうすればああなると考え、期待して努力します。
 しかし、そうとばかりはならないのがこの世の常であり、凡夫の限界です。
 勿論「捨てる神あれば拾う神あり」で、この世もまんざらではありませんが、本厄の年は鍛えられるという面が強く出て大変だったりします。
 そうした時に真言を唱えて自心仏に成り切り、み仏の眼で現実を見直してみれば、違った展望が開けるかも知れません。
 そして、この年回り特有の〈生涯の友〉や〈生涯の伴侶〉と出会うきっかけになるかも知れません。
 また、み仏の子となっている様子に誤解や曲解も消え、あるいは正当な評価も生まれましょう。

 では、どなたの真言を唱えればよいか?
 それは、本厄の年を一年間ご守護くださる千手観音様か、もしくは自分の生まれ年によって一生をご守護くださる守本尊様の真言です。
 千手観音様の真言は「おんばざらたらまきりく」です。
 自心仏の本体は根本仏の大日如来であり、それは阿弥陀如来や観音菩薩など、あらゆるみ仏方の徳の総体であって同時に源泉でもあります。
 だから大日如来の真言と、その使者である不動明王の真言はオールマイティですが、祈る目的に応じたみ仏の真言をお唱えすることによって救済もまた明確にイメージできるので、千手観音様か一代守本尊様を挙げました。
 詳しくは、当山のホームページ(http://hourakuji.net/index.html)をご覧ください。

 鍛えられる貴重な本厄の年が、さらなる向上や発展のきっかけとなりますよう祈っています。

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2011
12.24

お正月と立春のご祈祷について

【Q1】お正月立春には、どういうご祈祷をするのですか?

○お正月のご祈祷(1月1日から3日まで)
 午前10時と午後2時の合計六回修法します。
 ご都合のよい時間帯におでかけください。
 護摩の火と古来より伝わる大師茶などで、心も身体も暖まってください。
 私たちは生まれながらにして一生を守ってくださる守本尊様がおられます。
 たとえば兎(ウ)年生まれの方なら文殊菩薩、酉(トリ)年生まれの方なら不動明王です。
 お正月には、新しい年の過ごし方を考え、さまざまな願いを込めてこうした一代ご本尊様を供養する『修正会(シュショウエ)』を行います。

立春のご祈祷(2月5日 ※第一日曜日)
 午前10時より千枚の護摩木を焚いて厄除けを行います。
 私たちは毎年、運勢が変わり、お守りくださる守本尊様も変わります。
 たとえば八方塞がりの年には地蔵菩薩、本厄年には千手観音が守本尊としてお救いくださいます。
 だから、厄払いのご祈祷では千手観音様へ祈るのです。
 立春を期して、厄除け開運のために、それぞれの方の立春から翌年の節分までの一年間をお守りくださる守本尊様を供養する『春祭厄除千枚護摩祈祷』を行います。

【Q2】では、両方のご祈祷を受けなければならないのですか?

 お正月を迎え、自分の一生を守る守本尊様をあらためてご供養し、願いをかけることも大切、めぐってきた一年間を守る守本尊様をご供養することも大切です。
 両方大切ですが、もし一方を選ぶとしたならば、何か特別な目標を持って願いをかけるならばお正月厄払いを主として安全祈願したいならば立春ということになります。
 どうぞ自在にご検討ください。

【Q3】ご祈祷は、自分のことだけを考えればよいのですか?

 自分が正しい目的を持ち、災厄を避けながらしっかり生きることは基本ですが、同時に、周囲の人々の幸せも祈る心が仏心を開く力になります。
 自己中心は、仏心から最も遠い心です。
 誰かの幸せや安心を願ってお申し込みをするのは尊い布施行です。
 願いはどんな遠くへも届きます。
 どうぞ、お申し込みください。

【Q4】願い事はどう書けばよいのですか?自分の運勢はどう判断すればよいのですか?

〔お正月の申込み例〕
 商売繁盛 社運隆盛 社内安全 業績順調 就職実現 交渉円満 五穀豊饒 
 大漁満足 因縁解脱 除災招福 厄除開運 心願成就 運命転化 家内安全 
 家運隆盛 夫婦円満 身体健護 無病息災 当病平癒 交際円満 良縁吉祥 
 安産守護 方災解除 怪異消滅 交通安全 旅行安全 工事安全 学業成就 
 試験合格 災害不到 訴訟必勝 諸事順調 福徳長栄 福寿如意 金銀如意


〔年齢別運勢表〕年齢は数え年で見てください。

●● 八方塞がりの年 守本尊は地蔵菩薩様…天地は通じ開く。
 一・一〇・一九・二八・三七・四六・五五・六四・七三・八二・九一・百才
 精進者は、身分・実力に応じた幸いあり。尊きものを大切に。
 不精進者は迷い、天災・方災を受けやすい。
○● 種蒔きと開運の年 守本尊は阿弥陀如来様…積徳には開運あり。
 二・一一・二〇・二九・三八・四七・五六・六五・七四・八三・九二・百一才
 精進者は、目上の引き立て・天運あり。
 不精進者は、ただ忙しく金銭の損失・目上との争い・事故多い。
●○ 歓喜と散財の年 守本尊は不動明王様…質素倹約を第一に。
 三・一二・二一・三〇・三九・四八・五七・六六・七五・八四・九三・百二才
 精進者は、楽しく悦びごと多い。
 足るを知らぬ不精進者は、口舌の災い・異性難・飲食の難・水難多い。
○● 運命変化の年 守本尊は虚空蔵菩薩様…悲運を打開するチャンスあり。
 四・一三・二二・三一・四〇・四九・五八・六七・七六・八五・九四・百三才
 精進者は、障害の打破・公私共に幸いあり。
 不精進者は、仕事や家族や親族の難・手足関節などの病気多い。
○○ 前厄の年 守本尊は勢至菩薩様…虚実が明鏡に映る如く明らかになる。 
 五・一四・二三・三二・四一・五〇・五九・六八・七七・八六・九五・百四才
 精進者は、悪を断ち、陰徳積善が認められ身分の向上あり。
 不精進者は、旧悪露呈・離別・火難・公難多い。
●● 本厄の年 守本尊は千手観音様…外は穏でも内には乱の危険あり。
 六・一五・二四・三三・四二・五一・六〇・六九・七八・八七・九六・百五才
 精進者は、内に喜びあり。
 不精進者は、万事悩み多く、目下の問題・異性難・水難・病難・盗難・誤解多い。
●● 後厄の年 一陽来復 守本尊は大日如来様…再び陽が廻りくる。
 七・一六・二五・三四・四三・五二・六一・七〇・七九・八八・九七・百六才
 精進者は、進展遅くとも後に収穫あり。
 不精進者は、古物・偽物・不動産・母方に関する問題発生しやすい。
○○ 仮の縁多い年 守本尊は文殊菩薩様…善悪虚実を見分けて安全と発展あり。
 八・一七・二六・三五・四四・五三・六二・七一・八〇・八九・九八・百七才
 精進者は、新展開あり、魚が水を得るが如し。
 不精進者は、声あれど成就せず、雑音・中傷・突発事故あり。
○○ 良縁多く盛運の年 守本尊は普賢菩薩様…良縁多く福が来る。
 九・一八・二七・三六・四五・五四・六三・七二・八一・九〇・九九・百八
 忍耐ある精進者は、万事花開き、声望・吉事・成就あり。
 不精進者は、信用失墜・生霊の妨害・破れあり。


【Q5】申込めば何が授与されますか?

〔お正月修正会祈祷授与品〕
 御札・御守・高野山御線香・御清め塩・大師茶・御加持米・絵馬
(ご志納金によって異なります)

護摩木供養(1体300円)
・守本尊守護旗建立(1旒5000円)
・提灯供養(1本3000円)
もお受けしています。

〔春祭厄除千枚護摩祈祷授与品〕
・御守錫杖
 小ぶりですが、左右に三個づつ、ぶらさがっている合計六個の輪は、六道の迷いを覚めさせる重要な役割を担っています。
 地獄界の人や修羅界の人にひきずられないよう、しっかり法を結びましたので、身近なところへ置き、魔除け厄除けにしてください。
・八方除御守
 お子さんが何も考えずに塞がりの方角や破れの方角へ走っても大丈夫なように、八方天地十方世界の守本尊様にご守護いただく法を結びました。
・総本山開悟峯寺の御札・御守
 祈願を申し込まれた方は、総本山開悟峯寺の『星祭』で厄除け祈祷拝受となります。

【Q6】申込みはどうすればよいのですか?

 住所・氏名・生年月日・願い事を書き込み、郵送か、ファクスでお申し込みください。
 ホームページのメールからも可能です。
 ご志納金は、以下へご入金ください。 
・郵便局 02260-3-4604
・七十七銀行吉岡支店 普通口座 5446007
・古川信用組合吉岡支店 3383332
(いずれも、名義は宗教法人大師山法楽寺です)
(なお、お申込みは、正月祈祷は12月30日、春祭祈祷は1月31日までにお願いします)
(わかないことは022ー346ー2106へお問い合わせください)

【Q7】参加はどうすればよいのですか?

 自由参加です。
 参加できない場合はお札やお守などをお送りします。
 なお、いずれの修法においても開始30分前に『イズミティ21』から乗れる車をご用意できますので、乗車希望の方は、必ず前日までにお申し込みください。

【Q8】参加してはいけない人がいますか?

 み仏はすべての人々と御霊をいつも平等にお守りくださっています。
 お身内にご不幸があった人だからといって、良き願いをこめた祈りを拒否などされません。
 私たちがまっとうに、幸せに生きてこそ、み仏も御霊も喜ばれ、安心されます。
 どうぞ、一切にこだわりなく、良き願いを固めて新たな年をお始めください。

※ご参詣の方には、もれなく、その方の年令に応じた「開運のしおり(その1)」を差し上げます。
 春祭りには(その2)を予定しています。


 皆さんの幸せを祈っています。

〈聖なる炎〉

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2011
12.24

八方塞がりの年にはどうすればよいか ─自分の心の家から外へ出る─

 八方塞がりの時は、お地蔵様がお導きくださいます。
 生まれたばかりの数え年1才から、10才、19才、28才、37才、46才、55才、64才、73才、82才、91才、100才の方が、その年回りに当たります。
 こうした時期には必ず塞がるというわけではありません。
 塞がりやすい運気の流れにあることを認識していれば、何かのおりに役立つというのが正しい考え方です。
 
 たとえば、仕事が最高に忙しいのに、伴侶が大病に罹った際はどうするか?
 最も困るのは時間のやりくりです。
 自分の身体は一つしかないとあらためて実感させられ、途方に暮れます。
 戦争をしている時に負傷者が出て、自分が看護しながら突撃せねばならないといったイメージに苛まれたりします。

 お地蔵様に祈っていると、小池一夫原作のマンガ『子連れ狼』が思い出されるかも知れません。
 故萬屋錦之助や北大路欣也などで映画化もされました。
 主人公拝一刀(オガミイットウ)は刺客をなりわいとし、息子大五郎を箱車(乳母車)に乗せて全国を渡り歩きます。
 当然、子連れで相手と立ち会うのは圧倒的に不利ですが、〈看護兵と突撃兵〉の問題を、腕の冴えと胆力と知略で解決しながら活躍します。
 そうしているうちに大五郎は死生眼(シショウガン)という透徹した眼力を持つようになり、やがては父拝一刀に代わって敵を倒すまでになります。

 この親子は、常に危機と面している毎日なのに、どこか、自分の危機を忘れているようなところがあります。
 それは、拝一刀の生と死は大五郎の生と死に直結しており、同時に倒す相手の生と死にも直結しているからではないでしょうか。
 幽体離脱ではありませんが、感覚が自分の身体に縛られていないのです。

 自分が〈窮地に陥っている〉とは、自分が感じ、自分が判断している状態です。
「病人を抱えて戦えない」
 これは事実です。
 しかし、それによってすっかり塞がってしまうかどうかは、自分の心にかかっています。
「この状態でやるしかない」
 本当にこう思えて何か方策が見つかり、そこに邁進できるかどうかは、結局、自分次第なのです。

 拝一刀大五郎も、ひんぱんに窮地へ陥ります。
 しかし、そうした状況を全体的に観る眼があるために、心は追いつめられず、常に「この状態でやるしかない」中で最善手を見つけ、窮地を脱します。
 私たちがお地蔵様に手を合わせるとお救いいただけるのは、私たちに宿っている心の眼を開かせていただけるからではないでしょうか。
 言い方を変えれば、追いつめられた時こそ、み仏の子であるがゆえにそなわっている大切な眼が開くチャンスなのです。
 順風満帆でばかりいれば、なかなかそうは行きません。

 八方塞がりと感じたならば、お地蔵様に祈りましょう。
 お地蔵様の修法やご加持法を受けましょう。
 玄関も窓も皆、カギがかかっていたはずなのに、いつしか外へ出ていて、外からカギを開けられるかも知れません。
 時にはこうして自分の心の家から外へ出ることも必要なので、9年に一度、八方塞がりの年が巡ってくるのです。
「南無大施徳菩薩地蔵尊(ナムダイセトクボサジゾウソン)」
「おんかかかびさんまえいそわか」

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「のうぼう あきゃしゃきゃらばや おん あり きゃ まり ぼり そわか」※今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。





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2011
12.23

み仏と凡夫はどう違うのですか?

 小学生Aちゃんからの質問です。
「いろいろな様が祀られていますが、様と人間はどう違うのですか?」
 大人はあまり考えつかぬ鋭い一矢です。
 お大師様の言葉を思い出しました。
仏心は慈と悲となり。
 大慈はすなわち楽を与え、大悲はすなわち苦を抜く。
 抜苦は軽重を問うことなく、与楽は親疎を論ぜず」
 みの心には慈と悲とがあります。
 限りない慈しみの心は衆生へ楽を与え、限りない悲しみの心は衆生の苦を抜きます。
 苦を抜くのに身分などの軽重によって区別せず、楽を与えるのにもまた、自分にとって親しいかどうかによる区別はありません)
「Aちゃん、楽しいことがいっぱいあって、苦しいことはない方が良いよね。
 それは、誰でも同じだよね。
 ところで、Aちゃんにはお父さん、お母さんなど、家族がいるよね。
 お父さんが何かで嬉しそうにしていたら、自分も嬉しくなるでしょう。
 お母さんが何かで苦しそうにしていたら、自分も苦しくなるでしょう。
 もし、隣の家のお父さんが嬉しそうにしていたら、どう?
 嬉しくなる?
 もし、隣の家のお母さんが苦しそうにしていたら、どう?
 悲しくなる?
 どうしても自分の家族と同じようには感じられないよね。

 でも、みは、誰の喜びも誰の苦しみも、わけへだてなく同じように受けとめるんだよ。
 自分へたくさんお供えものをするからたくさん守ってくださり、あまりお供えをしないから見捨てるなどということはないよ。
 一生懸命、みへ尽くす人が守っていただけるのは、尽くそうとする良い心が、み仏からいただくご加護を大きく育てるからなのです。

 でも、私たちは違うよね。
 自分へたくさんお小遣いをくれる人は好きだけれど、あまりくれない人は嫌だったりして、好きな人が嬉しいと自分も嬉しくなるけれど、嫌いな人が嬉しくても無関心だったりするよね。
 好きな人が苦しい時は、何とかしてやりたいと思うけれど、嫌いな人が苦しい時は、ざまあみろと思ったりするよね。
 もし、私たちがこのままだと、お互いに自分中心で喜びを集め、苦しみを追いやろうとするばかりで、皆が笑顔で暮らせる社会にはならないよね。
 イス取りゲームみたいに、幸せの奪い合いをするのではなく、分け与え合えば、だんだん世の中の幸せは大きくなり、不幸は小さくなるよね。

 み仏は清らかだよね。
 それは、自分というこだわりを離れているからです。
 誰の喜びでもより大きくしてあげたいと願い、誰の苦しみでも早く取り除いてあげたいと願っているからです。
 自分や、自分にとって都合の良い人のことばかり考えている人にはこうした清らかさが感じられないものです。
 清らかさを感じる心を大切にして、なぜ清らかなのか、忘れないようにしようね。
 そして、み仏から少しでも清らかさを分けてもらえるよう、周囲の人々の楽しいことや苦しいことを、きちんと受けとめようね。
 そうしていると、きっと、み仏と同じように誰の楽しいことにも嬉しくなり、誰の苦しいことにも苦しくなり、人間としてやるべきことがやれる人間になれるよ。
 み仏にだんだん近づくよ。
 み仏は、こうして、完成された人間の様子をお示しくださっているのです」

〈匠の技〉
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「おん ばざら たらま きりく」※今日の守本尊千手観音様の真言です。
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2011
12.22

幽霊のようなテレパシー

 アインシュタインは「の速さ以上に早く動く物質はない」と主張しましたが、1982年、フランスの物理学者アッペは、極めて小さい電子というものが「ここにある状態」と、同じ電子が「あそこにある状態」とが重なり合っており、その距離はいくら離れていても切り離せないということを証明したそうです。
 つまり、極微の世界では、離れていても〈通じ合っている〉のです。
  
 この世を構成する電子が距離を超えて微妙に関係し合っているならば、「今ここで自分が思っていること」が同時に「今誰かの心にもある」のは、何の不思議もないことになりはしないでしょうか。
 離れていれば通じるまで必ず一定の時間がかかると考えたアインシュタインの忌み嫌った「幽霊のようなテレパシー」は、どうも、あるようです。
 これを「」と呼んでいけない理由はなさそうです。

 昨今の研究では、より速いものが見つかったとか、いや、あれはまちがいだったとか、アインシュタインもびっくりの状況ですが、この先どうなることやら。
 当山では、もちろん、あの世とこの世とを問わず〈通じる〉ことを前提として供養し、祈祷し、遠隔加持法なども行っています。
 目でわかる、握手で確信する、この世とあの世の……。
 つながるは多種多様です。

 あと10日も生きていれば、初夢が見られます。
 自分の見る夢は誰かと共有しているかも知れません。
 さて、それは楽しい想像でしょうか、それとも恐ろしい想像でしょうか。

(この文章は平成17年に書きました。もうネットで読んでいただけない古い綴りの中から行者高橋里佳さんがピックアップしたものを加筆修正の上、再掲しています)

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2011
12.22

『大日経』が説く心のありさま六十景 その60 ─猿猴心(エンコウシン)─

 猿猴心(エンコウシン)は猿のように落ち着かず、ソワソワ、バタバタしている心です。
 これは漢訳『大日経』から抜けていますが、善無為三蔵が補って六十心を完成させました。

 私たちはなぜ、右往左往するのか?
 それは、心に柱がないからです。
 釈尊は説かれました。

「自らを灯明とし、仏法を灯明とせよ」


大日経』は、さらに、明確にしました。

菩提(ボダイ…覚り)とは何であるかといえば、実の如く自分の心を知ることである」


 人間としての〈まこと〉を求め、学び、実践しないではいられない心。
 ここに徹すれば、それは決して消えない明かりを点しているということであり、み仏の子である自分の心を知り尽くそうとする道を歩んでいると言えます。
 まことはすなわち、「真実」の「こと」であり、「こと」は「言葉」に置き換えられて意義や意味が明確になるので、行き着くところ「真言(シンゴン)」になります。

 私たちがみ仏の子であるならば、なぜ、こうした苦の岐(チマタ)になっているのか?
 それは、心の奥の奥を「実のごとく」知らないからです。
 ここで言う「知る」は知識として知るのではなく、体験的に「つかむ」ことを意味します。
 仏法を学び、考え、実践するのが、「つかむ」ための方法です。

 修行には難行道(ナンギョウドウ…高度な修行)と易行道(エキギョウドウ…簡素な修行)があり、み仏に近づきたいと思い定めたならば、即身成仏(ソクシンジョウブツ…この身このままでみ仏であると気づき、成りきること)への道は必ず開かれます。
 淳和天皇の妃の一人真井御前(マナイゴゼン)は、天皇が正子内親王を皇后として迎えた天長4年、出家を志し、修行の道へ入りました。
 しかし、密教の修行を行ってもなかなか即身成仏が体得できません。
 そこで、お大師様が御前と等身大の如意輪観音像を造り、尊像と一体になる方法を伝授したところ、ついに納得を得られました。
 たとえ地獄界にいようと、修羅界にいようと、仏心を持った存在であることに変わりはなく、その人なりに〈み仏に成り切る時間〉を持つことは可能なはずです。
 要は、まことを求めるかどうかにかかっています。
 真言を唱えたりして善き世界をイメージし、我(ガ)を捨ててそこへ入る時間をつくるかどうかにかかっています。

 まことを求めるなら何でも良いかといえば、なかなか難しいものがあります。
 ある福祉関係のリーダーが言いました。
「彼らはイヌやネコと同じだから、扱いやすいのです」
 あるボランティア活動家が言いました。
「津波で亡くなった人たちの怨みなどを受けるのは嫌です」
 利益や名誉、あるいは自尊心の満足などを求めるという煩悩(ボンノウ)をきちんと制御しないと、表面的には善いことを行っていても、肝腎な心がそれと一致していない状況になりやすいのです。
 だから、釈尊以来2500年にわたって積み重ねられてきた煩悩へ対処する方法を学ぶ必要があります。

 これで、『大日経』の説く「六十心」を眺め終わりました。
 六十心は行者への戒めですが、それは、人間修行を行う万人への戒めでもあります。
 最後がソワソワ、バタバタする心とは、また、考えさせられます。
 救いとは結局、心が落ち着き、豊かで、徳に満ち、その佳き影響力が周囲へ広がるような状態であろうと考えられるからです。
 人間修行のスタートラインとゴールラインを示す釈尊と『大日経』の教えを再掲して終わりとします。

自らを灯明とし、仏法を灯明とせよ


菩提(ボダイ…覚り)とは何であるかといえば、実の如く自分の心を知ることである


 法灯により、法友とともに、法楽に憩いましょう。



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2011
12.21

DVD『チベット難民~世代を超えた闘い~』を観ました

 チベットは面積が日本の約6・5倍あり、七世紀にインドから伝わった大乗仏教最後の教えをチベット仏教へと練り上げた仏教国です。
 1959年、中国共産党軍の侵略を受けて政治と宗教の最高指導者ダライ・ラマ14世はインドへ亡命し、約13万人以上のチベット人が後を追ってヒマラヤ山脈を越えました。
 中国はこれまでに約120万人のチベット人を殺害し、チベット自治区と称されるようになった地域のチベット人と中国人の人口比は逆転しました。
 こうした国家・民族・宗教・文化の抹殺に抵抗する人々は、あるいは投獄され、あるいは凄まじい拷問を受け、今では毎年、2000人以上のチベット人が難民となっています。
 拷問から帰還し、難民となった人が一番辛かったのは、食事を与えられなかったことだと言います。
 餓死しそうになるとわずかばかりのスープを与えて生かしてまた拷問を加えるので、殺された方がどんなに楽かと思うそうです。
 粗末な装備でヒマラヤを越える人々は文字通りいのちがけで、途中で警備兵に撃たれたり、倒れたりする人々も多く、「麦焦がし」に頼って無事、ネパールなどへ到着しても凍傷で手や足を失う人は絶えません。

 ダライ・ラマ法王は、インドのダラムサラにある亡命政府で指揮を執り、「非暴力主義」と「中道政策」を掲げて中国政府へ問題解決を迫っていますが、中国は相手にしません。
 法王は説かれます。

「世界中で不幸なできごとが起こっているのは、思いやりの心が欠けているからである。
 世界を救うのは、思いやりのある温かい心である」
「中国政府が否定するダライ・ラマ制をどうするかは、チベット人が決める問題である」
「チベット問題は、チベット人の権利、文化、霊性、生活のすべてにかかわる問題である」


 インドで暮らす難民は皆、貧困で、平均年収は約2万円ほどですが、どんなに苦しくとも「いつの日か、ダライ・ラマ法王と共に故郷へ帰る」という希望が共通の支えになっています。
 祖国は消滅の危機に陥っていても、チベットの文化を絶やさないために、ダラムサラでは1万人以上の学生が勉学に励んでいます。
 その教育方針は「伝統教育と近代教育をバランスよく行う」というもので、やがて故国へ戻った若者たちがチベット社会を生き返らせる力となることを目的としています。
 しかし、難民のうち古い世代は伝統文化を守り、若い世代はアメリカ的な西洋文化へ走るという二極化が顕著になり、亡命政府はいろいろと智慧をしぼっています。
 また、職業に就けない若者たちの間で、西洋社会と同じくアルコール中毒・麻薬・エイズの問題も起こりつつあります。

 こうした中、中国軍に平和を奪われてから40年が経った年に、ダラムサラにある「チベット青年会議」は350キロに及ぶ『平和行進』を企画します。
 以前、中国政府へ抗議するためのハンガーストライキを行ったグループから焼身自殺をする者が出たほどチベット情勢は逼迫しているのに、世界はまだまだ無関心であると危機感を募らせたからです。
 炎に包まれながらトゥプテン・ングドゥプ氏は叫びました。
ダライ・ラマ万歳!」「チベットは必ず勝利する!」
 そして遺書です。

「わたしはチベット青年会議の今回の活動に心から賛同します。
 わたしは心を一つにして6名のチベット人(ハンストをしているメンバー)の中に加わりたい。
 そしてチベット国内の独立を勝ち取る闘争においてこのように奉仕する機会を得て嬉しく思っており、いささかも悔やんではおりません。
 法王様の中庸の道に対するわたしの信頼は揺るぎ無いもので、他のチベット人もこれを支持することを望んでいます」


 今年も相当数の僧侶がチベットで焼身自殺による抗議を行っていますが、その内容はほとんど報道されていません。

 さて、『平和行進』は、1999年、中国政府へ抗議してチベット人が立ち上がった3月10日を期して決行されました。
「世界の人々と同じく自分の国が欲しい!」
 ヒンズー語と英語のビラも用意され、ダラムサラのツクラカン寺前でダライ・ラマ法王が作った歌をご本尊様へ捧げてから始まった行進には130名が参加しました。
 2才から69才までのメンバーには13か国の外国人もいます。
 僧侶は言います。

「仏教で怒りは悪と説かれているが、デモ行進の怒りは正しい動機に基づいているので許される。
 私はチベットを解放するために叫んでいる。
 黙っていてはならないから、僧侶も怒りを表明する」


 チベットでは家族の一員が出家するのは大変名誉なこととされ、僧侶は厳しい修行に励みますが、修行で最も大切なのは正しい動機であるとされています。
 特に、質問者と回答者が容赦なくやり合う「問答」はとてもレベルが高く、教えが本当に真実を有しているかどうかを道理によって明らかにすると同時に、行者の中身も暴かれます。
 2才の子供を背負った女性は言います。

「このいのちを捧げて祖国のために何とかしたい」


 パンとお茶という簡素な朝食で歩き出した人は言います。

「私が亡命したのは、本当のチベットへ帰るためです。
 あらゆる努力が『チベットの独立・解放』のためになされるべきです。
 世界の人々へチベット問題に気づかせねばなりません」


 オランダから参加されたご夫人は言います。

「すべての人は自由であるべきです」


 途中の長い道では2台(!)のトラックに分乗しますが、二台で立ったままメンバーはチベットの独立を叫び続け、休みません。

 二日目、三日目となると、共に歩く人や差し入れをする人も現れます。
 ヒンズー教の寺院に宿泊し、地域の人々と交流したりラジオ局へアピールしたりと、幹部は休む間もありません。
 行進が世界へ報道されているかどうかも確認します。
「世界の人々との結びつきが支えとなる」
 行進に賛同する世界の動向がメンバーへ活力を与えるのです。
 また、チベットで拷問を受けたメンバーが取材に応じたりもします。
 筆舌に尽くせない体験を堂々と語る勇気と使命感は涙を誘います。

 毎日10時間以上歩くうちに疲労が蓄積し、本来、歌や冗談の好きなチベット人から笑いの渦が起こったりしますが、最終日ともなると、もう、ほとんど皆、声が涸れています。
 ついに目的地シムラに到着し、1913年にチベット、イギリス、中国の三国が会議を開いた建物へと向かいました。
 複雑な世界情勢を背景にした三国会談は6カ月に及び、中国政府はチベットへへ宗主権は持つがチベット政府は完全な自治権を持つこと、イギリスによるチベット併合は認めないことなどを内容とした仮調印が行われました。
 しかし、チベットとイギリスとの間では正式調印となりましたが、中国の清朝は土壇場で調印を拒否し、1959年の侵略へとつながります。
 建物にはチベットの版図が明確に示された地図が残っており、数百人にも膨れあがった人々は敷地へなだれ込み建物内へ入ろうとしますが、警官に阻まれ、玄関前で国家を斉唱しました。
 泣く人、叫ぶ人、いずれも、その悲痛な思いは映像を観る者の胸に突き刺さります。
 翌日、メンバーの代表数人だけが建物へ入り、イギリス製の地図を確認します。
 その夜は野宿となりました。
 たき火の回りで、年齢も職業も人種も国籍も超えて人々は唄い、踊ります。
 ラジオから平和行進のニュースが流れます。
「チベット解放の勢いは少しも衰えていない」

 一週間ぶりとなったダラムサラでは大勢が出迎え、『平和行進』は無事、完遂されました。

 結婚する若い二人へ親は願いをかけます。

「二人にはダライ・ラマ法王と難民のために献身的にはたらいてもらいたい。
 彼らの世代がチベットへ帰られるように」


 ダラムサラのチベット寺院ではチベットで行われていたとおりの儀式が荘厳に行われますが、無礼な観光客に雰囲気を壊される場面もあります。
 しかし、僧侶は言います。
「残念だが、チベットを知ってもらうきっかけにはなるだろうから受け入れている」

「全てのチベット人には、チベットを解放する義務がある」


 西洋文化になじみ始めた若者も闘いをあきらめません。

「格好は西洋人でも中身はれっきとしたチベット人です」
「チベット人としてのアイデンティティは常に保っています」


 難民社会を支える若者は言います。

「チベットは霊的で高貴な場所であるはずです」


 活動家は言います。

「同じ人間、同じアジア人として、日本人もどうか一緒にチベット問題を考えて欲しい」
「中国の民主化の延長線上にチベット問題の解決がある」



〈石巻の被災現場を訪れたダライ・ラマ法王〉
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〈チベットで焼身自殺する尼僧(edfe90c8をお借りして加工しました)〉 
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2011
12.20

2012年の運勢 ─平成24年の注意点─

 2012年はいかなる年になるのでしょうか?
 平成24年運勢と心がけを記します。

 人間も四季の変化を持つ天地自然の一部であり、時間の経過と共に発生するリズムの影響を受けます。
 運勢はリズミカルに流れる運の勢いであり、方向性や大きさや影響力などを持っています。
 ただし、運勢運命を決めるものではありません。
 智慧慈悲によって、運勢の追い風の面も逆風の面もうまく生かせば、運命は明るさを持って形成されます。
 いのちと心に宿る宿命を学び、時に伴う運勢を知り、願う方向へと運命を導きましょう。

【臨】めぐり会いを大切にしましょう。
 思わぬ出会いがたくさん生まれます。
 どんなに驚くような出会いにも、必ず直接的な原因(仏法では「因」といいます)と間接的な原因(仏法では「縁」といいます)があります。
 ものの道理によって因と縁をよく観る習慣をつけておけば、チャンスを上手に生かせます。
 そして、原因と結果をつなぐのは〈み仏のおはからい〉であると考えれば、良き縁には「こうすれば良い」と積極的に学び、悪しき縁には「こうしてはならない」と謙虚に学べます。

【兵】突発的なできごとには冷静に対応しましょう。
 突発的なできごとには直接的な影響力と、間接的な影響力があります。
 たとえば、静かな池へ一個の石つぶてが投げ入れられた時、沈んで行く石の持つ水面下のものたちへの影響力と、鏡のようだった水面に広がる波紋の影響力があるようなものです。
 そこで慌てないためには、自分の守本尊様の真言を覚えておくことがとても有効です。
 もしも辰(タツ)年生まれの方なら普賢菩薩(フゲンボサツ)様なので「おんさんまやさとばん」です。
 また、腹式呼吸を習慣づけておくことも役立ちます。
 この二つは加熱する頭と激しく鼓動する心臓を穏やかにし、判断力を狂わせないことでしょう。

【闘】前触れを軽視しないようにしましょう。
 何ごともまず〈仮の縁〉として現れ、やがて〈実の縁〉になります。
 もしも友人がケガをしたならば、自分がケガをした様子を具体的に想像して注意しましょう。
 それが仮の悪縁が実の悪縁に結びつかないようにする方法の一つです。
 友人が結婚したならば、自分に結婚相手が見つかったかのように心から喜びましょう。
 それが仮の良縁を実の良縁に結びつかせる方法の一つです。
 大切なのは、「~の気がする」といった山勘ではなく、周囲に起こるできごとを我がことと感じる想像力と、優しく温かな心です。

【者】布施(フセ)の心を大切にしましょう。
 これからの日本では、「自分だけ」の自己中心がますます通用しなくなります。
 釈尊が説かれたとおり、長い箸を持って食卓についている同士が、互いに相手の食べたいものを食べさせ合うという相互供養がとても大切になります。
 競争第一で自分の運勢だけを生かし、他を出し抜いて自分の運命だけを思い通りに創るなどという〈のし上がる〉生き方は通用しません。
 東日本大震災以来、皆さんが「被災者や被災地のために、何か自分にできることをしよう」という心になっておられます。
 打算を離れた心と行動、すなわち布施行を大事にして共に明るい運命を創りましょう。

【皆】長老賢者の意見に耳をかたむけましょう。
 二途に迷い、新しい事態に途惑う場面が多くなります。
 それはすでに、平成23年に明らかとなり、24年はさらにいっそう難しくなりましょう。
 こうした時期に大切なのは、変革を求める進取の精神と同時に、過去に学び肝腎なものを守る叡智です。
 それは、各々、若者と長老に備わっています。
 家庭においても、あるいは地域においても、あるいは国家においても、青年と壮年、そして老年の力を結集したいものです。
 
【陳】傲慢な怒りに注意しましょう。
 社会に〈もどかしさ〉が溜まり、知らず知らずのうちに、自分を〈高く〉したい気持が起こりがちです。
 非常識な自己主張的行動も多くなることでしょう。
 また、難しい場面では強気で決めてしまいたくなり、ともするとイライラや怒りが伴いがちです。
 ここでもやはり【兵】に書いた真言と腹式呼吸が役に立ちます。
 怒りを抑えるのではなく、自分なりに消去する方法を身につけておけば安心です。

【烈】自分の言葉をふり返りましょう。
 未来に靄がかかったような時期では、お互いが言葉に気をつけねばなりません。
 ちょっとしたやりとりが暴力事件になったり、頑固さでこり固まっているうちに取り返しのつかない状況に陥ったりしがちです。
 言い放ちでなく、自分の言葉を検証する心のゆとりを持てば、こうした危険性はかなり解消されます。
 特に他人の言いぐさなどが気にかかってならない時は、ウジウジと相手の言葉にこだわるのではなく、むしろ自分の口から出た言葉、あるいは心でつぶやいている言葉にこそ、注意しましょう。
 ドキッとし、あきれ、恥ずかしくなるかも知れません。

【在】交通事故・刃物や金属による事故・通信事故・土地や山や空の事故などに注意しましょう。
 ハンドルを握る時は、どんなに忙しくてもまず深呼吸、それも腹式呼吸をしましょう。
 メールなどは、書いてから送るまでの間に〈読み直し〉を入れたいものです。
 地震情報などには引き続き注意を怠らず、自分なりに心をどっしりとさせる工夫をしておき、怖れではなく「いつ、何が起こっても大丈夫」という自信をもって生活したいものです。
 また、「腰を低くし、上体を垂直に保つ」イメージトレーニングをしておくことも、いざという場面で役立つことでしょう。
 その反対がいかに不安定で、心も不安定になるか、ぜひ、やってみてください。
 
【前】仏神や御霊を大切にし、心に太陽を持ちましょう。
 上記の多くは当然、注意点です。
 それではビクビク、オドオドして過ごさねばならないかといえば、そんなことはありません。
 お大師様は説かれました。
大日如来の光はいかなる世界をも明るく照らし、それに気づけば無明(ムミョウ)の闇は消えて行く先が開け、自他を苦しめる毒となりがちな欲はたちまち、自他を生かす清浄な大欲(タイヨク)となる」
 大日如来の光はあらゆる仏神に宿り、見える世界も見えない世界も照らし続けています。
 いかなる〈不条理〉に立ち塞がられた時も、自分なりに持っている御霊や仏神へ通じる言葉や心や合掌でこの光を感じ、諦めず、ゆったりと立ち止まり、やがてまた歩み出しましょう。

 皆さんの開運を心より祈っています。

〈お大師様の?「龍」〉
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「のうまく さんまんだ ばざらだん かん」※今日の守本尊不動明王様の真言です。
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2011
12.20

お大師様は同伴者

 篤信のAさんからご質問を受けました。
「私は運転する機会の多い仕事をしているので、あちこちで路傍に置かれている花束を目にします。
 すると必ず、ああ、どなたかがここで……、と思います。
 そして心で、あるいは小さな声で、習い覚えた『南無大師遍照金剛(ナムダイシヘンジョウコンゴウ)』を唱えます。
 何とかそれで心を平安に保ちながら仕事を続けています。
 時折、神社仏閣や墓地について『~へ行くと気持が悪くなる』などという話を聞きますが、幸いにして私はそうしたことはありません。
 ただ、何かのあったところでは何かをしないではいられないので、ご宝号(ホウゴウ)に頼っています。
 これで良いのでしょうか?」

 お答えしました。
「四国八十八霊場を巡るお遍路さんは皆、『南無大師遍照金剛』の御宝号(ゴホウゴウ)を唱えます。
 それは、お大師様を讃え、お大師様に帰依(キエ)し、お大師様と同行二人(ドウギョウニニン…二人連れのようにお守りいただくこと)であることを願い誓う誠心の言葉ですが、もう少し別な意義も加わっています。

 第一は供養です。
 お遍路さんが白装束であるのは、日常生活を離れて、僧侶のように生き直す、あるいはいのちを捨てても修行を完遂する決心の表れです。
 実際、現代のように遍路道が整備されていなかった時代には、途中で行き倒れになり、そのまま葬られる行者がたくさんいました。
 小さなお地蔵様などが遍路道に見え隠れしているのは、そうした御霊を慰めるためである場合が少なくありません。
 ならば、お遍路さんは、そうした先人たちを供養しつつ歩くべきなのです。
 第二は結界です。
 また、広い四国ゆえ、迷った御霊や障りを生じかねない者たちもいるはずです。
 そうした目に見えない存在との感応によって遍路に困難を来さないよう、お大師様は結界を張ってお守りくださるのです。

 あなたが日常、おりおりに唱えておられる際の御宝号は供養結界によるご守護になっているようですね。
 守られているのはもちろん、あなたに信じる心があるからです。
 弘法大師和讃に説かれているとおりです。

『ひたすら大師の宝号を
 行住坐臥(ギョウジュウザガ…いつも途絶えないこと)に唱うれば
 加持(カジ)の功力(クリキ)も顕らかに
 仏の徳を現ずべし』


 どうぞ、これからも御宝号を大切にしてください」
 
〈櫻井惠武著:『四国名刹』より〉
20111218修行大師



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2011
12.19

お地蔵様は同居人

 お大師様は説かれました。

地獄餓鬼畜生三悪道といえども、どうして恐れる必要があろうか。
 み仏は、その世界に即したご加護をお与えくださるのである。
 善き世界へ昇るのも、悪い世界へ堕ちるのも、誰かのせいではなく、すべて自分の招いた結果である。
 栄えるのも、衰えるのもすべて、自分の精進次第である」


 二行目の原文は
「諸仏は毎(コト…それぞれ)に威(イ…ご加護の力)を加えたまう」
です。
 たとえ地獄にいても、必ず、地獄での苦しみに即した救済をお与えくださるというのです。
 ならば、もしも出口の見えない地獄界にいると感じたならば、救済を信じてお地蔵様におすがりしましょう。
 御宝号を唱えるところに現れ、脱出できるまで必ず、同居していてくださるのです。

 津波に襲われた沿岸部に今なお「進入禁止」の立て札があります。
 その前で立ち止まり、先に広がっている荒廃の地と海面へ目をやるたびに、この先は人力・人知の及ばない世界なのだと実感させられ、脱力感と共に空しさを覚えます。
 しかし、真言を唱えていると、いのちを冷やし、縮め、沈ませる気配がいつしか去ります。
 そして、また、歩き出せます。
 どうにもならないところで、そのままで、いのちに力を回復させるものこそ、お大師様の説かれる「威」であり加持力です。

 お地蔵様は地獄の同居人であり、お大師様はいのちの同伴者です。
 ギリギリのところで、それは確信できます。
 お大師様の最期のご指示「励まずんばあるべからず」を実践しましょう。

櫻井惠武著:『四国名刹』より〉

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2011
12.19

【現代の偉人伝】第141話 ─『裁かれた命』を書いた作家堀川惠子氏─

 堀川惠子氏が書いた『裁かれた命』は、「元最高検察庁検事土本武司が悩んでいた」という短い文章で始まる。
 土本は「任期半ばの五十三歳で退職し、大学教授へと転身した異例の経歴の持ち主」である。
 検事時代、一日の欠勤もなく、誰よりも早く出勤していた。
 妻は言う。

「夫が検事になってから、〝馬車馬と豚〟の話は大げさではなかったことがすぐに分かりましたよ。
 新婚生活なんてものはない、本当に馬車馬のような仕事ぶりでしたから」


 土本が任官と同時に結婚した当時の職場では、「家庭に負けるな!」が合い言葉だったという。

 堀川氏は土本から言葉を引き出す。
死刑は法律が認めた、いわば国家による殺人と言ってもいい。
 目の前で動いている、生きている人間を殺すことなんですから。
 死刑は本来、究極の選択でなくてはならないんですがね……」

「あの死刑囚が処刑された後に遺族の方たちのコメントが新聞に載りましたね。
 多くは早期の死刑執行に不満をうったえていました。
 それは早期の死刑の執行そのものに反対するのではなくて、執行する前に反省させてほしかった、謝ってほしかったというものでした。
 ご遺族の気持ちはもちろん理解できますが、それでも私はこの種の感情に簡単には同調できないんです。
 死刑というのは、命を奪こと、つまり本来なら神さましかしてはいけないことを、法の名の下において人間がやっているわけですから。
 それは単なる謝罪という次元を超えた最大の償いなんです。
 命を差し出すのだからこれ以上のことはない。
 それに対して謝罪してほしかったというのは本来、筋が通らない話です。
 それほど死刑というものは重いものであるはずなのに、多くの人はそれを理解していない」


 新聞では決してお目にかかれない正論に会った。
 しかも、元検事の言葉として。
 土本は生涯でたった一度死刑の求刑を行い、それは執行された。
 裁判が終われば、裁判官も検事も、その後の被告人のことはわからないし「できれば知らないでいたいというのが本音」であり「忘れたい」ものだが、土元にはそれができなかった。
 
 土元の記憶から消えることを許さないのは、昭和41年5月21日に発生した東京都国分寺市内で起こった強盗殺人事件の犯人長谷川武(22才)である。
 2000あまりを奪い、無抵抗な主婦を殺した長谷川は手のかからない容疑者だった。

「少年のような面影を残す長谷川の従順な態度は、死刑という文字が常に頭のどこかにちらついていた土元の心に、何か割り切れないものを感じさせた。
 出来れば、犯人はとうてい許しがたい悪漢であってほしかった」


 半年後には地裁で死刑判決が言い渡され、5年後には死刑執行となった。
 
 長谷川は、土元へ書いた手紙で「生まれ変わったならば」と言う。

「ぼくは自分が今までやってきた仕事をもう一度やってみたいのです。
 ぼくが歩んで来た未知をもう一度、踏み返し、何処でどう間違ったか、納得のいく所まで自分自身、見極めたいのです」


 長谷川は、何とか死刑を免れさせたいと願う周囲に反対し、母親へ控訴の取り下げを願う。
 長谷川が7才の時、父親が都電に轢かれて死亡して以来一家は複雑な事情を抱え、ずっと苦しんできたにもかかわらず、こう書く。

「僕はこの二十三年間、母さんの御陰でとっても仕合わせでした。
 母さんの仕合わせまでを僕がみんな頂いてしまったような気がします」
「僕はりっぱに自分の罪の償いを受けて見せますから、母さんは絶対長生きしてもらいたいのです。
 長生きすれば今度こそ母さんにも絶対によい時が来ると思います」


 堀川氏は思う。

「もし母親との関係が事件の動機にあったとすれば、それは裁判の審理で取り上げられるべき事実であった。
 たとえ母親が周囲からどう思われていようと、どんな仕事をしていようとも、もし彼自身が愛されていることさえ確かめることが出来ていたならば、ほんの一度でもその胸に飛び込むことが出来ていたならば、この事件は起こらなかったかも知れない。
 しかし、地裁から最高裁まで三度にわたる判決の中で、長谷川を包んだであろうさまざまな思いには一度もふれられることはなかった。
 事件の動機はただ『金欲しさの犯行』という短い言葉で切り捨てられた」


 高校へも行かず「娑婆に居た時は、勉強などした事、御座居ません」という長谷川は、新聞の死刑論議に疑問を持ち、弁護士へ吐露する。

「あの新聞記事でぼくら○○○には教育改善のほどこしようがないとありましたが、たとえ死刑の判決を受け、〝死〟がすぐ目の前、足許までせまっていたとしたって、何かほどこしようはあるはずです。
 またそうでなければ死刑なんてものは本当の意味で意味がない様な気がするのです。
 ○○○が最後で何かを呪う、そんな気持で終わって行く○○○がいたらどうでしょう。
 こうやって生命を与えられている間、生かされている喜びを味わい、一日一日をいとおしんで、そして何よりも大事なことは、ぼく自信が立ち直り、其の立ち直ったぼくのすべてをもって償いの一部にかえさせて頂くのが、せめてものぼくの残務だと信じておるのです」
「犯罪者の誰もが罪の意識を持ったのなら、被害者の気の済む様なお詫びをしたい、と一度は考えることと思うのです。
 でも皆、それをやりたくても出来ないで悩んでいる者が多いかと思うのです。
 このぼくだって、自分の邪念を捨てて被害者の遺族の方方の気の済む様なお詫びをさせて頂きたい。
 それで憎しみがいくらかでもやわらぐものなら……。
 ぼくはこうやって猶予して頂いていることが非常に辛い……」


 僧侶である元教誨師は「それが長谷川だったかどうか明言できないが」と慎重に前置きをした上で、最期についての記憶をたどる。

「青年は落ち着いていましたよ」
「母親は、わが子を死刑に追いやったのは全部、自分のせいだと、この子は悪くない、悪いのはすべて自分なんだと半狂乱でした。
 時間がきても母親は息子を放そうとしない」


 ラーメンと寿司を食べた長谷川は「寝ずに手紙を書いた」らしい。
 土元への手紙である。

検事さん、逝く時が来ました。
 検事さんには 長い間 ご心配かけました。
 残念ながら時間がありませんので、最後のご挨拶だけにとどめます。
 検事さんの、あの暖かいまなざしは、最後の最後まで忘れません。
 それでは これで 失礼します」


 土元はすぐに電話をかけた。
 極めて異例にも、東京拘置所へである。
 幹部から短い答が返ってきた。

長谷川武は、数日前に執行しました」
「従容として逝きました──」


 土元は44年間、自分の求刑とその結果に向き合い、結論を出した。

「当時、取り調べのときにも、彼が自らの罪を悔いていることは感じなくはなかった。
 しかしあの時の私は、そこまでの彼の深い気持ちに思いを致すことは出来なかった。
 あの時、私が彼に人間として向き合い、彼を包んでいた環境に思いを致し、彼の背景事情の中にあるものとして事件を取り扱っていれば結論は変わっていたかもしれない。
 ──もう、今となってはとりかえしがつかないことですが……」


 堀川惠子氏は、土元からこの言葉を引き出しただけでなく、長谷川一家の一人一人について丹念に調べ、記している。
 労作が広く読まれることを願う。
 罪と罰といのちと死刑制度を考えるすべての人々に。

〈おかげさまで、今年最後の例祭を無事終えました。善男善女の願いを書いた護摩木は聖火となりました〉
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2011
12.18

「これから先をどう生きるか」をあまり考えない話

 平均寿命がどんどん長くなり、今は定年後が長い時代です。
 政府は年金との関係上、定年を先へ延ばそうと画策していますが、若者が職探しに苦労している〈イスの少ない時代〉のこととて、さて、どうなりましょうか。
 年金の問題、ワーキングプア格差の問題、社会保護を受ける世帯が急増している問題など難しい問題が山積し、日本の社会に不安と不満が蓄積されつつあります。
 実際、勤めを終えてからの人生をどう生きればよいか、心によるべとなるものを持たない方々は、途方に暮れておられることでしょう。
 職場から離れて名刺が紙くずになった瞬間から仕事上の人間関係は消え失せ、家族や家庭が危うく、お隣さん同士のつながりも薄く、古い友人とペットしか心を許せる相手がいなければ……。
 人生の達人になりつつある方々が「この先、どう生きたらよいのか?」と深刻な場面に直面するとは、大変な時代になったものです。

 さて、最近、ご夫婦で、あるいは友人同士で、あるいは一人でこっそりと共同墓『法楽の礎』の生前契約をする方々が増えています。
 善男善女は、とにかく〈最後の行く先〉だけは決めておきたいと考えておられます。
 お住まいが宮城県内であれ県外であれ、人生の終着点を求める方々は、ネットで調べ、あるいは人づてに聞いてご来山され、いかなる寺院なのか、いかなる住職なのかを見極めようと真剣です。
 こうした方々とのやりとりでは、時として〈これから先〉が話題になります。
 皆さんからいろいろとご質問もいただきます。
 しかし、私自身、先を考え、計算して生きてきたのではありません。
 国家社会のありようや子供たちの未来やチベット問題などは別として、、今も個人的な未来はほとんど考えていないので、皆さんの役に立つかどうかわかりませんが、こんなお話をする場合があります。

1 受験に失敗した話

 昭和40年頃の大臣は皆、東大出身者であり、中学生あたりから政治家をめざしていた私は東大に落ちた時、〈これから先〉は消え失せ、自分の人生は閉ざされたと感じました。
 受験は目的達成への手段に過ぎないのに、いつしか手段が目的化し、それも唯一と思い定めていたため、心は崖から転落してしまいました。
 愚かしいことです。
 手段の目的化は、誰しもが陥りやすい落とし穴であり、我が身の愚かさは今、人生相談に役立っています。
 希望を失って根無し草になった私は、成り行きで家業を継いだものの、失敗してたくさんの方々へ迷惑をかけました。
 実に、「自分の居場所はどこだろう?」という状態は頼りないものです。
 表面上は商売繁盛、家庭もあり、わずかに社会的な仕事もやっていながらにして、実態はまことに不安定なのです。
 積み荷のない貨物船がバラスト水を注入せずに出航し、大嵐に会えば危険に陥ります。
 不安定でありながらやみくもに突っ走ろうとした人生丸は、たやすくひっくり返りました。
 か細いコスモスは、大風に遭ってもなかなか倒れません。
 あるいは倒れてもいつの間にか起き上がり、あるいはたおれたまま、何ごともなかったかのように平気で花を咲かせています。
 それは、根がしっかりしているからです。
 船なら、バラスト水が錘としてバランスをとっているからです。
 腰の定まらない若者が、〈これから先〉の見えないまま、傲慢に走り、倒れ、家族を含め多くの人々を巻き添えにしました。

2 仕事も財産も失った話

 孔子は「40才にして惑わず」と言われましたが、私はそこで、惑わずどころか心だけでなく生活も危うく、〈これから先〉が見えない最も不安定な状態になりました。
 だから、職もなく、家庭もなく、生活が危うい方々の頼りなさは理解できるなどとは言えませんが、いかに頼りない気持でおられるか、やや、想像はできます。
 この時、家族はバラバラ、収入の当てもないのに、心だけは一気に安定しました。
 仏門が待っていたからです。
 同時期に愚かな私へ娑婆からもありがたい手が差し伸べられ、一時的には娑婆の仕事と二足のわらじを履いていましたが、やがて破綻し、純粋に托鉢や修法で生きる生活へ入りました。
 重ねた失敗にもかかわらず、見捨てず、理解し、協力し、救ってくださる方々にお支えいただき、袈裟衣の姿によるご恩返しを生涯、行わねばならないと決心し、今日に至っています。
 人生三度目の失敗でしたが、聖職者が二足のわらじで人格を分裂させるか、もしくは欺瞞に堕するかという恐ろしさを骨の髄まで知らされ、当山の姿勢を深く色づけました。
 この恐ろしさを知っているので当山は決して営利事業を営まず、娑婆の方々の仕事に関わって利を得ようともしません。

3 総じて〈これから先〉をあまり考えない話

 こうしてふり返ってみると、受験勉強が終わってからは、あまり、〈これから先〉を考える計画性のない人生を送ってきたような気がします。
 行者として生きるようになったのも、自分が宗教宗派を選んだのではなく、み仏が待っていてくださったというしかなく、あとは、罪滅ぼしと感謝と恩返ししかないというシンプルさです。
 法楽寺を開山してまもなく「寺子屋建立」の旗を立て、10年後の平成21年に講堂が完成しましたが、広く守本尊様のご寄進を呼びかけた以外さしたる計画性はなく、完成の前に虚空蔵求聞持法(グモンジホウ)を満願しただけです。
 今は、仙台市泉区で「みやぎ四国八十八か所巡り道場」の旗を立てかけていますが、これ又、み仏へお任せし、ご縁に任せて祈るのみです。
 もとより、自分自身の肉体的存在としての計画性や、経済活動的存在としての計画性はまったくありません。
 それは決して寺院にいるから安心だというわけではなく、菩薩(ボサツ)道を歩む者として永遠へ連なる祈りを行い、法を弘める〈弘法の場〉を造られるところまで造ってバトンタッチする以外、何もできないからです。
 しかもその方法は経文どおり「我の功徳(クドク)の力と、如来の加持(カジ…ご加護)の力と、法界(ホウカイ…真実のご縁)の力」に依るのみです。
 
 作家吉村昭氏は『未完の作品』に書きました。

「小説家は死ぬと、ぽつんと未完の作品が一つ残る。
 作者は、当然、完結を夢みて筆を進めるが、死とともに断たれ、それは永遠に未完のままに残される」


 個人的な才能が激しくはたらいて創造する芸術の世界は、芸術家にとってそうなのでしょう。
 しかし、凡夫がみ仏へお任せしてしまえば、〈未完〉はありません。
 凡夫が行う祈りは、釈尊や聖徳太子やお大師様から連なる祈りであり、それは私の肉体が耐用年数を過ぎて朽ち果てようと、決してなくならないからです。
 無論、ヒポクラテスの言ったとおり「芸術は長く人生は短い」のであり、芸術作品の放つ光芒もまた時間を超えて行く無限の力を持っています。

 もしかすると、〈これから先〉をあまり考えないアバウトな人間である私は、み仏の眼から「見捨てておけない」と観えたのかも知れません。

〈お柩の跡を追います。自分があの中にいてもおかしくないと想像しつつ〉
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2011
12.17

『大日経』が説く心のありさま六十景 その59 ─受生心(ジュショウシン)─

 受生心(ジュショウシン)は、前世にこだわり、来世にこだわって、今を活き活きと修行できない心です。

大日経』は説きます。

「およそ行業(ギョウゴウ)を修習(シュジュウ)して、彼に生ずることあり。
 心はかくの如くなると同性(ドウショウ)なり」


修行しているうちに、来世を頼む気持が強くなることがある。
 心は自分の来世がどうであるかということにとらわれてしまう)

 仏教は「ものごとにはすべて原因があり、それに縁が加わって、結果が出る」という道理を根本的信念の一つにしています。
 修行がそれにふさわしい結果をもたらすと信じられなければ、修行にいそむことはできません。
 また、この道理はあらゆる倫理の基礎になってもいます。
 善き行いが自他へ善き結果をもたらすのでなければ、善きことを行う必要がなくなり、そもそも、善悪の区別すら意味を持ちません。
 そして、欲しい、惜しい、つまらないなどの靄を払いつつ心の底の底へ降りて行けば、魂へ精気を与える光のようなエネルギーの本体が待っています。
 それが私たちの霊性に色合いを与え、意義づけているもの、すなわち仏性です。

 こうした因果の道理を信じ、仏性に力づけられて修行に勤(イソ)しみますが、〈理〉にこだわり過ぎるあまり、おかしな考えにとりつかれる場合があります。
 一つは、過去世にこだわって「自分の人生は、動かしようのない過去世によって宿命づけられている」というものです。
 こうした方向へ行くと、何かの原因をすぐにとりかえしようのない過去世へ求め、果ては、「〈自分は~の生まれ変わりである〉から、こうした運命を生きている」といった妄想も生じます。
 妄想は、自分を過去のイメージに固定してしまい、自分にとって〈こうありたい〉と願う未来を創造して行く自在な活力を奪います。
 もう一つは、来世へこだわって「今、善行を行わないと来世は怖ろしいことになる」という強迫観念です。
 とりつかれた人は、〈自分の来世のために〉善きことを行わねばと必死になり、いつも行動を善悪で判断しようとギスギスして、心から潤いやゆとりが奪われてしまいかねません。
 そして、他のためにならないではいられない菩薩(ボサツ)の心を忘れてしまう場合もあります。

 たとえば、西郷隆盛と共に時代を動かした僧月照が遺した「十善戒歌」を考えてみましょう。
 不偸盗(フチュウトウ)、すなわち「盗むなかれ」について詠んだ一句です。

「やまもりの ゆるさぬほどは たにかげに おちたるくりも ひろはざるなむ」


(山守の 許さぬほどは 谷陰に 落ちたる栗も 拾わざるなん)
 山守とは山を守る人々のことですが、ここではもっと幅広く、山で生きる人々、たとえば猟師や炭焼人あるいは鷹匠なども含めて考えたいものです。
 そうした人々にとって山はいのちの場であり、聖地でもあります。
 聖地にあるものは、たとえ一個の栗であっても、その存在は厳粛なものです。
 こうした感覚のはっきりしていた僧月照は、そこで生きている人々から〈与えられない〉限り、落ちている栗へ手を出せなかったことでしょう。
 また、「谷陰に」には、「たとえ誰かが見ていなくても」という意味が込められています。
 持戒は修行の根本であり、破戒は地獄行きとなりますが、ある状況を想像してみましょう。

 飢饉になり、山で栗の実を見つけた時、近くで子供がお腹をすかせていたならどうするか?
 自分へ〈与えられない〉から栗の実を拾わずに死ぬとしたら、それはそれで結構です。
 しかし、子供は見捨てるのでしょうか?
 行者なら当然、拾って子供へ与えるのではないでしょうか?
 さて、子供へ与えるのは布施行です。
 布施行は、三つの要素が清浄でなければなりません。
 与える側の心と、受け取る側の心と、やりとりされるものです。
 この場合、行者はやりとりした栗の実を無断で手に入れたので、不偸盗の戒律を破りました。

 もしも、行者に、ここで説かれている受生心(ジュショウシン)があれば、二人とも餓死したかも知れません。
 それが悪いとは言えませんが、行者が破戒によって自分が地獄へ行こうとも子供を救おうとしたのなら、栗の実を手にして渡した行為は菩薩行の範疇に入ると考えられます。
 受生心(ジュショウシン)は、こうした人生への活き活きした対応をさせません。
 修行は自他を生かす生き方へ結びつかなければ何もなりません。
 因果の道理を信じつつ、過去にこだわらず未来を恐れぬ広い菩薩の心で、仏道修行も人生修行も行いたいものです。

〈見えなくなる部分をていねいに手がける〉
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〈巧みの技が光る〉
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2011
12.16

ブータン王国ジグミ・ケサル・ワンチュク国王が11月17日に行った国会での演説全文

 法話でときおりワンチュク国王に言及すると、どなたもが目を輝かせながら聞いてくださるので、この際、「ガジェット通信」様より拝借して全文を載せておきます。
 何度読み返しても飽きることがありません。

 天皇皇后両陛下、日本国民と皆さまに深い敬意を表しますとともにこのたび日本国国会演説する機会を賜りましたことを謹んでお受けします。
 衆議院議長閣下、参議院議長閣下、内閣総理大臣閣下、国会議員の皆様、ご列席の皆様。世界史においてかくも傑出し、重要性を持つ機関である日本国国会のなかで、私は偉大なる叡智、経験および功績を持つ皆様の前に、ひとりの若者として立っております。
 皆様のお役に立てるようなことを私の口から多くを申しあげられるとは思いません。
 それどころか、この歴史的瞬間から多くを得ようとしているのは私のほうです。
 このことに対し、感謝いたします。


 国賓として招かれた国王が、ご自身を「ひとりの若者」と形容しておられます。

 妻ヅェチェンと私は、結婚のわずか1ヶ月後に日本にお招きいただき、ご厚情を賜りましたことに心から感謝申しあげます。
 ありがとうございます。
 これは両国間の長年の友情を支える皆さまの、寛大な精神の表れであり、特別のおもてなしであると認識しております。

 ご列席の皆様、演説を進める前に先代の国王ジグミ・シンゲ・ワンチュク陛下およびブータン政府およびブータン国民からの皆様への祈りと祝福の言葉をお伝えしなければなりません。
 ブータン国民は常に日本に強い愛着の心を持ち、何十年ものあいだ偉大な日本の成功を心情的に分かちあってまいりました。
 3月の壊滅的な地震と津波のあと、ブータンの至るところで大勢のブータン人が寺院や僧院を訪れ、日本国民になぐさめと支えを与えようと、供養のための灯明を捧げつつ、ささやかながらも心のこもった勤めを行うのを目にし、私は深く心を動かされました。

 
 あらためて日本も基本的に仏教国であることを再認識させられました。
 ブータンの祈りは確かに届いています。

 私自身は押し寄せる津波のニュースをなすすべもなく見つめていたことをおぼえております。
 そのときからずっと、私は愛する人々を失くした家族の痛みと苦しみ、生活基盤を失った人々、人生が完全に変わってしまった若者たち、そして大災害から復興しなければならない日本国民に対する私の深い同情を、直接お伝えできる日を待ち望んでまいりました。
 いかなる国の国民も決してこのような苦難を経験すべきではありません。
 しかし仮にこのような不幸からより強く、より大きく立ち上がれる国があるとすれば、それは日本と日本国民であります。
 私はそう確信しています。


 日本への信頼は決してうわべだけではないことがうかがえます。

 皆様が生活を再建し復興に向け歩まれるなかで、我々ブータン人は皆様とともにあります。
 我々の物質的支援はつましいものですが、我々の友情、連帯、思いやりは心からの真実味のあるものです。
 ご列席の皆様、我々ブータンに暮らす者は常に日本国民を親愛なる兄弟・姉妹であると考えてまいりました。
 両国民を結びつけるものは家族、誠実さ。そして名誉を守り個人の希望よりも地域社会や国家の望みを優先し、また自己よりも公益を高く位置づける強い気持ちなどであります。
 2011年は両国の国交樹立25周年にあたる特別な年であります。
 しかしブータン国民は常に、公式な関係を超えた特別な愛着を日本に対し抱いてまいりました。
 私は若き父とその世代の者が何十年も前から、日本がアジアを近代化に導くのを誇らしく見ていたのを知っています。
 すなわち日本は当時開発途上地域であったアジアに自信と進むべき道の自覚をもたらし、以降日本のあとについて世界経済の最先端に躍り出た数々の国々に希望を与えてきました。
 日本は過去にも、そして現代もリーダーであり続けます。


 いまさらながらに、西欧列強に支配されないアジアをつくろうとした先人方の夢と努力を思い起こさせられました。

 このグローバル化した世界において、日本は技術と確信の力、勤勉さと責任、強固な伝統的価値における模範であり、これまで以上にリーダーにふさわしいのです。
 世界は常に日本のことを大変な名誉と誇り、そして規律を重んじる国民、歴史に裏打ちされた誇り高き伝統を持つ国民、不屈の精神、断固たる決意、そして秀でることへ願望を持って何事にも取り組む国民。
 知行合一、兄弟愛や友人との揺るぎない強さと気丈さを併せ持つ国民であると認識してまいりました。
 これは神話ではなく現実であると謹んで申しあげたいと思います。
 それは近年の不幸な経済不況や、3月の自然災害への皆様の対応にも示されています。


 私たちは、心から「知行合一、兄弟愛や友人との揺るぎない強さと気丈さを併せ持つ国民」であると言えるでしょうか。
「神話ではなく現実である」とは何と力強い励ましでしょう。

 皆様、日本および日本国民は素晴らしい資質を示されました。
 他の国であれば国家を打ち砕き、無秩序、大混乱、そして悲嘆をもたらしたであろう事態に、日本国民の皆様は最悪の状況下でさえ静かな尊厳、自信、規律、心の強さを持って対処されました。
 文化、伝統および価値にしっかりと根付いたこのような卓越した資質の組み合わせは、我々の現代の世界で見出すことはほぼ不可能です。
 すべての国がそうありたいと切望しますが、これは日本人特有の特性であり、不可分の要素です。
 このような価値観や資質が、昨日生まれたものではなく、何世紀もの歴史から生まれてきたものなのです。
 それは数年数十年で失われることはありません。
 そうした力を備えた日本には、非常に素晴らしい未来が待っていることでしょう。
 この力を通じて日本はあらゆる逆境から繰り返し立ち直り、世界で最も成功した国のひとつとして地位を築いてきました。
 さらに注目に値すべきは、日本がためらうことなく世界中の人々と自国の成功を常に分かち合ってきたということです。


 国王が指摘された「価値観や資質」を、私たちはどれほど大切にしてきたでしょうか。
 本当に、「数年数十年で失われることは」ないようにせねばなりません。

 ご列席の皆様。私はすべてのブータン人に代わり、心からいまお話をしています。
 私は専門家でも学者でもなく日本に深い親愛の情を抱くごく普通の人間に過ぎません。
 その私が申しあげたいのは、世界は日本から大きな恩恵を受けるであろうということです。
 卓越性や技術革新がなんたるかを体現する日本。
 偉大な決断と業績を成し遂げつつも、静かな尊厳と謙虚さとを兼ね備えた日本国民。
 他の国々の模範となるこの国から、世界は大きな恩恵を受けるでしょう。
 日本がアジアと世界を導き、また世界情勢における日本の存在が、日本国民の偉大な業績と歴史を反映するにつけ、ブータンは皆様を応援し支持してまいります。
 ブータンは国連安全保障理事会の議席拡大の必要性だけでなく、日本がそのなかで主導的な役割を果たさなければならないと確認しております。
 日本はブータンの全面的な約束と支持を得ております。


 国連がいつまでも先の大戦の戦勝国だけで運営されることなく、世界のために真の平等が実現するよう、ブータンは日本の常任理事国入りを支持しています。

 ご列席の皆様、ブータンは人口約70万人の小さなヒマラヤの国です。
 国の魅力的な外形的特徴と、豊かで人の心をとらえて離さない歴史が、ブータン人の人格や性質を形作っています。
 ブータンは美しい国であり、面積が小さいながらも国土全体に拡がるさまざまな異なる地形に数々の寺院、僧院、城砦が点在し何世代ものブータン人の精神性を反映しています。
 手付かずの自然が残されており、我々の文化と伝統は今も強靭に活気を保っています。
 ブータン人は何世紀も続けてきたように人々のあいだに深い調和の精神を持ち、質素で謙虚な生活を続けています。


 今や殺伐の度を深める世界にあって「深い調和の精神を持ち、質素で謙虚な生活」は何と価値あるものでしょうか。
 いがみ合わず、不毛の競い合い、無慈悲な奪い合いをしないで済むなら、この世はたちまち極楽になるのではないでしょうか。
 世界がめざすべき理想社会とは、こうしたものではないでしょうか。

 今日のめまぐるしく変化する世界において、国民が何よりも調和を重んじる社会、若者が優れた才能、勇気や品位を持ち先祖の価値観によって導かれる社会。
 そうした思いやりのある社会で生きている我々のあり方を、私は最も誇りに思います。
 我が国は有能な若きブータン人の手のなかに委ねられています。
 我々は歴史ある価値観を持つ若々しい現代的な国民です。
 小さな美しい国ではありますが、強い国でもあります。
 それゆえブータンの成長と開発における日本の役割は大変特別なものです。
 我々が独自の願望を満たすべく努力するなかで、日本からは貴重な援助や支援だけでなく力強い励ましをいただいてきました。
 ブータン国民の寛大さ、両国民のあいだを結ぶより次元の高い大きな自然の絆。
 言葉には言い表せない非常に深い精神的な絆によってブータンは常に日本の友人であり続けます。
 日本はかねてよりブータンの最も重大な開発パートナーのひとつです。
 それゆえに日本政府、およびブータンで暮らし、我々とともに働いてきてくれた日本人の方々の、ブータン国民のゆるぎない支援と善意に対し、感謝の意を伝えることができて大変嬉しく思います。
 私はここに、両国民のあいだの絆をより強め深めるために不断の努力を行うことを誓います。

 改めてここで、ブータン国民からの祈りと祝福をお伝えします。
 ご列席の皆様。
 簡単ではありますが、(英語ではなく)ゾンカ語、国の言葉でお話したいと思います。

「(ゾンカ語での祈りが捧げられる)」

 ご列席の皆様。
 いま私は祈りを捧げました。
 小さな祈りですけれど、日本そして日本国民が常に平和と安定、調和を経験しそしてこれからも繁栄を享受されますようにという祈りです。
 ありがとうございました。


 英語でなく「国の言葉」で捧げられた「小さな祈り」は、両国の国民にとって不滅の灯火となることでしょう。

金沢祥子氏の作品〉
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2011
12.16

教師は言う「謝りに行きますか?」(その2) ─破壊されるまごころ─

 大人も子供も、無難に〈その場をやり過ごす〉達人になりました。

 問題を提起された教師は、早く、穏便に、ことを済ませてしまいたいのです。
 そうしないと詰まっている予定をこなせず、教師としての成果を挙げられないからです。
 また、理不尽で気まま勝手な要求をするモンスターペアレントへの対策がこうした態度をつくってしまったのでしょう。

 説教された生徒は、早く、不快な時間を終わらせてしまいたいのです。
 そうしないと自分の時間が壊されてしまうからです。
 また、勉強など、親が喜ぶことをやっておかないとガミガミ言われるからです。

 こうして、両者とも、追い込まれないうちに体(タイ)をかわすようになりました。
 こうさせたのは、人を追い込む社会です。
 数字上の成果を挙げられない教師も、テストの点数を上げられない生徒も、容赦なく苦境に追い込まれます。
 もちろん、追い込む方は、追い込まれる方の心理などを我がことのように想像してはくれません。
 
 常識や良識を逸したモンスターペアレントの非常識さはもはや、犯罪的です。
 それは、現場の若い医師から意欲を奪い、裁判などで病院の業務や経営に打撃を与えるモンスターペイシェント(怪物患者)と同じです。
 成績が上がることと、良い子であることをあまりに強制する親は、気づかぬうちに子供の心を破壊しています。
 11月24日、韓国で尊属殺人と死体遺棄容疑で逮捕された男子生徒(18才)は、受験勉強を強いる母親を殺しました。
 こんな体験もあります。

 ある幼い姉妹がいました。
 幼稚な妹に対して大人びた姉はいつもクラスでトップ、習い事にも天才的な能力を発揮し、連れられて来山するとすばらしい挨拶をし、こちらの考えていることを察知しようという目にぬかりはありません。
 親にとっても祖父母にとっても自慢の子です。
 しかし、私には、その目に浮かんでいる狡知さがとても心配でした。
 祖父も祖母も亡くなり、二人は私の目の前でお別れの言葉を読み上げました。
 まず、妹がきれぎれの息継ぎで必死に涙をこらえながら短い文章を読みました。
 つぎに、姉が100点満点の文章を堂々と朗読しました。
 まるで作文の発表会でもあるかのように……。

 私たちは、あまりに無慈悲な〈追い込む社会〉をつくってしまったのではないでしょうか。
 それは、高度成長から始まり小泉改革で社会正義となった弱肉強食の「競争第一主義」、そして「グローバル化に乗り遅れるな」に関係があるのかも知れません。

 11月20日、国賓として来日していたブータンのワンチュク国王夫妻が被災地慰問などの公務を終え、帰国の途につかれました。
 夫妻の振るまいと発言は、私たちが失いかけている大切なものを思い起こさせました。

「ブータン国民は日本に特別な愛着を抱いています。
 このような不幸から強く立ち上がることができる国があるとすれば、日本と日本国民であると信じています」
 我々の物質的支援はつつましいものですが、友情、連帯、思いやりは心からの真実なのです」


 作家池澤夏樹氏は、12月10日付の朝日新聞に『幸福なギリシャ グローバルでない人々』を書きました。

「僕は1975年から3年近くギリシャで暮らした。
 その時のギリシャは幸福な国だった」
「農産物の味はよく、物価は安かった」
「友人としては最高。
 一緒に遊んであんなに楽しい人々はいない。
 彼らにとって友情は最高だからどんな無理も聞いてもらえる。
 もしも何かの罪に問われて追われる身となったら、僕は何としてもギリシャへ逃げる。
 友人に会って苦境を伝えれば世界を相手にしてでもかくまってくれる」
「国家とか政界経済とか金融とか、そういう大きな言葉がなじまない。
 およそグローバルでない人々。
 EC加盟の直後に聞いた愚痴は『おいしいトマトがみんな北に行ってしまう』だった」
「何年か前、クレタの山の中で、たまたま道を聞いた人家に招き入れられ、午後いっぱいその家の主の作ったワインを飲んで過ごしたことがある。
 EUのせいで首都アテネの人心は荒れたが田舎はまだ昔のままだと思った。
 昨日届いた便りでは、ギリシャの人々はもう外食もしなくなったという」


 追い込む人々は、他人の心を自分の心としておもんばかる力を失い、追い込まれる人々は自分を守るために、〈他人へまごころで対応する〉という道義・道徳の底を失っています。
 そして、追い込む人はいつ追い込まれる人になってもおかしくなく、追い込まれる人もまた、いつ追い込む人になってもおかしくはありません。
 互いに追いつめ合う無慈悲な世界こそ、修羅界であり畜生界であり餓鬼界であり、行きつく先は地獄界ではないでしょうか。
 この怖ろしい道行きに気づき、人と人とがまごころで接する社会に転換するよう祈る思いです。

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2011
12.15

教師は言う「謝りに行きますか?」(その1)

 今年最後の「法話対話生活仏法について』」に参加したAさんからの報告です。

 私が車を運転していた時のことです。
 道路の向こうから少年が本を読みながら歩いて来ます。
 周囲へ注意している様子はまったくありません。
 二宮尊徳の時代ならいざ知らず、車社会でのこうした行為はとても危険なので、私が教師をしていた時代でも、「車に注意しながら歩くこと」は、口をすっぱくして教えていたものです。
 彼がフラッと出てくるかも知れないと感じた私は徐行しました。
 案の定、彼は車の前を横切ろうとしました。
 しかも、車をほとんど見ずに。

 私は車を寄せて注意しました。
 彼はすぐに謝りました。
「すみません!」
 態度はまことに立派です。
 名前と学校名と担任の名前も、質問に応じてスラスラと言いました。
 これからはくれぐれも注意するよう言い聞かせ、先生に君の名前は決して言わないからと約束して別れました。

 帰宅してすぐ、学校へ電話を入れたところ、たまたま担任がいたので、できごとを告げました。
 もちろん、生徒の名前は隠したままです。
 よく指導して欲しいと頼んで一息ついたところへ、黙ったままの電話口からきっぱりとした声が返ってきました。
「これから謝りに行きましょうか!」
 思いがけない一言に、二の句が継げませんでした。
 この先、こちらの思いを話しても通じず、気まずくなるしかないと判断したので、差し障りのない形で受話器を置きました。

 その後しばらく、沈黙の中でじっとしていたのは言うまでもありません。
 
 Aさんの言いたいことは痛いほどわかります。
 子供は〈良い子〉のふりをして嵐をやり過ごし、大人はすぐに〈謝って〉ことの追求から逃れようとします。
 大人も子供も、無難に〈その場をやり過ごす〉ためのマニュアルに達者にはなったけれど、肝腎の心が練られていないのです。
 これは小さなできごとですが、寒々とした社会を映し出しており、考える心にも冷たいものがやってきます。
 何がこうさせたのか?

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2011
12.14

三十七の菩薩(ボサツ)の実践(第十回) ─菩提心(ボダイシン)を起こす─

 菩薩(ボサツ)になるための実践道。
 第十回目です。

「無始以来より私を愛してくれた母たちが、苦しみもがいているならば、自身の幸せなど何になろうか。
 それゆえ、限りなき衆生を救うために菩提心(ボダイシン)を生じさせる、
 それが菩薩(ボサツ)の実践である」


 私たちは幸せを求めています。
 誰しもが苦を厭い、楽を求めます。
 しかし、幸せは儚く、危うく、一時的なものでしかないのがほとんどです。
〈なければないなりの〉苦労があるのと同じく、たとえ億万長者になっても、〈あればあったなりの〉苦労が生じます。
 では、堅固な幸せはどうすれば得られるか?
 それは、苦の原因をなくすことです。

 苦の根本原因は、(ゴウ)を背負ってこの世に生まれ出たことにあります。
 そして、それをきちんと観てそれを滅する方法を学び実践できない「無明(ムミョウ)の状態にある」という条件が重なり、〈ままならない〉ままに生きて行かねばなりません。
 しかも、この世で無明という状態を脱し、を滅しなければ、またこの世で生きた内容に基づくあの世が待っており、輪廻転生(リンネテンショウ)は止みません。
 だから、正しい方法によってを断じれば苦はなくなり、堅固な幸せを得られるのです。
 そうなった状態が解脱(ゲダツ)です。
 智慧の目が開いて無明の雲が晴れ、煩悩(ボンノウ)がなくなれば、もはや何ものも幸せを奪うことはできません。
 こうして心から悪を起こす原因がなくなれば、真の自由を得られます。

 さて、無明の状態にあっては、自分を実体視し、実体視した自分にまつわるものも実体視しています。
 自分と自分のものにしがみついて誤った欲望である煩悩を起こし、自己中心の世界で意のままにしたいばかりに、他者へ対して怒りや憎しみや嫉妬を生じます。
 智慧の目を開くためには、まず、「人生は苦であるが、それには原因があり、原因を滅すれば苦はなくなる」という真実を観て、原因の探求と滅する方法の実践に精進する必要があります。

 こうして解脱を得ても、それは人間の完成という意味ではまだ、不十分です。
 なせなら、まだ、〈自分のことでしかない〉からです。
 周囲を見れば、誰しもが自分と同じように苦を厭い、楽を求めています。
 を背負って生まれたこと、そして、無明にあることも自分とまったく変わりありません。
 それならば、広いこの世界で、たった一人、自分が不壊の幸せを得たとしても、それはあまりにも小さなできごとでしかありません。
 たとえば、自分が飢餓に苦しむ人々の中にいてひもじさに耐えかねている状況を想像してみましょう。
 もしも天から一個のパンが降って来て、自分だけそれを口にしたならどうでしょうか?
 真に満たされますか?
 もしもこっそり食べたなら、後ろめたくはありませんか?
 もしも奪い合いになり、そばにいる小さな子供を尻目に急いで自分の口へ入れたなら、辛くはありませんか?

 また、自分のいのちが特定できるものも特定できないものも含めて〈おかげさま〉によって維持されていることを想えば、もはや〈自分だけの解脱〉で安心できるはずはありません。
 それが「母たちが、苦しみもがいているならば、自身の幸せなど何になろうか」の意味です。
 過去のあらゆる生きとし生けるものの因縁があって初めて、今、ここに自分のいのちがあります。
 100年前にご先祖様が食べた一粒の米も、1000年前にご先祖様を救った隣人も皆、自分のいのちの〈母〉であることは疑いようがありません。
 ここに真の菩提心(ボダイシン)が芽生えます。
 慈悲が一身の解脱を超えた悟りへと向かわせます。
 だから『理趣経(リシュキョウ)』の「百字偈」の教えは、こう始まります。

「勝れた智慧を持った菩薩(ボサツ)は、いつ、どこにいても、常に生きとし生けるもののためになろうとして精進し、決して自分だけの安心の世界へ入り込まない」


 ここに人間の人間たる根拠が明らかになります。
 もしも〈自分のため〉だけならば、〈自己中心〉でしかないならば、けだものと同じです。
 オオカミは羊を襲い、タカはハトを襲って自分が生き、家族を生かすではありませんか。
 他を思い、他のためになろうとする、あるいは、他のためにならずにいられない心をこそ、生きて人間修行を行う真の牽引車とするのです。
 これが菩薩道(ボサツドウ)であり、あらゆる大乗仏教の一本道です。

 自分が苦を厭い楽を求めているのと同じく、万人がそう願っている以上、苦から離れるための精進は、万人のために万人と共に行いたいと願わないではいられません。

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2011
12.13

愚癡を言わず未来を語る ─七言法の話(その1)─

 隠形流(オンギョウリュウ)居合では、稽古の前に必ず護身法(ゴシンポウ)を行い、『七言法(シチゲンホウ)』を唱えます。
 七つの誓いを立て、誓い通りに生きるためにこそ、修行を実践します。

 その一は、「我、愚癡を言わず未来を語るは、人につけいられず、自他の発展を願うがゆえなり」です。

1 まず、「愚癡」を考えましょう。

 これはそもそも仏教用語で、無明(ムミョウ)の別称です。
 無明とは読んで字のごとく、智慧の明かりがない状態です。
 智慧とは真偽を分け、真理を選び、偽りを離れる力です。
 真理とは、道理にあてはめた時、〈疑いようのないものの理(コトワリ)〉です。
 釈尊智慧の限りを尽くして見つけた真理は、仏法の根幹となっています。
 たとえば、「すべては変化しつつあり、固定的な実体を持つものはない」「私たちの根本的なありようは、ままならない状態である」などです。
 だから、愚癡とは、こうした真理にあてはまらない偽りを選んで考え、語り、行動することを指します。
 たとえば、「還らない過去にこだわる」、「財産や名声にしがみつく」、「いつまでも続く楽を求める」など。

 また漢字の意味からすると、愚とは、おろかでばかげたことであり、そうした状態です。
 癡とは、知恵が足りないことであり、知恵もなくこだわることであり、そうした状態です。
 だから、一般的な言葉としての「愚癡」は、「知恵がなく、考えても話しても無意味で役立たないものごとにこだわり、とらわれること」を指します。
 その典型が「~たら」「~れば」であり、「もしもこの人でなく、あの人と結婚していたら、もっと幸せになっていたに違いない」などと考え、口にするのが愚癡です。

 釈尊が「苦の原因は無明である」と説かれたとおり、ままならない人生は、ものの道理に反する見方、考え方、言い方、ふるまいに発しています。
 ならば、無明を脱すること、智慧によって愚癡を去ることを、まっとうに生きるための出発点とするしかありません。

2 次に、「未来を語る」を考えましょう。

 未来は「未(イマ)だ来ない時」です。
 それについて語るとは、単に、希望や夢を口にするという前向き思考を意味するのではありません。
 愚癡を離れる段階で、必ず何らかの真理をつかんでいます。
 その視点から見える未来を考え、口にするのです。
 こだわっていた過去のつまらない部分から解放された心。
 財産や名声そのものの浮薄さに気づいた心。
 一時の快楽が深い闇を引き連れてくることを身にしみて知った心。
 「~たら」「~れば」と詮なき後悔にとりつかれて過ごす時間の無意味さに気づいた心。
 こうした心は、おのづから、未(イマ)だ来ない時へかける蕾を生じさせます。
 
 あるご縁の方が倒れられました。
 津波から故郷を立ち上がらせようと、復興関連工事へ地元の企業や人材を優先的に選んでもらえるよう不眠不休の活動を続け、酒も煙草もやらないにもかかわらず、肝臓が壊れたのです。
 まったく突然に医師から余命を告げられてなお、地元の若い人々がはたらけるようにしたいと願う意欲は衰えません。
 この方の心にある未来こそ真の未来であり、この方こそが真に〈未来を語る人〉ではないでしょうか。

3 次に、「人につけいられない」を考えましょう。

 つけいるとは、「付け」+「入る」であり、弱点や欠点に取り付き、そこを突破口として相手の心身を意のままにすることです。
 だから、欠点や弱点を克服することが、つけいられないために必須です。
 克服に欠かせないのは、方法を誤らせない智慧です。
 愚癡・無明を離れなければ、有効な方法を考え実践できません。

 また、悪者が意のままにしようとするのは相手の未来です。
 相手の未来が餌食です。
 ならば、未来を塞いでおくこと、餌食の対象をなくすことです。
 何をもって?
 確固たる真の夢や真の希望でいっぱいになった未来は、悪者の歯が立ちません。
 前述の方は、病魔に襲われましたが、不治の病気という怖ろしい刃をもってしても、未来を語る口を閉ざすことはできません。
 やがて肉体が滅びようと、意志された未来のありようはすでに周囲の方々にとって不動の未来像となっており、引き継がれて行くからです。

 また、自分が確固とした未来を描いて生きていれば、悪心を持った人が近づけず、周囲の人へ悪心を起こさせもしません。
 自分のためだけでなく、他人のためにも、愚癡を言わず未来を語る人間でありたいものです。

4 次に「自他の発展」を考えましょう。

 私たちは、菩薩(ボサツ)への道を歩むために、あるいは菩薩として生きるために、仏法を学びます。
 菩薩とは、自己中心を離れ、自他共に幸せと安心を得たいと願い、精進する存在です。
 地蔵菩薩も観音菩薩も悟りを得てなお、悩み苦しむ人々を見捨てておけず、私たちの身近でお救いくださいます。
 私たちもまた、「皆と共に」という心があってはじめて、自己中心の魔ものを克服できます。
 自他共に良き未来をめざさねば、いかなる稽古も意味をなしません。
 だから、ここで言う発展とは、会社を大きくするといったイメージではなく、〈より菩薩らしく生きる〉ことを意味します。
 互いが互いを思い精進するところに極楽の扉は開きます。
 今年を象徴する文字が「絆」に決まったことには大きな意義があるのではないでしょうか。

 こうして居合の行者たちは修行を行っています。



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「のうぼう あきゃしゃきゃらばや おん あり きゃ まり ぼり そわか」※今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。





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2011
12.12

仏前結婚式を行いました

 穏やかに晴れた仲冬の日、本堂にて仏前結婚式を行いました。
 新郎は強い生命力を底に持った澄んだ眼で優しく、四国八十八霊場の尊像を貼った屏風の陰で純白のウェディングドレスに着替えた新婦は天女のように美しく、本堂は太陽が降りたような明るさに満ちました。
 さしたる打ち合わせをする余裕もなく、未来を告げる太鼓に続いていきなり入堂が始まりました。
 正面の本尊大日如来へ向かって深紅の絨毯を歩く二人に拍手が送られ、本堂は金色のご威光に満ちました。

 ご本尊様へ誠心を述べます。

「~今茲(ココ)に宿世(スクセ)の善因将(マサ)に成熟し、吉祥(キチジョウ)の良縁満足して~」


(過去の善き因が成熟し、吉祥をもたらす良き縁が満たされ)

「~諸仏菩薩(ボサツ)の哀愍(アイミン)加護を請いたてまつり、三業(サンゴウ)を清浄にし、至心に帰依(キエ)して厳かに結婚の式典を行う~」


(み仏方のお慈悲によるご加護を願い、身口意でつくった過去の業を清めていただき、深く信じおすがりして厳かに結婚式をとり行う)

「~夫妻を加持(カジ)護念(ゴネン)し、寿命長遠(チョウオン)福徳自在子孫繁栄如意(ニョイ)円満せしめたまえ~」


(どうぞ夫婦をお守りくださり、いのち長く、福徳がもたらされ、子孫繁栄し、希望が叶いますように)

 戒律や帰依の覚悟が述べられ、ご加持した数珠が手渡されます。
「この数珠は自己中心の煩悩(ボンノウ)を、自他のためにという良き意欲へ変えます。
 合掌する右手はみ仏、左手は自分です。
 それが合わさることにより、迷った生き方は、み仏の子らしい生き方に変わります」

 教えを述べます。

「受けがたき人身(ジンシン)今己(スデ)に受く。
 遭(ア)い難き仏法今己(スデ)に遭(ア)う。
 得難き良縁今己(スデ)に得(え)たり。
 今両人相依(アイヨ)り相扶(アイタス)け相共に三宝(サンポウ)に帰依(キエ)し、以(モッ)て終生(シュウセイ)の光となし、四恩(シオン)の徳を報じ、人倫の道を完うし、祖先の名を恥ずかしめず社会の福祉に貢献し、世の景仰(ケイゴウ)を得ずんばある可(ベ)からず」


(生まれる確立の低い、人間として生まれ、
 会いにくい仏法にいま、すでに会った。
 得がたい良縁をすでに得た。
 この上は、二人揃って助け合い、仏法僧へ帰依し、それを生涯にわたって導きの光とし、国家社会の恩、親やご先祖様の恩、生きとし生けるものや自然の恩、仏法僧の恩に報い、人倫を守り、ご先祖様に顔向けできないことを行わず、社会のために役立ち、周囲から一人前の人間として認められるような生き方をせねばならない)

 覚悟が確認されます。

「大師の厳誡(ゴンカイ)慈訓(ジクン)を守り、今日(コンニチ)の心を以(モッ)て終生(シュウセイ)の心と為(ナ)し、人道に背くこと無く、妻を護り敬愛を忘れず、相和(アイワ)して、以(モッ)て四恩(シオン)に報い十善(ジュウゼン)の教(オシエ)に順(シタガ)い、生涯苦楽を偕(とも)にすることを誓いたてまつる可(ベ)し」


(お大師様の厳しい戒めとお慈悲にあふれたお諭しを守り、今日の心を一生涯保ち続け、人道に背かず、妻を守り敬い愛し、和合して仏法僧の恩に報い、十善戒の教えに従い、一生、苦しみも喜びも共にすることを誓わねばならない」
 妻への確認はここが違います。

「婦徳(フトク)を上日(ジョウジツ)とし、夫を助け敬愛を捧げ」


(妻としての徳を実践することを第一とし、夫を助け敬い愛し)
 二人はそれぞれ、「誓います」と答えました。

 そして聖水をいただきます。
 目に見える世界を表す胎蔵界と、目に見えない世界を表す金剛界と、両方の世界を守るみ仏方の徳をいただく二つの器から聖なる水が一つの器へと注がれます。
 それは、ありとあらゆる徳とご加護をいただく一方、陰と陽の和合でもあり、夫婦が一心同体になるという象徴でもあります。
 三三九度の古式にのっとり夫婦が飲み終えると、今度は出席者全員の杯にも聖水が注がれ、両家が睦まじく良縁を守り生かして行く固めの杯となります。

 こうして良縁が堅固になったところで、最後の確認と祈願が行われます。

「一樹(イチジュ)の蔭(イン)に宿り一河(イチガ)の流れを汲む如(ゴトキ)き、猶且(ナオカツ)偶然に非(アラ)ず。
 いわんや)や而二不二(ニニフニ)異体同心(イタイドウシン)の理趣(リシュ)を顕現(ケンゲン)し、永(ナガ)く将来を期すをや。
 是(コ)れ宿縁(シュクエン)の熟する所、諸仏の導きたまう所なり。
 今より以降、諸(モロモロ)の悪を息(ヤ)め、衆(モロモロ)の善を修し、四恩(シオン)に報ぜんことを念ず可(ベ)し」


(二人の縁は、たまたま雨に遭って一本の木の下に雨宿りをした者同士、あるいはたまたま同じ川べりで水を汲む者同士のような、まれな出会いではあるが、ただの偶然ではない。
 自己中心となりがちな意欲を教えに基づく実践力へ転換し、身体は男女に分かれていても心を一つにし、姿形は凡夫のままでも、み仏の子として生きる道を歩み、永遠に将来を誓わねばならない。
 この結婚は、過去の良き縁が成熟してもたらされたのであり、み仏方の目に見えないお導きがあったればこそ、成就した。
 これからは、悪しきことを行わず、善きことを行い、国家社会の恩、親やご先祖様の恩、生きとし生けるものや自然の恩、仏法僧の恩に報いる生き方をせねばならない)

 途中、両人には導師から幾度か語りかけられ、厳粛な中にも笑顔と涙が輝く嬉しい結婚式となりました。
 形式的ではなく、願いと誓いと教えと祈りに満ちた一時間は瞬く間に過ぎました。
 二人の首途(カドデ)は、ご両家だけでなく、当山にとっても未来への新たな首途であるかのように思えました。
 お二人とご両家にみ仏のご加護があるよう、永遠に祈り続けます。

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 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。




「のうぼう あきゃしゃきゃらばや おん あり きゃ まり ぼり そわか」※今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。





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