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2012
01.31

怒りは悪? ─凡夫の怒り、不動明王の怒り─

 Aさんの住む地域で住環境を破壊しかねない計画がスタートしました。
 明らかに人体への悪影響が予想されるのに、誰も立ち上がりません。
 Aさんは反対の署名活動を始めました。
 しかし、ほとんどの住民は知らん顔です。
 それは、土地を売却するとお金になるからです。
 計画の非人間性、住民の問題意識のなさ、合理的思考よりもなあなあを大事にする住民の姿勢、自分に火の粉が降りかからないうちは他人事として動かない人々。
 こうした事態に、Aさんはだんだん怒りを抑えられなくなってきました。
 加えて、不瞋恚戒に背いている自分を情けなく思う気持や罪悪感も起こり、わけがわからなくなってしまいました。
 僧侶も医師も科学者も怒りを処理する方法を説きますが、どこかおかしいと思え、何も信じられません。

 そして当山へ人生相談に来られました。
「寝ても覚めてもつきまとう私の怒りを消してください。
 怒ってばかりいる自分がいやになりました」

 お答えしました。
「あなたの怒り不動明王怒りに通じている面があり、誰かが抱かねばならない怒りです」
 そして、ダライ・ラマ法王の言葉をお伝えしました。

「怒りには、慈悲から生じるものと、悪意から生じるものという、二つのタイプがあります。
 心の根底に他者に対する思いやりや慈悲があって生じている怒りは、有益なものであり、持つべき怒りです。
 他者を傷つけたいという悪意から生じる怒りは、有害で鎮めるべき怒りです。
 悪意からの怒りは人に向けられます。
 しかし、慈悲からの怒りは人に対してではなく、行為に対して向けられます。
 ですから原因となる行為がなくなれば、怒りも消滅するのです」



 不動明王の怒りは安心へと導きます。
 真の怒りの先には平和が待っていなければなりません。
 その例を挙げましょう。
 1917年に生まれ、ドゴール将軍へ忠誠を誓ってナチスへ抵抗し、外交官にもなったステファン・エセルは93才の時、『怒れ!憤れ!』を書きました。
 生涯、レジスタンス運動にたずさわった氏は、今も檄を発します。

「ヨーロッパが破壊しつくされフランスが解放されたあの頃と比べたら途方もない富が生み出されているというのに、社会の基盤を維持するお金がなぜ今日になってたりなくなるのだろうか。
 それはお金の力が強くなりすぎたとしか考えられない。
 レジスタンスがあれほど戦ったのもむなしく、いまや金融の力は膨張し、傲慢になり、利己的になり、多くの服従者を持ち、国家の中で最も重要な地位を占めるまでになった」
「レジスタンス運動の活動家であり、自由フランス軍の戦士であった私たちは、いま若い世代に呼びかける──レジスタンスの理想を、よみがえらせ、伝承せよ。
 若者たちよ、松明を受け取れ。
 憤れ。
 政治家も実業家も知識人も、いや社会の誰もが、任務を放棄してはならない。
 金融市場が世界を支配し平和と民主主義を脅かすのを容認してはならない」
「歴史の脈々たる流れは、一人ひとりの力で続いていくものである」
「いちばんよくないのは、無関心だ。
『どうせ自分にはなにもできない。
 自分の手には負えない』
という態度だ。
 そのような姿勢でいたら、人間を人間たらしめている大切なものを失う。
 その一つが怒りであり、怒りの対象に自ら挑む意志である」



 ハマスがイスラエルへ抗議のロケット砲を撃ち込んだ事件についてはこう指摘します。

「ハマスはスデロット村へにロケット砲を打ち込んでよいのだろうか。
 答は、ノーだ。
 理由にはなり得ない。
 だが、あの行為を、ガザの人々の絶望の表れと説明することはできる。
 絶望感と捉えるなら、暴力の選択は耐え難きを耐えなければならない人々の悲しむべき結論だったと理解し、テロも絶望感の一つの表れだということもできよう。
 だが絶望は、負の感情である。
 絶望してはいけなかった。
 希望を持たなければいけなかったのだ。
 絶望は希望の否定である。
 絶望するのは理解できるし、それが自然だったとさえ言ってもいい。
 それでもなお、絶望を認めることはできない。
 なぜなら、希望がもたらすかも知れない結果を、絶望はもたらすことができないからだ」



 では、この先、世界はどうあるべきなのか。

「『暴力は無益だ』と知ってほしい。
 暴力は罪かどうかよりも、この方がよほど重要である。
 テロは無益な行為、役に立たない行為なのだ。
 では、何なら役に立つのか。
 それは非暴力の希望である」
「暴力は希望に背を向ける。
 だから暴力でなく希望を、非暴力の希望を選ばなくてはならない。
 これこそが私たちの進むべき道である」
「世界を危機的状況に陥れたのは、先進国による過剰な生産性追求ではないか。
『より多く』を求める呪縛を断ち切り、ここから脱しなければならない」
「21世紀を担う若者たちに、愛を込めて言おう──
 創造は抵抗であり、抵抗は創造である」



 高慢心がもたらす怒り、相手を破壊する怒り、これは煩悩です。
 しかし、正義を実現するための怒り、非暴力的方法による行動、これは煩悩に引きずられてはいません。
 発すべき明王の怒りであり、なさねばならない菩薩の行動です。
 Aさん、使命感を失わず、同志と志を共有し、自信を持って行動してください。

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「おん あらはしゃのう」※今日の守本尊文殊菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。





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2012
01.30

ネコとクジラ ─独りよがりの正義感─

 Cさんは一人暮らしで、家の中にネコ、外にイヌを飼っています。
 最近捨てられたネコが家へ侵入して飼いネコと大騒動になり、困っています。
 ある日、二人組の宗教勧誘員がやってきました。
 ごめんくださいと玄関を開け、「ほら、ほら、早く入りなさい」と野良猫を家の中へ促しています。
 寒い日なので、外で入りたがっていたネコをかわいそうと思ったのです。
「入れられないんです」
 Cさんが言うと、イヌを目にしている彼女らは諭しました。
「イヌもネコも皆、等しく尊いいのちです。
 あなたは寒くて震えているネコをそのままにしておけるのですか?」
 あなた方は知らないだろうけど、捨てられたネコを入れると殺し合いになるのですよと教え、彼女らにお引き取り願いました。
 そして思いました。
 私が玄関へ出て行くのが遅れていたら、きっと彼女たちは善意で外のネコを入れたことだろう。
 その結果について、彼女たちはどう責任をとったのだろうか。

 Cさんから聞いて思いました。
クジラと同じだ」
 NGOグリーンピースは環境保護を旗印にして年間数百億円もの資金を集め、正義の名のもとに世界中で活動を行っています。
 評価される面もありますが、日本の捕鯨を標的にした行動は常軌を逸しており、映画を作る際は、善良な漁師の町の人々をすっかり騙しました。
 相手の精神的・物質的被害やダメージを無視して自分の主張のみを一方的にぶつける暴力的姿勢はやはり、糾弾されるべきです。
 偏狭正義感の暴走は危険でなりません。
 Cさんと似た状況にある当山は、身にしみてわかります。
 主張する内容と同じく、主張する方法もいかに正しくあるか、気を配りたいものです。

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2012
01.30

背後霊は夫

 Aさんたちは定期的に集まって朗読会を開きます。
 読む本は皆で決め、交代で朗読した後はお茶の会になります。
 ある時、本に出てきた背後霊の話題で盛り上がりました。
 当山で勉強しているAさんは守本尊様について話しました。
 体験談を披露する人もいます。
 皆が語り疲れた頃、物静かなBさんが言いました。
「私の背後霊は夫だから……」
 Bさんは早くにご主人を亡くされた後、粛々と暮らしてきた方です。
 場に明るいものが広がり、さらに盛り上がったそうです。

〈林からの来訪者は誰?〉
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2012
01.29

2012年2月の運勢

 2012年2月の運勢──平成24年2月(如月…2月4日から3月4日まで)の運勢です。
 運気の流れを参考にし、人間修行の六波羅蜜(ロッパラミツ)行で改運し、開運し、快運となりますよう。

一 暴れようとする強気の虫を抑えましょう。

 今月は高慢心が強まりかねません。
 自尊心は矜恃として大切なものですが、こうした一面もあります。
 文藝春秋社へ投稿された性犯罪者の懺悔です。

「性暴力というと、どうしても人は『性欲』の問題だと理解したがります。
 しかし、私が本当に求めていたことは、強姦という性行為ではなく、強姦後に作る『被害者たちとの関係性』でした。
 他者を嘘と演出で意のままに繰ることで、自分の優位性や切れない関係を維持しようとし、そのことで半ば無自覚的に自尊心を満たしていたのです。
 自分の劣等感や支配欲の裏返しだったのでしょう」


 何とみごとな自己分析であり、懺悔でしょうか。
 彼は、自分の再犯を防ぐため、責任をとるため、ここまで言っています。
「必要ならば民事拘禁されることもやぶさかではありません。
 GPSについては、人権上の問題など様々な議論があると聞いています。
 しかし、私は加害者の生活の質が低下することくらい、当然のことではないかと思うようになりました。
 加害者の多くが失念していることですが。被害者の方は事件前の暮らしを取り戻すことができず、今もこれからも一生深い傷を負ったままの生活を強いられているのです」
 お釈迦様は説かれました。

「身体をあたかも城であるかのようにかんちがいしているが、骨を幹として肉を泥のように貼り付けただけではないか。
 生まれてから老いて死ぬまで、心には怒りと慢心を蓄えているだけではないか」


 自分の自尊心の中身はどうか、確認しつつ生きたいものです。

二 他の欠点を指摘する際は、誰のためにそれを行おうとしているのか、確認してからにしましょう。

 今月は、攻撃的な気持になりがちです。
 いささか品の悪いことわざですが、古人は「目くそ鼻くそを笑う」と言いました。
「腐れ柿が熟柿を笑う」も同じです。
 要は自分のことを棚に上げて他人の欠点をあげつらう愚かしさへの戒めです。
 こうしたことを考えると、教師や親は教育やしつけができなくなってしまうと心配する向きもありますが、それは杞憂というものです。
 人間は、天界の神々と修羅以下の悪界との〈間〉にあり、支え合ってしか生きて行けない存在なので、自分をふり返れば懺悔のネタに不足はありません。
 大切なのは、それをふまえた上で自分の役割を果たすことです。
 未熟な教師でも、夫婦げんかをする親でも、謙虚さと信念があれば、教育もしつけもできるはずです。
 信念の核は「生徒のため」「子供のため」という一念です。
 これさえあれば、自信を持って生徒や子供の欠点へ面と向かい、他からあざ笑いを受けず、たとえあざ笑われても動ぜずになすべきことをまっとうできることでしょう。

三 崇高なものへ向かう心の窓を開けておきましょう。

 東京都現代美術館のチーフ・キュレーター(主席学芸員)を務める長谷川祐子氏は指摘しました。

「自分がそこにいなくても見ることのできる間接的な資格情報があまりに増えたために、自分と身体との関係が希薄になってしまい、視覚体験を自分の深いところ、生の意味を問う領域までかかわらせることが難しくなってしまいました」


 誰でもが情報提供者の意図するままに反応させられてしまい、(感動までも!)「なぜ?」なしには深まらない心が怠惰になっているのではないかと言うのです。
 氏は、そこに〈わからない〉現代アートの出番があるとします。
 本当の「なぜ?」が生じる感性を保ちたいものです。

○み仏の子として、煩悩を脱し、菩薩になるための六つの修行を、日々、行いましょう。

布施(フセ)行と運勢]水を供えましょう。
 精進の人は力が認められなくても心は充実しています。
 不精進の人は不平不満が溜まり、目上とぶつかって勝ち目のない争いに入りがちです。
[持戒(ジカイ)行と運勢]塗香(ヅコウ)で身と心を清めましょう。
 精進の人は進んで他のためになることを行い、認められます。
 不精進の人は自分のことを先にして信用を失いがちです。
[忍辱(ニンニク)行と運勢]お花を供えましょう。
 精進の人は正直さを知る人々の助力で成功へ向かいます。
 不精進の人はその場しのぎや騙しの作戦に走り、見透かされて信用を失いがちです。
[精進行と運勢]お線香を供えましょう。
 精進の人は愚直に、ぶれずに進み、チャンスをつかみます。
 不精進の人は、迷って考え過ぎ、思い込みにとらわれてチャンスを失しがちです。
[禅定行と運勢]飯食(オンジキ)を供えましょう。
 精進の人は強く前へ出ても信頼を失わず成功します。
 不精進の人はうぬぼれが見え見えで、「お高くとまっている」と敬遠されがちです。
[智慧行と運勢]灯火を供えましょう。
 精進の人は出処進退を誤らず役割をまっとうできます。
 不精進の人はいつまでも闘争心などを失わず、せっかくの安心や満足感を手放しがちです。

 皆さんの開運を祈っています。

〈大渋滞の車窓から〉
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2012
01.29

ご主人の魂に救われた奥さん

 3年前にご主人を亡くされたAさんは、百か日の供養会でも、一周忌の時も、三回忌の時も「淋しくてなりません」と肩を落としたままでした。
 ところが、三周忌にご来山されたおりの様子がこれまでとはずいぶん違うので「暮らしはどうですか?」とお訊きしたところ、スッと目を上げて答えられました。

「主人を亡くしてから3年近く経ち、ようやく主人がいてくれることを感じて元気になりました。
 これまではいなくなったという空虚さに負けて、いつもいつもただ淋しさだけを相手にして暮らしてきましたが、このとところ、二回、主人の魂と会って、すっかり安心できました。
 一度目は、疲れが溜まって困っていた時のことです。
 右肩の後の方から手が当てられて『大丈夫だよ』という声が聞こえたような気がしました。
 左手でその手を確認しながら振り向くと、確かに手だけ見えましたがとても冷たいのです。
 でも、主人だとわかったし、気持が良くて、私も連れて行ってと言いました。
 まだいいよという声のない声で答えたきり、気配は消えました。

 二度目は一人でいた時、正面から不意に抱きしめられたのです。
 アッと思って私も抱きしめましたが、やはり主人はとても冷たく、あまりに細いので驚きました。
 また、私も連れて行ってと言いましたが、やはり、まだいいよと答え、今度は右上の方へ去りました。
 何かが見えたような気がしましたが、見えたものは思い出せません。
 目に見えてはいなかったにもかかわらず、私には去って行った様子がはっきりとわかりました。

 それから、私は変わりました。
 自分が自分の淋しさの繭に包まれてばかりいた頃は、同じような境遇の人の悲しみがよくわかって当然なのに、今ほど強くは感じられませんでした。
 自分に心の余裕ができたのでしょうか。
 今度は他人の淋しさや悲しみがありありと感じられ、自分がいかに酷い状態だったかも、あらためて知りました。
 最近では感謝の気持が強くなり、子供たちや周囲の人々へ心からありがとうと言ってばかりいます。
 長い3年間でしたが、こうして時が経つ必要があったのですね。
 やはり、主人は私の主人です」

 御霊阿弥陀如来のお導きへ入る三回忌を終えてから、奥さんは変わられました。
 ご主人が極楽浄土で憩うようになり、安心した存在として奥さんへかかわってこられたのでしょう。
 それは、おりおりの供養を欠かさず、廻向(エコウ…あの世御霊安心していただけるよう供養する功徳を廻し向けること)を行い、ご主人の安心を願ってこられた奥さんへの、あの世からの感謝だったのではないでしょうか。
 奥さんは安心を分けいただいたのです。
 祈る心、悼む心、まごころを因とする果を教えていただいたできごとでした。

〈大渋滞の夜〉
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2012
01.28

眼を持つ難しさ

平家物語』の「祇王(ギオウ)」に、仏と呼ばれる白拍子(シラビョウシ)の舞い踊る姿に魅せられた平清盛が、ただちに側へ召すという場面があります。
 眼前にはすでに清盛の寵愛を受けている白拍子祇王がおり、仏御前は固く辞退します。
 祇王は、いきなり訪ねた仏御前をいったんは「無礼な」とばかり退出させた清盛をとりなして、対面させてくれた大恩人ですから、断ったのは当然です。
 しかし、清盛はその場で「それはならぬ。もし祇王をはばかるのならば、祇王をこそ追い出そう」と言います。

 読者のほとんどは、傲慢さを感じて「清盛はなんという薄情な男だろう」「権力者なんてこんなものさ」「時代が違うんだよなあ」などと思うのではないでしょうか。
 ところが弁護士Iさんは言いました。
「実際はどうだったんですかねえ。
 こんな風にやったんでしょうか。
 書いた人によってつくられた人物像かも知れませんよねえ」
 ここが大事なところで、情報の洪水という現代の蘊魔(ウンマ)にやられないためには、どうしても必要な視点です。
 しかし、それを持つのはそう簡単ではなさそうです。
 
 現に、司馬遼太郎の傑作とされ芸術院恩賜賞を受けた『空海の風景』は、一介の行者からすれば誤りと偏見と独断に満ち満ちていると思われますが、世間ではお大師様について学ぼうとする際の基本テキストになりつつあります。
 誰しもが大作家のネームバリューを信じ、「本当だろうか?」と客観的な眼を持って読むことを忘れてしまっているのではないでしょうか。
 もちろん、お大師様そのものがあまりにも偉大であり、説かれた教えはあまりに高度ですが、読者の直感として「そうだろうか」と立ち止まることはできるかも知れません。
 Iさんの視点があれば、自分の好悪がからんだ価値判断をあたかも事実であるかのように書いている巧妙な表現を見破られるはずです。

空海の風景』を再読三読してチェックした〈不審な〉ポイントは百ヶ所を優に超え、有名な書物が持つ問題を世に明らかにできぬ自分の能力と徳と財のなさに切歯扼腕していたところ、一人の男が立ち上がりました。
釈尊になった空海』を書いた松澤浩隆氏です。
 この本は、『空海の風景』を読んだすべての方に読んでいただきたい力作です。
 読み比べれば、人を救い迷わせる筆力というものの強さや恐ろしさ、そしてお大師様の真姿が読者なりに観えてくることでしょう。
 長澤弘隆師の『空海ノート』と菊池寛の『十住心論』も併せて読めば結構ですが、いずれもかなり専門的なので、購入には慎重な判断が求められます。

 あまり世に知られていないと思われる『釈尊になった空海』は、イラク戦争に関して徒歩で靖国神社へ参拝した帰り道、東京駅前の書店で見つけました。
 幸いにして自衛隊員が全員、無事、帰国を果たしたことと、『釈尊になった空海』との出会いは、 お大師様からのご褒美であると確信しています。
(この文章は平成17年に書きました。もうネットで読んでいただけない古い綴りの中から行者高橋里佳さんがピックアップしたものを加筆修正の上、再掲しています)

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2012
01.28

多次元のマンダラ

 Aさんから貴重な資料が届きました。
 平成23年十月号の『文藝春秋』から切り取った武澤秀一氏の「空海はなぜ『立体マンダラ』を作ったのか」です。
 氏はマンダラの起源をこう述べます。

「インドに生まれたマンダラの起源は仏教より古く、日本で言えば縄文時代にまで遡る」


 マンダラにおける〈中心〉と〈周囲〉の構造に託される心の動きは人類普遍のものと観たのがユングであることは、氏も指摘するとおりです。

 仏教において、中心とする仏像や寺院を右回りに廻る礼拝法は世界中で行われており、私も日々、根本仏大日如来の周囲を歩いています。
 また、当山では、善男善女からご寄進いただいた守本尊様のお像をぐるりとお祀りしており、講堂の壁を用いて「守本尊マンダラ」の実現をはかりました。
 子年生まれの方々をお守りくださる千手観音様から始まり、戌亥生まれの方々をお守りくださる阿弥陀如来様まで、ご参詣の皆さんにはすべての守本尊様にお会いいただけます。
 その意味で、当山の講堂は、5世紀につくられたアジャンター遺跡、及び、6世紀につくられた龍門石窟の蓮華洞と共通した構造になっています。

 密教は金剛界と胎蔵界の二つのマンダラを根本としていますが、武澤秀一氏が説くように、二つを一つにしたのは「中国土着の陰陽二元思想に基づく発明であった」のかも知れません。
 密教において世界の〈活動〉と〈構造〉が二而不二(ニニフニ…二つでありながら一つとして存在している)としてとらえられ、表現され、祈りの形として整備されました。
 密教はその方法をもってお釈迦様の悟りの世界へ入ろうとするものです。

 お釈迦様がバラモン教の行者たちを排斥せず、さまざまな経典が歴史と共に生まれていることを見ても明らかなとおり、仏教は融通無碍(ユウズウムゲ…とらわれのない自由なさま)な宗教です。
 因果応報(インガオウホウ)や苦集滅道(クジュウメツドウ)や輪廻転生(リンネテンショウ)などの〈お釈迦様の悟り〉を追体験するための方法は、仏教が伝わった地方や国の文化になじみながら、幾多の聖者によって工夫され、互いに争わず、それぞれに向上・発展してきました。
 武澤秀一氏は東寺立体マンダラに併せて高野山の大塔と東寺の五重塔にもお大師様の工夫を見出し、「空海、畏るべし!」と一稿を結んでいます。

 実際に日々、お大師様から伝わる修法を行い、聖なる中心がありマンダラとなっている講堂内を歩いていると、自分の祈りがご縁の方々の祈りであり、み仏方の祈りであることが実感されます。
 マンダラは立体の三次元だけではなく、それを生きようとする者にとっては四次元の世界であり、目に見えぬ聖なる世界へも通じていることを思えば、さらに多次元なのかも知れません。
 やはり、お大師様は畏るべき聖者です。
「南無大師遍照金剛(ナムダイシヘンジョウコンゴウ)」

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2012
01.27

先を考える人 ─おむつを替えるお父さん─

 Aさんは国の安全を担うハードな仕事に就く一方で武道もたしなみ、センスを発揮しながら生きています。
 時間のやりくりが大変だろうと思って見ていますが、幼子の父親としてもあれこれマメな様子です。
 私の時代には家庭をほったらかし同様にしてはたらくのが普通だったので、とても微笑ましく思えてなりません。
 おむつを替えたり一緒に風呂に入ったりしていると聞いて感心したら、Aさんは言いました。
「だって、あと20年もして、ウチのが一人前になってからいろいろ言われるのは嫌ですからね。
 お父さんは臭いなどとほざかれた日には、
『お前のおむつを替えたのは誰だ。
 お風呂に入れて洗ってやったのは誰だ!』
と逆襲してやるのも親の務めではないでしょうか」
 子供たちへの罪悪感を不足なく持っている私は黙るしかありませんでした。
 現代の偉いお父さんたちへ拍手とエールを送ります。

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「おん あみりたていせい から うん」※今日の守本尊阿弥陀如来様の真言です。
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2012
01.27

幸せを壊すものに克つ ─死を克服する道(その4)─

 冷静な古人はこう言いました。
「死ぬことを忘れていてもみんな死に」
 俳聖(ハイセイ…聖人の域にまで達した俳句の名人)と呼ばれた松尾芭蕉はこう言ったそうです。
「きのうの発句はきょうの辞世、きょうの発句はあすの辞世、一句として辞世ならざるはなし」

 一方、何とも正直な人もいます。
「人が死ぬとは思っていたに、俺が死ぬとはこいつあたまらん」
 一休禅師や仙和尚もまた、死ぬ間際にお弟子さんたちを慌てさせたそうです。
「死にとうない」

 さて、お釈迦様の言葉です。
長老とは、必ずしも年をとっているというだけではない。姿が老成して白髪になっただけであれば、耄碌したというしかない。
「所謂(イワユル)、老とは、必ずしも年耆(ネンキ)にあらず。形(カタチ)熟し髪白きは、惷愚(トウグ)なるのみ」(奉持品)

真理を心に抱き、穏やかにして慈しみにあふれ、ものごとに精通し清浄であって初めて長老と呼ばれる資格がある。
「諦(たい)法(ほう)を懐(いだ)き、順調(じゅんちょう)にして慈(じ)仁(じん)、明達(めいたつ)、清潔(せいけつ)なるを謂(い)いて、是(こ)れを長老(ちょうろう)と為(な)す」(奉持品)

○この身は死すべきものであり、魂は形を超えた真実の存在である。例え身は死すともまたこの世に転生し、罪過と福徳による因果応報は消え失せない。
「是(コ)の身を死物(シブツ)と為(ナ)し、精神は無形の法たり。仮令(タト)い死すとも復(マ)た生じ、罪福は敗亡(ハイモウ)せず」(生死品)

○いのちが終わり、また始まるのは、この世における一代だけのことではなく、愚かさと渇愛とによって永久に続く。自分自身の行為によって苦と楽とを受け続け、身体は死のうとも魂は亡びないのである。
「終始(シュウシ)は一世(イッセ)に非(アラ)ず、痴(チ)と愛とに従(ヨ)りて久長(キュウチョウ)なり。自ら作(ナ)して苦と楽とを受け、身は死すとも神(タマシイ)は喪(ほろ)びず」(生死品)

 仏法では因果応報を説き、それはこの世だけにとどまる理法ではありません。
 私たちは、過去世が原因があったからこそこの世に生まれたのであり、この世での生き方は、来世にその結果を待つのは当然です。
 因果応報を信じるならば、輪廻転生(リンネテンショウ)をも信じるのはものの道理というものではないでしょうか。

 ならば、私たちはどうすべきか?
 死へいかに対処すべきか?

 お釈迦様は、従容(ショウヨウ…落ち着いて揺るがないさま)として信者の差し出す心のこもった、しかし怪しいキノコ汁を口にし、死を示されました。
 お大師様を導いた恵果(ケイカ)和尚様は、「来世ではお前の弟子になろう」と約束してこの世を去りました。
 お大師様は、2年前から死の日を悟り、その日へ向けてなすべきことを成し遂げられました。
 恐れ、逃げようとせず、最後の瞬間まで、自分の役割をまっとうされました。

 死へどう立ち向かうか?
 答が観えてきたのではないでしょうか。
 死はくり返される〈一区切り〉であり、死によってすべてが無になるのではないならば、死をむやみと怖れるより、一幕が降りるという厳粛さにこそ畏れを抱き、今をしっかり、恥ずかしくなく生きるしかないではありませんか。

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2012
01.26

孫は神様

 Aさんのお宅におさんが授かりました。
 ところが赤児は障害を持っています。
 息子さん夫婦は「どうしてこういうことになったのだろう?」「何かの祟りだろうか?」などと深刻になり、悲観的になっています。
 ある日、Aさんは若夫婦へ言いました。
「私は、仏様から授かった神様だと思っているよ。
 他の人とちがう人は、神様なんだよ。
 ありがたいねえ」
 そして、とても大切に育てています。
 やがて、若夫婦の口から愚癡が消えたそうです。

〈Aさんたちが縫ってくださった衣装をまとうお地蔵様〉
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2012
01.26

宗教って何? ─被災地に生まれつつある小さな霊場や聖地─

 最近は、若い学生さんの間で心理学と哲学が人気だそうです。
 学生が教授へ質問しました。
哲学宗教はどう違うのですか?」
 教授は答えました。
宗教には物語がつきものなのです」
 この話を聞き、教授の本も読んだBさんは釈然としません。
 Bさんは常々、向学心が旺盛なご婦人です。
 そこで旧知のCさんへ電話しました。
「物語があれば宗教だと聞いたけれど、そうかしらねえ」
 80才になるCさんは即座に答えました。
祈りがあるのが宗教よ」
 Bさんはとても納得しました。

 明治以来、仏教の研究は主として哲学的に、あるいは社会運動の視点から研究されるようになり、庶民の祈りを実現するといった面は一段レベルが低いがごとき扱いでした。
 しかし、〈切ない祈り〉こそが、他の分野では引き受けようのない宗教の核です。

 東北学を提唱した赤坂憲雄氏は1月23日産経新聞へ「なぜ、いま、民族芸能なのか」を書きました。
 氏は、震災後、南三陸町で出会った60才代の男性の話を紹介しています。
 津波ですっかりやられた男性は、2か月かけて瓦礫の山を探し回り、二つの大切なものを発見しました。
 一つは、海で拾った貝を加工して奥さんへ送った指輪です。
 もう一つは、鹿踊りの太鼓と衣装でした。
 きれいに洗い、生き残った仲間たちと避難所で踊ったら、お婆ちゃんたちが泣いたそうです。
 鎮魂供養は、芸能の復活として表れているだけではありません。

「海沿いを歩くと、いたるところに、小さな霊場聖地が生まれつつあります。
 草むらの中に卒塔婆が立っていたり、堤防の脇に花やお菓子がそなえられている。
 一瞬にして奪われたたくさんの命、それぞれの思いや記憶が行き場もなく浮遊しているのです」


 私も、托鉢でお世話になった海沿いの地域をもう一度、つぶさに歩くつもりです。
 かつて、娑婆で何もかも失った私は、見知らぬ集落の一軒一軒を訪ね歩き、地域の方々から生きる糧を与えられ、いかなる僧侶、いかなる寺院であるべきかも教えていただき、今に至りました。
 あちらの集落からも、こちらの集落からも山ほど授かった私は、〈小さな霊場〉で漂っておられる方々へ鎮魂祈りを捧げ、小さな恩返しをしたいと思います。
 それが、赤坂憲雄氏の言う「広い意味での宗教のありようが、いま深いところから問われようとしている」状況への、自分なりのささやかなかかわりようです。
 地域の方々の祈り、逝った方々の思い、そこへ溶けこみたいと願っています。

〈やはり、あれは、すでに、墓標だったのです〉
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2012
01.25

ゆかりびとの会会員投稿(その1) ─大震災・四国遍路─

年頭に想うこと      「ゆかりびとの会」相談役 吉田栄年

 昨年三月十一日、東日本に発生した大地震は一瞬にして岩手・宮城・福島の沿岸に想像を絶する大津波となって襲いかかり、行方不明を含めて二万人近い多くの人名と生活基盤である諸家屋を瞬時に包み流して了った。
 また福島原発では放射能漏れにより福島県民の大半がその被害者となり、家族は居住地から離れて今尚避難生活を強いられ、その被害は人畜草木の多くに及び、人々の生活基盤が失われた。

 大日如来宇宙真理の根本佛として永遠不滅の光でこの世を照らしている。
 然し、何故このような不測の大地震が突然として発生するのか。
 多くの被災された人々の心の中では「神や佛はあるのだろうか」と一瞬思った人々は数多く居られたと思う。

 一時(イットキ)が流れ人々はそれでも日本全国、いや世界中から暖かい手をさしのべてこの多くの被災された人々や被災地復興に心を通わせて支援の手をさしのべてくれた。
「絆」という心を表徴する文字が日本全国民の中に芽生え、そしてその行動が被災者を励まし、今も続いている。

 今から千二百余年前に四国遍路という習俗ができた。
 四国遍路弘法大師を慕う行脚で、今でもお遍路には「同行二人」と書いて弘法大師への帰依とその加護を祈りつつ八十八ヶ所遍路を続けている。

 今、東北の多くの被災者の方々は、生活に苦しみ乍ら、明日への希望を夢に託し乍ら生きていられる。
 人生はさまざまな道のりがある。
 四国遍路は人生の縮図だともいわれている。
 この時代背景の中で、法楽寺のご住職は仙台市泉区根白石、泉ヶ岳山麓の里山に「宮城四国八十八巡り道場」という佛心交流の「場」を計画され、着々とその準備中ときく。
 多くの被災地の方々や有縁無縁の方々が宿命からは逃れられないまでも、これから先の運命は必ずや変えられる。
 身近な「宮城四国八十八巡り道場」がその救いの道を開くことを只々祈り実現を期待したい。
(この稿は月刊「ゆかりびと」へ掲載されています)

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2012
01.25

幸せを壊すものに克つ ─死を克服する道(その3)─

 ある時、釈尊は、神々、帝王、人民、そして出家在家の弟子たちのために法を説かれました。
 そこに老いた7人のバラモン行者がやってきて弟子入りを求めたので、7人を一緒に住まわせて修行させたところ、すぐに悟ったかのような気になり、ただ、世俗的なことがらにかまけて談笑しているだけです。
 釈尊は、「世間が頼りとする儚いもの」を示しました。

1 若さ。
2 美しい容貌。
3 強い活力。
4 豊かな財産。
5 良い家柄。


 そして、真実を突きつけます。

○何を喜び、何を笑っているのか。いのちはたえず燃えている。しかし、深く暗冥に覆われているのだから、悟りの灯火を求めねばならない。
「何をか喜び、何をか笑う。命、常に熾燃(シネン)なり。深く幽冥(ユウミョウ)に蔽(オオ)わるれば、錠(ジョウ)を求むるに如(シ)かず」(老耄品)

○身体の形だけを見て頼りとし、安心しているうちに、想念が多くて病気に罹ったりする。身体が人間にとって真実ではないことを知らない。
「身の形範(ケイハン)を見て、倚(ヨ)りて以(モッ)て安(ヤス)きと為(ナ)さば、多想(タソウ)にして病(ヤマ)いを致すに、豈(ア)に真に非(アラ)ずと知らん」(老耄品)

○身体が死んで、はあの世へ行くのは、御者が車をうち捨てるようなものである。肉体が消え骨が散り散りになってしまうのであれば、身体はどうして頼りとなろうか。
「身(ミ)死に、神(タマシイ)徙(オモム)くこと、御者(ギョシャ)の車を棄つるが如(ゴト)し、肉消え骨散(サン)ず、身(ミ)何ぞ怙(タノ)む可(ベ)きや」(老耄品)

○身体をあたかも城であるとでもかんちがいしているが、骨を幹として肉を泥のように貼り付けただけではないか。生まれてから老いテ死ぬまで、怒りと慢心を蓄えているだけではないか。
「身(ミ)を城の如(ゴト)しと為(ナ)すに、骨は幹にして肉は塗なり。生まれて老死に至るまで、但(タ)だ恚(イカ)りと慢とを蔵す」(老耄品)

 出家したにもかかわらず、しかも老いたにもかかわらず、いつまでも儚いものを主人公とした世界世間のことごとに関心を奪われていたバラモン行者たちは、我と我が身のありさまに気づかされ、心は儚いものから解放されて悟りを得ました。

 ある時、500人の若いバラモン行者たちに招かれた釈尊は、座り、手を洗い、食事をし、手を洗いました。
 そこで、昔は富も権力もあった夫婦の行者が落ちぶれ、行者となって物乞いに歩いているのを目にしました。
 釈尊は、若いバラモン行者たちへ、「行えば福徳が得られるのに、なかなか行えないもの」を説きました。
 気の毒な老夫婦はそれを実践できなかったので、厳しい老後を生きねばならなくなったのです。

1 若く、活力があっても、驕り高ぶってはならない。
2 老いたならば、精進し、淫らなものに近づいてはならない。
3 財宝があれば、いつも布施を心がけねばならない。
4 正しい師から正しいものを学ばねばならない。


○清浄な修行を行うでもなく、財物を蓄えもしなければ、老いた白鷺が餌のない池を守り、水中を覗くように空しい境遇となる。
「梵行(ボンギョウ)を修せず、又(マ)た財を富まさずんば、老いたる白鷺(ハクロ)の、空池(クウチ)を守り伺(ウカガ)うが如(ゴト)し」(老耄品)

○今まで戒めを守らず、蓄財も行わないで生きてくれば、老いて気力が尽き果ててからいくら昔を懐かしんだとて、どうにもならない。
「既に戒を守らず、又(マ)た財を積まざれば、老羸(ロウルイ)し気(キ)竭(ツ)き、故(イニシエ)を思うも何ぞ逮(オヨ)ばん」(老耄品)

○老いて秋の落ち葉のようになり、行いはぼろ切れのように穢れている。いのちが速やかに抜け出して去って行けば、もはや後悔の余地はない。
「老ゆること秋の葉の如(ゴト)く、行いは穢れ、襤縷(ランル)なり、命(イノチ)疾(ハヤ)く脱至(ダッシ)せば、後悔を用いず」(老耄品)

 言葉を失った若いバラモン行者たちへ、釈尊は「正しい人の道を歩み、真の福徳を得て、苦から救われる4つの時期」を指摘しました。

1 若くて勢いのある時期。
2 地位も財産もある時期。
3 仏法僧という福田(フクデン…実りをもたらす田のように福徳を与えるもの)に出会う時。
4 万物が散り果てる様子を考える時期。


 つまり、いつでもその道は歩み始められるのですが、若い時期には勢いが、地位や財産に恵まれればその力が、せっかく仏法僧に会ってもその価値に気づかない心が、そして老いれば気弱さが邪魔をするのです。
 ならば、たった今、邪魔ものを取り除いて歩み始めるしかありません。
 煩悩につきまとわれている私たちにとって邪魔ものが自然に消える時期はなく、待っていても、無意味です。

寿命は日夜に減り、いつ尽きるともわからないので、しかるべき時に精進すべきである。世間のことごとは明らかに非常であり、惑って暗黒へ堕ちてはならない。
「命は日夜に尽きんと欲(ス)れば、時に及んで懃力(キンリキ)す可(ベ)し。世間は諦(アキ)らかに非常なれば、惑うて冥中(メイチュウ)に堕すること莫(ナ)かれ」(老耄品)

○学んで心の灯火を燃やし、自ら鍛錬して智慧を求めねばならない。煩悩の垢を離れ、染められぬようにせよ。心の灯火をもって、悟りの世界を観よ。
「当(マサ)に学びて意(ココロ)の灯(トモシビ)を燃やし、自(ミズカ)ら練りて智慧を求むべし。垢(ク)を離れて染汚(ゼンマ)すること勿(ナ)かれ。燭(トモシビ)を執(ト)りて道地(ドウチ)を観ぜよ」(老耄品)

 釈尊はこう説き、大光明を放って天地を輝かせました。
 若いバラモン行者たちは心から帰依して悟りを開き、村人たちも皆、悟りを得て歓喜しました。

〈四国八十八霊場雲辺寺のラカン像:「四国名刹」よりお借りして加工しました〉
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2012
01.24

再出発の方法

 受験失敗から道を見失ったお子さんが、他県で働き口を見つけ「これからは、連絡をしないで欲しい。携帯電話の料金なども払わないでくれ。とにかく一人でやってみたい」と言うので、どうしたら良いか心配ですとのご相談がありました。
 母親は、「自分のような者は生きていても仕方がないから死にたいとも言っているのですが大丈夫でしょうか」と憔悴しきっておられます。

「放っておいて大丈夫です。今のお子さんにとって一番必要なのは、優しい手紙や心強い仕送りではなく、本人が望んでいる通り、信じて連絡をしないことです。何かをしないではいられないのなら、祈ることです」
 こう申し上げても、なかなか納得されません。
 自分は見捨てられたのではないかと思わないでしょうか、生きるのを諦めてしまわないでしょうかと、やはり心配は尽きません。
 
 こんな話を申し上げました。

「先生が嫌いになったという理由で学校へ行かなくなったお子さんの例があります。
 無理に行けとは言わないことと、信じているよというシグナルを出し続けることをお勧めしたところ、二つの方針を守った方のお子さんは、ある日突然登校を始め、すっかり元に戻りました。
 しかし、不登校対策が論じられるうちに、『子供には学校へ行くか行かないかを決める権利がある』とか『学校へ行くか行かないかは、子供の自主性に任せるべきだ』などと主張する方がマスコミへ登場するようになりましたが、そういう考えは決して子供を導く根本的な柱にはなり得ません。

 冷水摩擦がいくら効果的な健康法だとしても、風邪をひいている人には禁物です。
 しかし、ある程度の健康を維持している人にとってはさらなる健康を得る方法になり得ます。

自由にして良いんだよ』とリラックスさせることが不登校を解消させる場合があるからといって、就学年齢に達した子供たちへ最初から『学校へ行っても行かなくても、どっちでも良いんだよ』と教えるのは、風邪をひかないうちから冷水摩擦を禁止するのと同じです。
 なすべきことをきちんと示されないと、まだ充分な判断力を持たない子供たちは迷うだけでなく、自分を鍛える機会を失い自堕落になるかも知れず、親や先生はしつけや指導ができなくなります。

 このように、時と場合によって最も必要なものは表と裏ほど違います。
 
 今のお子さんにとって必要なのは放っておかれることであって、優しく構われることではありません。
 例に出した不登校のお子さんにとって必要なものとは違うのです。
 むしろ、目に見える優しさは一人で生きようという決心を揺るがせるかも知れず、邪魔や毒であっても、救いや薬ではありません。
 母親ですから、優しくしないではいられないのでしょう。
 手をさしのべないではいられないのでしょう。
 しかし、真の優しさは、相手のためになるかどうかを判断する賢さや時には自分の気持を抑える強さによって成就されます。
 相手のために必要なら、寂しくても辛くても伸ばしたい手を引っ込めていなければなりません」

「解った?できる?」
 隣のご主人は心配そうに奥さんの顔をのぞき込んでおられます。
 お寺へ足を運び、至心にご本尊様の前に座っただけで、もうご加護をいただいておられます。
 この奥さんの優しさとご主人の強さがあれば、必ずやお子さんを思うお二人の心に花開く時が来ます。
 お子さんの人生が再出発を迎えました。
 ご夫婦にとっても心の再出発になることでしょう。
 春です。
(この文章は平成17年に書きました。もうネットで読んでいただけない古い綴りの中から行者高橋里佳さんがピックアップしたものを加筆修正の上、再掲しています)

〈「ひとつぶ堂」の春〉
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2012
01.24

幸せを壊すものに克つ ─死を克服する道(その2)─

 ここでは、釈尊老いとをどう説かれたか。『法句経』における老いの様相を考えてみましょう。

○川が速やかに流れ、過ぎゆく水は決して戻らないように、人のいのちもまた同じく、逝った者は二度とこの世へ帰ってはこない。
「河の駛(ハヤ)く流れて、往(ユ)きて返(カエ)らざるが如(ゴト)く、人命(ニンミョウ)も是(カク)の如(ゴト)し。逝(ユ)きし者は還(カエ)らず」(無常品)

○たちまちに老いがやってくれば、容色は衰え、頭脳も明晰さを失う。若き日には万事、意のままになると思って生きていても、老いれば邪魔にされるだけである。
「咄嗟(トッサ)に老(ロウ)至れば、色(シキ)変じて耄(モウ)と作(ナ)る。少(ワカ)き時は意(ココロ)の如くなるも、老(オ)ゆれば蹈藉(トウセキ)せらる」(無常品)

老いると共に容色は衰え、病気に健康は破壊され、肉体は敗れて腐りゆく。いのちが終わるのは当然の成り行きである。
「老(オ)ゆれば則(スナワ)ち色(シキ)衰え、病(ヤマイ)に自(オノ)づから壊され、形(カタチ)敗れ腐朽(フキュウ)す。命終(オ)わること自然(ジネン)なり」(無常品)

○この身は何の役に立とうか。いつも汚物を漏らし悪臭を放つ場所ではないか。病気に苦しめられ、老いの憂いの元ではないか。
「是(コ)の身は何の用(ヨウ)ぞ、恒(ツネ)に漏れ臭き処(トコロ)なり、病(ヤマイ)の為(タメ)に困しめられ、老(ロウシ)の患(ウレ)い有り。(無常品)

欲望を恣(ホシイママ)にしているうちに真理からどんどん離れる。有為転変の理を示すことごとに学ばない。寿命は常にあるものではないのに。
「欲を嗜(タシナ)み自(ミズカ)ら恣(ホシイママ)なれば、非法(ヒホウ)是(コ)れ増す。変を見聞(ケンモン)せず、壽命は無常なるに」(無常品)

○子供がいても頼りにならないし、父や兄も同じである。が迫れば、肉親の誰であれ、から逃れるために頼りになるものではない。
〔一七〕
「子(コ)有るも恃(タノ)むところに非(アラ)ず、亦(マ)た父も兄も非(アラ)ず。死の為に迫(セマ)らるれば、親(シン)も怙(タノ)む可(ベ)きこと無し」(無常品)

○一日中怠惰に過ごし、老いてもセックスに耽り、財物を布施せず、仏法を学ばない。この4つの態度は人生を壊し、自分で欺瞞の生き方を選び取ることになる。
「昼夜に慢惰(マンダ)にして、老ゆるも婬を止(ヤ)めず、財(ザイ)有るも施さず、仏言(ブツゴン)を受けず、此(コ)の四弊(シヘイ)有(ア)らば、自(ミズカ)ら侵欺(シンギ)を為(ナ)す」(無常品)

○この成り行きをよく理解して自ら煩悩を静め、このようにして生が尽き果てるありさまを見極めて、行者は魔ものの軍勢を押さえ、生まれてから死ぬまでの迷いを脱する。
「此(コ)れを知りて能(ヨ)く自ら静め、是(カク)の如(ゴト)く生の尽(ツ)くるを見て、比丘(ビク)は魔兵(マヒョウ)を厭(イト)いて、生死(ショウジ)より度するを得(ウ)」(無常品)

 無常は感情や気分だけの問題ではなく、実に過酷で厳粛な理です。
 誰もここから逃げられません。
 知らぬふりをしているうちにも無常の川に流されており、ある日、泳げない自分に気づき、愕然とさせられます。
 釈尊は無自覚な生き方を厳しく指摘します。

 仏法はいのちを尊びますが、ただダラダラといのちを保つことを価値としてはいません。
 大切なのは〈いかに生きるか〉であり、生き方そのものです。
 逃れられない死を克服するには、まず、人は死ぬ生きものであり、死は一瞬後に訪れても当然であるという理を〈我がこと〉ととらえねばなりません。
 そこから、あるべき生き方が見えてくるはずです。

○もし、人が百才まで生きても、邪(ヨコシマ)なものを学び不善な方向をめざして生きるならば、たった一日、精進して正しい教えを学ぶことに及ばない。
「若(モ)し人(ヒト)寿(イノチ)百歳ならんも、邪(ヨコシマ)に学びて不善を志(ココロザ)さば、生(セイ)一日にして、精進(ショウジン)して正法(ショウボウ)を受(ウ)くるに如(シ)かず」(教学品)

○戒めにそった生き方は老いても心を安んじ、戒めはいつも善き安らぎを与える。智慧を人間にとっての宝ものとして生きるならば、生じる福徳は何者にも奪われない。
「戒は老いに終わるも安(ヤス)く、戒は善(ヨ)く安らかに止(トド)まらん。慧(エ)を人の宝と為(ナ)し、福は盗びとにも取られず」(誡慎品)

○この世に身体があるのは短期間であり、身体は皆、土へ還る。形ある身体が壊れ魂が去ってしまえば、どうしてこの世を当てにして住み、一体何を貪れようか。
「身(シン)有るも久しからず、皆な当(マサ)に土に帰すべし。形壊れ神(タマシイ)去らば、寄住(キジュウ)して何ぞ貪らん」(心意品)

○身体が病気になれば、いのちのはたらきが萎んでしまうのは、華がくたびれて落ちるのと同じである。生きるか死ぬかの瀬戸際がたちまちにやってくるのは、水が早瀬を過ぎる時のように早いのである。
「身(ミ)病(ヤ)めば則(スナワ)ち萎(シボ)むこと、華の零落(レイラク)するが若(ゴト)し。死命(シミョウ)の来至(ライシ)すること、水の湍(ハヤセ)に驟(ハヤ)きが如(ゴト)し」(華香品)

○もし、人が百才まで生きても、甘露のように素晴らしい教えを知らなければ、たった一日、甘露のような教えを受けて実践することに及ばない。
「若(モ)し人(ヒト)寿(イノチ)百歳ならんも、甘露(カンロ)の道(ドウ)を見ずんば、生(セイ)一日にして、甘露(カンロ)の味を服行(フクギョウ)するに如(シ)かず」(述千品)

〈仏木寺の釈迦如来像:『四国名刹』からお借りしました〉
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2012
01.23

幸せを壊すものに克つ ─死を克服する道(その1)─

 幸せとは何かを考えるために「『法句経』の説く吉祥」を読みました。
 順番が逆かも知れませんが、不幸とは何かを考えてみましょう。
 釈尊は、私たちの置かれている根源的ありようを「意志とかかわりなく望まぬ状況がもたらされ、しかも、意志によってそれが克服しにくい状況」ととらえ、「苦」と言われました。
 この苦こそが不幸の最たるものです。
 その代表は『四苦八苦』の八つです。

1 生苦(ショウク)…生まれ、生むことに関する苦しみ、ままならなさ。
2 老苦(ロウク)…老いに関する苦しみ、ままならなさ。
3 病苦(ビョウク)…病気に関する苦しみ、ままならなさ。
4 苦(シク)…に関する苦しみ、ままならなさ。
5 愛別離苦(アイベツリク)…愛しいものとの分かれに関する苦しみ、ままならなさ。
6 怨憎会苦(オンゾウエク)…怨み憎むものとの出会いに関する苦しみ、ままならなさ。
7 求不得苦(グフトクク)…求めても得られない苦しみ、ままならなさ。
8 五蘊盛苦(ゴウンジョウク)…生きて、感じ、想うはたらき全般に関する苦しみ、ままならなさ。



 苦を脱するための方法として、釈尊は八つの正しい、聖なる生き方を説かれました。
 それを『八正道(ハッショウドウ)』または『八聖道』といいます。

1 正見(ショウケン)…正しい見解
2 正思(ショウシ)… 正しい思念
3 正語(ショウゴ)… 正しい言語行為
4 正業(ショウゴウ)…正しい身体的行為
5 正命(ショウミョウ)…正しい生業(ナリワイ)
6 正精進(ショウショウジン)…正しい努力
7 正念(ショウネン)…正しい臆念
8 正定(ショウジョウ)…正しい心のおさまり



 つまり、いのちと心のはたらきを正しくして自分を変え、周囲からやってくるものごとによる苦を克服するのです。
 そうすれば、愛する者との別れの苦しみも、誰かを憎まないではいられない苦しみも克服できるはずです。
 老いて社会から遠ざかっても、病気で身体が辛くても、自分は不幸だと嘆かなくなるはずです。
 どうしてこんな自分に生まれたのかと親や運命を呪わなくもなりましょう。

 しかし、最もやっかいな問題はです。
 に神がやってくれば最大の不安が生じます。
 哲学者ハイデッガーは、その不安恐怖の理由を詳しく述べています。

は誰に代わってもらうこともできず、必ず自分で引き受けねばならない。
は100パーセント確実に訪れる。
○死はいつ襲ってくるかわからない。
○死が近づけば他者との交わりが薄れ孤独に近づく。
○死は追い越してその先へ行く可能性を拒否している」



 死がやっかいなのは、人間は生きられる方向へ行動することになっている生きものの一種だからです。
 レミングやバッタの一部やイワシなどが集団で自殺するように見える場合もありますが、それは大量発生に基づく自動修正であり、〈死のう〉として行動する生きものはいません。
 だから人間も常に生きる方向へと行動し、死は〈それに関する知識〉にとどめておきたくなります。
 ハイデッガーは、死を隠蔽し、それに馴れることによってあたかも死が〈無いもの〉であるかのように生きる欺瞞な日常を離れよと説きました。
 何ごとかにかけつつ生きる活き活きした本来の自分自身であれという〈良心の呼び声〉に耳をかたむけよと説きました。

 老いと共にその確実さが実感できる死の不安恐怖からいかにして脱するか?
 それは老いへ向かう人が不幸を克服する究極の方法ではないでしょうか。

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2012
01.23

三十七の菩薩(ボサツ)の実践(第十二回)

 菩薩(ボサツ)になるための実践道。
 第十二回目です。

「何者かが大きな欲望で私の財産を、すべて奪おうとして盗みに入ったとしても、身体と財産と三世(サンゼ)の善の集積のすべてを差し出す、それが菩薩(ボサツ)の実践である」


 菩薩は365日、24時間、常に菩薩であり、菩薩でなく人間修羅餓鬼などになっている時間はありません。
 この教えはそのことの厳しさと難しさを示しています。
 私たちは自分の力で生きていると錯覚しがちですが、その根拠となっているものは財産です。
 だから、財産が奪われることに耐えられません。
 存在の危機だからです。
 しかし、昨年の大震災後に明らかなとおり、私たちは人間や環境との〈関係〉の中で生かされているのであり、存在の最大の危機は関係の消滅です。
 良き関係は良き日々の支えとなり、悪しき関係は悪しき日々をもたらし、関係の希薄化は生き甲斐の希薄化をもたらしかねません。
 菩薩の使命は、相手がどうあろうと良き関係へ導いて相手を救うことであり、そのためにはあらゆるものが道具となります。

 思い出されるのはガンジーです。
 ウィキペディアによると「アジアの思想に共通するという思想からガンディーは自分はヒンドゥー教徒であり、イスラム教徒でもあり、また、原始キリスト教という意味ではキリスト教に賛同するとして宗教グループ間や世界の人々に対話を呼びかけた」彼は、78才の時、ヒンドゥー教原理主義者に暗殺されました。
 銃で三発撃たれた彼は、額に手を当てました。
 それは、イスラム教で相手を許すという仕草です。
 生涯をかけて真理の探究と非暴力による理想社会の実現をめざしていたにもかかわらず、それを真っ向から否定される事態に陥ってなお、〈相手のために〉という姿勢を貫きました。

 チベットにはトクメー・サンポの伝説があります。
 彼の財産を奪った泥棒を呼び止め、こう言いました。
「盗ったものを返せとは言いません。
 盗られたものがあなたへ害を及ぼさないよう祈らせてください」
 そして、逃げ道まで教えたとされています。

 ガンジーの姿勢もトクメー・サンポの姿勢も、凡夫にはただただ嘆息するしかありません。

 さて、この教えには「修行の機会を与えられる」あるいは「試される」という側面もあります。
 いざという場面でどうなのかという問題です。
 私たちは普段、「いざという場面はないだろう」という根拠のない安心感をもって暮らしがちです。
 その究極が、死は自分以外の誰かに訪れるという感覚です。
 1月21日、驚くべき報道がありました。
「東京電力福島第1原発事故で、同原発1~6号機の運転状況を監視する装置の非常用電源が事故時に接続されておらず、国の緊急時対策支援システム(ERSS)にデータを送られない状態だったことが明らかになった。
 正常に接続していれば、事故直後の原子炉の運転データが住民の避難に役立った可能性もあるという。非常時を想定した対応を怠っていた東電の姿勢があらためてクローズアップされた形だ。(福島民友新聞より)」
 非常用電源が必要になる事態はどうせ起こりっこないだろうという安易な姿勢は恐ろしいものです。

 私たちはいつ、死に神にとりつかれても不思議ではなく、いつ、厳しい修行の機会が与えられるか、いつ、思想や覚悟が試されるかわかりません。
 しかも、〈その時〉は人生を大きく左右しかねません。
 ならば、こうありたいという理想のイメージを念じ、ガンジートクメー・サンポなどの故事に魂を震わせる体験を重ねておきたいものです。
 そうすれば、後になって悔やんだり恥じたりしないで済む自信ある生き方ができるのではないでしょうか。
 
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2012
01.22

幸せとは何か ─『法句経』の説く吉祥(その3)─

 この教えは、〈あれば嬉しい〉世間的な生活環境は確かにいを与えようが、それだけでは「を救い、苦しみを克服させはしない」というところから出発しています。
せになって永遠に迷いの世界を離れ、自ら絶対の安寧を得られる」ためにはどう生きればよいか?
 その答として、心構えとふるまいを説かれました。
 後半です。

○身を清め、清浄な修行を実践し、常に賢明な聖者にまみえたいと願い、明らかな智慧のある人に付き従うならば、最もいである。
「斎を持し梵行(ボンギョウ)を修し、常に賢聖を見んと欲し、明智ある者に依附(イフ)す、是(コ)れを最吉祥(サイキチジョウ)と為す」

○徳を得る悟りの道があると信じ、心を正しくして疑いなき確信ヘ向かい、地獄餓鬼畜生から抜け出ようと欲するならば、最もいである。
「道徳有るを信ずるを以(モッ)て、意(ココロ)を正しくして疑い無きに向かい、三悪道(サンアクドウ)を脱)せんと欲す、是(コ)れを最吉祥(サイキチジョウ)と為す」

○わけへだてなき心で布施を行い、諸々の道を得た人々を敬い尊び、又、諸々の天神を敬うならば、最もいである。
「等しき心もて布施(フセ)を行い、諸(モロモロ)の得道(トクドウ)の者に奉り、亦(マ)た諸(モロモロ)の天人(テンニン)を敬う、是(コ)れを最吉祥(サイキチジョウ)と為す」

○常に貪欲と愚かさと憤りの心を離れようと欲し、真理に基づく考え方を習い身に着けるならば、最もいである。
「常に貪欲(トンヨク)と、愚痴と瞋恚(シンイ)の意(ココロ)を離れんと欲し、能(ヨ)く道見(ドウケン)を習い成(ジョウ)ず、是(コ)れを最吉祥(サイキチジョウ)と為す」

○もしも誤った行いを離れ、精進して仏法を生活へ取り入れ、常に仏法に叶った行いに徹するならば、最も幸いである。
「若(モ)し以(モッ)て非務(ヒム)を棄て、能(ヨ)く勤めて道用(ドウユウ)を修し、常に可(ヨ)き事に事(ツカ)う、是(コ)れを最吉祥(サイキチジョウ)と為す」

○天下のために一切を行い、大いなる慈悲心を確立し、思いやりを実践して生きとし生けるものを安寧にするならば、最も幸いである。
「一切、天下の為にし、大慈(ダイジ)の意(ココロ)を建立(ケンリュウ)し、仁(ジン)を修し衆生(シュジョウ)を安(ヤス)んず、是(コ)れを最吉祥(サイキチジョウ)と為す」

○幸いなる福徳を求めたいならば、仏を信じ敬うことである。幸いなる福徳を求めたいならば、まさに真理の教えを学ぶべきである。
「吉祥(キチジョウ)の福を求めんと欲すれば、当(マサ)に仏を信敬(ソンギョウ)すべし。吉祥(キチジョウ)の福を求めんと欲すれば、当(マサ)に法句(ホック)の義を聞くべし」

○幸いなる福徳を求めたいならば、諸々の僧侶を供養することである。戒めを身につけ、清浄に生きる者になるならば、最も幸いである。
「吉祥(キチジョウ)の福を求めんと欲すれば、当(マサ)に衆僧(シュソウ)を供養すべし。戒を具(ソナ)え清浄(ショウジョウ)なる者、是(コ)れを最吉祥(サイキチジョウ)と為す」

○智慧ある者が世間に住み、常に幸いに生きられる行いを習い、自ら智慧ある考え方を究め血肉とするならば、最も幸いである。
「智者は世間に居(オ)りて、常に吉祥(キチジョウ)の行を習い、自ら慧見(エケン)を致(キワ)め成(ジョウ)ず、是(コ)れを最吉祥(サイキチジョウ)と為す」

 ここまで聞いてバラモン教の行者たちは歓喜し。帰依しました。
 神に仕えて神から与えられる幸いを超えた不動の幸いを自分で得る方法がわかったからです。

「梵志(ボンジ)は仏の教えを聞きて、心中大いに歓喜す。即ち前(スス)みて仏の足(ミアシ)を礼し、仏と法と衆とに帰命(キミョウ)す」

 釈尊はすぐに行者たちを導き、信じて修行に入った彼らはたちまちにアラカンの悟りを開きました。
 周囲で教えを聞いた人々もまた、真理を観る目を得ました。
 経典にはしばしば、こうした場面があります。
 他の教えでもの足りなく感じていた行者たちや、真理を求めているまじめな人物が釈尊と会い、帰依して修行すると〈たちまち〉悟りを得るのです。
 それは、乾いた喉にコップ一杯の水がたちまち染みこむ感じがするのと同じです。
 乾きは多くの場合、煩悩(ボンノウ)が満足する対象物を求めて止まない欲求に例えられます。
 しかし、真理を求めて止まない欲求もまた、乾きに似て、まじめに、真剣に求めている者は与えられた教えがすぐに血肉化し、一定の境地を得て生き方が変わります。

 私達は、幸せとは何か?という問いから出発しました。
 幸せとは、誰のものでもなく〈自分の〉幸せだったはずです。
 しかし、教えを学ぶと、いつしか〈自分の〉という縛りから解き放たれていることがわかります。
 釈尊の智慧の光が私たちの心の鏡に映じ、指摘されてみると万人がそのとおりに感じ、思うことが極めて自然であろうと納得できます。
 この納得こそが真理によってもたらされた智慧ではないでしょうか。
 すなおに納得した内容を実践すれば、それは、み仏と同じ思いやりのある考え方となり、言葉となり、行動となります。
 つまり、幸せとは、自分という縛りから離れ、み仏と同じになろうとするところにもたらされるのです。
 しかもそれには条件がありません。
 出家するとしないとにかかわらず、納得し、決心し、行動する万人へ不動の幸せがもたらされます。

 み仏を信じ、教えと導きの力を信じ、互いの仏性(ブッショウ)を信じ、考え方と言葉と行動を、み仏のそれに一致させましょう。
 即身成仏(ソクシンジョウブツ)こそが、幸せを得る方法なのです。
 方法を実践したいならば、信じられる寺院で導きを受けるか、もしくは自分で「この仏様」と具体的にイメージできるみ仏の経典を唱えたり、真言を唱えたりして〈成り切る〉時間をつくりましょう。
 念持仏(ネンジブツ…身近で祈るみ仏)としてお勧めできるのは生まれによって決まっている守本尊様、もしくは「こうなりたい」との願いに応じたみ仏です。
 一歩でも二歩でもみ仏へ近づき、真の幸せを得ましょう。

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2012
01.21

報恩行 ─懐かしい方々への小さな旅─

 かつてお世話になり、出家後に幽明境を分けた方々の菩提を弔うための一日がやってきました。

 まずお訪ねしたのは、父親を亡くされた東京都練馬区のAさんです。
 表通りから横町を少し入った神社の向かい側にあるお宅のたたずまいは昔と変わっていませんが、応対に出た若者は笑顔がなく少しこわばった表情をしており、会った記憶はありません。
 名のると、入れ替わりにAさんが現われました。
「どうしたの?
 まあ、上がんなよ。
 どうしていたかと思っていたよ」
 声はあの当時のままですが、少し眼の縁がくぼみ、髪は白くなり、頬もこけて見えるのは年月のせいでしょう。
 さっきの若者はAさんと三人で旅行したことのある共通の友人Bさんのご子息で、ここに弟子入りしたのだそうです。
 ただし、師匠はAさんでなくAさんのご子息。
 文字通り代替わりしており、もう、あの進取の気迫に満ちた若獅子のようなリーダーAさんの時代ではありません。
 求道者のAさんはゴルフを探求する人になっていました。
 Aさんからお聞きする「あの当時の人々」の転変は、どれもこれも驚くべきものでした。
 突然出家した我が身をふり返れば、そう驚く必要はないのかも知れませんが、何度「えっ!」と言ったことでしょうか。

 師匠と心に定めていたCさん宅のチャイムを鳴らした時、後から「あらあ」と声をかけられました。
 ちょうど、亡きCさんの奥様が買い物から帰られたのです。
 居間は昔のままですが、覇気の塊のようだったご主人は、仏壇の前の遺影で「イヨッ」と手を挙げているだけです。
 お線香を捧げ,お経を唱えてから、亡くなられるまでのご様子をお聞きしました。
 数年前の正月明けに四人組の強盗に襲われ、家族三人は九死に一生を得ました。
 強盗は実に用意周到で、充分に下見をしてから白昼堂々と乗り込みました。
 ガムテープで縛られ動けないでいるうちにすっかり金品を持ち去られました。
 三人とも頭を切られたり殴られたりはしたものの、「とにかく殺されないで良かった」と言われます。
 実際、同じメンバーが、次に襲った宝石店で老婦人を殺害したそうです。
 事情を知っている人が関係しているとしか思えない手口にすっかり気落ちしたCさんは、その年の九月、書類などを机の上へ出しておいたまま、すぐ帰るつもりで検査入院に向かった病院から帰ることができませんでした。
 ものごとの筋道と人情を大切にしたCさんは、今も心の師匠です。

 電車を乗り継ぎ、歩いて探したDさんの表札を見つけた時は、もう薄暗くなっていました。
 すでに十年ほど経っているはずなのに、表札は門柱にはめこまれたままでした。
 お父さんそっくりの娘さんやお孫さんたちもいるにぎやかなお宅。
 夏になるとステテコ姿で市場の前方に陣取り、勝負は鋭いけれどもいつも穏やかで、どこへ行っても慕われていたDさんの人柄が偲ばれます。
 片岡千恵蔵ばりのDさんは、仏壇で釈尊の横に小さく立っておられました。
 ガンを患いかなり痛みが激しいはずなのに、家族の前では一度も痛いとか苦しいとか言うことなく静かに逝かれたそうですが、ある夜、奥さんは、医者をやっている弟へこっそりかけている電話の声を聞きました。
「お前も医者なら、俺の痛みがどうにかできないのか」
 頬がふくよかで切れ長の眼に和やんだ色しか見せたことのないDさんのお人柄が偲ばれ、「さすがお師匠さん」と胸を張りたく、泣けてきました。
 
 神様と称されるほどの目利き人だったEさんは、息子さんが馬で失敗したばかりに失意の裡に旅立たれたと聞きました。
 もはや家も何もなく、ご一家は離散しているそうです。
 誰しもが一目も二目も置いていたEさん、皆が独楽の中心と頼りにしていたEさん、そこに居てくださるだけで場が一つになったEさん、江戸の人だったEさんはいかなる思いで最期を迎えられたのか………。
 電車の窓に映る自分の顔を見ながら、いつの日か必ずお墓を探してお参りしようと決心しました。

 待ちに待った報恩の一日はあっけなく過ぎ、最終電車で帰山しました。
 旅はまだ始まったばかりです。
 いつ、続きが始められるかはわかりません。
 あの方、この方、……。
 どなたもが心の師匠です。
 続けねばなりません。

(この文章は平成17年に書きました。もうネットで読んでいただけない古い綴りの中から行者高橋里佳さんがピックアップしたものを加筆修正の上、再掲しています)

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2012
01.21

原発事故の危険性をないことにしておいた心理 ─「愚かで痛ましい我が祖国へ」について(その2)─

 精神科医久邇晃子(クニアキコ)氏が文藝春秋に書いた一文『愚かで痛ましい我が祖国へ』の締めくくりです。

「日本は呪われているのでしょうか?
 圧倒的な軍事力と経済力でせまって来た西欧帝国主義列強の前で、人種差別と植民地化の恐怖におびえながら必死に富国強兵した私達の先祖。
 存亡の危機を乗り越え、自己嫌悪とその反動の自己礼賛的ナショナリズムの間の極端な振幅を行き来しながら(一時、一種のコロニアルメンタリティーと白人に対する劣等感を内在化させて逆に他の東洋の国々を侵略するという暴挙に出た挙げ句)、やっと平和で安定した国(米国の軍事力に守られているからではありますが)、下手をすると自らを破滅させることになりかねないような綱渡りに乗り出し、硬直化してやめることが出来ない……。
 これは集団自殺願望か?と疑いたくなる。
 愚かで、痛ましい我が祖国。
 美しい日本の野山を見ると、じっと耐えている東北の人々を見ると、涙が止まりません」


 西欧列強の帝国主義へ正面から立ち向かって敗れた日本。
 占領軍による日本の過去を罪悪とする思想統制。
 それでもがむしゃらに頑張り、こうとなればまっすぐ進もうとする勤勉な日本。
 著者の言う「愚かで、痛ましい」は決して高慢心の表れではなく、自分自身を含めた私達日本人全体の健気さに向けられた切ない言葉です。

「どうか原発依存から徐々に脱却し、最終的には脱原発を実現する、という大きな目標に向かって方向転換する舵を切ってください。
 原子力そのものに、そして原子力発電に関わってきた多くの方々には、その労苦と、今まで私たちにもたらしてくれた恩恵に心から感謝したいと思います。
 その上で、危険度が高いもの、止めやすいものからスピード感をもって順に止めて廃炉にしていく(福島第一原発では、五、六号機、また第二原発の廃炉を東電において明言しておられないことには、強い違和感を覚えています……。
 どうか借金を返すために新たな借金をする、ということにならないように、どうか、新しい希望のある方向に大きなシフトをしようとするときに、その足かせたならないように、と祈ります)。」


「何ゆえ今回の震災で、これほど世界中の国々が日本をサポートしてくたのか?
 国際関係が国益のための利害損得の計算で成り立っていることは否定の仕様のない真実だが、しかし、国と国との関係を成り立たせている基盤は、それだけではない。
 人々の感じ方、捉え方が大きなうねりとなって国の行動に影響を及ぼすこともある。
 これは、心の問題である。
 これは、日本の国の哲学の問題と関わってくる。

 日本が、戦争に負けて以来、自尊心の非存在に苦しみながら、なんとか世界の中で名誉ある地位を回復したいと努力してきた、そのために黙々と働き続けてきたこと、そのことを世界の人々、特に非西欧の人々(特に、日本が侵略して傷つけてきた国々以外の非西欧の人々)が、静かに、じっと見続けてきてくれたからだ。
 彼等はみな、苦労しているし、心の痛みを知っているからだ。
 たとえば、ヨーロッパの中でも、東欧の人たちや、ラテンアメリカの人たち、中近東の人たちも。

 今、日本人が窮乏に耐え、必死に歯を食いしばって、自然エネルギーを基盤とした社会を築いていく道に一歩踏み出したら、そしてもしそれに少しづつ成功したら(必ず成功します、特許のことを、日本人の技術者魂と自由な心を見たら。「はやぶさ」が帰還した国ですから)。
 そして、日本の経験知見は、日本にとっての最高の戦力となり、世界にとっての貴重な財産となる。
 このモデルが、他の国々、特に発展途上国にとって参考となり助けとなりうる。
 ひいてはこれが、新興国の経済発展による環境破壊、温暖化ガスの放出を減らせる(新興国が、環境破壊をできるだけせずに経済発展できる)。
 ひいてはこれが、先進国を含めた世界全体にとっての幸せとなるのですから……。」



 敗戦後、占領軍によって皇籍離脱させられた旧宮家に生まれ、父親の転勤で世界各国で暮らし、オックスフォード大学で哲学、東大で医学をも学んだ氏は、日本の置かれた立場と世界の目を知悉しています。
 エネルギー政策の転換の難しさも知っていてなお、困難な道に今、踏み出さねばならないと主張します。

「地震と津波、これは明らかな天災であり、日本にとっての倫理的位置づけははっきりしています。
 しかし原発の問題は、まったく異なります。
 日本の、国としての度量の問題、精神性の問題。
 原発は人がつくるもの。
 つくるかつくらないかは、人間が決定することができる。
 決定するということは、その、子々孫々までにわたる結果に責任が伴う」


 原発の問題は、今を生きる私達が放射能によってやられるかやられないかといったところにとどまりません。
 科学と経済と政治との問題だけではなく、倫理と宗教の問題でもあります。
 その責任の範囲は、空間的には世界中へ及び、時間的には子々孫々を含む政界中でこれから生まれる人々すべてへ及びます。
 問題の本質は原爆に共通しています。
 経済界と政界の都合だけによることなく、国民議論をふまえ、国の方向として決めるべきではないでしょうか。

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2012
01.20

幸せとは何か ─『法句経』の説く吉祥(その2)─

○み仏は、真理を求めるバラモン行者たちにお慈悲をかけ、本当に重要なことを説かれました。
 その第一は、正しい真理を求め、信じることです。
「是(ココ)に於(オ)いて仏は愍傷(ミンショウ)し、為(タメ)に真(マコト)に要(カナメ)有りと説(と)く。
『已(スデ)に正法(ショウボウ)を信楽(シンギョウ)する、是(コ)れを最吉祥(サイキチジョウ)と為す』」

○天界にいる神々からの「棚からぼた餅」を願わず、あちこちの神々へ願いをかけて回る弱い心でなければ、最も幸いである。
「若(モ)し天人(テンジン)より、希望して僥倖(ギョウコウ)を求(めず、亦(マ)た祠(ホコラ)の神を祷(イノ)らずんば、是(コ)れを最吉祥(サイキチジョウ)と為す」

○賢い友人がいて、善い場所に住み、先に立って福徳を積み、身を戒めて、まことある正しいものに従うならば、最も幸いである。
「賢なるを友とし善なる場所を択(エラ)びて居(オ)り、常に先んじて福徳を為し、身(ミムカ)らを勅(イマシ)めて真正(シンセイ)なるに従う、是(コ)れを最吉祥(サイキチジョウ)と為す」

○悪事から離れ、善行に従って励み、酒を避けて節制をわきまえ、異性に溺れなければ、最も幸いである。
「悪を去り善に従い就(ツ)き、酒を避けて自ら節(セッ)するを知り、女色に婬せざる、是(コ)れを最吉祥(サイキチジョウ)と為す」

○教えを積極的に聞き、戒めに従ってふるまい、真理戒律を精進して学び、それをしっかりと身に着けて他と争わないならば、最も幸いである。
「多聞(タモン)にして戒の如くに行い、法と律とを精進して学び、修め已(オワ)りて争う所無し、是(コ)れを最吉祥(サイキチジョウ)と為す」

○家にあっては親孝行をし、家を安定させて家族を養い、無益で利のないふるまいをしなければ、最も幸いである。
「居(オ)りては孝もて父母(ブモ)に事(ツカ)え、家を治めて妻子を養い、空しきの行いを為さざる、是(コ)れを最吉祥(サイキチジョウ)と為す」

○高慢・尊大にならず、足を知って報恩を心がけ、しかるべき時には経典を読誦し習うならば、最も幸いである。
「慢(オゴ)らず自大(ジダイ)ならず、足るを知り反復(ハンプク)を念じ、時を以(モッ)て経を誦習(ショウシュウ)す、是(コ)れを最吉祥(サイキチジョウ)と為す」

○聞き覚えたことは忍耐強く実践し、行者に会おうとし、講説があるおりおりに受講しようとするならば、最も幸いである。
「聞く所は常に忍を以(モッ)てし、楽(ネガ)って沙門(シャモン)を見んと欲し、講毎(ゴト)に輒(スナワ)ち聴受(チョウジュ)す、是(コ)れを最吉祥(サイキチジョウ)と為す」

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2012
01.20

幸せとは何か ─『法句経』の説く吉祥(その1)─

 当山は、皆さんと共に「この世の幸せとあの世の安心」を得たいと願って開山しました。
 では、幸せとは何でしょうか?
 何があれば幸せなのか?
 何がなければ幸せなのか?

 若い方ならば、欲しいものはまず財物や自分に合った職業、あるいは伴侶や子供といったところでしょうか。
 年配の方ならば、まず健康、そして財物でしょうか。
 両方に共通するものとしては家族や友人や生き甲斐ではないでしょうか。

 幸せを邪魔するものとしては、貧乏・病気・争い・孤独・生き甲斐のなさ、などが挙げられそうです。

 では、仏法の説く恵まれた幸せな人生とは何か?
 原始経典ともいわれる『法句経(ホックキョウ)』の最終章「吉祥品(キチジョウボン)第三十九」に学びましょう。

 釈尊がおられた当時インドで盛んだったバラモン教の長老は、弟子たちから質問を受けました。
「私たちは長期間、修行し、学ぶべきことに精通しましたが、いろいろな国の人々によって何がめでたいと喜ばれているのかを知りません。
 この世でめでたいものとは何でしょうか?」
 長老は答えます。
「よくぞ訊ねた。
 いろいろな国には、それぞれにめでたいものがあるとされている。
 ある所では金、あるところでは銀、あるいは、水晶、瑠璃、名月のような真珠、象や馬や車、美女、珊瑚、ホラ貝、歌舞、鳳凰、孔雀、日月、星、貴重な瓶、各種の蓮華。
 弟子たちよ、これらが瑞祥として皆に喜ばれているものであり、これらを目にすることができれば最高なのだ」
 弟子たちはさらに訊ねます。
「もっと特別にめでたく、有益で、死後は天上界へ導くものがあるのではないでしょうか?」
 長老は当惑します。
「代々、これ以上のものがあるとは伝えられていない。
 記録もない」
 そこで弟子たちは相談します。
「釈迦族で修行の結果、悟りを開き、悪魔を降服させ、最高の智慧を獲得した者があると聞いている。
 師匠には及ぶまいが、ためしに訪ねてみよう」
 釈尊のおそばへ行き、礼拝して質問しました。
「いろいろな国で人々の好むものは金や銀などさまざまあります。
 さらにこれらに勝るものはありましょうか?」
 釈尊は答えました。

「お前たちが論じているのは俗世間の事柄だけである。
 それに従えば幸いとなり、逆らえば禍となる。
 しかし、それらは人々の魂を救い、苦しみを克服させはしない。
 私が如来から聞いためでたい真理を実践すれば、幸せになって永遠に迷いの世界を離れ、自ら絶対の安寧を得られる」


 そして、詩の形で真理を説かれました。

〈雪原をキラキラと埋め尽くす小さな星たち〉
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2012
01.19

絆と出会い

 津波に呑まれて流される車たちの中には、ハザードランプを点滅させたり、ワイパーを必死に動かしているものがありました。
 胸をかきむしられるような光景です。
 搭乗者が我夢中で操作しているのだろうと思っていたところ、車屋さんから、意外なお話を聞いて驚きました。

「あれは、車の断末魔なのです。
 電気系統に狂いが生じると、いろいろやります。
 いったん、ああなった車はもう、使いものになりません」。


 塩水で電気系統が破壊された車の電流が勝手に流れて点灯したり、いろいろなところが動いたりするのだそうです。
 車が自分で死のサインを送りながら、はたらきを失ってゆく場面は、あらためて思い出してみると、社内に人がいると想像する時とは別な種類の崩壊を感じます。
 人間やネコなど、いのちあるものからいのちを奪い、車や家など、はたらきのあるものからはたらきを奪う力。
 その力がもたらした〈〉の荒涼さ。

 河北新報の昆野記者は、大震災直後に南三陸町へ入り、戸板に乗せられた子供の死体のそばから人々が離れて行く現場を目にしました。
河北新報のいちばん長い日』は書きます。

「ここには子どもの冷たい亡骸を包む毛布もなければ、駆けつけるはずの警察、消防もいない。
 施された処置は、遺体が人目につかないよう板で隠すことだけだ。
 そもそも避難所さえ定か得でない今、遺体の搬送先があるとは思えない。
 それがわかっているから、誰もその場にとどまらなかったのだ。
 目の前の子どもの遺体回収の手段を探すよりも、生存者救助を優先せなばならない現実に慄然とした」


 しかし、彼はそれを記事にできませんでした。
 一ヶ月後、彼はアンケートに答えています。

「あまりにも『命』が軽くなった現場に、不覚にも現実感が持てなかったというのが正直なところかも知れません」


 見て、写し、書くプロにさえ、何もさせなくするほどの非現実性。

 有を言わせぬあまりにも圧倒的な状況は、人やモノとの関係性の中でこそ自分であり得る私たちから、肝腎な関係性を奪い去りました。
 しかし、生き残った私たちは、生きていることによって関係性を復活させつつあります。
 平成23年を象徴する言葉はでなければならなかった意味が、今さらながらに悲しいほど胸へ迫ってきます。
 平成24年は「出会い」の年です。
 新しいも結び直されたもよき関係性をつくるよう祈ってやみません。

〈行く先は?〉
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2012
01.19

鳥居の力

 最近、ゴミの不法投棄に困り果てた某地方自治体が、苦肉の策として特に酷い場所の近くへ赤い鳥居を建て、こんな文章を掲げました。
ゴミを捨てるあなたにバチが当たりませんように」
 これまで、「禁止!」とか「罰せられますよ」とか、表示方法にさんざん工夫を重ねても効果がなかったそうですが、今度はご利益がありました。
 まさに、霊験あらたかです。

 法話で紹介したところ、Tさんは言われました。
コンビニなどのトイレに『きれいに使ってくれてありがとう』と表示してあるのも、そうですね」
 Kさんも言われます。
「私たちの町内ではゴミ置き場を交代で管理清掃することになっていて、誰がやったかをノートへ記帳します。
 コメントの欄もあるので、私は『雪かきご協力ありがとうございました』などと書きます」

 いずれにしても、悪しき行為を直接抑えようとするのではなく、良きことを思うことによって悪しきことが自然にできなくなるという〈人間性を信じるやり方〉です。
 これが密教の「表徳(ヒョウトク)法」です。
 迷いの黒雲へ立ち向かって刃をふるうのではなく、み仏と一体になることによって人間に本来備わっているすばらしい徳を積極的に発揮し、結果として迷いを晴らします。
「バチが当たらないように願うこと」
「トイレをきれいに使うこと」「協力へ感謝すること」
 こうした徳をもって行く先を照らす明かりとし、運勢を明るい方向へと動かしたいものです。

(この文章は平成17年に書きました。もうネットで読んでいただけない古い綴りの中から行者高橋里佳さんがピックアップしたものを加筆修正の上、再掲しています)

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2012
01.18

中年から老年へ ─この先を生きるヒント─

 中年の方にとって「この先を生きるヒントはないか」との問題を提起されました。
 どうも長生きしそうだ、年金はあまりあてにならないかも知れない、リタイヤした後にやるべきことはあるのだろうか。
 皆さん、〈この先〉があまりにぼんやりとしか見えないようです。
 そこで、いくつかのポイントを考えましたが、勇気を出していただくために、とりあえず、自分が老いと共に〈獲得したもの〉のみをいくつか挙げてみます。
 50才から67才になるまで生きてきて、どうだったか?

1 こらえられ、変化できた。

 一軒一軒と軒並み歩く托鉢はなかなか手強いものです。
 プライドなど、紙切れ一枚ほどの重みもありません。
 修行を続け、レベルアップさせたものは、ゴルフのスイングにたとえるなら〈軸〉であると言えそうです。
 プロゴルファーの卓越した能力は、身体の回転力と軸の確かさに支えられています。
 モノを斬るのでなく、気迫をコントロールする隠形流(オンギョウリュウ)居合もまた、振るう剣をいかに止めるかが、いのちです。
 こらえる力は、こらえることによって一つの段階を乗り越えさせます。
 つまり、土台に乗った本当の成長をもたらします。
 こらえられる限り人は成長できるのかも知れません。

2 開き直れ、思い切って生き直す覚悟ができた。

 ここまで、やるだけやってきた、そして結果が出た、ならば、別の方法でやってみるのは当然です。
 自分のため、自分を中心とした同心円にかかわる世界のために図り、実行してみましたが、浅知恵で破滅し、もう、それまでのやり方は〈結構です〉となれば、開き直るしかありません。
 まず、他のためになる。
 これは、その日暮らしであり、頼りないことこの上ありません。
 しかし、まず、他のためになれば、見返りがなくとも、そのこと自体で救われており、さらにお礼の言葉やお布施をいただいたりするなど、何かありがたいことが起こります。
 み仏からご褒美をいただけます。
 ご褒美は、〈捨てた〉先に待っていました。
 俳優の山崎努氏は常に新らしい演技法を探求していたそうですが、何となく想像できます。

3 窮地を知り、破綻を知り、破滅を眼にして驚かず、どんな現場でもたじろがなくなった。

 50年も生きて喜怒哀楽をくり返せば、何ごとであれ、たいがいのことは〈あり得る〉から起こったと無意識で受けとめられます。
 もしも、本当にあり得ない光景を眼にすれば、正常な感覚を保てないのではないでしょうか。
 血痕の飛び散った部屋、足元から這い登る異形のものたち、暴力の現場、護摩の火へ突き落とそうとする怪力などを相手に修法していられるのは、きっと崩壊の体験があるからでしょう。
 東日本大震災で甚大な被害を受けた地域では確かに「あり得ない光景」と形容したくなりましたが、生の気配がない現場で膝が頽れず、祈られたのはやはり、〈無〉の体験に関係があるようです。

4 確かなへの助走を実感でき、観るべきものが観えるように思える。

 周囲に生じるの縁などが自分のを実感させるようになり、「末期の眼」は身近なものとなりました。
 眼といっても、景色の見え方の問題だけではありません。
 つまらぬベールに邪魔されない魂のふれ合いがいつでもどこでも可能になり、新たな人間関係がたちまち〈旧知〉の関係になったりします。
 義理人情を捨てはしないのに、義理人情に絡まる相手と絡まらない相手との区別がない接し方は、人間関係をシンプルにし、心に嘘がなく人と接することができるようになります。
 これらは、の意識と関係がありそうです。

 以上、思いつくままです。
 この際、〈失ったもの〉は書きませんでしたが、いずれ又……。

〈遙かな、あまりに遙かな方〉
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2012
01.17

安骨供養(遺骨預かり)という弔い方について

 東日本大震災以来、人生相談遺骨預かりが増えました。
 徐々に遺骨を引き取りに来られる方々がでてきた一方、震災に関係のない成り行きで「当面、預かって欲しい」という方も相変わらずご来山されます。
 当山では、以前から1年間1万円でお預かりしていますが、だんだんに長くなる方が増え、もはや〈一時預かり〉の域を超えつつあります。
 遺骨預かりを縁として寺子屋などへ足を運び、仏法を学ぶ方々もでてきました。
 こうした状況から、当山では認識を新たにし、墓地へ納めるのと同じく「安骨(アンコツ)供養(遺骨預かり)」を一つの弔い方として長期お預かりのための『法楽堂』を造っています。

 たとえば、三回忌や七回忌まで預かっておき、転勤などの可能性がなくなれば、どこかにお墓を造る。
 あるいは、三十三回忌まで預かりにしておいてお骨の前でお詣りし、あとは共同墓『法楽の礎』や無縁墓『五輪之塔』へ合祀する。
 安骨料(預かり料)は毎年1万円づつのお支払いでも、まとめてのお支払いでも構いません。
 また、「一周忌の供養会をしたいけれども集まれない」などの場合は、年忌供養料をお納めいただければ、修法します。
 実際、遺骨をお預けになっておられる方々からの「行けないので供養し、お塔婆を立てておいて欲しい」などのご依頼が増えています。

 安骨供養の『法楽堂』は本堂に隣接し、いつでもお骨のそばでお詣りいただけます。
 数人なら『法楽堂』で供養の修法を行うことも可能です。
 み仏のご加護は相手を選びません。
 お困りの方はどうぞご遠慮なくご相談ください。

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2012
01.17

地位や財物をどう観るか ─『四十二章経』第四十二章─

 このページは、機関誌『法楽』作りに参加された皆さんと一緒に、中国へ伝わった最初の仏教経典とされている『四十二章経』を学ぶ過程を綴っています。
 毎回、一章づつ、三年半かけて学び、つに最終回へ到達しました。
 四十二ヶ月、寒い冬も暑い夏も震災後も、一ヶ月に一度、善男善女が自発的に集まり、機関誌作りに精を出し、同時に学ばれました。
 このボランティア活動は、『四十二章経』を学び始める前から続いており、これからもきっと続けてくださることでしょう。
 そして、中国へ最初に伝わった経典とされる『四十二章経』は、当山で口伝を受けた方々だけでなく、きっと、たくさんの方々の心の糧となることでしょう。

 最終回の勉強は「観方」でした。

「仏の言(ノタマ)わく、
『吾(ワレ)諸侯(ショコウ)の位を視(ミ)ること、過客(カカク)の如(ゴト)く、金玉(コンギョク)の宝を視(ミ)ること、礫石(チャクシャク)の如(ゴト)く、氎素(ジョウソ)の好(コノ)ましきを視(ミ)ること、弊帛(ヘイビャ)の如(ゴト)し』」


 釈尊は説かれました。
「私の目から観れば、君主たちの位は旅人のありようと変わらない。
 金や玉石などの宝物も砂利のありようと変わらない。
 白絹でできた美しい衣装もまた、破れた絹の布のありようと変わらない」

 地位や財物や衣装などはどうでもよいというのではありません。
 そうしたものたちと人間性は関係がなく、釈尊は凡夫と違って、常に、何ものにも智慧の眼を曇らされることなく人間性そのものを観ておられるのです。
 私たちも又、誰かと接する際にも、自分をふり返る際にも、夾雑物を除いてきちんと観たいものですが、なかなかそうはゆきません。
 権勢を誇る人には「汚い人だ」と判断してもへつらい、社会的力のあまりない人には「立派な人だ」と判断しても近づかなかったりします。
 これでは、他人を利用し、自分を甘やかしかねません。

 昭和42年、作家伊藤整は「魅力ある顔」というエッセイを書きました。
 その中に、年配のご婦人から聞いた話があります。
 汽車旅行をしていたご婦人は、たまたま前の席に座っていた少女に何とも言えない魅力を感じて話しかけてみたところ、「実に頭もよい人であったので、その婦人は感動しました」。
 住所氏名まで書きとめてから、少女の足が悪いことに気づきました。
 ちょうどその頃、ある青年のお嫁さんを探していたので紹介してみたらうまく行き、二人は仲良く暮らすようになったといいます。
 太宰治にも似たような題材の小説があることを紹介し、「太宰治という作家と、私が話を聞いたその婦人が、不具の少女の顔に見出したところの『よさ』とは何でしょうか?」と問い、続けて答を披瀝しました。

「私はそれを、人生を底部から理解している人間の持つ表情の輝きだ、と言いたいのです」


「健全な身体を持つ少女は、そこを当然の立脚点として、もっと美しい容貌になりたいとか、もっと似合う着物を着たいとか、よいお婿さんと結婚したい、という、より以上の幸福への欲望を持っていますが、自分の存在の根本のことを忘れているのが常です。
 自分が何か、ということが分かっていないのです。
 それが悪いというのではありません。
 そういう希望と願いによって、人はより快適な生活を手に入れるのです。
 しかし、われわれの人生を作っているのものは、その前へ進む願いだけではありません。
 どのような根本条件によって我々の人生が作られているか、ということが分かったとき、人間は自分の存在を理解するのです。
 もしも不具の少女が、不具であることによって自棄的にならず、絶望に身をほろぼすこともなく、自分と他人の存在の仕方の違いを見て、人間のあり方を理解するだけの精神力を持っていれば、そのとき少女は、普通、人間が、それと気づかずに持っている生活の意味を根本から理解します。
 そしてもし、さらにその少女が心さとい人間であるならば、不具が必ずしも不幸でなく、それは狂気や頽廃よりも幸福であることが分かります。
 さらに自分が生きて、存在しており、青空と白い雲とを見、鳥と虫とを聞くことの幸福も理解するでしょう。
 そういう少女の顔こそ、太宰治が見たところの『生きた顔』であり、私に語った其婦人が見たところの『魅力ある顔』であったにちがいないのです」


 人生相談にご来山される方々の中に、こうした『生きた顔』や『魅力ある顔』を見つける場合があります。
 それは、東日本大震災で被災した方であることもしばしばであり、神々しささえ感じさせられます。
 お身内を失われた方の言葉と共にその眼から涙があふれ、その眼に希望の光が宿ると、自分の口からdりょうとしている言葉などは風船のごときものでしかなくなります。
 今回の教えを念じ、地位や財産や衣服を空(クウ)にして人を観、『生きた顔』や『魅力ある顔』を見落とさずに生きて行きたいものです。

〈先に歩いたのは誰?〉
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2012
01.16

当り前と肝心要 ─俳優渡辺謙氏の意地─

 人生相談をお受けしていると、最近は、ため息混じりのこんな言葉を聞くことが多くなりました。
「どうしてこういう世の中になったんでしょうかねえ………」
 何も昔は良かったなあといったお年寄りの懐古趣味ばかりではありません。
「どうして人は、これまで考えることすらできなかったような酷い事をするようになったのか?」
「このままで行けば日本はどうなるのか?」
という、至極もっともでまじめな心配なのです。

 誰しもが善悪・吉凶・慶弔こもごもの中で喜怒哀楽し、たとえ苦しいことや悲しいことがあっても、〈浮き世憂き世)のできごと〉としてどこかで諦め、あるいは小さく納得しながら生きるのは、いつの世も似たものなのでしょう。
 ご近所同士はもちろん、袖触れあった同士が「おかげさま」と感謝しつつ生きる気配が日本にはあったはずです。
 しかし、今は、あまりに人がバラバラになり、自分勝手になってきたのではないでしょうか。
 皆さんが憂いて口にされる「こういう世の中」とは、当り前でなくなった世の中であり、数知れぬご先祖様方の生き死にの歴史の中で磨かれ練られ伝えられてきた生活の色合である「日本人共通の当り前」が音を立てて崩れ始めている感覚があります。

 釈尊は、
「この世から争いの元である恨みをなくすには、まず、自分自身の心から恨みをとり除くべし」
と説かれました。
 それと同じく、失われつつある「当り前」が大切ならば、み仏に仕える身としては、まず、自分と当山がそれをとり戻すことを法務の土台にしなければならないと考えています。
 そもそも、お寺は、壇信徒にとってもご近所の方々にとっても、もちろん、子供たちにとっても日々の生活に溶けこんだ身近な存在でした。
 お寺は、高額なお布施の支払いという悩みを与えられる場所ではなく、悩みごとや家を建てる時期や孫の名前などの相談に行き、安心を得られる場所でした。
 僧侶は、誰かが亡くなった時に送り迎え付きでお経を唱え、帰りに酒を飲むだけの人ではなく、必要な時に必要な教えを説き、修行によって会得した法力で壇信徒の皆さんと一緒になって災厄へ立ち向かい、一人一人の希望の実現に力を尽くす人でした。
 僧侶は、利の追求に聡く人もうらやむ贅沢な暮らしをする人ではなく、修行と勉学を専らにして身を慎み、質素に暮らす人でした。
 こう書いてみると、そもそも、これは事実として「日本の寺院と僧侶の当り前」だったかどうかはかなり怪しく、「自分が夢見る当り前」に過ぎないという感もありますが、きっと「ご縁の方々にとっての当り前」に重なっているに違いないという確信はあります。

 俳優渡辺謙氏は、平成15年、アメリカ・ニュージーランド・日本合作映画の『ラストサムライ』で武士・勝元を演じ、ゴールデングローブ賞助演男優賞とアカデミー賞助演男優賞にノミネートされました。
 クライマックス近くで、勝元が明治天皇へ刀を返還する場面があります。
 エドワード・ズウィック監督は、天皇の目を見て刀を返すように指示しましたが、氏は即座に否定し、何度も激論を戦わせ、最後は目を見る場面と見ない場面を両方撮って比較することになりました。
 しかし、氏は2回とも目を合わせません。
「天皇に目を合わせる演出を受け入れては、日本の精神や伝統が失われてしまう」(1月15日付産経新聞より)と考えたからです。
 ついに監督は言ったそうです。
「謙、悪かったな。勝元が天皇に何を伝えようとしていたか、お前が言っていた意味がよく分かった」(1月15日付産経新聞より)。

 肝心要の動かせない部分は、やはり、動かしてはなりません。
 扇の要が壊れれば、扇は扇としての存在を失います。
 私たちにとっての「当たり前」はきっと、そこに通じているのでしょう。
 だから、渡辺謙氏は意志を曲げませんでした。
 これからも、私と当山は、み仏から、教えから、そしてご縁の皆さん方から「当たり前」を学ばねばなりません。
 どうぞ「当り前」を教えてください。
 まじめな心配をしておられる方々の不安を少しでも解消し、結果として世の中の軌道を少しでも修正するために、当り前をめざして生き、当り前の寺院と当り前の後継者を残して死にたいと考えています。

(この文章は平成17年に書きました。もうネットで読んでいただけない古い綴りの中から行者高橋里佳さんがピックアップしたものを加筆修正の上、再掲しています)

〈写真は240096view004をお借りして加工しました〉
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2012
01.15

生のあかし

 出張の機会に作家Tさんからお誘いを受け、久方ぶりに小さなお店へつれて行っていただきました。
 6人掛けのカウンタ-と突き当たりの小上がりだけという空間を、和服姿のママさんが一人できりもりしておられます。
 満席でしたが、「俺たち、もう帰るところだったから」と4人のお客さんが席を立ってくれました。
 ママさんが会計をしているうちに、皆さんそれぞれが自分の使った食器や調味料などを、カウンタ-と調理場を仕切ってちょっと高くなっている台へ乗せ、たちまち後片付けが済みました。
 それがあまりに自然で、ああここの仕来たりなんだと気持がふんわりしました。

 椅子に座った正面に「新潟の出身なので」新潟県の清酒が一升瓶で並んでいます。
 たった二本の例外は、「お店の名前と同じのを見つけたよ」とお客さんから差し入れられた『笑福』と、何と嬉しいことに『雪の松島』です(ここは千葉県!)。
 手書きの「今日のお奨め」には、タコの唐揚げや、ホッケの焼き物や、タラの芽の天ぷらなど数品が並び、故郷へ帰った時のような安心感が広がってきました。
 
 Tさんが、水で割った焼酎のグラスを口にはこびながら「タコが真っ赤な酢蛸から唐揚げになっただけで、40年前と何にも変わらないな」と、ニヤッとしました。
 ウンと首肯したら、彼はもう一度「何も変わらんのだよ」と言いました。
 毒々しいほど紅い酢蛸を並んで食べたのは遠い仙台、そして40年という時間の経過―――。
 二人とも病気を話題にして「歳だなあ」と口から漏れ、孫もいるお爺さんそのものですが、別に変わってはいません。
 二度目の「何も変わらんのだよ」は、魂が変わっていないというだけでなく、もっと根源的な変わらぬものをも含んでいたのでしょう。
 言葉に続いた数秒の無言の間中、宇宙に漂っているようでした。

 薄い桃色と空色の小紋を着た50がらみのママさんは、うるさく会話に割って入ることもなく、そうかといって放っておくわけでもなく、実に見事にお客さんの相手をしながらテキパキと仕事をこなしています。
 そのうちに、カウンターに3つの空きがでました。
 すうっと出てきたママさんは、箸をそろえて置くなどして滑らかに席を整えてからトイレへ入りました。
 タスキがけの後姿を見て〝ああ、人は健気なものだなあ〟と無性に〈人間〉が愛おしくなりました。
 商売だから当たり前の行動ですが、いつ来るか判らないお客さんのために黙々と準備をする姿は、生(ナマ)の人間そのものでした。
 そうこうしているうちに、小上がりでカラオケを唄っていた若いグループの一人が、トイレの帰りに後から二三度、肩を揉んでくれました。
 私は前を向いたまま、軽くお礼の会釈をしただけです。
 男性であることが判っただけで、顔を見ることもなく言葉を交わすこともありませんでした。

 生(ナマ)の人々と一緒にいた時間はあっという間に過ぎ、Tさんと二人で、さっきくぐった暖簾を反対にくぐりました。
 たまにしか来ないTさんも初めての私も、後片付けという大事な作法を忘れて帰ったことに気づいたのは翌朝でした。

 これを書いていて、お大師様の言葉が思い出されました。
「始めあり終りあるは物の常なり。有(ウ)を去って空(クウ)に入るは我が師の垂迹(スイジャク)なり」
(物の世界は転変して始めも終りもあるものだが、み仏はその一枚奥の空に入れと諭された)

(この文章は平成17年に書きました。もうネットで読んでいただけない古い綴りの中から行者高橋里佳さんがピックアップしたものを加筆修正の上、再掲しています)

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「おん あみりたていせい から うん」※今日の守本尊阿弥陀如来様の真言です。
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2012
01.15

宿命・運命・運勢 ─高倉健の宝物─

 寺子屋『法楽館』において「今年の運勢と生き方」のお話をしました

1 まず、宿命運命運勢についてお話しました。
 宿命は命に宿るもので、人間として生まれた以上、避け得ない人生の要素です。
 一つには、「四苦八苦」です。

 生苦(ショウク)…生まれ、生むことに関する苦、ままならなさ。
 老苦(ロウク)…老いに関する苦、ままならなさ。
 病苦(ビョウク)…病気に関する苦、ままならなさ。
 死苦(シク)…死に関する苦、ままならなさ。
 愛別離苦(アイベツリク)…愛しいものとの分かれに関する苦、ままならなさ。
 怨憎会苦(オンゾウエク)…怨み憎むものとの出会いに関する苦、ままならなさ。
 求不得苦(グフトクク)…求めても得られない苦、ままならなさ。
 五蘊盛苦(ゴウンジョウク)…生きて、感じ、想うはたらき全般に関する苦、ままならなさ。


 これは、生まれて死ぬまでの間に誰しもが体験します。
 避けて通れない心の関所です。
 人生の旅では関所があちこちに待ち受けています。
 そこで自分が試され、鍛えられ、先をめざす脚は強くたくましくなります。

 もう一つには、過去世の因縁です。
 この世に〈自分〉という特定の存在として生まれて来た原因は生まれる前にしかありません。
 胎内では魚のようになったり両生類のようになったりと、生命進化の全過程を経るとされており、人間の脳にはサルやワニらしさなど、すべての生きもの的な要素がつきまとっています。
 仏法では、〈自分〉と意識する心の下のさらに下のアラヤ識という心へ過去の因縁のすべてが蓄えられていると考えます。
 これは命に宿るものとして〈自分〉と共にあり、動かせません。
 この世で生きた軌跡はすべて〈自分〉と意識する心の下のマナ識に蓄えられており、死と共にアラヤ識へ溶け込み、来世のありようを規定します。
 この世でいかに生きたかという歴史は来世の生まれようを決めるのです。

2 運命はいのちと心の運び方、運ばれようであり、生きている限り日々創られ続け、アラヤ識やマナ識の影響を受けながらも、自由意志がその方向性に深く関わります。
 一卵性双生児が別々の運命を創りながら生きるのは、肉体が締める空間を誰か別の人と共有できないからだけでなく、〈自分〉が別々であり、意志が別々だからです。
 ただし、方向性は、急停車したバイクが正反対の方向へ走り出すように、急には変えられません。
 氷山を見つけながらも進路を変えきれなかったタイタニック号と同じように、ゆっくりしか変えられないと考えねばなりません。
 たとえば、娑婆での失敗に懲り懲りして生き直そうと出家得度しても、心のはたらきが簡単に変わりはしないのと同じです。
 覚悟によって運命の方向性をこれまでとは異なる方向へ定めたならば、あとはいかにして心といのちをその方向へ合わせるか、努力し、生きてみるしかありません。

 ただし、自由意志がすべてではなく、社会的な業(ゴウ)や、天命という大きな網もあり、天変地異などの避け得ない事態も運命に強く関わります。
 ここが人生を喜劇にし、悲劇にもする厳粛な要素で、人間の限界を教えもします。
 そもそも人間自体が自然の一部であり、地球から見た人間は、人間の目から見たアリほどの存在でもありません。

 高倉健氏は1月14日付の産経新聞で、一枚の写真を示しています。
 被災した気仙沼市で残骸の中を歩く少年の写真を新聞から切り抜き、撮影が終わった新作映画『あなたへ』の撮影中、ずっと持ち歩いていたのです。

「宝物です。
 人生は切ない。
 切ないからこそ、何かに『うわっ』と感じる瞬間がある」
「被災地には行きにくい。
 行ってはいないけど、ずっと思っています」


 氏へ切ないと思わせたもの。
 氏へ『うわっ』と感じさせたもの。
 氏へずっと思わせているもの。
 それが運命の過酷さに耐え、黙々と新たな運命を創ろうとする少年のひたむきさではないでしょうか。

3 運勢はいのちと心の勢いの運ばれ方であり、生の傾向です。
 春夏秋冬が廻るように、自然の一部である人間のありようもリズムをもって変化します。
 それはあくまでも傾向であって、厄年に凶事が起こるとは限らないし、運気の強い時期に亡くなるかも知れません。
 しかし、運勢を知っておくことは四つの面で役立ちます。
 一つには、行く先の路面状態を知っていれば安全な運転ができるのと同じように、この先では雨が降るかも知れないと思えば傘を用意し、雨に濡れないで済むようなものです。
 二つには、雨が降りそうだと思っていれば、雨が降ってきた時に、あまり慌てず、心にゆとりを持って対応できます。
 三つには、良きことが起こっても、悪しきことが起こっても、対応する心構えができていれば、良きことに舞い上がらず、悪しきことに挫けず人生を歩めます。
 途中でAさんが言われました。

「吉の要素が多くなりそうな年も、凶の要素が多くなりそうな年も、菩薩(ボサツ)になろうと心がけていれば安心なのですね」


 四つには、九年かけて廻る運勢の変化全体を観れば、私たちが人生で体験することごとのありようが大まかにつかめます。
 いつも追い風でなく、いつも向かい風でもないことを考え、それぞれに人の道をもって対応することを考えつつ生きることには少なからぬ意味があります。

 途中でBさんが言われました。

運勢はさまざまでも、今回の津波のようなできごとは、それとは別な天命といった力を感じさせます」


 確かに、運気の弱い時期の方々が多く被害を受け、運気の強い時期の方々が多く助かったということはないかも知れません。
 天変地異には〈傾向〉を押しつぶす異次元の力があります。
 しかし、それでもなお、「この先、どうすれば良いのか……」と立ちすくむ時、自分を動かすリズムの傾向とその対処法は、どこかへ向かうきっかけを与えてくれるかも知れません。
 たとえば、「八方塞がりの年回りだから、天を見上げ、目線を上げるようにしよう。ものの見方がおかしくなってはいないかな」と考えてみるのです。
 新しい年の初めに、宿命、運命、運勢を考え、運気のパターンや人生の諸相を考え、人の道を考えてみたいものです。

〈3月14日に気仙沼市で撮影された高倉健氏の「宝物」です。私も宝物にします〉
20120115高倉健の宝物



 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
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「おん あみりたていせい から うん」※今日の守本尊阿弥陀如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。



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