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2012
04.30

5月の行事予定

20120430005.jpg

 5月の行事予定です。
 この世の幸せとあの世の安心のため、み仏と祖霊のおわす聖地へおでかけください。

[第一例祭 2012/5/6(日)午前10:00~午前11:00
 護摩法を行い、『法楽の会』会員さんの願いを込めた護摩木や、各種祈願をかけた善男善女の護摩木を焚きます。
 太鼓に合わせて観音経3巻もお唱えします。
 参加は自由です。
 護摩の火に身を近づけ、悪しきものは焼き払い、善き願いへ大きなご加護を受けてください。
 護摩木供養は1体300円です。
 ご自由に願いをかけてください。
・送迎申込  午後1時30分に地下鉄泉中央駅近くの『イズミティ21』前へお迎えの車がまいります。乗車希望の方は前日午後5時までにご連絡下さい。

書道写経教室 2012/5/6(日)午後2:00~午後3:30
・場  所  大師山法楽
・指  導  高橋香温(温子)先生
・ご志納金 1000円(未成年者500円)
 基本からお稽古を行っています。
 今月から写経のお稽古も
 イス席もありますので、お気軽にご参加ください。
(毎月第一日曜日午後2時から開催します)

[法話と対話「生活と仏法について」第十六回] 2012/5/9(水)午前10:00~12:00
 釈尊の思いが凝縮されている『法句経』と、江戸時代まで寺子屋で用いられていた『実語教童子教』とをテキストとし、合わせておりおりの出来事なども題材にした法話です。
 質疑応答も行います。
 会員制ではなく、その都度、まったく自由にご参加いただけます。
 どうぞ、ふるってご参加ください。
・場  所  仙台市旭ヶ丘仙台青年文化センター
・ご志納金 1000円(未成年者500円)

寺子屋法楽館』第二十七回] 2012/5/12(土)午後2:00~午後3:30
 4月4日から名取市文化会館に展示された作品の数々には皆、過酷な状況をじっと耐えてこられた先生の心の物語があります。
 大きな作品を前にして、一点ごとに先生の思いを聴かせていただきます。
 また、当山など書道教室へ通う生徒さんたちの作品もご紹介します。
 この機会に先生の支えとなった書が持つ力に触れ、皆さんも自分にとっての支えを考えるきっかけにしていただければありがたいことです。

・場  所  当山講堂
・ご志納金   1000円(中学生以下500円・被災された方は無料です)
・送  迎  地下鉄泉中央駅近くの『イズミティ21』前より(乗車希望の方は前日午後5時までにお申し込みください)
 
[第二例祭 2012/4/21(土)午後2:00~午後3:00
 護摩法を行い、『法楽の会』会員さんの願いを込めた護摩木や、各種祈願をかけた善男善女の護摩木を焚きます。
 太鼓に合わせて般若心経3巻もお唱えします。
 参加は自由です。
 護摩の火に身を近づけ、悪しきものは焼き払い、善き願いへ大きなご加護を受けてください。
 護摩木供養は1体300円です。
 ご自由に願いをかけてください。

[法話と対話「生活と仏法について」第十七回] 2012/5/23(水)午前10:00~12:00
 釈尊の思いが凝縮されている『法句経』と、江戸時代まで寺子屋で用いられていた『実語教童子教』とをテキストとし、合わせておりおりの出来事なども題材にした法話です。
 質疑応答も行います。
 会員制ではなく、その都度、まったく自由にご参加いただけます。
 どうぞ、ふるってご参加ください。
・場  所  仙台市旭ヶ丘仙台青年文化センター
・ご志納金 1000円(未成年者500円)

[お焚きあげ] 2012/5/26(土)午前10:00
 お不動様のご縁日に、開運不動前にて「供養会」及び「お焚きあげ」を行います。
 人形や仏壇や写真など、燃えるものも、燃えないものも大丈夫です。
 一緒にお不動様のお経を読み、真言を唱えましょう。
※お焚きあげをご希望の方は、必ず電話などで日時を連絡の上、お品をご持参、あるいはお送りください。
 当日とは限らず、いつでも結構です。

[機関誌『法楽』作り] 2012/5/28(月)午前9:00~
 講堂にて、機関誌『法楽』を作ります。ご協力をお願いします。
実語教童子教』も共に学びましょう。

隠形流(オンギョウリュウ)居合道場]
 第一週の土曜日 午後6:00~8:00 法楽寺にて 
 第二週以降毎週金曜日 午後7:00~9:00 旭ヶ丘青年文化センターにて
 九字を切り、守本尊様のご加護をいただく密教独自の剣法です。
 女性や高齢者の方々が多く、厳しいながらも和気藹々と稽古しています。
 入門ご希望の方は、事前に連絡の上、見学してください。
--------------------------------------------------------------------------------

※上記諸行事の日程は、ご葬儀などにより予定変更になる場合があります。



 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「のうまく さんまんだ ぼだなん あびらうんけん」※今日の守本尊大日如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。





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2012
04.30

5月の真言

20120429002 (2)

 5月守本尊様をご供養しお守りいただきたい時、願いを成就させたいと念じる時、つらい時、悲しい時、淋しい時、あるいは感謝したい時は、合掌して普賢菩薩様の真言(真実世界の言葉)を唱えましょう。
 たとえ一日一回の行でも、信じて行なえば、ご本尊様へ必ず思いが届きます。
 続けて行う回数は任意ですが、基本は1・3・7・21・108・1080回となっています。

普賢菩薩(フゲンボサツ)

「おん さんまや さとばん」

今月の真言をお聞きになるにはこちらをクリックしてください。音声が流れます

※お聞き頂くには 音楽再生ソフト が必要です。お持ちでない方は、
 こちらから無料でWindows Media Player がダウンロードできます。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「のうまく さんまんだ ぼだなん あびらうんけん」※今日の守本尊大日如来様の真言です。
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2012
04.30

5月の守本尊様

 5月は、立夏と小満(ショウマン)の皐月(5月5日より5月4日まで)です。
 5月は巳(ミ)の月なので、守本尊普賢菩薩(フゲンボサツ)様です。

21080819 010

 普賢菩薩様は、『諸善解脱三昧智力(ショゼンゲダツサンマイチリキ)』という、苦を解決し心の平穏を保つ智慧をつかさどるみ仏です。
 煩悩(ボンノウ)は、自分を迷わせ、他から邪魔される魔ものを呼び、いざ何かをしようとする時に、思わぬ妨げとなります。
 正しい方法によって煩悩菩薩大欲(タイヨク)へ転換させて自分を清め、周囲をも清め、魔を祓いましょう。

 また、普賢菩薩様は、辰己年生まれの善男善女を一生お守りくださる守本尊でもあり、身体においては、主として腕や手をお守りくださいます。
 ご供養し、ご守護いただき、心豊かで無事安全に過ごしましょう。

 写真は、永代供養を行ってご加護を受けるため、当山の講堂へ納められた普賢菩薩様です。
 総丈は約35㎝あり、日本で唯一、護摩を焚いてできた灰が体内へ納められたご本尊様です。(奉納受付中)



 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
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2012
04.30

5月の聖語 ─み仏に驚かされ、覚らされる─

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(『みやぎ四国八十八か所巡り道場』に咲いたカタクリの花)

 お大師様は説かれました。

「本有(ホンヌ)の仏性(ブッショウ)ありといえども、必ず仏の驚覚(キョウガク)を待って、いまし、よくこれを悟る」


(私たちは生まれながらにして〈み仏の性〉を具えてはいるのに、自然にはなかなかそのことに気づかず、み仏のお示しがあって初めて、ああ、そうだったのか、とよく悟るものである)

「本有」とは「本来、有る」であり、誰にでも生まれながら有るという意味です。
仏性」とは「み仏と同じ性」であり、これがあるので私たちはいつでも、み仏そのものとして生きられるはずです。
「驚覚」とは、「驚かせ、覚らせる」であり、私たちを「ハッ」とさせ、「ああ」と感激さたりしつつ、気づかせてくださるという意味です。

 津波で亡くなった方々の遺体を手がける様子が綴られた『遺体』には、そうした場面がいくつもあります。
 たとえば「今時珍しいほど実直で情の深い性格」だった友人野中氏の遺体を発見した鈴木勝氏(釜石歯科医師会会長)は、野中氏の遺体のそばで妻が語りかける言葉を耳にしました。
「あなた、お疲れ様でした。本当に、お疲れ様でしたね」
 そして、ハッと気づきます。
「野中の店のすぐ近くには実家があり、そこには身体を悪くして動くことができない母親が暮らしていた。
 津波警報が鳴ったとき、親思いの野中は母を見捨てることができずに家に留まって助けようとし、命を落としたにちがいない。
 だからこそ、妻は最後まで母を救おうとした夫に『お疲れ様でした』と囁いたのではないか。
 思わず、眼に涙が溢れてきた。
 こんな夫婦のあり方が羨ましかった。
 野中の奴は幸せ者だと思った。」

 人は時として、み仏としての本来の姿を顕し、それに接した人々もまた、立ち止まり、自分自身の中に何かを見つけます。
 私たち自身に、あるいは周囲に起こるできごとはすべて、驚覚を含んでいます。
 それは、私たち自身も、この世もマンダラだからです。
 あらゆるできごとが、走る電車の窓外を流れる風景のようでしかないと感じられる心の状態もあります。
 また、足元の小さな花が放っているいのちの輝きに眼を奪われ、動けなくなるといった心の状態もあります。
 感応が生じてまごころが動くかどうかは、アンテナとしての心の状態一つによります。

 み仏は人生のどこかの時点で、私たちがまごころを持ったみ仏の子であるという真実を覚るきっかけをつくってくださるものです。
 往々にして、あっと驚くような形で──。
 あるいは、花一輪をもって──。



 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
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2012
04.29

野辺送りは人生送り

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 ご遺体を火葬場へ送り出す際、霊柩車へ乗ったり自分の車で後へ続いたりする方々もおられれば、出棺の場所から合掌して見送る方々もおられます。
 野辺送りの「野辺」とは火葬場を指し、こうしてお送りすること全体を野辺送りと言います。
 野辺とは野の辺つまり、野の涯であり、集落を取り囲む野が尽きる辺りに火葬の場が設けられているというイメージです。
 古来は、一列になった人々の葬列が粛々と野を進んだものですが、町が開けて野が消え、車社会となった現代では、せめてもの思いを込め、霊柩車はややゆっくりと走ります。

 さて、送る人々はなぜ、手を合わせるのか?
 生前、ご遺族や周囲の人々からたくさんの感謝が寄せられていた方も、そうでない方も、等しく、合掌で送られます。
 ──等しく。
 そこには、必ず死を迎えねばならない私たちにとって、死者はすべて〈先立つ人々〉であり、自分の死をもって宿命を引き受けた〈先輩〉への畏敬の念があるのではないでしょうか。
 異次元へと移って行かれる方々は、畏怖尊敬を込めて送られるのです。

 私は送る仕事に決して慣れられません。
 なぜなのか?
 それは、送られる方々の人生がそれぞれ異なっているからです。
 遙かな過去世からバトンタッチされた贈りものとして身体の遺伝子と心の因縁を引き継いでこの世へ現れた私たちは、それに現世での一生を加え、その全体を背負ってあの世へ旅立ちます。
 あたかも、見えない過去世、そして見える現世、そして見えないあの世は、一人の人にとって永遠に連なっている列車のようなものであり、私たちは、たまたたそのごく一部を現世で眼にし、見送るのみです。
 野辺送りとは、人生送りなのです。
 どなたもが、それぞれなりに放った光芒の気配を曳きながら去られます。
 こうした人生送りに慣れることはできないのです。

 お互い、この世でほんの一瞬かかわりあい、送り、送られる私たち。
 野辺送りする私たちは、明日と言わず今日にも送られる側となるかも知れません。
 心して生きようではありませんか。



 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 来る3月11日には「般若心経百万巻」の供養をしましょう。(http://hourakuji.blog115.fc2.com/blog-entry-3107.html)
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
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2012
04.28

私たちが心から求めるものとは?(その1)

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 私たちは、「困った時の神頼み」をします。
 困った時とは、何かが無くなったり、無くなりそうになったりして追いつめられた時です。
 お金がなかったり、恋人を失ったり、いのちがなくなりそうになったり……。
 では、困っていない時とはどういう時でしょうか?

 お大師様の徳を讃える『弘法大師和讃』は、常々の祈りがもたらすご利益、つまり、私たちが困らない人生の姿を説いています。
 常々、信じて祈るのは「転ばぬ先の杖を持つ」こと、とも言えそうです。

 では、お大師様への祈りがもたらす「8つの救済」とは?

1 食べものをもたらす実り

 私たちは、食べものはいつでも買えると思っていますが、米でも、野菜でも、魚でも、肉でも、すべていのちあるものは、誰かが環境を守り、それらを育て、集め、流通過程に乗せてくれるからこそ、食卓に並べられます。
 農耕文化をベースとする私たちは、自然が守られ、食べ物が得られるよう、常に五穀豊穣(ゴコクホウジョウ)を祈ってきました。
 托鉢で歩いていた日々、冷夏の里へ行けば、お百姓さんが空を眺めている背中を見ては心で祈り、荒れ模様の日が続く海辺の集落へ行けば、海を眺めている漁師さんの背中を見ては心で祈ったものです。
 食べ物がない所には必ず争いが起き、戦争にもなります。
 平和の基はここにあると言って過言ではありません。

2 恵まれた経済生活

 世界からが戦争がなくならない大きな要因は貧困にあります。
 困窮の日々は、持てる者への不満や憎悪をもたらし、破壊を伴う挑戦に走らせる可能性を高めます。
 3月に東大を退職した山内昌之教授は、最後の公開講演会「中東大変動の構造と力学-世界史から見た『アラブの春』」において、アラブの春と言われている動乱の原因は急増した若年層の失業や貧困にあると指摘しました。
 私たちが観念的に考える「抑圧された市民による人間性回復のための反乱」などではなく、人口構成から発生する貧困であるとの講義内容は広く流布しました。
 私同様、眼を醒まさせられた方も多かったのではないでしょうか。
 
3 人間として尊重される人生

 出世したり有名人になったりすることでなく、人々から人間として尊重されることは心の平安に欠かせません。
 私たちは、誰しもがいわゆる人間扱いされて当然と思っていますが、それは必ずしも自動的に保証されるものではなく、互いに尊重し合う心の共有がもたらしています。
 世界では依然として人種差別が横行し、日本にもまた穢多非人(エタヒニン)の歴史があり、部落問題、同和問題など、私たちは自覚的にこうした心の闇を克服しつつここまできました。
 いつの時代も、どこの国でも社会は階層的になっており、生まれにより、行動により、人が生きている位置はさまざまです。
 お互い、因縁によりたまたま今の状況にあるだけで、誰と入れ替わっていても不思議ではないことを銘記しておきたいものです。
 また、互いに、み仏の子として平等であるという〈魂を観る視点〉も忘れないようにしましょう。
 そこに相互礼拝・相互供養が成り立ち、この世が極楽となる可能性が開けます。

4 子孫の繁栄

 一家であっても、一地方であっても、あるいは一国であっても、美しく存続して行って欲しいと願うのは自然で尊い心です。
 大震災や原発事故で被災された方々の多くは「故郷へ帰りたい」と言われます。
 もちろん、美しかった故郷へ。
 若い方はそれを守り、発展させたいと願い、年配者はそこで眠って子々孫々を見守りたいと願います。
 過去の因縁の悪しく苦しい部分を克服し、発展する一家一族であって欲しいと願い、地域の向上をもくろみます。
 子供たちを自分や一族のものだけではなく、社会の宝と考えて守り育てる心は、いつの時代も変わらぬ良心です。

 これらの願いは皆、世間的なものではないか、どこに宗教があるのかと問うならば、それは「自他共にの心」一つが答となります。
 自己中心を離れ、互いに良かれと願う時、世間的な煩悩(ボンノウ)は菩薩(ボサツ)の大欲(タイヨク)へと昇華します。
 お互いが食べられ、貧しくなく、尊重し合い、いのちがつながるよう協力するならば、この世はそのまま極楽です。



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 来る3月11日には「般若心経百万巻」の供養をしましょう。(http://hourakuji.blog115.fc2.com/blog-entry-3107.html)
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2012
04.27

傷ついた日本人へ(その1)

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 被災地を訪れたダライ・ラマ法王高野山で行った講演の概要が『傷ついた日本人へ』という本になりました。
 ここで、法王は重要なメッセージを発しておられます。
 そのいくつかを書きとめます。

1 「宗教を学ぶことは、自分の人生を見定めること」

 法王は、指摘されました。

「中には仏教徒だという自覚のない方も多くいるでしょうが、先祖や家族をたどると、仏教の信仰を受け継いでいる方が大変多い。
 日本の文化や習慣も、仏教の影響を受けているものが多く、日本人は日々仏教に慣れ親しんでいるといえます」


 だから、「一度きちんと仏教を学び、考えてみてはどうでしょうか」と提案もされました。
 ある勉強会で桜と松の話になりました。
「日本人はパッと散る桜が好きで、中国人はいつも緑濃い松が好きです。
 どうしてなのでしょう」
 もちろん、日本人と言い、中国人と言っても、全員を一まとめにするのは暴論ですが、一定の傾向は推論できそうです。
 こんな時、日本人の感覚は仏教の諸行無常にあり、中国人のそれは道教の神仙思想にあるのではないかという気がします。
 お大師様が24才のおりに書かれた日本最初の比較思想論である『三教指帰(サンゴウシイキ)』を読むと、そのあたりがうかがい知れます。
 自分は何者なのだろうという疑問などにぶつかると、自分を含んで時間的・空間的に広がる精神世界があることに気づきます。
 慣習や習俗の範囲だけなく仏教そのものを学ぶことは、そうした探求に小さくない役割を果たしそうです。

2 「たとえ何千年続いていようと、世界中に信者がいようと、教義の内容が画期的なものであろうと、宗教に優劣はつけられません。
 自分の宗教だけが正しいと信じこんだり、他の宗教をバカにしたりすることも、全く無意味なことです。
 宗教は誰かの心を平和にしたり、誰かの助けになっていたりすれば、それだけで価値があるものなのです。
 自分に合った宗教が、その人にとっての『最高の宗教』です。
 だからこそ、自分が信じていない宗教のことも認め、理解し、尊重しあわなくてはいけません」


 宗教の根幹の一つは救済にあり、それには、認めること、赦すことが欠かせません。
 そして宗教に普遍性を求めるならば、認め、赦す対象に例外があってはなりません。
 だから、他の宗教を攻撃し排斥するという姿勢は、法王の解かれる通り「全く無意味なこと」です。
 何を信じるのも自由であり、当山にはさまざまな方が人生相談にご来山されますが、他宗を攻撃することで自宗を高いとする教団のやり方はいかがなものか、とは思います。 



 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
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「おん さんまや さとばん」※今日の守本尊普賢菩薩様の真言です。
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2012
04.26

2012年5月の運勢

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 2012年5月─平成24年5月(卯月…5月5日から6月4日まで)─の運勢です。
 運気の流れを参考にし、人間修行六波羅蜜(ロッパラミツ)行で改運し、開運し、快運となりますよう。

一 組織も、ものごとも、〈あるべき形にある〉だけで満足せず、全体としてのはたらきを見直して活力を上げましょう。
 部長は部長なりの仕事、営業マンは営業マンなりの仕事に邁進して当然ですが、そこに無用の乖離が起きたり無言の反発があったりしては組織としての本当の力が出し切れません。
 書道家の高橋香温先生は「身体で書く」と言われます。
 普通の奉書紙へサラサラと書く先生の姿を見ると驚いてしまいます。
 手先が絶妙の仕事をするために、身体全体が総動員されています。
 全体が一つの生命体のようにはたらくイメージでやりましょう。

二「否!」の空気が広がり、停滞や遠回りを余儀なくされる場面が生じるかも知れません。
 気に入らなければ誰でも「私は嫌だ」と言えます。
 意志をつらぬくことは平等に認められており、何ぴとも「嫌だと言ってはいけない」と強制されはしません。
 しかし、いったん「嫌なものは嫌」となったばかりに、ものの道理が脇へ置かれ、当人も周囲も始末に困るケースはどこにでもあります。
 志は検証や工夫を重ねられてこそ、鋼のようになります。
 しかし、感情的になった頑なな心は志と違い、周囲にお構いなしに突っ立つ一本の棒でしかありません。
 そういったものが人々の心に生じると、組織や社会において叡智が無視され、創造性が危うくなります。
 進むか引くか、智慧ある判断が求められます。

三 万事、〈言い出しっぺ〉は思わぬ責任を負わされかねません。発言には勇気だけでなく、覚悟も求められます。
 皆のため、あるいは誰かのために良かれと思って言ったのに「じゃあ、自分でやれば」と返された時に立ち往生しては仕方がありません。
 最近、高倉健氏が六年ぶりに映画『あなたへ』で主演することになりましたが、岡村隆史氏が出演することになったことには因縁話があります。
 平成12年、『鉄道員』の演技でアカデミー賞最優秀主演男優賞に輝いた高倉健氏が、授賞式でたまたま同席した岡村隆史氏へ「いつか一緒にお仕事しましょうね」と声をかけたことを忘れず、共演者として選んだのです。
 岡村隆史氏は「そんな日が来るわけもないなぁと思っていた」らしく、撮影は「夢のような時間」だったそうです。

四 為すべきことを為し、足元を固めるやり方を第一としましょう。新たな展開はそれからです。 
 菊池寛の『恩讐(オンシュウ)の彼方に』は、「ことを為す」人間の姿を描きました。
 主人の女と密通し、発覚したために主人を殺して逃げた市九郎は、出家して了海となり、たった一人で岸壁をくり抜いてトンネルを造ろうと決心しました。
 やがて、石工たちの応援も行われるようになった頃、主人の忘れ形見実之助が現れます。
 実之助は親の仇である了海(市九郎)を討とうとし、了海も平然と首を差し出しますが、討てません。
 そして、「トンネルが完成した暁には」と心に誓い、暗い石窟で手伝い始めます。
 それから1年6カ月が経ち、二人だけで槌をふるっていた夜、ついに貫通の日を迎えます。
 21年の歳月をかけて大願成就を得た了海は「さあ、石工たちが来る前に私を斬りなさい」と促しますが、実之助は「了海の前にすわったまま、涙にむせんでいるばかり」でした。
「心の底からわき出づる歓喜に泣くしなびた老僧の顔を見ていると、かれを敵として殺すことなど思いも及ばぬことであった。
 敵を討つなどという心よりも、このか弱い人間の両腕によって成しとげられた偉業に対する驚異と感激の心で、胸がいっぱいであった」
 二人のような諸魔を断つ精進によって足元を固めたいものです。

 今月も六波羅蜜行で開運しましょう。

布施(フセ)行と運勢水を供えましょう。
 精進の人は賢人の忠告をすなおに受け入れて難を逃れます。
 不精進の人は良からぬ輩に引き込まれ、徒党を組んでいるうちに悪業を犯しがちです。
[持戒(ジカイ)行と運勢塗香(ヅコウ)で身と心を清めましょう。
 精進の人は愚癡を慎み、協力者を得られます。
 不精進の人は分を外れた野望を持ち、奸智に走り、失敗しがちです。
[忍辱(ニンニク)行と運勢お花を供えましょう。
 精進の人は悪事を隠している人に騙されません。
 不精進の人は悪事がばれないようにとビクビクする様子が他から見透かされ、失敗しがちです。
[精進行と運勢お線香を供えましょう。
 精進の人は善き友人などの助力などで成功し、福を分かち合います。
 不精進の人はやっとうまく行っても、利の独占をはかり、信用を失いがちです。
[禅定行と運勢飯食(オンジキ)を供えましょう。
 精進の人は細心の注意をはらって妨げとなるものを取り除き、前進します。
 不精進の人は油断と高慢心から小石にも躓きがちです。
[智慧行と運勢]灯火を供えましょう。
 精進の人は長いトンネルを抜けたような解放が待っています。
 不精進の人はせっかくの果実をうまくつかめず、卵を落とすような羽目に陥りがちです。



 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
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「おん さんまや さとばん」※今日の守本尊普賢菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。



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2012
04.25

三十七の菩薩(ボサツ)の実践(第十八回) ─自分が苦しい時も苦しむ他人を見捨てない─

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 菩薩(ボサツ)になるための実践道、第十八回目です。
 これは、「法話と対話の会『仏法と生活』」(http://www.hourakuji.net/manabi/houwa.html)において議論するテキストの一つとなってもいます。

「生活に困窮し、常に人より軽蔑され
 ひどい病苦や悪霊に憑かれても
 それでも一切衆生の罪業(ザイゴウ)と苦しみを受けて疲れることを知らない
 それが菩薩(ボサツ)の実践である」


 長い人生行路にあっては、誰しもが必ず暴風雨に遭います。
「常に人より軽蔑され ひどい病苦や悪霊に憑かれ」るとはそのことです。
 落ち目になり、泣きっ面に蜂の状態になると、「どうして自分だけがこんな目に遭うのだろう」と歯がみしつつ暴風雨に翻弄されます。
 暴風雨は必ずしも、自分がやらかした失敗や、自分のケガや病気、あるいは外部から来る事故や災難などに限りません。
 周囲の人々に生ずる苦や、環境の問題などもさまざまな形で襲いかかり、追いつめようとします。
 自分だけが知っている卑劣さや冷酷さや臆病さ、あるいは裏切りや恩知らずな心など、気がついてみれば、心の中にありとあらゆる悪徳の花が蕾んだり咲いたりもしています。

 66年の長きにわたって生かしていただいた者としては、年寄りが人間として背負っている責務は罪滅ぼし恩返しに尽きると実感しています。
 日々、報道される愚かしい、痛々しい、哀しい、辛い、嘆かわしい、穢らわしい、忌まわしい、腹立たしいできごとのほとんどは、自分自身で積んだ業(ゴウ)と心中の黒雲に無関係ではありません。
 何かの成り行きがちょっと狂えば、自分が犯人や加害者や容疑者や世間に顔向けできない人になっていたとしても、不思議ではありません。
 世間から石つぶてを投げつけられる人々と自分とは、薄紙一枚しか隔たってはいないのです。

 こうして自分の愚かさから逃げられずにいると、どなたの苦であっても、自分と無関係には思えなくなります。
 日々、皆さんの苦しみや迷いや哀しみや淋しさが当山へ持ち込まれるのは、あまりにも当然としか受けとめられません。
 それは水が低きに流れるようなものであり、最も低いところにいるのが出家者だからです。
 なぜ、最も低いのか。
 自分の悪業(アクゴウ)の果てに一度死んで生き直すのが出家だからです。
 悪業とは、具体的に人を殺したとか、誰かを陥れたといった行動だけを指すのではありません。
 心にある愚かしいものと、身口意のはたらきのつながりから目を背けないでいると、本当に恐ろしくなります。
 たとえば、心から忠告してくれる人をうるさく思い、疎ましく思う高慢心。
 そこから出る空々しい言葉や反発的な行動。
 何と恐ろしいことでしょうか。
 山ほどある悪業を解き因縁解脱をはかる修行は、スポンジの水を絞るように無限に続きます。
 絞っても絞ってもいつしか水を含むスポンジには、自他の別なく行き場を失った苦の水がどんどん集まり、浸みこみます。 
 これが、「一切衆生の罪業と苦しみを受け」るということです。
 
 最後の「疲れることを知らない」には参りました。
 護身法を行い、修法中は自動的にみ仏のご加持を受けているとは言え、相手の苦と共振した魂には必ず何らかの形で余韻が残ります。
 観音様は泥に染まらぬ蓮華の心でおられるとされていますが、そうありたいと修行を始めた程度の者には到底、無理です。
 だから、充電タイプのバッテリーが、いくらうまく充電しても必ず寿命がくるのと同じく、耐えきれない時がやってくることでしょう。
 願わくは、それが寿命の尽きる時とそう違わないで欲しいものです。

 さて、特に菩薩をめざそうとしなくても、〈自分が苦しい時も苦しむ他人を見捨てない〉方々は大勢おられます。
 たとえば、自分の愚かさが相手から夢を奪った、あるいは、相手を苦しめているなどと、きちんと自分の愚かさを見つめ、自他の苦の種を抜こうとしておられる方です。
 こうした方々とは、人生相談やご加持やご祈祷で数限りなくお会いし、心で合掌しています。
 たとえば、自分も困窮しているのに、困窮している相手へ、手の内にあるわずかなモノを分け与える方です。
 こうした方々とは、托鉢で生きていた時代から数限りなくお会いし、心で合掌しています。
 特に東日本大震災直後は、多くの方々が無心に分かち合ったはずです。

 私たちはすべて、明らかに、み仏の子であり、菩薩道を歩み得る存在です。
 自分が苦を感じる以上、他人も苦を感じていることを察するのは当然です。
 自分の愚かさを知っている以上、他人の愚かさは他人事ではありません。
 精いっぱい生きているつもりでも、愚かさはなかなか消えず、苦はづかづかとやってきます。
 やむを得ません。
 私たちはこの世へ人生修行にやってきた行者だからです。
 愚かだからこそ学び、成長します。
 苦を相手に悪戦苦闘すればこそ、心が晴れた時の笑顔は輝きます。
 苦あれば楽あり、楽あれば苦あり、この修行道を〈共に〉歩もうとする時、私たちは菩薩道を歩んでいると言えるのではないでしょうか。



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2012
04.24

お寺は誰のものか③

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 5年前に書いた「お寺は誰のものか①」はいまだにアクセスが絶えず、いかにこのテーマへの関心が高いかを物語っています。
 そこで、「お寺は誰のものかという問いは、本質的に所有権の問題ではなく、ありようの問題である」と指摘しました。
 なぜなら、ご本尊様がおられ、教えとご加護の力があり、修行し修法する行者と信徒さん方がお支えせねば、お寺とは言えないからです。
 
 さて、では、仏法僧(ブッポウソウ)の三宝(サンポウ)つまり、み仏と、仏法と、僧侶及び信徒は三角形を成しているのか?
 ここに、この問題の核心があります。

 企業は経営者と資本家と労働者で成り立っています。
 小泉政権の時代には、「企業は資本家のものである」と公言され、労働者は限りなく使い捨ての対象となってしまいました。
 あぶく銭が舞った時期には、カリスマ経営者がもてはやされ、有名なトップは桁外れの年収を競い合うかのような様相を呈しました。
 今、ようやく、圧倒的に頭数の多い労働者の厳しい生活へ政治の目が向けられています。
 こうして、時代により、状況により、企業を成り立たせている三角形の形は変化しています。

 しかし、お寺はそうではありません。
 ご本尊様をお祀りし、手を合わせた瞬間から、仏法僧の三者は、この順番に縦のつながりをつくります。
 ご本尊様からご加護の力が流れ、それを感じた私たちはお仕えしないではいられなくなり、お寺が成立するのです。
 被災地を訪れると、あちこちに被災したと思われるお地蔵様や観音様などがポツンポツンと立っておられ、お菓子が供えられていたりします。
 願い事の書かれた赤い布がお身体に巻かれていたりもします。
 そこはすでに小さなお寺です。
 ご本尊様がおられ、ご加護を感じ、お仕えする人がいるからです。
 この場合、手を合わせる人々は、ご本尊様を自分のものだと思うでしょうか?
 仮に身銭を切って土台やお堂をつくる人がいたならば、その人が、自分のものだと主張するでしょうか?
 もちろん、どう考えるかは自由ですが、そのように我欲が入った瞬間、その人にとってそこはお寺ではなく、自分の都合で利用するコンビニや食堂と同じ存在でしかなくなります。

 だから、「お寺は誰の〈もの〉か」と問い、〈所有〉の帰趨(キスウ)を問うこと自体、ほとんど意味がありません。
 お寺に関するいかなる問題も、〈所有〉の視点からは、本質的で真に建設的な解決策は見いだせません。
 問うべきは、つまり、私たちに問われているのは、「いかにご本尊様へお仕えするか」という一点でしかないのです。
 まごころで僧侶も檀信徒さん方もそれぞれ自らに問えば、ご本尊様のお導きもご加護も確かに降りてきます。
 まごころでこそ、自分たちがいかにあるべきかを議論しましょう。
 ここにこそ真の寺院は成立し、存続できるのではないでしょうか。



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「おん あらはしゃのう」※今日の守本尊文殊菩薩様の真言です。
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2012
04.23

貴女へ花を ─お花見が終わりました─

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 おかげさまにて、本堂いっぱいになるほどたくさんの方々にご参加いただき、今年のお花見を無事、終えました。
 参加された方々、参加できなくともご助力くださった方々、本当にありがとうございました。
 嬉しいひとときはたちまち過ぎ去りましたが、ひときわ忘れがたいできごとがあったので書きとめておきます。

 前日、仕事で桜の枝払いをしたAさんは、「法楽寺の桜はまだだろう」と思い、一部を持参されました。
 会場に飾られた桜は、千金の値がありました。
 宴たけなわになり、奥さんとのデュエットを勧められてマイクを握ったAさんは、マイクを手にしてむっつりと座ったままでいる奥さんの横に立ち、言いました。
「夕べ、女房とちょっとありまして……。今日はお詫びです」
 そして、一番が終わっても立たない奥さんへ桜の一枝を渡そうとして花瓶へ手を伸ばしました。
 ところが、短く切られた枝は花瓶の根元にあり、なかなか手が届きません。
 二番が始まるまでに渡そうとして焦るAさんの指先は震えています。
 会場の皆さんは、固唾を呑んで見守っています。
 そして、二番が始まる直前、無事、枝を手にしたAさんは満面の笑みで奥さんへ枝を手渡しました。
 已然として奥さんは座ったままですが、目が潤んでいます。

 私たちは、遙かなご先祖様の時代からこうして仏神の前で語り合い、呑み、食べ、唄ってきました。
 心は裸になっています。
 どなたもが、真心(まごころ)そのものになっています。
 私の目も潤んできました。
 ありがとうございます、皆さん。
 ありがとう、桜。
 ありがとう、食べものとなっていのちをくれた生きものたち。
 ありがとうございます、ご本尊様。



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「のうまく さんまんだ ぼだなん あびらうんけん」※今日の守本尊大日如来様の真言です。
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2012
04.23

浄化の秘法(その2) ─憑いたものを解き放つにはどうすればよいか?─

 憑きものについては、かつて、「浄化秘法」(http://hourakuji.blog115.fc2.com/blog-entry-2535.html)で触れましたが、同様の人生相談やご祈祷が相次いでいるので、別な面からも書いてみます。
 前回は、憑いたと感じる相手をあまり実体化せぬようにと書きました。
 迷った心、怯えた心、弱った心で、ふと後をふり返った時、自分の影法師が目に入り、自分と別な者がくっついていて不気味と感じるような場合が多いからです。
 今回は、冷静で客観的な姿勢であってなお、「ん?これは……」と困った方への小さな対処法をつけ加えます。

「憑(ツ)くも不浄
 憑かるるも不浄
 一時(イチジ)の夢ぞかし
 生(セイ)八難(ハツナン)の池
 水積もりて淵となる
 人間に疑いなし
 鬼神(キジン)に横道(オウドウ)なし
 教化せらるるによって
 斬り捨つるなり」


(人間に憑いた妄念は不浄である
 憑かれる縁をつくった人間もまた、不浄である
 しかし、本来、み仏の子である人間も、憑いた妄念も、ひとときの夢と同じく、つかの間、在るかのように思えるだけの空なる存在である
 悟らぬ人間は、生きている間、八つの難事に苦しむ
 苦しみはいつしか、深い淵のように、生を呑みこもうとする
 しかし、本来、み仏の子である人間の仏性に疑いの余地はない
 有為転変極まりない天地生成の理は、目に見えない存在である鬼神をも生み出すが、大日如来の顕現である宇宙に生まれた以上、それは道理を外れたものではあり得ない
 仏法の教化力と、法力は、今や、妄念を解く
 人間から斬り放つのである)

 憑かれたという感覚は、不安と怖れと戸惑いをもたらします。
 なぜ寄りかかられたのか、寄りかかってくる相手が何者かわかりません。
 寄りかかりをほどいて楽になる方法がわかりません。
 相手を楽にさせられる方法がわかりません。
 寄りかかられたままでは、この先が心配です。
 そして、思いつく言葉や誰かの無責任な指摘が不安を増幅します。
悪霊が憑いた」「水子が祟っている」「迷っている人が一緒にあの世へ連れて行こうとしている」などなど。

 憑かれたなと感じたならば、静かな場所で心を落ちつけ、冒頭の句を口にしてください。
 特に、「人間に疑いなし 鬼神に横道(オウドウ)なし」のイメージが大切です。
 人は皆、み仏の子であり、仏神でもなく御霊でもない異界の者もまた、大日如来を中心とするマンダラ〈内〉の存在です。
 そうした者たちをむやみに怖れ、遠ざけようとするのではなく、「共にご加護の〈内〉にあるのだから安心なのです」と語りかける姿勢が大切です。
 そして、切り放ちます。
 切る対象は相手ではなく、相手にある迷いと、それに感応して不安になっている自分の迷いです。
 原子力発電で生じたゴミをロケットに乗せて宇宙へ放り出すような〈相手を遠ざける〉イメージではなく、今、ここで〈共にありながら〉、共に迷いの暗雲を消し去るイメージを持ちましょう。

 この先は伝授によって法を結ぶ行者の世界であり、軽々に書けません。
 もちろん、メールなどでも不可です。
 簡便な方法としては、上記のイメージをしっかりと持ち、合掌して丹田へ息を集め、「かーーーっ!(勝・克)」と唱えることです。
 声はたとえ小さくとも、声と一緒に少しづつ丹田の力を強めて息を上昇させ、口から外へ出し、出切る瞬間に丹田へ最大の力を込め、最大のスピードで吐き切るのです。
 体内から出し切る息へ、心の迷いも乗せるのです。
 そして、光明真言を三返、あるいは七返唱えます。

「おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まに はんどま じんばら はらばりたや うん」


 このスペードのエースとも言うべき真言については、
「お授け8」(http://hourakuji.blog115.fc2.com/blog-entry-1642.html)
「お授け9」(http://hourakuji.blog115.fc2.com/blog-entry-1643.html)
「お授け10」(http://hourakuji.blog115.fc2.com/blog-entry-1644.html)
をご覧ください。

 慈悲心と気力と胆力が強ければ、これで自他の迷いが薄れる場合もありましょう。
 憑かれた現象のほとんどは、時の流れと共に薄れ、いつしか忘れ去られるものです。
 もしも困ったならば、必ず日時をお約束の上(9時~17時)、ご祈祷をお申し込みください。
 人間に疑いなく、鬼神に横道はありません。

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2012
04.22

「痛みが美に変わる時 ─画家松井冬子の世界─」に想う(その3)

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〈『やや軽い圧痕は交差して網状に走る』の一部〉

 NHKのカメラは『やや軽い圧痕は交差して網状に走る』の制作過程を追ってきたが、創作の最終段階で撮影を拒否された。
 完成する日の朝、カメラが再びアトリエへ入った。
 作品は最後の一刷けで口元が崩れており、松井冬子氏は最後の力を振り絞って修正を行った。
「これまで、自分の作品で満足のできるものは一つもなかった。
 それと同じで、今回も、ああ、何てものを作ってしまったんだろうという後悔がありました。
 ただ、2・3日経って冷静に観てゆくと、これで良かったんだなという部分もだんだん出てきます。
 でも、甘いかも知れませんが、壊れた具合が逆に良い方向へ転ぶこともある。
 眼のやぶにらみの感じとか、口が少しは笑っているのが良い感じになったと思います」
 この作品は、他者とかかわることで分裂し、壊れてゆく自己の姿が写し出されているという。
 ナレーションは、自分の痛みを見つめ続けた先に画家松井冬子が見出した美であると締めくくった。

 再び、上野千鶴子氏との対話になる。
「松井さんは痛みや傷を抱えて美しいものを育てておられる。
 痛みを抱えているだけでなく、技法・努力・執念・熱意を持った人が美しいものを作る。
 幸せになった松井さんがどんなものを作るか期待しています」(上野)
「良い作品ができることが私にとっての不幸せなので、それ以外、仕方がないのではないでしょうか。何かが犠牲になっても……」(松井)
「人間は不幸になるために生きているのではありません。
 たぶん、幸せになったらなったで、別な良い作品が生まれると思います」(上野)
「私も想像がつきません。先のことは」(松井)
「幸せになることをためらわないでください」(上野)
「幸せになることがあればすなおに受け入れていきたいと思います」(松井)

 最後にもう一度『くちなわ』が映り、番組は終わる。

 松井冬子氏は、自分の作品について「トラウマ性自傷系解離性被虐的ナルシシズム症候群」と言う。
 氏は暴力の被害者として出発した。
 肉体を通じた心の痛手は、言葉による表現を超えている。
 だから、肉体で表現するしかない。
 それも見てくれだけの外形でなく、裏返った肉体としての内臓や骨などをも総動員して。
 裏側の感覚をもとにして迫真の表現が行われ得たのは、やはり、氏が〈生む性〉だからだろう。
 女性は生むという行為を通じて裏側にある肉体の一部を外へ押し出す。
 これが男性にはできない。
 痛めつけられた存在は、存在そのもののすべてをかけて痛みを表す。
 存在そのものが希薄になってゆくしかない世界を示す。

 一方、幽冥界のかいま見える作品は、とてつもなく強靱な意志力と筆力によって支えられている。
 か弱さの対極にあるこの力は、氏の内面にしかない。
 怒りとして、哀しみとして。
 だから、氏は「良い作品ができることが私にとっての不幸せ」と告白するしかない。
 では、描くことそのものは不幸せか?
 そうは思えない。

20120419setudannsaretatyoukino.jpg
〈切断された長期の実験〉

 写真家古賀絵里子氏のエピソードを思い出した。
 ネパールで山歩きをしていた夜、宿の食堂で、ロウソクの明かりをたよりに読書している少年に出会う。
「くたびれたTシャツに格子柄のマフラー姿。
 近づいて声をかけると、少年はうつむいた顔をあげ、純粋で大人びた笑みを浮かべた。
 その表情をしっと見つめていると、素朴な英語がぽつりぽつりとこぼれてきた。
『十歳で小学校をやめてから、とうさんの仕事を手伝ってるんだ。
 トレッキングの荷物運び。
 もっと学校へ行きたかったし、いっぱい友達と遊びたかった。』
 机に伏せてあるのは、表紙のない英語の教科書だった。
 それから静かに、片隅で眠る父親の在りかへ視線を落とした、少年の瞳の揺らぎ、言葉がでなかった。
 ひたすら目の前の現実を受けとめる、それだけで精いっぱいだった」(「今ここにある生」より)

 ここには、今はそれ以外ありようのない姿で確固として在るものへの畏敬の念が、余すところなく表現されている。
 境遇への同情から一歩、踏み込めば、相手への愛おしさがあふれ出そうになるが、在るという厳粛さに気圧され、「現実を受けとめる、それだけで精いっぱい」となる。
 希望を打ち砕いた父を揺らぐ瞳で静かに見ながら、運命へじっと従う少年のように、松井冬子氏は不幸せでありつつ、図抜けたアートを生み出す矛盾を生きている。
 受けた暴力に怒りが沸騰しながら、沸騰する力を繊細な技法へ凝縮するという矛盾を生きている。
 女性として圧倒的な美貌を持ちながら、トラウマを抱えた者として鋼のような拒否に身を包む矛盾を生きている。
 すべての矛盾は、ダリのようにリアルな線でシュールな世界に結晶する。

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 松井冬子氏も作品も、気高い。
 とてつもなく気高い。
 心で合掌しつつ、古賀絵里子氏と同じく、何か「精いっぱい」と感じさせるものが切々とこみ上げてくるのを禁じ得ない。



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「のうぼう あきゃしゃきゃらばや おん あり きゃ まり ぼり そわか」※今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
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2012
04.21

「痛みが美に変わる時 ─画家松井冬子の世界─」に想う(その2)

20120419sekaijuunokoto.jpg
世界中の子と友達になれる

 社会学者上野千鶴子氏との対談で言う。
「この画法をとりいれたのは、もっともかっこいい技法が古典にあったから」
「エッジが効いている。形にごまかしが効かない。削り落として良いものだけを選んでいる究極の画報と思う」
世界中の子と友達になれる』は、子供時代に懐いていた実現不可能な思いが描かせた作品とされているが、上野千鶴子氏は「世界中の子が私と同じような不幸に感染しますように」とのメッセージがこめられているという。

 上野千鶴子氏は訊ねる。
「制作中は何を考えているの?」(上野)
「あまり考えていません。特に本画を描く時は技法のことなどしか」(松井)
「それでは満足できません。『世界中の子が私と同じような不幸に感染しますように』ができあがるまでの一年の間に、痛みや苦痛があって辛かったと思いますが」(上野)
「それは仕方がありません。当たり前なのです」(松井)
「眼を背けていたい時だってあるでしょう?
 眼を背けないでいるための方法が描くということ?
 他にも方法はいろいろありますよね」(上野)
「でも、、少なくとも怒りをぶつけるために描いているのではありません。
 怒りをぶつけるのではなく、相手に痛みを理解させることを考えています」(松井)
「ずいぶんアグレッシブですね。
 それも怒りの表現ですね。
 自分の中に溜まったものを吐き出さないでいたとしたら、どうなっていたと思います?
 絵という表現方法を持たなかったら……」(上野)
「たぶん、死んでいると思います。普通に。自殺してますね」(松井)
「吐き出す方法とスキルがあったから、それを放出しながら何とかもってきている感じ?」(上野)
「いや、へたれだから自殺できなかったというのもあると思います」(松井)
 松井冬子氏は、笑う。

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〈くちなわ〉

 上野千鶴子氏は松井冬子の作品群を「自傷系アート」と命名した。
 松井冬子氏は若者から支持され、「見た時から、離れなくなっています」「波立っていた心が安らぎました」などという便りが届く。
 幽霊めいた女性が『くちなわ』で描かれた。
 上野千鶴子氏は言う。
「描かれたのは女の痛みであって抽象化された人間の痛みではない。
 私たちの業界の言葉で言うと〈ジェンダー化された痛み〉です。
 批評家の多くは男性たちで、〈人間化された痛み〉へ脱ジェンダー化してゆく人もいるでしょうが、もしそういう解釈の仕方が現れたなら嫌だな。
 ジェンダー化された痛みはジェンダー化された痛みとして受けとめられ解読されるべきです。
 男性は貴女の絵を観て何を受け取るんでしょうか?」(上野)
「嫌がっている人は時々います」(松井)
「それは貴方の狙いどおり?」(上野)
「狙いどおりです。それ見たことか」(松井)
 松井冬子氏は、ここでも笑う。
「女性は何を観ているの?」(上野)
「よくやってくれたと言われたことがあります。
 それがすごく嬉しかった。
 理解してくれてるな、と」(松井)
 松井冬子氏の瞳がやや、潤んだ。

 このやりとりは明らかに誘導尋問である。
 上野千鶴子氏は、同情する同性として、無垢の画家を〈自説の土俵〉へ引っぱり上げている。
 土俵とはジェンダー思想である。
 松井冬子氏は、怒りも痛みも持っている者として無心に描く。
 そこへ思想を持ち込むのは失礼というものではないか。
 確かに女性であるがゆえの怒りも痛みもあるだろうが、松井冬子氏の強いまなざしは、決して誰かを敵として攻撃してはいない。
 暴力をふるう男性一般などという社会学的な観念などは描く力にはなり得ず、希代の画家は、むしろ、他からの暴力によって否応なくあからさまになった自分自身にある暴力的意志をこそ正面に据えているのではないか。
 他からの暴力なら逃げる方法はある。
 しかし、自分自身の意志からは逃げられない。
 だからこそ、「たぶん、死んでいると思います。普通に。自殺してますね」となった。
 破壊され内蔵の飛び出た肢体は自分であると同時に、自分の意志の先に怖れつつ観ている廃墟ではないか。
 松井冬子氏は廃墟を先取りすることにより、結果的に救われているのはないか。
 だからこそ、無残さを聖性が包んでいるのではないか。

 松井冬子氏が怯む男性へ「それみたことか」と思い、共感する女性へ涙ぐむ場面は、上野千鶴子氏を登場させたNHKの〈作りたい場面〉だった可能性がある。
 やらせではなくとも、番組には制作者の意図が色濃く反映される。
 もしも、松井冬子氏に会う機会があれば、上野千鶴子氏が自ら「業界の言葉」と言うジェンダー思想についての本音を訊いてみたい気すら起こる。
 それほど松井冬子氏の作品は、上野千鶴子氏が嫌う〈性別を超えた普遍性〉を有していると思えるからである。



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「おん ばざら たらま きりく」※今日の守本尊千手観音様の真言です。
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2012
04.21

欲をなくすイメージは不要 ─欲に悩むまじめな方々へ─

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 まじめな方からの欲に関するご相談は絶えません。
 欲について復習しておきましょう。
 仏法は人にそなわっている欲として「五欲(ゴヨク)」を説きます。
 そして、人の道を踏み外すのは欲の暴走によるから、智慧をもって制御せよと説きます。
 注意せねばならないのは、「欲を消滅させよ」ではないことです。
 ここを勘違いすると、若者や壮年にとって仏法は無縁なものとなりかねず、無用な世捨て人を生みかねません。
 五欲を考えてみましょう。

○睡眠欲
 眠るとは、活力を保つための休息です。
 眠くなることを軽視すれば寝不足になり、生活する力が出ません。
 きちんと、その人なりの睡眠を確保できてはじめて、日々が活き活きと送られます。

○食欲
 食べるとは、他の生きもののいのちをもらって自分のいのちを輝かせることであり、生きるいのちのエネルギーは生きものからもらわねばなりません。
 いのちを捧げてくれる生きものたちに感謝しつつエネルギーをバランスよく充分に補給し、励まねば生まれてきた甲斐がありません。
 また、食べものの好き嫌いは性格にも影響するので、子供を円満な性格に育てるためには、好き嫌いを放置してはなりません。

色欲
 性的なものはいのちのバトンタッチに欠かせません。
 夫婦和合・子孫繁栄は人として自然に求める満足と安心と喜びの元です。
 また、性は文化を彩る重要なファクターでもあります。

○財欲
 財物は志の具現化に大きな力を発揮します。
 古人は「智慧相応にものは集まる」と説きました。
 また、智慧なくしてモノは守れず、志もまた一片の〈思い〉でしかなくなります。

名誉欲
 名誉とは社会的評価がもたらすラベルであり、人を客観的に評価する際、一定の役割を果たします。 
 志を果たすために不可欠な信用に大きくかかわりもします。
 名誉を軽んずる人々の中には、信用の重さを考えずたやすく悪行をなすタイプの人もいます。

 五欲のどれをとっても、充実感の伴う人生を活き活きと生きようとするならば、欠かせないものばかりです。
 私たちが欲で迷うのは、欲を満足させる過程に智慧が伴わないことに起因しているのであり、欲そのものが悪ではありません。
 一定期間、色欲を離れて修行する、得た財を困窮者へ惜しげもなく布施する、誇りは一心にあればよいとして叙勲を拒否する、などの行為をも含め、〈智慧ある制御〉によって欲はは生かされます。
 年をとるとは、いのちから活性が奪われることであり、社会的役割から解放され死の準備を行うことでもあります。
 だから、当然、欲全体が薄れます。
 それは必ずしも悟りへ近づいたことを意味しません。
 善を行うパワーと同時に悪を行うパワーもなくなっただけであり、人生の仕上げをめざす智慧をもって生きているかどうかはその人次第です。

 仏法は、菩薩(ボサツ)を人の理想像であると説き、菩薩として生きるための具体的な方法も説いています。
 菩薩とは、自分のいのちの火を自己中心でなく燃やす存在です。
 松明から松明へ火を移しても火は決して減らないように、菩薩の清浄な意欲は決して減衰しません。
 地蔵菩薩ならぬ私たち人間は、老いればいのちの勢いが落ち、やがては死を迎えますが、その過程相応の意欲を保ち続けることは可能です。
 そして清浄な意欲は、輪廻転生の先に生まれる新たないのちへと引き継がれ、前世の最後に弱ったかと見えた火は再び強く燃え上がります。

 み仏の教えに学び、菩薩となる方法を実践し、慈悲ある智慧によって欲を清浄な大欲(タイヨク)として生かしながら菩薩道を歩もうではありませんか。



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「おん ばざら たらま きりく」※今日の守本尊千手観音様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。





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2012
04.20

「痛みが美に変わる時 ─画家松井冬子の世界─」に想う(その1)

20120419jousounojizoku.jpg
浄相の持続

 松井冬子氏の絵に驚嘆し、現代に蘇った江戸時代の絵師を調べてみた。
 作品にはの共存、あるいはから観た、もしくはから観たが描かれている。

 平成20年4月20日、NHK教育テレビは『痛みが美に変わる時 ─画家松井冬子の世界─』を放映した。

 松井冬子氏は油絵にもの足りず、日本画を選んだ。
「現実を超えたものを描くからこそ、リアルでありたい」
「日本画はアリが這うように描く。ものをしっかり見てストイックに」

『世界中の子と友達になれる』『ただちに穏やかになって眠りにおち』『完全な幸福をもたらす普遍的万能薬』『切断された長期の実験』などが紹介される。

20120419kannzennnakouhuku.jpg
〈完全な幸福をもたらす普遍的万能薬〉

 氏は指導者と共に、実験用のラットを解剖する。
 淡々と。
「嘘をついては見る人へ失礼だから。簡単にやってしまうのは嫌。しっかりしていたい」
 内蔵などを調べながらつぶやく。
「よくできてますねえ、しかし」
「すごい。美しい」
 二時間に及ぶ観察の後、制作へとりかかる。
 徹底した写実がリアリティを支える。
 たとえば、まる二日、ヘビを眺めてから『なめらかな感情を日常的に投与する』は描かれた。

浄相の持続』は九想図(クソウヅ)にヒントを得た。
 九想図んだ美女の身体が自然へ還ってゆくさまを九段階に描いたもので、無常を観る眼を養うために寺院で用いられてきた。
 氏は幕末から明治にかけて筆をふるった河鍋暁斎が好きだと言う。
 理由は「エッジが効いているから」
『思考螺旋』『夜盲症』『終極にある異体の散在』が紹介される。

20120419sikourasen.jpg
〈思考螺旋〉

「傷つけたり、傷つけられたり、暴力ということを深く考えさせられた」
 氏には、鼓膜が破れ、首の骨が折れ、顔が腫れる暴力体験があった。
 自分の中のリアリティをそのまま絵として描いているという意識はなかったが、後になってから「ああ、本当にリアリティだったんだなと気づくことはあった」

『腑分図:左鼓膜』は、身体が傷ついても何としてもきようとする人間の執着を表したという。

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〈腑分図:左鼓膜〉

 氏は、絹本の裏辛から色を塗る裏彩色という明治以降ほとんど使われなくなった技法を復活させた。
『やや軽い圧痕は交差して網状に走る』を描いている夜、画中の顔から「冬子さん」と話しかけられ、びっくりした。
「幻聴を聴いてしまったのか?」
「顔がリアルになってきたのかな?疲れてるのかな?いずれにしてもおもしろかった」

20120419yayakarui.jpg
〈やや軽い圧痕は交差して網状に走る〉
 
 氏は「師」と呼ばれるにふさわしい職人である。
 妥協のない仕事師である。
 だから、迷いの中でではなく現実の中で、作中の人物に話しかけられた。
 きている氏のリアリティは、絵のリアリティと重なっている。
 追求してやまないリアリティは「エッジ」の曖昧さを許さない。
 作品にある曖昧模糊とした幻想的イメージは、凄まじくリアルな下図からもたらされている。
 見えている身体と見えない内蔵や骨が共存している作品は氏のリアリティとどうつながっているのか?




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2012
04.20

修行を望む方へ ─供養は修行─

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 ご自身の心にある問題点に気づき、「修行をしたいがどうすればよいか」というご質問が絶えません。
 自分自身を省み、これではいけないと気づいた時点で、すでに心の転換すなわち転迷開悟(テンメイカイゴ…迷いを転じて悟りを開く)は始まっています。
 そこで必要なのは智慧です。
 世間的にうまくやる知恵ではなく、み仏のお慈悲と一体になった叡智です。

 たとえば、を知っていて行うのは人です。
 を知っていて行わないのは智慧のある人です。
 を知らないで行うのは智慧のない人です。
 を知らないで行わないのは智慧の蕾が開き始めた人です。
 を知っていて行うのは人です。
 を知っていて行わないのは怠け者です。
 を知らないで行わないのは智慧のない人です。
 を知らないで行うのは智慧の蕾が開き始めた人です。
 智慧があれば慈悲心が動き、はできず、は行わないではいられません。

 さて、具体的にはどうするか?
 人として生まれた理由は人間として修行するためであり、仏法はその道を菩薩道(ボサツドウ)として示しました。
 菩薩になる道です。
 それは六波羅蜜(ロッパラミツ)行という修行法によって行われ、基本は出家者と在家者とを問いません。
 在家の方は仏壇の前や各種祭壇の前などで行い、僧侶は寺院で行います。
 仏壇はご本尊様をお招きしてあるミニ寺院であり、位牌となった方はそのご加護で安心し、手を合わせる私たちはお導きいただく立派な修行の場です。
 もちろん、その他、どこで行ってはいけないということはありません。

○自己中心的で、周囲の人のためになろうとしない自分を変えたい方
 水を供えて誓いましょう。
「我、水のごとく、素直に、他を潤し、心の汚れを洗い流さん」
 そして真言を3返(7・21・108も可)唱えましょう。
「おん ばぎゃばてい だのう じはてい びしゃりじゃ ほらや だなん そわか」
 こうして布施(フセ)の心がつくられます。

○悪いと知っていながらやってしまう自分を変えたい方
 塗香(ヅコウ)というお香を手に塗って誓いましょう。
「我、塗香のごとく、自他を清め、浄戒(ジョウカイ)そのものになり果てん」
 そして真言を3返(7・21・108も可)唱えましょう。
「おん しら だりじ ばぎゃばてい うん きゃく」
 こうして持戒(ジカイ)の心がつくられます。

○忍耐力がない自分を変えたい方
 花を供えて誓いましょう。
「我、雨風に負けず咲く花のごとく、堪え忍び、心の花を咲かせん」
 そして真言を3返(7・21・108も可)唱えましょう。
「おん ばぎゃばてい きしゃんてい だりじ うん はった」
 こうして忍耐の心がつくられます。

○何をやっても長続きしない自分を変えたい方
 お線香を供えて誓いましょう。
「我、線香のごとく、たゆまず、怠らず、最後までやりぬかん」
 そして真言を3返(7・21・108も可)唱えましょう。
「おん びりやきゃり うん びりえい びりえい そわか」
 こうして精進の心がつくられます。

○心身が落ちつかない自分を変えたい方
 食べものを供えて誓いましょう。
「我、己を捨てて食べ物となる生きものに感謝し、心身を整えん」
 そして真言を3返(7・21・108も可)唱えましょう。
「おん ばぎゃばてい さらば ばんぱかりに まかなちえい うん うん うん はった」
 こうして禅定(ゼンジョウ)の心がつくられます。

○皆が一緒によくなろうと思えない自分を変えたい方
 灯明を点して誓いましょう。
「我、灯明のごとき智慧の明かりで道を照らし、まっすぐに歩まん」
 そして真言を3返(7・21・108も可)唱えましょう。
「おん ちしり しゅろた びじゃえい そわか」
 こうして智慧の心がつくられます。

 供養修行であるとはこのことです。
 真言の唱え方は、近々にホームページへアップします。
 例祭などへお出かけの際にご質問いただけばお教えすることもできます。
 毎月、機関誌『法楽』を作る前に、お手伝いくださる方々と共にお唱えしています。
 なお、塗香(ヅコウ)はあまり見慣れないかも知れませんが、行者が法を結ぶ前には必ず塗るもので、当山の講堂前には、入堂される前に塗っていただくよう備えてあります。
 お近くの仏具屋さんや葬祭会館さんへ訊ねれば用意してくださることでしょう。



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2012
04.19

ご本尊様とは何か ─お祀りの問題点─

20120419002 (2)
〈思わず膝を折り合掌してしまいます〉

「困りごとばかり起こるので占い師に訊いたら、ご本尊様の祀り方が悪くてが当たっていると言われましたが、どうすればよいでしょうか?」
「仏壇へ好きなお地蔵様を入れてもよいでしょうか?」
 こうしたご質問は後を絶ちません。
 それだけ、皆さん、真剣に考えておられるということでしょう。
 
 そもそもご本尊様とは何でしょうか?
 すぐに思い浮かぶのは、心のより所、人生の導き手、いのちの本源、仏神の根本といったイメージです。

1 あらゆる仏神の本源であり、総体としての大日如来

 大日如来には、おおまかに言って3つの特徴があります。
 まず、太陽の光にたとえられる智慧のお力で迷いの闇を取り払ってくださること。
 もう一つは、慈悲の力で一切を救い、生かしてくださること。
 もう一つは、その光は遍く一切を照らし、尽きないこと。
 このようなみ仏は、およそ人間が感得し得る最高の存在であり、当宗では根本仏として祈りの究極的対象となっています。

2 根本仏である大日如来のおはたらきの各方面を特に受け持つ諸尊

 たとえば、不動明王は、大日如来の使者として私たちの迷いを強力な力でうち払い、いかなる悪業(アクゴウ)をも浄化されます。
 また、地蔵菩薩は、お釈迦様なき後、弥勒菩薩(ミロクボサツ)がこの世に現れ、悟れないで苦しんでいる最後の人々をも救ってくださるまでの長い間、地獄界や修羅界など、どこへでも現れて手を差し伸べられます。
 また、観音菩薩は、私たちの心にある蓮華のような仏心が開かないままでいいれば、それが咲くように優しくお導きくださいます。
 また、阿弥陀如来は、三回忌の本尊として、最高に安心な浄土へと御霊をお導きくださいます。
 このような方々も、私たちの大きなよりどころになります。

3 私たちの心におわすみ仏

 私たちはすべて、み仏から心といのちを分けいただいて、今、地球上のどこかの空間を占めています。
 そして、自己中心の心はありながらも、心のどこかでは「誰かの何かの役に立ちたい」と願っています。
 だから、誰かに喜んでもらえることが結局、自分にとって最も嬉しいと感じています。
 こうして仏心として私たちの心におわすみ仏におはたらきいただくことが、一人一人が幸せになるだけでなく、世界中が平和で幸せになるための一番の近道です。
 お大師様はそれを、

「仏法、遙かにあらず、心中にして即ち近し」


と説かれました。
 たとえば、お地蔵様へ手を合わせて眼を閉じると、いつもと違う深い心が動き出します。
 真言を唱えたりすれば、もっと深い世界が開けます。
 そして、眼を明けると、なぜか感謝の心が広がっていたりします。
 その時、私たちの心におわすみ仏がおはたらきくださっているのです。

4 お大師様

 この身このままでみ仏になれることを体現し、その方法をまとめ、いまでも弥勒菩薩(ミロクボサツ)の浄土で私たちを見守っていてくださるお大師様。
 師も、後代の天皇も、大日如来の化身とお認めくださったお大師様。
 お遍路さんが背中に背負う「南無大師遍照金剛」は、お大師様へ手を合わせ、共に歩めば大日如来の世界へ入られることを表しています。
 大日如来の世界はあらゆる仏神のおられる浄土であり、それは、私たちが即身成仏(ソクシンジョウブツ)する瞬間、この世に顕れます。
 電車の席を譲った瞬間、病院のベッドで看護婦さんへ心からありがとうと言った瞬間、道ばたのゴミを拾った瞬間、私たちはみ仏であり、この世は浄土です。
 この真理を実践し、説かれたお大師様を信じればこそ、白衣姿で心を定め、お遍路さんになるのではないでしょうか。

 ご本尊様とはこうしたものです。
 だから、至心に合掌する心でお祀りすれば、どなたをどう祀ってはならないなどと断定できる理由はありません。
 最も注意すべきは、自分の心がもたらした問題を、ご本尊様のせいにする姿勢です。
 あるいは、畏れて大切にしようとするあまり、むやみに恐れてしまう危険性です。
 ご本尊様は、祈る人の心次第で、父ともなり、母ともなり、友人ともなり、師ともなってくださいます。
 どなたであろうと、まごころから手を合わせるならば、きっとお救いくださるにちがいありません。



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2012
04.18

反省と責任 ─「君子は刑を懐(オモ)い、小人は恵みを懐う」に思う─

1 論語の「君子は刑を懐(オモ)う」

 加地伸行氏は4月17日、産経新聞へ「あふれる利己主義者」を書いた。
 氏は2例を挙げて利己主義とした。
 一つは、複数の企業などから内定をもらったまま保留にしている学生である。
 結果的にどこかの企業と、就職できないでいる人々へ与える迷惑を考慮せず、自分の都合しか考えないのは人間として重大な欠陥抱えているのではないかと指摘している。
 もう一つは、大阪の寝屋川市で1才の我が子を虐待死せしめ、一審で懲役15年とされたのを不服として控訴した20才台の両親である。
 無抵抗の乳幼児を殺しておきながら我が身に安楽を願うのは、あまりにもあさましい。

 そして、論語の1文を示した。

君子は刑を懐(オモ)い、小人は恵みを懐う」


 ここにおける刑は「責任をとる覚悟」であり、恵みは「お助け」であるという。

2 閣僚の「反省

 同日、ニュースに3閣僚の談話が流れ、田中防衛相と前田国土交通相と枝野経済産業相が同じセリフを口にした。
反省しています」

 そもそも反省とは、まず、自分の過去をふり返り検証するという客観的で批判的な視点に立った行いである。
 ここで欠かせないのは、自分可愛さを超えた謙虚さである。
 そして、見つかった問題点についてはさらに考察を深める行いである。
 ここで欠かせないのは、逃げない真摯さである。

 さて、閣僚はなぜ「反省しています」と言ったか?
 明らかに、責任をとらないで済ますための免罪符として早々と提示したのである。

3 「反省」を求める社会、「反省」で済ます大人

 いったい、この国は、いつから「反省」を免罪符とし始めたのだろうか?
 問題が発生すれば、マスコミを初めとする人々はこぞって「反省していますか?」と追求し、いい年をした大人が軽々に「反省しています」と口にする。
 詫びてしまえば罪を認めたことになり、それに伴う責任が発生し、やがては刑も科せられ得るが、「反省」ならば〈社会通念上、許される範囲での失敗〉として問題が片付けられ得るからである。
 しかし、これでは、二重の意味で「反省」を誤る。
 一つは、反省とは他者とはまったく関係なく一人で深める孤独な、しかし、人間として実りのある一心上の重大事なのに、世間を渡るための道具として用いられた瞬間その道行きは打ち切られ、たちまち欺瞞でしかなくなるからである。
 もう一つは、[1]の論語でいう君子ならずとも、大人と子供の違いは責任をとるかどうかという一点にあるはずなのに、個人も社会もそこをあいまいにして「反省」で済ますならば、個人も社会も〈子供化〉しかねないからである。

4 拙い反省例

 自分の人生をふり〈返〉ってみれば、そこに積まれた愚かさ、失敗、たくさんの方々へかけてきた迷惑の膨大さに立ちすくむ。
 しかも、いかに〈省〉みても、とりかえしようのない問題は消し去られず、誰が忘れたとて、自分は忘れられない。
 こうした悪業(アクゴウ)に慄(オノノ)く思いが今日の一歩への後押しになる。
 画像処理にシャドウという項目がある。
 シャドウを弱めれば画像全体は明るくなるが、陰翳の薄れた画面は精気を失う。
 悪業は人生のシャドウではないか。
 真の反省はそれを観る行為であり、決して、軽々に言葉とはならない。
 むしろ、言葉にしてしまう軽率さは人生から精気を奪いかねないとも思える。

5 反省を口にせず、責任をとる文化

 こうして考えてみると、問題は潔(イサギヨ)さに帰結するのかも知れない。
 反省は黙って行う。
 問題を起こせば、素直に詫び、責任をとる。
 私たちの文化は本来こうした潔いものではなかったか。
 いったい、この国は、いつから「反省」を免罪符とし始め、〈子供化〉し始めたのだろうか?
 それは加地伸行氏が糾弾する利己主義へと傾斜を強めた個人主義と関係があるのかも知れない。
 もう一度、高校で学んだ論語を復習しておきたい。
君子は刑を懐(オモ)い、小人は恵みを懐う」

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2012
04.17

守護されている祈りの場 ─なぜ、修法の前後に唄うようなお経を唱えるのか?─

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 ご祈祷やご供養の修法が終わると、「最初と最後の長く唄うようなお経は何ですか?」と訊かれる場合があります。
 最初に「おんー」と始まるのは、四智梵語(シチボンゴ)といい、大日如来の智慧を四つの方向から讃えるものです。
 この声明(ショウミョウ)にともなって道場は東からも南からも西からも北からもみ仏の光明に照らされ、包まれます。

 まず、東におられる阿閦如来(アシュクニョライ)の智光が降り注ぎ、ものごとをありのままに観る智慧によって私たちの歪んだ見方が正されます。
 次に、南におられる宝生如来(ホウショウニョライ)の智光が降り注ぎ、ものごとをわけへだて無く観る智慧によって私たちの見ていない部分も明らかになります。
 次に、西におられる阿弥陀如来(アミダニョライ)の智光が降り注ぎ、ものごとの違いを見分ける智慧によって、この世の彩りが感受されます。
 次に、北におられる釈迦如来(シャカニョライ)の智光が降り注ぎ、ものごとのはたらきを知る智慧によって、この世のダイナミックなさまがわかります。

 こうして修法の場は智慧の光に満たされ、結界の中にいる私たちの迷妄も取り除かれているので、いつもとは違う心が仏神や御霊へ向かって開いています。

 また、そうしている間に、私たちの心に巣くう四魔(シマ)も封じられ、み仏から分けいただいた無限の仏心である四無量心(シムリョウシン)がはたらき始めています。
 
 まず、東におられる阿閦如来は天魔(テンマ)を断ってくださり、「捨(シャ)」の心が活性化されます。
 妬みや高慢心がなくなり、自分勝手なわけへだてを〈捨てる〉心になります。
 次に、南におられる宝生如来は蘊魔(ウンマ)を断ってくださり、「喜(キ)」の心が活性化されます。
 制御しがたいほどの心のはたらきも、身体のはたらきも、押し寄せる情報も整理され、他人の喜びを心から〈喜ぶ〉心になります。
 次に、西におられる阿弥陀如来は煩悩魔(ボンノウマ)を断ってくださり、「悲(ヒ)」の心が活性化されます。
 自己中心で〈欲しい〉〈惜しい〉とかき集める猪八戒(チョハッカイ)が持つ熊手のような欲がおさまり、生きとし生けるものの苦を〈悲しむ〉心になり、苦を取り除かないではいられなくなります。
 次に、北におられる釈迦如来は死魔(シマ)を断ってくださり、「慈(ジ)」の心が活性化されます。
 宿命としての死は生きものとして最強の恐れをもたらし、人の道を忘れさせる場合すらありますが、空(クウ)の境地に立ち、生きとし生けるものを〈慈しむ〉心になり、皆ともに楽しむ世界をつくらないではいられなくなります。

 これが、四魔封じと四無量心の活性化です。
 本堂であれ、墓地であれ、皆さんの居宅であれ、山であれ、海であれ、結界され聖地となった修法の場では、最初の数分の間にこれだけの法が結ばれています。
 導師も皆さんも別世界へ入り、み仏の心が輝き出しています。

 そして最後に「のうまくー」と不動讃(フドウサン)が唱えられる場合は、大日如来の使者として結界を張り、修法をご守護くださったお不動様を讃え、感謝申し上げます。
 あるいは、「願わくばこの功徳(クドク)をもってあまねく一切に及ぼし、我らと衆生と皆共に仏道を成ぜん」と廻向文(エコウモン)が唱えられる場合もあります。
 今こうして至心にまごころそのものになり、み仏のご加護をいただいた功徳を自分のためだけでなく、この世とあの世の一切へ廻し向け、世界がみ仏の道にそった清浄なものとなりますようにと願うのです。
 導師はただ、経文を〈読んで〉いるのではありません。
 密教の導師は必ず結界を張り、場を聖地化してみ仏を讃え、善男善女の願いをみ仏へお届けし、感謝の法をもって一座を終えます。

 泉墓苑でご納骨が終わり、空を見上げてAさんが言われました。
「ああ、心が晴れたようです」
 本堂で一周忌が終わり、涙の薄膜に覆われた瞳の奥から微かな喜びを発しつつ、Bさんが言われました。
「これまで、自分の悲しみの中だけに閉じこもっていたような気がします。
 やっと歩き始められそうです」
 ご加持(カジ)を受けたCさんが言われました。
「こうして四魔切りをしていただくのが、私の最後の救いの道だと思っています」
 祈りの場は、確かなご守護の場でもあるのです。



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2012
04.16

あとから来る者のために

 詩人坂村真民は明治42年1月6日、熊本県に生まれ、平成18年12月11日、97才の生涯を閉じました。
 86才の時に『あとから来る者のために』を書きました。

あとから来る者のために
田畑を耕し
種を用意しておくのだ
山を
川を
海を
きれいにしておくのだ
ああ
あとから来る者のために
苦労をし
我慢をし
みなそれぞれの力を傾けるのだ
あとからあとから続いてくる
あの可愛い者たちのために
みなそれぞれ自分にできる
なにかをしてゆくのだ


 平成24年3月11日、愛媛県伊予郡砥部町に『坂村真民記念館』がオープンしました。
 遙か四国のできごとだが、私たち東北の住民にとっても小さくない意味があると思えてなりません。

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2012
04.16

シンポジウム「大震災から一年が過ぎて ─これからの日本と生き方を考える─」が終わりました(その1)

 4月14日、シンポジウムを終えました。
 その概要です。
 今回は、東北イノベーションキャピタル(株)代表取締役社長熊谷巧氏のお話をかいつまんで報告します。

 氏はレジメを持参されましたので、それを柱とします。

10120415009.jpg

1 現在は近代における第三の変革期
 明治維新、第二次世界大戦、現在


 氏はかねて、自分の生き方を三つに分けて生きてきました。
 まず、自分自身が勉強に励む時期
 次は、勉強を生活に生かす時期。
 次は、勉強を故郷のために役立てる時期。
 現在は、証券アナリストとして国営企業の民営化などにたずさわってきた経験を生かし、変革期を乗り切れるよう、地域のベンチャービジネスを育てる仕事をしています。

2 現在、わが国経済は何が問題となっているのか
 1)わが国経済の世界的な地位低下
   GDP(国内総生産)の世界シェアの低下、一人当たりGDPランキング低下

 2)代表的なエレクトロニクスメーカーの赤字が目立つが、国際競争力は大丈夫か


 大和町には世界第二位の東北エレクトロンや世界第三位のトヨタなど、世界に伍して戦う企業が多数あり、津波で被災した地域にもあった。
 そうした企業が地域と日本の牽引車となってがんばって欲しい。

 3)国の財政赤字が拡大しているが、将来は本当に大丈夫か 

 対策は単純だが収入を増やし、支出を減らすしかない。
 消費税アップは避けられない手段である。

 4)少子化・高齢化の行方は、その問題解決の道はあるのか

 子供を生み育てられる社会にして子供を増やすことは日本に不可欠。

 5)雇用環境の変化、非正規労働の増加

 6)地域間格差の問題、その要因は過疎化問題


 過疎化の進行は凄まじく、特にそうした地域では非正規雇用の労働者が増え、賃金も上がらないので、格差は拡大する一方となる。

3 地域から経済的な面で何を発信していくのか
 1)地域資源をどういかしていくのか


 最大の資源として人的資源がある。
 優秀な人材はあるが独創的な人間をつくる工夫も必要。

 2)その資源にどう付加価値をつけていくのか

 豊富な知的財産を生かしきれていない。

4 経済・社会のグローバル化は、地域社会も避けて通れない
 1)お金・情報は瞬時に世界を駆け巡る


 アップルの時価総額は50兆円という巨大なものとなり、こうした企業は他の企業を簡単に呑み込める。

 2)そして現在は人材も

 日本の大企業はえてして意志決定が遅く、優秀な人材が海外へ行ってしまった。

 3)マーケット(市場)は世界

 東京を中心として2000キロ圏内は市場といった発想でやらねばならない。

5 経済基盤の確立なくして、国・地域の発展はない
 1)その中心となるのはなんと言っても雇用である


 東北にどういう職場をつくるのか。
 雇用を増やし、お金の流れを早めないと復興は進まない。

 2)そのためには既存産業・事業の活性化

 伸ばせる可能性のある事業がまだまだある。

 3)新産業・事業の創出・育成・成長は不可欠

 リーマン・ショックと大震災が経済へ大きな影響を与えた。
 戦後、トーキンクラスの大企業がここから生まれていない。
 日本はサービス分野などではまだまだ発展の余地がある。
 たとえば、高齢化対応のビジネスモデルをつくり、やがて日本より遅れて高齢が進むアジア地域へ進出して利益を出せるような知恵が必要。

 氏は優秀な人材を育成し、夢のある企業へ投資して飛躍させる仕事をはたらける限り続けたいと意欲を語りました。
 氏は仙台市を中心にして活躍する今も、大和町の吉田地区という典型的な過疎地に住み続けています。
「もう、母校はなくなりました」と笑いつつ、不屈の志をみなぎらせています。
 宮城県から有望な企業が芽を出し、成長し、地域の人々が希望を持って生活できる基盤がつくられてゆくよう、氏のますますのご活躍をご期待申し上げます。



 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 来る3月11日には「般若心経百万巻」の供養をしましょう。(http://hourakuji.blog115.fc2.com/blog-entry-3107.html)
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「のうまく さんまんだ ぼだなん あびらうんけん」※今日の守本尊大日如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。





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2012
04.15

東日本大震災 ─東北関東大震災・被災の記(その97)─「應」という確かな希望─

20120415012.jpg

 東日本大震災から1年が経ちました。
 私たちはこの間に大切なものを取り戻したのではないでしょうか?
 それは「」(=応)です。
 白川静によれば、この文字から「心」を除くと、鷹狩りによって神意を問う「うけひ狩り」を意味する文字になるそうです。
 私たちは「~に応じて」と言いますが、その時の心は、やって来ている相手へ対して無垢ですなおになっています。
 相手が〈時〉であろうが、〈所〉であろうが、〈人〉であろうが、〈モノ〉であろうが、〈事〉であろうが。

 大震災前は、「」からはてしなく離れ、世界は自分が主体としてかかわるものであるという観念に支配されていはしなかったでしょうか?
 もちろん、主体性を重んじるのは意義ある姿勢です。
 しかし、すべてをまず、〈自分にとって〉と受けとめ、同じようにより分け、自分の世界を構築する材料としてしまう感覚が強過ぎれば、情報に含まれている切実で、魂へ訴えかけてくる部分が感受できなくなってしまう虞(オソレ)があります。
 たとえば四季の変遷、人やペットとの別れや、その死。
 去りゆくもの、あるいは去ったものをいち早く〈処理〉してしまえば、心は乾きかねません。
 ──無常に流され遠ざかりつつある何ものかから聞こえてくる声なき声。
 実は、無限の過去から伝えられた無数の声こそが私たちの魂のありようを決めており、私たちの未来はすべて、この声々を土壌としてこそ強く健全に育つことのできる樹木だからです。

 アーノルド・トインビー

「12、13才くらいまでにその民族の神話を学ばなかった民族は例外なく亡んでいる」


と指摘しました。
 これは、個人に置き換えてみれば「声なき声を聴けなくなれば、その先の人生は砂上の楼閣となりかねない」とも読み取れます。

 平成23年3月11日以前の私たちは、「」を忘れ、声なき声へ耳を塞ぎつつ先を急いでいました。
 最も日常から遠い死は、あたかも死者以外にとっては〈無いこと〉がごとくに扱われ、死に関する何ごとも早く、安く、簡単に済ませ、この世の、今の、自分の煩悩(ボンノウ)ヘ任せた世界にどっぷりと浸ろうとしていました。
 煩悩とは好きなものごとへ走る、嫌いなものごとから遠ざかる、無関心、楽をしたい、辛いことはしたくない、なげやり、この6つです。
 そこには、自分たちを育ててくれた人やモノや世界、そして無常の川を流れて去った人やモノや世界への畏敬の念も、感謝もありません。

 平成23年3月11日、無常の鬼は最も恐ろしい形相となって現れ、そんな私たちへ喝(カツ)を入れました。
 生き残った私たちが眼を醒まさせられるためというにはあまりに無残で夥(オビタダ)しい犠牲が生じました。
 しかし、それから一年、私たちはじっと生きつつ、徐々に眼を醒まし始めました。
 平成24年3月10日、被災地で汗を流し続けたスコップ団は花火を打ち上げました。
 そのメッセージ

『天国に届いていますか』『私たちは元気です』


は、「」を取り戻し、声なき声への畏敬と感謝を復活させた狼煙ではないでしょうか。
 被災者だけでなく、全国津々浦々からの思いが結集され、メッセージの明確な狼煙が、若者たちの力を中心として力強く上げられたことに深い感謝と安堵を覚えます。

 ナチスの収容所でこの世を去ったエティ・ヒレスムは書き残しています。  

「大切なことは、ある特定の状況からどんな犠牲を払ってでも抜け出すことではない。
 大切なのは、ある状況の中でどんなふうにふるまい、生きつづけていくかということだ」


 被災した方々、災厄へかかわった方々がふるまい、生きた結果が出つつあります。
 そこにはまぎれもなく、希望があると信じています。



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「おん さんまや さとばん」※今日の守本尊普賢菩薩様の真言です。
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2012
04.14

真実へ迫る二人の師 ─裁判員裁判─

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 4月13日、さいたま地裁は、男性三人を殺害したとされる木嶋佳苗被告(37才)へ死刑を言い渡しました。
 100日に及ぶ任期をまっとうした裁判員は6名です。
 高度に専門的な能力を求められる裁判という分野で、素人に充分なはたらきが可能であるかどうかはまだ、よくわかりません。
 しかし、専門家の視点だけでなく、広く一般社会で生きている人々の視点もまた、真実へ肉薄するために必要であるとしてこの制度がスタートしました。

 お大師様は説かれました。

「師に二種あり。
 一には道、二には俗。
 真俗離れずといふは、我が師の雅言(ガゲン)なり」


(師には二種類ある。
 仏道上の師と、一般学問上の師である。
 仏道の教えと一般社会の教えとを共に学んで真理へ近づくのは、私の師が説いた見識ある見解である)
 
 今からおよそ1200年前、お大師様は、世界初の開かれた総合大学というべき綜芸種智院(シュゲイシュチイン)創設されました。
 志ある若者を身分の区別無く受け入れ、僧侶としての専門的学問と、専門外の分野にわたる学問とを広く学ばせようとしたのです。
 そこで当然、導かれる師も、仏道に関する人だけではなくなります。
 さらに、学ぶ姿勢さえあれば、師は寺院だけでなく、どこにでも見いだせるはずです。
 マンダラの心はあらゆるものに仏性を観ます。
 時には、無心に遊ぶ子供や一羽のウグイスすら、師になるかも知れません。

 人が持つあらゆる能力を開発・結集して真理・真実を求めるやり方は、仏道修行においても裁判においても求められています。
 事件の真実を明らかにし社会正義に合致した罰を定めるために、専門家の力も素人の力も結集する裁判員制度が有効にはたらいて欲しいものです。



 4月14日はシンポジウム「大震災から一年が過ぎて ─これからの日本と生き方を考える─」を行います。
(http://hourakuji.blog115.fc2.com/blog-category-70.html)
 共に真実を求めようではありませんか。



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2012
04.14

行者はいつ、ご隠居さんになるか ─「もはやこれまで」へ向かって─

20120413004.jpg

 年令の近いAさんから尋ねられました。
「新聞や機関誌『法楽』を読んで疑問に思っています。
 住職は疲れないのですか?」
 当然、毎日、疲れの海を泳いでいます。
 最近は、睡眠打破剤や『救心』が妻よりも長く一緒にいる同伴者です。
 しかし、当山へご加持(カジ)を受けに来られる建築現場の方などは、やや朦朧(モウロウ)として来山され、大イビキをかいて休まれた後、また、待っている現場へ出撃されます。
 介護に疲れ果てた方も、ひとときの別世界で心身が解放され、また、慈悲と勇気をもって現場へ戻られます。
 こうした方々と一緒に日々を過ごしていると、自分が疲れたなどとは言えません。

 ある時、文殊菩薩(モンジュボサツ)にも負けないほど深い悟りを開かれた『維摩経(ユイマギョウ)』の主人公維摩居士(ユイマコジ)は、体調を崩して休んでいたおりに、ラカンさんから皮肉られました。
「あなたほど神通力のある方が、いったいどうしたのですか?」
 維摩居士は応えました。
「人々に病があるゆえに、私もまた、病むのです」
 菩薩には、「同事(ドウジ)」という人間関係における鉄則があります。
 相手と同じ立ち位置に立ち、考えを同じくし、その苦を共有してこそ、慈悲智慧による方便(ホウベン…ものごとを解決するための最も適切な手立て)に気づき、実践できるのです。

 さて、密教の行者は自身加持法(ジシンカジホウ)を体得しており、いつでも自分へご加持を行えますが、実は、わざわざそうするまでもありません。
 ご加持であれ、ご供養であれ、ご祈祷であれ、いかなる法も、ご本尊様と一体になってから結ぶので、実は、その時点ですでに充分、日常次元からの解放が行われ、ご加持を受けた状態に近づいているからです。
 とはいえ、やはり、生きものとしてエネルギーの限度はあります。
 そのうちに、行き着くところへ至ることでしょう。
 それまではただ、なすべきことを全力で行うだけです。

 Aさんはたたみかけます。
「住職は、隠棲(インセイ)を考えないのですか?」
 あなたはもう充分に年をとったのだから、ご隠居さんになっても罰が当たらないのではないか(お互い、このあたりで少しのんびりしようではないか)というありがたいご提案です。
 即座に答えました。
「まったく考えません。
 誰かの願いを自分の願いとして祈りながら、つんのめって死ねれば本望です」
 Aさんは理解に苦しんでおられます。
「だって、絶対の安寧(アンネイ)を求めて修行の世界へ入ったのでしょう?
 一休さんのようになりたくはないのですか?」
「全く、なりたくありません。
 高僧伝などを読まれた方の中には、自分も仕事に一段落ついたなら出家しようかなどと考える方もおられるようです。
 実際、簡単に僧侶にしてくれる所も多々あるようで、いわゆる好々爺(コウコウヤ)を趣味的にめざすのは、それはそれで自由です。
 しかし、『同事(ドウジ)』が義務づけられている菩薩の日常は、医師の治療現場と変わりありません。
 充分に〈戦場〉です。
 戦う相手は自他の無明(ムミョウ)であり、煩悩(ボンノウ)であり、自分自身の業(ゴウ)であり、社会的な業である共業(グウゴウ)です。
 量質共に、相手にとって不足ありません。
 お釈迦様は、歩きながら説法し、法力をもって救い、最後はチュンダのまごころへ応えるためにいのちを差し出されました。
 お大師様もまた、一年以上にわたって死と死後の準備をしつつ、都と高野山を往復して獅子奮迅のはたらきをされました。
 お二人とも菩薩として、エネルギーの最後の一滴まで使い尽くされました。
 自分の最期が実際にどうなるか、仏神ならぬ身には到底わかりませんが、憧れる方々と同じように死を迎えたいと願ってはいます」

 Aさんは絶句し、沈黙が流れました。
「──そうですね。
 私は、次々と当山へ救いを求める方がおられるから、こんなことを考えているのかも知れません。
 いろいろなことをやるのも、役立ちたい、自分の全てを擲(ナゲウ)ちたいからでしかありません。
 はたらかせていただいているのは、求められているという実感があり、お伝えしておかねばという使命感があるからです。
 お互い、やっていることが何ごとかであるうちは、疲れても、うっかりご隠居さんにならず、手を抜かず、やれるところまでやり通しましょう。
 そのうち否が応でも〈もはやこれまで〉という瞬間がやってくるでしょうから。
 願わくば、その瞬間が死でありたいものです。
 たかだか、それまでのことです」

 そうですねとAさんは笑い、私も笑い、短い会話はお開きとなりました。



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2012
04.13

【現代の偉人伝】第147話 ─花火を打ち上げたスコップ団─

 3月10日、被災地で活動を続ける『スコップ団』が仙台市泉区泉ヶ岳スキー場で二万発の花火を打ち上げた。
 団長平了氏の目的意識は、記者会見ではっきりしている。

「東日本大震災は、2万人の犠牲者が出た1件の震災ではありません。
 悲しい1件1件の事件が2万件も起きたのです。
 僕たちはそういう認識をもってこれまで活動してきました。
 ですから、この数字は絶対に譲れない。
 絶対に2万発上げたい、と思っています」(http://www.1101.com/schopdan/より)


 当日は雨になったが、混雑を避けるために限定して招待された方々二千人だけが現地で空を見上げた。
 他の地域からは眼にできなかった。

20120413001.jpg
(cap_collection_20120220.jpgをお借りして加工しました)

 CATVが『みんなのテレビ』で放映した番組を基に、『天国にぶっ放せ!』と打ち上げた彼らの思いをふり返ってみたい。

 団員の女性。

「私にとってこの花火は亡くなった方への花火であり、生きている私たちが今から進むための花火だと思う」


 同じく団員の女性。

「たくさんの方々の思いが詰まっている花火なので、天国にいる家族や仲間に伝わればいい」


 花火へ込めた二つのメッセージ『天国に届いていますか』『私たちは元気です』が、汗を流してきた団員たちの魂から発せられたことがよくわかる。

 団長の挨拶。

「前の日の3月10日は、誰もが笑っていたり、どうでもいいことでケンカしたり。
 何で最後に一本メールを打たなかったのか、言い残しとかを俺たちは残してきたのではないかな。
 俺たちは元気でいるんだよというところと、天国に愛している人がいれば『愛しているよ』って伝えようと。
 そんな日が3月10日で、ドンとこう鳴らすしかない。
 それで『ぶっ放せ!』という乱暴なタイトルになっていますが、それは本当にごめんなさい。
 今の俺の気持で決めたのが『ぶっ放せ!』というしかなかったから、そういう風にしました」


 この点でも、団長は明確だ。

「私たちのいちばんの望みは、ほんとうは、復興でもなんでもない。
 3月10日、あの日に戻ること、その一点だと僕は思っています。
 でもそれはかないません。
 どうせだったら前よりもすてきな町にしようという、そういう気持ち、そういう強さが復興につながっていくのではないかと思います。
 そういったことを私たちスコップ団は1年近くのがれき撤去を通じて感じ取りました。

 我々が家の泥をいくらかきだしても、何かを取り戻せることはありませんでした。
 我々が何をしても世界はびくともしませんでした。
 でも、ひとりひとりの世界は確かに変わって笑顔が生まれる、ということがありました。

 3月10日を選んだ意図をよく問われます。
 私はこう思います。

 3月11日を忘れないようにしよう、ということは、よく言われます。
 しかしその日は、忘れないようにする日ではなく、忘れられない日です。
 忘れたいのに忘れられない日が3月11日です。

 いちばん忘れちゃいけないのは、なんてことない、ほんとうになんでもない日々です。
 幸せだったはずの、前の日なんじゃないかと思います。
 だから3月10日に花火を上げたいのです」(http://www.1101.com/schopdan/より)


 無残なあの日は「忘れたいのに忘れられない日」だと言う。
 そして、決して叶わない一番の望みは「3月10日、あの日に戻ること」である。
 もう取り戻せないが、取り戻したいという必死の思いで行動した結果、「ひとりひとりの世界は確かに変わって笑顔が生まれる」ことを知った。

 真の復興はアイディアから始まるのではなく、「ほんとうになんでもない日々」を取り戻さずにはいられない願いから始まる。
 それは無常への抗いようのない闘いではない。
 誰しもが望む〈人間の生活〉を確立しようとする自然な行動である。
 私たちは普段、意識してそれを望んでいるとは限らず、当たり前の昨日と今日と明日が続くと思っている。
 しかし、無くなれば、それがすべての土台だったと気づく。
 土台無しでは生きられない。
 だから、取り戻さずにはいられない。
 その結果として、やがて、笑顔と共に「どうせだったら前よりもすてきな町にしよう」と考えるところへ自然にたどりつく。
 この過程こそが、次の時代を創る真の智慧を生む原動力となる。
 原動力のないところで行われるアイディア競争は真の創造と救済に結びつき難い。
 スコップ団の『ぶっ放せ!』は、過程の終わりが到来しかけていることを告げているのではないか。

 激しい風雨に里の人々は「中止だろう」と思っていたにもかかわらず、山上では虚空に大輪の花々が見事に咲いた。
 団長は語る。

「一年というのは節目であるには違いないが、何かが始まったわけでも、終わったわけでもないと思うし、明日(3月11日)はゆっくり過ごしたい。
 静かに過ごして、ゆっくりと本気で考えて、スコップ団としては、次はどう考えるか、どう行動すべきか、今、問われていると思うので、やめるのではなく、どういう方法が一番いいのか明日、真剣に考えます」


 団長はつぶやく。

「いい意味で何かと闘わなければいけない。
 それは自分かも知れない。
 子供たちがいるんだったら、いつまでも大人たちは……」


スコップ団から』(http://schop-dan.com/pg62.html)には「ABUT」というメッセージがある。

「必要なものって、スゲー地味に見える。
 贅沢が、俺たちを貧しくしてる。
 そんな事を震災は教えてくれたと思う。
 そんな事を、知れて良かったとも思う。
 ただ、代償がでかかった。

 無駄にしちゃいけない。
 若い俺たちがやるから意味がある。

 お金で買えないものの方が、大切だったりする。
 それを知った。

 たったひとつ、あればいい。

 俺が今日も生きていて、君を好きだってことをちゃんと伝えること。

 それ以外の運命だのなんだのは、もう分からねぇよ。
 ジッとしてられないだけ。

 一緒にどうかね。」


 若者には闘う力がある。
 真実を覆うものと闘う力が。
 日本は大丈夫。
 立派な大人としての彼らが生き残っているから。



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2012
04.12

五眼とは何か? ─観るべきものを観る五つの眼─ 

 仏法は五眼(ゴゲン)を説いています。

1 肉眼(ニクゲン)…人間の眼
2 天眼(テンゲン)…天人の眼
3 慧眼(エゲン)……ラカンの眼
4 法眼(ホウゲン)…菩薩の眼
5 仏眼(ブツゲン)…仏の眼


 こうしてみると「2」から「5」までは私たちとは無縁な世界のようですが、果たしてそうでしょうか?
 み仏は「5」を具えておられるからこそ、私たちを救うことができるとされています。
 ならば、自他共に愚かさと苦から脱したいと願う私たちも、そこをめざしたいものです。
 聖なる世界のイメージを持てば、幾ばくかは見透せることもあるのではないでしょうか?

1 肉眼

 人間の眼はモノを写します。
 しかし、カメラと同じではありません。
 180度の視野を持ってはいても実際に見えている範囲はとても狭く、しかも、関心の度合いによって見られるものが最初からより分けられています。
 街角の光景は、ファッション好きな人にとっては格好の発見の場になることでしょうが、車好きな人にとっては新車を初めて見る場になり、それぞれ、車と衣装はほとんど見えていないものです。

2 天眼

 天界の神々は三世(サンゼ)十方(ジッポウ)を観るとされています。
 三世は過去・現在・未来であり、十方は、四方八方と上下すべての方位です。
 時間と空間のすべてを観るとはいかなる意味でしょうか?
 たとえば、一つの掛け軸を眺めた場合、鑑定眼を持たない人は「きれいだな」「ずいぶん古いな」「しっかり作ってあるな」などと思います。
 しかし、テレビの人気番組『なんでも鑑定団』の常連である中島誠之助氏などは、いつ、どこで作られたものか、たちどころに指摘します。
 私たちも、モノをよく観、人と会ってはその人の歩んできた人生を想い、光景や記事などを眺めては過去と未来、そして世界を考えたいものです。

3 慧眼

 この眼を持つラカンさんとは、空(クウ)の真理から世界を眺められるようになった方々です。
 仏法で説く智慧はまず、因果応報として理解され、すべてを無常の宿命にあるものと観るところから深まります。
 ありとあらゆるものは因と縁によって今、存在しているだけであり、自力で存在し続けるものは何一つありません。
 私たちもまた、こうした心の眼力を持てば、つまらぬことでくよくよしたり、角を突き合わせたり、あるいは憎悪や怨みや執着心をつのらせて心を曇らせたりせずに暮らせるのではないでしょうか。

4 法眼

 ものごとをありのままに観るのが、衆生済度(シュジョウサイド…ありとあらゆるものを救う)を存在意義とする菩薩(ボサツ)の眼です。
 その象徴が千手観音様です。
 千は無限を意味しており、千手観音様はすべてを見落とさず、ありとあらゆる生きとし生けるものを見捨てずに救いの手を差し伸べてくださいます。
 私たちは「1」の状態が現実であり、時には「見て見ぬ振り」もします。
 電車の座席に腰掛けている若者が、目の前にご老人が立ったとしても寝たふりをする光景は珍しくありません。
 ちなみに、私はもう立派な〈老人〉でも、よほど空いていない限り、なるべくドアの近くで立つようにしています。
 私よりも優先して座るべき人が必ずどこかに立っておられるからです。
 ある選挙の個人演説会場へ行ったおり、座りきれずに立つ人も現れたので、私は壁際に立って席を譲りました。
 それを見た候補者A氏はご自身も立たれ、同じく前方で腰掛けていた幹部の方々も立ち始め、やがてイスが追加して運び込まれたために、事態はおさまりました。
 A氏の頭は充分に白く、疲労も半端ではなかったはずです。
 A氏の選挙結果はすばらしいものでした。
 混雑している会場で関係者に混じって立つ人を見つけ、我が身を可愛がらずただちにご自身も立たれた光景を心に刻みました。

5 仏眼

 み仏方は、すべてのレベルの眼を具えているとされています。
 そして、限りないお慈悲からご加護をお与えくださいます。
 み仏のお心には、優しさも、厳しさも、正しさも、優雅さも、尊さも円かに具わっています。
 私たちも心の冷たさや、弛(タル)みや、歪みや、偏(カタヨ)りや、刺(トゲ)などを離れれば、いくばくかはこうした尊い眼に近い力で見透せるかも知れません。
 学び、イメージし、観るべきものをきんと観られる心をつくりたいものです。

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「おん あらはしゃのう」※今日の守本尊文殊菩薩様の真言です。
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2012
04.11

三十七の菩薩(ボサツ)の実践(第十七回) ─目下からバカにされてムカッとなった時は─

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 菩薩(ボサツ)になるための実践道、第十七回目です。
 これは、法話対話の会『仏法と生活』(http://www.hourakuji.net/manabi/houwa.html)において議論するテキストの一つとなってもいます。

「私と同じくらいか、それより劣る者が
 慢心を起こして私を軽視したとしても
 師のように尊敬し自らの頭頂に頂く
 それが菩薩の実践である」


 これは、自分がバカにされるはずのない相手からバカにされ、自然に怒りがこみ上げる状況をどう克服するかという問題です。
 もしも相手の言い分にいくばくかの道理があった場合ですら、誰でも、「何でお前なんかに……」と思うことでしょう。
 言い返して争いになるのは嫌だ。
 ムカムカ、イライラしたままで過ごすのもやりきれない。
 こんな奴を放ってはおけないと正義感が頭をもたげる。
 困ったものです。 

1 自分へ言い聞かせる

 ダライ・ラマ法王には、こうした形で悩ませる人が現れた場合、唱える文言があります。

「どこであれ、誰と出会ったときも
 私自身をすべての人より劣っていると見て
 他者を心底からすぐれていると[思って]
 慈しむことができますように」


 目の前に相手をありありと観想し、その足へ自分の頭をつけるイメージで唱えるそうです。
 普段もこのように考える努力をしておられるらしく、さすが、凡人とはかけ離れています。

 私の場合は、「何をっ!」となりかけた時、『法句経(ホックキョウ)』を思い出します。

「忿怒(フンヌ)あるは法を見ず、忿怒あるは道を知らず。
 能(ヨ)く忿怒を除く者は、福と喜、常に身に従う」


怒りがある時は真理が見えず、怒りある時は教えの道が心へ伝わらない。
 すっかり怒りがなくなった者には、福徳と喜びが常についてまわる)
 一行目の厳しさに、何度も打ちのめされました。
 しかし、思い出すたび着実に、つまらぬ怒りは鎮まりつつあります。

2 道理をもって状況をとらえる

 ダライ・ラマ法王は、実際に相手が自分より優れている部分を探して、心で跪(ヒザマヅ)かれます。
 そうすると怒りが自然に消滅します。
 説かれます。

「一般的に『仕返し』や『復讐』というのは、自分自身の心を満足させるための行為です。
 そうすることでした、自分の心を満足させられませんね。
 しかし、瞑想することで心が満たされるとしたらどうでしょう。
 満足するという点では同じです。
 ですから、瞑想することで、目的は達成されたことになるのです」


 こんなことはプライドが許さないと思う人へは、せめてこう考えてはとアドバイスされます。

「とにかく、心が安らかになるためには、満足を得られる必要があり、満足するためには、自分の眼の前に嫌な相手を観想し、ひざまずくことができたなら、心は安らかになっていきます」


 また、「何をっ!」となった瞬間、「火のないところに煙は出ない」と考えてみる必要もあります。
 実際、攻撃されたあたりに思い当たるフシがあれば、自分が知らないでいたか、あるいはないことにしてやり過ごしていた問題点に気づかせてもらったことになるではありませんか。
 思い当たらなかったならば、今度は、自分が過去に同様な言いがかりをつけたことはなかったかどうかも、検証してみましょう。
 嫌な先輩だ、あるいはバカな上司だなどと思い、つまらぬ挑戦でうっぷん晴らしをしたり、正義漢を気取ったりしたことはなかったか……。
 とにかく、鏡となって自分自身をふり返らせてくれたことには感謝できるはずです。

3 説かれているは菩薩をめざす世界であり、最初から娑婆の感覚とは異なっていることを認識する

 人格の完成をめざす菩薩の世界は一つの結晶体であり、一か所欠けてもなりません。
 また、娑婆の論理を少しでも容れれば、それは堤防の一穴となりかねません。
 最近、当山の活動をお認めくださっている娑婆の有力者Aさんが、当山のためを思い、さる方策を提案されました。
 しかし、それは娑婆で通る問題のない有効な手法でも、菩薩の姿勢とは異なっており、延々一時間以上議論を交わした末にお断りしました。
 善意に発し成功事例をもって説得を試みたAさんは承伏できかねた様子でしたが、そもそも娑婆的な成功と宗教的な成功とは価値判断の基準が異なっているので、ずれはなかなか埋まりません。
 Aさんも真剣、私も真剣です。
 しかし、宗教の側からは譲れません。
 だから、宗教は宗教者の側から押しつけたり、信徒さんを囲い込んだりするものではなく、娑婆の論理や感覚で解消できない問題を抱え、宗教を必要とする人にとって自主的に、自覚的に求めるものです。
 もちろん、娑婆の論理や思惑で利用することはできません。
 この教えも、すぐにつまらぬ争いを起こす人や、争えないばかりにウツウツと過ごす人へ、あるいは心に巣くう怒りの火に対して強い問題意識を持っている人へ、み仏からもたらされた〈解決のヒント〉です。

 以上がこの教えの概観です。
 さあ、言葉としてわかった後、それは読まれた方にとって意義があるでしょうか。
 それとも……。



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2012
04.10

厄年の過ごし方一口ポイント(その1)

20120405001matu.jpg

 運勢に関するご相談が多く、これまでとは少し異なる面からも書きとめておきます。

八方塞がりの年】

○1・10・19・28・37・46・55・64・73・82・91・100歳(数え歳)の方

「我、明と暗の区別をするは、人を惑わさず、自他の発展を願うがゆえなり」


 ここは混沌たる迷いの世界です。
 1才に当たっていることを見てもわかるように、生まれたての赤児が何も知らずに泣いているような状況になるやも知れません。
 迷わずにやっていれば、悪も一時は栄えるとおり、私たちの栄枯盛衰と迷いのあるなしは大いに関係があります。
 この時期には、考えがしっかりしないままに強行したくなりがちですが、それではなかなかはかばかしい結果は得られません。
 大切なのは心の安らぎや子孫の幸せを願い、我を張らず、迷う部分を解消してから行動に移ることです。
 親不孝をしている人は、八方塞がりの時期には天変地異など不意のできごとで大難に遭う可能性があるとされており、ここで生き方を変えましょう。
 心身の弱っている人も、交通事故などに要注意です。
 また、強い迷いや疲れでフラフラしている人は、各種のもらい事故に要注意です。

 しかし、道が見えにくくなっている時期は、み仏の教えや人生の達人に学んで自分の判断力を高め、人生の方向を見直す絶好のチャンスでもあります。
 まず、自分にとって本当に明らかになっていることがらと、そうでないことがらをはっきりと見極めましょう。
 また、周囲へ廻す視線が安心なものをとらえられない時は、天を見上げましょう。
 仏神の世界を思い、偉人たちの人生へ想いを廻らしてみましょう。
 惑い、ままならぬ焦りがフッと遠ざかるかも知れません。
 自他のいのちとこの世のありようが持つ尊いものをしっかり見つめ、正しい見解を持って精進しましょう。

【種蒔きの年】

○2・11・20・29・38・47・56・65・74・83・92・101一歳(数え歳)の方

「我、愚痴を言わず未来を語るは、人につけ入られず、自他の発展を願うがゆえなり」


 この年は、自分を奥から突き上げるものに動かされていろいろなことを思い立ちます。
 しかし、表面的には立派な計画でも、裏に我欲煩悩が隠れている場合は、うまく行きません。
 忙しい一方で、地獄をかいま見る可能性もあります。
 それは、煩悩に突き動かされているその時、その場が地獄の世界だからです。
 故武田泰淳は指摘しました。
「『地獄』とは何か。人間の苦悩の全てである」
「地球上の総人口、生きとし生けるものに平等にわかちあたえられている、この地獄的要素」
として
「つまずきがある。壁がある。矛盾がある。絶望がある。迷いがある。くらやみがある。疑いがある。自分および他人に対する、許しがたい裏切りがある。みしくさがある。汚れがある。弱さがある。競争がある。攻撃がある。抹殺がある」
を挙げました。
 何と恐ろしく、かつ、日常的な光景でしょうか。
 私たちは誰かが踊っているのを見ると踊りたくなり、唄っていれば唄いたくもなります。
 それが煩悩に動かされている場合ですら、同じです。
 自分にも煩悩があるからです。
 悟りを得ていない私たちが呼吸をしているこの世界がそのまま地獄の様相を持っていることを忘れてはなりません。

 この時期は、ものの道理をあらためて考え、自分勝手(我欲のしわざです)な理屈に走らず、口にしても仕方がないグチを言わず、誰かのためになる喜びを知る生き方をしましょう。
 剣豪は、こうした心で前進しました。
「斬り結ぶ刃の下ぞ地獄なれ、身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」(柳生石舟斎)
「斬り結ぶ太刀の下こそ地獄なれ、一歩進めば後は極楽」(宮本武蔵
「切り結ぶ刃の下ぞ地獄なれ、踏み込み行かば後は極楽
 他のため、社会のためになる計画へ捨て身で当たれば、協力者が現れるなどして成功へ向かいます。
 そこから、結果的に、自分の運勢も地獄的なものから離れて上昇することでしょう。



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2012
04.09

よく生きるには ─因果応報とトルストイの水車─

1 善行がなかなか報いられず、苦しい運命を生きている方

 それは、過去世の悪行の結果と考えられます。
 ここで愚癡を言い、不平不満をすべて世の中や誰かのせいにしてしまうのはいかがなものでしょうか。
 自分に起こっている過酷な運命の余波を周囲へも及ぼし、苦の種を飛散させ、ますます道を切り拓くのが難しくなったりしかねません。
 苦しくとも悪行へ走らず、周囲のため、子孫のため、自分の後世のために精進しているのであると心を定め、じっと善行を続けましょう。
 もちろん、悪行は個人的なものもあり、社会的なものもあります。
 だから、善行は個人的に、あるいは社会的に考え、実践したいものです。

2 悪行に潰されず、楽な運命を生きている方

 それは、前世の善行の結果と考えられます。
 ここでますます良い気になり、実力や運気の強さを過信したりするのはいかがなものでしょうか。
 過去世の善行は決して〈打ち出の小槌〉ではなく、いつ、運気が反転し、悪行が表面化して罪相応の罰がくだるかわかりません。
 自分が行った悪行への知らぬふりをやめ、早く、これまでの悪しき因縁を清める生き方へと転換しましょう。
 もちろん、悪しき因縁は個人的に生じるものもあり、社会的な面を持つものもあります。
 だから、悪しき因縁は個人的に、あるいは社会的に清めて行きたいものです。


3 善行も悪行も、業(ゴウ)となって溜め込まれる心の器

 善きにつけ、悪しきにつけ、身口意(シンクイ…身体・口・意識)をはたらかせて過ごした時間は巻き戻せません。
 身体で善きことを行えば善き業が心の器へ積まれ、口で悪しき言葉を吐けば悪しき業が心の器へ積まれます。
 やがて時間の経過と共に器から業があふれ出し、善き業は善き因となって善き果をもたらし、悪しき業は悪しき因となって悪しき結果をもたらします。

 私たち凡夫は誰しも、意図するとしないとにかかわらず悪しき業を積んでいます。
 それが自他へ悪しき果をもたらさないようにするためには、心を温かくし、智慧をもって徳を積みながら生きることで悪業のはたらきを抑えるのです。
 身口意で偽りのない生き方をし、徳の力で悪業のはたらきを消滅させるのです。
 そうしていれば、もしも過去の悪業の果がたった今、現れたとしても懺悔をもって受けとめられ、運命転化がしやすくなります。

4 トルストイ水車

 トルストイは、『人生論』の冒頭で有名なたとえ話をしています。
 昔、水車屋が粉をひいていた時代がありました。
 代々成功していた水車屋は、伝統的に水車と粉ひき機の扱い方を知っていたので一族が生きてこられました。
 ところがある時、後を嗣いだ男が機械そのものに興味を持ち、構造の研究を始めました。
 そのうちに、そのうちに関心は水門や堤へと拡大し、ついに川そのものの研究に没頭するようになり、とうとう巧みな扱い方は忘れ去られました。
 周囲の人々は注意しましたが、水車屋は自分の考え方が正しいと譲りませんでした。
 そこでトルストイは言います。
「有意義な活動と無意味な活動を区別することは、重要さの程度に従って配列された論証によるほかない」
「粉屋の目的は良い粉を作るのにある。
 この目的からして、他の車輪、堤、川についての彼の推理の最も明確な配置や順序を決定すべきであろう」
「人生は人が研究しようとする水車に等しい。
 人生はこれを善くせんがためにのみ必要である。
 で、人はただ、人生を善くせんがためにのみ、これを研究する」

5 よく生きる

 私たちは自然に「よく生きたい」と思います。
 その「よく」の内容は人それぞれです。
「佳」であれば味わいのある人生であり、「良」であれ恵まれた人生であり、「善」であれば正しい人生でしょうか。
 また、「義」であればまっとうな人生であり、「吉」であれば幸せな人生であり、「好」であれば自由な人生でしょうか。
 中には「酔」のイメージを持っている方もおられることでしょう。
 いずれにしても、私たちは自分なりの〈水車〉をきちんとしておかねばなりません。
 さもないと、イメージの方向へは逝けません。
 ここに書いた1と2と3は、どこへ向かう場合にも通じる、み仏の示された思考法です。
 一孝し、よく生きるために役立てていただきたいと願っています。

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「おん ばざら たらま きりく」※今日の守本尊千手観音様の真言です。
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