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2012
07.31

子や孫のためにふり返っておきたい(その5) ─努力は万事を征服す─

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〈今年のユリに妖しく禍々しいまでの勢いを感じ、身震いするような思いで眺めているのは私だけでしょうか〉

7 「と」 努力は万事を征服す

 人の生まれつきには、多少の優(マサ)り劣りがある。
 しかし結局は努力だ。
 あくまでもあくまでも努力だ。
 努力しないで成功した人は、一人もこの世になかった。


 7月5日、将棋の羽生善治棋聖は、新鋭中村太地六段に三連勝して棋聖位5連覇を達成すると共に、通算タイトル数は81、故大山康晴十五世名人を抜いて歴代単独一位となりました。
 第三位が中原誠の64勝、第四位が谷川浩司の27勝、第五位が米長邦雄の19勝であり、ここまではベテラン勢です。
 以下、ライバルと目されている佐藤康光が13勝、森内俊之が10勝、渡辺明が9勝と続いているだけであり、羽生善治棋聖が同世代の中でいかに頭抜けているかがよくわかります。
 この歴史的一戦の観戦記を書いた記者が、ある場面で「人間にこの手が指せるのか」と驚嘆していたのが印象的です。
 それは、対局相手の中村太地はもちろん、別室で戦況を分析していた第一級の棋士たちも誰一人として予想しなかった手です。
 最前線での戦いが佳境に入り、あと数手で勝敗のゆくえが定まろうとしていた時、羽生善治は突然、戦いの中央にいた最も強い駒を自陣へ引いたのです。
 よく見ると、この一手により相手の有効な攻撃法を封じ、しかも、このままにしておけば次の一手で相手陣は総崩れになるという、将棋の神が降りたような瞬間でした。
 たまたま新聞でこの場面を目にした私は、記者の記事で指摘されるまでもなくコロンブスの卵に圧倒され、才能が持つ恐ろしいほどのすさまじさをあらためて実感させられました。
 人の生まれつきには、確かに、どうしようもないほどの「優り劣り」があります。

 一方、こうした教えに接すると必ず思い出すシーンがあります。
 私が小学生の頃は生徒の数が多く、体育館をベニヤ板でしきった急ごしらえの教室で裸電球をたよりに勉強しました。
 そんな時代、たまに全校生を集める勉強会があり、東京から来た先生の講義を受けました。
 ある先生が生徒たちへ問いかけました。
「偉くなれる人は、才能がある人でしょうか、それとも努力する人でしょうか」
 そして、それぞれに挙手を求められましたが、私は質問しました。
「どちらとも言えないのではないでしょうか?」
 結局、先生はそれを言いたかったらしく、自分に与えられた才能を伸ばす努力をした偉人たちの様子を子供たちへ教えてくれました。

 ここでは「あくまでもあくまでも努力」と強調していますが、決して「努力次第で望みは何でも叶う」のではありません。
 人には生まれ持った才能と、生きる環境という、自分を〈限定する〉条件があるからです。
 だから、望みは、自分の甲羅に合った望みでありたいものです。
「甲羅に合った」とは、亀がいくらがんばっても自分自身であり自分の家でもある甲羅よりは決して大きくなれないことから、「分相応」のたとえです。

 私は中学生の頃から政治家になって世の中を変えたいという強い望みを持っていましたが、受験の失敗をきっかけに「四十にして惑わず」と言われる年令に達するまで、迷いに迷いました。
 しかも、自分では何をいくらやってもダメで、ついに無一文になってようやく、「分相応」の意味するところを否応なく体得させられました。
 よく言われる「高転びに転ぶ」という状態になって初めて、「高望み」の愚かさを知ったのです。
「高転びに転ぶ」とは、ある僧侶が織田信長を評した言葉とされ、自力や基盤を超えて分不相応に舞い上がった者は、やがて高所から墜落するような憂き目に遭うことのたとえです。

 なぜ、努力を説く教えなのにこうしたことを書くかと言えば、若い方々に私と似たような失敗をして欲しくないからです。
 しかも、これからの日本は、このままであれば、ますます〈敗者復活戦〉に厳しい世の中になるだろうと予想されるからです。
 ノウハウものが盛んに流す〈ネットやグローバルの時代は一攫千金〉といったイメージに惑わされず、走馬燈のように現れては消える〈時代の英雄〉たちに憧れはしても、軽々に「ああなろう」と考えないことです。
 自分のいのちを養うために自分の口から入れる飲みものや食べものをつかむのは自分の手しかないという真実をしっかりイメージしましょう。
 その上での努力なら、必ずや相応の結実をもたらすことでしょう。

 仏法は正命(ショウミョウ)という正しく聖なる道を説きます。
 これは正しいなりわいです。
 正しい方法で生きることです。
 たとえば、合法だからといって脳へ異常な反応をもたらすハーブや薬を売ることは、明らかに正命ではありません。
 法に罰せられるかどうかは社会人として最低限度の決まりことを守るかどうかでしかなく、罰せられないことなら何でも正しく、許されるわけではありません。
 他人の心身を害するものを提供して私腹を肥やそうとする醜い心は、たとえ刑法による処罰は受けなくても、必ずそれ相応の人格と人生の汚れや崩れをもたらします。
 因果応報の原理からは誰一人逃れられないからです。

 正命を忘れず、人の道にそった自分なりの努力をコツコツと重ねましょう。
 羽生善治は何百年に一人、五輪の優勝者は何百万人に一人の勝者であり、彼らと同じ高みに達することはほとんどの人に不可能です。
 しかし、人の道にそった自分なりの努力により分相応の望みを達することは、ほとんどの人にとって可能です。
 望みの邪魔をするものは征服され得るのです。
 最後に、分相応かどうかは、なかなか自分では判断できず、そこに指導者や師のかけがえのない価値があることもチェックしておきましょう。



 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
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「おん さんまや さとばん」※今日の守本尊普賢菩薩様の真言です。
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2012
07.30

お盆供養の心がけ ─自分のご先祖様だけを供養するのはいかがなものでしょうか─

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1 まず、供養のまごころをできるかぎりの飯食(オンジキ…食べものや飲みものなどのご供物)へ込め、その心があの世や異次元へ届くことを信じて祈りましょう。

 喉が渇いた時や、ひもじい時を想像すればわかるとおり、飲みものや食べものは心身の安定に欠かせません。
 生きものとしての安心の土台はここにあります。
 あの世の方々が実際に飲食してくださるわけではありませんが、その安寧を願う私たちの心を形ある飲みものや食べものに込めるのです。
 こうして、形あるものは象徴としてあらたな意義といのちを持ちます。
 必ずしも凝ったものを捧げねばならないわけではなく、キュウリでもモモでも、新鮮なものを「どうぞ」とまごころを添えて捧げましょう。

 どう祈ったらよいのかわからない方は以下のとおりにどうぞ。

南無大師遍照金剛(ナムダイシヘンジョウコンゴウ)」
 お大師様は即身成仏の法で大日如来になられた方であり、お大師様に帰依し供養すれば、その心は根本仏大日如来へ届き、あらゆる仏神へ、そして万霊へと届きます。

「南無三界万霊(ナムサンガイバンレイ)」
 あらゆる御霊を尊び、供養します。

「南無有縁無縁一切精霊(ナムウエンムエンイッサイショウリョウ」
 自分との具体的な縁のあるなしにかかわらず、相手が餓鬼界や地獄界などのどこにおられるかにかかわらず尊び、供養します。

2 ご先祖様あっての自分であり、代々をさかのぼればご先祖様方は無限に広がっていることをイメージしましょう。

 忙しい毎日にあって忘れていた自分の時間的、空間的な立ち位置を想像してみましょう。

3 そうして授かったありがたいいのちを生きていられるのは、人間も自然も生きものも仏神も含むあらゆるご縁のおかげであることを認識しましょう。

 こうした想いが自然に深い感謝へつながります。

4 無限の縁に対して「おかげさま」と感じれば、感謝の心もまた、無限の相手へ届けないではいられません。
  苦しい餓鬼道はあの世だけにあるのではありません。
  施餓鬼(セガキ…飲食ができない苦しみの世界におられる精霊へ供養すること)の法会に参加すると共に、地球上で飢えつつある人々やいのちあるものへ供養する心をも持ちたいものです。

 
 ここまで来ると、意識するとしないとにかかわらず積んでいる悪業(アクゴウ)の清めとなり、ひいては開運へとつながります。

5 『仏説盂蘭盆経(ブッセツウラボンキョウ)』の要点です。

○惜しむなかれ、貪るなかれ
○施して功徳を積むべし
○先祖供養は大成への道

 お盆供養は単なる慣習ではなく、感謝と向上のための重要な機会です。
 寺院で施餓鬼(セガキ)法を伴う法会を行う意味も、そこに参加する意味もここにあります。
 大切な時間を密度のあるものにしましょう。




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2012
07.30

子や孫のためにふり返っておきたい(その4) ─返事はいつでも明るくはっきり─

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〈玄関の引き戸の内側で、外に出られず途方に暮れている彼を発見しました〉

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〈戸が開けられたので、彼は横へ飛びさえすれば自由が得られるのに、いくら誘ってもガラス越しに外を望むのみで窮したままです〉

4 「へ」 返事はいつでも明るくはっきり

 ただ一言『はい』の返事を元気に明るく答えよう。
 明るい返事から明るい動作、明るい動作から明るい性質が生まれる。
 返事一つが人間を偉くする。


 これは、私も家庭と学校でよくしつけられました。
 自分の子育てはほとんど妻任せでしたが、娘二人へ「大きな声ではっきりと!」だけは言い続けました。
 返事がはっきりできる人は、それだけで信頼を得られたりもします。
 返事とは実に恐ろしいもので、高慢心、優越感、差別意識、反抗心、怨念、嫉妬、侮蔑などの魔ものたちが、チラチラと見え隠れたりします。
 得体の知れぬ〈余分なもの〉が介在しないスッキリした返事には、人と人を結ぶかけがえのない価値があります。

 しかし、いくらはっきりしているからといって、いかにもマニュアルどおりの〈内容が感じられない〉返事もいただけません。
 もちろん、ご本人は一生懸命なのでしょう。
 あとは若い彼らの人間的成長を待つのみです。
 コンビニや食堂などで、パターン化されたセリフでも気配りや思いやりがありありと感じられる場合があり、そんな時は嬉しくなります。
 いとも簡単に喜んでしまい、いかにも単純な話ではありますが……。

 あるコンビニに、ハッキリ、キビキビと質問に答える小太りで物怖じしない店員さんがいました。
 例によって小さな嬉しさを抱えながら店を出ようとしたところ、「おにぎり2コで30円引きでーす!いかがですかー!」との声が聞こえ、思わず店内へ舞いもどってしまいました。
 おにぎりの棚の前にはすでに二組、お客さんがいます。
 会計して店員さんを誉めたところ、また心からの「ありがとうございます」が返ってきました。
 自動ドアの閉まる背中に、おにぎりを勧める声が再び聞こえ、この店は繁盛するだろうと確信しました。

 はっきりと返事をするのは、自分の精神衛生上も大いにプラスです。
 還暦を超えると身体的・精神的にいろいろな状態になりますが、返事によって〈復活〉するというおもしろい現象に気づきました。
 たとえば疲れのピークだなあと思っている時でも、玄関から宅急便屋さんの声がかかったりすると、寺務所内から発しても届くように大きな声で「はいっ!」と返事をします。
 品物を受け取って寺務所へ戻ると、何となく底を脱したような気になって、あとはどんどん回復します。
 もしかすると、無意識のうちに自分へ気合を入れているのでしょうか。

 最後にある「偉い」という言葉にはあまり敏感に反応する必要はありません。
 この小冊子が作られた昭和5年の日本はそうした雰囲気だったのですから。
 「偉くする」は「一人前にする」程度の受け止め方で良いのではないでしょうか。



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2012
07.29

子や孫のためにふり返っておきたい(その3) ─本気の力は十倍になる─

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〈大雨や洪水による被災地で本気の救済活動を行うイヌと人〉

3 「ほ」 本気の力は十倍になる

 腹の底から本気になると心の力は十倍になる。
 剛勇不屈(ゴウユウフクツ…勇気があり屈しないこと)は本気が生むのだ。
 『何を!』という本気の力でやり通せ。
 偉人は本気の人だ。



 私は事情があって大学を中退し、家業を継ぎました。
 当初、社長の父親からよく叱られていたのが「本気でない」点でした。
 そもそも「本当に自分が生きるべき居場所はどこなのだろう」という観念にとらわれていたので、本気で朝から晩まで仕事をする父親の目にはすっかりお見通しだったのでしょう。
 でも、当時、私本人は、何を言われているのかさっぱりわからず、むしろ「こんなにはたらいているのに」といった反発心が起こる時もありました。
 遊んだり、政治に首を突っこんだりといろいろあっても、自分へ与えられた役割としての仕事はできる限り手抜かずにやっているつもりでした。
 しかし、百姓の次男坊から婿入りして勤め人となり、やがて夫婦で商売を始め、難しい年寄り二人を抱えながら子供を二人とも東京へ勉強に出した父親の本気度からすれば、〈役割を果たしている〉程度の姿など、歯がゆくて仕方がなかったのでしょう。

 恥ずかしながら、二度、人生に失敗してからようやく、わずかに気づきました。
 本気とは、一心不乱です。
 自分の存在を賭けている状態です。

 ロンドン五輪で戦う選手たちの中には、「楽しみたい」と気持を表現する人がいるかも知れません。
 しかし、実態としては、一心不乱でしかないはずです。
 自分の存在を賭けてこそ、次のステージへ上がれます。
 賭けなければ、今の自分が持っている力の範囲でウロウロするしかありません。
 そのことを知り尽くした人々の戦いであればこそ、観るだけの人である私たちへも、希有な体験の共有といったありがたい錯覚をもたらしてくれるのでしょう。

 たとえ錯覚であれ、こうした私たちの体験は、私たちを一心不乱になれる人へ近づけてくれます。
 私たちが五輪を人類の祭典と感じるのは、巷間言われる「希望」や「勇気」を与えられる時、一心不乱になれる人へ半歩でも近づくという変化が起こっているからではないでしょうか。
 女子サッカーの澤穂希選手(33才)の鬼気迫る走りなどを観ると、自分をとっておくなどという気配はみじんも感じられません。
 「本気」や「一心不乱」などをキーワードにして五輪を観れば、また一興ではないでしょうか。




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2012
07.28

家相が悪いと生活がおかしくなるか? ─円筒形タワーマンションから紙の本による読書まで─

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 家相(カソウ)、いわゆる家の相(すがた)に関するご相談は絶えません。
 新築にせよ中古物件にせよ、希望にまといつく一抹の不安を払拭しようと、善男善女がご来山されます。

 お大師様が、世界初の開かれた総合大学のような綜芸種智院(シュゲイシュチイン)を創られたことでわかるとおり、密教の行者は仏教だけでなく易学なども学んでいるので、伝統的な判断法はふまえた上で、以下のようなお話もしています。

 かつては、田んぼがあればおおよそいかなる位置にいかなる家を建てれば最も安心か、あるいは大道に面した店と居宅の関係はどういう形が合理的か、あるいは武家屋敷が敵の襲来にどう備えたらよいかなど、ある程度のスペースが確保された上で、住む人の目的に合わせて研ぎ澄まされた形が探求されてきました。
 そこで、理想的家相が考えられ、伝えられてきましたが、現代の私たちは、そうした時代とはほぼ反対に、〈制約された条件の中で自由に〉間取りを考える時代に生きています。

 それは、円筒形のタワーマンションを想像すればすぐにわかります。
 膨大な人口が密集する大都会で、限られたスペースにできるだけ多くの人々が住むためには、こうした形をとるのが最も合理的です。
 タワーマンションに限らず、都会では小さなアパートに至るまで、すべてが南向きのコマだけというわけにはゆきません。
 狭い日本で人口が増え、それが都会へとだんだん集約されつつある時代にあっては、居宅として確保できるスペースに最初から制約がかけられています。

 その一方で、かつては、間取りを考える際に最も優先順位が高かった神棚や仏壇と無縁の家が多くなり、最近では、和室がないのはもちろん、ほぼ全フロアが解放空間に近いイメージのお宅も珍しくはありません。
 お清めにお訪ねすると、隔世の感があります。
 独立して鍵のかかる子供部屋がよいのか、それともおる程度オープンな形がよいのか、などもさまざまに議論され、設計士たちの研究と哲学によって実に多様なパターンが提供されています。
 白地に絵を描くのと同じく自由に間取りを考えられる時代になったのです。

 こうした私たちが家の相を考える上で大切なのは、鬼門や裏鬼門がどうこうというよりも、限られた中で何を確保せねばならないかという発想です。

1 健康と安全
 たとえ南向きにリビングルームが作られなくても、風通しの工夫、光の採り入れ、温度と湿度の調整、静謐の確保、などに知恵を絞って最善を尽くすことは可能です。
 もちろん、他者の進入を防ぐための防備も欠かせません。

2 プライバシーと団欒
 前段で子供部屋を考えたように、家族といえども、互いに一個人としてのプライバシーを守りながら、かつ、かけがえのない家族としての一体感を保つ場をどう形づくるかもまた、相の大きなポイントになります。
 特に、子育てのありようにも直結するのでよくよく考える必要があります。

3 仏神とご先祖様への崇敬
 震災後は、和室がなくても神棚や仏壇の置き場を考える方々が増えてきたように感じます。
 長男に限らず、ご先祖様がおられたからこそ、仏神のご加護があればこそ、今の生活があるということを忘れずに暮らせば、心を清め安定させる強い〈心の核〉を育てられるはずです。

4 来客をお迎えする重要性
 玄関は社会への窓です。
 おかげさま、お互いさま、といった社会への感謝と奉仕の心があるかないかで、一家の運勢は大きく左右されます。
 私たちは携帯電話や各種のネットで他人とつながっているつもりになっていますが、そこで発信し、得られる情報は、人と人とが面と向かって得られる情報とはほとんど質が違うと言ってもよいのではないでしょうか。

 哲学者黒崎政男氏は『哲学する骨董』に書いています。

「読む、という行為は目と手を使う。
 一瞬で見ることもできる写真画像とは違って、書籍はどうしても一定の時間が必要であり、読み手が見て触れるための物質的接触面の必要性は、音や写真に比して格段に高い。
 紙でできた書籍は、このインターフェースという意味では、きわめて完成され尽くしたメディアだと思う。」
「日々アップデートが必要な、変化が身上の情報や、検索して使用する辞書類などは、早晩デジタルが支配するだろう。
 これに対して、著作や作品など、完成された後の変化を嫌うものは、紙という〈モノ〉に印字され、ほぼ永遠に固定されていることが必要である。
 ここにある書籍の内容は、燃えてなくなり朽ち果てるまで、同一であり、絶対に変化しないのだという信頼感。
 電子化は流動性とともにあり、この安定感を欠く。」
「カントの『純粋理性批判』を私が、デジタルディスプレイで熟読する可能性は九十九パーセントない。
 もし紙の書籍がこの世界から消えるとしたら、それは、大方の文学や思想が同時に消え去っている時だろう。」


 私も、高任和夫氏の『月華の銀橋』、長澤弘隆師の『空海ノート』、神部眞理子医師の『松籟』などをデジタルディスプレイで熟読する可能性はほとんどありません。
 それほど紙の本による読書は濃密なものですが、人と人との顔を合わせた接触にも、他の接触方法とは違った次元での濃密さがあります。
 それが薄れれば、情緒が消え去りはしないでしょうか。

 玄関は自分の好みで選んだ人にだけ解放されているのではありません。
 新たな縁、新たな未来の可能性のすべてに対して開かれています。
 その重要性を忘れずに、玄関の相を考えていただきたいものです。




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2012
07.27

子や孫のためにふり返っておきたい(その2) ─はじめたらやり通せ、最後の最後まで─

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3 「は」 はじめたらやり通せ、最後の最後まで

 はじめるのは易しい。
 やり遂げるのが偉いのだ。
 石にかじりついてでも、やり通そう!最後の最後まで!



 やり抜くところに価値があるということを小さなうちに感じる体験が大切です。
 そのためには、実際にものごとをやり続けている人々の姿を見せ、自分でそこに何かを見いだせるよう導くことです。
 あるいは、そうしたテーマの文学作品などを読み聞かせ、読ませることです。
 たとえば菊池寛の『恩讐の彼方に』は格好の題材です。
 
 罪滅ぼしのために僧侶となった市九郎は、断崖にトンネルを彫ろうと決心し、たった一人でノミをふるい始めます。
 それから19年、市九郎を親の敵として討ち果たそうとする実之助が現れます。
 市九郎を斬れない実之助は作業を手伝うようになり、1年6か月が経った夜、ついにトンネルが完成します。
 そして、実之助の怨みは解消します。
「敵を討つなどという心よりも、このかよわい人間の両腕によって成しとげられた偉業に対する驚異と感激の心で、胸がいっぱいであった。
 かれはいざり寄りながら、ふたたび老僧の手をとった。
 ふたりはそこにすべてを忘れて、感激の涙にむせびあったのであった。」

 やり抜く力を養い、やり抜いた感激で心を豊かにしましょう。

4 「に」 忍耐心は今から養え

 朝起きも忍耐だ。
 予習復習忍耐だ。
 忍耐の時と所は眼の前にある。
 どんな小事でも忍耐なしに成功なし。


 
 聞くところによると、やなせたかし氏のアンパンマンがヒットしたのは69才の時でした。
 急に忙しくなって間もなく、奥さんを亡くしました。
 靴下の用意からスケジュール管理まですっかり奥さん任せにしていた氏は途方に暮れ、心が一気に弱くなりました。
 しかし、氏は奥さんの死を周囲に伏せ、ひたすら、仕事にうち込みました。
 いつしか心の不調も癒えていたそうです。

 勉強でも仕事でも、行うと決めたことはじっと行う。
 そこに必ず道が開けます。
 たとえ歯を食いしばりながらであれ、淡々と行いながら暮らす日々そのものが、すでに人格形成の確かな足どりとなっています。
 まっとうに暮らす市井の人々は皆、偉人です。




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2012
07.27

東日本大震災 ─東北関東大震災・被災の記(第109回) 地震に怯えるイヌやネコを安心させる方法は?─

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 大震災後、イヌネコが落ちつかないというご相談があります。

 当山のネコも、震災後しばらくはとても過敏な状態でした。
 でも、身体のどこかに手を当てながら、「おん かかか びさんまえい そわか」とお地蔵様の真言を何度か静かに唱えると、落ち着きを取り戻すかに思えました。
 よくおわかりのように、イヌネコも言葉を話せませんが、言葉に込めた人間の心はある程度、理解できます。
 でかける時に「大丈夫だよ、待っててね」と声をかけるのも良いでしょうが、この方法もお勧めです。

 真言にはそのご本尊様なりの独特の響きがあり、眷属(ケンゾク…人間に付きしたがい、生活を共にする生きもの)をお守りくださるとされるお地蔵様の真言は、彼らの感性にピッタリくるように思えます。
 そして、慰撫する私たちもまた、真言口にすることによってお地蔵様に守られます。
 お地蔵様は、生きとし生けるものを守り育む大「地」の徳を「蔵」のように宿しておられます。
 眷属たちと共に大地に足をついて生きる生きものとしての私たちが皆、共に守られないはずはありません。
 つぶやくようにでも通じます。
 やさしく撫でてやりながら真言を唱えてみてはいかがでしょうか。




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2012
07.26

小学生の子供が宿題しかやらないけれど、大丈夫か?

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 小学生のお子さんが宿題しかやらずに遊びまくっているらしく、心配している親御さんへの回答です。
 ご参考までに……。

「毎日宿題をするということには、復習を欠かさないという意味があり、お子さんは、学んだ内容を自分の血肉にするための最も基本的な学習態度ができています。

 ちなみに、私はこの道へ入って四半世紀、その間に行った修行はすべて復習でした。
 昼間は托鉢に歩き、夜間、本山へ通って伝授を受けた夜間行者です。
 こんな私でもどうやらここまで来れたのは、夜中や明け方になっても必ずその日のうちに、学んだことを整理したからです。
 つまり復習ですが、これを行うことによって学んだ内容が確認でき、疑問な点も明らかになります。
 そして、次回、師に疑問を解いてもらえば、自分の能力で身に着け得るものはすべて身につけながら前へ進めます。

 今、守本尊様のご加護をいただく特殊な居合の道場も開いていますが、お弟子さんへ伝授する内容はすべて自分で伝授を受け、まとめ、地鎮祭やお墓の開眼供養などの修法で日々、実証をし続けているものなので、自信と確信をもってお弟子さんたちへ受け渡しています。

 また、私は受験で二浪してから気づいたことがあります。
 不安にかられ、むやみと参考書をあれこれとあさるよりも、教科書を丸ごと暗記してしまうほど教科書を大事にし、学校で教えられた内容を自分なりにまとめ、そこから思考を広げることが最も大切だということです。
 そして、テストで頭の中の様子を確認すれば鬼に金棒です。

 お子さんは、宿題をやる、すなわち復習するという大切な習慣ができています。
 それを信じ、認め、誉め、次の段階として、不明だったりわからなかったりした部分の追究法法を一緒に考えてあげればよいのではないでしょうか。

 たとえ遊びでも、勉強以外のことに強く関心を持って自分なりに探求する姿勢は、上記の〈不明な部分を明らかにしないではいられない〉という勉強法につながるかも知れません。
 信じて見守りたいものです」




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「おん ばざら たらま きりく」※今日の守本尊千手観音様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。





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2012
07.26

【現代の偉人伝】第152話 ─「地獄の中の菩薩」と証言した福島第一原発前所長吉田昌郎氏─

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 8月11日、福島テルサにおいて出版社『文屋』主催のシンポジウムが開かれる予定であり、そこで福島第一原発前所長吉田昌郎氏(57才)のビデオ証言が流されるという。
 7月25日付の河北新報は、食道ガンのために会場へ行けない氏の約30分間にわたるビデオを採りあげた。
 所長が世間へ向けて始めた発した現場の報告となる言葉を転載しておきたい。

「原子炉の冷却作業をする人間は撤退できない」
「基本的に私が考えていたのは発電所をどうやって安定化させるかということ。
 現場で原子炉を冷却する作業をする人間はもう撤退できないと思っていた。
 本店にも撤退ということは一言も言ってない」


 自身と津波で原発が崩壊の危機に瀕している非常事態の中、所長も約50人の部下たちも覚悟を決めていた。
 政府がどう、東電の上層部がどう、という問題ではない。
 原発が何であるかを肌で知っている現場の人々は逃げられなかった。
 自分たち以外、悪魔に立ち向かえる人間は地球上のどこにもいはしないのだ。

 7月20日、米国コロラド州オーロラの映画館で起きた発砲事件に際し、大学院生アレックス・ティーブズ氏(24才)は恋人を自分の身体の下へ入れて守り、亡くなった。
 父親トム氏は言う。
「もし、彼女を助けられなければ、彼は生きてはいられなかっただろう」
 海軍出身の消防士ジョナサン・ブランク氏(26才)も、マット・マックイン氏(27才)もそうしたという。
 逃げるのか、身を挺して守るのか。
 文字どおり死の淵に立つ選択が迫られた時、きっと悩んでいる時間はないにちがいない。
 それまで生きてきた人生のすべてが、選択の余地のないものとして足の方向を決めるのだろう。

「(指揮を執っていた)免震重要棟の人間は死んだっておかしくない状態だった」
「これからもう破滅的に何かが起こっていくんじゃないか」


 3月14日に発生した3号機の水素爆発では瓦礫も飛び、地獄のようだったという。
 それでもなおかつ、踏みとどまり、氏はギリギリの判断と決断を重ね、部下たちは持ち場へ向かった。

「現場に飛び込んで行ってくれた」
「私が昔から読んでいる法華経の中に登場する、地面から湧いて出る菩薩のイメージを、すさまじい地獄みたいな状態の中で感じた」


 氏の心境は、太平洋戦争末期、部下たちを死地へ送り出す特攻隊の隊長に似たものだったのではなかろうか。
 ──部下たちが死ねば、殺した自分は生きてはいられない。
 事実、神風特攻隊に第一号出撃命令を発した大西瀧治郎中将は、敗戦の翌日、一切の手出しを断り、割腹自殺を遂げている。
 氏へご自身の覚悟についてお訊ねすることはできない。
 氏は、部下の後ろ姿へ合掌していたという。
 そうしたシーンを想像してみる。
 救い手のない荒涼たる現場で男たちはきっと、作業に必要な言葉しかない張りつめた空気の中、送り、送られ、帰り、また、指示し、でかけたにちがいない。
 背中へ向ける無言の祈りと、背中に感じる祈りが、地獄での確かな行動を支えたにちがいない。

 柔らかな身体を具えた人間は、何万人が把になろうと太刀打ちできない鋼鉄に包まれた機械をつくり、操るつもりが翻弄される羽目におちいった。
 逃げればもう、破滅しか待ってはいない。
 しかし、脆い身体を持った人間には、それを投げ捨てても行動するという〈自分の限界を踏み越えて行く〉意志力がある。
 ギリギリの場面ではたらく意志力は、はっきりと人間の真姿すなわち菩薩を顕す。
 アメリカの発砲事件で盾になった人々も、吉田所長や部下たちも、菩薩と言うしかない。

 河北新報は伝える。
「吉田氏は、政府事故調の長時間の事情聴取に応じた。
 だが、思いが伝わっていないという」

 7月末で水俣病特別措置法に基づく救済の申請が打ち切られるのを前に、作家石牟礼道子氏は言った。
「私たち被害者が国へ求めた最低限度の希望は、わかり合うことでした。
 しかし、ついにわかり合えなかったことが切ない」
「知人が言いました。
『国もチッソも差別した人々も私は許します。
 許さないと苦しくてならないからです。
 皆の代わりに私たちは病んでいます。
 でも、まだ生きたい』
 私たちが日本人の代わりに病み、苦しんでいるのです」

 吉田所長の真実を伝えるメッセージがより広く私たち国民へ届き、国民が国の方向を誤らない選択ができるよう願ってやまない。




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2012
07.25

三十七の菩薩(ボサツ)の実践(第二十四回) ─逆境でもすべてを空(クウ)と観る─

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〈露落ちて花残れり。残るといへども、朝日に枯れぬ ─方丈記─〉

 菩薩(ボサツ)になるための実践道、第二十四回目です。
 これは、「法話と対話の会『生活と仏法』」(http://www.hourakuji.net/manabi/houwa.html)において議論するテキストの一つとなってもいます。

「さまざまな苦しみは
 夢の中での息子の死のごとく
 錯誤を実体あるものととらえることより生じた疲れ
 それゆえ、たとえ逆境に遭遇したとしても錯誤と見なす
 それが菩薩の実践である」


 たとえ逆境にある時でも、現象として顕れていることごとは皆、夢の中での悲しいできごとであるのと同じく、実体のないであると観るのが菩薩(ボサツ)の道です。

 私たちは、(クウ)の瞑想をしている時は意識がを観ていますが、瞑想から離れて日常生活へ戻ると、たちまち、執着が主役を務めることになりがちです。
 修行を積んだはずの高位にある僧侶が、つまらぬことで檀家さんと諍いを起こしたりするのはそのためです。
 当然ながら、行者にとって大切なのは、どこで何年間、何の修行を行ったかではなく、たった今、いかなる行者として、いかなる菩薩行に励んでいるかの一点だけです。
 もちろん、出家していない方々にとっても事情はまったく同じであり、毎年、何の修行にでかけているかが問題ではなく、いざという時に、きちんとの観点からものごとを見て行動できるかどうかが大切です。
 だから、生涯、こうしたチェックが欠かせません。

 なぜ、こうした心の修行が必要なのか?
 平穏な日常生活にあっては、好き嫌いや気分次第で泣いたり笑ったりしながら暮らしていても大した問題は起こらないかも知れません。
 しかし、たとえば陰湿ないじめに遭ったり、理由もわからないままに恋人が去ったり、急に左遷されたりすると、心がわけのわからない状態になって適切な対応ができなくなるかも知れません。
 不登校や職場放棄、暴力事件や殺人事件、意気阻喪や閉じこもり、などが生じたら大変です。
 いじめや失恋や左遷がこうした哀しい状況を引き起こす直接原因ではあっても、それをどう受けとめ、どう考え、どう行動するかは最終的に受け手の心次第です。

 嬉しいできごとが起こって心から喜んでも、舞い上がっていい気にならない。
 悲しいできごとが起こって心から悲しんでも、思考停止して自分を失わない。
 これが結局は自分にも周囲の人々へも道を誤らせない態度であり、それには、執着心による一喜一憂を抑えねばなりません。

 執着心は、現象しているものを実体があると見誤るところに生じます。
 本当は、ありとあらゆるものに不変の実体はなく、私と言い、貴方と言っても、それはかりそめに今ここにいるだけであって、一瞬後に心臓が止まってしまえば、24時間経過した後にはお骨になっていて何の不思議もないのです。
 このような真実を観るの観点があれば、執着心は薄れて一喜一憂におのづからリミッターがはたらきます。
 そして、順境にあっても逆境にあっても人間として節度ある姿勢を貫くことができます。
 逆境に耐える力がつき、理不尽や不条理に満ちたこの世で、思いやりと智慧を失わずに生きて行ける可能性が高まります。

 だから、普段からを考え、さまざまなできごとに対してと観る訓練をしておく必要があるのです。
 仏法は明快です。
「この世はままならない。
 ままならないのは、何でも実体があると錯覚を起こして執着するからである。
 錯覚を離れるためには、空の真理を観る必要がある。
 だから修行しよう」




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「おん あみりたていせい から うん」※今日の守本尊大日如来様の真言です。
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2012
07.24

 2012年8月の運勢

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 2012年8月─平成24年8月(葉月…8月7日から9月6日まで)─の運勢です。
 運気の流れによる注意点を参考にし、人間修行の六波羅蜜(ロッパラミツ)行で改運し、開運し、快運となりますよう。

一 大地のありがたみを再確認しましょう

 私たちは大地に足をついて生きていますが、考えてみれば不思議なことです。
 もしも、宇宙船の中にいるのと同じ無重力状態になり、いつも空中ににプカプカと浮かんでいたなら、私たちの心はどのようにはたらくのでしょうか?
 宿り木を持たず飛行したままの鳥や、家のない犬や猫や、休まずにはたらいているアリなどに囲まれているとしたなら、私たちはどうなるでしょうか?
 すべての生きものは、その生を安定させる〈拠り所〉を持っており、これがあればこそ一日・一年・一生を一定のリズムに合わせて生き通せます。
 こうした〈拠り所〉の大元こそが大地です。
 大地の恵みを受けていない生きものはありません。
 横になって眠り、大地に蓄えられた水を飲み、地面に足をついて立ち歩めることのありがたさを再確認したいものです。

二 母のありがたみを再確認しましょう

 生きものは育つ力を内包していますが、育てられる縁に恵まれなければ、まっとうに育てません。
 産みおとし、育ててくれる〈母なるもの〉こそが縁の最たるものです。
 生まれた子のために、生んだ母の方が時として自分のいのちの危険をかえりみず守ってくれるのも、不思議なことです。
 一つの完結した生命体が、いわば自分の分身としてもう一つの完結した生命体を世に出し、それが順調に育つためには、自分の命すら捨てるとはどういうことでしょうか?
 ビートたけしの母親は、たけしの親だけあって、いつもたけしへ厳しくあたり、毒づいたりもしていました。
 たけしが有名になってから時折、小遣いをせびるようになり、たけしは「また、金か……」と思いながら送っていましたが、母親はそっくり手をつけずに、たけし名義の通帳へ残しておいてくれました。
 自分のためにはびた一文使わず、我が子のいざという時のためにと、黙って遺してくれたのです。
 我が子のためにすべてを捧げる心は、悲母観音の慈悲心に象徴されます。
 母親の気持を想えば、たとえ慢心や落胆のために枯渇しかかっていた慈悲心も復活するのではないでしょうか。

三 「得意澹然(タンゼン)、失意泰然(タイゼン)」と口ずさみましょう

「澹」は水がゆったりとたゆたい静かで落ち着いた様子です。
 順調な時期には舞い上がらず、浮つかず、澄んだ水が満々と湛えられた湖をイメージして過ごし、不調な時期には焦らず、落ち込まず、どんな強風にもどっしりと構えて揺るがない山をイメージして過ごしましょう。
 ものごとがうまく行かないと他を批判したり、貶したりしがちですが、それではなりません。
 運気の流れをますます悪くし、自分がなかなか停滞から抜け出せなくなる危険性があります。
 何か気に入らないことがあったなら、まずは、相手の身になってみましょう。
 たとえば「死は穢れではないから、ご葬儀に関するお清め塩は使いません」と言われ、とまどった場合、自分もそう考えれば使わなければ良いし、違和感や不安感がぬぐえないなら、使えば良いだけのことです。
 相手の身になってみれば、目くじらを立てて言い争うまでもないことがすぐにわかるはずです。
 そもそも、宗教と食生活とセックスは文化・文明により、地域により、そして人によってそれぞれであり、自分が「これでよい」と思っているのは、あくまでも〈自分の特異性の範囲〉と心得たいものです。
 自分のやり方で他人を染めようとするのは傲慢であり、よけいなおせっかいであり、時として、無礼でもあります。
 不調だとこうした身近な問題に関して他のやり方へ不満を募らせたり攻撃的になったりしがちですが、多少、感覚や感情にひっかかりが生じても、守本尊様を信じ、大山を風が吹くイメージで過ごし、運気の転換を早めましょう。
(ここに書いたことごとも「one of them」に過ぎません)

 皆さんの開運を祈っています!

○今月の六波羅蜜(ロッパラミツ)行
 仏道修行の基本はこの6つであり、出家と在家とを問わず、菩薩(ボサツ)になるための道です。

布施(フセ)行と運勢水を供えましょう。
 精進の人は細心の注意をもってことにあたり無事安全です。
 不精進の人は自分の利益に眼がくらみ、将来にわたる盛衰の道を選び損ないがちです。
持戒(ジカイ)行と運勢塗香(ヅコウ)で身と心を清めましょう。
 精進の人は公正無私な姿勢が認められ、指導的立場にも立てます。
 不精進の人は「出る釘は打たれる」となりがちです。
[忍辱(ニンニク)行と運勢お花を供えましょう。
 精進の人は不透明な状況で我を通さず無事安全です。
 不精進の人は不平不満をもって他へぶつかり、忠告なども無視して失敗しがちです。
[精進行と運勢お線香を供えましょう。
 精進の人は言葉を慎みつつ他のためになり成功します。
 不精進の人は自分の財を増やすつもりが軽はずみなおしゃべりで散財となってしまいがちです。
[禅定行と運勢飯食(オンジキ)を供えましょう。
 精進の人は真理・真実のありかを観て行動し信頼を獲得します。
 不精進の人は正邪善悪の分別を軽く観て暴走し、災いを招きがちです。
[智慧行と運勢]灯火を供えましょう。
 精進の人は身内なども含めてつまらぬ紛争を避け無事安全です。
 不精進の人は私的・公的に自分の利のみを求めて争い悪人の介入を招き失敗しがちです。




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2012
07.23

【現代の偉人伝】第151話 ─自分の〈いじめ〉体験『村に来た人たち』を書き残した藤沢周平─

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〈小雨の中、20人ほどの方々が草刈りに参加されました〉

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〈刈られる直前の……〉

 昭和52年、50才になった作家藤沢周平は、幼少時にいじめた体験『村に来た人たち』を書き置いた。
 直木賞を受賞した4年後である。
 その書き置きはこう始まる。

「こういうことは、私でも書いておかなければ誰も書かず、やがて誰も思い出さずに消えてしまうだろうと思うようなことがある。
 そういうことを少し書いてみたい。」


 たとえ中年であろうと、いかに小説家であろうと、作家として華々しい脚光を浴びて間もなく自分の恥をあからさまにする姿勢に氏の生きざまを感じる。
 
 皆からハヤナイのじいさんと呼ばれる朝鮮人のアイスクリーム売りが村にやってくる。
 じいさんのアイスクリームはあまり売れないから、はやらない売り手として「ハヤナイ」の蔑称を受けていた。
 それにはもう一つの意味がある。

「じいさんを、私たちより年かさの連中は朝鮮人と呼び、その言葉にはっきりと軽蔑の意味をこめていた。
 私たちも、その軽蔑の身ぶりを見習い、真似た。」


 その頃の子供たちは「ふだんは金を持つ習慣がなかった」ので、アイスクリームを手に入れようとすれば、大人に買ってもらうしかない。
 だから、アイスクリームはめったに売れず、子供たちは指をくわえるだけである。
 やがて「村で有名だったガキ大将とその取りまきが」じいさんを襲う。
 氏は「私たち下っぱが聞きつけ、ついていった」というスタンスである。

「じいさんは甲高い怒りの声をあげて、彼らを追い払おうとしたが突きとばされた。
 そして彼らは新山の方に逃げて行った。」


 襲われたじいさんが悪童どもを追いかけた隙に、氏たちは「残り餌をあさるハイエナのように、屋台の上のガラスの箱から、アイスクリームを盛るモナカの皮を盗みとった」のである。

 お玉と呼ばれる「背が低く、丸っこい体つきで、黒く汚れた顔と丸い眼を持っていた」女乞食(コジキ)が、物もらいに村へ来る。
 氏の母は「その物もらいがくると、米をやったあと、入り口にかけさせてお茶を出し、世間話をした」。
 今度は、例のガキ大将が「道の真ん中でお玉を裸にしようとした」。

「汚れ、傷んで近づくと異臭がするお玉のボロ着物は、不良の手でわけもなく裂け、お玉の胸がむき出しになった。
 私はみんなと一緒にその現場をみていた。
 そしてお玉が泣きわめいて逃げるのを、後からみんなと一緒に喚声をあげておいかけた。
 お玉は、袋にいれたもらい物も、道端に投げ捨てて走り、やがて道を曲がって泣き声と一緒に、姿は見えなくなった。」


「深夜、原稿を書いているとき、突然になんの脈絡もなくハヤナイじいさんや、お玉のことを思い出すことがある。
 私たちはなぜ、ハヤナイのじいさんを襲ったり、お玉を泣かせたりしたのだろう。
 なぜあんな残酷な仕打ちをしたのだろう。
 そう思いながら私は、泣くような甲高い声をあげて怒ったハヤナイのじいさんや、子供のように泣き叫んで走ったお玉を思い出し、思わず涙ぐみそうになる。
 私は年をとって涙もろくなったのだろうか。
 そうではあるまい。
 多分お玉の人生、ハヤナイのじいさんの人生が、いまになって私にもうっすらと見えてきたのである。
 そして彼らの人生に、あのようなかかわり方をした自分も見えてきたのである。」


 周囲から軽蔑されていたじいさんにとって、材料を仕入れ、真夏のかんかん照りの下をトボトボと刻む一歩一歩は、生きることそのものだったのだろう。
 それを無体にも破壊されそうになった時、じいさんの気持はいかばかりであったか。
 きっと、「泣くような」には、いのちを奪われんばかりの悲しみがあったのだろう。
 きっと、「怒った」には、非情な敵への全身全霊を挙げた反撃があったのだろう。
 そして、それに似たできごとは、じいさんの生活につきまとっていたのではなかろうか。

 お玉は「私たちがはやし立てたりすると、早口で元気よく罵(ノノシ)りかえし」人気もあったという。
 ボロをまとった乞食でも、罵られたら罵り返すところにささやかな〈自分の確保〉があったのだろう。
 私が子供の頃、両親がやっていた店に来ると、上がりがまちにじっと座って、何かもらうまで動かない男がいた。
 それを見た学のある貴人が「端座(タンザ)の姿、いとも尊し」と言ったので、皆、「タンザが来た」と言うようになった。
 もう、顔も姿も思い出せないが、じっと待つ時の不動の姿勢に何か譲れないもの、あるいは守りたいものを込めていたのだろう。
 だから、「尊し」と感じられたにちがいない。
 タンザは、少なくとも私の知っている限りでは、譲れず守りたいものを壊されることはなかったが、お玉は、裸にされるという屈辱により、〈自分を確保〉できなくなった。
 もしかすると、「袋にいれたもらい物」はお玉の全財産だったのかも知れない。
 それを投げ捨てるとは、〈もう、生きなくても良い〉という状況ではないか。
 お玉の泣き声には、恥ずかしさを超えた生きられなくなった哀しみがあったのではないか。

 氏はこう結ぶ。

「人はなぜ、人をいじめたりするのだろう。
 そもそも人間とは何者なのだろう。
 ペンを休め、私は凝然(ギョウゼン)とそういうことを考え続けるのである。」


 藤沢周平に学び、大人も、子供も、まず自分をふり返り、自分の頭で考えようではありませんか。




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「のうまく さんまんだ ばざらだん かん」※今日の守本尊不動明王様の真言です。
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2012
07.22

なぜ新居のお清めをするのか ─ある幸せの得られ方─

20120722001.jpg
納骨堂法楽殿』の天井画です〉

 ある町で、まだ20台半ばの青年が念願の家を手にし、入居前のお清めを依頼されました。
 内装は明るい色で統一されており、はしゃぎまわる少女の屈託ない声が着替え中の耳に入りました。
「ねえ、ベンジョって何?」
 おしゃまなそぶりをしてもまだ小学生の彼女は、集まった大人の口から未知の言葉を聞いたのでした。
「便所の敷物も良いのが見つかったわねえ」

 この地を守る仏神へのご挨拶と感謝とご供養を行い、八方天地をお守りいただく法を結び、再びの感謝と讃歎で修法は終わりました。
 途中、皆さんへお焼香をお勧めしました。
「この家とご家族と皆々様をお守りくださる仏神をご供養し、私たちへいのちと心をバトンタッチしてくださったご先祖様と、あらゆる御霊へ感謝するために、どうぞ、お焼香をお願いします」
 やがて、真新しい畳の匂いにお香の淡い香りが入り交じり、結界(ケッカイ)の中で集う人々の思いは一つになりました。
「この場で、よき未来がもたらされますよう」
 
 畳の上で車座になった面々とお茶を前にしながら、子供の頃は隠形流(オンギョウリュウ)居合の道場へ通っていた青年へ声をかけました。
「よくやったね。
 こんなに嬉しい修法をさせてもらってありがとう」
 はにかみがちに青年は応えました。
「親の願いを叶えただけです」
 ぐっと詰まりました。
 無口でひたむきな青年の精進ぶり、お母さんの苦労、少年だった彼を仙台市内の道場へ送り迎えしてくれていた叔母さんの熱心さなどが一気に胸に迫ったからです。

 夕刻、例祭での護摩法が終わり、いつも通りに短い法話を行いました。
「私たちは、だれしもが、幸せを求めています。
 今日、安全な食事を摂り、生き抜くことも、すでに幸せの範疇(ハンチュウ)です。
 食べて、着て、住み、はたらく。
 こうしたことごとに願いを持ち、確かな日々がもたらされるよう汗を流す。
 その過程に誠実さが伴っていれば、まっとうに生きられます。
 過ぎたことにあれこれとグチを言わない、自分の好き嫌いを相手構わず主張しない、自分の領分と他人様の領分を劃然(カクゼン…はっきりしている様子)と分ける、明らかなことがらと不明瞭なことがらを混同しない、などは、誠実さを高めるための努力目標です。
 それは、自他へ基本的な幸せをもたらすために欠かせず、その方向性は正しいと言えます。
 何も、因果応報(インガオウホウ)や、(クウ)などの深遠な真理を持ち出すまでもなく、私たちは互いに幸せを求めながら正しく生きられます。
 このような導きを世俗諦(セゾクタイ)と言います。
 お釈迦様は、日常生活をまっとうに生きられるための「世俗諦(セゾクタイ)」と、まっとうな日常生活に疑問や亀裂や閉塞(ヘイソク…ふさがり)が生じた際の救いとなり、自他の人生へ深刻な破綻をもたらさないための修行ともなる「勝義諦(ショウギタイ)」の両方を説かれました。
 自分に厳しく、他人へ優しく、約束を守るなどの世俗諦をきちんと実践していれば、安心な食事や納得できる衣装や疲れをとる居住間や汗を流して本望な仕事などがもたらされます。

 最近、お清めを行った新居の主は世俗諦の見事な実践者です。
 そして彼は、守本尊様の祈り方も知っています。
 いざという時は、きっと一段深い勝義諦が支えともなり、救いともなることでしょう。

 私たちはこれからも、両方の教えを学び、実践して行きましょう」




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 来る3月11日には「般若心経百万巻」の供養をしましょう。(http://hourakuji.blog115.fc2.com/blog-entry-3107.html)
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「のうまく さんまんだ ぼだなん あびらうんけん」※今日の守本尊大日如来様の真言です。
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2012
07.21

なぜ古家を壊す前に供養するのか

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 隣県の古い家が解体されることになり、ご供養にでかけました。
 かつて仏間だった場所は片付けられ、ガランとしていましたが、法衣に着替えながらふと、柱に書かれた小さな文字を発見しました。
 初めは「おん ころころ ~」と読んだので、当然「せんだり まとうぎ そわか」とお薬師様の真言が続くものと早合点したところ、何か変です。
 もう一度、よく目をこらして見たところ、「おん にこにこ ~」となっているではありませんか。
 再再度、読み直して合点が行きました。
「オン ニコニコ ハラダテヅ ソワカ」だったのです。
 当家の主だったお婆さんが、いつも笑顔を心がけ、腹を立てないようにしようと日々、仏神へ誓っておられた事実に、集まった全員が息を呑みました。

 突然、体調を崩して入院し、そのまま家へ帰れないまま亡くなったお婆さんの心が一気に迫ってきました。
 ここの空間にはお婆さんの生きた気配が色濃く残っているのに、主がいなくなった家は、もうすぐ姿を消さねばなりません。
 当地を守り、お婆さんの思いに応えてくださっておられた仏神を供養し、家を供養し、修法は終わりました。

 これまで役立ってくれていたものを廃する場合、感謝の心をこめて供養するのは、まず仏神のため、がんばってくれたモノのため、そして供養する人々のためでもあります。
 参列された方々の表情には安堵が宿り、亡きお婆さんの御霊もおられるかに感じられました。
 この世として現れている現象には、目や耳で確認できるレベルのありよう、空(クウ)であるといったレベルの本質的なありよう、さらにはもっと微細な仏神といった世界が重なっています。
 家というモノは、柱や屋根としてだけでなく、住む人びとを守り育て、社会内で落ち着いた暮らしができるよう人生の基地とでも言うべきはたらきをしてくれた大恩ある相手と観ることができます。
 そうし私たちが感謝の思いで眺める時、モノは、深いレベルをかいま見せてくれます。

 お薬師様の真言をふまえたお婆さんの「オン ニコニコ ハラダテヅ ソワカ」と、部屋の隅にぶらさげられた大黒様のお面は、壊されるばかりの古家に集まった私たちをフッと異次元へ誘ってくれました。
 きっと、お婆さんの御霊は、あの世で「よくやってくれた」と感謝し、私たちを守ってくださることでしょう。
 こうして、真の供養は相互供養になります。
 それをもたらしたのは、この家で育った人々などの、尊いものをへ礼をもって接し拝する心でした。
 礼拝と供養の大切さが全員が胸に沁みたひとときでした。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 来る3月11日には「般若心経百万巻」の供養をしましょう。(http://hourakuji.blog115.fc2.com/blog-entry-3107.html)
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
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「のうまく さんまんだ ぼだなん あびらうんけん」※今日の守本尊大日如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。





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2012
07.20

嘘をつかないよう誓っているのに、つい嘘をついてしまう自分をどうにかしたい

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〈道端のお薬師様〉

 私たちは「をつく」と言いますが、〝をつくことにしよう〟と考えた上でを口にする人はあまりおられないのではないでしょうか。
 つまり、往々にして、は〈ついてしまう〉ものであることが多いと思われます。
 このことから、気づかされます。
 ──自分の中の誰かが、私にをつかせている、をつきたくないのに……。

 嘘をつかないようにしようと誓う〈自分〉がいます。
 それは、表面の心のはたらきの中に表れた〈高い人格を求める自分〉です。
 これを「自分A」としましょう。
 一方、つい、そうしようと願ってもいないのについ、嘘をついてしまう〈自分〉がいます。
 それは、表面の心のはたらきの中に表れた〈表面を繕うように習慣づけられている自分〉です。
 これを「自分B」としましょう。

 「自分B」は、小さな頃、何かあるたびに親がかばってくれた、あるいは、何かのきっかけであなたが自分への言い訳を覚え、本当の自分は悪い子ではないんだと思うようになったとか、さまざまな人生の経過によって知らぬ間に創られた自分です。
 それに対して「自分A」は、どこかの時点で「自分B」に気づき、罪悪感や嫌悪感などを感じて、これではいけないと目覚めました。
 また、高い人格を持った人がいることや、善い行動による満足感や幸福感などを知り、そうした生き方に徹する人になりたいと心から願ってもいます。

 二つの自分がどこにあるかと言えば、表面の心の下にある蔵識(ゾウシキ…心理学の潜在意識に近い)という心にあります。
 人生の歴史を蔵のように宿している場所で、普段、その存在は意識されません。
 しかし、私たちの行動も、言葉も、心も、そのほとんどはそこからの指令ではたらきます。
 たとえば、好きな人にバッタリ出会ったら、心も顔も輝きます。
 たとえば、魚の腐った匂いを嗅げば、反射的に顔を背けます。
 それは、蔵識にある情報が反射的にそうした行動をとらせるからです。

 さて、今のあなたが悩んでおられるのは、蔵識にある「自分A」のはたらきが、まだ充分に「自分B」のはたらきを抑えられるまで大きくなってはいないからです。
 その理由の一つは、〈自分可愛さ〉があるからです。
 厳しく言えば自己中心の心となりますが、これは誰にでもあります。
 人間が一つの肉体を持った生きものである以上、この心があることは避けられません。
 肉体は成長を終えれば死へ向かうようにプログラムされている一方、心は、基本的に生を求めるようにプログラムされているからです。
 そうした自分可愛さがある以上、あなたが自分を大きく見せたいといった気持になるのは当然であり、それはあなただけのことではないので、あまり罪悪感のようなものは持たないでください。
 ただし、これではいけないと嫌悪感を持ち、「自分B」を克服したいと願い続けることはとても大切です。

 では、どうするか?

 一つはこうした心のしくみを理解し、「自分A」を育てて行けば、いつかきっと「自分B」がほとんど表面の心へ影響を及ぼさない日が来ると信じて進むことです。
 ちなみに、すべてを失って出家したばかりの私へ、師は指示されました。
 「今年の目標は、『言い訳をしないこと』にしましょうか」
 あなたにとっての自分可愛さは、自分を大きく見せたい嘘として表れることが多いようですが、私にとっての自分可愛さは、言い訳だったのです。
 もちろん今も、私の言い訳癖は完全に克服されてはいませんが、悩みをもたらすほどの影響力は失いました。
 だからといって、そのための特殊な修行をムチャクチャにやったわけではありません。
 知って、理解し、信じて、目標をゆるがせにせず、生きてきただけのことです。
 こうした自分の成り行きを体験しているので、あなたにもきっとできると確信しています。

 具体的な方法の第一は、さきほど書いたように、「自分可愛さは誰にでもある」と知って、あまり、自分を責めないことです。
 第二には、心を大きな入れものと考え、そこに濁った水である「自分B」があるのは仕方ないけれども、清らかな水である「自分A」がどんどん溜め込まれて行けば、相対的に心の水は清らかなものになって行くとイメージするのです。
 第三には、〈自分〉と考える表面の心は、一瞬一瞬という無数の点によって出来上がっている一本の糸のようなものであり、糸になっている意識には、一度に一つの点しか現れないとイメージするのです。
 「自分A」を白い○、「自分B」を黒い●としましょう。
 誰も全部○であることはなく、●であることもありません。
 だからあなたの糸がだんだん○で埋め尽くされて行けば、たまに●が出てきたとしても、あなたはもうほとんど「自分A」なのです。
 忘れた頃に●が顔を覘かせても気にする必要がないのです。

 あなたがこうして自分をありのままに見つめ、善くありたいと願い、悩んでいるのは、もう、仏神の救いの中にいることです。
 だから、きっと、み仏の教えに基づく上記の内容は、紙に水が沁み込むようにあなたの心へ届くことでしょう。
 心の修行は一生です。
 風雨にさらされる時もあり、鳥の声や川のせせらぎにホッとする時もある一本道を、お互い「ヤッホー」と声をかけ合いながら進もうではありませんか。



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「おん さんざんざん さく そわか」※今日の守本尊勢至菩薩様の真言です。
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2012
07.19

いじめ、いじめられているお子さんへ(その3) ─親御さんが教育するための一助として─

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〈傾いた石碑の下で江戸時代から座ったままの僧侶が祈っていると信じられますか〉

 いじめているお子さん、いじめられているお子さんのために、簡単な運勢を書きました。
 運勢はいのちと心が動いて行く可能性の高い方向を示しています。
 必ずそうなるわけではないので、決して予言やお告げではありません。
 良き可能性をどんどん伸ばし、悪しき可能性へは早めに処置するためこそ、古人はこうした判断方法を残してくれました。
 縛られることなく、兆しを見逃さず、智慧をもって対応するのがそれを生かすコツと言えそうです。

【数え年14才の貴方】

 子供の世界のありようも、大人の世界のありようもはっきりと見え始め、大人の欺瞞などへ敏感になり、ものごとをはっきりさせたくなります。
 毀誉褒貶(キヨホウヘン…誉めることと貶すこと)に対する意識も高まり、気持はだんだん〈一人前〉に近づきます。
 約束ごとにどう対処するかによって仲間を厳しく評価し、自分でも親友との約束を最優先にします。
 また、何が正しいかによってお互いに譲れない争いや戦いも起こり、ままならなさを実感します。

 今年はまず、自分の人間としての器がいったいどの程度なのかをふり返り、相手の器もまた冷静に判断しつつつき合いましょう。
 自分を過大評価したり、必要以上に卑下したりすると、軋轢(アツレキ)だらけになりかねません。
 戦いに勝つヒーローだけに目を向けていると成長しません。
 敗れた側にある真実にも気づくようになればグンと成長することでしょう。
 自分が正当に求めていても得られずに悩んだりしたなら、勢至菩薩(セイシボサツ)様の梵字やお姿をイメージして祈れば、祈りの響きの中へそうした悩みは解消してしまいましょう。
 真言は「おん さん ざん ざん さく そわか」です。
 また、社会的に不当な扱いを受けたり、社会的問題によって貧困や飢餓に苦しむ人などが見捨てられない気持になった時は、自分の志を堅固にすれば、心は強くなります。
 頭をぶつけないよう、心臓がドキドキする時は無理をしないよう、気持にムラがあると思ったなら深呼吸をしてみましょう。

 こんなことに気をつけながら過ごし、いじめたい心が起こった時も、いじめに遭って辛い時も、この一年を守ってくださる守本尊勢至菩薩様の真言を唱えて、そうした悪い流れにうち克ちましょう。

【数え年15才の貴方】
 
 出口のない悩みを体験し、そうした悩みを持った仲間がいることに深く思いをいたすようになります。
 自分の本当の心や姿をなぜ周囲が理解してくれないのかともがき、「誰もわかってくれない」と捨て鉢な気持になったりもします。
 そんな時、たった一人、ありのままに観てくれる仲間がいたりすると生涯を通しての親友になるかも知れません。
 ご縁のAさんが詠まれました。
「合図あり 生きてる限り あげは舞う」
 この〈合図〉は、ピンと来る人にだけ通じるのです。
 これでよいではありませんか。

 今年はまず、小説や歴史や偉人伝などに目を向け、これまで人間がどう生き、何を考えてきたかを考えてみましょう。
 そうすると人と人の間にある人間として悩むのは〈自分だけではない〉ことに気づくことでしょう。
 今日はたちまち、昨日になり、明日はたちまち、今日になります。
 時の激流の中でもまれもまれているうちに、やがては一人前の鯉となって滝登りもできるようになります。
 自分の未熟さに嫌気がさし、賢者の遙かな高みがあまりにも遠いと感じられたなら、千手観音(センジュカンノン)様の梵字やお姿をイメージして祈れば、祈りの響きの中へそうした悩みは解消してしまいましょう。
 真言は「おん ばざら たらま きりく」です。
 自分は〈これから〉であり、どういう社会が創られて行くのかは自分たちにかかっているし、いのちをバトンタッチしてくれた親や祖父・祖母やご先祖様をやがて守って行くのは自分であると思えば、いつまでもウジウジしてはいられません。
 転んだりして血を流すことにならないよう気をつけ、落ち込んだ時は好きな生きものと接してみましょう。

 こんなことに気をつけながら過ごし、いじめたい心が起こった時も、いじめに遭って辛い時も、この一年を守ってくださる守本尊千手観音様の真言を唱えて、そうした悪い流れにうち克ちましょう。



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2012
07.19

第30回寺子屋『法楽館』─震災後を生きる方々、生きる私─

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 寺子屋法楽館』は30回目を迎えます。

 平成7年7月、仙台市小松島の古家で『法楽の会』を発足していただいた当山はその後、順調な発展を続け、毎月発行している機関誌『法楽』は 271号を数えるに至りました。
 会員各位様の変わらぬご助力と、『ゆかりびとの会』の会員をはじめ、さまざまなご縁の方々のご誠心を賜り、ここまで来られました。
 あらためて、心より、深くお礼申し上げます。

 今年、17周年を迎えるにあたり、感謝の心をこめ、寺子屋法楽館』において『法楽の会』の勉強会を兼ねた記念講座を開催しています。
 その第二弾は、『源氏物語』をはじめとする作品の朗読や講演など、言葉を通して心に響くメッセージを届けている、言の葉アーティスト・渡辺祥子先生(仙台市)を講師にお迎えし、昨年の大震災における被災者の方々や復興にかける方々と歩んできた道のりの中で得た、大きな気づきの数々をお話しいただきます。
 フリーアナウンサーとして〈現場〉を大切にしてきた渡辺先生のお話は迫真の真実を伝えます。
 私たちすべてが大震災の〈生き残り〉であるということをあらためてかみしめなおそうではありませんか。
 また、『古事記』など、日本人の心の源流となる作品の朗読も予定していますので、どうぞお気軽におでかけください。
 どなたでも自由に参加でき、質疑応答も行います。

○講師:渡辺祥子先生(フリーアナウンサー・朗読家・ロゴセラピスト)
○日時:8月11日(土)13:30~15:00
○場所:当山講堂
○参加費:1000円(中学生以下500円)飲物付 『法楽の会』会員は無料
○送迎:泉中央『イズミティ21』前より13:00発車
    (利用希望の方は10日17:00まで要申込)
(9月8日の第三弾は、郷土史研究家伊藤宏子先生をお招きする予定です)



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2012
07.18

「いじめ」と「誉め」について

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〈トカゲのしっぽを運ぼうと炎天下で懸命な作業を続ける二匹〉

 昔は今のようないじめはなかったというノスタルジックな言葉をよく耳にしますが、そうでもあり、そうでもなかったと感じています。
 そうだったというのは、今ほど陰湿で追いつめ方に限度がなく、周囲は傍観者ばかりで、先生の手に負えない、などということはなかったからです。
 そうでもなかったというのは、〈いじめっ子〉も〈いじめられっ子〉も、昔(半世紀前)だっていたからです。

 さて、当時のいじめっ子を思い出してみると、「あまり、親や周囲から誉められていなかった」タイプだったような気がします。

 半世紀前の日本の親たちは、一部の富裕層を除いて皆、文字どおり朝から晩まで額に汗してはたらき、子供には背中しか見せる余裕がありませんでした。
 A君の親御さんも両親揃って傘作りや内職に励み、A君の勉強をみてやる余裕はなさそうでした。
 もちろん、家庭教師や塾などは夢の又夢、私などは、そうした言葉を聞いたこともありませんでした。
 A君は、学校から帰ると家の手伝いをやらされ、うまくできないので、いつも叱られていました。
 もちろん、親御さんは決して我が子をいじめるわけではなく、早く作業の要領を身につけて欲しいという一心だったのでしょうが。
 背が高く、いつも身体を使い慣れていたA君は、すぐに暴力をふるう乱暴者でした。
 仲間が泣かされていたシーンを思い出します。
 でも、誰かが止めに入ると、そこで終わり、エスカレートはしていなかったはずです。
 親から叱られ、仲間たちと同じように自由に遊べないA君は、淋しかったのでしょう。
 運動会でしか自分を誇示できず、周囲から誉められることの少なかったA君は、悔しかったのでしょう。

 B君の親御さんはお役人さんでした。
 家はすぐ近くなのに、会った記憶がありません。
 きっと、偉く、多忙だったのでしょう。
 B君は特に乱暴者ではなく、成績もまあまあだったはずですが、いつも特定の仲間を従えていました。
 今、考えると、お父さんもそうした世界にいたのでしょう。
 野球をやる時は人数が必要なので、大勢集まりますが、何かあってもすぐに〈数〉で決着をつけました。
 いつも譲らす、横暴でした。
 そして、ボールが近所のガラス窓を直撃するなど何かまずいできごとがあれば、必ず誰かを犯人に仕立て上げ、いつも自分たちを〈良い子〉の側へ置きました。
 やられた子は、反撃する術がありません。
 小学校へ入るか入らないかというあたりからこうした行動をとっていたことは、A君のケースよりも深刻な事態だったのかも知れません。

 中学校を卒業してすぐにはたらきに出たA君は、二十歳過ぎに、不慮の事故で早世しました。
 早々にどこかへ引っ越したB君は、中年の頃、事件を起こして逮捕され、新聞に載ったと聞きました。

 二人に共通するのは、誉められていたシーンを思い出せず、そうしたシーンを想像できないことです。
 今になってつくづく、二人の淋しさを想います。
 二人とも、誉められていれば、きっと違った自分を創りながら成長できたのではないか……。
 暴力的な心、腹黒い心をあまり育てることなく大人になれたのではないか……。

 今朝の産経新聞「『こころ』と『かたち』」において、東芝のラグビーチームを日本一に導いた富岡鉄平氏の言葉が紹介されていました。

「悪いところは目につくが、いいところは探さないと見つけられない」


 昨日の産経新聞では、ファーストリテイリングの柳井正社長が言っています。

「日本の首相が、外国の首脳と話をする時に原稿を棒読みする。恥ですよ」


 努力し、自分の言葉を探さねば、なかなか誉められません。
 特に、年を取ると他人様の嫌なところや悪いところに気をとられ、昔は良かったとつぶやき、文句ばかり達者になる傾向があるので、自戒しています。
 そして、ささやかな訓練を欠かしません。
 たとえば食堂に行けば、お会計をする時に何と言おうかと考えます。
 究した時の言葉としてとっておくのが「おいしかった」です。
 ラーメン屋さんでは「ずいぶんと研究されていますね」、半田屋さんでは「元気モリモリになりました」など、その都度、感じたことを異なる言葉でお伝えすることにしています。
「おいしかった」を使った時は、食事はおいしくとも、車のキーを廻しながら、かなり、ガッカリしています。
 それでも、言われた方は嬉しそうな顔をしてくださるので、少々、救われていはます。

 淋しさのまり、子供たちが暴力的な心や腹黒い心を育てないよう、私たち大人も、心と言葉の訓練をしようではありませんか。



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2012
07.17

徒歩参拝とオーディオのこと

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〈Aさんにひざまづく思いです〉

1 Aさんの徒歩参拝

 仙台市在住のAさん(72才)は、炎天下を5時間半かけて徒歩参拝されました。
 第二回目になります。
 第一回目は、寺子屋建立の願をかけた虚空蔵求聞持法(コクゾウグモンジホウ)が成満間近となっていたやはり真夏の暑い日でした。
 ご誠心にうたれてさらに励み、おかげさまにて真言百万遍を唱える法は成満し、まもなく地鎮祭へとこぎつけ講堂が完成しました。
 今回は奥様の体調回復を祈念する修行であろうと推測しましたが、当山にとってはいかなる意味を持つのかも考えてみました。

 ちょうど、泉墓苑の納骨にでかける時刻と重なり、Aさんとはほとんど言葉を交わせませんでした。
 でも、力を振り絞って真言を唱えておられる後姿を観て、ああ、よかったと思い当たるふしはあります。

2 やってきたスピーカーなど

 大震災の後、当山に、とても味わい深いスピーカーがやってきました。
 山元町在住の音響研究家浅見薫先生の家が地震で傾き、置けなくなったので当山にご縁となったのです。
 その後、二度ほど皆さんと一緒に音楽を楽しむ機会がつくられ、小さな頃は作曲家を夢見た時代もあった私は一定の満足感を持っていました。
 ところが、ある時、長老から、本堂に大きな音響セットのあることに違和感を感じる意見が出されました。
 私自身は、一旦、袈裟衣を着ければご本尊様と一体になる修法に入り、作業姿でアンプのスイッチを入れる時は芸術の世界に身を委ねる切り替えがハッキリとできていたので、問題なく日々を過ごしてきました。
 佳い音楽で皆さんをお迎えすることの価値も実感していました。
 ただ、寺院の実情に詳しい方から、「これほどのオーディオを備えているのは、こちら様とあと一ヶ寺さんくらいですね」と教えていただいた時、傍から〈趣味〉で好きなことをしていると観えているのではないかという小さな疑問が起こりました。
 そこへ違和感のご意見です。
 考えてみました。

3 宗教の役割

 そもそも宗教の役割は、自分と同じ宗教の信者を増やして社会的な力を持つところにあるのではなく、一人一人の〈魂の解放〉と〈霊性〉のレベルアップにあります。
 その目的は、芸術やスポーツなどによっても、あるいは自分の役割に精進しても、叶えられる可能性があります。
 だから、レベルの高い音響装置で一流の演奏を聴いていただく機会をつくることは、当山なりの役割の果たし方の一つであると考えてきました。

 また、音楽の発祥は大いなる者への捧げ物だったのでないかという説に共鳴もしています。
 天照大神(アマテラスオオミカミ)がお隠れになり、世界が真っ暗になった時、女神天宇受賣命(アメノウズメ)が半裸で歌舞を行い、この世に再び天照大神の光明を取り戻したという故事は、歌や踊りと救いとの関係を暗示しているのではないでしょうか。
 伊集院静作『いねむり先生』にも、月下で踊る半裸の男三人に訪れた救済の場面があります。
 だから、捧げ物の心で音楽を楽しむことに問題はないと考えてきました。

4 皆さんの違和感

 しかし、です。
 最近、自主的な護持会である『ゆかりびとの会』の役員が集まった席で、会議などはご本尊様の前で行い、懇親会的なものは、どこかの会館をお借りするなど場を替えてやってはいかがというご意見が出されました。
 賛同の意見が出るのを待つまでもなく、直感しました。
「ああ、皆さんは、厳粛な修法の場で鳴らされる音楽に、いかがなものかと感じておられるのだ」
 すかさず、そうしましょうと意見を述べ、方向は決まりました。
 次の役員会では、大きな音響装置が撤収されており、装置を除けてくださいとは誰も口にしなかったのにそうなっていたことに皆さん、驚かれました。
 
 それから間もなく、Aさんが徒歩参拝をされたのです。
 清々(セイセイ)した本堂でAさんをお迎えできたのは、やはり、良かったと思いました。
 浅見薫先生が丹精込めたスピーカーは、きっといつの日か、別な形で皆さんと私の魂の解放に役立ってくれることでしょう。

5 感謝、感謝

 住職になるとどうしても〈ひとりよがり〉になる危険性があります。
 住職の行う判断はすべて宗教的見地から行われていますが、その見地には、行者と共に僧宝(ソウボウ…み仏と教えを信じ、守る人々)として、仏宝(ブッポウ)と法宝(ホウボウ)とを支えてくださるサポーターのお心が含まれていなければなりません。
 それを忖度(ソンタク…推しはかること)するのが住職の大切な責務なのに、〈ひとりよがり〉になればアウトです。

 『ゆかりびとの会』の役員さん方、Aさん、本当にありがとうございました。
 当山は、また、一歩、前進させていただきました。
 南無大師遍照金剛(ナムダイシヘンジョウコンゴウ)。
 


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2012
07.16

死刑は是か非か ─寺子屋『法楽館』における弁護士犬飼健郎氏の講演について(その1)─

20120716011.jpg

 7月14日の寺子屋『法楽館』では、弁護士犬飼健郎先生を講師に迎え、「最近の司法の動き」と題した講演と質疑応答を行いました。
 その概要を書きとめておきます。
 なお、()内は当山のコメントです。

1 死刑制度について

 先生は、6月25日に亡くなられた団藤重光教授の法理に共鳴しつつ学び、弁護士としての活動を続けてこられました。
 特に、平成3年に教授が書いた『死刑廃止論』には同感するところが多いそうです。
 その根幹は、「裁判は人間が行うものであり、誤りを避けられない。誤った判断によって人間か殺されることは避けねばならない」というところにあります。
 日本の裁判では、有罪とするのに合理的疑いがない時にのみ有罪判決を下すことにしてはいるものの、再審などの事例を見ても、誤って有罪にされ、死刑になりかかった人々はたくさんいます。

 また、日本では昔から刑が軽く、嵯峨天皇の御代から保元平治の乱までの約350年間は、死刑が行われませんでした。
 世界史的にも珍しい状態に幕を下ろしたのは、NHK大河ドラマ『平清盛』で活躍した信西(シンゼイ)です。
 1186年、彼は、このままでは反乱が広がるという理由で源為義などを死罪にしました。
 日本には死刑の決まりががなかったわけではなく、例えば15反以上盗めば死刑ですが、いくらたくさん盗んでも10反ということにして死刑を避けた時期があったそうです。
 他国と比べるならば、そもそも「盗めば死刑」だったイギリスでは、『ユートピア』を書いたトマス・モアが「せめて、窃盗への死刑はなくそう」と主張したほどです。
(現在の中国では、人を殺せば死刑、日本円で80万円以上を盗んだり、覚醒剤1グラム以上を譲渡しても死刑です。
 寺子屋で観賞した映画『風の馬』に、拷問で息絶え絶えとなったチベット人尼僧が親族へ引き渡される場面があり、賄賂を渡しながらひきとった叔父さんは「獄吏は殺したくなかったのだろう」とつぶやきます)
 810年から1186年まで死刑が執行されなかった背景には、空海と最澄による仏教の隆盛があったのではないでしょうか。

 刑罰を弛めると犯罪が酷くなるのではないかという意見には、基本的に賛成できません。
 悪いことをしないのは「罰せられるから」ではありません。
 日本が世界的に見て比較的安全な社会なのは、日本人に一定の教育水準・倫理観・ある程度の理解力などがそなわっているせいではないでしょうか。
 最近は犯罪が増えているという感覚を持っている方もおられましょうが、統計で確認する限り、事実はそうではありません。
 死刑などを犯罪の抑止力にしたいのらば、死刑を公開したり、残虐な刑罰を科したりすればよさそうですが、私たちはそれを望んではいません。
 また、アメリカは比較的刑が重いとされていますが、犯罪があまり起こっていないわけではありません。

 以上、人間が人間を裁く限り誤審は避けられないので、死刑制度はいかがなものかと思われます。

(先生から、キリスト教なども含め、ほとんどの宗教は殺人を第一番に戒めているので、死刑制度へは厳しい考えをもっているのではないかとのご指摘がありました。
 仏教における不殺生という戒めの対象はあくまでも〈生きとし生けるもの〉なので、行為は殺人と限定されてはいませんが、いずれにしても、生きている者のいのちを奪う行為は最も罪の重いものであることは確かです。
 そして、不殺生とは「殺すなかれと」よりもむしろ、「殺せない人間になろう」というイメージであり、所定の修行を正しく行えばそうなるという事実は、体験上、確認しています。
 だから自分は殺せない人間になったと考えています。
 そして、死刑にたずさわる方々のお気持は、とても察しきれるものではないと感じてもいます。

 では、もしも日本が他国の侵略を受け、武器を手にした外国人が国土を蹂躙し始め、男たちが闘わねばならなくなったなら、どうするか?
 たとえば隠形流(オンギョウリュウ)居合の弟子たちが剣を携えて前線へ出る時は、その前面に出たいと願っています。
 師より先に弟子たちを殺すわけには行きません。
 もちろん、白兵戦で敵兵を切れない可能性は高いでしょう。
 腕前や体力の問題ではなく心の問題として。
 峰打ちにするか、それとも、剣をふるわず、相手を害さずに弟子たちの盾となるか、それはその時にならねばわかりませんが、いずれにしても〈殺せない者〉として国民の義務を果たす行動に出ることでしょう。

 皆が〈殺せない人〉になったなら、当然、死刑の執行は不可能です。
 そして、その前に、殺人事件はなくなります。
 最も凶悪な犯罪である殺人が行われなくなった時、他の犯罪や刑罰も様相が一変するのではないでしょうか。
 だから、一宗教者としては、まず、自分が〈殺せない人〉になって生き抜こうとし、そして、同じように一人でも多くの方が〈殺せない人〉になられるよう願っています)

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2012
07.15

いじめ、いじめられているお子さんへ(その2) ─親御さんが教育するための一助として─

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 いじめているお子さん、いじめられているお子さんのために、簡単な運勢を書きました。
 運勢はいのちと心が動いて行く可能性の高い方向を示しています。
 必ずそうなるわけではないので、決して予言やお告げではありません。
 良き可能性をどんどん伸ばし、悪しき可能性へは早めに処置するためこそ、古人はこうした判断方法を残してくれました。
 縛られることなく、兆しを見逃さず、智慧をもって対応するのがそれを生かすコツと言えそうです。

【数え年11才の貴方】

 のんびり、ぼんやりでもよかった時代を離れて、周囲も自分も何かと慌ただしく、時には急かされるような大人の世界へ入りかけます。
 神様や仏様も身近に感じられ、親が仏神へ祈る様子を見て、これまでとは違った感じがします。
 好きなものや好きな人が自分の思い通りにならないことを思い知り、大切なものをなくすことの意味もわかり始めます。
 困っている人がちゃんと目に入り、自分がその人へどういう態度で接するかが問われます。
 周囲からの信頼を失うのは自分のせいであることがわかり、先生や先輩など目上の相手へ対する言葉遣いの大切さに気づきます。

 今年はまず、自分の果たすべき役割や本分をきちんと意識し、それをやればこそ家庭でも学校でも自分の存在意義があるのだということを知りましょう。
 ただ、可愛がられたり、大切にされたりする受け身の〈子供〉から脱し始めます。
 どうすればそれらが達成され、自分の居場所が安心で行く先も決められるか、よく考えてみましょう。
 好きなものと別れる哀しみや寂しさが芽生えたなら、阿弥陀如来(アミダニョライ)様の梵字やお姿をイメージして祈れば、祈りの響きの中へそうしたモヤモヤは解消してしまいましょう。
 真言は「おん あみりたていせい から うん」です。
 また、挫けそうになったなら、自分の役割を意識して勇気をふるい起こせば、懸命に励む時間の中へそうしたモヤモヤは解消してしまいましょう。
 転んで頭を打ったり、頭痛がしたりといった時は、早めに医者へ行って処置しましょう。

こんなことに気をつけながら過ごし、いじめたい心が起こった時も、いじめに遭って辛い時も、この一年を守ってくださる守本尊阿弥陀如来様の真言を唱えて、そうした悪い流れにうち克ちましょう。 
 

【数え年12才の貴方】
 
 おしゃべりをしたり、一緒に食事をしたりする中で、楽しく過ごせる時もあり、嘘や争いを生む危険性が潜んでいる場合もあることを知ります。
 自分の一言が誰かのパワーを引き出して嬉しい体験をする一方て、言わなければよかった一言をずっと悔やんだりもします。
 仲間の心を知り、共に歩むありがたさに気づきます。
 しかし、惰性で仲間のやることに流されたり、飲み食いの慣れによって善悪の判断があいまいになったりするかも知れません。
 お金にだらしなくなっては危険です。
 もちろん、ふざけて万引きなどをしたり、させたりしてはなりません。
 大人なら逮捕され、一生を台無しにするかも知れないほど恐ろしい犯罪であると自覚しましょう。 

 今年はまず、自分の心にどういう傾向があるのかを省み、どういう人の群に属するのかを、よく知ることです。
 他の人も同じようによく観察し、人はさまざま、それなりであるという多様性を認識しましょう。
 特に、食べものや言葉遣いなどに〈その人〉が表れることに気づくはずです。
 身近な人の死、あるいは死を意識させるできごとで気持が塞いだなら、不動明王(フドウミョウオウ)様の梵字やお姿をイメージして祈れば、祈りの響きの中へそうしたモヤモヤは解消してしまいましょう。
 真言は「のうまく さんまんだ ばざらだん かん」です。
 また、お腹が空いて困ったり、餓死する人をテレビなどで観て心を傷めたりしたなら、自分の身体が様々な食べものという〈いのち〉によって支えられていることを想像し、手や足があることに感謝すれば、そうしたモヤモヤは解消してしまいましょう。
 口や歯や胸などの問題には、特に早めに対処しましょう。

 こんなことに気をつけながら過ごし、いじめたい心が起こった時も、いじめに遭って辛い時も、この一年を守ってくださる守本尊不動明王様の真言を唱えて、そうした悪い流れにうち克ちましょう。

【数え年13才の貴方】

この先、どうするか、自分で決断せねばならない場面にぶつかります。
 難しい決断でしょうが、逃げられません。
 たやすく誰かへ救いを求めず、自分でことの善し悪しや虚実などを見極めて道を決めれば、あとはやるだけです。
 お小遣いを貯める大切さや、自分で貯めたお小遣いの価値を思い知ることでしょう。
 ただ「ちょうだい」だけでは通らない〈社会〉の厳しさも知ります。
 求めても得られない時、同じ境遇で困っている人のいることを想像できるようになります。
 また、そうして争いや奪い合いが生じ、至るところに悲しい現実があることも知りましょう。

 今年はまず、いかなる時も何が正しく、何がまちがっているのかを自分で判断し、嘘と誠もまた、自分で判断せねばならないことをよく認識しましょう。
 そして、生まれてくるいのちがある一方、うまく生まれれられなかったいのちもあり、あるいは、生まれてもすぐに亡くなるいのちもあることを知りましょう。
 ペットの死や水子さんの死に心が傷んだなら、虚空蔵菩薩(コクゾウボサツ)様の梵字やお姿をイメージして祈れば、祈りの響きの中へそうしたモヤモヤは解消してしまいましょう。
 今、いのちに輝いているものだけでなく、輝けなかったものもあり、それが自分であったとしても不思議ではありません。
 そうした思いに立ち止まってしまったなら、とにかくアリなどの小さないのちでも殺さないこと、自分が受けることを望まない暴力は決してふるわないこと、そして、自分に与えられていないものは決して手にしないことを決心すれば、そうしたモヤモヤは解消してしまいましょう。
 真言は「のうぼうあきゃしゃきゃらばや おん ありきゃ まり ぼり そわか」です。
 疲労を溜めないよう、手足・背中・腰など骨格に関するケガに注意しましょう。

 こんなことに気をつけながら過ごし、いじめたい心が起こった時も、いじめに遭って辛い時も、この一年を守ってくださる守本尊虚空蔵菩薩様の真言を唱えて、そうした悪い流れにうち克ちましょう。



 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 来る3月11日には「般若心経百万巻」の供養をしましょう。(http://hourakuji.blog115.fc2.com/blog-entry-3107.html)
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「のうまく さんまんだ ぼだなん あびらうんけん」※今日の守本尊大日如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。





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2012
07.14

子や孫のためにふり返っておきたい(その1) ─今の仕事に今からかかれ─

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 昭和6年1月1日に大日本雄辯會講談社(ダイニホニュウベンカイコウダンシャ…講談社の前身)が『立身出世金言手帳』を発行しています。
 横8・5センチメートル、縦14センチメートルのもので、月刊『少年倶楽部』新年号の付録です。
 その第一ページです。
「人間は誰でも偉くなれるのです。
 しかし一ぺんにえらくなる事は出来ません。
 少年の時から、偉くならう、えらくならうと、一生けん命に心がけて、自分をみがく人だけが偉くなれるのです。
 あなたが偉い人物になる様にと、至誠天地の神々に祈って、この金言手帳を差上げます。
 どうぞ、この中のいくつでもよろしいから實行して下さい。
(裏の方には、あなたの好きな金言格言を書き入れて下さい)」
 漢字にはすべてフリガナがついており、最後の13ページは「僕の好きな金言」とあって空白です。

 戦後に生まれた世代としては、立身出世という言葉に対する入り組んだ思いがあります。
 身を立て(自分をしっかりした一人前の人間にする)、世に出る(社会的な役割を果たせるひとかどの人間になる)こと自体は、否定されるべきものを含んでいません。
 東洋の小さな国でありながら、世界を制覇をもくろむ西洋列国の属国にならず、がんばろうとしたご先祖様方が人間形成をする上で、この言葉が核となったことはよくわかります。
 団塊の世代にはまだ、その気配が残っていました。
 団塊の世代を育てた親たちは戦後、占領軍の日本弱体化政策によって、公的な意味での道徳教育の根幹は捨てさせられましたが、自分が育ってきた過程で身につけた価値観は簡単に捨てられるはずもなかったからです。
 親たちが血と汗で復興させた日本の余慶を受けながら生きてきた団塊の世代は、すでに甘くなり始めています。
〈社会のためになる〉という価値観が〈自分の好きなことが一番〉という価値観に取って代わられつつ、一生を終えようとしています。

 もしかすると、いかなる文明も、この二つの価値観の間を揺れながら歴史を創ってきたのかも知れません。
 人間もまた、克己心と享楽心の間で生きています。
 今の日本で、克己心を喚起する姿勢が受け容れられるかどうかはわかりません。
 しかし、この小冊子の一ページ一ページには、その場しのぎをやってきた自分がちょっと脇へ置いたままになっている金言が、変わらぬ光で〈やましい心〉を照らします。
 やましい部分をあぶり出されるのは辛い。
 しかし、それをやっておかねばならないという思いが強く、恥を忍んで書くことにしました。

 決しておもしろくはありません。
 よくぞ「おもしろくてためになる」本を作ろうとしてきた講談社さんが遺してくれたと感謝しつつ、読んでみます。

1 「い」 今の仕事に今からかかれ

 仕事を追って仕事に追はれるな。
 今日の勉強は今日中にせよ。
 これが少年の奮闘だ。
 今日の仕事を明日に延ばすのは弱い証拠だ。


 私の父は小学校しか出ていない農家の次男です。
 しかし、この言葉を口癖にし、軍隊でも教えられたことは必ずその日のうちに復習したので、何をやっても同輩にひけをとらなかったそうです。
 忙しいと口にする私は堕落者ですが、仏法の師から伝授されたことだけは必ずその日の夜にメモを整理しました。
 今、信念をもって修法し、居合の道場で伝授をできるのも、すべてメモのおかげです。
 しかし、仕事に追われる情けない状況にあるので、いわゆるお説教をする資格はありません。
 それでもなお、この金言は書いておく価値があると信じ、紹介しました。

2 「ろ」 労苦は僕の膽試(キモダメ)しだ

 楽な仕事を喜ぶな。
 苦しい仕事で膽(キモ)を練れ。
 高い山ほど上ったら愉快だ。
 がんばる所で膽を養へ。


 膽は肝ですが、「肝を練る」といっても、ちんぷんかんぷんかも知れません。
 心の重心をしっかりさせる、あるいは、心の柱を堅固にする、あるいは、心の足腰がどっしりするといったイメージでしょうか。
 辛いところで逃げず、がんばり抜けば、心のステージが上がって清々しい気持になり、動じない心がつくられるのです。
 逃げる癖は、言い訳する癖を招き、二つが車の両輪のようになれば、信じる方向へと運命を創ってゆく強い力は出てきません。
 親が子供をあいまいに逃がし、感情だけで庇(カバ)い、言い訳をしてやっているようではモヤシのような子供になってしまいます。
 身体も心も、風邪をひいたなら優しくしてやらねばなりませんが、風邪をひかないように予防させる時は厳しくせなばなりません。



 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
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「おん ばざら たらま きりく」※今日の守本尊千手観音様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。





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2012
07.13

7月14日(土)から始まる業者さん主催による墓地と墓石の相談会です

 7月14日(土)から始まる業者さん主催による墓地墓石相談会です。

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2012
07.13

7月14日(土)の寺子屋です

 7月14日(土)の寺子屋です。

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2012
07.13

7月14日(土)の知人主催による「電磁波と放射線問題」に関する勉強会です

 7月14日(土)の知人主催による「電磁波放射線問題」に関する勉強会です。

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2012
07.13

いじめ、いじめられているお子さんへ(その1) ─親御さんが教育するための一助として─

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〈私たちへ託された古人の祈り〉

 いじめているお子さん、いじめられているお子さんのために、簡単に運勢を書きました。
 運勢はいのちと心が動いて行く可能性の高い方向を示しています。
 必ずそうなるわけではないので、決して予言やお告げではありません。
 良き可能性をどんどん伸ばし、悪しき可能性へは早めに処置するためこそ、古人はこうした判断方法を残してくれました。
 縛られることなく、兆しを見逃さず、智慧をもって対応するのがそれを生かすコツと言えそうです。

【数え年8才の貴方】

 新しいできごと、新しい出会い、新しい気づきに目を瞠(ミハ)る思いがし、なかなか変化について行けずドギマギするかも知れません。
 小さな渓流に住んでいた魚が少し大きな川へ下ったようなものです。
 見たこともない美味しそうな餌がある一方、危険なものもいっぱい流れて来ます。
 また、大きくて頼もしそうな友人が実はどう猛で、突然、本性を現してこちらを食べようとするかも知れないので注意しましょう。
 あそこに隠れ家があるなと思っても、目の錯覚かも知れません。
 アテにしていて、いざという時に逃げ込めなかったりしたら大変なので、肝腎なものはきちんと確認しておかねばなりません。

 今年はまず、先生や先輩などの言うことをきちんと聴いて、理解することを第一に努力しましょう。
 お化けが見えるなどという仲間に引きずられないよう、極力、自分の目や耳などで確認すること。
 こうすればああなるという原因と結果のつながりをよく眺め、知り、自分が何をどうやっているか、どうなりそうか、省みる必要があります。
 自分の心に怒りや怨みが芽生えたなら、文殊菩薩(モンジュボサツ)様の梵字やお姿をイメージして祈れば、祈りの響きの中へそうしたモヤモヤは解消してしまいましょう。
 真言は「おん あらはしゃのう」です。
 また、自分でやらねばならない役割や、調べてみたいことなど、集中できるものに集中する時間をとり、我を忘れた時間の中へそうしたモヤモヤは解消してしまいましょう。
 疲れが溜まってイライラすると、やがてダウンするかも知れず、喉や脚のケガにも要注意です。

 こんなことに気をつけながら過ごし、いじめたい心が起こった時も、いじめに遭って辛い時も、この一年を守ってくださる守本尊文殊菩薩様の真言を唱えて、そうした悪い流れにうち克ちましょう。 
 
【数え年9才の貴方】

 仲間からの信頼が高まり、協力者の力も得て願っていたことが成就するかも知れません。
 それには、自分の何が認められているのかを冷静に判断し、せっかくの信頼や信用に背かないよう、真実一路で励むことです。
 もしも身近な人に裏切られたり騙されたりしたなら、狭い仲間内だけで悩まず、自分が属する小さな輪から離れた人の意見や助力を大切にして乗り切りましょう。
 その逆に、見知らぬ人からのメールや事情を知らない遠くの人からの中傷などに遭った時は、「親友は私の真実を知っている」と自信を持ち、動揺しないよう。

 今年はまず、観たものや聴いたものの意味や価値をしっかり考え、自分でそのエッセンスを吸収できるよう努力しましょう。
 自分があまりに奮い立つ時は、適度に抑え、暴走しないよう。
 どうすれば人の道をまっすぐに歩めるか、一生の研究課題にそろそろとり組み始める時期です。
 また、あれこれと迷いが生じたならば、普賢菩薩(フゲンボサツ)様の梵字やお姿をイメージして祈れば、祈りの響きの中へそうした迷いは解消してしまいましょう。
 真言は「おん さんまや さとばん」です。
 セカセカせず、睡眠や食事を時間通りに摂って心身の調子を整え、確保されたゆるやかな時間の流れの中へそうした迷いは解消してしまいましょう。
 風邪をひいたら油断せず、口臭や体臭などの異変にはいち早く対処して無事安全です。

 こんなことに気をつけながら過ごし、いじめたい心が起こった時も、いじめに遭って辛い時も、この一年を守ってくださる守本尊普賢菩薩様の真言を唱えて、そうした悪い流れにうち克ちましょう。

【数え年10才の貴方】

 周囲とのつながりがうまくゆかず、孤立感を持つ一方で、さして根拠のない高慢な気持が湧いてくるかも知れません。
 今は、無理に周囲への扉をこじ開けようとせず、仏神を崇め、優れた先生や先輩や家族に学び、向上心を持つことによって自分の愚かさを知り、恐ろしい慢心を退治する時です。
 謙虚であろうとしながらもなお、周囲から役割を与えられる際は、あくまでも謙虚な気持で引き受けましょう。
 ただし、悪心のある人々と組めば、悪いことを行い、自分も酷い目に遭いかねないので、きっぱりと断りましょう。
 そうして自分を〈仏神や太陽の前で恥ずかしくない人〉として保てば、やがて、まっとうな人々から、より重い役割を与えられることでしょう。

 今年はまず、いのちやモノやものごとがどうして生まれるのか、どうして消えるのか、その成り行きをよく観るよう、問題意識を持って勉強にとり組みましょう。
 問題意識によって頭のはたらきを活性化させ柔軟にすれば、学力は上がります。
 また、人間に起こる大きな異変に気づかされるでしょう。
 人生が思い通り、予定通りにならないことに驚き、不安になるかも知れませんが、それはずっとそうであるという人生の真実がそろそろわかりかけるはずです。
 淋しい時、高慢心が生じた時は、地蔵菩薩(ジゾウボサツ)様の梵字やお姿をイメージして祈れば、祈りの響きの中へそうした不安は解消してしまいましょう。
 真言は「おん かかか びさんまえい そわか」です。
 自分勝手な色眼鏡をはずし清浄で安心な気持の中へそうした不安は解消してしまいましょう。
 高熱や心臓がハカハカするといった症状が出たなら、すぐに対処して無事安全です。

 こんなことに気をつけながら過ごし、いじめたい心が起こった時も、いじめに遭って辛い時も、この一年を守ってくださる守本尊地蔵菩薩様の真言を唱えて、そうした悪い流れにうち克ちましょう。



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2012
07.12

私たちが心から求めるものとは?(その5) ─安産─

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〈祈る思いで古い径を歩きました〉

 お大師様の徳を讃える『弘法大師和讃』は、常々の祈りがもたらすご利益、つまり、私たちが困らない人生の姿を説いています。
 日々、信じて祈るのは「転ばぬ先の杖を持つ」こと、とも言えそうです。
 では、お大師様への祈りがもたらす「8つの救済」とは?

8 易産(イサン)

 これは、安産となり、産前産後が安心で健やかなことです。
 「易」という文字は「難」の反対で、「安」に通じています。

 この世で最も神秘的なできごとの一つが、新たな生命体を生むこと、新たにいのちをもった生きものが生まれることです。
 生命体は一つのシステムとして完全であればこそ生きていられるのに、自分のいのちを分け与えてやるものを自分の外へ切り離してなお、平気であるというのは、実に不思議でなりません。
 
 そもそも、こうした奇跡的できごとは当然「易」ではなく「難」でした。
 NHKの大河ドラマで観るとおり、妊娠すれば当人も周囲も仏神へ安産を祈り、いよいよという場面では、皆が祈る思いでその時を待ちます。
 いかにお世継ぎなど権力闘争がからむ出産でも、周囲で待つ人々の願いの大部分は期待よりもむしろ、母子の安全だったはずです。
 今は、無事の出産がいわば〈当然〉に近く感じられるありがたい時代になりましたが、それはたかだか近年のことです。
 私たちのご先祖様方にとっては、出産は慶事である前に難事でした。
 だから、人々は切なる願いの一つとして、「難」でなく「易」による出産をお大師様へ祈りました。

 かなり母子の安全が確保される時代となった今も、安産守護の願いをかける善男善女は後を絶ちません。
 いつの世も、子供が五体満足で生まれてくるよう、母体が無事安全であるよう、私たちは祈ります。
 いかにカメラで監視し、入院して万全を期そうとも、十月十日の胎内における成長と出産そのものは人知の及ばない範囲に属しています。
 そこで私たちが敬虔な心になるのは当然です。

 また、水子供養にご来山される方々も、静かな雨だれのように続いています。
 男性も女性も必ず神妙な顔をしておられます。
 そして、修法後はそれに穏やかさが加わります。
 心の中で、小さくないそして大切な区切りがついたのでしょう。
 中には一周忌、三回忌と通われる方もおられます。
 それは、誰かに起こり得る決して望まぬできごとが自分に起こった人の粛々とした人間らしい姿です。

 最後に易産の後の光景を書いておきます
 故杉山平一の『子供』です。
「懸賞のハガキなのか 背のびしてポストに入れ
 ポストに手を合わせて おがんでいた女の子
 滑り台からドサッと滑り落ちてきた男の子
 母親におくれまいと小走りの女の子

 そんな子供が 好きだ」




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2012
07.11

三十七の菩薩(ボサツ)の実践(第二十三回) ─苦しみも寂しさも怒りも乗りこえ、楽しみや喜びは感謝となるよう─

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〈津波でご家族を失われた書家高橋香温先生の書を加工しました〉

 菩薩(ボサツ)になるための実践道、第二十三回目です。
 これは、「法話対話の会『生活と仏法』」(http://www.hourakuji.net/manabi/houwa.html)において議論するテキストの一つとなってもいます。

「意識がとらえる喜びの対象は
 夏の盛りの虹の色彩のごとくに
 美しい現象であっても実体のないものとして執着を捨てる
 それが菩薩(ボサツ)の実践である」


 私たちは、ありとあらゆるものが直接的な原因である「因」と、間接的な原因である「縁」によって成り立っていることを知っています。
 花は、種に水や養分や光や適度な温度が加わることによって育ち、美しく開きますが、明日には萎れ、明後日には枯れてしまうかも知れません。
 セミは数年間も地下でいのちをつなぎ、やっと地上へ出れば、わずか数日の間、激しく哀しく鳴き続けて地上での役割を終えます。
 花も、セミも、〈かりそめに在る〉だけであって、美しい花も、哀しいセミも、そう感じる心の対象としてずっと在り続けることはできません。
 そのことが「夏の盛りの虹の色彩」と例えられています。
 真夏のにかかった七色の虹は、じっと眺めているうちに、渡ることを夢想させたりします。

 ところで、70年以上も歌い継がれている『虹の彼方に』という名曲があります。
 最近、内容を詳しく知りたくなって佳い和訳を探したところ、(http://alohayou.com/2008/10/somewhere_over_the_rainbow/)を発見しました。

「虹のどこか、彼方
 上のほう
 夢にまでみた世界
 子守歌の中で耳にしたような
 虹のどこか、彼方
 青い鳥たちが飛んでゆく
 あなたが夢にまでみた
 夢が叶うのです
 星に願いをかけると
 雲の上で目が覚めます
 レモン飴のように不安が消えていきます
 煙突のてっぺんで、私を見つけるでしょう
 虹のどこか彼方へ、青い鳥が飛んでゆく
 あなたが夢見ることが、叶う場所
 緑の木々を眺めます
 赤い薔薇も一緒に
 みんなの為に咲く花を見ることができます
 私は思うのです
 なんて素敵な世界なんでしょう
 青い、白い雲を眺めます
 輝く日の光の中
 そして暗い夜も好きです、そして思うのです
 なんて素敵な世界なんでしょう
 七色の虹が浮かぶ素敵な
 人々の笑顔も虹のように素敵
 『こんにちわ』とにこやかに
 それは、つまり『I love you』って意味なんだ
 泣いていた赤ん坊が、大きくなっていく
 そこから、たくさんのこと学び
 知ることができます
 私は思うのです
 なんて素敵な世界なんでしょう
 いつか、星に願いをかけると
 雲の上で目が覚めます
 レモン飴のように不安が消えていきます
 煙突のてっぺんで、私を見つけるでしょう
 虹のどこか、彼方、上の場所
 あなたが夢見ることが、叶う場所」

 そもそもはミュージカル映画『オズの魔法使』用に作られたものですが、2001年にアメリカで行われた「20世紀の名曲」選考では第一位となりました。
 全体を和訳してみると、その理由がわかります。
 私たちは虹の橋を登れませんが、虹の橋に思いを込めることはできます。
 夢想と知っていながら、いや、夢想であればこそ、そこに心が解放され、希望が保たれ、明日への力も湧いてきます。

 私たちが(クウ)を知り、を体得する意義はまさに、ここにあります。
 決して「すべては虚しい」と厭世観(エンセイカン…世を儚いと思い込み過ぎて、世を捨てたくなるような考え方)に浸ることが目的ではありません。
 美しい花を見つけて、美しさのあまり、取ってきて家に置こうとするのではなく、美しさに我を忘れている時間をすんなりとやり過ごし、佳き印象を心のどこかに残したまま帰宅するような生き方を求めようとしているのです。
 執着し、我がものにしようと思い、自分の都合で相手にとって最も良い状態を破壊するような煩悩(ボンノウ)を徐々に消して行こうとしているのです。

 この世には、苦しみも怒りもありますが、楽しみも喜びもあります。
 そうした心模様を生じさせる対象にしがみつけば、執着心によって膨らんだ喜びは、「もっともっと」と我(ガ)を強め、執着心によって膨らんだ怒りは、対象への攻撃によってますます我(ガ)を強めます。
 この世を〈ままならない苦界〉にさせている根本的な原因は、このように、自分を実体視し、周囲を実体視し、何があっても我(ガ)を強めてしまう錯覚、つまり、無明(ムミョウ)にあります。
 無明とは智慧の明かりが無い状態であり、智慧とはを知り、空を生きる心のはたらきです。

 空であると正しく観ることによって、対象の本性が観えます。
 美しい花の本性、鳴くセミの本性がつかめます。
 苦しみも寂しさも怒りも乗りこえられ、楽しみや喜びは感謝をもたらします。
 これが智慧に導かれた真実の生き方です。
 お釈迦様は説かれました。

「ハチが花にすがり、蜜をもらっても、決して花の姿を乱さないことに学びつつ修行せよ」




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2012
07.10

いじめという悪業は毒水の一滴 ─自殺した中学一年生中井佑美さんを悼む─

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 平成17年に自殺した埼玉県北本市の中学一年生中井佑美さん(当時12才)の両親が国と市へ対して損害賠償請求を行っていた事件は、請求棄却となりました。
 東京地裁の判断です。
自殺の原因がいじめと認定できない」
「同級生から『きもい』んどと言われていたころはうかがわれるが、継続的ではなく、自殺の原因となるような『いじめ』ではなかった」
「遺書からは自殺の原因が具体的に特定できない」
 結果を受け、父親の紳二氏(62才)は印象的な言葉を絞り出しました。
いじめはコップに水が溜まるようなもので、最後の一滴によってコップから溢れ出した時に自殺が起こる。
 その一滴だけしか見ていないようだ」

 自殺した人はもう語れず、惨(ムゴ)い言葉を投げかけ、もしかすると肉体的暴力もふるっていた人々が口をつぐんでいる以上、もう、事実は明らかになりません。
 しかし、原因のない結果はなく、もしも、自殺という結果に結びつくいじめが原因としてあったとしたなら、いじめた人々は刑法上は無罪でも、決して無実ではありません。
 刑法上は罪人とされなくても、いじめの言葉を一言、投げかけた以上、人道上は罪人です。
 まして、人が死んだという事実がある以上、人を死へ追いやった罪人です。

 お釈迦様は説かれました。

「人は生まれながらにして口の中に斧(オノ)を持っているようなものである」


 自分の好き嫌いや気分次第で、言葉は相手を傷つける刃物になってしまいます。
 だから、常に、相手の立場に立つという思いやりが欠かせません。
 互いに相手を思いやらなければ、互いに傷つけ合うしかありませんが、互いに相手を思いやれば、互いに相手のためになり合え、互いに安心を得つつ向上できるのです。
 自分が傷ついて嬉しい人がいない以上、お釈迦様の教えは真実であり、「斧を持っていると知り、それを用いない」のが互いに救われる方法です。

 もしも、こうした意識がなく、愚かしいままで弱い相手へ言葉の斧をふるえば、相手がたとえ「痛い」と言わなくても、確実に小さな切り傷を負わせています。
 それは、自分が言葉の斧をふるわれたことを想像すれば、誰にでもわかるはずです。
 紳二氏が「いじめはコップに水が溜まるようなもの」と言ったのはこのことです。
 傷の一つ一つは小さくても、やがてはいのちに関わるような事態となって何の不思議もありません。

 お釈迦様は、悪しき言葉や行為や考えを毒水の一滴と説かれました。
 それが悪業(アクゴウ)であり、まさに紳二氏の言葉どおりです。

悪業は水の一滴のようなものであり、一滴一滴は、いつしか岩石にすら穴を穿(ア)ける。
 悪業という原因があれば、たとえすぐに結果が出なくても、必ず、自他を苦しめる罪過・災厄がやってくる」


 誰かに「きもい」の一言を発した瞬間、その人は恐ろしい悪業を積んでいます。
 確実に相手を傷つけ、自分の人格へ墨を塗っています。
 相手は望まぬ苦を与えられ、自分は愚かさの闇を深めています。
 もしもその一言が、相手に結果が出る〈最後の一滴〉であるとしたなら、自分は人殺しになるかも知れません。
 たとえ刑法で裁かれなくても、明らかに罪人です。
 その一滴は、自分に結果が出る〈最後の一滴〉でもあります。
 相手は苦しみと怒りと怨みと呪いの塊となっていのちを失い、それを受け続ける自分の人生には、必ず自業自得の恐ろしい結果が待っています。
 原因があれば、いつかは結果が出るのであり、因果の法則を逃れられる人はいません。

 言葉であれ、行為であれ、思考であれ、いじめは悪業です。
 弱い者をいじめるという卑劣な心を持っているという事実は、自分に過去の悪業の結果が出ているということです。
 一刻も早く卑劣な心を追い出さねばなりません。
 それには、〈いじめられている自分〉をリアルに想像してみることです。
 たとえ今は、〈いじめる自分〉であっても、いじめという心の傾向を抱えていれば、やがては世の中で〈いじめられる自分〉になります。
 その時ではもう、遅いかも知れません。
 大人の世界でのいじめは、すぐに人生を左右してしまうからです。

 さあ、〈いじめられている自分〉はどうですか。




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2012
07.09

年老いた鯉が生き続けています

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引用

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 知人のご紹介で、大きなを22匹いただきました。
 急遽、横幅7メートル、奥行5メートル、深さ1・5メートルほどの穴を掘り、ブルーシートを敷いて井戸水を注入し、養殖業者さんのご協力を得て搬入しましたが、大雨で周囲から泥水が流れ込み、今度は、その内側へ二重にしたブルーシートを敷いて移すことにしました。
 これがなかなかの難作業で、仕上がるまで、ほとんど丸一日を要しました。
 特に、泥水をかき出しながらうまく敷き、をなるべく傷めないよう、姿がほとんど見えない泥の中から抱えて移すのは見るからに大変でした。
 足場の悪い池に入り、泥水にパンツまでつかりながら体長約80センチメートルもあろうという大物に挑戦する鈴木さんが成功するたび、「おお」という歓声が上がりました。
 
 たちはほぼ元気でしたが、最も大きな金色のは当山へ運ばれた当初から体調が悪そうで、まるで溺れているようにアップアップする姿に、目にする皆が「がんばれ」と声をかけていました。
 この大騒動のさなか、動きが悪くてうまく立ち回れず、とうとう、新しい水が溜まりつつあるブルーシートの下へもぐってしまい、鈴木さんがようやく助け上げた時は、横向きに浮かんでしまう状態でした。
 ところが、二つの井戸から汲み上げた水が合ったものか、徐々に動き出し、ほぼ三時間ほどで周囲の仲間たちとそれほど変わらぬ姿で泳ぐまでに回復しました。
 作業してくださった方々は全員、金色のの様子を確認してから帰途につかれました。

 ご寄進くださった方のお話では、30年以上も丹精込めて育ててきたそうです。
 きっと、金色のは最も古参のメンバーだったのでしょう。
 薄暗い早朝、短期間に引っ越しを二度、行い、危うくいのちを落としそうになった鯉の無事を確かめました。
 環境の激変で最も影響を受けるのは、乳呑み児と高齢者です。
 ひときわゆっくりと泳ぐ鯉を我が身に置き換え、年配者である檀信徒・友人・知人に置き換え、合掌しました。

 それにしても、環境へ身を委ねるしかない境遇でどうやら死線を越えた鯉の行方はどうなるか?
 自分もまた、一瞬後のありようさえ、大いなるものへ身を委ねるしかないことを実感する年代になり、鯉の行方は、文字どおり他人事ではありません。

 精神科医故浜田晋の「見知らぬ『あなた』へ」が思い出されます。
 そのラストです。

「東京の老人ホームは今満員です。
 大勢空席待ちですって。
 でもいやですねえ。
 人が死ぬのを待っているなんて。
 そしてそのあとに入るなんて。

 だからあまりあばれないでください。
 『お世話になる方』にあまりご負担をかけませぬように。
 彼らも『あなた』を抱えて疲れきっているのです。
 世の中と板挟みになっているのです。
 『あなた』をとるか『社会』をとるか追いつめられているのです。
 あまりあばれると、ひどい『病院』に入れられて、すぐおなじみの『天国』へ送られるかもしれません。

 でもあなた!
 まだ死なないでください。
 ただ生きていてください。
 『生きる意味は?』と『あなた』に問う人がいるかもしれませんが──『あなた』はもう『意味』を超えたところに生きているのです。
 『普通の人』『健康な人』は、ただ生きることがむずかしい人たちです。

 『あなた』ならできます。
 『普通の人』ができなくて『あなた』にできる。
 一寸愉快ですね。
 それは『豊かな国日本』のあり方に対する最高の警告──挑戦なのかもしれません。

 『あなた』の『存在』自体が、何かへの『怒り』です。
 『美しく老いる』なんてくそくらえ!
 この『志しを忘れた国日本』の、生き証人として、『あなた』は何もせず、ただ生き続ければよいのです。
 それがすべてです。
 私もやがて『あなた』の後を追います。」

 鯉が惚けるかどうかは知りません。
 自分はと言えば、明らかに物忘れや、一度に複数の情報を処理する能力の減退は始まっていますが、医師の言う『あなた』ほどになるかどうかはわかりません。
 ただ、老いたとおぼしき鯉がアップアップしていたのにシャンとなった様子は嬉しく、医師のような人がいたのもまた、嬉しいことです。
 
 どうぞ、『金色の老いた鯉』を観にきてください。




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