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2012
10.31

【現代の偉人伝】第158話 ─天皇皇后両陛下へ最敬礼を行ったミルコ・デムーロ騎手─

201210311001.jpg
〈日刊スポーツ紙からお借りして加工しました〉

 久方ぶりに跪(ヒザマヅ)く麗しい姿を見た。
 10月28日に東京競馬場で行われた競馬の天皇賞を勝ったミルコ・デムーロ騎手(イタリア)が、観戦されている天皇・皇后両陛下のおられる貴賓席へ向かい、ひざまずいて最敬礼をしたのである。
 両陛下は思わず立ち上がり、大観衆と共に大きな拍手を送られたという。
 日刊スポーツ紙で確認すると、2000メートルを走りきったばかりのエイシンフラッシュ号も一緒に低頭しているかのようだ。

 2年4か月前のダービーで勝利し三歳馬のチャンピオンになって以来、12連敗中だったエイシンフラッシュ号は、こうした馬である。
「本当にすごい馬。
 こっちの心が折れそうになっていた時も、とにかくフラッシュは一生懸命だった。
 ダービーはフロックでもないし、終わっちゃいないと思っていました」(久保敏也調教師)
「この馬は賢くてゴールを知っている」(ミルコ・デムーロ騎手)
「フラッシュには長いこと勝たせてやれず申し訳なかった。
 これまで何度も歯車が狂ってばかりだったが、天覧競馬で勝つなんて…本当に大した馬だと思う」(藤原英昭調教師)

 坂口正大元調教師の話である。
「デムーロ騎手が日本で騎乗するのは昨日今日のことではなく、すでに日本競馬を熟知しています。
 根底には、競馬だけでなく日本文化になじもうとしてきた姿勢もあります」

 懸命な人馬が大仕事を行い、しかも、作法に則った敬意の表現を見せてくれた。

 ふり返ってみたい。
 自分には、懸命にやり、それでも高ぶらず、尊いものの前へ跪く気持があるか?
 ともすれば他を貶め、自分を高いとかんちがいしてはいないか?
 他を貶めて喜び、居丈高になって他を罵倒する、こんなテレビの場面に慣れっこになってはいないか?

 ミルコ・デムーロ騎手は、敬意を払うべき対象へ対し、礼儀を尽くして思いを表現することの清浄さをもって会場を圧倒した。
 他を貶めるところに清浄さはない。
 己を相対的に高くしようという錯覚による愚かしさしかない。
 己を低くするところにこそ清浄さはある。
 心の底から己を低くし相手を高くするところにこそ、気高さはある。

 梵網経(ボンモウキョウ)は説く。
菩薩(ボサツ)はまさに、一切の衆生に代わりて毀辱(キニク…攻撃や辱めを受けること)を加うるを受け、悪事は自ら己に向け、好事(コウジ)は他人に与うべし」
(人の道を完成させようと努力する者は、一切の人々の身代わりとなっていわれのない攻撃や誹謗中傷を受け、悪しきことは自分のせいであるとして引き受け、良いことは他人のせいであるとして賞賛せねばならない)
 これは菩薩に課せられた使命なので、なかなか私たち凡夫のできることではないが、かつては、「汗は自分でかきましょう、手柄は他人へあげましょう」をモットーに総理大臣になった政治家もいた。

 自分の至らなさを心底から認め、自(オノ)ずから自分を低くしないではいられない人徳こそ真に気高いと言える。
 そうした人徳を磨くには、ミルコ・デムーロ騎手のように尊いものとすなおに尊いとし、きちんと敬意を表する生き方も有力な方法ではないか。
 彼の姿を前にして、我と我が身の恥ずかしくなった日本人がどれだけいたか……。
 もちろん、私も恥ずかしくなった一人であり、この写真は忘れられない。
 敬虔な心を持った礼儀正しいイタリア人に深く感謝してやまない。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「のうぼう あきゃしゃきゃらばや おん ありきゃ まり ぼり そわか」※今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。





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2012
10.31

2012年11月の行事予定 ─護摩法・寺子屋・写経・法話・居合─

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 11月の行事予定です。
 この世の幸せとあの世の安心のため、み仏と祖霊のおわす聖地へおでかけください。

[第一例祭 2012/11/4(日)午前10:00~午前11:00
 護摩法を行い、『法楽の会』会員さんの願いを込めた護摩木や、各種祈願をかけた善男善女の護摩木を焚きます。
 守本尊様を讃える経文などを一緒に読み、太鼓に合わせて観音経3巻もお唱えします。
 参加は自由です。
 護摩の火に身を近づけ、悪しきものは焼き払い、善き願いへ大きなご加護を受けてください。
 護摩木供養は1体300円です。
 ご自由に願いをかけてください。
・送迎申込  午前9時30分に地下鉄泉中央駅近くの『イズミティ21』前へお迎えの車がまいります。乗車希望の方は前日午後5時までにご連絡下さい。

書道写経教室] 2012/11/4(日)午後2:00~午後3:30
・場  所  大師山法楽寺
・指  導  高橋香温(温子)先生
・ご志納金 1000円(未成年者500円)
 基本からお稽古を行っています。
 写経のお稽古も継続中です。
 イス席もありますので、お気軽にご参加ください。
(毎月第一日曜日午後2時から開催します)

寺子屋『法楽館』第三十三回 地域の再生により日本の復興を』] 2012/11/10(土)午後1:30~午後3:00
 今月から新シリーズ『どうする?私たちの未来』が始まります。
 地震と津波という自然の圧倒的な力でたたきのめされ、原発事故によって自然をどこまでもコントロールできると考えてきた高慢の鼻をへし折られた以上、私たちはもはや、自然を〈征服〉しようとする姿勢だけではこの先へ進めないことを骨の髄まで知りました。
 では、どうするか?
 どうすればよいか?
 どうしなければならないか?
 このシリーズではそれを問います。
 菩薩(ボサツ)が大きな船の船頭を務めるのと同じく、各界のプロの方々に水先案内人となっていただき、共に学び、共に考え、共に実践し、自然と人間が文字どおり共生しつつ、いのちの世界を守り、心を練って行く道を探そうではありませんか。
 シリーズの第一回目として、米国・ワシントン州立大学博士研究員、理化学研究所研究員であり、米作りを行っている農学博士石山敬貴先生の講話をお聴きします。
 アメリカでの研究生活を経験した先生は、日本の農業や漁業を活かし地方を再生させることが日本の未来を切り拓くために欠かせないと感じたそうです。
 理想を実現するために衆議院議員となってからも田んぼに入り、米作りのプロとして国会で活躍し、被災した現場を山・里・海・町と走り回る中で培われた熱い思いをお話しいただきます。
 どなたでも自由に参加できます。
 事前の予約も不要です。
 どうぞ、ふるってご参加ください。
・講  師  石山敬貴先生
・場  所  当山講堂
・ご志納金   1000円(中学生以下500円)
・送迎申込  午後1時に地下鉄泉中央駅近くの『イズミティ21』前へお迎えの車がまいります。乗車希望の方は前日午後5時までにご連絡下さい。

[法話と対話「生活と仏法について」第二十八回] 2012/11/14(水)午前10:00~12:00
 釈尊の思いが凝縮されている『法句経』と、江戸時代まで寺子屋で用いられていた『実語教・童子教』とをテキストとし、合わせておりおりの出来事なども題材にした法話です。
 どうすれば菩薩(ボサツ)の道を歩めるかの37カ条についての講義は11月と12月で全項目終了し、復習します。
 質疑応答も行います。
 会員制ではなく、その都度、まったく自由にご参加いただけます。
 どうぞ、ふるってご参加ください。
・場  所  仙台市旭ヶ丘仙台青年文化センター
・ご志納金 1000円(未成年者500円)

[第二例祭 2012/11/17(土)午後2:00~午後3:00
 護摩法を行い、『法楽の会』会員さんの願いを込めた護摩木や、各種祈願をかけた善男善女の護摩木を焚きます。
 守本尊様を讃える経文などを一緒に読み、太鼓に合わせて般若心経3巻もお唱えします。
 参加は自由です。
 護摩の火に身を近づけ、悪しきものは焼き払い、善き願いへ大きなご加護を受けてください。
 護摩木供養は1体300円です。
 ご自由に願いをかけてください。

[お焚きあげ] 2012/11/24(土)午前10:00
 お不動様のご縁日に、開運不動前にて「供養会」及び「お焚きあげ」を行います。
 人形や仏壇や写真など、燃えるものも、燃えないものも大丈夫です。
 一緒にお不動様のお経を読み、真言を唱えましょう。
※お焚きあげをご希望の方は、必ず電話などで日時を連絡の上、お品をご持参、あるいはお送りください。
 当日とは限らず、いつでも結構です。

[機関誌『法楽』作り] 2012/11/26(月)午前9:00~
 講堂にて、機関誌『法楽』を作ります。ご協力をお願いします。
『実語教・童子教』も共に学びましょう。

[法話と対話「生活と仏法について」第二十九回] 2012/11/28(水)午前10:00~12:00
 釈尊の思いが凝縮されている『法句経』と、江戸時代まで寺子屋で用いられていた『実語教・童子教』とをテキストとし、合わせておりおりの出来事なども題材にした法話です。
 どうすれば菩薩(ボサツ)の道を歩めるかの37カ条についての講義は11月と12月で全項目終了し、復習します。
 質疑応答も行います。
 会員制ではなく、その都度、まったく自由にご参加いただけます。
 どうぞ、ふるってご参加ください。
・場  所  仙台市旭ヶ丘仙台青年文化センター
・ご志納金 1000円(未成年者500円)

[隠形流(オンギョウリュウ)居合道場]
 第一週の土曜日 午後6:00~8:00 法楽寺にて 
 第二週以降毎週金曜日 午後7:00~9:00 旭ヶ丘青年文化センターにて
 九字を切り、守本尊様のご加護をいただく密教独自の剣法です。
 女性や高齢者の方々が多く、厳しいながらも和気藹々と稽古しています。
 入門ご希望の方は、事前に連絡の上、見学してください。




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2012
10.30

「ゆかりびとの会」主催の芋煮会を終えました ─自然墓の申し込み・女子会の結成─ 

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即身仏の石碑を前にして〉

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〈先人も歩かれたこの道〉

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〈聖地を守るお地蔵様と大震災で犠牲になった方々をご供養するお塔婆〉

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〈さあ、また一歩、前へ進みましょう〉

 10月28日、荒天となるのを覚悟の芋煮会でしたが、幸いにして午前中は晴れ、大和町宮床の信楽寺(シンギョウジ)跡地と仙台市泉区の「みやぎ四国八十八か所巡り道場」見学は傘を使わずに行えました。
 信楽寺では、「興廃は人による」というお大師様の言葉を思い出しました。
 天皇の命によって造営された東北随一の伽藍(ガラン)も、創建当時は60人に及ぶとされた行者たちも今は物語の中で語られるだけであり、現地は草が伸び、樹木を支える大地でしかありません。
 今も私たちへ訴えかけてくるのは、やはり、即身仏(ソクシンブツ…生きたままで瞑想に入り亡くなった御霊)となられた住職が眠る石碑でした。
 地域の区長さんがわざわざ帰り道でご説明をくださり、ご自宅に伝わる信楽寺ゆかりのお宝を『宮床宝蔵』で保管してもらっているというお話には、あらためて歴史的な場であるという実感を深くしました。
 八十八か所巡り道場ではほとんどの方がぐるっと廻られ、聖地の気配を実感していただきました。
 気温が低くなったせいか、参道を遮る蜘蛛の巣がほとんどなく、カにも悩まされませんでした。
 芋煮会の会場へ着くころから雨になりましたが、広い会場は秋を楽しむ善男善女でいっぱい、日本に住むありがたさをあらためて実感しました。

 さて、会場やバスの中では楽しい会話も真剣な会話も交わされ、寺としては大きなできごとが二つありました。
 一つは、住職から考え方を詳しく聴いて納得したというAさんが、自然墓(シゼンボ)の契約第一号となってくださったことです。
 契約を検討中の方々も少なからずおられます。
 まず理想の旗を掲げ、それに賛同、協力してくださる方が現れて目に見える形となり、やがて参加される方が重なって発展するという理想的な流れとなっているのはまことにありがたいというしかありません。
 もう一つは、帰り道に、バスの中で「女子会」を結成しようというご提案があり、拍手、承認という雰囲気になったことです。
 自主的に支えようとしてくださる方々は三宝の一つ僧宝(ソウボウ)です。
 仏宝(ブッポウ)と法宝(ホウボウ)とで三本柱となる僧宝は、プロの僧侶だけを指すのではありません。
 み仏を信じ、法を尊び、寺院を守ろうとする人々すべてが等しく僧宝です。
 見学し、楽しみ、その結果「皆でこの寺院を守ろう」という声が上がったことは、次代への引き継ぎを考えつつある当山にとってはまことに力強い限りです。

 実り多い一日は、新たな出発の日でもありました。
 感謝に耐えません、合掌




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2012
10.29

子供十善戒のすすめ ─子供の導き方を考える─

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 まじめなお父さんやお母さんは悩みます。
 子供の導き方がわからないからです。
「良い子なろう」といっても、どのような良い子になることが幸せなのか?
 宗教という道しるべを排除したマニュアルだけでは、導きようになかなか信念が伴いません。

 当山では、『お約束』として「子供十善戒」を提唱しています。

1  不殺生(フセッショウ)…生きものをむやみに殺しません。
2  不偸盗(フチュウトウ)…盗みません。
3  不邪淫(フジャイン)……ふしだらなことをしません。
4  不妄語(フモウゴ)………嘘をつきません。
5  不綺語(フキゴ)…………へつらいを言いません。
6  不悪口(フアック)………悪い言葉で話しません。
7  不両舌(フリョウゼツ)…二枚舌を使いません。
8  不慳貪(フケンドン)……貪りません。
9  不瞋恚(フシンニ)………妬んだり、キレたりしません。
10 不邪見(フジャケン)…悪い考えを起こしません。


 では、もしも「どうしてキレてはいけないの?」と問われたなら、すぐに答が出せるでしょうか?
 自分に答を考えさせるのも一法です。

「キレている時、どういう気持?
 楽しい?
 嬉しい?
 そして、もしも嫌いな子を殴ってしまったらどう?
 楽しい?
 嬉しい?
 そして、君がキレていてケンカになったら、周りの皆はどうだろう?
 楽しい?
 嬉しい?
 その反対に、誰かと仲良くしている時はどう?
 周りの皆はどう?」

 答を待ってから諭します。
 
キレると、自分がとても不愉快になるだけでなく、相手はもちろん周囲にも緊張感が走り、誰からも笑顔が消えてしまいます。
 エスカレートしてケンカになれば、お互いの心に「相手をやっつけよう」という悪い願いが満ち、実際に相手を傷つけたりします。
 もしも自分が顔を腫らしたり血を流したりすれば、それを見たお父さんやお母さんはどれほど悲しむでしょうか?
 自分が殴られた以上に悲しみ、もしかすると相手やそのお父さんやお母さんへ「復讐する」という悪い願いが起こるかも知れません。
 いのちがけで大切に育ててくれた親を悲しませ、とても悪い心を起こさせたならば、それは良いことと言えるでしょうか?

 勉強するのは、必要な知識でどんどん心を満たすことです。
 正しい知識が増えれば、無知という闇が薄れ、できごとにたいする的確な判断ができるようになります。
 知識が増え、練られれば、判断のレベルが上がります。
 それが人間としての向上です。
 お互いに人間としてのレベルを上げられれば、お互いに助け合えるようになります。
 溺れているAさんを泳げるB君が救えるかも知れません。
 どっちへ行けば目的地へ早く着くかわからないでいるB君へAさんが道を教えてあげられるかも知れません。
 それはお互いに嬉しいことで、お互いに笑顔になり、「感謝する」というとても良い心が起こります。

 だから、勉強して必要な知識で心を満たし、お互いに良い心になれるよう、お互いが笑顔で暮らせるように努力しましょう」




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2012
10.28

東日本大震災 ─東北関東大震災・被災の記(第116回)住めない双葉町、消えた石巻、生まれ変わる女川 ─

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〈朝日新聞「少年の詩、町の人々に灯」より〉

 人生相談に来られた石巻市出身のAさんは福島原発近くで仕事をしています。
 原発に近いと聞いただけで求職者は忌避し、一緒にはたらく人がいなくて苦労が絶えません。
 双葉町の被害者から「家に住めない」と嘆かれると、お気の毒にとは思いつつも、「自分の故郷はそっくり、家も人も消え、のっぺらぼうになってしまったのです」という言葉が喉元まで出かかるそうです。
 不条理や理不尽をも感じます。
原発事故の被害者は保証金をもらって生活しているが、津波の被害者は何もかも奪われ、途方に暮れているだけではないか〟
 そして、一般的な報道からは現実の持つすさまじい面がきれいに〈カットされている〉と危機感を持ち、ご家族をはたらいている現場へ連れて行き、真実に触れさせたりもしています。
 Aさんのお話を聴いているうちに、背筋がどんどん伸びてしまいました。

 10月28日付の朝日新聞は女川第一中学校一年生の佐藤柚希(ユズキ)君の4行詩を紹介しています。
女川は流されたのではない
 新しい女川に生まれ変わるんだ
 人々は負けずに待ち続ける
 新しい女川に住む喜びを感じるために」
 人は現実を記憶にし、記憶は時間の経過と共にあるいは薄れ、あるいは熟成し、心のはたらきようにさまざまな変化をもたらします。
 総じて若い人ほど早く変化が顕在化するように思われます。
 それにしても当時小学校6年生だった佐藤柚希が昨春、45分の授業時間内で「思いの表現」を考え、ここまで行ったとは、若さの持つ力に圧倒されてしまいます。
 特に「待ち続ける」と「新しい女川に住む喜びを感じるために」は、影を作らない大日如来の光を連想させます。

 それぞれの方々のそれぞれの思いが、待たれる未来を引き寄せる大きな力になりますよう。




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2012
10.28

第33回寺子屋『法楽館』 「地方の再生により日本の再興を」

20121011100.jpg

 皆さんこんにちは。当山ではオープンな寺子屋を開いています。

 今月から新シリーズ『どうする?私たちの未来』が始まります。
 地震と津波という自然の圧倒的な力でたたきのめされ、原発事故によって自然をどこまでもコントロールできると考えてきた高慢の鼻をへし折られた以上、私たちはもはや、自然を〈征服〉しようとする姿勢だけではこの先へ進めないことを骨の髄まで知りました。
 では、どうするか?
 どうすればよいか?
 どうしなければならないか?
 このシリーズではそれを問います。

 菩薩(ボサツ)が大きな船の船頭を務めるのと同じく、各界のプロの方々に水先案内人となっていただき、共に学び、共に考え、共に実践し、自然と人間が文字どおり共生しつつ、いのちの世界を守り、心を練って行く道を探そうではありませんか。

 シリーズの第一回目として、米国・ワシントン州立大学博士研究員、理化学研究所研究員であり、米作りを行っている農学博士石山敬貴先生の講話をお聴きします。
 アメリカでの研究生活を経験した先生は、日本の農業や漁業を活かし地方を再生させることが日本の未来を切り拓くために欠かせないと感じたそうです。
 理想を実現するために衆議院議員となってからも田んぼに入り、米作りのプロとして国会で活躍し、被災した現場を山・里・海・町と走り回る中で培われた熱い思いをお話しいただきます。
 質疑応答の時間もあります。

 どなたでも自由に参加できます。
 事前の予約も不要です。
 どうぞ、ふるってご参加ください。

○講師:石山敬貴先生(農学博士・宮城県第4区選出衆議院議員)
○日時:11月10日(土)13:30~15:00
○場所:当山講堂
○ご志納金:1000円(中学生以下500円)飲物付 
○送迎バス:泉中央『イズミティ21』前より13:00発車
     (利用希望の方は前日17:00までにお申し込み下さい)




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2012
10.28

寺子屋の教え『実語教・童子教』を考える(その44)─人の貴さと心の豊かさそして安全と安心について─

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 江戸時代まで寺子屋などの教材として広く用いられていた『実語教童子教』を見直しましょう。
 一度聞いたら忘れられない警句などがふんだんに含まれています。

1 人の貴さ

「生れながらにして貴(タット)き者無し  
 習い修して智徳(チトク)とは成る
 貴き者は必ず冨まず  
 冨める者は未(イマ)だ必ず貴からず」


(生まれながらにして人として貴く生きられる人はいない。
 人の道を学習し、修めてこそ、智徳のある人すなわち貴く生きている人となる。
 貴く生きている人は必ずしも財物に富む人ではない。
 財物に富む人はかならずしも貴く生きている人ではない)

 お釈迦様は説かれました。

「螺髪(ラホツ…行者の髪型)を結っているからバラモンなのではない。
 氏姓によってバラモンなのでもない。
 生れによってバラモンなのでもない。
 真実と理法とを守る人は安楽である。
 彼こそ真のバラモンである」


(姿形がそれらしいからといって、バラモンすなわち尊ばれるべき修行者ではない。
 氏姓によってバラモンなのでもない。
 生れによってバラモンなのでもない。
 真実を把握し、理法にそった生き方をしている人こそ、修行の目的である真の安楽を得られる。
 このような人こそ、真のバラモンである)

 お釈迦様は、カースト制度という誰も手をつけられない身分制度を持った社会に生まれながら、生き方こそが人間のレベルを決めるのだという革新的なメッセージを発しました。
 士・農・工・商が厳しく定められていた日本の寺子屋でも「生れながらにして貴(タット)き者無し」といった教えが説かれていたことには、日本人の持つ大らかさが感じられます。
 生まれの身分でもなく、財産が多いか少ないかでもなく、人間として磨かれ輝いているかどうかが最も評価に値するという考え方は、貧富の差が酷くなり、親の収入や社会的地位と子供のそれが連動しがちになってきた今の日本でこそ、見直されるべきではないでしょうか。
 そして、子供たちへそれを説く大人たちは、それを信じて生きようとする子供たちへそれが実現できるフリーな社会を用意してやる義務があると言えます。
 そうでなければ、「こう生きなさい」と導く一方で、〈そう生きられない〉社会に迎え入れるという欺瞞を行うことになります。
 もしも大人たちが子供たちへ裏切り行為を行えば、それを原因とする結果がどのようになるか、考えるだに恐ろしくてなりません。
 
 子供たちを理想の方向へ導くには、まず、大人が理想を生きて見せねばならず、少なくとも理想を生きようとしなければ子供の導きようはありません。

2 心の豊かさ

「冨めりと雖(イエド)も心に欲多ければ  
 是(コレ)を名づけて貧人(ヒンジン)とす
 貧なりと雖(イエド)も心に足(タ)れりと欲(ホッ)せば  
 是(コレ)を名づけて冨人(フジン)とす」


(財物に富む人でも心に欲望が多ければ、
 真に富む人ではなく、貧しい人であると言わねばならない。
 貧しい人でも、満足と感謝を覚えられる人は、
 真に富む人と言える)

 安全安心は違うのと同じく、モノに富むことと心が豊かであることは違います。
 社会は安全をもたらし得ますが、安心はもたらし得ません。
 なぜなら、安全はある程度レベルとして測り得ますが、安心は測れないからです。
 
 原発事故による危険と安全が線引きされている付近で、Aさんは動ぜず、頑張り抜いてきました。
 より安全なところへ脱出できないわけではありませんが、逃げたとて今より安心な生活ができるとは思えないからです。
 よしんば放射能の影響を受けようとも、顔見知りで信頼できるご近所さんとこれまで以上に助け合いながら暮らした方が安心であると判断されたのです。

 もちろん、モノに富むことと心豊かであることが無関係ではありません。
 しかし、この違いをどの程度認識しているかによって人生観は大きく左右され、認識のあるなしは人が幸せに生きられるかどうかの決め手にすらなるのです。

 注意せねばならないのは、こうした心中のありようについて、安易に社会や政治へ解決を求めてはならないということです。
 私たちが社会から得られるものはあくまでも安全であり、モノの豊かさです。
 安心と心の豊かさは私たちが自分の心で決するしかありません。
 もしも私たちが社会へ安心と心の豊かさを求めるならば、お門違いと言うべきです。
 それは、私たちが社会から「こうしてあなたへ安心をあげますよ」「こうしてあなたの心を豊かにしてあげますよ」と猫なで声をかけられた時の不気味さと恐ろしさを想像してみればすぐにわかります。
 不気味さと恐ろしさの感覚はとても大切です。
 社会や政治や宗教が猫なで声で魔ものになろうとする時、その魔力に負けないためには決して欠かせないとすら言えます。
 よく考えてみましょう。
 その上で、子供たちをまっとうに導きたいものです。




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2012
10.27

仏教はどのように救うのか

20121026101
〈恐らく、はからずも救済を描くことになったのであろう高任和夫氏渾身の最新作『光琳ひと紋様』〉

 仏教における救済の構造はこうなっています。

 原因は必ず結果をもたらし、結果には必ず原因がある。
 だから、善行を為し、善果を求めればよい。
 自らの善行よる救済は確かである。
 なぜなら、救済されて仏と成った先人方がたくさんおられるからである。
 それが菩薩(ボサツ)であり如来(ニョライ)である。
 しかも、たくさんの仏がおられるとおり、仏に成るさまざまな方法が伝えられてきた。
 方法はこれまで研究され伝えられてきたものがすべてではなく、これからも歴史と共に探求されるであろうし、今も人それぞれが生きながら無意識の裡にそれを求め、その人なりの成就もされている。
 単に宗教によるだけでなく、芸術や学問やスポーツや福祉活動、そして人間が生きている現場のどこにでも〈仏と成る〉道はある。
 だから、〈人は誰でも仏に成り得る〉のである。
 私たちに遍く仏性が具わっているとはこのことをいう。
 あとは実践するかしないかだけである。
 仏に成る、つまり成仏する道筋は、仏性として潜在している仏を輝かせる、あるいは仏そのものに成り切るといったイメージである。
 しかも、仏になろうと意識しているか、していないかには必ずしも関係がない。
 その人なりに人間としての精いっぱいを尽くすところにこそ、成仏の可能性は開かれる。
 仏教で言う「善行」はとても幅広い。

 やろうではありませんか。




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2012
10.27

吉田松陰と仏教の学び方

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 産経新聞に連載されている『紅と白』の第25回へ何気なく目をやり、思わず短い5行を三たび読み直しました。
 そして、当山の理想が松下村塾に通じているのではないかと言ったAさんのきりっとした口元が思い出され、ようやくその胸の内が理解できました。

「かならず松陰が『ではこの教えは現代(いま)にたとえるとこういうことになります』、また『この時勢にこの主張を実践するにはこうすべきではないでしょうか』といったぐあいの解説や問題提起をおこない、塾生とともに討論して理解をふかめ、現実問題の解決策をも探求した。」


 真理に気づいたお釈迦様がそれを説かれたのは2500年前、それから現在までの間に無数の経典が編まれました。
 いずれも真理を解き明かすものではありますが、あくまでも人間の営みに立脚する思想を根底とする仏教は、フォントを転換するように、学ぶ人間が、自分の生きている時代と環境に合わせて柔軟に理解する姿勢があってこそ、真の救いとなり得ます。
 それを促すところにこそ、仏教が時代を超えて〈万人を救う〉可能性があります。
 もちろん吉田松陰の思想は仏教ではありませんが、冒頭の文章は、思想が生きるためにはどうあらねばならないかというポイントをついており、はからずも、お告げの宗教でない仏教を学ぶ者への鋭い戒めになっています。
 もしも、経典にこう書いてあるからといって、無条件にその通りでなければならないとするならば、万物流転の現実にあって自分も変化しながら生きる人間を架空の空間へ閉じ込めることになってしまいましょう。

 お釈迦様が一人娘を失って嘆き苦しみから抜けられない母親キサーゴータミーを救われた話を考えてみます。
 お釈迦様は、お釈迦様の超能力で亡くなった娘を生き返らせてくださいと頼むキサーゴータミーへこう約束されました。
「貴女を救いましょう。
 そのために、貴女は一人も死者を出したことのない家から芥子の実をもらってきなさい」
 キサーゴータミーは夢中で村中を歩きますが、ご先祖様を亡くしていない家がないのはもちろん、あちこちにさまざまな形で家族を失った家があります。
 とうとう空手でお釈迦様のもとへ戻ったキサーゴータミーへお釈迦様はようやく、無常の理を説かれます。
 現実に目を向け、心を開いたキサーゴータミーの心の深いところへ届いた教えは約束通りに救いをもたらしました。
 道理から外れた勝手な考えや望みが苦の原因であることを悟ったキサーゴータミーは救われたのです。
 お釈迦様は慈悲と智慧できっかけを与え、あとはキサーゴータミー自身が涙と汗と智慧で自らを救ったところにこそ、慈悲と智慧、そして因果応報の理に立った仏教のありようが明らかになっています。

 万物が無常であるのは当然、お釈迦様の時代も今もまったく変わらない真理ですが、無常の顕れ方も、それがスッと腑に落ちるための方法も、当時と今と同じというわけにはゆきません。
 何に無常を観るか、どうやって無常がもたらす悲哀や苦悩から脱するか、〈現代にたとえ〉〈実践する〉具体的な道を探す智慧が求められています。
 それは過去も現在も未来も変わりません。
 心して学び、心して実践し、心して語りたいものです。
 Aさん、ありがとうございました。
 これからもご縁の方々と共に精進します。




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2012
10.26

2012年11月の運勢 ─流れの生かし方と人生修行─

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〈とある喫茶店7〉

 2012年11月─平成24年11月(霜月…11月7日から12月6日まで)─の運勢です。
 運気の流れによる注意点を参考にし、人間修行の六波羅蜜(ロッパラミツ)行で改運し、開運し、快運となりますよう。

今あるものをすなおに見つめ、価値を見いだせば思わぬ力が出ます

 昨年の3月11日から始まった避難生活を体験された方々から、くぐもった声でお聞かせいただくこんなお話がいくつかありました。
「初めは無我夢中で助け合いました。
 パンを分け合ったりもしました。
 でも、救援物資がだんだん豊富になってくると、我先にという気持が出てきました。
 家族のために早くおいしいものを確保してやろうといった思いがそうした行為を正当化して、どんどんエスカレートしました。
 やがて、不平不満が聞かれ始め、争いも起こるようになりました。
 整然としているように見えながら、こうした心の動きと行動は確かにありました。
 自分もそうした中の一人になっていました」
「初めはどうなるかわからず怖かったけれど、みんな純粋な気持ちで助け合いました。
 お互いを信じられました。
 でも、いつの間にか、肘を張り合ういつもの日常が始まっていました。
 私も同じです」
 話される方はとても悲しそうで、じっと聴くしかありませんでした。
 そして私も悲しくなり、人が愛おしくなりました。

 人生に浮き沈みはつきものです。
 誰しもが沈んだところから早く抜け出したいと願い、沈んだ頃の記憶は忘れてしまいたいとも思いますが、それでは、「もっと、もっと」と掴む手を前へ伸ばし続けるだけが幸せを得る方法でしょうか。
 私は困った時、百円玉一枚で買えたイワシの缶詰を妻と分け合い、タンポポやツクシを食べた頃を思い出します。
 トイレも水道もなく、アリが這い回り雨漏りのする古いプレハブでカビの匂いを嗅ぎながら寝起きしていた頃を思い出します。
 雪の降りしきる夜、法務が終わってようやく夕食の支度を終えた妻が、食べ物を盛ったお盆を手にプレハブへ向かう途中、外で滑って全部落としてしまい、雪にまみれたまま泣いて震える肩を抱いた時のぬくもりを思い出します。
 不思議なことに、こうした辛い思い出が、自分への戒めとなり、今を耐える力を与え、どんなに追いつめられても微かに残っている余裕に気づかせてくれもします。

 私たちは死ぬまで、今が最高か、それとも最低かを知り得ません。
 たとえ今を最低と感じても、これまでの人生の中でもっと落ちていた頃はなかったでしょうか?
 あるいは周囲に、あるいは世界に、最低と思われる境遇で生きている人を見いだせないでしょうか?
 それに、災害や事故や病気などで無念の思いを抱きながらこの世へ別れを告げた方々の気持へ思いを致せば、生きていられること自体、決して最低ではないとわかるはずです。
 朝、無事に起きられたのは自分に「生きる力」があるからです。
 また、社会が「安全」を確保してくれているからです。
 水が飲めるのも、電話が通じるのも「インフラ」が整備されているからです。
 そうしたものを失う人々、あるいは失っている社会に比べれば、私たちはいかに大きな宝ものに恵まれて生きていることでしょう。
 私たちはどこにいようと「ありがたい」と思える何かを見つけられる社会に生を承けています。

 今月は、自分が手にしていないものを数え上げて並べる人よりも、手にしているものへ感謝できる人の方が心といのちの力を高めつつ生きられる時期です。
 そのためには、辛かった過去を思い出すのも、過酷な環境にいる人々を自分にダブらせるのも有効な方法です。
 辛い体験も、「あそこを越えて来たのだ」と思えれば、未来を照らす灯火をともす燃料になります。
 体験の持つ力は本当に不思議なものです。

 ところで、くれぐれも高慢心には注意してください。
 お互いの信頼と汗によってせっかく整いかけた状況を一変させてしまいかねません。
 また、他人が安心の基としているものへ軽々しく手をかけないよう。
「窮鼠猫を噛む」といった事態になり大けがをする怖れがあります。

 皆さんの開運を祈っています!

布施(フセ)行と運勢水を供えましょう。
 精進の人は全てを思うがままにしようとせず時期を待って成功します。
 不精進の人はうまくやろうとしても腹黒さを見抜かれ、失敗しがちです。
持戒(ジカイ)行と運勢塗香(ヅコウ)で身と心を清めましょう。
 精進の人は不調にも焦らず、信用を確保して無事安全です。
 不精進の人はあてにしていた人を失い自滅しきがちです。
[忍辱(ニンニク)行と運勢お花を供えましょう。
 精進の人はようやく実力発揮の時が来て、成功へ近づきます。
 不精進の人はいつまでも過去の問題に足を引っぱられ、力を削がれがちです。
[精進行と運勢お線香を供えましょう。
 精進の人は気配り目配りで人の和を保ち順調に進みます。
 不精進の人は内部の和を保つための汗を流さないままに突き進もうとして失敗しがちです。
[禅定行と運勢飯食(オンジキ)を供えましょう。
 精進の人は周囲の知恵も生かしながら自他のために結果を出そうとします。
 不精進の人は自分の利や賞賛を求め、信用を失いがちです。
[智慧行と運勢]灯火を供えましょう。
 精進の人は徳の力で自然に周囲の協力が集まり発展します。
 不精進の人は計算ずくでやろうとしても予定通りに進まず、忙しいばかりで停滞しがちです。




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2012
10.26

渡辺祥子さんの『銀河鉄道の夜』

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 言の葉アーティスト渡辺祥子さんが語る『銀河鉄道の夜』です。
 不思議な旅は異次元へ誘い、よく見えなかったり、忘れかけていたりする〈自分〉をあぶり出しもします。

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2012
10.25

まったく新しい『自然墓』です

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 本日の河北新報で『自然墓』を発表しました。

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 宗教宗派を問いません。

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2012
10.25

「スーフの白い馬」に想う

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 大草原の国モンゴルには馬頭琴という楽器があります。
 すべて馬の身体から作られているこの楽器は、スーフ(あるいはスーホ)という少年の伝説に発しています。

 おばあさんと二人暮らしの少年は、羊飼いをしながら暮らしているうち、白い子馬を見つけます。
 ツァスと名づけられた子馬はすくすく育ち、誰にも負けないほど早く走れるようになりました。
 ある日、王様がお触れを出します。
 競馬大会を開き、優勝した者はお姫様と結婚できるというものでした。
 初めはあまり乗り気でなかったスーフですが、友だちに誘われて出場し、見事、優勝してしまいます。
 ところが、貧しいスーフの姿を見た王様は、お姫様をくださる代わりに銀貨三枚を投げつけ、ツァスを置いて帰るよう命じます。
 お姫様を望んでなどいなかったスーフは、銀貨にも手をつけず、ツァスを連れて立ち去ろうとしますが、たたきのめされてしまい、ツァスは王様のものになりました。
 王様はツァスが自慢でならず、お客様たちの目の前でまたがってみようとしました。
 その瞬間、ツァスは王様を振り落とし、一目散に家をめざしました。
 つかまえようとしても追いつく馬はなく、たくさんの弓が射られました。
 数日後の夜、いつものようにツァスを思い出しながら眠るスーフのもとにたどりついたツァスは、草原に朝日が昇るのを待つようにあの世へ旅立ちます。
 おばあさん共々、泣いて、泣いて、泣き疲れて眠るスーフの夢枕に立ったツァスは告げます。
「どうか、悲しまないでください。
 わたしの心は、いつもあなたといっしょです。
 もっともっと、あなたといっしょにいられるように、
 わたしのほねや、皮や、しっぽを使って楽器を作ってください。
 そうすれば、わたしは、いつまでもあなたのそばにいられます。」
 悲しみをこらえながら何日もかけて作り、さらに何日もかけて、とうとう、いななきや、蹄の音までも表現できるようになったスーフの馬頭琴羊飼いたちの疲れを癒し、草原に暮らす人々の心を慰めてくれました。

 この物語には、子供たちの情操を豊かにするたくさんの要素が含まれています。
 まず、大草原で羊飼いをしながら、動物も人間も自然と一体になって生きる人々の暮らし。
 権力を握る人間が時として横暴になる社会の難しさ。
 人間に思いがあるように動物にも思いがあり、通じ合えるという真実。
 悲しみを克服させた楽器作りの創作活動。
 死体をも生かせる人間の智慧。
 悲しみから生まれた楽器によってたくさんの人々の心に潤いが生まれたこと。
 なぜ、スーフはおばあさんと二人暮らしだったのか、モンゴルの社会とはどういうものなのか。
 そして馬頭琴が奏でる調べの響き。
 
 モンゴル国教育文化科学省から初めて推薦を受けた絵本である『スーフと馬頭琴』(三省堂)、及びCD『モンゴル/チ・ボラグの馬頭琴』は、小学生さん方にぜひ、親しんでいただきたいと願っています。

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2012
10.24

三十七の菩薩(ボサツ)の実践(第二十八回) ─アラカンさんから如来をめざす般若心経─

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 菩薩(ボサツ)になるための実践道。第二十八回目です。
 10月24日の勉強会『生活仏法』において、皆さんと対話を行うテーマの一つです。

「自利のみを得ようとする声聞(ショウモン)、独覚(ドッカク)も
 頭に移った火を消そうとするように努力するのを見るならば
 すべての衆生のためになる功徳の源泉となる精進に励む
 それが菩薩の実践である」


(自分の愚かさに気づき、煩悩を克服しようとして一生懸命教えを聞いて悟った行者が声聞です。
 それに対して、自分で瞑想などの修行をして悟った行者が独覚(縁覚ともいう)です。
 こうしたアラカンさん方は、世俗から離れて自分の悟りをめざしたのですが、それでも、目の前にいる人の髪の毛に火がついたなら飛びついて火を消してやろうとするはずです。
 そして救われ、喜ぶ人の姿を見れば、誰かのためになることこそ最も人間として尊いことに気づき、誰かの身に起こることを自分の身に起こったことのように思う菩薩の段階へと進みます)

 ここで考えたいのは、自分一人の救いを求めるアラカンさんの位置です。
 最悪の地獄から最高の如来まである救いと悟りのレベルからすれば、アラカンさんは神よりも上位の存在です。
 帝釈天(タイシャクテン)であれ、弁財天(ベンザイテン)であれ、神々は輪廻転生(リンネテンショウ)の中にあるので、天界での寿命が尽きれば再び、地獄や修羅の世界へと堕ちざるを得ません。
 ところが空(クウ)を悟っで解脱(ゲダツ…真理を理解し迷いを脱すること)したアラカンさんはもはや転生せず、利他に目覚めさえすれば、さらに上位の菩薩の世界へ入れるのです。
 もしもアラカンのレベルで足踏みしているならば、自分一人が救われただけでしかありません。
 今回の教えはまさにその核心をついています。

 いかに世俗的なできごとの一喜一憂から離れ、死を恐れず、空(クウ)の目をもって世界を眺めようと、人が苦しんでいれば見捨ててはおけません。
 他の苦しみを我が苦しみと観じ、空(クウ)の智慧を武器としてその事態へ立ち向かうのが菩薩です。
 死を恐れぬ勇猛心で苦からの解放をめざすのが菩薩です。
 まさに、他人の〈頭についた火を消す〉のです。
 もしも智慧があるだけでこうした慈悲心が起こらなければ、それは社会へ害は及ぼさない人でしかありません。
 だから、お大師様は「声聞、縁覚にとどまってはならない」と厳しく諭されました。

 般若心経は説きます。
「是(コレ)は大神呪(ダイジンシュ)である」
 神のごとき無常のパワーがある真言だから、声聞の方々も唱えるのです。
「是は大明呪(ダイミョウシュ)である」
 智慧が明らかに目覚める真言だから、縁覚の方々も唱えるのです。
「是は無上呪(ムジョウシュ)である」
 この上ない真言だから、菩薩の方々も唱えるのです。
「是は無等等呪(ムトウドウシュ)である」
 比べるものがないほどすばらしい真言だから、如来の世界へ通じてもいます。
 そして、
「能(ヨ)く一切の苦を除く、真実であり虚でないがゆえに」
と念をおした上で
「ぎゃてい ぎゃてい はらぎゃてい はらそうぎゃてい ぼうじ そわか」と真言を示しています。
 
 私たちは、普段、我が身へ降りかかる火の粉を払いのけるので精いっぱいになりがちですが、早く防御を固め、周囲の人々へ降りかかる火の粉も何とか出来る人になりたいものです。
 きっと、自分が助かってホッとするのとは比較にならないほどの喜びと充実感が待っているはずです。
 般若心経を唱え、書き、誰かのためになり、一段と精進してレベルアップしましょう。




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2012
10.23

お線香のこと ─高任和夫作『光琳ひと模様』に想う─

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〈ogatko_11をお借りして加工しました〉
 
 お線香はなぜ点すのか?
 佳い香りを捧げようとするのは供養道の入り口で、お精進の心になり、その心を誓い、その心で生き、御霊へお見せすることこそ真の供養道であり、それは同時に修行道ともなっています。
 つまり、供養修行が重なるところにお線香を捧げる真の意味と意義があるのです。
 では、何にためにお精進をめざすのか?
 それは「三日坊主」を克服するためです。
 なぜ三日坊主になるか?
 それは、やらなければならないことよりも好き勝手なことをやりたいという煩悩(ボンノウ)があり、ガマンするよりも楽をしたいという煩悩があるからです。
 煩悩は誰にでもあります。
 そして、克服も又、誰にでもできます。
 どうやって?
 煩悩が出てきたら、「あっ、これではいけない」と考え、それを振り払って再び、やるべきことをやる、決めたことを実践するといった方向へ戻せばよいだけのことです。
 そうやって、意識という一本の線上に煩悩の黒い点が現れる回数を少なくし、励む白い点が現れる回数を多くすれば、賢い心は慣れて変化するので、だんだんに白い点だけで線が構成されるようになって行くこと請け合いです。
 修行をやると決心したらやり通すかどうかは自分にかかっています。
 誰も自分の代わりに食事をできず、排泄もできず、睡眠もできないのと同じく、到着点まで行けるかどうかは自分にかかっています。

 お線香は佳い香りをふりまきながら淡々と燃え、灰になってなお、香りを漂わせます。
 同様に、煩悩を克服してこそ、分野を問わず、何かが成し遂げられます。
 煩悩の克服とは、たとえば色欲を〈追い払う〉だけではありません。
 そうやる方法もあれば、そうでない方法もあります。
 だからこそ、人類は滅亡しないで済みます。
 たとえば、小説家高任和夫氏の最新作『光琳ひと模様』は、生涯、色好みであり財欲もありながら、凄まじい精進によりそれらをすべて昇華しつつ、とてつもない画業を成就させた希代の画家尾形光琳を描ききっています。
 晩年、座禅に励み女性を近づけない生活をしながら陶工として超一流の作品を作る弟の尾形乾山は、兄の『紅白梅図屏風』を観て言います。

「兄さんは、つくづく不思議なお方どすなあ」
「兄さんは放蕩のかぎりを尽くしたものの、絵によって、美によって浄化され、ついには解脱されたんとちがうかと感じました」
「ねえ兄さん、絵を描くのも陶器をつくるのも、これすべて修行。仏の教えにも通じるんとちがいますか」


 尾形光琳は、彼を丸ごと認め支えた妻に手を握ってもらいながら59才の生涯を終えました。

 何をなりわいにしようと、お線香精進を誓い、実践し、霊性を高めましょう。
 くじけそうになる時は、精進波羅蜜菩薩様(ショウジンハラミツボサツ)様の真言を唱えましょう。
「おん びりやきゃり うん びりえい びりえい そわか」




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2012
10.22

寺院はいかにあるべきか?(その7) ─布施を正しく理解し実践する─

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〈とある喫茶店7〉

 寺院仏教徒はいかにあるべきか?
 それを問う第七回目です。

◎戒めの面

1 布施…仏法による布施、仏法に基づく布施を徹底して行い、財物や労力による布施の強要をしない

○ 寺院布施を行うところであり、行者は布施をする僧侶でなければなりません。

 こう言うと、怪訝に思われる方も少なくないことでしょう。
 寺院はお布施を集めるところだという認識が一般的だからです。
 でも、そうではありません。
 寺院は、ご縁の方々のために法を修し、法施という布施(ホウセ)を行うからこそ、社会的な存在意義があります。
 お寺に足をはこぶのは、安心などの救いを求めるからではありませんか?
 ならば、寺院はそれに応えてこそ存在することが許されます。
 救いの得られない寺院は、病気を治してもらえない病院と同じであり、髪を整えてもらえない床屋と同じであり、廃(スタ)るしかありません。

 救われようとする、あるいは救われた方は何かを捧げて、寺院が存続できるよう協力します。
 それが財施(ザイセ)です。
 寺院自体は利益を求める経済活動と無縁なので、支えがなければこれもまた、廃れるしかありません。
 お大師様は「仏法の興廃は人による」と説かれましたが、それはそのまま「寺院の興廃は人による」と言い換えられます。
 み仏に仕える僧侶がいかなる人物であるか、また、仏縁を求める方がいかなる人物であるかによって、仏法も寺院もあるいは生き生きとはたらき、あるいは寂れ、廃れ、忘れ去られます。
 だから、托鉢にでかけ、玄関での祈りが終わりお布施をいただくと「財法二施(ザイホウニセ) 功徳無量(クドクムリョウ) 檀波羅蜜(ダンパラミツ) 具足円満(グソクエンマン)」と口にします。
 財物による布施と法による布施とが行われるところには限りない功徳が生まれ、行者にとっても在家の方にとっても、布施の修行は欠けるところなく成就されたと感謝するのです。

 また、布施はあくまでも自主的であればこそ真の布施であり、計算ずくだったり、強制されたり、嫌々だったり、義理だから仕方がないと思ったりすれば、もはや布施とは言えません。
 では、対価のあるものはすべて布施ではないかといえば、そんなことはありません。
 たとえば、1時間700円で草取りを請け負った場合、元気でご本尊様がおられる境内地の草取りをやれることに感謝し、手を抜かずにしっかりやる方は、精神的にも物資的にも対価を超えたはたらきをしておられます。
 だから、立派な布施の修行になり得ます。
 その反対に、たとえまったくの奉仕作業であっても、「こんなことはやりたくないけど、行きがかり上、仕方がない」と心でグチをこぼしながら流した汗は穢れています。
 こうなれば、せっかくの奉仕も、真の布施行ではなくなります。
 仏教はあくまでも〈動機〉としての心を問い、良き心、善き心で行ってこそ布施と言えるのです。

○ 仏法に触れ、布施の価値に納得した人には布施を第一として生きていただきたいと願っています。

 東日本大震災では、膨大な数の方々が日本中からだけでなく世界中から訪れ、黙々とはたらかれました。
 今も、たくさんの方々が縁を絆と感じて現場にとどまっておられます。
 お姿を観たり、話したりすると、この方々は何かを〈探して〉、あるいは〈求めて〉来られたと感じる場合が多々、あります。
 それは、私たちにとって日々を生きることの意味や目標がとりわけあいまいになっている時代の表れなのでしょう。
 
 作家高史明氏は43才の時、12才の息子岡真史が自殺するという悲哀を味わいました。
 その24年後の平成11年、「いま『いのち』の声を聞く」を書きました。

「私は泣いた。
 その悲しくもつらい涙は、くる日もくる日も続いた。
 いまもその涙は続いている。
 気づいてみれば、私の生には、絶え間ない涙の川が流れていたのであった。
 その涙ゆえに人間は、老に泣き、病に泣き、死に際して泣くのだとも言えよう。
 人間の生とは、深い涙とともにあったのであった。」
「人間とは、いのちの大地から誕生してきながら、そのいのちの故郷を忘れてしまう生き物だったのである。
 母親に抱かれている揺り籠の時期までは、まだいい。
 だが、這い這いをし始めるとどうだろう。
 人間はそれまでの軸足を、いのちの大地から自分中心の頭の知恵へと移すのである。
 いわゆる三つ子の魂と言われている第二の誕生の時期が始まる。
 この時期を迎えた者は、もはやかつての初々しい産声を思い出すこともないと言えよう。
 人間はこの第二の誕生から、さらに第三の誕生とも言える自我誕生の時期を迎えるのである。
 そして、何が起きるか。
 大地の上に頭で立つようになるのである。
 それは何か。
 この時期を迎えた人間は、いっそう深くいのちの大地を見失うことになるであろう。
 まるで世界が、自分中心に回転してるかのような思いを抱くのである。
 言うなれば、いのちを私物化して自分の〝もの〟であるかのように思うからである。
 だが、いのちの私物化は、いのちの喜びを失うことにほかならない。」
「何人の誕生も、元から言えば無数のいのちを縁としているのである。
 もし、人の人生が、自分一人において完結するものであれば、その自分一人の誕生にかかわってきた無数のいのちの縁をどう考えればいいのだろう。
 いのちを私物化して、自分一人においていのちを完結させようとする道行きこそは、まさに完全に孤独な人生である。
 この孤独こそが、人間の地獄である。
 人間の心底の涙の川とは、この孤独をいく人間に注がれているいのちの大地の涙なのである。
 いのちを私物化する人間は、まさに真実のいのちから深く悲しまれていると言うほかない。」
「人間がその人生の途上で、ただ泣くほかないということになるなら、その時こそは深い涙を思い出していいのである。
 新しいほんものの人生がその瞬間から始まるのだ。
 自分中心の人生から、深い涙に目覚め、いのちの大地に再生していく人生こそが、ほんものの人生である。」
「人間は四度生まれる。」

 
 無数のいのちのつながりの一部としての自分を自覚し、いのちの私物化を離れるきっかけになるのが布施行です。
 確かに、高史明氏の言うとおり、それは新しい誕生であり、新しい人生の始まりになるのです。
 実際、出家得度をするおりには、死に装束である白衣をまとい、生きながらにして〈自分の〉いのちをみ仏にお返しし、新たにいただいたいのちを生き直します。
 布施を第一として生きる人だけが、高史明氏の言う「四度」目の誕生を体験できるのではないでしょうか。




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2012
10.21

やってくる悲しみ、そして苦と浄化について

20121021004.jpg

 最近、子供たちのいのちが弾けるような姿や声に言いようのない悲しみを覚える機会が多くなりました。
 近くにいてもなかなか会う時間のない孫の声が携帯電話から流れる至福の時間が過ぎると、愛しさを覆うかのごとく深い哀しみがやってきたりします。
 歳のせいなのか?
 そうなのでしょう。
 なぜなら、若い頃は、幼いいのちに涙ぐむなどということはなかったからです。
 では、どう〈歳のせい〉なのか?

 悲しみはどこからやってくるか?
 自分の過去を知っており、人間の行いを知っており、社会のできごとを知っているからです。
 子供が成長するとは、猛烈な勢いで頭中のニューロンが増殖し、精神を動かす機能が高まると共に、自我が芽生え、自我を第一とする煩悩も強くなることだからです。
 無邪気に親を信じ、先生を信じ、言われるままに手をつなぎ、仲間と一緒に歌を唄う幼いいのちが、やがて強くなった肉体で他人を殺し、巧妙に動くようになった精神で他人を騙しもするとは──。
 時には泣きたくなるような状況も乗りこえてようやく一人前に育ててくれた親を泣かすようになるとは──。
 光だけしかないかに見える子供が、大きくなるに従って他人を泣かせ、自分も泣かされ、他人を虐げ、自分も虐げられ、他人を苦しめ、自分も苦しめられ、光が増す一方で闇をも深くしつつ生きて行くことが宿命だとは──。

 死の影をはっきりと感じとる年令になってようやく、お釈迦様が「輪廻(リンネ)の中にあるものはすべて苦しみを背負っている」と説かれたことが理解でき始めたのでしょう。

 苦が三つの面から説かれていることはとっくに知っていました。
 一つは、苦苦(クク…苦痛と感じる苦しみです。
 一つは、壊苦(エク…変化がもたらす苦しみです。
 一つは、行苦(ギョクク…煩悩の影響下でしか生きられない苦しみです。

 一番目は、文字どおり「痛いほど」よくわかります。

 二番目は、形あるものはすべて滅することとして、頭では理解できていました。
 しかし、「5年がかりで探し続け、ようやく墓地を定める決心がつきました」、「住職が気に入った。おれの骨はここに埋めるけん」、こうした方々を送り、一周忌や三回忌などを行うたびに、「あなたはあまりにも早く逝き過ぎました……」との思いは深まるばかりで、ようやくその真意がわかりかけてきました。
 孫や幼い子供たちには、逃れられない四苦八苦の宿命を観て、辛くなり、その恐ろしさがわかりかけてきました。
 壊苦は、まず、悲しみとしてやって来ます。
 悲しみから逃れられないことが〈ままならない〉という意味での苦なのです。

 三番目は、自分自身のこととしてあまりにもはっきりと観えており、この面での戦いにようやく勝利しつつあると思えたのもつかの間、孫に生まれつつある闇の気配に打ちのめされ、人間が背負う宿命の重さに今さらながら、震えるような思いがしてなりません。
 これまでも、昭和43年から44年にかけて連続ピストル射殺事件を起こした死刑囚永山則夫の著書『無知の涙』に打ちのめされました。
 彼は、詩に「キケ人ヤ 貧シキ者トソノ子ノ 指先ノ冷タキ血ヲ」と書き、「刑が執行される時には全力で抵抗する」と公言し、そうしつつ逝ったとされています。
 9件もの爆破事件で起訴された死刑囚大道寺将司の句集にも参りました。
 自分は被害者との関係性の中でしか生きていられないとし、「傷みしは世間か吾か雨蛙(アマガエル)」と詠みました。
 確かに、確かに、〈ままならない〉のです。

 そして、一番目の苦にはどうにか耐え得ても、悲しみとしてやってくる二番目と三番目の苦には、まだ十分に耐え得るとはとても言えません。

 ダライ・ラマ法王は説かれました。

「~苦しみとはどういうものかというそれなりの知識を持っていると、この輪廻にいる限りは、すべては苦しみの本質を盛ったものなのだ、という認識があるので、実際に何か苦しみが生じてきたときにも、私たちの心の中には、苦しみに対する何らかの下準備ができていることになります」
「いくら努力してもその苦しみを取り除くことができない、というような状況に直面した場合には、苦しみについての認識があると、自分にはその苦しみをくいとめることができないような業があるのだ、と考えることによって、心の中にはその苦しみを受けとめる余裕ができます」


 私には、はたしてそうした〈下準備〉や〈余裕〉があると言えるのか?
 はっきりしているのは、「すべての有情の苦しみが、すべて私の身に起こりますように」と願う菩薩(ボサツ)の覚悟までは距離があるということです。
 でも、「自分の得ている苦しみは、前世からの悪業(アクゴウ)を浄化してくれるものなのだ」とは考えられ、「自分が苦しみを得ることによって自他の悪業浄化されますように」と祈る心はあります。
 そして、未熟な自分を恥じたり、ガッカリしたり、諦めたりといったことはありません。
 悪業を積んだ以上、悪業浄化しきれない限りきっと又、転生してくるので、そこで残りの修行を続ければよいだけのことです。

 また、思い出します。

「君看(ミ)ずや双眼の色 語らざれば憂いなきに似たり」


 お釈迦様は、万人の悲しみを我が悲しみと感じておられるので、お心には次々と憂いが生じておられるはずなのに、お優しく澄んだ御眼を見る限り、そうした気配すらありません。
 それは、ご自身の心の中で悲しみを解消し、その境地を見せてお導きくださっているからです。
 この悲しみ、この苦を解かれ、お導きくださっているみ仏がおられる以上、私たちは必ず、そこへ近づけます。
 信じて悲しみ、苦しみ、修行しつつ歩み続けましょう。




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2012
10.21

「あるべき寺院と宗教のすがたについて」と所感 ─タンポポの心─

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「ゆかりびとの会」会員Aさんからいただいた投稿です。

「あるべき寺院宗教のすがたについて」と所感

 遠藤住職潅頂(カンジョウ…仏弟子になる儀式)を受け、得度(トクド…仏弟子としての資格を認められること)し、大師山法楽寺を創寺されて早や25年の歳月を経て現在に至っています。
 私のような俗世界に生きている人間には、それを理解して自分に受け入れるには、未(マ)だ未(マ)だ修行が足りません。
 住職苦行托鉢をしているときに書き留められた『托鉢日記』の一ページにある次のコトバが深く印象に残っています。

「種と場と」

 ──托鉢をしていると、自分がタンポポの種を運ぶ風に思えてくる。
 ご縁のままに戸をたたき、ご縁のままに教えの種を人々の心に残す。
 二回三回と訪れるたびにそのいくつかは芽を出し、いつくかは小さな花を咲かせ、多くは枯れているのを見る。
 ──中略──

 お経を読み法を学んでも、その中どれだけが血肉となり、どれだけが他人様のために生かせ、どれだけを後に続く人たちに残せるのだろうかとフト思うことがある。
 ……学ぶこととそれを活かすことが一つであるべきだと考える身としては、常に未熟であっても、ご縁の場を大切にし、伝え受けた尊い教えの種にいささかなりとも花を咲かせ、その種を残したいとただ願う。

 
 法楽寺を信じる私が今、住職から色々とお話を伺って只只(タダタダ)希う(ネガ)ことは、「この原点を決して忘れず前に進んでいただきたい。」これだけです。─以上─




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2012
10.20

10月の聖語 ─よくわからない自分の心・見いだせるみ仏─

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〈『みやぎ四国八十八か所巡り道場』にて〉

 お大師様の言葉です。

「近くして見がたきは我が心なり。
 細にして空に遍ずるは我が仏なり。
 我が仏は思議しがたし。
 我が心は広くしてまた大なり。」


(自分の心はここにあるはずなのに、その実態をよく観ようとすると、なかなかつかめない。
 あまりにも微妙でありながら、同時に宇宙に偏在しているとも感じられるのが、自分の心におられるみ仏である。
 自分の心は実にとらえどころがなく、精密に考える対象になりにくい。
 それほど自分の心は広々としており、また、大きい。)

 仏教の歴史は、心を探求した歴史と言えます。
 お釈迦様は、ものごとには原因がありそれが結果をもたらすなど不変の真理を説かれましたが、そうした真理は決してお釈迦様が創られたものでなく、お釈迦様は気づかれ、わかりやすく説かれた方の一人です。
 真理はどこにあるかと言えば、とらえる心にしか姿を顕しません。
 ところが、心は、お大師様が説かれたとおり、つかみどころがなく、しかも、縄文時代を想い、宇宙を想像することもできるほど無限に時空を広がります。
 だから、真理の探究と心の探求は重なりつつ深められ、発展してきました。
 仏教は永遠に心と真理の探究を続けてやみません。
 だから、経典は無限に出現するのです。

「手をうてば 鯉は餌と聞き 鳥は逃げ 女中は茶と聞く 猿沢の池


 興福寺にある猿沢の池を前に、ポンと手を打ったとします。
 そうすると、池の鯉は餌をくれるのかと寄ってきます。
 鳥は鉄砲の音と聞いて飛び立ちます。
 女中さんはご主人様がお茶を所望していると思い、用意に走ります。
 このように、拍手の音一つとっても、耳にする者の受け止め方は千差万別の相となります。

 まして、心におわすみ仏は、人の笑顔となり、山の霊気ともなられ、特定の仏像などにだけ宿っておられるのではなく、感得できる心さえ曇っていなければ、あらゆる対象に見いだすことができます。

 大日如来に深く帰依した明恵上人(ミョウエショウニン)は、川のほとりで「足、足」と馬へ声をかけながら足を洗ってやっている馬子(ウマコ)に会いました。
 その声を「阿字(アジ…大日如来を表す梵字)、阿字」と聞いた上人は感激し、馬子がありがたい阿字を唱えるとはいったい、どなたの持ち馬なのだろうかと問います。
 馬子は「府生殿(フショウドノ…役人の官位)の馬でございます」と答えます。
 今度はそれを「不生(フショウ)」と聞いた上人は、「阿字(アジ)本不生(ホンプショウ)」という大日如来が永遠である真理を表す言葉を思い出し、何とありがたい縁であろうかと感激したのでした。

 心は、これだとつかまえられなくても、はたらきとして確たる姿を顕します。
 心が清浄な鏡になれば、人生の真理・真実が映し出されることでしょう。
 はたらきにみ仏の智慧とお慈悲が現れもしましょう。
「南無大師遍照金剛(ナムダイシヘンジョウコンゴウ)」の御宝号(ゴホウゴウ…お大師様の徳につながる宝の言葉)は、たった8文字で心のはたらきを清らかなものにします。
 だから、四国霊場を巡るお遍路さんはこの言葉を欠かしません。
 考えることに疲れたなら、瞑目し合掌して御宝号を唱え、そっと目を開いてみましょう。
 何かにみ仏の光を見いだされるかも知れません。
 昭和44年、故耕治人は『一條の光』を発表し、古びた畳の上に落ちている小さなゴミが太陽の光に輝く瞬間を見て救われる主人公を描きました。
 私たちにも、等しく、見つけられる可能性はあるのです。




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「のうぼう あきゃしゃきゃらばや おん ありきゃ まり ぼり そわか」※今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
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2012
10.19

教師は生徒によって教師となり、親は子によって親となる ─誰でも知っている空(クウ)の話─

20121019010.jpg
〈ある喫茶店6〉

 勤め上げた校長先生Aさんは言われました。
「何度、泣きたくなったかわかりません。
 でも、泣いていてもしょうがないんです。
 明日になれば、生徒たちは、おはようございますと学校へやってきます。
 明日になることと生徒たちを相手にする時間が始まることは同じであって、逃げることなどできません。
 生徒一人一人の顔を思い出しながら夜中まで採点し、理解の遅い子へ話しかけるようにガリ版へ向かいました。
 あの生徒たちのおかげで、教師生活をまっとうできました。
 私は生徒によって育てられました。
 教師が一方的に生徒を育てているのではありません」

 娘を結婚させた母親Bさんは言われました。
「娘は反抗期が酷く、何度、叩きたくなったかわかりません。
 でも、私も子供の頃、叩かれた悲しい記憶があるのでガマンしました。
 夫もよく理解して、私を支えてくれました。
 ふり返ってみれば、短気な私がよくガマンできたと不思議な気もしますが、おかげで少しは短気さが改善されました。
 娘の心は私に見えないところで立派に育ち、とても安心できる伴侶を見つけてくれました。
 これ以上の親孝行はありません。
 考えてみれば、娘のおかげで、親の暴力に苦しんだ自分の過去も洗い流されていたのです。
 娘の旅立ちを迎えて、私もやっと一人前の親になれたような気がします。
 子供のおかげで、一人前の大人に成長させられました。
 親が一方的に子供を育てているのではありません」
 
 こうした方々に共通しているのは、自分の未熟さを認め、悪戦苦闘させられる生徒や子供と正面から向き合い、逃げないことです。
 また、教師や親を生徒や子供より〈上〉に置かず、それぞれの立場として平等に観ていることです。
 もちろん、教師にも親にも、生徒や子供のせいにできない重い責任があり、観念的に平等といっても無意味ですが、関係性という視点からはまったく平等なのです。
 生徒がいてこそ教師であり、子供がいればこその親です。
 学ぶ生徒がいなければ教師として生きることはできず、子供のいない親はあり得ません。
 こうした〈関係性〉で観るのが仏法で説く(クウ)の考え方です。

 私の仏道修行は托鉢から始まりました。
 訪れる先々で、私より遙かに永く人生を生きた方々から、あるいは戦いのまっ最中の方々から、あるいはこれからキャンバスに自分なりを画を描こうとしている方から、人生の多様性や限りない深さや、とてつもない可能性や恐ろしい闇について教えていただきました。
 僧侶や寺院や仏教についての忌憚のない考えを聞かせてもいただきました。
 当山の姿勢や法務の方向性は、そうしたすべての方々とのごが積もり重なって醸成されました。
 法楽寺は、仏法との出会い、師との出会い、そしてあらゆる出会いをとして生まれ、今も変化発展し続けています。
 そうした法楽寺は、建物にあるわけでなく、私という人間にあるわけでなく、檀信徒にあるわけでなく、変化し続ける〈の糸〉の総体としてあります。
 やがて後継者ができ、四国八十八か所巡り道場が完成すれば、それもまた、新たなを生じるきっかけになることでしょう。

 あらゆるものがであればこそ、発展性も希望もあります。
 その実感は、冒頭の教師や親御さんのように「おかげさま」から始まります。
 それが「おたがいさま」へと進めば、人生に潤いと充実感が深まります。
 私たち日本人は、誰もが知っているこの二つの言葉で、互いに救い救われる心をつくってきました。
 大切にしたいものです。




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2012
10.18

子や孫のためにふり返っておきたい先人の導き(その31) ─身だしなみは心を表す─

20121017341.jpg
〈cap341.JPGをお借りして加工しました〉

 ここでは、昭和6年に発行された小冊子を基にして子供たちの導き方を考えています。

31 「ふ」 服装は心の鏡

 釦(ボタン)がはずれていたり、帽子が曲がっているのは、まじめでない証拠だ。
 質素、清潔、規律、礼儀の少年は服装でわかる。
 君の服装を見よ。

 
 学校の先生がジャスで授業を行うようになったのはいつ頃からでしょうか。
 教師の「師」はそもそも軍隊を意味しますが、転じて、特定の能力を持ちひたむきに行う専門家といったイメージがあります。
 だから、教師は、子供を教え導くひたむきなプロでなければなりません。
 ならば、本来は運動着であるジャス、ビールを片手に家でテレビを見ている時にリラックスさせるジャス、日曜大工で汗を流す時に便利なジャス、これを着てプロが学校という真剣勝負の場へ臨むいかなる理由がありましょうか。

 四国霊場を巡っていたおりに対照的な二人の行者と出会いました。
 一人は、自動販売機の横で足を広げて地べたに腰を下ろし、墨染め衣の襟をはだけ、行き過ぎる巡礼者をダラリとした表情で眺めている20代の若者。
 姿が僧侶だけに、目を背けるような思いでその前を足早に通り過ぎました。
 もう一人は、襟元の決まった白装束に脚絆と足袋、頭には白い鉢巻をして小走りに本堂前へ来た50がらみの男性。
 地面へ片膝を付き、小声で読経を行い、文字どおり風のように去りました。
 自分の覚悟など彼の前ではまるで赤児のようなものではないかと、心底、恥ずかしくなったものです。

 今から34年前、高倉健主演の名作『冬の華』が封切られました。
 ヤクザの加納は渡世の義理で兄貴分を殺します。
 兄貴分には3才の娘洋子がおり、加納は償いのために身分を隠して刑務所から仕送りを続けます。
 15年にわたる服役が終わって娑婆へ戻り、洋子の幸せをそっと確認し、堅気の道を歩もうとしますが、加納にはまた、逃れられない運命が待っていました。
 チャイコフスキーのピアノ協奏曲第一番をバックに高校生を演じた池上季実子のセーラー服は、圧倒的な情緒を醸し出しました。
 詰め襟やセーラー服を身にまとって人生の一時期を過ごすことの意義と価値は小さくないと思えてなりません。

 心さえきちっとしていれば姿格好などどうでもよいではないかという考え方には問題があります。
 私たちは目や耳など五官六根で外界と接し、そこから入る情報によって心が動くからです。
 五官のうち、目のはたらきが最も脳をはたらかせることもわかっています。
 ならば、〈生徒の目に映る教師の姿〉がどうでも良いことになり得ましょうか。
 言葉を教え、心を練る授業という聖なる時間を運動着で過ごすいかなる理由がありましょうか。

 生徒へ身だしなみについて指導するなら、まず、教師が文字どおり襟を正さねばなりません。
 身だしなみについては家庭の問題だからと放置してもよいなどと考えるならば「師」の資格は怪しいものです。
 教師をはじめ大人が自らをふり返り、子供たちの身だしなみから心の指導を始めたいものです。




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「おん ばざら たらま きりく」※今日の守本尊千手観音様の真言です。
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2012
10.17

寺院はいかにあるべきか?(その5)─寛容の精神を忘れない─

20121017005.jpg

 寺院仏教徒はいかにあるべきか?
 それを問う第五回目です。

◎姿勢の面

3 寛容信念の多様性を尊重し、他と争わず他を排斥しない

 自分に譲れない信念がある人は、他人にも譲れない信念があり、自分が譲らずに信念を持ち続けたいならば、他人も又、同じであることをよく知っているはずです。
 だから、お互いにとって大切なのは、まず第一に「信念に基づいて生きている」という姿勢を認め合うことです。
 そして、もしも互いが信念の中身を論ずる時は、この尊敬が土台になっていなければなりません。
 さもないと、たやすく誹謗になり、争いが生ずるからです。

 宗教においてこの〈認め合い〉が簡単でないのは、宗教には統一原理といったものが存在しないからです。
 たとえば、仏教とキリスト教について最もわかりやすくその違いを説いた小室直樹博士の『日本人のための宗教原論』にはこう書かれています。

「キリスト教は、イエス・キリストの教えである。
 ──願密にいえば、この表現に若干の疑義はあるが、おおむね間違いない。」
「仏教は釈迦の教えではない。
 西洋人は仕方がないとしても、日本人もほとんどの人が誤解をしているのではないか。
 これは本当のことで、では誰の教えかというと、客観的に存在している法(ダルマ)のことを指す。
 仏教でいう『法(ダルマ)』とは、行動の規範を示し、慣例、風習、義務、法律、真理、教説など、さまざまな法則を指している。
 自然法則も超自然法則も釈迦が発見して衆生に教えたのであるから、釈迦が発見しようとしまいと『法(ダルマ)』というのは厳然としてそこにある。
 だから、釈迦の教えが正しいというのは、本当の『法(ダルマ)』を発見したから正しいのであり、釈迦自らの教えだからではない。」


 そして、まず法があってそれに気づいた仏が後にくる仏教を「法前仏後」の構造であるとします。
 対照的に、まずイエス・キリストという神があり、その神の説説く法が後にくるキリスト教を「神前法後」の構造としました。

「考え方が根本的に違うというのはこういうことである。
 これを統合といっても、一体どうやって統合しうるのか。
 統合ということはありえない、という根拠はこのようにまことに明確である。」


 だから、理論的に他の宗教を認めることは、いいかげんなところでお茶を濁さない限りなかなか難しいものです。
 新興宗教の中には、仏教もキリスト教もごちゃまぜにした好いとこ取りのいかがわしいものもありますが、いかがなものでしょうか。
 こうした私たちが宗教の違いによって争わないためには、互いの人間的態度を認め合い、尊重し合うしかありません。
 
 また、大切なのは、自分が信じない宗教を排斥しようとしないことです。
 いかなる宗教も、信じる人にとってはそれがこの世で一番であり、そうして生きられる社会こそ、理想社会です。
 オウム真理教のように、明らかに他へ害悪を及ぼす場合は別として、一個人の心中にある信念へ手を出す資格や権利は誰にもありません。
 しかし、教団が教線拡大に走る時は、教団内の団結をはかり信者獲得の意欲を高めさせるために他の宗教を邪宗と決めつけ、排斥が生じがちです。
 上述の小室直樹博士は指摘しています。

「明らかにはっきりしているのは、組織が大きくなればなるほどその宗教原理は曲がっていく。
 キリスト教と教会、修道会の例を見ても明白である。」


 当山の信徒さんは全国規模になりつつありますが、あくまでも山里で小さな灯を守って行く寺院であり続けたいと願っています。

 当山は、寛容の精神を忘れずに進みます。




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「おん あみりたていせい から うん」※今日の守本尊阿弥陀如来様の真言です。
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2012
10.16

自然墓をめざして

20121015100062.jpg
自然墓の一部です〉

 当山では今、自然墓(シゼンボ)が完成間近になっています。
 自然葬はよく聞く言葉ですが、自然墓は、ありそうでありません。

 当山は、樹木葬を願う方、山へ還りたいと願う方などのご意見を基に、当山の墓地内でそうしたことができないかと模索してきました。
 その結果、自然葬のように「墓でなく海や山などに遺体や遺灰を還すことにより、自然の大きな循環の中に回帰していこうとする葬送 (ウィキペディアより)」というより、もっと端的に、「自然と墓とする」ことを考えました。
 そして、遠く笹倉山を望む場所に草で覆われたを作り始めました。
 の横から七ツ森の守本尊薬師如来様が見守っておられます。
 の両脇には山桜と高野槇(コウヤマキ)を植えました。
 皆さんからいただいた石たちや植物さちで周囲を囲みます。

20121016001 (2)
〈塔の模型です〉
 個人のお名前は、墓標をイメージした木製の塔へ刻みます。
 これまで、名前も何も残さないようにしたいというお申し出もあり、そうした方は刻まなくても構いません。

201210151101.jpg
〈河北新報さんからお借りして加工しました〉

 構想から一年以上が経ち、あと少しで完成という10月13日、河北新報へ「縄文の墓、盛り土多数」が掲載されました。
 青森県五所川原市の五月女萢(ソトメヤチ)遺跡で、縄文後期から晩期にかけての墓が多数、みつかったのです。
 黄褐色の粘土を盛って作られた土坑墓(ドコウボ…穴を掘って遺体を埋めた墓)は、縄文期の人々がのようなお墓をつくっていたことを示しています。
 関根達人教授(弘前大人文学部)はこう指摘されます。
「マウンドは特殊な埋葬ではなかったと推測される。
 墓標もあり、縄文時代も墓地としてわかるようになっていたと思われる。
 これまでの縄文景観を塗り替えるものだ」
 ささくれ立った日本の精神風景を変え、潤いある社会を取り戻すには、生きとし生けるものと共に生きた縄文・弥生の人々に学ぶ必要があると強く考えている当山には、実に後押しとなるできごとです。

20121015100.jpg
〈『遍路の風景』からお借りして加工しました〉

 また、ご縁の方からいただいた高知新聞社発行『遍路の風景』の中で、四国霊場第四十七番八坂寺の境内に立つ墓標を見つけました。
 まさに当山が模型を作り描いている塔のイメージそのものです。

220509 022
共同墓『法楽の礎』です〉

 当山の自然墓は、決して従来のお墓を否定しようとするものではありません。
 多様な死後のイメージが許される自由な日本において、皆さんの願う安心を確保したいという一心で発想しました。
 当山には、普通のお墓もあり、翼をイメージした共同墓『法楽の礎』もあります。
 今回、安心へのスタイルが一つ加わります。
 皆さんの願いに応えられ役立てればありがたい、ただ、それだけです。合掌




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「おん あみりたていせい から うん」※今日の守本尊阿弥陀如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。





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2012
10.15

托鉢と議員報酬

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 ここ大和町では、あまりに議員報酬が低すぎて、お金に余裕のある人や第二の人生を歩む人などでなければ、議員を勤めることは難しいと指摘されています。
 政治の世界へ人生をかけようとする意欲にあふれた若い人を育てるためには報酬を引き上げ、政治活動をしながら結婚し子育てするなど、人生設計もできるようでなければなりません。
 ところが、経済的に低迷している現在、なかなか賛同者が増えません。

 Aさんからこんなお話を聞きました。
「住職さん。
 反対する人たちが多いのは、往々にして、議員のはたらきぶりがよく見えない地域です。
 住民の声を町政に反映させようと一生懸命な議員のいる地域の人たちは、『これでは気の毒だ』とわかってくれるものです」

 とてもよく納得できます。
 托鉢で歩き、同じ現象を感じていたからです。
 玄関先での読経を断る人たちが多いのは、ともすると、寺院や僧侶があまり評価されていない地域です。
 ようやく拝ませていただいた後で、こんな話を耳にします。
「葬式を頼んだら、食えなくてやっている別な仕事の休みがとれないからと、一週間も待たされたことがあります」
「ある席で住職とご一緒させていただいたら、地域で亡くなりそうな人の名を挙げて、消息を尋ねられました」
「いつも送迎付きで、法事では銘柄指定の酒をしこたま飲まれます」
 これでは、托鉢僧をも拒否するわけです。
 僧侶全員が常に自らを戒めつつ法務に勤しまなければ、結局は仏法の衰退につながると危惧しています。

 現職の議員さん方が皆さんが頑張ってやることをやっておられれば、きっと理解者が増えることでしょう。
 一日も早く、有為の若者が安心して立候補できるような環境となるよう願っています。




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2012
10.15

年忌供養と行者の修行

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 陽光の温かさと風の冷たさが入り交じる秋晴れの日、請われてAさん宅へ17回忌供養に出かけました。
 あの時はまだ学生だったお孫さんが立派に仕事を嗣ぎ、狭かった駐車場は白いコンクリートが輝くように広がっています。
 建て替えた建物の南側には、柿の老木などが相変わらず深い木陰をつくり、そこだけが昔のままです。
 ひ孫の少女はまだ学校前でしょうか、一緒にゲームで遊ぶというバッパは「可愛くてしょうがない」と目を細めっぱなしです。
 宇宙となっているみ仏、願いの成就したみ仏、地上のみ仏と順に香を捧げ、「オン サラサラ バザラ ハラキャラ ウン ハッタ」と結界を張れば、ご一族と共にいる空間は異次元へワープします。
 東方のみ仏から始まるご挨拶の経文が流れる時は、もう、ご先祖様方のおられる深閑とした世界が明らかな気配となって開け始めます。

 修法が終わり、つかの間のお茶となりました。
「ふり返ってみれば、今日は、あの頃より音程の低い声で唱えていました。
 張りも薄れています。
 でも、つながりと流れは深かったような気がします。
 お位牌を前にするこの17年間、ご供養させていただきながら、同時に、お見守りいただき、お導きいただいて来たのだという思いでいます。
 未熟な行者が星霜を重ねるうちに、いくばくか成長したとするならば、御霊のおかげなのです」

 当山は宗教法人となってまだ、たったの16年です。
 仙台市内の一軒家から大和町宮床の一軒家へ移り、今は寺子屋も開ける講堂で修行と法務を行っています。
 ここまで連れてきてくださったのは、ご本尊様はもちろんですが、当山を信じ、ご助力くださるAさんのようなたくさんの方々です。
 行者としての成長は、供養を待つ御霊方に支えられてきた面が多々あります。
 年忌供養は、供養される御霊がより安心の度を深められると共に、供養するご尊家の方々も、修法する行者も成長させていただくかけがえのない機会なのです。

 庭にある古い柿の木は、渋柿だったはずなのに、ある年、突然、甘柿になりました。
 ちょうどその年にお伺いし、聞いて驚く私へ、ご当主様は「飼い犬がどんどん小便を引っかけていたからです」と教えてくれました。
 思い出して話題にしたところ、「そんなこと言ったかなあ」。
 どうも冗談だったらしく、「住職さん、法話で話さなくて良かったね」。
 大笑いの中、そそくさと辞しました。
 
 もうすぐ、事情あって戒名をつけられなかった亡き伴侶への戒名を求めてご来山される方があります。
 見知らぬ御霊もまた、ありがたい導き手になってくださることでしょう。
 それにしても佳い秋日和です。




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2012
10.14

東日本大震災 ─東北関東大震災・被災の記(第115回) 前石巻市立門脇小学校校長鈴木洋子先生の講話─

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 10月13日の寺子屋『法楽舘』では、「東日本大震災─その時学校は─」と題し、 前石巻市立門脇小学校校長鈴木洋子の講話をお聴きしました。
 断片的なメモですが、その真実を記録しておきます。
 
「津波の後、4月になり、声が出なくなった。
 4月15日の卒業式は大変な思いをしながら、マイクに頼り、乗り切った」

「焼け焦げた屋上に掲げられている『すこやかに育て心と体』は津波の前のものだが、今も燦然と輝いている門小の理想である」

「石巻港から出荷される伊達南部藩の米は、江戸に集まる米のうち、3分の1から2分の1を占めるとまで言われていた。
 こうした伝統のある町を背負って行く人になるのだからと、生徒へお茶を教えてきた」

「石巻の被害は甚大で、被災して亡くなった方々のうち、3分の1以上が石巻の人々である」

「校長室の耐火金庫は倒れたが、3月30日、ようやく業者に焼き切ってもらい、中身の無事を確認した。
 そこには、紙でくるまれ保護された3つのものがあった。
 137年の歴史を記した学校沿革史、確かな希望のあかしとなった卒業証書、指導要綱である。
 残っているということの心強さを知った」

「3月11日は2時45分に授業が終わり、1分後に地震が起こった。
 下校中の子供たちも学校へ戻り、学校に集まった子供たちは皆、助かった。
 家族と一緒に行動した7名が犠牲になってしまったのは残念だった」

「ほとんどの人々は『学校まで津波は来ない』と思い『もし学校まで来たら石巻は全滅だ』と言っていた。
 学校は地震の避難所だが、津波の避難所ではなかった。
 普通の認識として『よもやあるまい』があった」

「地震が起こった時、二つのことを恐れた。
 大震工事前だったので、校舎が倒壊するのではないか。
 子供たちがパニックになり、安全な避難が困難になるのではないか。
 しかし、普段の訓練で、廊下を走らず静かに歩く、教師の話を聴く時は私語をしないなどの訓練が生き、子供たちは整然と行動してくれた。
 階段で将棋倒しになるなどの事故も起こらなかった」

「電気が使えず校内放送が役立たなければ、現場へ走り肉声を用いるしかない。
 その訓練も欠かせないことを知った」

「校庭で245名の安全が確認された時、鈍色の空が低くなり、横殴りの雪が降ってきて不穏な気配となった。
 校庭には避難者たちがどんどん入って来るが、体育館は天井からの落下物などで使えない。
 そこへ大音量の津波警報が鳴った。
 日和山へ待避するしかなく、結果的に体育館に留まれなかったことが幸いした。
 また、『率先して避難者たれ』と心がけた常々の地震と津波とを連動させる訓練が役立った。
 整然と高台をめざす児童に続いて避難して住民の方々も救われた」

日和山に着いて30~40分経った頃、津波が来た。
 この間、忘れ物を取り行うと山を下りた方々に犠牲者が出た。
 津波の勢いを見て更に高台へ避難しようと、鹿島御子(カシマミコ)神社をめざした。
 途中から町の様子が見え、涙声で話す子供たちはいたが、大声で泣くなど取り乱す子供はいなかった」

「宮司へ頼み社務所へ入れてもらったが揺れが酷く、外へ出たところへ、住民など40名もの人々を逃がした後で高台をめざした教頭以下4名の教師がやってきた。
 子供たちの無事に安堵する一方で、しんがりとなった4人を津波で失ったのではないかと思っていたので大感激だった」

「児童の引き渡しが始まったが、安全な場所での引き渡しという鉄則の大切さを再認識した。
 もしも混雑する校庭でやっていたなら、半数は犠牲になったのではないか。
 非難する際は出席簿を持つことになっていたが、実行できず、3年生の教師が名簿を持っていたので引き渡しが行われ、この時点で児童7名の不明は把握できていた。
 紙一枚、鉛筆一本ないことの苦労が身に沁み、そうしたものを入れた非常袋を用意する必要性が実感された」

「誰も迎えに来なかった児童40名と教師21名は午後6時過ぎ、石巻孝行へ入った。
 途中で学校が焼けているのを見た。
 こうした避難経路、避難所については、地域住民とよく話し合いをしておく必要性を実感した」

「校長はそのまま駅の近くにある教育委員会へ向かった。
 自家発電でテレビが見られ、仙台市と気仙沼の様子は映ったが石巻はなかった。
 北上川側から津波がひたひたとやってきて、翌朝は腰までの深さとなった」

「児童のうち、父を失った者が5名、母を失った者が6名、孤児となった者が1名だった。
 教師と共に過ごした子供たちのうち最後の1名は、5日後に、遠い叔父さん夫婦が迎えに来た。
 話を聞く前に親たちがいなくなったことを察知した子供を引き渡す時は辛かった。
 この子はその後、二度、転校し、現在は東松島市の小学校へ通っている。
 家族を失った職員はいなかった」

「11日目に門脇中学校へ移った。
 子供たちはどんどん県外へ移るなどしており、早く通常の生活に近づけねばならず、職員室をどこへ置くか懸命に探した。
 情報は得られず、情報は探すしかなく歩きまわった末、門脇中学校から校舎の三階を提供してもらった。
 教育委員会へかけ合い、固定電話がようやく設置されるのを見届けた3月31日、定年退職した。
 仙台市で辞令をもらう際、自分で着付けした着物でというのが夢だったが叶わなかった。
 しかし、避難所の人々が出席され、花束までもらった」

「授業作りと防災教育と日常の生活指導を重視してきた。
 実践的な避難訓練を行い、引き渡し訓練にも力を入れた。
 赴任2年目から行った引き渡し訓練については、最初の一回目が暑さの真っ盛りということもあって保護者たちから大ブーイングを浴びた。
 しかし、何度もやるうちに手順が早くなり、皆さんの意識も変わってきた。
 防災訓練に関するアンケートをとったところ、保護者の98パーセントが回答を寄せ、そのうちの99・1パーセントが肯定的評価をするまでになった。
 その一ヶ月後に大震災がやってきた」

「たとえ保護者が嫌がろうと、必要なことは一緒にやらねばならず、『子育ては共に』である。
 それが実際に役立つ防災教育にもつながる。
 授業参観は保護者と児童が並んで座るようにした。
 最初は50人程度の保護者しか参加しなかったが、最後は180名以上が参観するようになった」

「これからの防災教育について
1 自分で判断し行動する子
2 地域との連携(複数の避難経路・避難所の検討)
3 授業作り
 震災を体験したからこそ、しっかり考える子、自分で判断できる子になって欲しい」

「神戸へ避難した児童が、たった4日の在籍だったが、その学校で卒業証書をもらった。
 辛い思いと共に感謝の気持も伝えてよこした。
『救いとなったのは二つです。
 あの時、先生が早く上がれ、早く上がれと声をかけ、助けてくれことです。
 学校の授業が楽しかったことです』
 自分でしっかり考えながら生きて行ける人間に育てるためには、やはり、授業が大切なのです」

 先生の声は低いけれど、表情や言葉には、役割を見極め信念をもって実行してこられた力強さがあふれ、被災したとはいえ、この学校で育った子供たちの幸せを想いました。
 これからは、映画『3月11日を生きて〜石巻・門脇小・人びと・ことば〜』の英語版を作り、支援してくださった世界中の方々に観ていただくことが先生の願いです。
 一日も早い成就を祈っています。




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2012
10.13

一月万水 ─み仏の月光と映し出す湖水─

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 一月万水(イチゲツバンスイ)という言葉があります。
 天に照る月はたった一つだけれど、海、湖、池、あるいは水たまり、どこであれ、無数の静謐に澄んだ水が皆、その姿を映していることです。
 それは、たった一尊のお慈悲の光が万人を照らし続けているのと同じです。
 こうした真実に気づくか否かは、私たちの心が光を映しとれるだけ穏やかで清浄であるかどうかにかかっています。

 深山にいたおり、散り敷き、舞い降りる花びらが目に入って見上げたら、競い合うように茂る樹々の上へと伸びている一本の山桜が木の葉隠れに見えました。
 私たちは、花びらを見れば、たとえ樹木そのものはよく見えなかろうと、桜の樹木があることを確信します。
 目の見えない方は、もしかしたら、香りや気配だけで桜の樹木に気づくかも知れません。
 肝腎なのは、心を澄ますことです。
 では、どうやって?

 仏道修行はその一つですが、もちろん、方法は、まっとうな人の生き方の数だけあります。
 Aさんは、20年座禅してもよくわからなかったけれど、ある音に浸った時、心の平安を得たと言います。
 Bさんは、愛憎の渦でもがき苦しんでいた時、かつて聴いたお不動様の真言が心に浮かび、夢中で唱えているうちに、脱出できたと言います。
 Cさんは、人生を深く悔い、夫婦して生前戒名を受けてから生活が驚くほど穏やかになったと言います。
 皆さん異口同音に言われます。
「脱してみれば、あれほど苦しかった葛藤が、一体、何だったのかと思えるほどきれいさっぱり、あたかも最初から無かったかのように消えています」
 厚い雲を抜けて上昇した飛行機から雲海を見下ろすのと同じ体験は、私にもあります。

 ダライ・ラマ法王は、一つのヒントを示されました。
 怒りは最も激しい心の激流であり、元警視徳永重正容疑者(86才)による隣人殺人事件に類する隣人トラブルが続発している現在、とても参考になるものです。

「私とは誰なのか。
 今現在、傷つけられているこの者は誰であるのか。
 相手とは何なのか。
 傷つけつつあるその人は肉体であろうか。
 それとも心であろうか」


 この教えは修行の一部として示されたものですが、私たちがつまらぬことでカッとなった時、一呼吸おき、こう、問い尋ねてみるのは頭を冷やすとても有効な方法です。
 私はかつて、夫婦げんかが始まると、激高する妻の言葉を聞きながら、黙って考えたものでした。
「何がこう言わせているんだろう?
 自分に原因は無かったのか?
 これは、み仏のお試しではないだろうか?」
 そうすると、自分の口からは、必要最低限度な言葉が静かに出ます。
 こんなことをやっているうちに、〈心の湖〉が取り戻せるものです。

 また、説かれました。

「私たちの心の中には、二つの異なった方向の心理があります。
 一方には怒り執着があるのに対し、もう一方では、公平さ、満足、愛、同情などがあります。
 しかし、同時に一つの対象に対して、執着怒りを持つことはできません。
 時間的に前後して生じることができるだけです。
 たとえば、今日の敵は明日の親友ともなりえます。
 このことは国際政治の場面でも、プライベートな関係でもしばしば見られるところです。
 このことは、これら二つの方向の感情が、同じ対象を相容れない仕方で捉えている、ということを示しています。
 このことは、これらの心理のうち、一方のものが増大すれば、もう一方のものは減退するということを示しています。」


 (クウ)を理解すれば、慈悲や謙虚さなどの善なる方向へと心はつくられ、ものを実体視する誤りから抜けられなければ、怒りや自惚れなどの悪しき方向へと心はつくられて行きます。

 先ほどのAさん、Bさん、Cさんに共通しているのは、自分への執着心が薄れているということです。
 それとは気づかぬうちに、(クウ)の感覚と(クウ)の視点がはたらき出しておられるのではないでしょうか。
 善なる方向へとつくられた心が穏やかで清浄な湖となり、み仏の月光を映し出しておられるのではないでしょうか。




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2012
10.12

子や孫のためにふり返っておきたい先人の導き(その30) ─身体を使おう─

20121012001

 ここでは、昭和6年に発行された小冊子を基にして子供たちの導き方を考えています。

30 「け」 健康第一。健康第一。健康第一。

 早寝、早起き、運動、深呼吸、冷水摩擦、快活の精神、みんな健康の泉だ。
 日課の規律を守って健康なれ。
 健康のない成功はない。

 

1 夜回り先生の指摘

 夜回り先生こと水谷修氏は、子供たちがストレスからノイローゼになり、やがては自殺へも至るプロセスに身体と心のアンバランスが表れていると指摘しています。
 心はテストや人間関係などで疲れているのに、身体を動かす機会が少ないので身体はあまり疲れておらず、そこから眠れなくなる現象が起きて夜更かしし、睡眠不足になり、心がますます疲れてしまうという悪循環です。
 健康を著しく破壊するものとして第一にゲーム依存症が挙げられ、「ゲームをやらない日」をつくっただけで、だいぶ違うそうです。

2 快活な精神

 当山でのご加持(カジ…心身のはたらきとバランスを回復する秘法)では、太鼓を叩くおりに「心も身体も健全でありますように」と願います。
 心が不調な方も、身体が不調な方も、片方だけではなく、両方とも活性化され、バランスがとれてこそ、ここで説く〈快活の精神〉が生まれます。
 快活とは「快」すなわち心地よい気持と、「活」すなわち活き活きと生命活動のエネルギーがはたらいている状態を指します。
 いわゆる「前向き志向」だけとは限りません。
 必ずしも前へ進めなかろうと、役立つものを作れなかろうと、人が活き活きしていること以上、大切な状態はありません。

3 少年岡真史(オカマサフミ)君のこと

 昭和50年の夏、12才の少年岡真史(オカマサフミ)君は、近所のマンションから飛び降り自殺しました。
 父親は作家、母親は教師という家庭に育ち、猛烈な読書家だったらしく、夏目漱石の『こころ』などを愛読し、死後、何編もの詩が発見され、後に詩集『ぼくは12歳』として広く世に知られることとなりました。
 自殺の動機は不明とされていますが、『ぼくは12歳』に「ひとり」と題する衝撃的な作品があります。

「ひとり

 ひとり
 ただくずれさるのを
 まつだけ」

 少年と夏目漱石を関連づける研究などが盛んに行われてきましたが、いずれにせよ、何ものかが12才の少年から快活の精神を奪い、「ひとり」の孤独へと追いやったことは否めません。
 自殺快活の精神は相容れないからです。

4 孤独ゲーム

 少年の自殺の原因は不明でも、孤独自殺の関係を考えてみれば、子供たちがゲームをしている時間が〈孤独の時間〉であることは小さくない問題であると思われます。
 心地よく興奮するよう仕組まれた仮想の世界に遊んでいる時、精神は生身の人間から完全に隔離されています。
 そして、現実に戻った時、人々は仮想の世界とはまったく異なる様相で自分に接します。
 生身の人は、クリックするだけで予定されたように笑ったり、泣いたり、死んだり、生き返ったりするわけではありません。
 生身の人間との〈結果が予知できない接触〉によって孤独に陥らないためには、〈結果が予知できない接触〉を体験して自分に反応のバリエーションを増やすしかありません。
 文学は、この接触に含まれている内容を深く感得する情緒を活性化させ、生きる姿勢を教えてはくれますが、社会人として互いに相手を尊重し合うふるまいの感覚はやはり、接触を重ねながら磨いてゆくしかありません。
 一日24時間のうち、ゲームによる孤独の時間を何時間も持つのは恐ろしいことです。
 家族や友人や社会を構成する人々の〈おかげ〉を完全に忘れている時間は、孤独から逃げているようでも実は、実社会からの距離を大きくしながら孤独を深めている時間なのです。

5 結論

 規律正しい生活により身体も動かして快活の精神を保ち、ゲームを離れて心身の健康を創りましょう。
 これは孤独を深め自殺へ至る道を遮断する方法でもあります。




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2012
10.11

子や孫のためにふり返っておきたい先人の導き(その29) ─ひたむきに進もう─

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〈とある喫茶店5〉

 ここでは、昭和6年に発行された小冊子を基にして子供たちの導き方を考えています。

26 「ま」 真っ直ぐに元気に勇敢に

 わき目もふらず突進しよう!
 止まっているのは退いているのだ。
 どんな仕事にも道草を食うな。
 一直線の突進が少年の本分だ。

 
 日本人二人目となるノーベル生理学・医学賞が決まった山中伸弥京都大学教授(50才)は、10月9日の記者会見において、部外者には想像できない世界をかいま見せてくれました。
 野球のバッターは3割打てば大打者だが、研究者は1割バッターでも大成功と言えるのだそうです。

「9回失敗しないと1回の成功はやってこない。
 日常のストレスが大きく、何十回トライしても失敗ばかりで、泣きたくなる二十数年だった」

 
 そして、この期間、耐えることができたのは、家族や、200人もいる研究員たちの支えと、研究の成功によって治療薬などが開発されて救われたいと願いつつ自分の細胞を提供する患者さんたちの存在だったそうです。

「どんどん進行する病気の時間との戦いを感じているが、私たちにとっての1日が、患者さんには大きいことを心してやっている」


 こうした言葉をかみしめると、偉業は、素人が考える〈超天才の鋭利なひらめきによって異次元の世界が突然、開く〉といったイメージとは異なり、〈必要とする人のために見つけねばならない一輪の花を求め、思い定めた一本の道を何十年も歩き続ける〉という気の遠くなるような営みによって達成されたことがわかります。
 妻の知佳さん(50才)は受賞決定の電話を受けた時の様子を披露しました。

「主人は洗濯機の修理をしていて、私が冬の布団にカバーを掛け、娘がソファでうとうとしている時に電話がかかってきた。
 英語で話をしていたし『サンキューサンキュー』と言っていたのでこれは大変なことになったのではないかと娘と顔を見合わせて言葉も出なかった。
 しばらくたってから『良かったね』と声をかけた」


 ノーベル賞受賞者といえども、仕事をし、家庭のことごとにも汗を流す私たちと同じ〈人間〉であることが実感されるエピソードです。

 教授はそもそも医師をめざしていましたが、研修医時代に友人の手術を行った時、普通は10分で終わるはずなのに1時間もかかってしまうほど器用でなく、研究者へと方向を変え、そこからイバラの道を20年以上、まっすぐに進みました。
 人生をかける目標設定においてどれだけの葛藤があったか、第三者にはとても想像しきれるものではありません。
 きっと、挫折の時点で自分を客観的に眺め、自分が必要とされている分野を見極め、あとはひたすら一本の道を歩まれたのでしょう。

 今回の教えでも、このあたりをきちんとふまえて導きたいものです。
 サッカーであれ、模型作りであれ、何であれ、一心にやってみる。
 一心不乱という日々の過ごし方を身につけることが大切です。
 あとは、大人になって自分なりの道を見定めれば、大丈夫。
 ひたむきの「ひた」は「一」であり、「むき」は「向き」です。
 ひたむきにものごとへ当たれる人になりましょう。




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「おん さんまや さとばん」※今日の守本尊普賢菩薩様の真言です。
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2012
10.10

寺子屋「東日本大震災 ─その時、学校は─」

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 10月13日(土)午後1時30分から寺子屋『法楽館』第三十二回を開催します。
 前石巻市立門脇小学校校長鈴木洋子先生の講話「東日本大震災─その時、学校は─」をお聴きします。

 平成7年7月、仙台市小松島の古家で『法楽の会』を発足していただいた当山はその後、順調な発展を続け、毎月発行している機関誌『法楽』は 273号を数えるに至りました。
 会員各位様の変わらぬご助力と、『ゆかりびとの会』の会員をはじめ、さまざまなご縁の方々のご誠心を賜り、ここまで来られました。
 あらためて、心より、深くお礼申し上げます。
 今年、17周年を迎えるにあたり、感謝の心をこめ、寺子屋『法楽館』において『法楽の会』の勉強会を兼ねた記念講座を開催しています。
 その第四弾は前石巻市立門脇小学校校長鈴木洋子先生の講演です。
 大震災に際し、門脇小学校では教師と児童が常日頃の訓練通りに迅速かつ確実な避難行動をとり、一階が水没してしまうほどの被害を受けたにもかかわらず、学校にいた児童と教師に一人も犠牲者を出しませんでした。
 学校へ避難してきた住民をも救助しました。
 その様子はDVD『3月11日を生きて』で証言され、以後の月日は映画『津波のあとの時間割』として全国で紹介されつつあります。
 先生は今、当時の体験を基に、子供たちの防災意識を向上させ、それを日常的な規範意識の醸成にまで広げることをめざす一方、保護者や地域住民の方々とも一体化した地域ぐるみの安全確保を考え、各所で講演を続けておられます。
 やがて大地震が東北地方を襲う確率について云々されている現在、私たち一人一人がいざという時に自分の判断できちんと行動し、自他を守られるよう、この機会にあらためて、よく考えてみたいものです。
 どなたでも自由に参加できます。
 どうぞ、ふるってご参加ください。

・講  師  鈴木洋子先生
・場  所  当山講堂
・ご志納金  1000円(中学生以下500円)(『法楽の会』の勉強会を兼ねますので、会員の方は無料です)
・送迎申込  午後1時に地下鉄泉中央駅近くの『イズミティ21』前へお迎えの車がまいります。乗車希望の方は前日午後5時までにご連絡下さい。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。




「おん さんまや さとばん」※今日の守本尊普賢菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。





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