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2012
11.30

子や孫のためにふり返っておきたい先人の導き(その37) ─実践し、学び、謙虚になろう─

20121130001.jpg
〈来春、どのような田に畑に果樹園になるのか〉

 ここでは、昭和6年に発行された小冊子を基にして子供たちの導き方を考えています。

37 「き」 希望実行で生きる
希望のない人間はない。
誰だってを立てる。
しかし、実行しない希望は空想だ。
はやさしい。
実行がむずかしい。
実行だ。
実行だ。


 確かに、画に描いた餅をいくら眺めていたところで、満腹にはならない。
 たとえ乾きかけた一枚のパンでも、手を伸ばし口にすれば空腹はしのげる。
 だから、理想が頭に浮かんだならば、あとは行動すなわち実行あるのみだ。

 ただし、実行した結果がどうなるかは、神ならぬ身にはわからない。
 しかし、実行すれば確実に手に入れられるものがある。
 それは、現在の自分にできることとできないことがわかることだ。
 やらない限り、これは決してわからない。

 作家大庭みな子氏は、昭和61年、『遠い山をみる眼つき』を書いた。
 その中の一節である。

「人は生きていく中で、何かを学び、わからないことが無限にあるとわかれば、それだけでも何もかもわかったと思っているよりはずっとましである」

 結局、学んだ人にしか、〈まだ学び得ていない膨大な世界〉は見えない。
 そこが見えている人には、「自分で知っている世界などたかが知れている」という事実認識があり、さらに勉強しようという意欲と共に、謙虚な心が生まれる。
 大庭みな子氏が「ましである」と指摘しているのはそのことである。

 実践、実行から大いに学ぼう。
 そうすると、結果はどうあれ、今の自分を超えた世界が見えきて「井の中の蛙(カワズ)」では終わらない。
 自分が成長すると同時に、謙虚さというお互いが大人として接し合うための必須条件を一つ、手にしたことにもなるのである。




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2012
11.29

『びわこ宣言』に関して ─物理学者へ「原発は人間に制御し得るか?」「原発のゴミは処置できるか?」を尋ねる─

20121129003.jpg
〈寒風に咲く花のように〉

 嘉田知事が発した「びわこ宣言」の核心である。

「経済性だけで原子力政策を推進することは国家としての品格を失い、地球倫理上も許されない」


 物理学から環境関係へと学問を深められたA氏へ質問した。

原発は人間が制御し得るのでしょうか?」

 即答があった。

「無理でしょう。
 専門家なら誰しもが、わかっているはずです。
 しかし、原発は国策として政界や経済界に絡みつかれてここまできたので、誰も真実を話せません。
 まして、現役の方々は立場や生活にかかわってくるので……。
 たとえば、宮城県で言えば、震災後、女川原発の状態に関して発表されたデータはすべて原発側からのもので、第三者による綿密な震災の影響調査などは今なお、行われておりません。
 あるいは、たまたま旧仙台市内はあまり影響がなかったけれども、~から~方面へ(当該地の方々への風評被害などを勘案して軽々には書きません)廻りつつ入り込んだ放射能の影響も、よくよく調べる必要があります。
 福島県も30キロ圏などという数字でうんぬんしていますが、実際は数値の高い地域が〈圏外〉に多々あり、心配しています。
 また、偏西風を考えると、もしも九州の原発で事故が起こったならば日本列島は壊滅的打撃を免れないでしょう
 私などは、3月11日以降、原発の事故をはさんで、ずっと、海側の関係者へは申し訳ないけれど『東から風が吹かないように、万が一の場合は放射能が海側へ流れるように』と祈る思いで過ごしてきました。
 あそこの原発すべてが制御不能になっておかしくない状況に陥りながら、どうにかここまでこれたのは、〈たまたま~だった〉という幸運がいくつか重なったためであることを忘れてはなりません。
 4号機の原子炉真上にある原子炉ウェルに水があったこと、仕切り壁がずれてウェルから使用済み燃料棒を冷やすプールへ水が流れ込んだことは偶然でしかなく、人間の力で最悪の状態を免れたなどと考えれば、恐ろしい傲慢というものです
 そうした考えで今後も原子力発電を進めれば、やがて、とりかえしのつかないことになる可能性が大です。
 人間は原発を制御し得ない、と専門家たちが声をあげるべきです

「もう一つだけ質問させてください。

 原発のゴミは現代科学で処理できるのでしょうか?」

 即答があった。

「できません。
 放射能を消すことはできません。
 日本でやるとすれば、フィンランドのように地下深く埋めるしかありません。
 しかし、いかんせん、地震国ですから。
 フィンランドでは太古の岩盤層を深さ500mまで掘って10万年大丈夫としていますが、それには、地殻変動が現在の調査研究によって計算された範囲内で済めばという前提があります。
 造ることはできる、しかし、利用して出るゴミの処理は地下か、あるいは宇宙へ投げるだけ。
 しかも、いったん造ったものを廃棄するには膨大な経費と年月を要する。
 こんなものを造るのはまちがいです

 ところで、アメリカでは、壊した自然の分だけ何とか埋め合わせをするよう法によって定められていることをご存じですか?
 日本では、便利な道路を造れば造りっぱなしで、壊した自然について何も考えないではありませんか?
 こんなことでは、『緑豊かな日本』といつまで言っていられることやら、先行きが心配です」

 思い出した。
 ご寄進を受けた現在の境内地は藪と雑木林だった。
 ご縁の方々と力を合わせて切り拓く時、無数の生きものたちを追い出した。
 雑草が刈られれば、カタツムリが地べたへ叩き落とされ、ミミズが踏みつぶされ、トンボが止まれなくなる。
 それを見て、全体が出来てきたなら、可能な限り草や木や石を用いて自然を取り戻そうと考え、追いやられ殺されるものたちへ手を合わせつつここまで造営を進めて来た。
 今、タヌキやキツネはたまに見かけるが、リスなどは姿も形もない。
「壊した分の埋め合わせ」
 これを肝に銘じてやってゆきたい。

 原発について、プロ中のプロから直接、本音を聞かせていただいた。
 嘉田知事の理念はやはり、真理をふまえ、真実につながっている。
 雑音をものともせず、進んでいただきたい。




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2012
11.29

【現代の偉人伝】第161話 ─「びわこ宣言」を行った滋賀県の嘉田由紀子知事─

20111129100.jpg

 11月27日、滋賀県の嘉田由紀子知事は、「びわこ宣言」を行い、新党を結成した。
 その根本理念は

「経済性だけで原子力政策を推進することは国家としての品格を失い、地球倫理上も許されない」

に凝縮されている。
 戦後、日本の政治は、戦前にあったよきものを復活させようとする〈右〉と、共産主義国家への幻想を土台とする〈左〉の綱引きで進んで来た。
 それには意義も意味もあったが、現代日本そのもののありように立脚した国家像はなかなか語られなかった。
 日本が日本でなければならない世界的、歴史的責務を果たす品位ある国家になるためには、原爆を落とされ、原発事故を起こした国であり、科学を第一とする現代文面がもたらす最悪の悲惨を体験したことが決して忘れられてはならない。
 そこからあるべき国家像を描くために最も必要なのは、科学的合理性や経済性ではない。
 あってはならない、二度と起こしてはならない、という魂の叫びであり、人間そのものの限界に対する認識と自然の不可抗力的力への畏怖である。
 知事は、農業体験者として、科学者として、政治家として、これまでの人生のすべてをふまえてそこに立った。
 はっきりと。

 なお、応援団の中沢新一氏については、以前、書いた。
「おかげさま・おたがいさま・日本の大転換(その1)」(http://hourakuji.blog115.fc2.com/blog-entry-2966.html)
「蜜 ─『四十二章経』第三十九章─」(http://hourakuji.blog115.fc2.com/blog-entry-3040.html)

 よきはたらきをされるよう祈ってやまない。




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2012
11.28

三十七の菩薩(ボサツ)の実践(第三十一回) ─自分はアリ一匹踏めない人になったか?─

201211280062.jpg

 菩薩(ボサツ)になるための実践道。第31回目です。
 言葉は専門的ですが、内容には実生活でも役立つポイントが含まれています。
 

「自らの錯誤を自らが正さないなら
 行者が非法をおこなうことになりかねない
 それゆえ、常日頃より過ちを見抜いて捨てる
 それが菩薩の実践である」


 教えの道に生きようとするならば、常に自分自身のチェックが欠かせません。
 いくら真言を唱えようと、いくら滝に打たれようと、いくら瞑想を行おうと、業(ゴウ)の清めへ向かっていなければ何もなりません。
 悪業(アクゴウ)を積ませる無明(ムミョウ)という根源的な無智の状態は埋もれ火のようにいつも心にあり、気を抜けば、一陣の風でたちまち大きなエネルギーを発してしまいます。
 こうしたパターンは、警察官の飲酒運転、教師のわいせつ行為など、世間に充ち満ちています。
 菩薩行の実践者であろうと、事情に変わりはありません。

 本当にアリ一匹たりとも無益な殺生のできない人間になり切ったのか?
 本当に与えられていないものへは手を出せない人間になり切ったのか?
 本当に道ならぬセックスへ走れない人間になり切ったのか?
 本当に世迷(ヨマ)い言を言えぬ人間になり切ったのか?
 本当に無益な言葉を吐けない人間になり切ったのか?

 こうした仏教的なチェックには特徴があります。
 たとえば、「いつも飲酒運転撲滅運動などにたずさわっているので、彼女に誘われて飲みに行きたいけれどもグッと我慢する」ではまだ、足りません。
 飲酒運転を〈我慢する〉状態だからです。
 もしも誘われたならば、「私は飲酒運転をしませんからと言って毅然として断る」ところまで行きたいものです。
 我慢ではなく、悪行として断固、拒否するのです。
 神様が見ておられるから、あるいは天国へ行けないから、あるいは地獄へ堕ちるから、あるいは社会的地位を失いたくないから、あるいは信用をなくしたくないから、などではなく、〈そうはできない〉人になることをめざしてこそ、菩薩行と言えます。

 お地蔵様も、観音様も、文殊様も、決して苦しそうではありません。
 悪行を離れ切り、無明の埋もれ火がなくなり、自分自身については何らの不安もなくなっておられるからです。
 関心はもはや、衆生(シュジョウ…生きとし生けるもの)の悩み、苦しみの救済にしかありません。
 菩薩様の境地になり切るまでは、私たち凡夫にとって長く遠い道のりですが、善き行いをしている瞬間は、菩薩様の世界へワープ(瞬間移動)しています。
 悪しき行いによって地獄界や修羅界などへワープして悪業(アクゴウ)を積むことなく、菩薩体験を重ねられるよう、自己チェックを心がけましょう。




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2012
11.27

飯を喰わせ救われる話

20121109100 032

 最近は、妻が私の作った朝飯を喰う。
 最も多いパターンは、残り物を温めたご飯に、目玉焼きとキャベツ、それに納豆と大根の味噌汁だ。
 卵以外は皆、信徒さんからご本尊様へいただいた貴重なお布施である。
 二足先に食べ終えた私が仕事をしている横から、妻がキャベツを噛む音が聞こえる。
 ──妻は喰い、今日も生きる。
 不意に、喰う者のいじらしさ、哀れさが迫ってきた。

 思えば、私は家族を養ってはきたが、心のどこかに、いつも、役割を果たしているという思いがあり、妻も子も親も、その〈相手〉だった。
 すべてが果たすべき責務の遂行なので、何を行っても「よしっ!」と小さく呟き、妻には「お父さんは何でも、よしっ、だねえ」と呆れられるのが常である。

 しかし、最近は、とまどう。
 拙いメニューにもかかわらず無心に喰っている妻との距離があまりにも近い。
 これまで、子供たちにすら感じていた薄膜がなくなっている。
 この薄膜は、自分の心中にある〈冷えた部分〉からきており、それは抜きがたい罪悪感の根源だ。
 いくら〈なすべきこと〉を行おうと、膜があれば、そこには必ず嘘があるに決まっている。

 ──これでも自分は人の親なのだろうか?
 ──これでも自分は人の子なのだろうか?
 ──これでも自分は人の夫なのだろうか?

 朝は喰う音を聴いたり聴けなかったり。
 私は三度の飯がきちんと喰えない日もあるが、昼と夜は極力、喰わせつつ、一緒に喰う。
 それにしても、喰っている〈生きもの〉がこんなにいじらしいのはなぜだろう?
 哀れなのはなぜだろう?
 脇で喰っている自分もいじらしく、哀れに思えるから不思議だ。
 これまでずっと私へ喰わせてきた妻もこうした感慨を持ったことがあるだろうか。
 一心同体と信じて疑わずにきた(もちろん妻は「お父さんが勝手にそう思っているだけよ」と否定するが)妻との間にあった薄膜が、〈生きもの〉と観てからなくなっているのも不思議だ。

 思えば、子供たち夫婦へ注意深く注がれている私の視線は、いつも、膜のあるなしを見極めようとしてきたようだ。

 66年、生きてようやく、小さな因縁解脱(インネンゲダツ)が一つ行われようとしているやに思える。
 解脱の因と縁は何か?
 喰わせられる妻が生きてあること、に尽きるのではないか。
 さんざん苦労をかけてきた妻に人生の終盤を迎えてからこんな形で救われるとは、「済まない」と言うしかない。

 だから、妻へ心中で行う合掌は、み仏へ手を合わせるのとまったく変わらない。




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2012
11.27

12月の行事予定

20121127012.jpg

 12月の行事予定です。
 この世の幸せとあの世の安心のため、み仏と祖霊のおわす聖地へおでかけください。

[第一例祭] 2012/12/2(日)午前10:00~午前11:00
 護摩法を行い、『法楽の会』会員さんの願いを込めた護摩木や、各種祈願をかけた善男善女の護摩木を焚きます。
 守本尊様を讃える経文などを一緒に読み、太鼓に合わせて観音経3巻もお唱えします。
 参加は自由です。
 護摩の火に身を近づけ、悪しきものは焼き払い、善き願いへ大きなご加護を受けてください。
 護摩木供養は1体300円です。
 ご自由に願いをかけてください。
・送迎申込  午前9時30分に地下鉄泉中央駅近くの『イズミティ21』前へお迎えの車がまいります。乗車希望の方は前日午後5時までにご連絡下さい。

書道写経教室] 2012/12/2(日)午後2:00~午後3:30
・場  所  大師山法楽寺
・指  導  高橋香温(温子)先生
・ご志納金 1000円(未成年者500円)
 基本からお稽古を行っています。
 写経のお稽古も継続中です。
 イス席もありますので、お気軽にご参加ください。
(毎月第一日曜日午後2時から開催します)

寺子屋『法楽館』第三十四回 ─映画『チベット死者の書』に学ぶ生と死』] 2012/12/8(土)午後1:30~午後3:00
 新シリーズ『どうする?私たちの未来』の第二回目です。

 チベットでは、この3年間で僧侶など72人もの焼身自殺者を出しています。
 自己制御の訓練を行い、いのちの価値を見つめ続けている聖職者が「自由を!」と叫んで自ら火をかぶらねばならないほどの弾圧が、世界の経済を動かす隣国で行われているのです。
 民族の住んでいた故郷はもちろん、宗教や言葉や慣習や文化や生活が圧殺され、チベット人が激減しているばかりでなく、事実上言葉も文字も奪われた子供たちがどんどん漢人化されている状況を想うと、文字どおり胸の潰れる思いがします。
 孔子・孟子を輩出した国、鑑真の故郷がこうなるとは誰が予想できたでしょうか。

 11月13日、初めて国会内におけるダライ・ラマ法王の講演が実現しました。
 140人の国会議員が「チベット支援議員連盟」を設立し、ようやく国としてチベット問題にとり組む動きが始まったのです。
 北朝鮮による拉致問題も国が動き出すまで長い年月を要しました。
 チベットの弾圧も、日本政府は隣国でありながら半世紀以上、見て見ぬ振りをしてきました。

 インドで滅んだ仏教が最後の精華を残したのがチベットと日本です。
 両国でさらに磨かれた仏教はマンダラの思想を持ち、ユングの心理学などに大きな影響を与え、二者択一に行き詰まった西洋文明の救済思想として、また、ターミナルケアの光として広く再認識されつつあります。
 私たち日本人にとって、チベットの問題もチベット仏教も決して他人事ではありません。
 
 当山は、人道的立場から、仏教寺院としての立場から、これまで講演や映画鑑賞会などで何度もチベット問題を取りあげてきましたが、今年最後の寺子屋で「映画『チベット死者の書』に学ぶ生と死」と題し、観賞と法話を行うことにしました。
 題材はNHKスペシャル『チベット死者の書』です。
 平成22年10月の寺子屋では、その前半を観てディスカッションを行いました。
 今回は後半を観てから法話と対話を行います。
 老僧に導かれた少年僧が、生と死の交錯する〈導き体験〉をします。
 名優故大滝秀治の声で少年を導く老僧の姿は、揺るぎなき世界を表現し、チベットの人々が声を揃えて「死は怖くない」と口にする心の背景を示しています。

「死は悲しみの時ではなく大いなる解放の時なのだ」


 共に学び、考えようではありませんか。
 新たな年を迎え新たな一歩を歩み出すために。

 どなたでも自由に参加できます。
 事前の予約も不要です。
 どうぞ、ふるってご参加ください。
・講  師  住職遠藤龍地
・場  所  当山講堂
・ご志納金   1000円(中学生以下500円)
・送迎申込  午後1時に地下鉄泉中央駅近くの『イズミティ21』前へお迎えの車がまいります。乗車希望の方は前日午後5時までにご連絡下さい。

[法話と対話「生活と仏法について」第三十回] 2012/12/12(水)午前10:00~12:00
 釈尊の思いが凝縮されている『法句経』と、江戸時代まで寺子屋で用いられていた『実語教・童子教』とをテキストとし、合わせておりおりの出来事なども題材にした法話です。
 どうすれば菩薩(ボサツ)の道を歩めるかの37カ条についての講義は11月と12月で全項目終了し、復習します。
 質疑応答も行います。
 会員制ではなく、その都度、まったく自由にご参加いただけます。
 どうぞ、ふるってご参加ください。
・場  所  仙台市旭ヶ丘仙台青年文化センター
・ご志納金 1000円(未成年者500円)

[第二例祭] 2012/12/15(土)午後2:00~午後3:00
 護摩法を行い、『法楽の会』会員さんの願いを込めた護摩木や、各種祈願をかけた善男善女の護摩木を焚きます。
 守本尊様を讃える経文などを一緒に読み、太鼓に合わせて般若心経3巻もお唱えします。
 参加は自由です。
 護摩の火に身を近づけ、悪しきものは焼き払い、善き願いへ大きなご加護を受けてください。
 護摩木供養は1体300円です。
 ご自由に願いをかけてください。

お焚きあげ] 2012/12/22(土)午前10:00
 お不動様のご縁日に、開運不動前にて「供養会」及び「お焚きあげ」を行います。
 人形や仏壇や写真など、燃えるものも、燃えないものも大丈夫です。
 一緒にお不動様のお経を読み、真言を唱えましょう。
お焚きあげをご希望の方は、必ず電話などで日時を連絡の上、お品をご持参、あるいはお送りください。
 当日とは限らず、いつでも結構です。
※毎月、最終土曜日ですが、師走につき、今月だけ一週間早くしました。

[機関誌『法楽』作り] 2012/12/24(月)午前9:00~
 講堂にて、機関誌『法楽』を作ります。ご協力をお願いします。
『実語教・童子教』も共に学びましょう。
※毎月、最終土曜日ですが、師走につき、今月だけ一週間早くしました。

[法話と対話「生活と仏法について」第三十一回] 2012/12/26(水)午前10:00~12:00
 釈尊の思いが凝縮されている『法句経』と、江戸時代まで寺子屋で用いられていた『実語教・童子教』とをテキストとし、合わせておりおりの出来事なども題材にした法話です。
 どうすれば菩薩(ボサツ)の道を歩めるかの37カ条についての講義は11月と12月で全項目終了し、復習します。
 質疑応答も行います。
 会員制ではなく、その都度、まったく自由にご参加いただけます。
 どうぞ、ふるってご参加ください。
・場  所  仙台市旭ヶ丘仙台青年文化センター
・ご志納金 1000円(未成年者500円)

[隠形流(オンギョウリュウ)居合道場]
 第一週の土曜日 午後6:00~8:00 法楽寺にて 
 第二週以降毎週金曜日 午後7:00~9:00 旭ヶ丘青年文化センターにて
 九字を切り、守本尊様のご加護をいただく密教独自の剣法です。
 女性や高齢者の方々が多く、厳しいながらも和気藹々と稽古しています。
 入門ご希望の方は、事前に連絡の上、見学してください。





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2012
11.26

お正月のご祈祷は何をするのか?

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 お正月に行う法要は正月に修するので『修正会(シュショウエ)』と呼びますが、内容的には一年の初めに生き方を修正する意味合いが強く、こうした意味でも修正の会と言います。
「悔過修正(ケカシュウセイ)」つまり、過ちを悔いあらため、これまでの生き方を見直し、新たな生き方へと修正を加えるのです。
 そのために、まず第一に自分の一代守本尊様をご供養し、第二には如意宝珠へ祈りましょう。

 当山では六回の護摩法にて守本尊様方をご供養し、善男善女が前年までの過ちや穢れや疲れなどをうち祓い、心に抱くよき願いが達成されるよう如意宝珠(ニョイホウジュ)へ祈ります。
 皆さんが納められたクリスタル宝珠が入っている宝塔へ日々祈っていますが、加えてお正月には、火焔宝珠形舎利塔(カエンホウジュケイシャリトウ)へ法を結びます。
 当山の塔は、東京国立博物館に所蔵されている重要文化財『金銅火焔宝珠形舎利容器(コンドウカエンホウジュケイシャリヨウキ)』を模しています。

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 お大師様は宝珠について「自然の道理にして如来の分身」と説かれ、「宝珠=仏舎利(ブッシャリ)である」と明確に示されました。
 宝珠には○と△と□との三形が統一されており、「自然の道理」すなわち真理が示されています。
 そして同時にそれは形あるものの中で最も尊い仏舎利すなわち「如来の分身」なのです。

 もちろん、宝珠に祈れば、それだけで何でも叶うわけではありません。
 経典が「宝珠のような真理真実そのものの穢れなき仏心になることこそ大切である」と説くとおりです。
 法要と日々の祈りによって宝珠のイメージを心へ刻み、円満でない部分をそぎ落とし、仏心を輝かせましょう。

 お正月にはぜひ、守本尊様と神秘の塔へお詣りされ、願いをかけ、如意成就となるよう大きなお力をいただいてください。

20121125001 (2)

 また、本堂正面にある宝塔へのクリスタル宝珠奉納は随時、受け付けております(ご志納金一万円)ので、どうぞよき願いを込めてお納めください。

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2012
11.25

12月の守本尊様と真言

 12月は、大雪(ダイセツ)と冬至(トウジ)の師走(シワス…12月7日より1月4日まで)です。
 12月は子(ネ)の月なので、守本尊千手観音(センジュカンノン)様です。

21080819 007

 千手観音〈センジュカンノン)様は天眼無礙智力(テンゲンムゲチリキ)をもって、人々の過去までも見通し、どのような因縁で、何に苦しみ何を求めているかを無限の(仏教における「千」は無限を意味します)智慧の眼をもってご覧になり、無限の慈悲の手を差しのべ、お救いくださいます。
 ご供養し、ご守護いただき、締めくくりの月を心豊かに、無事安全に過ごしましょう。

 千手観音〈センジュカンノン)様は、子年(ネドシ)生まれの善男善女を一生お守りくださる守本尊でもあります。
 写真は、永代供養を行ってご加護を受けるため、当山の講堂へ納められた千手観音様です。
 総丈は約35㎝あり、日本で唯一、護摩を焚いてできた灰が体内へ納められたご本尊様です。(奉納受付中)

 12月の守本尊様をご供養しお守りいただきたい時、願いを成就させたいと念じる時、つらい時、悲しい時、淋しい時は、合掌して真言(真実世界の言葉)をお唱えしましょう。
 たとえ一日一回でも、信じて行なえば、必ずご本尊様へ思いが届きます。
 回数は任意ですが、基本は1・3・7・21・108・1080回となっています。

「おん ばざら たらま きりく」

今月の真言をお聞きになるにはこちらをクリックしてください。音声が流れます

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 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
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「のうぼう あきゃしゃきゃらばや おん ありきゃ まり ぼり そわか」※今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。





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2012
11.25

逝ったA君が今に伝える笑い声、そして心

20121125002.jpg

 まだ一人立ちせぬ晩秋のある日、急に連絡があり、師の脇で亡くなったA君の父親を送った。
 その後、引導法などを授かり、一山を開基し、A君は檀家となった。
 A君は時として真剣な表情にはなっても、決して険悪な色は見せず、いつも、「大丈夫、わかっているよ」と言いたげな温かい目をしていた。
 そして、目に滲む心どおりに、あらゆる場で私を支えてくれた。
 父親の十七回忌を済ませたA君は、こともあろうに、今度は自分がサッと逝ってしまった。
 翌年、気落ちしたであろう母親が逝き、三回忌を迎えた。

 A君一族は子供たちが多く、開け放った三間がいつもいっぱいになる。
 初冬の冷気に肩をすぼめたくなりながら玄関を入ると、やはり、小さな主役たちの声があらゆる空間を充たしていた。
 かつて知ったるあたりで着替えていたら、「うっへっへ」というA君の笑い声が聞こえた。
 心中で「そうか、そうか」と相づちを打ち、皆さんへ、今日の供養会は阿弥陀様がお導きくださる修法であることを告げ、法を結び始めた。

 大人は息を詰めて静寂を保てるが、幼い子供たちは、おとなしくしてはいるものの、息はなかなか活発だ。
 30人にもなろうという人々の呼吸はまるで潮のように続き、命の海に包まれながら故人は供養された。
 最後の声明(ショウミョウ)に入ったら、誰かが微かに唱和している。
 幼子(オサナゴ)の声だ。
 止める人はいない。
 終わってみると、声の主はおでこが広く、くりくりした目で人をまっすぐに見る男の子だった。
 偉いぞと誉めたら、四才の弟子は飛び跳ねた。

 奥さんへ訊いてみた。
「さっき、A君に似た笑い声を聞きましたが……」
 クラス一の長身だった亡き父親よりもさらに背が高い息子さんへ視線を向けながら言う。
「これも、弟も、似ているんですよねえ」
 そうですかと言い、さっきの男の子などが生む笑顔の渦に送られて車のドアを閉めた。
 A君が逝く直前、ピンと背を伸ばし、病院の片隅で父親から今後のことごとを引き継いでいた頼もしい息子さんが、身をかがめてギョロリとした目線を送ってきた。
 ──語らずして伝える……。
 じゃあと会釈して車をスタートさせた。
「──A君よ、君の心は生きているぞ」




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2012
11.24

12月の聖語 ─問の中にある答─

20121124021.jpg
〈ある喫茶店(その9)〉

 お大師様の言葉です。

修行して悟りを得ようとする人は、心の本源を悟ることが必要である。
 心の本源とは清らかで綺麗な明るい心である。」     (空海BOTより)


 私たちは必ず問題を抱えて宗教の門を叩きます。

 職場の人間関係が嫌になったけれど、どうしても職場を離れられ無い事情がある。
 自分の生きるべき場所がわからない。
 自分で処理できない〈死後の自分〉が心配だ。
 ──などなど。
 
 だから、お寺へ求めるのは問題の解決です。
 その方法は二つあり、一つは、み仏のご加護により周囲へ望ましい変化が起こり希望が達成されるよう祈るご祈祷です。
 もう一つは、み仏のお導きにより自分の心におさまりがついて安心できるようにと願う自分自身の〈心の良き変容〉です。
 後者が、「修行して悟りを開く」道です。
 これにも二つあり、一つは出家して行者になる道であり、もう一つは在家のままで信徒となり、教えを学び実践する道です。
 お大師様は、修行を志す者へ修行の方法と同時に、修行の先に待つ世界を端的に説かれました。
 自分の心を良く変えるとは、心の源にある「清らかで綺麗な明るい心」に気づき、それを発揮することなのであり、正しく修行する者は、等しく〈心の本源を生きる本当の自分=み仏の子〉になれるのです。

 また、お大師様は説かれました。

「心を定めた時がそのまま悟りの完成なのだという正しい見解を忘れないように」


 冒頭の教えをあてはめてみるとこうなります。
「修行して悟りを得ようとする堅い決心は、清らかで綺麗な明るい心による。
 だから、決心通りに修行している人は、すでに、その時点で、その人なりの悟りを生きているのである。
 その人の心の本源が顕れている。
 行者はすでに、み仏である。
 忘れないで励むよう」

 たとえば、Aさんが「すぐに人とぶつかる自分には、ほとほと困った。もう、お婆ちゃんがいつも手を合わせていたお不動様に自分もおすがりするしかない」と考え、手の合わせ方を行者へ訊ねるとします。
 人間関係について悩み、考え、手探りをした結果、他人へ頼ってもどうにもならないと気づき、うまくやりたいという世間的な方法を離れ、おばあちゃんと同じく我(ガ)を捨てた世界に入れば「すでに、み仏である」状態です。
 この後は、真言を唱えたりして得られる心の状態を大切にし、誰かと険悪になりそうな時は、その〈お不動様と一体になっている自分〉に切り替えれば大丈夫です。

 現実に苦しめば苦しむほど、「問の中に答がある」という真実へ近づいています。
 そして、さあ生き直そうと決心すれば、み仏の救いは始まります。
 願わくば、善男善女がよき縁によって正しく導かれますよう。




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2012
11.23

お大師様に会う 乱れた靴 画鋲を踏む

DSCN0194.jpg

○お大師様に会う

 斎場で最後の修法を行い、南無大師遍照金剛(ナムダイシヘンジョウコンゴウ)とお大師様へ祈り始めた。
 予定の時刻を疾うに過ぎていたので、三返にしようと思っていたところ、三返目へ入る直前、眼前の空気が一気に濃密になり、身体が硬直した。
「お大師様だ…」
 止められず七返へ向かった。
 いつしか後で何人かが唱和しておられる。
 震えが混じる声でようやく七返目を終え、放然とした。
 各々がご供物を手に持ち炉へ向かう直前、遅れて着いた老夫婦があたふたと駆け込み、最後のお焼香をされた。
 お大師様が間に合わせてくださったとしか思えない。

○玄関の履き物に思う

 冬ざれた街道筋を通り、小さな一軒家へ向かった。
 玄関を開けると履き物が散乱している。
 奧では、外の景色とまったく無関係な子供たちの言い交わす声が飛び跳ねている。
 奥さんが出てきて「済みません。散らかしていて」と手早く赤や黒のしゃれた靴たちを隅っこへ除ける。
 しまい込む場所もないのだろう。
「構いませんよ、みんな元気な証拠だから」
 笑いながら上がり框をまたいだ。
 師の言葉が思い出された。
「玄関の履き物が乱れているからといって、この家は礼儀ができていないなどと単純に批判してはならない。
 小さな子供が多く、たくさんはたらかねばならない家人であれば、やれないこともたくさんあろう。
 家庭ごと、その人ごとの事情を推しはかる心を持て」

○画鋲を踏む

 でかける時間が迫り、急ぐあまり、手にしていた四本のうち、一本の画鋲を落としていた。
 残り三本でも紙の表示は大丈夫なので、探さずにそのまま車へ乗り込んだ。
 もしも玄関あたりへ落としていれば妻がうっかり踏むかも知れない。
 そうならないようにと願いながら仕事を終え、帰山した。
 暗い玄関近くで、案の定、画鋲は私を刺した。
 妻でない。
 通じた。
 嬉しかった。




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「おん ばざら たらま きりく」※今日の守本尊千手観音様の真言です。
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2012
11.22

2012年12月の運勢 ─流れの生かし方と人生修行─

20121122013.jpg

 2012年12月─平成24年12月師走12月7日から1月4日まで)─の運勢です。
 運気の流れによる注意点を参考にし、人間修行の六波羅蜜(ロッパラミツ)行で改運し、開運し、快運となりますよう。

棟木(ムナギ…屋根の最も高いところにある長大な部材)までもたわむような波乱・変事があるかも知れません

 普段、私たちは「何でも自分の思い通りにしたい」と思って生活しています。
 もちろん、ほとんど無意識に、そして、限られた範囲で、ではありますが。もしも思い通りにことが運ばなくても、あるいは思わぬ事態になっても、まずは、ほとんど〈どうにかなる〉ものです。

 しかし、東日本大震災は、そうした次元を超えたできごとでした。あれほどの事態は、誰にとっても〈無意識の想定〉にすらなかったはずです。
 動物学者の故日高敏隆氏は、平成二十一年にこう警鐘を鳴らしていました。

「人間はいばってしまったらおしまいだ」
「人間には自然を破壊することはできてもコントロールすることはできない。
 ぼくはそう思っている。
 ある時代から人間は、科学の力で自然を制御できると思いはじめ、今もそう信じているが、それは根本的な間違いだ。
 自然には人間がわかっている以上のたくさんの変数があり、自然をいじってダメにすることはできるけれども操(アヤツ)ることはできない。
 ちょうど、何も知らない素人が、電車を止めることはできても、電車全体を運行させることはできないように。」


 それにもかかわらず、私たちは何でも想定対応可能と信じ、想定外の自然の猛威の前に、あえなく想定外の原発事故を引き起こしてしまいました。

 また、自然だけでなく、人間の社会もコントロールしきれない面を持っています。
 多くの方々はお忘れかも知れませんが〈人間も自然の一部〉なので当然です。
 だから、社会や会社や家などの組織体を動かそうとする時は、「いばったらおしまい」であり、「操ろうとするのは不遜である」という心構えが必要です。
 しかし、ともすれば、私たちは自然と同じように社会も自在にコントロールできるはずだと思い、行く手をはばもうとするものを取り除きさえすれば目的はすべて達成されると勘違いします。
 多くの方々はお忘れかも知れませんが〈自分の心すらままならない〉のが事実です。
 それなのに、その集まりである社会が思いのままになどなりようはずはないではありませんか。

 このように、自然や社会は、こうしたいああしたいと自分を中心に考える私たち一人一人の私的生活感覚の延長線上で簡単にとらえられるものではありません。
 そうそう〈どうにかなる〉わけではないのです。

 では何もせず手をこまねいているしかないのか?
 文明の発展は厳然たる事実ではないか?
 ニヒリズムに陥ったならおしまいではないか?
 個人的な(ゴウ)を清めるところから始めれば社会的な共(グウゴウ)清められるはずではなかったか?

 ここで問題にしたいのは、自然も社会も、ありのままにあるしかない畏るべきものであって、その前に立てば一個人の力など、どんなにあがいても〈たかが知れている〉という真実を深く腑に落とし、自然に対しても社会に対しても謙虚でありたいという一点です。
「あれほど高い堤防を造ったのだから絶対に大丈夫」ではなく「波はいつか、あの堤防すら越えてくるかも知れない」と考えておくこと。
「自分の考えたこの案が最高の政策だ」ではなく、「たかが自分の脳みその範囲であって、もっとレベルの高い政策が誰からか示されて当然」と考えておくこと。
 同じように、社会生活を送る生活者としては、広い世間様の中には自分より優れた判断や考え方や生き方があって当然と考え、何にでも学ぶ心構えで生きたいものです。

 自分を〈超えた〉ものがあり得るという謙虚な感覚は、瑞々しい感性と柔軟な思考力と臨機応変の判断力を保たせ、棟木がたわむような〈想定外〉の状況に陥ってもなお、それらをはたらかせることによって最善の対応が可能になることでしょう。
 皆さんの開運を祈っています!

 今月も六波羅蜜行で開運しましょう。
[布施(フセ)行と運勢水を供えましょう。
 精進の人は細心の注意で慎重に進み無事安全です。
 不精進の人は早く獲物にありつこうとして書類を書きまちがい、自縄自縛になったりしがちです。
[持戒(ジカイ)行と運勢塗香(ヅコウ)で身と心を清めましょう。
 精進の人は自分を慕う人の助力などで前進します。
 不精進の人は色欲や財欲や権力欲に走り、信用を失って自滅しがちです。
[忍辱(ニンニク)行と運勢お花を供えましょう。
 精進の人は孤立無援に見えても智者の導きがあります。
 不精進の人は不遜な態度によって人が離れ、勘違いによる争いなどに悩まされがちです。
[精進行と運勢お線香を供えましょう。
 精進の人は目先の小利に惑わず即決即断し、成功へ向かいます。
 不精進の人はもっともっとと先への期待を膨らませ、絵に描いた餅になりがちです。
[禅定行と運勢飯食(オンジキ)を供えましょう。
 精進の人は日常の小さな喜びに感謝を覚え無事安全です。
 不精進の人は悪友や悪しき考えに親しみ、頼れる身近な人が離反しがちです。
[智慧行と運勢]灯火を供えましょう。
 精進の人は分を超えて進まず、共倒れを避け無事安全です。
 不精進の人はより大きな利益や幸せを求め、危険を察知せずに進んで危難を招きがちです。




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「おん あみりたていせい から うん」※今日の守本尊阿弥陀如来様の真言です。
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2012
11.22

子や孫のためにふり返っておきたい先人の導き(その36) ─鳥の子育てに学ぶ─

201211221244054390[1]
〈会津地鶏の写真をお借りして加工しました〉

ここでは、昭和6年に発行された小冊子を基にして子供たちの導き方を考えています。

36 「さ」 才智よりも真面目(マジメ)

 才智にすぐれた少年になるよりも、
 真面目な少年になろう。
 才智は頭にあり真面目にある。
 頭よりもで成功する人間になろう。


 大人でも難しいありようが示されています。
 そもそも、のできた人物というのが、ほとんど見あたりません。

 思い出されるのは、子供の頃、近所にあった町医者の先生です。
 下半身に重心のある堂々とした体格で白衣をまとい、首から上は常に垂直で、低く響く声しか発しません。
 ほとんど笑わず、決して歯を見せませんが、いつも上瞼が少し降りているややギョロリとした目には、なぜかこちらが目線を離せなくなる磁力のようなものがありました。
 胸を患い、湿布薬でぐるぐる巻きにされている私を往診し終えると、やや表情を弛め「忠君、まっすぐ生きましょう」などとぶっきらぼうに言って去ります。
 生まれて初めて、超えがたい〈師〉のようなものを感じました。
 病院は、選挙が近くなると夜の出入りが多くなります。
 ある時、先生は共産党員であると父から聞かされ、小学一年生の私は何となく「やはり、異界の方なんだ」と思い尊敬を深めた記憶があります。
 今でも、お声もお顔も鮮明に思い出される先生は、まぎれもなくのできた方でした。

 もう一例、思い出すのは、作家故吉野せいが大正11年に書いた『』です。
 何不自由ない網元の娘として生まれながら、開拓農民と結婚して阿武隈山麓の菊竹山へ入った吉野せいは、夫の死後に書き始めた作品をまとめ、75才にして『洟(ハナ)をたらした神』として発表し、一躍脚光を浴びるようになりました。
 そこに収録された『』は、山に住む人間の生活と、周囲に広がり、移りゆく自然をありのままに述べています。
 最後に出てくるのが、姿が見えなくなっていた鶏一羽の帰還です。
 きっとイタチかキツネにやられたに違いないと思っていたのに、三週間後、11羽のひな鳥を連れて現れました。

「それにしてもこの姿のみすぼらしい衰えようは、赤いとさかは白っぽくざらざらと湿けたせんべいの切れはしみたいに垂れ、胸毛はぬけて桃色のぼつぼつの地肌が丸出しです。
 翼は灰を浴びたようで、五六本羽が抜け落ちそうに地辺(ジベタ)をひきずっています。
 尻尾も赤いお尻が見えるほどふらふらして、あのびっちりと引きしまった隙のない面影はどこにも残っていません。
 生命をつくりだした親どりの必死さが哀れになりました。」
「日に一回食をとるためと糞をするためにちょっと間巣をはなれるだけで昼も夜も抱きづめです。
 時には雨がびしょびしょ竹の屋根から降り注いだことも何回かあったにちがいありません。
 卵はただ抱いてあたためてさえいればいいものではなく、表面から全体に平均の温度を与えるために絶えず一つ一つを少しづつ回転させながら、全面に同じ熱を与えてゆかなければ見事な孵化は出来ないのです。
 一人の子を生むのさえ人間はおおぎょうにふるまいますが、一羽のこの地鶏(ジドリ)は何もかもひとりでかくれて、飢えも疲れも睡む気(ネムケ)も忘れて長い三週間の努力をこっそり行ったのです。
 自然といいきれば実もふたもありませんが、こんなふうに誰に気づかれなくともひっそりと、しかも見事ないのちを生み出しているようなことを、私たちも何かで仕遂(シト)げることが出来たなら、は、いいえ人間のはもっと楽しく美しい強いものでいっぱいに充たされていくような気がするのです。」


 小さな子供に「」を教えようとしても容易ではありません。
 一つには、誰か大人(タイジン…大人物)を感じさせる人間を引き合いに出すこと。
 もう一つは、人間であれ鳥であれ、こうした不屈の生きざまを教えるあたりから出発してはいかがでしょうか。




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2012
11.21

派遣教師の問題 ─広がる“派遣教師” 教育現場で何が─

201211210042.jpg
〈風雪に耐えしもの〉

 11月20日、NHKテレビは「クローズアップ現代」において「広がる“派遣教師” 教育現場で何が」を放映した。
 観た私はとても想像しきれない事実を突きつけられて放心した。
 そして、たった今、成長しつつある子供たちを哀れと思い、人生を〈貼り合わせ〉でしか生きられない若い人々を哀れと思った。
 それから、来たるべき未来が、伸び伸びと心を錬磨できぬままに大人になった人々で埋め尽くされる恐ろしさに身震いした。
「このまま行けば、不満不信を心の根として生きた人々は、それを破壊してくれそうなものに熱狂するのではないか?
 中国がそうなりつつあるように。
 もしかすると、それは、革命や戦争までも行き着きかねないのではないか。
 国民が、自分たちの心を荒廃させた相手が政治権力であることに照準を定めれば革命になる。
 権力者が、国民の間に広がった破壊欲を外へ向けさせれば戦争になる」

 最後に、こうまで人間を道具扱いする非情な社会になった理由を考え、小泉構造改革の総括をあいまいにしたままここまで来た私たちの怠慢を思い、眠れぬ一夜を過ごした。

 派遣教師というありようが持つ最大の問題は、「生徒も先生も共に成長する」という成長と教育の真髄を破壊することである。
 思い起こしてみよう。
 いかなる人物が記憶に残る先生か?
 自分はその先生から何を学んだのか?

 心から生徒一人一人へ目をかけてくださる先生がより記憶に残り、同期会で招きたいのはそうした方である。
 先生から最も学んだのは先生たる先生の人間性であり、その温かさと輝きはいつになっても自分より前方に、そして上方にある。

 生徒がこうして育つところに学校の意義があるのではないか?

 また、先生にとって学校は何であろうか?
 幾人もの先生方が充分に育てていただいた生徒たる私へ異口同音に語ってくださった共通の思いがある。

「私は生徒たちに育てられました。
 できのよい生徒もできの悪い生徒も私を育ててくれました」


 明らかに、あまりに明らかに、先生も又、学校で成長されるのである。
 それが可能なのは、暑い日も寒い日も、勉強でも部活でも、場合によっては公的にも私的にも、先生と生徒が〈共に過ごし人間として接する時間が確保されている〉ことが絶対条件である。
 つまり、学校は、家庭と並んで、異なった世代の人間が信頼を基礎にして共に過ごしつつ共に人間性を磨き、深め、高め合うかけがえのない場なのである。
 さらに言えば、終身雇用という日本的会社組織のありようもまた、これに準じたものだった。
 職場で共鳴し合い、ぶつかり合いながら人は成長した。


 日本では家族がどんどんバラバラになり、子供たちの人間的成長の根が危うくなっている。
 社会はもはや、人間を使う一部のエリートと、必要な役割を上手に果たす道具として用いられる人々に二分され、人々が人格を陶冶(トウヤ…練り、磨き、成長させること)しつつ安定して生きられる基盤がどんどん失われつつある。
 それに加えて、学校からも人格形成の機会が奪われてしまったなら、いったい、人間はどうなるのか、社会はどうなるのか。


 決して忘れないであろう画面と音声がある。

 画面とはある高校の時間割である。
 そのコマ割は、専任教師、非常勤教師、そして派遣教師によってさまざまに色分けされている。
〝このモザイクは、教師それぞれの人生も生徒の心もモザイクになっていることを表しているのではないか……〟
 慄然とし、いつでもクビにされる立場でモザイクの人生をつないで生きねばならない方々の心を想い、私を育ててくださった先生方のお顔を思い出し、心臓の鼓動は変調を来した。

 音声とは先生の証言である。
 この学校では約6割が派遣教師で埋められている。
 それだけでも驚嘆させられたが、さらに驚くべきは、「特進」という進学をめざす優秀な生徒を集めたコースにはほとんど派遣教師がいないことである。
 つまり、学校の経営者は、受験生を集めるための必須要件である進学率を高めるために優秀な生徒を集めた特進コースには信頼できる先生方を集中的に投入し、一般コースに対してはコスト第一でのぞみ、非常勤教師や派遣教師で必要科目を埋めているのだ。
 顔を出さずに声だけで番組に登場した先生は言う。
どうせ俺は特進じゃないからと投げやりに言う生徒もいます」

 教育は、学校が一方的に教え育てるだけではない。
 生徒も先生も、教えられ、育てられもする人間がより人間たり得るためのかけがえのない場である。
 先生からも生徒からも年月をかけて共に成長する機会を奪うことに、教育を目的とする学校におけるいかなる必要性があるのか?
 これほど重大な犠牲をはらいつつ、一体、誰のために、何のために役立とうとしてこの制度は作られたのか?
 学校までも(医療機関や福祉機関までも)儲けの場として恥じないほど私たちの文化は落ちぶれ果てたのか?

 現代日本は、人間がはてしなく〈未熟〉の方向へ向かっていると思われてならない。
 その根本的理由の一つは、皆が〈今〉さえよければよい、〈今〉すぐ自分に役立つことを第一にやろう、〈今〉すぐ自分だけが儲けたいと考え、時間をかけることの価値、時間をかけたものの価値、時間をかけねばならないものの価値を忘れたところにある。
 派遣教師の問題の根は、私たちに巣くったこの人生観と、人間を堂々と道具扱いした小泉構造改革にあると思う。
 さらに総括すれば、やはり、一人一人が自分の一生を創造して行く人生設計を成り立たせなくしてしまった社会のしくみにあるのだろう。
 この巨大な共業(グウゴウ)に立ち向かわねば、日本の未来は極めて危うい。
 それにはまず、自分にある(ゴウ)を清めたい。
 〈今〉さえよければよい、〈今〉すぐ自分に役立つことを第一にやろう、〈今〉すぐ自分だけが儲けたいというを。




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2012
11.20

子や孫のためにふり返っておきたい先人の導き(その35) ─どうやって勉強の習慣をつけさせるか─

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 ここでは、昭和6年に発行された小冊子を基にして子供たちの導き方を考えています。

35 「あ」 遊ぶ前に勉強

 学ぶに本気、
 遊ぶに元気、
 どちらも大事だ。
 学問第一、
 遊技第二の習慣をつけよう。
 真剣に勉強してから愉快に遊ぼう。


 これを読むと、古人は本当にイメージ豊かな教え方、学び方をしていたものだと関心させられます。
「お母さんが勉強しなさいってうるさく言うのは誰のためでもなく、お前自身のためなんだよ。
 わかっているの?
 勉強しなきゃ良い学校へ上がれないじゃないの!」
 これは最悪のケースですが、同時に最多のケースになってはいないでしょうか。

「自分のためなら、遊んでいた方が楽しい。
 勉強して偉くなってもろくなことをしない人たちがいっぱいいるじゃないか。
 そもそも、ガリ勉の連中は冷たくて嫌いだ。
 そんなことばかり言うお母さんは、子供の頃、本当によく勉強したの?」

 子供はこんなことを考えて内心、反発しているかも知れません。

「元気に遊ぶように、勉強も本気でやろう。
 愉快に晴れ晴れと思い切り遊べるように、勉強は真剣にやって終わらせておこう。」

 何のことはない、子供の心にこうしたイメージがつくられ、〈第一と第二〉の習慣がつきさえすれば、後は放っておいて構いません。
 うるさくするのは「百害あって一利なし」です。
 勉強を無理矢理やらせても、あまり芳しい結果は期待できません。
 よしんば成績が多少上がっても、その一方で子供の心へ大きな抑圧を与え、心を歪ませるなど、後になってとんでもない後遺症に悩むことすら充分にあり得ます。

 古人の智慧をすなおにお借りしましょう。
 子供が遊びに対して持っている楽しいイメージを存分に膨らませ、そのイメージを確保するためのものとして勉強があるのであれば、子供はきっと納得するでしょう。
 楽しいイメージと同じように、勉強に対しても知る喜びや、終える充実感や、誉められる嬉しさを覚えるようになればしめたものです。




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「のうまく さんまんだ ばざらだん かん」※今日の守本尊不動明王様の真言です。
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2012
11.19

お葬式は何のために行うのか ─法を結ぶ、引導を渡す─

20111230006622

 このテーマについてはこれまで何度も書きました。
 それでもご質問は絶えません。
 今回は、これまでとは多少異なった面も含めて書いておきます。

 お葬式は誰のために行われるのでしょうか?
 もちろん、亡くなった方のためです。
 ご遺族も参列者も、送る自分のためなどとは誰一人、思っていないはずです。

 では、亡くなった方を相手に、導師法力(ホウリキ)で何を行うのでしょうか?

 この世あの世の区切りをつけてさしあげるのです。
 
 どうやって?

 もちろん、導師はいわゆる超能力者などではないので、み仏のお力が御霊へ及び、きちんとあの世へ旅立てるよう所定の法を結ぶのです。

 法を結ぶとはどういうことでしょうか?

 私たちは普通、世間的な心や思考によって生きています。
 こうした私たち凡夫の日常生活を律するものを世法(セホウ)といいます。
 一方、私たちの心におわすみ仏の心や智慧の世界も厳然としてあります。
 こうしたみ仏の世界に流れているものを仏法といいます。
 法を結ぶとは、この世にある〈この身このまま〉で、仏法の世界へ入ることです。
 仏教の行者が修行する目的は当然、悟りを開いて自他を救うことですが、超人的な行者は別として、誰もが悟りを開けるわけではありません。
 しかし、まじめに信じて所定の修行を重ねれば、仏法の世界へ入る体験はできます。
 いかに深く入れるかは、仏法による力すなわち法力がいかに身につくかにかかっています。
 だから、「法を結ぶ」とは、所定の修法により、法力を発揮できる世界へ入ることを意味します。
 行者だけでなく、修法を求める方々をも別世界へお導きするケースはたくさんあります。
 それは、法力によって最初に結界(ケッカイ)を張るので、結界内の方々は当然、魔法の絨毯に載せられたように別世界へ入っていることになります。
 修法後、別世界を感じましたと言われる方々も少なからずおられます。

 さて、お葬式ではどのように法を結ぶのか?

 故人にみ仏の世界へ還っていただくために、み仏の子としての心を明確にしていただかねばなりません。
 それには、私たちが祈りの最初に懺悔をするのと同じように、懺悔をしていただきます。
 だから、導師は懺悔の言葉をお伝えします。
 次に、心からみ仏を敬い尊ぶ心にならねば、あの世の道行きは不安定になるので、深く帰依する言葉をお伝えします。
 次に、戒律をお伝えします。
 そうした上で、み仏から降りた戒名をお伝えします。
(戒名を求められない場合は、俗名のままとなります)
 最後にみ仏の世界を明示した上で、引導(インドウ)を渡します。
 引導とは御霊を浄土へ導くことをいい、言葉と〈あの世へ渡す法〉の二つをもって行います。
 この最後にかける言葉は、お釈迦様が叔母さんをあの世へお送りする際に栴檀香木(センダンコウボク…栴檀など佳い香りを発するもの)を捧げて話しかけた故事に由来しています。

「一切の行は無常なり
 生ずる者は必ず死することあり
 生ぜざれば死せず
 この滅を最楽となす」


 この経典が基となり、さまざまな〈語りかけ〉が行われるようになりました。
 そして、行者のすべてをかけ、一瞬であの世へお渡しするのです。
 これができなければ導師を務める資格はなく、できなくなれば引退せねばなりません。
 僧侶は、ご縁の方々のこの世の幸せのために求められた説法を行い法を結ぶ一方、あの世の安心のために引導を渡すべく修行を重ねて止まない一行者です。
 引導を渡せなくなったならば、手術できなくなった外科医と同じであり、医師がメスを置くように、導師の席から降りねばなりません。

 お葬式はこのように行われる厳粛なものであり、行者にとっても導師たり得る本物かどうかが厳しく問われる関門です。

 ところで、仏教はとても幅広く、「葬儀における戒律は参列者へ与えられ、それによって亡くなった方は安心できる」と説く方もおられます(『文藝春秋』12月号など)が、それはそれです。
 また、「お釈迦様はお葬式をしなかった」と一部の文献を元にしてお葬式を否定する方もおられますが、それはそれと言うしかありません。
 そもそも、お釈迦様は徹底した対機説法(タイキセッポウ…相手に応じた説き方)をされたので多様な説き方となっており、仏教は生きものとして人間の歴史と共に変化し発展しています。
 お告げではなく道理と哲学の宗教なので、常に研究され、深められ続けるのは当然です。
 人はご縁に応じて学び、信じ、行います。
 あまり他をあげつらわず、自分に課せられたこの世での役割を淡々と果たしましょう。




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2012
11.18

沖縄のご遺族が流された涙・昭和天皇の御心で流れたであろう涙

20121109100 025

 11月17日、天皇皇后両陛下は沖縄県を訪問し、太平洋戦争における御英霊のお骨を納める国立沖縄戦没者墓苑で供花されました。
 糸満市で行われる「第32回全国豊かな海づくり大会」などへの臨席を目的とした来県ですが、両陛下のたってのご希望により供花が実現しました。
 戦没者の追悼・慰霊に励む「沖縄県遺族連合会」の照屋苗子会長(76才)は、陛下から「遺族の人たちも高齢化してくるでしょうから、どうかよろしくお願いします」と声をかけられ、涙を流しました。
 両陛下が移動される車列の沿道には、多くの県民が並び、傘をさしながら、日の丸を振るなどして迎えました。
 仲井間知事は「心の底から両陛下を歓迎するという雰囲気が、できてきたなという感じです」と話しました。(上記は産経新聞11月18日付「両陛下、8年ぶり沖縄ご訪問」を参照しました。

 しかし、私には忘れられない記事がもう一つあります。
 11月14日付河北新報「昭和天皇、75年初訪米前 側近に問う」です。
 沖縄公文書館が9月に公開した当時の屋良朝苗知事(故人)の日記に、宇佐美毅宮内庁長官の話として記載されていたものです。
 以下、要点を転載します。

 日記によると、屋良知事は皇太子(現天皇陛下)の沖縄国際海洋博覧会(海洋博、75年7月開幕)名誉総裁就任を受け、あいさつのため同年4月16日に宮内庁を訪問。
 その際、宇佐美長官が知事に「天皇陛下から『私はどうするのだ アメリカに行く前に(沖縄に」行けないか』とn御下問があって困った』と打ち明けたという。
 当時は、同年9月末の出発に向けた初の天皇訪米の準備が本格化していた時期に当たる。
 さらに日記には、宇佐美長官の話から、昭和天皇が「(海洋博に)各国元首が見えて、天皇が参列して居られぬ事になると大変具合が悪いとの事も話されたようだ」という記述もあった。
 昭和天皇は終戦後、全国を回ったが、米占領下だった沖縄は訪問できなかった。
 沖縄は72年5月に本土復帰を果たし、同年11月に復帰記念植樹祭、翌73年5月に特別国体「若夏国体」が県内で開かれた。
 植樹祭と国体には天皇が出席するのが恒例で、屋良知事は植樹祭出席を「宮内庁に正式に要請したい」と記者会見で明言したが、知事を支える革新陣営から強硬な反対論が出て、植樹祭も国体も昭和天皇の訪問は実現しなかった。
 知事は復帰前の69年春と復帰直後の72年春の園遊会に招かれ、昭和天皇と直接の面識があったことから、日記には「(宇佐美長官から)陛下の御気持もうかがって胸がいたむ」とも書いている。
 昭和天皇は87年10月開催の国体(海邦国体)での沖縄訪問が決まったが、直前に体調を崩して開腹手術を受けたため、天皇として沖縄の地を踏むことなく89年1月に逝去。
 93年4月の植樹祭で、現在の天皇陛下が歴代天皇として初めて沖縄県を訪問した。


 この記事には滂沱(ボウダ…止めどなく流れること)たる涙の流れる思いでした。

 開戦が事実上決まった昭和16年9月6日の御前会議において、通例として発言しないはずの陛下が突如、お言葉を述べられました。
 統帥部(トウスイブ…当時の軍部を束ねていた組織)が質問へ満足な回答をしないと叱り、懐から短冊を取り出して読み上げられたのです。

「四方(ヨモ)の海 みな同朋(ハラカラ)と思う世に など波風の立ちさわぐらん」

(日本をとりまく海でつながっている世界中の国々は皆、同胞であると思っているのに、国家間でなぜ波風が立つのだろうか)
 そして開戦の詔書にはこう記されました。

「~洵(マコト)に己(ヤ)ムヲ得サルモノアリ。豈(アニ)朕(チン)カ志ナルヤ~」

(この開戦にはまことにやむを得ない事情がある。開戦がどうして私の望むところであろうか)
 開戦の詔勅は昭和16年12月8日に発せられましたが、この日に生まれた女の子の中で「詔子(ショウコ)」と名づけられた方々がおられます。
 過日、そのお一人と出会いました。
「詔とは畏れ多い文字の入ったお名前ですね?」
と声をかけると、毅然として答えられました。
「あの日、産婆さんがつけてくれたと聞かされました」
 心身共にスッと背骨が伸びて揺るがぬものを持っておられ、なぜか納得できました。

 陛下は昭和21年から昭和29年にかけて全国へ行幸(ギョウコウ…天皇陛下が出かけられること)され、敗戦を迎えたトップが津々浦々で国民総出の大歓迎を受けるという歴史上まったく異例な光景がくり広げられました。
 しかし、アメリカの占領下にあった沖縄県にだけは足を踏み入れられなかったのです。
 それだけに、沖縄から訪問を拒否されたまま崩御(ホウギョ…君主などの死去を言う)された昭和天皇のご無念は察するに余りあります。
 最後の激戦がくり広げられた沖縄の方々の心中もまた察するに余りありますが、やはり硬直したイデオロギーの恐ろしさ、そして同じように硬直した思想や宗教を押し立てて他国と争う国々の現状をあらためて考えてしまいます。
 願わくは、生きものとして窮地に陥れば敵にすら塩を送り、かけられた情けにはすなおに感謝し、「皆同胞(ミナハラカラ)」の大和の心で誰にでも思いやりを持つ日本の国ぶりを大切にして行きたいものです。




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2012
11.18

子や孫のためにふり返っておきたい先人の導き(その34) ─他人を当てにしない自立心を養う─

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〈例祭で護摩法を終えた直後の不動明王様が示された凄まじい気配〉

 ここでは、昭和6年に発行された小冊子を基にして子供たちの導き方を考えています。

32 「て」 天は自ら助くる者を助く

 自分を偉くする者は自分だ。
 立志奮闘(リッシフントウ…志を立て、それを遂げるために奮闘すること)は一人でするものだ。
 倒れたら一人で起き上がれ。
 涙も一人で拭け。


 あまりにも有名な一句です。
 これは医師であり作家でもあったサミュエル・スマイルズ(英)が1859年に47才で著した『自助論』という成功譚の最初に挙げられている言葉です。
 天才的な下級武士中村正直が留学生時代にイギリスで知って翻訳し、明治4年、『西国立志編』として発売されるや100万部以上を売り上げたというから驚きです。
 
 聞いたことはあっても、文章そのものを読んだことのある方は多くないと思われるので、書いておきます。

第一編 邦国および人民のみずから助くることを論ず

 一 みずから助くるの精神

「天はみずから助くるものを助く」(Heaven helps those who help themselvees.)といえることわざは、確然(カクゼン)経験したる格言なり。
 わずかに一句の中に、あまねく人事成敗(ジョウハイ)の実験を包蔵(ホウゾウ)せり。」

(「天はみずから助くるものを助く」ということわざは、私たちがはっきりと体験できる格言である。
 たった一句の中に、人生の成功や失敗の成り行きが示す真理を含んでいる。)


「みずから助くということは、よく自主自立して、他人の力によらざることなり。
 みずから助くるの精神は、およそ人たるものの才智の由(ヨ)りて生ずるところの根元(コンゲン)なり。」

(自分を自ら助けるということは、しっかりと自主自立の精神を保ち、他人任せにしないことである。
 自らを助けるという精神は、一人前の人間として持てる才能や智慧を発揮させる根源的な力となる。)

「推(オ)してこれを言えば、みずから助くる人民多ければ、その邦国必ず元気充実し、精神強盛なることなり。
 他人より助けを受けて成就せるものは、その後、必ず衰(オトロ)うることあり。」

(この考えをもって視野を広げれば、自らを助ける精神を持った国民が多ければ、その国は元気に溢れ、強い精神的連帯を持つ。
 もしも他人から助けられて成功したとしても、後に衰退を免れなくなることがある。)

「しかるに、内(ウチ)みずから助けてなすところのことは、必ず生長(ショウチョウ)してふせぐべからざるの勢いあり。
 けだし、われもし他人のために助けを多くなさんには、必ずその人をして自己励み勉(ツト)むるの心を減ぜしむることなり。」

(しかし、自分自身の力で行うことごとは、必ず成果を挙げ蓄積し、誰も妨げられない力で発展する。
 もし誰かを助けたいと思ってあまりに多く手出しをすれば、必ず、その相手自身が自分で励み勉める力を削いでしまうものである。)

「このゆえに師傅(シフ)の過厳なるものは、その子弟の自立の志を妨(サマタ)ぐることにして、政法(セイホウ)の群下を圧抑(アツヨク)するものは、人民をして扶助を失い、勢力に乏(トボ)しからしむることなり。」

(だから、教育する立場にある者があまりに厳しく教え、しつけようとすれば、教えを受ける者の自立的姿勢を妨害し、政府が国民を抑圧的に従わせれば、自立心を失った国民は勢いを失ってしまうのである。)

 まことに、自立心の大切さを説いて余りありません。
 現代にあてはめて考えれば、最も欠け落ちつつある部分であると思われます。
 子供が小さなうちから、〈親の財産を当てにしない〉ことをきっちりと教え、自立的体験を重ねさせるだけで、今の若年層が抱える心の問題の多くは起こらなかっただろうと推測されます。
 今からでも遅くはありません。
 ぜひ、ぜひ、親を当てにしない自主独立の心を養うべく、親御さん方に奮闘していただきたいものです。




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2012
11.17

ペットへの弔辞に想う ─人の死も……─

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ペット霊園やすらぎ』さんでのご供養

 ペットのご葬儀を希望する方が増えています。
 弔辞を紙に書き、お柩へ入れる方もあります。

「Aちゃん、16年間、ご苦労様でした。
 あの世へ行ったなら、もう苦しまず、おじいちゃん、おばあちゃんと仲良く楽しく暮らしてくださいね。
 B夫
 C子」

 皆さんの心には、まぎれもなく〈あの世〉があります。
 希望としてのあの世は苦しみのない世界です。
 そして、ペットが動物と人間の隔てなく、先に逝った人間たちと再会できるはずだと思っています。
 もちろん、やがて自分もあの世へ行けば会えると信じています。
 こうしたあの世のイメージは私たちの心の原風景ではないでしょうか。
 また、安心世界への道行きがより確かなものになるようにと願ってへおすがりするのも、古代から伝わる人間共通のふるまいであり、区切をつけるための具体的方法でした。
 区切とは、一つには、旅立つ者にとっての〈この世とあの世の区切〉であり、もう一つには、送る者が無常を自分へ納得させる〈心の区切〉です。

 B夫さんとC子さんの弔辞に震える思いがする一方で、人間の死の扱いについてまたもや問題意識が頭をもたげます。
 ペットを最高の方法で送りたいならば当然、人間も、自分たちの力を超えた存在であるみのお力による最高の方法で、安心なあの世へ確実にお送り申し上げたいものです。
 しかし、今の私たちは、ここのところをおろそかにしつつあるのではないでしょうか。
 安く便利に簡単に日常的な思考と方法で済ます、これで良いのでしょうか。
 お金をかければ、不便な形で、込み入った手順でやった方が良いというのではありません。
 効率第一的発想で、日常的できごとの一つとして〈立ち止まらずに済ましてしまう〉ことが果たして許されるものか、こうした文化は底が溶けつつあるのではないかと、深く疑問を抱いてしまうのです。
 大震災後、せっかく立ち止まった私たちは、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」の喩えどおり、早くも忘れつつあるかのようです。

 そもそも、死という絶対的次元にあるできごとへの対応までも、日常的思考の範囲で行えると考えるのは思い上がりではないでしょうか?
 思い上がらない私たちは遙かなご先祖様の時代から、を尊び、絶対的次元のことごとについては伝えられた方法を実践しつつ、この世とあの世に通じる安心を得てきました。

 生も死もその一部である自然の創造と破壊の力もまた、絶対的な人間の手の届かない世界です。
 今回の原発事故は、夜叉の面を見せつけられた典型的な例です。
 その道のプロは言いました。
「想定外でした」
 しかし、人間の叡智はまだまだ開発途上であり、私たちの「想定」など、たかが知れています。
 まっとうな人間は敬虔さと謙虚さを失いません。
 たとえどんなに成功しようと、たとえどんなに有名になろうと、たとえどんなに権力を得ようと、たとえどんなにお金持ちになろうと……。
 敬虔さは、私たちを超えた存在を前提にし、謙虚さは、己の未熟さを前提にしています。
 敬虔さと謙虚さを持っている人は、自分のはからいなど、たかが知れていると知っているのです。

 ならば、人類を破滅させかねないほど恐ろしい諸刃の剣である原子力の利用については、途方もない慎重さが求められるはずです。
 効率的だから、儲かるから、といったレベルでの判断よりも、人類への誠実さが第一でなければなりません。
 私たちは底知れぬ自然の猛威をもっともっと怖れ、畏れるべきではないでしょうか。

 私たちは、人間であれ、ペットであれ、誰かの死にやり場のない思いを抱いた時、「ああ」という慟哭と共に非日常の世界へ引き込まれ、靄の向こうにを求めます。
 また、大自然の猛威に打ちのめされた時、忘れていた自分の矮小さに気づき、次元の違う力の持ち主である何ものかを心から怖れます。
 よしんばをはっきりとは感得できなくても、自分の心中の深いところが動いて立ち止まらずにはいられない〈その時〉を大切にしましょう。
 立ち止まる人の心には必ず敬虔さと謙虚さが湧いているはずです。
 たとえ対象がであろうと、であろうと、自然であろうと──。
 そして、この敬虔さと謙虚さこそが文化を底支えし、文化に豊かな彩りと潤いを与えてくれている宝ものです。
 高慢さによる暴走や破壊や破滅を食い止める宝ものです。
 立ち止まる時にはしっかり立ち止まり、まず、無知を知り、よく学びましょう。
 一生に何度もない貴重な機会を〈いつも通り〉にやり過ごすよりは、逝った人やペットのためになり、自分のためにもなるに違いありません。




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2012
11.17

自然墓と墓碑について

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〈この写真は河北新報さんに著作権があります〉

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20121016001 (2)
〈模型の大きさは実物の半分以下です〉

 11月11日付の河北新報に「山、川に囲まれ安らかに」という紹介文が載った自然墓(シゼンボ)の件で、ご質問が多数、寄せられました。
 見に来られる方も後を絶ちません。
「お骨を砕かないで、普通に納骨できるのか?」
墓碑はどうなっているのか?」

 一番目のご質問については、記事にもあるとおり、散骨ではないので、お骨を砕く必要はありません。

 二番目のご質問については以下のとおりです。

 大工さんが忙しくてまだ模型しかできていませんが、自然石の上へ高さ2メートル、幅60センチメートルほどの木製の塔を建てることになっています。
 古い墓標をイメージしたまったく独自の発想です。
 木片へ自由に戒名や願いなどを記していただき、組み立てた木材の一片へ貼り付けます。
 四方から見えるようになり、正面からよく見えるようにしたい方は正面(東向き)へ、目立たなくしたい方は裏(西向き)へというように、申し込み順に掲示したい場所へ貼り出します。
 何も表示しなくてよいと願う方は、それでも構いません。
 相当頑丈には造りますが、いずれは朽ち果てます。
 たとえば50年も経ってそうなった時は、後代の住職や心ある方々が必ず良い方法を考えてくれることでしょう。
 現物をご覧になりたい方はもう少々、お待ちください。合掌




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2012
11.16

チベットを見捨てない ─「映画『チベット死者の書』に学ぶ生と死」─

20121116IMG_2535[1]
〈城内実氏の写真をお借りして加工しました〉

 チベットでは、この3年間で僧侶など72人もの焼身自殺者を出しています。
 自己制御の訓練を行い、いのちの価値を見つめ続けている聖職者が「自由を!」と叫んで自ら火をかぶらねばならないほどの弾圧が、世界の経済を動かす隣国で行われているのです。
 民族の住んでいた故郷はもちろん、宗教や言葉や慣習や文化や生活が圧殺され、チベット人が激減しているばかりでなく、事実上言葉も文字も奪われた子供たちがどんどん漢人化されている状況を想うと、文字どおり胸の潰れる思いがします。
 孔子・孟子を輩出した国、鑑真の故郷がこうなるとは誰が予想できたでしょうか。

 11月13日、初めて国会内におけるダライ・ラマ法王の講演が実現しました。
 140人の国会議員が「チベット支援議員連盟」を設立し、ようやく国としてチベット問題にとり組む動きが始まったのです。
 北朝鮮による拉致問題も国が動き出すまで長い年月を要しました。
 チベットの弾圧も、日本政府は隣国でありながら半世紀以上、見て見ぬ振りをしてきました。

 インドで滅んだ仏教が最後の精華を残したのがチベットと日本です。
 両国でさらに磨かれた仏教はマンダラの思想を持ち、ユングの心理学などに大きな影響を与え、二者択一に行き詰まった西洋文明の救済思想として、また、ターミナルケアの光として広く再認識されつつあります。
 私たち日本人にとって、チベットの問題もチベット仏教も決して他人事ではありません。
 
 当山は、人道的立場から、仏教寺院としての立場から、これまで講演や映画鑑賞会などで何度もチベット問題を取りあげてきましたが、今年最後の寺子屋で「映画『チベット死者の書』に学ぶ生と死」と題し、観賞と法話を行うことにしました。
 題材はNHKスペシャル『チベット死者の書』です。
 平成22年10月の寺子屋では、その前半を観てディスカッションを行いました。
 今回は後半を観てから法話と対話を行います。
 老僧に導かれた少年僧が、生と死の交錯する〈導き体験〉をします。
 名優故大滝秀治の声で少年を導く老僧の姿は、揺るぎなき世界を表現し、チベットの人々が声を揃えて「死は怖くない」と口にする心の背景を示しています。

「死は悲しみの時ではなく大いなる解放の時なのだ」


 共に学び、考えようではありませんか。
 新たな年を迎え新たな一歩を歩み出すために。

第34回寺子屋『法楽館』
『どうする?私たちの未来』第二回「映画『チベット死者の書』に学ぶ生と死」
・講師:遠藤龍地
・日時:12月8日(土)午後1時30分より3時まで
・会場:大師山法楽寺講堂
・ご志納金:1000円(中学生以下500円)
・送迎:『イズミティ21』前からの送迎車へ乗られる方は前日17時までにお申し込みください。



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2012
11.15

寺院はいかにあるべきか?(その9) ─み仏の智慧を主とし、自分の知恵を従者とする(その2)─

20121115DSCN0038.jpg

(その1)において、たまたま全国紙と地方紙の記者さんから聴いた政界の状況を書きました。
 政治家に〈私〉を離れて活動する方が少なくなったことや、地道な日常活動よりも目立つことばかりをやっているという辛辣な批判です。
 私も「自分が一番」と公言する方の人間性は疑っています。

 しかし、急いでつけ加えねばなりません。
 新聞記者の厳しい目はさておき、真剣に国家国民のために日夜奮闘しておられる方々も幾人かは存じ上げており、あまりに当然のことながら、かなりの数の方々はまじめにはたらいておられるはずです。
 だから、衆議院解散につき、「誰を選んでも同じだから」と無関心になっていただきたくありません。
 み仏の教えからしても、そうした姿勢は自分自身の否定につながり、共業(グウゴウ)という社会が作る(ゴウ)についての教えにそぐわないからです。

 時々刻々とつくられ続けている巨大な共業は、社会を構成する一人一人の考え方生き方の集合体です。
 日本の善き共業としては、列を乱さない、交通信号を守る、などの習慣があり、悪しき共業としては、子供にも大人にもいじめに類するものが多くなったことや、格差の拡大で若年層の多くが未来に安心や希望が持ちにくくなったことが挙げられます。
 善き共業を膨らませ、悪しき共業を消して行くのは、社会人たる私たち全員に課せられた責務です。
 まず、自分がより善きことを願い、そのために話し、行動し、善き業を積まなければ、それだけ、自分が考える〈より善き社会〉は遠ざかります。
 また、自分が悪しきことを止めずに悪しき業を積み続けていれば、〈社会の悪〉を消すスピードは上がりません。
 もしも〈こんな世の中〉と嘆き、政治家や官僚をバカにするだけなら、天へ向かって唾を吐いているのと同じです。
 自分の業と社会の共業を考えない愚かさと無責任さによって自分が穢れるだけでしかありません。

 誰かへ投票するもしないも自由であり、投票しないことも政治への意思表示であるのは確かです。
 しかし、主張をよく聞き、調べて棄権するのと、「どうせ……」と棄権するのとでは天地の違いがあります。
 業と共業の教えを考え、行動を決めていただきたいと願ってやみません。




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2012
11.15

寺院はいかにあるべきか?(その9) ─み仏の智慧を主とし、自分の知恵を従者とする(その1)─

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愛敬寺の本尊不動明王

 寺院と仏教徒はいかにあるべきか?
 それを問う第九回目です。

◎戒めの面

3 み仏の智慧を主とし、自分の知恵を従者とする

 私たちは煩悩(ボンノウ)を離れた智慧がはたらきにくく、どうしてもぶつかり傷つけ合うからこそ、至心にみ仏へおすがりするのではなかったでしょうか。

 お釈迦様は説かれました。

「我が身を慎み、自分の心を信じてはならない。
 心は結局信じられるものではない。
 我が身を慎み、心を情欲の対象となるものと接してはならない。
 対象によって動かされた情欲が災いを生ずるからだ。
 アラカンの悟りを得て初めて、自分の心は信じられるものとなる」


 お大師様も説かれました。

煩悩を抱えた私たちは愚かであり、自分で覚る智慧を持ってはいない。
 だから、如来はご加護のお力を下さり、私たちのおもむくべき先を示してくださる。
 おもむくべき所の根本は優れた教えによらねば示されない」


 私たちはなかなか自分への執着から離れにくく、自己中心になり、互いが自分第一だから必ずぶつかります。

 日本の政治状況は酷くなる一方ですが、新聞記者Aさんは述懐されました。
「私はずっと政治家と接してきましたが、感服したのは故伊東正義と故大平正芳でした。
 二人とも私心、我(ガ)がなかったからです。
 心からお国のためと思い、自分の出世や手柄などを望んではいませんでした。
 今はもう、政界にああいう人はいません」
 また、同じく記者Bさんも言われます。
「とにかく目立ちたがる。
 先輩を平気で年寄り扱いする。
 目立たない〈ぞうきんがけ〉はしません。
 一見優秀そうな若手政治家に共通の問題です」
 そう言えば、私たちはいつ頃から「自分が一番」などと公言してはばからない人物を怪しまなくなってきたのでしょうか?

 脇道へそれてしまいました。
 仏教徒がみ仏の智慧におすがりするとは、経典に書かれている文章を鵜呑みにすることではありません。
 普段は、ものの見方・考え方の道筋を学び、道理に反する身勝手な理屈に陥らないよう気をつけましょう。
 切羽詰まった時は、いったん思考の堂々巡りを止め、経典の文章に目を通したり、あるいは読み慣れた経典を読誦したりしてみましょう。

 出家してまもなく、師から指示されました。

「困ったら世間へ逃げてはならない。
 経典へ飛び込め」


 まじめにやっていてもなお、追いつめられる場合があります。
 その時、何とか〈うまくやろう〉と、いわゆる方便を探したりします。
 師はこの方法を禁じました。
 それは〈我〉のレベルでしかないからです。
 切羽詰まった時は危機である一方、一段レベルアップするチャンスでもあります。
 古人は「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」と言いました。
 溺れかけた時、無我夢中でもがくよりも、いのちを捨てたつもりで流れに身を任せればいつか浅瀬に流されもします。
 捨て身になれば窮地を脱することができるかも知れません。
 ただし、むやみといのちを粗末にするだけでは無謀でしかありません。
 もしも火事になったなら、普通は風下へ逃げますが、状況によっては火をくぐり抜けて風上へ向かった方が助かる場合もあります。
 ここで、火の怖さに追い立てられるだけでなく、冷静沈着な判断と実行する勇気をもたらすものが「経典へ飛び込む」ことであり、「身を捨てる」ことでもあります。

 タクシードライバーAさんは敬虔なお不動様の信者です。
 ある時、タクシー強盗に遭い、刃物を首筋へ突きつけられました。
 Aさんは殺されると思いましたが、いつの間にか真言を唱えていました。
 そして、頭の上に青空が広がったような気持になり、落ちついて強盗を諭しました。
 強盗は神妙になり、そのまま交番へ同行したそうです。

 どんなに勉強したつもりでも、どんなに努力をしたつもりでも、決して「自分が一番」などと思い上がらず、常にみ仏のおみ足を頭上へ戴くような気持で謙虚に学び、謙虚に生きたいものです。
 そうすればこそ、ピンチはチャンスになり真のレベルアップがもたらされます。
 



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2012
11.14

三十七の菩薩(ボサツ)の実践(第三十回) ─黙って善行にいそしめるか─

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〈車窓から〉

 菩薩(ボサツ)になるための実践道。第30回目です。
 言葉は専門的ですが、内容には実生活でも役立つポイントが含まれています。
 

智慧のない五つの波羅蜜(ハラミツ)だけならば
 完全な悟りを得ることはない
 それゆえ、波羅蜜行を伴った三輪(サンリン)無分別智(ムフンベツチ)を修習する
 それが菩薩(ボサツ)の実践である」


 たとえボランティア活動を熱心に行っても、「自分は助けてやっているんだ」といった心があれば、善い行為を行っても、悟りを開くところまでは行けないのです。
 六波羅蜜(ロッパラミツ)すなわち、菩薩になるための6つの修行とは、とは布施・持戒・忍辱(ニンニク)・精進・禅定(ゼンジョウ)・智慧です。

1 施すこと
2 戒律を守ること
3 忍耐すること
4 怠らずやり抜くこと
5 心身を調整し安定させること
6 自己中心でないみ仏の智慧をはたらかせること

 この6つのうち、1から5までに励んでも、6がなければ菩薩にはなれません。
 では、ここで説く、み仏の智慧である「三輪(サンリン)無分別智(ムフンベツチ)」とは何か?
 三輪とは三つの要因です。

1 自分
2 相手
3 その間で行き来するもの

 この3つの〈分別が無い〉とは、3つを分ける意識がはたらかない状態です。
 たとえば、お隣さんへ自分で作った野菜をあげる場合を考えてみましょう。

・上手に作ったのはこの自分であり、有り余っているから施してやるなどという気持があってはなりません。
・お前は困っているだろうからと見下げたり、これをやって歓心を買おうなどという気持があってはなりません。
・こんなに立派な大根をくれてやるんだぞなどという気持があってはなりません。

 朝においしそうな大根を収穫したなら、ごく自然にお隣さんへでかけ、黙って玄関先へ置いて帰り、何ごともなかったかのように新聞を読み始めたりすればよいのです。
 こうして自分にも相手にもモノにも行為にもとらわれず、自然に善行が実践できれば、み仏の智慧がはたらいていることになります。

 11月10日付の朝日新聞『終わりと始まり』で作家池澤夏樹氏がある女性を紹介しています。
 岩手県大船渡市にいるCさんという友人は、震災まで盛岡ではたらいていましたが、3月11日を機に沿岸部へ通うようになり、ついには引っ越しました。
 母子家庭のCさんは、中学3年生のお子さんを育てていますが──。

「平日には土木で働き、週末はボランティアたちが来て泊まるための宿舎をこつこつ整備している。
 放置されたままだった納屋を提供してもらって人が住めるように改築している。
 言うまでもなくこれは無償の奉仕。
『自分は体力があるから』と言って笑うが、とりわけ体格がいいわけではない。
 よくやるなあ、と老いた男は感心するばかり。」


 Cさんが仏教を学んでおられるかどうかは知りません。
 ただ、自然に、み仏の智慧がはたらいておられるなあと、私も感心するばかりです。
 堅苦しく表現すれば「ものごとには独立した自性がない」という空(クウ)を理解しておられるのではないかということになりますが、こう言ってみてもあまり意味はありません。
 黙って大根を差し上げ、黙って汗を流す人でありたいと願うばかりです。
 



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2012
11.13

東日本大震災 ─東北関東大震災・被災の記(第117回)「水を汲む少年」のその後─

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〈産経新聞「『水くむ少年』戻った笑顔」から写真と文章をお借りし、加工しました〉

 被災した気仙沼市でペットボトルへ水を入れて運ぶ少年の写真が新聞各社に掲載されてから20ヶ月が経ちました。
 その小学6年生松本魁翔(カイト)君(12才)が再び新聞に載りました。
 10月28日、全東北・北海道防具付空手道大会において個人・団体両方の優勝をなし遂げたのです。

 魁翔君の家は津波で全壊し、親族14人が6畳のアパートで共同生活を始めた時、接触的に水汲みをしました。
 空手着などの一切が流され、遊ぶ場所もありませんでした。

「悲しくて、怖くて、何も言えないような気持ちだった。
 それでも、何か自分にできることをしようと思って始めたのが水くみ。
 外に出て歩けたから、今思えばストレス発散にもなっていたのかな」


 両手にペットボトルを提げ、口を真一文字に結んで歩む姿は高倉健の御守になり、私の御守にもなりました。

 彼は、母親の「自分の身は自分で守らせる」という指導によって空手を始め、いつか「家族を守りたい」と思う少年に育っていました。
 小学3年生で全国大会3位、4年生で2位と腕を上げ、「5年生で全国制覇する」つもりでしたが、震災で夢は潰(ツイ)えました。
 車に乗せられ、流された道着などを探し始めて数週間後、車の窓から側溝にはさまっている防具らしきものを見つけました。
 飛び降りて手にした泥まみれの防具は、もはや、使いようがありません。
 しかし、自分のものであることは、はっきりと確認できました。
 そして、松本家の宝ものになっています。

 2カ月後に再会した練習はいつもの半分しかできず、今年の全国大会は3位に終わりました。
 しかし、彼は目標を定め、未来のための今日に打ち込んでいます。

「学校ではたくさんの友達が引っ越してしまった。
 こんなに行ってしまうのかと思った。
 将来は空手道場を鹿折で開いて、町の復校の手助けをしたい。
 そうすれば、友達も帰ってくる。
 100人くらいの大きな道場にして、強い心を持つことを教えたい」


 家も家族もすべても失った書道家の高橋香温先生は、津波をかぶった桜が咲いたのを見て、ようやく心に光明がさしたと感じたそうです。
 被災地のあちこちで植物たちが不死鳥のようによみがえり、私たちを奮い立たせました。
 しかし、何よりも力づけられるのはやはり、生き残った私たちが確かに歩む姿です。
 松本魁翔君は再び私たちに力を与えてくれました。
 与えられた私たちが互いによりしっかりと今日を生きることが、きっと誰かの力になるはずです。
 東北人の土性骨(ドショウボネ)を柱に、顎を引き、口元を固めて生きようではありませんか。




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2012
11.12

火によって ─「アラブの春」に火をつけた青年の焼身自殺─

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 ターハル・ベン=ジェッルーン著『火によって』を読んだ。
 モロッコ出身のフランス語作家は、平成22年末から始まり翌年大統領が亡命する「チュニジア革命」の発端となった一青年の焼身自殺を小説風に綴った。
 チュニジアから発した専制政治打倒の炎は中東全体へ広がりつつある。

 ムハンマドは病気で父親を失い、糖尿病との闘病生活をする母親と5人の弟や妹を抱えて30才を迎えた。
 これまで、一度として誕生日を祝ったことはない。
「人生で確かなものはひとつの悲しみ、時とともに当たり前になってしまった悲しみだった」
 彼は黙々とはたらき、家族を養い、恋人との新しい生活を夢見るが、警察は人間を体制派と反体制派に分けて見張り、反体制派を取り締まるために行商人をもスパイに仕立てようとする。
 唯々諾々と取り込まれれば物売りのショバが確保される一方で、常に賄賂を求められ、問題意識のある仲間を密告するという卑劣な行為を余儀なくされる。
 断固として自立の道を求める彼は、家族を思い恋人を思って数々の無体な仕打ちに耐える。
 しかし、こう思うようになる。
「武器はない。
 だが、ぼくにはこの身体がある。
 この命が、この絶望的な生が、これこそが僕の武器だ……」
 そして軽油の入ったボトルを携帯するようになる。
 彼は、女性警官たちに殴り倒され荷車を没収された無法を訴えるため、市長との面会を求める。
 守衛によって再再度の拒否に会い、侮辱され、市役所の正面玄関前で焼身自殺をはかり、半月後にいのちを落とす。
 海外で事件が報じられたため、大統領は医師団を伴って彼を見舞うが、もう時は遅かった。
「国中が蜂起する。
 ゼイネブは髪をひとつに結え、デモの先頭に立つ。
 彼女は叫ぶ。
 声を張り上げ、拳を突き上げる」
「デモのいたるところで叫びがあがる、『我々みながムハンマドだ』
 大統領はこそこそ泥のように国を逃げ出す。
 専用機は星の輝く夜の中に姿を消す」

 歴史学の学士号を持っているムハンマドは、自爆事件をくり返すイスラム原理主義とは無関係である。
 彼の父親は生前、よく言っていた。
「信仰ある者は不幸になる定めなのだ。
 神がその者をお試しになるからだ。
 だから、我慢しなさい、息子よ!」
 中東に住む人びとは皆、イスラム教徒とは限らない。
 妹は言う。
「生きるなかで打ちのめされ、辱められ、否定され、ついに火柱となって世界を燃え上がらせた人間の物語」

 こうした物語は、今も、経済・軍事両面で世界を席巻しようとしている中国でくり返し、綴られている。
 チベット僧による弾圧へ抗議する焼身自殺である。
 岡真理氏は「訳者解説」で述べている。
「市民を決起へと突き動かしたもの、それは、火柱となったブアズィーズィ(※ムハンマドの本名)青年の中に人々が聞きとった魂の叫びであったのだと思う──人間とは決して、このように死んではならない、人間とは決して、何人(ナンピト)も、このような絶望のうちに死に至らしめてはならないという叫び……。」
 経済発展に酔う中国人たちのほとんどは、故郷を略奪され信仰という内面までも破壊されつつあるチベット人の絶望に無関心と伝えられている──。

 さて、フランス語の原書で50ページ足らずの簡明な文章は何を物語っているか?
 第一は、いつの世も、専制的体制は自己防御のために人々を体制派と反体制派に分け、反体制派を弾圧することである。
 第二は、正義がどこにあるかを判断するのではなく、自分の利益のために体制派となっておこぼれにあずかろうとする賤しい人々が現れ、卑しさが社会からあらゆる正義を奪うことである。
 第三は、正義を失った社会は、膨大な絶望を生み出すということである。
 皆さんと共によく考えてみたい。




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2012
11.11

子や孫のためにふり返っておきたい先人の導き(その33) ─へこたれない心をつくる─

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〈自然の恵みがご本尊様へ捧げられました〉

 ここでは、昭和6年に発行された小冊子を基にして子供たちの導き方を考えています。

32 「え」 偉くなる人辛抱する人

 すぐへこたれるようでは見込みがない。
 つらい苦しいところを辛抱する人だけが偉くなれるのだ。
 この精神を少年時代から鍛えよう。


 今は偉くなることをあまり望まない時代になりました。
 しかし、社会的な志のある人にとっては、努力をすれば偉くなるすなわち地位が上がるという結果がついてくるのは当然です。
 だから、昭和初期のように大臣や大将や医師といった手本となる偉人がいて「あの人のようになろう」と志すことを「偉くなる」と表現するのではなく、「志を果たす」と言えば違和感がないと思われます。
 クラレが4月に発表した最新の調査によれば、小学一年生の男児ならサッカーなどのスポーツ選手、警察官などが目標となっています。
 女児ならパン屋やケーキ屋、あるいはタレントなどがです。
 中学生になると、ほとんどの調査で男子はスポーツ選手・医師や歯科医・教師・会社員・研究者・警察官や自衛官や消防士などです。
 女子はペットを扱う獣医師など・幼稚園や保育園の先生・パン屋やケーキ屋や栄養士・福祉関係の看護師など・作家やマンガ家・タレントなどに人気があります。
 やはり、人生の理想に偉くなるイメージはほとんどなく、好きなことをやりたいという意志が読み取れます。

 ともあれ、「すぐへこたれるようでは見込みがない」のは確かです。
 では、子供をへこたれない人間に育てるためにはどうすればよいか?
 やはり、明星大学の高橋史朗教授が指摘する「いじめの根っこ」を考えることが、へこたれない、集中力と持続力のある精神をつくるのに欠かせないと思われます。
 教授は、共感性規範意識の欠如がいじめを生むとしています。

 共感性とは、他者の痛みを我がこととして感得する、見捨てておかれないといった思いやりの姿勢です。
 思いやりがなければ、自分の好き嫌いや都合がいつも最優先で、どこまでも気ままにやろうとします。
 その先には衝突や断絶しか待ってはいません。
 しかも、好き嫌いや都合を通して得られる満足感は常に一過性のものでしかなく、不満、苛立ち、敵対心などにつきまとわれます。

 規範意識とは、人間としてなすべきことと、なしてはならないことを峻別するきまりに従う姿勢です。
 弱いものを苛めるのは卑劣であると知って自分を律することができなければ、弱い者を従わせていっときは暗い満足感を得ようと、自分もまたいつか弱者となって誰かに苛められ、悲痛な思いを味わうことになります。
 規範意識の薄い人は同じような人々と共鳴し、共同して非人間的な行為に走り、自分も又、非人間的な扱いを受ける運命に堕ちてしまうのです。
 だから、人間が人間であるためには自分を律する規範意識が欠かせず、お釈迦様は、「気まま心に負けず、自分を律せよ」と生涯かけて説かれました。

 このように、共感性規範意識の欠如は必ず心と生活を乱れさせ、集中力と持続力のある精神は育ちません。
 最新の研究によれば、共感性規範意識を司る眼窩前頭皮質(ガンカゼントウヒシツ)は三歳までに形成されるらしく、まさに「三つ子の魂百まで」なのです。
 育つべき時期に育てられなかった心を後から開発しようとすれば、子供も大人も膨大な汗を流さねばなりません。
 小学校で学級崩壊が始まってからでは大変です。
 半世紀前の小学校の風景と現在の風景をまったく似ても似つかぬものにしたのは何か?
 共感性と規範意識の欠如であると思われてなりません。
 子供たちは、好きなことをしなさい、自分のために勉強しなさいとばかり言われ、家庭も学校も、自己中心の心を制御させない放任の方向へ進んできました。

 こうして考えると、〈いじめる子供〉も〈へこたれる子供〉も、そしてセクハラなどで苛める大人も、何をやっても長続きしない大人も、まさに時代の申し子です。
 へこたれない精神をめざすことは子供にとって大切なだけでなく、酷薄で脆くなってきた現代人の精神を変えるために欠かせないのではないでしょうか。




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2012
11.10

あの世から申し込まれた塔婆供養

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 ご主人を亡くされているAさんから電話がありました。
 ご供養の申し込みです。
 Aさんのご一族はいろいろな形で当山とご縁を結ばれているので、ご主人ではなく、共同墓で眠っているお父さんの塔婆を書くように頼まれても不思議とは思いませんでした。
 しかし、ご主人の塔婆は申し込まないのが少々、腑に落ちませんでした。
 いつもなら、念のため確認するところですが、その時はなぜか、聴いたとおりにメモしただけで受付を終えました。

 さて、当日、塔婆を立てて修法を始める段になり、皆さん小声で何かやりとりを始めました。
 どうしたのか訊ねたところ、やはり、喪主の義父ではなく夫の塔婆を欲しかったと言われます。
 義父の供養ではなく、多少早くはあるが、夫の年忌供養をして欲しいのです。
 とは言え、次の予定が待っており、もう、書いている余裕はありません。
「申しわけありませんが、これから書く時間がないので、今日のところは、ご主人の塔婆なしでご主人とお祖父さんのご供養を行い、後日、あらためて修法した塔婆をお送りしましょう」
 異議なしで二人分の供養法を行い、それぞれのご説明をしました。

 最前列の喪主とそのご長男がまた、何か相談しておられます。
 そして喪主から意外なお話を聞かされました。
「ご住職。
 今、長男から言われましたが、もう、お塔婆は要りません。
 私はあくまでも主人の年忌供養を申し込んだつもりでした。
 それなのに、義父の名前がご住職の耳へ届いたのは、主人の意志がはたらいたのだと思います。
 主人は、『自分は皆に手を合わせてもらうだけで充分だから、ほとんど供養してもらえない父へ塔婆だけでも供えてやって欲しい』と思ったのでしょう。
 こみ入った事情のある人生を送った義父でしたが、とても親思いの主人は、自分が車椅子を使うようになってからも父親を見舞い、最後まで見届けました。
 今となれば、義父のところを訪れるのは、私たち以外、ほとんどないと思います。
 今回のご供養は、ちょうど何回忌に当たるといったものではありませんでしたが、夫と一緒に供養してもらい、親子でとても喜んでいるはずです。
 そもそも夫は、自分のことよりも誰か他の人のことを優先する人でした。
 長男も、私も、それはよく知っています。
 だから、夫の意志をくんで、義父へのお塔婆一枚で終わりにしたいと思います。
 どうでしょうか?」

 わかりました、としか言えませんでした。
 塔婆一枚をめぐってこうしたまごころの世界が顕れるとは……。
 死してなお、親孝行であり続ける御霊の思い。
 亡きご主人の親孝行ぶりと思いやりに溢れたお人柄がご家族の心へはっきりと刻み込まれており、何年経とうと、その意志を感得できる。
 そして、それがこうして通じ合えるとは……。

 ご供養のおりには、こうした〈まごころ体験〉がしばしば起こります。
 私たちは、人間の歴史が始まって以来、死へのかかわりを通じて深いレベルのまことを確認し、心を磨いてきたはずです。
 喪と供養はゆめゆめ、軽んじられません。
 死者を軽んじるのは、生者が心を荒(スサ)ませて賤しき者となり果てる道です。
 日々、こうした現実に向き合っていると、日本の社会がどんどん荒む一方で、救いがまだ、残っていることを確信させられます。
 襟を正してなすべきことをなしたいものです。
 子々孫々、そして日本のために。



「おん あみりたていせい から うん」※今日の守本尊阿弥陀如来様の真言です。
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2012
11.09

死後のある日

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〈つかの間のかけはし〉

 栃木県へお詣りにでかけました。
 兄弟子が新しいお寺愛敬寺を開山したのです。
 本尊が不動明王、隣には愛染明王(アイゼンミョウオウ)がおられます。
 礼拝して護身法を結び、般若心経、真言と短い修法を終えて眼を開けたところ、光景が一変しています。
 なぜか、懐かしいのです。
「どこでお会いしたお不動様だろう?」
 いくら考えても思い出せません。
 もちろん、そうです。
 仏具店で出会ったお像を安置し、住職が数回、護摩を焚いたばかりなので、私がこれまでお会いしたはずはありません。
 しかし、帰り際にお堂を外から眺めてみても、初めてお訪ねした場所なのにどことなく既視感デジャヴ)が感じられます。
 建物やご本尊様そのものの形というより、空気感の懐かしさがあります。

 昼食をいただき、日が傾き始めた柿の木のある駐車場の前で別れを告げる直前、不意に気づきました。
 托鉢から指導してくださった兄弟子は私よりずっと若く、元気で、後継者の指導にも熱心です。
 さっきの既視感は、兄弟子が人々の幸せを願って新たに始めた寺院が隆盛となり、死後の私がそこを訪れる日が来ることを告げていたのです。
 死後の私が再び訪れる日をすでに感じとっていたのでしょう。
 お大師様が説かれた影向(ヨウゴウ…見えぬ身で向かい現れる)とはこの実現なのかも知れません。

 修法は不思議です。
 時空を超えます。
 だからこそ、遠隔加持法が行えます。
 
 頼もしい親子と必ず少し退がって夫へ寄り添う奥様の笑顔に送られて帰山しました。
 もちろん、いただいたご供物の数々だけでなく、大きな安堵をお土産に。




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2012
11.08

11月の聖語 ─縁が生きる通じ合いの世界─

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 お大師様の言葉です。

「鳥や獣や草木の発するいのちの声はすべて、み仏の言葉である。
 極楽浄土も弥勒菩薩(ミロクボサツ)のおられる天界も、私たちの心中にあることを速やかに悟ってもらいたい」

          
 当山では、しばしば、ペットの供養を行います。
 修法は必ず必ず「あなたは家族、あなたは友」という言葉から始めています。
 それは、飼い主とペットの心は〈通じて〉おり、修法する導師と飼い主と亡くなったペットの三者もまた、通じ合えると信じているからです。
 通じているからこそ、供養が可能になります。
 こうした通じ合いの世界こそ、み仏の世界です。
 最高の安心をもたらす極楽浄土にも、最後の一人をも必ず救う弥勒菩薩様のおられる天界にも、私たち一人一人の心は通じています。
 この真実を感得し真実世界で生きられるかどうかは、私たちの心にかかっています。

 もしも、歩いているアリをおもしろ半分に踏みつぶそうとすれば、「殺生」という悪行がスタートします。
 次に、実際にアリを踏めば、悪行(アクギョウ)は完全に成立します。
 そして、実行された悪行は表面的な悪業(アクゴウ…悪しき未来を招く力)となり、無慈悲な行いに応じた結果を招きます。
 しかも、ゾロゾロ歩いているアリたちを見て「皆殺しにしたい」と思った段階ですら、表に出ない悪業となり、そうした心に応じた結果を招きます。
 仏教は心を重視します。
 たとえば、表面的には師へ従っているようでも、実は師へ嫉妬したり師を憎んでいたりすれば、いくら表面的には素直で優秀な弟子であっても悪業が積まれ続け、やがて、必ず、恩知らずに応じた結果を招くのです。

 こうした悪業を清め、通じ合いに用いられる心のアンテナを清浄にする言葉が真言です。
 合掌し、
「おん あみりた ていせい から うん」
と至心に唱えれば、阿弥陀如来様と私たちの間を隔てる煩悩(ボンノウ)や悪業が除かれ、鳥の声が亡き母の励ましとなって魂へ響くかも知れません。
 合掌し、
「おん まいたれいや そわか」
と至心に唱えれば、弥勒菩薩様の浄土で見守っていてくださるお大師様のお慈悲が陽光の温かさの中に感じられるかも知れません。

 阿弥陀如来様も弥勒菩薩様も、遙かな空の彼方におられるのではなく、私たち一人一人の心中におわすのであり、心中とは壺のような〈入れものの中〉とは違います。
 真言は喉に発し、身体を震わせ、耳から聞こえていますが、それを縁とした清浄な心が動けば、そこは内も外もない世界になります。
 耳に聞こえる鳥の声も、肌に触れてくる陽光も外界からやってきているのに、清浄な心が動いていれば、内も外もない真実世界を開く縁となります。
 心が広大無辺なものとなった時は、即身成仏(ソクシンジョウブツ…この身このままでみ仏であると気づくこと)へ近づいています。
 自分を清め、あらゆるものを成仏の機縁としましょう。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「のうまく さんまんだ ばざらだん かん」※今日の守本尊不動明王様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。





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