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2012
12.31

餌をねだるひな鳥は可愛いか ─釈尊の観たものは?─ 

201212310001.jpg

 私たちは、孵化したばかりのひな鳥たちが親鳥から餌をもらいたい一心で大きく口を開け、競うように鳴く様子を見て「可愛い」と思います。
 私もそうでした。
 しかし、外での法務を終え、夜遅く帰山した私を小さなちゃぶ台の前で待っていた妻の姿に愕然としました。
 急いで食事を用意してから出かけたのに、食べないでじっと座っていたのです。
「どうしたの?冷めてしまったね」
「だって……」
〝──これが親鳥の帰りを待つひな鳥の本当の姿なのだ。
 お釈迦様が観られたのは、この姿だったに違いない……〟

 若き日のお釈迦様が、恵まれた日常生活を捨てて真理を求める生活へ入られた理由については、さまざまな物語が言い伝えられています。
 その一つが、春の野へ出た時、親たちなどと一緒に楽しまず、自然の様子へ見入り、鳥についばまれる虫を眺めて無常を感じたというものです。
 この説話を読んで、事実としては理解できるけれども、なぜ、そう観えたのか、今ひとつ釈然としませんでした。
 それは、歌や踊りの歓楽が終わり、酔って寝入ってしまった女性たちのしどけない姿に、醜いものを感じたと伝える説話を読んだおりに感じた疑問と同じです。
 なぜ、そう観えたのか?
 恵まれた環境にあり、日常生活に悩みのない若く元気な青年なら、春の野で躍動する生きものたちに生命の息吹を感じ、あるいは、酔って寝込んだ女性たちに性的刺激を受けるのではないか?

 この疑問は、スタートがまちがっていました。
 答として「お釈迦様は並外れて繊細な感覚の持ち主だったから」などと示されたところで、何の解決にもなりはしません。
「なぜ、そう観えたのか?」ではなく、「何を観たのか?」と問わねばならなかったのです。
 観たものを縁として熟考し出家した以上、そう問わねばならないのに、正しく問えなかったのは、〈私たちが日常、目にする周囲の光景と、お釈迦様の目に映る光景は同じものである〉という無意識の錯覚があったからです。
 愚か者は迂闊な間違いをするものです。
 防犯カメラが切り取った一瞬の光景は事実として一つでも、それを目にする人々の目に見え、心に映じていたものは千差万別です。
 ならば、お釈迦様は、私たちが日常生活で観えない光景を観たからこそ、家族たちとの生活感覚もずれ、すべてを離れないではいられない境地へまで行ってしまったに違いありません。

 疑問を解くカギが、〈親を待っていたひな鳥〉です。
 私たちがこうしたパターンの映像を目にする時は、親鳥の健気さや、ひな鳥たちの元気さ、あるいは人間も動物も変わらない親子のありよう、など、人間の日常生活に合った感情や感覚を動かされます。
 それとまったく次元の違う根源的原理などという視点はめったに生じません。
 しかし、お釈迦様には違って観えました。
 原理は、飢え、つまり死の可能性と共にある無常な〈生の危うさ〉です。
 ならば、光景は微笑ましくなどありはせず、〈哀れなもの〉となってしまうしかありません。

 飢えている人が〈親を待っていたひな鳥〉の様子を目にすれば、ああ、よかったなと思うかも知れません。
 もしかすると、親鳥が餌を持って巣へ帰ってこなければすぐに死ぬしかないよな、可愛そうに、と思うかも知れません。
 しかし、それはきっと、その時だけです。
 自分が食べて生きられるようになってなお、〈親を待っていたひな鳥〉に哀れさを感じる人はそう多くはないと思われます。
 お釈迦様は、きっと、飢えや死の可能性を我が身にあり得ることとして感じられない生活にあって、〈生の危うさ〉を実感し、〈哀れなもの〉に涙されたのでしょう。
 そこが私たち凡人とは次元を異にするところです。

 小池一夫原作・小島剛夕画の漫画『子連れ狼』を思い出します。
 拝一刀が三歳の子拝大五郎を特製の乳母車に乗せて刺客の旅を続ける物語は映画にもなり、特に若山富三郎が主演したシリーズは傑作の誉れ高い作品群です。
 拝一刀が切られれば、当然、大五郎も屍となるしかない死と隣り合わせの旅は、圧倒的なファンを生みました。
 後に主題歌が作られ、橋幸夫と若山児童合唱団が「しとしとぴっちゃん」と唄い、大ヒットしました。
 そこでくり返されるフレーズがあります。
「帰りゃあいいが 帰らんときゃあ
 この子も雨ン中 骨になる
 この子も雨ン中 骨になる」
 大五郎はまさに〈親を待つひな鳥〉です。

 さて、秋風に舞い散る枯れ葉ではなく、元気に鳴くひな鳥にもまた無常がイメージされてこの先、どう生きるか。
 何もかも、親から、師から、ご縁の方々から教えていただき、またまた、病気の妻から教えられ、この先、どう生きるか。
 来年も皆さんと共に、遙かなるお釈迦様とお大師様の背中を追って進みましょう。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「のうぼう あきゃしゃきゃらばや おん ありきゃ まり ぼり そわか」※今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。





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2012
12.30

東日本大震災 ─東北関東大震災・被災の記(第122回)釜石小学校の子供たちが残した実績─

2012123000002.jpg
〈Author:SHIRONEKOさんからお借りして加工しました〉

 NHKテレビで「釜石の奇跡」を再放送していた。
 平成23年3月11日、釜石小学校の在校生184人は、津波が来た時刻には下校済みで、それぞれがバラバラに行動していた。
 大人がまとめて避難させられなかったので、多数の犠牲者が出たのではないかと思われた。
 しかし、全員無事だった。
 人々は喜び、「釜石の奇跡」と称したが、番組に登場した児童の一人は言った。

釜石の奇跡ではなく、釜石の実績と言って欲しい」


 なぜ、こうした実績が可能だったのか?
 片田敏孝(群馬大学教授)氏は三つのポイントを指摘する。

1 想定にとらわれない
 大人は「こんな所まで津波が来たことはないから大丈夫」とタカをくくっても、スマトラ沖地震の映像などを見ていた子供たちは、とてつもない津波を想像して大人が考える以上、高い場所をめざした。

2 最善を尽くす
 屋上に取り残されるなど、いかなる事態になっても、最後まで諦めず助け合いながら生き延びる努力を続けた。

3 率先して避難する
 危機に際して、「大丈夫だろう」となかなか逃げたがらない人もいるが、誰かが逃げ出すとつられて逃げる習性もあり、危険を察知してすぐに逃げた子供たちは結果的に先導者となった。

 番組は切れ切れにしか観られなかったが、瑞々しい感性を生かした子供たちのこうした実績は私たちにとって、希望そのものである。
 もはや、大人たちへの導きとすらなっている。

 故井上ひさし氏が作詞した釜石小学校校歌も忘れがたい。

いきいき生きる いきいき生きる
ひとりで立って まっすぐ生きる
困ったときは 目をあげて
星を目あてに まっすぐ生きる
息あるうちは いきいき生きる

はっきり話す はっきり話す
びくびくせずに はっきり話す
困ったときは あわてずに
人間について よく考える
考えたなら はっきり話す

しっかりつかむ しっかりつかむ
まことの知恵を しっかりつかむ
困ったときは 手を出して
ともだちの手を しっかりつかむ
手と手をつないで しっかり生きる


 ここにはすでに自立した精神がある。
 子供たちは具体的なよきイメージを育てていたのだ。
 心によきイメージを抱いていた子供たちは、のんびりしていた、あるいは逡巡する大人たちをも救った。
 それぞれがさらにイメージを膨らませ、確かな〈実績〉を重ねる人生になって欲しいと願ってやまない。




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2012
12.29

平成25年(2013年)の運勢について ─どんな年になりそうか─

20121229002.jpg

 平成25年(2013年)の運勢についてポイントを記します。

1 新たなものがどんどん伸びる年になることでしょう

 あたかも地中から芽が出て茎が伸び花が咲くような自然な動きですが、肝腎なのは、そもそも種自体に備わった力が〈因〉としてあればこそ花へ至るのであり、水も養分も光も温度も、あくまでも〈縁〉であるというところを勘違いしないことです。
 私たちの生活にあてはめれば、たとえば小さな子どもがお習字やピアノや水泳などが上達した場合、親や先生の指導が不可欠なのは当然としても、小さな子どもの身体と心にすばらしい〈可能性〉が秘められていたことに驚嘆し、尊ぶ気持を持ち続けたいものです。
 同じように、誰かの何かを応援する場合は、「私がこれだけしてやっている」と考えるのは邪心であり、縁の一端を担わせていただくことへの感謝を忘れないようにしないと、誰も望まない残念な方向へ進みかねません。
 あくまでも恩を着せず恩を忘れないのが人の道であって、恩を着せた瞬間に、残念ながら、善行は悪行へと裏返ってしまいます。
 仏法では、善悪の基準はあくまでも動機にあり、我(ガ)という穢れのない考えや言葉や行いこそが自他へ善なる結果をもたらす善行となります。
 相手が動植物であれ、人間であれ、組織であれ、真の善行をほどこせば大いに伸び、喜びや満足感や誇りを与えてくれることでしょう。

2 悪しきものも、縁次第でどんどん伸びる可能性があり、悪しきものと縁にならぬよう、あるいは悪しきものの根は早めに断つよう、注意してかかりたいものです

 最も注意したいのは、不満が裏返った高慢心です。

 漫画家小林よしのり氏が、12月27日付の朝日新聞「ネット右翼ともたれ合う」で鋭い指摘をしています。
「グローバリズムや小泉構造改革の影響で、安定した仕事につけず人間関係でも孤立した人々が急増した。
 そんな人々の一部が『誰からも必要とされない無価値な自分』に履かせるゲタとして愛国心を使い、他人をたたいて憂さを晴らしている。
『国を愛し、行動する自分は、そうでない人々より価値がある』というわけだ。」
「わしは漫画で安倍氏を批判しているから、わしがネットで生放送をすると大挙して押し寄せ、中傷のコメントで画面を埋め尽くしてしまう。
 まるで暴走族だよ。
 現実との接点が乏しいから、陰謀論にもはまりやすい。」
「共同体を失って砂粒のようにばらばらにされ、他人に認められたい願望がまったく満たされない。
 そんなネット右翼のような人間たちの個をどう安定させるか。」

 大津市の中学2年生が自殺した問題では、学校や市教委へ抗議の電話やメールが殺到して業務へ深刻な影響を及ぼし、学校爆破を予告する脅迫事件まで発生しました。
 あまつさえ、19才の少年が「いじめ問題で真実を隠していると思う。許せない」と沢村憲次教育長をハンマーで襲撃する暴挙に出ています。
 この自殺といじめは、警察がたくさんの生徒たちへ大々的な捜査を行った極めて象徴的な事件であり、今後の教育と捜査のありようを考える重大な問題をはらんでいます。
 生徒も、先生も、父兄も、社会も、精神的に未熟な子供たちが起こしたり巻き込まれたりし得る刑事事件と本来の教育のありようを、冷静に慎重に深く考慮し、速やかに手を打たねばなりません。
 それ以外、こうした不幸をくり返さないためのスタートラインに立つ方法はありません。

3 正義感高慢心について要注意

 私たちが正義のありかを考え、正義の実現のために私欲を捨てた行動をとることは、人間として尊いことです。
 しかし、正義の旗を立てて不正義を攻撃する際に、自分自身をふり返らねば、結局は正義の実現から遠ざかるばかりか、自分が新たな不正義を行いかねません。
 前に挙げた小林よしのり氏への〈暴走族的〉攻撃は、原論の自由を暴力的に破戒する行為であり、不正義です。
 学校の爆破予告も、教育長への暴力も、明らかに不正義です。
 何かを「けしからん!」と憤ったならば、まず、自分のそうした判断が本当に正しいのかどうか、調べる必要があります。
 なぜなら、人間は皆、仏神ならぬ未熟な存在だからです。
 しかも、怒りはたやすく思考停止させ、これまでやってきた自分の善行を帳消しにするばかりか、他人の心身を傷つけるという悪行へと走らせるからです。
 至心に調べれば、必ず、謙虚になります。
 なぜなら、「自分がいかに知らなかったか、今もいかに知らないことが多いか」がわかるからです。
 そして、思考と行動が胆略的につながらず、軽挙妄動はできなくなります。
 また、調べるのと同時に、居丈高になっている自分に高慢心はないかどうか、ふり返りたいものです。
 高慢心は他を貶めて自分を高くしようとする自己中心的心理から発しており、創造的発想も、自他を救う行為も、もたらしはしません。
 結局、憂さ晴らしに走り、他人様へ迷惑をかけ、悪しき業(ゴウ)を積んで終わりになってはどうしようもないではありませんか。

4 心のトレーニングにより、よりよく生きて、よりよい社会をめざしましょう

 特に、政治や宗教やマスコミが歪んだ正義感を利用すれば恐ろしい成り行きになりかねません。
 停滞から発展へと切り替わる今年の運気に乗って伸ばしたいものと、伸ばしてはならないものとをきちんと見分け、よりよく生きられるよう心のトレーニングを行い、よりよい社会をめざしたいものです。




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2012
12.29

平成25年睦月(2013年1月)の行事予定

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 小寒と大寒の睦月(ムツキ)に行う行事予定です。
 この世の幸せとあの世の安心のため、仏神と諸精霊のおわす聖地へおでかけください。

[正月修正会 2013/1/1(火)~3(木)午前10:00~ 午後2:00~
 お正月のご祈祷は元旦から三日まで、合計六回修法します。
 ご都合のよい時間帯におでかけください。
 私たちは、生まれ年によって決まる守本尊様に一生を守っていただきます。
 たとえば巳(ミ)年生まれの方なら普賢菩薩(フゲンボサツ)、酉(トリ)年生まれの方なら不動明王です。
 お正月には、新しい年の過ごし方を考え、さまざまな願いを込めてこうした一代守本尊様を供養する『修正会(シュショウエ)』を行います。
 同時に、古来より伝わる如意成就の宝珠へ祈る秘法も行います。
 護摩の火と古来より伝わる大師茶などで心も身体も暖まり、新しい1年が開運の年になりますよう。
・送迎申込 開始30分前に、地下鉄泉中央駅そばの『イズミティ21』前へ送迎車がまいります。
 乗車希望の方は前日午後5時までに必ずご連絡下さい。「~日、~時のご祈祷に参加します。車をお願いします」と日時をはっきりお示しください。

[第一例祭] 2013/1/6(日)午前10:00~午前11:00
 護摩法を行い、『法楽の会』会員さんの願いを込めた護摩木や、各種祈願をかけた善男善女の護摩木を焚きます。
 守本尊様を讃える経文などを一緒に読み、太鼓に合わせて観音経3巻もお唱えします。
 参加は自由です。
 護摩の火に身を近づけ、悪しきものは焼き払い、善き願いへ大きなご加護を受けてください。
 護摩木供養は1体300円です。
 ご自由に願いをかけてください。
・送迎申込  午前9時30分に地下鉄泉中央駅近くの『イズミティ21』前へお迎えの車がまいります。
 乗車希望の方は前日午後5時までに必ずご連絡下さい。

[書道・写経教室] 2013/1/6(日)午後2:00~午後3:30
・場  所  大師山法楽寺
・指  導  高橋香温(温子)先生
・ご志納金 1000円(未成年者500円)
 基本からお稽古を行っています。
 写経のお稽古も継続中です。
 イス席もありますので、お気軽にご参加ください。
(毎月第一日曜日午後2時から開催します)

寺子屋『法楽館』第三十五回 ─理想の寺院とは?─] 2013/1/12(土)午後1:30~午後3:00
 新シリーズ『どうする?私たちの未来』の第三回目です。
 新たな一年を迎えるにあたり、初心に還るべく、皆さんと共に「あるべき寺院の姿」を考えます。
 当山は、ご縁を求める皆さんのお心を想いつつ法務のありようをふり返り、宗教の違いで差別せず争わない、お布施を強要しない、など『法楽寺九心』の骨子をつくりました。
 法楽寺の檀信徒さんに限らず、幅広く忌憚のないご意見やご質問をいただきたいと願っています。
 疑問、希望、何でも結構です、大いに議論しましょう。
 また、今年の運気と、どのような心構えで過ごせばよいのか、そのポイントについてもお話しします。
 どうぞお気軽におでかけください。
 どなたでも自由に参加できます。
 事前の予約も不要です。
 どうぞ、ふるってご参加ください。
・講  師  住職遠藤龍地
・場  所  当山講堂
・ご志納金   1000円(中学生以下500円)
・送迎申込  午後1時に地下鉄泉中央駅近くの『イズミティ21』前へお迎えの車がまいります。
 乗車希望の方は前日午後5時までに必ずご連絡下さい。

瞑想法話の会 第一回] 2013/1/9(水)午前10:00~12:00
 30回にわたった法話と対話の会を終了し、新たに瞑想法話の会を始めます。
 瞑想は心のトレーニング法です。
 ジョギングや水泳で身体を鍛えるだけでなく、古来より伝わる正統な瞑想方で心もケアし、よりよい生き方ができるようにトレーニングしませんか?
 法話においては、私たちの心に巣くう60の迷いについて一つづつ検討します。
 共に克服をめざしましょう。
 質疑応答も行います。
 会員制ではなく、その都度、まったく自由にご参加いただけます。
 どうぞ、ふるってご参加ください。
・場  所  仙台市旭ヶ丘仙台青年文化センター
・ご志納金 1000円(未成年者500円)

[第二例祭] 2013/1/19(土)午後2:00~午後3:00
 護摩法を行い、『法楽の会』会員さんの願いを込めた護摩木や、各種祈願をかけた善男善女の護摩木を焚きます。
 守本尊様を讃える経文などを一緒に読み、太鼓に合わせて般若心経3巻もお唱えします。
 参加は自由です。
 護摩の火に身を近づけ、悪しきものは焼き払い、善き願いへ大きなご加護を受けてください。
 護摩木供養は1体300円です。
 ご自由に願いをかけてください。

瞑想法話の会 第二回] 2013/1/23(水)午前10:00~12:00
 30回にわたった法話と対話の会を終了し、新たに瞑想と法話の会を始めます。
 瞑想は心のトレーニング法です。
 ジョギングや水泳で身体を鍛えるだけでなく、古来より伝わる正統な瞑想方で心もケアし、よりよい生き方ができるようにトレーニングしませんか?
 法話においては、私たちの心に巣くう60の迷いについて一つづつ検討します。
 共に克服をめざしましょう。
 質疑応答も行います。
 会員制ではなく、その都度、まったく自由にご参加いただけます。
 どうぞ、ふるってご参加ください。
・場  所  仙台市旭ヶ丘仙台青年文化センター
・ご志納金 1000円(未成年者500円)

[お焚きあげ] 2013/1/26(土)午前10:00
 お不動様のご縁日に、開運不動前にて「供養会」及び「お焚きあげ」を行います。
 人形や仏壇や写真など、燃えるものも、燃えないものも大丈夫です。
 一緒にお不動様のお経を読み、真言を唱えましょう。
※お焚きあげをご希望の方は、必ず電話などで日時を連絡の上、お品をご持参、あるいはお送りください。
 当日とは限らず、いつでも結構です。
※毎月、最終土曜日に行います。

[機関誌『法楽』作り] 2013/1/28(月)午前9:00~
 講堂にて、機関誌『法楽』を作ります。ご協力をお願いします。
『実語教・童子教』も共に学びましょう。
※毎月、最終月曜日に行います。

隠形流(オンギョウリュウ)居合道場]
 第一週の土曜日 午後6:00~8:00 法楽寺にて 
 第二週以降毎週金曜日 午後7:00~9:00 旭ヶ丘青年文化センターにて
 九字を切り、守本尊様のご加護をいただく密教独自の剣法です。
 女性や高齢者の方々が多く、厳しいながらも和気藹々と稽古しています。
 入門ご希望の方は、事前に連絡の上、見学してください。




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2012
12.28

筆談で心が穏やかになる話 ─時間を消して得られるものは?─

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 Aさんは仏教を熱心に学んでおられますが、ご主人はあまり関心がありません。
 お互いに社会での役割を果たし終え、一緒に過ごす時間が長くなっても、共に何かをやろうという雰囲気にもならず、互いにマイペースを通してきました。
 そのうちにご主人が筆談しなければならなくなりました。
 ご主人が文字で意志を示すのと同じくAさんも紙へ走り書きをしてやりとりします。
 ある時、Aさんは気づきました。
〝二人共、尖った言葉を書かなくなっている……〟
 特に、自分の言葉からきつい表現が消え、ぶつかり合わなくなっているのは明白です。
不瞋恚(フシンニ…つまらぬことに怒らない)の戒律は、勉強してもさっぱり身についていないとばかり思っていたのに……〟

 生命誌を研究している中村桂子氏の主張を思い出しました。

「産業革命以降の社会は、時間を消すことを価値としてきました。
 時間を消せば消すほど進歩したといって、その分だけ生きることを殺してきたのです。
『生きものの科学』といいながら、生きものを機械ちしてしか見られない学問ばかりになってしまい、生きものを『時間を紡ぐもの』として観る知が消えつつある。」


 たとえば、車を使って移動する時間を〈消す〉けれども、歩いて時間を〈かけ〉、四季の変化を見て、聞いて、肌で感じる、といった〈生きること〉そのものの価値を忘れつつあるのではないかという指摘です。
 歩いて30分かかる距離を5分で移動し、25分は何に使うかと言えば、運転と同じように慌ただしくメールのやりとりをして一喜一憂する、こうした方向だけで大丈夫かというのです。

 Aさんに限らず、夫が「おい、飯はまだか!」と言い、妻が「急かせないでよ!」と答えるシーンが想像されます。
 時間を細切れにしつつ仕事をしてきた夫は、時刻に合わせて昼食が出ないと不機嫌になり、マイペースで家事をこなしてきた妻は、急に束縛を強められたようで不機嫌になる。
 こうしたベースがあって、不機嫌不機嫌がぶつかり、ふとしたことで言い合いになるといったパターンは少なくないと思われます。
 言葉と言葉が山彦のように行き交い、それに感情が伴い、感情が言葉に刺や刃を含ませます。
 しかし、「おい、飯はまだか!」を紙に書けば、書く間に発生する時間が幾分でも表現を和らげてくれるのではないでしょうか。
 同じく、強い口調で応える「急かせないでよ!」にも、「もうすぐだからね」と書く余裕が出てくるのではないでしょうか。

 この問題はもう少し考えてみましょう。
 皆さんとご一緒に。




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2012
12.27

1月の聖語 ─まことの言葉─

20121227005 (2)

 お大師様の言葉です。

真実を語りえることばは まことのことばである。
 根本を語りえないことばは 偽りのことばである。
 偽りのことばは 無明(むみょう)の長夜(ジョウヤ)に苦しみを受け まことのことばは 苦しみを抜き安楽を与える力である。」(空海BOTより)


 私たちは生まれて育つ間に言葉を覚えます。
 それを最大の道具として心を表現し、他者と通じ合いますが、お大師様は、真実を語る言葉と偽りを語る言葉の二種類に分けられました。
 作家の山本一力氏は、桂文珍師匠から「許される悪行があるとすれば何ですか?」と尋ねられ、しばし黙考してから「方便としての嘘でしょうね」と答えています。
 相手のためを思っての嘘は許される、事実を語る言葉だけでは人生に味わいがなくなるといった説明でした。
 この教えにおける真実と偽りに通じる場面であると言えます。
 つまり、煩悩(ボンノウ)を超えた利他の心から発しているのか、それとも、自分中心の心から発しているのかが決め手です。
 利他を目的としていれば、たとえ事実と違う言葉を用いても悪行とはなりません。
 反対に、他を害する心から発すれば、たとえ事実であっても悪行です。
 橋下市長の出自や経歴に関する出版のトラブルは典型的な例です。

 さて、事実と真実については、さまざまな経典に〈方便〉を説く興味深い記述があります。
 たとえば、前世のお釈迦様が、船長として500人の商人たちと航海へ出たところ、船内にいた悪漢が人々を皆殺しにして財宝を奪おうとした物語です。
 船長は、500人の命を救うため、そして悪漢に人殺しという悪事をはたらかせないためにたった一人で悪漢を殺します。
 もちろん、悪業を積めば地獄へ堕ちるのは覚悟の上でした。
 ところが王様は船長を無罪放免しました。
 悪漢を殺す以外に人々を救えず、誰かがやるしかなかったからです。

 お釈迦様は『十善戒』を説かれ、身体で行う殺生や、言葉で行う妄語や、心で思う怒りなどを禁じました。
 しかし、魂が高いレベルに達していれば、この例のような身体での悪行、あるいは山本一力氏のような言葉での悪行は許される場合もあるとされています。
 心の悪行である、慳貪(ケンドン…貪り)・瞋恚(シンニ…怒り)・邪見(ジャケ…真理に反する思考)が許される範囲に入っていないのは、魂のレベルが高い人はもう、こうしたものを克服し尽くしており、どこにもないからです。
 また、慳貪・瞋恚・邪険を離れた行為であるからこそ、場合によっては殺生妄語も許され得るのです。

 真実そのものである真言、真理を説く経文、そして真理真実に立脚した「まことのことば」を口にしながら精進しましょう。




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「おん あみりたていせい から うん」※今日の守本尊阿弥陀如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。





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2012
12.27

1月の守本尊様

 1月は、小寒(ショウカン)と大寒(ダイカン)の睦月(ムツキ…1月5日より2月3日まで)です。
 1月(ウシ)の月なので、守本尊虚空蔵菩薩(コクゾウボサツ)様です。

21080819 008

 虚空蔵菩薩(コクゾウボサツ)様は『是處非處智力(ゼショヒショチリキ)』をもって、この世の姿をありのままに見つめ、真偽・善悪・虚実・尊卑・上下・清濁などをはっきりと区別し、迷いを解き放つ力を与え、行くべき道をお示しくださいます。
 ご供養し、ご守護いただき、出発の月を心豊かに、無事安全に過ごしましょう。

 虚空蔵菩薩(コクゾウボサツ)様は、(ウシ)・(トラ)年生まれの善男善女を一生お守りくださる守本尊でもあります。
 写真は、永代供養を行ってご加護を受けるため、当山の講堂へ納められた千手観音様です。
 総丈は約35㎝あり、日本で唯一、護摩を焚いてできた灰が体内へ納められたご本尊様です。(奉納受付中)




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
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「おん あみりたていせい から うん」※今日の守本尊阿弥陀如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。





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2012
12.27

1月の真言

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〈山道の街灯に降る雪〉

 1月の守本尊虚空蔵菩薩(コクゾウボサツ)様をご供養しお守りいただきたい時、願いを成就させたいと念じる時、つらい時、悲しい時、淋しい時は、合掌して真言(真実世界の言葉)をお唱えしましょう。
 たとえ一日一回でも、信じて行なえば、ご本尊様へ必ず思いが届きます。
 回数は任意ですが、基本は1・3・7・21・108・1080回となっています。

「のうぼう あきゃしゃきゃらばや おん ありきゃまりぼり そわか」

今月の真言をお聞きになるにはこちらをクリックしてください。音声が流れます


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2012
12.26

三十七の菩薩(ボサツ)の実践(第三十七回) ─積んだ功徳はすべて生きとし生けるもののために手放す─

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 菩薩として生きる方法を学ぶ講座も最終回となりました。

「以上のように精進努力して、成し遂げられた諸善を
 限りなき衆生の苦しみを取り除くため
 三輪無分別智(サンリンムフンベツチ)により、悟りを得るために廻向(エコウ…廻し向ける)すること
 それが菩薩(ボサツ)の実践である」


 これまでずっと、敵へも慈悲をもって対するなど、日常生活では発想できない菩薩のありようを学んできました。
 自分へ厳しくという姿勢の極みとも思えるみ仏のお導きでした。
 最後に、そうした我が身を梳(クシケズ)る努力の成果を自分へ向けようとしてはならないと厳しく釘を刺しています。
衆生の苦しみを取り除く」
 あらゆる修行はこれが目的であることを忘れてはなりません。

 自分のいのちと心を無始の過去から守り育ててきてくれたありとあらゆる生きとし生けるものが苦しむさまを見捨てていられないからこそ、それを救えない自分でいるわけにはゆかず、気ままに気楽に煩悩のまま生きる生きたかと訣別したはずです。
 ならば、自分にとらわれず、相手にとらわれず、差し出すものにとらわれず(これが三輪無分別智です)、自分の善行の功徳をすべて、縁の相手へと手向けねばなりません。
 この功徳によって相手が悟りへ近づくことこそ、修行の目的なのです。
「悟りを得るため」の「悟り」は自分のものではありません。
 怒り、憎み、妬み、舞い上がり、落ち込み、争い、迷っているありとあらゆる生きとし生けるものの悟りです。
 なぜなら、苦がなくなるためには、悟りを開くしか方法がないからです。

「早朝に道路を掃いている功徳で、自分の病気が早く治りますように」
「貧乏から抜け出したいからボランティア活動にも励み、仏神の救いを待とう」
 こうした考え方での善行は菩薩の道ではありません。
 早朝に道路の掃除をする菩薩ならば、ゴミを散らかす行為が恐ろしい罰を招く悪行であることに早く気づいてくれるよう、見知らぬ愚かな人々へ自分の功徳をふり向けます。
 貧乏生活の菩薩ならば、自分が財物による人助けができぬことを詫びながら、「せめて汗だけでも」とボランティア活動に励み、自分よりもさらに困窮している人々のためにと自分の功徳をふり向けます。

 では、あらゆる〈ご利益〉はないではないか?
 真剣に当病平癒を願い、あるいは生活の安定を願い、仏神へ祈りをかけることは無意味なのか?
 仏神やご先祖様は私たちを見守り、お救いくださるのではなかったか?
 仏神もご先祖様も、決して見捨てはしません。
 しかし、おすがりする方法をまちがわないようにしましょう。
 道路掃除も、ボランティア活動も、それはそのまま〈下心〉なく、黙々と励めばよいのです。
「生きとし生けるものの苦を除くために、生きとし生けるものの幸せのために」と願いつつ、つまり〈菩薩の心〉で。
 一方、「何としても病気を治したい」「何としても生活を安定させたい」という祈りは祈りで、仏神を信じ、ご先祖様にすがればよいのです。
「~をするから~をください」という娑婆の〈取引感覚〉を離れて。
 このことは、読経の心構え通じています。
 たとえば、例祭でご一緒に般若心経を唱える時は、余計なことを考えず、般若心経に成りきって唱えるようお話ししています。
 もしも、宝くじが当たるようにと願いながら唱えるならば、身を調え口から出る言葉は般若心経、心が向いているのは宝くじとなっており、身体と言葉と心(身口意)がバラバラです。
 これではなりません。
 よき願いを達成しようとして宝くじを買い、当選を祈るのは善行です。
 しかし、願いのかけ方に問題があるのです。
 身口意すべてを挙げて唱え、み仏に成り切るところにこそ般若心経を読誦する真の意義があり、功徳が生まれます。
 当病平癒、生活安定、宝くじ当選などの目的を意識する時は、はっきりと意識し、いったん経文や真言の読誦へ入ったならば、それに成りきって即身成仏(ソクシンジョウブツ)するという、けじめ、メリハリが肝腎です。

 こうして最善を尽くせば精進が進み、周囲の縁も運勢もよくなり、仏神や御霊のご加護も重なってよき方向へと向かえることでしょう。

○終わりに

 ここまで37回、学んだことによって、皆さんが何か一つでも得られたものがあればありがたいことです。
 皆さんが、いっときでも仏性を発揮して即身成仏し、一歩でもみ仏へ近づくために役立てたならば本望です。
 おりおりに復習してみたいものです。
 皆さんのご多幸を祈っています。
 



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2012
12.26

『四十二章経について』を本にまとめました

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 機関誌『法楽』を作るため毎月一度集まられた皆さんと一緒に学んできた『四十二章経』を本にしました。
 これまでブログや『法楽』へ掲載したものに加筆修正し、B5版231ページにまとめました。
 ご関心がおありの方はお送りしますので電話やファクスやメールなどでお申し込みください。
 ご志納金は一冊千円です。
 インドから中国へ最初に入った経典とされる古典が皆さんに身近なものとなればありがたいことです、合掌




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2012
12.25

恩に想う ─救心・親・死─

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 過労がピークに近づき、カバンから伝家の宝刀『救心』を探し出して口にしながら愕然としました。
 亡き母が青い顔をして救心を2粒、湯飲み茶碗一杯の水で喉へ流し込み、「ん、これで大丈夫」と自分に言い聞かせているシーンを思い出したのです。
 続いて、救心の小さな瓶とコップ一杯の水を手にして、何があったのか、がっくりと肩を落としてあぐらを組んでいる父の背中へ「ほら、救心」と声をかけていた夕刻の居間も思い出しました。
〝自分が今、救心にすがるのは、母と同じだ。
 母にこうして生き抜くことを教えられたのだ……〟
 今さらながらに〈〉の実感が胸いっぱいに広がり、手を止めてしまいました。

 顔を洗うのも、歯を磨くのも、トイレを使うのも、何もかも、父母から教えられてできるようになったのです。
 これから修法しようとして取り出す経典はから授けられ、声の出し方も呼吸の仕方も、何もかも、から教えられてできるようになったのです。
〝自分はいったい、いつから、自分一人で生きているような気になってしまったのだろうか……〟

 とは、に育てられたことや、に指導していただいたことなどであると思っていましたが、そうした頭で一括りにできる問題ではありません。
 生きている自分の一挙手一投足がそのまま、から授けられたことごとを離れてはあり得ないという事実。
 自分が生きている今がそっくり、に支えられているという事実。
 この生々しく、峻厳な真実こそが、と呼び得るものなのです。
 あまりに大き過ぎて、言葉にするとずれてしまいます。

 愚かしい私は今頃になってようやく、そのものを掴め始めていますが、これは老いたことと関係があるのかも知れません。
 いわゆる末期の目ほどではなくとも、身近に感じられるが何かを解かし始めているのかも知れません。
 そう言えば、ダライ・ラマ法王は言われました。

が人生の不可分な一部である以上、そしてそれから逃れられない以上、無闇にを恐れるよりはしく付き合った方がいいに決まっている」
しむためには、老後を思うことが役立つだろう。自分の老後を」
「人間は年老い、やがてを迎える。
 そのときになれば、従容として老いたように、従容としてねばいい。
 来世があるか否か、再生するか否か、思い迷う必要はない。
 あるがままの死を迎え、受容すればいい。
 それが死というものだ」


 枕経(マクラギョウ)の後、後片付けをしている私の近くで、夫を亡くした老婦人のつぶやきが聞こえました。

「早く迎えに来てよ。
 私は目が見えなくて、一人でそばへ行けないからね。
 待ってるよ」


 特段、波立った感情も感じられず、まるでサラサラと清流が流れゆく音に似ていました。
「この家族は全員、やるだけのことはやりました、悔いはありません」
 長老の言葉が何を意味しているか、わかるような気が気がしました。

 み仏からいのちを授かり、この世のからで支えられ、自分も知らぬ間に誰かの支えとなり、死を迎える。
 一生とは何と愛おしいものでしょうか。




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「のうまく さんまんだ ぼだなん あびらうんけん」※今日の守本尊大日如来様の真言です。
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2012
12.25

お正月には生き方を修正する修正会(シュショウエ)を行います

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 お正月のご祈祷は元旦から3日まで、午前と午後の合計6回修法します。
 ご都合のよい時間帯におでかけください。
 どなたでも参加できます。
 願い事を書く護摩木(ゴマギ)は1体300円です。

 私たちは、生まれ年によって決まる守本尊様に一生を守っていただきながら日々を過ごしています。
 たとえば巳(ミ)年生まれの方なら普賢菩薩(フゲンボサツ)、酉(トリ)年生まれの方なら不動明王です。
 お正月には、新しい年の過ごし方を考え、さまざまな願いを込めてこうした一代守本尊様を供養する『修正会(シュショウエ)』を行います。
 護摩の火と古来より伝わる大師茶などで心も身体も暖まり、新しい一年が開運の年になりますよう。

・日 時 1月1日(火)~3日(木)毎日、午前10時・午後2時の2回
・場 所 法楽寺講堂
・送 迎 開始30分前に、地下鉄泉中央駅そばの『イズミティ21』前へ送迎車がまいります。
 乗車希望の方は前日午後5時までに必ずご連絡下さい。
「~日、~時のご祈祷に参加します。車をお願いします」と日時をはっきりお示しください。

 なお(http://hourakuji.blog115.fc2.com/blog-entry-3492.html)をご参照ください。

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「のうまく さんまんだ ぼだなん あびらうんけん」※今日の守本尊大日如来様の真言です。
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2012
12.24

怒りや憎しみと武器について ─米コネティカット州の惨劇そして広島と長崎を忘れない─

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(276971445805048489_9XrKDPgr_c.jpgをお借りして加工しました)

 12月14日朝、米コネティカット州ニュータウンのサンディフック小学校で男が銃を乱射し、5~10歳の子供20人を含む26人が殺害されました。
 同町は「米国で最も安全」とされる裕福な町であるにもかかわらず、アダム・ランザ容疑者(20才)一人の狂気が町全体を恐怖に陥れました。
 18日、オバマ大統領は涙を交えて記者会見し、民間人が攻撃用銃器を持つことを禁じる法律を作る必要性について訴えました。
  
 冒頭で、大統領は聖書の一節をとりあげました。

「心を失うなかれ。
 外面的は衰えていこうとも、内側は日々生まれ変わるのだ。
 いっときの苦難は光を、そしてそれを上回る栄光をもたらす。
 だからこそ見えるものを見つめるのではなく、見えないものをみようではないか。
 目に見えるものはいっときにすぎないが、みえざるものは永遠のものだからだ。
 私たちが住まう地上の天幕が朽ちようとも、私たちには神から賜った家がある。
 それは天国のとこしえの家であり、人の手によるものではない家なのだ」


 最後に、亡くなった全員の名を読み上げ、締めくくりました。

「神はこの子たちを家に召したのです。
 残された私たちは、前に進む力を探しましょう。
 そしてこの社会を、あの子たちの生きた証に恥じないように努めましょう。
 主の恵みを。
 亡き者たちが主の平安の地で常しえに住まわんことを。
 主の安らぎを願う我らに恵みを。
 そして主の恵みがこの地域とアメリカ合衆国に注がれんことを。」


 21日、全米ライフル協会(NRA)は記者会見を行い、「すべての学校に、武装した警察官を配置すべきである」と訴えました。
 主張の根幹は、「銃を持った悪人の行動を制止できるのは銃を持った善人しかいない」という点にあり、銃の所持規制よりも必要なのは「暴力的シーンにあふれたゲームや映画の制限」であるとしました。
 ブルームバーグニューヨーク市長はこの意見を批判しています。
「NRAは自分たちが生み出してきた問題に向き合わず、万人が武装し、どこも安全でない、より危険で暴力にあふれた米国のビジョンを示しただけである」

 一連のできごとは、私たちに大きな選択を突き付けています。
 暴力を抑えるのに、武器を用いるのか、それとも人間を変えるのか。

 大統領は、キリスト教徒の立場から述べました。

「ただひとつ確実なのは、私たちができるのは、子供たちを愛し、家族を愛し、お互いに愛するということです。
 小さな子供を抱きしめるときのぬくもり。
 そこにはウソはありません。
 子供たちの思い出、子供たちから得られる幸せ、子供たちの目に輝く奇跡の光、子供たちに向けられる私たちの無限大の愛情、無私の愛情、そして自分こえた存在への結びつき。
 こうしたことこそがより重要なのです。
 正しいことをしていると確信できるのは、子供を育て、きちんと教育をし、慈しみの行いを示しているときこそなのです。
 それができれば、私たちが過つはずはありません。」
「イエス・キリストはこういわれました。
『幼子たちを私のもとに来させなさい。
 妨げてはならない。
 天の王国は彼らのものなのだから』」


 仏教徒である私はこう考えます。
私たちすべてが煩悩(ボンノウ)を克服しない限り、この世から暴力はなくなりません。
 だから、私たちは二つのことを実践すべきです。
 一つは、悪しき心が起こらないよう、心を浄化し、心をコントロールする訓練を怠らないこと。
 もう一つは、悪しき考えを実行するための道具を作らないこと、つまり、武器と兵器を限りなくなくすことです。

 もちろん、核兵器は廃絶せねばなりません。
 人間が核兵器を作り所持するいかなる人道的理由もありはしません。
 私たちは、広島原爆を落とした爆撃機エノラ・ゲイに乗っていた副操縦士ロバート・ルイスの言葉を忘れてはなりません。
『……神よ、われわれは何ということをしたのか!(My God, what we have done!)』
 最近、たかが半世紀経ったからといって、もう原爆のことは忘れたのかと思うほど、ほとんどの政党も政治家も、核兵器廃絶を言わなくなりました。
 私たち人間の心は、お釈迦様の時代に比べてどれだけ浄化され、倫理的・道徳的にレベルアップしているのでしょう。
 しかし、確かなのは、武器や兵器が2500年前とは次元が異なるほど高性能化していることです。
 人の心が向上せず、他人を殺傷する道具が性能を増しているとしたら……。
 私たちは、宗教宗派を問わず、自らを慎み、悪魔の道具を捨てるしかないではありませんか。
 政治家も宗教者も、私たちの行くべき先をしっかりとイメージする必要があると思います。」

 以下、貴重な資料につき、「バラック・オバマ大統領のコネティカット銃撃事件追悼スピーチ全文訳」を紹介しておきます。
(http://blogs.yahoo.co.jp/hiroshikey66/64134007.html)

バラック・オバマ大統領のコネティカット銃撃事件追悼スピーチ全文拙訳

知事、ありがとうございます。遺族のみなさん、救助にかけつけたみなさん、ニュータウンの住民のみなさん、聖職者のみなさん、そしてここにいらしたみなさん。聖書にはこうあります。「心を失うなかれ。外面的は衰えていこうとも、内側は日々生まれ変わるのだ。いっときの苦難は光を、そしてそれを上回る栄光をもたらす。だからこそ見えるものを見つめるのではなく、見えないものをみようではないか。目に見えるものはいっときにすぎないが、みえざるものは永遠のものだからだ。私たちが住まう地上の天幕が朽ちようとも、私たちには神から賜った家がある。それは天国のとこしえの家であり、人の手によるものではない家なのだ」(コリント人への第二の手紙より)

今日我々が集まったのは、20人のかけがえのない子供たちと、6人の立派な大人たちを偲ぶためです。みな学校で命を落としましたが、それは他の学校で起きてもおかしくはないことでした。善良な人々が暮らす静かな町で起きたことは、アメリカのほかのどこでも起こりうることでした。

ここニュータウンに私が来たのは、国を代表して愛惜と祈りをささげるためです。言葉だけでは、みなさんの悲しみを癒すには足りないことは十分に心得ています。みなさんの心の傷を癒すことにもならないでしょう。ただ願わくば、みなさんが独り悲しむのではないということを知っていてほしい。我々が住む社会そのものが破壊されてしまったのです。この国すべての人たちがみなさんとともに涙にくれています。みなが子供たちをしっかりと抱きしめました。そして知っていてほしい。どんなことでも慰めとなるようなことを伝えるつもりです。このたいへんな重荷を少しでも軽くできるよう、少しでも悲しみに共感したいと願っています。ニュートンのみなさんは決して孤立してはいないのです。

ここ数日のきびしい日々がすぎ、人々はみなさんの強さや勇気や自己犠牲についてを知りました。サンディ・フック小学校の講堂に危機が迫ったとき、学校関係者は決して怯むことなく、躊躇もしませんでした。ドーン・ホックスプラング、メアリー・シャーラック、ヴィッキー・ソートー、ローレン・ルーソー、レイチェル・ダヴィーノ、そしてアン・マリー・マーフィー。この人々は、他の誰であれ、あの恐ろしい状況下でそう対応すべきと願うであろう行動をとったのです。勇気と愛情をともない、子供たちを守るために命を捧げたのです。

教師の方々の中には、教室の中で人間の盾となり、毅然たる態度をとり続けたそうです。そして生徒たちにこういいました。「いい人たちが来るのを待とう。きっと来るから。そのときは笑顔で迎えよう」

そして「いい人たち」はやってきました。現場に急行した救助隊は、安全な場所へと彼らを誘導し、子供たちを落ち着かせました。責任感から、そして彼らを必要とするほかの子供たちのため、自分のショックやトラウマ状態は二の次と考えたのです。

子供たち同士もお互い助け合ったそうです。お互い抱き合い、子供たちがそうであるように指示にしっかり従いました。ある子供は大人を勇気付けようとしてこういったそうです。「僕はカラテが得意なんだ。だから大丈夫。みんなを助けるよ」

ニュートンのみなさんは、一つのコミュニティとして私たちに感銘を与えました。いいようのない凶暴さに直面し、どうしようもない悪を前にして、お互いを気遣い思いやり、そして愛情を与え合いました。このことでニュートンは人々の記憶に残るでしょう。時間をかけ、神の恵みと共に、このような愛情は人々の心に広まってゆくでしょう。

しかし国民としては、私たちには厳しい問いがなげかけられています。ある人が、親であることの喜びと心配を表現してこういっていました。まるで常に自分の体から心が離れて歩き回っているようなものだ、と。生まれてはじめての泣き声という、もっとも大切な生命の瞬間とともに、私たちの子供は外界にさらされますが、そこには災難や悪意がつきものです。だからこそ親であれば、どんなことよりも優先して子供たちを災厄から守ろうとしないはずがないのです。

しかし同時に、子供がこの世での最初の一歩を踏み出し、その後成長を続けてゆくと共に、私たちのもとからは離れてゆきます。そして常に子供のためにいてやれなくなるのです。子供たちは病気にもなるし、挫折もし、失恋も経験し、失望もするでしょう。そこで我々が学ぶのは、もっとも大切な親の責務は、子供たちが自立し、能力をもち、立ち直る機会を与えるということです。すなわち外の世界に恐れることなく立ち向かう準備を授けることなのです。

このことは誰かの助けなしにはできません。そのことを痛感すればショックを受けるかもしれませんが、どれほど自分の子供たちを愛していても、自分だけではできないことなのです。子供たちを安全に育て、きちんと教育するという私たちの責務は、人々と共になしうることです。友人や近所の人々や地域や国家の助力が必要なのです。その意味では、我々はすべての子供に責任を負っています。お互いがそれぞれ助け合う上では依存しているからであり、その意味では我々はみな親だからです。そしてすべての子供たちは私たちの子供たちだといえるからです。

最優先事項なのは私たちの子供たちを大切にすること。それにまさる責務はありません。それがきちんとできずしては、何事もまともにできるはずがないのです。この責務がきちんと果たされているかどうかが、私たちの社会の判定基準なのです。

しかしその基準でいえば、私たちは国民として、その義務を果たしているとしえるのでしょうか?率直にいって、子供たちを危険から守るために十分な行いをしているといえるのでしょうか?子供たちのために存在し、子供たちが愛されていると声を大にしていえるのでしょうか?われわれはこの国のすべての子供たちが、幸せに、そして目的意識をもって生きるに値する上での助力を行っているといえるのでしょうか?

私は事件が起きてからの数日、このことを考え続けました。率直にいえば、その答えは「ノー」です。私たちの行いは不十分です。何かを変えねばなりません。

私が大統領職に就いてから、銃乱射事件によって破壊された地域への集会に訪れたのは4度目です。4度、生存者を抱きしめました。4度、犠牲者の遺族を哀悼しました。その間、この国での銃撃での死亡者は絶えることがなく、毎日のように犠牲者の統計が発表され、しかもその多くは子供たちです。全米いたるところで町の大小を問わず、たいていその犠牲者の唯一の過失といえば、その場所とその時間にそこにいなければよかったというだけなのです。

もうこのようなことを見過ごすわけにはいきません。悲劇は終わらせなければならない。犠牲者のためにも、何か変えなければならないのです。こうした凶行の背景は複雑だという議論が何度もなされてきました。しかしそれは真実ではない。法律の一つや二つができようと悪は世の中からはなくない、この社会から理不尽な暴力をなくすこともできない、などという議論です。

しかしそれが不作為の言い訳になってよいはずがありません。確実に私たちは少しは社会をよくすることはできるのです。たとえ小さな一歩だとしても、子供や大人や地域社会を、トゥーソンやオーローラやオーク・クリークやここニュー・タウンで起きた悲劇から守るために、何かができるはずです。だとすれば、確実に何かをしなければならないのです。

今後数週間のうちに、私は職務上のいかなる権限をも行使して、法律家や精神医療専門家から親たちや教育者にいたるまで国民の皆さんに約束します。それは、今回のような悲劇が二度と起こらないことを目指し尽力することです。他の選択肢があるでしょうか?毎年のように子供にふりかかるこのような暴力が、自由の対価のようなものだなどと、胸を張っていえるでしょうか?

今日、世界中で信仰されている宗教のすべては、単純な問いかけが原点です。なぜわたしたちは存在するか。私たちの人生にはどんな意味があるのか。私たちの行いにはどのような目的があるのか。私たちの一生ははかないものです。そして私たちは一人一人がそれぞれ役割や楽しみや悩みをもっています。金銭や権力、または一時の快楽などの世俗的な目的を求めたとしても、多かれ少なかれ期待通りにはゆかないことが多いのです。どんなにやる気にあふれていても、挫折することもたびたびあります。失敗もするし困難にも突き当たります。正しい行いをしようとするときにでさえ、たいていは暗中模索しながら、神が与うものをみつけることがなかなかできません。

ただひとつ確実なのは、私たちができるのは、子供たちを愛し、家族を愛し、お互いに愛するということです。小さな子供を抱きしめるときのぬくもり。そこにはウソはありません。子供たちの思い出、子供たちから得られる幸せ、子供たちの目に輝く奇跡の光、子供たちに向けられる私たちの無限大の愛情、無私の愛情、そして自分こえた存在への結びつき。こうしたことこそがより重要なのです。正しいことをしていると確信できるのは、子供を育て、きちんと教育をし、慈しみの行いを示しているときこそなのです。それができれば、私たちが過つはずはありません。

それこそが唯一確実なことなのです。それこそが、ここニュー・タウンの皆さんがあらためて教えてくれたことです。みなさんをみて心をうたれました。何が大切なのかを示してくださいました。そしてこのことこそが、何事においても、私たちの日々の行いでの原点なのです。そうであってこそ、神が私たちが地上に存在する意義を見出してくださるでしょう。

イエス・キリストはこういわれました。「幼子たちを私のもとに来させなさい。妨げてはならない。天の王国は彼らのものなのだから」 (マタイによる福音書19:14)

シャーロット、ダニエル、オリーヴィア、ジョセフィーン、アンナ、ディラン、マドレーヌ、キャサリン、チェイス、ジェッシー、ジェイムズ、グレイス、エミリー、ジャック、ノーアー、キャロライン、ジェッシカ、ベンジャミン、アヴィール、アリソン

神はこの子たちを家に召したのです。残された私たちは、前に進む力を探しましょう。そしてこの社会を、あの子たちの生きた証に恥じないように努めましょう。

主の恵みを。亡き者たちが主の平安の地で常しえに住まわんことを。主の安らぎを願う我らに恵みを。そして主の恵みがこの地域とアメリカ合衆国に注がれんことを。





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「のうまく さんまんだ ぼだなん あびらうんけん」※今日の守本尊大日如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。





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2012
12.23

 2013年1月の運勢(平成25年1月の運勢)─流れの生かし方と人生修行─

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 2013年1月─平成25年1月(睦月…1月5日から2月3日まで)─の運勢です。
 運気の流れによる注意点を参考にし、人間修行の六波羅蜜(ロッパラミツ)行で改運し、開運し、快運となりますよう。

一 障碍にめげず、やがて来る春を辛抱強く待ちましょう 

 今月の運気は「渋滞」を特徴としています。
 ものごとが順調に進まない時期は、忍耐という形で自分を鍛えましょう。
 この場合、ただ我慢するだけではなく、これまでとは異なった視点から対象を見直すのも一法です。
 たとえば、自分の方針に頑として反対する人がいる場合、相手を〈この分からず屋〉としか見てこなかったのではないでしょうか?
 膠着状態は、相手が理解力に欠けていることだけが理由なのかどうか、立ち止まって考え直す必要があります。 もしかすると、以前、相手へ不快な思いをさせる言動があったのではないしょうか?
 あるいは、話を持ちかける順番をまちがうなど、不手際や考慮に欠けた面はなかったでしょうか?
 また、反対している〈理由〉だけではなく、〈気持〉をもよく想像してみる必要があります。
 人は思っている以上に感情的な動物です。
 道理など簡単に吹っ飛ばしてしまい、正されれば依怙地になったりするのも現実です。
 こんなことを考えつつ、希望を失わずにやってみてはいかがでしょうか。

二 一人でくよくよ心配せず、信頼できる相手を選んで、気軽に相談してみましょう

 自分の考えで突破できなくなると、考えがぐるぐる回りだしたりします。
 あるいは、何度も同じ筋道を行ったり来たりもします。
 ここで警戒せねばならないのは、思考停止してしまうことです。
「もう、いいや」となれば必ずろくな結果になりません。
 志を捨てるか、あるいは自爆的な行為に走るか、あとになって「ああして良かった」とはとても思えない結果になること必定です。
 こんな成り行きをたどるくらいなら、多少、プライドが傷つこうが、面倒だろうが、この人ならと思う誰かの懐へ裸で飛び込んでみるべきです。
 もしも相手の人となりを見誤ったならば、自分の眼力のなさを恥じ、悔いるしかありません。
 選び方のポイントを一つ挙げるならば、何であれ「道の人」であることでしょうか。
 私には、なかなか果たせない願いがあります。
 それは斎場でお世話になっている皆さんと胸襟を開いてお話しすることです。
 いつも、淡々と、しかし、おざなりの気持はみじんもなく、仕事をこなしておられる方々は、私には何かを教えていただける「道の人」に思えてなりません。
 どなたの身近にも必ずそうした人がおられるのではないでしょうか。

三 もしかして、自分は誰かへ何かを強いているかも知れません。それはどういうことか、省みてみましょう 
 人は一人では生きられません。
 誰かの〈おかげ〉があればこそ、今の一瞬を過ごしていられます。
 それと同様に、誰しもが、誰かに対して何かを強いてもいるはずです。
 たとえば、弱くなった妻が「お父さん、灯油がないよ」と言います。
 ほとんど座っているだけの妻の背中にある小さなストーブが消えたのです。
「はいよ」と仕事の手を休めてお勝手へ走りながら考えます。
〝今まで、これはずっと、妻の仕事だった。
 自分が家事の何かについて口にすれば、ほとんど自動的に妻が応えてくれていた。
 何もかもが、当たり前だった。
 ときおり、ありがたいとは思っても、ただそれだけで、もしかして強いていたのではないかと気づきはしなかった。
 軽々しい〈おかげさま〉にとどまらず、それと気づかぬままに〈強いている〉自分の傲慢さ、身勝手さをもっとしっかり省みるべきだった〟
 決して害する意識が伴う悪心からではなくても、思い込みや勘違いや思慮不足のために、無意識の裡に心ならずも強いながら生きている存在であることに思いをいたすのは、意外なほど心の清めになりそうです。
 ただし、これはあくまでも一心の問題であり、客観的な事実がどうであるかということとは必ずしも一致しません。
 妻の背中を暖める役割は私にしか果たせず、強いられていると言えなくもありませんが、私の心中の真実は別です。
 強いて来たことに気づかせてもらった感謝と早く気づいてやれなかった懺悔、この二つしかないからです。

四 もうだめ、というところまで行かないうちに、思い切って一休みしてみましょう

 一休さんの名前の由来です。
「有漏路(ウロジ)より無漏路(ムロジ)へ帰る一休み雨降らば降れ風吹かば吹け」
(私たちは、煩悩の汚れ、穢れが心身から漏れ出してやまないこの俗世にあって、そうしたものがないみ仏の世界へ帰る旅人である。
 憂き世の風が吹くなら吹くにまかせようではないか。
 雨が降るなら降るにまかせようではないか)

 今月の六波羅蜜行と運勢です。
 精進しようではありませんか。
 皆さんの開運を祈っています!

布施(フセ)行と運勢水を供えましょう。
 精進の人は己を知り、和順を第一にして急進せず、無事安全です。
 不精進の人は勝手な陰謀術数に走り、無知無才を露呈して危機に陥りがちです。
持戒(ジカイ)行と運勢塗香(ヅコウ)で身と心を清めましょう。
 精進の人は表面穏和でも内心は強い警戒心を解かず、争いを避け無事安全です。
 不精進の人は自分から争いを招きがちです。
[忍辱(ニンニク)行と運勢お花を供えましょう。
 精進の人は野心を出さず、道を守って前進します。
 不精進の人はたった今、目の前の喜びを求め、嫉妬などに足を引っぱられて失敗しがちです。
[精進行と運勢お線香を供えましょう。
 精進の人は見切り千両と腹を決め、援助者が出て救われます。
 不精進の人は無常や不条理へ無謀な戦いを挑み、当てが外れて失敗しがちです。
禅定行と運勢]飯食(オンジキ)を供えましょう。
 精進の人は早くから危険防止に努め、徳行が役に立って無事安全です。
 不精進の人は不相応な力勝負に出て自ら失敗を招きがちです。
智慧行と運勢]灯火を供えましょう。
 精進の人は自分の高慢心を知って自重し、危険を未然に防ぎます。
 不精進の人は自分を買いかぶり、女性や子どもに見破られて失敗しがちです。




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2012
12.23

兵を死なせない将であって欲しい

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 国を守る立場で励んでおられる方々へ申し上げました。
たる方は、民間人はもちろん、を絶対に死なせないという覚悟で務めを果たしていただきたいと念じています。
 一たりとも決して死なせない。
 この場合の〈〉は自分の部下だけでなく、相手方の部下も含めてです。
 たるもの、ぜひ、こうした覚悟を腹に秘めて相手方と対峙し、交渉していただきたいのです。
 そうすれば、そうなる可能性を高めることができましょう。
 もし、相手方のにも同じ心構えがあれば、戦わずしてことを収められましょう。
 国を背負う方には、自決した大西瀧次郎を忘れないでいただきたいのです。
 私は僧侶ですが『いのちより大事なものはない』と思ってはいません。
 しかし、『たとえいのちをかけようと』と思うものがすべて、私たちのいのちの世界にしかないことも事実です。
 矛盾しているようですが、今の日本、今の私たちの精神文化にあっては、こう考えるしかないと思っています。
 を死なせず勝利する。
 大西瀧次郎とは方法が異なっても、同じ心で国難にぶつかる。
 よい仕事をされるよう、祈っています」




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2012
12.22

三十七の菩薩(ボサツ)の実践(第三十六回) ─言いわけをせず、ただ、利他を実践する─

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「要約するなら、どこでもどんなときも何をしようとも
 自らの心の在りようがどんな状態であっても
 常に念(記憶)と正知を利用して利他を成し遂げようとする
 それが菩薩の実践である」


 要約すれば、菩薩行とは利他行であるということです。
 その実践を行わなければ、いかなる言いわけも通用しません。
 菩薩にとって、利他行を実践できないいかなる場所も、時も、状況も、心の状態もありません。

 たとえば、誰かを憎んで思いやりの心を向けられないとしましょう。
 それによって相手はどうなりますか?
 憎まれただけでは痛くもかゆくもありません。
 憎む当人はどうでしょう?
 決して心は晴れず、不快なモヤモヤに苛まれ、相手を傷つけるためのさまざまな妄想が雲霞の如く湧いてきて、ますます恨みが深まったりもします。
 もしも、思いあまって強迫めいたメールを送ったり、面と向かって暴言を投げつけたりしたならば、相手との関係はいよいよ二進(ニッチ)も三進(サッチ)もゆかなくなります。
 更にエスカレートすれば刑事事件にもなりかねません。
 そうした愚行のどれもが、相手を傷つけるだけでなく、自分自身をそれ以上に傷つけないではおきません。
 もし、相手方に誰からか憎まれても仕方がないだけの理由があった場合であれ、事情は同じです。

 そして、ある日、相手の幸せそうな様子を目にしたならば、天地ほどの分かれ目となる瞬間が訪れます。
 憎しみが100倍になり、堪忍袋の緒が切れ、十善戒に背く悪行へ走るか。
 それとも、誰であっても他の喜びを我が喜びとして喜ぶべきであることを思い出し、喜んでいる相手そのものになってみるか。
 前者は地獄行きの道となり、後者は憎しみを心から追い出す悟りへの道となります。

 後者になるためにこそ、私たちは「観」という分析的な瞑想を修行しているのです。
 経典に則り、道理を用いた思考によって、心を清くする道筋を理解し、よきイメージそのものになり切る訓練です。
1 これを行っている行者は、もしも悪しき心が起こり他を害したい気持になった時、「自分は菩薩行の実践者である」と、我に返ることができます。
2 これを行っている行者は、つねに自分の心の状態を観察しており、責任の持てる行動をとれます。
3 これを行っている行者は、正しい臆念が身につき、正しい智慧がはたらき、利他行を実践できます。


 またしても、映画悪人の場面が思い出されます。
 非情な仕打ちでいのちを落とした娘の父親が犯人の一人とおぼしき男の居所を突きとめ、コートの下へバールを隠し持って対面します。
 そして、まさにバールを取り出そうとした時、怯えている相手の愚かしさに気づき、こんな者を相手にしてはいられないと冷静な心がはたらいて、その場を去ります。
 我を忘れず、自他の愚かさを客観的に観たからこそ、第二の悲劇を回避できました。
 常々の心の持ちよう一つで、天と地ほども違う運命を創ります。
 私たちは、日々、おりおりにこうした分かれ道のどちらかを選びつつ生きているという事実を考える時、み仏のお導きはまさに灯火であると思え、合掌してしまいます。





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2012
12.21

人生相談に想う

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 人生相談を始めてから約20年経ってみると、「ずいぶんと教えていただいたなあ」というのが実感です。
 皆さんの悲しみや怒りや辛さや切迫感はすべて私の心にもあり、そうしたものを皆さんと一緒にみ仏の前へ並べてみると、必ず、〈真剣な思い=まごころ〉へたどりつきます。
 それは根のようなものであり、教えによってみ仏智慧をいただき、祈りによってみ仏慈悲をいただいて光や養分にすると、いつしかそこから新たな茎が伸び、周囲の縁が水となって新たな花が咲いていたりします。
 こうした成り行きを私は予言しません。
 自分がみ仏ならぬ身であることくらいはわかっているつもりです。
 可能性を信じて、教えと祈りにおすがりしているに過ぎません。

 よく、「鑑定していただけますか?」と〈当てもの〉を望むかのようなお問い合わせがあります。
「無責任な予言はしません。み仏の教えに依って、問題点を共に考え、時には祈ります」とお答えしています。
 そもそも、自分の心もよくわからず、自分の明日もわからず、自分の心をコントロールできない凡夫に、他人様の心や未来を〈知って、教える〉などということができましょうか?

 私などには、み仏にお守りいただく法を結んでから、皆さんが抱えてしまった問題へ自分の問題として取り組むことしかできません。  
 皆さんとは別の人格を持ち、法に入っている行者としての思考や感覚や感情などを動員して、できるだけ、み仏の視点に近いところから問題をとらえ直し、み仏の子としての対応法を考え、提案します。
 心身のしこりを解き、運勢を転化させるためにみ仏のお力をいただいた方が良いと判断すればご加持やご祈祷、あるいはご供養を提案します。
 あくまでも皆さんご自身でベストと思える生き方、ご加護の受け方を考えていただきます。

 もちろん、ある程度、断定的にお話しした方がよいと思えるケースでは、そうした話し方を用います。
 ただし、自分へ厳しく戒めているのは、希望を持ち皆さんの力が増す方向であれば、断定的にお話しし、不安を持ち皆さんの力が落ちる方向であれば、決して断定的にお話ししないことです。
 それらが〈当たるかどうか〉は畢竟、結果でしかなく、まったく問題ではありません。
 み仏の教えに則り、人の道、救いの道にそっているかどうかだけが問題です。
 年配者へ「そのうちに身近な人が亡くなるでしょう」と言ったり、元気のない人へ「悪霊が憑いているのでどんどん不調になるでしょう」と言ったりして皆さんへ不安を持たせ、〈当たる予言者〉になっても仕方がありません。
 
 そもそも、〈真剣な思い=まごころ〉に導かれてみ仏の前へ足をはこばれる方々の多くは、気づかぬうちに、何らかの〈答〉を持っておられるものです。
 袈裟衣を着ける私の仕事は、産婆さんのようなものです。
 それが無事、陽の目を見、皆さんに希望と勇気が湧くよう、皆さんの側にいて考え、祈るだけです。
 皆さんから教えていただいた心と人生の多様性に対応できる柔軟性が失われないうちは、お役に立ちたいと念じています。




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2012
12.20

【現代の偉人伝】第162話 ─「交響曲第一番《HIROSIMA》」を書いた作曲家・佐村河内 守─

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 昭和38年9月21日、広島市に生を受けた作曲家・佐村河内(サムラゴウチ)守氏の両親は、爆心地から3キロの所で被曝している。
 被曝者二世の氏は、35才の時、聴覚を失う。
 氏は講談社発行の『交響曲第一番』へ記す。

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「私は人生の約半分を聴覚障害者として過ごし、今は全聾として生きています。
 診察を受けた医師のほとんどが私の聴覚異常の確実な原因はつかみきれません。
 幼いころリウマチ熱で生死の境をさ迷ったことも一因にあるかもしれませんが、中には『被曝二世の遺伝的可能性が絶対にないとはいいきれない』とする医師もいます。」


 絶対音感を持っている氏は、全聾となった後もすさまじい頭痛と耳鳴りとを抱えつつ、20年の歳月をかけ、「交響曲第一番《HIROSIMA》」を完成させた。
「絶望と悲しみと虚無が闇の中でループしながら膨れあがっていく」といった地獄の闇で、時には死と闘いつつ書かれた作品の第三楽章「希望」を、私は、この1ヶ月の間、車中を含め1日たりとも欠かさず聞き続けている。

「私は《交響曲第一番》の完成を目前としながら、悶絶する日々を送らねばなりませんでした。
 さらに、この〈重度上〉の耳鳴りに、それを上回る〈最重度〉レベルの耳鳴りの発作が加わったのです。
 発汗や嘔吐を伴う硬直のあと、激しい全身痙攣が起こり、発作が長引けば気絶してしまうこともありました。
 そんなときは、ほとんど例外なく失禁しており、鼻からもたびたび出血しました。」


 こうした想像を絶する状況でことを成し遂げた直後、氏は自殺をはかり、「発作も弱まり、重いまぶたを開けた私の目に映ったものは、玄関先の物置から散乱したその中身と嘔吐物、それはロープやヒモ涙を物色した痕跡でした。」という結果に終わる。

 こうした苦闘の中、たまたま訪れたつかの間の静寂に幸福感を覚えた時、啓示を受ける。

「苦しみ闘う人々の支えになる音楽……それは、誰よりも苦しみ闘った者の手からしか決して生まれないのだ!
 そんな音楽を成しえたいと望むのなら、その『闇』に満足し、そこにとどまれ!」


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 氏は「事あるごとに両親や祖父母に、戦争や被曝の体験を聞き出そうと食い下がった」ことがあるが、「ある一定以上からは口が重くなって」しまい、断念していた。
 マンガ「はだしのゲン」に両親を重ね合わせ、「感謝と尊敬の念」を抱くようになったが、「闇」に堕ちてからは、こうした思いが強まる。

「原爆投下直後の惨状は『地獄以上』と語り継がれています。」
「被曝し生き残った人たちは、自分が傷ついただけでなく、親兄弟姉妹を焼きつくされ、近親の命を奪われた人たちです。
 また、黒い雨に打たれ、体内に残留した放射能により、のちのちまでも苦しめられてきた人たちばかりです。」
「私の両親も闇の底から出発したのです。」
「私の体内に流れているのは原爆の血そのものなのです。」
被曝者の多くが高齢に達しようとしている今、私は作曲家である前に、世界唯一の被爆国の国民として、ヒロシマの被曝二世としてこの悲劇を語り継ぐ義務があると思っています。
 作曲家になったのは親から教わったことに始まる後天的な遺志であり、被曝二世は親から受け継いだ先天的な血だからです。」
アインシュタインは、『私は、第三次世界大戦がどのように戦われるか知らない。しかし、第四次世界大戦ならわかっている、人類は石と棒で戦うことになるだろう』と予言しています。
 この言葉に戦慄をおぼえないとすれば、それは大変危険な感性ではないかと思います。
 彼はまた、こうも言っています。
『無限なものは二つある。宇宙と人間の愚かさです。前者については断言することはできないのですが』」
「『見下ろすと、広島の街が消えていた。……神よ、われわれは何ということをしたのか!(My God, what we have done!)』これは、エノラ・ゲイ(広島に原爆を投下した大型爆撃機B29)の副操縦士ロバート・ルイスの言葉です。
 私は特定の一国や一個人を怨むのではなく、人間の愚かさを憎みます。
 過ちをくり返してしまう〝人間の愚かさ〟という本質に恐怖するのです。」
「『闇』の中で悶絶するうちに私は、自分自身の使命として、原爆とそれに対する思いだけを音で綴るべきではないかと考えるようになったのです。」



 エピローグは「一を得るために九十九を捨てる」とされている。

「己が非力を骨の髄まで痛感したとき、人は絶望し、闇に堕ちるでしょう。
 闇の底に堕ち、初めて自分は何もできない、否、これまでも一人では何ひとつできていなかった、ということを思い知らされるのです。」
「人は光の中にいると、小さな光は見つけにくいものです。
 だから、次から次により強い光を求めてしまいます。
 人は闇に堕ちて初めて、小さな光に気づくのでしょう。」
「真実は闇の中にこそ隠されている──宝物は決して光の中でなく、闇の中にこそ巧みに隠されているように。」


 私は今日も、運転中に、あるいはすべての法務と家事を終えた後に26分53秒、第三楽章を聴き、涙を流す。
 氏と同じく呻吟する方々へ思いをいたし、自分の闇を忘れず、それを打ち払う史上最強の大団円によって務めを果たす力を回復したいと願いつつ。




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「おん あらはしゃのう」※今日の守本尊文殊菩薩様の真言です。
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2012
12.19

専業主婦への回帰 ─ストリンドベリが書いた『改革の試み』─

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 厚生労働省の国立社会保障・人口問題研究所によれば、「第4回全国家庭動向調査」(平成20年7月に実施)において「夫は外で働き、妻は主婦業に専念すべきだ」とする既婚女性の割合が増加に転じています。
 前回調査(平成15年)よりも3・9ポイント上昇の45%です。
 29歳以下は47・9%に達し、5年の間に12・2ポイントも増加していました。
 平成5年には53・6%、平成15年には41・1%と減少傾向が続いていたが、初の増加となりました。

 20世紀初頭まで活躍したスウェーデンの作家ヨハン・アウグスト・ストリンドベリに『改革の試み』という小説があります。

 パリに一人の進歩的な娘がいました。
「世の女性たちは男に媚びて自分の幸せを掴もうとしてばかりいる。
 私には我慢できない。
 男などの世話にならず、独力で生活しよう。」
 そして、造花の稽古に励んでいました。
 また一人の男性画家がおり、装いと男にしか関心のない女性を嫌っていました。
 こんな二人はめぐり会い、アパートで共同生活を始めました。
 部屋は夫婦それぞれ別です。
 おはようと朝に挨拶し、妻は市場へ買い物にでかけ、夫は部屋の掃除をし、朝食が終わればそれぞれの仕事にかかります。
 昼食時には妻がお湯を沸かし、夫は食卓の準備をして、午後3時には一緒にお茶を飲みます。
 夕方は連れだって散歩し、食事が終われば「お休み」と各自の部屋へ帰ります。
 友人たちは「あれそこが理想の生活である」と羨ましがっていましたが、そのうちに妻の様子がすぐれなくなりました。
「風邪だろうか?」
「風邪ではなかろう」
「おかしなばい菌のしわざか?」
 こんな噂がたったのもつかの間、妻は子どもを産みました。
 妻は泣き出します。
「こんなことになったら、私はもう、仕事でお金儲けができない」
 夫は優しくいたわります。
「心配しなくてもいいよ。
 ぼくがちゃんと君を養ってあげるからね」


 改革という言葉が紙よりも薄く軽くなり、いかがわしさや腐臭さえ漂わせ始めた昨今、およそ100年前の小品は、遙かな東洋の島国日本でますます重みを増しています。




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「のうぼう あきゃしゃきゃらばや おん ありきゃ まり ぼり そわか」※今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。





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2012
12.19

東日本大震災 ─東北関東大震災・被災の記(第121回)仙石病院理事長神部廣一氏がふり返るあの時(2)─

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〈「東日本大震災の検証」からお借りして加工しました〉

 仙石病院理事長神部廣一氏が、建設新聞社発行の「東日本大震災の検証」へ「大震災と医療~民間病院の経験を通して~」を書いている。

2 亜急性期

「2週間目から一日一回は弁当が配給になった。
 配給はすべて自衛隊が運搬してくれた。
 食事のランクが上がるたびに歓声をあげたものである。」


 仙石病院では、「入院患者の給食は職員の家庭の米を持ち寄ってカロリーを主体につないでいた」という。

「一週間目からプロパンガスが復旧し、給食業者による食材の供給が再開したので、ほぼ通常給食に戻すことができた。」


 医師のほぼ全員とスタッフの相当数が3週間ほど病院へ泊まり込んだが、患者以外の食料は支援物資だった。
 最初はおにぎりや菓子パン、一週間後あたりからは厨房がときおり「芋だけのシチューやみそ汁」を作り、そして冒頭の弁当へと結びつく。
 だから、「歓声をあげた」のは病院で砕身している人々だ。
 職務をまっとうしようと体力と気力と智力の限りをふりしぼり、ようやく食事の時間が訪れ、食べ物を見て「うわあ!」と思わず声を出す場面を想像すると、またもや涙をもよおしてしまう。
 どんなにかありがたく、どんなにか嬉しく、どんなにかおいしかったことだろう。
 戦場で戦う人々といえども、生きものである。
 腹の底から湧いてくる無垢な思い、そしてどの笑顔からも放射したであろう光を想うと、切なくさえなってくる。

「メデイア取材にも考えさせられた。
 急性期に記者が取材に来た例は一つもなかった。
 この結果、信じられないことに当院の開院状況は5月初めまで報じられず、5月16日の固定電話復旧までの約2カ月間、患者にとって当院が受診可能かどうか知る手段はなかったのである。
 それまで何の接触もなかったのに、電話が通じるようになると、電話取材が頻繁になった。
『足で取材する』という記者魂は現代のニュースメデイアでは死語になったのだろうか。
 そういえば、福島県の被災地にも記者は寄り付かず、外注のカメラマンなどに取材させていると聞いたこともあるが、さもありなんと思われる。
 メデイアには情報発信者として大いに反省してもらいたい。」


 3月17日、仙石病院に電気が復旧した様子はNHKテレビでチラリと流れ、私は「アッ、やっている」と機能していることそのものを喜んだ。
 しかし、確かにそれだけだった。
 それにしても、現場確認の「外注」とは──。

3 慢性期

「被害の大きかった東北地方沿岸地域(内陸過疎地も同じだが)は老人人口が多く、小泉改革以来、医療費抑制を目的に長期入院の抑制、およびそれとセットになった老人の在宅医療へのシフトが政策として進行しており、慢性期病棟の極端な減少が平時から急性期病院の受け皿不足という形で一般病院の効率化を著しく妨げていた。
 これらの田舎の悲鳴には目もくれず、入院期間のさらなる減少を進める政策が基幹病院の効率化という名目のもとにさらに進行しつつあった。」


「震災で自宅の居住が不可能になった結果、要介護者の健康が損なわれるのは当然の帰結で、もともと少なかったこの地域の施設に、新たに病人として発生してきた老人弱者を受け入れる余裕は全くなかったのである。」


田舎の悲鳴」は忘れられない。
 都会で旗を振る人々の耳へはほとんど届いていないのだろうか。

「このような視点から今後の医療政策を全体として眺めると、喪失した病院機能の復活問題は一部にすぎない。
今後増大する老人患者、弱者を社会としてどう扱うかという、これまで真剣に向き合ってこなかった問題が一層鮮明に突き付けられている。」


 小泉政権時代から続く、老人を見捨て、弱者を軽視するかのような国策の実態には驚く。
 氏は具体的な要望事項などを述べ、最後にはこう提案している。

「公的大病院は多数あるが、公的老人介護施設は一つもない。
 例えば、公立の大規模介護施設を建設する等のもっと抜本的な解決策が必要であろう。」


 指摘されてみれば、「本当だ、膨大な要介護人口がある国にしては、なぜ、公的大規模介護施設がないのだろう?」と考え込んでしまう。
 民間でできることは民間で行うという方向性に理由があることは理解できる。
 しかし、それを極端に推し進めてきた結果がこうである。
 弱者に寄り添いながら民間医療機関を率いてきた氏の目には、国がどんどん手を引いてきたことによる社会的不公正がよく見えているのではなかろうか。
 経営者へ自分で儲けて運営しなさいと言い、救いを求める人々を放置すれば、お金がなくて見捨てられる人々が増加するのは当然である。
 教育や医療や福祉までも〈商売〉の範疇に入れてしまい〈弱肉強食の自由競争〉を行わせる思想そのものが問題とされねばならない。

4 老人施設の被害状況

 氏は老健施設の被害状況を図示している。
 岩手、宮城、福島三県で52施設が全半壊し、平成23年6月13日現在で死者・行方不明者は以下のとおりである。
・入所者…485人
・職員……173人
 特筆すべきは、養護老人ホームにおける入所者の犠牲が50人であるのに対して、職員の犠牲が24人にものぼっていることである。

「これら職員の犠牲者の大多数は入所者の避難活動中の殉職と考えられる」


 頭を垂れ、合掌するしかない。

 三県で殉職した消防団員と警察官へは手厚く顕彰や補償が行われており、氏はそれに「異論はない」としつつ、介護職員の存在を忘れてはいないかと書く。

「社会のために重要な職務に、昼夜分かたず献身し、災害時には老人救助に挺身・殉職した介護職員が公に顕彰されることはなく、メデイアによる国民世論形成の働きかけもなかった。
 特別の補償もなく、近しい人のみに細々と語り継がれるだけの彼ら、彼女らの崇高な志と、無念に思いを致すと、明治時代から今に至るわが国の非公務員への軽視、差別に嘆息せざるを得ない。」


 志を共有し現場で汗を流す氏の憤激が胸に迫る。

 巨額の施策について氏は見透し、警鐘を鳴らして筆を置く。

「被災地に投資が直接還元される計画は少なく、被災地から離れた企業、大学等に利するものが目につく。
 以前からの方針であり、なかなか進まなかった中核病院一極集中、一般病院の中核病院傘下施設的位置づけ化、慢性期病棟のさらなる減少、住民の意向を無視した在宅医療への誘導などの医療環境再構築を、この期に乗じて強引に進めようとの流れも垣間見える。」


「被災地への公的資金の投下はまず被災地の住民、民間機関に資することを大原則にすべきと考えるが、そのような視点は被災地から遠い施策立案者には欠けているように思われて残念である。」


「行政は、一段落したところで、未曾有の災害から得られた各方面の経験に学び、施策を見直し、修正する勇気をもつことも重要であろう。」


 弱者の希望や現場の志が反映される理想の政治は、それらを自分自身の希望や志とする政治家によってしかもたらされはしない。
 私たちは今回の選挙で、はたして、そうした〈人物〉を確かに選び得ただろうか?




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2012
12.18

東日本大震災 ─東北関東大震災・被災の記(第120回)仙石病院理事長神部廣一氏がふり返るあの時(1)─

20121218001.jpg
〈「東日本大震災の検証」からお借りして加工しました〉

 仙石病院理事長神部廣一氏が、建設新聞社発行の「東日本大震災の検証」へ「大震災と医療~民間病院の経験を通して~」を書いている。

「大震災を経験して、すべての日本人が何らかのアクションを起こしたはずである。
 その行為は個人個人の状況、能力、心情でさまざまに異なっていたであろう。」


「医療機関がどう行動したか、その間の問題点、今後の構想といった項目について、一民間医療機関の経験を紹介し、いささかの考察を付記したいと思う。」


 時系列で「急性期(最初の一週間)」、「亜急性期(二週目~二ヶ月)」、「慢性期(復興期)」に分け、最後に「老人施設の被害状況」をまとめている。

 詳細は本文を読んでいただくしかないが、氏が印象としている部分を抜き書きしておきたい。

1 急性期

「医師のほぼ全員、半数以上のスタッフは、自宅が損壊していたり、移動の手段が奪われていたこともあるが、初めの一週間は病院に泊まり込んだ。」


 氏の自宅もやられ、母親は病院で一緒に暮らした。

「必要な検査もできず、何時間もかけて危険を冒して来院したのに数日分の処方しかできなかったが、例外なく感謝の言葉が返ってきて、被害者同士の連帯の気分を感慨深く味わった。」


 救われる患者も、救う病院側も、等しく被害者であり、必ず交わされる「ありがとうございました」と「どうぞお大事に」には、困難へ立ち向かう者同士の連帯感が伴っている。
 救う医師やスタッフも、感謝の言葉をかけられることによって救われており、氏の「感慨深く味わった」には、文字どおり万感の思いがこもっている。
 そして、「例外なく」には、極限の状態でもふるまいようを忘れない日本人の美点が浮き彫りになっている。
 実に誇らしくなる。

「喀痰(カクタン)吸引はチューブを口で吸って行ったりした。」


 自分で痰を吐けない患者のために、喉へチューブを差し込み、スタッフが自分の口で吸い取ったのだという。
「職員一同心を合わせて砕身した」場面が想像され、泣けてしまう。
 患者にとって病院の人々は皆、生き仏に見えたことだろう。

 診療も投薬もすべて無料、「費用のことを口に出す者」はまったくおらず、「個人経営である民間医療機関や薬局、さらに薬品卸のような企業までもが、いわば身銭を切って奉仕したのは誇りである。」とする氏の心に吹く清風を想う。
 書き残しておくべきについては、さらに続く。

2 亜急性期

「多くの薬剤卸業者、医療消耗品製造業などの医療関連業者は交通事情が厳しい中、社員が工場からトラックを、遠くは関西からまで運転して医薬品、消耗品を届けてくれた。
 これらの例にも医療関連産業のの高さを窺うことができる。
 ボランティアの貢献が随所で高く評価されているが、困難な状況下で本来の業務を果たすべく奮闘した職業人(電気、電話、水道、下水、交通、輸送、土木工事、小売業等など)の数もまた膨大なものになるだろう。」


 氏は、近所のコンビニへ来ていたトラックが毎夜、パンなどを無料で玄関先へ置いてくれたことを決して忘れないと言う。
 これらの人々と同じ日本人であることを誇りに思う。




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2012
12.17

子供に禁止や制限を課す智慧と勇気 ─いじめや低学力を根本から解決する方法─

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〈ペットの共同墓『一心』〉

 12月16日付の河北新報は高校教諭平居高志氏(50才)の「『禁止』や『制限』時に必要」を掲載しました。

いじめ低学力など、今の学校に山積している問題に、現場で対応している人間の一人として、徒労感を感じるのはなぜだろう?」


 理由は、原因が見えていながら「末端処理に追われている」からである、と明解です。
 それはまるで、火事が起こる原因がわかっていながら放置し、消火作業を延々と続けるようなものです。
 氏は原因を「子どもたちを取り巻く文化の問題」としました。

 典型的なものの一つが、子供たちに蔓延した携帯電話への異様な依存状況です。

「この状態の中で、勉強しろというのは無理がある。
 じっくり落ち着いて理解し、記憶し、考え、創意工夫するといった、人間の成長にとって大切な作業とは正反対のものばかりがそこにはある。」


 当山も、以前からくり返し訴えてきた問題が、教育の現場から具体的に指摘されています。
 氏は2点を挙げました。

・直接的コミュニケーションが衰退する

 第六感まではたらかせて相手の人格を把握し、社会にいる人間としての作法に則りながら自分の意志を示して、目の前の人間を相手にきちんとおちついた会話を行うことが困難になっています。
 メールに頼らなければ対話ができないとはすなわち、人間が機械に使われているということです。
 あたかも、聴覚機能に問題を抱えた方が補聴器を使うのと同じですが、補聴器は心ならずも用いるしかなくなるものであり、自分から補聴器に頼る生活をしたい方は誰一人おられないはずです。
 しかし、私たち大人は、明らかに対話能力を衰えさせると知っていながら、自主的にメールへ頼り、子供たちが同じ道を歩んでいても放置したままです。
 おかしな構図であると言うしかありません。

・高機能の機器により安易に強い刺激を与えられる

 暴力や性など、子供たちへ悪影響を及ぼすと考えられるほど刺激の強い画面やゲームがほとんど野放しに提供されており、情操教育が危機に瀕しています。
 また、相手を思いのままに攻撃する、勝ち負けを競う、白か黒か二者択一で進む、といった単純でマイペースな時間の流れに慣れてしまうと、複雑な人間関係にじっくりと解を求める姿勢は育ちません。
 刺激が欲しくなった時に何らかの理由で親や先生から止められれば、即座に邪魔ものと感じ、麻薬患者のような精神の荒廃が進みかねません。

 そして、氏は、子供たちの心と生活へ悪影響を与えない工夫はできるはずなのに、社会がそれを行わない理由を述べます。

「人が喜ぶものはいい物だという単純な発想がある上、利益が絡んでおり、社会全体としても、お金になるものに文句を言えない雰囲気が存在するからである。」


 単純に言えば、儲け第一の大人にとって子供たちは〈お客さん〉でしかないということです。
 お年寄りへ過剰な診療を行い大量の薬を与えて儲けようと毎日通院バスで送り迎えし、ジュースのサービスまで行って問題になった医療機関と似た構図ではありませんか。

「私たちは便利さと利益にばかり目を奪われた結果、より大きく構造的な不利益を生み出しているのではないか。」


 ここで言う「不利益」は、子供たちの健全な成長の阻害だけでなく、家庭や学校や社会の荒廃と混乱、そして、未来への不安など、ほぼ無限大の大きさを持っています。

 氏は幸せへと目を転換します。

「経済は大切だ。
 しかし、それだけが大切なのではない。
 大切なのは、お金ではなく幸せである。
 お金は、幸せを実現する手段として有効な場面でだけ価値を持つ。」


 私たちはいつしか、幸せはお金で買えると錯覚してしまったのではないでしょうか?
 あの大震災は、そこをも激しく衝きました。

「私たちは東日本大震災によって、人と人とのつながりや、平凡な日常生活のありがたさ、そしてそれらこそが本質的な幸せであるということを学んだはずである。」


 ──私たちは確かに、学んだはずではなかったか。
 それにしては……。

 最後に、氏は、子供たちに起こる問題の解決法だけでなく、問題を起こさせない方法を「もっと真剣に考えたい」とし、提案します。

「子どもたちを取り巻く文化環境を見直し、地道で基本的な作業に忍耐を持って取り組ませるべきである。
 麻薬と同じで、人間を内側から駄目にするものに対しては『自由』を言い訳にせず、禁止や制限といった措置を取ることが必要だ。」


 これが可能であるためには、大人たちが自らの欲望を省みて、自他のためにならない煩悩(ボンノウ)の範疇にあるものは勇気を持って「禁止や制限」せねばなりません。
 産業界が儲けより子供たちの健全成長を優先するのはもちろん、大人たちが悪しき習慣を止めるなど、自らへ厳しくしてこそ、使命感と自信と勇気とをもって子供たちへの「禁止や制限」を実行できることでしょう。
 その時、賢者、聖者の残された宗教は明らかな指針となり、大きな力となるはずです。
 特に仏教は「自らを正しく律する」すなわち、正しい「禁止や制限」によって、人間が人間たるゆえんであるところの霊性(仏性)を大いに発揮しようとするものです。
 共に学び、身を律する大人として子供たちを救いたいものです。




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2012
12.16

三十七の菩薩(ボサツ)の実践(第三十五回) ─煩悩に飼い慣らされない方法─

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 菩薩になる方法の第35回目です。

煩悩(ボンノウ)に慣れれば制することが難しくなる
 (記憶)と正知(ショウチ)という対治の刃を手に取り
 欲望などの煩悩が起こるやいなや刈り取ってしまう
 それが菩薩の実践である」

○貪りや怒りや自己中心的な考えなどに慣れれば自分がそれらに飼い慣らされてしまう

 たとえば、おいしいものに目がないからといって、自分の年令や体調を考えず、慎みを忘れて過剰に栄養を摂れば、身体のはたらきに支障を来し、あげくの果ては病気にもなってしまいます。
 たとえば、すぐに怒る人は、体内に健康を害する毒素を溜め込むばかりでなく、やがては他人とぶつかり、他人に疎んじられ、他人からバカにされ、自ら人生を破戒し暗転させてしまうことでしょう。
 たとえば、自己中心的で客観的な視点を持ち得ない人は、常に不平不満に襲われてストレスを抱え、説得力がなく、指導的立場に立てず、人間性が練られないまま終末を迎えることでしょう。
 これらが煩悩に飼い慣らされた状態です。
 あまりに情けない人生ではないでしょうか?

と正しい智慧で霊性に生きる

 こうした心の習慣を断つには、(心に保って離さないこと)と正しい智慧の二つが必要です。
第一の例なら、「腹八分が健康の基であり、生きもののいのちに感謝し慎んでいただくのが人の道であること」を忘れないようにしましょう。
 そして、食べ過ぎへ走らないように、「ここは我慢しよう」「これではいけない」と自らをコントロールしましょう。
 第二の例なら、「怒りはあらゆる福徳を瞬時に破戒し、自他を傷つける魔ものであり、いかなる価値も生み出さない」ことを忘れないようにしましょう。
 そして、カッとなったり、ムカムカしたり、ウヌッと腹に来たりしたなら、守本尊様の真言や「南無大師遍照金剛」を唱え、深呼吸をしましょう。
 第三の例なら、自分を深く省みていかに未熟であるかを認識し、自分は常に成長過程にあると知り、至心に人の道を学びましょう。
 そして、他人とぶつかりそうになったら、すぐに我を張ったり相手を貶したりせず、相手の立場から考えてみるなどしてから穏やかに話し合いへ入りましょう。
 こんなふうにして、煩悩を刈り取るのです。

 Aさんの夫は、奥さんがよくできた人であるのをいいことに、止めるのもきかず夜な夜な遊びまくり、ついに肝臓を壊しました。
 Aさんはじっと堪(コラ)えつつ、そうした夫を優しく支え、ご自身は身を摂し、学ぶ姿勢を強めています。
 子供の頃から起こりっぽく言葉も荒かった運転手のBさんは、当山で一緒に守本尊様の真言を21返、唱えたことがきっかけで真言に親しみ、「人が変わったね」と言われるほど穏やかで信頼される人になりました。
 いつも他人へ攻撃的で我を通さずにいられない性格のため、何をやっても長続きしないアルバイト店員のCさんは、当山へ足を運び、毎日一度、般若心経を読んでいるうちに、つまらぬことで他人とぶつかるのが「アホらしく」なったそうで、すっかり一皮むけました。

 ちなみに、般若心経が日本へやってきたのは天智天皇の昔であり、宝亀5年(774年で、お大師様が生まれた年)の疫病蔓延に際しては、光仁天皇が勅語をくだされました。

「天子がこれをずる時は戦争や災害が起こらず、国民がこれをずる時には病魔や悪鬼に襲われない。
 だから、国民は老若男女を問わず、おりおりに般若心経誦して欲しい」


 お大師様も「般若心経は苦を抜き楽を与える」と説かれました。
 こうして、明治時代の廃仏毀釈までは、寺院と神社とを問わず広く唱えられてきたのが般若心経です。

 古人は言いました。

「火事は小火(ボヤ)のうちに消す。
 堤防もアリの一穴から崩れる。」


 AさんもBさんもCさんもみごとに霊性を発揮し、一歩づつ着実に菩薩へ近づいておられ、嬉しくてなりません。




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2012
12.15

さくら貝 ─高橋香温ミニギャラリー─

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さくら貝

 毎日が楽しかった日
 友達とかうさん遊んだ日
 無邪気に過ごした日
 耳にあててごらん
 笑い声が聞こえるでしょう」

 家族も家も友達も失った高橋香温先生の耳に、笑い声は聞こえておられるのでしょうか。




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2012
12.15

三十七の菩薩(ボサツ)の実践(第三十四回) ─言葉の刃と言葉の救い─

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〈薬師如来の霊峰笹倉山を仰ぎつつ〉

 菩薩(ボサツ)になる方法の34回目です。

「汚い言葉が他者を動揺させ
 菩薩(ボサツ)行の在り方を弱めることになる
 それゆえ、他者の心を害するような汚い言葉を捨てること
 それが菩薩の実践である」


 不悪口(フアック)すなわち、粗暴な言葉を用いないようになろうという戒めがあります。
 私たちが粗暴な言葉を用いろ時は、必ず、粗暴な心が生じています。
 怒り、憎しみ、恨み、妬み、蔑み、侮り。
 そこには破戒欲、支配欲などが伴い、何一つ、相手のためになる救いもなければ創造性もありません。
 霊性に蓋(フタ)をかぶせている状態です。

 心で「この野郎!」と思った瞬間、実際に「この野郎!」と口に出し、つまらぬ行動へ走らないための教えがあります。

○怒りが生じたなら、過去の悪業(アクゴウ)を清めるチャンスである

 原因は必ず結果を招きます。
 自分が不利益を与えられたり、不当な扱いを受けたり、バカにされたりしたなら、そういう結果をもたらす何かが自分の過去にあったはずです。
 自分の悪業です。
 いつかは必ず悪しき結果をもたらす原因が過去にあり、今まさに、その結果が出ているのです。
 ならば、「これでチャラ」になるよう、一瞬カッとなっても平静な心を取り戻し、心で相手に「ありがとう」と言ってみましょう。
 ここで忍耐すれば、確実に悪業を一つ、消しているのです。

○悪しき言葉も行為も、相手だけでなく自分をも傷つけ、愚かしく無益でしかない

 相手を「この野郎!」と怒鳴りつけて辱め、怖がらせ、萎縮させたとしても、相手が「すみません」と誤ったとしても、それでことが済むわけではありません。
 相手に何らかの打撃を与えれば、それは悪業を一つ、積んだことであり、いつか必ず、自分自身へその報いがやっってきます。
 自分を傷つけずに相手だけを傷つけられる方法はありません。

 老婆を騙し、威嚇して去った3人の商人が老婆の呪いによって非業の死を遂げた時、お釈迦様は説かれました。

「悪しき言葉でののしり、驕り高ぶって人を蔑む。
 こうした行為は妬み怨みを生じさせる。
 謙遜し、道理に従った言葉を用い、人を尊敬し、煩悩を捨てて悪心を抑えれば、妬みや怨みはひとりでに消滅する。
 人は生まれながらにして、口の中に斧を持っているようなものである。
 自他を切るのは、その悪しき言葉による」


○悪口をグッと呑み込み、真言や経典を心中で唱え、悪心を瞬時に善心へ切り替えよう

 お釈迦様は説かれました。

「空へ舞い上がろうと、海中深く沈もうと、深山の奧へ隠れようと、愚か者は苦をまとい死に追われ、逃れられる先はない」


 私たちに死から逃れる先はなく、前文の商人たちに悪業の報いから逃げる先がなかったように、悪業は自分で報いを受けるか、善業(ゼンゴウ)によってそのはたらきを相対的に小さくするか、対処法は二つに一つです。
 懺悔し、生き直すなどは後者に含まれます。
 ただただ、ご利益があるとされる神様や仏様にすがるだけではどうにもなりません。
 合掌するなら拝むだけでなく、仏神へ自分の愚かさや悪業などのすべてをさらけ出し、教えを学んで実践することです。
 当山の例祭で行われる護摩法へ参加される方々の多くは、一緒に経典を読み、護摩の火のそばへ来で懺悔し、よき願いをかけられます。
 そうしてよき行動の一つでも実践すればこそ、悪業による災いを最小限度に抑え、善業(ゼンゴウ)の大きな果実を招来できます。

 不悪口の戒律と、愛語(アイゴ)すなわち、慈愛のこもった言葉を使おうという勧めを胸に刻み、菩薩行に励みたいものです。




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2012
12.14

東日本大震災 ─東北関東大震災・被災の記(第119回)高橋香温先生の常設ミニギャラリー─

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 当山は、東日本大震災後のご縁をきっかけとして、名取市閖上(ユリアゲ)で被災された書家高橋香温先生を毎月お招きし、書道と写経の教室を開いています。
 閖上はいまだ、町としてどう復興をめざすか、方向性すら決まってはいません。
 そうした中、被災された方々の多くは、当時の思いを抱えたまま、手探りするような日々を生きておられます。
 1年9カ月が過ぎ、あれほど〈絆〉が語られていたにもかかわらず、未曾有の大災害はもはや、日本という規模においては風化しつつあるのではないでしょうか。

 福島市に仕事場があった作家冲方丁(ウブカタ・トウ)氏は福島と東京を行ったり来たりしつつ「生活の立て直しに躍起になって」いるそうです。
 氏は12月9日付の朝日新聞へ「福島へ戻るたびに思うこ」という、辛辣、かつ、恐ろしい一文を書いています。
 復興予算が、被災地とまったく関係のない事業に使われ、除染がその場しのぎでしかなく資金を垂れ流す終わりのない事業であるのを見てもわかるとおり、「復興という言葉が素晴らしい集金機能を発揮した」という指摘には暗澹とさせられます。

「被災地は今後どうなるだろう?
 不況下にもかかわらず集まった巨額の金を頼りにする、国や自治体の指導者は、『復興』の魔法が長く続くことを願うに違いない。
 そのためには、被災地は被災地のままでいてくれねば困る、ということになるだろう。」
「来年度から始まる『復興税』は、被災地の人々も背負わされる。
 そもそも農家への補償すら課税されたのだから、不思議はない。
『きっと、本当に復興してもらっては困るからだろうね』と疲れた笑みを浮かべ、なんとか今日を生きる被災地の人々の姿を、いつか私はこの手で書き記すだろう。
 福島に戻るたび、そう強く思うのである。」


 当山は、「生活の立て直し」に大変なご苦労をされているとおぼしき師のために、玄関へ師の作品を数点飾り、『高橋香温ミニギャラリー』としました。
 一人でも多くの方々に師の作品を見ていただくように、購入していただき師の修行と生活の糧になるように、と願ってスタートしました。
 師は多くを語られませんが、一軒づつお訪ねする托鉢行でいただくコインの一枚、お札の一枚に救われつつ、生活と修行を始めた頃の自分に師の姿を重ね合わせてしまうのです。
 
 どうぞ、お立ち寄りいただき、作品をご覧ください。
 現在は、38センチメートル×33センチメートルのものを7点、展示してありますが、近々に大作2点も額装して展示する予定です。
 電話やメールでご購入のお申し込みがあればお送りもします。
 ご遠慮なくお問い合わせください。
 なお、当山は留守になる場合もありますので、おでかけになられる際はご一報たまわれれば幸甚です。




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「のうまく さんまんだ ばざらだん かん」※今日の守本尊不動明王様の真言です。
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2012
12.14

三十七の菩薩(ボサツ)の実践(第三十三回) ─モノにも義理にも縛られず平等に接する─

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〈駐車場で隣り合わせた主を待つ忠犬。主が去った方向へ視線が固定された目の表情はまるで人間です〉

 菩薩(ボサツ)をめざす心の実践法、第三十三回目です。

名声にかられ争いとなり
 聞(モン…学ぶ))・思(シ…考える)・修(シュ…身につける)の行が疎(オロソ)かになる
 それゆえ、親友やご支援くださる人々に対しての甘えを捨てること
 それが菩薩の実践である」


 世間的な義理が発生し、からまれれば、行者としての道をまっすぐには歩めません。
 たとえば、大金をご寄進してくださった方の現世的利益のために修法の予定を変えるとか、お世話になった方の面目を保つために修法を疎(オロソ)かにして現世的事業に参加するといったことになれば、修行の道はまっとうできません。
 実際に寺院を運営していると、ここのところは大問題です。
 それは、たとえ善意でご協力くださる方でも、寺院や行者が〈義理〉の現世的感覚からまったく独立していることをご理解されにくいからです。
 寺院側としても、これだけ協力していただいているという意識が感謝にとどまらず、していただいているのに、あるいは、していただいているから、という義理にまで行ってしまいがちなことは否めません。
 そこが大きな落とし穴になりがちであり、落ちたかどうかは周囲から気づかれなくても、落ちた行者にははっきりとわかり、必ず、聞・思・修に影響が生じるのです。
 また、特定の人に対して身びいき的な心が生じれば、ご縁の方々を区別、差別しないという行者として、寺院としての基礎的ありように反してしまいます。
 お不動様の経典には「平等に見ること一子のごとし」とあります。
 寺院は、相手が誰であろうと、我が子へのまなざしと同じ視線で平等に見て、平等慈愛を発し、平等に手を差し伸べねばなりません。

 一方、理想としては、寺院へお布施をする方々においては布施の心を学ばれ、見返りを求めない清浄な心でお支えいただきたいと願っています。
 結局は、それが布施を行う方の徳積みになり、霊性を発揮し、心のレベルを高め、運勢をよき方向へと導き、自他へ幸せと安心を与える道だからです。
 決して「自分のため」とは思わない清浄な心が、相手のためになるだけでなく、結果として自分のためにもなるのです。

 経典が説くとおりできるかどうか、行者も寺院も、そして間接的にはご支援くださる方々も試されています。
 高額のご志納金を持参すると上座に座らされ、住職から平身低頭でお礼を言われるというお話も聞きますが、当山では、基本的に、ご来山の方を上座へお通しします。
 僧侶は不動明王と同じく衆生のしもべだからです。
 ただし、袈裟衣をつけ、み仏と一体になる法を結んでの人生相談になれば、上座でお話をお聴きします。
 この場合は、僧侶だから上座に座るのではなく、み仏になっているからです。

「どんなに尽くしてくれる人も、特別な人としてではなく、すべての衆生の中の一人として、等しく最大の慈愛をもって接すること」


 出家者も、在家の方も、菩薩様をめざすならば、いかに難しかろうと貫かねばなりません。




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2012
12.13

子や孫のためにふり返っておきたい先人の導き(その40) ─石へ穴をあける水滴のように─

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〈黙々と水を運んだ少年の活躍〉

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 ここでは、昭和6年に発行された小冊子を基にして子供たちの導き方を考えています。

40 「み」 水の滴が石を凹ます

一滴づつの水でも石に穴をあける、長い間の力である。
力の不足を思ったら、水の滴を思い出せ。
飽きるな怠るな繰り返せ!


 水の滴は掌に受けることもできるほど柔らかく小さいけれど、それが何度も何度も滴り落ちているうちに、いつかは硬い石にすら穴を開けてしまうという事実は、私たちへ継続の力を教えてくれます。
 お釈迦様の解かれた言葉に最も近いとされている『法句経(ホックキョウ)』にもはっきり書かれています。

「小悪(ショウアク)を軽んじ、もって殃(オウ…災い)無しと為すなかれ
 水滴は微(ミ)なりといえども、漸(ヨウヤ)く大器に盈(ミ…満)つ
 およそ罪の充満するは、小積より成る」


 小さな悪事をはたらき、別に誰からもとがめを受けなかった、あるいは何の罰も受けなかったからといって、たかをくくっていいれば、いつのまにか悪(アクゴウ)が積もり積もって自分へ災いを招きます。
 それは、原因があれば必ず結果が出るという宇宙を動かしている因果応報(インガオウホウ)の原理から誰もが逃れられないからです。
 私たちの考えたことも、言ったことも、行ったことも、何一つ決して〈それっきり〉となりはせず、後へ何らかの影響をもたらす(ゴウ)という消すに消せない歴史となって積もり重なり残るのです。

 12月8日、成蹊大学3年生草山秀彦(22才)容疑者は、所属している空手部で指導を受けている最中、師の高木弘(77才)氏から張り手で注意されたことにカッとなり、あろうことか師へ回し蹴りを見舞い、死亡させました。
 何があったか事情はわかりませんが、主将を務めているほどの腕前でありながら、武道の精神がまったくできていなかったという恐ろしい事実が明らかになりました。
 常々、OBの指導法へ不満を抱いたり、師を軽蔑したり、あるいは慢心したりといった悪しき水滴が滴り続けていたのではないでしょうか。
 それらと正面から向き合い、きちんと解決しておかなかったからこそ、最悪の事態が起こってしまったのでしょう。
 まるで突発的な驚くべき事故と見えますが、真の原因は積み重ねられた小さな悪であり、師からの張り手が決定的な縁となって大罪へと結実してしまったのです。

法句経(ホックキョウ)』には、こうした教えが続いています。

「小善(ショウゼン)を軽んじ、もって福無しと為すなかれ
 水滴は微(ミ)なりといえども、漸(ヨウヤ)く大器に盈(ミ…満)つ
 およそ福の充満するは、繊々(センセン…こまごましたもの)より積む」


 善行を続け、まっとうに生きていてもなかなか報われないと感じておられる方はきっと、少なくないことでしょう。
 しかし、み仏は約束しておられます。
 小さな善行に対して特段、嬉しい結果がでないからといって善行を軽んじたり、続けることを諦めたりしてはなりません。
 小さな滴でも継続してしたたり落ちていれば、いつかは大きな器すら満たし、あふれ出す時を迎えます。
 み仏からの約束として福徳は確かに訪れるのです。

 宮城県相撲連盟副理事長伊藤裕之氏(38才)は、12月12日付河北新報の「持論時論」で述べておられます。

武道を通して、心技体を一体として鍛え、人格の形成、さらに道徳心を磨き、礼節を尊重することで、われわれが忘れかけている日本の心、すなわち思いやりの気持ちを養う。
 いじめ問題にも貢献すると思う。
 社会のさまざまな問題を直接解決することはできないかもしれないが、武道を学んだ子供たちが社会の平和と繁栄に寄与し、よりよい社会の形成に活躍してくれるものと信じてやまない。」


 氏が、日本の心は思いやりにあるとされている点に注目せねばなりません。
 相手を〈そちら側〉へ置かず、相手に起っていることは自分に起こっていることであると心から思える想像力がなければ、真の思いやりは起こりません。
 そして、そこからしか、相手の哀しみ、淋しさ、苦しさ、辛さを見捨てておけない人間は生まれません。

 誰よりも「自分の心」をこそ相手にし、たとえ小さなことでも悪事は行わず、たとえ小さなことでも善きことは行い、目に見える結果がすぐに出なくても、因果応報の真理を信じて精進する尊さを教えたいものです。
 その点で、伊藤裕之氏が指摘するとおり、日本古来の武道は、継続性のない稽古はありえないという面でも大きな可能性を秘めています。
 子供たちの心に、たゆまず、怠らず、火がつけられたなら淡々と自分を燃やし続け、灰になった後も佳い香りを残すお線香の心が育つよう願ってやみません。




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2012
12.12

「あなたが欲しい」は愛なのか?

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〈負傷した足を救ってくれた故人用のイス〉

 の文字が氾濫している。
 若者にとって、至上の価値はにありそうだ。
 では、とは何か?
 普通、AさんがBさんをしているという場合、Bさんは、あくまでも〈AさんにとってのBさん〉だ。
 そこには必ず、Bさんは自分のものという所有欲がはたらいている。
 BさんはAさんのものだからこそ、(イト)しいし、愛(メ)でようとする。

 ところが、何かのはずみでBさんとの間に隙間ができれば、Aさんの愛はたやすく憎しみに変わる。
 Bさんを恨み、その行動に嫉妬し、あげくの果てはストーカーになり、殺人事件まで引き起こしたりする。
 こうなったのは、自分のものでなくなったからだ。
 Aさんの所有欲が満足させられている間は愛し、所有欲が充たされなくなれば憎む。
 何と自己中心的であることか。

 自己中心はBさんも同様だ。
 自分を大切にしてくれるAさんだからこそ近づきたい気持を受け入れ、愛したりもする。
 しかし、期待していたほどでなければ、愛が醒めたりする。
 これは自分の都合ではないか?
 やはり、関心があったのは〈BさんのとってのAさん〉でしかない。

 いかに小説やマンガで推奨されようと、こうした自己中心的な愛に人生をかけようとするなど、若気の至りと早く気づいた方がよい。

 み仏の慈悲慈愛はまったく違う。
 自己中心ではないからである。
 み仏にとっては〈私にとってのあなた〉という構図はないし、み仏は「まず自分ありき」を離れなければ自他共に救われないと説く。
 慈悲は、自分もあなたも同じという意識のあるところにしか生まれない。
 私もあなたも、あの人もこの人も、同じく苦を厭(イト)い楽を求め、同じく喜怒哀楽し、同じく衣装をまとい、同じく語り、同じく飯を喰い、同じく大小便を出し、同じく寝る。
 私への関心とあなたへの関心に違いはなく、あなたが虫歯の痛みをうったえれば、自分の虫歯が痛い時と同じく耐えられない気持になる。
 この時、あなたは、〈私にとってのあなた〉ではなく、〈あなた自身〉として私の関心の対象であり、さらに言えば、〈あなた〉と〈私〉と二つに分ける意識すらなくなっている。

 私は妻にそのことを教えられた。
 娑婆にいたおりも、出家してからも、妻はずっと私の戦友だった。
 妻が不機嫌になったり、不調になったりすれば、私は、勝手に退却しようとしている部下を抱えて突撃せねばならない将校だった。
 傷ついた部下をいたわる衛生兵でありながら、最前線で砲火を交える歩兵でもあり、かつ、戦況を考える隊長も兼務していた。
 自分の戦いから切り離せないという意味では一心同体だったが、妻は数年に一度、まるで思い出したように「お父さんが言うように、一心同体ではないよ」と口にした。
 別にケンカしたわけでもないのにこう言われると、私はおもしろくないというよりも、「何で?」と不思議だった。
 時折、抵抗はしても、決して裏切らずについてきてくれていたからだ。

 妻が一度目に倒れた時、私は、妻が背負っていた役割を補うのに無我夢中だった。
 妻は病魔によって〈役割を解かれた人〉として、ただ、そこにいた。
 私は、それを相手に、自分の新たな任務をまっとうすべく、睡眠時間を減らして戦った。
 戦いは劇的な勝利の瞬間を迎え、また、二人して新たな戦いを始めた。
 妻が二度目に倒れた時、妻は〈役割を解かれた人〉としてではなく、私と同じ人間として、そこにいた。
 温かい味噌汁を与えれば喜ぶ──。
 今まで、私が温かい味噌汁を与えられるのは、笹倉山に黒っぽい雲がかかればやがて風が吹き、次いで雨や雪がやってくるのと同じく、当然であり、一人の人間が一人の人間へ食事を与えることの重さに気づかなかった。
 ここまで生かしてくださった仏神への感謝があらためて起こった。

 こうして妻は負傷した戦友でありながら、同時に、私と同じ人間として、私の関心の対象となっている。
 私にとって、妻への関心は、私への関心と等しい。
 思えば、当病平癒を祈る時、願主の治りたいという思いを自分の思いとして祈ってきた。
 火葬場で最後の別れを行う時、ご遺族の身を斬られる思いを共有する気持で修法してきた。
 願主への関心も、ご遺族への関心も、私への関心と変わりはなかった。
 しかし、妻だけは戦う自分と一体であると思い込んでいたために、戦友としての関心しか持てなかったのかも知れない。
 今さらながらに、無口な妻の「一心同体ではないよ」へ込めていた思いが胸に迫ってきて切なく、情けなくなる。

 愚かな私は自分の棺桶を側へ置くような毎日を送るところまで来てようやく、勘違いに気づきました。

 定年を間近にしている方々よ、伴侶はあなたの戦友だけなのではありません。
 戦闘終結を向かえる前にできるだけ早く気づき、伴侶に対して、ご自身への関心と同じレベルの関心を持ってください。
 あなたが作った味噌汁を口にして微笑む伴侶の笑顔に、あなたが伴侶から与えられていたものの大きさを知ってください。
 そうすれば、熟年離婚の危機はかなり回避できることでしょう。
 もちろん、このあたりは、共稼ぎの方々にはとうの昔にわかっておられたことでしょうが……。

 若い方々よ、あなたが異性を欲しいと思う時、その気持をたやすく愛という名のこれ以上ない価値であると考えないでください。
 愛しいと思う気持に所有という我欲がベッタリと貼りついていれば、それは、自他を幸せにするみ仏の慈愛ではなく、性欲の発露です。
 そのレベルにとどまっている限り、性欲に伴う執着心が絶えずはたらき、自分を傷つけ、相手を傷つけ、共にズタズタになる危険性と隣り合わせで日々を送らねばなりません。
 性欲の対象は無数にあり、感情は常に変化し、執着心に染められた愛は憎悪嫉妬を裏面としたコインの表側でしかないからです。
 そこを入り口として、〈私にとってのあなた〉を超えた〈あなた自身〉という人間そのものへ深い思いやりをかけられるようになれば、本当の愛すなわち慈愛へ近づくことでしょう。

 私たちは、死ねば閻魔(エンマ)様のテストを受けねばなりません、
 洞窟へ追いやられ、仏性の輝いている人は洞窟を照らし出して安楽な道へと進めますが、輝いていない人は暗黒の世界へ行くしかありません。
 慈愛こそ仏性の発露です。
「あなたが欲しい」を超え「あなたのために」と真の愛を発揮しつつ生きたいものです。




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2012
12.11

三十七の菩薩(ボサツ)の実践(第三十二回) ─自分を誇らず他人を誹謗しない─

20121211211104 019

 菩薩(ボサツ)行の実践法、第32回目です。

煩悩(ボンノウ)にかられて菩薩(ボサツ)の方々の
 過失を非難するならば、結局自らを衰退させるだけ
 それゆえ、大乗者(ダイジョウシャ…大乗仏教の道を歩む人)の過失をいっさい口にしない。
 それが菩薩の実践である」


 戒律を説いた経典に『梵網経(ボンモウキョウ)』があり、戒律を破れば教団から追放されるだけでなく、もし悔い改めても二度と出家修行者にはなれないという厳しい波羅夷罪(ハライザイ)が示されています。
 その第七番目「自讃(ジサン)毀他(キタ)」は、自画自賛し、他を貶めることです。

菩薩ならば、いっさいの生きとし生けるものに成り代わって痛みを受け、悪しきことは自分へ向け、好きことは他人へ向けねばならない。
 それなのに、もしも、自分の徳の高さを誇り、他人の優れている面を隠し、他人が謗りを受けるように仕向けるならば、波羅夷罪となる」


 菩薩の根本には、お地蔵様と同じ代受苦(ダイジュク…身代わりとなって我が身に苦を受ける)があります。
 苦に悩む人々を見捨ててはおけないのです。
 それが、「悪しきことは自分へ向ける」と重ねて説かれています。
 しかも、嬉しくなり楽しくなる「好きことは他人へ向ける」心が必要です。

 しかし、まっとうに生きたいと願っている人でもなかなかここまではできません。
「自分の辛さに耐えるので精いっぱいなのに、他人のことまで構っている余裕はありません」
「何かよいことがあればようやくホッとするのに、それを他人様へ渡してしまう余裕はありません」
 こんな声が聞こえてきそうです。

 それはそうです。
 誰でも、自分が生きるのに精いっぱいという世知辛い世の中になりました。 
 特に若い方や独身女性には厳しい時代です。
 しかし、いつの世も、幸せを自分のところにだけ集めようとする猪八戒(チョハッカイ)の熊手を持つ心では、なかなか、落ちついた幸せがやってきはしません。
 幸せはそこここに転がっているわけではなく、パイの奪い合いで手に入れられるものではないからです。

 ここでは、誰かを誹謗してはならないと説かれています。
 一つには、そうやって相対的に〈自分の方が上にいる〉とする心は嫉妬心を増大させるだけで、自他のためになる何ものをも生まないからです。
 一つには、誹謗の底にある怒りが破戒欲と思考を停止させる力を伴っており、自他のためにならないからです。
 一つには、未熟な自分などにはそれとは知られなくても、菩薩道を歩んでいる人々がそこかしこにおられるはずであり、そうした人々を軽々に誹謗してみても自分の未熟さが解消されはしないからです。
 そして、もしも誰かの菩薩道を邪魔するならば、もはや、菩薩道を歩む資格はなくなるからです。
 これが「自らを衰退させる」の意味です。
 恐ろしいとは思いませんか?

 自分がまっとうに生き、幸せになりたいならば、愚かしい人については反面教師として学び、愚かさに憐憫を感じ、自らの中にも同じような愚かさがないかどうか省みたいものです。
 他を誹謗しても心は決して明るくならず、他のためになった時こそ心に青空が広がることを体験上知ってはいるのに、なかなか徹底できません。
 簡単にお地蔵様のようなわけにはゆきません。
 もちろん、お地蔵様が私たち凡人とは違う次元におられればこそ私たちは合掌し、憧れるのですが、もう一歩進めて、「お地蔵様になりたい」と思いたいものです。
 
 ダライ・ラマ一世は説かれました。

「一般になすべきことは、『すべての衆生の恩』について考えることであり
 特別になすべきことは、『浄化の瞑想』である
 敵は自分自身の中にあるのだから、自身の煩悩を教化するように」


 誰かを敵として攻撃する心は狭く、生きとし生けるもの全体への感謝をこそ持てと説かれています。
 浄化の瞑想とは、必ずしも専門的なものばかりではなく、観音様やお地蔵様に憧れ「観音様やお地蔵様になりたい」と願い、よきイメージを心に保ち真言を唱えることも含んでいます。
 自分の周囲に敵を見つけて攻撃するよりも、自分自身の中にある自己中心で気ままな心をこそ敵として立ち向かえと説かれています。
自讃(ジサン)毀他(キタ)」という穢れた心から早く離れたいものです。
 こうして菩薩行を実践すれば、決して何者にも毀(コワ)されない幸せが訪れることでしょう。 




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