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2013
02.28

平成25年弥生(ヤヨイ…3月)の行事予定

2013022800022.jpg

 啓蟄(ケイチツ)と春分(シュンブン)の弥生(ヤヨイ)に行う行事予定です。
 この世の幸せとあの世の安心のため、仏神と諸精霊のおわす聖地へおでかけください。

[第一例祭 2013/3/3(日)午前10:00~

 護摩法を行い、『法楽の会』会員さんの願いを込めた護摩木や、各種祈願をかけた善男善女の護摩木を焚きます。
 守本尊様を讃える経文などを一緒に読み、太鼓に合わせて観音経3巻もお唱えします。
 参加は自由です。
 護摩の火に身を近づけ、悪しきものは焼き払い、善き願いへ大きなご加護を受けてください。
 (願い事を書く護摩供養は1体300円です)
・送迎申込 開始30分前に、地下鉄泉中央駅そばの『イズミティ21』前へ送迎車がまいります。
 乗車希望の方は前日午後5時までに必ずご連絡下さい。


[書道・写経教室] 2013/3/3(日)午後2:00~午後3:30

 髙橋香温先生は津波で被災されても書道一筋でがんばっておられます。
 熱意と誠意を感じられる貴重な時間です。
 書道の基本を学び、100文字の写経も行います。
 イス席もありますので、お気軽にご参加ください。
・場  所  大師山法楽寺
・指  導  高橋香温(温子)先生
・ご志納金 1000円(未成年者500円)
(毎月第一日曜日午後2時から開催します)
・送迎申込 開始30分前に、地下鉄泉中央駅そばの『イズミティ21』前へ送迎車がまいります。
 乗車希望の方は前日午後5時までに必ずご連絡下さい。


[第二回法楽塾] 2013/3/3(日)午後4:00~午後5:30

 正式な勤行(ゴンギョウ)法と修行法をお伝えします。
 自分の身を法で守り、菩薩(ボサツ)として他者のためにもなりたい在家行者をめざす方のために基礎づくりを行います。
 ただし、履歴書に書く資格は得られません。
 よき願いを抱き、自信を持って祈られるようになるだけです。
 決心された方は、資料などの関係上、参加予約の上、身分証持参でおでかけください。
・場  所  大師山法楽寺
・ご志納金 3000円(隠形流居合の行者は無料)
・イス席もありますので、お気軽にご参加ください。
・送迎申込 開始30分前に、地下鉄泉中央駅そばの『イズミティ21』前へ送迎車がまいります。
 乗車希望の方は前日午後5時までに必ずご連絡下さい。


[第三十六回寺子屋『法楽館』 ─シンポジウム「東日本大震災をふり返り、これからの日本を考える」─] 2013/3/9(土)午後1:30~午後3:30
 
 新シリーズ『どうする?私たちの未来』の第五回目です。
 最初に『四十二章経』の一節を学びます。
 そして、東日本大震災の直後から被災地へ入り、懸命の復旧・復興活動をしてこられた前衆議院議員石山敬貴先生から、現場に立ち続けた一人としてこの2年間をふり返り忌憚のないお話をしていただきます。
 農学博士の先生は理化学研究所研究員として最先端の研究をしながら農家として稲を作り、国会議員として被災地をつぶさに歩き、地域の復興にかけた活動を行ってこられました。
 地域再興と日本の未来への思いを共に語り合いましょう。
 どなたでも自由に参加できます。事前の予約も不要です。どうぞ、ふるってご参加ください。
・パネラー  石山敬貴氏(農学博士)
・場  所  当山講堂
・ご志納金  1000円(中学生以下500円)
・送迎申込 開始30分前に、地下鉄泉中央駅そばの『イズミティ21』前へ送迎車がまいります。
 乗車希望の方は前日午後5時までに必ずご連絡下さい。


[東日本大震災犠牲者追悼般若心経百万巻供養会] 2013/3/11(月)午前10:00~

 3月11日(月)、2年前に亡くなられた方々の三回忌がやってきます。
 逝かれた方々は、もはや阿弥陀如来の浄土へ到着しようとしておられます。
 年忌供養は、逝かれた方々の御霊が無事安寧にあの世の旅を行い、この世での悪業(アクゴウ)を清め、やがて嬉しい転生がもたらされるよう、この世の私たちがみ仏のご加護を願い、供養の功徳をもって追い風とする伝統的宗教行為です。
 当山は、般若心経108巻を唱え、ご供養します。
 100人の方々が集まられれば1万巻になります。
 もしも、あと9900人の方々が全国各地で一緒に午前10時から100返唱えてくだされば100万巻になります。
 あるいは10返だけでも唱えていただければ、人数によって膨大な数になり、大きな供養となることでしょう。
 般若心経百万巻の法要において導師が行う修法には、この世とあの世のあらゆる罪科を集め、それを打ち砕き、すべての業障(ゴッショウ…悪業による障り)を取り除く過程があります。
 供養は、あの世の方々へ安寧をもたらすと同時に、唱える私たちの悪業(アクゴウ)を滅する善行でもあります。
 年忌供養の功徳とと般若心経の力を信じ、一心に祈りましょう。
 当山へ足をはこばれても、はこばれなくても、たとえ一巻だけでも、ぜひ、共にお唱えいただきたいと願っています。
 写経の納経も大歓迎です。
・場  所 法楽寺講堂
・御  守
 ご来山の方々へもれなく供養会の功徳を集めた『般若心経御守』をお授けさせていただきます。
・送迎申込 午前9時30に、『イズミティ21』前へ送迎車がまいります。
 乗車希望の方は前日午後5時までに必ずご連絡下さい。


[第五回瞑想と法話の会] 2013/3/13(水)午前10:00~12:00

 瞑想は心のトレーニング法です。
 ジョギングや水泳で身体を鍛えるだけでなく、古来より伝わる正統な瞑想方で心もケアし、よりよい生き方ができるようにトレーニングしませんか?
 法話においては、私たちの心に巣くう60の迷いについて一つづつ検討します。
 共に克服をめざしましょう。
 質疑応答も行います。
 会員制ではなく、その都度、まったく自由にご参加いただけます。
 どうぞ、ふるってご参加ください。
・場  所  仙台市旭ヶ丘仙台青年文化センター
・ご志納金 1000円(未成年者500円)

[第二例祭 2013/3/16(土)午後2:00~

 護摩法を行い、『法楽の会』会員さんの願いを込めた護摩木や、各種祈願をかけた善男善女の護摩木を焚きます。
 守本尊様を讃える経文などを一緒に読み、太鼓に合わせて般若心経3巻もお唱えします。
 参加は自由です。
 護摩の火に身を近づけ、悪しきものは焼き払い、善き願いへ大きなご加護を受けてください。
 (願い事を書く護摩木供養は1体300円です)
・送迎申込 開始30分前に、地下鉄泉中央駅そばの『イズミティ21』前へ送迎車がまいります。
 乗車希望の方は前日午後5時までに必ずご連絡下さい。


[彼岸供養会] 2013/3/20(水)午前10:00~

 お彼岸が来ると、私たちはご先祖様や先に逝った方々を供養するために祈ります。
 その祈りの内容は、故人の思い出をよみがえらせるだけではありません。
 祈りと言う以上、目に見えない世界の存在が前提となり、しかもその世界には、この世ならぬ気高さが感じられます。それはなぜなのか?
 祈る私たちに仏神の世界へ通じる扉が開くからです。
 私たちが〈み仏の子〉になっているからです。
 また、私たちは、無意識のうちに、もう一つ重要なことを行っています。
「夫が安らかに眠っていてくれるように」「母が迷っていないように}などと願う時は、願いを叶えてくださる存在を前提とし、そこに〈仏神の意志へお任せする〉という敬虔な心がはたらいています。
 至純とも言える〈ぬかづく心〉になり、財力や権力や腕力やを武器とする心は息(ヤ)み、人間の持つあらゆる高慢さが克服されています。
 祈る時、私たちは、目的が達せられるかどうかという以前に、私たち自身が救われています。いざという場面で、私たちは弱き者です。しかし、弱き者として至心に祈る時、喘ぎはいつしか不動の呼吸に入っています。
 仏神に抱かれた者として、最強の存在になっているのです。
 ぬかづかないではいられない弱き身が、最強の金剛身となるところに祈り、すなわち宗教の真骨頂があります。
 お彼岸の供養会では、先に逝かれた方々のために、共に祈り、ぬかづく者としてひとときを過ごそうではありませんか。
 さて、お彼岸の供養会では、土砂加持法という秘法によってご加持したハイパワーの砂をお授けします。
1 法力が加わった砂は、いかなる迷いの中にある亡者をも必ず安楽の世界へ導き、浄土へ向かっている御霊へはさらに安心を増す力となります。
 お墓へ撒いたり、仏壇に供えたり、あるいは海へ撒いたりしてください。
 大きなご供養になります。
 対象は当山にご縁のある御霊に限りません。
 どうぞ、どなたでも、御霊の安心のために加持力のこもった聖砂をお受けください。
2 すなおな懺悔の心でこの土砂を身につければ、光明真言の力により罪科は早く消滅し、諸々の良き縁が生じます。
3 お柩へ納めれば、地獄への道を破摧して極楽への旅路が開けます。
 なお、3月21日はお大師様が弥勒菩薩(ミロクボサツ)様の浄土へ渡られた「空海忌」なので、「南無大師遍照金剛」の御宝号を108返お唱えし、報恩のまことを捧げましょう。
・日  時 3月20日(水)午前10時より
・場  所 法楽寺講堂
・送  迎 午前9時30分に、『イズミティ21』前へ送迎車がまいります。
 乗車希望の方は前日午後5時までに必ずご連絡下さい。

・供養申込
 特段のご供養がある場合は事前にお申し出ください。
 どこで眠っておられる方のご供養もできます。
 お塔婆を申し込まれる方も、そうでない方も、俗名・戒名(ない方は俗名で結構です)・命日・行年をファクスやメールにて、「塔婆申し込み」と明記の上、18日(月)までにお送りください。
「~家先祖代々」といったお申し込みでも結構です。
 ご供養を申し込まれない方もどうぞ、ご遠慮なくご参加ください。

[機関誌『法楽』作り] 2013/3/25(月)午前9:00~

 講堂にて、機関誌『法楽』を作ります。ご協力をお願いします。
『実語教・童子教』も共に学びましょう。
※毎月、最終月曜日に行います。

[第六回瞑想と法話の会] 2013/3/27(水)午前10:00~12:00

 瞑想は心のトレーニング法です。
 ジョギングや水泳で身体を鍛えるだけでなく、古来より伝わる正統な瞑想方で心もケアし、よりよい生き方ができるようにトレーニングしませんか?
 法話においては、私たちの心に巣くう60の迷いについて一つづつ検討します。
 共に克服をめざしましょう。
 質疑応答も行います。
 会員制ではなく、その都度、まったく自由にご参加いただけます。
 どうぞ、ふるってご参加ください。 
・場  所  仙台市旭ヶ丘仙台青年文化センター
・ご志納金 1000円(未成年者500円)

[お焚きあげ] 2013/3/30(土)午前10:00~

 お不動様のご縁日に、開運不動前にて「供養会」及び「お焚きあげ」を行います。
 人形や仏壇や写真など、燃えるものも、燃えないものも大丈夫です。
 一緒にお不動様のお経を読み、真言を唱えましょう。
※お焚きあげをご希望の方は、必ず電話などで日時を連絡の上、お品をご持参、あるいはお送りください。
 当日とは限らず、いつでも結構です。
※毎月、最終土曜日に行います。

[隠形流(オンギョウリュウ)居合道場]

 第一週の土曜日 午後6:00~8:00 法楽寺にて 
 第二週以降毎週金曜日 午後7:00~9:00 旭ヶ丘青年文化センターにて
 九字を切り、守本尊様のご加護をいただく密教独自の剣法です。
 女性や高齢者の方々が多く、厳しいながらも和気藹々と稽古しています。
 入門ご希望の方は、事前に連絡の上、見学してください。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「のうぼう あきゃしゃきゃらばや おん ありきゃ まり ぼり そわか」※今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。





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2013
02.28

子や孫のためにふり返っておきたい先人の導き(その49) ─物を失ってその価値を知る─

20130228吉田浜 (4)
〈藁科昇氏(塩釜市)が撮った被災地吉田浜の現状〉

 この欄では、『実語教童子教』と共に、昭和6年に発行された小冊子も基にして子供たちの導き方を考えています。
 冊子の最後に「僕の好きな金言(キンゲン)」という欄があり、当時少年だった方は6つを書き込んでおられました。

「珍客も長座に過ぐれば厭わる」
「酒と朝寝は貧乏の近道」
「物を失ってその価値を知る」


 これらは小さな子供が自分で選んだとは思えません。
 大人から言い聞かせられ、自分も大人になったなら気をつけようと考えて書きとめたのではないでしょうか。
 いずれも反論のしようがない処世訓であり、年配者にしてみれば、今さら耳を傾けるまでもなくわかりきったことです。
 しかし、書きとめた子供にとっては金の重みがあったのでしょう。

 それにしても、「失って初めてその価値を知る」代表として、よく、健康が挙げられますが、最近の中国の大気汚染には不安や恐怖を覚えるよりも、人間がやることの限界を感じてしまいます。
 日本でも影響は免れないからといって、けしからんと怒っても仕方がありません。
 東京都の前都知事石原慎太郎氏が環状線を走るトラックから出る排気ガスを透明な容器へ入れて公開し、強力な規制を求めたのはついこの間のできごとです。
 欧米がたどった環境汚染の道を日本がたどり、今度は中国がたどっているとは、人間は何と歴史に学ばぬ〈懲りない面々〉でしょう。
 いずれにしても、中国の人口は13億人を超えており、その活動が大気を汚染する度合いも桁外れです。
 あと10年もすればインドが14億人を超えて世界一になるそうですが、環境汚染や食糧の奪い合いはいったい、どう展開することでしょうか。

 おおぜいが健康を失い、いのちを失う地点まで行かないと歯止めが効かないのは、私たちが他人様に起こるできごとをなかなか「我がこと」と思えないからです。
 最初は「自分は大丈夫」と思って傍観し、やがて「自分も危ない」という状況になってからようやく具体的な行動を起こす〈ズレ〉がなかなか抜けきれません。
 誰かに起こった苦を「我がこと」と感じ、その背景に社会的共業(グウゴウ)を観てとったならばいち早く手を打つことは理想でしかないのでしょうか。

 私たちは、人を失って初めて人の価値を知るのではなく、モノを失って初めてモノの価値を知るのではなく、価値をきちんと観られる心の目を養っておきたいものです。
 それには、我(ガ)という強い妄想(モウゾウ)に仮定された自分をいつも〈こちら側〉に置かず、対象に面すれば自分は消えてしまうような心のはたらきが必要です。
 空(クウ)と観て執着せずに愛おしみ、共に涙する慈悲心を持ちながらも流されない人になれたなら理想です。
 故市川団十郎氏がパソコンへ遺した辞世の句です。
「色は空 空は色との 時なき世へ」
 役者の魂を燃焼させ、観客の魂をわしづかみにする喜怒哀楽に満ちた芸術の世界で、氏は色即是空(シキソクゼクウ)空即是色(ックソクゼシキ)をいかに感得しておられたのでしょうか……。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
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「のうぼう あきゃしゃきゃらばや おん ありきゃ まり ぼり そわか」※今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
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2013
02.27

3月の聖語 ─心がよい方向へ向いているかどうかを調べるには?─

2013022700011.jpg

 お大師様の言葉です。

「地獄は恐ろしいところだと言われているが、必ずしもそうではない。
 善心を発揮すれば仏が救ってくださるからである」(空海BOTより)


 芥川龍之介の小説『蜘蛛の糸』は、お釈迦様が極楽から地獄へと救いの糸を垂らしてくださる物語です。
 せっかく昔の善行が認められて地獄から抜け出せるチャンスをもらったのに、自分だけが助かりたいという我欲を出したために、カンダタは再び奈落の底へと落ちました。
 このお話は、善行を実践する者にやってくる善き報いを手に入れられるかどうかは、心がけ次第であることを示唆しています。
 善行者に善き縁が訪れるのは、まじめに勉強していれば周囲にまじめな仲間ができるのと同じです。
 仲間の誰が一生のつき合う親友となるか。
 それは、一歩、レベルの進んだ魂の感応があるかどうかにかかっています。
 天運をつかむために祈りましょうと説かれているのはこのことです。

 つまり、心をよい方向へと変化させる努力がなければ、なかなか天運はつかめないのです。
 よい方向へ向いているかどうかを調べる方法は何か?
 それは、はっきりしており、「誰かのためになりたい」と思っているかどうかにかかっています。

 正直にチェックしてみましょう。

 仏道は、自分が苦から離れるためだけにあるのではありません。
 山などの静かな所に籠もって瞑想し、仙人のような無の境地になっても、真の仏道である菩薩道(ボサツドウ)から観れば「どうぞご勝手に」という範囲でしかありません。
 それよりは、介護の現場で腰の痛みに耐えつつはらたく人や、病気で苦しんでいるのに看護婦さんへ笑顔でありがとうと言う努力をしている人の方が遥かに、菩薩道(ボサツドウ)にかなっています。

 3月11日の供養会にあたり、善男善女から続々と写経が送られてきています。
 どれを読んでも、自分にできることをしたいという温かで誠実で真剣な菩薩の思いが伝わってきます。
 お大師様が説かれたとおり、たとえ地獄に堕ちたとて、よき心になりたい、すなわち誰かのためになりたいという布施(フセ)の心がけがあれば、み仏はお救いくださるのです。
 笑顔で感謝の言葉を述べるのも布施行、運転中に進路を譲るのも布施行です。
 そして、布施行ができる以上、すでに救われることが証明されています
 
 私たちは、いつでも、どこでも、み仏の御手中にあって救われ得る存在であることを忘れずに今日も生きましょう。




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「おん ばざら たらま きりく」※今日の守本尊千手観音様の真言です。
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2013
02.27

3月の守本尊 ─文殊菩薩─

20130227門脇小2新
〈藁科昇氏(塩釜市在住)が撮った石巻市門脇小学校

 3月は、啓蟄(ケイチツ)と春分(シュンブン)の卯月(ウヅキ…3月5日より4月4日まで)です。
 3月は卯(ウ)の月なので、守本尊は文殊菩薩(モンジュボサツ)様です。

 文殊菩薩様は、『過現未来業報智力(カゲンミライゴッホウチリキ)』をもって、過去から現在を通り未来へと連なる因と縁と果とのつながりを見極めるお力をくださり、悪しきことをせず良きことを行うようお導きくださいます。
 文殊菩薩様は、卯年生まれの善男善女を一生お守りくださる守本尊でもあり、身体においては、主として腕や手をお守りくださいます。
 また、数え年3・12・21・30・39・48・57・66・75・84・93・102才の方々を今年一年、立春から節分までお守りくださいます。
 ご供養し、ご守護いただき、暖かさが嬉しい月を心豊かに、無事安全に過ごしましょう。

 当山には、とても小さな文殊堂があり、御守や絵馬も用意されています。
 どうぞおでかけください。
 そして、大きなご加護をお受けください。

21080819 009

 写真は、永代供養を行ってご加護を受けるため、当山の講堂へ納められた文殊菩薩様です。
 総丈は約35㎝あり、日本で唯一、護摩を焚いてできた灰が体内へ納められたご本尊様です。(奉納受付中)




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 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
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「おん ばざら たらま きりく」※今日の守本尊千手観音様の真言です。
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2013
02.27

3月の真言

20130227門脇小1
〈藁科昇氏(塩釜市在住)が撮った石巻市門脇小学校

 3月の守本尊文殊菩薩(モンジュボサツ)様をご供養しお守りいただきたい時、願いを成就させたいと念じる時、つらい時、悲しい時、淋しい時は、合掌して真言(真実世界の言葉)をお唱えしましょう。
 たとえ一日一回でも、信じて行なえば、ご本尊様へ必ず思いが届きます。
 回数は任意ですが、基本は1・3・7・21・108・1080回となっています。

「おん あ ら は しゃ のう」

今月の真言をお聞きになるにはこちらをクリックしてください。音声が流れます


※お聞き頂くには 音楽再生ソフト が必要です。お持ちでない方は、


こちらから無料でWindows Media Player がダウンロードできます。





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2013
02.26

突然、仏神をバカにする言葉がほとばしる私をどうすればよいか?

20130226菖蒲田浜排水機場前
〈藁科昇氏(塩釜市在住)が撮影した被災地七ヶ浜の現状〉

 Aさんは、ときおり、わけもなく仏神へ悪態をつきたくなり、驚きました。
 加えて、そうした悪い心が起きる自分を責めないではいられず、困り果てました。
 神社の前を通ると「神なんかいない」という言葉が漏れ、仏閣の近くでは「ざまあみろ」と嘲ります。
「友人に相談しても笑われるし、ほとほと、自分がいやになりました。
 きっと、が当たると思っています
 もう、が当たっているのでしょうか」

 お答えしました。
「ご心配には及びません。
 それは、貴方の中にあるもどかしい思いが噴き出している状態です。
 もどかしさを発生させる原因がなかなか取り除かれず、自分や周囲の人たちが仏神へ祈っても変わらないので、平静を装っていても心の中にはマグマが溜まっているのでしょう。
 何かの拍子に、それが思いもよらない言葉となって噴き出すのでしょう。
 きっと心の中で仏神へすがりたい気持と、どうせ無駄だと諦める気持とが入り交じり、不安定なのでしょう。
 出る時は、負のエネルギーが解消されているので、結構なことです。
 仏神を信じるかどうかよりも、心がからりとなって活き活きする方が大切なので、言葉の内容を気にする必要はありません。
 また、仏神はすべての人々を救うからこそ人間とは次元の違う存在なのであって、悪しき言葉をぶつけられたからといって決して怒らず、穢れず、も当てません。
 ましてや、悪意があってのことではなく、迷いがさせる行為なので問題はありません。
 むしろ、そうした形で貴方の心の掃除をしてくださっていると考え、品の悪い話ですが、おならが出た程度に受けとめて気楽に過ごしましょう。
 こうしてみ仏の前へご相談に来られ、ご加持(カジ)も受けられるので、やがて悩んでいたことそのものを忘れてしまうでしょう」

 仏法には不悪口(フアック)というはっきりした戒律があります。
 貪りや怒りや愚かしい考えによって相手へ憎悪が生じ、言葉によって傷つけたいという意志が動き、悪しき言葉をぶつけ、相手がその意味を理解した時に、戒律へ背く悪行(アクギョウ)となります。
 たとえば、つまらぬことに怒り、相手を何とかしないではいられなくなり、罵倒し、相手が怯えたり逃げたり、けんかになったりした時に、自分へ必ず悪しき報いがやってくる原因をつくったことになります。
 だから、Aさんは悪行(アクギョウ)であると自分を責めたり、悪業(アクゴウ)や祟りなどを怖れたりする必要はありません。
 Aさんは晴れ晴れとした表情で帰られました。
 もう、ご加護はあったのです。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
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 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。





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2013
02.25

東日本大震災 ─東北関東大震災・被災の記(第125回)─生と死・自然と人間・智慧と布施─

201302250001

 今年の3月11日は、東日本大震災で亡くなられた方々の三回忌であり、その後、震災や原発事故にからんで亡くなられた方々もまた、次々に三回忌を迎えられます。生き残った私たちにとって御霊への誠意とは何でしょうか?

 一つには、生と死を深く考え、きちんと生きることです。
 楽しく生きる、あるいは健康を保つといった陽の方向ばかりが意識されていたかに思える私たちは、人間は死すべきものであるという厳粛な事実を今更ながらに突きつけられました。
 誰にとっても、一瞬後の死は訪れ得るのです。
 このことを肝に銘じて今を生きるだけでも、犠牲になられた方々への大きな報恩になるのではないでしょうか。 最近、医療関係者とマスコミ関係者から悲しい事実を知らされました。
 被害者の中でアルコールやパチンコに依存する方々が急増しているというのです。
 社会を挙げて考えねばならない重要な問題です。

 二つには、人間も自然の一部であり、自然を意のままに利用したり屈服させたりできる範囲には自ずから限度があるということです。
 原発の問題はここを抜きにしては考えられません。
 よく「リスクを計算する」と言い、得られる利益と危険性のバランスが問題にされますが、原発は、事故のリスクがほとんど計算し得ないことを示しています。
 事故から丸二年経っても、〈死者と生者へもたらされた被害全体〉は総括されず、発表されていません。
 それは、計算し尽くせないからです。
 最近、福島県で酪農を行っていた夫の自殺を受け、フィリピン女性が1億円超となる損害賠償の訴えを起こしましたが、仮に1人1億円で30万人と計算すれば30兆円になります。
 村や街や田んぼや畑や山河、そして海への打撃はいかほどになるか、
 おそらく計算のしようもないはずです。
 そうした事実に目を覆ったまま、これまでと同じ道を歩むことができましょうか。

 三つには、智慧布施を忘れないことです。
 仏心によってはたらく智慧自己中心を離れています。
 真の布施は「させていただく」ものであり、我欲を離れています。
 震災でも原発事故でも、私たちは、ギリギリの場面で逃げず〈まっとうした〉方々がおられたことを知っています。
 何かをしないではいられない気持にもなりました。
 あの時、事実を知って流した涙も、自分にはできるか、という自分への問いかけも忘れないようにしたいと願いつつここまで来ました。
 あらためて手を合わせつつ、これからの生き方を考えたいものです。

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 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
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「おん あみりたていせい から うん」※今日の守本尊阿弥陀如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。





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2013
02.24

2013年3月の運勢(平成25年3月の運勢)─流れの生かし方と人生修行─

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 2013年3月の運勢(弥生…3月5日から4月4日まで)です。
 運気の流れによる注意点を参考にし、人間修行の六波羅蜜(ロッパラミツ)行で改運し、開運し、快運となりますよう。

一 困難を克服しかけた時ほど、気を引き締めましょう 

 梅が咲き、桜もそれを追うように、苦労してきた問題に解決の手応えを感じることでしょう。
 特に、仏神を敬い、目上を立て、謙虚にやってきた方は陽光を仰ぎ見る思いがするかも知れません。
 この先も、決して「この私の力があれば何でもできる」などと思い上がることなく、他人の人徳を見つけて憧れる気持を大切にしましょう。

 写真家の畠山直哉氏が著した『気仙川』の「あとがきにかえて」です。

「今でも心ある人たちが発している『忘れるな』という呼びかけは、『震災という出来事を忘れるな』『被災者のことを忘れるな』『死者のことを忘れるな』という意味だけで発せられているのではない。
 あの時僕らの多くは、真剣におののいたり、義憤に駆られたり他人を気づかったりしたではないか。
『忘れるな』とは、あの時の自分の心を、自分が『真実である』と理解したさまざまを『忘れるな』ということなのだ。」


二 誰しもがわかっていながらそう思えない「足るを知る」大切さを考えて幸せになりましょう

 日本人はおしなべて礼儀正しいという定評があります。
 その根本的心性は、日本人特有の「微笑み」となって顕れています。
 渡辺京二は、明治の初めに来日した画家の言葉を紹介しています。

「レガメによれば、日本のほほえみは『すべての礼儀の基本』であって、『生活のあらゆる場で、それがどんなに耐え難く悲しい状況であっても、このほほえみはどうしても必要なのであった』。
 そしてそれは金であがなわれるのではなく、無償で与えられるのである。」


 現代の私たちから失われつつあるものの一つがこの微笑みではないでしょうか?
 まるで互いの運命や宿命を許し合うかのような穏やかで相手を選ばない微笑みは、数千年かけて磨かれてきた私たち特有の「これでよい」という感謝を伴った小さな達観から生まれています。
 渡辺京二は、明治になり失われたと指摘していますが、そうは思えません。
 たとえば、伴侶を送り身を斬られるような悲嘆の中におられる妻や夫が他人へ挨拶し言葉を交わす時にかいま見せる微笑みに、あまりの美しさを感じて合掌したくなる場合があります。
 観音様やお地蔵様に通じる微笑みこそ、私たちの宝ものではないでしょうか。

三 陽気に誘われてでかけたなら、人間も自然の一部であることを実感してみましょう。そして、自然の前で謙虚になりたいものです

 昭和三十八年、評論家の渡辺一夫氏は『大自然と人間』を書きました。
 その中に、信濃川の分水工事が採りあげられています。
 新婚夫婦として越後方面へ挨拶まわりにでかけた時に見た現場はほとんど完成しかかっており、水害が食い止められるなどの恩恵が得られる様子に、「人間は、こうやって自然を征服し馴致して、その暴威を食い止めたのだ、というような若干誇らしい気持」を抱きました。
 それから三十二、三年後に越後を訪れた時は、〝不幸な名所〟となっている護岸工事の現場を見なければなりませんでした。
 一説によれば、分水工事を行ったために信濃川から流れ出る土砂の様子が変わり、海が激しく海岸を浸蝕するに到ったらしいのです。

「分水工事はまさに偉業であり、そのために、越後の人々はどのぐらい助かっているか判りますまい。
 しかし、年月がたつにつれ、越後の一角がすこしづつ削り取られ、これを防ぐために莫大な費用を支払わねばならぬ結果になったことと、この分水工事との間に何かの関係があると仮定するならば、人間が大自然を征服し馴致することが、どんなにか危ないものかという反省を、今更のごとく抱かざるをえません。
 なにかうまくやったと思いましても、必ず気づかぬ手ぬかりがあり、そして自然は悠々と復習してきます。」


 まるで東日本大震災における原発事故を予言していたかのような文章です。
 私たちはいかに万全を尽くしたつもりでも、大自然の前では所詮「手ぬかり」をやってしまう程度の存在です。 こうした意識をもっていれば、「この先へ進んではならない」という歯止めがかかることでしょう。
 氏は「付記」を加えました。

「孫娘が、高校生になった頃(1970年)公害と呼ばれる『人害』や、やっとのことで問題になりました。
 ところが、孫娘が大学生になった今年(1973年)排気ガスを撒き散らす自動車が売れすぎて品不足になったという話を聴いたが、これはどういうことなのであろうか?(mai1973)」


 今月の六波羅蜜(ロッパラミツ)行と運勢です。
 精進しようではありませんか。
 皆さんの開運を祈っています!

[布施(フセ)行と運勢水を供えましょう。
 精進の人は力量ある人の協力を得て成就へ向かいます。
 不精進の人は争論や色情因縁に巻き込まれ、仕上がりを待っていた段階で挫折しがちです。
[持戒(ジカイ)行と運勢塗香(ヅコウ)で身と心を清めましょう。
 精進の人は人を観る目のある人物から高く評価され、成功します。
 不精進の人は家業や家督を守りきれず、失敗しがちです。
[忍辱(ニンニク)行と運勢お花を供えましょう。
 精進の人は慎重にとりかかり、愚直に目的を達成します。
 不精進の人は巧言を用いたり他人の名声を利用してうまくやろうとし裏目に出がちです。
[精進行と運勢お線香を供えましょう。
 精進の人は親衛隊を上手に動かして小さな成功を積み重ねます。
 不精進の人は高圧的で独断的な態度やが反発を招き、大きな失敗を招きがちです。
[禅定行と運勢]飯食(オンジキ)を供えましょう。
 精進の人は目下が自主的に動き、ますます手腕が発揮できます。
 不精進の人は自慢や高慢が信望を失わせ、せっかくの大役に失敗しがちです。
[智慧行と運勢]灯火を供えましょう。
 精進の人は誠実一路で自分に厳しく、他のためになり安寧を得られます。
 不精進の人は外面だけを考えて判断し行動し、出費がかさんで失敗しがちです。

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2013
02.23

【現代の偉人伝】第168話 ─レディー・ガガのティーカップを寄贈した弓哲玖(ユミアキヒサ)氏─

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 大崎市の歯科医弓哲玖(ユミアキヒサ)は、平成24年春、米歌手レディー・ガガが東日本大震災支援チャリティーオークションへサイン入りのティーカップを出品した際、「震災の復興目的以外で使われてほしくない」と考え、約600万円という破格値で落札した。
 弓氏は歯科医だが、かねて自閉症の子供たちの治療などへも精力的にとり組み、大震災のおりには歯形から犠牲者の身元を特定する作業に携わり、その後も被災地での支援活動を続けてきた。
 弓氏は震災後に発症した特発性肺線維症という難病をかかえており、平成25年に入って入院したが、酸素ボンベを用いながらも「患者さんをいつまでも待たせられない」と自分の病院へ戻り、治療に励んだ。
 しかし、2月の再入院をきっかけに、妹の張琴(チョウコト)氏へティーカップの寄贈を頼んでいた。
 3月20日、願いどおりティーカップは宮城県へ寄贈され、21日、弓氏は、それを待っていたかのように逝かれた。
 張琴氏は言う。
「最期は微笑んでいた。
 亡くなる前に渡すことができてよかった」
 村井知事もコメントを述べた。
「県に寄贈いただきましたカップについては、故人の遺志をしっかりと受け止め、一人でも多くの被災者を励ますことができるように、工夫して使わせていただきたいと思います」

 レディー・ガガは、震災から10週間後、世界が原発事故の放射能漏れを不安視していた頃に来日して被災者を励まし、「日本は安全だからみんな美しい日本へ」とアピールした。
 紅白歌合戦に出演し、「この宿命に生まれてきた自分を愛そう」と唄った。
 「PRAY FOR JAPAN」と書いたブレスレットを売り1億円以上もの寄附をしたり、件のティーカップをオークションへかけるために来日したりもした。
 世界中で各種の被災者などを精力的に応援するレディー・ガガの「日本のために祈りを」というアピールは、被災者を励ますだけでなく、多くの実質的な支援に結びついた。
 被災した仙石病院理事長の神部廣一医師の言う「本当に必要なもの」を理解し、努力していた。

 弓氏がこうしたレディー・ガガの思いに応えたのがティーカップの落札だった。
 カップはルース駐日米国大使もかかわったほどの品物であり、誰が入手してもずっと注目され続けるだろうと思われた。
 弓氏は、オークションへの参加者が必ずしも震災の復興を真の目的としないことを予想し、身銭を切った。
 復興させたいという一アーティストの志を純粋な形で守ろうとした。

 氏は54才だった。
 無念ではあったろうが、レディー・ガガの歌詞にあるとおり「この宿命に生まれてきた」ことを達観しておられたのではなかろうか。
 老いて、あるい病を得てこの世を去るにあたり、自分の志に合わせてモノを手放すのは自分のためであり、周囲のためでもある。
 最も晩節を汚すのはモノや立場への執着心であり、死後、周囲に醜くおぞましい争いが発生するのは不用意に遺された財物によるところが少なくない。
 その点、バラモン教に源を持つインドにおける四住期(シジュウキ)は理解できる。
 学ぶ学生期(ガクショウキ)、祭祀を行いつつ家族を守りはたらく家住期(カジュウキ)、森林に隠棲して修行する林棲期(リンセイキ)、托鉢(タクハツ)して過ごす遊行期(ユギョウキ)は、執着心を離れるイメージに合う。
 日本において同じく実践するのは困難だが、こうした意識で暮らしつつ最期を迎える生き方、死に方はできる。
 弓氏は、自分の生きざま、そして死への覚悟をティーカップの取得と寄贈に込めたのではないか。
 せいいっぱいの尊崇を込め、冥福を祈りたい。



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2013
02.22

大阪府大東市における小学五年生男児の自殺(その2)

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〈東日本大震災の津波ですべてを流された薬屋さんは、内陸部での行商に活路を見出そうとしておられます〉

 2月14日、大阪府大東市在住の小学五年生男児(11才)が電車に飛び込み自殺した。
 遺書らしいメモがあった。
「どうか一つのちいさな命とひきかえに、(小学校の)とうはいごうを中止してください」
 男児の通う学校は3月で廃校となる予定だった。
 いくつかの点で見過ごせないと思う。

 人は一生をかけて成長する。
 最後には大きく崩れる場合もあり、そうならない場合もあるが、いずれにせよ、児童の頃は親がかりでなければ生きられず、人生のすべては〈これから〉の段階である。
 児童の状態は「頑是(ガンゼ)無い」と表現される。
 頑は頑迷(ガンメイ)に通じ、頑なで柔軟な理解力のないさまであり、是は道理にかなっていることである。
 だから、頑是無いとは、理解力がまだ未発達で、道理がわからず、幼い状態を指す。
 つまり、児童は、いかに快不快や好悪などの感情をはっきり示そうと、社会的なものごとを客観的な視点も交えて判断するだけの知的能力は備えていない。
 社会的制裁である刑法上の罪を問われない理由はここにある。

 児童を育てる上で重要なのは、いじめや万引きやカンニングやボランティア活動など身近な範囲で正義の〈感覚〉を身につけさせることであり、社会的問題については、「君にはまだ、わからない。もっと大人になればわかる」として、軽々に正邪善悪の〈判断〉や〈主張〉をさせないように指導せねばならない。
 児童が一方的に社会的正義を主張しようとしたなら、それがいかに知識と経験が不足している中で行われたかを知らせるために、主張と反対の見方や事例を示すことこそ大人の仕事ではないか。
 そして、まだわからないのが自然な状態であると自覚させ、わからないからこそ知ろうとする姿勢は大いに誉めてやりたい。

 大東市の児童は、統廃合がいのちをかけても阻止せねばならない許すべからざる不正義であると認識し、いのちを断った。
 もちろん、大人がそう判断し主張し行動するのは自由であり、なんぴとにも抑られるべきではない。
 しかし、能力的に未熟な児童へ、社会的事象に対して「不正義」と主張させ、それに基づく社会的行動をさせてはならないと思う。
 もしも、大人も子供も同じ人間だからという理由でやらせるならば、結果責任も児童に負わせねばならないが、それは妥当か?
 今回は、ご家族も気づかぬうちにすべてが児童の心中で進行してしまったらしく、本当にお気の毒というしかない。

 曾野綾子氏は、産経新聞の2月20日号へ『世界の広さを知っていたら』を書いた。

「人の生きる世には、ほとんどあらゆることがある。
 死別や別離など日常茶飯事だ。」
「電気も地図もないアフリカの村の人々は、紛争が起きればただ本能的に逃れようとする。
 桶に鍋や釜とわずかな衣服を入れて頭に載せ、方向もわからずに歩き出す。
 隣国との境界には堀も壁もないから、いつのまにか広大な野生動物保護区に入り込み、ライオンに食べられたという人もいるという話も珍しくない。
 多くの子供たちは貧しくて学校に通っていない。
 トイレも手洗い場も、電気もない学校は、あったにしても路線バスがないから遠くて通えない。」
「親たちは家庭では子供にまともな1食も与えられないことも多い。」
「学校が用意されている。
 通える範囲に学校がある。
 そういうことさえ世界の中でどれだけの幸福か、解説してくれる人がいたら、この小学生は死なずに済んだろう。
 小学生にももう少し現世の厳しい現実を教えることだ。
 さらに加えて自分たちはまだ何も知らない『過程の人間なのだ』という謙虚さも伝えることだ。
 大きくなれば、中国の圧迫に対する抗議のために焼身自殺をするチベットの僧侶のような行為も必要になるかも知れない。
 しかし子供のうちは学ばねばならないことだらけだ。
 子供は決して大人と同権ではないのである。」


 幼く、あどけなく、頑是無い児童は、社会に生きる人間たる準備をしている途中にあり、あくまでも大人の責任で保護され育てられるべき対象であることを、大人も子供も肝に銘じたい。




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2013
02.21

大阪府大東市における小学五年生男児の自殺(その1)

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〈塩釜市の仮設店舗で出会った紫式部の一首〉

 2月14日、大阪府大東市在住の小学五年生男児(11才)が電車に飛び込み自殺した。
 遺書らしいメモがあった。
「どうか一つのちいさな命とひきかえに、(小学校の)とうはいごうを中止してください」
 男児の通う学校は3月で廃校となる予定だった。
 いくつかの点で見過ごせないと思う。

1 わずか11才で「一つのちいさな命とひきかえに」という決断をしたこと。

 ニュースによれば、周囲がテロ的な思想を吹き込んだわけではない。
 性格的には優しく、むしろ臆病な面もある子供だったという。
 母親への携帯電話には感謝の言葉が送られている。
「今まで、ありがとう」
「家族みんな大・大・大好き」
 おそらく、ものごとの本質をじっと見詰めるタイプだったのだろう。
 そして、自分を省みず正しいと信じたことを突き詰める生き方に憧れていたのだろう。
 また、周囲で起こる物語の中へ自分を投げ込む空想に長けていたのだろう。
 自分の生活態度がそうした英雄的行動から遠いだけに、いっそう、実践者としての空想が膨らみ、ゲームの主人公へ自分を重ね合わせるような思い込みが生じたのではないか。
 感謝の言葉も、もちろん、本心だろうが、周囲に氾濫する〈感動〉を催させる言葉のパターンそのものである。

 しかし、社会的メッセージとは裏腹に、我が身を忘れた菩薩(ボサツ)の実践とは違う気配がある。
 学校の統廃合が、いのちを投げ出すことと釣り合わない問題であるという面だけではない。
 自殺の第一の目的は他のためでなく、自分にとって耐えられない状況から逃れるためであろうと想像される。
 もちろん、周囲に廃校を嫌がる仲間や憤る大人たちはいただろうが、心理的な本質としては、前述の疑似ヒーローというより、むしろ、いじめによる自殺と通底しているのではないか。
 本人の性格からして、これほどいじめによる自殺の報道が重なっていなかったならば、自殺は状況転換の身近な手段となり得なかったのではなかろうか。

 視覚と聴覚を同時に強く刺激し、非現実であることを忘れさせるほどのリアルさで子供たちの日常生活をリードするかのようなゲームの氾濫。
 子供の世界における自殺自死という現実と言葉の氾濫。
 そして、幼い正義感。
 こうした内外の奔流へあまりにも敏感に反応し、すなおに、清らかなままで逝ってしまった御霊がただただ安らかであって欲しいと願う。




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「おん さん ざん ざん さく そわか」※今日の守本尊勢至菩薩様の真言です。
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2013
02.20

歩みを合わせる ─熟年の危機に思う─

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〈来訪者はすでに激減している〉

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〈かつての厨房ほどしかない仮設店舗はあと一年ほどしか使えない現実〉

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〈祈る先にいた不安そうな彼〉

 いつもゆっくり歩く妻が、病院では、さらにゆっくりと歩く。
 私が普通に歩くスピードの3分の1もない。
 あまりに哀れで、やや後から歩調を合わせてみた。
 そこには、まったくあずかり知らなかった人生があり、愕然とした。

 これまでは、自分のスピードを主として歩いてきた。
 妻はいつも後からついてきたが、遅れがちなので、何度も何度もふり返り、妻が〈いる〉のを確信しつつ、まっすぐに目的地へと向かって歩いた。
 めしの半田屋などの駐車場から食堂へ向かう途中などもすべてそうだった。
 ときおり、妻はうらめしそうな視線を送ってよこすが、〝遅いなあ〟としか思わなかった。
 公的であろうと私的であろうと、私にとって、目的地へ向かう道々ではいかに時間をかけないかが関心事のすべてだった。
 そこには〈速い私〉と〈遅い妻〉しかいなかった。
 速い私が問答無用と歩むので、遅い妻はいつも、私の何倍も苦労していた(ことをやっと知ったのだ)。
 私がそのことに気づくのはあまりに遅かった。

 私はいつも「夫婦は二人で一つの人生を歩む」という信念を持ち、「夫婦は一心同体」と信じてやってきた。
 そのくせ、娑婆にいた頃、悪事をはたらくのは常に私、後悔は妻の何倍もしたはずだ。
 でも、信念は揺るがなかった。
 しかし、省みれば、会社のため、仕事のため、社員のため、法務のため、世のため人のため、夫婦は一緒にと言いつつ、すべてはマイペースの中で行われてきた。
 つまりは、自己中心で、妻の人生のすべてを私へ合わせさせてきただけではなかったか。
 もちろん、妻の意見に耳を貸すが、思考において言葉において行動において、すべて私と異なった妻のペースがあることは、ほとんど省みられなかった。
 「~のため」は一心同体の二人にとって共通の目的であるべきだと信じてやってきたが、その志は、妻からすれば独り善がりでしかなかったか……。
 でも、妻は反抗せず、裏切らず、私より何倍も几帳面に与えられた役割を果たそうとしてきた。
 そして、ちょっとしたできごとをきっかけにして張り切っていた糸は切れた。

 最近は熟年者人生相談が増えつつある。
 話をお聴きしているうちに、あるパターンに気づいた。
 懸命にはたらく夫が、家庭でも仕事と同じペースでやってきたこと。
 そして、仕事を離れても行動のペースがなかなか変えられないことである。
 結果はどうか。
 私のように一緒にやってきた妻は、加齢もあっていつか、息切れがする。
 サラリーマンの妻は、家を守りつつできあがっていた自分のペースが乱され、混乱し、当惑し、耐えきれない思いになる。
 ブルドーザーのようにバリバリやる夫ほど、このあたりには気を配らねばならない。
 当然ながら、社会的貢献は、決して夫婦の私的な安寧を保証するものではない。
 そして、私的な安寧は自分のためだけでなく、むしろ、伴侶のためにこそ真剣に求められなければならない。

 そこで、気づくのがあまりに遅すぎた愚かな者から一つ、提言をしておきたい。
 夫婦のどちらであれ、仕事から帰り私的な空間に入ったならば、家を守っていた相手のペースに合わせること。
 それができない、あるいはしにくい理由は山ほどあるだろう。
 いいわけを始めたらきりがないに違いない。
 しかし、こうした心がけや習慣がないと、ようやく社会的役割を終えた後に待っているのは、必ずしも安楽でないかも知れない。
 こうした心がけや習慣がないと、仕事から離れた時点で自分を変えにくく、配偶者共々、安楽を手に入れられないかも知れない。

 恋愛の時代には、自然に、ペースを合わせて散歩する。
 結婚して娑婆を生き抜く戦争が始まると、それどころではなくなる。
 しかし、ときおり、一緒に散歩などしてペースを合わせ、相手の息づかいを確認しておいた方が良い。
 相手も自分の足で自分の人生を歩んでいるのだ。
 社会的役割を終えそうになった時も同じである。
 散歩で相手のペースを確認し、密かに、自分が相手へ合わせる訓練をしておく。
 これだけでも、人生の幕引きを意識し始める時期に発生しがちな惑乱は、かなり減らせるように思う。

 散歩ジョギングは大流行と見受けられる。
 すでに、たくさんの方々がこうした心がけで安楽を得ておられることだろう。
 後から気づいた愚かな者として、まだ気づいておられないかも知れない方々のために老婆心から恥をさらした。
 笑った方には忘れていただきたい。




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2013
02.19

お孫さんの「別れの言葉」が放った光輝と香気 ─孤立無業者が増える日本をどうするか─

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〈あるお店でシュールな鳥かごを発見しました〉

 最近、「もう、だめか」といういのちの危機を幾度も乗り越えたAさんが逝かれた。
 何があってもいいわけをせず、自分に克ち、兄弟や友人中のヒーローだった。
 お孫さんが別れの言葉を述べた。

「長い闘病生活のうち、最後の一ヶ月間は、何だか、家族のために頑張ってくれたような気がしています」

 
 確かに看病する家族は大変だが、闘病の姿には、家族でなければなかなか見つけられない尊厳があったのだろう。

「小さな子供の頃は、おじいちゃんのお経が私の目覚まし代わりになってくれました。
 家族のために祈るおじいちゃんのおかげで、心暖かく一日を始められました」


 Aさんは奥さんを亡くされてから般若心経に親しむようになり、多忙な日々であるにもかかわらず、写経にも読経にも励んでいたという。
 小学生のお孫さんは、読経する祖父の声と後姿に心が暖まった。

「お見舞いに行って曽孫を見せたら、可愛い子に育てなさい、可愛そうな子に育ててはいけないよと言われました。
 言葉の持つ意味の違いと深さをあらためて教えられました」


 もうすぐあの世へ逝こうとしている人が口にした「可愛い子」「可愛そうな子」にはどれだけの意味が込められていたのだろうか。
 おそらく、Aさんはそうした気持で子供や孫に接してこられたのだろう。
 だからこそ、お孫さんの心へ強く響いたのだろう。
 受け売りやお説教では、決して、こうはならない。

「おじいちゃんから教えられた、家族を大切にすること、くじけない芯の強さを受け継ぎ、伝えて行きます。
 見守っていてください。
 人の道から外れそうな時は、愛のあるお叱りで守ってください」

 
 私がお通夜やご葬儀のあとに申しあげる短いお話には必ず、「あの世から皆さんを見守っていてくださるものと信じています」が含まれる。
 この世とあの世は通じており、「よかれ」と願う思いは、この世からあの世へと向かい、あの世からこの世へと向けられ、途切れない。
 だからこそ、敬虔な気持で送り、ねんごろに供養を行う。
 この「通じている」という大前提こそが、私たちの倫理観を支えている。

 15年前、渡辺京二は『逝きし世の面影』を書いた。
 そこには、明治時代の知識人たちがそれまでの日本を全否定したと指摘されている。
 明治初期に来日した西洋人の手紙である。

「現代の日本人は自分自身の過去については、もう何も知りたくはないのです。
 それどころか、教養ある人たちはそれを恥じてさえいます。
『いや、何もかもすっかり野蛮なものでした(言葉そのまま!)』とわたしに言明したものがあるかと思うと、またあるものは、わたしが日本の歴史について質問したとき、きっぱりと『われわれには歴史はありません。われわれの歴史は今からやっと始まるのです』と断言しました」
「新日本の人々にとっては常に、自己の古い文化の真に合理的なものよりも、どんなに不合理でも新しい制度をほめてもう方が、はるかに大きい関心事なのです」


 まるで、戦後の日本そっくりではないか。
 しかし、数千年もかけて私たちのを彩ってきたものは、そうした知識人たちの思惑とは無関係に、庶民が生死を繰り返す中で保たれ、光輝も香気も失ってはいない。

「あなたが私のおじいちゃんであったことに感謝しています。
 しばらくの間、お別れですが、さよならではありません。
 またね!」


 学校教育の場で、こうした日常生活にある宝ものを生かしてはどうか。
 もしかして「宗教だからダメ」と排斥するのだろうか。
 光に目をつぶり、香りをないものとしているうちに、良心の声までが聞こえなくなってきた。
 これが今の日本ではないか。
 独身で何もしない孤立無業者が162万人にも達した今、転換をはからねば取り返しのつかぬことになりはしないだろうか。
 



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2013
02.18

東日本大震災 ─東北関東大震災・被災の記(第124回)─三回忌に般若心経百万巻を捧げましょう─

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 3月11日(月)、2年前のあの日に亡くなられた方々の三回忌がやってきます。
 当山は、般若心経108巻を唱え、ご供養します。
 この2年間、私たちは、いつもの姿そのままに、善きことを行い、悪しきことを行ってきました。
 復旧、復興のために汗を流したり、私財を提供したりする方があれば、一方では、火事場泥棒のごときふるまいや、原発事故に遭った方々への差別めいた恥知らずなできごとも横行しました。
 この世の様相がいかなるものであっても、逝かれた方々は、もはや阿弥陀如来の浄土へ到着しようとしておられます。

 年忌供養は、逝かれた方々の御霊が無事安寧にあの世の旅を行い、この世での悪業(アクゴウ)を清め、やがて嬉しい転生(テンショウ)がもたらされるよう、この世の私たちがみ仏のご加護を願い、供養の功徳をもって追い風とする伝統的宗教行為です。
 初七日は不動明王がその役割を担われ、四十九日の中陰は薬師如来のお力で通り過ぎ、三回忌はおよそ私たちが想像し得る限り最高に安心な極楽浄土で阿弥陀如来がお招きくださいます。
 だから、三回忌は宗派を問わず、御霊を想う善男善女が熱心に行ってきました。

 当山は、昨年の3月11日、般若心経を108返唱える供養会を開催し、全国の方々へ呼びかけました。

「日本人は古来、国難に際しては宗教宗派を超えて般若心経を寺院でも神社でも唱え、乗り切ってきました。
 だから、当ブログでは毎日欠かさず、原発事故の早期解決にむけた読経を呼びかけています。
 3月11日には、当山において100返の読経を行います。
 100人の方々が集まられれば1万巻になります。
 もしも、あと9900人の方々が全国各地で一緒に午前10時から100返唱えてくだされば100万巻になります。
 あるいは10返だけでも唱えていただければ、人数によって膨大な数になり、大きな供養となることでしょう。
 この時、『日本は一つ』が実現できはしないでしょうか。
 ご先祖様方がそうして日本をここまで導いてくださったように、私たちも今、一年の節目に状況を大転換させるべく、般若心経を一緒に唱えましょう。」


 お大師様は『般若心経秘鍵(ハンニャシンギョウヒケン)』一巻をもって、般若心経について解き明かされました。
 その中の文章です。

「一一の声字(ショウジ)は、歴劫(リャッコウ)の談にも尽きず。
 一一の名実(ミョウジツ)は、塵滴(ジンテキ)の仏も極めたもうこと無し。
 この故に、誦持(ジュジ)・講供(コクク)すれば、則ち苦を抜き楽を与え、
 修習(シュジュウ)・思惟(シユイ)すれば、則ち道(ドウ)を得、通(ツウ)を起す。」


(一つ一つの文字について説明し尽くそうとすれば、無限の時間をかけても足りない。
 一つ一つの文字の名称と意味は、無数のみ仏方皆さんでも極め尽くせない。
 これほどの内容と力を持つ般若心経は、熱心に唱え、説き、供養すれば、たちどころに苦を解かし、安楽を与え、
 学び会得し、思惟を深めれば、仏道を悟り、非日常的な力も発揮できる)

 
 日本人は古来、このことを信じ、国難に際しては神社仏閣を問わず、どこででも天皇から庶民まで般若心経を読み、書き、奉納してきました。
 密教においては「般若心経法」が修法されてきました。
 最近は、四国遍路や写経という形でこの経典に導かれる善男善女が増えているのではないかという実感があります。

 お大師様は『般若心経秘鍵(ハンニャシンギョウヒケン)』をこう締めくくられました。

「一字一文(イチモン)、法界(ホッカイ)に遍じ
 無終無始(ムシュウムシ)にして、我が心分(シンブン)なり
 翳眼(エイゲン)の衆生(シュジョウ)は、盲(メシイ)て見ず
 曼儒(マンジュ)・般若(ハンニャ)は能(ヨ)く紛(フン)を解く
 この甘露を灑(ソソ)いで迷者(メイジャ)を霑(ウルオ)し
 同じく無明(ムミョウ)を断じて魔軍(マグン)を破せん」


(一つの文字、一つの文章は真実世界に遍く満ち渡り、
 終わりも始まりもなく、私たちの心に具わっている。
 真理・真実を観る心眼が開いていない私たちには、わからないが、
 文殊菩薩《モンジュボサツ》と般若菩薩《ハンニャボサツ》はその力に導かれて、私たちの迷いや苦しみを解き放つ。
 願わくば、この上なく甘い甘露のような般若心経の力をもって迷える私たちの心を潤し、
 根源的な智慧のない無明《ムミョウ》という闇を打ち破り、煩悩《ボンノウ》の魔ものたちをうち砕いて欲しい)


 般若心経百万巻の法要において導師が行う修法には、この世とあの世のあらゆる罪科を集め、それを打ち砕き、すべての業障(ゴッショウ…悪業による障り)を取り除く過程があります。
 供養は、あの世の方々へ安寧をもたらすと同時に、唱える私たちの悪業を滅する善行でもあります。
 当山へ足をはこばれても、はこばれなくても、たとえ一巻だけでも、ぜひ、共にお唱えいただきたいと願っています。
 写経の納経も大歓迎です。

日 時:平成25年3月11日(月)午前10時より12時まで
場 所:当山本堂
御 守:ご来山の方々へもれなく供養会の功徳を集めた般若心経御守をお授けさせていただきます。
参加費:無料
送 迎:午前9時30分に地下鉄泉中央駅近くの『イズミティ21』前へお迎えの車がまいります。乗車希望の方は9日午後5時までにご連絡下さい。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。




「おん あらはしゃのう」※今日の守本尊文殊菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。





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2013
02.17

子や孫のためにふり返っておきたい先人の導き(その48) ─真の節約は、有り余っている時にしかできない─

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 この欄では、『実語教童子教』と共に、昭和6年に発行された小冊子も基にして子供たちの導き方を考えています。
 冊子の最後に「僕の好きな金言(キンゲン)」という欄があり、当時少年だった方は以下の6つを書き込んでおられました。

48 「僕の好きな金言(キンゲン)」

無一物になってからの節約はあまりに遅い」


 事業に失敗し無一物になった者としては、実によく理解できます。
 モノやお金がある時、あるいは入って来る時には、無意識ながらそれが〈無限〉に続くと錯覚するものです。
 もちろん、諸行無常の現世にそんなはずはなく、〈無限〉と思って過ごす錯覚が心にさまざまな歪みをもたらします。
 傲慢、野放図、お人好し、軽薄、不注意、……。
 こうした歪みは周囲に悪しき心を集めます。
 嫉妬、対抗、騙し、乗っ取り、強奪、……。
 そして、自分自身を見失い、周囲の状況を見誤り、守りが甘くなり、無一物になります。

 この流れが奔流となり終着点へ向かう途中での節約は、なかなかできません。
 しかし、「しまった」では遅いのです。

 なくなればもう、ケチケチして生きるしかありません。
 100円の缶詰を妻と分け合って食べた時、あそこにあったのは〈節約〉と呼べるものかどうか。
 節約という言葉には、手元にあるものに引きずられず自分を律する徳が含まれています。
 しかし、合掌し、相手の箸を気にしながら2人で小さな楕円形の缶に入った秋刀魚の煮付けを食べていた時、相手への思いやりはあっても、そうした徳は、はたらきませんでした。
 自分から煩悩(ボンノウ)を引き出そうとする相手はいないのです。

 モノやお金がある時にこそ、節約は意味を持ちます。
 煩悩に負けない徳のある行為として善業(ゼンゴウ…善き結果をもたらす原因としての影響力)が積まれます。
 無くしてからでは、できません。
 あまりに遅すぎるのです。




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2013
02.16

定年出家の落とし穴 ─娑婆にいた者の体験から─

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〈朝日新聞さんからお借りして加工した隕石落下の写真です〉

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〈『森栖』さんです〉

 最近、定年後の出家が話題になっています。
 お葬式が減って成り立たなくなりつつあるお寺へ住んでもらおうと、積極的に勧める動きもあります。
 また、名刺とやることがないので、「のんびり僧侶でもやるか。でも最初の修行は大変そうだな」といった感じで出家を考える方々もおられます。
 加えて、簡単に僧侶の資格を与えるところも現れました。

 こうした需要と供給のバランスで即席僧侶が生まれ、寺院が隠居者の家になるとしたら、廃寺が減るよりも深刻な事態になりかねないという危惧があります。
 「不惑」とされる40才を超えた頃に出家し〈それまでの自分〉と20年以上の戦いを続けている〈一足早めの体験者〉として、率直な感想を述べておきます。

1 出家生き直しであり、これまでの自分すなわち、自己流の人生の渡り方を捨て切ることである。

 師から「お前はこれまでで一番、やっかいな弟子だ」と言われたことは忘れられません。
 不如意のままに商売を始め、無一文になるまでの過程で心にこびりついた悪しきものたちは、あたかも甲羅のように固く、本ものの僧侶として生きるためには血を流しつつはぎ取るしかないことを、よく自覚していたからです。
 世間へ出てから20年間、悪戦苦闘する中でつくられた自分流の生き方は、見事なほど、み仏の説かれる生き方とかけ離れており、以後、20年間戦ってなお、戦火は下火になりましたが終熄はしていません。
 40年以上も娑婆の風に吹かれた方々が、老境を迎える頃にそれまでの生きざまを捨てきるなど、簡単にできましょうか。
 自分の人生経験を生かして若い人たちを導こうなどという考えは、〈娑婆からの連続〉が前提となっており、出家者には不要であるだけでなく、そもそも出家の覚悟と相反しています。
 いかに捨てきるかが出家における真剣さのバロメーターであることをよく考えていただきたいものです。
 よく「修行は大変でしょう」と言われますが、どの世界でも練習や稽古が大変なのは当然です。
 学生時代から仏教を学び、座禅も行い、さんざん寺院や宗教団体をめぐり、それでなお出家は遠く、ついに全財産を失ってようやく、み仏に手を引かれるように出家した者として、捨てきる〈覚悟〉と、その後永遠に続く〈過程〉こそが大変であることを指摘しておきます。

2 出家者は、生きられる安易さに負けず、堕落せず、聖職者であり続けねばならない。

 お釈迦様は、『四十二章経』において、仏道を歩む難しさについて二点を説かれました。
「貧窮(ビングウ)にして布施(フセ)するの難(ナン)」
「豪貴(ゴウキ)にして道(ドウ)を学ぶの難(ナン)」
 自分が貧窮し困っていながら誰かのためになろうとするのは、とても困難です。
 同じように、モノ金に恵まれ世間で威勢を張っていながらにして、仏道を目ざすこともまた、簡単ではありません。
 もちろん、例外となる方々は少なからず存じ上げていますが、当てはまってしまった例もまた、数多く知っています。
 いずれにせよ、蓄財や年金によって生活が安定しているのに、そうしたものへすがらず、自分を切り刻むことは容易ならぬことと言えます。
 真剣勝負を行う必要のない方が、切るか切られるかの場へ進んで臨めるでしょうか。

3 他者の死を己の死として受けとめ、別れの悲痛を繰り返し感得し、死者を送る命がけの修法はプロのプロたる部分を研ぎ澄ませる。

 葬式坊主という言葉が広く用いられるようになって久しい感があります。
 しかし、ご葬儀で納められるまとまったお布施は寺院の運営に大きな力となりますが、僧侶は決して、それを当てにして生きるわけではなく、もちろん、それを当てにして修法するわけでもありません。
 無数の死を我が死とすること、無数の悲嘆を我が悲嘆とすること、この恐ろしい役割を担う僧侶は凄まじい業(ゴウ)を背負った者です。
 私は引導を渡す際に、歯を食いしばってしまいます。
 おかげで片方の奥歯は壊れ、もう片方もかなり怪しくなりました。
 歯医者さんから「めり込んで変形しています」と言われましたが、これは、死者を極楽へ渡す真剣勝負の証しであり、自分の悪業をいくばくかは削ぎ落とした結果でもあるような気がしています。
 葬送は、人類の歴史が始まって以来、途絶えることのない高レベルの精神活動です。
 ここを軽視、あるいは無視する〈宗教〉は考えられません。
 宗教者たちに堕落が見られるからといって、宗教行為そのものを貶めるのはいかがなものでしょうか。

4 僧侶は常に神経勝負を行わねばならず、勝負ができなくなれば試合には出られない。

 加齢には克てません。
 勝負できる心技体をいつまで鍛え、整え続けられるか。
 実はこれが定年後の出家における一番の問題です。

 急いで書き連ねましたが、安易にプロを目ざす危険性と、仏法の維持ではなく寺院の維持を目ざすかのような流れに潜む問題点に気づいていただければ幸甚です。
 もちろん、プロにならず、在家において生き直しを行い、生きられる安易さに負けず人の道を求め、他者の死を我が死としつつ生きることはどなたにでも可能であり、仏法の門戸は広く開かれています。
 菩薩(ボサツ)を目ざす出家者は、同じく菩薩を目ざす在家の方々と共に歩んでいます。
 愚考をたたき台にして、人生の最後の日々をどう過ごすかお考えいただければ幸いです。合掌




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2013
02.15

子供2人を殺した父親のこと ─北朝鮮と日本─

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 2月13日付の産経新聞は「正恩政権下 餓死数万人」とし、黄海南道の農村幹部がアジアプレス関係者に語った話を報じた。

「子供2人を殺して食べようとした父親が銃殺された。」


 事実かも知れないし、そうでないかも知れない。
 北朝鮮が、こう報じられても仕方がない状況にあることは想像できる。

 とっさに思い出したのは民俗学者柳田國男著『山の人生』である。
 その中に、ある囚人から聞いた実話がある。
 食うに困った山村で、子供2人を殺し、死にきれず逮捕された父親がいた。
 妻を亡くした男は13才の男の子と、同じ年頃の女の子を育てていたが、ひどく不景気で何度、里へ降りても米が手に入らなくなった。
 昼寝から覚め、悲劇は起こった。

「眠がさめて見ると、小屋の口一ばいに夕日がさして居た。
 秋の未の事であったと謂う。
 二人の子供がその日当りの処にしゃがんで、頻(シキ)りに何かして居るので、傍へ行って見たら一生懸命に仕事に使う大きな斧を磨いて居た。
 阿爺(オトウ)、此(コレ)でわしたちを殺して呉れと謂(イ)ったそうである。
 そうして入口の材木を枕にして、二人ながら仰向けに寝たそうである。
 それを見るとくらくらとして、前後の考も無く二人の首を打落してしまった。
 それで自分は死ぬことが出来なくて、やがて捕えられて牢に入れられた」


 空腹・夕陽・斧、そして口減らしのために死を望む子供たち……。
 追いつめられた男に錯乱が起こり、行動した。

 文章中にある「くらくらとして、前後の考も無く」に含まれているものは、想像も理解もし尽くすせない。
 喰って動き回り、寝て起きる。
 人間の営みに大差はないが、営みの根底が崩れ去りそうになった時、あたりまえの日常があたりまえでない相貌となる。
 時空が非日常的となり、日常性から逸脱した心が動き、行動も又、非日常的なものとなり得る。

 決して、北朝鮮では、あたりまえに親が子を喰うわけではない。
 北朝鮮で「食べよう」とした錯乱も、日本で「くらくら」とした錯乱も、〈もう、後がない〉と思わされる非日常的な状況が背景となり、起こったはずである。
 等しく、哀れではないか……。
 子殺しは飛び抜けた悪業(アクゴウ)だが、そこへ追いやる社会的共業(グウゴウ)こそ巨大な悪魔であり、これが克服されない限り個々の悪業は次々と生まれることだろう。
 見誤らないようにしたい。




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「おん ばざら たらま きりく」※今日の守本尊千手観音様の真言です。
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2013
02.14

第38回寺子屋『法楽館』 ─東日本大震災をふり返り、これからの日本を考える─

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〈あの日の夕刻〉

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〈倒れたお地蔵様は石を避け無傷でした〉

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〈何ごともなかったかのように咲いた福寿草〉

 第38回寺子屋法楽館』のご案内です。

 シリーズ『どうする?私たちの未来』の第五回目として、東日本大震災の直後から被災地へ入り、懸命の復旧・復興活動をしてこられた前衆議院議員石山敬貴先生から、現場に立ち続けた一人としてこの二年間をふり返り忌憚のないお話をしていただきます。
 農学博士の先生は理化学研究所研究員として最先端の研究をしながら農家として稲を作り、国会議員として被災地をつぶさに歩き、地域の復興にかけて活動をしてこられました。
 地域再興と日本の未来への思いを共に語り合いましょう。

 どなたでも自由に参加できます。
 事前の予約も不要です。
 どうぞ、ふるってご参加ください。

・講  師  農学博士石山敬貴先生
・日  時  1月12日午後1時30分~午後3時(1時30分より『四十二章経』講義:2時より「東日本大震災をふりかえり、これからの日本を考える」)
・場  所  法楽寺講堂
・ご志納金   1000円 中学生以下500円
・送  迎  午後1時、地下鉄泉中央駅近くの『イズミティ21』前より送迎車が出ます(乗車希望の方は前日午後5時までにお申し込みください)

※当山では来る3月11日(月)午前10時より、三回忌の年忌供養として、昨年と同じく般若心経百万返の供養会を行います。




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2013
02.14

子や孫のためにふり返っておきたい先人の導き(その47) ─友人は家の飾り・陰で諫め表で誉める─

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〈『森栖』さんです〉

 この欄では、『実語教・童子教』と共に、昭和6年に発行された小冊子も基にして子供たちの導き方を考えています。
 冊子の最後に「僕の好きな金言(キンゲン)」という欄があり、当時少年だった方は以下の6つを書き込んでおられました。

47 「僕の好きな金言(キンゲン)」

「一家の飾りはこれに出入りする友人なり」


 家は、特定の個人たちが住む生活の場であると同時に、〈居る〉ことを社会へ明らかにする意義も持っています。
 そこに出入りする人物たちによって、周囲の住民は居住者の人間性などを推しはかります。
 この箴言は、家の外観を飾ることにばかり気を配るよりも、まっとうな人物たちが出入りするようなまっとうな生き方をし、その人々の姿をもって世間から評価してもらうことこそ大切であると教えています。
 世間の目を気にするかしないかという以前に、出入りする人々はおのづから、居住者の人物像を暗示しています。

 近年、暴力団員風の人物が徘徊するのは地域住民にとって脅威であるという認識が高まり、あちこちで事務所の撤去を求める裁判が起こされており、成果もあがっています。
 居住者だけでなく、その家へ足を運ぶ人々がいかなる人物であるかも、地域にとって問題でないはずはありません。
 人が単独で生きていられないのと同じく、家も又、道路がありインフラがあり、単独で存在しているわけではないので、住人も、出入りする人々も、家も、大きな社会性を持っています。

 平成21年、漫画家楳図かずお氏邸の奇抜な概観が地域の景観を損ねるという地域住民が起こした裁判は、東京地裁において原告の敗訴となりました。
 主たる理由は、武蔵野市が住宅地の景観を規制する条例を規定していなかったことです。
 つまり、きまりがないから法的な白黒はつけられないという判断でした。
 仙台市においては、仙台駅前にあるカラオケビルの外観が論争となりましたが、塗り替えて穏やかな決着となりました。

 この金言を書き留めたお子さんの鋭さに感服し、もしかしたら親が書いてくれたのかなとも思わされました。
 いすれにせよ、短い一句が家や個人の社会性を考えるよききっかけとなったであろうことは容易に想像できます。

「私に汝の朋友を諫(イサ)め、公にこれを誉めよ」


 子供がこれを書きとめていたとは仰天です。
 陰で叱り、人前で誉めるのは、相手が子供であれ大人であれ、教育の鉄則だからです。
 たとえ指摘されたことが当たっていても、公衆の面前で自分の非を明らかにされて嬉しい人は誰もいません。
 咎められた方は、言われた内容を理解して改めようとする気持よりも、悔しさ反発心や怒りが先に立ち、双方にとってよい結果はあまり期待できません。
 物陰であれば、落ち着いて言葉を受けとめられるし、他人に好奇の目を向けさせない気配りへの感謝も起こり、勇気ある思い切った言葉が役立ちます。
 また、普段から自分を認めてくれている相手に叱られれば、すなおに自分を省みる心になれます。

 人を誉めれば、それを原因とするよい結果が相手にも自分にも、もたらされます。
 誉められれば必ず嬉しく、公の場所であればいっそう励みにもなります。
 誉められた方が、自分の持てる力をより発揮して生きるきっかけになります。
 一方、誉めた方も嬉しく、相手が奮い立つのを感じれば、よいことを行ったという気持も強くなります。
 そして、誰かの長所を見つける姿勢は、短所を責める姿勢を緩やかにして人間関係がよくなり、相手が持つ陽の気を育てるだけでなく、自分が持つ陽の気も育てます。
 以前、当ブログが連載した小学校の校長先生による『ほめほめ集』はその典型です。

 子供の頃にこうした人間の心理を勉強し、「なるほど」という体験を重ねて行けば、思考が深まり言動にも深みのある大人になることでしょう。
 




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2013
02.13

「一途一心、命をつなぐ」を読む

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〈『森栖』さんの店内〉

 順天堂大学医学部教授で心臓外科医天野篤氏が『一途一心、命をつなぐ』を上肢された。

「弱気は敗北、甘えも敗北。
 心臓外科医にとって、『敗北』は患者さんの死を意味する。
 負けるわけにはいかないのだ。」
「命を守るために、真剣勝負する。
 それが外科医の仕事なのだ。」
「心臓の手術は、地獄の入り口にいる閻魔さまとの闘いだ。
 敗退はできない。
 何があっても患者さんをこの世に元気に連れ戻さねばならない。
 手術の中にある命の分岐点と、生と死の天秤棒。
 それを意識しながら手術をすることがいかに重要かを、今は僕自身が若い医師たちに口を酸っぱくして伝えている。」


 手術の現場では、真剣勝負以外の様態はあり得ない。
 氏は修業時代、恩師から口を酸っぱくして言われたという。

「ポイント・オブ・ノー・リターン。
 その分岐点を常に意識しろ。」


 手術では、もう、ここからは後戻りできないという段階がある。
 その先は、一本道を到着点まで進み続けるしかない。

「トンネルの先に見える小さな一点の光を目指して、まっしぐらに進む。」


 患者のいのちは生と死のどちらへ行き着くか。
 手術の途中で生と死の天秤棒が死の方へ傾いたと感じたら、軌道修正せねばならない。

「あたかも神様が天秤の支点をそちら側にすらしてしまった……そんな瞬間が心臓手術の中にはあるのだ。」


 ここで支点を戻さない限り、患者は死ぬ。

「『ここがその分岐点だ』と気づいたら、腹を決めて、それまで以上に精神を集中させて前に突き進む。」

 
 読んでみると、最先端技術を駆使して病魔と闘う医師は、実に〈人間〉であり、胆力や集中力など人間としての力が手術の成否を決定的に左右することがわかる。
 メスを入れれば、一瞬先はいかなる事態になるかわからない。
 天秤の支点がどう動くか、コンピューターも人間も、完全な予測はなし得ない。
 時々刻々と変化する新しい事態への対応策を瞬時に決め、ためらわずに実行しつつ、患者と共に「小さな一点の光」へ必ず到着する。
 人間がこうした行為をなし続けられることにあらためて驚嘆し、人間への崇敬の念がじわじわと胸に広がる。
 氏が「口を酸っぱくして伝えている」のは、全身全霊を挙げ極限まで研ぎ澄まされた意識の集中であり、技術という言葉を遥かに超えている。

 引導を渡す瞬間はこうありたいし、そうでなければ、死者を確実に安心の世界へと送ることはできない。
 医師に比べれば僧侶は格段に恵まれている。
 患者と違って死者は動かないからだ。
 法を結び意識を澄ませれば、肉体から離れつつある何ものかは必ずとらえられる。
 しかし、動く玉を打つ野球よりも動かない玉を打つゴルフの方が簡単だとは誰も思わないことだろう。
 
 引導を渡すと精も根も尽き果てたような気になるが、時には10数時間にも及ぶ外科医の集中力を想うと、想像し切れない世界と言うしかない。
 ただただ、頭を垂れつつ、本書を読んだ。
 最後に、氏は自分へこう言い聞かせている。

「天職と思うなら、もっと努力しろ。
 もがけ。
 立ち止まるな──。
 ゴールテープを切るまでは、この声が消えることはない。」


 まったく同感。
 目線を上げてもがきつつ進み、前のめりに倒れたい。
 長く合掌した。




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「おん あみりたていせい から うん」※今日の守本尊阿弥陀如来様の真言です。
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2013
02.12

森栖(モリス)さんの開店

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 当山で修行していた里佳さんがご主人とお店を始めます。
 英国風に統一された森栖(モリス)というしゃれた店内で、おいしい紅茶などがいただけます。
 音楽にもご主人の思いがそそがれており、岩出山らしい自然に囲まれた安らぎの空間です。
 皆さん、どうぞおでかけください。

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 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
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「のうまく さんまんだ ばざらだん かん」※今日の守本尊不動明王様の真言です。
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2013
02.12

瞑想と法話の会(第三回)

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 2月13日(水)、10時より、仙台市旭ヶ丘仙台青年文化センターにて「瞑想法話の会」を行います。
 瞑想の部は体を整える調身と呼吸を整える調息です。
 法話の部は「誤った慈しみの心」と「考え無しの心」についてです。




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2013
02.12

寺子屋『法楽館』・『法楽農園』とビオトープ

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 2月9日、『四十二章経』のお話の後、揃って『法楽農園』の用地へ足を運び、赤間農業開発社(株)長赤間良一氏(黒川郡大和町在住)に現地と周囲の状況について説明を受けました。
 堤防の外を流れる宮床川は通称「悪たれ川」とも呼ばれ、大雨が降ると水かさが増して堤防の上限近くまで来ることもたびたびあると聞き、東日本大震災での津波はどれほどだったろうかと改めて想像させられました。
 幸いにして風がなかったので、予定通り雪を踏んで堤防沿いに全体と周囲を眺め、帰山しました。

 若い頃の赤間良一氏は米を作る一方、トラックの長距離運転手となり、40時間も不眠ではたらいたりしながら両立をはかってきました。
 米を作るだけでは食べられないからです。
 しかし、黒川郡大和町の認定農業者という制度を知り、その条件である年収500万円以上を目ざすには専業にならねばならないと決心しました。
 しかし、「田んぼを貸してください」と申し込んだのでは、田んぼへの思い入れが深い皆さんからなかなか同意を得られません。
 お手伝いをさせていただくという姿勢で励んだところ、受託農地は一気に増え、現在は約10万坪を引き受けているそうです。
 その過程で、氏はトラック輸送の途中で立ち寄った関西地方のドライブインなどへ米のサンプルを置き始め、今は直売で30キロ入り1200袋ほど出荷しています。
 震災後、ご長男が専業となり、進む大規模化を支えています。

 さて、田んぼのお話です。

 田んぼは生きものなので、必ず毎日見回り、それだけで約半日かかります。
 特に水の状態には気を配ります。
 野ねずみの穴から水が漏れだし、一晩で干上がる場合もあるというから大変です。
 本当は朝に水を抜き夕方に水を張るのが水稲の理想だけれど、誰もそこまでは手が回りません。
 
 毎年、宮城県の担当者が二人して近くのため池にやってきて、ヨシをかきわけながらゲンゴロウなどを探します。
 殺虫剤のために、虫たちがどんどんいなくなっている状況を研究するためです。
 しかし、農家にとってはカメムシは大敵であり、慎重な対策は欠かせません。
 カメムシは年に5回産卵し、300メートルも飛び、越冬します。
 何より必要なのは、綿密に草刈りを行って生息する環境にしないことです。
 氏はこの点でもがんばりながら、殺虫剤を使わず、減農薬でおいしい米を作っています。
 法楽農園に田んぼができたならこの方法をとり、ヤゴでもタニシでも連れてきて放せば育ちます。
 元気に泳ぎ回る生きものたちの姿を、子供たちやお年寄りに見ていただくことも大きな願いです。

 陸稲は雑草との戦いになり、強い農薬を使わないでやるのなら比較的強いもち米がよいとのことです。
 何年も作付けをしていないこの状態で果樹を植えるならブルーベリーとクリがピッタリです。
 一本づつ古タイヤの真ん中に植えてゆけば、草刈りで切られてしまわずに済みます。
 田んぼだったところは、そのままで畑にはなりません。
 土質を変える必要があります。

 こんなお話をお聴きしてから、ビオトープについてのイメージをお話し、参加された皆さんも交えてのやりとりを行いました。
 仙台市在住のAさん。
「都会に住む人びとにとってお気に入りの畑で過ごす時間は貴重であり、そうしたスペースも設けてはどうでしょうか?
 仙台市中心部から車で30分やそこらなので、すぐそばを川が流れ、蛍も観られる現地は広く足を運んでいただけるのではないでしょうか」
 お応えしました。
「貸し農園はあちこちにあり、ここはあくまでもビオトープにしたいので、全体計画の中にそうしたスペースを設けられるかどうか、検討してみます」
 仙台市在住のBさん。
「これだけの面積を図面に応じて手がけて行くには膨大な時間と経費がかかり、維持管理も大変だろうから、護持会の方々のご意見も聞きながら、綿密な計画を立てる必要があるのではないでしょうか」
 赤間良一氏から田植えと稲刈り以外の部分についてプロの手を借りた場合の経費などについてご説明を受け、お応えしました。
「経費については皆さんにご負担をいただかず、田んぼの部分は維持管理をプロの方へお願いし、田植えや稲刈りを皆で楽しむといった方向で検討しています。
 ビオトープは、造る過程を広く公開して関心のある方々にお手伝いいただき、共に造り共に楽しむといった方向を目ざしたいと考えています。
 せっかく造った後の管理がうまくゆかず、放置されたままになってしまっている例もあり、とりかかる前に計画をしっかり立てることはとても大切であると思います」
 塩釜市在住のCさん。
「私たちは数人集まって田んぼを作り、土壌改良した土地で畑もやっています。
 最初はぬかるみとの戦いが大変でした。
 田んぼについては何と言っても日常的な水管理が大変です。
 私も赤間先生と同じく見回りは欠かしません。
 それに、種からやるのか、それとも田植えと稲刈りだけを楽しむのか、こういったあたりはしっかり決めてかからないと、続かないと思います。
 なお、私たちはEM菌も研究・活用していますが、検討に値すると思います」
 赤間良一氏。
「もみ殻を活用すれば、土壌がよくなり、ぬからなくなります。
 研究してみてください」

 赤間良一氏のお話は、現場の方らしい説得力と信念に満ちていました。
 また、皆さんから当山の理想についてのお励ましやご意見をたくさんいただき、力づけられました。
 本格的な春を待ちながら、準備を進めて行きます。
 「乞う!ご期待!」といったところです。
 



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2013
02.11

迷った霊がいろいろ音を立ててうるさいのですが……(その2)

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 Aさんは、とても真剣です。
「そうおっしゃられると、未成仏霊であるかどうかわからなくなります。
 でも、いるんです。
 どうしたらよいでしょうか?」

「それでは、何代前の誰々が憑いていると言われたことは怪しいと思うけれど、自分の感覚として、どうしても誰かがいると思えてならないという状態について考えてみましょう。
 別に自分の目で霊が見えるわけではないし、霊の言葉が聞こえるわけでもない。
 しかし、何ものかの気配があるような気がしてならないのなら、それは、第六感が何かに反応している可能性はあります。
 さて、原因のない結果はないわけで、気配があるとしたら必ず原因があるはずです。
 ご自身で、どう思われますか?
 思い当たるフシはありますか?」

「これといった具体的なできごとはありませんが、仏壇にいくつかお位牌があるにもかかわらず、家庭の事情で年忌供養を疎かにしてきた点はずっと気がかりでした。
 また、夫が急逝した時に、これまでのお寺は嫌だったので別のお寺に頼んだのですが、そこも……。」

「その気がかりは、バカになりません。
 いわゆる水子の祟りはほとんど、気がかりが原因です。
 嫌なできごとや悪いできごとが起こると、この気がかりによって、いいかげんに処置した水子の霊が思い出され、水子は祟るはずがないのに〈原因〉とされてしまいます。
 それは、誰かに謝らねばならないと考えながら謝らずにいて、体調を崩したり自分の周囲に凶事が起こったりすると、〈ああ、やはり恨みの念が私のところに来ている〉と怖れたりするのに似ています。
 実際は、風邪をひいただけかも知れないし、凶事には別な原因があて当然なのに……。
 良心道徳心などが発している気がかりという警報を軽んじると、真実が観えなくなり、思考や行動を誤りかねません。」

「では、ご先祖様と夫のご供養をお願いしたいと思います。
 気がかりをなくしてみます。」

「そうですね。
 何かがいるのはそのせいかどうかという問題は別にして、人の道に照らし合わせて気がかりなことをなくし、さっぱりした清々しい心で過ごした方がよいのは明らかです。
 そうすると、心の鏡に映るものも変わることでしょう。
 供養により、安寧であって欲しいと願うよき心を異次元におられる方々へ向ければ、自分の中にある慈悲心が育ちます。
 ここがとても大切なところです。
 何をきっかけにしようとも、相手に〈よかれ〉と願えば、願う自分が持つ菩提心(ボダイシン)というみ仏の心が育ち、それが自他共に生きて行く上でのよい環境となるので、世界は浄土へ一歩、近づきます
 お宅にいる何かにもよい影響があり、もしかすると、よい変化が現れるかも知れませんね。」

「そうなれば嬉しいですね。」




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2013
02.10

危うく自分へ引導を渡しそうになった一幕

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〈八葉の蓮華座におわす『みやぎ四国八十八か所巡り道場』のご本尊様〉

 お葬式引導を渡すために行います。
 引導とは、死者が地獄界や餓鬼界ではなく絶対の安楽を得られる世界へ向かって往く道を示し、お導きすることをいいます。
 修法により、亡者を8枚の蓮華でできた輿(コシ)へ乗せ、四大明王(シダイミョウオウ)が導師の指し示す安楽世界へと輿を運びます。
 もちろん、この修法は導師たる者にしかできませんが、人はいつ、どこででも救われ得るという仏法の本旨により、導師がいな場合の引導についても説かれています。
 まだ未熟な僧侶が死者を送らねばならない場合は、ご本尊様へおすがりする一念で祈ります。
 僧侶もいない場合は、まず地獄界へでも修羅界へでも足をはこんでくださるお地蔵様へ死者の苦が消滅するよう願い、あとは般若心経などの経典に没頭して読経するしかありません。

 お釈迦様は、大愛道という養母を火葬するにあたり、栴檀(センダン)の香木を身に着けさせ、教えを説かれました。
 大愛道は、お釈迦様が覚りを開かれたと聞き、500人もの女性を引き連れて精舎を訪れ、最初の女性出家修行者となった方です。

「一切の行(ギョウ…現象している一切のもの)は無常なり
 生ずる者は必ず死する
 生ぜざれば死せず
 この滅を最楽となす」


 有名な一句は『法句経(ホックキョウ)』にも収録されています。
 (クウ)を説くこの一句こそが、安楽世界の境地を示すものとされています。
 なお、お釈迦様は父親を送る柩の先頭にも立ち、導師を務められました。

 こうした引導作法の内容を書くことはできませんが、法は一連の流れで結ばれます。
 さて、さる会場でのできごとです。
 流れが始まり、丹田へ溜めた力をバネに「喝!」と解き放つ直前、あらんことか、「ただ今より、お別れの言葉がございます」と担当の女性がアナウンスをしてしまいました。
 それに呼応して、最前列に座っていた長老のお一人が動く気配を感じました。
 これは一大事です。
 祭壇前へと歩む長老の背中から引導を渡すわけにはゆきません。
 そうかといって、中止すれば、もはや後輪が地上から離れる寸前の飛行機を急に止めようとして滑走路を外れる大事故のような事態に陥りかねません。
 そして、一旦、導師として法の中にいる以上、法を解かない限り、「ちょっと待ってください」などと声を発することもできません。

 結局、充分に丹田を満たす時間のないまま、いつものように全身全霊で引導を渡しました。
 その結果、文字どおり精根尽き果てて呼吸困難に陥り、頽(クズオ)れそうになりました。
 しかし、引き続き、供養の読経を行わねばなりません。
 もはやいつものような腹式呼吸はままならず、胸で浅い呼吸をしながらの読経となったので、かなり聞き苦しいものになってしまいました。
 それでも、み仏様と先輩である故人の御霊にお守りいただき、途中からどうにか復活し、一座をご守護くださったお不動様の徳をお讃えする最後の声明(ショウミョウ)は、いつものようにお唱えすることができました。
 参列された方々は、手順前後だけでなく私の異常にも気づかれたに違いない、年寄りだから何かの発作が起きたのかと心配されると申しわけないので、どう説明しようなどと考えながら会食の席へ向かいました。
 喪主様へ申しあげました。
「先ほどは失礼しました。
 あれは、跳ぶ体勢に入った障害走の選手が、急にハードルの位置を変えられたようなものです。
 危うく転びそうになりましたが、どうにか跳び越え、いくつかのハードルは倒しながらも、最後はちゃんと跳びながらゴールできました。
 きっと御霊がお守りくださったのでしょう。」
 喪主は、故人のお葬式らしいできごとでしたと笑い、この話は終わりになりました。

 あらためて、生前のバックアップだけでなく死してなお、危機からお救いくださった御霊へ感謝すると共に、張りつめた一本の糸のように、あるいは真剣の刃を渡るように行う修法における危機管理について考えさせられた一幕です。




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2013
02.09

第37回寺子屋『法楽館』 ─法楽農園を始めます(フリーな憩いの場として)─

 本日、午後1時30分より、第37回寺子屋『法楽館』を開催します。
 1月23日、「法楽農園を始めます ─フリーな憩いの場として─」(http://hourakuji.blog115.fc2.com/blog-entry-3575.html)へ書いたとおり、本日の寺子屋で現地見学などを行います。

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 想えばビオトープの発想は、現在の境内地を整備し始めた時からの発想でした。
 3800坪の土地は大部分が平坦ですが、ニセアカシアなどの雑木が茂り、道もありませんでした。
 重機を使いながら徐々に切り拓く過程で、さまざまな先住の生きものたちを追い出しているという意識が常につきまとい、平成17年にはこう書いています。

「当山では『守本尊霊場』を自然生態系の生きるビオトープにしたいと願い、手始めに小川を作り始めました。
 重機で掘っていただいた堀を崩れないようにするための石や岩が必要なのですが、とても買えません。
 たとえ何ヶ月かかろうと一個一個積み上げて完成させたいと願っていますので、ご不要な石や岩(一人か二人で持てる範囲のもの)をお持ちの方は、大小にかかわらずご提供いただきたく存じます。
 来山する子供たちにフナやメダカを身近で見せたいという願いへ、ぜひご協力をお願い申上げます。
 ご連絡をお待ちしています。」



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 平成20年にも、『日本の歌 92 ─めだかの学校─』へ書きました。

「3歳まで農村で育った私にとって、メダカは特別な存在だった。
 茅葺きの家のそばにあった小さな流れはところどころに淀みを作り、そこには群れをなして泳ぐメダカたちがいた。
 4歳で仙台の街に移り住んだが、いつしかヒメダカを飼うようになり、中学生の時は、ヒメダカが色や形や音や味などにどう反応するかを調べて研究発表をした。
 水槽で飼い、池で飼いし続け、山里暮らしになった今は、本堂(以前、下小路にあった本堂です)前の小さな池が彼らの栖である。
 糸のような子供たちが生まれるとホッとする。
 ご参詣の方々の中に小さなお子さんを見つけるたびに、『メダカがいるよ』と声をかけてしまう。
 去年、小学校の校庭にビオトープがあるというので見に行った。
 寺子屋を行うお堂の近くにそうしたものを作り、メダカを見せたかったからである。
 美しい流れにメダカはいなかった。
 今、メダカは絶滅が危惧されている。
 しかし、日本人の意識が変わり、政治がまっとうなものになれば、米の重要性と田んぼや里山の価値が見直され、農業の復興と共にメダカも救われることだろう。」



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 おかげさまで円形の池はできましたが、お堂がありません。
 そこで、池の真ん中に小さな建物を作り、寺子屋が開催できるお堂の建立をめざして虚空蔵求聞持法(コクウゾウグモンジホウ)に入りました。
 毎日少しづつ真言を唱える行が満願し、やがて現在の講堂が完成しますが、その過程で境内地の全体計画を考えてみると、残念ながら円形の池の真ん中に造ることはできず、ビオトープも先送りになりました。
 それでも、七北田川から釣ってきた体長90センチ近くもある鯉や小さな金魚、あるいは石灯籠や庭木をいただいたりして池はできあがりました。

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 そして、平成21年、念願の本堂(講堂)ができあがりましたが、境内地にある温泉「七ツ森の湯」の利用などを考えるにつけ、ビオトープはいよいよ難しくなってきました。
 しかし、ビオトープへの思いは消えず、東日本大震災を体験するにつけ、模索の気持は強まり、平成24年には寺子屋に農学博士石山敬貴先生をお招きして「地方の再生により日本の再興を」と題した講演をいただきました。

「今月から新シリーズ『どうする?私たちの未来』が始まります。
 地震と津波という自然の圧倒的な力でたたきのめされ、原発事故によって自然をどこまでもコントロールできると考えてきた高慢の鼻をへし折られた以上、私たちはもはや、自然を〈征服〉しようとする姿勢だけではこの先へ進めないことを骨の髄まで知りました。
 では、どうするか?
 どうすればよいか?
 どうしなければならないか?
 このシリーズではそれを問います。
 菩薩(ボサツ)が大きな船の船頭を務めるのと同じく、各界のプロの方々に水先案内人となっていただき、共に学び、共に考え、共に実践し、自然と人間が文字どおり共生しつつ、いのちの世界を守り、心を練って行く道を探そうではありませんか。」


 こうした思いが仏天へ届いたのでしょうか、昨年末、まったく思いもよらない経緯によって約2000坪の農地が寄進され、今日のシンポジウムとなりました。

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〈図表はすべて、『学校・園庭ビオトープ』よりお借りしました〉

 私は、平成20年に改訂版が発行された『学校・園庭ビオトープ』を熟読し、この思想は子供たちのためのみならず、現代文明から消え失せつつある大切なものを残すために、もっと注目されねばならないと考えています。
 財団法人日本生態系協会の編著による同書の冒頭に、ドイツ・元カールスルー工教育大学のヘルムート・ビルケンバイル氏の言葉があります。

「ドイツの小中学校では、知識を身につけさせる教育だけでなく、子供たちを感動させたり、実際に行動させる『頭と心と手を〝三位一体〟とする教育』が広く行われるようになりました。
 なかでも、学校内につくられた身近な自然である『学校ビオトープ』は子供たちに直接、自然に触れる感動を与え、自らの手でつくり育てることのできる教材として、多くの学校に取り入れられています。」
「学校・園庭ビオトープは、学校周辺の生きものが行き来する拠点にもなることから、学校・園庭ビオトープは教材という枠組みを超えて、これからも自然と共存するまちづくりになくてはならない自然の拠点としても高く評価されています。」


 協会の会長池谷奉文氏の言葉です。

「最近の研究では乳幼児も含め、子供の時の自然体験は、脳や体の発達に大きな影響を与え、命の大切さを知ったり、正義感や我慢する力がついたり、豊かな感性や探求心が育つということがわかっています。」
「私たちは、子供たちのためにも、人と自然が共存する美しいまちを取り戻す必要があります。
 自然は、地球の温暖化を防止するとともに、人々に潤いと安らぎを与え、招来の食料や医薬品の資源になるものです。」
「本書が日本の環境教育のさらなる充実に寄与し、日本が健やかで伸びやかに育つ子供の笑い声と笑顔でいっぱいになることを願ってやみません。」


 さて、ビオトープとは、生きものを意味する「BIOS」と場所を意味する「TOPOS」とを合成した、ギリシャ語を語源とするドイツ語です。
 直訳すれば「野生の生きものが暮らせる場所」となります。
 まさに、私がずっと心から離れなかった〈追い出した者たち〉へ確保される安心な場所ということになります。
 たまたま、最近、コンピューター関係の研究を続けてこられた科学者の方とお話をする機会があり、目の醒める言葉を耳にしました。

「自然と人間とコンピューターの共生


 コンピューターをもいのちの輪の中に入れて世界を発展させるという思想は、次代に欠かせなかろうと思われます。
 人間を主人公として、そちら側にある〈科学と自然〉を考えるという二元論ではなく、人間も科学も自然も大いなるいのちの世界としてとらえて行けば、きっと新たな展望が開けることでしょう。
 
 ビオトープをイメージしてこれから育てる『法楽農園』が、子供たちにも、お年寄りにも、都会の方々のためにも、そして関心を持たれる方々のために役立つ「TOPOS」(場)となるよう、微力を尽くします。
 皆さんのご意見、ご協力、ご利用をお待ちしています。




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「おん さん ざん ざん さく そわか」※今日の守本尊勢至菩薩様の真言です。
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2013
02.08

私たちは死者を軽んずる傾向にあるのではなかろうか?

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 2月3日、歌舞伎役者の市川團十郎氏(行年66才)が亡くなり、昨年12月5日の中村勘三郎氏(行年56才)に続く悲報は大きな話題となっている。
 お二人はテレビ出演などによって、歌舞伎ファンだけでなく、広く国民に知られており、関心を集めるのも当然だろう。
 昨年、橋下大阪市長が「文楽が大衆の感覚から離れて衰退した」として5000万円の補助金を大幅カットする姿勢を打ち出して大騒ぎになった。
 しかし、歌舞伎という伝統文化に対する国民の大方の意識は「守って行きたい」という方向にあるものと思われる。

 さて、葬儀はどうか?
 葬儀は歌舞伎とはまったく比較にならぬほど国民一般にとって身近な伝統文化だが、はたしてどれだけ、伝統文化であると認識されているだろうか?
 私には、単なる儀礼や手続きとして、要か不要かという感覚で考えられ出しているように思えてならない。
 誰かが大きな声で「要らない」と言い出すことによって、「そうか、やらくても別に困らないんだ」「省いた方が楽だ」という考えが起こり、その周囲には「改革」や「因習からの脱出」や「新しい文化」などの旗が続々と立てられ、徐々に葬儀の意義そのものが思考の外に置かれ出している。
 無意識の裡に、功利的思考、楽を選ぶ性向、反発心の満足などといった心がはたらき、旗たちは絶好の言いわけとなり、正義感の満足を与えてくれもする。
 当山は、皆さんにとって最も身近なところにある伝統文化の担い手として、こうした状況に対し強い危機感を持っている。
 そして、あらゆる機会に、危機への対抗策を講じている。

 仙南の町から人生相談にご来山された方がある。
「母が危篤です。
 どうしようかといろいろ考えていたら、関東方面では、死後24時間経てば火葬できるという法律に合わせてサッと送ってしまうやり方が増えていると聞きました。
 お通夜で逝った人の人生をふり返り、生前お世話になった方々へ感謝を込めて逝去のお知らせをするといった部分はなくてもよいのでしょうか?
 また、戒名なんかなくても困らないと友人から言われる一方、母の兄は、戒名をもらわないなどという可愛そうなことをするなと言い、困っています」
 お答えした。
「貴方が気づかれているとおり、お通夜にはお通夜の意義があり、ご葬儀にはご葬儀の意義があります。
 それについて、貴方が、死者をあの世へ無事にお送りするため修行している行者のもとを訪ねられたのは、お母様にとっても、貴方にとっても有意義なやり方であると思います。
 なぜなら、手術を受ける際に、主治医や執刀医から直接、説明を受けず、疑問点の質問もせず、手術に関する本や、たまたま手術した体験のある人からの情報だけで、手術台に乗る人はほとんどいないはずです。
 同様に、全身全霊をかけて死者をお送りする仕事に従事している当事者である導師たる僧侶と何の話もせず、葬儀について書かれた本や参列した体験者からの情報だけで大切な方の送り方を決められないのは当然です。

 もちろん、説明を重ね、本人やご家族などの同意を確認してからしか実行できない仕組みになっている手術と、そうした法的縛りとは異質な世界である葬儀とをまったく同列に扱うことはできません。
 また、今やセカンドオピニオンというシステムもできている医療行為に対し、宗教行為については、お寺へでかけてやりとりをするというイメージが持てないほど、僧侶の側に高圧的な雰囲気があります。
『うかつに相談すれば、言われるがままにやるしかない』という怖れや諦めや疑念や怒りなどを皆さんがお持ちであることも、よく承知しています。
 だから、当山では、行者としてご本尊様と一体になる法を結んでからしか人生相談をお受けしていませんが、何ごとであれ、決して強制はしません。
 ここへ足を運ばれる方々どなたにとっても、相談事は人生の一大事に関わる内容です。
 だから、世間話として対応することはせきません。
 しかし、仏法のプロとしての立場からお答えした内容は、あくまでも皆さんにとって一情報に過ぎず、実際にどうするのかを決める権利も資格も必要性も僧侶の側にはなく、100パーセント皆さんの側にあるのです。
 こうした面については、医者や弁護士などから学び、適正と思われ寺院が実施できる内容、あるいは皆さんが実行できる内容と思われるものをきちんとお示しする一方、いかに皆さんが自由意志で皆さんにとって最もよい結論を出せるお心になっていただくか、その部分には細心の注意をはらって対話しています。
 では、これから、お通夜、ご葬儀、戒名について、具体的な内容と意味と意義についてお話しします。
 それを参考にして、親の恩にどう報いるか、一生に一度しかない貴重な機会なのでよくお考えください。
 なお、ご説明の途中で、わからないことや疑問の点があれば、どんなことでもおっしゃってください。」
 そして、お通夜、ご葬儀、戒名についてご説明申しあげた。

 ある大恩ある方がご逝去された。
 いつもどおり、ご本尊様へ祈り、戒名が降りた。
 その中の一つの熟語は、故人の紳士ぶり、おしどり夫婦ぶりを示して余りあるものだった。
 また、もう一つの熟語は、お大師様が秘法を勤修(ゴンシュウ)された際に、風雨や魔ものたちから守護した神の名前だった。
 昔、その神の名を冠した聖地へ足を踏み入れた時の記憶は鮮明に残っている。
 故人は生前、当山へ大きな手を差し伸べ、見守っておられた。
 死してなお、お大師様に導かれる当山を、神となってお守りくださるに違いないと思われ、感謝の涙が流れた。

 あるご葬儀では、故人の奥様が、火葬炉から控え室へ向かう前に挨拶をしてくださった。
 言葉はだた一つ。
「もう、会えない……」
 涙をいっぱいに浮かべ、すがりつくような目で絞り出された言葉、お声、お顔を私は一生忘れないだろう。
 ただ、合掌するしかなかった。
 周囲に促され、奥様は静かに去られた。
 帰山する車内で言葉が嗚咽となって何度も何度も口から漏れ、胸が強ばり、震え、奥さんの目にあったと同じ涙も流れた。
 幾度も幾度も、ご縁の方々の苦を共にする職業にある自分の運命を想いつつ、師からの一通の手紙も思い出す。
「見守っています」
 この一言が自分にとってどれだけ大きな支えとなっていることか。
 師の万分の一の力すらなくとも、悲嘆にくれている方々を同苦の心で見守っていたい。
 それだけで、愚かで微力な自分が袈裟衣をまとって生きている小さな意味はあるのかも知れないと思い、丹田に力を入れ直す。
「臨!前!」

 人類は、文明のいかんを問わず、死者を送ることから宗教的意識を持った。
 葬送は人間にとって最も厳粛な営みとなり、葬送はいかなる文化にあってもその基底に深く関わっている。
 伝統芸術の一つである歌舞伎にはこぞって関心を持ち、要らないという声はほとんど聞かれない一方で、伝統的宗教行為であるご葬儀が、現場の真実がほとんど知られないままに、要る、要らないといった話になる日本はいったいどうしたのだろう。
 遺骨収容を続ける渡邉拓氏の言葉を思い出す。

「沖縄で最後まで退がらず、散華した御英霊方のいのちをものともしない戦いぶりがあったればこそ、米軍は膨大な犠牲が予想される本土での決戦を諦め、今、生きている私たちのいのちがある。
 それなのに、国を信じ、国のためにいのちを捧げた御英霊の御遺骨を放置し、沖縄では開発行為によって無惨に地中へ押し潰されて行くにまかせたまま、繁栄を謳歌している日本という国はおかしい」


 もしかして、私たちは、数千年も前の遙かなご先祖様方よりも、死者を軽んじているのではなかろうか?
 このままでよいとは、とても、思えず、恐ろしくもあるのだが……。




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2013
02.07

「しまった……」と思った時の解決法

2013020500022001.jpg

 当山へは、失敗を悔やみ、救いを求める方々も足を運ばれます。
 よく、このように申しあげます。
「こうして、み仏の前へ来られたこと自体、もう、確かな救いの中にあります」
 とてつもない失敗者たる自分、そこからどうにかここまでやってきた自分の体験が言わしめる言葉です。

 さて、どうするか。

 まず、自らの過ちを恥じることが大切です。
 何ということをしてしまったのか、何てばかなんだ──、と、深く自省しなければ何も始まりません。
 己の愚かさが恥ずかしくてならないと思えなければ、きっとまた、やらかすことでしょう。
 み仏は「恥知らずは人間ではない」と厳しく戒めておられます。(詳しくはブログ内『罪と罰 《その3》』にあります)

「慚愧(ザンギ)無き者は名づけて人と為さず、畜生と為す」


 そして、詫びずにいられなくなります。
 相手だけでなく、救済力を持つ大いなる者へ詫びて、詫びて、「自分が悪かった」という思いを吐き出さないではいられなくなります。
 仏道修行は、この言葉をつぶやきながら行う五体投地(ゴタイトウチ)から始まります。

「南無(ナム)帰命(キミョウ)頂礼(チョウライ)大日如来(ダイニチニョライ)慚愧(ザンギ)懺悔(サンゲ)六根罪障(ロッコンザイショウ)滅除(メツジョ)煩悩(ボンノウ)滅除(メツジョ)業障(ゴッショウ)」


(大日如来様へ帰依し、ひれ伏して礼し、目や耳などの六つのはたらきによる罪障をすべて恥じ、お詫びして悔い改めます。煩悩とそれがつくった悪業《アクゴウ》の障りとをすべて滅除してくださいますよう)
 こうして自分の愚かさがもたらした罪も穢れも、み仏のお力によって祓い去っていただけるよう、五体に象徴される〈自分の全て〉を投げ出して祈るのです。

 次は、二度と繰り返さない自分になりたいと思います。
「もう、こんなことをしてはならない。こんな自分ではいられない」
 坐して、経典や真言を唱え、心を変化させて行く修行が始まります。
 無限にはたらく心は巨大な船のようなものであり、船が急旋回できないのと同じく、心に染みついた傾向は簡単に変わりはしません。
 大切なのは目標となる明かりを見定めたなら、そちらへ舵を切り、決して諦めないことです。
 決心は深い慚愧(ザンギ)と懺悔(サンゲ)によって瞬間的にも定まりますが、そこからいかに進み続けるか。
 お釈迦様は説かれました。

「忍(ニン)は行(ギョウ)の尊」


 耐え抜いてぶれない心こそ、目的へ向かう修行を支える最も尊い力になるのです。

 ところで、数々の爆破事件などにより死刑が確定した大道寺将司(65才)は、確定後の26年間を獄中で過ごしつつ、凄みのある俳句を詠み続けています。

「風強き荒野に起てるいぼむしり(カマキリ)」
「枯野ゆく胸にひとつの灯を点(トモ)し」
「大寒の病を得ての性根かな」


 死刑囚の心に去来するものを推しはかることはできませんが、死をすぐ目の前にして動じない何かがあることは感得できます。
 作家辺見庸氏は大道寺将司の句集に序文を書きました。

「生きるとは、それ自体が現に証(アカ)しなのではない。
 生きるとは、生きる主体が生きてあることをどうにかして証そうとすることである。
 ひとの尊厳の根は、そこにある」


 どう証すか。
 大道寺将司は、慚愧と懺悔のほどは不明ながら、十七文字に証そうとしています。
 己の深い愚かさを知り、恐ろしい悪業を放置できない私たちは、煩悩(ボンノウ)と業障(ゴッショウ)を削ぎ落とすことをこそ証す方法としましょう。
 悪行から離れ善行を行う小さな実践の積み重ねをこそ、確かな証しとしつつ歩みましょう。
「しまった……」はその尊い出発点なのです。




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2013
02.06

【現代の偉人伝】第167話 ─告発状を発した女子柔道界の選手たち─

201302060001.jpg
〈2月5日付の産経新聞からお借りしました〉

 日本を代表する女子柔道界の面々が発した告発状のとおりであれば、凄まじい実態というしかない。
 もちろん、監督をはじめ全柔連の役員の方々に、いわゆる悪気(ワルギ)があったとは思えない。
 ただひたすら、結果を出したい一心で、これまで行われてきたやり方を徹底してやったのだろう。
 それがどれだけ選手たちをしめていたか、気づかなかった、あるいは気づいていても〈これまで流〉を押し通したことは、しっかり省みられなければならない。
 人間性が強制的な抑圧によって育てられることはあり得ず、人間性の破壊を代償として手に入れるべきものなど何一つないからである。

 ダライ・ラマ法王が説かれたとおり、私たちは皆、から脱し、幸福になりたいと望んでいる。
 また、そうした者同士が、相互に依存し合いながら成り立っているのがこの世の実相である。
 ならば、選手の一人一人がいかに過酷な練習で心身を鍛えようとも、心中の願いは幸せという心のありようにあり、〈心身ともに深く傷つき〉ながら鍛えたいなどという選手は存在しない。
 また、監督の成功も、JOCの成功も、選手たちの成功なしにはあり得ず、システムを動かす管理的立場にある人々とシステムに合わせて動く選手たちの間には本来、人間的上下関係など存在しない。

 今回の事件にまで突き進んでしまった〈これまで流〉には、こうした人間と社会についての洞察が欠けていたのではなかろうか?
 人類はまだまだ種として発展途上にあると認識させられる一方、勇気ある告発ができる日本であることを誇りに思い、日本が世界に対して果たす役割は、一人一人がより開かれた社会で伸び伸びと互いの幸せを求めている姿を見せることではないかとも思う。

 おりしも、インドではシン内閣が、性犯罪の厳罰化のために刑法改正を行う大統領令案を承認した。
 強姦罪の最高刑が死刑になるとは驚きだが、被害者が死亡または植物人間になった場合とされている。
 振られた男性が女性の顔に塩酸をかけるという信じがたい事件も横行しているが、10年以上の懲役となる「酸攻撃罪」やストーカー罪も親切されるという。
 同時に、宗教者による別の方向を向いた動きもある。
 イスラム教の指導者バシルディン氏が、10代の女性3人が結成した初の女性ロックバンドに対して、社会的影響力の強いファトワー(宗教見解)を発した。
「(若い女性が)公の場で歌うできでない」
「(歌いたければ)家の中で歌えばいい」
「レイプは若い女性たちに責任がある。
 外出する際には、体を露出しない服を着なければならない」

 女子柔道界の面々には申しわけないが、他国の実情を知るにつけ、日本に生まれたことを感謝する気持になる。
 今回の事件がこれまで溜まった澱(オリ)を洗い流し、日本の社会が持つ健全さをさらに大きくする契機になれば、告発にかかわった方々のしみもいくらかは癒されるのではなかろうか。
 ことは、きっと、女子柔道界に限ったものではなかろう。
 皆が血の滲むような告発状に目を通し、を同じくする気持を抱き、周囲にある同様な〈澱〉をなくしたい。
 まずは、一字一句をよく読もう。
 出発点にしっかりと立ちたい。

柔道暴力問題 15選手による声明全文

 皆さまへ

 このたび、私たち15名の行動により、皆さまをお騒がせする結果となっておりますこと、また2020年東京オリンピック招致活動に少なからず影響を生じさせておりますこと、まずもって、おわび申し上げます。

 私たちが、JOC(日本オリンピック委員会)に対して園田前監督の暴力行為やハラスメントの被害実態を告発した経過について、述べさせていただきます。

 私たちは、これまで全日本柔道連盟(全柔連)の一員として、所属先の学校や企業における指導のもと、全柔連をはじめ柔道関係者の皆さまの支援を頂きながら、柔道を続けてきました。
 このような立場にありながら、私たちが全柔連やJOCに対して訴え出ざるを得なくなったのは、憧れであったナショナルチームの状況への失望と怒りが原因でした。

 指導の名の下に、または指導とは程遠い形で、園田前監督によって行われた暴力行為やハラスメントにより、私たちは心身ともに深く傷つきました。
 人としての誇りを汚されたことに対し、ある者は涙し、ある者は疲れ果て、またチームメートがしむ姿を見せつけられることで、監督の存在におびえながら試合や練習をする自分の存在に気づきました。
 代表選手・強化選手としての責任を果たさなければという思いと、各所属先などで培ってきた柔道精神からは大きくかけ離れた現実との間で、自問自答を繰り返し、悩み続けてきました。

 ロンドン五輪の代表選手発表に象徴されるように、互いにライバルとして切磋琢磨し励まし合ってきた選手相互間の敬意と尊厳をあえて踏みにじるような連盟役員や強化体制陣の方針にも、失望し強く憤りを感じました。

 今回の行動をとるにあたっても、大きな悩と恐怖がありました。
 私たちが訴え出ることで、お世話になった所属先や恩師、その他関係の皆さま方、家族にも多大な影響が出るのではないか、今後、自分たちは柔道選手としての道を奪われてしまうのではないか、私たちが愛し人生をかけてきた柔道そのものが大きなダメージを受け、壊れてしまうのではないかと、何度も深く悩み続けてきました。

 決死の思いで、未来の代表選手・強化選手や、未来の女子柔道のために立ち上がった後、その苦しみはさらに深まりました。
 私たちの声は全柔連の内部では聞き入れられることなく封殺されました。
 その後、JOCに駆け込む形で告発するに至りましたが、学校内での体罰問題が社会問題となる中、依然、私たちの声は十分には拾い上げられることはありませんでした。
 一連の報道で、ようやく皆さまにご理解を頂き、事態が動くに至ったのです。

 このような経過を経て、前監督は責任を取って辞任されました。

 前監督による暴力行為やハラスメントは、決して許されるものではありません。
 私たちは、柔道をはじめとする全てのスポーツにおいて、暴力やハラスメントが入り込むことに、断固として反対します。

 しかし、一連の前監督の行為を含め、なぜ指導を受ける私たち選手が傷つき、苦悩する状況が続いたのか、なぜ指導者側に選手の声が届かなかったのか、選手、監督・コーチ、役員間でのコミュニケーションや信頼関

係が決定的に崩壊していた原因と責任が問われなければならないと考えています。
 前強化委員会委員長をはじめとする強化体制やその他連盟の組織体制の問題点が明らかにされないまま、ひとり前監督の責任という形をもって、今回の問題解決が図られることは、決して私たちの真意ではありません。

 今後行われる調査では、私たち選手のみならず、コーチ陣の先生方の苦悩の声も丁寧に聞き取っていただきたいと思います。
 暴力や体罰の防止はもちろんのこと、世界の頂点を目指す競技者にとって、またスポーツを楽しみ、愛する者にとって、苦しみや悩みの声を安心して届けられる体制や仕組みづくりに生かしていただけることを心から強く望んでいます。

 競技者が、安心して競技に打ち込める環境が整備されてこそ、真の意味でスポーツ精神が社会に理解され、2020年のオリンピックを開くにふさわしいスポーツ文化が根付いた日本になるものと信じています。

 2013年(平成25年)2月4日

 公益財団法人全日本柔道連盟女子ナショナルチーム国際強化選手15名





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「おん あらはしゃのう」※今日の守本尊文殊菩薩様の真言です。
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2013
02.05

迷った霊がいろいろ音を立ててうるさいのですが……(その1)

201302050001

 関東方面から憔悴した表情のAさんがご来山されました。
「ウチに一人の霊がいて、いろいろな音を出すので困っています。
 子供も最近、ふさぎ込むようになってしまい、とても心配です。
 霊能者の方々に見てもらったら、未成仏霊があなたに憑いて歩いていますと言われ、怖くてたまりません。
 何とかできないでしょうか」
 申しあげました。
「同様なご相談はたくさんあります。
 いくつかの面から考えてみましょう。
 まず、第一は、〈音〉と霊の関連性です。
 貴方は霊が音を出していることをどうやって確認されましたか?
 もしくは、そう信じる根拠は何ですか?
 誰かにそう言われたから、そんな〈気がする〉だけではありませんか?
 そもそも、聞こえたことと、聞こえたような気がすることとを、はっきりわけておられますか?

 たとえば、貴方がそこに座られてから今の瞬間まで、本堂の周囲から、バタンとかササッとかギーとかドスンとか、いろいろな音が聞こえましたが、貴方は何が音の原因であるかわかりますか?
 もしも私が超能力者を装って貴方を怖がらせようとしたなら簡単です。
『ここにはさまざまな霊を背負った方々が来られるのでウチで引き取りますが、私が法力で抑えているので心配はいりませんよ。
 今、パタパタと足音がしたのは、朝一番で来られた方の首根っこにしがみついていた子供の霊です。
 アッ、貴方の真後にちょこんとお座りしました!
 真っ青でのっぺらぼうなのに、口だけを大きく開けて笑っています!』
とでも申しあげましょうか。
 しかし、私はそんな無責任なお話を申し上げるわけにはゆきません。

 さて、あの音たちの真の原因は何でしょう。
 私にはいくつか想像がついても、あまりわからないのが事実です。
 体験上、雪が二段式の屋根の上段から落ちる音や、居合の道場の表示板が風に揺れて外壁にぶつかる音などは判断できますが、多くはわかりません。
 建物が完成した時、宮大工さんから言われました。
『こうした大きな木造の建物は、全体が落ち着くまでいろいろな音をたてますが心配しないでください。
 バリンと聞こえても心配要りません。
 太い柱がある程度割れるのはしかたがありません。
 木は生きものですから膨張したり縮んだりもします。
 そうした関係もあって、いろいろなことが起こります。
 おりおりに様子を見に来て、必要な時は手を加えながら長く持たせるようやって行きますので、大丈夫ですよ』

 申しあげたいのは、不安恐怖心から胆略的に結びつける癖がついてしまうと、すべてが〈そのせい〉に思えてしまい、正常な判断力がはたらくなり、生活に混乱などの支障を来す場合もあるから注意しましょうということです。
 源平の合戦で富士川の戦いという有名なエピソードがあります。
 源氏の部隊が夜の闇に紛れて奇襲をかけようと富士川に馬を乗り入れたところ、寝ていた水鳥たちが一斉に飛び立ちました。
 そのものすごい音にびっくりした平家の兵たちは大軍に襲われたと勘違いして恐怖心にかられ、戦わずして敗走したというものです。
 エピソードとなっている事実がどうだっかたか詳しいことはさておき、〈~である〉と〈~の気がする〉をできるだけはっきりと分け、自分で確認をしてもわからないものは〈わからない〉という判断に留め置く冷静さが必要です。

 行者は経典で厳しく戒められています。
「水に映った月を見て、月があると判断してはならない。
 手で回される松明の輪を見て、火の輪があると判断してはならない。
 蜃気楼を見て、現実の景色と判断してはならない」
 修行を進めて行く過程で心の状態が非日常的になり、いろいろと〈見え〉たり〈聞こえ〉たりしても、そうした妄想にとらわれたり、超能力が身についたなどと思い誤ってはならないのです。

 貴方の場合は、音と霊を結びつける思考回路ができてしまっている様子なので、とても大変だろうということは理解できます。
 さっきから貴方がここで体験されているわけのわからないさまざまな音たちについての私の説明を頭の片隅へ入れておき、貴方の家で耳にする音たちと霊の関係をおちついて判断し直してください。
 そうであると確信できるものと、確信できないものとをある程度、分けてみるだけで、相当、お気持が変わるのではないでしょうか」



「のうぼう あきゃしゃきゃらばや おん ありきゃ まり ぼり そわか」※今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。





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