--
--.--

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

2013
03.31

僧侶の殺人事件に思う ─戒めの始まり─

2013033100012.jpg

 福岡県中間市にある浄顕寺の住職・畠山裕行容疑者(61才)が、「口うるさい」からといって85才になる母親を刺し殺しました。
 同じく袈裟衣をまとう者として、あまりに情けなく、恥ずかしい限りです。
 僧侶の中には、分をわきまえず出過ぎたことを行う者もいれば、飲酒を重ねて恥じない者もいれば、ゴルフバッグを車から降ろさない者もいます。
 いかなる修行や修法を行おうが、いかに読経や写経や写仏や彫仏などをおこなおうが、僧侶は自らと社会の業(ゴウ)を見つめ清め続ける〈一介の行者〉でしかありません。
 いい気になって外へ出れば堕落し、怠けて内を怠れば腐ります。

 今回、殺生という僧侶というより人間としての資格が問われる事件が起こり、あらためてお大師様が説かれた〈人間の基礎〉を読み直してみました。
 人が人たるには、けだものと違い、自らを戒めることが欠かせません。
 戒めは、五戒から始まります。

 五戒は、以下の五つです。
「1 不殺生(フセッショウ)
 2 不偸盗(フチュウトウ)
 3 不邪淫(フジャイン)
 4 不妄語(フモウゴ)
 5 不飲酒(フオンジュ)」

 お大師様は仏教の五戒がどうして定められたかを説いておられます。

「天地の初めのときに、人は地に生ずる食物を食べた。
 ひとりの人はたちまちに5日分の食物を取ったので、盗みの戒めを定めた。(不偸盗)
 地に生じた食物を食べることによって貪りの心が生じたので、男女の道の戒めを定めた。(不邪淫)
 愛欲のゆえに、互いに欺き奪ったので、殺すことの戒めを定めた。(不殺生
 求め欲することによって、嘘をつきおもねるので、嘘をつくことの戒めを定めた。(不妄語)
 飲酒することによって酔って乱暴し、あってはならないことをするので、酒の戒めを定めた。(不飲酒
 五つの戒めの始まりを尋ねると、そのよってきたるところは久しく、天地の始めにきざし、万物のさきに形をとったのである。」(筑摩書房「弘法大師全集」より引用)


 実に、私たちは、地上で生き始めた時からずっと、煩悩(ボンノウ)によってたやすく罪を犯す存在であり、戒めの心から離れれば、いつなんどき、罪を犯し、人間たるの資格を失うかわかりません。
 自己中心の煩悩と、かんちがいして世界を観る無明(ムミョウ)が克服されない限り、いつなんどき、畜生界へ堕ち、あるいはそれよりも下の地獄界へ堕ちるかわからない、〈危うい存在〉です。

 お大師様はまた、五つの戒律を「実(ジツ)」と「遮(シャ)」に分けられました。
 実とは、実際に行為そのものが罪となる戒めです。
 前述の「1」から「4」までの、殺し、盗み、よこしまなセックス、嘘は、そのものが悪です。
 遮とは、その行為が他の行為による罪を触発しやすいので注意をうながされた戒めです。
 飲酒は「遮」であり、それが即、悪行となるのではなく、酒を飲めば、えてして「1」から「4」までの行為が生じやすいので、注意せねばなりません。
 お大師様は、さらに、説話を紹介されました。

「迦葉仏(カショウブツ…お釈迦様より先に悟りを開いた方の一人)のときに、在家の男性の信者がいた。
 かれは飲酒することによって他人の妻を犯し、他の者の鶏を盗んで殺した。
 他人がやって来て問うのに、盗まないといって、嘘の罪を犯した。
 このように(飲酒は)よく四つの罪悪をつくるのである。」(筑摩書房「弘法大師全集」より引用)


 人類の歴史と共にある酒そのものが毒なのではありません。
 酒を百薬の長として上手に愉しむか、酒に負けて人生を壊すか、それは一人一人の心がけ次第です。

 お大師様の書かれたものをひもときながら、ダライ・ラマ法王の言葉も思い出します。

「利他と空(クウ)を併せ持てば、これほどすばらしいことはない」


 心から他のためになりたいと思えれば、自分のことについての不平不満はなくなります。
 自分の心と身体を含め、すべては因と縁によって成り立っており、一瞬たりとも止まらずに変化し続けていると心から思えれば、つまらぬこだわりはなくなります。
 
 ここを目ざしていたはずの僧侶が、それも61才にもなって殺人事件を起こすとは……。
 私たちの愚かさ、哀しさに打ちのめされます。
 でも、今日も法務に邁進します。
 皆さんがそれぞれの持ち場で懸命に生きられるのと同じく……。
一心祈願、法界平等利益」
一心に祈願します、あらゆる生きとし生けるものの住む世界へ遍く仏神のご加護がもたらされますよう)




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「のうまく さんまんだ ぼだなん あびらうんけん」※今日の守本尊大日如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン



スポンサーサイト
2013
03.30

中高年の再教育が提唱されました ─立ち止まって考えねばならないのは若者だけではない─

201303300001.jpg

 教育と言えば子供や若者の問題であると思いがちですが、「密教21フォーラム」の事務局長長澤弘隆師は、「中高年の再教育」を提唱しておられます。
 3月31日発行の『密教メッセージ』巻頭諸言「東シナ海、波高し ─儒教はどこへいった─より転載します。

「安倍内閣が教育再生会議を立ち上げ、いじめや体罰の問題に向き合う姿勢を示したことはけっこうなことだが、同時にやるべきことは、戦後のアメリカンデモクラシーをはきちがえ、を前近代として遠ざけてきた今の中高年の再教育ではないか。」


 私たちは、いじめが起こっている子供たちの世界からいじめをなくすために、子供たちの心を変えねばならないと考えがちです。
 それは、心という川の源はそれぞれの心にある泉であり、個々の泉を清めてそれぞれの川の水が清められれば、川全体が美しくなるという発想です。
 しかし、師は、子供だけでなく、その親や祖父母の心も同時に変えねばならないと説かれました。
 子供たちの心という大河の源には、親や祖父母の心という泉があり、ここが汚れたままでは、流れている水をいかに掃除しようと追いつかないのです。

 67才の私は、自分の世代が抱えた問題点を反面教師として後の世代に学んでもらいたいと願ってきました。
 いくらかは自分を知る年令になったので、いつも忸怩(ジクジ…わだかまり消えないこと)たる思いがあり、「今の若い者は」という常套句を簡単に使う勇気はありません。
 問題そのものを、自分の責任としてあの世へ持っていってしまえばよいという感覚でした。
 もちろん、家庭における教育としては、親や祖父母のまっとうな生きざまを見せる以上の方法がないので、自らを戒める気持はありますが、〈先に死にゆく者が、自らを変えてから死ぬ〉との強い発想はありませんでした。
 しかし、ことここに至り、川の水を濁らせる泉としての自分そのものを放置してはならないとはっきり認識させていただきました。

「武力で国家間の紛争を解決する国でない日本は、畢竟国家社会から一目置かれる国であるほか、他国からの挑発や攻撃に対抗する方法はない。
 それには儒教道徳のを国民レベルの最低線として学び、生活や仕事の場で実践する一人一人がいなければならない。」


 ここにおける「一人一人」は、これからの日本を担う若い人々だけではありません。
 今を生きている老若男女はすべて等しく日本を形成している一員です。
 流行っている「今でしょ!」(これはお釈迦様がくり返し説かれていた言葉です)ではありませんが、私は今日から、まず、自分の再教育を始めます。
 そして、長澤弘隆師の教えを同年代の方々へもお伝えし、〈年寄りは社会的影響力が薄いから、のんびり趣味を愉しもう〉などという姿勢ではなく、若い世代が日本を担っているのと同じく、〈年寄りの生きざまもまた、日本のありように大きくかかわっている〉と自覚していただきたいと願っています。

 お大師様は「五徳」を説かれました。

1 …哀れんで殺さない
「愍傷(ミンショウ)して殺さざるは

2 …相手を害なうのを防いで男女の道を乱すことをしない
「害を防ぎて媱(ヨウ)せざるは

3 …ことさらに心に酒を禁ずる
「ことさらに心に酒を金ずるは

4 …清らかに思察して盗みをしない
「清察)セイサツ)して盗せざるは

5 …道理にのっとった言葉でなければ語らない
「法にあらざれば言わざるは


 また、お大師様は「五常」を説かれました。

1 …博愛の徳がある
「人に博愛の徳あるは仁」

2 …厳しく禁じる徳がある
「厳断(ゲンダン)の徳あるは

3 …他を敬って人に譲ることを明らかにわきまえる徳がある
「明らかに尊卑敬譲(ソンピケイジョウ)を弁ずるの徳あるは

4 …言葉に嘘のない徳がある
「言(ゲン)虚妄(コモウ)ならざるの徳あるは

5 …ものごとを明らかにする徳がある
「照了(ショウリョウ)の徳あるは


 そして、お大師様の説くところによれば、これらは、仏法を学ぶ以前に必要な〈人間としての基礎〉なのです。
 中高年の方々。
 共に戒め、共に実践しようではありませんか。
 子供たちと日本の未来のために。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「のうまく さんまんだ ぼだなん あびらうんけん」※今日の守本尊大日如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン



2013
03.29

いつもビクビクして落ちつかない私 ─カラスの心を退治する方法─

201303290002
〈黒澤明監督による映画『椿三十郎』の立ち会いシーン〉

 まじめで仕事もちゃんとこなすのに、内心はいつも臆病で、いざという時にサッと退がってしまい、なかなか小さな殻を抜けられないタイプの方がおられます。
 こうした心は、『大日経』が烏心(ウシン…カラスのような心)として戒めています。
 人間社会の近くに住み、残飯やゴミをあさって生きているカラスたちは、大胆に見えていながら実はとても用心深く、いつもオドオドしています。
 烏心とは、このように、ちょっとしたことにもすぐ〈退いてしまう〉臆病で信じられない心です。
 
 烏心があると、新しいステップへなかなか進めず、いつも狭い範囲でぐるぐる回っているしかなくなります。
 これでは、教えを学ぶ際の心構えである慈悲心は発揮できたとしても、もう一つの心構えである勝義心(ショウギシン…無限向上心)が抑えられ、祈りが深まりません。
 こうなる原因は二つあります。
 一つは、自分を守りたい心です。
 今の自分に執着し、可愛い自分にしがみついているのです。
 もう一つは、自信のない心です。
 自分へ執着している割には、自分に自信がなく、なかなか〈この先〉へ進めません。
 だから、オドオドし、ビクビクしているのです。

 こうなると、自分をとりまくものは皆、警戒の対象になるので、必然的に、信じられなくなります。
 たとえば、夏にスイカ割りをする場合、「そこだよ!」と声をかけられてもバシッと棒を振り下ろせません。
 それと同じく、せっかく般若心経のご本尊様である般若菩薩(ハンニャボサツ)様の真言を教えられても、信じて唱えられないのです。

 ここを抜けるには、逆境が役立つ場合もあります。
 にっちもさっちも行かなくなり、そうかといって逃げられもしなくなった時、どうするか。
 たとえば、猛火の壁に背中から追われていれば、いくら走ってもやがて力尽きて倒れ、焼かれるしかありません。
 太平洋戦争の末期、東京がアメリカ軍によって絨毯爆撃された際、助かったAさんは、濡らした布団をかぶって風上へ突っこみました。
 そうしたら、雲海の中では揺れていた飛行機が雲の上へ出れば嘘のように静かな飛行へ入るのと同じく、火炎地獄から抜けられたそうです。
 
 宮本武蔵は書きました。 
「振りかざす太刀の下こそ地獄なれ 一と足すすめ先は極楽」
 柳生石舟斎、あるいは山岡鉄舟などの作と言われている似た一首もあります。
「切り結ぶ太刀の下こそ地獄なれ、身を棄ててこそ浮かぶ瀬もあれ」
 いずれも、肝を据えて踏み込まない限り、恐怖から逃げられず、もちろん、勝利も得られないことを示しています。
 隠形流(オンギョウリュウ)居合では、木刀による打ち合い稽古を行いますが、初めての方は誰しもが驚かれます。
「えっ、こんなに近いんですか!」
 切り結ぶ、あるいは打ち込む時の間合いは、実に〈目と鼻の先〉です。
 相手がそこにいて自分はここにいるというよりは、相手も自分も一緒にいるといった感じです。
 たとえは適切でないかも知れませんが、混んでいる銭湯を想像してみれば、やや近いかも知れません。
 〈そこ〉と〈ここ〉の区別にほとんど意味はありません。
 肝を据え、冷静に判断し、的確に行動した者は生き残り、片方はあの世へ逝きます。
 生死がどのように分かれようと、踏み込んだ先にはもう、いのちが惜しくて怖い地獄はありません。

 もちろん、こうした空襲や立ち会いなど、ないにこしたことはありませんが、自分が当事者であるとを想像することによって、何かは確かに変わります。
 最初は、そんなことできない、と思うでしょう。
 しかし、くり返し想像してみることによって、いつしか、当事者はだんだん身近になります。
 また、自分の守本尊様など心に響いた真言や経文をくり返し口にするのも当然、肝を据える役に立ちます。
 そうしていれば、いざという一瞬に、想像上の当事者は等身大となり、自分も〈向こう側〉へ突破できているかも知れません。
 烏心があることを決して諦めないでください。
 イメージトレーニングと祈りによって、心は必ず変化させられます。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「おん さん ざん ざん さく そわか」※今日の守本尊勢至菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン



2013
03.29

寺子屋の教え『実語教・童子教』を考える(その50)─文字は精神の杖─

201303290001
〈『逝きし世の面影』からお借りして加工しました〉

 江戸時代まで寺子屋などの教材として広く用いられていた『実語教・童子教』を見直しましょう。
 一度聞いたら忘れられない警句などがふんだんに含まれています。

「一日に一字を学べば
 三百六十字
 一字千金に当る
 一点他生(タショウ)を助く」


(一日に一字を学べば
 一年の間に360もの文字が覚えられる
 そうして覚えたたった一文字でも、大金にあたるほどの価値がある
 文字によって思考されたほんのちょっとした善行でも、苦しみのないところへ生まれ変わるための助けとなる)

 一日にたった一文字ずつでも覚えてゆけば、一年経つうちに360を超える文字が身につきます。
 たとえば、「朝」という文字を覚えれば、夜が白々と明けそめてきた時、「ああ、朝だ」と思え、心に一つの区切りがつき、次の時間へと進む心構えがつくられます。
 また、「朝」の文字に出会えば、明け方の空の色や鳥の声が連想され、あるいは、仕事や学校の始まりといった印象が心に浮かびます。
 文字は思いをまとめたり膨らませたりもします。

 イギリスの文芸誌『グランタ』の編集長ジョン・フリーマン氏(49才)は、産経新聞のインタビューに応じました。
 文藝編集者の役割です。
「新しい才能を発掘し、その作家が(本人すら意識していない)真に書くべきことを探り当てること」
 そのために心がけているのは……。

「常に自分が無知であることを認識し、好奇心を絶やさない」


 作家の原稿用紙を埋めさせるのが、自分もまた精神の〈白紙〉を埋めようとしている編集者の役割であるようです。

 私たちの精神のカンバスには、こうやって一文字、また一文字と書かれ、人は生涯かけて〈その人〉になってゆくのでしょう。
 だから、たった一文字であっても、覚えた文字、あるいは紡ぎ出された文字には、はかりきれない重みがあります。
 私たちの心がそうした文字と感応し合うほんのひとときは、この世の生を潤すだけでなく、次の世へもよき影響を及ぼすことでしょう。
 それが「一点他生(タショウ)を助く」です。
(一点とは非常に短い時間であり、他生とは、生まれ変わった自分です)

 私たちがものを考える時は、必ず文字の助けを借りています。
 ジョン・フリーマン氏のような〈考える人〉は、思考の先に必ず新たな言葉を求めています。
 だから、常に「無知」の自覚があり、好奇心のもたらす意欲が「無知」の荒野を歩ませているのでしょう。

 文字は精神の杖です。
 しっかりした人生を歩めるよう、子供たちへきちんと文字を与えたいものです。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「おん さん ざん ざん さく そわか」※今日の守本尊勢至菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン



2013
03.28

詩人リルケと三人の行者 ─落ちた衣の謎─

20130328064.jpg
〈岩出山の森栖さん〉

 以前、書いたリルケの寓話について、あらためて考えてみます。

 ある時、詩人リルケは、女性へインドの寓話を教えました。

 インドの海岸で、3人の修行僧が法衣を木の枝にかけ、水浴をしました。すると、サッと舞い降りた鷲が海面から魚をくわえ、飛び去りました。
 1人は叫びました。
 「こんちくしょう!」
 すると法衣は、風もないのに枝からサラリと落ちました。
 もう1人も小声で言いました。
 「かわいそうに」
 法衣は同じように落ちました。
 沈黙したままの修行僧の衣は落ちなかったそうです。


 この物語を以前、私たちの心に巣くう迷いの一つである「積聚心(シャクジュシン)」に関してとりあげました。
 積聚心とは、単純に〈ひとまとめ〉にしてこと足れりとする状態です。
 たとえば、「仏教っていろいろあるみたいだけど、お釈迦様からはじまっているんだから結局皆、同じなんだよね」。
 そう言えないこともないけれど、そう言ってしまえば、あまりにも多くのことごとが捨てられてしまいます。
 そして、捨てられたことごとを抜きにすれば、結局、仏教について何も語られないのとほとんど同じになってしまうのです。

 リルケへ戻りましょう。
 衣はなぜ、落ちたのでしょう?
 彼はなぜ、この寓話を大切にしまっておいたのでしょうか?

 鷲が魚をくわえて飛び去るできごとに対して、一人の行者は「こんちくしょう!」と叫びました。
 どう猛な鷲の無情なふるまいが許せなかったのでしょう。
 もう一人の行者は「かわいそうに」とつぶやきました。
 泳いでいた罪もない魚のいのちが一瞬にして無惨に奪われてしまうできごとは、強い哀れをもよおさせたのでしょう。
 確かに、このできごとには、無情もあり哀れもあります。
 叫びが起こるのも、つぶやかないでいられないのも、もっともです。
 しかし、食物連鎖・弱肉強食を含むこのできごとは自然の節理の表れであり、眼にした三人の人間もまた、節理の中にいる存在です。
 そうした真実が強烈に訴えかけてくるできごとを前にして、圧倒された私たちは言葉を失う場合があります。
 沈黙していた三人目の行者がそうです。

 つまり、二人の行者の衣が落ちたのは、言葉の軽さに反応したからです。
 できごとの重さに対して、反応も、言葉も、あまりに軽かったのです。
 一人の行者の衣が落ちなかったのは、じっと心を深めていたからです。
 受けとめきれないできごとの重さを、ただ、受けとめようとするしかないところに重い真実があったのです。
 受けとめている過程で、あるいは、受けとめきれたあたりで、あるいは、放り出すしかなくなったところで、真実言葉になるのでしょうか。

 それにしても、言葉を紡ぎ出しつつ生きているリルケがこの寓話を語ったことには、あまりにも深いものを感じます。
 ある作家は端的に「書くのは苦痛である」と言いました。
 もうだめかと思うあたりにくると、旅に出るなどして周囲の景色を変えるそうです。
 部外者にはとても想像のつかない世界ですが、見聞きするものを単純にひとまとめの言葉にしてしまう思考と言葉の〈軽さ〉には気をつけたいものです。
 たとえば、食事をして「おいしい」と言い、景色を観て「美しい」と言った時、そこにまとめ切れなかったもの、そこからこぼれ落ちたもの、それで伝え切れなかったものをふり返ってみるなどすれば、心も言葉も、もっと豊かになるのではないでしょうか。
 そして、思想でも、宗教でも、「これさえあれば」という気持になった時、思考停止になっていないか、排他的になっていないか、独善的になっていないか、ふり返る余裕を持ちたいものです。
 そうすれば、つくられた世論に流されたり、カルト的な宗教に巻き込まれたりせず、信じられる確かなものを信じつつ、落ちついた生き方ができるのではないでしょうか。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。




「おん さんまや さとばん」※今日の守本尊普賢菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン



2013
03.27

霊障は修行のチャンス

20130327000001.jpg

 霊障(レイショウ)とは霊による障りであり、異界からの嬉しくないアプローチです。
 誰しもがこの世で苦から離れ楽を得たいと願っているのに、実際は我(ガ)を張って互いに傷つけ合い、真の意味での成就は難しいものです。
 成就できなかった思いを抱えながら異界へ逝った霊が、業(ゴウ)による影響力を何らかの理由でこの世の誰かへ及ぼしてくるのが霊障です。
 異界のものには悲しみや憎しみや怨みや怒りや執着などがあり、障られる側には不快感や恐怖感や脱力感などが生じます。
 こうした時は、この世で苦しんだり、悲しんだり、淋しがったりしている人へ手を差し伸べるのと同じく、思いやりをかけることが必要です。
 誰かのためにならずにはいられないという菩提心(ボダイシン)を実践しましょう。

 ただし、気をつけねばならないのは、感情に流されて相手に同化してはならないという点です。
 たとえば、溺れた人にすがりつかれた時、もしも抱き合ったならば一緒に溺れてしまう他なく、相手のためになれず、自分の役割も早く終えてしまうことになります。
 相手を生かすためには、冷静に相手の呼吸を確保し、岸へ向かう自分の推進力を必ず確保せねばなりません。
 つまり、菩提心の実践には、見捨てておけないという慈悲心だけでなく、手立てとしての方便(ホウベン)を判断し実行する智慧と、積み上げた福徳の力が欠かせないのです。

 さて、菩提心の実践はどう行えばよいか?
 それが六波羅蜜(ロッパラミツ)行です。

 まず、水を供えて布施の心を誓い、真言を唱えましょう。
「我、水のごとく、素直に、他を潤し、心の汚れを洗い流さん」
「おん ばぎゃばてい だのう じはてい びしゃりじゃ ほらや だなん そわか」
 誰かのために何かをしたいという尊い気持を確認してから、相手の苦を除いてあげたいと願うのです。
 本心から役立ち立ちと思えなければ、力は出ません。

 次に、塗香(ヅコウ…手に塗るお香)を塗って持戒の心を誓い、真言を唱えましょう。
「我、塗香のごとく、自他を清め、浄戒そのものになり果てん」
「おん しら だりじ ばぎゃばてい うん きゃく」
 人としての戒めに背かない決心をしてから、相手の苦を除いてあげたいと願うのです。
 悪しき心があれば、相手の怨みなどに同調してしまいかねません。

 次に、花を供えて忍辱(ニンニク…み仏の忍耐)の心を誓い、真言を唱えましょう。
「我、雨風に負けず咲く花のごとく、堪え忍び、心の花を咲かせん」
「おん ばぎゃばてい きしゃんてい だりじ うん はった」
 どんな状況にも耐えて救うと心を定めてから、相手の苦を除いてあげたいと願うのです。
 おっかなびっくりの及び腰では、障りの解消などおぼつきません。

 次に、お線香を点して精進の心を誓い、真言を唱えましょう。
「我、線香のごとく、たゆまず、怠らず、最後までやりぬかん」
「おん びりやきゃり うん びりえい びりえい そわか」
 決して諦めないと自分に言い聞かせ、相手へもその思いを伝えてから、手の苦を除いてあげたいと願うのです。
 精進によって福徳が積み上げられ、清めとなり、力ともなります。

 次に、食べものを捧げて禅定(ゼンジョウ…心身のおさまり)の心を誓い、真言を唱えましょう。
「我、己を捨てて食べ物となる生きものに感謝し、心身を整えん」
「おん ばぎゃばてい さらば ばんぱかりに まかなちえい うん うん うん はった」
 感謝によって恩を意識し、恩返しを意識してから、手の苦を除いてあげたいと願うのです。
 恩を深く思えば、生きとし生けるものも、異界のものもすべて、過去世のどこかで自分の親だったはずであり、恩返しをしないではいられません。

 次に、灯明を点けて智慧の心を誓い、真言を唱えましょう。
「我、灯明のごとき智慧の明かりで道を照らし、まっすぐに歩まん」
「おん ちしり しゅろた びじゃえい そわか」
 み仏の智慧をよりどころとしてなすべきことをなすつもりで、手の苦を除いてあげたいと願うのです。
 怨みや憎しみなどの苦はすべて迷いの産物であり、迷いは空(クウ)の真実を観ないかんちがいから発していることを心に刻み、合掌すれば、感応によって相手のかんちがいも薄れて行くことでしょう。

 お水などは、まず、きちんと並べておき、数珠を手にして観想し真言を唱え(1・3・7・21・108返のいずれか)、願いをかけましょう。
 もしも、モノが揃わない時は、合掌と観想と真言だけ、あるいは合掌と観想だけでも大丈夫です。
 障ってくるのは、決して害するのが目的ではありません。
 解消しきれぬ辛い業(ゴウ)がそうさせているのです。
 いたずらに怖れず、「あっちへ行け」といった無情な対応でなく、むしろ「修行の機会を与えてくれてありがとう」という気持で、この菩薩となる六波羅蜜行を実践してください。
 それでも問題が残る場合は、どうぞ、日時をお約束の上、ご供養をお申し込みください。
 皆さんの修行が成就し、この世も異界もみ仏の光明に包まれますよう。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。




「おん さんまや さとばん」※今日の守本尊普賢菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン



2013
03.26

沈む心と浮く心 ─瞑想には充分な準備が必要─

20130326004.jpg

 瞑想をしていると、心がどんよりとぼやけ、沈む感じになる場合があります。
 放置すれば、ただ、時間が経って行くだけになります。
 終わっても、虚しく、力になるものは何も残りません。
 やがて、瞑想にとりかかることが億劫になり、自分ではわけがわからないままに、嫌気に襲われ、修行から遠のいてしまう場合もあります。
 こうした時は、心に不要な陰の気が起こっているので、あらためて、目の前におられるご本尊様のすばらしい徳や発している霊光など陽の要素を想い、下降する心を持ち上げねばなりません。

 それと反対に、心が活発に動き、浮く感じになる場合があります。
 放置すれば、心は瞑想の対象にとどまらず、昔の嬉しい記憶などに振り回されるだけになります。
 終わっても、何らの納得が得られません。
 やがて、瞑想をする意味が疑われ、どうせ自分にはできないと思ったりして、修行から遠のきかねません。
 こうした時は、心に不要な陽の気が起こっているので、あたらめて、無常を思い起こし、すべてはままならないというの真実を考え、上昇する心を抑えねばなりません。

 心が勝手に後退せず、勝手に前進せず、今そのものにとどまってご本尊様と一体になることが大切です。
 こうして瞑想修行を正しく進めるためには、ご本尊様の徳について学んでおき、(クウ)の理などをよく考えておかねばなりません。
 準備なしに座っても、ぼうっとして過ごすか、万華鏡のようなとりとめのない想念に頭を占領されたままで終わってしまうことでしょう。

 このような心のコントロール方法は、勉強や仕事においても適用できます。
 私自身も理由がわからないままに沈んだり、浮いたりする体験をしています。
 やる気があってとりかかったはずなのに、なぜか、気持にブレーキがかかって進められない。
 自分では積極性がある状態だと考えていても、いつの間にかそうでなくなっており、ズレにとまどうのです。
 準備万端整え、満を持してとりかかったはずなのに、なぜか、よけいなことが頭に浮かんでメモをとったりしたくなり、さっぱり進められない。
 自分では落ちついていると考えていても、いつの間にかそうでなくなっており、やはり、ズレにとまどいます。
 心で起こっている変化には必ず原因があるはずです。
 しかし、私たちには、認識できる表面の心と、認識できない潜在的な心があり、外界の情報を取り入れつつ二つの心が絶え間なく複雑な動きを続けているので、心に顕れた〈結果〉の〈原因〉を特定できない場合が多々あるのは当然です。
 だから、心を集中させるためには、まず、沈んだり浮いたりといった〈結果〉へていねいに対応する必要があります。
 そして、外界の不要な情報をできるだけ遮断すると同時に、内側でも浮沈を少なくする稽古に励み、いつでもそこへスッと入れるようにしたいものです。

 集中力修行を行い、仏法だけでなく勉強や仕事にも、大いに役立てていただきたいものです。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。




「おん あらはしゃのう」※今日の守本尊文殊菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン



2013
03.25

平成25年4月の行事予定

20130325028.jpg
〈岩出山の森栖さん〉

 清明(セイメイ)と穀雨(コクウ)の卯月(ウヅキ)に行う行事予定です。
 この世の幸せとあの世の安心のため、仏神と諸精霊のおわす聖地へおでかけください。

[第一例祭 2013/4/7(日)午前10:00~

 護摩法を行い、『法楽の会』会員さんの願いを込めた護摩木や、各種祈願をかけた善男善女の護摩木を焚きます。
 守本尊様を讃える経文などを一緒に読み、太鼓に合わせて観音経3巻もお唱えします。
 参加は自由です。
 護摩の火に身を近づけ、悪しきものは焼き払い、善き願いへ大きなご加護を受けてください。
 (願い事を書く護摩木供養は1体300円です)
・送迎申込 開始30分前に、地下鉄泉中央駅そばの『イズミティ21』前へ送迎車がまいります。
 乗車希望の方は前日午後5時までに必ずご連絡下さい。


[書道・写経教室] 2013/4/7(日)午後2:00~午後3:30

 髙橋香温先生は津波で被災されても書道一筋でがんばっておられます。
 熱意と誠意を感じられる貴重な時間です。
 書道の基本を学び、100文字の写経も行います。
 イス席もありますので、お気軽にご参加ください。
・場  所  大師山法楽寺
・指  導  高橋香温(温子)先生
・ご志納金 1000円(未成年者500円)
(毎月第一日曜日午後2時から開催します)
・送迎申込 開始30分前に、地下鉄泉中央駅そばの『イズミティ21』前へ送迎車がまいります。
 乗車希望の方は前日午後5時までに必ずご連絡下さい。


[第二回法楽塾] 2013/4/7(日)午後4:00~午後5:30

 正式な勤行(ゴンギョウ)法と修行法をお伝えします。
 自分の身を法で守り、菩薩(ボサツ)として他者のためにもなりたい在家行者をめざす方のために基礎づくりを行います。
 ただし、履歴書に書く資格は得られません。
 よき願いを抱き、自信を持って祈られるようになるだけです。
 決心された方は、資料などの関係上、参加予約の上、身分証持参でおでかけください。
・場  所  大師山法楽寺
・ご志納金 3000円(隠形流居合の行者は無料)
・イス席もありますので、お気軽にご参加ください。
・送迎申込 開始30分前に、地下鉄泉中央駅そばの『イズミティ21』前へ送迎車がまいります。
 乗車希望の方は前日午後5時までに必ずご連絡下さい。


[第七回瞑想法話の会] 2013/4/10(水)午前10:00~12:00

 瞑想は心のトレーニング法です。
 ジョギングや水泳で身体を鍛えるだけでなく、古来より伝わる正統な瞑想方で心もケアし、よりよい生き方ができるようにトレーニングしませんか?
 法話においては、私たちの心に巣くう60の迷いについて一つづつ検討します。
 共に克服をめざしましょう。
 質疑応答も行います。
 会員制ではなく、その都度、まったく自由にご参加いただけます。
 どうぞ、ふるってご参加ください。
・場  所  仙台市旭ヶ丘仙台青年文化センター
・ご志納金 1000円(未成年者500円)

[第三十八回寺子屋『法楽館』 ─自然と人間 PM2・5などをめぐって─] 2013/3/13(土)午後1:30~午後3:30
 
 新シリーズ『どうする?私たちの未来』の第六回目です。
 最初に『四十二章経』の一節を学びます。
 そして、中国から飛来して肺などへ重大な影響を及ぼすPM2・5の問題を入り口とし、自然と人間について学びます。
 講師を務めてくださるのは、人間をとりまく自然環境の研究に勤しみ、よりよき社会をめざしておられる斎藤恭紀先生です。
 どなたでも自由に参加できます。事前の予約も不要です。どうぞふるっておでかけください。
・パネラー  斎藤恭紀氏(気象予報士)
・場  所  当山講堂
・ご志納金  1000円(中学生以下500円)
・送迎申込 開始30分前に、地下鉄泉中央駅そばの『イズミティ21』前へ送迎車がまいります。
 乗車希望の方は前日午後5時までに必ずご連絡下さい。


[第二例祭 2013/4/20(土)午後2:00~

 護摩法を行い、『法楽の会』会員さんの願いを込めた護摩木や、各種祈願をかけた善男善女の護摩木を焚きます。
 守本尊様を讃える経文などを一緒に読み、太鼓に合わせて般若心経3巻もお唱えします。
 参加は自由です。
 護摩の火に身を近づけ、悪しきものは焼き払い、善き願いへ大きなご加護を受けてください。
 (願い事を書く護摩木供養は1体300円です)
・送迎申込 開始30分前に、地下鉄泉中央駅そばの『イズミティ21』前へ送迎車がまいります。
 乗車希望の方は前日午後5時までに必ずご連絡下さい。


[第八回瞑想法話の会] 2013/4/24(水)午前10:00~12:00

 瞑想は心のトレーニング法です。
 ジョギングや水泳で身体を鍛えるだけでなく、古来より伝わる正統な瞑想方で心もケアし、よりよい生き方ができるようにトレーニングしませんか?
 法話においては、私たちの心に巣くう60の迷いについて一つづつ検討します。
 共に克服をめざしましょう。
 質疑応答も行います。
 会員制ではなく、その都度、まったく自由にご参加いただけます。
 どうぞ、ふるってご参加ください。 
・場  所  仙台市旭ヶ丘仙台青年文化センター
・ご志納金 1000円(未成年者500円)

[お焚きあげ] 2013/4/27(土)午前10:00~

 お不動様のご縁日に、開運不動前にて「供養会」及び「お焚きあげ」を行います。
 人形や仏壇や写真など、燃えるものも、燃えないものも大丈夫です。
 一緒にお不動様のお経を読み、真言を唱えましょう。
※お焚きあげをご希望の方は、必ず電話などで日時を連絡の上、お品をご持参、あるいはお送りください。
 当日とは限らず、いつでも結構です。
※毎月、最終土曜日に行います。

[機関誌『法楽』作り] 2013/4/29(月)午前9:00~

 講堂にて、機関誌『法楽』を作ります。ご協力をお願いします。
『実語教・童子教』も共に学びましょう。
※毎月、最終月曜日に行います。

隠形流(オンギョウリュウ)居合道場]

 第一週の土曜日 午後6:00~8:00 法楽寺にて 
 第二週以降毎週金曜日 午後7:00~9:00 旭ヶ丘青年文化センターにて
 九字を切り、守本尊様のご加護をいただく密教独自の剣法です。
 女性や高齢者の方々が多く、厳しいながらも和気藹々と稽古しています。
 入門ご希望の方は、事前に連絡の上、見学してください。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「のうぼう あきゃしゃきゃらばや おん ありきゃ まり ぼり そわか」※今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン



2013
03.25

4月の聖語 ─埋もれている真理を探そう、埋もれていることを嘆くまい─

20130325004.jpg
〈高橋香温宣誓の作品です〉

 お大師様の言葉です。

真理がみずから伝わるということはない
 それを伝える人に由(ヨ)ってはじめて広まるのである。
 真理は永遠に滅するものではない。
 その真理真理ならしむるものは人である。」(空海BOTを参照)


 真理は人に発見されてこそ真理として意味を持ちます。
 原因には結果が伴い、結果には必ず原因があるという「因果応報」の理も、お釈迦様がはっきりと認識し明確に示されたからこそ、私たちは真理として受けとめ、善いことをせよという倫理の根拠も明らかになりました。
 真理は作られるのではなく、人によって真理とされるのです。
 仏教には埋蔵経(マイゾウキョウ)という思想があります。
 いかに優れた真理が説かれた経典でも、それを理解し、必要とする人がいないうちは、人知れずどこかに埋もれ、時を待ち人を待っています。
 真理を求めていたお大師様が夢で『大日経』のありかを知り、その内容を知りたくて海を渡ったのは有名なできごとです。

 人間の世界でも、優れた人材が不遇をかこっていたり、人知れず研鑽していたりする場合があります。
 あるいは、事情によって、並外れた徳質を開花させられないでいる人もいます。
 そうした逸材が、眼力がある人との出会いによって一気に人生の花を咲かせたりもします。
 有名なのが、謡曲『鉢の木』です。
 
 雪の降りしきる夜、見知らぬ旅の僧へ宿を貸した落魄(ラクハク…落ちぶれること)の武士佐野源左衛門常世は、薪がなくなり、大事にしていた盆栽を「梅」「松」「桜」の三本とも燃やしてもてなしました。
 僧から問われるままに身分を明かした源左衛門は、逼塞(ヒッソク…ひっそりと暮らすこと)していながらも武士の魂を失ってはいないことを述べます。
「落ちぶりたりといえどもこの源左衛門、鎌倉殿の御家人として、もし幕府に一大事がおこれば、千切れたりとも具足を着け、錆びたりとも薙刀を持ち、痩せたりともあの馬に乗り、一番に鎌倉に馳せ参じ、一命を投げ打つ所存でござる」
 やがて鎌倉から全国の武士へ動員がかかり、源左衛門は言葉どおりに、みすぼらしいなりのまま駆けつけました。
 そして、ひしめき合う武士たちの中から、ひときわ落ちぶれたなりの自分が呼び出されて驚きます。
 呼び出したのは〈あの時の僧〉すなわち、鎌倉幕府の最高実力者北条時頼だったのです。
 源左衛門が故郷に錦を飾ったのは言うまでもありません。

 真理を求めるのも、人材を求めるのも同じです。
 真理も、まことのある人も、必ずどこかに存在しています。
 求める人の真剣さと、求められるものの価値とが通じ合った時、見いだし、見いだされるのではないでしょうか。

 さて、この身このままでみ仏に成るという仏教の到達点「即身成仏(ソクシンジョウブツ)」は、そのレベルを求め理解する人々によって発見され、研究され、それを実践する人々によって世に知られるようになりました。
 真理をつかみ真理に生きている人は、強引に思想や宗教を広めようとして他の主張を持つ人々と争う必要はまったくありません。
 社会へ対して最も大きな影響力を持つのは、思想や宗教そのものよりも、それを信じて生きている人の生きざまです。

 お釈迦様も、お大師様も、ご自身のすべてをかけて探求し、つかんだ真理と一体になって生きられました。
 その真実があればこそ、示された真理が時空を超えて信じられ、研究し、実践し、救われ、結果として周囲の人々の救いとなりもする無数の人々を生み続けています。
 真理は、生きた人間の真実があるところに自(オノ)ずとと顕れ、自(オノ)ずと広まります。

 人もまた、まことある生き方を貫いていれば、必ずや、仏神は手を差し伸べてくださいます。
 まことがなければ、いかなる栄華も高名も砂上の楼閣でしかありません。
 私たちは日々、〈崩れ、堕ちて行く成功者〉の報に接しているではありませんか。
 まことある人々は、たとえ世に埋もれていても、決して崩れない人生の真実を積み上げています。
 その真実は、必ずや芳香を放ち、周囲の人々の心へ得も言われぬ温かさや、奮い立つ勇気をもたらします。

 お釈迦様は説かれました。

「花は風に乗せて香りを広げるが、徳の香りは風に逆らっても広がり、やがては天界にまで届く」


 孔子様は説かれました。

「徳ある人は決して孤立せず、放っておかれない」


 真理は人によって真理とされ、徳もまた、人によって徳とされるのです。
 信じてやりましょう。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「のうぼう あきゃしゃきゃらばや おん ありきゃ まり ぼり そわか」※今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン



2013
03.25

4月の守本尊様と真言

20130325010.jpg

 4月は、清明(セイメイ)と穀雨(コクウ)の卯月(ウヅキ…4月5日より5月4日まで)です。
 4月は辰(タツ)の月なので、守本尊は普賢菩薩(フゲンボサツ)様です。

21080819 010

 普賢菩薩様は、『諸善解脱三昧智力(ショゼンゲダツサンマイチリキ)』という、苦を解決し心の平穏を保つ智慧をつかさどるみ仏です。
 煩悩(ボンノウ)は、自分を迷わせ、他から邪魔される魔ものを呼び込み、いざ何かをしようとする時に、思わぬ妨げとなります。
 正しい方法によって煩悩を菩薩(ボサツ)の大欲(タイヨク)へ転換させ、自分と周囲を清め、よき運命の創造に障害となる魔ものを祓いましょう。

 また、普賢菩薩様は、辰己(タツ・ミ)年生まれの善男善女を一生お守りくださる守本尊でもあり、身体においては、主として腕や手をお守りくださいます。
 ご供養し、ご守護いただき、心豊かで無事安全に過ごしましょう。

 写真は、永代供養を行ってご加護を受けるため、当山の講堂へ納められた普賢菩薩様です。
 総丈は約35㎝あり、日本で唯一、護摩を焚いてできた灰が体内へ納められたご本尊様です。(奉納受付中)

 4月の守本尊様をご供養しお守りいただきたい時、願いを成就させたいと念じる時、つらい時、悲しい時、淋しい時、あるいは感謝したい時は、合掌して普賢菩薩様の真言(真実世界の言葉)を唱えましょう。
 たとえ一日一回の行でも、信じて行なえば、ご本尊様へ必ず思いが届きます。
 続けて行う回数は任意ですが、基本は1・3・7・21・108・1080回となっています。

普賢菩薩(フゲンボサツ)

「おん さんまや さとばん」

今月の真言をお聞きになるにはこちらをクリックしてください。音声が流れます

※お聞き頂くには 音楽再生ソフト が必要です。お持ちでない方は、
 こちらから無料でWindows Media Player がダウンロードできます。





 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「のうぼう あきゃしゃきゃらばや おん ありきゃ まり ぼり そわか」※今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン



2013
03.24

寺子屋の教え『実語教・童子教』を考える(その49)─鍛えられる心─

201303240112.jpg

 江戸時代まで寺子屋などの教材として広く用いられていた『実語教童子教』を見直しましょう。
 一度聞いたら忘れられない警句などがふんだんに含まれています。

「祖(ソ)に離れ疎師(ソシ)に付く
 戒定恵(カイジョウエ)の業(ワザ)を習い
 根性(コンジョウ)は愚鈍(グドン)と雖(イエド)も
 好(コノ)めば自(オノヅカ)ら学位(ガクイ)に致(イタ)る」


(一族が住んできた家を離れて、遠くの師に弟子入りする
 戒めと心身の定まりと智慧とについて学び
 生来はそれほど智慧が回らない者であっても
 喜んで学べば、自然と位や資格を得るに至る)

 これは、親元から離れた子供がお寺へ弟子入りする様子です。
 自分を絶対的に守ってくれる親のいる家から離れて、見知らぬお寺へ入り、家にいた時とはまったく異なる環境で、まったく新しい生活を始める子供の気持はいかなる状態でしょうか。
 おそらく自分から申し出るケースは少なく、親が住職に鍛えてもらおうとしたり、あるいは口減らしをするために弟子入りさせたものと思われます。
 もちろん、地域によっては、今の子供たちが学校へ行くように、一定期間、お寺で手伝いながらの修行をさせたのかも知れません。
 ちなみに、タイのバンコックにおける早朝の景色は、橙色の袈裟衣をつけた子供たちの列と、ひざまづいてお布施を渡す人々のやりとりから始まります。
 いずれにしても、多くの子供たちは心細く、不安を抱えて修行生活へ入ったことでしょう。

 お寺で学ぶのは、戒定慧(カイ・ジョウ・エ)の三学(サンガク)です。

 普段の生活にあって自分を律する「戒」を学ぶのは、悪行を避け、善行を実践して福徳を積むためです。
 戒学には、布施(フセ)・持戒(ジカイ)・忍辱(ニンニク)・精進(ショウジン)の4つがあります。
 誰かのためになるのが布施、決められた戒律を守るのが持戒、何があっても堪え忍ぶのが忍辱、最後までやり抜くのが精進です。
 これができなければ、瞑想などの精神修養を行う資格がありません。
 自分のことしか考えず布施を行う心のない人がみ仏の境地をめざす瞑想に入っても結果を得られるはずはなく、飽きっぽい人に修行の続くはずはないのです。

 戒学(カイガク)が進めば定学(ジョウガク)へ入ります。
 これは瞑想によって心を集中させる訓練である「止(シ)」が主となります。
 日常生活にあっては、次々と見聞きするものに反応して心が動き、じっとしていても次々とさまざまな想念が起こり、み仏が説かれた真理を探究できる状態ではありません。
 だから、心身を整え、静かな環境で瞑想を行い、真理そのものへ向かう集中力を高める訓練が必要です。

 集中力ができれば、慧学(エガク)も進みます。
 慧学は、分析的に正しく判断する「観(カン)」が主となります。
 これには聞慧(モンエ)・思慧(シエ)・修慧(シュウエ)の三慧(サンエ)があります。
 まず、師の教えをきちんと〈聞〉けねばなりません。
 聞いたことは鵜呑みにしたり、忘れたりせず、自分で内容を〈思〉い起こし、納得できねばなりません。
 真理であると理解できたならば、内容を確認し、理解を深め、〈修〉める、すなわち真理に合わせた生き方を目ざさねばなりません。
 ここまで来てようやく智慧が得られ、真の精神修養が進むことになります。

 そして、智慧が得られれば、当然、布施も、持戒も、忍辱も、精進も行わないではいられなくなり、菩薩(ボサツ)として娑婆で活躍できるようになります。
 今回の教えで説く「戒定恵(カイジョウエ)の業(ワザ)を習い」には、こうした内容が含まれています。
 子供なりにとは言え、やる気を出して、歴史によって磨かれた精緻な心身の訓練を受ければ、心が浄められ鍛えられるだけでなく、正しく生きて行く力が出てきます。
 それが「学位(ガクイ)に致(イタ)る」です。
 知能指数がどうこうということではなく、その子供なりに、必ず結果を得られるのです。
 「たとえ愚鈍であっても」の一言には、大きな慈悲と救いがあると言うべきではないでしょうか。
 家庭でも、学校でも、こうした指導法に学ぶところがありはしないでしょうか。
 



 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「のうぼう あきゃしゃきゃらばや おん ありきゃ まり ぼり そわか」※今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン



2013
03.23

【現代の偉人伝】第170話 ─日本人が奴隷として売買されていたことを明らかにした野村哲郎氏─

201303230002.jpg
〈宗教的組織であるイエズス会が火薬の原料となる硫黄を狙って失敗した雲仙地獄(河北新報からお借りして加工しました)〉

 3月22日付の河北新報は、〈片手に武器、片手に聖書〉で世界の制圧をめざすキリスト教が日本を鎖国へ踏み切らせたと書いた。
 また、ローマ法王の精鋭部隊だったイエズス会が、弱者救済の表向きとは裏腹に、日本人の弱者たちを奴隷として海外へ売り飛ばし、江戸幕府が鎖国するまで根絶できなかった事実も紹介した。

 太平洋戦争に敗れた私たちは、戦勝国が善なる国であり、敗れた日本は悪なる国であるといった戦勝国に都合のよい歴史教育を強要され、いまだにその影響は残っている。
 子供の頃、鎖国によって愚かにも世界への扉を閉じていた日本は、幕末の開国でようやく世界の一員となったという教育を受けて育った団塊の世代は、「日本は欧米より遅れ劣った国」と頭へすり込まれている。
 日本は武士が牛耳る階級制の国で、自由はなく、ようやく開国したら、今度は敗戦まで周辺国を侵略し続けた悪い国というイメージを植え付けられた。

 そうした中で、日本におけるキリスト教徒は、弱者を救い、弾圧を受け、それでも信仰は捨てなかった清らかな人々と位置づけられてきた。
 キリシタン天草四郎はその典型であり、ジャンヌダルクなどと共通するスーパーヒーローとしての役割を果たし続けている。
 キリスト教はいかにして世界制覇をもくろんできたか、日本へやってきた目的は何か、日本で何をしようとしたか、実際に何をしたか、その実態は巧みに隠されてきた。
 もちろん、炯眼を持った方々はとうの昔に気づいておられたことだろうが、一般庶民は新聞やテレビなどで知らされるといった機会がないとなかなか知識を得られない。
 ところが、何かというとすぐに「アメリカでは」あるいは「欧米では」と持ち出す評論家たちを見てもわかるとおり、マスコミの多くには欧米諸国への独特の依存や遠慮や劣等感があり、宣教師が日本人を奴隷として売り飛ばすことにかかわっていたなどという事実は、なかなか大っぴらに紹介されはしなかった。

 今回、河北新報の野村哲郎氏は、『野望の裏 見抜き弾圧』と題する記事をもってそこへ切り込んだ。
 記事は短いが、とてつもなく重い事実が正確に述べられている。
 キリスト教やイスラム教には、日本の伝統仏教や神道のような大らかさや謙虚さなどという面がない。
 布教のパターンはただ一つ、受け入れ服従するか、さもなくば死か、である。
 布教=制圧であり、それは歴史的事実である。
 神の愛は信じる者にしか及ばない。
 だから、信じない者は殺され、奴隷として扱われても当然である。

 野村氏は書いた。

イエズス会による布教が本格化した16世紀半ば以降、信徒が寺社を打ち壊したり、キリスト教を嫌う勢力が南蛮貿易で潤う町を焼き払ったりと、ポルトガル船と宣教師の向かう先々で血なまぐさい事件が続発した。」


「『異教の地をことごとくキリスト教化する。目的のためには武力行使もいとわない』。
 これが、『法王の精鋭部隊』を自認するイエズス会の、創設以来変わらぬ姿勢だった。」


「追放令には、日本人が奴隷として海外に売られてゆくのを防ぐ目的もあった。
 戦国の世は、人身売買の対象となる弱者を数多く生み出した。
 ポルトガル人は日本人男女を鎖でつないで船底に押し込み、海外に売り飛ばした。
 奴隷貿易には宣教師も手を染めていた。
 日本人奴隷の売買は、徳川幕府が鎖国に踏み切るまで根絶できなかった。」


 ただし、こうした歴史があるからといって、キリスト教を蔑視したり、敵視したり、憎んだりするのは正しい学び方ではない。
 戦後、戦勝国から日本人へ与えられた歪んだ歴史観の呪縛を脱し、日本人が自分の眼で確認した事実に立脚した歴史観を持ちつこと。
 そして、宗教的世界観を背景にして政治活動も軍事活動も経済活動も行われているという現実を見すえてものを考え、行動することが大切なのではなかろうか。
 国を守るとはいったいどういうことか、も、あらためてよく考えてみたい。
 アメリカのオバマ大統領は聖書へ手を当てて宣誓し、ここ一番の演説では「神」へ言及する。
 ──その「神」は世界をキリスト教で地ならしせよと命じている……。

 以下、後日のため、全文を掲載しておきます。

 伊達政宗が慶長遣欧使節の派遣を実行に移したのは、徳川幕府がキリスト教の禁教に傾いてから、弾圧へ動き始めるまでのきわどい時期だった。

 前代の豊臣政権も、キリスト教容認から禁教、迫害へと同じ道筋をたどっている。
 秀吉も家康も、貧者や病人に福音を授ける宣教師たちを初めは黙って眺めていた。
 だが、戦国期をくぐり抜けた覇者の嗅覚は、すぐに危険なにおいを感知した。

 両雄だけではなく、キリスト教伝来の地である薩摩と大隅を領する島津氏も、宣教師の裏の顔をいち早く見抜いていたとされる。

 -1584年春、佐賀の猛将龍造寺隆信が、5万7000とも伝えられる大軍を率いて長崎県の島原半島に侵攻した。
 迎え撃つ有馬・島津連合軍は8000。本国に大兵力を温存している島津はともかく、島原の小領主にすぎない有馬の命運は、風前のともしびと思われた。

 ところが、龍造寺勢は連合軍の仕掛けたわなにはまる。
 身動きの取れない湿地帯に誘い込まれ、横合いから激しい銃撃を浴びた。
 主将の隆信は戦死し、龍造寺氏は滅亡に向かう。

 「沖(おき)田(た)畷(なわて)の戦い」と称されるこの合戦の舞台裏で、ローマ法王公認の修道会であるイエズス会が動いていた。
 イエズス会は、キリシタン大名の有馬晴信に鉄砲、弾薬、兵糧や軍資金を提供し、連合軍勝利の陰の立役者となった。

 イエズス会による布教が本格化した16世紀半ば以降、信徒が寺社を打ち壊したり、キリスト教を嫌う勢力が南蛮貿易で潤う町を焼き払ったりと、ポルトガル船と宣教師の向かう先々で血なまぐさい事件が続発した。 また宣教師たちは硫黄の産地である島原半島の雲仙などを布教の重点地域にしていた。
 硫黄は黒色火薬の原料になる。
 「何をたくらんでいるのか」と、島津氏は疑念を抱いた。
 
 果たして、龍造寺氏を打ち破った後、イエズス会は「恩賞として雲仙が欲しい」と言い出した。
 要求は、島津の猛反対にはね返された。

 戦国期において、垂ぜんの輸入品といえば硝石だった。
 黒色火薬は木炭と硫黄と硝石を混合して作る。
 中国内陸部やインドのベンガル地方に産する天然硝石を握っていたのは、ポルトガル人だった。
 有馬のような弱小勢力が生き残るためには、南蛮貿易に影響力を持つ宣教師たちと良好な関係を保つことが、どうしても必要だった。
 有馬晴信の叔父の大村純忠などは、自領の長崎をイエズス会に寄進し、改宗に応じない領民を容赦なく殺害した。

 キリシタン大名たちの「忠勤」ぶりに気をよくした宣教師の中には、自らの権威をことさらに誇示する者もいた。
 ガスパール・コエリョという、日本におけるイエズス会の布教責任者の言動は際立っていた。
 コエリョは86年、大坂で豊臣秀吉に面会し、「中国へ攻め込むご意志があるなら、ポルトガル領インドから援兵を送らせましょう」と言い放った。
 翌年、九州平定のため博多に在陣していた秀吉を快速の軍船に招き、自分の命令一つで船が進退するさまを見せつけた。

 「衣の下の鎧(よろい)」をのぞき見た秀吉は、間もなく「バテレン追放令」を発して宣教師の表立った活動を封じ、イエズス会によって要(よう)塞(さい)化されていた長崎を直轄領に組み入れた。

 コエリョは実はキリシタン大名を糾合して豊臣政権を打倒し、日本人を先兵に、中国へ攻め込む野望を抱いていたとされる。
 「異教の地をことごとくキリスト教化する。目的のためには武力行使もいとわない」。
 これが、「法王の精鋭部隊」を自認するイエズス会の、創設以来変わらぬ姿勢だった。

 追放令には、日本人が奴隷として海外に売られてゆくのを防ぐ目的もあった。
 戦国の世は、人身売買の対象となる弱者を数多く生み出した。
 ポルトガル人は日本人男女を鎖でつないで船底に押し込み、海外に売り飛ばした。
 奴隷貿易には宣教師も手を染めていた。
 日本人奴隷の売買は、徳川幕府が鎖国に踏み切るまで根絶できなかった。

 (本稿は長崎歴史文化博物館研究グループリーダー・大石一久氏の所説と、東北大災害科学国際研究所長・平川新氏の論文「前近代の外交と国家-国家の役割を考える」などを基に執筆した)
 (生活文化部・野村 哲郎/写真部・高橋 諒)






「おん ばざら たらま きりく」※今日の守本尊千手観音様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村
 
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン

 

2013
03.22

2013年4月の運勢(平成25年4月の運勢)─流れの生かし方と人生修行─

201x30322001222.jpg

 2013年4月の運勢(卯月…4月5日から5月4日まで)です。
 運気の流れによる注意点を参考にし、人間修行の六波羅蜜(ロッパラミツ)行で改運し、開運し、快運となりますよう。

一 素材やきっかけを大切にして、よきものを創りましょう 

 たとえば、周囲にいる児童が篠笛とか書道とか将棋とかケーキ作りとか、何であっても関心と意欲を示したなら誉めてやり、伸ばしてあげましょう。
 故岡潔先生のように、強い外的刺激に鋭く反応する大脳側頭葉が引き起こす感覚だけでなく、大脳前頭葉がしみじみと反応する情緒に注目しましょう。
 気持が〈良い〉のは感覚であり、心持ちが〈佳く〉なるのは情緒です。
 先生は、初めは素晴らしいと思った景色を二度、三度と眺める気にならなければ感覚、時雨のように、聴けば聴くほど好さがわかるのは情緒であると説かれました。
 また、感覚はすぐに消える一方、情緒の印象はずっと尾を引き、江戸娘が一目惚れして恋に苦しんだのは情緒が生じたからであるとされました。
 もしも、感覚でしかものごとをとらえられなければ、心が刹那的、かつ自己中心的になっているからです。
 テレビの恋物語にさんざん泣いていながら、数分後にはお笑い芸人に笑わされ、次いでいじめの報道に憤慨するのも結構です。しかし、時には、テレビを観た結果、自分の心に何が残り、それをきっかけとして自分は何を考え、また、いかなる行動をとったか、ふり返ってみたいものです。

 こんな体験があります。
 新しい墓地が完成し、開眼供養と、若くして亡くなられた奥さんのお骨を納める修法とを行った時のできごとです。
「~」家と大書された中央の棹石の片隅に「家族愛」と小さく彫ってありました。
 一緒に暮らしていた家族から一人欠けたことによって、残った三人の心にあらためて芽生えた気持と、津波で一人ぼっちになり、新たな家族ができない限りこうした気持になれない方々の心を想うと、小さな三文字は私の心へも深く刻み込まれました。
 そして、ときおり、思い出されます。
 これは情緒の反応だろうと考えています。

 心を刹那的でなく、自己中心的でなくするには、自然や古典や経典など、時を超えて私たちの魂へ訴えかけてくるものと親しんでおくことです。
 また、煩悩(ボンノウ)を直視し浄める心のトレーニングをしておきましょう。
 そうすれば、小さなきっかけも心を深め、大切な何かを心と周囲に育て、やがては形あるものを創るかも知れません。

二 何が杞憂で、何が考えるべき真の問題なのかをよく見極めましょう

 昔、杞の国に「もしも天が落ち、地が崩れたら居場所がなくなる」と心配し、夜も眠れず、食事も喉を通らなくなった男がいました。
 ある男が彼を心配し、出かけていって言い聞かせました。
「天は気が積み重なってできたものであり、気はどこにでもある。
 人が身体を曲げ伸ばし、呼吸をするのは皆、天の中でやっているのだ。
 そんな心配は要らない」。
 すると
「天が本当に気の積み重なりならば、太陽や月や星は落ちてくるではないか」
と反論します。
「太陽も月も星も気の積み重なりだから、たとえ落ちてきても、人はけがなどしない」。
 今度は
「地が崩れたらどうしよう?」
と訊きます。
「地は土が積み重なったものでどこにでもある。
 人が歩いたり踏んだりしているのはすべて一日中、地上でやっているのだ。
 崩れる心配はない」。
 ここに至ってようやく憂いていた男は納得し、言い聞かせた男も喜びました。
 これが「杞憂」の始まりです。
 この話にはおちがあり、さる長老は
「男はあまりにも先の心配をし過ぎているが、天地は決して崩れないと断定するのも正しくはない」
と指摘しました。
 そして、この寓話が書かれている『列士』の主人公列士は
「天地が崩れようと崩れまいと、そうしたことに乱されない無心の境地こそが大切である」
と結論づけました。

 あまりにも急速に情報が乱れ飛ぶようになった昨今では、疑い出せばきりがない反面、疑う視点を持たずにうかうかしているといつしか〈乗せられてしまう〉危険性もあり、一人一人の叡智が試される厳しい世の中になりました。
 しかし、そもそも、自分で考えねば人生をきちんとまっとうできないことは人間の歴史が始まって以来、変わりません。
 自分で食べて自分で排泄せねばならないのと同じく、感じ、考え、判断をくだし、行動するというパターンは、誰かに代わってはもらえないのです。
 この点で私たちは果たして、百年前、あるいは五百年前のご先祖様方より精度や深度を上げ、進歩していると言えるでしょうか。
 テレビやネットで誰かが不安を煽れば不安になり、怒りをかき立てれば怒り、どこからか「~改革!」や「~反対!」などのかけ声がかかれば、反射的に一緒に叫びたくなってはいないでしょうか?

 杞憂は無益ですが、流されるのは危険です。
 自覚して過ごしたいものです。

 今月の六波羅蜜(ロッパラミツ)行と運勢です。
 精進しようではありませんか。
 皆さんの開運を祈っています!

布施(フセ)行と運勢]水を供えましょう。
 精進の人は不善の輩に引きずられず、守るべきものを守れます。
 不精進の人は賢者の声が耳に入らず、愚か者に邪魔され、騙されて失敗しがちです。
持戒(ジカイ)行と運勢]塗香(ヅコウ)で身と心を清めましょう。
 精進の人は我を主張せず、無益な争いと無縁で無事安全です。
 不精進の人は傲慢になって下から突き上げられ失敗しがちです。
[忍辱(ニンニク)行と運勢]お花を供えましょう。
 精進の人は怪しい人物を見極めて近づかず、成功します。
 不精進の人は隠しているつもりの私利私欲が露見して信用を失い、失敗しがちです。
[精進行と運勢]お線香を供えましょう。
 精進の人は幸運を善き仲間や家族と分かち合い発展します。
 不精進の人はせっかくの幸運を独り占めして目上に叱られ、他から横取りされがちです。
[禅定行と運勢]飯食(オンジキ)を供えましょう。
 精進の人は花の心で耐え、幸運の鍵が授かります。
 不精進の人はちょっとした妨害に冷静さを失い、最後の最後に挫折しがちです。
[智慧行と運勢]灯火を供えましょう。
 精進の人は懸案が解決し、運気が願う方向へ盛り上がります。
 不精進の人は円満解決に失敗し、仕事も人間関係も流動的になり不安増大となりがちです。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「おん あみりたていせい から うん」※今日の守本尊阿弥陀如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン



2013
03.22

寺子屋『法楽館』においてTPPを考えました

2013030900922.jpg

 3月9日、第38回寺子屋『法楽館』を開催しました。
 これからの日本の方向を決める大切な要因がTPPの問題です。
 農学博士で前衆議院議員の石山敬貴先生から、あまり報道されていないTPPの実体について、データに基づいたお話をお聴きしました。
 メモした中から、いくつかの要点を書いておきます。

1 参加国の経済規模に差があり過ぎる

 国内総生産という経済力の指標(単位はドル)は以下のとおりです。
 
・アメリカ    14・1兆
・豪州       1・0兆
・マレーシア    0・2
・シンガポール   0・18
・チリ       0・16
・ニュージーランド 0・12
・ペルー      0・12
・ベトナム     0・09
・ブルネイ     0・01

(中国5兆 EU16・4兆 ロシア1・2兆)

 ブルネイに至っては日本で最も生産力の少ない鳥取県の半分しかありません。
 まるで、イトーヨーカドーと田舎の小規模商店が同じテーブルにつくようなものであり、対等に交渉ができようはずはありません。
 ブルネイを年商1千万円のお店にたとえると、マレーシアは2億円であり、アメリカは140億円となります。
 ちなみに日本の国内総生産は5兆ドル以上あるので、この対比に当てはめれば50億円となります。
 これまで、それぞれの国家間でのつき合い方があったのに、アメリカが皆一緒にやろうと言い出したのは、太平洋を取り巻く国々をアメリカに取り込むためとしか考えられません。

2 アメリカ主導で行われた自由貿易の進め方には法則がある

・秘密裏に行う
・大企業が主導する
・アメリカの社会制度を輸出する

3 国内法に優先する国際法を結び、国柄を守れるか

 一旦、こうした協定が結ばれれば、国際法として国内法より優先されるので、地方を守るための地産地消的な条例などは違反行為として国際裁判所に提訴され、日本国内で日本人が生活するルールを決められなくなる可能性があります。

4 目先の損得勘定でやれるか、そもそも、本当の損得はどうなり得るか

 損得の計算をすれば、10年で2兆7千億円のプラスとされており、一年換算では2700億円です。
 500兆円を越す国内総生産との対比は、500万円の年収のある人にとって一年で2700円のプラスということになります。
 通常、企業ならこの程度の利益は経費などの計算次第ですぐに赤字になって何の不思議もない範囲であり、実際、もしも農家がなくなったとすれば、農家が無償で行っている周辺地域の草刈り代だけで10兆円は必要になるので、2700億円のプラスなどほとんど意味を持ちません。
 6兆円規模の農業が2兆円になる(農水省の計算)危険を冒してまで、わずかなプラスが見込めるからと協定を行う必要性があるか。

5 日本の農産品は全体としてそれほど高い関税をかけているわけではない

・インド 124・3パーセント
・韓国   62・2パーセント
・EU   19・5パーセント
・日本   11・7パーセント
・アメリカ  5・5パーセント
 
6 韓国がアメリカと自由貿易協定を結んだ結果を見よう

・農業は壊滅的ダメージを受けた
・中小企業が没落した
・若者の失業率が増大し、25才以下では10パーセント以上が失業している。大卒も一流どころへ入れなければフリーターになるしかない。
・ISD条項などが国家主権を侵害しかねない
・財閥が全体の8割を牛耳っている

7 TPPは農業対工業の問題だけではない

 交渉項目は20以上もあります。
 巷間、問題とされている医療や保険の分野以外にも、大きな問題が山積みです。

・外項人労働者受け入れの問題。介護や看護に影響大。やがては移民の問題も起こる。
・安い労働力を求めての企業の海外進出が促進される。雇用機会が低下する。
・政府調達・公共事業への入札は加盟国へ報告される。
・遺伝子組み換え作物などの輸入が増加する。
・著作権を延期する。
・特許申請の条件を緩和する。

 カナダでは、どんどん外国人を受け入れた結果、中国人が人口の40パーセントを占めるまでになり、多くの問題が生じています。
 経済規模も文化もまったく異なる国家同士が同一原理でやろうとしたEUは破綻寸前です。
 自由にやらせた結果、金融資本市場の規模は実体経済の7倍にまで膨れあがり、風船状態です。

 先生は、約1時間にわたり、まだまだ多くの事実を紹介されました。
 参加された方々からのご質問やご観想も相継ぎ、活き活きとした会になりました。
 石山敬貴先生へ心より感謝申しあげます。




 さて、今回の講義をお聴きして思うのは、こうした現状にあってなお、協定の締結へ向けて踏み出さねばならない理由は何かということです。
 中国や北朝鮮の軍事的脅威から国土を守るために、米軍とのより進んだ協力が必要であるという安全保障上の問題があり、「自分がAを頼んでおきながら、相手からの依頼であるBをむげには断れない」のならば、そうした事実を明らかにし、Bを受け入れた場合に日本がどう変質し得るかを国民の前で堂々と議論すべきではないでしょうか。
 そして、変質の内容は、こと経済に限りません。
 文化がどうなるのかという大問題があります。

 かつて、小泉改革が「機会均等」という原理で突っ走った結果、日本の社会システムが変わっただけでなく、人々の心がすっかり変わりました。
 日々、人生相談を受けていて実感する最も大きな変化は、多くの人々が生涯、不安を抱えて過ごさねばならなくなったということです。
 老若男女を問わず、就職できるかどうかという不安だけでなく、いつ首を切られるかという不安にずっと耐えながらはたらかねばなりません。
 有能な労働力の効率的活用という名目で、現政権もまた、さらに流動化を押し進めようとしています。
 たしかし、利益を求める〈経営者〉と〈資本家〉はそれでいいでしょう。
 平然とライバル会社へ移り、収入を増やし続けられる〈有能な人〉はそれでいいでしょう。
 しかし、多くの人々は、生涯、イス取りゲームを強いられる結果、限りなくバラバラになって行き、孤立し、不安は去りません。
 自分の人生で最大の時間を費やす職場が自分そのものを〈かける〉場ではなく、今、空腹をしのぐための場でしかないならば、安心や充実感の基礎はどこにありましょうか。
 ましてや、主として経済的な理由で結婚できない人々が増えており、家庭すら営めないなら、〈生まれてきてよかった〉と思える社会たり得るでしょうか。
 最近のベネッセの調査によれば、親の経済格差が子供の教育格差に直結することを仕方がないと考える人が過半数となりました。
 弱者が諦めつつある日本の将来はどうなることでしょう。

 実に、日本で広がりつつある格差の最も大きな問題は、安心や満足や充実感を持てる一部の人々と、不安や不満や虚ろな思いを抱えて生きる多くの人々との、心の乖離にあると考えています。
 この乖離を放置するのは、社会正義に反していないでしょうか?
 これが宗教者として日本の未来へ抱く最も大きな危機感の一つです。

 とにかく、条約にふくまれる都合の悪い内容をも包み隠さず明らかにし、「想定外」と言った原発事故の二の舞にならぬよう、日本の主張が通らなかった場合の事態をも「想定」した議論が行われるよう願ってやみません。
 



 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「おん あみりたていせい から うん」※今日の守本尊阿弥陀如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン



2013
03.21

津波の年に咲いた『桜』です

20130320001 (2)2

 閖上在住の書家高橋香温先生の作品『』を額装しました。
 津波によって家も家族も一気に失った先生は、春たけなわとなり、伸ばした枝に花々が咲いているのを観て勇気づけられたそうです。
 ようやく筆が手についた頃の傑作です。
 当山で展示しています。
 すでに古典的な趣もある一作をどうぞご覧ください。



「おん あみりたていせい から うん」※今日の守本尊阿弥陀如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン



2013
03.21

寺子屋の教え『実語教・童子教』を考える(その48)─善き心、直き心を育て合いましょう─

2013032010000.jpg
〈たくさんの花々とご供物が供えられた彼岸供養会〉

 江戸時代まで寺子屋などの教材として広く用いられていた『実語教・童子教』を見直しましょう。
 一度聞いたら忘れられない警句などがふんだんに含まれています。

「善き友に随順(ズイジュン)すれば
 麻の中の蓬(ヨモギ)の直(ナオ)きが如(ゴト)し
 悪しき友に親近(シンゴン)すれば
 藪の中の荊(イバラ)の曲るが如(ゴト)し」


(善き友を尊敬しつつ感化されれば
 曲がる蓬もまっすぐな麻がある中ではまっすぐに育つように、直き心になる
 悪しき友と親しくつき合えば
 藪の中の荊がからまれて曲がりくねるように、曲がった心になる)
 
 友人関係は人生を大きく左右します。
 古来、「朱に交われば赤くなる」と言われてきたとおりです。
 善き心、直き心を持った人との親しいつき合いは気づかぬうちにそうした心を育て、悪しき心、曲がった心を持った人との親しいつき合いもまた、そうした心を育てがちです。

 当山では、ご縁の方々を等しく法友(ホウユウ)であると考えています。
 仏法を信じ、仏法に学び、仏法を実践しようとされる方々だからです。
 法友の方々は、仏法僧の三宝を信じ、当山と一対一でつながると同時に、仏法を縁とする友として、皆さん方同士の横のつながりもあって欲しいと願っています。
 古人は「袖すり合うも多生(タショウ)の縁」と言いました。
 通りすがりに偶然、着物の袖がふれ合うといったほんの些細なできごとであっても、それが生じたのは、幾度も生まれ変わり死に変わりした無限の過去の因縁があったからです。
 だから、み仏の関係する出会いに感謝し、それをお互いに生かして行く気持を持ち、善き心、直き心を育て合っていただきたいのです。

 こうした心を実践する象徴的方法として、当山では、催事がある際、み仏へ捧げられたご供物を参会者の方々に分け合っていただくことにしました。
 3月20日に行われた彼岸供養会の終了後、お菓子やお酒など、善男善女から御宝前に供えられた食べものや飲みものを本堂近くの入り口に並べ、皆さんは和気藹々(ワキアイアイ)と譲り合いながら持ち帰られました。
 ご本尊様を信じる一人一人が捧げた尊いものを、次は、平等にご本尊様から授かりました。
 お釈迦様の時代、托鉢から帰った行者たちは頭陀袋(ズダブクロ…首に掛ける袋)の中身を出し合い、お釈迦様の指示で分け合っていのちをつなぎ、修行を続けたそうです。
 私たちもそうした心で、感謝して分け合い、家へ帰れば誰かへそのお裾分けもしましょう。

 互いに善き心、直き心を育て合う人間関係を大事にしましょう。
 そうすれば必ず、他の人を害さず他の人のためになる真に意義のある人生を歩めることでしょう。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「おん あみりたていせい から うん」※今日の守本尊阿弥陀如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン



2013
03.20

寺子屋の教え『実語教・童子教』を考える(その47)─善人と共に発展し、善き友と直く生きよう─

20130320058.jpg
〈岩出山の森栖さん〉

 江戸時代まで寺子屋などの教材として広く用いられていた『実語教童子教』を見直しましょう。
 一度聞いたら忘れられない警句などがふんだんに含まれています。

悪人に順いて避けざれば
 緤(ツナ)げる犬の柱を廻るが如(ゴト)し
 善人に馴れて離れざるは
 大船(ダイセン)の海に浮かべるが如(ゴト)し」


悪人と馴染んでしまえば
 柱につながれたいぬが周囲をぐるぐると回ることしかできないように発展しない
 善人と共に進めば
 大きな船が大海原を行くように未来は開ける)

 柱につながれた犬と、大海に浮かぶ大きな船でとは、あまりにも違いすぎるものを対比させているようですが、そうではありません。
 事実、これほども違いが生じるものです。
 
 悪人は、たとえいかなる分野に人生を広げようと、必ず人様の目から隠しておきたいものを抱えており、仏神の光の下で胸を張っては生きられません。
 人生の舞台は、所詮、自分の悪心がばれない範囲でしかないのです。
 一旦、悪事が露見すれば、いかなる世間的成功も一瞬のうちに水泡に帰するだけでなく、死後は必ず悪業(アクゴウ)の報いを受け、地獄などへ堕ちるしかありません。

 一方、善人は、たとえ世間的に大成功はしなかろうと、正々堂々と胸を張って生きられ、隠れる場所を探す必要はありません。
 支え合う人間関係は無限の可能性を持ち、人生の舞台に縁はありません。
 積み上げた信頼や福徳善業(ゼンゴウ)は決して減らず、滅せず、死後の安心をももたらします。

 悪しき主人に飼われる犬として生きるか、どんな風雨にも負けない大きな船として生きるか、よく考えてみましょう。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「のうまく さんまんだ ばざらだん かん」※今日の守本尊不動明王様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン


2013
03.20

寺子屋の教え『実語教・童子教』を考える(その46)─不和なる者は解放しよう─

20130220068.jpg
〈岩出山の森栖さん〉

 江戸時代まで寺子屋などの教材として広く用いられていた『実語教童子教』を見直しましょう。
 一度聞いたら忘れられない警句などがふんだんに含まれています。

「教えに順(シタガ)わざる弟子
 早く父母に返すべし
 不和なる者を冤(ナダ)めんと擬(ギ)すれば  
 怨敵(オンテキ)と成つて害を加(クワ)う」


(教えに従おうとしない弟子
 無理にとどめおかず、早く父母のもとへ返すべきである
 根本的に合わない者を無理になだめようとあれこれ画策すれば
 逆恨みしてへ害を加える場合もある)

 学問であれ、仕事であれ、自主的にやる気のないものごとを無理に教えられるのは苦痛です。
 ここを越えないと自分が理想としている次のステップへ進めないなど、他に目的があれば耐え抜くこともできるでしょうが、さもないと、どこかで手を抜きつつ、その場を凌ぐだけになってしまいます。
 凌げなければ逃げようとし、逃げるのもままならない場合は、指導者や組織を逆恨みするかも知れません。

 3月14日に広島県江田島市のカキ養殖会社「川口水産」で起こった中国人実習生陳双喜容疑者(30才)による殺傷事件もこの典型ではないでしょうか。
 殺された一人である社長川口信行氏(55才)は、容疑者を特に虐待していたわけではなく、事件の前日などは、容疑者のために、旨い米を分けてやって欲しいと知人へ頼んでいたほどです。
 どこにでもある齟齬(ソゴ…くいちがい)が殺人事件にまでなったのは、容疑者が日本的上下関係になじみ切れなかったからではないでしょうか。
 受ける恩と、生じるストレスとのバランスが崩れる何ごとかが、できごととして、あるいは容疑者の心の傾向としてあったのでしょう。
 いずれにしても、本質的に「不和なる者」は無理になだめようとせず、解放せよいう教えは心に留めおきたいものです。
 が伝えるべきものを求める弟子へ伝えるために。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「のうまく さんまんだ ばざらだん かん」※今日の守本尊不動明王様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン


2013
03.19

せめて死を迎えた時に後悔しないようになりましょう

20130317023.jpg
〈岩出山の森栖さん〉

 チベットのことわざには唸らされてしまいます。

「上位の修行者は死を喜ぶ。
 中位の修行者は死を厭わず受け入れる。
 下位の修行者でさえ死を迎えた時に後悔しない」


1 上位のレベルにある行者は、死へとステージを変える際に最高レベルの精神状態を獲得して悟りを開ける可能性があると考え、期待します。
 ダライ・ラマ法王は死の受容について説かれました。

「生の連続性を受け容れれば死は一つのできごとに過ぎない。
 服を着替えるのと変わりない。
 古い肉体が機能しなくなれば、活力ある新しい肉体に着替える。
 死は深い内面的体験を得るチャンス。
 死・バルド・再生のプロセスを取り入れた修行を行っていると、死が訪れた時に修行の成果を試せると思い、わくわくする。」


 常々の修行は練習であり、死は本番であるという感覚でおられるのでしょう。
 経典は説きます。

「死の際に死のプロセスを正確にたどり、光明と幻身の双入の境地(仏陀の境地)を完成する可能性への期待がある」


2 中位のレベルにある行者は、培った慈悲の力によって、生まれ変わる先の世界を選べると考え、行く先を心配しません。
 経典は説きます。

「慈悲(一切衆生への慈悲)と誓願(一切衆生を救済するという誓いと願い)と気づきの力によって次に生まれ変わる姿を選ぶ」


3 まだ下位のレベルにある行者でさえ、死の過程において、この世で善きことを行ったことによる未来への影響力を増大させれば、必ず地獄界や餓鬼界や畜生界には堕ちないと考え、行く先を心配しません。
 経典は説きます。

「死の光明に心を向けることが可能なため、善(ゼンゴウ…善行による善き結果を招く力)の力を増大させて善趣(ゼンシュ…天界・人間界・修羅界)に転生(テンショウ)する」


 いずれも、「死ねば終わり」ではないという確たる前提に立っています。
 輪廻転生(リンネテンショウ)は仏教の根幹です。
 お釈迦様は厳しく戒めておられます。
「死んでも有り続ける実体としての自分はない。
 死んで無になるわけでもない。
 有(ウ)と無の両極端となる誤った見解を離れよ」
死後のことなど知ったことではない」という仏教はあり得ません。
 過去世の結果として現世があり、現世の結果として来世があるのは、因果応報の理からしても当然です。
 私たちがなかなかこのことを理解しにくいのは、モノとしての身体が滅してバラバラの分子になって行く様子は目に見えても、見えない心のゆくえを確認できないからです。
 お釈迦様はもちろん、お大師様も、ダライ・ラマ法王も、透徹した智慧と徹底した修行によってそこを明確に感得され、私たちへ伝えておられます。
 皆が所定の修行を行って聖者方の境地になれるわけではありませんが、誰もが、聖者の教えを学び道理をもって思考することにより、たとえ朧気にであれ、死後の成り行きは想像できます。
 また、因果の理をもってすれば、善きことをしっかり行った者が死後、恐ろしい世界へ行くはずはないことも確信できます。
 ならば、「死を迎えた時に後悔しない」あたりへは、凡夫である私たちも到達できるのではないでしょうか
 修羅界ではちょっと困りますが、ご縁の皆さんとせめて人間界で、あるいは天界で再会したいと願っています。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「のうまく さんまんだ ぼだなん あびらうんけん」※今日の守本尊大日如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン



2013
03.18

生じた不安をどうするか ─救われぬウドラカ─

201303170172.jpg

20130317054.jpg
〈岩出山の森栖さん〉

 古い逸話があります。
 一心不乱になれば安心を得られると信じるウドラカは長い瞑想に入りました。
 その間、髪はどんどん伸びました。
 ある時、ねずみがやってきて髪をかじりました。
 やがて瞑想から出たウドラカは、髪がめちゃめちゃになっていたので怒り出したそうです。
 世間の喧噪(ケンソウ)から離れて心を集中した状態に保っていても、怒りという煩悩(ボンノウ)は何ら変わらなかったのです。
 経典は説きます。
「集中の瞑想だけで足りると思っていれば、慢心に堕ちる」
 せっかく修行しても怒りっぽく、傲慢で、あまり話のできない人では困ります。

 さて、たとえば、医師から大病であると告げられ、心が安定を失ったならどうするか。
 その対処法として、ウドラカのように心を静める瞑想の類を行う方もあります。
 それでだんだん心がおさまれば結構ですが、そうとばかりは行きません。
 いったん生まれた不安は風を待つ埋もれ火のように頭のどこかに隠れており、ときおり現れてはたちまち頭を占領します。

 当山では、いくらまじめに修行しても悟れず悩んでいた尼僧を哀れみ、観音様へ祈るよう指導されたお大師様の顰(ヒソ)みにならい、守本尊様への祈りをお勧めする場合があります。
 たとえば、巳(ミ…へび)年生まれの方であれば一代守本尊様は普賢菩薩(フゲンボサツ)様です。
 普賢菩薩様は、さまざまなよき行いによって煩悩から脱する道筋を示し、大きな納得と安心を与える役割を持っておられます。
 経文を唱えてそのことをよくイメージし、仏像や梵字を前にして真言を唱え、一心に普賢菩薩様の世界へ入ります。
 思ったり考えたりするだけでなく、合掌という身体の行為を行い、唱えるという言葉の行為を行い、イメージするという心の行為を行い、身口意(シンクイ)を一つにしてこそ、異次元は開けます。
 また、人生相談や例祭などへでかけ、すべては因と縁によって生じており、すがり祈るなどの新たな因や縁は、結果として必ずこれまでとは異なる状態をもたらすことを道理によって深く納得するのです。
 また、よきことを行う徳積みが自分の運勢を変え、周囲の縁を変え、そうして生きる環境が変われば自分の運命も変わることを道理によって深く納得し、善行を実践するのです。
 もちろん、祈る対象は自分の一代守本尊様とは限りません。
 どなたであれ、心の周波が合うと感じるみ仏は救いの世界へ通じる扉を準備し、待っておられます。

 心が安定を失えば、安定やそれに伴う安心をとり戻すことが簡単ではなかったりします。
 いかに、身体と言葉と心の三つを用いて辛い状況に対峙するか。
 きちんと学んだならば、あとは実践あるのみです。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「のうまく さんまんだ ぼだなん あびらうんけん」※今日の守本尊大日如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン



2013
03.17

【現代の偉人伝】第169話 ─嗣がれる志 南相馬中央医院院長となる中林智之医師─

20130317000012.jpg
〈産経新聞さんからお借りして加工しました〉

20130317001.jpg
〈第二例祭の護摩法です〉

 平成25年1月22日、「現代の偉人伝154話」に書いた福島県南相馬市の南相馬中央医院院長高橋亨先生がご逝去されました。
 末期ガンを患いながらも最後まで現場から離れなかった院長の奮闘ぶりは、生き仏そのものでした。
 その後、後継者がおられるとの報道に接し、どういう方なのかと発表を鶴首(カクシュ…首を長くして待つこと)していました。
 3月15日の産経新聞は、ついに、その人を紹介しました。
 富山県高岡市の済生会高岡病院で副院長兼内科部長を務める中林智之医師(59才)です。

 先生は、2月10日に高橋院長の告別式に参加し、後継者は「本当に自分で大丈夫なのか」と思ったそうです。
 医師生活33年のベテランながら、こうした謙虚さを持っておられます。
 僻地医療で「最後の場所」をと望んでいた先生は、平成24年8月、新聞で故高橋院長のことを知り、「俺に『来い』といっているのかな」と運命を感じました。
 10月には故高橋院長と会いました。

「話は子供や妊婦を気にかけることばかり。
 子供が住める街づくりにまで話が及び、医師としての熱い思いに圧倒された。
 自らも熱意を伝えた。
『一緒に仕事をしよう』と言われたときは『医者人生の最後に懸ける覚悟が通じた』と喜んだ。
 だが、夢がかなうことはなかった。」


 二回目に会った時はすでに会話が通じない状態で、4日後には永遠の別れとなりました。

「早すぎる。
 机を並べて多くを学びたかった」


 還暦にして、学ぼうという姿勢が失われていません。
 この一文には奮い立たせられました。

「高橋先生と同じようにはできないが、その遺を継ぎ、頭と体が続く限り南相馬で医者としての仕事を全うしたい」


 先生は必ずや、まっとうされることでしょう。

 私はかつて、「東日本大震災 ─東北関東大震災・被災の記(第123回)─区域指定地にとどまった高橋享平院長先生」に書きました。

「私は、平成24年8月30日にブログ『現代の偉人伝 第154話』を書いてから、ときおり、先生を思い出していました。
『地域の患者のために病院を続けたい。
 人間味のある医師に来てもらいたい』
 この願いは私の願いでもあるからです。
『当山を必要とする方々のために法楽寺らしい寺院を続けたい。
 一行者として、み仏とご縁の方々のために尽くす心と能力のある僧侶に来てもらいたい』」


 当山では、お大師様が兜率天(トソツテン…弥勒菩薩様の世界)へと旅立たれた3月16日、善男善女のご唱和に支えられ、後継者候補A師が一人で読経を務めました。
 私は護摩法の終了後、参詣された善男善女の方々へ短い法話を行いました。
「古い樹木へ新しい接ぎ木が行われ、根は生きたまま、樹木は古くて新しいいのちを育み続けます」

 病院も寺院も、が皆さんから真に必要とされるなら必ずや後継者が現れ、嗣がれ、ご縁の方々に支えられて発展するものと信じています。
 南相馬中央医院院のご発展を心からお祈り申しあげます。合掌
 




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「おん さん ざん ざん さく そわか」※今日の守本尊勢至菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン



2013
03.16

第38回寺子屋『法楽館』 自然と人間 ─中国から飛来するPM2・5のことなど─

2013031601022.jpg

2013031605722.jpg
〈岩出山の『森栖』さん〉
 
 4月の寺子屋法楽館』では、「どうする?私たちの未来」の第六弾として、PM2・5等について学びます。

 自然の一部である人間は自然の恩恵を受ける一方で自然と闘いつつ文明を創ってきました。
 しかし、今は、人間の生み出した〈反自然なるもの〉から脅かされる事態にたち至っています。
 人間をとりまく自然環境の研究に勤しみ、よりよき社会をめざしておられる斎藤恭紀先生より人間と環境の問題などについてご講話をいただきます。

・講師 斎藤恭紀氏(気象予報士)
・日時 4月13日(土)午後1時30分より3時30分まで
・会場 大師山法楽寺講堂
・ご志納金 1000円 中学生以下500円
・送迎 『イズミティ21』前からの送迎車へ乗られる方は前日17時までにお申し込みください。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。




「おん さんまや さとばん」※今日の守本尊普賢菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン



2013
03.16

東日本大震災 ─東北関東大震災・被災の記(第131回)─「小説は 死者と生者つなぐ」考(その4 小説と経典)

20130316006.jpg

20130316048.jpg
〈岩出山の『森栖』さん〉

 3月11日付の朝日新聞に掲載された池澤夏樹氏といとうせいこう氏の対談「小説は 死者生者つなぐ」を読んでいます。

いとう氏
「一人一人を書くということは悼むことかもしれないし、何かにふたをしようとするものへの反抗かもしれない。
 池澤さんは『双頭の船』を故意に軽いタッチで描かれましたね。
 僕のDJもちゃらちゃらとしゃべる。
 客観性があればそこにユーモアが出てくる。
 死者もニヤッと笑うエピソードを書きたかった。」


池澤氏
「深刻にしてしまうと、深刻であることだけで先に行けなくなる。」


いとう氏
「当事者ではないのに深刻になるのは失礼ではないか、という思いもあった。」


 枕経を唱え終わり、ご本尊様から戒名を授かるために故人の人となりを聞かせていただく場面を思い出した。
 喪主様を始め、皆さんを前にして、僧侶は苦を共にする「同苦」の心でありながら、自分も泣きそうな表情になったりせず、穏やかに聴き取りを行う。
 それは、身代わりとなって苦を受ける観音様もお地蔵様も泣いてはおられないのと同じである。
 ことを進めるためには、場をあまり「深刻にして」しまってはならない。
 もちろん、喪主様が言葉につまってしまう場面などはじっと待つが、こちらの気持を場へ入れすぎないように気をつけている。
 いとう氏の言う「失礼ではないか」はよくわかる。
 信念がどうであろうと、世間的なふるまい方としては、所詮は他人という面がいくらかはあった方が場の統一性が保たれ、礼を失しないのだ。

池澤氏
「葬式などの儀式だと、きちんとやったからいいでしょうと納得させられて終わる。
 小説では、向こうへ行こうとしている彼らとともに歩ける。
 どこかでじゃあねといってすっと別れられる。
 余韻が残る。」


 確かに葬儀などの儀式は、心に区切をつけ、次のステージへと向かうきっかけになる。
 当然、なすべきことをきちんと行ったという「納得」が伴わねばならない。
 それには、み仏のお力により、故人が迷わずにこの世からあの世へ行けるよう引導を渡す場が異次元と接していることを、送る方々に実感していただかねばならない。
 導師がみ仏と一体になる修法は、逝く方へも送る方々へも区切の感覚をもたらし、納得への扉を開く。

 氏の言うとおり、儀式はその場で完結する。
 僧侶もまた、そこで〈終わり〉にしているのだろうと一般的には思われているらしい。
 しかし、私はそう考えてはいない。
 年忌供養などを押しつけはしないが、葬儀は始まりであると考えている。
 送られた方が十三仏様に導かれ、あの世で清められ休息をとり、やがては転生の準備をされるのと同じく、送った方々は、身近な人の死を契機として心に供養という新たな流れが起こる。
 数珠を持ったことのない人が数珠を手にし、お線香を点しては精進を誓い、水を供えては布施を誓い、花を挿しては忍耐を誓い、そうして生きることによって先に逝かれた方への報恩を実践しようとする。
 僧侶は決して出しゃばらないが、いつでも皆さんの流れが順調であるように願いつつ、必要とされればできることを行う。
 気配もなく、ふり返れば常に在る影のようでありたいと願っている。

いとう氏
「音楽や映像ではなく、文字という簡素な、ある意味貧しいメデイアであるが故に、生きる時間とも弔いともリンクがはれる。
 本という形だからこそ、開くたびに、亡くなった人の声や無念が立ち上がってくることを祈ります。」


 池澤氏は「余韻」、いとう氏は「立ち上がってくる」と言った。
 小説の真骨頂は思いの追体験にあるのだろう。
 過去の人々や仮想された登場人物たちが、小説家の筆力によって永遠のいのちを得る。
 高任和夫氏の『光琳ひと紋様』、神部眞理子氏の『玉の緒よ』といった作品では、登場人物たちの生(セイ)の饗宴や哀愁が読者の脳裏へありありと甦る。
 読者は彼らのいのちに伴っている思いと心の音叉が共振し、霊性が活性化する。

 宗教においては経典が似た役割を果たす。
 経典は、見えるものや聞こえるものなどを真実のありようとは異なった形でとらえさせる煩悩(ボンノウ)という勝手なフィルターを外し、瑞々しく安心な世界にいることを思い出させる。
 経典に導かれて心が自己中心を離れる時、過去の人であれ仮想された人であれ現実に生きている人であれ、誰かのためによかれと願いつつ生きる人の魂や誰かのために自分を捨てる人の魂から強く訴えかけられ、奮い立つ。
 
 文字は、音楽や映像のように、華々しく瞬間的な刺激をもたらしはしない。
 しかし、文字を扱うもののうち特に新聞や本は、紙の手触りや匂いに始まる総合的な訴えかけにより、静かで深い印象を与える。
 そして、小説も経典も、読み手の心に従い万華鏡のようにさまざまな面を見せる。

 私は、『光琳ひと紋様』を読んでから、尾形光琳の『紅白梅図屏風』をときおり観るようになりました。
 また、『玉の緒よ』を読んでから、月照の一句「世の中に 生きとし生けるものは皆、ただ玉の緒の 長かれとこそ」が一段と身に迫るようになりました。
 どんな時も『理趣経(リシュキョウ)百字偈(ゲ)』は背骨をシャンとさせてくれます。
 よい書物に親しみ、経典を宝として、死者とも生者とも、共に生きようではありませんか。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。




「おん さんまや さとばん」※今日の守本尊普賢菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン



2013
03.15

東日本大震災 ─東北関東大震災・被災の記(第130回)─「小説は 死者と生者つなぐ」考(その3 特定の言葉が叫ばれる時)

20130314002.jpg
〈岩出山の『森栖』さん〉

2013031402922.jpg

 3月11日付の朝日新聞に掲載された池澤夏樹氏といとうせいこう氏の対談「小説は 死者と生者つなぐ」を読んでいます。

池澤氏
「政府発表や大メデイアのメッセージ、『大災害』や『きずな』といった言葉が空回りすることに危険を感じていた。
 それを切り崩すには一人一人の声にもどらなくてはならない。
 つかみきれないものをつかもうと、もがいていた。」


 政治とマスコミという二大権力機構によって〈特定の言葉〉がくり返し叫ばれ出したなら、私たちは、誰がいかなる意図で世論を繰ろうとしているのかと、一歩、身を退き冷静に眺めてみる必要がある。
 頻繁に見聞きする〈特定の言葉〉がオウムのように自分の口から出る時、私たちは思考停止に陥っている可能性がある。
 東日本大震災によって人と人とのが無惨に切られた時、当事者はもちろん、周囲の人々もまた、の価値を再考させられた。
 ひとごとへの無関心という現代人の深刻な病理がいかに哀れで深刻なものであるかという事実にも気づかされた。
 そして、見返りを求めず、隠れた意図を持たない清浄な思いやりの実践、つまり真の布施(フセ)という人間が人間であることを示す最も崇高な心の核が目覚め始めた。
 ここから先は、各々が心の命ずるところに従って、真摯(シンシ)に進むしかない。

 最近、80才を超えたAさんから聞かされた。
「太っているのと年をとったせいで足腰の調子が悪く、知り合いから勧められた施設に連れて行ってもらいました。
 そこでは、半強制的に屈伸運動のようなものをさせられます。
 屈強な青年が支えてくれるので何とかメニューをこなせますが、帰ってくると動けなくなり、医者で両膝近くに注射をしてもらい、3日くらい寝たり起きたりをくり返し、また、でかけるという状態でした。
 あまりに酷いので、途中で狡(ズル)をしようとすると、そんなことではだめですよと叱られます。
 担当者たちは皆、信念を持ち誠意にあふれ、汗だくになってやってくれますが、私にとってはもはや苦痛なので、止めました。
 ここから先へはもう、行って欲しくないというあたりがわからないんですね。」

 こうした嬉しい世界と苦痛の世界との分岐点は、人それぞれであり、ほとんど当事者にしかわからない。
 しかし、本当に〈よかれ〉と思って何かをしたいと願うならば、そこを限りなく正確に感じとる努力が欠かせない。
 ひもじい人へ食事を提供すれば喜ばれるが、だからといって毎日ステーキを用意したならばどうなるか。
 実に、相手のためになることは難しさを伴う。
 難しさから逃げず、相手に合わせて〈よかれ〉と実践し続けるところに、実践者の成長もある。
 進むばかりでなく、時には立ち止まり、時には退がり、しかし、観音様の慈悲ある眼と手は失わないこと。
 そうした実践者の繊細な感覚を鈍磨させ、ともすれば相手へ苦痛を発生させかねないのが、独り善がりな思い込みや思考停止である。
 特に、宗教にかかわる人々は、「私があなたを救ってあげる」などという思い上がりを持たぬよう深く心せねばならない。
 
 氏の「一人一人の声にもどらなくては」という指摘は重い。
 何としても、そこを聴き、そこに立ちたい。
 その時、もはや、〈特定の言葉〉は不要なのである。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。




「おん さんまや さとばん」※今日の守本尊普賢菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン



2013
03.14

東日本大震災 ─東北関東大震災・被災の記(第129回)─「小説は 死者と生者つなぐ」考(その2 三回忌という時期)

20130314001.jpg
〈岩出山の森栖さん〉

20130314062.jpg

 3月11日付の朝日新聞に掲載された池澤夏樹氏といとうせいこう氏の対談「小説は 死者と生者つなぐ」を読んでいます。

いとう氏
「日本には、非業の死を遂げた人の霊をしずめるための能や歌舞伎や浄瑠璃があった。
 死者の恨みをどう共有するのかという意味で、芸能や文学が人の魂にふれてきたと思う。
 今、科学も宗教も生と死をとらえきれない。
 だから、その中間領域に小説を置かないといけない。」


 死に行く人の恨みは周囲にいる人々の記憶に残り、死者への怖れとなる。
 だから、死者を慰撫するために、芸術の世界で恨みを昇華させ、時には神として崇める。
 やがて怖れが憐憫や畏れへと変われば、送った側の人々は徐々に安心することだろう。
 しかし、仏法は、生者も死者も等しくみ仏の子であると観て、悪しき心のはたらきである恨みと対峙し、心から切り離す修法を行う。
 四十九日忌には薬師如来、百か日忌には観音菩薩、あるいは三回忌には阿弥陀如来のお導きをいただく供養会には、死者の滅罪を重ねて願うという一面がある。
 それは、死者の安心を願い供養する生者がよき心となり、自らの滅罪を行う機会でもある。

 

池澤氏
「医学は科学だから『ご臨終です』で終わる。
 でも、そこから始まるものがある。
 死を納得するための工夫が要る。
 僕は、震災で母親を亡くした友人から、どうやって亡きがらを見つけ、どう弔ったかを丁寧に聞いた。
 彼は語ることで自分の中の何かを鎮めた。
 僕は体験の一部を受け取ることで何かを担った。」


 否応なく「そこから始まるもの」への対応は、宗教者の仕事でもある。
 供養や人生相談に訪れる方々の瞳にかかっている翳(カゲ)が、お帰りになられる時にいくばくかでも薄れていると確認できれば、心に安堵が広がる。
 時には、帰りしなの言葉が耳に残る。
「おかげさまで、一区切りつきそうです」
「まだ、前へ向かう気持になれません」
 いずれにしても、氏の言うとおり「担う」役割は重い。

いとう氏
「『双頭の船』というのは、頭の一方が死の世界に向かっていて、もう一方が生の世界へ向いていると思う。
 死の海が生の舳先(ヘサキ)に接し、生の海は死に接し、死と生が行き来する動力でこの船は進む。
 そして、船を縦軸にすると時間軸になる。
 下は過去でみんな死んでいる。
 上は未来。
 これから生まれる未来の人は、今はまだ死んでいるともいえるわけで、過去と未来は死でつながっている。
『想像ラジオ』の主人公はディスクジョッキーだが、最後の方で次のDJが出てくる。
 つながっていく。
 未来と過去はこうして扱わねばいけねいのかなと。」

  
 氏はまさしく輪廻転生(リンネテンショウ)を語っておられる。
 私たちがこの世で活躍するたかだか100年もない時間は、死と死の間にあるつかの間のできごと。
 氏の言う「これから生まれる未来の人は、今はまだ死んでいる」の「まだ」は、永遠とも言えるほど長い。

池澤氏
「被災地の初期のざわめきが鎮まるための2年だった気がする。
 三回忌というのは、死者が向こうへ歩き始める時期なのではないか。」


 氏が感じておられる切り替わりの時期は普通、四十九日忌に当たる。
 薬師如来の強大なお力をいただき、この世と微かにつながっている気配も消え、完全に「向こう側」の存在となる。
 しかし、今回の震災において、あまりにも強引に死の淵へ引き込まれたたくさんの方々の中には、いまなお何かを〈引きずっている〉方もおられることだろう。
 氏は、2年が経ち、そうした方々もはっきりと向こうの住人になったのではないかと感じておられる。
 修法する者の立場としては、「向こうへ歩き始める」というより、死者は、私たちがおよそ想像し得る限り最高に安楽な世界で憩い始められたと考え、感じている。
 そうした意味では、氏のイメージする「向こう」は極楽浄土であろうから、宗教者と似た感覚なのかも知れない。

いとう氏
「僕の場合は死者が話しかけてくるまでに2年かかったという感覚です。
 向こうから『聞け』と言ってくる声を想像で書くには、客観性と批評性が必要で、それは小説だった。」


 やはり、2年後の三回忌には、時間が経過したことによる何かが顕わになる。
 宗教者は阿弥陀如来の救いを祈り、小説家は落ちついて語り出した向こう側の声を聴く。
 時が経ち、鎮まることは、向こう側とこちら側の双方へ安心をもたらす。
 向こうでは憩いが深まり、こちらでは新たな言葉が紡ぎ出される。
 しかし、それもなお、こちら側の現実は過酷なままだ。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。




「おん あらはしゃのう」※今日の守本尊文殊菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン



2013
03.13

東日本大震災 ─東北関東大震災・被災の記(第128回)─「小説は 死者と生者つなぐ」考(その1 あの世への渡り方)

20130313005.jpg

20130313006.jpg

 3月11日付の朝日新聞は、二人の小説家池澤夏樹氏といとうせいこう氏の対談「小説は 死者と生者つなぐ」を掲載した。
 宗教者の立場から考えてみたい。

池澤氏
「被災地には何回も通っているが、行くたびに、人がいる気配を感じる。
 建物がなくなった後のコンクリートの土台がお墓に見えて、墓参のような気持ちになる。
 原発や町の再建問題もあるが、ずっと考えているテーマは死んだ人たちのこと。」


 人がいるとは感じられないし、墓参のような気持にもならない。
 小説家のイメージの膨らみ方を想う。
 初めの頃は、津波からのがれるため海辺から内陸へと向かう人々のざわめきのような気配を感じた。
 最近は人の営みを無化してしまう自然の峻厳さや、頭を垂れないでいられない崇高さに圧倒される。
 不思議と、死の先にある穏やかさも感じるようになった。

いとう氏
「被災地を車で走っていた時、暗闇の中からざわざわと声が聞こえると思った。
 それを聞き取らないとダメだと思った。
 僕は16年間小説が書けなかったが、震災チャリティーで短編を数本書いた後、あの声を書かなければ二度と書けないと思い、『想像ラジオ』を書き始めた。
 震災関連の労作は多いが、死者と生者をつなぐフィクションがなくて、今回、池澤さんの『双頭の船』を読んで、向こう側とこちら側とに通路があり、そこに風が吹けば、死者と生者をつなぐ何かが生まれると感じた。」

 
 いとう氏の言う「ざわざわ」はわかる。
 夜になると、そうした〈動き〉を伴わず、じっと佇むものを感じたりもする。

池澤氏
「以前から、唐突に死んでしまった人は自分の死をどう納得するのかが気になっていた。
 準備ができていない死、不慮の死をどう受け入れるか。
 宗教を持たない僕らの大半は、向こうへの渡り方、見送り方、悼み方を持っていない。
 そのことをずっと考えていたところへ震災が来た。」


 唐突の死は、まるで、強く打つ両掌から片方が消えてしまうようなものだ。
 最大の速度が出ている時、対象がなくなると、その瞬間から力は削がれないまま、無限の先へと向かう。
 隠形流(オンギョウリュウ)居合の「突き」などはこのイメージであり、修法の際に行う遠隔法も、この原理を用いたりする。
 だから、対象のイメージを失った死者が彷徨する可能性はあると考えている。
 それに対応するため、死者を送る修法は一様ではない。
 み仏方がたくさんおられるのは、当然、役割がさまざまだからであり、死の様態によってお導きに加わるみ仏は異なる。
 ご葬儀を行う導師が死の様子をお訊ねするのは、決して世間話をするためではない。
 死者を確かに安心の世界へお送り手順を決めるためであり、引導の方法、つまり「渡っていただく道筋」はこうして定まって行く。
 亡くなったご本人の多くは、〈渡り方〉を知ってはおられない。
 しかし、〈渡っていただく〉修法を行う導師を介在してみ仏方の〈お導きの力〉がはたらき、結果として〈渡られる〉ことになる。
 だから、人が人を送る文明の続く限り、法力を持った宗教者の存在は欠かせない。
 当山が、相手の宗教宗派を問わずご葬儀を行い、引導を渡しているのはこの理に基づき、決して相手を選ばないみ仏のお力を信じているからである。

 また、当山は、〈見送り方〉や〈悼み方〉をご存じない方のために、法話や人生相談を行っている。
 こうした死にかかわることごとは、思いつきで〈方法〉がみつかるという次元の話ではない。
 だから、過去の聖者方や超絶的な力を持った行者の方々が全身全霊を挙げて研鑽・研究し、後代の私たちへ遺し伝えてくださった〈方法〉を敬虔な気持で学び、実践している。
 当山は、数珠の持ち方やお経の唱え方から学ぶ方々が〈見送り方〉や〈悼み方〉を通じて、いつしか〈渡り方〉も学ばれていると実感しつつ、ご指導申しあげている。
 もちろん、私自身が、皆さんと一緒に考え実践しつつ、〈渡り方〉を深めている。
 これが大乗仏教、すなわち、大きな船へ皆共に乗り合い、安心の世界を目ざす道であると信じている。
 共同墓『法楽の礎』や『自然墓』へ入られる予定の方々から「住職も一緒に」と言われ、私の遺骨は分骨されて共に眠る予定である。
 ありがたく、嬉しくもある。
 この世で信じ合える思いそのままにあの世へ行けるのだから……。





 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「のうぼう あきゃしゃきゃらばや おん ありきゃ まり ぼり そわか」※今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン



2013
03.12

東日本大震災 ─東北関東大震災・被災の記(第127回)─三回忌終了のご報告・和合する人々と区切の真言─

201303120001.jpg

 おかげさまにて、全国の皆さんへご唱和を呼びかけていた般若心経百万巻を捧げる三回忌供養会は無事、終了しました。
 108巻をご唱和いただいた方々、納経された方々、準備や進行にご協力いただいた方々、お心を向けてくださったすべての方々へ心よりお礼申しあげます。
 あいにく気温が前日より10度も低く小雪が舞って境内は真っ白、ときおり思い出したように強い突風も吹く荒れ模様になりましたが、善男善女が続々と足を運ばれ、堂内に読経の声が満ちました。
 午前10時からの修法が終わった時は12時45分を過ぎていました。
 おそらくは参加されたどなたも経験したことのない供養会だったのではないでしょうか。

 最後に短い法話を行いました。
「仏教では三宝(サンポウ)を敬います。
 仏様である仏法(ブッポウ)、教えである法宝(ホウボウ)、それを信じて導かれ、護る僧宝(ソウボウ)です。
 僧宝とは袈裟衣をつけた僧侶だけではなく、こうしてご唱和いただいた皆さんや、ご協力くださった皆さんは等しく宝ものです。
 そもそも、僧という言葉は仏教用語である僧伽(ソウギャ=サンガ)からきており、インドの言葉であるサンガは和合衆(ワゴウシュウ)とも訳されました。
 心を一つにして励む人々だからです。
 ここにおられる皆さんはまぎれもなく和合衆であり、逝かれた方々は三宝に護られ、きっと極楽浄土へ到着されたことでしょう。

 さて、皆さんは、おそらく、最後の方では『まだ終わらないのだろうか』『えっ、また唱えるの』と、いつまで続くのだろうかという気持になっていたことでしょう。
 いくら供養しようというご誠心があっても、これだけ長時間になれば、相当、疲れてもおられるはずです。
 しかし、考えてみてください。
 津波や原発事故で避難を余儀なくされている方々や、仮設の店舗などでようやく生計を立てている方々は、『いったい、いつになれば、元の生活に戻れるのだろう』ともどかしい気持を抱えながら過ごしておられるはずです。
 又、強い恐怖や悲嘆と共に冥界へ逝かれた御霊方にも、なかなか安心の世界へ溶け込んでしまえない何ものかが残っているかも知れません。
 今、私たちは、はからずも、そのごく一部分を共有したのではないでしょうか。
 そして、私たちは供養の一事を為し終えました。
 結果となる〈その時〉が必ず来ることを実証しました。

 先ほど行った修法には、これまでで最も困難なものを含まれていました。
 かつて、事故が続発した関東地方のマンション建設現場で供養と鎮めの修法して以来のことです。
 いかに三回忌のご本尊様である阿弥陀如来のお導きが強力であろうと、悲劇的な最期を遂げた御霊方が極楽浄土へ入られるのは、やはり、容易でなかったと思えます。
 しかし、私たちは和合して、所定の祈りを貫徹しました。
 きっと、あの世の御霊方も無事、阿弥陀如来の光へ溶け込まれたことでしょう。

 冒頭にお話ししたとおり、修法には滅罪が含まれており、その法を込めた般若心経御守に魂入れをしました。
 どうぞ皆さん、ご自身の滅罪と除災招福のため、また、誰かのため、どうぞお持ち帰りください。
 本日は本当にご苦労さまでした。
 ご唱和へ重ねてお礼申しあげます」

 法話で触れたように、終了間際のある真言へ入った時、止まらなくなりました。
 濁流にもまれて離れる手と手、車椅子を押して走る看護師さんの息づかい、家族を呼ぶ声、2年前の現実が気配となって顕れました。
 空漠の地となったあちこちの沿岸部で拝んだ時に迫ってきた気配と同じです。
 あの日、津波の来た方角へと自らクルリと後ろ向きになった共同墓『法楽の礎』の主尊大日如来様は、そのすべてを受けとめようとされたのであると信じています。
 この真言が奔流となったのは、かつて、山中の修行で師から法力を使える行者となるための伝授を受けた時以来です。
 別な真言を唱えねばならないのにこの真言が口から流れ、師は私の頭を地面に押しつけました。
 その頃は無我夢中でしたが、今日のできごとをふり返ってみると事情は察知できます。
 御霊方にとって、後ろ髪を引くもろもろの執着心から離れてみ仏そのものになるためには、どうしても強烈な区切が必要だったのでしょう。
 唱え終わってみると、堂内に流れている般若心経はかなりの速度で皆さん四苦八苦されているはずなのに、実に静かでゆったりと聞こえました。

 三回忌の祈りは成就しました。
 あの世の方々が安心の世界へと入られたのと同じく、この世の私たちも苦から離れる次の一歩を踏み出す大きなきっかけとなったことでしょう。
 
※『ゆかりびとの会』の皆さん、準備から受け付け、進行、後片付けと本当にご苦労さまでした。
 心より感謝しております。

※3月11日を期して、『法楽寺仏前勤行宝典』(A5版50ページ総ふりがな・CD付)を作りました。
 順次、『ゆかりびとの会』会員の方々へご進呈申しあげ、入会される方々へも、もれなくお渡しし、家庭での勤行に役立てていただきたく存じます。
 また、関心がおありの方はどうぞメールやファクスや電話でお申し込みください。(ご志納金はお心のままに)

2013031200032.jpg





 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「のうぼう あきゃしゃきゃらばや おん ありきゃ まり ぼり そわか」※今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン



2013
03.11

般若心経百八巻を捧げましょう

2013031000005

 いよいよ、3月11日となりました。
 短い法話の後、午前10時より供養会を始めます。

201303100008.jpg

 行者がご本尊様へご挨拶申しあげる表白(ヒョウハク)という文章にはこうあります。

仏法神明(シンメイ)の擁護に依(ヨ)って徳を増し、神明(シンメイ)は仏法の法味(ホウミ)を嘗めて威を施す。
 就中(ナカンヅク)に此の経は三世(サンゼ)諸仏の秘蔵、十方(ジッポウ)大士(ダイジ)の密枢(ミッスウ)なり。」


仏法は、神々に護られて徳の力を増大させ、神々は、仏法の魅力を感じて守護の威力を発揮する。
 仏法の中にあってとりわけ、般若心経は、過去、現在、未来のあらゆるみ仏方がその最奥に保っているものであり、どこにいる行者にとっても仏法の根本として最奥に抱き、念じているものである)

「是の故に文(モン)は即ち一紙(イッシ)なれども義理は塵滴(ジンテキ)の仏も未(イマ)だ之(コレ)を説き尽くし玉わず。
 行(ゴウ)は即ち十四なれども功徳は歴劫(リャッコウ)の談にも之を窮め尽くさず。」


(それゆえに、経文はわずか一枚の紙に書き尽くせるほど短いが、そこに含まれる意義や道理は、数あるみ仏方もいまだかつて説き尽くされたことはない。
 行数は14しかないが、功徳は永遠の歴史の中でいかに語られようと、究極まで語り尽くされることはない)

 お大師様は説かれました。

「仏界の文字は真実なり」


(み仏の世界が記されている仏典の表す文字と文章は、真実世界のものであり、仏典の文字と文章によって、み仏の世界はこの世へ顕現している)
 お大師様の言われる文字は単なる文字ではなく、一文字一文字がみ仏の徳とお慈悲の現れであり、文章になれば真実世界そのものです。
 文字はみ仏、文章や経典はマンダラです。
 ネットにも一文字づつ蓮華へ載せた写経用紙がアップされていますが、この精神を示していると言えます。

201303110001

 空(クウ)を説く仏法の根幹を示す般若心経は、あれこれ語られるよりも、写経され、読誦され、魂で感受されることによってこそ、いのちの力となり、心の清めとなり、仏神と御霊への最高の捧げものとなります。
 逝かれた方々のため、今を生き抜こうとする私たちのため、ありたけのまことを込めてお唱えしましょう。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。




「おん ばざら たらま きりく」※今日の守本尊千手観音様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村
 
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン

 

2013
03.10

災いはどこからやってくるか、どう処置すればよいのか? ─災い転じて福となす話(その2)─

2013031000006.jpg
〈藁科昇氏(塩釜市在住)が撮った被災地〉

 家族が次々と大病に罹るなど、災いが相継いでやってきたり、仕事と恋人を失うなどすっかり参ってしまうような大難に遭うと、〈何か〉のせいではないかという疑いが生じます。
 ダライ・ラマ法王は説かれました。

「われわれチベット人は、因果の法則や仏陀の教えの話をよくしますが、困難な状況に本当に押し潰されそうなときは、しばしばそれを霊障のせいにします。
 もちろん、迷信は極力持たず、因果の法則によりいっそうの信頼を置くほうが、すっといいのは、いうまでもありません。
 とはいえ、内面的・外面的に、さまざまな兆候が霊障(レイショウ)であると示している場合には、解決のために、仏陀自身がお説きになった儀式があります。
 これらの儀式が正しく行われれば、きっとご利益が現れるはずです。
 また、それらの儀式を執り行う僧は、自分が本尊となったつもりで本尊としての誇り(慢)を持ち同時に強い利他の動機を持って行うべきです。」


 災いは、「最近、二階に見えない誰かが居て、ときおり足音が聞こえる」「何度も地震が起きて崩れかけた井戸を埋めてしまった」など、皆さんが感じる〈何か〉のせいかも知れないし、そうでないかも知れません。
 極力、客観的な視点を失わず、ものの道理に当てはめて考えても、やはり、〈おかしい〉あるいは〈因果関係がありそうで疑いをぬぐえない〉状況はあり得ます。
 そうした場合は、法王が説かれたように、見えない世界へ力を及ぼす正統な修法を行うのが一つの方法です。
 修法において導師を務める行者は「自分が本尊となったつもり」で「強い利他の動機」を抱かねばならないとされているところがポイントです。
 行者がこれを実行していれば、修法の場はまぎれもなく仏神に護られた異次元の世界になり、そこに参列していることによって心身が浄められ、心に変化が現れます。
 そうすると、目や耳など五官六根のはたらきが変わり、見え方や聞こえ方が変わり、色、形、音などを判断する力も変わります。
 また、行者による異次元へのはたらきかけは、気配として感じられている何かを変えます。
 こうして「内面的・外面的」に変化が生じ、霊障という言葉でしか言い表せないような好まざる状況も変わるのです。
 



 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「おん あみりたていせい から うん」※今日の守本尊阿弥陀如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン



2013
03.09

災いはどこからやってくるか、どう処置すればよいのか? ─災い転じて福となす話(その1)─

P1040925.jpg
〈藁科昇氏(塩釜市在住)が撮った被災地〉

 隠形流(オンギョウリュウ)居合金剛があり、このを習熟し観想が行えるようになると人生のイメージが変わります。
 まず、意識を八方天地へ廻らしながら、観想します。

金剛の加持力(カジリキ)を以て、煩悩(ボンノウ)不浄を断浄(ダンジョウ)して転禍為福(テンガイフク)を顕現(ケンゲン)す」


金剛を修すると、み仏のご加護の不思議な力が降りる。
 自分を実体視して我を張り、空を知らず執着する煩悩は断たれる。
 愚かさがもたらす悪行による悪業は浄められる。
 その結果、災禍は福徳を得るきっかけとなる)

 この転禍為福すなわち、「禍(ワザワイ)を転じて福と為す」ところに〈生きる智慧〉が現れます。

 災いはどこからやってくるかと言えば、遙かな前世から積もった自分の悪業(アクゴウ)と、社会的悪業(アクゴウ)によります。
 社会的悪業は共につくるので共業(グウゴウ)と呼びます。
 個人的悪業は自分一人でつくるので不共業(フグウゴウ)と呼びます。
 たとえば、喫煙の習慣で肺ガンになれば、不共業によって災禍がもたらされたことになります。
 もしも中国からの風に乗って大気汚染物質「PM2、5」がやってきて喘息の発作が起きれば、他国の共業によって災禍がもたらされたことになります。

 また、災いは衆生世間(シュジョウセケン)からもやってきますが、器世間(キセケン)からもやってきます。
 衆生世間とは、人間やネコやウグイスなど、いのちあるものの世界です。
 器世間とは、自然や薬や酒など、モノの世界です。
 たとえば、アフリカでは戦争や飢餓を避けようとして道に迷い、猛獣に喰い殺されるなどの悲劇は絶えないそうですが、獣に殺されれば衆生世間による災禍です。
 もしも地震や津波によって被害を受ければ、器世間による災禍です。

 また、災いは自分の心も原因になりますが、他の心もまた、原因になります。
 たとえば、怒りっぽくて上司へ不用意な言葉を投げつけたばかりに会社に居づらくなれば、自分の心が災禍を招いたのです。
 もしも高級車のタイヤが誰かにパンクさせられたならば、他人の嫉妬心が災禍をもたらしたのです。

 古人は「禍福はあざなえる縄のごとし」と言いました。
 人生には、災禍も幸福も、より合わせた糸のようにからまりもつれ合い予想もしなかったような形でこもごもやってきます。
 誰一人として、幸福だけで生きられはしません。
 その理由と形は上記のとおりです。

 私たちにできることは、いかに災禍が及ばないよう努力し、やってきた災禍の悪しき影響力に負けないか、そして、いかに幸福を保つか、この二つしかありません。
 それには、個人的悪業をつくらず、社会的悪業へは積極的に挑戦すること。
 生きとし生けるものを尊び、人間がつくり出したものへの検証を忘れず、自然への畏怖を忘れないこと。
 自分の心を清浄にし、他へ穢れた心を起こさせないよう気を配ること。
 この三つしかありません。
 いずれも、出発点は自分の心です。
 だから、隠形流居合の行者たちは、こうしたことを学びつつ、稽古によって自分の心の浄化をはかり、自他の災禍、災厄へ挑んでいます。
 思いやりをもって我(ガ)を張らず、学び考えて空(クウ)を知ること。
 これが転禍為福の土台です。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「おん あみりたていせい から うん」※今日の守本尊阿弥陀如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン



back-to-top
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。