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2013
06.30

味は一流 お店は二流 惜しいことには値が三流 集るお客は超一流 ─共に生き、共に幸せになるには─

aiyu11.jpg
〈http://www.ne.jp/asahi/jimihen/oyaji/aiyu11.jpgさんからお借りして加工しました〉

 テレビでちらりと見かけた看板の画面が忘れられません。

「味は一流 お店は二流 惜しいことには値が三流 集るお客は超一流」


 広島駅近くにある酒井商店が、半世紀にわたって掲げてきた標語です。
 
 酒井商店は「心の通う買物横町 愛友市場」の中にあり、訪ねてきたお客様がある日、書き置いていったものをずっと大切にしてきたそうです。
 お客様Aさんは味を認め、「一流」としますが、そこではすでに店主の誇りに同調してもいます。
 次の「お店は二流」は客観的に述べていながら、「惜しいことには値が三流」につながると、一気に想像力を膨れあがらせます。
 惜しいという言葉はもはやAさんの立場を離れ、Aさんの心は、皆のためにできるだけ安く売りたいという店主の心意気に成りきっています。
 同じ〈安売り〉でも、どこかと比べて安いとアピールして値を競う世界とは無縁です。
 これだけ質のよい商品をこんな値段で売ってしまうのは悔しいけれど、こうして喜んでもらわないではいられない、という商人の気概が迸(ホトバシ)っています。
 足を運ぶお客さんは、商品のよさがわかる目利きのお客さんであり、目利きの高さを誉めるのは、同時に、店主が自分の心意気の高さを確認することにもなります。
 しかもそのことをお客さんであるAさんの言葉で「超一流」と表現するところに、店主とお客さんが一体となって共に喜び、満足し、存在を認め合う「愛友」が現出します。

 太平洋戦争に敗れた後、日本の津々浦々で、生きる糧を供給する人々と求める人々がこうして心を通わせ合い、互いに心とモノを施し合いつつ生き延び、発展してきました。
 駅前の再開発によってこの夏、「愛友市場」はなくなるそうです。

 今の日本は、グローバリズムと競争原理が実質的な旗印となり、これから半世紀後の間には人口が30パーセントも減るのに、どんどんエネルギーをつくり、もっともっと国民総生産を増やそうと必死です。
 自立心と社会意識を持った健全な個人が、互いに認め合い、誰しもが足元を固めつつきちんと生きて行ける社会が必要なのに、〈資本家が第一、組織を動かす人が第二、はたらく人々はいつでも交換が利く道具〉といった、生身の人間の尊厳を考えないモノと金に支配された社会に向かってはいないでしょうか。
 平成25年版の自殺対策白書によれば、20代で亡くなる方々の死因の半数は自死です。
 30代においても、第一原因は自死です。
 こんな〈先進国〉は世界に類を見ません。
 そして、自死を選んだ理由は健康問題が第一になってはいても、もっとも元気な世代が不健康になり生きて行く気力を失ってしまう理由が、就職関連という生きて行く糧を得ることについての問題であることは、社会の不健全性を明確に示しています。
 株価が上がり、高価な品々が売れ、海外旅行が普通になっている一方でこうした恐ろしい現実が進行している事態は、「アリとキリギリス」の世界の向こうへ向かっているのではないかという危惧を覚えます。
 キリギリスが来る冬の準備をしないでいても、アリがはたらいていたので世界は崩壊しませんでした。
 しかし、今の日本では、アリすら安心して生きては行けないのです。
 小金を貯め、家を持った世代が、社会保険制度に支えられつつ生き、そして、どんどんいなくなった後、地球をまたにかけた巨大な資本と巨大な組織にからめとられ、生かさず殺さずにはたらかされる大多数の人々に、はたして幸せの訪れようがありましょうか。

 世界は今の日本でナショナリズムが台頭していると観ているそうですが、いかがなものでしょうか。
 国力の源泉は、国民の一人一人が、かけがえのない相手として互いを尊重し合い、互いに支え合って、確かな今日を確かに生き抜くところに現れる〈人間の力〉ではないでしょうか。
 自死の問題は、こうした〈人間の力〉が著しく損なわれる社会になりつつあることを示してはいるように思われてなりません。
 若者たちが生きる不安を抱え、結婚や子育てなどの人生設計ができず、互いを尊重し合う余裕もない社会でありながら、文化的共同体としての国家が護られましょうか。
 そして、文化的共同体が〈人間の力〉を失って崩壊した時、世界的規模の金融資本と企業が人間のよりどころになるなどということはあり得ません。
 健全なナショナリズムとは何であるか、よく考えたいものです。

 私たちは一人残らず、地上を自分の足で歩くアリです。
 たとえ活躍の場が月や火星へ広がろうとも、同じです。
 同じ〈人間同士〉として互いを尊重し合い、互いに支え合うところにしか、幸せも安心もありません。
 冒頭の標語は〈人間同士〉という感覚を忘れないために忘れてはならないと考えています。
 商店街は消えますが、心の灯は私たち一人一人の心の中にともし続けたいものです。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。




「おん あらはしゃのう」※今日の守本尊文殊菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=WCO8x2q3oeM





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2013
06.29

大きなる手があらはれて昼深し上から卵をつかみけるかも

2013062900002.jpg
北原白秋記念館さんからお借りして加工しました〉

20130629001 (2)
サルバドール・ダリ「足の習作」〉

 北原白秋の一首です。
「大きなる 手があらはれて 昼深し 上から卵を つかみけるかも」

 時間が止まったような真昼のシンとした静寂の中、空中からヌッと巨大な手が現れ、大きな卵を掴み去るとても超現実的なイメージがあります。
 思わず、サルバドール・ダリのデッサン「足の習作」を思い出しました。
 まぎれもなくそこにあるそのものが、そのままで、一瞬にして異次元性を顕わにし、否応なく私たちを現実からワープさせてしまいます。

 この歌には種明かしがあります。
 前後にあと二首、詠まれています。
「煌々(コウコウ)と 光りて深き 巣の中は 卵ばつかり つまりけるかも」
「かなしきは 春画(シュンガ)の上に ころがれる 七面鳥の 卵なりけり」
 冒頭の一首は、巣の中にたくさん産まれていた七面鳥の卵を見つけた人間がつかみとり、春画の上に転がしたままにしている光景なのです。

 永田和宏氏は『近代秀歌』の中で指摘しています。
「一首の歌は、必然的に前後の歌から干渉を受けて、その意味合いを微妙に変えていくものであるが、いっぽうで、一首の歌は一首の歌として独立して観賞することも必要なことなのである。
 白秋のこの歌は、一首と一連という、歌の立ち位置を考えるうえで興味深い問題を提起している歌である。」

 ともあれ、この歌を支えているのは「昼深し」です。
 太陽が中天にあり、盛り上がる陽の気が止まって陰の気へ切り替わってゆく真昼には、常に動いている万物にもまた止まる瞬間があるかのような感覚をもたらす場合があります。
 種田山頭火は恐ろしい作品を遺しています。
「昼ふかく草ふかく蛇に呑まれる蛙の声で」
 野原にいる彼を包んだ静止の時間にポンと飛び込んできたカエルの声が、昼の深さと草の深さを際立たせたのでしょうか。
 それとも、すべては昼の深さがもたらした幻想なのでしょうか。

 また、活きた感性の広がりにも驚かされます。
 北原白秋といえば、28才のおりに作詞した『城ヶ島の雨』が真っ先に思い浮かびます。
「雨はふるふる 城ヶ島の磯に 利休鼠の雨がふる
 雨は眞珠か 夜明の霧か それともわたしの忍び泣き
 舟はゆくゆく 通り矢のはなを 濡れて帆あげたぬしの舟
 ええ 舟は櫓でやる 櫓は唄でやる 唄は船頭さんの心意気
 雨はふるふる 日はうす曇る 舟はゆくゆく 帆がかすむ」
 その2年後にこうしたシュールな歌が生まれているとは……。

 ちなみに、私がときおり、サルバドール・ダリの作品に触れるのは、しゃきっとさせてくれるからです。
 たまたま出会った冒頭の一首にもかなり、しゃきっとさせられました。
 もしも皆さんが短篇小説にそれを求めるなら、本谷有希子氏の『嵐のピクニック』がお勧めです。
 特に「私は名前で呼んでる」などをサッと読むと、頭脳回路がガラガラポンされて爽快になること請け合いです。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
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「のうぼう あきゃしゃきゃらばや おん ありきゃ まり ぼり そわか」※今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
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2013
06.29

平成25年7月の行事予定

20130627036.jpg

20130627005.jpg

 小暑(ショウショ)と大暑(タイショ)の文月(フヅキ)に行う行事予定です。
 この世の幸せとあの世の安心のため、仏神と諸精霊のおわす聖地へおでかけください。

[第一例祭] 2013/7/7(日)午前10:00~11:00

 護摩法を行います。
 般若心経や守本尊様をお讃えする経典などを唱え、み仏と万物と万霊をご供養し、願いをかけましょう。
 太鼓と共に観音経を唱えましょう。
 願いをかける護摩木は一本三百円。
 自由参加です。
 護摩の火に身を近づけ、悪しきものは焼き祓い、善き願いへ大きなご加護を受けてください。
 (願い事を書く護摩木供養は1体300円です)
・送迎申込 開始30分前に、地下鉄泉中央駅そばの『イズミティ21』前へ送迎車がまいります。
 乗車希望の方は前日午後5時までに必ずご連絡下さい。


[書道・写経教室] 2013/7/7(日)午後2:00~午後3:30

 髙橋香温先生は津波で被災されても書道一筋でがんばっておられます。
 熱意と誠意を感じられる貴重な時間です。
 書道の基本を学び、100文字の写経も行います。
 イス席もありますので、お気軽にご参加ください。
 今回は、七夕で飾る短冊の書き方も稽古します。
・場  所  大師山法楽寺
・指  導  高橋香温(温子)先生
・ご志納金 1000円(未成年者500円)
(毎月第一日曜日午後2時から開催します)
・送迎申込 開始30分前に、地下鉄泉中央駅そばの『イズミティ21』前へ送迎車がまいります。
 乗車希望の方は前日午後5時までに必ずご連絡下さい。


[第六回法楽塾] 2013/5/5(日)午後4:00~午後5:30

 正式な勤行(ゴンギョウ)法と修行法をお伝えします。
 自分の身を法で守り、菩薩(ボサツ)として他者のためにもなりたい在家行者をめざす方のために基礎づくりを行います。
 ただし、履歴書に書く資格は得られません。
 よき願いを抱き、自信を持って祈られるようになるだけです。
 決心された方は、資料などの関係上、参加予約の上、身分証持参でおでかけください。
・場  所  大師山法楽寺
・ご志納金 3000円(隠形流居合の行者は無料)
・イス席もありますので、お気軽にご参加ください。
・送迎申込 開始30分前に、地下鉄泉中央駅そばの『イズミティ21』前へ送迎車がまいります。
 乗車希望の方は前日午後5時までに必ずご連絡下さい。


[第十一回瞑想会] 2013/5/8(水)午前10:00~12:00

 瞑想を行います。
 会員制ではなく、その都度、まったく自由にご参加いただけます。
 どうぞ、ふるってご参加ください。
・場  所  仙台市旭ヶ丘仙台青年文化センター(今月は仙台市民センターではありません)
・ご志納金 1000円

[第四十一回寺子屋『法楽館』 ─立ち直りたい少年たちのために─] 2013/7/13(土)午後1:30~午後3:30

 今回の寺子屋は、認定NPO法人『ロージーベル』副理事長で弁護士の勝田 亮(カツタ マコト)先生のお話をお聴きします。
 認定NPO法人ロージーベルは、「DJ保護司」大沼えり子氏を中心に、少年院や裁判所からの委託に基づき、帰る場所のない少年を受け入れ,更生と自立を支援する少年の家「ロージーハウス」を運営しておられます。
 また、少年院向けのDJ番組の製作、少年の健全育成に関する講演会や学習会などを開催しておられます(詳しくは、ロージーベルホームページをご参照ください)。
『ロージーハウス』で生活する少年たちは、みな『立ち直りたい』という気持を持っています。
 更生が求められている少年たちは、自分の力だけで立ち直ることが困難な状況にあります。
 私たち大人が、少年たちの心の声に耳を傾け、同じ仲間、私たちの未来を担う子どもたちを支援することが求められています。
 どなたでも自由に参加できます。事前の予約も不要です。どうぞふるっておでかけください。

・講  師  特定非営利活動法人ロージーベル副理事長の勝田亮弁護士
・日  時  7月13日(土)午後1:30~3:30
※毎月第二土曜日に開催します。
・ご志納金  1000円(中学生以下500円)
・送迎申込 開始30分前に、地下鉄泉中央駅そばの『イズミティ21』前へ送迎車がまいります。
 乗車希望の方は前日午後5時までに必ずご連絡下さい。


[第二例祭] 2013/7/20(土)午後2:00~

 護摩法を行います。
 般若心経や守本尊様をお讃えする経典などを唱え、み仏と万物と万霊をご供養し、願いをかけましょう。
 太鼓と共に般若心経を唱えましょう。
 願いをかける護摩木は一本三百円。
 自由参加です。
 護摩の火に身を近づけ、悪しきものは焼き祓い、善き願いへ大きなご加護を受けてください。
 (願い事を書く護摩木供養は1体300円です)
・送迎申込 開始30分前に、地下鉄泉中央駅そばの『イズミティ21』前へ送迎車がまいります。
 乗車希望の方は前日午後5時までに必ずご連絡下さい。


[第十二回瞑想会] 2013/7/24(水)午前10:00~12:00

 瞑想を行います。
 会員制ではなく、その都度、まったく自由にご参加いただけます。
 どうぞ、ふるってご参加ください。
・場  所  仙台市旭ヶ丘仙台青年文化センター(今月は仙台市民センターではありません)
・ご志納金 1000円

お焚きあげ 2013/7/27(土)午前10:00~11:00

 お不動様のご縁日に、開運不動前にて「供養会」及び「お焚きあげ」を行います。
 人形や仏壇や写真など、燃えるものも、燃えないものも大丈夫です。
 一緒にお不動様のお経を読み、真言を唱えましょう。
お焚きあげをご希望の方は、必ず電話などで日時を連絡の上、お品をご持参、あるいはお送りください。
 当日とは限らず、いつでも結構です。
※毎月、最終土曜日に行います。

[機関誌『法楽』作り] 2013/7/29(月)午前9:00~

 講堂にて、機関誌『法楽』を作ります。ご協力をお願いします。
『実語教・童子教』も共に学びましょう。
※毎月、最終月曜日に行います。

[隠形流(オンギョウリュウ)居合道場]

 第一週の土曜日 午後6:00~8:00 法楽寺にて 
 第二週以降毎週金曜日 午後7:00~9:00 旭ヶ丘青年文化センターにて
 九字を切り、守本尊様のご加護をいただく密教独自の剣法です。
 女性や高齢者の方々が多く、厳しいながらも和気藹々と稽古しています。
 入門ご希望の方は、事前に連絡の上、見学してください。




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2013
06.28

人間関係の息苦しさから解放されるには?

20130627027.jpg

 私たちはときおり、人間関係が息苦しくなります。
 自分が素(ス)のままで相手へ対応できないもどかしさや、気まずさや、やりきれなさに、グッとのしかかられます。
 こんな時は生き苦しくなっているのです。
 誰かに、何かに優しく介抱してもらうと、あるいは気分を転換すると、のしかかっていたものが軽くなります。
 解放されるのです。

 息苦しい時、単純に逃げたなら、同じことをくり返します。
 いつまでたっても〈生き苦しい自分〉のままです。

 では、どうすればよいか?

 介抱してくれたもの、気分転換をもたらしたものが何であるかを考え、大切にしましょう。
 そして、自分も、生き苦しい誰かを介抱し、解放できる人になろうとしましょう。

 もしも介抱者がなく、気分転換もできない場合は、土俵を替えましょう。
 自分と相手との間に息苦しさがあるのは、同じ土俵上で見合っているからです。

 たとえば、相手から「言われたこと」を思い出してこだわるのではなく、言った相手の表情や言葉や服装などを第三者的に、できるだけ具体的に見て、考えてみましょう。
 すると、相手が〈そういう人〉であることがわかります。
 そして、相手を、「ああ、〈こういう人〉なんだ」と落ちついて眺められたならば、今度は、自分を同じように眺めてみましょう。
 すると、自分も一種の〈こういう人〉であり、もちろん、中身は相手と同じではありませんが、それぞれが〈こういう人〉でしかなく、それは平等であることがわかります。

 これだけでも、のしかかっていたものは、かなり、軽くなるはずです。

 次に、自分が誰かを息苦しくしているかも知れないと考えてみましょう。
 よくよく考えてみれば、誰かしら、その対象はいるはずです。
 もしかすると、仲良くつき合っているご近所さんの誰かが、こちらの急激な発展を妬み、あるいはこちらの愚かな言動を恨んでいながら、大人の対応をしてくださっているかも知れません。
 妬み恨みが相手の意図のあるなしにかかわらず起こることは、自分の心をふり返ってみれば、すぐにわかります。

 ならば、自分だけ〈被害者〉であるなどということはあり得ません。
 きっと〈加害者〉となり、〈被害者〉を生んでいるのに、愚かしく、気づかないだけです。
 それにもかかわらず社会生活を続けていられるのは、周囲の人々が大人の対応をしてくださっているからです。

 どうでしょう。
 自分は大人の対応ができているでしょうか。
 もしも、できていないならば、それは、自分のせいではありませんか?

 少なくとも、こんなことを考えている時は、息苦しさを忘れています。
 それは、生き苦しさから離れている時でもあります。
 それは解放されている時であると言えませんか?

 こうすれば、解放体験を重ねられます。
 やるかどうかは自分次第、結果は、自分のありようをどうするかにかかっています。

 介抱し合い、共に解放されましょう。




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2013
06.28

第六回法楽塾 ─『ダライ・ラマ法王の仏教哲学講義』を読む(7)─

20130616022.jpg

ダライ・ラマ法王仏教哲学講義】       

第一章 仏教における論理的思考の重要性

 第三節  仏陀の説法の歴史性

3 大乗(ダイジョウ)は仏説か

 お釈迦様が入滅されてから約500年もたって、ようやく、ほとんど口承の状態だったお釈迦様の教えがまとめられました。
 それが『法句経(ホックキョウ)』や『スッタニパータ』などの経典類です。
 しかし、その内容は、お釈迦様が相手に応じ、ことに応じ、時に応じて説かれた対機説法(タイキセッポウ)の伝聞だったために、体系的にまとめられていないのは当然、お釈迦様が覚りに至った道筋や、目ざされた理想世界も又、体系的に記されようがありませんでした。
 だから、その後、今に至るまで、お釈迦様が達した覚りの境地をいかにして目ざすか、理想世界はいかなるものであるかが無数の行者や聖者によって日夜、研究され、変化発展しながら伝えられてきました。
 その過程において、究極的理想像がさまざまにイメージされて新しい経典と仏像ができ、一人一人が目ざすべき〈よき心〉とは〈皆共に〉以外にありようがないことに気づかれ、菩薩(ボサツ)を船頭として覚りへ向かう大きな船にたくさんの人々が同乗する大乗仏教の流れができました。

 この流れに対して、入滅した〈お釈迦様そのもの〉が〈そのように説いた〉かどうかを議論する人々が現れ、『般若心経』や『大日経』などはお釈迦様が説かれた形跡がないから「仏説」ではないとする「大乗非仏説」という思想が今もあります。
 この議論は、そもそも仏陀とは何か?という問題を避けて通れず、歴史文献に頼る人々と、お釈迦様の境地を目ざすことを第一とする行者との距離にはかなりの隔たりがあるようです。
 ダライ・ラマ法王は説かれました。

「大乗が仏説であるかどうかについて、たくさんの議論が行われてきましたが、マイトレーャ(弥勒菩薩)は、その『大乗荘厳経論』において、大乗が現実の仏陀によって説かれたものであると論証しました。
 それは、なーガールジュナが『宝の輪』のなかで、またバーヴァヴィヴェーカ(清弁)が『論理の炎』で、あるいはシャーンティデーヴァ(寂天)が『菩薩行への道』で論証したことでもあります。
 とはいえ、大乗の経典が仏陀によって現実に述べられたということは、一般に知られている歴史文献において明らかになるようなことではありません。
 以上がわたしの理解です。」


 お釈迦様の教えを正しく学び実践する後代の行者や聖者が感得した覚りの世界はすべて、お釈迦様が体現された智慧慈悲を離れるものではなく、仏陀つまり〈覚った者〉が説かれたと言えるのではないでしょうか。
 
 ダライ・ラマ法王はさらに続けられます。

「その上、密教は一般には公衆の面前では説かれませんでした。
 それは精神が一定のレヴェルにまで成熟した特定の人に対して、密かに開示されるものでした。
 あるいは特別なカルマと徳を持つことによって優れた境遇にある修行者のヴィジョンの中にマンダラの主尊が現れて、タントラの教えを授けるという場合もありました。
 したがって、これらの仏陀の教えは、現実の釈尊が生きている間に説くことのできるものであったし、またかれが亡くなってからでさえ、修行者のヴィジョンの中に現れて説くことが可能だったのです。
 このように仏陀の説法は通常の歴史記録の領域内の出来事ではなかったと言わなければなりません。」


 居合の稽古も同じです。
 隠形流(オンギョウリュウ)居合においては、初心の行者は真剣を手にすることが許されません。
 まず、剣をふるう際の心構えをきちんとつくり、木刀や模造刀を正しく握り、正しく動かせるようになって初めて、責任者から真剣の使用が許されます。
 最近、ちょっとした折りたたみ式のナイフを買って驚きました。
 指が刃に触れただけで切れそうな、あまりの切れ味なのです。
 リンゴの皮をむく時でさえ、一種の緊張感を持たないと危なくて大変です。
 より安く、より切れるようにと開発された素材のせいでしょうが、考えさせられました。

 密教の経典は「欲をなくせ」とは説きません。
 智慧慈悲を兼ね備え、大欲(タイヨク)を持って生きるのが人間の理想であり、人間が手の届くところにおられる菩薩(ボサツ)は大欲の権化(ゴンゲ)です。
 しかし、思いやりと(クウ)について学び、自分の煩悩(ボンノウ)や因縁をしっかり認識し、愚かさに気づき、恐れ、自他を救うために何としてもみ仏に近づこうという強い意欲を持たねば、大欲はなかなか理解できず、〈今ある欲の延長上〉で安易に大欲をイメージすれば、まちがいます。
 それは、未熟なままに真剣を手にするようなものであり、切れ過ぎるナイフを無造作に使うようなものです。
 また、飛行機が離陸するためには車輪で滑走路を走ります。
 悠然と大を行くことがいかに爽快であれ、その操作法に熟練するだけでは飛び上がれません。
 きちんと点検された車輪を用いて地道に走る段階を経る必要があります。
 お大師様が他の宗教はもちろん、当時盛んだった奈良仏教を排斥せずに尊び、他の信仰と争わず、一切の宗教宗派のみならず天文学や薬学のようなものまで志のある人々へ学ばせようとしたのはそのためです。
 当山は、僧侶の養成においては、倫理学と歴史学はもちろん、少なくとも哲学と文学と心理学と物理学の基礎を学ぶ必要があると考えています。
 論理的思考法に慣れ、心理の機微と言葉の用法をつかみ、精神のはたらき具合とモノの世界のしくみを知ることは、大乗仏教を支える車の両輪である(クウ)と唯識(ユイシキ)の思想をより深く体得し、人生相談に応じる上で大きな力になることでしょう。
 基礎を学ばず、中年になってから出家した浅学非才の行者が持つ、これからの時代を担う若い僧侶の方々へ対するささやかな願いです。

 回り道をしました。
 つまり、この身に即して仏に成ろうとし最短距離をめざす即身成仏(ソクシンジョウブツ)の密教は、お釈迦様の境地を目ざす大乗仏教であることは確かですが、お釈迦様ご自身が救いを求める人々すべてへ、あたかも真剣や切れ過ぎるナイフを手渡すように説かれたかどうかは、また、別次元の話になります。
 ダライ・ラマ法王は、このようなことごとを含めて「仏陀の説法は通常の歴史記録の領域内の出来事ではなかった」と説いておられるのでしょう。

 自分の愚かさを知り、他を見捨てられず、心から何とかしたいと願う私たちは、今の日本で信仰の対象になっている各種の仏教が、お釈迦様の口から直接説かれたかどうかと詮索するよりも、縁になった教えをよく学び、幅広く自分の頭で考え、咀嚼(ソシャク)し、納得できたなら血肉になるよう精進したいものです。




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2013
06.27

東日本大震災 ─東北関東大震災・被災の記(第139回)─大震災と四国八十八か所巡り─

20130627042.jpg

 津波に呑み込まれた地は托鉢で歩き、日々を生かされ、望みや苦しみの現実について教えてくださる大恩人方が住んでいた。
 家がなくなり、人もいなくなり、のっぺらぼうの素肌をむき出したまま、そもそも生の営みの主人公が誰であるかを、黙って突きつけてくる大地と、くしゃみ一つで私たちのすべてをたやすく吹き飛ばしてしまう地球の抗えなさには、ただ、茫然とさせられてしまう。
 元の姿に戻った海は何食わぬ顔で寄せては返すばかり、時は変わらず、終わらず、細い一本の糸を紡ぎながら危うく生きている人間を立ちすくませる。
 漁師と家族が住み、肩を寄せ合うように低い軒を並べていた防波堤のすぐ内側にあった二並びの集落がそっくりなくなった様子は、神隠しそのものだ。
「ああ、よぐ来てけだねえ。拝んでけさい」たまたま休みだった小柄な漁師は、真っ黒な顔に真っ白な手ぬぐいの鉢巻をしていたっけ。
 歩き終え、浜辺で海へ向かい九字を切ってから戻る車を包みこんでくれていた風の涼しい松林も、もう、ない。

 あの時、幾度かは慰霊托鉢を考した。
 しかし、病気がちな妻と二人で守る自坊を離れることはできなかった。
 あちこちから支援物資が届く一方で、見知らぬ人々がローソクや水をもらいに来たり、これまでにない相談ごとを持ち込まれたりといった中で情けなくも手いっぱいだった。
 そんな中、小雪舞う浜辺を歩く托鉢僧の姿が新聞に掲載された。
 でかけない自分が恥ずかしかった。
 そして、「よくやってくれた」と、まだ二十代の彼に僧侶総てが救われるような思いもした。

 さて、当山は、かねて、四国の霊場へ足をはこべない方々のために「みやぎ四国八十八か所巡り道場」の建設を進めてきた。
 それは、私自身が霊場を訪ね、動けなくなった方を再び歩ませる加持力の確かさや、心に貼りついたものを切り放つ因縁解脱のお慈悲に涙する得がたい体験をし、霊場は行者にとって永遠の別世界であると確信しており、お大師様のご加護が広く人々をお救いくださるよう願ってきたからである。

 震災後二年以上経過した今、当山へ足を運ぶ方々の多くは未だ、「これでいい」と納得しつつ歩める道を見つけられずにおられるだけでなく、種々の後遺症的なものによる苦しみから離れられない。
 また、逝かれた御霊のために自分の身体で何かをしたいと願う方々、あるいは決して津波の来ない山で御霊を眠らせてあげたいという方々も少なくない。
 故武田明は、四国遍路の根底に大師信仰・死霊信仰・接待習俗があると喝破された。
 お大師様への思慕が霊場を歩ませるのはもちろんだが、祈りを重ねつつ、さまざまな思いを御霊へ届け御霊を安んじたいという願いも強く背中を押す。
 そして、相手を選ばぬ思いやりに触れて心に涙が流れれば、心のしこりや積み来たった悪業が解けてゆくような思いにもなる。
 四国では人間がその役割を果たすが、当山の道場では里山がそれに代わって癒しをもたらす。
 ぜひ、震災で傷つき四国まで行けない方々に宮城の霊場を歩んでいただきたい。

 はからずも大震災をまたいでの本格着工となったが、善男善女のご芳志を得て何としても道場を完成させたい。
 歩む托鉢が僧侶としての心構えをつくり、寺院開基の基礎固めとなった歩みの行者としては、人々が歩む道場の完成をもって、大恩ある御霊方と地域へのご恩返しの一つとしたい。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
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「おん ばざら たらま きりく」※今日の守本尊千手観音様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=IvMea3W6ZP0





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2013
06.27

平成25年7月が注意月に当たる方へ

20130626014.jpg

 7月が注意月となるのは、数え年で3・12・21・30・39・48・57・66・75・84・93・102歳の方々です。
 注意月に関する運勢上のポイントを書いておきます。

○心静かにいられる場所で師や先輩の教えをよくふり返り、新たな気持で再出発して開運です。
 そうか、という時が来ますよう。
○口で主張しようとして焦るよりも、黙々と役割を果たしましょう。
 自分に課したことをやりましょう。
 姿が、背中が、語ります。
○権威にへつらわぬことは大事ですが、むやみと楯突くのは無益なばかりか、自分で行く手を狭める場合もあるので要注意。
○忙しい時ほど、運転は慎重に。
 事故を起こせば元も子もありません。
 争いごともできるだけ避け、〈衝突〉から離れましょう。

 7月の全般的な運勢については、http://hourakuji.blog115.fc2.com/blog-category-6.htmlをご覧ください。
 その他の年令の方については、当山の『法楽の会』が発行している月刊誌『法楽』をご覧ください。
 『法楽の会』については、http://hourakuji.net/manabi/hourakunokai.htmlをご覧ください。


 皆さんの開運を祈っています。




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2013
06.26

第一報:栗の植樹が早まりました

20130626017.jpg

 メンバーの皆さん、こんにちわ。

 予定はずっと先だったのですが、もうすぐの木が届き、『法楽農園』に植えます。
 そのおりには、おでかけになられる方は、どうぞよろしくお願いします。
 よく「桃三年柿八年」といいますが、割合、早くに実がなるそうです。
 楽しみです。 




 メルマガは以下のURLで登録できます。
 http://www.mag2.com/m/0001608692.html
 ファクスの方は電話番号とご芳名とご住所をお知らせください。





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2013
06.26

公開Q&A(その8)なぜご先祖様を供養するお盆に施餓鬼(セガキ)の修法も行うの?

20130626006.jpg

 この時期になると、毎年、決まってご質問をいただきます。
「なぜ、ご先祖様をご供養する時に餓鬼も供養するのですか?」
 供養の根本は相手を選ばない万霊(バンレイ)供養にあり、だからこそ、年忌供養の際にお供えする供養膳は目的の御霊用と無縁仏様用の二膳になるのですが、ここでは特に、施餓鬼について簡単に書いておきます。

 餓鬼とは、私たちが輪廻転生でへめぐる迷いの世界の一つであり、食べたいのに食べられない存在です。
 餓鬼界では、遠くに水があると思ってかけつければ、蜃気楼のように消えてなくなります。
 ようやく水辺にたどりつくと凶器を持った者に妨害されて飲めません。
 何とか水を飲もうとすると、今度は水が血膿などに見えて飲めません。
 ようやく喉を通そうとしても、今度は巨大な胃袋があるにもかかわらず喉が針のように細く、ほとんど腹の足しにはなりません。
 こうした餓鬼たちは互いに争い、傷つけ合いながら食べものを探し回っていますが、ようやく腹に入った糞尿などのごくわずかな食べものは火となって腹を焦がします。
 そして、夏には月光によって身体が焼かれ、冬には太陽によって身体が凍えてしまいます。

 死によって人間界を離れた御霊は、成仏しきれない限り、こうした餓鬼界や地獄界などを彷徨うしかありません。
 人間界も又、迷いの世界ですが、これほどまでは酷くなく、戦いの続く修羅界と、支え合わなければ生きられない人間界と、神々のおわす天界は三善趣(サンゼンシュ)と呼ばれ、もしも仏界へまでは上れなくとも、せめてそこへ転生できるようにと、供養の功徳をふり向けるのが私たちの務めです。

 ご先祖様を供養するお盆に、こうした餓鬼たちへ供養するのには三つの意義があります。
 
1 餓鬼界で苦しむ存在を見捨ててはおけない

 私たちは迷いの中にある限り、苦を背負って生きねばなりません。
 餓鬼界とは、苦が極限的状態であらわれている世界の一つです。
 私たちはそうした世界そのものを直接、目にはできなくても、み仏の子なので、そうした世界を感得することはできます。
 見聞きする人間界の現実は、苦の極まった先にそうした世界があることを想像させます。
 そして、心のアンテナを磨いていれば、人影のたえた夜の水辺などで、餓鬼たちがたむろしていることを感じとったりする場合もあります。
 飲みたくても飲めない、食べたくても食べられないこの世の苦界、そしてその延長にある世界を観れば、「できることをしたい」と思わないではいられません。
 だから、貧困に喘ぐ地帯へ支援し、施餓鬼の法会では供養のまことを捧げるのです。

2 もしも御霊餓鬼界へ行っていたなら救いたい

 我が身をふり返ってみれば、餓鬼になっても不思議ではない悪業(アクゴウ)を積み重ねてきたことがよくわかります。
 先に逝かれた方々もまた、この世にいた頃、自分同様の悪業を積んでいた可能性がないとは言えません。
 ならば、私たちの功徳の力で何とか救わねばなりません。

 ある時、お釈迦間の弟子を育てた母親が餓鬼界へ堕ち、自分の祈りだけでは救いようがないことを知った弟子が、お釈迦様へ相談したところ、夏の修行を終えた行者たちがうち揃って供養し、救おうと言われました。
 そして、その通り行った結果、母親の御霊は救い出されました。
 この教えが施餓鬼という法会の発端とされていますが、餓鬼界のみならず、地獄界、畜生界を含めた三悪趣(サンアクシュ)に堕ちているかも知れない御霊方を想像すると、供養の功徳でお救いせずにはいられません。

3 私たちの中にある餓鬼界へ向かう業を清める

 三悪趣はすべて、私たちの悪業がもたらす世界です。
 ならば、今、私たちが悪業を積むことをやめ、積んだ悪業を清めることが三悪趣をなくす根本的な方法です。
 餓鬼界同様、追いつめられる地獄界も、恩を忘れて喰い合う畜生界も、すでにこの世に見えています。
 餓鬼界など三悪趣で苦しむ御霊を供養する功徳は、そのまま、供養する私たちを清める善因ともなります。
 自らをふり返り、御霊のため、自分のため、そしてこの世からもあの世からも苦がなくなるよう、供養のまことを捧げたいものです。

 施餓鬼の供養会における導師の呼びかけに、こうした一文があります。
「汝(ナンジ)ら鬼神衆(キジンシュウ)よ
 我は今汝に供養を施す
 此の食は十方(ジッポウ)に遍し
 一切の鬼神ヘの供(ク)となる」
 導師が結ぶ印、唱える真言、届ける観想に皆様のご誠心も溶け込み、救いと清めのお盆供養となりますよう。




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2013
06.25

科学と文化そして原子力と私たちの未来

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1 火星移住の話

 6月20日付の朝日新聞は「あと20年で火星移住」と題し、昭和44年に人類初の月面活動を行ったバズ・オルドリン博士(米)の提唱を紹介しました。

「山の反対側が見たくなるように、未知の世界の開拓は人類の本能です。
 我々はすでにその(火星移住)技術を持っています」
「火星の衛星フォボスに火星基地建設のための資材や物資を終結させ、遠隔操作で運んで組み立てるのが私の構想です」


 博士は、その前段階として国際協力により月へ基地を建設し、月の資源で水素や酸素など宇宙船の推進に必要な燃料を補給しようと提案しています。
 火星に直接向かわない理由は、火星に大気や重力があるので、戻ってくるのが難しく、一旦火星に到着したならば、一年以上、住む必要があるからです。

「フォボスには大気がなく、重力は地球の千分の一以下。
 離脱に必要な速度は時速40キロなので離着陸は簡単です。
 人が生活できる基地を作るのも難しくない」


 地球と火星の通信は片道12分ですが、フォボスからだと、リアルタイムでのやりとりが可能です。
 こう言われると、他の星に住むイメージがかなり、具体的になります。
 人類の移住先として月より火星がお勧めな理由は明白です。

「月に比べて火星は季節の変化が穏やかだからです。
 月では太陽が当たって極端に暑い『昼』が約2週間続いた後、太陽が当たらず極端に寒い『夜』が約2週間続くという繰り返しです。
 大気はないし、水もわずかだとみられます。
 もちろん、放射線など克服すべき課題はありますが、火星には地球の周期に似た昼と夜があるし、季節もあります。
 地下には相当な量の氷があるらしいこともわかっています」


 そして、博士は膨大な費用を国際協調でまかなおうとしています。

「アポロ計画の時代は国同士の競争でしたが、月探査に必要なのは協調です。
 NASAの宇宙飛行士が今さら月に降り立つ必要はないのです」


 また、日本はインドと協力すれば月の資源探査に乗り出すことが可能であると見ています。

2 原子力ロケット・エンジンの話

 2月8日、フェイスブック「ロシアNOW」は、アンドレイ・リヴォフ氏の特別寄稿を掲載しました。
 連邦国営単一企業「ケルディシュ研究センター」所長アナトーリ・コロテエフ氏によれば、「宇宙で安全に原子力を利用する方法がロシアで発明され、それにもとづいた原子力装置の製造が行われている」というのです。
 計画は、「ロシア連邦宇宙局やロスアトムの企業と密に連携して」進められています。
 現在の酸水素エンジンと電気推進エンジン(プラズマ・エンジンなど)の持つ困難と限界を突破できるのが原子力です。

「化学燃料の可能性と、電気推進機関の省エネを、ひとつにすることはできるだろうか。
 宇宙機の加速段階で原子力ロケット・エンジンを使えば、それは可能になる。
 原子力装置を使って、かつてロシアは宇宙機32機を宇宙に飛ばし、アメリカは2機を飛ばした。
 NASAは今日、有人火星探索に、核燃料を使用する宇宙船の導入を検討している。
 今後5年で数十億ドルが、2件の研究プロジェクトに投じられる予定となっている。
 ひとつは原子力エンジンのロケットの製造で、もうひとつは原子力発電機の開発だ。
 このように、原子力ロケットという研究目的により、ロシアとアメリカが宇宙開発でひとつになることが可能だ。
 アメリカが原子力を利用したロケット・エンジンを製造する時、今回の『ケルディシュ研究センター』の開発で示された、この分野でのロシアの実績を、活かすことができる」


3 科学が無限に進む話

 理論物理学者佐藤文隆氏は共著『科学にすがるな!』において、フリー編集者の艸場(クサバ)よしみ氏へ語りました。

「そもそも科学とは、権威がこけていく物語なんだ」
「サイエンスは、先に立てた理論が間違っていることを自分で見つけていくんです」


 艸場よしみ氏はまとめます。

「科学は自分自身を否定していく。
 自分で定義したことに固執するのではなく、間違いを積極的に見つけて改善していく。
 これが科学の批判精神なのだと先生は協調した」


 こうした批判精神は、単に科学に限るのではなく、およそ文化はすべて批判精神の大正となりつつ変化し、発展してきたのではないでしょうか。
 私は、仏教も又、道理と実践の宗教であり、まっとうな行者ならば必ず清浄な批判精神を持っているはずであると考えています。
 そもそも、お釈迦様は指導されました。
「鵜呑みにしてはならない」
 自分で腑に落ちるまで考え、行い、血肉となったものを頼りにせよという教えです。
 だから、お大師様は、当時、学ぶことのできたすべての学問を学び、開かれた世界初の総合大学手芸種智院をつくり、ダライ・ラマ法王法王もまた、科学者たちとの議論を広く公開しておられます。
 佐藤文隆氏の話を続けます。

「新たな何かを発見したといっても、それが世の中に受け入れられなければ、発見とはいわない。
 受け入れられてはじめて、第三世界の共有財産になるのです」


 艸場よしみ氏はまとめます。

「先生がいう第三世界とは、人間が積み重ねてきた文化のこと。
 言語や宗教や文学や科学といった、知恵や精神や手法の蓄積のことである。
 科学の成果は、世の中という第三の世界を積み重ねるためにあると、先生はいっているのだ」


 佐藤文隆氏の話を続けます。

「人間は複雑で、扱いに苦労していることの7割は精神的なものです。
 精神的に大きくぶれて悲劇を味わったことが、歴史を見てもいっぱいある。
 私も含めて一時的に熱狂した社会主義だって、ガタガタと崩れてみると私の人生はいったい何だったのかとね。
 こういうことはできるだけ起こらないのがいい。
 そのために学問、そして知識はあるんだ」
「ぼくが物理学を学ぼうと思った原点は、ビキニ事件なんだ。
 世の中は死の灰で騒ぐ一方で、原子力発電がスタートする。
 人類の未来は原子力だとね。
 原子力発電と死の灰が降ってくる話は、高校生のぼくにとってはいっしょだった。
 どちらもワクワクする話だった。
 原爆は間違っていたとさかんにいういっぽうで、それを平和のために使えば未来は素晴らしいという意識が、原爆の惨禍を経験した日本でさえ共存していた」
「時代にもまれ、惨劇や過ちを背負いつつ、それでも懸命に進んでいくのです。
 科学も科学者も」
「科学者という人種は、原爆のような悪魔の知への挑戦であっても、嬉々として熱中してそれを達成する。
 このとに作用したのと同じ能力と情熱が、科学のフロントを拡大させている。
 両者に差はなく、どちらにも転化するのです」


 艸場よしみ氏はまとめます。

「私はこのとき理解した。
 最初に会ったときに先生がいった『騙されてはいけない。科学者は恐ろしい連中だよ』という言葉の意味である。
 なぜ、こんなことをいうのか。
 挑発しているのかとも思った。
 そうではないのだ。
 先生自身が科学者のリビドーを自覚しているからなのだ。
 はじめて会ったときに感じた先生の謙虚さの理由は、そこにあったのだ」


 科学は原爆をつくるが、同じ科学者としての〈能力と情熱〉そして〈リビドー〉が医学を発展させ、人類の寿命を延ばしているのです。
 佐藤文隆氏の話を続けます。

「科学はその専門性で世の中に寄与しているが、最前線では危ないことにも手を染めている。
 だから科学の営みには理念や倫理が必要です。
 しかし、科学者自身が理念の体現者ではない」
「専門に没入していくと、当たり前の判断を見失うことがある。
 市民はふつうの感覚にもっと自信をもって、科学を採点できるくらいにならないといけないのです」
「教育のない母親がいったことを、忠実に守って生きているだけなんだ。
 人に迷惑をかけるな、偉そうにするなとね」
「ほんとうの民主主義とは、私たちで決めるということ。
 我々がどう選択するかです」


 だから、私は、「今回の都議選の結果をどう思いますか?」と訊かれ、答えました。
「日本人は選挙のたびに右往左往するという見方もあるでしょうが、私は、人々の心の変化が政治に反映されるシステムが機能しているという点で、日本は世界に恥じないだけのレベルにあると考えています」
 佐藤文隆氏の話を続けます。

「われわれ人間の行為の是非をチェックしてくれる監督者は、われわれのほかには存在しないのだよ。
 われわれ自身で、けなげに、この事態にこたえていかなければならないのだと思う」


 艸場よしみ氏はまとめます。

「自然に対峙してつくり上げてきたいまの世界を失敗作というのなら、自然に逃げることが解決策ではない。
 そもそもわれわれが『自然』と認識したものは、人間と離れた手つかずの『自然』ではない。
 これまで積み上げてきた知を受け継いで、前に進めと先生はいっているのだ」


 当山の『法楽農園』についても、私は「自然に還れ!」と〈反科学〉を声高に叫ぶつもりはありません。
 積み上げてきた文化を呼吸しつつ、〈踊り場が必要な時はそこで一休みしよう〉という感覚で農園を動かしてゆこうと考えています。
 佐藤文隆氏の話を続けます。

「科学が、幸福とは何かという問いへの答をもたらすわけではない。
 ただ、幸福のために科学を役立てることはできる。
 科学は、近代社会がつくってきたある種のツールです。
 道具は使いようなんだ」


 宗教も同じです。
 サポーターの方々が発行してくださっている月刊紙『ゆかりびと』7月号に、こう書きました。
「お釈迦様とお大師様から伝わる伝統仏教の法灯を嗣ぎ、『この世の幸せとあの世の安心』を目ざす当山の法務に関心を持ち、頼りにされる方々は、『住職の考えのとおりに自分も考えなければならない』などと思わず、肝心なものごとは自分で考え、正直な心のままでご縁の糸を結んでいただきたいと願っています。
 私の浅薄な考えなどはあくまでも皆さんの〈たたき台〉でしかありません。
 それを上手に使い、皆さんが、ご自身の力と、み仏のご加護と教えの力と、周囲に網のように広がるよきご縁の力とによって『この世の幸せとあの世の安心』に近づいていただければ本望です」

 さて、私たちはどう原子力と向き合い、どう考え、どう判断してゆけばよいか。
 佐藤文隆氏の言うとおり、「われわれ自身で、けなげに、この事態にこたえていかなければならない」のであり、私たちは誰一人、今の事態からも、これからの成り行きからも逃げられません。
 熟慮したいものです。




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2013
06.24

思うとおりの人生を歩むには ─小さな克服の大切さ─

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〈種たちの運命は……〉

 思うとおりの人生とは、願いがかなう人生であり、成功の人生です。
 自分が学んだ〈道筋〉について簡単に書いておきます。

1 やりたいものを見つける

 最初は気持が上滑りするだけで、なかなか〈自分をかける〉ところまでは行けないかも知れません。
 しかし、誰かに「どうしてもやりたいの?」と訊ねられた時に、いつも、「そう、どうしても」と答えられれば大丈夫です。

2 やる上で何が弱点かを考える

 ここが大事です。
 たとえば、サッカーの選手になりたいと思った時、身体が弱い、人とぶつかるのが怖い、といった自分の弱点をしっかり見つめましょう。
 それでもやりたいなら、本当に「どうしても」であることが確認できるし、自分の弱点を認めていれば、やがて、他人を思いやる気持も開いてゆくからです。

3 必要なものや条件を考える

 どのようにしてできるようになり、どのようにしてやり続けられているのか、がわかると、やりたいものの内容が、より、具体的に見えてきます。
 何であれ、やっている人が輝いているように見えるならば、輝かせている努力が隠れており、それは、光を見ているだけでは気づきにくいものです。
 水面を滑るように移動する水鳥たちは皆、水面下では懸命に足をバタバタさせています。
 地震で倒れないしっかりしたお墓を建てる石屋さんは、まず、穴を掘り、網のように組み上げられた鉄の棒を入れてコンクリートの土台をつくっています。
 居合の稽古では、強く剣を振る時よりも、腰を沈め動きが止まった瞬間にぶれないあたりが難しいのです。
 
4 やる順番を決める

 手順を考えると、未来が具体的にイメージできます。
 このイメージが確立されていれば、多少の困難があっても、次のステップが待っていることを信じてやりぬけます。

5 弱点克服法を考える

 そして、やって行く中で、どうすれば弱点克服できるかをよくよく考えねばなりません。
 そうすれば、〈逃げない人〉になり、自分に厳しくなり、希望的観測に流されないようになります。
 たとえば、警察官になりたいと思った場合、もしも、自分が臆病だったならば、そこから決して逃げられはしません。
 臆病であるという現実に目をつぶり、試験勉強をしているだけでは、最後に失敗します。
 いいかげんでは通用しないのが実社会であり、自分がいいかげんなままであれば、目的が達成できないのはもちろん、いいかげんな人やいいかげんな現実しか縁にならなくなり、まっとうな人生は歩めません。
 弱点克服をきちんと考え、実行すれば、必ず勇気が出てきます。
 最初は小さな〈克服〉であっても、それを積み重ねれば、必ず、やりがいが出てきます。
 長所による表向きの大きな成功よりも、誰にも知られない小さな克服に、確かな手応えが感じられるようになれば、しめたものです。
 そして、ここを確立しておけば、スランプの時もあたふたしません。

 メモしておいた師の教えを整理してみれば、あたりまえのことばかりですが、娑婆で大失敗し、中年で新たな出発をした私にとってはありがたい教えでした。
 特に、「長所による表向きの大きな成功よりも、誰にも知られない小さな克服に、確かな手応えが感じられる」あたりがポイントです。
 これがないと、謙虚になれず、いわゆる〈本もの〉にもなれないような気がします。
 分野は違いますが、初めて『山楽耕』の大枝邦良師にお会いした時、「本ものをめざしましょう」と言われたことは忘れられません。
 



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「のうまく さんまんだ ばざらだん かん」※今日の守本尊不動明王様の真言です。
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https://www.youtube.com/watch?v=EOk4OlhTq_M





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2013
06.23

あかあかと一本の道とほりたりたまきはる我が命なりけり

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〈『森栖』さんからもたらされた逸品〉

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〈香りと姿は圧倒的な文化の力を感じさせます。そして味はもう……〉

 永田和宏著『近代秀歌』に紹介された一首です。

「あかあかと一本の道とほりたりたまきはる我が命なりけり」


 大正10年、斎藤茂吉の第二歌集『あらたま』に掲載されました。
 事していた伊藤左千夫が亡くなり、詠みました。
「たまきはる」は「魂が極まる」からきた枕詞(マクラコトバ)で、「命」や「心」などにかかります。
 の死後もなお、太陽に照らされくっきりと明らかな道のように、の示された歌の道は自分の心中にあって微動だにしない。
 この道に自分のすべてをかけて歩んで行こう。
 いのちの炎が嵐をものともせず、燃え上がっています。

 茂吉がここへたどりつくまでは、こんな歌も詠みました。

「ひた走るわが道暗ししんしんと怺(コラ)へかねたるわが道暗し」


 脳溢血で倒れたの悲報に接し、友のもとへかけつける時の一首です。
 走っているのは夜中なので当然、道は暗いのですが、自分の心でも明かりが消え、歌の道は、もはや、闇に包まれ見えなくなりかけています。
 導き手を突然、失った自分はどうすればよいのか?焦燥感と不安に満ちた心がそのままに顕れています。

 私たちも又、誕生の直後は親、そして家族や先生、やがては先輩や上司などに導かれ、向上しつつ生涯を終えます。
 その過程で必ず、導き手との別れを体験します。
 成長してを超え、自然にのもとを卒業すればめでたい話ですが、なかなかそうとばかりはゆきません。
「わが道暗し」から「あかあかと一本の道とほりたり」へと転換させるもの、それは、精進の力です。
 お線香を点して精進し、人生の師となってくださった方々へ恩返しをしましょう。
 この歌を心に宿しつつ。




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「のうまく さんまんだ ぼだなん あびらうんけん」※今日の守本尊大日如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=LEz1cSpCaXA





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2013
06.23

7月の守本尊様と真言

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 7月は、小暑(ショウショ)と大暑(タイショ)の文月(フヅキ…7月7日より8月6日まで)です。
 7月は未(ヒツジ)の月なので、守本尊は大日如来(ダイニチニョライ)様です。

 大日如来(胎藏界…タイゾウカイ)様は『種々解智力(シュジュゲチリキ)』という、人の欲するものや楽しみとするものを知る力をもって、お救いくださるみ仏です。
 人は望みを持ってこそ生きられ、「幸せ」とは善き望みのかなうことです。
 天にあって全体を観る金剛界の大日如来様に対して、地にある胎藏界の大日如来様は、一人一人のそれをよく見極め、力をお与えくださいます。

 また、大日如来様は、未(ヒツジ)年、申(サル)年生まれの善男善女を一生お守りくださる守本尊様でもあり、身体においては、主として両手をお守りくださいます。
 ご供養し、ご守護いただき、猛暑の一ヶ月を無事安全に過ごしましょう。

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 写真は、永代供養を行ってご加護を受けるため、当山の講堂へ納められた大日如来様です。
 総丈は約35㎝あり、日本で唯一、護摩を焚いてできた灰が体内へ納められています。(奉納受付中)〉

 7月の守本尊様をご供養しお守りいただきたい時、願いを成就させたいと念じる時、辛い時、悲しい時、淋しい時、あるいは感謝したい時は、合掌して真言(真実世界の言葉)をお唱えしましょう。
 たとえ一日一回でも、信じて行なえば、ご本尊様へ必ず思いが届きます。
 回数は任意ですが、基本は1・3・7・21・108・1080回となっています。

「のうまく さんまんだ ぼだなん あびらうんけん」

今月の真言をお聞きになるにはこちらをクリックしてください。音声が流れます


※お聞き頂くには 音楽再生ソフト が必要です。お持ちでない方は、
 こちらから無料でWindows Media Player がダウンロードできます。





 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「のうまく さんまんだ ぼだなん あびらうんけん」※今日の守本尊大日如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=LEz1cSpCaXA





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2013
06.22

新盆には白張り提灯を

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 四十九日忌を超えた御霊が初めて迎えるお盆を新盆(ニイボン)あるいは初盆(ハツボン)と呼びます。
 日本人には古来、この時は、あの世へ旅立って最初の〈里帰り〉であるという感覚があり、まっすぐに家族のもとへ来られるよう、「ここです。待っています」という心をこめて真っ白な提灯を飾ります。
 これが白張(シラハ)り提灯と呼ばれるものです。
 家紋や戒名を書き入れれば、より丁寧です。

 この時に迷わず帰ってこられれば、あとは大丈夫とされています。
 たった一回限りの目印ですが、故人を偲び、用意したいものです。
 これは風習、慣習に属する行為であり、仏教経典などに由来するものではありませんが、夏の夕刻、玄関先に揺れる白い提灯には独特の懐かしさがあり、きっと御霊も懐かしく嬉しい思いになっておられることでしょう。
 そして、提灯を吊すご家族のゆかしさが偲ばれます。

 当山は、相手様を選ばず白張り提灯のお申し込みを受けており、名入れの上、お渡ししています。
 ご志納金は2100円(名入れ込み)です。
 お迎えするという心をゆかしい形に表現したいものです。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
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2013
06.22

高速連絡網『摩利支天(マリシテン)ネット』を始めました

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隠形流居合の守護神摩利支天

 かねて構想してきた高速連絡網を準備しました。
 隠形流(オンギョウリュウ)居合の守護神である摩利支天(マリシテン)にちなみ、『摩利支天ネット』と命名しました。
 摩利支天はインドの神話に発し、帝釈天(タイシャクテン)と阿修羅(アシュラ)が戦ったおりに、超スピードで目くらましの術を用い、太陽と月を破壊から守ったとされるています。
 以後、行者たちが大切なものを破壊者から守る力を求めて修行し、隠形(オンギョウ)法を確立しました。
 楠木正成、毛利元就、前田利家、あるいはNHKの大河ドラマ「風林火山」で活躍した山本勘助などが守護神としていたことが知られていますが、日清戦争、日露戦争、太平洋戦争などに出征する兵士たちも武運長久を祈って摩利支天の御守を持ちました。
 当山の隠形流居合は、こうした摩利支天法に支えられています。

 さて、情報の発信はインターネットが最速ですが、使っていない方々へは届きません。
 サポーターの方々で作る月刊『ゆかりびと』では一ヶ月以上先の予定しかご連絡できません。
 そこで、ネットはメルマガを用い、もう一つはファクスを用いることにしました。
 メルマガは以下のURLで登録できます。
 http://www.mag2.com/m/0001608692.html
 ファクスの方は電話番号とご芳名とご住所をお知らせください。

 参加資格は特に設けません。
 檀信徒さんや『法楽の会』あるいは『ゆかりびとの会』の会員さんに限りません。
 ただ、当山の法務内容や姿勢に関心を持ち、納得される方のご縁があればと願っています。
 また、運転しない方のために極力、『イズミティ21』前からの送迎を準備する予定です。

 今年、皆さんと一緒にやりそこなった自然農法『法楽農園』での田植え、あるいは音楽や映画の観賞会などについて、スピーディーに、幅広く、ご連絡します。
 一切の縛りはありません。
 おもしろそうだな、手伝いたいな、と思う場合はおでかけください。
 第一弾として、佐村河内守作曲の『交響曲第1番 HIROSHIMA』を講堂の大型スピーカーにてじっくりと聴く予定です。

 どうぞ、ふるってご参加ください。




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2013
06.21

他人の利益をはかるように努めていると、苦しみの世界に行く因縁が消える。(空海BOTより) ─7月の聖語─

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 お大師様の言葉です。

「他人の利益をはかるように努めていると、苦しみの世界に行く因縁が消える」(空海BOTより)


 苦しみの世界とは、苦から抜け出る道の見えない地獄界であり、水などがあっても口から入らない餓鬼界であり、互いに喰い合う畜生界であり三悪道(サンアクドウ)と呼ばれています。
 それはこの世にあるだけでなく、あの世にもあるとされています。
 私たちは過去世の因縁をベースとして現世を生きており、現世は来世のベースとなるからです。
 こうした輪廻転生(リンネテンショウ)は、仏教から生じた思考法ではありません。
 輪廻転生の思考をベースの一つとして誕生した宗教が仏教であり、「今」しか考えない仏教哲学も仏教倫理もありません。

 自分の利益を第一にせず他人の利益をはかる人は、たった今、この世で苦しみの世界から離れる原因をつくります。
 もしも、ひもじい人へおにぎりを分けてあげたなら、現実に、相手の苦が離れるからです。
 見返りを求めずにモノを手放せば、諸悪の根源であるどす黒い執着心が、現実に、薄れるからです。
 苦を抜き楽を与える善行(ゼンギョウ)は、善果(ゼンカ)をもたらす原因になるからです。
 こうして今、相手が救われ、自分も救われ、いつかさらに自分へ善果がやってきます。
 お大師様が「苦しみの世界に行く因縁が消える」と説かれたのは、このことです。

 しかし、今を生き延びられなければ、そうしたことを考える余裕もありません。
 確かに、極限状態にあってなお、尊い行為を実践した人々はおられ、私たちの希望の星となってはいますが、すべての人へ同じような行動を求めるのは酷というものです。
 人も生きものであり、〈自分が生きられる〉方向へ走るのは当然だからです。
 貧困や飢餓や暴力や災害へ立ち向かう社会的意志が必要な理由はここにあります。
〈見捨てておけない〉人々が〈共に〉他者の苦へ立ち向かう時、この世の極楽が実現されます。
 この世の極楽に携われば、もはや、あの世で三悪道に堕ちる心配はありません。

 昭和31年、当時53才の哲学者チャールズ・モリス(米国)は、弥勒菩薩(ミロクボサツ)様へ篤い心で祈りました。
 その一部です。

「われらは弱く、物の豊かさにかえって当惑しています。
 われらの四肢は社会の蜜蜂の巣の中で休(ヤス)らいを知りません。
 われらはまとえる衣装に不安であるくせに裸を怖れます。
 われらは高い山を見ながら、登りもせぬうちにわれらの脚はふるえるのです。
 われらの眼ははば広く見えるそのために、鋭くは見えません。
 多数の神々の声が一人の生き神の声をぼかしてしまったのです。

 真理の名においてわれらが築き上げたのは、言葉の塔ばかり、その塔の中で真理は死んでいます。
 われらは実物で指を傷つけないよう、言葉ばかりを弄んできたのです。
 愛の名において、われらは愛の形成力を裏切ってきました。
 われらはただ取引に損しまいとする愛の商人になってしまったのです。
 親切の名において、われらは外部に伸びる自我の力をみずから抑えてしまったのです。
 われらは己が卑しさを見せかけの謙遜で飾ってきたのです。
 神の名においてわれらは求める人々を十字架にかけてきました。
 われらは己が貧しさを敬神の衣でかくしてきたのです。

 われらは物を見まいと目を盲にしてきました。
 われらは物を考えまいと急ぎ続けてきました。
 われらは実行を延ばそうとするただそのために思想をもちました。
 われらは感覚をにぶらせ、心をくもらせ、筋肉を犬のようにつなぎとめてきました。
 われらは恐れや偽りや欺きの子供です。
 われらは全一ではありません。
 われらは混乱しています。
 われらは弱きものです。

 われらのこの混沌の豊饒を一点に集中したまえ。
 われらに一体性を、埃なき心を、憎しみなしに打擲(チョウチャク)する腕を、
 曇りなき眼を、敢行する勇気を与えたまえ。
 偽りの、作りものの、飾りたてた足場を引き裂き下ろしたまえ。
 われらに単純生を、偽らぬ謙遜を、永劫のウィジョンを、
 一瞬に暖かさを失わぬ心を与えたまえ。
 われらからわれらの恐怖や仮面や逃避を取り去りたまえ。
 われらに弾力性を、このように生まれこのように死することの喜びを、正しい姿勢を、
 苦難にうちかつ強さを、離脱にたえる強さを、愛しうる強さを、与えたまえ、

 御身の出生がそのままわれらの出生となるよう、
 ふたたび宝輪をめぐらしたまえ。」


 遙かな未来に、弥勒菩薩様はお大師様と共にこの世へ現れ、最後の一人まで、すべての人々を救い尽くしてくださいます。
 それが最後の二行です。
 その時を待つまでもなく、私たちは教えに導かれ、弥勒菩薩様の浄土を目ざし、共にこの世へ降りてくる菩薩となりたいものです。
 そのためにも、「他人の利益をはかるように」務めましょう。




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「おん さん ざん ざん さく そわか」※今日の守本尊勢至菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。

https://www.youtube.com/watch?v=qp8h46u4Ja8





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2013
06.20

公開Q&A(その7)僧侶はお葬式で何を考えているの?(その3 出棺の朝)

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〈潤いに包まれた『自然墓』〉

 勉強会での質疑応答です。
 プライバシーを守りながら、補足し、要点を書きとめておきます。

質問7 お葬式ではどんなことを考えているのですか?

回答7 せっかくのご質問なので、お葬式当日だけでなく、お送りするための順番にそってお話しましょう。

 前回(その2)の続きです。
 前回はお通夜でした。
 今回は、出棺に移ります。

 出棺経の朝は、皆さんの緊張が伝わってきます。
 荼毘(ダビ…焼骨)に付すことは、「いなくなる」という実感に直結しています。
 だから、お棺を囲んでのお別れには細心の注意がはらわれているように見受けられます。
 最近は、お棺の釘打ちをしない場合もあります。
 ご遺族が打ちたくないと言えば、やらないで霊柩車へ運びます。
 そもそも、この行為は仏教的な意味合いがあるわけではなく、土葬していた時代にお墓を荒らして金品を盗む不逞の輩がいたので、それを防ぐために始まったという説もあります。
 だからといって、ただちに「無意味だからやめよう」と言えば、いささか軽率ではないかと思われます。
 あらゆる儀式は、人間の歴史と共に工夫され、深められてきており、常に変化の中にあります。
 釘打ちも、日本においては盗難防止から始まったのかも知れませんが、皆さんの様子を眼にし、お話をお聴きしていると、私たちが別れ花で飾り釘を打つことは、送る方々の心の整理につながっていると感じられます。
 御霊にとって、出棺はこの世のより所である肉体を手放す覚悟が固められてゆく過程であり、ご遺族の心にもまた、意識せずともそうした思いの共有があるのではないでしょうか。
 出棺の日に漂う独特の緊張感は、覚悟の共有と無関係ではないはずです。
 儀式に繊細な心が伴い、心が精緻な儀式をつくりあげつつ、文化は練られ発展します。
 やりたくない、要らない、と言ってしまう前に、そうした面をよく学び、考える必要があるのではないでしょうか。

 さて、会場と霊柩車との間があまりなかったり、時間が切迫していたりすればできませんが、お棺を先導する場合があります。
 それは、お釈迦様が父親のお棺を先導されたことに由来します。
 経典によれば、お釈迦様は、父親が悪しき世界へ転生(テンショウ)せぬように願うと共に、ご自身が入滅された後の世を心配しておられたようです。

「来るべき世の人民は凶暴となり、父母の養育の恩に報いず、不幸の者が増えるかも知れない」


 そのために自ら礼法を示されたのです。
 だから、私は導師として、実際に先導しようとしまいと、伝授どおりの祈りを捧げます。

「当願衆生(トウガンシュジョウ) 三界火宅(サンガイカタク) 出離生死(シュツリショウジ) 証大菩提(ショウダイボダイ)」


(この世は煩悩の火が盛んな迷いと苦しみの世界であり、輪廻転生を脱し、悟りの世界へ入られますように)

 家族との永遠の別れはこの上なく辛いことです。
 しかし、親しみは、ともすれば執着心となり、執着心が強ければ「すべては因縁によって生じ、滅する変化の相にあり、(クウ)である」という動かしがたい真理から離れ、あらゆる苦を生じ、苦にからめとられてしまいかねません。
 だから、故人には、最大の辛さの中で、何としても厳然たる真理を観ていただかねばなりません。
 最大の辛さの中にあることは、常々まとっていた我(ガ)というフィルターのかかった色眼鏡が外れ、真理を観られる数少ないチャンスなのかも知れません。
 平成12年、小雨降る朝、私は自分の母親のお棺を先導しました。
 最後まで絶対に子供を守り通した母親の涙雨は心身に沁み入り、天地は辛さに閉ざされていましたが、粛々と先頭を歩みました。
 この時の心で、祈り、先導を続けています。 




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「おん さんまや さとばん」※今日の守本尊普賢菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
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2013
06.20

2013年(平成25年)7月の運勢─流れの生かし方と人生修行─

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〈岩出山にある英国茶房『森栖』さんからの贈り物〉

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 2013年7月の運勢(文月…7月7日から8月6日まで)です。
 運気の流れによる注意点を参考にし、人間修行六波羅蜜(ロッパラミツ)行で改運し、開運し、快運となりますよう。

○権力者や財産家や有名人が強引に世の中を動かそうとし、誰しもが強気になり、あちこちで衝突が起こります。

 こうした時期こそ、「満つれば欠ける」という世のならいを想い、中天の太陽が西に傾く時をイメージし、謙虚に〈次の段階〉への備えを考えることが肝要です。
 太陽へと限りなく飛翔して翼を焼き地上へ落下したイカロスになってはなりません。
 誰しもが望む安心はバランスのとれた世の中にしかなく〈総取り〉の許される人間はいません。
 それを夢想するのは勝手ですが、人間は決して全能の神になれないことを忘れず、身を慎み、神のごとくふるまう者へ追従せぬようにしましょう。

○光のある所には必ず影があり、陽の当たる所にいる人もいれば、影に隠れた人もいます。
 全体を観る眼がなければ危険な独り善がりになりかねません。


 陽光を浴びて舞い上がるのも、影に入って落ち込むのも、有為転変(ウイテンペン…すべては変化すること)の世の中を観れば、あまり賢い姿勢とは言えません。
 もしも陽光を浴びたなら「はからずも(自分の意志や努力だけでなく、人智を超えた動きの中で)こうなった」と気づきたいものです。
 もしも影に入ったなら「もっと深い闇に包まれた人もいる」と気づきたいものです。
 こうした姿勢でいると、いつしか徳が豊かになり、怪しい者は近づかず、浮こうと沈もうと慌てなくなります。
 人を相手にしても組織を相手にしても、光と影の両方を観れば、よき関係を保たれることでしょう。

○誰かの信じる仏神や信条を軽々に貶(オトシ)めることは、自分の心をいびつにすることであり、自分の無知を深めてしまうと心得ましょう。

 人間はすべて心の成長過程の途中でこの世の修行を終える宿命を背負っており、誰一人、全知全能ではあり得ません。
 だから、お互いを心から認め合うところにしか穏やかな人間関係は構築できません。
 それぞれの文化がそれぞれなりに礼儀作法を熟成させてきた理由はそこにあります。
 なぜ挨拶があるかといえば、不意に、勝手に、相手の心へ土足で踏み込まないためです。
 挨拶の心が失われれば、私たちは常に、闇討ちに遭いかねない世の中で暮らすことになることでしょう。
 ストーカー事件といい、ネットでのいじめといい、礼儀を失した世界になり始めているように思えてなりません。

○天地の恵みに感謝し、容赦ない天変地異に備えましょう。

 古語に「隠(カク)む」という動詞があり、くむ→くま→かむ→神となりました。
 川上の森深く人跡絶えたところにおられる神は、自らの姿を隠されながら、常には恵み豊かな流れとなり、時には一切を押し流す暴流となり、私たちの運命を左右してきました。
 私たちは感謝し、畏怖し、いざという時に備えるしか術はありません。
 感謝と畏怖がなければ、穢された神々は情け容赦ない報いをもたらします。
 中国のすさまじい砂漠化や、アフリカの森林消滅などの写真を見ると身震いする思いです。
 私たちは太陽と水と空気の恵みなしに生きてはゆけません。
 それはひとえに尊ばねばならず、人間が太陽をつくるのは高慢であり、水と空気を汚すのは無礼というものではないでしょうか。
 天変地異の起こらぬよう祈り、交通事故を起こさぬよう、災害に遭わぬよう細心の注意をはらいましょう。

 今月の六波羅蜜(ロッパラミツ)行です。
布施(フセ)行と運勢]
 水を供えましょう。
 精進の人は自重して大難なし。
 不精進の人は目上とトラブルを起こし成果を逃しがち。
[持戒(ジカイ)行と運勢]
 塗香(ヅコウ)で身と心を清めましょう。
 精進の人は出し惜しみせず成功。
 不精進の人はとばっちりを受けがち。
[忍辱(ニンニク)行と運勢]
 お花を供えましょう。
 精進の人は誠意が通り成功。
 不精進の人は手を抜きが発覚して失速しがち。
[精進行と運勢]
 お線香を供えましょう。
 精進の人積極的に動いて奏功。
 不精進の人は臆病さや考えすぎで時期を失しがち。
[禅定行と運勢]
 飯食(オンジキ)を供えましょう。
 精進の人はまっすぐ決着へ進んで成功。
 不精進の人は自惚れが魔ものを呼びがち。
智慧行と運勢]
 灯火を供えましょう。
 精進の人は7分で満足して成功。
 不精進の人は強欲が勇み足となり攻撃を受けがち。

 皆さんの開運を祈っています。




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「おん さんまや さとばん」※今日の守本尊普賢菩薩様の真言です。
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2013
06.19

『山楽耕』の自然農法 ─自然の力、土の力を信じる─

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 ある日、黒川郡大郷町で自然農法を実践しておられる『山楽耕(ヤマガッコウ)』の太枝氏を訪ねました。
 当山の『法楽農園』運営の方針を固めるためです。

 農薬などの化学物質を使わない農法に一つの主張があることは理解できます。
 急速に広がる各種のアレルギー現象と、食品から摂取する化学物質との間に何らかの関連性があるのではないか、と疑われていることも承知しています。
 しかし、科学の最先端におられる方々のお話をうかがっていると、人類が日照りや飢饉と闘いながら積み上げてきた科学的農法を決定的に凌駕するやり方があることは、容易に納得できなかったからです。

 疑問が解けずに来たというぶしつけな僧侶を相手に、太枝氏は、訥々と話されました。

「江戸時代に都市部で処理しきれない汚物を農村へ出したあたりが、大量に肥料を与えて育てるやり方の始まりだったのではないでしょうか。
 時代をさかのぼってみれば、奈良の都は汚物処理がうまくゆかなくて疫病などが流行り、だめになりました。
 その点、京都は川をうまく利用したので、順調に発展できたのでしょうね。
 ベルサイユ宮殿にはそもそもトイレがなく、華やかに着飾った人々は豊かな茂みの陰で、立ったまま用を足しました。
 人糞や鶏糞などを農業に用いるのは、都市部の汚物処理という要請があったからです」


 奥さんが「どうぞ」とご用意くださったシソのジュースが喉を通ると、未体験の世界に来ていることを実感させられました。

「そもそも、野にあるものたちは、誰からも肥料を与えられないのに、仲良く生きています。
 自然は蘇生の力を持っています。
 一方、つくられたものは腐敗し、やがて滅します。
 人間によってつくられたものは滅失の方向へしか進めません。
 蘇生の力によってできた作物でなく、滅失の宿命を持ったものの力を借りてできた作物を食べるのは、化けものを食べているようなものではないでしょうか」


 なるほど、犬や猫や熊と同じ動物であり、稲ともDNAの40パーセント以上を共有している人間は化けものを食べ、いつしか自然界の存在から離れつつあるのでしょうか。

「効率第一に作業をすれば、米を刈り取ってからなるべく早く乾燥させ、出荷します。
 自然乾燥すると何倍もの日数を要し、出荷は遅れます。
 しかし、時間をかけた米は、炊き上がった時に、普段食べている米とはまったく別もののような芳香を放ちます。
 本来の米、本ものを食べようではありませんか」

「私たちは、並んでいるキュウリを買ってきておいしいおいしいと食べますが、ほとんどのキュウリは本ものかどうか、怪しいものです。
 それは、カボチャに接ぎ木するようにして育てているからです。
 そうする理由は、カボチャの方が地中から水を吸い上げる力が強いからです。
 土に張る肝心の根の力はカボチャに頼って早く、たくさん、つくられたキュウリ。
 これは果たして、本ものと言えるでしょうか」


 有限な地球上で人類が無限に増え続けることは許されず、他の生きものたちと共生するバランスも破壊できず、人口問題と食料危機と環境破壊は世界的共通認識になっています。
 私たちの文明は、生きるため、そして儲けるために「効率」を求めて戦い続けてきました。
 氏は言います。

「欲という文字を考えてください。
 左側に谷があります。
 また、俗という文字を考えてください。
 右側に谷があります。
 谷から上へ登る方向の片方には欠けるという字があり、もう片方には人という字があります。
 つまり、欲に走れば、俗すなわち私たち人間の住む世界からどんどん離れることを意味しているように思えます」


 放置された私たちの欲は、どうしても我欲(ガヨク)としてはたらくので、自他を傷つけがちです。
 お釈迦様は、智慧と慈悲をもって我欲を克服せよと説かれました。
 我欲を克服した菩薩(ボサツ)の清浄な意欲である大欲(タイヨク)は、私たち一人一人を真に生かします。
 私たちがどう生きるかという問題は畢竟(ヒッキョウ…つまるところ)、欲を菩薩に近づけるか、それとも我欲のままに放置するか、このコントロールいかんにかかっています。
 作物と雑草が共存する世界は、私たちが何をもって共存すべきかを考えるヒントに満ちているような気がします。
 
〝自分で食べるものは自分で、あるいは自分たちでつくる自給自足や地産地消の方向へ行けば、食の安全が確保できるのではないか。
 しかも、農園が限りなく自然の状態にあれば自然も守られる。
 当山の『法楽農園』もそうした方向での小さな実験台になりはしないか。
 氏の言われる〈本もの〉を食べ、本ものの生きもの、そして本ものの人間になれればよいが……〟

「作物は、固い土ではうまく育てません。
 固い土を砕いてよく見ると、その中には石があります。
 石を取り囲んで土が固まり、そうした塊だらけになれば地中の微生物などが活動できず、作物にふさわしい土とは言えません」

「私の畑では、農薬はもちろん肥料も使いません。
 土を耕しません。
 草刈りをしません。
 作物の周囲から草を除いてむきだしの土にしてしまうと、作物は雨も風も日光もモロに浴びてしまい、大きなストレスがかかります。
 周囲に草があれば、一緒に育つ作物にストレスは発生しません。
 ただし、強烈なものに負けないよう、作物よりあまりに伸びる草は、作物に邪魔にならない程度には刈ります。
 すべてのエネルギーは太陽からやってくるので、これだけは確保してやらねばなりません。
 草と共生する作物はストレスが少なく、安心なのではないでしょうか。
 また、耕せばフカフカの土にはならないので、不耕起農法にしています」


 作物が育つのは、子供が学校で切磋琢磨(セッサタクマ…互いに励まし合い、競い合い、磨き合うこと)しつつ育つのと同じではないかと考えつつ、畑に案内されて驚きました。
 雑草と野菜が共存し、殺虫剤を撒かないのに、ほとんど虫食いがありません。
 驚きました。
 氏が棒きれを土に差し込むと、たやすく、ズブズブ入ってしまい、氏は笑いながら、1メートル以上、こうなっているのではないかと言います。
 驚きました。
 ちぎってくださるマメも、葉も、あまりにも甘い味わいに満ちているのです。
 氏の言う〈本もの〉が実感できました。

 カメを抱え持ってきて状態を見せ、食べさせてくださった梅干しの味わいの深さには言葉を失いました。
〝はるかな昔のご先祖様方はこうした梅干しと、芳香豊かな米を食べていのちと心を養い、今の私たちを存在させてくださったのだ。
 ──私たちは何を失い、何を得たのか〟
 空いた時間に手ぶらで駆けつけたにもかかわらず、たくさんの作物をいただき、たくさんのご示唆をいただきました。
 ご夫婦の笑顔を思い出しつつ、ご示唆を反芻(ハンスウ…くり返し味わうこと)しつつ、合掌する気持で帰山しました。

 おりもおり、6月18日の朝日新聞は「ミツバチ群れ 農薬で『崩壊』」と報じました。
 ネオニコチノイド系農薬を摂取したミツバチは群を維持できないというのです。
 金沢大学の山田俊郎教授は発表しました。

「即死しない濃度でも、農薬を含んだ餌を食べたハチの帰巣本能がだめになり、群が崩壊すると考えられる」


 ネオニコチノイドは、こうした物質です。

「タバコに含まれる天然成分のニコチンから、人体への毒性を低減させて開発された物質。
 有機リン系の化学物質に代わり、平成に入ってから一般家庭での殺虫剤などを含め、さまざまな用途で使われている。
 神経伝達を攪乱し、異常な状態を起こさせて昆虫を殺す。
 近年、各国で多発しているミツバチの大量死や消滅との関連が指摘され始めた。」


 EUではネオニコチノイド系農薬であるクロチアニジンなど3種類が2年間の使用禁止となっています。
 科学の発達は試行錯誤の連続であり、その過程に発する諸問題との戦いです。
〝人類は永遠に勝者であり続けられるのか?
 しかも決定的な傷を負わない勝者で。
 はたして、消えた古代文明の中に、負けるはずのない戦いに負けたケースはなかったのか……〟




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 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
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「おん さんまや さとばん」※今日の守本尊普賢菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
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2013
06.18

お慈悲と福徳と ─弥勒(ミロク)薩・お大師様・布袋(ホテイ)様─

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20130618003.jpg

 Aさんが人生相談に来られました。
「ふとしたことで出会った弥勒菩薩(ミロクボサツ)様が気に入り、部屋で毎日、お水をあげて手を合わせています。
 今、転職を考えていますが、この仏様がきっと守ってくださるという気がしてなりません。」
 そして魂入れを希望されました。

 修法後、こうした伝承をお伝えしました。
 
「親との縁が薄く、出家して修行に励み、自分の死後は弥勒菩薩様のおられる兜率天(トソツテン)へ行きたいと願っている青年がいました。
 ある日、夢に墨染め衣をまとった童子が現れて告げます。
『もしも兜率天に転生(テンショウ)して弥勒菩薩様に会いたいのならば、経典どおりのお像を造り、真の姿をよく観想しなさい』
 夢から覚めた青年はすぐに、彫刻師へ依頼し、以後、70才になるまで祈り続けました。
 いよいよ臨終という時、老僧となった行者は、周囲で見守る人々へはっきりと告げ、旅立ちました。
『私が拝んできた弥勒菩薩様が、そのままのお姿で空中に現れてくださった。
 私はこれから、導かれて兜率天に昇ろう』」

 お話もしました。

弥勒菩薩様は、別名を慈氏菩薩(ジシボサツ…慈しみという名の菩薩)とも言います。
 それは、〈弥勒〉はインドの言葉マイトリーの音写であり、マイトリーには慈しみという意味があるからです。
 弥勒菩薩様は、何度生まれ変わっても常に変わらぬ深い慈悲の心を持ち、会う人々は太陽よりも光輝く気高いお姿に清められ、悪心が消え、いつの世も弥勒の名で呼ばれてきました。
 弥勒菩薩様は慈悲の実践者の代表と目されたのです。
 だから、お釈迦様は、ご自身が入滅された後の世を地蔵菩薩様に託され、それが56億7千万年続いた後の世を弥勒菩薩様へ託されたのです。
 お地蔵様がいつも私たちのそばで見守ってくださり、いざという時は天界におられる弥勒様がその扉を開いて慈悲の光をくださるというイメージでしょうか。
 そして、太陽が燃え尽きるほど遠い未来に、もしもまだ悟っていない者がいたなら、弥勒様が下生(ゲショウ…この世へ降りて来られること)され、最後の一人までをも救い尽くされます。

 私たちは皆、み仏の子であり、親であるみ仏はありとあらゆる形で私たちを見守っておられます。
 あなたがご縁の弥勒菩薩様に心を惹かれたのは、あなたが〈魂の親〉を具体的に感じとったことを意味します。
 私たちが身体も心も千差万別の個性を持って生まれる以上、感じとる魂の親もまたさまざまです。
 無数の仏心がおられるのは、そこにも理由があります。
 あなたが弥勒様との仏縁を結ばれたことは、誰も指一本触れられない人生の真実です。
 親と子の糸は誰にも切れないのです。

 あなたは修法中ずっと、お大師様のお像から伸びた五色の糸を手にしておられました。
 お大師様は、ご誓願どおり弥勒様のおられる兜率天へ上り、ずっと私たちを見守っていてくださいます。
 弥勒菩へ唱える真言『おん まいたれいや そわか』は『南無大師遍照金剛(ナムダイシヘンジョウコンゴウ)』の御宝号に通じています。
 これからは、弥勒様をイメージして真言、お大師様をイメージして御宝号をお唱えください。
 きっと兜率天の扉が開き、お慈悲の光があなたの心を温め、行く道を照らしてくださることでしょう。」

20130618014.jpg

 Aさんは、帰りしな、玄関の布袋(ホテイ)様にも合掌されました。
 布袋様は弥勒様が神となったお姿であり、特に福徳をもたらすとされています。
 ヨーロッパの人々は、畏敬の念を込めて布袋様をマイトレーヤと呼びます。
 皆々様が兜率天の光に癒され 福徳がもたらされますよう。




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「おん あらはしゃのう」※今日の守本尊文殊菩薩様の真言です。
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2013
06.17

今、読み返す開高健著『ベトナム戦記』 ─イデオロギーを離れて観る戦争の姿─

2013061600123

20130617001 (3)

 ベトナムで、昭和の半ばから長い戦争が行われた。
 死者は100万人とも150万人とも言われている。
 故開高健はその最前線へ行き『ベトナム戦記』を書いた。
 昭和40年、まだ、約半世紀しか経ってはいない。

 彼がカメラマン秋元啓一と共に従ったベトナム軍の第一大隊は、200人のうち、たった16人になってしまった。
 ベトコンの猛射からほうほうの体で逃げ回り、一息つく。

「私はしゃがんだまま小便を一回やり、バグを整理した。
 にぎりめし半個。
 『正露丸』。
 クロロマイセチン。
 防虫薬。
 ライター油。
 航空券。
 ドルなどをポケットというポケットにつめこみ、さいごに日ノ丸の旗をねじこんだ。
 ジャングルは深く、濃く、広大で、十メートルさきが見えなかった。
 太陽は白熱していた。
 私はここで渇死するかも知れないし、餓死するかも知れないと思った。
 けれど私の手のしたことは生を決意していた。
 体力を節約するためにいつバグを捨ててもよいようにしたのだ。
 東京の杉並区にいる妻子のことは考えるまいとした。
 考えると消耗すると考えたのだ。
 けれど、努力する必要もなかった。
 前夜の不眠で削がれた体力、精神力は、ほぼ限界に達していた。
 私はただ汗で色の変わった麻袋のようになって土によこたわり、静かに息をついていた。」


 予想通りに最後はバグを捨てて走り、真後にいた大尉が被弾するという状況の中、九死に一生を得た氏はようやく首都バンコクのホテルへたどりついた。
 前線のベトナム兵士をこう書く。

「荒野や沼地を歩いている彼らは銃をさかさまにかつぎつつ、鉄や米袋の重さにひしがれて、ただ命令のままにうごく昆虫にすぎなかった。
 彼らは仏壇にお灯明をささげ、暗い小屋のなかで家畜のように眠る。
 野ネズミやナマズを食べ、守がはためきはじめると銃を投げてしゃがみこむ。
 体に穴をあけられると、ひとことも呻かず、まじまじと眼をみはって、びっくりした子供のような顔つきで死んでゆく。
 あるいは〝蒸発〟してベトコン側に投降し、あるいは村を歩きまわって屋根裏にかくれる。
 ベトコン側にいった兵士は一ヶ月もたたないうちに剛勇無双のゲリラ戦士として再登場し、かつての仲間を信念によってうち殺す。」


 農民たちのほとんどは、平和な暮らしを望み、ベトコンになった人々の多くもまた共産主義者ではなかった。

「この国の農民はおそろしく貧しい。
 子供はたくさん生まれるが先人に達する前に非衛生的な状態のために死んでゆく。
 だから出生率はすごいものであるのに北海道を二つあわせせたくらいの面積にしかすぎぬこの小さな国が人口超過にならず、ジャングルはいつまでもジャングルとしてのこっていくのである。」


 彼の眼にはこう観えた。

「アメリカ市民の血税はどんどん流れこんだが、サイゴンから村へ豚や米や肥料がとどく途中でどんどん抜かれた。
 あるダナンの坊さんの表現によれば、この国にはネズミが多すぎるのである。
 そしてアメリカ市民の血税はサイゴン経由で本国の石油会社や武器会社に払いもどされていった。
 ベン・キャット砦の兵卒や将校の持っている、迫撃砲をも含めた火器類は大半が第二次大戦用に製造された年式の刻印を持っていた。
 ロケット弾や武装ヘリコプターやジェット機などは最新式である。
 漠然と私はアメリカの武器商人が古くなった武器の倉庫の戸をサイゴンに向けて全開しているのだという印象を受けた。
 人殺しが起こったらまず女、それから誰がトクをするかを考えろという東京の推理小説ブームに影響されすぎたのであろうか……。
 アメリカ兵は基地においてもジャングルにおいても、私が書いたよな意見を持って暮らしている。
 彼らが例外的なアメリカ人なのか一般的なアメリカ人なのか、私は知らない。
 けれど、もしベトナムを舞台にして、最前線のアメリカ人を主人公にして私が小説を書こうとすると、題は〝気の毒なアメリカ人〟ということになるだろう。」


 開高健氏が従軍した10年後、ベトナムは北ベトナムにのみ込まれる。
 イデオロギーや先入見を離れた作家の眼は、戦争の実態と戦争をさせるものの実態を私たちへ突きつける。

 戦争は、経済の分野でも、政治の分野でも、そして宗教の分野でも、いたるところで行われている。
 血を流しているのは誰か?
 果実を得ているのは誰か?
 6月15日付の朝日新聞は「米ヘッジファンド 暴落前に売る手配」と報じた。
 日経平均株価は5月23日に1143円もの暴落を演じ、下げ足を速め、乱高下をくり返している。
 暴落の一週間前、「米西海岸に拠点を置くヘッジファンドの首脳」が大規模売りの準備にとりかかっていたという。
 今の日本の政治は株価と円相場をにらみながら進み、経済界も神経を尖らせている。
 政策は、当然ながら庶民の暮らしを左右する。

 決して〈黒幕捜し〉や〈犯人捜し〉といった狭い視点ではなく、角張ったイデオロギーで理論武装するためでなく、事実を観る眼を養うため、自分の頭でものを考える自立の精神を失わないため、想像力を枯渇させないために『ベトナム戦記』が広く読み継がれることを願う。
 きっと、アジアで生きる人々の哀れさ、愛しさも感じられることだろう。




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2013
06.16

【現代の偉人伝】第174話 ─最後まで半鐘を鳴らし続けた消防団員越田富士夫(当時57才)氏─

20130616001 (3)2
河北新報からお借りして加工しました〉

20130616001 (3)3
河北新報からお借りして加工しました〉

 東日本大震災から2年以上が過ぎた今も、生き仏の情報が新たにもたらされている。
 6月16日付の河北新報は、危機を知らせるべく最後まで半鐘を打ち鳴らし続けた消防団越田富士夫(当時57才)氏について報じた。

 岩手県大槌町安渡地区では、地域住民の1割を越す218人が犠牲となった。
 地区担当の町消防団第二分団では、団員41人のうち11人が殉職している。

 元分団長の佐々木大一郎氏(69才)は、当時をふり返る。

「地震直後、心配で駆け付けた屯所で、半鐘を鳴らす越田さんを目撃した。
 団員らは計14カ所の水門を閉めた後、屯所からポンプ車で住民の避難誘導に向かい、越田さんは屯所に残ったという。
 津波は間もなく6・4メートルの防潮堤を越えた。
 津波を見て、慌てて自転車で高台に向かった佐々木さんの耳には、半鐘の音が今も残る。
『早く逃げろ』。
 佐々木さんは心の中で越田さんに、こう叫ぶのがやっとだった。」


 半鐘は屯所が津波にのまれるまで鳴り続けた。

半鐘は震災の十数年前、フックの老朽化で火の見やぐらから外され、屯所2階に保管されていた。
 半鐘に代わり整備された屯所のサイレンは停電で作動しなかった。
 越田さんは、とっさに青銅製の半鐘を持ち出し、2階のてすりにぶら下げたとみられる。
 たたき方は、非常事態を知らせる『乱打』だった。」


「越田さんは震災から約40日後、遺体で見つかった。
 半鐘はいまだ見つかっていない。
 震災後、3月に行われる安渡地区の追悼式では、支援で寄せられた半鐘を『あの日』のように鳴らし、多くの住民が祈りをささげている。」


 大工だった故越田富士夫氏は、熱心に活動していた。
 歴史や時代劇の愛好家であった故人は「ふーさん」と呼ばれ、親しまれていたという。

 文明の利器が使えなくなった時、非常事態を知らせるための〈身体でやれる方法〉を知っていた故人は、それをやらないではいられなかったのだろう。
 押し寄せる津波から逃げず、「一人の人間ここにあり」と最後まで伝統に則った行動をとり続けた心を想像すると、涙を抑えきれない。
 自然に琴線が震え、自分もこうありたいと願うのは、私たちが仏性を共有しているからに他ならない。
 生き仏の情報に接し、生き仏を想う。




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2013
06.16

寺子屋の教え『実語教・童子教』を考える(その52)─観音様に師弟の道を学ぶ─

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〈真鍋俊照氏の観音菩薩

20130616001 (2)
〈真鍋俊照氏の勢至菩薩

 Aさんから要請されました。
「最近、『実語教童子教』がストップしており、残念です。
 社員などへお話をするためのテキストにもなっているので、ぜひ、再開してください」
 こうして尻を叩いていただくのはありがたいことです。
 前回の続きをやりましょう。

観音(カンノン)は師孝(シコウ)の為(タメ)に
 宝冠(ホウカン)に弥陀(ミダ)を戴(イタダ)き
 勢至(セイシ)は親孝(シンコウ)の為(タメ)に
 頭(コウベ)に父母の骨(コツ)を戴(イタダ)き
 宝瓶(ホウビョウ)に白骨を納(オサ)む」

 
 観音様が頭上に載せている宝冠には阿弥陀様がおられます。
 それは、観音様が菩薩(ボサツ)としての修行を完成されれば、やがては阿弥陀様のような如来(ニョライ)になることを意味します。
 また、観音様は、浄土におられる阿弥陀様の教えを人々へ伝えるために、人々が感得しやすいお姿をしておられます。
 もしも観音様がお慈悲をもって説かれても救えないような悪業(アクゴウ)の深い人は、大威徳明王(ダイイトクミョウオウ)という恐ろしい姿の方がお救いくださいます。
 亡くなられた方をお迎えする時は、左手に持ったいまだ開かない蓮華を右手で開かせる姿を示し、み仏の子としてこの世で充分に生かし切れなかった仏心を開いてあげるから安心しなさいとお慈悲をかけてくださいます。

 勢至様が頭上に載せている瓶には、財宝やお香や薬などたくさんの宝ものが入っています。
 それはあらゆる善願を成就させる如意宝珠(ニョイホウジュ)と同じです。
 この宝瓶(ホウビョウ)は多種の光に満ち、その光には阿弥陀様が人々を導く様子が映し出されています。
 だから、宝瓶は賢瓶(ケンビョウ)とも呼ばれ、願いを達成するための智慧が詰まっています。
 亡くなられた方をお迎えする時は、合掌し、み仏の子が故郷であるみ仏の世界へ帰ってきたことを尊び、お迎えしてくさいます。

 以上が観音様の宝冠と勢至様の宝瓶です。
 ではなぜ、今回の教えに「観音様は師を思って、師のお姿のある宝冠を頭上に載せている」とあるのか?
 それは、阿弥陀様の弟子とも言うべき観音様が師を尊んでおられることを通じて師弟の道を学ばせようとしたからではないでしょうか。
 また、今回の教えに「勢至様は親を思って、母親の白骨を入れた宝瓶を頭上へ載せている」とあるのも同じです。
 阿弥陀様にお仕えし、やがてはその境地に達する勢至様は阿弥陀様の子供でもあり、親を尊んでおられることを通じて親子の道を学ばせようとしたのでしょう。

 観音様や勢至様のお姿に師弟の道や親子の道を学びつつ育った子供たちを想うと、〈生きた仏教〉について考えさせられます。




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2013
06.15

第四十一回寺子屋『法楽館』 ─立ち直りたい少年たちのために─

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〈東日本大震災で犠牲になった方々のお柩を安置するプレハブが並んでいた駐車場は、今年も緑に囲まれています〉

 7月13日(土)では、認定NPO法人ロージーベル副理事長・弁護士 勝田亮(カツタ マコト)先生から、更正と自立をめざす少年たちを育成するとり組みと、少年たちの現状についてお話をしていただきます。
 以下、先生の文章によるご紹介です。

「認定NPO法人ロージーベルは,「DJ保護司」大沼えり子を中心に,少年院や裁判所からの委託に基づき,帰る場所のない少年の受け入れ,更生と自立を支援する少年の家「ロージーハウス」を運営しております。
 そのほか,少年院向けのDJ番組の製作,少年の健全育成に関する講演会や学習会などを開催しております(詳しくは,ロージーベルホームページをご参照ください)。
 『ロージーハウス』で生活する少年たちは,みな『立ち直りたい』という気持ちを持っています。
 更生が求められている少年たちは,自分の力だけで立ち直ることが困難な状況にあります。
 私たち大人が,少年たちの心の声に耳を傾け,同じ仲間,私たちの未来を担う子どもたちを支援することが求められています。」


 以下、勝田先生の自己紹介です。

「講師の略歴
 
 平成20年NPO法人ロージーベルの設立メンバーの一人。
 脱サラして弁護士となり,企業法務を中心とした業務の外,子どもの問題を中心に地元のNPO活動を積極的に行っている。
 震災後は,有志でチームを組み,女川町を始め被災地企業支援として無料経営相談の法務部分を担当している。」


 少年たちは、今、私たちと同じ言葉を話し、同じ空気を吸い、同じ精神文化を共有しつつ未来へ向かっています。
 未来の日本は、何不自由ない少年少女たちのみによってつくられるのではありません。
 誰でもが大人たちから受け嗣いだものを心の血肉として生き、新鮮な感性と発想力であたらしい文化と社会をつくってゆく未来の担い手であり、社会の宝ものです。
 まだ小さな星でしかない一人一人が輝きたいと懸命に取り組んでいる自己研磨の過程へ、手を差し伸べようではありませんか。
 
・講師 認定NPO法人ロージーベル副理事長・弁護士 勝田亮(かつた まこと)氏
・日時 7月13日(土)午後1時30分より3時30分まで
・会場 大師山法楽寺講堂
・ご志納金 1000円 中学生以下500円
・送迎 『イズミティ21』前からの送迎車へ乗られる方は前日17時までにお申し込みください。 




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「おん ばざら たらま きりく」※今日の守本尊千手観音様の真言です。
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2013
06.14

青葉祭を行います

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 6月15日は、1294年前にお大師様がお生まれになった日です。
 当日、当山では第二例祭に当たり、いつもどおり護摩法を行い、青葉祭として般若心経に加えて「南無大師遍照金剛」の御宝号を108返、お唱えします。
 また、参詣し功徳を積まれた方々へ、お大師様の御守をお授けいたします。
 
 お大師様は弥勒菩薩(ミロクボサツ)を深く信じられ、弥勒菩薩浄土へ向かい、やがては弥勒菩薩と共にこの世へ救済の旅に来られることを約束されました。

 宮沢賢治もまた、遠い未来にこの世へ現れる弥勒菩薩の救済を信じ、妹とし子の死に際して、お椀に降り積もる雪を兜率天(トソツテン)におられる弥勒菩薩へ捧げました。
 詩『永訣の朝』はこう締めくくられています。

「おまへが たべる この ふたわんの ゆきに
 わたくしは いま こころから いのる
 どうか これが兜率(トソツ)の 天の食(ジキ)に 変わって
 やがては おまへとみんなとに 聖(キヨ)い資糧(シリョウ)を もたらすことを
 わたくしの すべての さいはひを かけて ねがふ」

 私たちも又、お大師様の後を追い、兜率天へ行きたいものです。




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「おん あみりたていせい から うん」※今日の守本尊阿弥陀如来様の真言です。
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https://www.youtube.com/watch?v=4OCvhacDR7Y





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2013
06.14

因果応報と自業自得について ─NPO法人ワンファミリー仙台理事長立岡学氏の講演(補遺)─

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〈さて、進むべき道は?〉

 お釈迦様は因果応報を説かれました。
 原因があれば必ず結果が出るし、結果のあるところには必ず原因があるのです。
 しかも、この理が動かす範囲は、現世だけにとどまりません。
 無始の過去から無窮の未来まで変わることはありません。
 現在があるのは過去があったからであり、現在起こっていることごとのすべてが未来を決めます。

 ならば、私たちの営みはすべて〈自業自得〉ではないか?

 確かにそうです。
 しかし、自分が理不尽な目に遭った時、「なあに、自業自得さ」とのんびりできはしません。
 正義感が強ければ強いほど「なぜだ!」「おかしい!」と憤ったり、何かを変えようとしたりします。
 また、辛い目に遭っている人がいれば、「なあに、自業自得さ」と見て見ぬふりはできません。
 なぜでしょうか?

1 人間は原因と結果をすべて結びつける能力を持っていないから

 私たちは、誰かを叩けばそのままでは済まないことがわかります。
 しかし、もしも自分の発言が曲解されて誰かに伝わり、それが原因で人間関係がうまくゆかなくなったりした場合、そもそもの原因が自分にあったと気づけないかも知れません。
 自分がなぜ、今あるような人間に生まれてきたのかもわからないし、死後、自分の人生が自分に関わった他人様と自分のあの世とにいかなる結果をもたらすかもわかりません。

2 現実を観て判断する視点や基準や価値観が多様であり変遷するから

 幾多の嵐を乗り越えた老賢者となれば、すべてが因果応報と観え、自他に何があっても泰然と対応できるかも知れませんが、若いうちにそうなることは困難です。
 また、半世紀前まで、マラソンをする時に水を飲んではいけないことになっていたことも忘れてはなりません。
 今は、小学校からオリンピックまで、飲みものを用意せずに行われるマラソン大会はなくなりました。
 長距離を走ることと、身体を鍛える成果と、身体を壊す危険性との関係は、今の時点でわかる範囲までしかわかっていないので、因果の糸がどこにあるかを疑い、研究する姿勢は永遠に欠かせません。
 たかだか今、わかっている範囲で「因果応報」「自業自得」と終わらせるわけにはゆかないのです。

3 人間には理性と感情があるから

 自分の未熟さが原因で会社に損害を与えた場合、自業自得と減給に応じるだけで終われない場合があります。
 ろくに指導もしてくれない上司から「ばか者!」と叱られたばかりに、頭へ血がのぼり、上司の指導不足が原因であると言い張って会社へ抗議したり、裁判を起こしたりするかも知れません。
 また、他人の辛い話を聴いて自分も涙を流すのが人間であり、こうした情緒や感情のはたらきが行き来するからこそ、私たちは共存できます。
 事実としての因果応報自業自得を観るよりも、結果としてもたらされた哀しみや苦しみにまず、対応しないではいられないのが、み仏の子である証拠です。
 
4 結果をもたらす影響力である「業(ゴウ)」には個人的な業と、社会的な共業(グウゴウ)があるから

 映画『奇跡のリンゴ』には、困窮したリンゴ農家の主人公木村秋則が出稼ぎに行き、お金を使うのがもったいないので公園で野宿していたところ、三人組のならず者たちにナップザックごと強奪されるシーンがあります。
 主人公は「何で……」と悔し涙にくれますが、生活に困窮している人々を食いものにするならず者がはびこる社会は、私たち皆がそれとは気づかぬうちにつくり出したものであり、被害者の個人的な因果応報とだけ考えることはできません。
 堀川惠子著『永山則夫 封印された鑑定記録』の核心もそこにあり、木村秋則と永山則夫の身に起こったできごとは、二人にとってのみ因果応報なのではなく、私たち皆が、悪行の発生をもたらした因果応報の糸の一本に関わっていることを忘れないようにしたいものです。

5 終わりに

 神職の資格を持つ立岡学氏が仏教哲理に基づく「共業」という思想を持っておられるかどうかはわかりません。
 しかし、氏は言われました。

「路上生活者は苦しみや悲しみや怒りでさんざん自分を壊してからNPOにやってきます。
 そもそも、冬の寒い時期に路上で寝ること自体、心が正常にはたらいていると言えるでしょうか?
 自業自得と切り捨てられるでしょうか?」


 路上生活を余儀なくされた方々の身に起こったできごと、現に起こっているできごとと自分は無関係ではないという魂のレベルでの直感と核心があればこその言葉ではないでしょうか。
 
 氏はこうも言われました。

「本当はこんな団体がなくなり、我々の存在のなくなることが究極の目標です。」


 氏の法人は立派に成り立っていますが、氏の視点は経営そのものの発展などにはありません。
 辛い社会に生きる人々を見捨てられぬ人々によってやむを得ずつくられた集団なので、辛い生活環境がなくなれば目的は達成されるのであり、それ以外の経営的成功などは眼中にありません。
 映画『奇跡のリンゴ』の最終場面を思い出しました。
 木村秋則は、糟糠(ソウコウ)の妻(米かすと米ぬかしか食べられないような辛苦の人生を共にしてきた妻)へ言います。

「一つのものに狂えば、いつか必ず答に巡り合う」


 立岡学氏の冷静かつ情熱的に狂っておられる姿はきっと社会を変え、人々の心を変え、やがては日本人の叡智がきちんとしたシステムをつくりだすことでしょう。
 氏の周囲へ広がる縁の糸の細い一本であり続けたいと願っています。




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2013
06.13

幼少時の育ち方は自業自得と言えるのか? ─NPO法人ワンファミリー仙台理事長立岡学氏の講演(補遺)─

2012062010 001

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 前回、「自業自得?」で故永山則夫について書きましたが、路上生活者の方々が即、犯罪者になると言う意図はまったくありません。
 路上で寝る境遇となる経緯に〈自力〉が及ばないとしか思えない部分があり、しかも、路上生活は、過酷という言葉などではくくれないものを抱えている一例として書きました。
 補足しておきます。
 
 永山則夫は、住む場所がなくなりました。 

「通る人がね、『この橋の下!』って言ってさ、クラゲをバーンって俺の顔に投げつけたりするんだよ。
 そうするとヒリヒリして痛いんだ。
 だからどっか目につかないとこ探して、穴、行ったよ、穴。
 桜木町のあたりに、いっぱいあるんだ、防空壕、昔の。
 中が寒くてね、ヒンヤリしていて、ちょっとおっかないんだけど。」
「俺、映画館っていうのは寝るとこだって思ってたから。
 もうエロ映画とか観てもね、そんな感情、全然、湧かないんだ。
 とにかく俺、布団に寝たかったのね。
 それで布団代、布団代って何とかしようと思ってやるんだけど、また、使っちゃう、パチンコとか。
 もう身体が疲れてクタクタでね、何もできないんだ。
 どこか休むとこ、怒られないで休むとこって……。」
「夜になるとね、淋しくなるんだよね、なんつうか……。
 周りにいる人、歯がなかったりね、ちょっと頭が弱いような貧乏くさいっていうか、そういう人ばっかりでしょう。
 俺、親父の影、追ってたもんね。
 それで、おじいちゃんみたいな人とばっかり話してたんだ。
 親父のような者と話がしたくて。
 みんな、新聞にくるまって寝ちゃうんだ。
 汚いよ……。
 こんな中に親父、死んでいったのかなあって。
 それで俺、『親父のようにはなりたくない』って思っちゃったんだよね。
 『ああなったら終わりだ』って。
 それで『親父のようには死にたくない』って、親父が10円持って死んだっていうから、それが非情におっかなくって、いっつも1000円くらい持ってたよ。
 独り……、って言うか、ずんずんずんずん、独りになっちゃったんだよね。」


 石川義博医師へ吐露した永山則夫は、部屋を出る時、つぶやいています。

「こんな話をしても、分かってくれるかなあ。
 無理じゃないかなあ」


 カルテには「目のまわりを赤らめ、涙ぐんでいた」とあります。

 永山則夫は、逮捕された当時をふり返ります。

「捕まってから、(マスコミに)バチバチやられてね、『なんか一言』ってやるでしょう、それで、『この野郎』って怒鳴りたかったけど、でも黙っててね。
 あとでね、刑事にお茶かけたらしいんだ、バーンって。
 『お前らに分かってたまるか!』って。
 それが本当に言いたかったことかも分かんない。」


 逮捕後、兄弟たちは姿を隠した中、一人で面会へ行った母親は、後に、石川義博医師へ語りました。

「──則夫、とにかく甘えたかったんだの。
 おら、分かってたけど、出来んかった。
 おら、今でも信じられねえ。
 金、ほしくてやったんじゃねえのにやったんだって、則夫、言ってるんだなって、おら思った。
 誰が何と言おうと、今に分かるって。
 金、ほしくてやったんじゃねえ。
 なんぼニュースに出ても、本に出ても、こんなん嘘だ、今に見てろ、分かるって。」

 
 他人様のお金を奪うのは卑劣でしかないが、いかにおちぶれても息子はそんな人間にはなっていないと言うのです。
 たとえ殺人という悪しき手段を用いようと〈意地〉を通さないではいられないギリギリの思いを母親は知っていたのでしょう。
 その意地は、心の飢えによってもたらされたことも……。

 通常は一ヶ月ほどで終える精神鑑定を278日もかけて行った「石川鑑定」にある締めくくりの文章です。

「則夫は、『二人も殺したから自分も死ななければならない』と死ぬ覚悟を自分に言い聞かせながらも、『俺はなんのために生きてきたのか。このまま死ぬのはくやしい。やりたいことを何一つ出来なかった。何か足りない。充たされない。何かに対して強いうらみが心のなかでうずまいてどうしようもない』と、まず強いうらみを自覚した。
 次いで、このうらみの原因を分析し、幼少時の家庭環境を真先に挙げている。
 鑑定人の調査でもこの犯罪の主因をなした則夫の恨みや憎悪は、人生早期の体験に根ざすことが諸事実から明らかにされたのである。
 精神医学的に見ても、則夫の家庭環境の分析は、則夫の犯行時の精神状態を解明するためにもっとも重要なる鍵を提供するものである。」


 立岡学氏は確信を持って指摘します。

「問題の根本的な解決法は、若いうちに手を打つことです。
 中高年になれば対処療法的な対応しかできないのが実態です。
 しかし、若いうちに皆が関わり、心身のきちんとした成長をうながせば、生活困窮者に陥る人々はかなり減るのではないでしょうか。」


 氏は、人間としての最後の砦である自尊心から生じる悲しい意地が固まり、膨れあがり、やがては爆発しないよう、早めに心の飢えを解消する社会的手立てが必要であると言っておられるのではないでしょうか。
 路上に暮らす方々の心が故永山則夫の行き着いた極限の切なさへ向かわぬよう祈らずにいられません。




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2013
06.12

自業自得? ─NPO法人ワンファミリー仙台理事長立岡学氏の講演(補遺)─

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 寺子屋の講演でお聴きしたNPO法人ワンファミリー仙台理事長立岡学氏の言葉について、ふり返ってみます。

 氏は、実態を訴えます。

「自分がこれまで関わってきたのべ600~700名の路上生活者は、その9割以上が、幼少の時期に虐待を受けるなど劣悪な環境で育っています。
 心身、特に脳が発達する時期にそれを疎外するほどのストレスがかかり、充分に発達できていません。
 また、心的ストレスによる歪んだ認知が生じます」
「こうした人々へ自業自得と言えるでしょうか?
 独りにできるでしょうか?」

 
 永山則夫の連側殺人事件を思い出しました。

 過酷な環境に育った青年永山則夫は4人を射殺し、平成9年、48才で死刑になりました。
 逮捕直後から、事件を起こした動機についてさまざまな議論が起こりました。
 昭和56年、一審の死刑判決を破棄した東京高裁は、無期懲役を科しました。

「本件被告人は、出生以来極めて劣悪な生育環境にあり、父は賭博に狂じて家庭を省みず、母は生活のみに追われて被告人らに接する機会もなく、被告人の幼少期にこれを見はなして実家に戻ったため、~
 人格形成に最も重要な幼少期から少年時にかけて、右のように生育して来たことに徴すれば、被告人は本件犯行時一九歳であったとはいえ、精神的な成熟度においては実質的に一八歳未満の少年と同視しうる状況にあったとさえ認められるのである」


 しかし、4人を殺害した事実は重く、最終的には死刑になりました。

 ジャーナリスト堀川惠子氏は、永山則夫の遺品(段ボール100箱以上)ととり組んでいるうちに、偶然、石川義博医師と被告のやりとりを記録したテープを見つけました。
 医師は精神鑑定し「鑑定書」を提出しましたが、最高裁ではまったく触れられませんでした。
 もう一つの「荒井鑑定」が出されており、被告自身が「精神病に近い精神状態」といった言葉を含む「石川鑑定」に反発し、否定したからです。
 しかし、堀川惠子氏がテープをもとに書いた『永山則夫 封印された鑑定記録』を読むと、現場に立つ医師がつかんだ真実に身震いさせられます。
 堀川惠子氏は「あとがき」に記しました。

「今回、永山の100時間を超える独白と、それを引き出した石川医師と改めて向き合うことで、あまりにも普遍的な『家族』というテーマに行き当たりました。
 ようやく少年の心の闇に少し、ふれることができたように感じています。
 人間として生きていくための基盤となる家族、そして、その絆を失った人たちへの第三者のまなざしこそ、取り返しのつかない犯罪への第一歩を止める何にも替え難い力になることを確信しました。」


 日本の殺人事件の約半数は家族間で起こっています。
 家族間の問題によって社会人として生きて行く心の準備が充分にできないまま実社会へ放り出され、路上生活を余儀なくされる方々や、どうにもやりきれない心の処置が自分でできないほど追いつめられた方々が〈独り〉で苦しみ続けないよう、心ある〈第三者のまなざし〉が不可欠です。
 堀川惠子氏は書きました。

「この歪んだ厳しい社会の中で、足を踏ん張り根を張って生きていくには、人と人の繋がりがどうしても必要です。
 弱ければ、弱いもの同士で手を繋ぐことができるはずです。
 その最も小さな単位が、家族です。」


 私たちすべてが氏の言う〈弱いもの〉です。
 舞い上がり、落ち込み、成功し、失敗し、笑い、泣き、喜び、悲しむ私たちは、決して独りでは生きられない〈弱いもの〉同士です。
 幼いうちは家族が手をつなぐ庭ですが、大人になれば、社会全体が手をつないで成り立っている庭です。
 自己責任という強い意志と世間の荒波を泳ぎ続ける腕と体力とを兼ね備えていない方々も、誰一人、手をつなぐ輪からはみ出てはいません。
 縁の糸は無限であり、その糸につながっていない人はいないからです。
 しかし、心の発育の阻害や、人の世の不条理は切れてしまったとしか思えない状況をつくり出します。
 その時、「大丈夫、糸があるではありませんか」と気持を新たにさせるのは、心ある第三者です。

 過日、夜に孫をある店へ連れて行ったところ、突然、横から走ってきた中学生くらいの少年が孫の前にあった踏み台を蹴り飛ばし、孫が熱心に見ていたものをすぐ横から覘きました。
 肩を叩き、「小さな子が先に見ているんだよ」と諫めたところ、謝るどころか、「今、台に乗っていなかったでしょう!何が悪いんですか!」と詰め寄るように開き直りました。
 もしもこの子が高校生であったなら、私を突き飛ばしていたかも知れません。
 少年の脇では、小太りでボロに近いワンピースをまとった母親が、少年の荷物らしいものを背負わされ、オロオロしています。
 二・三度やりとりしてもまったく通じないまま、心の受信装置が壊れたように無機質な表情を変えず、我(ガ)だけしかない言葉を強硬にはき続け、少年は走り去りました。
 その後をヨロヨロと追いつつ小さな声で「すみません」と一言、口にした母親の声は忘れられません。
 私は「いいえ」と小さく答え合掌するしかありませんでした。
 きっと、事情があり、もうすでに、少年は手に負えない子供になっているのでしょう。
「あの親子を見捨てずにやりとりできるのは誰だろう?」
 
 私たちが〈心ある第三者〉になることは、容易ではありません。
 それには、立岡学氏が訴えるように、「自業自得さ」と切り捨てない姿勢が欠かせません。
 重いものと向き合うためには、それ相応の揺るがぬ心が求められます。
 立岡学氏の今日を想い、堀川惠子氏の今日を想い、精神鑑定をふっつりと断ち精神療法の現場にある石川義博医師の今日を想います。




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2013
06.11

真冬の味噌汁 ─NPO法人ワンファミリー仙台理事長立岡学氏の講演(補遺)─

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 寺子屋の講演でお聴きしたNPO法人ワンファミリー仙台理事長立岡学氏の言葉について、ふり返ってみます。

 氏は見知らぬホームレスの方々との関係性構築を「味噌汁飲みませんか?」「あめ玉要りませんか?」から始められました。
 関係性をつくったというよりは、そのように声をかけないではいられなかったのかも知れません。

「寒い時に温かい味噌汁があれば、誰でも飲むんです。
 冬の乾燥している時期にあめ玉があれば、誰でも嘗めるんです」


 托鉢で生きた日々を思い出させられました。
 雪の中を歩いていると、冷えが身体の奧へ奧へとしみ通り、弱点である腸がいつも気にかかるようになります。
 そんな時、お茶や、味噌汁や、おしるこをふるまわれると身体中の緊張状態が一気にほどけ、〈楽〉になります。
 もちろん、自動販売機が目に入らないことはありませんが、自分なりに行者のイメージを持っており、道行く人々の視線を集めながらゴクゴクと立ち飲みするわけにはゆきません。
 こうした点で、四国八十八霊場を巡拝したおり、自動販売機の前で墨染め衣の裾を乱しながらデーンと腰を下ろしていた若い行者にはとてもガッカリしたものです。
 彼の「ああ、疲れた」は手に取るようにわかります。
 しかし、「それを見せればおしまいだろう」と言いたくなってしまった記憶は消えません。
 イメージが確立していない行動は実に崩れやすいものです。
 だから、刃の上を歩くような気持で、あるいは糸をピンと張りつめたような状態で托鉢を行います。
 そうした中で、〈楽〉にさせてもらえる短い時間は、砂漠のオアシスのように感じられました。

 路上に暮らす方々は、きっと、托鉢行者などとは比べものにならぬほどの緊張条件を抱えておられることでしょう。
 味噌汁一杯がそれを解き去りはしないでしょうが、和らげることは疑いありません。
 それも、ほとんど受け入れを拒否できぬまま自然に……。

 氏がこれを実行されたのは、味噌汁による布施という方法を〈知っていたから〉だけではありません。
 知識は行動に際しての必要条件ではあっても十分条件ではありません。
 十分条件はきっと、裸になれたということではないでしょうか。
 自分を路上に暮らす方一人一人と入れ替えられたのでしょう。
 それは、哀しみを引き受け喜びを共にしつつ生きて来られた氏の表情に隠しようなく顕れています。
 氏は、どん底におられる方々を救う制度の不備を訴えるために関係省庁を歩いておられます。
 現在、目覚ましい成果を上げつつあるのは、たった一人の氏の口から流れる語る言葉にまぎれもなく路上で暮らす方々の生の声があり、静かなもの言いに何万人もの方々の思いが込められており、それが如実に相手へ伝わるからではないでしょうか。

 氏は本来、そこからしか入りようのないたった一つの入り口から、確実に他者の心へ入られました。
 ──見捨てられないから。
 必然的に、その後の物語が始まりました。

「どうしたら生きられると思いますか?」
 回答を得た。
「朝飯があれば、今日も生きて行けると思う」
 また、問う。
「それなら、朝に一汗流してから食べれば、朝ご飯がもっと、おいしくはありませんか?」


 氏が「生活困窮者が社会貢献し、労働による対価で生きられるのはすばらしい」と感じた社会的理想は、氏が裸になれたからこそ、凄まじいスピードで実現しつつあるのではないでしょうか。
 こうした成り行きには、やんちゃな若者が神主になり、やがて失望した体験と何か関係があるのかも知れません。




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2013
06.10

死後の行き先 ─NPO法人ワンファミリー仙台理事長立岡学氏の講演(補遺)─

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 氏は、路上生活を送っている方々へ呼びかけられました。
「最終的には弔ってもらえるから大丈夫。
 とにかく生きようよ」

 死後の〈行き場〉は普段、あまり考えません。
 しかし、老いや病気や貧困などによって自分の死がリアルに予見できる時、そこは〈今〉が最終的に保たれる場所として、大きな安心をもたらします。
 そこがなければ、この先は、いつか突然、〈今〉が消え去り、無になってしまうのみです。
 無を相手にできる人は誰もいません。
 だから、無になるとは、家族や友人や猫や犬や社会などとつながり保たれている〈今〉の関係性がプッツリと断たれることを意味します。
 もしも〈行き場〉があれば、消しゴムで消されるように無になるというイメージはなくなります。

 そもそも、私たちは死んでも無にはなりません。
 第一に、死んだ身体は荼毘に付されて骨になりますが、それは、原子レベルで考えれば、細胞という形をとらずバラバラになったというだけのことであり、原子がなくなるわけではありません。
 それに今の一瞬にも細胞は新陳代謝をくり返しており、原子はいつも入れ替わりつつ身体を構成しています。
 仏教は、私たちの身体は、ある条件のもとで〈仮に〉特定のモノやはたらきとして成立しているのみであると説いています。
 条件が変われば当然、モノやはたらきのありようも変わりますが、それは無になることを意味してはいません。

 また、〈私〉は今、自分の身体をより所として存在していますが、身体のあるなしと〈私〉のあるなしは、一枚の紙の表と裏のようにピッタリと合っているわけではありません。
 手にあるわけでなく、目にあるわけでなく、脳の一部にあるわけでもなく、〈私〉は、身体にふんわりと寄り添っているのみです。
 それは私もそうであり、友人もそうであり、猫も犬もそうです。
 やはり、ある条件のもとで〈仮に〉生きものとして肉体をより所としているだけなのです。
 だから、条件が変われば当然、ありようも変わりますが、それは無になることを意味してはいません。
 その先がどうなるかは、科学によって身体が原子レベルまで解明されているようには解明されていませんが、宗教的叡智によってさまざまなイメージとして把握され、伝えられています。

 氏は、お墓があることによって自分の死後にあるイメージを持ち、前向きに生き直すきっかけになる生活困窮者の方々がおられると明言されました。
 科学的理論や宗教的叡智を持ち出すまでもなく、「ここに入られる」という実感は、〈今〉が無になるという恐れと虚無的心理とに打ち克ち、意欲を引き出し生命力を活性化させ、同じ境遇の仲間と共にまず一歩を踏み出すきっかけになります。
 この重い事実に関われることを深く感謝し、『一家族の墓』を守り続けて行きたいと念じています。




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