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2013
08.31

どなたか農機具のバインダーを貸してはいただけないでしょうか

20130831bainda-.jpg

2013083100002.jpg

 おかげさまにて、今のところ、『法楽農園』の稲は順調です。
 ところで、バインダーで刈り取りし、〈はせがけ〉によって天日干しをしたいのですが、今は、どちらの農家様もコンバインという全自動の機械を用いるようになったので、バインダーがなかなか見つかりません。
 9月28日(土)一日だけで結構ですので、どなたか自動ひも通し付きのバインダーを貸してはいただけないでしょうか?
 トラックでお借りしにまいりますので、ぜひ、ご連絡ください。

・電話:022(346)2106
・ファクス:022(346)2107
・メール:ryuuchi@hourakuji.net

 食物アレルギーの方々などに喜んでいただけるよう、無農薬・無肥料の自然農法で作っています。
 どうか、ご協力をお願いいたします。合掌




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。




「おん さんまや さとばん」※今日の守本尊普賢菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=rWEjdVZChl0





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2013
08.31

平成25年9月の行事予定

20130830sasaki2.jpg
ロス・ミドラスさんのHPよりお借りして加工しました〉

 白露(ハクロ)と秋分の長月(ナガツキ)に予定している行事です。
 この世の幸せとあの世の安心のため、仏神と諸精霊のおわす聖地へおでかけください。

[第一例祭 2013/9/1(日)午前10:00~11:00

 護摩法を行います。
 般若心経や守本尊様をお讃えする経典などを唱え、み仏と万物と万霊をご供養し、願いをかけましょう。
 太鼓と共に観音経を唱えましょう。
 願いをかける護摩木は一本三百円。
 自由参加です。
 護摩の火に身を近づけ、悪しきものは焼き祓い、善き願いへ大きなご加護を受けてください。
 (願い事を書く護摩木供養は1体300円です)
・送迎申込 開始30分前に、地下鉄泉中央駅そばの『イズミティ21』前へ送迎車がまいります。
 乗車希望の方は前日午後5時までに必ずご連絡下さい。


書道・写経教室] 2013/9/1(日)午後2:00~午後3:30

 髙橋香温先生は津波で被災されても書道一筋でがんばっておられます。
 熱意と誠意を感じられる貴重な時間です。
 書道の基本を学び、100文字の写経も行います。
 イス席もありますので、お気軽にご参加ください。
・場  所  大師山法楽寺
・指  導  高橋香温(温子)先生
・ご志納金 1000円(未成年者500円)
(毎月第一日曜日午後2時から開催します)
・送迎申込 開始30分前に、地下鉄泉中央駅そばの『イズミティ21』前へ送迎車がまいります。
 乗車希望の方は前日午後5時までに必ずご連絡下さい。


[第七回法楽塾] 2013/9/1(日)午後4:00~午後5:30

 正式な勤行(ゴンギョウ)法と修行法をお伝えします。
 自分の身を法で守り、菩薩(ボサツ)として他者のためにもなりたい在家行者をめざす方のために基礎づくりを行います。
 ただし、履歴書に書く資格は得られません。
 よき願いを抱き、自信を持って祈られるようになるだけです。
 決心された方は、資料などの関係上、参加予約の上、身分証持参でおでかけください。
・場  所  大師山法楽寺
・ご志納金 3000円(隠形流居合の行者は無料)
・イス席もありますので、お気軽にご参加ください。
・送迎申込 開始30分前に、地下鉄泉中央駅そばの『イズミティ21』前へ送迎車がまいります。
 乗車希望の方は前日午後5時までに必ずご連絡下さい。


[第四十三回寺子屋『法楽館』 ─映画『洟をたらした神』に観る大地と生きる人間像─] 2013/9/14(土)午後1:30~午後3:30

 福島県小名浜で生まれた吉野せいは、いわき市で開墾している詩人の三野混沌に嫁ぎます。
 窮乏生活を送る夫婦の合い言葉です。
「天日(テンジツ)燦(サン)として焼くが如し、出(イ)でて働かざるべからず」
(陽光は厳しく、しかし、いのちを育くむ強い力で照りつけている。さあ、野へ出て、はたらこうではないか)
 吉野せいは75才になってから『洟をたらした神』を出版し、絶賛されました。
 今、福島は地震と津波に加えて原発事故に見舞われ、自然と共生していた人間の生活が危機に瀕しています。
 私たちは、耕作する存在として、どこから生を営み始めたのか?
 失われたものは何か?
 自然と人間の真実に触れる名作に学びましょう。
 事前予約などは不要です。
 どうぞ、ふるっておでかけください。
・映  画 ビデオ『洟をたらした神』昭和53年近代映画協会製作(DVDはありません) 
・ご志納金  1000円(中学生以下500円)
寺子屋は毎月第二土曜日に開催します。
・送迎申込 開始30分前に、地下鉄泉中央駅そばの『イズミティ21』前へ送迎車がまいります。
 乗車希望の方は前日午後5時までに必ずご連絡下さい。


[第二例祭 2013/9/21(土)午後2:00~

 護摩法を行います。
 般若心経や守本尊様をお讃えする経典などを唱え、み仏と万物と万霊をご供養し、願いをかけましょう。
 太鼓と共に般若心経を唱えましょう。
 願いをかける護摩木は一本三百円。
 自由参加です。
 護摩の火に身を近づけ、悪しきものは焼き祓い、善き願いへ大きなご加護を受けてください。
 (願い事を書く護摩木供養は1体300円です)
・送迎申込 開始30分前に、地下鉄泉中央駅そばの『イズミティ21』前へ送迎車がまいります。
 乗車希望の方は前日午後5時までに必ずご連絡下さい。


[お彼岸供養会 2013/9/23(土)午前10:00~10:45

 恒例の彼岸供養会を行います。
 お彼岸の供養会では、この世とあの世の迷いを解くため、土砂加持(ドシャカジ)法という秘法によってご加持したハイパワーの砂をお授けします。
 御霊の成仏、私たちの罪障の消滅、地獄へ続く因縁の砕破がもたらされます。
 一緒にお経を唱え、供養と修行を実践しようではありませんか。
・送迎申込 開始30分前に、地下鉄泉中央駅そばの『イズミティ21』前へ送迎車がまいります。
 乗車希望の方は前日午後5時までに必ずご連絡下さい。


[仏神と御霊と自然へ捧げるフォルクローレの会] 2013/9/23(土)午前11:00~12:00

 天地の恵みと守本尊様のご加護に感謝し、御霊を供養するフォルクローレは、日本人の感性にとてもフィットします。
 農園を守る守本尊様へお詣りし、共に音楽を楽しみましょう。
 演奏は、東日本大震災の被災地でも活躍された『Los Midoras(ロス・ミドラス)』さんです。
 平成22年の「コスキン・エン・ハポン2010」日本代表審査会で見事、日本代表となり、平成23年1月から2月にかけて行われた世界最大のフォルクローレ祭典『COSQUIN2011』においては、アルゼンチン共和国のコスキン市で演奏を披露して喝采を博しました。
(http://www.youtube.com/watch?v=fNdmpckJXN4 )
 メンバーに亀屋石材店(利府町)の伏見信壱氏がおられ、ご快諾をいただきました。
・日  時 9月23日(月)午前11時より
・場  所 『法楽農園』荒天の際は講堂
・申  込 イスの関係上、前日五時までに電話やメールなどで参加をお申し込みください。
・送  迎 当山より会場まで送迎いたします。ご希望の方は、前日午後5時までに必ずご連絡下さい。

[お焚きあげ] 2013/9/28(土)午前10:00~11:00

 お不動様のご縁日に、開運不動前にて「供養会」及び「お焚きあげ」を行います。
 人形や仏壇や写真など、燃えるものも、燃えないものも大丈夫です。
 一緒にお不動様のお経を読み、真言を唱えましょう。
※お焚きあげをご希望の方は、必ず電話などで日時を連絡の上、お品をご持参、あるいはお送りください。
 当日とは限らず、いつでも結構です。
※毎月、最終土曜日に行いますが、今月は31日に当たるので、一週間、繰り上げます。

[稲刈り] 2013/9/28(土)午前9:00~ 2013/9/29(日)午前9:00~

9月28日(土)、バインダーによる稲刈りを行います。
 当日と、翌29日(日)、午前9時より午後5時まで、刈った稲を干すなどの作業が必要です。
 ご関心のある方はぜひ、たとえ一時間だけでも、ご協力をお願いいたします。
 必ず法楽寺で受け付けを行い、マニュアルをお受け取りの上、現地へ入ってください。
 経験者大歓迎ですが、未経験の方でも大丈夫です。
 実りの秋に、守本尊様のおわします聖地で、大自然の恵みを実感していただければ幸甚です。合掌

[機関誌『法楽』作り] 2013/9/30(月)午前9:00~

 講堂にて、機関誌『法楽』を作ります。ご協力をお願いします。
『実語教・童子教』も共に学びましょう。
※毎月、最終月曜日に行います。

[隠形流(オンギョウリュウ)居合道場]

 毎週金曜日 午後7:00~9:00 旭ヶ丘青年文化センター、もしくは旭ヶ丘仙台市民センターにて
 九字を切り、守本尊様のご加護をいただく密教独自の剣法です。
 女性や高齢者の方々が多く、厳しいながらも和気藹々と稽古しています。
 入門ご希望の方は、事前に連絡の上、見学してください。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
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2013
08.31

「静かなるやまとの人よ世のほまれ」に故開高健を想う

20130831007.jpg

 平成25年8月1日、宮城県慶長使節船ミュージアムのブログ『サン・ファン館』は以下の記事を載せました。

「先日7月25日、支倉常長の子孫である支倉常隆さん・スペインで俳句の指導も行う俳人の高野ムツオさんが当館を訪問され、スペインから送られた計12句の俳句を当館にご寄贈いただきました。」


 贈り主は、スペイン南部にあるコリア・デル・リオ市です。
 当地は慶長遣欧使節にゆかりが深く、ハポン(日本)姓を名乗る人がたくさんおられます。
 昨年、支倉常隆氏がスペインを訪れた際に、スペイン・コリア市立図書館のフェルナンド・プラテーロ館長をはじめとした3人の作品を託されました。
 帰国後、現地の日本人が翻訳したものを俳人の黛まどか氏が俳句へと仕上げ、高野ムツオ氏と共に色紙へ書きました。
 ブログでは以下の4句が紹介されています。

「地は裂けて 大和のみたま 瀕死なり(コリア市立図書館館長フェルナンド・プラテーロ)
 黒鳥の 日の本(ヒノモト)覆い 夜塞ぐ(コリア市立図書館館長フェルナンド・プラテーロ)
 静かなる やまとの人よ 世のほまれ(コリア市立図書館館長フェルナンド・プラテーロ)
 赤富士の 深きしじまや 黙示録(主婦アラセリ 75歳)」


 特に鮮烈なイメージで魂へぶつかってきたのはこの一句です。

「静かなる やまとの人よ 世のほまれ」


 何があろうと、感情の波がいかに大きく振れようと、すべてを受け止める静かな覚悟を持ち、人間としてのふるまいを外さない大和(ヤマト)人(ビト)の心性をこれほど的確に、そして、譽れを添えて表現してくださったことは、ほとんど奇跡に近いとすら思えます。
 私たちは、異国からこのように見ていただいていることを忘れず、いかなる難局にぶつかっても、思慮深く、冷静で、舞い上がらず、覚悟と節度のあるふるまいをし続けてゆきたいものです。
 
 この〈静けさ〉がはっきり顕れたのは故開高健著『ベトナム戦記』です。
 開高健は、昭和39年11月、相棒の故秋元啓一カメラマンと共にベトナム戦争まっただ中のベトナムへ行き、政府軍に同行して取材しました。
 そして200人いた部隊がわずか16人になった激戦をくぐりぬけ、戦争の真実をつかみました。

「彼らは肩をぬかれ、腿に穴があき、鼻を削られ、尻をそがれ、顎を砕かれていた。
 しかし、誰一人として呻くものもなく、悶えるものもなかった。
 血の池のなかで彼らはたったり、しゃがんだりし、ただびっくりしたようにまじまじと眼をみはって木や空を眺めていた。
 そしてひっそりと死んだ。
 ピンに刺されたイナゴのようにひっそりと死んでいった。」
「いったい彼らの内部の何者がこれほど異様にして強力な自制力を発揮させるのか、いまだに私にはわからない。
 兵士としては地上最低の彼らなのに肉の苦痛に対するこの忍耐力と平静は聖者をもしのぐかと思われた。」
「〝自制〟はたしかにアジアでもっとも発達した感情である。
 それは諦念、謙譲、自己犠牲あんどの形をとってあらわれる。
「貧困のどん底に生まれたベトナムの農民たちはいったいどんな育てられ方をしてこの純粋の真空状態に達するのだろうか。」


「くたびれきった、もつれきった、複雑きわまる、ベトナム人自身がよくわからないと告白するベトナム人の心のなかの、唯一でもっとも発火力のつよい燃料はゼノフォビア(外国人ぎらい)である。
 この火の爆発力をもっともよく察知し、把握したのがベトコンである。
 それはベトコンの血みどろの努力を待つまでもなく、アメリカ自身が日ごと夜ごと拡大し、深化しつつあるものだ。
 中国大陸におけるかつての日本の活動とまったくおなじことをアメリカは前線将兵の感嘆すべき忍耐や善意と無関係に続行しているように私には見える。
 ワシントンは負けることをきらい、無数の言葉を編みだしたあげく、敗北してしまった。
 かつての日本も負けることをきらい、無数の言葉を編みだしたあげく、敗北してしまった。
 敗北してようやく全国民は戦争の惨禍を〝理想〟の膜をやぶって知ることができた。
 アメリカは負けるが勝ちという知恵を身につけるには若すぎるのであろうか。
 負けたことがなく、異民族に踏みにじられたことがなく、戦争があるたびに豊かになった、何一つとして戦争を知らないアメリカは、誇りと偏見のために、ベトナム農民が建国当時のアメリカ人と同根の情熱にかりたてられてアメリカに反逆しているのだというところまで洞察できないのであろうか。」


 開高健も秋元啓一も、まぎれもなく「静かなる やまとの人」です。
 その静けさが生んだこの一冊は、ベトナム戦争を物語る不滅の資料として歴史に残ることでしょう。
 開高健はあとがきに書きました。

「とにかく私たちは見てきた。
 結論は読者におまかせします。」


 彼らはあの世から見ておられます。
 襟を正さずにいられましょうか。




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2013
08.30

寺子屋の教え『実語教・童子教』を考える(その54)─ぬくぬくと暮らさず真理を求めた人々─

201308280322.jpg

 江戸時代まで、寺子屋などで庶民の教科書だった『童子教』を読んでいます。

「酒に酔うて心狂乱す
 食(ショク)過(ス)ぐれば学文に倦(ウ)む  
 身(ミ)温まれば睡眠を増す
 匡衡(ケイコウ)は夜学の為(タメ)に
 壁を鑿(ウガ)つて月光を招き  
 孫敬(ソンケイ)は学文の為(タメ)に
 戸を閉じて人を通さず」


(酒を飲んで酔えば、心は狂い乱れる
 食べ過ぎれば勉強をする気が起こらなくなる
 身体が温まれば眠くなる。
 その昔、匡衡(ケイコウ)は夜、勉強をするために
 壁に穴を空けて月の光をもらい
 孫敬(ソンケイ)は学文に集中しようと
 戸を閉じて訪れる人に会わなかった)

 酔うまで酒を飲み、食べたいだけ食べ、ぬくぬくとした生活をしていれば、往々にして勉学に励む気が起こらなくなります。
 そうしていれば、ただ、心地良いからです。
 これでは、『アリとキリギリス』のキリギリスになってしまいます。

 昔の中国に、学問を志す匡衡(ケイコウ)という人がいました。
 貧しい農家の子供なので、夜に点す明かりはありませんでした。
 そこで、こっそり、壁に穴を空けて隣家の明かりをもらい、読書に勤しみました。
 匡衡(ケイコウ)は、たくさんの蔵書を持つ家に雇われましたが、賃金をもらいません。
 いぶかった主人が訊ねたところ、匡衡(ケイコウ)は、お金をもらう代わりに書物を読ませてくださいと申し出ました。
 心をうたれた主人は喜んで協力し、匡衡(ケイコウ)は、やがて、世に隠れもない大学者になりました。
 なお、匡衡(ケイコウ)のことについて記した『史記列伝』などに〈月光〉の話はなく、子供たちの想像力をかき立てるための創作であろうとされています。

 昔の中国に楚(ソ)の国がありました。
 そこで学問に励んでいた孫敬(ソンケイ)は、訪れる人々と接する時間を惜しみ、すっかり、戸を閉め切ってしまいました。
 現代の閉じこもりや自閉症などとは違います。
 自分の目的意識のために、こうした行動をとりました。
 やがて、「閉戸(ヘイコ)先生」と称される賢人となり、主君からお召しの声がかかりましたが、断り、勉学に励みました。
 主君から直々に「仕えよ」と命ぜられるのは、当人だけでなく一族の譽れであり、何不自由ない生活が保障されたようなものですが、世の雑事を厭い、真理を求め続けた孫敬(ソンケイ)の名は忘れられません。

 江戸時代までは、庶民の子供たちも、長屋の人々も、匡衡(ケイコウ)や孫敬(ソンケイ)の故事を知り、モノや金や地位名誉よりも真理を求める人間の高貴さに感じる心をもっていました。
 教える人も当然、清浄な志を持っていたはずです。
 明治維新から150年が経ち、現代の私たちは何を得て、何を失ったのか?
 そして今、何を求めようとしているのか?
 また、私たちはいかなる生き方をしつつ、子供たちへ何を教えようとしているのか?
 実に考えさせられてしまいます。
 



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2013
08.29

寺子屋の教え『実語教・童子教』を考える(その53)─自分を律し、復習し、言いわけをしない勉学─

2013082901111.jpg
〈津波に遭った石巻市門脇小学校二宮尊徳像〉

 またまた、間が空いてしまいました。
 再開はいつですか?とご質問があり、再び、『童子教』の続きを読みます。

「朝早く起きて手を洗い
 意(ココロ)を摂(セッ)して経巻(キョウカン)を誦(ジュ)せよ  
 夕(ユウベ)には遅く寝(イネ)て足を洒(アラ)い
 性(セイ)を静めて義理を案ぜよ  
 習い読めども意(ココロ)に入れざるは
 酔うて寐(イネ)て謟(ムツゴト)を語るが如(ゴト)し
 千巻(センガン)を読めども復(フク)さざれば
 財無くして町に臨むが如(ゴト)し  
 薄衣(ハクエ)の冬の夜も
 寒(カン)を忍んで通夜(ヨモスガラ)誦(ジュ)せよ  
 食乏(トボ)しきの夏の日も
 飢を除いて終日(ヒネモス)習え」


(早起きして手を洗い
 目的意識をしっかりと持って経典を読誦しなさい。
 夜遅くまで眠気を我慢して足を洗い
 気持を平静にし、ものごとを道理によってよく考えてみなさい。
 せっかく習ったり読んだりしても、心へきちんと収めなければ
 酔って寝たまま寝言を言うようなものであり、身にはつかない。
 たとえ千巻の書籍を読もうと、復習して血肉にしなければ
 文無しで社会に出るように、徒手空拳のままである。
 寒さをしっかりしのげるような環境や衣服に恵まれていなかろうと
 寒さに耐え、夜通し読誦しなさい。
 あまり食べものを摂れない夏の日も
 飢えを気にせぬほどの集中力で学びなさい)

 最初の4行は、規則正しい生活によって、学び、血肉にする習慣をつける大切さが説かれています。
 投げやりでは勉学の成果が上がらないし、勉学を通じてきちんと計画的にものごとを行う習慣が身につけば、社会人となった時に、仕事もきちんとできるようになるのです。
 子供の頃に、好きなことをしていればよいと育てられれば不幸です。
 気まま心と放逸の習慣は、結局、自滅への道を歩ませるからです。

 次の4行は、復習の大切さを説いています。
 ドイツの心理学者ヘルマン・エビングハウスは、自分自身で実験し、忘却の速度にそれほど個人差はなく最初は早く忘れ、やがてゆっくり忘れ去るという説を主張しました。
 これは体験上、私たちにも納得できます。
 だから、どんどん忘れてしまわないうちに復習を行い、強く記憶に留めておく必要があります。
 また、しっかり記憶し、記憶の邪魔をするよけいな刺激を避け、くり返し想起するといった脳のトレーニングにより、脳細胞間にあるシナプスで脳内ホルモン(神経伝達物質)が活発につくられるようになります。
 こうして記憶力が増大します。
 右の耳から聞いて左の耳から出してしまうような勉強の仕方では、脳の能力はあまり発揮できないのです。

 次の4行は、勉学を行うか行わないかは第一に心構えの問題であって、環境のせいにしてはならないことを説いています。
 都市部ではほとんど見られなくなりましたが、歴史がある地方の小学校では、いまだに、二宮尊徳が薪を背負い読書しながら歩く像が建っています。
 どんな環境でも、やる気さえ持っていれば、やれる範囲での勉学は可能です。
 たとえば私の読書時間はトイレ、風呂場、寝床で確保され、浅学非才ながら日々の法務が続けられています。
 強い目的意識と、深く深く求める心と、集中力があれば時間の乏しさは補えます。

 この教えによって勉学への正しいイメージを持ち、奮い立って欲しいものです。
 若く、生命力に溢れる子供たちがよき習慣を身につけ、自分を律しつつ深く考え、憂き世の風に負けない勁さをもって生きて欲しいと願っています。




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2013
08.29

幻覚症状の中で書かれた『徒然草』

20130829001 (3)

 別役実氏の『とぜんそう』によれば、吉田兼好は、徒然草(トゼンソウ)という草がもたらす幻覚症状の中で『徒然草(ツレヅレグサ)』を書いたそうです。
 冒頭にある「つれづれなるままに」は、私たちが何となくボーッとしている状態ではありません。
 徒然草は平安・鎌倉・室町あたりまで教養人の書斎で嗜まれ、幻覚作用の影響によって仮名文字の女流文学が発達したと言われています。
 こうした観点から「つれづれなるままに、日くらし、硯にむかひて、心に移りゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。」を読んで、ようやく「あやしうこそものぐるほしけれ」と書いた状態が理解できました。
 ボンヤリと暇を持てあます状態で、一日中、硯の前に座り、頭に浮かぶとりとめもないことを書いているうちに、妙に気狂いじみた状態になってくるという成り行きが想像できなかったのです。

 ちなみに、第七十一段を読んでみましょう。

「名を聞くより、やがて、面影は推し測らるゝ心地するを、見る時は、また、かねて思ひつるまゝの顔したる人こそなけれ、昔物語を聞きても、比の人の家のそこほどにてぞありけんと覚え、人も、今見る人の中に思ひよそへらるゝは、誰もかく覚ゆるにや。
 また、如何なる折ぞ、たゞ今、人の言ふ事も、目に見ゆる物も、我が心の中に、かゝる事のいつぞやありしかと覚えて、いつとは思ひ出でねども、まさしくありし心地のするは、我ばかりかく思ふにや。」


(会ったことのない人の名前を聞いただけで、何となく顔つきが想像できるものだが、実際に会うとそのとおりだったためしはない。
 昔の話を聴く時は、話に登場する家も、人も、具体的に想像しているものだが、それは、私だけではないだろう。
 また、どうかしたおりに、今そこで人が話す内容も、そこで目にするものも、自分の心中では、いつか過去の日にもあったような気持がして、いつとは定かでないものの、あったことだけは確かだと思うのは私だけだろうか)
 この文章などは、「どうしてこんなことをわざわざ書き残すのだろう」と思ってしまいますが、幻覚症状における既視感ととらえれば、とても納得できます。
 それにしても、流れるような仮名文字にせよ、女流文学にせよ、徒然草をくゆらせながら訪ねてくる男を待っている才智に優れた女性たちにせよ、文化の根を考えさせられてしまいます。

 ところで、こんな現代句があります。

「天空と交信したり女郎蜘蛛」(白鳥光代


 高い樹にキラキラと光る蜘蛛の巣を張り、獲物を待つ女郎蜘蛛の向こうには真っ青な空が広がっていたのでしょう。
 透徹した明晰さが幻想を飛翔させました。
 こうした句を読むと、対照的にうねる『徒然草』の世界が、より、ありありとつかめます。

 心と文字、文章について、腕組みをさせられた一件です。




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「おん あらはしゃのう」※今日の守本尊文殊菩薩様の真言です。
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2013
08.28

仕事をまっとうするには「正命」を心へ刻みましょう

20130828017.jpg

 はたらき始めて間もない方の親御さんが、無事、勤め続けられるようにとご祈祷を申し込まれました。
 正命(ショウミョウ)成就を祈り、能力開発の御守をお授けしました。
 そして、帰りぎわに申しあげました。
「親子共々、ご加護があるよう、確かにご祈祷を行いました。
 尊いご誠心には、必ず、それなりの報いがやってくるでしょうから、お子様へも、自信を持って進むようお伝えください。
 そして、こうもお伝えください。
 お釈迦様は、正しくいのちをつなぐのが、お互いに苦を脱する方法の一つであると説かれました。
 それが正命(ショウミョウ)です。

 まず、自分が生きて行くためにはたらいている仕事が人の道にかなっているかどうかを確認してください。
 どんなに一生懸命がんばろうと、振り込め詐欺のようなものでは、社会へ迷惑を及ぼすだけでなく、自分が悪しき報いを受ける悪業(アクゴウ)を積み、、周囲の運勢も暗くし、自他を不幸にするだけです。
 まっとうな仕事でなければなりません。

 そして、仕事を通じて、自分がどのように自己実現をしてゆくか、考えてみましょう。
 決して、〈好きな仕事〉だけが自己実現をもたらすのではありません。
 むしろ、気ままにしたい気持を抑えつつ足を踏ん張って世に生きることそのものが、いつしか結果として人間性を磨き、人格に深見が生じて尊敬されるようになったりするものです。
 もしも、気に入らない上司に自分への高い評価を抱かせることができたなら、そこではきっと、目に見えない人間性の向上が行われているはずです。
 それこそが真の自己実現であると心得たいものです。

 こうして生きるために決して欠かせないのが、規則正しい生活です。
 生きる糧を得る職業に就いたということは、そこで社会的役割を果たす責務が生じたことを意味します。
 責務をまっとうするのがまっとうな人間であり、そのためには、責任感を持って自分の生活を変えねばなりません。
 遊び中心ではなく仕事中心でなければ、自分が持っている力を充分に発揮できず、仕事はいつまで経っても〈頼まれごと〉でしかなく、社会人としての責任感は薄いと言わねばなりません。
 仕事で持てる力を発揮できるよう、生活のリズムを整え体調を管理すれば、必ず意欲が増し、よい仕事ができるようになります。
 そうなることが、まぎれもない自己実現でもあります。

 お釈迦様が説かれた「正命」を心へ刻めば、必ず、よい仕事をしながら自分を高めてゆけることでしょう。
 陰ながら、重ねて祈っています」




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「のうぼう あきゃしゃきゃらばや おん ありきゃ まり ぼり そわか」※今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
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2013
08.27

霧をかかげて光を見ましょう ─9月の聖語─

20130825004.jpg

 お大師様の言葉です。

をかかげて光を見るに無盡の宝あり」(弘法大師


(学び実践して迷いのをとり除けば、心いっぱいに光があふれ、そこに無限の宝ものが見いだせる)

 私たちの目も、耳も、鼻も、舌も、皮膚も、気持も、常に〈〉を求めています。
 生きものはすべて、自分が生きることを最優先し、アメーバですら、食べものでないものはきちんと忌避し、食べものはしっかり摂り込み、生きます。
 生きられる方向に〈〉があり、死ぬ方向に〈不快〉があります。
 それは、新鮮な食べものと腐った食べものが目の前にある場面を想像してみれば、すぐにわかります。

 人間だけが他の生きものたちと違うのは、〈〉に限度がないという点です。
 よく引き合いに出されるとおり、飢えたライオンはウサギを見逃しませんが、満腹の場合は知らん顔をします。
 しかし、人間だけは違います。
 それは、イメージを持ち、膨らませられることに関係があるのかも知れません。
 一つの生命体として限られた肉体しか持っていないのに、イメージでは世界の王にもなれるのです。

 そこに冒頭の〈〉が生じます。
 〈〉が自己増殖的に求められる「もっと、もっと」という煩悩(ボンノウ)は、見るものにも、聞くものにも、嗅ぐものにも、味わうものにも、触れるものにも、想起するものにも、執着心というフィルターをかけてしか対応させません。
 このフィルターこそが〈〉の正体です。
 濃い〈〉がかかった目に映る美しい桜の枝は折られ、可愛い女の子は連れ去られます。

 お大師様は、幕をかかげて隠されているものを見るように、フィルターを外してこの世を見れば、まったく違う光景が見えると説かれました。
 対象はすべて真実世界の光を放ち、自分の心にも光が溢れ、この世は宝ものに満ちた極楽になると説かれました。
 
 しかし、フィルターはなかなか外せません。
 過去に歩いた道は、実際にそうやっていのちをつないできたので、無意識のうちに、この先もこの道を歩めば「これからもこれで生きられる」という思いがあるからです。
 何かのおりに「これではまずい」と感じても、苦もあったけれど楽もあったし、「これでいいや」と思ってしまうのです。
 そこに落とし穴があります。
 8月25日、横浜国立大学名誉教授広瀬靖雄氏(70歳)は、妻の恵美子容疑者(61歳)に殴り殺されました。
 報道によれば、妻が夫の酒と女の問題に逆上して事件は起こりました。
 悲しいことに、お釈迦様が説かれた五蘊盛苦(ゴウンジョウク)と怨憎会苦(オンゾウエク)の典型的な表れです。
 夫は、70歳になっても枯れきっていない盛んな肉体を持っているがゆえに、ままならない状況に陥りました。
 妻は、怨み憎む相手から離れられないがゆえに、ままならない苦が生じ、それを整理しきれない状況に陥りました。
 私たちの「これでいいや」は地雷原を歩いているようなものであることを忘れないようにしつつ、被害者へも加害者へも合掌しましょう。

 さて、〈〉をかかげ、地雷原から脱し、光の世界に生きるには、当然、トレーニングが必要です。
 経典や真言を読誦することも、お盆やお彼岸の法会に参加することも、例祭にでかけることも、すべてトレーニングです。
 トレーニングというと、大変だと及び腰になるかも知れませんが、ウオーキングやリハビリや減量のための食事制限にかける熱心さがあれば、充分、心も変えられるのです。
 肉体を保つ方法はあらゆるメデイアを通じて岐(チマタ)に溢れ、心を掃除する方法は隅に追いやられているやに見受けられます。
 これで、私たち一人一人も、日本も大丈夫でしょうか?

 さっそく〈霧〉をかかげまようではありませんか。
 お大師様の御宝号(ゴホウゴウ)を念じて。
「南無大師遍照金剛(ナムダイシヘンジョウコンゴウ)」

 最後に『父母恩重経(ブモオンジュウキョウ)』の一部を意訳して記します。
 お釈迦様は、いかなる親孝行をしようと、仏法を伝えなければ真の親孝行にはならないと説かれました。
 その理由は、酒色に溺れるなどの煩悩がある限り、人いつ破滅的状況に陥っても不思議はないからです。
「よく聴いて欲しい。
 父母へ贅沢な暮らしをさせればそれで親孝行なのではない。
 もしも、仏法僧の三宝を信じてもらえなければ、まだ、親不孝というべきである。
 いかに、思いやりの心で施し、礼儀正しくふるまい、柔和な心で恥をしのび、積極的に徳を積み、心を平静に保ち、学問に励む人でも、一旦、酒に溺れれば、悪魔が忍び込み、放蕩、姦淫、忿怒、怠惰、乱心などに陥り、智慧ははたらかず、けだもののようになってしまう場合がある。
 皆さん、昔から、こうした成り行きによって、我が身を滅ぼし、家を滅ぼし、主君を危うくし、親を辱めてしまうのである。
(だから、煩悩を抑えて身を律することの大切さをくり返し伝えねば、本当の親孝行ではない)」




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2013
08.26

9月の守本尊様と真言

20130825001.jpg

 9月は、白露(リッシュウ)と秋分(ショショ)の長月(ナガツキ…9月7日より10月7日まで)です。
 9月は酉(トリ)の月なので、守本尊不動明王(フドウミョウオウ)様です。

 不動明王様は『種々界智力(シュジュカイチリキ)』という、人が居る世界を知る智慧の力を発揮してお救いくださるみ仏です。
 地獄界にいる人にとっては光明こそが救いであり、餓鬼界にいる人にとっては飲食できることが救いです。
 住む世界によって何が救いになるかは違います。
 戦乱の中にあれば平和、いじめられている人にとってはいじめの終熄が最も切実な望みです。
 大日如来様の使者である不動明王様は、一人一人の救いとなるものをよく見極め、力をお与えくださいます。
 また、不動明王様は、酉年生まれの善男善女を一生お守りくださる守本尊様でもあり、身体においては、主として胴体をお守りくださいます。
 ご供養し、ご守護いただき、文化の月を心豊かに、無事安全に過ごしましょう。

 また、不動明王様は、酉(トリ)年生まれの善男善女を一生お守りくださる守本尊様でもあり、身体においては、主として胴体をお守りくださいます。
 ご供養し、ご守護いただき、猛暑の一ヶ月を無事安全に過ごしましょう。

201209823.jpg

 写真は、永代供養を行ってご加護を受けるため、当山の講堂へ納められた不動明王様です。
 総丈は約35㎝あり、日本で唯一、護摩を焚いてできた灰が体内へ納められています。(奉納受付中)〉

 7月の守本尊様をご供養しお守りいただきたい時、願いを成就させたいと念じる時、辛い時、悲しい時、淋しい時、あるいは感謝したい時は、合掌して真言(真実世界の言葉)をお唱えしましょう。
 たとえ一日一回でも、信じて行なえば、ご本尊様へ必ず思いが届きます。
 回数は任意ですが、基本は1・3・7・21・108・1080回となっています。

「のうまく さんまんだ ばざらだん かん」

今月の真言をお聞きになるにはこちらをクリックしてください。音声が流れます


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「おん ばざら たらま きりく」※今日の守本尊千手観音様の真言です。
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2013
08.26

〈安心グループ〉での〈喜び体験〉があちこちに生まれますよう

20130826001 (22)2
〈桜井ひろ子著『花のかあさん 私のかあさん』よりお借りしたネパールの子供たち〉

 当山では、毎月、20名近くの方々が集まり、「こうしよう、ああしよう」と話し合います。
 自主的護持会である『ゆかりびとの会』の役員会です。
 縁もゆかりもない方々が、当山への関心と布施の心だけでわざわざ足を運び、法務の支えとなってくださいます。
 よく「同じ釜の飯を喰う」というとおり、同じ目的のために汗を流し、親戚以上の親近感や信頼感が生まれています。
 自分の田んぼへうまく水を引こうとする人はおらず、個人的思惑の入る余地はまったくありません。

 もともと、『ゆかりびとの会』そのものがオープンです。
 当山に墓地があるとか、あるいは檀家であるとかといった入会資格はありません。
 会員は等しく当山のサポーターであり、サポーターのイメージはこんな感じです。

サポーターには自主性があります。
サポーターになるのもならないのも自由です。
サポーターはサポートについて見返りを求めません。
④サポートされる側は来る人を拒まず、去る人を追いません。
⑤サポートされる側はサポートを強要しません。
⑥サポートされる側は感謝と恩返しの思いで、なすべきことに邁進します。
⑦サポートする側もされる側も、人生における〈感動〉という真実を求め、共に手を携えて進む先に「感動」は必ずあると信じています。

 おかげさまで会報『ゆかり人』が毎月、発行され、お盆供養会などの催しがスムーズに行われ、お花見や芋煮会などで懇親を深めておられます。
 年間3000円の会費を貯めた中から、毎年、御幕や手水場や『みやぎ四国八十八か所巡り道場』のお堂などを寄進されます。

 このように人と人とがまっさらな気持で工夫し合い、我欲のない世界で成果を喜び合うといった純粋な交わりは、人間関係の原点ではないでしょうか。
 ブログ「この世に彼岸を」に「誰とどう交わりつつ生きるかという〈人と人との生きた関係〉にこそ、人間としての成長も、生きがいも、安心もある」と書きました。
 当山の『ゆかりびとの会』には、まぎれもなく、生きた関係があります。
 こうした小さな〈安心グループ〉がたくさんある社会であれば、人間性の抑圧や疎外、あるいは大義のための暴走などが起こりにくくなるのではないでしょうか。
 喜び体験が、それを破壊しようとするものの持つ危険性を敏感に察知するからです。

 本来、まず、家庭や学校が〈安心グループ〉だったはずです。
 しかし、そこが多分に危うくなりかけ、充分な安心体験をしないまま社会へ出てしまう人が増えているのではないでしょうか。
 社会に出れば、〈安心グループ〉だったはずの職場には緊張感と不安の薄膜がかかっています。
 東日本大震災の被災地へあれほど膨大な数の人々がボランティアとして入った背景にはこうした状況があり、何かをつかみたいと願う思いが人々の背中を押したのかも知れません。

 あちこちに善意の、あるいは清浄な意欲のある〈安心グループ〉が生まれ、喜び体験の花咲く社会であって欲しいと願ってやみません。




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「おん ばざら たらま きりく」※今日の守本尊千手観音様の真言です。
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2013
08.25

この世に彼岸を ─問題は何か、どこを目ざすか─

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 9月はお彼岸を迎えますが、彼方にある岸とは、この世の苦を超えた安心の世界です。
 安心の薄くなった今の時代にあって、どなたも忙しく日常生活を送っておられることでしょうが、こうした時期には少々、立ち止まり、この世のと自分のありようをふり返ってみたいものです。

 お釈迦様は端的に説かれました。
「この世はお互いにままならない苦の世界であり、そうなっている原因は煩悩(ボンノウ)にある。
 病気を喜ぶ人はいないのと同じく、苦をもたらす煩悩は取り除かれるべきであり、その方法は明確である」

 私たちには、宿命としての四苦八苦(シクハック)があります。
 生まれる苦、老いる苦、病気になる苦、死ぬ苦、愛するものと別れる苦、憎いものと出会う苦、求め尽くせない苦、肉体や情報などを制御しきれない苦です。

 こうした〈ままならない苦〉の世界へ生まれたのは、過去の生き方に原因があったからであり、今の世で積んだ善業(ゼンゴウ)も悪業(アクゴウ)も決して消えることなく、次の生まれ方に深くかかわります。
 これが、因果応報(インガオウホウ)の原理です。
 だから、仏教は、「私がこう生まれたのは親のせいだ」とか「どうせ、死んだらそれまで」といった考え方とは無縁です。
 原因と結果のつながりには始まりもなく、終わりもありません。
 また、この世がままらなないのは、お互いが生きものとして、自分が生きることを最優先する〈生への渇き〉があるせいです。
 その顕れとして、もっともっと、と貪ったり、意志を邪魔するものへ怒ったり、身勝手で愚かしい考えを持ったりします。
 これが煩悩です。

 渇いた者同士がぶつかり合い、奪い合うことは誰にとっても嬉しくはなく、それは、病気になって嬉しい人がいないのと同じです。
 だから、お互いに安心を得るためには、渇きが克服されねばなりません。

 克服する方法として説かれたものをまとめたのが八つの正しい道である『八正道(ハッショウドウ)』や、六つの修行道である『六波羅蜜(ロッパラミツ)』などです。
 特に後者は、菩薩として生きるための方法として大乗仏教の根幹となっています。
 彼の岸へ渡る船には六本のオールがついており、それが、布施や持戒などの実践です。

 さて、今の世における苦の表れにはいかなる特徴があるでしょうか?
 一つには、人間の孤立化です。自由が最優先され、生活が便利になった結果、人は単独で生きられるという幻想が広がり、自分という城の城壁も門扉もどんどん頑丈になりつつあります。
 また、すべてを金銭に換算する資本主義が進み、人間同士の間でやりとりされるものが、どんどん商品化され、お金さえあれば何でも買える一方、システム化されずお金に換算されない人情や、ご近所さん同士の助け合いなどは消え去りつつあります。
 もう一つは、人間そのものの商品化であり道具化です。
 人間はどれだけの利を生み出すかという観点から価値判断をくだされて、交換可能な歯車となり、社会の中を浮遊するようになりました。
 労働は、生きつつ自分を成長させ、人間関係を深める全人格的ないとなみではなく、単に生きるための糧を得る手段となり、職場は生き生きした人間関係をもたらさず、人生をかけられる場ではなくなりました。
 また、あくなき資本主義は、子供までも〈欲望を引き出す対象〉としてお金を使わせようと躍起になっています。
 目や耳や鼻や舌や肌などの感覚をいかに刺激して欲望を起こさせるか、また、いかに感覚を慣れさせて依存させるかが競われ、人間はそうしてもよおさせられた過剰な欲をまかなうために、子供の頃から、より、お金を必要としています。

 こうした行きすぎた個人主義資本主義の克服こそが現代における苦の克服であろうと考えています。
 それには何よりも〈左右されず、流されない人間〉になることです。
 そして、誰とどう交わりつつ生きるかという〈人と人との生きた関係〉にこそ、人間としての成長も、生きがいも、安心もあることを忘れないようにしたいものです。
八正道(ハッショウドウ)』と『六波羅蜜(ロッパラミツ)』の教えは、必ずやそうした真の自己改革に大きな示唆を与えることでしょう。
 たとえば、「『四苦八苦』の一つである愛別離苦(アイベツリク…愛するものと別れる苦)に陥ったならば、『八正道』の一つである正命(ショウミョウ…規則正しい生活で正しいなりわいに生きること)を旨とせよ」という教えは、いかに人を立ち直らせ、救ってきたか、人生相談とご祈祷の現場にいる者にとっては、目の当たりにしてきた真実なのです。

 お彼岸には安心の世界へ渡る船についている6本のオールについて簡単な法話を行います。
 また、供養会に引き続いて「フォルクローレの会」を催す『法楽農園』においては、守本尊様へお詣りし、自他共に四苦八苦から救われるよう祈っていただきたいと願っています。
 一年にたった二回の大切な機会を生かし、御霊の供養と人生修行をされてはいかがでしょうか。




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2013
08.24

平成25年(2013年)9月の運勢─流れの生かし方─

20130824004.jpg
〈『法楽農園』の胎蔵界大日如来〉

 2013年9月(長月…9月7日から10月7日まで)の運勢運気のミニポイントです。
 改運し、開運し、快運となりますよう。

○魂で判断する第六感を生かせば、新しい世界が開けます

 今月は、理論だけでは解決をつけられないような場面がたくさん生じます。
 そこでは、すなおな心で第六感を重んじいものです。
 
 8月17日付の河北新報は、東北電力浪江・小高原発計画に関わった二人の市長の言葉を掲載しました。
 南相馬市の桜井勝延市長(57歳)は、東日本大震災の前日に行われた市議会で原発計画について問われ、「協定書に基づいた対応以外ないと考える」とそっけなく述べました。
 賛否両論があり、当時の原発着工予定は平成28年で、自分の任期外だったからです。
 しかし、震災に次いて原発事故が起こり原発の恐ろしさが骨の髄までしみました。
「爆発が起きても何の連絡もない。誰を頼ればいいかも分からない。それが原発事故だった」。
 市庁舎に50日間寝泊まりして対応し、「住民の安全を守るのが使命。脱原発を明確に示すことが被災自治体の務め」と考え浪江・小高原発関連の交付金を辞退し、原発を拒否する姿勢を鮮明にしました。

 一方、浪江町の馬場有市長(64歳)は、「原発は地域振興のために必要」と考え計画を推進してきました。
 福島第一原発の建設・稼働によって浪江町にも経済効果が及び、家業の酒屋でも「高級ワインが売れるようになっていた」からです。
 しかし、一号機の爆発が起こった2日後、三号機の爆発が起こった時に意識転換が起こりました。
 高線量地域だったことを知らされず、浪江町対馬地区に集団避難していた住民が、再避難を余儀なくされたからです。
「制御不能な原発はモンスターのようだった」。

 それがどう役立つか、それを使えばどう儲かるかという判断があまりにも先行すると、〈そのもの自体〉の姿は見えにくくなります。
「人間にとって原発は何なのか」という根本的な問題は、人智の限界を問題にすることでもあり、机上の計算だけで済ませられないはずです。

 直立歩行できるようになった人間は両手を用いて道具を操り、概念で思考するようになり、機械に計算を任せる過程で、第六感の力を弱めてきたように思えます。
 生活レベルは飛躍的に向上しましたが、一方で、危険性を孕んだ歴史でもありました。
 第六感が持つ最大の役割は、危険へ近づかせないところにあるからです。
 気配を感じとることによって、まだ視野に入らず、足音も聞こえていない敵から身を守る生きものたちを見れば、一目瞭然です。
 人間も同じ生きものであることに変わりはありません。

 私たちは、〈自由に欲望を満たすという方向で何でもやれる〉という思い込みにより、第六感のはたらきを弱め、すでに、〈見えぬモンスター〉たちの餌食となりかけているのではないでしょうか。
 暴発的な破壊力を持つ異常気象は世界中で常に生じ、今世紀半ばには海面が一メートル近く上昇するとされています。
 世界中で心を病む人々が増え、依存症の日本人は2000万人になりました。
 日本人の三人に一人は何らかのアレルギーを抱えており、食物アレルギーによる死者は後を絶ちません。
 今月は危機を認識し、〈そのもの自体〉を直感的にとらえる第六感の錆を落とす時期にしたいものです。




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2013
08.23

藤圭子の自死に哭く ─居直ってくれた同士の最期─

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 藤圭子が逝った。
 ──それも自死……。
 これまで、誰にも言ったことはないが、藤圭子はかつて、私の心中で共に居直ってくれる唯一の相手だった。
 一度も会うことのなかった同士へささやかな思いを述べ、手向けとしたい。

 夢破れ、東京を去らねばならず、〈自分への負い目〉から逃れられない私は、仙台で必死にはたらき、よく遊びもした。
 根底にはいつも、居直りがあった。
 心の根無し草になった者には、居直りが最も生きる力を与えてくれる場合がある。
 
 ただし、こうした居直りは、「居直り強盗」のそれとは違う。
 態度に表したなら負け犬となり、おしまいだ。
 愚連隊になるなどの粗暴に陥らず、斜に構えず、ニヒルを気どらず、ただ、人知れず居直り、表面的には淡々と社会的役割を果たすタイプの居直りがある。
 
 藤圭子は、見事に居直って見せてくれた。
 世間は「怨歌」や「援歌」や「演歌」などともてはやしたが、私の眼に映っていたのは、居直っているとは言わずに堂々と居直りの歌を唄う希有の歌手としての藤圭子だった。
 スポットライトを浴びると、大きな黒い瞳も、若く紅い唇も、艶やかな髪も輝いた。
 しかし、光は他の歌手たちとは無縁な次元から発し、まるで、うら若い女性の肉体をまとった幽鬼がまったく場違いなことろで妖しい道化を演じているようだった。

 私は、飲み屋で興に乗ると、ときおり、藤圭子の歌を唄った。
 昭和47年(1972年)にヒットした『京都から博多まで』は「今日も逢えずに泣く女」で終わる。
 こうしたモチーフの演歌は普通、逢えない哀しみや淋しさなどを表現している。
 事実、歌詞はそうであり、聴く人も唄う人も、哀しみや淋しさを演歌歌手と共有したことだろう。
 しかし、藤圭子が唄うこの歌は違った。
 人々はその特徴をよく「怨」の文字で説明したが、私にはピンとこなかった。
 理由は明白である。
 藤圭子は、「怨」を表現するにしてはあまりにも堂々としていた。
 心中にある最大のものが「怨」だったとは思えない。
 あったのは、居直りに違いない。
 
 藤圭子が生前、そのことを言ったかどうかは知らない。
 しかし、約40年前からしばらく、私が藤圭子と居直りを共有しつつ生きてきたのは、私にとっての真実である。
 特にどの歌に救われたという実感はないが、たまにラジオから流れたり、酒場で耳にしたりした歌は、いつしか私の居直りを強化してくれたという実感がある。
 出家した私からもう、居直りは去った。
 藤圭子の歌を唄うこともない。
 藤圭子も、いつまで居直りの歌を唄っていたのか、詳しいことは知らない。

 訃報は、私には〈かつての同士〉の死として、もたらされた。
 心から冥福を祈りたい。




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2013
08.23

パワーが落ちてきた時にセーブしない理由は?

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 ブログ「蝉のお伴であの世へ旅立たれた方」を読まれた方から、さっそく、ご質問がありました。

「パワーが落ちてきた時に、どうして力をセーブしてバランスをとろうとしないのですか?
 住職にはまだまだ、はたらいていただきたいと願っています。
 もし、ご葬儀の途中でダウンしたらどうするのですか?」

 お答えしました。

僧侶は、追いつめられた時に力を抜いて切り抜けようなどという甘えは許されません。
 確かに断崖絶壁の近くまで行っているのかも知れませんが、そこで落ちたなら、それまでです。
 行く先は死ぬか、引退するか、二つに一つしかなく、そこはご本尊様がお導きくださると信じています。
 ──この道へ手を引いてくださったように。

 また、体験上、手を抜けばその時に墜落するだけでなく、行者として根本的に堕落することを骨の髄までわかっています。
 ご本尊様がご加護の手を差し伸べ、やれる限りはやらせてくださることも、信念上、体験上、まったく疑いの余地がありません。
 だから、ギアをアップしようとしました。
 僧侶としての選択は一つしかありませんでした。
 実際にアップできたのは、ご本尊様が、『お前はまだ、やれ』とお命じくださったことに他なりません。

 貴方が、ご葬儀の途中で崖から落ちたらどうするのか、という疑問を持たれるのも当然です。
 それについては、信念上、そんなことはなかろうと考えています。
 また、もしも、引導を渡した瞬間に導師の私もあの世へ逝ったなら、たとえご葬儀がそこで打ち切られようと、引導(インドウ)が渡されている(ご本尊様のご加護により、この世とあの世の区切がつけられている)ので、修法上のさしたる問題はありません。
 この歳になれば、ご葬儀では、毎回、これが最後の機会かも知れないと覚悟を決めて導師の席へ座ります。
 自分では腹を切らず、いつ、介錯人の刃で首をはねられるかわからない状況で、何度も何度も切腹の場へ臨む白衣の武士のようなものです。
 だから、ご葬儀の相談へご来山される方へは、私に何かがあっても、当山の理念や信念を継承するしっかりした行者が控えているので、危機管理上、大丈夫であることをお伝えしています。
 もちろん、遠慮なく『ご住職に何かあったら、どうするんですか?』と質問される方もおられますし……。

 おわかりいただけたでしょうか?」




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「のうまく さんまんだ ばざらだん かん」※今日の守本尊不動明王様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
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2013
08.22

蝉のお伴であの世へ旅立たれた方

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 Aさんは、むやみと新しいものに飛びつかず、和裁をするミシンも足踏みスタイルだった。
 庭のヒバや松なども自分で気に入るように剪った。
 南側のガラス戸の内側には、本ものの障子戸がある。
 戸を開け放つと、石と樹木の向こうは住宅街の道路なのに、まったく気にならない。
 虫や鳥など、訪れる者たちと語り合いながらの独り暮らしが偲ばれる。

 夏から秋への切り替わりがとてもはっきりと体感できる時期に、お送りすることとなった。
 引導を渡す段階で異変が起きた。
 天地が湧きあがるたちの声に占領されたのである。
 引導を渡した。
 やがて、たちの声は嘘のように細くなる。
 Aさんを迎えにやってきて、連れ去ったのではないか。
 たちが、7日間しかないいのちの残りすべてをAさんと共にしたのではないか。

 余韻がさざ波のように続き、導師も連れ去られるような錯覚に陥る。
 読経の声を強くした。
 一週間に4人様をお送りするという状況で、もはや、余力はいくばくも残っていない。
 しかし、ご本尊様のご加護で、ギアはアップできた。
 どうにかギアを保ったまま、無事、百か日までの繰り上げ法要も終えた。
 ピンチになるとボールに一層力が乗り移ると言われる田中将大投手を思い出し、心で苦笑した。

 今どき、自宅でお送りする方はとても少ない。
 駐車場も含めた住宅事情や、日常生活の忙しさがなかなか自宅葬を許さない。
 しかし、庭に居るものや来るものたちと過ごした方を、そうしたものたちと一緒に送ることができて、これでよかったと、つくづく思う。(酷暑をものともせず奮闘され、がっちり体重を減らしたはずの葬祭業者さんへ同情と感謝を捧げつつ)
 逝く方は、縁のあった人々だけでなく、暮らしをとりまく生きものたちへも別れを告げるのであると、今さらながらに気づかされた。
 送る私たちには、そうした心を体する心がけとふるまいが求められる。
 自分が送られる年令になってやっと気づいた愚かさに、また、心で苦笑した。




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「のうまく さんまんだ ぼだなん あびらうんけん」※今日の守本尊大日如来様の真言です。
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2013
08.21

Q&A(その9)なぜ、四十九日まで仏壇を閉じるのですか?

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〈上の段が須弥壇(シュミダン)です〉

 時折、こうしたご質問があります。
四十九日まで仏壇を閉めるのはどうもよくわかりません。
 母親が亡くなったからといって、毎日手を合わせていた父親の位牌を隠すのは腑に落ちません」

 お答えしました。
「よくあるご質問です。
 慣習や俗信となっているものを、いざ、自分の頭で考えてみると、あなたのように違和感を覚える場合が多々、あるものです。
 この問題の場合は、ご葬儀の騒動をご先祖様へ及ぼさないといった理由があるとされていますが、ことの本質を考えれば、私も訝(イブカ)しく思っています。

 そもそも、仏壇は、ご本尊様をお祀りする仏堂です。
 だから、伝統的な作りの仏壇には、必ず、ご本尊様をお祀りする須弥壇(シュミダン)があります。
 当山に須弥壇(シュミダン)があるのとまったく同じです。
 そして、ご本尊様にお守りいただくご先祖様などのお位牌もあります。
 もちろん、お位牌がまだ、置かれていない場合もあります。
 さて、仏堂におられるご本尊様はいかなる方でしょうか?
 大日如来であれ、釈迦如来であれ、不動明王であれ、観音菩薩であれ、阿弥陀如来であれ、いずれもが365日、一刻の休みもなく、仏壇内のお位牌を拠りどころとする御霊はもちろん、手を合わせるこの世の人々も、すべて分け隔てなくお守りくださっています。
 手を合わせる私たちは、いつ死んでもおかしくない(クウ)なる存在として、供養のお線香を点しては精進を誓い、お水をお供えしては布施を誓い、お花を飾っては忍耐を誓いつつ、日々、人生修行をしています。
 本尊様のおはたらきにも、私たちの修行にも、休みはありません。

 こうした本質的なありようからすれば、ご葬儀のあれこれが終わって御霊が中陰(チュウイン)という時期を脱するまで仏壇を閉じることは、意味がありません。
 それどころか、家族が亡くなったという重大な時期に、ご本尊様へ救済を願わないなど、ご本尊様を信じていないと言わんばかりではありませんか。
 日々、ご本尊様へ祈っている身としては、自分の死によってご本尊様が覆い隠されるのは想像したくもない場面です。

 あなたの場合は、どうぞ、いつもどおり、先に逝かれたお父様へのご加護と、万霊へのご加護と、手を合わせるご家族皆様へのご加護と、生きとし生けるものへのご加護を祈ってください。
 さらに、お母様をも安楽な世界へお導きくださるように祈ってください。
 そして、お父様のお位牌へ向かっては、『おふくろもそっちへ逝くから、しっかり導いて、また、一緒になってください』と祈ってください。
 これが、み仏を信じ、み仏と御霊へ祈る者のあるべき姿であると考えます。

 この先は、あなたご自身がよく考え、自分で判断してください。
 もしも、慣習や俗信を選んだ方が安心であるなら、そうされても結構、私の提案に納得されれば、そうされても結構。
 当山は常にものごとを本質から考えて判断し、ご質問にお答えしていますが、決して強要はせず、他の判断法を頭から否定するつもりもありません。
 何よりも大切なのは本心からの納得であり、宗教が真に生きるかどうかは、〈その先〉にかかっているからです





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2013
08.20

哀しみを超える道 ─〈個〉の不安からお釈迦様の『四摂法』・クストーの多様性・ユングのマンダラへ─

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 私たちが、ふと、わけもなく哀しみを覚える理由について、「白鳥光代氏の歌に想う哀しみの共有 ─蝉・点滴・雨─」では、人が共に暮らしてゆくよき作法から離れたことにあるのではないかと書きました。
 そもそも、〈個〉として生まれたところにこそ、哀しみの淵源があるのに、「より〈個〉でありたい」「より〈個〉の持ちものを増やしたい」という方向へあまりに突き進んだ結果として、現代人の哀しみや苦しみがあるのではないかと思うのです。

 もう一つの理由は、私たちの五感(ゴカン…視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚)にあります。
 目で見て、耳で聴いて、鼻で嗅いで、舌で味わって、肌で触れて〈在る〉と感じる外界は、すべてが滅してゆきます。
 今日、触れた温かい肌が、明日はつめたくなり、明後日になれば灰になっているかも知れません。
 外界はすべて〈危うい〉のです。

 では、心はどうか?
 愛する相手のちょっとした表情や言葉に心変わりの兆しを見つけたら最後、それが解けるまで気になったりします。
 疑惑が生じると、肌を触れあっても、それまでのような深い安心感が得られなくなったりもします。
 見えぬ心は、外界より、〈危うい〉のです。

 では、自分はどうか?
 自分が居ることだけは確かな気がします。
 では、もしも、事故や病気で手が使えなくなったらどうか?
 あるいは運転できなくなったらどうか?
 あるいは食べられなくなったらどうか?
 そうなっても、今までの自分と同じ気持で生きられるか?
 私たちは誰でも、一瞬後にそうなって何の不思議もない存在なのです。
 しかも、自分で自分の心を律することは非情に困難です。
 誰かを憎み、憎む自分が嫌でも、ふとした拍子に相手を思い出し、呪詛の言葉を心でくり返したりします。
 愛するにふさわしくない相手を愛してしまえば、苦しみが増すだけなのに、苦しみが祝福されない愛をいっそう深めたりする成り行きは、昔から世界中で文学作品の題材になってきました。
 お釈迦様が一生かかって説き続けられたのは「自分を律せよ」であり、それから2500年経った今も、人はそれほど変わったようには思えません。
 このように、自分もまた、〈危うい〉のです。

 五感を道具として生きる私たちの深い意識がこの真実を捉えているので、わけもなく哀しみを覚え、不安が兆すのではないでしょうか?

 お釈迦様は、真実から逃れるのではなく、真実をきちんと観て、この世は「そうなんだ」とわかってしまい、お互いが「そうなんだ」と心から思えれば、哀しみや不安はもちろん、ままならぬという苦自体が消滅し、不動の安心感や深い喜びを感じながら生きられると説かれました。
 仏教の歴史は、こうしたお釈迦様の悟りの追体験と、悟るための方法の習熟に費やされてきました。
 その結果、今たどりついた地点にあるのが「空(クウ)」と「マンダラ」の考え方です。
 人間を含めたあらゆる現象は、因と縁によって生じ、滅してゆく、不動の実体がないものであると観るのが空(クウ)の思想です。
 そして、現象世界に生ずるものは多様であり、多様であることをそのまま認め、尊重するのがマンダラの思想です。

 マンダラの思想は、インドで花開いて中国へ伝わり、お大師様が日本でまとめられた仏教の精華です。
 フランスの海洋学者ジャック・イブ・クストーは、「まだ生まれていない子孫(un-born)とも一緒に暮らしている」という考え方を勧め、平成7年(1997年)、ついに、ユネスコで「『未来世代の権利』宣言」として採択されました。
 その年に逝去したジャック・イブ・クストーは、2年前の平成5年(1995年)、青山の国連大学で開催された「科学と文化の対話・東京シンポジウム」において印象深い講演を行いました。

「種(species)の数が多いところではエコシステム(生態系)は強い。
 しかし南極のように種の数が少ない所ではエコシステムは弱い(fragile)。
 そのことはそのまま文化に当てはまる。」


 多様なものが多様なままで輝いている世界がマンダラです。
 種の多様性を重要視する思想は、平成13年(2001年)、やはりユネスコで「文化の多様性条約」となって結実しました。
 採択にあたり、強硬に反対したのがアメリカとイスラエルだったことは忘れられません。
 スイスの精神科医・心理学者であるカール・グスタフ・ユングもまた、臨床の現場で患者が描く絵を眺め、晩年、マンダラの思想に気づきました。

 当山は、私たちが抱えている普遍的な哀しみにすなおになり、互いが根源的哀しみを抱えている存在同士であるであると認め、そこから感謝や連帯へと進んで行くためには、3つの方法があると考えています。

・お釈迦様が説かれた『四摂法(シショウボウ)』を忘れないこと

1 布施(フセ)…………施し合い、分かち合うこと
2 愛語(アイゴ)………思いやりのある言葉をかけ合うこと
3 利行(リギョウ)……他人や社会の利となる行為を行うこと
4 同事(ドウジ)………人は皆、同じ仲間であるとして平等に接すること

・『般若心経』などに、空(クウ)をきちんと学ぶこと

・この世はマンダラであると観て、多様性を認め、互いを尊重し、平等の心で絆を深めてゆくこと
 当山の『法楽農園』は、マンダラ世界を感じていただける場所として整備されつつあります。




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2013
08.20

第四十四回寺子屋『法楽館』─映画『洟をたらした神』に観る大地と生きる人間像─

2013081900001

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与勇気:『昭和・メモリアル』より〉

 9月の寺子屋法楽館』では、吉野せい原作の映画『洟をたらした神』を観賞して語り合いましよう。

 福島県小名浜で生まれた吉野せいは、いわき市で開墾している詩人の三野混沌(本名:吉野義也)に嫁ぎます。
 窮乏生活を送る夫婦の合い言葉です。

「天日(テンジツ)燦(サン)として焼くが如し、出(イ)でて働かざるべからず」


(陽光は厳しく、しかし、いのちを育くむ強い力で照りつけている。さあ、野へ出て、はたらこうではないか)
 吉野せいは75才になってから『洟をたらした神』を出版し、絶賛されました。
 小名浜の女性といわきの男性が、自然を相手に生き抜く姿を描いた作品は、私たちに人間の尊厳をつかみだして示し、勇気を与えます。
 人は、頭(コウベ)を立て、眦(マナジリ)を上げ、大地に足を踏みしめていれば、真の人間たり得るのではないでしょうか。
 
 今、福島県は地震と津波に加えて原発事故に見舞われ、自然と共生していた人間の生活が危機に瀕しています。
 私たちは、耕作し、食い、育て、命をつなぐ存在として、どこから生を営み始めたのか?
 失われたものは何か? 
 自然と人間の真実に触れる名作に学びましょう。

・資料 ビデオ『洟をたらした神』昭和53年近代映画協会製作(DVDはありません)
・日時 9月14日(土)午後1時30分より3時30分まで
・会場 大師山法楽寺講堂
・ご志納金 1000円 中学生以下500円
・送迎 『イズミティ21』前からの送迎車へ乗られる方は前日17時までにお申し込みください。




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2013
08.19

白鳥光代氏の歌に想う哀しみの共有 ─蝉・点滴・雨─

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 4時過ぎてもまだ暗く、日は短くなりました。
 気温は24度、の声はか細く、草むらで鳴く虫たちの声に負けつつあります。
 日中の猛暑がまた、たちを励まし復活させるのでしょうか。

「暗ぐらと山の裾野に広がれる樹海の底よりの鳴き出づ」(白鳥光代


 樹海の暗がりにむらむらと湧き出したたちは、盛大にいっときのお祭を行い、地に斃れます。
 7年間も守られた静寂な地中から起き出した彼らの祝祭は一週間。
 彼らが生じ、滅するのは、永遠の仏界からこの世に現れた私たちが、数十年の饗宴と修行を終えて故郷へ還ってゆくのと同じです。 

点滴はひたりひたりと落ちながらわれの抱きゐる海を満たしぬ」(白鳥光代


 太古の昔、地上に生じた一滴の水を共有し、私たちは生きています。
 一人一人が異なった顔で、異なった身体に拠っていますが、水は共有されています。
 ならば、魂もどこかでつながっていて何の不思議もないはずです。
 死んだ肉体が骨となり分解され、限りなく分子の姿へ近づくように、死ねば魂もまた、広大なみ仏の世界へ溶解してゆきます。
 そして、因縁の風によって起こる波紋が生む波頭として〈個〉が生じるのではないでしょうか。

「訳もなく哀しみ覚え夜半に聞くいにしへ人の涙かは」


 私たちは〈個〉であるがゆえに哀しく、哀しみこそが人間の元感情であり、哀しみへの共感こそが〈個〉を超えさせ、苦を抜く道ではないかと考えています。
 私たちは、謳歌の状態を幸福と感じますが、何を謳歌しようと、所詮は線香花火に過ぎません。

 大企業がより儲かり、富裕層がより富裕になれば、国民全体がより豊かになるという理論によって日本やアメリカや中国の政治経済は動かされていますが、それが成り立つためには、決して欠かせない前提条件があります。
 富裕になった人が「おかげさま」や「おたがいさま」の心を忘れず、儲けさせてくれた社会へ富を還元することです。
 少なくとも半世紀前の日本では、この条件がかなり満たされていたので、富裕層は今ほど堕落せず、格差も今ほど酷くはありませんでした。
 自分の利益しか考えずに貪る人へ、庶民は眼を光らせていたのです。
「あいつは所詮、我利我利亡者(ガリガリモウジャ)だ」
 企業も人も、我利我利亡者であるとされることは、耐えきれないほどの恥でした。
 現実はどうでしょうか?
 富を得た企業も人も、無税の空間を求め、富を抱えて地球上をウロウロし始めました。
「自分が得た富を少しも手放さず、増やした富は自分だけが抱えておきたい」
 集められた富がこのような我欲によって世間から隔離されれば、どうして一般大衆が豊かになれましょうか。
 格差が拡大するのはあまりに当然な社会構造であり、ルールなきグローバル社会は人倫を破壊し続けています。
 私たちが我欲にまみれている限り、社会は、より、酷薄になるしかありません。

 今の人も、「いにしへ人」も、等しく哀しみを抱えており、私たちが音を懐かしく感じるのは、故郷を知っているからではないでしょうか?
 お釈迦様は、人が共に安寧に暮らしてゆくための方法として『四摂法(シショウボウ)』を説かれました。

1 布施(フセ)…………施し合い、分かち合うこと
2 愛語(アイゴ)………思いやりのある言葉をかけ合うこと
3 利行(リギョウ)……他人や社会の利となる行為を行うこと
4 同事(ドウジ)………人は皆、同じ仲間であるとして平等に接すること

 私たちはこうしたみ仏の世界からこの世へやってきた旅人です。
 四摂法からあまりに堂々と遠ざかりつつあるこの世で暮らしていれば、故郷が懐かしくなり、哀しみを覚えるのは当然です。
 互いに〈個〉であることを認め合い、〈個〉であるが故の哀しみを共有し合い、いつの日か、共に脱してゆきたいものです。




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2013
08.18

あなたはすなおに謝れる人ですか?

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 なかなか思ったような仕事にありつけないAさんの人生相談を受け、お話ししました。

「すなおに自分の行為や能力の非を認め、心から謝ることにはいくつもの良い結果が伴うものです。

 一つには、すなおな人間であると認められることです。
 すなおでなければ、新しい状況や人間関係や仕事になじみにくく、本人が自分を変え、向上させられないだけでなく、指導する側は手こずってしまいます。

 一つには、責任感のある人間であると認められることです。
 自分のやったことから逃げず、心理的にはもちろん、さまざまな負担をものともせず、進んで自分から始末をつけようとする姿勢には責任感が溢れています。
  
 一つには、同じ過ちをくり返さない人間であると期待されることです。
 上司が困り、解雇に結びつきやすいのは、部下のくり返される過ちです。
 
 一つには、向上する余地があると期待されることです。
 謝ることは大きな区切をつけ、次のステップへ進めることを意味します。

 一つには、上司や仲間などが過ちを共有しやすいことです。
 謝った瞬間、まっとうな上司や仲間ならば、「よし、じゃあ、今後はこうしようか」という雰囲気になり、過ちは共有され、相手の手で知らぬ間に次のステップへ引き上げられたりもします。

 余談ですが,私は師から山ほどの宝ものをいただいて、こんにちに至っていますが、その中の一つが師への謝罪です。
 自分は未だにこんなレベルでしかない、という申しわけない気持が、向上心の一つの支えとなっています。
 自分は師からいただいたものに対して、いくばくのお返しもできていない、という申しわけない気持が、謙虚さから離れさせません。

 余談ですが、知人Bさんは、さしたる学歴や経歴や資格もないのに、枢要な仕事を任せられ、あちこちから引っ張りだこです。
 Bさんの特徴の一つは、自分の能力のなさをいち早く謝ることです。
 上司や仲間ができかねていることまで、「(自分がこれしかできないばっかりに)すみません」と自分から自分の責任にしてしまうほど徹底しています。
 そして、決して同じ過ちをくり返しません。
 だから、〈任せられる人〉であると認められ、より責任の重い、より大きな仕事を与えられつつあります。

 最近、〈グローバルな人間〉についての期待があちこちで喧伝されていますが、ここはあくまでも日本です。
 たとえば、アメリカのような訴訟社会では、交通事故を起こしても簡単に謝ってはいけないとされています。
 非を認めたら最後、相手からどんどん請求され、窮地に陥りかねないからです。
 たとえば、イラクへ派兵された若い自衛隊員は、道端でうずくまっている女性やお年寄りをも無視して突っ走れと訓練させられました。
 具合が悪いなどの困りごとがあるのではないかと、なまじな情けをかけたならテロリストのワナに落ちるかも知れないからです。
 謝らない人間になることや、眼をつぶる人間になることは、平時の日本では不要です。

 ともすると、〈グローバルな人間〉は、血の通った家族や友人や知人や地域や、日本人の持つ麗しい心情などから切り離された、性能だけを期待される交換可能な機械的存在となりかねません。
 風潮に惑わされて右往左往せず、美しい心をつくり、その心に感応する人間関係の中でしっかり生きてゆきたいものですね」

 こんなお話を申しあげたところ、Aさんは熱心にメモをとっておられました。
 ご本尊様の前へでかけられたAさんは、きっとよいご縁をつかまれることでしょう。




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2013
08.17

みやぎ四国八十八か所巡り道場で第一回目の合同巡拝を行いました

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 8月15日午後3時より、『みやぎ四国八十八か所巡り道場』の合同巡拝作法どおりに行いました。
 守本尊のお地蔵様へ祈り、できあがった7カ寺分のお堂を巡り、東日本大震災で亡くなった方々や、戦争で犠牲となった方々、そして万霊のご供養を行いました。
 善男善女のお志により、道場は一歩づつ進んでいます。
 木立を通ってくる風。
 あちこちにいるカブトムシやクワガタ。
 道場は救済の場でもあります。
 皆さん、ぜひ、ご協力をお願いします。




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2013
08.17

守本尊様の剣

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 8月15日、お盆供養会に引き続き、恒例となっている隠形流(オンギョウリュウ)居合奉納剣を行いました。
 今年は仙台市にある骨董店『春昼堂』の主人後藤さんと二人きりでしたが、猛暑の中、守本尊様の剣すべてを修し、ご縁の方々の無事安全を祈りました。
「南無守本尊大法護如来」
南無大師遍照金剛




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2013
08.16

与謝野晶子『君死にたまふことなかれ』の意訳と無人兵器のことなど

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 8月15日、午前10時より、お盆供養会を行いました。
 講堂いっぱいに参加された善男善女は、お焼香に続いて護摩の炎に手を合わせ、ご本尊様のおわす場へお出でくださったご先祖様や懐かしい方々を供養されました。
 炎には本尊不動明王が顕現されるだけでなく、あの世の方々も、その光を道標として降りてこられるからです。
 もちろん、炎はあらゆる罪障を清めてもくださいます。
 人間の歴史と共にあった火は、イメージの天才たちによってそのはたらきが異界にまで通じていることが感得され、異界との架け橋として動かす精緻な修法も編み出されました。

 昨年までは約2時間かかっていた修法を、今年は1時間にまとめ、参加される方々の身体的ご負担を軽減しました。
 法話も要点だけをお話しし、あとはお渡しした資料をお読みいただくことにしました。
 それでも、明治末期に書かれた『君死にたまふことなかれ』は、とても読みづらかったものと思われます。
 今年は若い方々がたくさん足を運ばれ、眼をキラキラさせながら聴き入ってくれました。
 ここに、『君死にたまふことなかれ』を意訳しておきますので、戦争について考える一つのきっかけにしていただけたなら幸甚です。

「ああ、戦地にいる弟よ、あなたを思って私は泣いている
 あなたよ、決して死なないで欲しい
 末っ子として生まれたあなただから
 親は他の兄弟以上に可愛がりこそすれ
 人を殺せと教えたりはしなかったはずだ
 戦場で人を殺し自分も死ねよと教えながら
 24才まで育てたはずはない

 堺の街の商人として
 歴史ある旧家の主人として
 親の名前を継ぐあなたなのだから
 あなたよ、決して死なないで欲しい
 たとえ旅順の城は陥落しても
 陥落しなくとも、一商人として、いったい何ごとであろうか
 あなたは知らないのだろうか、商人の
 家の掟には、人を殺し自分も死ねなどという項目はない

 あなたよ、決して死なないで欲しい
 天皇陛下は、戦場に
 自らは赴かれず
 敵味方互いに血を流し合いながら
 殺し合う獣の世界で死ねよとは
 そのお心の深さからして
 そもそも、願っておられるはずはないのだ

 ああ、弟よ、戦争で
 あなたよ、決して死なないで欲しい
 過ぎた月日の中で、お父様に
 先立たれたお母様は
 嘆きのまっただ中にありながら、痛ましくも
 家督である我が子を戦争へ召集され、家を守り
 安泰とうたわれる天皇陛下がお治めになる時代なのに
 お母様の白髪は増えるばかりである

 暖簾の陰に突っ伏して人知れず泣いている
 か弱く若い新妻を
 あなたは忘れているのか、それとも想っているのか
 10カ月にも満たない新婚生活から離れ離れとなった
 若い女性の気持を思いやって欲しい
 この世を一人で生きているあなたではない
 ああ、新妻も、お母様も、一体、誰を支えとしたらよいのか
 あなたよ、決して死なないで欲しい」

 前回、書いたとおり、この一文は烈しい攻撃を受けました。
 特に、
「すめらみことは、戰ひに おほみづからは出でまさね~」
の一節は誤解を招きましたが、全文を読めば、「あの天皇陛下が、自分だけを可愛がり、国民が畜生界で死んでゆくことを願っておられるはずはない」のだから、何としても生き延びよと呼びかけていることが理解できるはずです。
 実際、他の作品を読んでみると、与謝野晶子が天皇制打倒というイデオロギーとは無縁だったことは明らかです。

 問題は、戦争という国難にあって、自分の家族だけを考える姿勢がどうなのかということなのでしょうが、そこが肝心なところです。
 これも前回、書いたとおり、与謝野晶子は、「歌はまことの心をまことの声に出してつくるもの」と立場を崩しません。
 大震災の後、過労をおして津波や原発事故で被災した現場へ向かう方々のご家族から、無事を願うご祈祷や遠隔加持のご希望が相次ぎました。
 人間として、あるいは立場のある者として、あるいはプロとして、〈後へは退けぬ〉人々の背に「無事であって欲しい」との切実な思いを投げかけるのは、私たちが人間である証拠です。
 そこにあるのは、いつの時代も変わらぬ「まことの心」です。
 人智を尽くしたいかなる営みも、この心なくしては、人間としての真の営みであることはできません。

 最近、無人兵器が流行りつつあるとの報道がありました。
 遠隔操作できるさまざまなロボット兵器を適地へ送り込めば、攻撃する側は人的被害を考慮する必要がないので、博覧会などは押すな押すなの大盛況になっているそうです。
 これは、攻撃、すなわち相手を殺す行動に出る際、重大な歯止めが効かなくなることを意味しています。
「君死にたまふことなかれ」
 こうしたまことの心がはたらかなければ、どうして、攻撃される側の人間にあるまことの心を忖度できましょうか?

 モノに頼る文明は恐ろしいところまで来ています。
 ネットを眺めてみると、少年たちは、ゲーム感覚で無人兵器への関心を強めています。
 今から10年前、イラク戦争が始まった時、アメリカのミサイルがピンポイントでイラク陣を破壊する様子は、ほとんどリアルタイムで世界中のテレビに流れました。
 あの映像を眺めた時、この世から色も音も失われたような錯覚に陥りました。

 この先、私たちの世界はどうなるのでしょう?
 もしかして、子供たちが次々とアトピーなどに苦しみ、さまざまな心の病気にも苦しむようになったのは、大人たちが、より効率的に人殺しができる兵器を開発し続けていることへの報い、あるいは警鐘ではないでしょうか?
 与謝野晶子の『君死にたまふことなかれ』は、人倫崩壊への小さな歯止めであり続けられるのでしょうか。




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2013
08.15

君死にたまふことなかれ

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 明治37年(1904年)、日露戦争の勃発にあたり、76才のトルストイは反戦の論陣を張った。
 歌人与謝野晶子は同年9月、出征した弟へ、『君死にたまふことなかれ』をもって「死んではならない」と呼びかけ、戦争反対を叫んだ。
 忘れてはならない絶唱である。
 

君死にたまふことなかれ

あゝをとうとよ、君を泣く、
君死にたまふことなかれ
末に生れし君なれば
親のなさけはまさりしも、
親は刃(やいば)をにぎらせて
人を殺せとをしへしや、
人を殺して死ねよとて
二十四までをそだてしや。

堺(さかひ)の街のあきびとの
舊家(きうか)をほこるあるじにて
親の名を繼ぐ君なれば、
君死にたまふことなかれ
旅順の城はほろぶとも、
ほろびずとても、何事ぞ、
君は知らじな、あきびとの
家のおきてに無かりけり。

君死にたまふことなかれ
すめらみことは、戰ひに
おほみづからは出でまさね、
かたみに人の血を流し、
獸(けもの)の道に死ねよとは、
死ぬるを人のほまれとは、
大みこゝろの深ければ
もとよりいかで思(おぼ)されむ。

あゝをとうとよ、戰ひに
君死にたまふことなかれ
すぎにし秋を父ぎみに
おくれたまへる母ぎみは、
なげきの中に、いたましく
わが子を召され、家を守(も)り、
安(やす)しと聞ける大御代も
母のしら髮はまさりぬる。

暖簾(のれん)のかげに伏して泣く
あえかにわかき新妻(にひづま)を、
君わするるや、思へるや、
十月(とつき)も添はでわかれたる
少女ごころを思ひみよ、
この世ひとりの君ならで
あゝまた誰をたのむべき、
君死にたまふことなかれ。


 与謝野晶子は、猛烈な攻撃を受けた。
 しかし、『ひらきぶみ』を発表し、「歌はまことの心をまことの声に出してつくるもの」と主張した。
 まことの心、まことの声が圧殺される時、人間の世界は人間の世界でなくなる。
 真の思い、真の魂の叫びに接して、自分をふり返り、社会をふり返りたい。




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2013
08.14

我が家の犬はいづこにゆきぬらむ今宵も思ひいでて眠れる ─写生とお盆─

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 教師にして歌人の島木赤彦が死の10日前、斎藤茂吉へ書き取らせた最期の吟である。

「我が家の犬はいづこにゆきぬらむ今宵も思ひいでて眠れる」


 飼い主の異変を察知したのだろうか、愛犬はしばらく姿を見せない。
 愛猫をそばにして詠んだのだという。

 同時期、赤彦はこうした一首も遺している。

「たまさかに吾を離れて妻子らは茶をのみ合へよ心休めに」


 妻も子も、ずっと私を看病し続けで大変だろうから、たまには病床から離れてゆっくり茶飲みでもしたらどうかといっている。
 死を目前にしての、このゆとりにはただただ、脱帽するしかない。

 小学校の教師としての赤彦は「生徒経歴簿」を作った。
 ウィキペディアは記している。
「個性的な教育を進めるために、家庭状況、体格、学力、性格などを細かく記録した」
 生徒の一人一人をよく知らなければ、一人一人にとってもっともふさわしい指導はできないという信念だったのだろう。
 短歌雑誌『アララギ』の発行に携わりつつ、「写生短歌」という歌風をつくった赤彦の原点を思わせる。

「ひとつ蝉鳴きやみて遠き蝉聞ゆ山門そとの赤松はやし」


 近くにいる蝉が一匹、鳴きやんだ時、山門の外にある赤松の林の方から蝉の声が届いてきた。
 一匹、鳴きやんで、新たに、他の一匹が鳴き始めたのではない。
 近くの声が大きく聞こえるために今までは聞こえていなかった遠くの鳴き声が耳に入ってきたのである。
 この遠近感はどうだろう。

「山深くわけ入るままに谷川の水きはまりて家一つあり」


 渓流のそばを上流へ向かって歩いて行くと、だんだん水流が細くなったあたりで、不意に、一軒家が視界に現れた。
 ここには活きた時間があり、活きた空間があるだけでなく、深山に暮らす人の生活ぶりへの関心までも含んでいる。 

「わか庭の柿の葉硬くなりにけり土用の風の吹く音聞けは」


 桜の時期が去り若葉が勢いづいてきたと思う間もなく、土用ともなれば、もう、柿の葉は硬くなり、天ぷらは愉しめない。
 土用は新たな季節が始まる立夏などの前、18日間のことである。
 万物が一旦、土に還ってまた、新たな存在としてこの世へ姿を表すように、新たな季節が始まるためには、古い季節の要素が崩壊せねばならない。
 土に化す作用が必要なのである。
 
 お盆へ入る13日の朝一番、仙台市いずみ墓園へご供養にでかけた。
 墓前には、花やお菓子に加えて軍服姿の遺影とウィスキーも飾られ、ご一家が勢揃いされた。
 遠くからも足元からも、虫たちの声が、あるいは遠い距離を貫くほど勁(ツヨ)く、あるいは消えそうにか細く続いて途切れない。
 他に読経の声は聞こえず、墓園全体へ結界を張り、あらゆる御霊方へのご供養も併せて行った。
 肉体が土に還った先亡の御霊が天から還ってこられるという私たちの感覚は、淵源を辿りきれないほど深いものだろうと思われる。
 その感覚へすなおに心をゆだねるお盆は、私たちが心の源泉を美しく掃除する時期なのではなかろうか。
 
 消えた愛犬を想いつつ眠りへ就こうとする歌人の真っ白な心は、清浄な泉そのものに思える。




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2013
08.13

【現代の偉人伝】第177話 ─津波が来る時、車から降りて救助活動を行った瀬尾佳苗さん─

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〈『法楽農園』に祀られ始めた守本尊様〉

 8月11日、産経新聞は『車椅子の女性助け 津波に流された一人娘』について報じた。
 東日本大震災により、岩手県大船渡市越喜来(オキライ)で独り暮らしをしつつ北里大学へ通っていた瀬尾佳苗さん(当時20才)が住んでいたアパートも流された。
 佳苗さんはいまだに行方不明のままであり、発見されたのは愛車とスノーボードと財布、それに名刺大のピアスの入れ物だけである。

 埼玉県で育った佳苗さんは、高校3年生の時に北里大学を見学し、2~4年に越喜来のキャンパスで学ぶ海洋生命科学部の存在を知り、自ら進路を定めた。
 水族館の学芸員を目ざしていて津波に遭った。

 平成23年8月、父親真治さんの携帯電話へ越喜来の知人男性から一通のメールが届いた。
 以下、全文である。

「今朝の事ですが、車椅子の老婆と中年のおばあさんが私を訪ねてきました!!
 話を聞けばあの大津波の時に北里大学の女の子に助けてもらったそうです!!
 これから話すのはその女の子の最後の姿の話です!!
 その老婆が避難する際に車椅子を利用して避難していた!
 ところが誰も車椅子を押してくれず、他の人達は我や先と逃げて行く中にあって、その女の子は車から降りて来て車椅子を押してくれたそうです!!
 車椅子の老婆はギリギリ助かりましたが、その女の子は何かのはずみで転び津波に飲み込まれたという話でした!!
 押してもらいながらの二言目位の会話で北里大学の生徒だと知ったそうです!!
 老婆は泣きながら話してくれました!!
 今でもその女の子の菩提供養の経を唱えているそうです!! 
 優しい子だったんだね!!
 私も同じ行動を起こしたか?
 危険を顧みぬ勇気、人を思いやる心、これからの私の手本です!!」


 メールが伝えてくれた娘の最期の様子に、両親は思う。

「困った人を見て見ぬふりできない子だった。
 わが子ながら立派だった」


 両親は、我が子を探す中で、手伝ってくれる被災者の方々と知り合い、願いが芽生える。

「いつまでも娘が愛した越喜来とつながっていたい」


 そして、埼玉県志木市で、知人と居酒屋を始めた。
 食材は越喜来から仕入れる。
 2年半が立とうとしている今も、悲劇は決して終わっていない。

「姿は見えないけど、魂は一緒にいると思わないと、辛い毎日」


 家族同士で涙を見せることはない。

「一緒に泣いてしまったら、すべてが崩れてしまう気がする」


 三度目のお盆を迎えた。

「今どうしているの?
 佳苗らしく海に逝った人たちを助けているのかな」


 供養する心は万霊へ届く。
 お盆には、先に逝った家族や友人知人だけでなく、戦争で犠牲となった方々、そして地震や津波や原発事故で亡くなった御霊方へも、心から慰霊の祈りを捧げたい。




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2013
08.12

傷ついた日本人へ(その21) ─『風立ちぬ』と『八重の桜』に観る煩悩の克服─

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〈『風立ちぬ』よりお借りして加工しました〉

 被災地を訪れたダライ・ラマ法王が高野山で行った講演の概要が『傷ついた日本人へ』という本になりました。
 皆さんと一緒に、要点を考えてみましょう。

「俗世界に生きている私たちは、どうしてもこの煩悩(ボンノウ)から逃れることができません。
 自分の目に映る像、心に湧き起こる感情を無地することができないのです。」
「人間だけでなく、この世界に生きている生物はどんな種類だろうと、何かを関知し、何かの認知をしています。
 そしてそれにとらわれざるをえない。
 つまり、生物である以上、煩悩から逃れることは非情に難しいのです。」
「私たちは生きている限り、かならず煩悩を持ってしまう。
 これを突き詰めると、
『生きていることは煩悩を持つことであり、そして煩悩を持ち続けることはずっと苦しむことである』
という結論にたどり着きます。
 仏教が
『この世に生まれてくることは苦である』
と説くのにはこういった理由があるのです。」


 私たちは、周囲に広がる現象世界とは目や耳など五つの器官で接触し、精神世界とは意識で接触し、そこで見聞きしたり想ったりする対象に対して否応なくある種の〈とらわれ〉が生じます。
 焼き鳥の匂いに誘われてのれんをくぐり、ハッとした異性をふり返り、叱られた上司の顔を思い出すと出社する足どりが重くなります。
 これらすべてが私たちを縛る煩悩です。
 縛られていること自体がままならぬ〈苦〉であり、煩悩に左右されない状態を保つことは非情に難しいのです。

 しかも、人間は、頭に浮かぶ幻を相手にして苦を膨張させています。

「誰かを憎んだり、日々に不満を持ったり、持っていないものを欲しがったり……。
 相手や現状に原因があるように思ってしまいがちですが、結局は実体のない概念にとらわれているがゆえに、こうした感情が湧きあがってくるのです。」
「全てのものが(クウ)だと頭でわかっていても、自分で作り出した概念に過ぎないと言われても、それを断ち切ることができません。」


 私たちは、誰かを憎んだ時、憎むという状態の原因を相手にばかり求めてしまいますが、よく考えてみれば、憎しみは自分の心以外のどこにもありはしません。
 裏切った相手が悪いと一方的に思い込んでしまいがちですが、二人の間に裏切りという行為が起こった原因として、自分の甘さや、不用意な言動はなかったでしょうか?
 あるいは、許せない、殺してやりたい、あいつには殺されても仕方がない理由がある、などと思い込んだりもしますが、さて、自分をふり返ってみた時、自分も、どこかで、誰かに、そう思われても仕方がないような心ないものの言い方をしたり、思いやりのない行動をとったりしたことはなかったでしょうか?

 私たちは、生まれたものは必ず死ぬと頭ではわかっていても、そうした本来のありようをふまえた行動をとることはなかなか容易ではありません。
 最近評判の映画『風立ちぬ』の中に、結核に罹っている新妻が、研究に没頭している夫のもとをひっそりと去りサナトリウムへ向かうシーンがあります。
 夫の前では化粧した姿で通し、美しい妻という夫に遺された記憶の中で生き続けようと、死の場所へ旅立つのです。
 NHKの大河ドラマ『八重の桜』の中にも、戦乱の京都で若い娘に世話される身となった夫の元へ向かわず、「女には女の意地がある」とつぶやく会津の妻がでてきます。
 きっと枢要な役割を果たしているに違いない夫を巡り、若い娘と〈女〉を争うのでなく、夫の記憶の中で美しい妻のままで生き、夫の支えとなり続けることが妻としての役割であると達観するのです。
 二つとも、変化し流れて行く〈関係性〉にあって、最も価値あるものを遺しつつ滅びを受け入れる潔さこそが人間にのみ与えられた徳であることを教えて余りあるシーンと言えるのではないでしょうか。

 好きな人と一緒にいたいという自分の〈得〉を求めて行動するのではなく、(クウ)をふまえた人間の〈徳〉に生きる時、私たちが煩悩の束縛から脱することができることを、凛とした日本の女性たちが示してくれました。

 映画『風立ちぬ』の中で語られる西條八十の『風』です。

「誰が風を 見たでしょう
 僕もあなたも 見やしない
 けれど木の葉を 顫(フル)わせて
 風は通りぬけてゆく

 誰が風を 見たでしょう
 あなたも僕も 見やしない
 けれど樹立(コダチ)が 頭をさげて
 風は通りすぎてゆく」






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「おん あみりたていせい から うん」※今日の守本尊阿弥陀如来様の真言です。
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2013
08.11

第四十三回寺子屋『法楽館』─自然農法の真実について─が終わりました

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 8月10日(土)、酷暑の中、予定通りに開催された寺子屋は、予定を30分もオーバーする活発な会となりました。
 講師大枝邦良氏の言葉をまとめておきます。

「現在の田んぼでは、自然に稲を育てれば、おおよそ6~7俵ほどになる。
 それを、約8・5俵に増やすために、農薬や化学肥料が用いられ、環境を汚している。
 生きるための食物を作るために、いのちにとって害になるものを用いている。」


「出入り口という言葉があるとおり、健康な生活をするためには、まず、出すこと。
 そして、身体の70パーセントを構成している水を美しくしておくこと。」


「バナナは青いうちに採取され、虫がつかないようにと薬品の水に浸けられてから日本へ送られ、店頭に並ぶ。
 虫を殺す遺伝子が組み込まれた中国の米は、妊婦が食べないようにと注意されている。
 このように、外国から買わねば生きられなくなった日本人だが、大震災は、お金が通用しない世界があることを教えてくれた。
 絆が人を生かした。」


「機会によって耕すと、土はパウダー状になり、細かになればなるほど固まりやすくなる。
 しかし、固まった土では困る。
 白神山地の土壌は、土が50パーセント、水が25パーセント、空気が25パーセントであり、フカフカしている。
 作物を作るための理想の土壌は、地下80~90センチメートル、少なくとも30センチメートルはこうでありたい。」


「耕起は、できるだけ機械にたよらずおおざっぱに行い、はえた草の根が腐ってできる土中の隙間を大切にしたい。
 放置された堤防には毎年草がはえる。
 肥料をやらなくとも、太陽のエネルギーさえあれば、植物は成長できる。」


「店頭に並ぶキュウリは、カボチャの根と茎を使って作られたりしている。
 これは本ものと言えるだろうか?
 腐敗してゆく生き物の便などが与えられた野菜でよいのだろうか?
 何が本ものか定義することは難しいが、本ものを体内へ取り込みたいという思考が大切ではなかろうか?」


 Aさんからのご意見です。
「土を球の状態にする農法は、寒い東北では難しい。
 本ものとは何かという判断はなかなかできない。、
 人糞や牛糞は、便そのものではなく、化学反応によって別なものとなっており、便層で植物の芽が出るのとはわけが違う。」
 大枝邦良氏です。

自然農法で作られた大根と、肥料をたっぷり与えられた大根では、葉のつきかたが違う。
 自然農法の大根は葉が両側につき、肥料の多い大根は葉が飛び飛びにつく。
 それは肥料によって急に成長してしまう部分があるせいではなかろうか?
 人間も植物も過剰な栄養によって生長したものは免疫力が弱い。
 瑞々しい山菜と同じような作物を作りたい。
 そうした免疫力の強いものを摂れば、人間も本来の免疫力を保つ生き物となれるのではないか?
 人間によって作られたモノのように崩壊する方向へ向かうものではなく、蘇生させ元気をつける方向に向かう自然界本来の力を用いたい。」


 Bさんからのご意見です。
「いもち病が心配されているらしいが、『法楽農園』の米は大丈夫か?」
 大枝邦良氏です。

「グリーンの強い色をした稲はメタボであり、病気になりやすい。
 黄緑色をした稲は免疫力が強い。」


 Cさんからのご意見です。
「草と作物と一緒に育てて競争させるのでは、負けてしまうものが続出する。」
 大枝邦良氏です。

「草むらのワラビはスッと伸びる。
 硬い土から出たワラビは茶色い。
 一本の稲は次々に分けつするが、穂を出す順番を見ると、最後に分けつしたものから始まり、もっとも高く伸びた最初のものは最後に穂をつける。
 春になると地面に近い植物から順に、緑色の強い葉を出し、最も背の高い樹木は最後に茶色っぽい葉をつけたりする。
 そうした自然界の配慮には感心する。
 目的とする作物へ十分な日光が当たるよう、適切な程度の草刈りをすればよいのではないか。」


「古川で、つや姫を作り日本一と称されるDさんの話である。
 ある時、Dさんは有機肥料を与えてみたら、反あたり11俵半も採れた。
 ところがおいしくない。
 つや姫は7~8俵採れる程度が最もおいしいという。
 農家の方々が農協へ出荷する米と、自分たちが喰う米とを別々に作っていることは周知の事実である。」


「日本の米作りは国策によって動かされている。
 故福岡正信はとてつもない量のおいしい米を作る農法を編み出したが、それでは困る事情のある機械メーカーや農協などへつらなる国によってシャットアウトされた。
 日本では無視されたが、インドでは神様扱いになっている。
 日本の農業は明治以降、化学物質浸けになった。
 自然農法は、元の自然な状態を回復しようとするものである。
 外国では宗教団体などが自然農法に熱心であり、ヨーロッパでも、サラリーマンが自分の畑を持っていたりする。」


「田んぼへ雑草をはやさない有力な方法は、田植えしてから米ぬかを投入することである。
 ただし、この方法の問題点は、強風によって米ぬかが一方へ流されると、雑草のはえる空間をつくってしまうことである。
 三年間、この方法を継続すれば、たんぼにはほとんど雑草がはえなくなる。
 農薬は不要となる。
 また、フカフカの土壌になった畑には、背の高い雑草ははえにくい。
 風で倒されてしまうからである。」


 健康な生活をするためには、まず、出すというお話は実感できました。
 便秘が万病の元とされていることは周知の事実ですが、最近、こんなことがありました。
 いただいた錦鯉たちの動きが悪いので、富谷町の『鯉物語』さんへ相談したところ、「餌のやり過ぎが病気の元です。餌を5日ほど、止めてみてください」と教えていただきました。
 高温で食べたい盛りなのに可愛そうでしたが、万事、これと見込んだプロの意見に従う習性のある私は、そのとおりにしました。
 結果は大成功、飛び跳ねて餌を奪い合うほど、元気をとりもどしました。
 ヒューザーを経営していた当時の小嶋進社長が、常々、「右手で得たお金は左手で世間へ出さないと腐る」と言い、人知れずそうした実践をしておられたことも思い出しました。
 思いもよらぬ事件に巻き込まれてしまいましたが、当時の顧客や部下で、今も社長への信頼を失っていない方々がおられることは頷けます。

 当山は、大枝邦良氏の方法により『法楽農園』を進めて行きます。
 そして、小さな守本尊様方もお祀りします。
 訪れる善男善女が、自然に抱かれ、守本尊様にお守りいただいているという実感を持っていただけますよう。
 また、自然の力がもたらす食物によって生きるという実感も持っていただけますよう。
 そして、自分や自分たちの手で安全に食べものを作るという実践により、日本が自給率40パーセントという危険な状態を脱するための小さな力となりますよう。




 第四十三回寺子屋『法楽館』は9月14日(土)に行います。

 吉野せい原作によるDVD『洟をたらした神』(DVDはありません)を観賞し、語り合いましょう。
 明治32年(1899年)、吉野せいは福島県いわき市小名浜に生まれました。
 小学校教師をしながら文学に親しんでいましたが大正10年(1921年)に、いわき市好間町の菊竹山で開墾に勤しむ詩人三野混沌(本名:吉野義也)と結婚し、それまで書いた作品をすべて焼き、新たな生活へ入ります。
 貧しさのゆえに子供を病死させてしまうほど過酷な生活を送った吉野せいは、詩人草野心平によって素質を見いだされ、70才を過ぎてから「思い出せる貧乏百姓のたちの生活の真実のみ」を記しておこうと決心し、76才の時に書いた『洟をたらした神』で第6回大宅荘一ノンフィクション賞と第15回田村俊子賞を受賞しました。
 文部省選定となったこの映画は昭和53年(1978年)の作品です。
 合い言葉「天日燦(サン)として焼くがごとし、出でて働かざるべからず」を胸に生きた貧しい農民の真実は、風間杜夫と樫山文枝によって見事に演じられています。
 
 津波と地震と原発事故に遭い、破壊されてしまった「生活」はそもそも、どのように営まれつつ現代に至ったのか?
 そして、本当に失われてしまったものは何か?
 語り合おうではありませんか。




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「のうまく さんまんだ ばざらだん かん」※今日の守本尊不動明王様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=EOk4OlhTq_M





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2013
08.10

閻魔(エンマ)様に頭を撫でられた人

2013081000002.jpg
〈櫻井恵武氏の『四国八十八カ所本尊写真展』よりお借りして加工しました〉

 閻魔(エンマ)様の「エンマ」はインドの言葉である「ヤマ」からきています。
 この言葉には、縛る、二つの世界、平等などの意味があります。
 だから、あの世へ行った人がこの世で行った善行悪行をありのままに観て、わけへだてなく行く先を決めてくださるのです。
 善き行為をたくさん行い、善き結果をもたらす力となる善き業(ゴウ)をたくさん積んだ人は、極楽などの安楽な方向へと行き先を決められます。
 反対に、悪しき行為をたくさん行い、悪しき結果をもたらす力となる悪しき業(ゴウ)をたくさん積んだ人は、地獄など、苦しい修行をしなければならない方向へと行き先を決められます。
 閻魔様が決められたことには従うしかなく、これが「縛る」という意味の持つ厳しさなのでしょう。

 さて、この閻魔様に頭を撫でられた方がおられます。
 眠っていたAさんは、ふと、頭のあたりがモゾモゾするので目を醒ましたら、青い閻魔様が頭を撫でています。
閻魔の野郎、うるさいなあ」
 こう思って、自分の手で閻魔様の手を払いのけました。
 安眠を破られたので閻魔様を怒ったというから、なかなか剛胆なAさんです。
 ところが、眠ろうとすると、また、モゾモゾします。
 三回、くり返したあげく、我慢できなくなったAさんは、とうとう、電気をつけました。
 そうしたら、モゾモゾの主は、青いバッタでした。
 ていねいに紙でくるんで窓から外へ逃がし、今度はゆっくりと休みました。

 Aさんは今、献身的に母親の看護をし、何とか時間を確保して自分なりの修行もしておられます。
 きっと、閻魔様が、文字どおり〈頭を撫でてくれた〉のではないでしょうか。
 Aさんが怖れずとっさに、「閻魔の野郎」と反発したのは、ご自身も病気を抱えておられるので、「まだ、会いたくない」という気持が起こったのではないでしょうか。
 Aさん、厳しい閻魔様に誉められたのだから、自信を持ってやりましょう!

 隠形流(オンギョウリュウ)居合には、剣で炎という文字を書きつつ悪行を清める閻魔剣があります。
 閻魔様が怖い方は、清めておかれてはいかがでしょうか。
 



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2013
08.10

摩利支天ネットのキャラクターが決まりました

20130809摩利支天ネットキャラクター「ラヴ姫」 (2)

 摩利支天ネットのキャラクターが決まりました。
 山形県在住の江口さんが考案された「ラヴ姫」です。
 当山のある「兎野」にちなみ、安心や幸せをいち早く届ける、得られる、といったイメージです。
 今回、特に伝達という役割を負い、摩利支天(マリシテン)の使者となってはたらくことになりました。
 きっと、ご縁の方々のもとへ、嬉しい、楽しい、ワクワクするお便りをはこんでくれることでしょう。




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