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2013
09.30

福祉を〈商売〉にできる〈制度〉は社会正義にかなっているか?

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 これから述べる意図は、福祉や投資をビジネスとしている方々への非難にはない。
 深刻な問題を発生させてしまう国家のあり方や私たちの社会感覚に問題がありはしないかと、一宗教者として疑問を呈するのみである。

 9月29日付の朝日新聞は「介護バブル群がるファンド」を掲載した。

 まず、「有料老人ホームなど約30の施設を運営する生活科学運営(東京)の買い手を決める交渉」が紹介される。
 企業統合(M&A)の現場である。
 企業と一緒に買収をはかる金融機関の担当者は、「二次入札に残った会は、100億円前後を提示したはず」と言う。

「入札は、投資家から募ったお金を元手に投資する『ファンド』のジェイ・ウィル・パートナーズ(東京)が実施した。
 1年前に別のファンドから引き継ぐ形で生活科学運営の経営権を握り、財務を立て直して今回、売りに出した。」


 普通の企業に投資して利益の出る体質にし、売却して利益を得る商行為が、福祉を業務とする企業が対象であっても、ごく普通に行われる。

 そもそも、福祉を目的としてはたらく人々の組織が、利益を出すことを目的としてよいのか?
 福祉施設の経営者の頭に、まず、利益があってよいのか?
 そうした組織へ出資する人々は、他への出資と同じように利益を目的としてよいのか?
 そして、〈救いを求めている人へ救う人が直接手をかける〉福祉の現場から利益を絞り出すとは、具体的にどういうことなのか?

 これは、〈普通の〉疑問ではなかろうか。

「買収が加熱しているのは、介護の需要は増える一方なのに、介護保険から給付されるお金を使って運営する有料老人ホームなどの施設が増えすぎないように、国や自治体が新設の認可数を抑えているからだ。
 落札するために、本来の価格に上乗せする『のれん代(ぷれみあむ)』の相場は、『年間のもうけの5~6年分』かさ最近では『10年分』とうなぎ登りだ。」


 凄まじい「『老人ホームころがし』のような例」もある。

「東京徒渋谷区の有料老人ホーム『トラストガーデン南平台』などの4施設は、介護会社が破綻した後の08年以降、ジェイ・ウィルなどによって少なくとも4回、転売された。
 なぜ転売が繰り返されるのか。
 経営の裏側を、あるファンドのマネージャーが明かしてくれた。
 入居の際に家賃を一括して預かる『一時金』を、施設側は入居から一般的には5年間、毎年分割して取り崩し(償却)、『家賃収入』として懐に入れる。
 6年目からはそれがなくなるので、償却期間を過ぎても入居が続く老人からは、介護費などしか徴収できない──。
『長生きすればするほど施設側は収益が出にくくなる。』」


 これは〈利益〉を目的とせずに福祉活動をする人々と組織を前提とした制度であり、組織が利益を目的とされれば、入居者は、実質的に早く死ぬことが求められる。
 表面では人を生かそうとする組織が、裏面では人に死んでもらって利益を上げたいという目的を持つとは、恐ろしい話ではないか。
 しかも、裏面がビジネスとして合法的に行われれば、この恐ろしさは気づかれない。

 だから「なるべく『償却切れ老人』を減らし、家賃収入が計算できる新しい入居者に入れ替えて収益力を上げ、早めに売ろうとする」ようになる。
 誰が?
 福祉施設の経営者が!
 福祉施設への出資者が!

 そのためには当然、早く死にそうな老人が競って集められ、一旦一時金を払った老人は早く死ぬことを求められる。
 施設長の話である。

「けがや病気をきっかけに、『償却切れ老人』を『医療が必要になったのでうちではもうお世話できる力がない』と体よく追い出す施設が増えているという。
 収益力を高めれば、また買い手がつく。」


 シンガポールに拠点を置く「パークウェイ・ライフ・リート」は日本国内で最大の介護施設のオーナーである。

「これまで総額800億円で計44件の介護施設や病院を買収してきたが、このうち日本国内の施設が40件を占める。」


 経営者の言葉である。

「これから団塊世代が後期高齢者になって、介護や関連の市場も成長が見込める。
 優良な投資先としては世界屈指。
 日本は買いだ。」


 何が買われるのか?
 団塊世代が汗水垂らしてはたらき、溜めた日本最後の資産が、いのちを人質にして、である。

 日本を支えるという気概を持ち、仕事の虫としてはたらきづめだった同世代の人々よ。
 このまま、唯々諾々と死んでいってよいのだろうか?
 そのことは、後に続く世代のためにいかなる意味を持つのだろうか?

 記事は現場の実態も生々しく報告している。
「ワタミの介護」が経営する神奈川県内の老人ホームで、報告書の書き換えが行われたという。
 引き継ぎ会議において、ベッドから老人が落ちた事件につき、ルールどおり看護師へ連絡せず、様子見をしたという報告書がケアワーカーから読み上げられた時、ホーム長が「自宅待機の看護師に報告した」と書き換えさせたのである。

「入居者への薬の飲ませ忘れや取り違えも数え切れなかった。
 誤って薬を飲ませれば重大事故につながる可能性もある。
 配薬ミスを聞いた主治医が『いい加減にしろよ』と怒鳴ることもしばしばだったという。」
「経営効率を優先するから、人員は最低限。
 だから入浴や排泄の介助が重なると、誰もいないことも多かった。
 便で汚れたまま放置された老人もいた。」


 ワタミグループは「事故隠しの事実はない。人手不足でサービスが低下している認識もない」という。
 ならば、堂々と朝日新聞を告訴したらどうか。

 まず、利益を出して高く売れる組織にするための手段として、入居者の入れ替えを早めようとしていることはよく理解でき、視点は、効率優先の現場ではたらく人々へ移る。
 厚生労働省が発表した平成24年の賃金構造である。(非正規社員も含んでいる)

・医師         879300円
・システムエンジニア  370100円
・看護師        326900円
・民間事業者平均    297700円
・タクシー運転手    234400円
・警備員        219600円
・福祉施設介護員    218400円
・スーパー店チェッカー 189400円


 医療法人「徳州会」グループの介護関連会社「ケアネット徳州会鹿児島」のケースである。

「訪問介護を担当する介護職員たちは、月に訪問する利用客数の目標値を会社から突きつけられる。
『月140件はこなしてもらいたい。
 あなたの給料分は稼いでもらわないと。
 このままだとパートになってもらうか、辞めるしかない』。
 複数の社員はこの夏、社長に呼ばれ、こう告げられた。
 徳州会が07年、撤退したコムスンから事業を引き継いだ時のノルマは90件弱だったが、その後、どんどん増えた。
 関東で病院や介護施設を幅広く運営する医療法人で働く30代の看護師は、『就かれて休日は身体が動かないから、ずっと寝ている。消耗品のようだ』と話す。」


 これらの例における「稼ぐ」と「消耗品」が現実を語っている。
 経営のトップが、はたらく人へ臆面もなく「商売である」と言っている。
 何をかいわんや、福祉の理念はどこへ行ったのか。
 はたらく人は、人間扱いされていないと実感している。
 資本主義の非人間性ここに極まれり、ではないか。

 人間の心と身体へ直接手をかけ、弱者を救うはずの現場の実態は恐ろしい。
 利益という強風にさらされ、モラルの灯は危うい。
 入居者も気の毒だが、はたらく人々や、理想を持って経営に携わる人々の心はだいじょうぶだろうか?
 この恐ろしさに気づかない、あるいは見過ごす私たちの社会はだいじょうぶだろうか?

 早死にしなければ一人残らず老人になり、自分一人では生きられなくなって必ず、誰かの手を借りるようになる。
 これは、日本に住む全員の問題である。
 よく考え、早く、制度を何とかせねばならないのではなかろうか。
 何とかして、介護の分野は〈利益〉から解放したい。
 利益を得ようとする勢力から守りたい。
 ぜひ、医療や教育の分野も──。
 そうしなければ、個々人のモラルも、国家としてのモラルも崩壊するのではなかろうか?
 そもそも、福祉の世界を「成長分野」と括ってしまう感覚そのものに問題がありはしないだろうか?




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「おん あみりたていせい から うん」※今日の守本尊阿弥陀如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
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2013
09.29

平成25年(2013年)10月の運勢─離れている人を想う─

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 10月の運勢は「遠ざかり」にポイントがあります。

○人と人とが離れる時や、離れている時に、自分の道と相手の道をよく観て、次のステップへ進みましょう

 もしも、受験で自分は第一志望校へ入れず、友人が合格したなら、その先はどうなるでしょうか。
 友人は自分より高い世界へ遠ざかってしまうような気持になったりします。
 社会へ出て昇進に差がつく場合もあります。
 もちろん、自分と相手が逆になったりもします。
 立っている場所が異なれば、〈これまでと同じ気持で〉いることは、なかなか困難です。
 だから、青春時代の「いつまでも友だちでいようね」は、その時の真実ではあっても、続きにくいのです。

 では、気持はまったく儚いものなのか?

 そうとばかりは言えません。
 相手への思いを自分の心に秘め続けることができ、秘めたものは、相手がどうなろうと関係ないからです。
 それが表面へ出てくるのは相手が困難に陥った時です。
 大病に罹ったり、手酷い挫折に陥ったりした時にこそ、思いが顕れます。
 それは、自分もびっくりするような強さで出てきたりします。
 しかし、表現方法となると、一筋縄ではいきません。
 人にはプライドがあるからです。
 同情や憐れみが、いっそう、相手へ傷つけるかも知れません。

 では、どうすればよいか?
 
 祈ることです。
 特定の仏神へおすがりしようとしまいと、相手の運命が明るい方向へと向くよう、祈りましょう。
 そうすれば、祈りに祈った結果、出てくる考えも、言葉も、行動も、だいじょうぶです。
 なぜなら、自分なりに、人間として最高の心になった上でのことだからです。
 もう、これ以上、やりようのない状態になっているからです。
 そうして書いた手紙の一節が相手にとって光明となろうが、斬られる斧となろうが、結果は従容として受け入れられるはずです。
 それ以外に歩みようのない一本道を歩んでいるからです。

 約千二百年前、淳仁天皇が詔(ミコトノリ)を発せられました。
「摩訶般若波羅蜜多(マカハンニャハラミタ)は諸仏の母なり。
 四句の偈(ゲ)などを受持し、読誦すれば、福寿を得ること思量すべからず」。
 般若心経における「ぎゃてい ぎゃてい はらぎゃてい はらそうぎゃてい ぼうじそわか」の四句(同じ「ぎゃてい」を一つと考える)は、もろもろのみ仏方のお力を生み出す元となる真言なので、心に抱き、読誦すれば、福徳も長寿も得られる。
 だから、「男女老少を論ずることなく、口に閑(シズ)かに、般若波羅蜜多(ハンニャハラミタ)を念ずべし」とされました。
 男女を問わず、年令を問わず、いかなる時でも落ちついて真言を唱えればよかろうと勧められたのです。
 藤原仲麻呂が権勢にまかせて淳仁天皇を誕生させましたが、天皇はすでに、先に待つ動乱を見通しておられたのでしょうか。

 人は必ず、人生のどこかで追いつめられます。
 それは自分がマイナスを受ける状況だけとは限りません。
 家族・友人・恋人・恩人を問わず、遠くにいる〈思い人(ビト)〉の困難も自分を追いつめます。
 そこでの祈りこそ、結果的に仏性を発揮し霊性を高めるチャンスとなります。
 思いが相手へ届こうが届くまいが、祈ることです。
 祈れる自分であることは、すでに救いの中にある証拠なのです。
 そして、救われている自分は、必ず相手にとって何らかの救いとなれることでしょう。




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2013
09.29

稲刈りの続き

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 おかげさまにて絶好の日和となり、大枝邦良先生と藁科さんにリーダーとなっていただき、『法楽農園』の稲刈りは順調に進みました。
 はせ掛けした稲には、さっそく、鳥除けのヒモが回され、マネキンの首もかけられました。
 こうしておかないと、スズメなどのエサ場と化して収穫は半分になってしまうそうですから、鳥の数と旺盛な食欲は大したものです。

 男性5人、女性2人でやりましたが、まだ、3割ほど残っています。
 29日の予定は男性3人だけです。
 ご関心のある方は、たとえ1時間だけでも、お手伝いをお願いします。

 ハーベスタについては、いろいろなご意見やお励ましをいただき、感謝しています。
 きっと、解決できることでしょう。

 私たちは、一瞬、一瞬、「過去を背負い、未来を孕む」人生を歩んでいます。
 今をどう生きるかによって、いかなる過去をつくり、いかなる未来になるかが決まります。
 皆様のご多幸を祈っています。




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2013
09.28

公開Q&A(その8)読経の功徳って何ですか?

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 お経には、み仏の言葉が綴られています。
 たとえば、『般若心経』にある有名な句は、悟りを求めて深い瞑想に入られた観音菩薩が、ついに、智慧の権化である般若菩薩(ハンニャボサツ)の智慧をつかんだ様子が述べられたものです。
「色は空に異ならず、空は色に異ならず、色はすなわち空、空はすなわち色、受想行識(ジュ・ソウ・ギョウ・シキ)もまたかくのごとし」
 私たちがこの句を声に出して読む時、目によって見られ、声に転換された文字は、耳によって聴かれます。
 それは、み仏の言葉をなぞってみ仏の世界へ入り、み仏の言葉を聴くことによって、み仏が自分の心へ入って来ることを意味します。
 
 よく、「至心に読誦(ドクジュ)する」と言います。
 至心とは、まごころの限りを尽くしてという意味です。
 これ以上ないほど、すなおに、まっさらな気持で、すべてをかけて経典の一字一句を声に出す時、〈自分〉などはどこにもありません。
 目で読む存在、耳で聴く存在は、み仏そのものです。
 つまり、読誦する私たちは、まぎれもなく、み仏と成る体験をしているのです。

 さて、「読」は声に出して読むこと、「誦」は暗唱すること、と言われていますが、その根本的な違いはどこにあるのでしょうか?
 まず、おさえておくべきは、経典の一文字一文字がみ仏であり、経題十二文字(仏説摩訶般若波羅蜜多心経)と尾題四文字(般若心経)を合わせて278となる般若心経の文字を読むのは、278のみ仏とお会いすることに他ならないという点です。
 だから、写経においては、一つの蓮華座の上に一文字づつ書き進める場合があります。

 真言も同じですが、漢字で書かれた真言は、当て字です。
 たとえば、般若心経の最後にある「掲諦 掲諦 波羅掲諦 波羅僧掲諦 菩提薩婆訶」もそうです。
 漢字そのものに意味はなく、漢字で表されたインドの言葉にこそ、意味があります。
 そして、真言はイントネーションをつかまなければ読みにくく、つかんでしまえば、文字は視線の中を流れるようになります。
 だから、暗唱にふさわしいのは真言であり、真言を何万返も、あるいは何十万返も唱えてみ仏そのものに成り切る修行をするには暗唱が欠かせません。

 気をつけねばならないのは、経典の暗唱を過大評価してしまいがちなことです。
 内容が理解され、み仏の世界へ入っていないのにソラで読むと、頭の中に「お腹がすいたな」とか「ずいぶん暑くなってきたな」などが浮かんでしまいがちです。
 これでは言葉と心がバラバラであり、しっかりした読経とは言えません。
 だから、真言を連続して唱える場合以外は、たとえ覚えてしまった経典でも、一字一句を大切に目で追いながら声に出すのが基本中の基本です。
 そうすれば、知らぬ間に、み仏の世界が開け、関心が深まり、さまざまな形で理解が深まるものです。
 もちろん、修法の中で暗唱が必要な場面はありますが、それはあくまでも特殊で専門的な分野の話です。

 最後に、功徳の考え方を確認しておきましょう。
 当山では、昨年も今年も、3月21日に「般若心経を百万巻唱えましょう」と呼びかけ、当山でも108返の読経を行い、導師は般若心経法を修法しました。
 ここで大切なのは、〈たくさん唱えたからたくさんのご利益がある〉というふうに、み仏から足し算的なご褒美がもらえると考えてはならないことです。
 ありったけの誠意を尽くして唱え、ご供養申しあげるというまごころが大切であり、大きな数そのものは象徴的な意味を持つのみなのです。
 真剣に唱え、〈み仏と成る〉体験が積み重ねることは、煩悩(ボンノウ)を薄め、無明(ムミョウ)から脱する力となります。
 そして、そうした努力と成果を御霊へ捧げ、回し向ける廻向(エコウ)こそが真の供養なのです。
 私たちがあの世からこの世を眺めている様子を想像してみましょう。
 いかに一生懸命、何が読まれ、唱えられていても、この世にいる私たちが我(ガ)を張り、角(ツノ)突き合わせていれば、安心できましょうか?
 私たちが、より、み仏へ近づくことこそが、み仏の世界へ溶け込む道を歩んでおられる御霊方にとって一番の安心なのではないでしょうか。

 読経は、み仏に成る体験です。
 自分のためであれ、誰かのためであれ、至心に、正確にやりましょう。




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2013
09.27

あいたくて ─工藤直子氏が示した人生の実りとは─

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〈『法楽農園』の虚空蔵菩薩様〉

 季節に春夏秋冬があるように、人生にも四季があります。
 志を立てる青少年時代、懸命に励む中年時代、人生を悟る壮年時代、そして、生き死にを超える老年時代。
 仏法では、そうした修行の階梯を発心(ホッシン)・修行(シュギョウ)・菩提(ボダイ)・涅槃(ネハン)に分けます。
 一日も同じです。
 朝は、今日の目標を持ってスタートします。
 昼は成就を目ざして努力します。
 夕刻には一日を生きた実感がご褒美となります。
 そして夜は明日のための眠りに就きます。
 稲刈りが進み、晩秋となった今の時期は、四季における菩提の時期です。
 では、何が心の実りなのか?

 工藤直子氏が平成3年、56才で発表した詩集に『あいたくて』があります。

「だれかに あいたくて
 なにかに あいたくて
 生まれてきた──
 そんな気がするのだけれど

 それが だれなのか なになのか
 あえるのは いつなのか──
 おつかいの とちゅうで
 迷ってしまった子どもみたい
 とほうに くれている

 それでも 手のなかに
 みえないことづけを
 にぎりしめているような気がするから
 それを手わたさなくちゃ
 だから

 あいたくて


 まさに壮年となった氏が、まるで少女のように無垢な言葉で〈生きた実感〉を綴りました。

 まず、生まれてきたのは、誰かに会いたいからだと言います。
 普通は、自分が、自分のために、自分の人生を、自分で生きると考えます。
 せいぜいが、そこに「お互いに助け合いながら」がつけ加えられる程度でしょう。
 しかし、氏にとっては、会いたい、つまり〈通じ合いたい〉という強い思いを成就させることが最大の関心事になっています。
 人生のこの時期に、こう述べるのは、氏自身が、誰かと、あるいは何かと会い、通じ合った魂の震えをこそ、人生最大の宝ものとして生きてこられたことを意味しているのではないでしょうか。

 次に、会いたいと熱望する相手は、「誰なのか、何なのか、会えるのはいつなのか」わからず、ここまで生きてきてなお、「途方に暮れる」思いであると率直に吐露しています。
 長年生きていると、何でもわかったようなつもりになりますが、たとえば散歩していて、目の前の四つ辻の左手から、あるいは右手から、あるいは正面から現れるのがどういう人なのかすら、わかりません。
 それは、子どもも大人も変わりはないのです。
 何かというと、すぐに、自分の体験から生じた人生論を語りたくなる人々と違い、氏はそのことを忘れてはいません。

 そして、迷子のように惑いながらもなお、手にある「言づて」は離しません。
 書かれた内容が何であるかわからないながら、持っている以上、手渡したいという正直な思いは消えません。
 この「手わたさなくちゃ」が氏の人生を支えているのではないでしょうか。
 これがあるからこそ、惑いの中で生きていられるのかも知れません。

 最後に「会いたくて」と呟かれますが、その熱さと誠実さには参ってしまいます。

 ところで、氏の作品『てつがくのライオン』に、かたつむりから、「ライオンというのは、獣の王で哲学的な様子をしているものだ」と教えられたライオンが、「でれり」としないように座る姿勢を整え、秋風に揺られる梢の葉を眺めている場面があります。
 たったそれだけなのですが、かたつむりは「あんたの哲学は、とても美しくてとても立派」と誉め、ライオンは、「肩こりもお腹すきも忘れて」じっと佇むのです。
 氏はきっと、ライオンのように、でれりとすることなく生きてこられたのでしょう。
 でれりと逃げてしまわない人々と感応し合い、交流しながら生きてきた姿勢が、この実りをもたらしたのではないでしょうか。

 氏の〈菩提の時期〉にもたらされた〈実り〉とは、誠実さです。
 魂の震えを尊び、いいかげんな時間を厭い、「手わたさなくちゃ」と生きてきた氏は、誠実さそのものになり切っておられます。
 氏は、まぎれもなく、一つの実りを示されたのです。




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2013
09.26

墓地選びQ&A

20130925001 (3)
〈わかりやすい地図を作っていただきました〉

 墓地選びに関する代表的なQ&Aを箇条書きにしておきます。
 個別具体的なご相談や詳しい説明については、人生相談をお申し込みください。

Q:その1 寺院墓地選び最大ののポイントは?
A:寺院が常々どういう活動をしており、住職はどんな人であるかを必ず自分で調べること。
  ネットで、あるいは住職に会って。
  相手を確認せずに自分や家族の永遠の安心を託せましょうか。

Q:その2 どのように宗派を選べばよいか?
A:一つには、先祖代々信じている宗派がどういうものであるか、寺院の現状はどうであるかを調べること。
  もう一つには自分で気に入った宗派を調べること。
  特にない場合は、信頼できる寺院の宗派を調べること。
  必ず住職などに会い、納得を求めましょう。

Q:その3 自分が信じる宗派と代々の宗派が違う場合は?
A:万物は変化するので、ご先祖様と今の人の信仰が異なる場合も当然、でてきます。
  自分に嘘をつけば、真心からの合掌ができません。
  智慧と信念で、御霊も自分もお救いくださると信じられるみ仏を堂々と祈りましょう。

Q:その4 弔う宗派を変えられるか?
A:最も大切なのは真心で供養することであり、なんぴとたりとも宗教の押しつけは許されません。
  自分と信仰が異なるからといって、信念をもって真剣に供養する子孫を怨むご先祖様がおられましょうか。

Q:その5 事前にご葬儀の相談ができるか?
A:自分や家族があの世へ旅立とうとしている時、誰にその役割を依頼するかは、病院や医者を選ぶのと同様、とても重大な問題です。
  いざとなってバタバタと流れでことを運ばぬよう、ぜひ住職に会い、疑問や問題を解決しておきましょう。

Qその6 事前にお墓を建てて縁起が悪くはないか?
A:お墓はあの世の家であり、聖徳太子も生前に建墓したとされています。
  だから 生前に建てるお墓は、寿陵墓(ジュリョウボ)という縁起のよい名前で呼ばれます。
  準備がきちんとできる人には、きっと、福の神が微笑むことでしょう。

 以上は、より〈根本〉から考えるという当山の姿勢によって導き出された考え方の一つです。
 皆さんが、墓地選びは人生の重大事であると認識し、惰性や慣習や目先の手軽さ任せで思考停止にならず、自分自身で真剣に考える際の〈たたき台〉になれれば本望です。




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2013
09.26

ハーベスタを探しています

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〈バインダーの試し刈りが成功し、ご満悦の丹野君〉

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〈住職もくい棒積みに参戦〉

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〈作業後に近くの『山海里(サンカイリ)』さんで新鮮なキノコをゲットした藁科さん〉

 おかげさまにて、稲を刈るバインダーはご寄進いただき、修理や補修も無事、終わりました。
 はせ掛けをする青竹は大枝先生と藁科さん、くい棒は赤間さんよりお借りして28日(土)の刈り入れを待つのみになりましたが、今度は、天日干しをした後に籾と藁を分けるハーベスタが見つかりません。
 どなたか、お貸しいただけないでしょうか?
 無農薬の藁は畳や草履などの材料に用いられるので、粉々にせず、生かしたいと思っています。
 そのためには、干した『法楽農園』で使うハーベスタが必需品になります。
 お心当たりのある方は、ぜひ、ご紹介ください。
 お借りしに参上し、手入れをして使わせていただきたく存じます。
 どうぞよろしくお願いします。合掌




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「のうまく さんまんだ ぼだなん あびらうんけん」※今日の守本尊大日如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
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2013
09.25

曼珠沙華一むら燃えて秋日つよしそこ過ぎてゐるしづかなる径

2013092500001.jpg
〈『法楽農園』では、はせ掛けの準備中です〉

曼珠沙華(マンジュシャゲ)一(ヒト)むら燃えて秋日つよしそこ過ぎてゐるしづかなる径(ミチ)」


 大正時代に活躍した木下利玄の一首である。

 道端に咲く深紅の彼岸花が秋の陽光を浴びている。
 静寂の中を、道はずうっと延びている。
 風景を切り取ったような一首だが、「そこ」から急に時間の流れが始まる。
 彼岸花から道へ意識を移した途端、空間は時間に切り替わる。
 まるで如雨露(ジョウロ)の出口へ水が集まるように、意識は道の先へと集まり、流れて行こうとするが、静けさが、行く手を茫漠としたものにしてしまう。
 その先は、あの世であっても不思議ではない。

 東大生だった頃に結婚し、三男一女をもうけるが、末っ子以外は皆、早世した。
 利玄は、ずっと、この「しづかなる径」を歩いたのだろうか。

 種田山頭火に有名な一句がある。

「なかなか死ねない彼岸花さく」


 山頭火の場合は、「死ねない」は「死なない」とほぼ、同意である。
 別段、死ねないという悶えがあるわけではない。
 またもや彼岸花の咲く時期を迎えたが、彼岸花と一緒に今、いることがすべてであり、彼岸花と一緒に散ってしまっても、それまでである。

 利玄の「しづかなる」は重い。
 山頭火のような遊行者になれない私たちも、何かこうしたものを抱きつつ、いのちの一本道を歩いている。




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「おん さん ざん ざん さく そわか」※今日の守本尊勢至菩薩様の真言です。
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2013
09.24

ロス・ミドラスさんのお彼岸演奏会が終わりました ─哀愁・歓喜・解放─

20130923078.jpg

 降らず、照らず、風もない絶好の日和(ヒヨリ)となった。
 ロス・ミドラスさんは、伏見信壱(ギター)、植松純子(チャランゴ)、兒島穂高(ケーナ&サンポーニャ)のメンバーで『法楽農園』へ駆けつけられた。
 チャランゴやボンボあるいは動物の爪を使った楽器などが紹介され、草原での演奏が始まる。

1 インディオの嘆き

 幕開けにふさわしい名曲だった。
 歌詞は、別れた女性に息子を連れて行かれた哀しい男の嘆きなのだが、不思議なほど明るい。

2 僕の家においでよ

 アルゼンチンの歌である。
 どこか懐かしく、ああ、フォルクローレだなと納得する。

3 空の列車

 アルゼンチンの歌である。
 サンポーニャなどを用い、ポッポーと汽笛の音を出したり、蒸気の音を出したりする。
 ロス・ミドラスが平成23年にアルゼンチンの舞台で歌った曲である。
 コスキン市で行われる「コスキン・フェスティバル」は日本の「紅白歌合戦」に匹敵する催しで、それが10日間続くという。

4 ボリビアの涙
 
 この演奏には、チャラチャラという音を出す楽器が用いられる。
 それは、奴隷の足につけられている鎖の音だという。
 奴隷の心を唄う歌としてはやけに陽気で、演奏後、違和感に背中を押されて質問した。
「歌の背景と歌のリズムや雰囲気がかけ離れているのはどういうことでしょうか?」
 答は明解だった。
「現実があまりに過酷なので、歌はその正反対になっています。
 そうやって、ようやくバランスをとったのでしょう。
 現地では、この歌に合わせ、女性がパンチラで元気に踊ったりするそうですが、それは、昔、農場主の意識を惹きつけている間にこっそりお酒を飲んだ名残です。
 辛い現実が心を深くし、生きる知恵を育むのでしょうか」

5 コンドルは飛んでいる

 ペルーのエンコンドルパサーである。
 これほどアンデスの山や空を想像させる曲はない。
 日本では最も有名な一曲だろう。
 15年ほど前、同名の競走馬がフランスのG1レースを堂々と押し切って勝つなど、天(アマ)翔(カ)けるがごとく大活躍した。

6 風(エルビエント)

 伏見信壱氏が作り、「コスキン・フェスティバル」で唄った。
 この曲が始まる時、一陣の風が起こった。
 自然が感応したのか。
「波みたいに風は吹いていた」
「大したことないのは皆、飛んでいった」
 井上陽水のように、からみつきながらもどこか放り投げたような趣があり、作者の人生を偲ばせた。

 昔、コスキンという町に日本人がたくさん住んでおり、結核患者が療養するサナトリウムもあった。
 亡くなられた人々はそれぞれお墓に葬られたが、あまりに侘びしく、ある日本人がそれを合祀して永代供養墓をつくった。
 石材業の伏見信壱氏は、体調不良をおしてはるばる訪ねてみたところ、もう少し何とかしてあげたいと思わされ、大きな石版を寄贈することにした。
 その過程で、いつしか、咳は止まっていたという。

 伏見信壱氏は日本人がほとんど足をはこばないアメリカインディアンのホピ族を訪ね、一ヶ月ほど暮らした。
 ホピとは平和の民を意味し、争わない性格のために、周囲からどんどん土地を奪われた。
 マヤ族の末裔とされ、予言を行う。
 自然に宿る精霊を尊び、「太陽のシンボルを持った人々が世界を救う」と信じており、日本人としては身近に感じられるものがある。
 男性はコッコゥワリ、女性はアスクワリというだけの便利な単語があり、おはようとか、お元気ですかとか、さまざまな気持を伝えられる。
 おかげで、ホピ語を知らない伏見信壱氏は、和やかに一ヶ月を過ごせた。

7 インディアンの星

 伏見信壱氏が作った歌で、ホピ族の言葉が挿入されている。
 ゆったりと揺れている、どこまでも。

8 ヴァイオリンのチャカレラ

 アルゼンチンではサンバと並んで流行っているチャカレラというリズムで演奏されたが、とても難しい。
 質問したら、やはり、2拍子と3拍子が用いられている。
 男女で踊る曲が多いというが、向こうの方々はよほどリズム感がよいのではないかと、余計なことを考える。

9 ウィストヴィータ

 ボリビアの歌である。
 かの地には大地の神パチャマリへ血を捧げるティンクと呼ばれるケンカ祭があり、祭の最後には軍隊が出動して止めるという。
 参加者へ大地をドンドンと踏むリズムが教えられ、皆で踊った。
 
10 トドスフントス

 皆一緒にというこの歌は、参加者たちへ楽器が渡され、にぎやかなフィナーレとなった。

 お彼岸の中日にフォルクローレの会を催したのは、自然と大地につながる音楽を通じて、「皆つながっている」という世界を体験していただきたかったからである。
 み仏も、神々も、御霊も、自然も、人々も皆、マンダラ世界にある。
 その感覚をつかむことは、我欲(ガヨク)や煩悩(ボンノウ)から一歩、抜け出る道である。
 ロス・ミドラスさんの演奏は、想像を遥かに超えていた。
 参加された方々の心は、必ずや柔軟に、広く、深くなったに違いない。
 目的は十二分に達成された。
 感謝しきれない思いで会場を後にした。
「初めて」という何もない草原での演奏となったことをあらためてお詫びし、ロス・ミドラスさんのいっそうのご活躍を願ってやまない。

(そう言えば平成20年、寺子屋建立のため、野原となっている境内地で「夢慧チャリティコンサート」を行っていただいたおりも、故夢慧氏は言われた。
「こういうところで唄うのは初めてです」
 翌年、寺子屋を行う講堂が完成した。
 自然農法を行い守本尊様に見守られる『法楽農園』も遠からず、完成することだろう)




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2013
09.23

猫よ

201309230001.jpg
〈28日は『法楽農園』の稲刈りです。ご参加をお待ちしています。撮影:藁科昇氏〉

 工藤直子の詩集『あいたくて』に「猫よ」がある。

猫よ
 また春がきた
 おまえが いなくなってからも
 春は きちんとやってくる

 猫よ
 おまえのいない わたしの春は
 みんなのところに くる春と
 すこしちがう気がするのだけれど

 わたしが いなくなっても
 春はいつも
 だれかのところへ いくのだろうね

 おまえとわたしの いない春の空には
 どんな風が吹いているのだろうね

 猫よ


 何でもなさそうな詩だが、詩人のいる位置は鋭く変化する。
「だれかのだれかのところへ いくのだろうね」
 これは普通、「だれかのだれかのところへ くるのだろうね」となりそうなものだが、「いく」とした時点で、いなくなった私はもう、猫がいるあの世へ近づいている。
 そして、「おまえとわたしの いない春の空」と、想像の世界で、猫と共にこの世を眺めている。
 最後に、ふたたび「猫よ」と、この世の自分へ戻ってくる。
 淋しさや哀しさを感じさせる言葉は何一つ、使われていない。
 ただ、限りなく、あの世にいる猫へ近づく。
 しかし、行ってしまうわけではない。
 心がこの世からあの世へと揺れるだけだが、それだけにいっそう、最後の「猫よ」には、「ああ」という思いが感じられる。

 こんなことがあった。
 
 突然、Aさんがお詣りに来られた。
 愛猫Bちゃんが亡くなり、今しがた、荼毘に付したという。
 人間で言えば90才、天寿をまっとうした家族のために、ご夫婦揃ってご本尊様へ安心を祈り、近々のご葬儀を申し出られた。
 Aさんが真顔で言われる。
「Bだけでなく、私の時も和尚さん、お願いしますよ」
 お見受けしたことろ、私と10才も違わないだろう。
「どちらが先かわかりませんよ。
 役割は私でなくなるかも知れませんが、当山の危機管理は大丈夫、しっかりした若者が控えていますから」
 間髪を入れず、奥さんも続く。
「和尚さんは100才まで生きて、私も送ってもらわないとだめです!
 私たちは葬儀屋はCさん、引導は和尚さんと決めているんですからね」
 もう、笑顔でこんなやりとりのできる年令になった。
 あの世は、この世の〈お隣さん〉である。
 Aさんにとって、Bちゃんは、少し早く行っただけである。

 Bちゃんが亡くなった当初は、きっと、Aさん夫婦も涙したことだろう。
 来年の秋がくれば、工藤直子のように「Bよ」と思い出すことだろう。
 その時、「猫よ」も思い出され、繙(ヒモト)かれて欲しい。
 



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2013
09.22

東日本大震災 ─東北関東大震災・被災の記(第140回)─多様性を認め共生する再出発─

20130922001.jpg

 東日本大震災の後、私たちは、これまでの生き方をふり返り、しっかりやっていかなければ犠牲になられた御霊へ申しわけないと思いつつ、ここまできました。

 ガランとなった浜辺と瓦礫になった家や車を目にした時、托鉢でお世話になったあの方もこの方も、あの家もこの家もなくなってしまったことに、なかなか現実感がわかず、ただ、足元が崩れ去ったようで立ってはいられない感覚に襲われました。
 何度か浜辺で祈るうちに、なくなったのは人間や人間の生活だけでなく、イヌやネコや虫や鳥や草花や木々たちでもあることが深く胸に迫り、喪失感は増しました。
 人間を含め多様な生きものが複雑な縁の糸で結ばれ、輝きつつ、成り立っている世界がそっくりなくなったのです。

 2年後の今、人間が縁を取りもどし、自然や生きものたちとの縁も取りもどすための努力は真剣に続けられています。

 今回の寺子屋における「日本雁を保護する会」会長呉地正行先生のお話は、単に震災前への再興というだけでなく、新たな方向性を考える上で大きな示唆をいただけるものと考えています。

 かつては日本全国で見られた普通の渡り鳥だったガンを絶滅寸前にまで追いやったのは、鳥が住めない環境にしながら進んできた私たちの文明です。
 先生は、ガンの群れを取りもどす活動を通じて、冬の田んぼに水を張る「ふゆみずたんぼ」が「ガンなどの水辺の生きものの生息地の復元と、生きものの力を活かした新しい農法」に役立つことをつきとめられました。
 ガンを呼び戻すことは、人間も他の生きものたちと同じ生きものとして、自然の恵みを共に受けつつ生存してゆく本来の姿に気づく道でもあります。
 日本に飛来するガンの約9割は、宮城県北部の伊豆沼・内沼・蕪栗沼周辺で越冬します。
 栗原市の若柳小学校では『生きもの田んぼ』として「ふゆみずたんぼ」を守る活動が行われ、「ふゆみずたんぼの歌」も唄われています。
 東北人は、被災した東北の地にあるこうした道を積極的に歩みたいものです。

 現代文明は、生活を豊かにする一方で、人間という生きものが自然から離れ、環境を破壊し、発達した武器で戦うという一面をも、もたらしました。
 人間に都合よく他の生きものたちをどこまでも排斥してやまない私たちの心は他人をも排斥し、感情や理屈や宗教で角突き合わせる社会をも、もたらしかねません。
 今、私たちに必要なのは、〈多様なものをすなおに認める柔軟性と寛容さ〉そして、〈多様なものと共に生きる感性と思いやり〉ではないでしょうか?
 多様性を認め、共生を目ざす姿勢は、文明の歪みを矯正し、無慈悲さに蝕まれつつある日本人の心へ潤いをもたらすことでしょう。
 空のガン、川のホタル、田んぼのドジョウやイナゴなどと共に生き、穏やかで瑞々しい文明を創ろうではありませんか。




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「おん あらはしゃのう」※今日の守本尊文殊菩薩様の真言です。
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2013
09.21

寺子屋の教え『実語教・童子教』を考える(その61)─勉強は、今、やるのみ─

20130921004.jpg

 江戸時代まで寺子屋などで用いられていた『実語教童子教』を読んでいます。

「伯英(ハクエイ)は九歳にして初めて
 早く博士の位に至る  
 宋史(ソウシ)は七十にして初めて
 学を好んで師傅(シフ)に登る」


(伯英は9才にして博士となった。
 宋史は70才になってから学問に目覚め、師傅(シフ)の位に昇った)

 昔、中国の琅邪(ロウヤ)に生まれた伯英(ハクエイ)は5才の時、すでに文章や詩などを書きました。
 字(アザナ)は長花(チョウカ)です。
 7才になると哲学、文学、歴史学に通じ、9才では元帝に仕えて博士という官位に就いたという超天才です。
 博士の「博」は古今のものごとに通じた人、「士」は正邪・善悪などの道理をはっきり示せる人を指します。

 昔、中国の宋史(ソウシ)は農民でしたが、70才の時、陳丘と会って学問に目覚めました。
 先が短いと思い、昼も夜も励み、ついに三公(サンコウ)と称される位に昇りました。
 三公とは、太師(タイシ)・太傅(タイフ)・太保(タイホウ)なので、「師傅(シフ)に登る」と言われます。
 日本の三公(サンコウ)は、左大臣、右大臣、太政大臣です。
 世間では「年とってから学問をするなんて……」と揶揄しますが、おかしなことです。
 学ぶ心さえ保てれば、死ぬまでやれます。

 このように、早熟の天才もいれば、大器晩成型の人もいます。
 問題は、自分に学ぶ意欲があるかないかだけです。
 意欲や志は、境遇も年令も超える力を秘めています。

「智者は下劣(ゲレツ)なりと雖(イエド)も
 高台(コウダイ)の閣に登る  
 愚者は高位なりと雖(イエド)も
 奈利(ナイリ)の底に堕(オ)つ」


(智慧のある人は、たとえ低い身分の生まれでも出世し、成功者となれる。
 智慧のない愚かな人は、たとえ高い身分に生まれても、やがては地獄の底に堕ちる)

 大切なのは智慧であり、それを得るには学ぶしかありません。
 ここでは学問という範囲で学ぶことの意義を説いていますが、〈学ぶ〉とは、もっと広い心のはたらきです。
 向上心と、謙虚さと、粘り強さがあれば、いつでも、どこでも、一生、学べます。

 隠形流(オンギョウリュウ)居合の道場で、こんなやりとりがありました。
 経典を読誦する前後に数珠を使う作法について話したところ、Aさんから質問がありました。
「唱える前に数珠を擦って願うことと、唱え終わってから願うことは違っていてもよいのでしょうか?」
 答えました。
「それはあり得ません。
 前には成就を願い、後には感謝するからです。
 そのように、〈今、何をやっているのか〉と意識しながら稽古することが大切です。
 この道場では、心をつくるために道具として身体と剣を用います。
 心がしっかりできてゆけば、やがて身体が思うように動かなくなっても、仏神に導かれ、死ぬまでまっとうに生きられます。
 心ができてゆかなければ、身体が動く範囲にしか得られるものはありません。
 Aさんには、問題意識があり、謙虚さもあるので、きっと、稽古は身につくことでしょう」




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2013
09.21

認知症の妻を殺した夫のこと

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 9月20付の産経新聞によれば、平成25年2月15日、山形県鶴岡市の自宅で介護していた認知症の妻(79才)を絞殺し、自分も自殺しようとした河崎直記被告(81才)の裁判が山形地裁で行われ、矢数昌雄裁判長は懲役3年、執行猶予5年の判決を言い渡した。

 娘夫婦らと8人暮らしをしていた被告は、体調不良となって食事を摂れなり、犯行に及んだ。
 判決文である。
「自分も介護が必要になれば、家族に迷惑が掛かると思い込んで自殺を決意し、妻を道連れに使用と考えた」
介護の大変さを知るがゆえの思いがあり、一定程度同情できる面がある」
「家族や地域社会が被告を受け入れる意向を示している」
 裁判長の説諭である。
「殺害は許されることではないが、久子さんの分までひ孫の成長を見守り、供養してください」

 近隣住民たちが減刑を求める嘆願書を寄せていたという。
 被告は毅然とした人物に相違ない。

 彼にこうした日は訪れるのだろうか。
 76才になった故吉野せいの『私の一九七五年』である。

「歩き通したと思い込んでいる住み古した村の道でも、どこかにまだ自分の足跡のしるさない未知の細道にふと出くわすものだ。
 私は霜じめりした山のはざまの細径が好き。
 楢や山もみじや松葉や萩の落葉が重なり合って吹き寄せられていたり、下積みは黒っぽく腐りかけていたり、その上にどこから降り落ちてきたか、まだ色あせぬ山どうだんのこまかい紅のちぎれ葉が、まぶしく散らした紅しょうがのように、ぱっと眼を射られたときなど、なんとはなく生きていると思う。
 生きているとは、こんなひそやかなことなのだと思う。
 そんなときに限って見上げる空が、不気味なほど冴えているのも不思議なことだ。
 胸の張るうれしいことだ。

 むかし私が手作りの梨を背負って売り歩いた炭住地はすぐ眼の前、だがその上り坂は今日はもうない。
 形はあるが道はない。
 何百棟の犇(ヒシ)めいた長屋も、一気に圧(オ)しならされた茫漠(ボウバク)たる方形の一大造成地帯と変わり、まるで他国で見た岩石層の異形な侘びしい丘陵に向かってたたされたようだ。
 その横腹に生きていた芒(ススキ)の一株が何に向かってのたうつのか、銀茫を振り立て、枯骨のような白い金茎をゆさぶり続けて、見た目に妖しくたくましい。

 今年の過ぎた三百余日をふり返ってなどとよく問いかけられるが、私は唯途方に暮れて薄笑いに心の乱れをごまかすより外にない。
 過去生きてきた二万余日のくらしの中からは凡(オヨ)そ思いもかけぬ、一点の赤い焚き火のまろみを夜の林間に垣間見た思い、とそれだけで私の全身の吐息はどんなに大きくゆらぎ、荒らぎ、しわんだ眼が久しぶりに輝いて、涸れていた涙にうるおうた。
 しかしそれは唯一瞬。
 浦島太郎が一匹の亀に逢うて味おうた、三百年の歓喜の夢の成れの果ての凄まじさに私はおびえたくない。

 自分が無心に投じた一塊の小石の波紋の消えるのを唯待っている現在なのだ。
 私は老いている。
 歩き忘れたほそ道の落葉の踏み心地に酔って、この無心を乱してほしくない。
 このひっそりした有頂天をゆるして欲しい。」


 彼にこうした日が訪れるよう、祈りたい。




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2013
09.20

【現代の偉人伝】第179話 ─機械加工3級合格の高橋涼君─

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〈大崎タイムスさんからお借りして加工しました。髙橋涼君です〉

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〈『歴程』さんからお借りして加工しました。故三野混沌氏です〉

 9月16日付の大崎タイムスは、機械加工(平面研削盤作業)3級検定に県内の高校生として始めて合格した高橋涼君(18才・古川工業高定時制機械科3年)を紹介した。

「機械好きだったわけではないが、勉強するうちに興味が増してきた」
「県内初の合格者になりたい」


 午前7時50分から午後3時30分まではたらき、登校する。
 4時間の授業が終わると、機械科の科長高橋教諭の車で会社へ戻り、1時間半から2時間の練習に励み、見事に合格した。
 2級の資格を持つ高橋教諭の指導を受けたが、検定試験で使うコンピューター制御なしの汎用機が学校になく、機械加工業のワイドテクノ(加美町)の協力を得た。
 3級のレベルは、コンピューターでもできない1000分の5ミリ単位という高精度の技術である。

「高橋先生に遅くまで教えてもらったので、絶対合格しなければと思っていた。
 会社の汎用機を壊し迷惑をかけてしまった上、実技試験に上司が応援に来ていたのでプレッシャーがあった」


 高橋教諭は「前向きで妥協しない性格の生徒」と評価する。

 高橋涼君は、すでに前を向いている。

「年度内は資格試験に挑戦し、来年度は進学に向け受験勉強に専念したい。
 研削の仕事に就職できれば、2級にも挑戦したい」


 こうしたまっすぐな人がいることは嬉しい。
 志のために集中して時間を使えば、余分な時間はなくなり、人間としての能力が開発される。
 誰でも成長し、老いるが、能力を開発すれば一段、抜け出られる。
 それは、誰かと比較しての問題ではなく、惰性の人生からステージを一段上げて生きることだ。

 私たちは惰性で生きていないだろうか?
 余分な時間を過ごし、人生がボロボロとこぼれ落ちていはしないだろうか?
 髙橋涼君のひたむきな姿は、若者を奮い立たせるだけではない。
 そのひたむきさは、呉地正行先生にも、故三野混沌にもつながっている。

「日本雁を保護する会」会長の呉地正行先生は若き日、決心した。

「成り行きまかせで社会に組み込まれていくのではなく、内的欲求のほとばしりによって一瞬一瞬を充実させる生き方を選ばねばならないと考えた」


 そして、64才になられた今も、雁の保護と、ふゆみずたんぼの普及に全力をかけておられる。

「洟をたらした神」を書いた作家吉野せいの夫、故三野混沌は詩人であり開墾に一生を捧げた農民だった。
 晩年、脳軟化症になり、夜中に起きて暴れたりもした。
 吉野せいは書いている。

「若いときから、表現だけを生きがいにしてきたひとですから、全く表現の方法を奪われた晩年は、その鬱積したものが怒りのように爆発したのだと思います」
「私が何か思い余って、枕元でつぶやいていたら、はっきりと『なげくんでねえ』といってくれた。
 最後の頃、時々『おっかあ』と微かに呼んだ。
 口を動かすのだが、私には言葉としてききとれない。
 わかんねえよ、困ったなあというと黙ってしもう。
 も少し私に誠意があったらききとれたであろうに。
 でも、しづかな実にしづかな終わりであったことが、うれしい」


 ひたむきな姿勢は一生である。
 還暦を過ぎても、死を迎えても、生を充実させ続けることはできる。
 高橋涼君の前途にご加護がありますよう。




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2013
09.19

第四十五回寺子屋『法楽館』─雁と田んぼが教える共生の世界─

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 10月12日の寺子屋は、「日本雁を保護する会」会長の呉地正行先生から、雁の保護と「ふゆみずたんぼ」についてご講演をいただきます。
 30年の歳月をかけて「シジュウカラガン」の回復事業に取り組み、世界で初めて水田に注目したラムサール条約湿地「蕪栗沼・周辺水田」の実 現に 尽力された呉地正行先生は、「雁という文字は、人(イ)と鳥(隹)がひとつの屋根(厂 )の下に共生している」と指摘し、雁と水田農業との共生を目指す「ふゆみず たんぼ(冬に水を張る 田んぼ)」の普及をめ ざしておられます。
 当山の自然農法『法楽農園』においても「ふゆみずたんぼ」を実践する計画です。
 ご講話をお聴きし、いきとしいけるもの は〈多様性〉と〈共生〉によって存在しており、人間もまた、互いを尊び合うことでのみ平和で豊かな地球に生きられることを確認したいものです。
 
 呉地正行先生の『雁よ渡れ』を読みました。

「僕がほんとうに参ったと思ったのは、夜明けとともにねぐらから飛び立つ時の、人を圧倒する光景である。
 東の稜線を染める一筋の光が伊豆沼の水面に差し込んだ。
 黒々とした雁の大きな塊にひび割れが生じた。
 明るさが増すにつれてそれが小さな個体に別れ、ゆっくしと滑るように動き出した。
 お互いを確かめ合うような鳴き声で騒々しさが増す。
 湯がたぎり始めるように動きと鳴き声が活発になったと思った次の瞬間、何かの合図を受けたかのように群れは水面を離れた。
 一瞬の静寂の後に、キャハハーンという鳴き声とギシギシギシという羽音が天を埋めた。」
「入り江を、また伊豆沼をとよもす(鳴り響かせる)雁の飛翔には魔の力がある。
 初対面以来、忘れがたく思っていた雁に対する僕の心はここでついに金縛りにあった。
 人生に一度、人は人生の方向を狂わす何ものかのとりこになることがある。
 僕はそれにつかまった。」


 学園闘争で東大が入学試験をとりやめた年、物理学に興味を持って東北大学へ入ったものの、生き方そのものが最大の問題となりました。

「僕は成り行きまかせで社会に組み込まれていくのではなく、内的欲求のほとばしりによって一瞬一瞬を充実させる生き方を選ばねばならないと考えた。」


 そして伊豆沼の雁と出会われました。

「雁は僕の人生を狂わせた。
 それにうらみを持っているわけではない。
 むしろ礼をいいたいくらいである。
 素晴らしい人生の送り方を教えてもらった。
 それに彼らの生活を調べると、人間が学ぶべきことが多い。」


○雁は一夫一婦制で家族一緒に行動する
 父親が鳴き声とくちばしで示す方向へ、家族揃って移動する。
 一緒に食事をしていて、場所を変えたい場合は誰かが頭を左右に振って合図をする。
 同意すると同じように頭を振り、全員が同意すると飛び立つが、一羽でも頭を振らなければ移動は中止となる。
 家族から一羽でも落伍者を出さないためである。

○雁は多勢が力となる
 二家族が同じ場所で食事をしようとした場合、本格的なケンカにはならず、家族数の少ない方が遠慮する。
 数の多い家族に属する幼鳥が、数の少ない家族に属する幼鳥や成鳥をいじめる場面があるとは、人間社会を思わせる。

○雁は団結して守る
 昔、ハンターに打たれて(現在は禁止)一羽が倒れた時、6、7羽が取り込み翼で扇ぎ立てた。
 そして、上空からハンターに波状攻撃をしかけたという。
 タカにつかまった仲間を地面に押さえつけられたヒシクイ6、7羽が、タカを取り囲んで翼でめった打ちにし、失神させてしまったこともある。

『雁よ渡れ』を読むと、雁のかげがえのなさも、雁を守るための環境保全の重要性も、強く胸に迫ってきます。
 本書をご覧の上、ご講話を聴いていただければ、ご講話が、よりわかりやすくなることでしょう。




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2013
09.18

ネコの恩返し ─愛猫の死が禁煙をもたらした話─

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 Aさんが述懐されました。
 
「長い間、一緒に暮らしたBちゃんを最近、送りました。
 思い出さない日は一日もありません。
 辛いですね……。

 思い切ってタバコを止めました。
 悲しんでいるうちに、なぜか、身体をいたわって生きなければ、と思ったんです。
 おかしなものです。

 しかし、タバコを吸っている時は快調だった身体が徐々に狂い始め、咳が出るわ、喉がおかしいわで、ついに胸をやられたかと思い、とても不安になりました。
 医者に行く時間はないのでネットで調べてみると、タバコをやめた方々が同じような後遺症に悩んでいることを知りました。
 そして、辛い期間を耐えれば、タバコをすっかりやめられることもわかりました。
 悲しいし、体調がおかしいし、今は大変ですが、一緒に寝起きしていた家族を失ったできごとの重さと比べれば、何のことはありません。
 必ずタバコを止めて、どんどんはたらきますよ」

 AさんのネコBちゃんは、もしかしたら、Aさんの愛情があるのでがまんできたけれども、タバコの害を感じていたのかも知れません。
 そして、ご主人様より先に旅立つ際の心残りは、ご主人様の健康だったのかも知れません。
 思いが通じ、Aさんは不意に禁煙を思い立ったのではないでしょうか?
 Aさんは心のどこかで、Bちゃんの分も生きてやろうと思われたのでしょう。
 Aさんのこれからの人生には、Bちゃんの思いも支えになってくれることでしょう。
 家族は嬉しく、楽しく、愛しく、心強いものです。
 



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2013
09.18

映画『洟をたらした神』を観賞して ─原発事故が奪い去った〈見届けられるべき世界〉─

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 第四十四回寺子屋法楽館』では、映画『洟をたらした神』を観賞し、語り合った。

 福島県石城郡小名浜町(現在のいわき市小名浜)に生まれた吉野せいは、好間村(現在のいわき市好間町)北好間の菊竹山で開墾生活をしていた詩人三野混沌(本名=吉野義也)に嫁ぐ。
 当時の鹿島村(現在のいわき市鹿島町)には八代義定の書斎「静観室」があり、解放された書斎では若者たちが集い、人生を語り合い、思想や哲学を学んでいた。
 二人はそこで出会った。
 混沌のプロポースの言葉にこうした一節がある。

「貴女に頼られれば自分は強くなれる。
 私は貴女を限りなく愛する」


 開墾地には水が無く、沢まで水汲みに往復せねばならない。
 水すがり、水に生かされ、水に感謝する生活である。

 次々に子供が生まれ、極貧の中で懸命に育てる。

「生活がいかに苦しかろうと、天からの授かりものは生きねばならぬ」


 長男は流行のヨーヨーを欲しがるが、買ってもらえない。
 彼は、ついに、自分で作り上げる。
 子供といえども、貧乏に耐えているうちに知恵が出て、芯が強くなる。
 貧乏な家族は、一緒に耐える者として互いを思いやり、結びつきが強くなる。
 
 肥料は小学校から譲られる人糞である。

「切り拓く土地を痩せさせてはならない。
 一握りの土地を守らねばならない」


 明治27年に生まれた吉野混沌は、洗礼を受け、早稲田大学を中退した。
 山村暮鳥や草野心平と交わり、野の詩人と称された。

「天日(テンジツ)燦(サン)として焼くが如し、出(イ)でて働かざるべからず」


(陽光は厳しく、しかし、いのちを育くむ強い力で照りつけている。さあ、野へ出て、はたらこうではないか)
 夫婦でこう覚悟を確認し合いながらはたらき、最後も野へ出ようとして倒れた。
 
 大震災と津波、そして原発事故をくぐり抜けて生きている私たちは、ここまでいのちをつないでくれた先人に対して何ができるのだろう。
 吉野せいは結婚に際し、新たな出発をすべく、書き溜めた原稿や日記をすべて焼き払った。
 そして、子供たちを育て上げ、夫を送った後に、再びペンをとった。
 時、71才だった。
 生き残った吉野せいは、確かに〈見届け〉、それを記したのだ。
 私たちも老いたならば、人生に残された最後の仕事は〈見届ける〉ことではなかろうか?
 しかし、見届けられるべき故郷が、大地が、自然が人間の生から切り離されれば、もう、それはできない。
 原発事故のもたらした最大の悲劇はここにある。
 人々が、自分の生きた軌跡を、皆で耕した成果を、町や村を包み育んでくれた自然を見届けられないこと、これはまごうことなき悲劇である。

 確かに『洟をたらした神』は苦闘の歴史である。
 しかし、軌跡を見届ける吉野せいには、活き活きした感性に応え、静謐な安寧をもたらしてくれる世界が残されていた。
 この世界の喪失は惨い。
 喪失には人間の手が加わっている。
 私たちは、原発事故が何をもたらしたのか、よくよく省みる必要があるのではなかろうか。




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2013
09.17

お医者様から「もう治せない」と告げられたら……。

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 Aさんが、長年、かかりつけのB先生から告げられました。
「この先はもう、私には治してあげられません」
 Aさん。
「えっ、では病院を変えなさいということですか?」
 B先生。
「あはは、そうではありませんよ。
 だいじょうぶです。
 あなたはここから離れられないでしょう?」

 困惑したAさんは当山を訪れました。
「とてもショックなのですが、私の病状を全部わかってくださっている唯一の先生なので、どうしたらよいかわかりません」
 今の症状について他に信頼できそうな先生がおられないかどうかお訊ねしたところ、心当たりのある方はあるとのこと。

 申しあげました。
「これは貴方にとって朗報です。
 B先生はとても正直な方だから、まず、ここから先、貴方をどんどん回復させることはできないかも知れないと、正直に言われました。
 今は、病院も学校などと同じく儲けようとしなければなかなかやってゆけない時代になりました。
 だから、二つの問題ある動きが生じています。
 一つは、悪名高い薬漬けです。
 もちろん、ほとんどのお医者様は使命感に燃えて業務に励んでおられるはずですが、中には、必要以上に薬を処方して〈売り上げ増〉をはかっているのではないかと疑われるケースも見受けられるようです。
 ただし、あまりにも刺激的な報道のために、患者さんが無用の医師不信や医療不信に陥るかも知れませんので要注意ではありますが……。
 もう一つは、これも最近盛んに報道されるようになった患者さんの囲い込みです。
 サービス業よろしくあの手この手を用い、投網を打つようなえげつない方法で〈お得意さん〉を掴もうとすることもまた、人様のいのちを扱う職業としてはいかがなものかと思われます。
 こうした状況の中で、長年通われているいわば〈お得意さん〉である貴方へ真実を述べられたB先生はすばらしい方です。
 ではB先生はなぜ、後の言葉をつけ加えられたのか?
 それは、貴方を不要に落ち込ませないためでしょう。
 貴方へあまりに強いショックを起こさせないためでしょう。
 ちょうど、子供を叱った後で長所を誉めるような思いやりです。
 だから、笑いながら言われたのです。
 
 なかなか病状が好転しないと思っておられる貴方にとって、このできごとは、少なくともセカンドオピニオンを探すチャンスです。
 心当たりのあるお医者さんへ相談してみてはいかがでしょうか?
 大切なのは、決してA先生に不信を抱いたり、怒ったりせず、自分の先行きへ不安よりも希望を持つことです。
 A先生はこれまで貴方を守り、真実を告げてくださった大恩人です。
 すべてのものは変化します。
 貴方とA先生との関係も、もしかして始まるかも知れないB先生との関係も変化がもたらすのです。
 大切なことは、変化して止まないという真実をそのままにとらえ、変化を生かす工夫をすることです。
 生かすとは、希望し、願う方向へ運命の舵を切ろうとすることです。
 人は誰でも〈よかれ〉と願います。
 B先生もまた、そう願って貴方に真実を告げられました。
 貴方は遠慮せず堂々と、〈よかれ〉と願う方向を目ざすべきです。

 これは、貴方にある〈隠れているものごとが明らかになる〉という運勢のよき顕れでもあります。
 努力を惜しまず、仏神を敬い、周囲への感謝も忘れない貴方は運気を生かす三力が備わっています。
 事実が諦かになり、運気も味方しています。
 自信を持ってお進みください」




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2013
09.16

お柩の中からお顔を顕した方 ─この世へ届く死者の思い─

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 枕経にかけつけ、修法般若心経へと進んだ。
 誰かが近くで一緒に唱えている。
 ただし、気配だけだ。
 やがて、瞑目する脳裏に見たことのない顔が浮かんだ。
 それはおの中で横たわる方に違いない。

 修法が終わり、枕経の意義をお伝えしてから、初対面のご遺族へお訊ねした。
「お会いさせていただけますか?」
 会館の方が素早く蓋を動かす。
 お顔はまぎれもなく〈その顔〉だったが、お会いしたことはない。
 ご遺族が語られる。
「お経とは無縁の人だったのに、亡くなる頃は般若心経写経セットを取り寄せ、少しづつ書いていたところでした」

 ゆっくりと、ご経歴などをうかがう。
 やはり私との接点は見いだせない。
 共通項と言えば、般若心経への思いと、故人は仕事を通じて産経新聞と朝日新聞にかかわり、私もまた、両紙の愛読者であることだけだ。
 故人は、調子のよい日を選び、見えにくい目とおぼつかない手でやっと一行を書かれたという。
 写経はついに完成に至らなかった。

 故人は導師と共に、経文と一体になる修法の世界へ入り、未完成の般若心経を完成されたのだろうか。
 般若心経は最後に真言(呪文)の神力を説く。
「能(ヨ)く一切の苦を除く。
 真実なり、虚(ムナ)しからざえるゆえに。
 般若波羅蜜多(ハンニャハラミタ)の呪(シュ)を説かん。
 即ち呪(シュ)を説いて曰(イワ)く、掲諦掲諦(ギャテイギャテイ)、波羅掲諦(ハラギャテイ)、波羅僧掲諦(ハラソウギャテイ)、菩提薩婆訶(ボウジソワカ)と。」

 お訊ねした。
「未完成の般若心経はどうされるんですか?」
「私たちはどうすればよいのでしょうか?」
「お別れの日に、ぜひ、おへお納めして一緒にお送りしてください。
 当山では、ご家族やご友人が写経納棺されるケースがあります。
 修法して納棺する『血脈(ケチミャク)』は、あの世の御守ですが、経文ももちろん、安心をもたらす大きな力となります」

 導師の脳裏に顕れ、伝えられた故人の思いは、ついに、成就する。
 語られなかった言葉は、懺悔だったのか、それとも感謝だったのか、それとも家族の幸せへの祈りだったのか……。
 ご遺族それぞれの胸には、確かに届いたことだろう。




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「のうまく さんまんだ ばざらだん かん」※今日の守本尊不動明王様の真言です。
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2013
09.16

仏神と御霊と自然へ捧げるフォルクローレの会 ─ロス・ミドラス─

20130916b97dd638.jpg
ロス・ミドラスさんです。b97dd638さんからお借りして加工しました〉

20130724NOUENのコピー
〈セブンイレブンが目標です〉

法楽農園案内(写真入り印刷用) - コピー - コピー-1
〈造り始めたところで、まだ、未完成ですが……〉

 午前10時に始まる彼岸供養会の後、自然農法の『法楽農園』において、天地の恵みと守本尊様のご加護に感謝し、御霊を供養する音楽会を行います。
 ラテンアメリカの山脈や草原に発する民族音楽であるフォルクローレは、日本人の感性にまっすぐ届くものを持っています。
 演奏は、東日本大震災の被災地でも活躍された『Los Midoras(ロス・ミドラス)』さんです。
 平成22年の「コスキン・エン・ハポン2010」日本代表審査会で見事、日本代表となり、平成23年1月から2月にかけて行われた世界最大のフォルクローレ祭典『COSQUIN2011』においては、アルゼンチン共和国のコスキン市で演奏を披露して喝采を博しました。
(http://www.youtube.com/watch?v=fNdmpckJXN4 )
 メンバーに亀屋石材店(利府町)の伏見信壱氏がおられ、ご縁となりました。

・日 時 9月23日(月)午前11時より
・場 所 『法楽農園』荒天の際は法楽寺講堂
・申 込 イスを用意する関係上、前日5時までに電話やメールなどで参加をお申し込みください。
・入場料 供養会につき無料
・送 迎 当山より会場まで送迎いたします。ご希望の方は、前日午後5時までに必ずご連絡下さい。




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2013
09.15

盛岡市のラカン像と『みやぎ四国八十八か所巡り道場』完成への思い

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20130915001 (2)
〈河北新報さんからお借りして加工しました〉

 信徒Aさんから新聞の切り抜きをいただきました。
 平成25年6月16日付の河北新報に掲載された「石造十六羅漢像(盛岡市)」です。
 
 盛岡市茶畑の「らかん自児童公園」に5体の如来像と16体のラカン像があります。
 5万8053人の寄進によって嘉永2年(1849年)に完成した尊像は、発願から17年以上の歳月をかけて完成しました。

 南部藩で起こった天明飢饉のおりに多数の餓死者などが出たことを憂いた祇陀寺の住職天然和尚は、尊像建立のために托鉢を行い、天保4年(1833年)、病気で倒れます。
 天保飢饉のまっ最中に後を託された弟子泰恩和尚は、長松寺の住職を辞して托鉢を始めました。
 天保8年(1837年)、集まったお布施と借入金による建立が始まり、12年の歳月をかけて尊像は完成しました。

 長松寺住職の斗ケ沢祥悦氏(71才)。

「民が苦しんでも藩は、助けてくれなかった。
 自分たちが何とかしないといけない、という思いがあったのでしょう。
 ましてや僧であったわけです。
 その思いは現代人の想像をはるかに超えるものです。」


 この頃は全国的に石仏の建立が進められていました。
 盛岡市文化財保護審議委員大矢邦宣氏(69才)。

「この時期、国内では貧富の差が拡大し、国の周囲では外国船が近づいてさわがしくなっていた。
 仏の教えが続くように、皆を救ってもらえますようにという人々の願いがありました。」


 泰恩和尚は完成の翌年にこの世を去りました。
 人が去っても願いは形となって残り、言い伝えられて残り、合掌する人の心へ届きます。

 オウム真理教が世間を震撼させ、麻原彰晃が逮捕されるという騒動のまっ最中に宗教法人の認証を求めていた当山は、平成8年に認証を受け、平成11年には『托鉢日記第二集』を出版し、寺子屋建立運動を開始しました。
 托鉢でお訪ねしたお宅のテレビは圧倒的にオウム真理教について報道していました。
 今回の津波で跡形もなく失われてしまった沿岸部の方々は、よくぞ、見たこともない僧侶の托鉢を受け入れ、お支えくださり、人生の真実をお教えくださったものだと、奇跡のようにさえ思えてきます。
 それから10年、講堂の建立と本尊大日如来の開眼法要に至りました。
 江戸末期の僧侶方は飢饉という抗えない状況において救いを求め、行動を起こしました。
 当山は、現代人の心に忍び寄っている荒廃を感じて寺子屋を始め、44回目となった今月の寺子屋では映画『洟をたらした神』を観賞し、映画の舞台となった福島県で今、失われつつあるものと、私たちの文明が置き忘れつつあるものを実感しました。
 また、当山は、江戸時代の寺子屋で用いられていた教材である『実語教・童子教』を用いた講話も続けています。

みやぎ四国八十八か所巡り道場』の建設運動は、托鉢に訪れた皆さんから「行きたいけど四国までは行けない……」と聞かされたたくさんの思いと、私自身が四国の霊場で救われた強烈な体験とに動かされて始めたものです。
 ようやく工事に着工してまもなく東日本大震災が起こり、犠牲になられた御霊のご供養も大きな願いに加わりました。
 長年にわたり道場用地を確保し、お支えくださったA氏が今年、他界されました。
 托鉢でお会いし、お支えいただいた方々の願いにお応えするため、東日本大震災で犠牲となった方々とA氏の御霊をご供養するため、何としても完成させねばなりません。
 日々の人生相談、ご供養、ご葬儀、ご祈祷などと平行して、建設の趣旨をより多くの方々にお伝えしようとする力はあまりに微少なものでしかありませんが、幸いにして、ご理解の輪は徐々に広がりつつあります。
「仙台で行われた四国八十八か所巡りの御砂踏みが大盛況だったので、法楽寺にそういうところがあればいいなと思って少しだけ協力しました」(宮城県在住のB氏)
「私自らはよろこんで寄付をさせていただく余裕がなく残念でございますが、崇高なご意思に仏様のご加護がありますように」(関西在住のC氏)

 飢饉の中で尊像建立にかけた方々の心へ思いをいたし、大震災と原発事故に遭った東北の地で祈り、情報を発信し、道場の完成へ向かうため、今日も微力を尽くします。
 大和町宮床での祈りが仙台市の道場へ届き、恩人の方々と犠牲者の御霊方へ届きますよう。




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「のうまく さんまんだ ぼだなん あびらうんけん」※今日の守本尊大日如来様の真言です。
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https://www.youtube.com/watch?v=LEz1cSpCaXA





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2013
09.14

蜜蜂に教えられる真実 ─蜜蜂の大量死・予防原則・原発─

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 9月12日のNHK「クローズアップ現代}は「謎のミツバチ大量死 EU農薬規制の波紋」を放映した。
 日本を始め、世界各国で蜜蜂の大量死や大量疾走が続出し、5月24日、EUがついにネオニコチノイド系農薬の規制を決めたのである。
 最近の研究によると、農薬と蜜蜂の被害との相関関係は認められるが、完全に立証されたという段階ではない。
 しかし、世界各地で現に蜜蜂が激減しており、養蜂家などは体験上、農薬散布以外にはっきりした原因はないと主張している。

 こんな中、EUは実質2年間の禁止となる規制を決めた。
 その理論的根拠は、EUが基本理念とする「予防原則」である。
 予防原則とは、環境に対して重大な影響を及ぼしかねないものについて、因果関係が科学的に立証されていなくても、予防的な処置をとるという考え方である。
 そもそもは、今から40年ほど前にドイツなどで起こり、これまでに、オゾン層の保護や食品の安全確保などに関してさまざまな取り決めが行われてきた。
 平成10年、アメリカで行われた第7回ウィングスプレッド会議において発表された「予防原則に関するウィングスプレッド宣言」である。

「活動が人の健康と環境に対して危害を及ぼすおそれがある時には、たとえその因果関係が科学的に十分立証されていなくても、予防的手段が行われるべきである。
 これに関連し、一般の人々ではなく活動を推進する人は、立証責任を負うべきである。
 予防原則を適用するプロセスは、開放的でなければならず、情報が提供され、民主的でなければならないし、影響を被る可能性のある人たちも含まれなければならない。
 そして、その活動を放棄することを含め、幅広く代替案の検討も含まれなければならない。」


 私たちは、虫に噛まれず商品価値の高い農作物を大量に作ろうとして、カメムシなどを駆除するネオニコチノイド系農薬を開発した。
 しかし、6月18日の朝日新聞は「ミツバチ群れ 農薬で『崩壊』」において金沢大学の山田俊郎教授の発表を掲載した。

「即死しない濃度でも、農薬を含んだ餌を食べたハチの帰巣本能がだめになり、群が崩壊すると考えられる」


 養蜂の現場における被害はすさまじいものがあり、経験上、因果関係が明らかであると考える周辺の農家には、農薬の使用を見合わせる動きが起こりつつある。
 蜂が訪れて受粉する地域から農薬がなくなれば蜂が救われるだけでなく、結局は作物も、人間も救われるからである。

 EUでは、ブドウやヒマワリやトウモロコシなど、ほぼ、すべての農場で農薬が使われており、それが使えなくなった場合の経済的損失は莫大である。
 EU植物保護産業組合のジャン・シャルル・ボケ氏。

「私たちの試算では、この農薬の規制によって、年間40億ユーロ(およそ5千億円)以上の損失があるとみています。」


 農場経営者のジェオルジ・ラシュコ氏。

「来年から、どう作物を育てればいいのか心配です。
 62人の従業員を、どうすればいいのか。」


 農薬の規制は、農業経営や食料の安定生産を揺るがし、EU全体の経済状況の悪化にもつながるのではないかという指摘もある。
 それでもなお、EUは規制に踏み切った。
 EU委員会のフレデリック・ヴァンサン広報官。

「私たちは、更なる調査が必要であるという事実は認めています。
しかし、判断のもとになったのは、『われわれは今、何をすべきか』ということです。」


 多くの人々は、蜜蜂の生き死になんて蜂蜜を食べる人にしか関係がないと思うかも知れないが、蜂たちのはたらきがなければ多くの農作物が死滅する。
 蜂の幼虫が育つためには栄養価の高いエサが必要である。
 だから、蜂は花粉を集めるために花を訪問し雄しべを噛む。
 それを「訪花活動」という。(何とゆかしい呼び方だろうか)
 そのおりに身体へついた花粉が花の雌しべに移り、受粉が行われる。
 蜂と植物は見事に共存しており、蜂がいなくなれば植物もまた、子孫を残せず、生き残れない。

 こうして自然の節理に従っている生きものたちの生態系を破壊しつつ、人間だけが生き延びられようか?
 人間だけがつごう良く生き延びてよい理由はあるだろうか?
 生態系の中に位置づけられている人間もまた、それを維持しつつ生き延びられない理由はあるだろうか?
 こうした人間存在そのものに関する問題は、科学だけでは解決できない。
 必要なのは叡智であり、「予防原則」は、まぎれもなくその発露である。
 原則の根拠となっている「現段階における科学には限界があり、その光はすべての真理を照らしきれていない」という謙虚さもまた、その発露である。
 そして、科学では充分に立証されていない人間の悪行についての怖れもまた、その発露である。

 ネオニコチノイド系農薬の使用は、自然へ対する悪行に近いのではないか?
 原発の使用も、人間が神の座へ就こうとする悪行に近いのではないか?
 それらをやめれば、確かに莫大な〈損失〉が発生するだろう。
 しかし、それは、未熟な人間が行った勇み足への贖罪として、共に引き受けねばならないのではなかろうか。
 ここで〈損失〉を避けようとして悪あがきすれば、結果が贖えきれないものにならぬという保証はどこにもない。
 私たちは小さな蜂に目覚めされられつつある。
 ──とてつもなく肝心な真実について。




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2013
09.13

戒名料やご葬儀料の決め方 ─〈相場〉へ逃げず、人生の大事については自分で考え判断しましょう─

20130910002.jpg

 Aさんが人生相談にご来山されました。

「親族が亡くなり、一緒にお寺へでかけたら、すぐに戒名料の話になりました。
 私は、人が亡くなれば先祖代々のお寺へ頼み、お寺から言われるとおりにするものだと思っていましたが、住職からお金が請求される様子と、その金額に驚きました。
 また、帰り道で、親族から、こんなにとられる戒名って何なんだという話が出て、そう言えば何なんだろうと始めて疑問を感じました。
 私は定年までもう少しのサラリーマンですが、これまで、同僚の誰とも、戒名の意味について話題になったことがありません。
 妻が重い病気に罹っていることもあり、思い切ってご相談にでかけてきました。
 戒名をつけて人を送るとはどういうことなんでしょうか?」」

 まず、戒名とは、戒律と共に授かる名前であり、それは、この世に生まれた時に親が名前をつけてくれるように、あの世の旅人になる時に、親であるみ仏がつけてくださる名前であることをお伝えしました。
 だから、一介の行者である僧侶などが決められるはずはなく、祈るご本尊様から降りたものをお伝えするという戒名の決まり方についてもお伝えしました。
 こうして授かる戒名の意義からしても、あくまでも自発的でなければならない布施の本義からしても、当然、戒名料の決めようなどはありません。
 親が我が子の未来に幸せあれと願って名前を考え抜き、与えてくれる恩義をお金に換算することはできません。
 同様に、み仏から降りる戒名をお金に換算するなど、冒涜と言うべきです。
 戒名を受けた方のご家族が、その意義と価値を皆さんでよく考え、疑問があればそれに携わるプロである住職へ質問し、財布の状況なども考慮してご本尊様へお納めくだされればよいのです。
 
 Aさん。

「意味はわかりましたが、金額はあまりに漠然としていて、考えようがありません」

 お寺が請求するものではありませんと申しあげると、よく、でも、わかりませんので……、と言われます。
 わかりにくいのは当然です。
 なぜなら、生まれるのも死ぬのも一生に一度なので、それにかかわることごとは、私たちの日常生活とかけ離れているからです。
 車を一台買うのなら、あるいは家を一棟建てるのならば、その金額については、さまざまな面から比較して「これくらいにしておこう」という感覚がはたらいても、名前を決めたり、戒名をもらったりする行為には比較するものがなく、感覚がはたらきにくいのです。
 だから、戒名料や葬儀代について考えるヒントとして、〈意識して日常的なものと比べてみる〉ことをお勧めしています。
 たとえば、自分にたった一つの名前をつけ、育ててくれた親の恩を思い死後の安心を願う時、み仏へ託するにふさわしいお布施は、自分にとってテレビ一台分なのか、給料一ヶ月分なのか、あるいは車一台分なのか、と考えてみることです。
 親の恩に報いるのは育てられた自分です。
 考えて判断できないはずはありません。
 もしも軽々に周囲へ世間の相場を訊いて終わりにするならば、親の恩を軽々に扱っているのかも知れません。
 そもそも、上記の本意からすれば、戒名やご葬儀のお布施に〈相場〉などありはしないです。 

 Aさん。

「よくわかりました。
 こうしたことを考えたことがないのは恥ずかしいと思います。
 でも、仕事に追われているだけの毎日ですから……」

 それはそれで結構であると申しあげました。
 死後の心配などせず、まっとうな仕事に就き、夢中ではたらける国に生まれたのはありがたいことです。
 何も、皆さんが皆、朝から般若心経を唱えなくても大丈夫です。
 ただし、家族や親しい人、あるいは大切なペットなどとの別れは誰一人、避けられません。
 自分の〈その時〉がいつ訪れるかもまた、誰にもわかりません。
 だから、自分や家族などが大病に罹ったり、死を身近に感じたりした時は、そこで日常生活の疾走を弛め、おちついて人生をふり返り、死と向かい合う必要があります。
 もしも何も考えないままにサラッと流してしまえば、結局、心の準備もなく〈その時〉を迎え、自分があたふたするだけでなく、周囲もまた、あたふたとことをはこぶしかなくなります。
 これでは、真剣に生きたとはいえない人生になりかねません。

 Aさん。

「あのBさんが、お寺の選び方について書いていました。
 こちらの娑婆から、あの世行きの船に乗る時、どの船を選んでも結局、着くところは同じお釈迦様の世界だから、宗派やお寺は気にしなくてよいそうですね」

 とんでもありません。
 どこの船着き場から、いかなる船に乗ってどういう航路をたどるか、また、向こう岸がどうなっているかは千差万別だからこそ、さまざまな宗派があり、お寺があります。
 徒歩か自転車かバイクか車か電車か飛行機か、交通手段はさまざまです。
 また、運転手や操縦士もさまざまです。
 この世もあの世も多様です。
 有名人が書いているからと鵜呑みするのはいかがなものでしょうか。
 そもそも私たちの脳は多様性の中でしかはたらくことができません。
 赤い花も白い花も青い花もあり、その多様性を区別するところから私たちの感覚世界も、思考世界もはたらき出すのであって、のっぺらぼうのイメージは何も想像させず、何も創造できません。
 こうした「どうせ皆、同じ」という議論ほど、私たちから好奇心や興味や研究心を奪い、人生の発展や深化の機会を奪うものはありません。
 私たちはラーメン一杯、食べようとする時でさえ「どこへ行こうか?」「あいつからC店が旨いと聞いたことがある」「やはり、あそこがいいか」などと知識や記憶を総動員して考えるではありませんか。
 人生の大事についてだけ思考停止した方がよい理由はまったくありません。
 船を調べ、船頭を調べ、船着き場や航路を調べ、向こう岸はどうなのかと想像をはたらかせ、できれば確信を持ちたいものです。

 企業戦士として戦い抜き、あまりに早い死を迎えたDさんと対話したことがあります。

「私はろくでもない人生を送ってきました。
 どうせ、地獄へ行くのでしょう。
 でも、今となれば、周囲へは何もかも感謝ばかりです」

「仏法によれば、私たちのあの世がどうなるかは、前世からの因縁と、この世で積んだ善業(ゼンゴウ)や悪業(アクゴウ)とによって決まります。
 ただし、ダライ・ラマ法王は、最も強い影響を及ぼすのは、より、死へ近い時期の業であると説かれています。
 また、より、強く意識することが、より強い影響を及ぼすそうです。
 だから、Dさんの心が今、感謝に満ちている以上、安心へ向かっているのは間違いないと思います。
 また、過去を懺悔しておられれば、悪業の悪影響を抑えられるはずです。
 私たちは、パソコンで上書きするように過去をなかったことにできはしませんが、心がけ次第で業の影響力はコントロールできるのです。
 私もかなり悪業を積みましたが、Dさんと同じく日々、懺悔と感謝ばかりです。
 だから自分の行く先については、何の心配もしていません。
 心にかかるのは唯一、子供たちと日本の未来です。
 そのために、遺すべきものを遺す準備を進めています」

「──そうですか……」

 Dさんのお顔に穏やかな光がさしました。

 自分で考え、よく学び、納得を得ること。
 安心は必ずその先に待っています。




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2013
09.12

十倍返しの気っ風と蓮華の花 ─山口恵以子氏に想う─

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 9月8日付の産経新聞へ掲載された「こっちは十倍返しだ!」を読んだ。
 小説『月下上海』で松本清張賞を受賞した山口恵以子氏(55才)が書いた受賞に関する逸話である。

 賞金500万円をもらった氏は、その金額からしても、受賞作家がベストセラーを連発しているのを見ても、受賞作が相当数、売れるものと思い、「アブク銭」は「後生大事に貯金なんかしたら罰が当たる」とばかり、親しい人やお世話になった人のために大宴会を企画した。
 合い言葉は「半沢直樹が倍返しなら、山口恵以子は十倍返しだ!」である。

 ところが、初版1万5千部と聞いて、一気に青ざめる。
 売れる受賞作は、芥川賞と直木賞だけで、清張賞も普通は初版7千部、新人作家は初版4千部だという。
 ここからが氏の真骨頂である。

「そうだったんですか。
 早まったわ。
 せめて結納と同じ、倍返しにしときゃ良かった。

 しかし、今更後には引けない。
 受賞会見の言葉は選挙公約も同然。反故(ほご)にしたら女が廃る。

 と言うわけで、さしもの500万円も怒濤(どとう)の十倍返し攻撃の前に、断末魔の様相を呈しつつある。

 ざま~見ろ!…って、誰が?

 それにしても、松本清張賞

 あの賞金500万円は、横山秀夫さんや山本兼一さん、葉室麟さんみたいな立派に育った鶴が、機(はた)を織って恩返ししてくれるのを頼りに、捨てるつもりで20年間も出し続けてくれた金だったとは、夢にも思いませんでしたよ。

 それを思うと文芸春秋の平尾社長の顔が慈母観音に見えてくる。
 ありがたや。
 今度お目にかかったら拝んじゃおっと。

 多分「まだ早いよ!」と仰るだろうけど。」


 自称〈社員食堂のおばちゃん〉の心意気とテンポのよさに圧倒され、初めての書き下ろし時代小説『邪剣始末』(平成19年発行)を読んだ。
 母親を埋葬する薄倖の少女「れん」へ「先生」は言う。

「……れんか。
 いい名だ。
 れんというのは蓮の花だ。
 この生けに咲いている大きな、きれいな花が、みんなお前なのだよ。」
「蓮の花は強くて太い水茎を持ち、泥田の中でもこんなに美しい花を咲かせるのだ。
 ただ美しいだけではない。
 その根はおいしい食べ物になる。
 だからお釈迦様は、その敷物に選ばれて、蓮華の座にお座りになったのだよ。」
「れん。お前は人より辛く哀しい目に遭ってきた。
 だから、人より強く優しくなれるはずだ。
 お前はお釈迦魔に選ばれた、尊い蓮の花なのだよ。」


 蓮の花のいわれについてこれほど心を込めた文章に出会ったことはない。
 自分は、母親と同じく泥まみれでのたれ死にするはずだと思っていた少女の心が一気に転換する。

「その時、れんははっきりと心に誓った。
 この人のために生きよう。
 この人のために死のう。
 あたしは、この人のためならどんなことでもする。」


 こうして、新内流しをしつつ邪剣の始末にかける主人公「おれん」は生まれた。

 氏の心にも、蓮華の花が咲いているのではないか。
 活き活きしたテンポと気っ風は、その強さと優しさに後押しされているのだろう。
 だから、作中人物は、悪党までもが救われる。
 そのうちに『月下上海』も読んでみたい。




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2013
09.11

寺子屋の教え『実語教・童子教』を考える(その60)─枯れ木に花を咲かせ、古い骨に油をさして動かす学問─

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 江戸時代まで寺子屋などで用いられていた『実語教・童子教』を読んでいます。

「縦(タト)え簺(サイ)を磨き筒を振るとも
 口には恒(ツネ)に経論(キョウロン)を誦(ジュ)し
 又弓を削(ケズ)り矢を矧(ハ)ぐとも
 腰には常に文書を挿(サシハサ)め」


(たとえ札を用い、筒を振る博徒稼業であろうと、
 いつも経文や教えを口にし、
 また、弓を作り、矢羽根をつけて矢を作る弓師であろうと、
 腰には学問の教材を帯びて学びなさい)

 簺(サイ)は、博打(バクチ)で用いる札であり、それを「磨く」とは、札捌きの腕を上げることです。
 筒もまた、博打でサイコロを入れて振る道具です。
 こうしたご法度の世界で生きる博打打ちであろうとも、学問は欠かさぬようにと説いています。
 また、弓矢を作る職人は、武器を通じて人の殺し合いにかかわっています。
 そうした生業(ナリワイ)に生きている人であっても、人の道を学ぶ意識は保つようにと説いています。

 学ぶ志さえあれば、いかなる環境にあっても、何をもって生きていても、必ず学び、それを自分の血肉とすることができます。
 そして、人の道を考えながら生きている人は、知らず知らずのうちに、周囲の人々へよき影響を与えもします。
 お釈迦様はそれを「お香の香りが移る」と説かれました。

「張儀(チョウギ)は新古(シンコ)を誦(ジュ)して
 枯木(カレキ)に菓(コノミ)を結ぶ  
 亀耄(キモウ)は史記(シキ)を誦(ジュ)して
 古骨(ココツ)に膏(アブラ)を得たり」


 魏の張儀(チョウギ)は、鬼谷先生に師事して深く学術をおさめ、ついには、諸侯へ軍法を説くまでになりました。
 ある時、楚の国の王様へ道を説いていました。
 折あしく宰相の璧(タマ)が見えなくなり、他国からやってきた張儀は犯人の嫌疑で数百回もムチで打たれました。
 璧とは、中央に孔のある円形板状の玉器です。
 やがて無実と認められ家に帰ったところ、妻に指摘されました。
「あなたは、なまじ学問などやって出歩くからこんな目に遭うんです。
 なぜ、こんな恥をかかされてまで、歩いているんですか?」
 張儀(チョウギ)は口を開けて妻へ見せ、私の舌はついているかと問います。
 妻はありますよと言って笑います。
 そこで、張儀(チョウギ)は一言、応えます。
「舌あらばたんぬせり」
「たんぬ」とは、足りるという意味であり、舌さえあれば世のため人のために役立てるから、それでいいのだと言ったのです。
「新古」の「新」は近代の新書であり、「古」は古い時代の古書です。
 流行の思想を語っただけでなく、古典について語っただけでないからこそ、張儀(チョウギ)の言葉には時代を動かす説得力があり、諸侯は耳を傾けたのでしょう。
「枯木(カレキ)に菓(コノミ)を結ぶ」とは、張儀(チョウギ)の目から入った文章が頭の中でさまざまに広がり、豊かな言葉となって口から出た様子を指しています。
 周囲の人々には、まるで枯れた樹木に花が咲き乱れ、たくさんの実をつけるように感じとられたのです。

 張儀(チョウギ)の活躍ぶりは、「英雄の弁舌、枯れたるを栄(サヤカ)し、一朝(イッチョウ)あってよく時の厄を救う」とされました。
 オリンピック東京招致委最終プレゼンにおける佐藤真海氏のスピーチも、それに先立つ高円宮妃久子様のご挨拶も、「英雄の弁舌」に類するのではないでしょうか。

 この張儀(チョウギ)の故事も、続く亀耄(キモウ)の話も、24才のお大師様が書いた日本初の比較思想論『三教指帰(サンゴウシイキ)』に掲載されています。

「亀耄(キモウ)は史記(シキ)を誦(ジュ)して
 古骨(ココツ)に膏(アブラ)を得たり」


 亀耄(キモウ)とは現実の人間ではなく、亀に毛がないことをもって儒学を学ぶ学者を指しています。
 お大師様は、儒者の徳を讃え、史記などの古典をよく学んだ人は、古くて動かなくなった骨が油をさされて動き出すように、人々の心を動かし、導くと書かれました。




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2013
09.10

秋刀魚焼くうたがひもなき妻の日々(大槻千佐) ─実生活と理念─

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秋刀魚焼くうたがひもなき妻の日々」(大槻千佐


 大正15年(昭和元年)生まれの大槻千佐が句集『初心帖』(昭和58年発行)に収めた一句である。
 女が一人、じっと秋刀魚を焼いているという事実は、ただ、物理的にそう〈在る〉のではない。
 一人の男へ寄り添って生きる一人の女という〈性に裏打ちされた人間の生〉が輝いている。
 それにしても、「疑いもなき」とは、何と強く、潔く、そして重い言葉だろう。
 ただ、こう言い切られてしまうと、生活の襞(ヒダ)はもう、外部から読めないし、読ませたくもないのだろうと、その完結性の前で佇むしかない。
 もちろん、ここまで不動の力を持った「妻」は、正妻であるかどうかという問題を超えている。
 立場や境遇を超えきった一人の人間にとって動かしようのない真実なのだ。

 9月4日、最高裁大法廷は、画期的判断を示した。
 遺産相続の際に、婚外子(結婚していない男女間に生まれた子供)の取り分は、婚内子(結婚している男女間に生まれた子供)の半分とされている民法の規定について、「法の下の平等を定めた憲法に違反する」としたのである。
 これで、親同士が結婚していようといまいと、生活形態にかかわらず、子供たちは平等に遺産を相続することになる。
 民法の規定は出生による不当な差別であると判断された。

 最高裁の判決である。

「子が自ら選択・修正できない事柄を理由として、その子に不利益を及ぼすのは許されないとの考えが確立されてきた」


 裁判の当事者である和歌山県在住の女性A氏(42才、婚外子)の意見である。

「どんな立場で生まれようと、すべての子どもは平等という当たり前のことを訴えてきた」
「私の価値は(婚内子の)半分ではない」
「なぜ、子供が親の責任を負わされることになるのか」
「もし選んで生まれてこられたなら、あえて婚外子という状況は選ばなかった」


 婚内子側のコメントである。

「私たちは幸せな家庭を壊され、家から追い出されました。
 それでも母は(婚外子の相続を半分とする)規定を心の支えに精神的苦痛に耐えてきました。
 最高裁の判断は、日本の家族形態や社会状況を理解せず、国民の意識とかけ離れていると思います。
 絶望しました」


 私たちは理念に導かれ、社会正義がどこにあるかを考え、その実現を目ざしつつ歴史を重ねている。
 現代では、自由平等が最も神聖な理念と仰がれ、私たちへ正邪・善悪を判断させる立場にある。
 自由は〈選択権の確保〉として、平等は〈区別の放棄〉として、究極まで求められようとしている。
 だから、A氏は、選べるのなら婚外子として生まれて来たくなかったし、自分の価値は婚内子の半分ではない、と主張してきた。
 しかし、私たちは誰一人、意識して親を選べない存在であり(因果応報の理から観れば、無始の過去から積み重ねた自分の因縁によって、親は選ばれている)、人間の価値は、誰によってもお金に換算され得ない。
 また、親の身体と子供の身体は、モノとして別ものではあっても、いかなる親のもとに生まれたかは子供の人格形成と人生行路へ大きな影響を及ぼし、いかなる子供に育つかもまた、親の人格形成と人生行路へ大きな影響を及ぼし、そもそも人間における親と子は、そうした存在でしかあり得ない。
 一人の男としての父親と、一人の女としての母親の生きざまが、子供の心と生きざまに無関係ではあり得ない。
 ここに実生活と理念とのギャップがあり、だからこそ、私たちは社会制度をより、理念へ近づけ、差別意識という魔ものを追い払おうとしている。

 ただし、この闘いは、今回の婚内子側のように、理念という刃で斬られた者に「絶望」をももたらすことを忘れてはならないと思う。
 還暦目前の俳人が実生活の根をわしづかみにした冒頭の句は、闘いの癒しになってくれるのだろうか。
秋刀魚焼くうたがひもなき妻の日々」




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「おん あらはしゃのう」※今日の守本尊文殊菩薩様の真言です。
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2013
09.09

寺子屋の教え『実語教・童子教』を考える(その59)─志は環境を克服する─

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〈『法楽農園』では「神様」と呼ばれる方が井戸を掘っておられます〉

 江戸時代まで、寺子屋などにおいて庶民の教科書だった『童子教』を読んでいます。

「劉寔(リュウショク)は衣(コロモ)を織り乍(ナガ)ら
 口に書を誦(ジュ)して息(イコ)わず」


 昔、中国の晋に劉寔(リュウショク)という人がいました。
 字は子眞です。
 貧しい家に生まれたので、牛の皮で衣服を作り、稼業としていました。
 それでも学問への志が強く、手では織物をしながら、口では読んだ本を暗唱しているほどでした。
 やがて博学ぶりが認められ、志空という役職に就くことができました。
 世間の風俗に警鐘を鳴らす『崇譲論(ソウジョウロン)』を主張し、92才の長寿をまっとうしました。

「倪寛(ゲイカン)は耕作し乍(ナガ)ら
 腰に文(フミ)を帯(オ)びて捨てず」


 昔、中国の前漢の頃、千乗に生まれた倪寛(ゲイカン)は、孔安国という学者に仕えました。
 いつも耕作にかり出されましたが、作業中も経文を腰につけて離さず、いつも「これが私の鋤(スキ)である」と言っていました。

「此等(コレラ)の人は皆
 昼夜(チュウヤ)学文を好んで  
 文操(ブンソウ)国家に満(ミ)つ」
 遂(ツイ)に碩学(セキガク)の位に致る」


 ここまでとりあげた人々は皆、昼夜を問わず学問に励み、その志が広く世間に知られることとなって碩学(セキガク…広く深く学問を修めた人)と認められるまでになりました。

 劉寔(リュウショク)が主張した『崇譲論(ソウジョウロン)』がいかなるものであるかはわかりません。
 ただ文献には、この論をもって「世上の風俗を矯(タ)むる」とあります。
 矯という字は「矯正」の矯で、曲がっているものを真っ直ぐにすることと、わざと押し曲げることと、反対の意味を持っています。
 よく知られているのが「矯めるなら若木のうち」という言葉で「鉄は熱いうちに打て」と同じく、子供をまっすぐに成長させたいなら、まだどちらにでも曲がる若いうちであるという意味です。
 劉寔(リュウショク)は、きっと、牛を殺して剥いだ皮で人々の衣服を作るという作業を続け、そこで得たお金で暮らすという生の現実を伴った思索のうちに、浮薄な世間で曲がりっぱなしになっているものがよく観えたのでしょう。

 今年の松本清張賞(日本文学振興会主催)に輝いた山口恵以子氏は、早稲田大学文学部を卒業していながら有為転変の結果、食堂のおばさんとなり、ついに受賞作『月下上海(ゲッカシャンハイ)』を書き上げました。
 その弁です。

「大好きな料理の仕事に就き、身分と収入が安定して心に余裕が生まれた」
 そして、作家生活と食堂の仕事は今後も両立させるそうです。
「みんなが『おいしかった』と言ってくれるのが、何よりうれしいんです」


 ダライ・ラマ法王は、こう断言しておられます。

「仏教では、何かを正しいと確認するときに照らし合わせるのは、第一が経験、次が道理で、経典は最後です」


 ここでの「経験」は、劉寔(リュウショク)や倪寛(ゲイカン)や山口恵以子氏と同じく、自分で汗を流しながら〈生きる〉というナマの現実であるに違いありません。
 そこから、まっすぐな志が生まれ、現実によって志が鍛えられ、やがては現実をもまっすぐにする力を持つのでしょう。
 子供の頃は環境をいいわけにせず無心に学び、社会人となってからも学ぶ意志を持ち続けたいものです。
 まっすぐに、まっとうに生きるために。





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「のうぼう あきゃしゃきゃらばや おん ありきゃ まり ぼり そわか」※今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
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2013
09.08

自然農法の『法楽農園』における宗教と科学

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 当山の『法楽農園』活動に関して、「反科学は非現実的ではないか?お寺がなぜ、農園をやるのか?」というご意見が寄せられたので、当山が考える宗教と科学について少々、述べておきます。

 当山は宗教的信念に基づいて運営されています。
 農園は自然農法によって動かされます。
 だからといって、決して反科学を標榜するものではなく、むしろ、宗教と科学は交わらない二本のレールだけれども、互いをよく学びながら〈人類の運命〉という乗り物を安全によりよき世界へ運ぶ義務があると考えています。
 ダライ・ラマ法王は説かれました。

「厳密に言えば、仏教には、論理と敬虔に基づく理解より経典の権威のほうが重要だということはありえません」
「仏教では、何かを正しいと確認するときに照らし合わせるのは、第一が経験、次が道理で、経典は最後です」
「仏教は事実を受け入れなければなりません」
「どのようにしたら、科学の進歩による恩恵を、人間やその他の生きとし生けるものの真の要求に利他的な思いやりをもって奉仕できるものにできるか」


 私は仏教の一行者として、法王の見解にまったく同意しています。
 だから、宗教的視界をより深めるためにも、宗教活動を維持するためにも、そして何よりも、なかなか現実の壁を乗り越えられず当山へ足をはこばれる方々の疑問や望みへ的確にお応えするためにも、科学的成果と科学の眼がとらえる現実世界をよく観る必要があると考えています。

 当山が『法楽農園』という空間を創って行こうとしているのは、農薬や化学肥料から離れた世界で生きている生きものたちを眺め、気配を感じ、そこで採れたものを口にして、人間が自然そのものであるという実感やイメージを持っていただきたいと願っているからです。
 そして、私たちが常に守本尊様方に守られていることもまた、眼で見て、感じていただきたいと願っているからです。
 守本尊様方は、自然の移行に感得できる時間の変化に伴い、私たちの方位感覚と行動に伴い、いのちと心をお支えくださっています。
 自然と、その一部である私たちと、守本尊様方は一体なのです。
 こうした実感を持つことは、科学を冷静に観る眼を養わせるきっかけになります。
 日常生活の喧騒から離れてみると、科学の恩恵は何か、科学の危険性はどこにあるか、より客観的に観えてくるのではないでしょうか。

 この夏、当山の錦鯉たちが害虫にやられ危機に瀕しました。
 彼らを救ったのはプロの判断に基づく薬品の施与です。
 100キロの塩と二種類の薬品により、一晩にして彼らは地獄から極楽へと栖を変えました。
 秋に入り、腰を傷めた私は知らん顔して法務を行っていましたがついに安眠が破られ、旧知の医師の元へ駆け込みました。
 念入りに調べて注射をうち、湿布を施し、薬を与えていただいたおかげで、一日にして窮地を脱しました。
 もしも科学の力を借りなければ、鯉たちは全滅し、ご寄進くださった方へ顔向けできなくなったことでしょう。
 もしも科学の力を借りなければ、私の引退が早まったけも知れないし、松葉杖が手放せなくなったかも知れません。
 科学の力は実に、実に偉大です。
 ダライ・ラマ法王は、ご自身が病気になったおりに優れた病院で治療を受けられることが嬉しかったと率直に述べられただけでなく、亡命後30ほど経ったあたりではこうした確信も持たれるに至りました。

「科学が現代の世界を基本的に支配するのは必然です。
 そう知り、科学を求める動機が単なる好奇心から緊急を要する取り組みに変わりました。
 強い力である科学に取り組むことが、宗教上の使命にもなりました。」


 その使命は、科学の強い力を生きとし生けるもののために真に役立つ方向へ向けることにあります。

 6月8日付の朝日新聞は、認可されていない遺伝子組み換え(GM)小麦が米オレゴン州で発見され、日本や韓国やEUなどが米国産小麦の一部輸入停止へ踏み切ったと報道しました。
 米農務省の発表によると、除草剤に耐性を持つこの小麦はかつて米農業大手モンサント社が試験栽培したものの、消費者団体や輸出業者らの反対で認可が下りず、平成17年に開発を中止していました。
 GM小麦は「世界中のどこでも認可されておらず、一般的には種子の入手すら困難なはず」なのに、農場で自生し始めているとは恐ろしい事態です。
 いったい、どうやってGM小麦は発見されたのか?
 今、その農場や周囲にある農場の検査や行政的処置はどうなっているのか?
 日本では輸入した小麦の遺伝子検査をどうやって行い、国民の安全を確保しているのか?
 こうした情報公開が一日も早く行われねばなりません。
 福島の原発事故のみに世界の注目が集まっていますが、この問題もまた、決して目を背けられない世界的事件であり、人類を危機に落としかねない事態であると認識する必要があるのではないでしょうか。

 また、8月1日の朝日新聞は、アメリカ中西部のコーンベルトで遺伝子組み換え(GM)トウモロコシに耐性を持つ害虫の被害が広まっていると報じました。
 ネキリムシの駆除効果を持ったGMトウモロコシ(主に飼料やバイオ燃料、食品材料として用いられる)が、99年間は虫に負けないはずだったのに、10年も経たないうちにまたやられ始め、今では、約半数の農家が「安い保険」と考えて殺虫剤を散布するようになりました。
 殺虫剤の危険から離れようと人工的につくられたトウモロコシへさらに殺虫剤をかけるようになったとは、恐ろしいことです。
 虫に負けない生きものとしてのトウモロコシを人工的につくり、それでも虫がさらに強くなったからと、もっと遺伝子を組み替えるならば、私たちの住む世界はどんどん〈自然〉から離れて行きます。
 そこで、自然の一部である人間だけが、いつまでも変わらず、心身を健全に保ちながら生き続けられるとは到底思えません。
 99年の予定が10分の1に縮まった最大の原因は、耐性虫の出現を抑えるために通常のトウモロコシを2割栽培するという義務が守られなかったこと。
 あるいは、面積の2割以上、通常のトウモロコシを栽培すれば大丈夫であるという科学的判断に誤りがあったかも知れないこと。
 そして、GMトウモロコシがモンサント社から売り出されるまでは、大豆とトウモロコシを一年おきに栽培して虫の被害を防いできた農家が、「中国への輸出増加やバイオ燃料への転用で価格が上昇」したため、儲かるトウモロコシだけをつくるようになったことが指摘されています。

 経済優先思想とグローバル主義に導かれ、個人は輪作の智慧を捨て、企業は自然界にない生きものをつくって倫理の橋渡りを行い、上記の事件が起こりました。
 その根っこには、私たちが持つ〈人間の食糧を人間と同じく食べようとする虫たちの存在を許さず、人間だけが自然の恩恵にあずかろうとする〉心があります。
 私たちはこうした心のままで、この先も進むべきでしょうか?

 ダライ・ラマ法王は述べられました。

「皆さんは、私が科学のほかに園芸にも心惹かれていることをご存じかも知れません。
 園芸は、実際におこないと結果がわからず、また、うまくいかないことも多い作業です。
 入念に土を準備し、丁寧に種をまき、気を配り、苗に水をやる。
 どんなに時間をかけて世話をしても、どうしようもない他の事情から──とくに私が暮らすダラムサラでは極端に高い気温や湿度、大雨などがときどきありますので──すっかり無駄になってしまうことがあります。
 ですが、そうであるがゆえに、ほかの園芸をたしなまれる皆さんもおっしゃるように、自分の手で育てた植物が芽を出し、花開くことから得られる喜びには格別なものがあるのです」


 そして、科学者との対話による新たな発見にも同じような期待をしておられます。

 宗教的知性と感性も、科学的知性と感性も、私たちがまっとうに生き、まっとうな世界を創ってゆくために不可欠です。
 皆さんが『法楽農園』でひとときを過ごされ、結果的にそうしたものが生き生きと動き出すならば、これ以上ありがたいことはありません。




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「のうぼう あきゃしゃきゃらばや おん ありきゃ まり ぼり そわか」※今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=IY7mdsDVBk8





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2013
09.07

傷ついた日本人へ(その22) ─苦の現実とロセッティの『風』─

20130907021.jpg

 被災地を訪れたダライ・ラマ法王が高野山で行った講演の概要が『傷ついた日本人へ』という本になりました。
 皆さんと一緒に、要点を考えてみましょう。

 前回は、煩悩(ボンノウ)が起こってくる様子を学びました。

 私たちは、知性のはたらきによって論理的に判断したり、想像をたくましくしたり、問題の探求をしたりと、人間でならではの奧深い世界へ入ります。
 しかし、なまじ知性がはたらくことによって、不安や期待や猜疑心や悩みも起こります。
 そして、自分でつくりだした実態のない概念にとらわれ、欲しがったり、貪ったり、怒ったり、怨んだりする場合もでてきます。

 たとえば、一週間前に失敗を厳しく指摘された上司の顔を思い出してムカムカするなどはその典型です。
 一週間前に起こったできごとはもう、どこにもありはしません。
 上司の声も表情も、その時限りのものでしかありません。
 しかも、上司そのものが、たった今、この世にいるとは限りません。
 だから、ムカムカするのは、今となれば上司のせいではなく、自分の記憶とそれを想起するはたらきによるのです。
 それなのに、性懲りもなく思い出しては勝手にムカムカする、これが典型的な煩悩の表れです。

 こうして私たちは目に見え、耳に聞こえるものや思い浮かべるものなどにとらわれ、思考も感情も左右されます。
 このことをお釈迦様は「」と説かれました。
 仏教はを三つの面から考えます。

1 …感覚的な

 痛み、寒さ、怒り、恐れなど、外的な刺激によって生ずるしみ。

2 壊苦…状況に伴う苦

 夢がかなわない、仕事がうまくゆかない、不幸な境遇にいるなど、意に添わない現状がもたらす苦しみ。

3 行苦…生まれてきたそのものの苦

 人間は精神を持った生物なので、必ず概念にとらわれ、煩悩のはたらきから逃れられません。

「どこにいてもどう生きても、それから逃れられない。
 それは生から苦を切り離すことができないからです。
 生まれてきた時点で、すでに苦しみが内在しているわけです。」


 ここに輪廻(リンネ)が生じます。

「仏教では、この煩悩がある限り、煩悩がはびこるこの俗世にとどめ置かれ、死んでもまたこの世界に生まれ変わり、苦のある生涯を繰り返し送り続けると考えられています。
 これが『輪廻』です。」


 お釈迦様は悟られた後、最初にこのことを説かれました。

「生まれてくることは苦しい。
 それは煩悩が原因だ。
 煩悩がなくなれば苦も消える。
 そしてその方法は存在する。」


 煩悩がなくなり苦が消えれば解脱(ゲダツ)です。

「この真理のとおりに煩悩による妨げや障り『煩悩障(ボンノウショウ)』を断滅し、そのとらわれから解き放たれることを『解脱』といいます。」


 だから、苦と輪廻から脱したいならば解脱を目ざすしか方法はありません。
 そして、この真実を見つめ、自他の苦を克服しようとするのが仏教徒です。

 前回は、映画『風立ちぬ』に言及しました。
 今回この稿を書くのは、『風立ちぬ』の宮崎駿監督が引退の記者会見を行った翌日となりました。
 まさに諸行無常、万物流転です。
 前回の稿で西條八十の『風』を紹介したところ、仙台市在住のAさんからファクスをいただきました。
 この詞はそもそも、英国の詩人クリスティーナ・ジョージナ・ロセッティの作品で西條八十の訳詩によること、そして教科書で学んだという英文も手書きによって綴られていました。
 ご指摘を受けてみれば、私も英文を読んだような気がします。 

1. Who has seen the wind ?
Neither I nor you;
But when the leaves hang trembling
The wind is passing thro.

2. Who has seen the wind ?
Neither you nor I;
But when the trees bow down their heads
The wind is passing by.


(誰が風を見たのでしょう?
 誰も見たことありません
 でも木の葉が囁くとき
 風は通り過ぎていく

 誰が風を見たのでしょう?
 誰も見たことありません
 でも枝がおじぎをするとき
 風は通り過ぎていく)

 何という簡潔さと静謐さでしょう。
 ロンドンに生まれた女流詩人なのに社交界を厭い、英国国教会の敬虔な一信徒として隠者のように生きたロセッティらしい(クウ)の感覚を感じます。
 そういえば、記者会見する宮崎駿監督は風のようにさばさばしておられ、笑顔が乗り移ってきました。




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「おん ばざら たらま きりく」※今日の守本尊千手観音様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
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2013
09.06

東京都の樹林墓地と宮城県の自然墓 ─お墓の形態が変わっても仏法は揺るがない─

201308280382.jpg

 東京都の都立霊園が樹林墓地の募集を始め、関心を集めています。
 大きく分ければ、二つの背景がありそうです。
 一つには、墓石という形あるものを次の世代へ引き継ぐことへの問題や不安、もう一つには、自然回帰への憧れです。

 引き継ぎに関しては、後継者の居住地が墓地から遠く離れてしまう傾向があり、世代間で異なる信仰の問題があり、また、寺院との関係における課題もありそうです。
 自然への回帰に関しては、私たちの文明が自然からどんどん離れて行くことに伴うと思われるアレルギーの増加や人口増加による食糧危機、地球環境の汚染や破壊あるいは異常気象の頻発など、自然への関心の高まりが後押しをしているようです。

 こうした状況をふまえて、墓石を受け継ぐ慣習の減少は仏教の危機であるととらえる向きもあるようですが、いかがなものでしょうか?
 確かに、東日本大震災の前までは、葬式は要らないなどという議論もありました。
 しかし、被災された方々のほとんどは、僧侶の祈りを「要らない」とは言いませんでした。
 むしろ、亡くなった御霊方を共に慰霊するという万霊供養の感覚がよみがえり、そうした供養の場を重ねることによって、生き残った方々の心は徐々に甦りつつあるように見受けられます。

 京都大学教授佐伯啓思著『現代文明論講義』には、極めて重要な指摘があります。

「社会というものが成立する背後には死者がいる。
 その背後の死者に対して、我々はどこかで贖罪意識をもたざるをえない。
 もっともわかりやすいのが戦争で、とくに戦争になれば、国を守るための誰かが死ななければならない。
 その国を守るために死んだ人のおかげで、自分たちはそれなりにいい生活をしている。
 その死んだ人に対するどうにもならない贖罪意識を、我々は引き受けていくよりほかない。
 そこから自ずと死者を弔う、死者を祀る、死者を記憶する、死者を顕彰するということがでてくる。
 それは別に戦争に限らない。
 もっと一般化したときに、死者への贖罪に似た畏れが出てくる。
 それが広い意味の信仰なんですね。
 ですから、どこかで我々は宗教に救いを求めざるをえない。」


 満福寺(栃木県栃木市)の住職長澤弘隆師は、『エンサイクロメディア空海』(http://www.mikkyo21f.gr.jp/)において編集工学研究所所長松岡正剛氏と対談しておられます。
 以下、「対談 東北だからこそ、グローバリズムによらない復興を」より転載します。

<長澤>
 今回、東北の人たちがガレキのなかから真っ先に亡き父母の写真を探し出したり、倒壊した家のなかに潜り込んで位牌を探し出し、小さな風呂敷に包んで仮設住宅に持ち帰ったりしている姿を見て、日本の仏教は葬式仏教でよかったな、死者を弔う宗教でよかったな、とむしろ思いましたね。
 死者への畏敬と鎮魂を積み重ねてきた日本の仏教こそ、「東北」的ですね。
<松岡>
 私も今回それを感じましたね。
 津波で全部流されたなかで、辛うじて流されずに残った泥だらけのアルバムとか国語のノートとかが、全部新たな仏壇・神棚に上げられていました。
 やはり最初に申し上げたように、生の領域と死の領域は、それなりのパースペクティブを両側に深く持っているわけです。
 この生と死をまたぐところで起こっている葬儀のようなことも、もう一度見直されると思います。
 ひょっとしたらアルバムや子どもが書き遺した国語のノートのようなものが、新たなトーテムとして、東北なりの新しい葬儀に今後登場する可能性もあると思うのです。
 それしか残っていないわけですからね。
 昔、遠野あたりに行くと、おじいさんやおばあさんとともに、早くに亡くなった子どもの御真影というか、精密な絵などがずらっと欄間に掛かっていたものです。
 そういう四世同堂というか、たくさんの生きとし生けるものが何かのオブジェとして、トーテムとして残るということは、日本の葬儀が江戸期につくり上げたと思うのです。
 それが実は、遺骨や位牌だけではなくて、形見やアルバムなども隣同士に置かれて実はつながっていくことができる。
 これが今回の震災の奥に見えてきた生と死の風景だなという気がしますね。


 こうした原点に立ち、僧侶が、死者の安寧のためにすべてを捧げているプロとして日々を送っていれば、仏法は決して廃れません。
 あの世の安心とこの世の幸せは車の両輪です。
 死者と共にあることでしか得られない、あるいは死者を想うことなしでは得られない何かが、生者がまっとうに生き抜くために不可欠であり、死者と共に日々を過ごす行者には、それを体現するのはもちろん、自分の血肉となった言葉で語る義務があると考えています。
 だから、お墓の形態が変わるくらいで、仏法は一ミリも揺らぎはしないと確信しています。


 自然墓は、皆さんの願いに応えようと考えに考え、自然葬や散骨へのアプローチなどの試行錯誤を行った結果、当山に姿を顕しました。
 信じている宗教を問うなど、安らぎを求める方々のお心へは一歩も踏み込みませんが、ここはまぎれもなくみ仏と神々に護られた聖地であり、宗教の懐に抱かれる安寧の場です。
 東京の樹林墓地同様、東北の自然墓は、死者、生者合わせて皆さんの安心に役立つものと考えています。




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「おん あみりたていせい から うん」※今日の守本尊阿弥陀如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=4OCvhacDR7Y





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