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2014
06.30

ご加持、お盆、盆踊り ―氷も水蒸気もH2Oの世界―

20140630016.jpg

 密教の修法にご加持(カジ)があります。
 ご本尊様から〈加〉えられるお慈悲のお力を、私たちが〈受〉け、救われるという形の救済です。
 密教の根本経典である通称『大日経(ダイニチキョウ)』は、正式な名を『大毘盧遮那成仏神変加持経(ダイビルシャナジョウブツジンペンカジキョウ)』と言います。
 その意味は、ほぼ、こうなります。
「大日如来が説く、成仏するための不思議な力を得る経典」
 ここで説く「成仏」とは、〈仏〉に〈成〉ると表現してありますが、たとえば、氷が溶けて水に成るような意味ではありません。
 氷の状態であれ、水蒸気の状態であれ、雪の状態であれ、川の状態であれ、本体は「H2O」の水であるという根源的ありように気づくと言えばほぼ、近いでしょうか。

 こうしたわけで、私たちは日々、喜怒哀楽し、善いことも悪いことも行いながら因果応報の糸を紡ぎ続けていますが、本質的なありようとしては、誰でも等しく、み仏のおいのちとお心を分けいただいたみ仏の子なのです。
大日経(ダイニチキョウ)』には、その真実と、気づくための方法が説かれており、お大師様がいのちがけで海を渡り唐の国へ向かったのは『大日経』の解読と方法の伝授を求めたからであるとされています。
 以後、1200年を超える年月をかけ、お大師様が遺されたご加持法のお次第(シダイ…具体的方法が記された書物)は行者の宝ものとして錬磨や実践が行われてきました。

 具体的には、まず、行者が修法によって成仏の状態へ入らねばなりません。
 印を結んで身体がみ仏と同じになり、真言を唱えて言葉がみ仏と同じになり、観想(カンソウ…思うべき内容に集中すること)を行って心がみ仏と同じになります。
 身口意(シンクイ)の三つが一時的に、み仏と一体化します。
 言い方を換えれば、日常生活で善業(ゼンゴウ…善き行為によってつくられる善き結果が出る影響力)や悪業(アクゴウ…悪しき行為によってつくられる悪しき結果が出る影響力)をつくり続けている行者自身の身口意が、み仏の身口意に成り切ります。
 ご祈祷であれ、ご葬儀であれ、ご供養であれ、この状態に入らずして行う修法はまったくありません。

 次に、疲れや不安などを抱えてご加持を受けに来られた方へご加持を行う場合は、ご本尊様と一体になる世界へ受者(ご加持を受ける方)も引き入れます。
 と言っても、何かをやっていただくわけではなく、ただ、ゆったりと深い呼吸をしていただいていればよいだけです。
 だから、当山のご加持(カジ)法において、施法者(修法する導師)が受者(ご加持を受ける方)へ触れることはほとんどありません。
 ただし、受者が何らかの理由で、声をかけつつ修法を進める導師の言葉の意味にピンと来ない場合は、散杖という棒状の法具で触れる場合などはあります。
 受者が何らかの理由で、現実的感覚から遊離している場合も、確かな現実感を取り戻していただくために、触れるという行為が役立つ場合があります。

 フランスの科学哲学者ミシェル・セールは、とてもおもしろいことを言っています。
「皮膚の組織は自らの上に折りたたまれているのだと思う。
 皮膚は己自身の上に意識をもっており、また粘膜も自分自身の上に意識をもっている。
 折りたたまれたひだもなく、自分自身の上に触ることもないならば、真の内的感覚も、固有の肉体もないだろうし、体感も感じなくなり、(…)静止したような失神状態のなかで意識もなく生きることとなろう。」
 これは、仏教の考え方に似ています。
 意識は、眼で見てはたらき、耳で聞いてはたらき、鼻で嗅いではたらき、舌で味わってはたらき、皮膚で触れてはたらき、心中に想ってはたらきます。
 これを六識といいます。
 そこより深いところには、いわゆる潜在意識や深層意識などのようなものも潜み、さらに奧には、み仏の領域も広がっています。
 だから、触覚という確かな感覚のはたらきは、ミシェル・セール流に言えば、魂を誕生させるきっかけの重要な一つとなります。

 見る葉の深緑に輝きを感じにくくなっていたり、聞くホトトギスの鋭い声にシャキッとさせられにくくなっていたりすると、色も音もいのちを失い、褪せた深緑に寂しさを感じたり、キキッという声に不安を感じたりするかも知れません。
 いわれのない寂しさや不安の中で、みつからない自分を確かめようとするかのように、見ていないはずのものが見えたり、聞いていないはずのものが聞こえたりする場合もでてきます。
 そこで、触覚という縁が、いわば魂の再生に役立つ場合もあるという理になります。

 こうしたわけで、日常生活と異次元へ入るご加持の修法は、外国在住の方や、御霊へ祈る場合なども含め、施法者から離れている相手へ行うケースが一つ。
 ご来山された方など、互いに相手を確認できる状態で離れたまま行うケースが一つ。
 その中で、同席者のいる道場で行ったり、ご家族がいるご自宅で行ったりする場合は、法具を当てたりするケースも稀にあります。
 8月のお盆供養会も、こうしたご加持法の一つとして行われます。
 み仏の世界へ旅立たれた御霊も、成仏を祈る方も、導師も一体となって法の世界へ入ります。
 深々とした情緒に満ちた盆踊りもまた、祖霊と子孫と仏神とが一体になる加持感応(カジカンノウ)の世界と言えるかも知れません。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「のうまく さんまんだ ぼだなん あびらうんけん」※今日の守本尊大日如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=LEz1cSpCaXA





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2014
06.29

護摩法・瞑想・寺子屋 ―7月の行事予定―

2014062900011.jpg
〈一本の枝から出て別々の方向を向いていると観るか、それとも、別々の方向を向いていても元は一本の枝から出ていると観るか〉

 平成26年文月の行事予定です。

[第一例祭] 2014/7/6(日)午前10:00~11:00

 護摩法を行います。
 観音経や守本尊様をお讃えする経典などを唱え、み仏と万物と万霊をご供養し、願いをかけましょう。
 その月の守本尊様をお讃えする「讃歎経(サンタンキョウ)」は、リズムが良くとても読みやすい読み下し文で、何度も口にしているうちに、だんだんと有難味がわかってくるようになります。
 太鼓と共に観音経を唱えましょう。
 自由参加です。
 み仏の智慧が輝く護摩の火に身を近づけ、悪しきものは焼き祓い、善き願いへ大きなご加護を受けてください。
 (願い事を書く護摩木供養は1体300円です)
・場  所  大師山法楽寺
・送迎申込 開始30分前に地下鉄泉中央駅そばの『イズミティ21』前へ送迎車がまいります。
 乗車希望の方は前日午後5時までに必ずご連絡ください。

[書道・写経教室] 2014/7/6(日)午後2:00~午後3:30

 髙橋香温先生は津波で被災されても書道一筋でがんばっておられます。
 先生の熱意と誠意を感じられる貴重な時間です。
 書道の基本を学び、100文字の写経も行います。
 イス席もありますので、お気軽にご参加ください。
・場  所  大師山法楽寺
・指  導  高橋香温(温子)先生
・ご志納金 1000円(未成年者500円)
(毎月第一日曜日午後2時から開催します)
・送迎申込 開始30分前に地下鉄泉中央駅そばの『イズミティ21』前へ送迎車がまいります。
 乗車希望の方は前日午後5時までに必ずご連絡ください。

[第二回新法楽塾] 2014/7/6(日)午後4:00~午後5:30

 清浄体操から、梵字の「阿」と一体になる阿字観(アジカン)まで、正統な瞑想法を伝授します。
 お大師様は経典を根拠にして、阿字観こそがお釈迦様の悟りへ入る最終的な方法であると説かれました。
 しかも、難しい本格的な方法のみならず「光と一体」の観想だけという略法でも、み仏そのものになれるのです。
 身体を整え、心を正す修行を実践しましょう。身体を締めつけず、ご本尊様の前で修行するにふさわしい服装でおでかけください。
 いつからでも始められます。イス席もご用意しますので、座れない方などもどうぞ心配せずにおでかけください。
 なお、正式な伝授なので、録画・録音はできません。清浄な姿と心でご参加ください。
 資料の準備などの関係上、参加される方は、事前に電話やファクスやメールなどでお申し込みください。
・場  所  大師山法楽寺
・ご志納金 1000円
・イス席もありますので、お気軽にご参加ください。
・送迎申込 開始30分前に地下鉄泉中央駅そばの『イズミティ21』前へ送迎車がまいります。
 乗車希望の方は前日午後5時までに必ずご連絡ください。

[第五十三回寺子屋『法楽館』 ―お盆盆踊りのお話─] 2014/7月12日(土)午後1:30~3:30

 今月は、お盆盆踊りのお話をします。
 資料として、「日本三大盆踊り」の一つと称される「西馬音内(ニシモナイ)盆踊り(秋田県)」の幽玄な DVDを観ます。
「先祖の霊と一体になって踊る境地になる。
 自分の血につながる祖霊に心を通わせ心をやすらぐ。
 こうして生者と死者との対話が 生まれてくる」
「人間のすべての表現活動の根底にある、根源的な生命のリズムが湧き起こってくる」
(小坂太郎著『西馬音内 盆踊り』より)
 盆踊りに込められた祖霊の思い、伝統の深みを共に考えてみましょう。
 参加は自由です。
 質疑応答の時間もありますので、どうぞふるってご参加ください。
・講  師 法楽寺住職遠藤龍地
・場  所 法楽寺講堂
・参加費 1000円
・送迎申込 開始30分前に地下鉄泉中央駅そばの『イズミティ21』前へ送迎車がまいります。
 乗車希望の方は前日午後5時までに必ずご連絡ください。

[第二例祭] 2014/7/19(土)午後2:00~

 護摩法を行います。
 般若心経や守本尊様をお讃えする経典などを唱え、み仏と万物と万霊をご供養し、願いをかけましょう。
 その月の守本尊様をお讃えする「讃歎経(サンタンキョウ)」は、リズムが良くとても読みやすい読み下し文で、何度も口にしているうちに、だんだんと有難味がわかってくるようになります。
 太鼓と共に般若心経を唱えましょう。
 自由参加です。
 み仏の智慧が輝く護摩の火に身を近づけ、悪しきものは焼き祓い、善き願いへ大きなご加護を受けてください。
 (願い事を書く護摩木供養は1体300円です)
・場  所 法楽寺講堂
・送迎申込 開始30分前に地下鉄泉中央駅そばの『イズミティ21』前へ送迎車がまいります。
 乗車希望の方は前日午後5時までに必ずご連絡ください。

[第三回新法楽塾] 2014/7/19(日)午後4:00~午後5:30

 清浄体操から、梵字の「阿」と一体になる阿字観(アジカン)まで、正統な瞑想法を伝授します。
 お大師様は経典を根拠にして、阿字観こそがお釈迦様の悟りへ入る最終的な方法であると説かれました。
 しかも、難しい本格的な方法のみならず「光と一体」の観想だけという略法でも、み仏そのものになれるのです。
 身体を整え、心を正す修行を実践しましょう。身体を締めつけず、ご本尊様の前で修行するにふさわしい服装でおでかけください。
 いつからでも始められます。
 イス席もご用意しますので、座れない方などもどうぞ心配せずにおでかけください。
 なお、正式な伝授なので、録画・録音はできません。清浄な姿と心でご参加ください。
 資料の準備などの関係上、ご参加される方は、事前に電話やファクスやメールなどでお申し込みください。
・場  所  大師山法楽寺
・ご志納金 1000円
・イス席もありますので、お気軽にご参加ください。
・送迎申込 開始30分前に地下鉄泉中央駅そばの『イズミティ21』前へ送迎車がまいります。
 乗車希望の方は前日午後5時までに必ずご連絡ください。

お焚きあげ 2014/7/26(土)午前10:00~11:00

 お不動様のご縁日に、開運不動前にて「供養会」及び「お焚きあげ」を行います。
 人形や仏壇や写真など、燃えるものも、燃えないものも大丈夫です。
 一緒にお不動様のお経を読み、真言を唱えましょう。
お焚きあげをご希望の方は、必ず電話などで日時を連絡の上、お品をご持参、あるいはお送りください。
 当日とは限らず、いつでも結構です。

[機関誌『法楽』の作製] 2014/7/28(月)午前9:00~

 講堂にて、機関誌『法楽』を作り、機関紙『ゆかりびと』と共に発送しますので、ご協力をお願いします。
『実語教・童子教』も共に学びましょう。
 おかげさまにて、『法楽』は第290号、『ゆかりびと』は第154号となりました。
・場  所 法楽寺講堂
・日  時 毎月、最終月曜日に行っていますが、今月は月末に当たっており、一週間繰り上げて作製・発送を行います。

[隠形流(オンギョウリュウ)居合道場]

 仏法に生きる身と心をつくるために行います。 
 九字を切り、守本尊様のご加護をいただく密教独自の剣法です。
 高齢者の方々や女性が多く、厳しいながらも和気藹々(ワキアイアイ)と稽古しています。
 入門ご希望の方は、事前に連絡の上、まず、見学してください。
・日  時 毎週金曜日 午後7:00~9:00
・場  所 仙台市旭ヶ丘青年文化センター

◎清掃奉仕の日

 毎週金曜日、ご縁の方々が最も多くおでかけになられる土曜・日曜の前日に、境内地などの清掃や草取りなどを行います。
 皆さんのご都合に合わせて、何時でも自由にでかけられ、大きな徳積みをされてはいかがでしょうか。
 その日ごとに作業のポイントを貼り出しますので、ご覧の上、どうぞご参加ください。
 どなたでも参加できます。
・日  時 毎週金曜日午前9時~午後5時
・場  所 法楽寺境内地など




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「のうまく さんまんだ ぼだなん あびらうんけん」※今日の守本尊大日如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
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2014
06.28

見聞きするものに右往左往する心をどうにかしたいのですが…… ―心の健康法について―

2014062800111.jpg

 人生相談に多いテーマです。
「すぐに引きずられてしまいやすい気持をどうにかしたい」
 考えてみましょう

 私たちが生きている世界は、18の要素から成り立っています。

 まず、私たちは、認識するための根幹すなわち「六根(ロッコン)」を持っています。

 眼根(ゲンコン…視覚)
 耳根(ニコン…聴覚)
 鼻根(ビコン…嗅覚)
 舌根(ゼッコン…味覚)
 身根(シンコン…触覚)
 意根(イコン…意識)


 視覚を持った眼があればこそ、モノの形や色がわかります。

 同時に、私たちの周囲には、認識する対象としての「六境(ロッキョウ)」があります。

 色境(シキキョウ)
 声境(ショウキョウ)
 香境(コウキョウ)
 味境(ミコウ)
 触境(ソクキョウ)
 法境(ホウキョウ)

 
 香るものがあってこそ、鼻の嗅覚がはたらき、食べられるか、腐っていてたべられないか、などの判断ができます。

 「六根(ロッコン)」が「六境(ロッキョウ)」と出会ってはたらく意識を「六識(ロクシキ)」と言います。

 眼識(ゲンシキ)
 耳識(ニシキ)
 鼻識(ビシキ)
 舌識(ゼッシキ)
 身識(シンシキ)
 意識(イシキ)


 「身根」という触覚を持った身体が、「触境」という、モノに触れれば、「ああ、柔らかい布団だなあ」といった皮膚感覚によって起こる認識作用、つまり「身識」が起こります。
 仏教は、私たちが世界を認識しながら生きる様子をこのように18の要素から考えています。

 さて、たとえば、暗い夜道を歩いていて、急に蛇を見かけると、気味が悪い、怖い、などの気持が起こります。
 慌てて逃げる人もいるでしょう。
 ドキドキして、なかなか気持のおさまらない人もいるでしょう。
 何か、不吉なできごとの前触れかと思って、不安がなかなか抜けない方もいるでしょう。
 今夜は悪い夢を見そうだなあと、嫌な気持になる人もいるでしょう。
 もちろん、蛇ってこんな所にもいるのか、程度で、すぐ忘れる人もいるでしょう。
 この違いは、〈蛇の側〉によるものではありません。
 眼にする私たちの心の違いによって受け止め方に違いが生じているのです。
 まず、このことをおさえておきましょう。

「私たちの受け止め方によって、できごとは異なったものになる」

 さて、次に、暗い夜道や、蛇の出やすいところをよく歩く人と、そうでない人とでは、当然、「蛇を見て驚く」というできごとが起こる確率が異なります。
 このことをおさえておきましょう。

「私たちは、環境の違いによって、異なった経験をしながら生きる」

 そして、そもそも、蛇は本当に蛇だったのか、という問題もあります。
 有名な「蛇縄麻の譬え」があります。
 夜道に落ちていた縄を、蛇だ!と勘違いする場合があります。
 縄が落ちているなあ、と見て通り過ぎる場合もあります。
 あれっ、これは麻縄で丈夫そうだから使おう、と拾う人もいます。

 余談ですが、私はこの山里に来てすぐ、驚きました。
 フキノトウを探す名人は、枯葉を見て、その下にフキノトウがあるとわかってしまうのです。
 「住職、ほら、そこにもあるよ、早く採ったら」
 こう言われても、私には、さっぱりわかりませんでした。
 また、釘や紐を拾う名人にとっても、砂利道は宝の山なのです。
 私は言われなければなかなか、すぐそこに落ちている立派な釘に気づきませんが、名人の袋はどんどん重くなってゆくのです。
 このこともおさえておきたいものです。

「観察眼の違いによって、世界の様相は別ものになる」

 最後に、仏教で願う「六根(ロッコン)清浄」について考えてみましょう。
 眼根(ゲンコン…視覚)や耳根(ニコン…聴覚)が〈清浄〉であるとはどういうことか?
 それは、眼そのものが汚れている、あるいは耳そのものが汚れているからきれいにしよう、というわけではありません。
 眼のはたらき方にある〈偏り〉を極力小さくして、できるだけありのままに見るようにした方が、事実をより正確につかみ、判断を誤らず、私たちが本来持っているみ仏のお智慧やお慈悲をそのままにはたらかせやすくなるからです。
 偏りはどこから来るか?
 それは、自己中心的な意識や、好き嫌いや、執着心や、高慢心や、過剰な自己防衛意識や、極論に走る思考停止など、さまざまな状態が、眼に連動する心へ余分なフィルターをかけているのです。
 自分さえよければいい、といった人には、困っている人や弱っている人が眼に入りません。
 眼にしても心が反応しなければ、見えないのと同じです。
 カレーの嫌いな人には、カレー屋さんが目に入らず、見えても無意識のうちに眼をそらしてしまうことでしょう。
 否応なくカレー屋さんの前を通ったことが、不快な気持を引きずらせるかも知れません。
 もしかすると、カレー屋さんを縁とするよき出会いの機会を失しているかも知れません。
 もったいないことです。
 最後におさえておきましょう。

六根(ロッコン)を覆う煩悩(ボンノウ)は、自他へ不快感や苦しみや不幸をもたらす。
 一つ、好きなものにとらわれ、嫌いなものを激しく拒否しないではいられない貪欲(トンヨク)を離れよう。
 一つ、高慢心やあたり構わぬ自己主張による瞋恚(シンニ…怒り)を離れよう。
 一つ、自己中心的で道理に反する勝手な考え方である愚痴(グチ)を離れよう。」


 こうしたことごとをふまえ、仏教では、さまざまな修行を行います。
 たとえば、心で念じながら、五体投地を行います。
「南無 帰命頂礼 不動明王 慚愧懺悔 六根清浄 滅除煩悩 滅除業障
(ナム キミョウチョウライ フドウミョウオウ ザンギサンゲ ロッコンショウジョウ メツジョボンノウ メツジョゴッショウ)
(お不動様を心から信じ、ご加護を求めます。
 これまでの生き方にあった悪しきものを悔い改め、深く懺悔しますので、六根の垢を落としてください。
 煩悩が滅しますよう。
 悪しき業の障りが滅しますよう)
 あるいは、本来の清浄な心へ還る阿字観(アジカン)の瞑想を行います。
 もちろん、清浄な心で読経や写経も行います。
 身体を調子よくはたらかせるには健康法があるように、心を健全にはたらかせるためにも、伝統に培われた健康法があるのです。




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「おん さん ざん ざん さく そわか」※今日の守本尊勢至菩薩様の真言です。
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2014
06.27

「前衛」と「維新」を考えてみよう ―平成26年7月の運勢―

20140627004.jpg
〈おかげさまにて、6月の例祭も無事、終わりました〉

 今月は、さまざまなものが豊かに満ちる道を考えてみましょう。
 かけ声倒れの目立つ一方で、新しく力強い息吹が起こる時期だからです。

前衛(ゼンエイ)」という言葉があります。
 元々は後に続く軍隊を衛(マモ)りながら最前線で戦う部隊を指しましたが、転じて、最先端の思想や芸術にも用いられるようになりました。

 伝承の内容を示す資料が少ない秋田県の西馬音内(ニシモナイ)盆踊りの再興を願う人々は、画家岡本太郎や舞踏家元藤燁子(アキコ)や作家永六輔などに認められ、励まされて研究と錬磨を続けてきました。
 作家小坂太郎はこう書いています。
「口碑(コウヒ)で古い箔をつけるよりも、普段に技芸を錬磨することによって、つねに時代のあたらしい生命を吹きこむこと。
 伝統をよみがえらせる新しい感性(前衛性)にこそ伝承の芸の真髄があるものと信ずる。」
 口碑とは言い伝えです。
 歴史的にこうだったという過去の栄光に頼ろうとするのではなく、今を生きる人々の感性に訴え、魂に響く内容を創り続けることこそが肝腎であるという指摘には、相当に重いものがあります。
 地域の特殊性や優位性を誇ることに流されがちな観光事業などに対する鋭い警鐘です。
 過酷な自然環境の中で、社会的に虐げられてきた人々が、いのちの真実をかけ、死者への畏敬の念を込めて守り(「衛」です)育て、磨いてきた不断の努力があったればこそ、西馬音内盆踊りは、他の追随を許さぬ独自の境地へ至りました。
 
 また、「維新」という言葉があります。
『日本書紀』の「天も人も合応(コタ)えて厥(ソ)の政(マツリゴト)惟(コレ)新たなり」、及び『詩経』の「周は旧邦なりといえども、その命これ新たなり」などに由来する思想です。
 大切なのは、新たな道を天も人も喜び、古い国も活き活きしてくるというところにあります。
 土台から〈別もの〉にするのではなく、歴史に培われた叡智の継承を基にし、天神地祇(天地を守ってこられた神々)も人々も皆、喜び、納得するような新しい方向を目ざさねばなりません。
 
 神社を守り、造る家に生まれた葦津耕次郎は、昭和初期に社寺工務所を嗣ぐにあたり、誓いました。
「予(ヨ)が事業に對する信仰は、我と人との、共存共榮、同存同榮である。
 換言すれば、我と人とを包容する社會のためである。
 卽ち國家のためである。
 故にその事業が、國家のために必要なる場合は、決して自己の利害を顧みない。」
 日本が韓国を併合した際には、朝鮮神宮を造営して日本の天照大神をご神体にしようという計画へ反対し、土地の神をこそ祀るべきであると主張しました。
 日本の神々にとどまらず、あらゆる神々を敬する古神道の姿勢を守りつつ新天地を拓こうとしたところにこそ、維新の真髄があるのではないでしょうか。
 なお、葦津耕次郎は、太平洋戦争は必ず負けると考えて開戦に反対し、開戦後は、「やむにやまれぬ独立国としての存続を確保する」自衛の範囲を逸脱する戦線拡大に反対しました。

 勢いが出ている時に、自分という存在を根底から支えているものを省みること、また、先人の汗や願いや苦闘に思いをいたすことはできにくいかも知れません。
 しかし、本当に人間も社会も自然も豊かになる道を歩むためには、〈浅知恵〉を超えた大いなるものに対する畏敬の念が欠かせません。
 なぜなら、私たちは、自己中心的で気の済むようにしか生きたくない存在であり、そうした範囲の思い込みを脱しにくいからです。
 こういう時期こそ、「前衛」や「維新」などについて考えてみたいものです。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。




「おん さんまや さとばん」※今日の守本尊普賢菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=rWEjdVZChl0





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2014
06.26

世界はカルマによってつくられているのか? ─「ダライ・ラマ『死の謎』を説く」を読む(38)─

2014061800123.jpg
〈西馬音内盆踊り〉

 平成6年、ジャーナリスト大谷幸三氏は、インドのダラムサラにおいて、ダライ・ラマ法王への質問を数日間かけて行い、回答をまとめた。
 それがテキスト「ダライ・ラマ死の謎』を説く」である。

第6章 宇宙の法則 ―大宇宙の真実が語りかけるもの―

2 宇宙の創造

宇宙も輪のように継続していく

「仏教的な視点からビッグ・バンを見れば、ビッグ・バンもまたカルマの力によって起こったと考えざるを得ない。
 なぜなら、そのときすでに生きとし生けるもの、意識を宿した存在があったからである。
 この存在自体には、すでに述べてきたように、始まりもなければ終わりもない。
 したがって、それらはすでに存在していたことになる。」


 意識がいつから在ったのかは、誰にもわからない。
 考えれば考えるほど、元から在ったとしか思えない。
 人生相談では、自分の犯した罪に苦しむ方から、こうした質問をいただく。

「私が犯した罪は、一生背負って行かねばなりません。
 ああ、あの人に申しわけないことをした――と考え始めると、夜も眠れなくなります。
 私が人を深く傷つけてしまったのは、私の前世が極悪人だったからでしょう。
 事実、占い師から、あなたは前世で人を殺していますと指摘されました。
 このこともまた、変えようがありません。
 事件が公になり、世間の人々は皆、私が前世も今も悪人だと知っています。
 人の目が怖くて一歩も外へ出られなくなり、毎日、自分を責めています。
 死のうと思いましたが、こうした自分は来世もきっと、同じなのでしょう?
 死んでもどうにもならい……。
 もう、どうしたらよいかわかりません」

 いのちと心における因果応報を感じとっておられればこその苦しみである。
 そして、苦しみは、ご本人の意識にある。
 こんなふうにお応えしたりする。

前世で人を殺していない人などきっと、いませんよ。
 私たちは誰一人、残らず、乱世でもいのちの糸がつながっていたから、こうして今を生きているんです。
 自分が生き残るために、誰かを生き残らせるために、人を殺さねばならない時代は当たり前のようにありました。
 村田喜代子氏著『蕨野行(ワラビノコウ)』のように、姥捨て山もありました。
 柳田國男著『山の人生』のように、口減らしをしようと子供が殺されたりもしました。
 しかし、殺す一方で、助けたり、助けられたりもしたからこそ、いのちはつながってきたのです。
 だから前世を怖がったり前世にとらわれたりするのは、ほとんど意味がありません。
 考えるべきは唯一つ、悪(アクゴウ)の因果により悪行(アクギョウ)を行い、善(ゼンゴウ)の因果により善行(ゼンゴウ)を行いつつ生きている私たちは、未来に悪行を行わないために、今、悪をつくる悪行を行わず、善ををつくる善行を行わねばならないということのみです。
 自分の悪行や悪をふり返り、あれはダメだったと思うならば、これから先、もうやらねばよいだけのことです。
 やってはいけないことを骨の髄まで知ったあなたは、確かに、悪行から離れ救われる道を歩み始めておられます。
 お釈迦様の言葉が『法句経(ホックキョウ)』に残されています。

『過失(アヤマ)って悪を為すも、追い覆(カエ)すに善を以てせば、是(コ)れ世間を照らす、定(サダ)んで其(ソノ)宣(ヨロ)しきを念ぜよ』

(もしも、うっかり悪しき行為をしてしまったとしても、善き行為によって過ちをうち払ってしまうような生き方をすれば、やがては世間の人々を導く灯火にもなれよう。このことを忘れず、善行の実践をすべし)
 いのちも、心も、これまでずっと続き、これからもきっと続いてゆくことでしょう。
 因果応報は真理であり、この世での行いが原因となり、結果としてのあの世は必ず、やってくるに決まっていますから」

「その結果、宇宙に浮遊した粒子が集まり、古い宇宙を破壊して新しい宇宙を創造したのだろう。
 この宇宙もある一定の長さだけ存在し、結局、溶融して消え、ふたたび、みたび新しい世界、新しい宇宙を形作るであろう。
 となれば、やはりすべてには始まりもなければ終わりもない。
 あるのは輪のような継続のみである。」


 仏教は、因果応報による四相(シソウ)を説く。
 万物は生じ、留まり、変化し、滅し、やがてまた生ずるという循環を繰り返す生・住・異・滅 (ショウジュウイメツ)の思想である。
 個々のが個々の輪廻転生をもたらし、個々による業の総体としての社会的業が、社会や国家や世界の輪廻転生をもたらす。
 始まりもなく、終わりもない輪である。

「では、カルマこそが力であり、エネルギーであるのか。
 カルマが何かを創造する根源的な力だと考えられるのか。」


 因果応報の主役はカルマ、すなわち、影響力としての業(ゴウ)である。
 それならば、世界はカルマによってつくられているのか?




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。




「おん さんまや さとばん」※今日の守本尊普賢菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=rWEjdVZChl0





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2014
06.26

7月の守本尊様と真言

2014061900111.jpg
〈西馬音内盆踊り〉

 7月は、小暑(ショウショ)と大暑(タイショ)の文月(フヅキ…7月7日より8月6日まで)です。
 7月は未(ヒツジ)の月なので、守本尊は大日如来(ダイニチニョライ)様です。

 大日如来(胎藏界…タイゾウカイ)様は『種々解智力(シュジュゲチリキ)』という、人の欲するものや楽しみとするものを知る力をもって、お救いくださるみ仏です。
 人は望みを持ってこそ生きられ、「幸せ」とは善き望みのかなうことです。
 天にあって全体を観る金剛界の大日如来様に対して、地にある胎藏界の大日如来様は、一人一人のそれをよく見極め、力をお与えくださいます。

「われら衆生(シュジョウ)が自らの実相(スガタ)知るならば
 この世のすべての存在が共に一つの生命を生きていること悟られて
 宇宙の生命(イノチ)を自らの生命(イノチ)としてぞ生きること
 そこにこの世の一切が大日如来の現象(アラワレ)と捉える曼陀羅(マンダラ)精神の
 教えの根本(モト)を見出(ミイダ)さん。」


(我々人間たちが自分自身の真実なるレベルを知ることができたならば、
 この世のすべての存在が共に一つの生命を生きていることが悟られ、
 宇宙そのものとして存在し、うねっているいのちが自分自身のいのちと同じであると感得して生きられよう。
 そこに、この世の一切が大日如来の現象であると捉えるマンダラ精神の
 教えの根本が見出される)

 また、大日如来様は、未(ヒツジ)年、申(サル)年生まれの善男善女を一生お守りくださる守本尊様でもあり、身体においては、主として両手をお守りくださいます。
 ご供養し、ご守護いただき、猛暑の一ヶ月を無事安全に過ごしましょう。

21080819 012

 写真は、永代供養を行ってご加護を受けるため、当山の講堂へ納められた大日如来様です。
 総丈は約35㎝あり、日本で唯一、護摩を焚いてできた灰が体内へ納められています。(奉納受付中)〉

 7月の守本尊様をご供養しお守りいただきたい時、願いを成就させたいと念じる時、辛い時、悲しい時、淋しい時、あるいは感謝したい時は、合掌して真言(真実世界の言葉)をお唱えしましょう。
 たとえ一日一回でも、信じて行なえば、ご本尊様へ必ず思いが届きます。
 回数は任意ですが、基本は1・3・7・21・108・1080回となっています。

「のうまく さんまんだ ぼだなん あびらうんけん」

今月の真言をお聞きになるにはこちらをクリックしてください。音声が流れます


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2014
06.25

ご本尊様へ祈るか、ご本尊様になって祈るか ―菩薩へ近づくよき祈り―

20140624DSC_0002.jpg
〈夜に帰山すると、いつものタヌキがミケ子の餌をもらいに来ており、車中からフラッシュ無しで撮りました〉

20140624DSC_0006.jpg
〈タヌキにさしたる警戒もせず、お気に入りの場所から眺めています〉

 私たちは、ギリギリの時に、仏神へ祈る。
 病気を治したい、恋愛を成就させたい、受験に合格したい、仕事が欲しい、交渉を成功させたい、などなど。
 自分の〈前〉には、お不動様や、お地蔵様や、観音様や、八幡様や、御稲荷様などがおられる。

 では、ご祈祷やご加持(カジ)を行う祈りのプロの場合はどうなっているか?
 二とおりある。
 皆さんと同じように、自分の〈前〉におられるご本尊様へ祈るタイプが一つ。
 もう一つは、自分が〈ご本尊様そのもの〉になって祈るタイプである。
 密教の行者は後者である。
 と言うよりも、そうなれなければ、密教の行者として一人前ではない。
 密教の目的はただ一つ、お大師様が説かれた即身成仏(ソクシンジョウブツ…この身このままでみ仏であるという本姿に還ること)だからである。
 つまり、祈り方には、自分が〈こちら側〉にいて至心に帰依(キエ…信じておすがりすること)し、願いをかけるやり方と、自分とご本尊様との区別がなくなるやり方との二つがある。

 大崎市にあるお宅へお祓いにでかけた時のことである。
 普段は北を向いて坐り、法を結ぶが、種々の都合上、どうしても南向きでやらねばならない。
 もちろん、実際はどの方位を向こうと、行者は北を向いている感覚で結界(ケッカイ)を張るが、はっきりと南向きでやる以上は、最初からご本尊様と一体になった覚悟でことに臨むことにした。
 お招きするご本尊様はお不動様である。
 修法が進み、「南無転迷開悟(テンメイカイゴ)不動明王」とお唱えし始めたら、止まらなくなった。
 この言葉は「心から帰依します、迷いを転じて悟りを開かせてください、お不動様」という内容である。
 お不動様の前にぬかづき、血を吐くような思いで迷いからの脱出を願う。
 しかし、祈りの中で帰依の感覚はなかった。
 修法後の法話でお話し申しあげた。
「先ほどお唱えした転迷開悟という言葉は、『この迷いや苦しみを何とかしたい』、『何とかして欲しい』という皆さんの必死な思いを代弁したものです。
 しかし、それだけではありません。
 ご本尊様からの『転迷開悟せよ』、『転迷開悟をもたらす』、『転迷開悟の中にある』というメッセージでもあります。
 必ずや、皆さんのお心から迷いや不安や苦しみが消えて行き、お宅様の暗雲も晴れることでしょう」

 そのまま、自宅葬を求めている方のため、名取市へ向かった。
 あろうことか、導師の座布団とご遺族との間に、ご遺体が安置されている。
 普通は当然、ご遺族は導師の後へお座りになられ、導師の正面にはご本尊様の掛け軸などが用意されている。
 もちろん、セッティングしたのは同席している葬儀屋さんに違いない。
 気のせいか、青い顔をして小さくなっている。
 もしかすると、こういう形でやってくれと頼まれたのかも知れない。
 お話をして家具を移動してもらえば状況を変えることもできそうだったが、次の予定が待っており、「今日はこういう日なのだ」と思って修法へ入った。
 もちろん、先ほどと同じく、自分がご本尊様であり、その前に故人とご遺族がおられるという形である。
 何の問題もなく、引導を渡し終えた。

 始まる前、故人が可愛がっていたであろうイヌが二階に追いやられ、狂ったように騒いでいる。
 犬小屋が玄関から上がってすぐの廊下に置いてあるところを見ると、いつもご主人様のそばにいたのだろう。
「イヌも家族でしょう。同席させても構いませんよ」と申しあげた。
 ご遺族は不安そうだったし、最初は闖入者(チンニュウシャ…突然入り込んできた来訪者)に吠えかかる勢いだったが、カネを慣らした途端、ピタリと気配が変わった。
 それ以降、「ワオーン」と小さな声を出したのは、結界の気合を発した時と引導を渡す瞬間だけだった。

 さて、祈り方に戻ろう。
 私たちは、誰かのために、たとえば「Aさんが元気になりますよう」と、ご本尊様へ願いをかける。
 この「Aさんが元気に」の思いが強まり、深まり、純粋に思いそのものになる時、いつの間にか、目の前のご本尊様は消えているかも知れない。
 他を思いやる清浄な慈悲心は、み仏の心そのものであり、思いはそのままにみ仏のお慈悲のお力となり光となって、相手へ届いているかも知れない。
 これも即身成仏(ソクシンジョウブツ)である。
 よき願いを持ち、祈ることは、よき心を強く動かし、菩薩(ボサツ)様へ一歩、近づくきっかけである。
 願いましょう。
 祈りましょう。




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「おん あらはしゃのう」
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2014
06.24

故人が読経に乗り移った話

20140622010昼顔

 Aさんは、最近、同級生の夫Bさんを亡くした。
 三人共、疾(ト)うに80才を超えている。
 近所に住み親しくつき合っていたAさんは、元気なBさんがあまりにも突然、旅立ったことに衝撃を受けた。
 故人の遺志により、家族葬にするので一切、ご近所さんなどにも教えないでくれと言われ、お通夜にもご葬儀にも参列できない。
 平服で自宅を訪ね、お柩に入った故人へ般若心経を三巻、微音で手向けた。

 Bさんを乗せた霊柩車は喪主様の意向により、斎場への途中、自宅前を経由した。
 好きだった真っ白なクチナシの花が満開になっていたからである。
 ちょうど同時刻、Aさんは、「今頃はきっと、斎場へ向かっているのだろう」と思い、自宅の仏壇前で、般若心経を唱え始めた。

般若心経は 仏教の精要(セイヨウ) 密蔵(ミツゾウ)の肝心なり 
 このゆえに 誦持講供(ジュジコウク)すれば 苦を抜き 楽を与え 
 修習思惟(シュジュウシユイ)すれば 道(ドウ)を得 通(ツウ)を起こす 
 まことにこれ 世間の闇を照らす 明燈(ミョウトウ)にして 生死(ショウジ)の海を渡すいかだなり 
 深く鑽迎(サンギョウ)し 至心(シシン)に 読誦(ドクジュ)したてまつる」

般若心経は仏教の精髄であり、密教の要である
 それゆえ、唱え、保ち、講説し、供養すれば、苦を抜き楽を与え
 習い覚え、よく思惟をめぐらせば、仏道をつかみ、悟りの世界へ通じるであろう
 まことに般若心経は世間の闇を照らし、道を示し出す明るい灯火であり、人生をまっとうに生き抜かせるイカダとでも言うべきものである
 深く極め敬い、まごころを込めて読誦いたします)

 この前経が終わった途端、急に、喉が詰まるような違和感を覚えた。
 しかし、Aさんは、ひるまず、そのまま本文へ入った。
「仏説(ブッセツ)摩訶般若波羅蜜多(マカハンニャハラミタ)心経(シンギョウ)~」
 驚いた。
 まったく声変わりがしている。
 自分の声ではなく、男性の声だ。
 すぐに、Bさんの声であると気づいた。
「~ ぎゃてい ぎゃてい はらぎゃてい はらそうぎゃてい ぼうじ そわか 般若心経
 唱え終わった時、急に空気が変わったような気がしたという。
 ホッと一息つくと、もう、自分の声に戻っていた。

 Bさんの奥さんは、Aさんと一緒に当山を訪ね、よく学んでおられたが、Bさんはほとんどご縁がなかった。
 Bさんの奥さんは夫の死も知らず、施設におられる。
 きっと、Aさんは同級生と一体になって、斎場へ行くBさんを送られたのだろう。
 最後の最後に、無関心だったBさんへ二人の思いが届き、Bさんは自分の声で「わかったよ」と告げたのではないだろうか。

 故人は、渡哲也の『くちなしの花』が好きだったという。
 なお、花言葉は「私は幸せ者」である。
 合掌




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「のうぼう あきゃしゃきゃらばや おん ありきゃ まり ぼり そわか」※今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
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2014
06.23

おかげさまにて『ゆかりびとの会』総会が、無事、終わりました

029懇親
〈笑顔、また笑顔、この世の極楽〉

 おかげさまにて、第4回目の「ゆかりびとの会」総会が行われました。
 退任される役員の方も、新規に役員となられた方も紹介され、ご挨拶をいただきました。
 講堂は、亡くなられた役員の方々や会員の方々の御霊もお見守りくださっているような、厳粛で暖かな気配に包まれていました。
 確認されたのは、会の目的です。
「本会は、仏法をよりどころとして法楽寺とご縁を結んだすべての方々によって構成され、法楽寺の指導のもとに、一致団結して法楽寺の護持発展のための活動を行うことを目的とする。
 会員はその目的のために仏心を学び結束と親睦をはかる。」(会則第二条より抜粋)

 まもなく懇親会に移り、約30名の方々が会話と食事と飲みものを楽しみ、ゆったりした時間を過ごされました。
 今回の昼食は秋保町『佐市』さんへ特別に頼み込んでお作りいただいたお弁当に、家具職人であり蕎麦打ち免許皆伝者増野繁治師の手打ち蕎麦と、超豪華版でした。
 懇親会の終盤には「習いたて」という鶴さんの手品が行われ、あまりの面白さに、「芸能部をつくろう」という声が上がりました。
 増野繁治氏の作品『法楽杖』が初めて披露され、住職が守本尊様の型を行いました。
 多くの方々が、守本尊様にご加護いただく『法楽杖』を振って身体は健康に、心は豊かになられますよう祈っています。(『指南書』付きでご志納金は1万円です)

201406223026鶴さん
〈手品に、やんやの喝采。鶴さん言わく「お子さん方も来られる法楽寺になった時、広く楽しんでもらいたいと願って稽古しました。皆さん、どうぞ、寺子屋へおでかけください」〉

20140622024状
法楽杖での守本尊法〉

 また、こうした懇親の陰で、陰徳積善(イントクセキゼン)のご助力は黙々と続いています。
 早朝から藁科さんが『法楽農園』の田んぼで草刈りを行い、高井さんが『法楽農園』周辺通路の草刈りをしてくださいました。
 総会後は、早朝から境内地の草刈りをしてくださっていた片桐さんが、午後からユンボを動かし、夕刻まで境内地整備に汗を流してくださいました。
 ありがたくてなりません。

20140622004能動
〈高井さんが草や竹を刈ってくださり、通路が広々しました〉

20140622005田んぼ
〈藁科さんが草刈りをしてくださり、今年の無農薬米は昨年以上に期待できそうです〉

20140622001.jpg
〈樹木をいただき、石をいただき、日々、重機が動いて『七ツ森の湯』周辺の景色がどんどん変わっています〉
 
 皆様のまごころにお支えいただき、会も当山も前進します。
 ご出席いただけなかった180近い会員の皆様も、本当にありがとうございました。
 『ゆかりびとの会』会員ご家族皆々様へのご加護を祈っています。合掌

20140622003 (2)大日
法楽杖の大日如来〉

20140622004 (2)地蔵
法楽杖の地蔵菩薩〉

20140622005 (2)カブ
法楽杖に刻された増野繁治師のカブ大根〉




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2014
06.22

自分の心を省みて宿命を克服しよう ―7月の聖語─

2014062200122.jpg
〈光明真言の迫力〉

 私たちは、人生を生きる過程で幾度も、〈ままならない状況〉に陥る。
 いつの間にか、誰かに憎まれ、怨まれている。
 自分も、ふとしたことで、誰かに対してそうなっている。
 我慢できないほど嫌な状況だが、憎悪の解消は簡単ではない。
 謝れば表面的には許してくれるかも知れないが、ともすれば、しこりが残る。
 何十年も経ってから「あの時の仕返しを受けた」としか思えないできごとにぶつかるのは、小説の話だけではない。
 私たちの心の中には、誰かに対する〈なくならないしこり〉が、埋もれ火のように残ってはいないだろうか?

 時として、それが発火し、小さな意地悪をする。
 周囲の人々はもちろん、相手すら気づかないかも知れない。
 でも、自分自身はごまかせない。
 ――あの時の怨みを晴らした。
 これは、本当に快なるできごとだろうか……。
 本望であるはずの嬉しさは、本ものだろうか?
 後味の悪さや、空虚な気持や、ましてや罪悪感などは、どうして起こるのだろう。
 自分が何か悪いことをしたのだろうか?
 
 これが怨憎会苦(オンゾウエク…怨み怨まれる者と会う苦しみ)であり、宿命の一つでもある。
 なかなかに、ままならない。

 お大師様は説かれた。

「この世と人間の人生には、どうにもままにならない状況に陥るという宿命がある。
 宿命から逃れられないという現実を〈我がこと〉として受けとめ、宿命の元を見極めなければ、自分の罪科が自分を地獄界や餓鬼界や畜生界などへ堕とす原因となることは、なかなか信じられないであろう」

 自分自身が、ままならなさを抱えた人生を生きていることを知ると、誰しもがそうであることもわかる。
 自分の死は都合良く訪れないし、愛着のあるものが意に反して去り、自分が相手から去ることをどうしようもない時もある。
 四苦八苦は避けられない。
 そして、ままならなさは、自分自身の心のありようと無関係ではあり得ないことを知る。

 こうして自分をよくよく省みると、悪行(アクギョウ)が罪となり、いつか必ず報いがやってくると気づく。
 この世の地獄も、きっとあの世の地獄も、私たちの罪報によってもたらされるものであると気づく。
 真の生き直しは、ここから始まる。
 あやまちを犯す私たちの心の本当の主人公は、小さな〈自分〉などではなく、海に浮かぶ氷山が海の水からなっているかりそめの存在であるように、心も、いのちも〈大海〉に連なっていると気づく。

 以下は、お大師様の原文である。

火宅(カタク)の八苦なることを覚らずして、いずくんぞ、罪報の三途(サンズ)なることを信ぜんや」


 火宅とは、煩悩(ボンノウ)の火を燃やしながら生きている私たちの生活である。
 そこには必ず、病気や死や別れや怨み怨まれるといった〈ままならない〉状態が生ずる。
 これが八つの苦しみである。
 自分自身の生き方が自他の苦に深く関わっているという事実をしっかり見つめれば、〈この先〉に待っている報いが恐ろしくなる。
 自分が堕ちて行く地獄・餓鬼・畜生という三つの途(ミチ…世界)を想像すれば、生き方を変えないではいられなくなることだろう。
 早く気づきたい。




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「おん ばざら たらま きりく」※今日の守本尊千手観音様の真言です。
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2014
06.21

銃作りの懺悔 ―カラシニコフ氏の手紙に思う―

2014062100111.jpg
〈未来仏弥勒菩薩(ミロクボサツ)様〉

 6月20日付の産経新聞は、昨年12月23日に亡くなった故ミハイル・カラシニコフ氏の手紙について報じた。
 氏は、亡くなる半年前、ロシア正教の総主教に宛てて懺悔手紙を送っていたという。

 第二次世界大戦に従軍した氏は重傷を負い、ドイツ軍が使う優秀な銃の性能に驚く。
「もし戦争がなかったら、農業労働を楽にする機械を作っていただろう。ドイツ人が私を銃器設計者の道に進ませた」(以下、「ウィキペディア」より)
 そして、氏が開発した自動小銃AK47銃は高く評価された。
「どんなに乱暴に扱われても壊れない」
「グリスが切れようが水に浸かろうがまだ撃てる」
 その優れた性能は、コピーも含め、この銃が世界中で用いられる結果をもたらした。
 当然、テロリストたちの手にも渡ったが、故郷に銅像が建つほどの国家功労者であった氏は、こう述べている。
「AKはあくまで祖国を守るために開発したもので、このような状況は予想しておらず、残念なことである」
 86才になった氏は、新ブランド「カラシニコフ・ウォッチ」をつくり、ケースバックに刻んだ。
「テロのない自由な人生を」
 90才になった氏は、ロシア連邦における最高位の勲章「ロシア連邦英雄」を贈られ、主張した。
「私は母国の領土を守るための武器をつくった。
 時に不適切な場所で使われたこともあるが、それは私の責任ではない。
 政治家の責任だ」
 
 さて、氏の手紙である。

「心の痛みは耐え難い。
 私の銃は人々の命を奪った。
 たとえ敵にわたった銃であっても、人々の死への罪は私にあるのだろうか」(産経新聞より)


 以下「心の叫びが聞こえる。」までは、産経新聞の記事である。

カラシニコフ」とも呼ばれるAK47は、世界の紛争地で最も使用されている銃とされる。
 毎年25万人がAK47の銃弾の犠牲となっているといい、国際人権団体は「世界で最も好まれている殺人兵器」と評する。
 祖国では「露製武器の優位性を広めた国家の英雄」である天才設計者も晩年は悔恨の日々を送った。
 本人の名を冠した博物館の計画が持ち上がったときも、かたくなに断った。
 ロシア正教会発祥の地とされ、ロシアの兄弟国でもあるウクライナで、連日のように戦闘の被害者が伝えられている。
 政府軍と親露派勢力による銃撃戦に巻き込まれ、小さな子供や女性まで犠牲になっている。
 この戦場でもAK47が用いられている。
 国境付近では露側から流れる大量のAK47と弾薬が押収されている。
 同胞同士の殺害は、悲しみと憎しみを増幅させる。もうやめて-。
 カラシニコフ氏の心の叫びが聞こえる。


 氏からの手紙について、キリル総司教の広報官アレクサンドル・ボルコフ氏は語っている。
「彼がこの自動小銃を発明したのは母国を防衛するためであり、サウジアラビアのテロリストによって使われることを意図したわけではありません」
 そして教会の立場を明確にした。

「この武器が祖国ロシアの防衛に使用される場合は、正教会はその開発者と軍事要員の両者による使用を支持する」(「ロシアNOW」より)


 手紙全体に教会の発展を願い祖国を愛する篤い思いがあふれており、教会の対応は順当なものと言えるだろう。
 しかし、それで氏は納得し、安心して旅立つことができただろうか?
 もしも、今の私が同様の手紙を受けとったなら、どう答えられるか?

「あなたが人生の最後に本心を披瀝し、懺悔できたことこそ、真の救いです。
 あなたは殺人のために用いられる道具を開発したことにより、間接的に殺人を行いました。
 優れた道具は国を救った一方で、地上に無数の死者を発生させ続けています。
 そしてあなたは国家的栄誉を与えられてなお、個人的罪を忘れず懺悔しました。
 人は人生の最後に何を行うかが、文字どおり人生の締め括りとなり、輪廻転生(リンネテンショウ)へ大きな影響力を持ちます。
 因果応報は逃れられず、悪業(アクゴウ)も善業(ゼンゴウ)も皆、入り交じって死後の道が定まることでしょう。
 言えるのは、今の懺悔が最も大きな善業になるだろうということです。
 懺悔へ導いてくれたご本尊様へ感謝してください。
 救いは確かなのです」




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「おん あみりたていせい から うん」※今日の守本尊阿弥陀如来様の真言です。
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2014
06.20

被曝した牛が飼い続けられていた ─東北関東大震災・被災の記(第151回)─

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〈河北新報様よりお借りして加工しました〉

 原発事故で被曝した後、人間だけが生き残ることを許されたわけではない。
 木も草も、虫も鳥も、魚も貝も、生き残ってきた。

 あの後、〈圏内〉のも馬も豚も鳥も皆、殺すよう命じられた。
 与える餌もなく、連れて行く先もなく、もちろん売れず、畜産や酪農をやっていた方々は、泣く泣く従った。
 家族同様に育ててきた家畜を殺すことに耐えられず、自分のいのちを断った方もある。

 そうした中で、約640頭のたちが飼い続けられていた。
 保証金をもらい、楽になり、終わりにすることができない人々がいた。
 もちろん、そうして人生を切り替えた方々を揶揄したり責めたりする資格は誰にもないが、売れないのために毎日、汗を流し、経費をかけ、事態は決して終わっていないことを訴え続けようとする複数の農家があることには驚いた。
 以下、6月19日付の河北新報の記事『被ばくと都内で猛抗議』を転載する。

 福島県浪江町の旧警戒区域内で、福島第1原発事故被ばくしたを飼い続けている男性が被ばく1頭を連れ出し、東京都内で20日午後、国や東京電力に抗議活動を計画している。
 福島第1原発から20キロ圏にある旧警戒区域内の家畜は域外への移動が禁じられており、論議を呼びそうだ。
 男性は原発事故後、「希望の牧場・ふくしま」を設立した吉沢正巳代表(60)。
 国の殺処分命令を拒否し、福島第1原発から約14キロ離れた牧場で和牛など約330頭の牛を「学術研究」目的で飼い続けている。
 抗議活動は農林水産省、経済産業省、東電本店前などで予定。
 除染廃棄物の中間貯蔵施設建設をめぐる石原伸晃環境相の「最後は金目」発言に反発し、環境省前でも抗議活動を行う。
 吉沢代表は原発事故の風化阻止をはじめ、国の殺処分命令の撤回、被ばく牛調査研究の推進などを訴えるという。
 旧警戒区域内の牛を許可なく域外に移動した例はない。
 福島県畜産課は「福島県産牛の全頭検査を完全実施し、安全安心を必死にPRしてきた努力が無になりかねない」と困惑している。
 農家の避難に伴い餓死したり、国の殺処分命令で安楽死させられたりした牛は計3447頭。
 旧警戒区域内では現在、殺処分を拒否した吉沢代表ら複数の農家が計640頭の牛を飼い続けている。
 吉沢代表は「牛飼いが牛を見殺しにせざるを得なかった絶望の日々を、福島から送られた電気に依存してきた首都圏の人々に被ばく牛と訴えたい」と話している。


 日本にはまだ、こういう土性骨(ドショウボネ)のある方がおられた。
絶望の日々を、福島から送られた電気に依存してきた首都圏の人々に被ばく牛と訴えたい」
 今から約150年前の「堺事件」を思い出す。
 鳥羽伏見の戦いが終わった慶応4年2月15日、堺港に入ったフランス海軍の水兵たちが数十人、市内を遊び回り、帰艦を求めた警備隊員から隊旗を奪って逃走しようとしたため、銃撃戦となり、フランス側に11名の死者を出した。
 フランス側か受けた法外な請求をすべて飲んだ日本側は、20名の処刑を決めた。
 隊長ら指揮官4名の他16名は、関係した者たちが大阪の土佐稲荷神社に集まり、くじ引きによって決めた。
 24才から39才までの漢(オトコ)たちは、割腹した腸を掴み出し、フランス兵を大喝した。
 あまりの凄惨さに度肝を抜かれたフランス軍艦長アベル・デュプティ=トゥアールは、11名が終わったところで中止を申し出た。
 烈士11名は堺市の宝珠院内「土佐十一烈士墓」に眠っている。

 吉沢正巳氏が〈絶望〉をぶつける予定は20日である。
 あの狂牛病をBSEと呼び換え、ことの恐ろしさをイメージできないように仕向け、文明の根幹にかかわる部分から目をそらさせようとした姑息さを私たちは忘れていない。
 今も続く絶望を白日のもとに掴み出す不屈の精神を讃えたい。




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「おん あみりたていせい から うん」※今日の守本尊阿弥陀如来様の真言です。
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2014
06.19

この世の苦を抜き、あの世の安心をもたらす阿字観(アジカン)―新法楽塾(第二回)―

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〈ホトトギスとウグイスが鳴き、甘酸っぱいグミが真っ盛りです。ブルーシート持参でおでかけください〉

 私たちは「わかっちゃいるけど、やめられない」生きものである。
 カッとなって怒鳴れば、相手が反撃しようと、しょぼんとなってしまおうと後味が悪い。
 つきあいが破綻する場合もあり、生じた怨みによって、自分がもう忘れたころに、とんでもないしっぺ返しを受けたりもする。
 それに、おちついてよく考えてみれば、多くの場合、自分自身にも問題があればこそ、悶着になったのだ。

 私たちの行動の多くは、〈心の癖〉がそうさせるのである。
 癖がとっさの反応を生じ、アッと思った時はすでに、やってしまっている。
 常習者の万引きや、依存症の方がアルコールへ手を伸ばし、お金を握ってパチンコ屋へ入ることなどが典型である。
 だから、人としてやってはいけないことを繰り返し確認し、こうありたいという心のありようを繰り返しイメージせねばならない。
 誰でも、一生涯――。

 親孝行を説く『父母恩重経(ブモオンジュウキョウ)』は示す。
「親においしいものを食べさせたり、看病したりするだけでは真の親子孝行ではない。
 もしも、親が道理を考えず、酒色にふけるなどの悪行を続けているならば、たとえ断食をしてでも、心を入れ替えさせねばならない。
 親にぜいたくをさせるのが親孝行ではない。
 み仏の教えを知らないままでは、たとえいかなる学問を行った者とて、ともすれば誘惑に負け、堕落してしまうのが人の常だからである。」

 では、「不殺生、不偸盗(フチュウトウ…盗まない)、不邪淫、~」の「十善戒」や、「布施、持戒、忍辱(ニンニク…忍耐する)、~」の「六波羅蜜(ロッパラミツ)」などを学べば大丈夫か?
 不十分である。
 わかっていても、つい、戒めに反することを行い、努力目標を忘れるからである。
 我欲や、自己中心的考え方や、感情の波によって。
 それらは、頭にあるはずの〈ものの道理〉など、たやすく吹き飛ばす。

 では、どうすればよいか?
 何が足りないのか?
 
 お大師様は、そのカギを弟子の道興大師(ドウコウダイシ)実慧(ジチエ)大徳(ダイトク)へ言い遺された。
「この瞑想を行えば安楽になり、世間的な苦悩を離れることができる。
 これが悟りを得ることである。
 ましてや、瞑想が深いレベルに達すれば、生きることにも死ぬことにも惑わなくなる。
 これが即身成仏(ソクシンジョウブツ…この身このままでみ仏であると気づくこと)である。」
 以下、原文である。

「この観に入る者は安楽を得て世間の苦悩を離る。
 これを解脱(ゲダツ)と名づく。
 いかにいわんや観達(カンタツ)するときは、生死(ショウジ)に於いて自在なるべし。
 是(コレ)を即身成仏(ソクシンジョウブツ)と為す」 


 この瞑想法こそ、『大日経』などに基づき、お大師様がまとめられた「阿字観(アジカン)」である。
 お釈迦様の悟りに憧れ、それを目指して人類は研究し、研鑽し、精進してきた。
 お大師様は、経典に基づき、およそ1300年前にお釈迦様が達した境地を自らの修行によって実証し、そこへ入る方法を私たちへ遺された。
 それ以来、密教の行者たちは1200年近くにわたり、この方法によって修行し続け、即身成仏が土台となる修法を行ってきた。
 阿字観こそ、よからぬ〈心の癖〉を根底から清め尽くす決め手である。

 我欲が地球規模で膨らみ、富める者と尊厳を持って生きられぬ者との格差が絶望的なほど拡大し、地球規模で進む自然破壊が季候の大変動を起こし、科学が叡智の制御力を超えて人間の主人公になろうとしている今、私たちは、生きて深々とした満足を得られず、死を迎えて途方に暮れるしかない。
 お大師様は説かれた。
「環境は私たちの心に従って変化する。
 心が穢れれば環境も濁る」
 以下、原文である。

「夫(ソ)れ境(キョウ)は心(シン)に随って変ず。
 心垢(ケガ)れれば境(キョウ)濁る」


 今こそ、人類の宝ものである阿字観を行者の世界から娑婆世界へ伝えねばならない。

 もちろん、阿字観の実習は、正統な方法を学んだ者の指導によらねばならない。
 普通のナイフと外科医のメスとでは、はたらきが次元を異にし、誤った使用方法では所定の結果が得られず、むしろ危険でさえあるのと同じである。
 手術の現場で、素人がコンビニで買ったナイフを手に執刀しようとする光景を思い描けばすぐにわかる道理である。

 この先しばらく、阿字観について述べ、おりおりに実習も行いたい。
 この世の幸せとあの世の安心に関心のある善男善女と共に進みたい。
 この世が弱肉強食のケダモノの世界に堕ちず、自他同利益(ジタドウリヤク…自他共によく生きられること)の菩薩界(ボサツカイ)へ近づくよう祈りつつ。

【第二回阿字観瞑想会の日程】
・日時:平成26年7月6日(日)午後4時~5時30分
・場所:法楽寺講堂(イステーブルの席あり)
・申込:準備の都合上、前日午後5時までに電話やファクスやメールなどでご連絡ください。
・送迎:午後3時30分に、『イズミティ21』前へ送迎車がまいります。乗車希望の方は前日午後5時までに必ずご連絡下さい。
・会費:1000円




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「のうまく さんまんだ ばざらだん かん」※今日の守本尊不動明王様の真言です。
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2014
06.18

亡くなった仔猫の救いは……

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 観音様の裏で仔猫が3匹、生まれていた。
 白系統のフワフワした雌猫たちは、すぐに、もらい手がついた。
 いずれも、例祭などへ足を運ぶ常連の若い女性だった。

 2日後、急死したとの第一報が入り、訃報は3日後までに3本となった。
 原因は猫ウィルスだった。
 あれほど元気だったのに……。

 仔猫なのに3匹ともすぐにトイレを覚え、苦しくて吐く時までトイレへ行き、あたりを汚さなかった。
 蛇尾に付した飼い主立ちは考えた。
 供養してやろう、自分の家で。

 そして、ご本尊様をお招きすることにした。
 観音様にするのか、お地蔵様にするのか、自分の守本尊様にするのか、すぐには決められない。
 しかし、3人共、決心は揺るがない。

 申込みを受けた住職は、仔猫たちの過去世を想う。
 いかなる因縁がこうした運命と、飼い主への根源的な救いをもたらしたのだろう?
 観音様のそばで生まれ、見事に生きて死んだ猫たちも、ご本尊様をお祀りしようとしている飼い主たちも、そうなる原因があったはずだ。

 一軒づつお訪ねする托鉢でよくよく知ったが、私たちは、人が亡くなればお位牌を拝もうとする。
 それは当然として、あの世で御霊が救われるのは、救済者であるみ仏の〈おかげ〉である。
 それは、私たちがこの世に生まれ、生き、死に行く過程で、目に見える相手からも見えない相手からもたくさんの〈おかげ〉をいただくのと変わりない。
 だから、お位牌は、ご本尊様の近くに置かれねばならないが、ご本尊様がおられないただの箱である仏壇の真ん中にポツンとお位牌だけを置くご家庭が結構ある。
 淋しい。
 きっと、お位牌も。

 当山のペット供養は、「あなたは家族、あなたは友」という呼びかけから始まる。
 導き手としてお地蔵様へ祈ることもご説明申しあげる。
 悲しむ私たちがおすがりするのも、あの世へ旅立ったペットたちを導いてくださるのも、ご本尊様として立ち顕れるみ仏である。
 み仏は、各経典に明記されているとおり、私たちの願いに応じて、ある時はお地蔵様、ある時は観音様、また、ある時は守本尊様として感応の対象となってくださる。
 その総体であり根源でもある存在を大日如来様とお呼びする。

 今回のできごとは、栃木県矢板市の龍慧寺(リュウケイジ)で起こったとお聴かせいただいた。
 この世の幸せも、あの世の安心も、み仏のお導きがあればこそである。
 遙かな龍慧寺のお不動様と観音様を想う。
 



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2014
06.17

サッカー観戦と寿司店の勘定 【現代の偉人伝】第191話 ―信頼の国、日本の人々―

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〈仙台市青葉区にある『春昼堂』さんで見つけた明善寮の絵はがき〉

 ワールドカップ初戦で日本はコートジボワールに逆転負けを喫した。
 JICA(独立行政法人国際協力機構)横浜では、この試合を約370人が観戦した。
 そのうち、日本人は約350人、約20人がコートジボワール人、約10人がその他アフリカ出身者である。
 彼らはダンスなどを行いながら観戦にのぞみ、歓声やため息の入り交じるひとときを共に楽しんだ。
 試合中、日本にいる約100人のうち5人に1人の割合で集合したコートジボワール人はさかんにマスコミの取材を受けた。
 試合終了後は一体となった大拍手がわき起こり、両国の健闘を讃えた。
 インタビューに答えたコートジボワール人である。
コートジボワールと日本が、一位と二位になって欲しい」
 コートジボワール人アブドゥライ・トゥーレさん(58才)である。
「非常に家族的な雰囲気で楽しめた。日本には勝ち進んでほしい」
 仙台市の山口保輝さん(23才)である。
「どちらも応援するのは新鮮だったが、正直日本に勝ってほしかった」

 いかに公的機関内であるとは言え、国際協力、国際親善の精神がみごとに表れた場面だったと言いたい。
 一種、異様な雰囲気が生まれるサッカー観戦において、自分の10倍を超える対戦国のサポーターに混じって試合を楽しめる国である日本に生まれたことが誇りに思えた。

 ネットや新聞で結果を知った日、東京へ出張した。
 ビルの谷間にある寿司店で昼食を摂った。
 入り口近くのカウンター内には70才を越えているとおぼしき長老が立ち、「いらっしゃいませ!」と声をかけてくれた。
 遠慮しながらテーブルに着こうとすると、すかさず、奧から若衆が走り出て、「こちらへお願いします」とカウンター席へ案内された。
 奧には部屋もあるが、さして広くもない店内に、姿が見えている店員だけで5人もいて、ほとんどがワイシャツ姿の客をさばいている。
 まず、お茶、そしてお吸い物、続いてにぎり寿司が出された。
 いかにランチサービスであっても、とても700円とは思えないほどの内容でびっくりした。
 しかし、まもなく、もっとびっくりするはめになった。
 食事の終わった客たちは次々に、奧へ行き、立ったままの若衆へ食べたものを告げる。
 若衆は、「はい、~円です。ありがとうございます!」と即座に答え、会計が済む。
 客の申告だけで終わるのである。

 会計する際、若衆へ声をかけた。
 一瞬、店内に緊張感が走り、客同士の声も止んだような気がした。
 作務衣姿は明らかに場違いな客であり、着席のやりとりを聞いていたから当然だ。
「お宅のような店があることは日本の誇りです。
 味と値段もさることながら、会計システムは見事です。
 よい体験をさせていただきました」
 妙な雰囲気は霧消した。
 帰りしな、入り口近くで石のように立つ長老へ会釈した。
 返ってきた会釈を横目に路上へ出た。
 青空から陽光が激しく降りそそいでいるのに、真夏の東京とは思えない清々しさだった。
 自分はよい国に生まれたものだ、誇ることが許されるのはここだ、とあらためて思った。
 こうした日本をこそ、次代へ受け渡したい。

 今日になり、ブラジルに乗り込んだ日本人サポーターが試合後、雨合羽姿で会場のゴミ拾いに精を出すシーンを見た。
 情報は世界中を駈けめぐり、称賛の嵐が起こっているという。
 またまた、感涙が流れ出そうになった。
 皆でつくっている〈この日本〉をこそ、守りたいと強く、強く思った。

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〈ゴミ拾いこそ日本人の誇り〉




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2014
06.16

無常を見つめていた長屋の人々と子供たち    ―寺子屋の教え『実語教・童子教』を考える(その75)─

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〈今年も『法楽農園』では自然農法による稲作が始まっています。自然農法家の大枝邦良先生が雑草を取り、藁科昇さんがボカシを撒いてくださいました〉

 江戸時代まで寺子屋などの教材となっていた『実語教童子教』を読んでいます。

 前回まで学んだとおり、親孝行をつらぬいた人々に起こった奇跡を述べてから、諭します。
 人は真理を知り、人の道を歩むことによって、娑婆の苦を克服できるのです。
 そうして生きている人を仏神は見捨てないのです。
 江戸時代の庶民も子供たちも、こう学びました。

「これらの望外な幸せを得た人々はすべて、
 父母に孝養をつくした人々です。
 それを観ておられた仏神のお力によって、願いは成就しました」

 以下、原文です。

「此等(コレラ)の人は皆
 父母に孝養を致し  
 仏神の憐愍(レンビン)を垂(タ)れ
 所望(ショモウ)悉(コトゴト)く成就す」


 続きます。

「生き死にを繰り返す中で、この世でのいのちなど、あっという間の無常なものでしかありません。
 早く苦しみから脱して安寧に生きられるように願いましょう。
 貪り、怒り、自己中心的に考えるこの身は不浄です。
 すみやかに悟りを求めましょう。」

 以下、原文です。

「生死(ショウジ)の命(ミョウ)は無常なり
 早く涅槃(ネハン)を欣(ネガ)うべし  
 煩悩(ボンノウ)の身は不浄なり
 速(スミヤ)かに菩提(ボダイ)を求むべし」


 続きます。

「忌避し、脱すべきは、煩悩にまみれた娑婆の生き方です。
 めぐり会った人などとの間に必ず別れがまっているというままならなさはどうでしょうか。
 いかに恐れても恐れきれないのは、地獄界、餓鬼界、畜生界、修羅界、人間界、天人界の6つを経巡る輪廻転生(リンネテンショウ)です。
 生まれた者は必ず死に、滅するのです。
 寿命などは、はかないカゲロウのようなものです。
 朝に生まれた者が夕方には死を迎えて何の不思議もありません。
 肉体はバショウのようなものです。
 強い風が吹けばたちまちに壊されてしまいます。」

 以下、原文です。
  

「厭(イト)いても厭(イト)うべきは娑婆(シャバ)なり。
 会者定離(エシャジョウリ)の苦しみ
 恐れても恐るべきは六道(ロクドウ)
 生者必滅(ショウジャヒツメツ)の悲しみ
 寿命は蜉蝣(フユウ)の如(ゴト)し
 朝(アシタ)に生れて夕(ユウベ)に死す  
 身体(シンタイ)は芭蕉(バショウ)の如(ゴト)し
 風に随(シタガ)つて壊(ヤブ)れ易(ヤス)し」


 『方丈記』、『徒然草』、『枕草子』を生んだ日本人の情緒と感性は、江戸時代になり、寺子屋などを通して庶民や子供たちにまで共有されていました。
 声を合わせて「厭(イト)いても厭(イト)うべきは娑婆(シャバ)なり。会者定離(エシャジョウリ)の苦しみ、恐れても恐るべきは六道(ロクドウ)」と読んだ長屋の人々は、いかなる気持で〈娑婆〉を生き、別れに耐え、餓鬼や修羅の心と戦ったのでしょうか。
 声を合わせて「生者必滅(ショウジャヒツメツ)の悲しみ、寿命は蜉蝣(フユウ)の如(ゴト)し、朝(アシタ)に生れて夕(ユウベ)に死す。身体(シンタイ)は芭蕉(バショウ)の如(ゴト)し、風に随(シタガ)つて壊(ヤブ)れ易(ヤス)し」と読んだ子供たちは、いかなる気持で未来を考え、育ったのでしょうか。




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「おん さん ざん ざん さく そわか」※今日の守本尊勢至菩薩様の真言です。
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https://www.youtube.com/watch?v=qp8h46u4Ja8





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2014
06.15

子供の名前はどうやって決めればよいのでしょうか?

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〈仙台市青葉区の『春廣堂』さんにあった薬入れ「朝のむ一錠夜の幸福、昼のむ一錠疲労回復、晩のむ一錠不老の道連れ」と読めそうです〉

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〈仁丹様のものを入れたのでしょうね〉

 昔から、我が子の命名に迷い、お寺を訪ねる方は少なくありません。
 当山の基本的な考え方は以下のとおりです。

 昔から「名は体を表す」と言われているとおり、名前はとても大切なものです。
 だからといって、名前に運命を決定する力があるわけではありません。
 最も考えるべきは、当然ながら、我が子の人生がどうあって欲しいかという親の希望であり、願いです。
 なぜなら、私たちは、見聞きする言葉や自分の発する言葉によって、無意識のうちに、心が重大な影響を受けるからです。

 当山では、亡くなられた方のお戒名を決める前に、必ず故人の人柄などをお聞かせいただいてから、ご本尊様へ祈ります。
 すると、親からもらった名前の影響を少なからず受けておられると感じます。
 友人や知人が述べるお別れの言葉などにも、しばしば、そうした感慨を抱かされます。
 たとえば、「真」という文字が入った人は真理や真実といった方面への関心を強く持ち、「善」なら、ものごとの善悪に関する意識、あるいは「美」なら、美しいものへの意識といった具合です。
 文字と言葉が持つ私たちの心への影響力は、思った以上にあるのかも知れません。
 たとえば、「ありがとう」という一言をよく口にする人と、口にしたことのほとんどない人の運勢や運命にいかなる違いが出てくるか、何となく想像できます。

 また、名前は〈個人のもの〉である一方、〈社会のもの〉であることにも留意しておく必要があります。
 名前は、親が決めたから名前になるのではなく、戸籍に登録されて生じると決められているのはそのためです。
 私たちは、社会人として認められ、責任を持っていきるために、いつも名札をぶら下げているようなものです。
 名前が社会へ与える影響も少なくありません。
 たとえば「善夫(ヨシオ)」さんが必ずしも善き夫であるとは限りませんが、私たちは「善夫さん!」と呼びかける時、意識しなくても「善」と「夫」のイメージは心のどこかで動いているはずです。
 たとえば「悪太郎(アクタロウ)」さんという人がいたとしたなら、どうでしょうか。
 せっかく善行にいそしんでいても、周囲から悪太郎と呼ばれれば当人の心に不要の波が立つだけでなく、周囲の人々にもまた、不要な違和感を覚えさせてしまうことでしょう。
 平成5年、我が子へ「悪魔」と名づけようとして裁判騒動まで起こし、やがて人生を破綻させた人がいました。
 今も、不適切とされている文字をどうしても使いたいからと裁判を起こす人が絶えないそうですが、人は人の間にあってこそ〈人間〉であり、いかに名乗るかは社会に生かされている存在としての責務であるということをよく考えてみたいものです。

 こうしたことごとを考え、ご本尊様へ祈れば、おのづから最も我が子へふさわしい名前が決まることでしょう。




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「おん さんまや さとばん」※今日の守本尊普賢菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=rWEjdVZChl0





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2014
06.14

『西馬音内盆踊り わがこころの原風景』を読んで

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 秋田県雄勝郡羽後町西馬音内(ニシモナイ)に伝わる盆踊りがある。
 ふとしたことから知り、DVDを観て、情緒のいろどりに驚嘆した。
 踊る女性たちは皆、鳥追い笠という深い編み笠か、彦三頭巾(ヒコサズキン)という黒い顔隠しを着けている。
 お囃子の陽気さと踊り手のしなやかさとが相俟って、普段の生活では隠されていたいのちが流れ出す。
 きっと、〈その地〉で生き死にを繰り返してきた人々にとって救いの時間であり、空間であるにちがいない。
 救われるのは、唄い、踊るこの世の人々だけではなく、唄い手や踊り手に降りてきているあの世のご先祖様方もまた、同じく救われる。
 盆踊りは豊作と鎮魂がテーマであるというお定まりの言葉では括りきれない力に圧倒され、小坂太郎著『西馬音内盆踊り わがこころの原風景』を読んだ。

 かつて、村の農民は飢饉に苦しみ、収穫できなかった年には山へ入った。

「原始生活にかえり、山に吐いて木の実草の根をむさぼり採った。クズやワラビの根花は、飢えを救う大事な食糧となった。」


 また、昭和9年に「国民新聞」へ書かれた記事も紹介されている。

「貧しい一家が餓死線上を綱渡るために、三百七十戸の仙道村だけでも今までに、二百人の娘の姿が消えている。」
「五年間二百円の契約で手付け金二十円の契約書に印一つ。
 それで子供らは簡単に静岡や名古屋方面へ転々と売り渡され、年頃ともなれば白粉(オシロイ)の巷(チマタ)に故郷を忘れた仇花(アダバナ)と咲く。
 彼女らが山を出てから、たった一本の便りもよこした者がいないという話は悲しい。
 まして子を売った親達が、村の眠りのまださめやらぬ朝靄の中を、とぼとぼと二度と会えないわが娘の後を慕って、田代村の七曲り峠を、そして三里の仙道村真坂峠を、泣きつ咽(ムセ)びつ西馬音内の町まで見送るという話はなお悲しい。
 売られゆく子供たちは、年に一度免状式の時だけ着せられる晴れ着を着て、何がなしに嬉しく弾んだ気持で先に歩いてゆくとか……。」


 これは今からわずか80年前の光景だった。

 小坂太郎氏作『雨の峠』の冒頭部分である。

「はるかに さむく固くとがっている見える
 りんどうの花咲く あの峠は村境
 通りすぎていく雨は
 越えて還らなかった者たちの足音
 もはや名前を呼ばれることのない
 過ぎし薄明の日の女たち
 飢えを失った時代(イマ)でも
 影のように背中にはりついている さむさ
 ほそい雨露と娘たちの血をすすって
 生き継いできた田園の
 血の模様が土に染みて 波うつとき
 峠をゆくものたちは 思わずふりむくのだ
 おのれの暗がりにそびえ立つ峠を」


 こうした秋田の女性たちは「秋田美人」と呼ばれてきた。
 昭和初期の浅草で、秋田美人だけを集めた遊郭が流行っていたことについて小坂太郎氏は思う。

「戦前、雪国秋田の農村に育った女性たちは、過酷な自然・生活環境に対して順応性が強く、そこから多少の苦しみや難儀に耐え忍ぶ性格が生まれ、つねに家族のため土を守るために献身する、運命に従順な習性が育っていったのではないだろうか。
 また、他者に対する優しさ、同情深さも、社会の底辺に生きる者が、自然に身につけていったものではなかっただろうか。」


 「あとがき」である。

「このように北の国の農の女たちは、長い千年の闇のなかを生きぬいてきました。
 その闇の深さが、一層へげしく篝火を燃え上がらせています。
 願いと祈りを込めた生命(イノチ)の熱さとなり、魂の輝きとなって――。
 そしてまた、その闇のなかで、全身で内なる言葉を表現してきました。
 だから、盆踊りには、歴史的に培われてきた、この風土の感性のルーツが根っこになっているのではないか、と思われます。
 西馬音内盆踊りの妖しい美しさは、この地上に存在する、悲しみや苦しみの対象と一体化することのできる感受性、慈悲ともいえる底深い優しさの形象化から、生まれてきたものにちがいないと――。」


 西馬音内盆踊りは、物見遊山で眺められるものではなかろう。
 陽気さとしなやかさが孕む厳粛さに畏敬の念を持つ者だけが、本来、外部の人々への見せ物ではなかった崇高な芸能に接することを許されるのではなかろうか。




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2014
06.13

助けてと 叫んでみても 皆あの世 (矢内アイ子 90才)

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〈仙台市青葉区にある『春昼堂』さんで見つけた昔の風俗が偲ばれる絵はがき〉

2014061300111.jpg

みやぎシルバーネット」さんがまとめた『シルバー川柳』の第4弾特別編が出ました。
 毒蝮三太夫氏のコメント付きの豪華版「ババア川柳」です。

 毎月発行されるタウン紙「みやぎシルバーネット」に掲載された膨大な川柳から発行人である千葉雅俊氏が選び、すべてに毒蝮三太夫氏のコメントと似顔絵がついた112句は、どれもが泣き笑いしつつ生きる生の輝きを発しています。
 特に、この一句には、読む手を止める力がありました。

「助けてと 叫んでみても 皆あの世」 (矢内アイ子 90才)


 親はもちろん、友人知人にも、伴侶にも先立たれ、子供などとも別居していれば、たとえ安心な我が家にいても、いったん、ことが起こった時は自分の身を自分で何とかするしかありません。
 私たちは、不意の危険に際して思わず「助けて!と叫びたくなりますが、もう、この世でその声を聞いてくれる人がいないという現実を折に触れて感じながら生きる老後というものを、すなおに、みごとに活写した一句です。

 6月12日付の河北新報は、第一面で「人知れず 悲しき最期」を報じました。
 仮設住宅での相継ぐ孤独死は、もはや、全国的に報じられもしなくなりましたが、地域紙は、いまだ、丹念に実態を追い続けています。
 震災後しばらくは、なんやかやと当山へ足を運ばれた方々も、仮設暮らしのまま、ほとんど顔を見せなくなり、こうした記事を読むと、そうした方々や連れてきていたペットの顔を思い出します。

「受け取る人もいないまま、郵便物や検針票がポストにたまっている。
 3戸が長屋のように連なる建物の端。
 玄関やサッシ窓は閉ざされたままだ。
 福島県南相馬市原町区の仮設住宅の1室でことし4月、1人暮らしをしていた女性(71)が遺体で見つかった。
 死後10日ほどが過ぎていた。
 病気が原因だったとみられる。
 仮設住宅には、東京電力福島第1原発事故から逃れた同市小高区などの約300世帯以上が暮らす。
 県の支援員が察知するまで、異変に気付いた住民はいなかった。
『あいさつ程度の付き合いしかなかった』と近隣住民。
 300メートルほど離れた場所には知人女性(73)が住んでいたが、死亡女性の訪問を受けることはあっても、出向いたことはなかったという。
 仮設入居時、部屋割りにかつての地縁は考慮されなかった。
 四つある自治会は棟の配置で機械的に区割りされた。
 近隣の結び付きを深めるにはどうしても時間がかかる。
 死亡女性が所属していた自治会の会長は『避難前の集落なら遠慮無しに家に上がり込んでいたが、ここは違う。そこまでの付き合いになるのは難しい』とため息を漏らす。」

「東日本大震災、原発事故に伴う避難生活は4年目に入った。
 仮住まいの長期化に伴い、人間関係を構築できないまま、人知れず息を引き取るケースが各地で出ている。
 宮城県石巻市のある仮設で昨年冬、60代男性が孤独死した。
 市によると、死亡時期は判然としない。
 周辺住民は2週間ほど姿を見ていなかった。
 市社会福祉協議会の支援員が巡回していたが、ペースは月1回程度。
 隣人が排気口からの異臭に気付いたのが、発見の端緒になった。
 市生活再建支援課は『強制的に部屋に入るわけにはいかない』と説明する。
 孤立した被災者に手を差し伸べようにも、プライバシーの壁を乗り越えるのは難しい。」

「仙台市太白区のあすと長町仮設住宅でことし2月、車いすの60代男性が救急搬送された。
 度々トラブルを起こし、住民の目には『近寄りがたい存在』と映っていた。
 119番通報したのは自治会長の飯塚正広さん(52)だった。
 男性は自治会に入っておらず、このときまで病状はもちろん、名前さえ把握できていなかった。
 後に、男性は亡くなったと聞いた。
 飯塚会長は『最低限の個人情報もふたをされてしまっている。必要な情報を共有できていなければ、今後、緊急時に適切な対応ができない恐れがある』と訴える。」

「東日本大震災で打撃を受けた岩手、宮城、福島3県では、今も20万人近くが仮設住宅などで生活を続ける。
 避難に伴って地域住民のつながりが寸断され、孤立感を深めている被災者も少なくない。
 今後、災害公営住宅などへの転居が進めば、コミュニティー維持はさらに難しさを増す。
 曲がり角を迎えつつある仮設の暮らしを追った。」


 最近、ご縁のAさんが亡くなられました。
 奥さんが入院中で独り暮らしをしているうちに倒れ、毎日、見回りを欠かさない隣人Bさんが第一発見者となり、通報したのです。
 暮らす団地は高齢化が進み、一方ではアパートやマンションが建ち始め、老いた方々を含めた地域住民のコミュニケーションが急速に薄れています。
 自主的にゴミの集積所や道路の清掃をする人はいなくなり、若者たちは清掃をするBさんを無視したまま、無造作にゴミを置いて立ち去ります。
 そんな中で、大病を抱えた夫と暮らすBさんは、いつも隣人に目配りをしてきました。
 こうしたケースの常とはいえ、警察がからみ、ご葬儀を終えるまでは大変だったようです。

 ひび、他人様の生死と向き合っている老いた者には、冒頭の一句に込められた思いと真実は、あまりに重いものでした。
 ちなみに、毒蝮三太夫氏のコメントはこうです。

「生きている奴に助けてもらえー」


 確かにそうです。
 私たち〈生きている者〉は、〈自分も死ぬ者〉であることを忘れずにいたいものです。
 Bさんはそのことを深く自覚しておられたがゆえに、Aさんご夫婦を見守り、手を差し伸べられました。
 私たちは一人残らず〈自分も死ぬ者〉です。
 そう腑に落ちていれば、Bさんのように、あるいは丹念に川柳を読み、活動を続ける千葉雅俊氏のように生きられるはずなのですが……。

 最後にあと2句を。

「還暦が 若い血となる 町内会」  芳賀麻薫(65才)
 毒蝮三太夫氏のコメント:「わかるわかる。60才の知人が『僕は老人会の青年部です』って言ってたよ。」

「この先に 答ないから 生きられる」 南雅子(70才)
 毒蝮三太夫氏のコメント:「先々を心配せずに、ボーッとして生きるのが一番だよ。答がないから質問もいらない。ケセラセラだ。」






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「おん あらはしゃのう」
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2014
06.12

「願解き」はどうすればよいか?

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〈仙台市青葉区桜ヶ丘にある『春昼堂』で出会った明善寮の絵はがき〉〉

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 当山は、お焚きあげを行っており、いわゆる〈願解き〉についてのご質問も受けるので、少々、書いておきます。

1 本質論

 まず、根本的なところから考えてみましょう。

 私たちは、どうしてもやらねばならないことや、やるべきことに直面し、「自分にはとてもできそうにない」、「自分には荷が重すぎる」などと感じ、重圧感に眠れなくなったり、落ち込んでしまったり、逃げ出したくなったりする場合があります。
 また、住宅のローンを抱えたまま大病に罹り、「このまま死んではいられない」と悲壮な思いになったりします。
 あるいは、恋の行方を決める重大な場面を迎え、悶々として狂いそうになったりします。
 このように追いつめられた時、心のどこかに発する気持が「――神様!」「――仏様……」ではないでしょうか。

 これはとても自然なことです。
 なぜならば、私たちは、「自分で考えられる範囲など、たかが知れている」、「この世は目に見える世界だけではない」、「個々の人間や国などを超えた地球や宇宙全体の動きにかかわっている何ものかがある」と感じているからです。
 平成25年11月から26年1月にかけ、宮城県多賀城市の東北歴史博物館において「神さま仏さまの復興 ―被災文化財の修復と継承―」と題する特別展が行われました。
 被災した仏像などが修復された様子を伝えようとする試みです。
 発行されたカタログにあるメッセージです。

「神像や仏像は信仰の対象です。
 尊くありがたいものとしてふだんは人目を避けてまつられることも少なくありませんが、常に人目を避け、人との関わりを拒んでいりわけではありません。
 これらの像が作られた時はもちろんのこと、今日までまもり伝えられる間、関係者やコミュニティの絶え間ない努力がありました。」
東日本大震災という未曾有の事態に直面した今日、こうしたコミュニティのすがたがこれまでになく明確に表れています。
 地震や津波などの被害を乗り越え、像を未来に伝えようとする地域の強い意志や行動が各地でみられ、それに多くの人々が呼応しました。」
「神さま仏さまの復興はじつに人によるものであり、このことは地域の復興への気運と方向性を同じくするものといえます。」


「歴史を振り返ると、いつの時代も、神さまや仏さまは地域コミュニティとともにあり、地域コミュニティは神さま仏さまとともにあります。
 両者は決して引き離すことのできない関係といえます。」
「あの日、多くの像が失われたり傷ついたりしました。
 それが今、無数の善意や努力によって修復が進み、神さま仏さまが復興を迎えつつあります。
 これは、地域との関係から言い換えると、地域の復興への灯りが徐々ではありますが輝きを増してきたということができそうです。」


 たとえ普段はそれほど身近に感じていなくても、仏神のおわす聖地があることは、知らず知らずのうちに心の御守になっているものです。
 個々人がどの神様を信じているか、どの仏様を信じているかというレベルではなく、地域にある神社やお不動様などの復興は、皆が吸う空気に清浄さやエネルギーを取り戻させました。
 泥の原になった場所でも小さなお地蔵様が立て直され、復興の願文が書かれた朱い衣を掛けられました。
 通るトラックの運転手は勇気を与えら、歩く人は手を合わせました。
 被災地の復興は、仏神の復興と共にあります。

 このように、私たちには、神様や仏様と呼ぶしかない方々に通じる心があり、普段はともあれ、人生の重大事に当たってすがる気持になるのは当然です。
 具体的にどこの神社や仏閣でどうするかというだけでなく、〈すがる〉気持が発した時点で願掛けは行われていると言うべきです。

 さて、こうした自然な願掛けに対して、願解きは必要か?
 結論から言えば、成就という結果、あるいは叶わなかったという結果が出た時点で、願いは結果に完結したので、願いそのものはもうどこにもなく、かけた願いをどうこうするという考えには意味がありません。
 たとえば当山でも、善男善女の思いと一体になって各種のご祈祷を行いますが、一切、結果について祈ることはありません。
 それは、祈祷は帰依(キエ)し、お任せ申しあげる誠心(マゴコロ)によって行われるので、願いをかけた人の思い通りになるかどうか、なったかどうかという〈人間のレベル〉で結果を判断するわけにはゆかないからです。
 唯一の例外は、お礼参りにこられる方、あるいはお礼の心をお示しいただいた方の感謝を体して祈る場合のみです。
 願いそのものを〈解く〉必要はないのです。
 ただし、御札や御守など法を結んだモノについては、結果が出たからといって、お役ご免とばかりにゴミと一緒に捨ててはなりません。
 それは、自分の必死の思いもゴミと一緒に捨てるようなものであり、仏神を穢すだけでなく、自分の心も穢すからです。
 そうした粗雑な心では仏神へ通じにくくなり、それは、他人や生きものたちや自然におわす仏神とも通じにくくなる道だからです。
 思いを大事にする人は、思いのこもったモノも大事にしないではいられません。
 「願いをこめた御札をそのままにしておけば、せっかく成就したのに悪いことが起こる」などと心配する必要はありませんが、しかるべき時がきたならば、どこかの神社や仏閣へ処分を頼むのが自然な姿ではないでしょうか。

2 倫理論

 いわゆるお礼参りについては、宗教的行為と言うよりは、むしろ倫理的な〈人の道〉としての、あるべき姿と言うべきです。
 人間社会でも同じです。
 重大な頼みごとをしておいて、後は放ったままにするならば、「なんという人だろう」と思われ、二度と頼みごとができなくなるかも知れません。
 何よりも、感謝や礼儀を知らぬ人となることが恐ろしいのです。

 御札や御守というモノについてのタブーなどを怖れるのではなく、自分が人間的レベルを落とすことをこそ恐れ、願いを込めた時の誠心(マゴコロ)を忘れず、後の処置をされればよろしいのではないでしょうか。
(かく言う私は、自分自身で行うべき謝恩や報恩の社会的行動については忸怩たる思いを抱いており、必要とする方々のために恥を忍んで書きました)




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「のうぼう あきゃしゃきゃらばや おん ありきゃ まり ぼり そわか」※今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
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2014
06.11

光明真言のお話 ―6月14日は第五十二回寺子屋『法楽館』が開催されます―

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〈仙台市青葉区桜ヶ丘にある『春昼堂』で出会った江戸時代の大黒様〉

 6月14日(土)午後1時30分から恒例の寺子屋が開かれます。
 今回は、守本尊様についてお話しますが、光明真言についても少々、学びましょう。



 光明真言は、いわば、スペードのエースとも言うべきもので、平安時代以来、連綿と唱えられ続けている。
 あらゆるみ仏へ祈る際に用いられるだけでなく、神前においても唱えられる。
 密教の行者は、いつ、どこででも、この真言を口にし、印を結び、法力を動かす。
 古来、百万遍唱えればいかなる悪因縁も解き放ち、自利利他の善願が成就するとされ、百万返満願の供養塔などが全国に残されている。
 四国八十八霊場を巡拝したおりに、第8番札所熊谷寺で出会った供養塔の存在感は忘れられない。
 後に、真言百万返を唱える虚空蔵求聞持法(コクゾウグモンジホウ)の満願に至り、首尾よく大願成就となったことは、この時の強い印象と関係があるのかも知れない。

 さて、古来、真言は訳さず、あまり意味を云々せず、とにかく至心に唱えねばならないとされている。
 そうした中で、光明真言については、内容をわかりやすく説いた『光明真言和讃』が長く用いられてきた。
 今回の寺子屋では、守本尊様について最後の講義となるので、この和讃について少々、お話し申しあげておきたい。
 ちなみに、こんなふうである。

○唵(オン)の一字を唱うれば
○三世(サンゼ)の仏にことごとく
○香華燈明飯食の
○供養の功徳具われり


「おん」と唱えれば、過去、現在、未来のあらゆるみ仏への供養になる。

○阿謨迦(アボキャ)と唱うる功力(クリキ)には
○諸仏諸菩薩諸共に
○二世(ニセ)の求願(グガン)をかなえしめ
○衆生を救け給うなり


「あぼきゃ」と唱えれば、さまざまなみ仏が現在の願いも、未来の願いも皆、お聞き届けくださり、生きとし生けるものが救われる。

○吠嚕灑曩(ベイロシャノウ)と唱うれば
○唱うる我等が其儘(ソノママ)に
○大日如来の御身(オンミ)にて
○説法し給う姿なり


「べいろしゃのう」と唱えれば、私たちは本来のみ仏、すなわち大日如来そのものになれる。

 問題は、〈効き目〉や〈効果〉がどうであるかという点にはない。
 お大師様はもちろん、無数の聖者方が念のこもった光明真言を唱え、それが〈何ごとか〉であったればこそ、こんにちへ伝えられているという事実にいかなる真実を観るかということであり、それが、自分にとっていかなる意味を持ち得るかと考えるところにのみ、こうしたことを学ぶ意味も意義もある。
 私たちは、阿字(アジ)に象徴されるみ仏の世界からこの世へ修行の旅にでかけ、時が至ればまた、故郷へ帰って行く存在である。
 お大師様は、弟子の智泉が旅立ったおりに詠まれた。
「阿字の子が 阿字の古里 立ち出でて また立ち帰る 阿字の古里」



 阿字の世界の功徳をいただく光明真言について学び、口にしてみることは、決して無意義ではないと思います。




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2014
06.10

神通力も閻魔様にはかなわなかった話 ―寺子屋の教え『実語教・童子教』を考える(その74)─

20140609014.jpg

 江戸時代まで寺子屋などの教材となっていた『実語教童子教』を読んでいます。
 今回は、生老病死(ショウロウビョウシ)が免れられない宿命であることを説いたお話です。

○神通力を持った行者たち

 これは、月使(ゲッシ)の国すなわち天竺(テンジク…インド)のバラモン行者が閻魔(エンマ)大王に負けたお話です。

 梵士(ボンジ…バラモン教を信じる行者)四人のお話が『法句譬喩経(ホックヒユキョウ)』にあります。
 彼らは五通という超能力を持つほどの行者でした。
 五通とは、即座にどこへでも行ける力、超人的な聴力、他人の心を読む力、自分の過去世を知る力、他人の過去世を知る力、悟ったと知る力です。
 ある日、四人は、七日後に自分たちのいのちが尽きることを知り、対応策を協議しました。
 そして衆議一決しました。
「我々の神通力は天地を覆し、太陽や月を手に取り、山を動かし、河を止めるほどなのだから、無常の鬼から逃れられるに違いない。逃げてみせよう」
 王様に暇(イトマ)乞(ゴ)いをして、一人は大海の底に身を潜めました。
 一人は須弥山(シュミセン…世界の中心にあるとされる山)へ入り、一人は虚空へ飛び、一人は大衆にまぎれ込みました。
 しかし七日後、四人共に、木の実が熟して落ちるのと同じく、寿命が尽き果てました。
 この様子を聞いた王様は、お釈迦様のもとを訪ね、質問しました。
「あれほどの神通力を持った行者ですら、士を免れられないものなのでしょうか?」
 お釈迦様は王様へ告げます。
「人には逃れられない四つのことがあります。
 一つは、中陰(チュウイン…生と死の間にある状態)にあれば、やがて必ず生を得て転生(テンショウ)すること。
 一つは、生まれたならば、必ず老いること。
 一つは、老いたならば、必ず病気に罹ること。
 一つは、病気になった果てに、いつか必ず死ぬことである」

 また、『十王経』はこう説いています。
「一切の衆生(シュジョウ…生きとし生けるもの)は臨終に際し、閻魔大王からの使いを迎える。
 一人は奪魂鬼(ダッコンキ)、一人は奪精鬼(ダッセイキ)、一人は縛魄鬼(バクハクキ)という。」

 なお、閻魔大王が静息(ジョウソク)と翻訳されるのは、「悪をつくる者の不善業(フゼンゴウ)を静める」という意味が込められています。
 このできごとの大意は、いかなる力を持った者であっても、閻魔大王の使いにはかなわず、からめとられて命の終わる時を迎えねばならないというところにあります。

「月使(ゲッシ)の月を還(カエ)せし威(イ)ある人も
 琰王(エンオウ)の使には縛(バク)せらる」


 この教えは江戸時代まで親しまれ、尊ばれていた『法句経(ホックキョウ)』の「梵志品(ボンジボン)」に発するものです。
 『法句譬喩経(ホックヒユキョウ)』は、短い詩文の形をとっている『法句経』の教えについて、因縁譚(インネンタン…因縁の物語)を説いています。
 当山では『法句経(ホックキョウ)』を基本的な経典とし、数年に亘る講義を続けてきました。
 宿命閻魔様の教えに接すると、私たちの倫理感がどこからきているのか、察せられる気がします。
 よく文字の読めない人々や子供たちが、上記の文を大きな声で読み、きっと暗誦もしていた時代の日本は当時、世界でダントツの識字率だったとされているのもわかります。
 悪いことをしないではいられない私たちの心の奥底で、目に見えないブレーキが子供の頃につくられていた時代を想ってしまいます。
 不条理を知り、悪心を知り、生老病死宿命を知った大人は、責任と自覚と畏れとをもって、子供たちを導いていたのです。




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2014
06.09

お墓に松柏を植えた話 ―寺子屋の教え『実語教・童子教』を考える(その73)─

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〈「ウサギ野仙哉」君(松尾佳央理さん画)の新作です〉

 江戸時代まで寺子屋などの教材となっていた『実語教童子教』を読んでいます。
 今回も、親孝行の心が動物たちに通じたお話です。

○許孜(キョシ)の故事

 これは、中国の『氏族排韻(シゾクハイイン)』にあるお話です。

 晋の時代、東陽に許孜(キョシ)という孝行息子がいました。
 字(アザナ)は季義です。
 とうとう両親を送り終え、身はやつれ、骨もぼろぼろになりながら一生懸命に土を運び、墳墓を造り、松柏を植えました。
 ところが、一頭の鹿がやってきて、樹木をメチャクチャにしました。
 精根尽き果てた許孜が嘆き悲しんでいたところ、翌朝、その鹿は猛獣に襲われて死にました。
 後に、その里を孝順里(コウジュンリ)と呼ぶようになりました。

「許孜(キョシ)自ら墓を作り
 松柏(ショウハク)を植えて墓となす」


 昔の中国では、墓地・廟前に松や柏を植える慣習がありました。
 一つには、樹木を、拠り所、あるいは依り代とする宗教心によるものでしょう。
 もう一つには、常緑樹の気高さによるものでしょう。
 『論語』は説きます。

「歳(トシ)寒くして、然(シカ)る後(ノチ)に松柏(ショウハク)の彫(シボ)むに後(オク)るるを知るなり」

(暖かなうちはどの樹木も生き生きとしているが、寒くなり年が暮れる頃ともなれば、他の樹木たちが葉を落とし哀れな姿になる中で松や柏が枯れずに緑を保ち、ようやくその値打ちに気づかれる。
 そのように、人間も又、災難や逆境にあってこそ、真価が明らかになる。
 平時に淡々と学び、じっと修練を重ねるところに松や柏の常緑のような値打ちがある)

 日本でも、いわゆる御神木は全国いたるところにあり、神社の祭では「おんばしら」が用いられ、五重塔の心柱をみ仏そのものに見立てたりもします。
 人間も含めて生死のサイクルが早い動物と違う樹木に一種の神聖さを感じるのは、古今東西、変わらない私たちの心性の一部ではないでしょうか。
 親孝行や宗教心といった誠心が人間以外の動物にも伝わるという今回の物語も、言い伝えられてゆく価値がありそうです。




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「おん あみりたていせい から うん」※今日の守本尊阿弥陀如来様の真言です。
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2014
06.08

クマとドングリ ―死者との距離感について―

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 これまでは、こう言われてきた。
クマが里に出るのは、山にドングリがないからだ」
 季節などの関係でドングリが少ないと、食べものを探しに里へ降りてくるという。
 そうだろうと思わせる説である。
 しかし、最近、記事を読んで驚いた。
クマが里に出るのは、山にドングリが多いからだ」
 ドングリが多いとクマが増えすぎて、里にまで生活圏を広げるのだという。
 これもまた、そうだろうと思わせるもっともな説であるが、前説と組み合わせればおかしなことになる。
 ドングリが少なくても、多すぎても、クマは里に出るのである。
 クマが里に出なかった昔は、常に天候が一定し、ドングリクマの都合へ合わせるように実っていたのか?
 もちろん、そんなことはなかろう。
 つまり、これまで山にいたクマが里に出るようになったのは、第一義的に、ドングリのせいではないのだ。

 ところで、お葬式やおを不要であると考える人が増えた原因は、いろいろと取りざたされている。
 経済観念、跡継ぎ問題、寺院への不信、などなど。
 その多くはどうも、クマとドングリの話に似ていると思われてならない。

 明治大学野性の科学研究所所長中沢新一氏は指摘する。
「古代の積石古墳にせよ、環状列石などにせよ、古代人はしょっちゅう草を抜いて、死者の世界には大体草が生えないように手入れされていました。
 現代のおも、できるだけ草が生えないように、石でびっしり覆っています。
 それによって死者との間の距離感を表しているのですよね。」(『近代仏教を問う』より)
 縄文時代には円環状につくられた村の真ん中に死者を葬る場所があり、夜になると踊って死者を呼び出していたらしく、時代と共に、死者と生者の距離は微妙に変化してきた。
 今は、その距離感が最も大きくなった時代なのではなかろうか?

 祭がそもそも「霊祀(タママツ)り」であったことが忘れられ、人気歌手のコンサートに近いものとなりつつあるのは、その証拠である。
 若い方々が最新の振り付けで飛び回ることも結構だが、祭の光と音と姿は、闇と静寂と影とがあいまってこそ世界の真実をかいま見せるということを忘れると、薄っぺらになる。
 祭や祝いは、死者との距離感によって決定的に性格づけられる。

 ある人の誕生祝いがあった。
 盛大な会場で、主役は冒頭に述べた。
「最近、私をとりあげてくれた産婆さんが亡くなった。
 産婆さんはいつも、私が生ませてやったのよと言っていた。
 私がこの世に生ませられたのは、あのお婆ちゃんのおかげだった」
 神妙な面持ちとゆっくりした口調に、シャンデリアの光が、参会者の瞳が、一気に濃淡の度を増した。

 秋田県で行われる「西馬音内の盆踊り」は、死者と生者の距離感があまりにも見事だ。
 発祥が、豊年踊とも、落城した城主の慰霊踊りとも言われているのも頷ける。
 前後が朱い紐か布でとめられ、あまり顔が見えないように作られた深い半月形の編み笠、真っ黒で長く、目の部分だけが小さく開けられたひこさ頭巾。
 力強いお囃子と、月夜に飛ぶ雁の形を模した願化(ガンケ)、そして音頭。
 いのちの饗宴なのに、不思議にも、死者もあの世も共にある。
 死者に支えられた汗が流れている。
 ちなみに、願化の歌詞である。(http://senshoan.main.jp/minyou/nisimonai-word.htmより)

○ヤートーセ ヨーイワナーセッチャ
○揃うた揃うたよ 踊り子揃うた 稲の出穂より ササなお揃うた (ソラ キタカサッサ ノリツケハダコデシャッキトセ)
  ※以下、掛け声同じ
○振れや振れ振れ 背丈の袖を ここで振らねで ササ何処で振る
○お盆恋しや 篝火恋し まして踊り子 ササなお恋し
○月は更けゆく 踊りは冴える 雲居はるかに ササ雁の声
○踊る姿にゃ 一目で惚れた 彦三頭巾で ササ顔知らぬ
○今宵一夜は 負けずに踊れ おじゃれ篝火 ササ消ゆるまで
○今宵一夜は 力の限り 踊れ東の ササ白むまで
○踊れ踊れよ 夜が明けるまで 響く太鼓に ササ月がさす
○がんけ踊って 知らねでいたば 夜明け烏が ササ阿呆と言うた
○踊ってみたさに 盆踊り習った やっと覚えたば ササ盆が過ぎた
○踊り踊らば 三十が盛り 三十過ぎれば その子が踊る
○押せや押せ押せ 下関までも 押せば港が ササ近くなる
○お前百まで わしゃ九十九まで ともに白髪の ササ生えるまで
○惚れた惚れたよ あの踊り子は 顔は知らねど ササ忘られぬ
○浮かれ浮かれて 踊っていたら 夜明け烏が ササ阿呆と啼く
○どうせ一生 思いのままに 命短し 悔いなく踊れ
○艶な編笠 絞りの浴衣 呼んでみたや あの踊り姿
○太鼓櫓で 踊り子見れば 秋の実りの ササ稲の様だ
○おじゃれ篝火 懐かし恋し またと会うやら ササ会わぬやら

 何ごとも、〈クマとドングリ〉のように単純化しないで考えたい。
 特に死者との距離については知性だけでなく、感性もはたらかせ、慎重を期したい。
 それは、自分がどう生きるかということに直結しているからである。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
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「おん あみりたていせい から うん」※今日の守本尊阿弥陀如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
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2014
06.07

澄んだ心の感応 ―寺子屋の教え『実語教・童子教』を考える(その73)─

201460050062.jpg

〈解体される……、ご苦労様でした〉

 江戸時代まで寺子屋などの教材となっていた『実語教童子教』を読んでいます。
 今回は、親孝行の心が虎に通じたお話です。

○顔鳥(ガンチョウ)の故事

 これは、中国の『廣輿記(コウヨキ)』にあるお話です。

 漢の時代、顔鳥(ガンチョウ)という人がいました。
 亡くなった父親を弔うために何度も何度も土を背負って運び、お墓を造りました。
 それを見かねた烏(カラス)たちが群がり、それぞれがくちばしに土を含み、一緒にお墓へ積みました。
 烏たちはとうとう、一羽残らずくちばしを傷めてしまい、その地は烏傷(ウショウ)と名づけられました。

 このお話は明の時代に陵墓類を集めた『大明一統志』にも紹介されており、義烏(ギウ)県の東方四里ほどのところに、この故事を書いた石碑が建っているとされています。
 義に感じる烏という県名までできていたようです。

 また、新朝を開いた皇帝王莽(オウモウ)は、「烏傷」を「烏孝(ウコウ)」と改めさせました。
 傷ついたカラスでは地名としてなさけないし、孝行を称えてやろううと考えたのでしょう。
 もっとも、王莽は中国が世界の中心であるという中華思想を強く抱き、「高句麗」を「下句麗」と改名しようとして混乱を招いたりもしました。

 原文です。

「顔鳥(ガンチョウ)墓の土を負えば、烏鳥(ウチョウ)来たりて運び埋(ウ)む」


 前回、学んだのは、楊威(ヨウイ)の心が虎に伝わった話でした。
 今回はカラスです。
 山懐(ヤマフトコロ)にある当山では、墓地でお経を読み始めると、いろいろな鳥たちが一緒に鳴いてくれることが珍しくありません。
 仙台市や富谷町などから来られる方などは、びっくりされます。
 あるいは、枕経に駆けつけたお宅で、別室に隔離された故人の愛犬がお経に合わせて「ワオーン、ワオーン」「クーン、クーン」と鳴いたりすると、皆さんのすすり泣きがいや増したりもします。
 ネコにはこうした体験がありません。
 もっとも、托鉢で立ったままお経を唱えていて、正面から頭陀袋(ズダブロ…首にかけた黒い布袋)に飛びつかれ、読経を止められもせずに困ったことなどはありましたが。

 さて、ともすると、都会人には厄介者扱いされるカラスですが、私たちのそばにいて、おりおりにポンと通じ合ったりもします。
 種田山頭火の名句です。

「鴉(カラス)啼(ナ)いてわたしも一人」

 こんな添書きがあります。

放哉(ホウサイ)居士(コジ)の作に和して」

 尾崎放哉(ホウサイ)の句に和する気持で詠んだというのです。

「咳をしても一人」

 放哉の世界は絶対の孤独です。
 苦しくて咳をする。
 苦しいのは自分、咳をするのも自分、そして咳を聞くのも自分しかいません。
 苦しみも咳も決して望むものではないのにそれらと共にしか自分の存在はない。
 だからといって放恣になっているのかと言えばけっしてそうではなく、証拠は「しても」の「も」にあります。
 この「も」によって孤独を確認している精神の強靱さ。
 そして、「も」は、誰かが咳を聞いていたわってくれることを望んでいるのではなく、いたわってくれる人がいないことを嘆いているのでもなく、じっと、ただ、そこに在る石のような存在そのものに徹する姿を示しています。

 そうした点からすれば、山頭火には、自分以外にカラスがいます。
 カラスの「カアー」と鳴く声は天地の存在を意識させ、出て行った心がたちどころに反転し、天地の間にたった一人で声を聞く自分を意識させます。
 放哉の咳は自分から出ました。
 カラスの声は外から聞こえてきました。
 しかし、それはどちらでも同じことです。
 遍満し、森羅万象に感応する心からすれば、自分の身体も身体を包む外界も、変わりはありません。

 放哉山頭火も、読み継がれ、心の振り子を揺らし続けているのは、孤独が暗黒に陥っていないからではないでしょうか。
 当山の瞑想では、自分の心を光明世界へと解き放ちます。
 たった一人の自分が、たった一つの心を解き放つ先に、み仏の世界を観ます。
「こうして呼吸している自分、生きている自分、生かされている自分……。
 この自分はどこから来て、どこへいくのでしょうか。」

 顔鳥(ガンチョウ)はきっと、親を失った悲しみのうちにも、孝行という澄んだ心は輝きを失わなかったのでしょう。
 その光明世界では、人間もカラスも、とりわけ区別はありません。
 おのづから通じ、カラスにもおのずから、同調という感応と行動が生まれたのでしょう。
 山頭火放哉もまた、澄んだ心の世界にいた人々だったのでしょう。




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「のうまく さんまんだ ばざらだん かん」※今日の守本尊不動明王様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=EOk4OlhTq_M





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2014
06.06

人生を〈盛ん〉にし、〈快く〉する方法 ―6月の聖語─

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〈夜のコンビニで何を想うのか〉

 お大師様は説かれた。

「鈍い刀で硬い骨を切るためには、必ず砥石で磨かれている必要があり、重い車が軽快に走るためには、油がきちんとさされていなければならない。」


 このように、心のない鉄や木ですら、何かの助けのおかげではたらけるのだから、人間はなおいっそう、きちんと生きられるように導く教えのおかげによらねばならない。
 作られた刀は放っておかれれば錆びてしまい、役に立つには、どうしても砥石の手を借りねばならない。
 荷車も作られたままでは滑らかに走れず、役に立つには、どうしても、適切に油がさされていなければならない。
 人間だけが、生まれたままでまっとうに生きられるなどということはあり得ない。
 何かを縁として心を磨かねばならない。

 しかし、私たちは往々にしてこの真実を忘れる。
 それは、市場原理の信仰という特定のイデオロギーに洗脳されているからである。
自己実現こそが生きる意味である。
 それをもたらすのは自己決定であり、自己責任が伴う」

 実現したい自己とは何か?
 パソコンや車やバッグや家などを手にすれば、そこに自己は実現されているのか?
 そもそも、私たちがはたらこうとした時、いかに〈自己決定〉できようか?
 希望する職場を得られる確率はいったい、どれほどなのか?
 いっぽう、自己責任だけは確かに負わされる。
 ノルマを達成できなければ簡単に職を失う。
 だから、マニュアルにすがる。
 マニュアルには何が書いてあるか。
 多くが、経営者にとって都合のよい労働者となる方法ではないだろうか?
 あるいは、市場原理、グローバリズムという形で観念された世界を上手に泳ぐ方法であろう。
 しかし、少し考えてみればすぐにわかることだが、この情報化社会にあって、誰もが少数の〈勝ち組(嫌な言葉である)〉になるための確かな方法などありはしない。
 皆が競って手に入れた誰にも負けないほど切れる刀を持って戦い、皆が勝者になることがどうしてあり得ようか。

 大切なのは、自分を社会に合わせた便利な道具に仕立てようと慌てることではなく、まず、本当に〈自分の目〉で自分と社会を観ることではなかろうか。
 遙かな過去からの因縁によって父母のもとに生まれ、育てられ、生かされてきた自分。
 自分を生かしてくれている人間関係。
 そして、自分をつつむ社会、世界、自然。
 これらをきちんと〈自分の目〉で観ることは、たやすくない。
 心の目はたくさんの薄膜で覆われているからである。
 成長神話、消費経済、グローバリズム、市場原理、あるいは自己中心や諦めなど。

 お大師様の時代も、薄膜を取り去ることは難しかった。
 お大師様は古人の言葉「上智は教えられず、下愚は移らず」を示している。
 智慧に優れている人々はそもそも、天賦の才があるので何かの教えを待つほどのこともないし、智慧が無く愚かな人々へは教えがなかなか伝わらないと言われていたのである。
 お大師様は、この言葉へ続けるように、冒頭の言葉を述べた。
 いかに優秀な人であろうと、優秀でない人であろうと、人は必ず導きとなるものに学び、心を磨かねばならないと説かれた。
 このステップがなければ、自分は何者であるか、この世はいかなるものであるかがつかめず、どう生きたらよいかもわからない。
 そして、心の目が開けば人生は〈盛ん〉になり、〈快く〉なるとされた。
 本当に活き活きした人生を送れるのである。
 人間が磨かれた刀のようになり、油がさされた荷車のようになるとは、交換のきく歯車の一つになることではない。
 自分なりの工夫をして生活に意義を見出し、生かしてくれている人々や世間や社会や自然へ見返りを求めずに役立つことである。
 み仏の教えを学び、実践してみれば自然にそうなる。
 人生は〈盛ん〉になり、〈快く〉なるのである。




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「のうまく さんまんだ ぼだなん あびらうんけん」※今日の守本尊大日如来様の真言です。
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2014
06.05

6月の守本尊様と真言

20140603001 (2)
〈阿字観『』本尊〉

 6月は、芒種(ボウシュ)と夏至(ゲシ)の水無月(ミナヅキ…6月6日より7月6日まで)です。
 6月は午(ウマ)の月なので、守本尊は勢至菩薩(セイシボサツ)様です。

 勢至菩薩(セイシボサツ)様は、『根上下智力(コンジョウゲチリキ)』という、人の性根(ショウネ)を見定め、それに応じた救いをくださるみ仏です。
 私たちは他人の性根を見誤って失敗しがちであり、自分自身の性根のありようにも鈍感だったりします。
 勢至菩薩様のご加護で自他の性根をよく見つめ、無事安全に精進しましょう。
 また、勢至菩薩様は、午(ウマ)年生まれの善男善女を一生お守りくださる守本尊でもあり、身体においては、主として頭や首をお守りくださいます。
 ご供養し、ご守護いただき、心豊かで無事安全に過ごしましょう。

seisi011.jpg

 写真は、永代供養を行ってご加護を受けるため、当山の講堂へ納められた勢至菩薩様です。
 総丈は約35㎝あり、日本で唯一、護摩を焚いてできた灰が体内へ納められたご本尊様です。(奉納受付中)

 6月の守本尊様をご供養しお守りいただきたい時、願いを成就させたいと念じる時、辛い時、悲しい時、淋しい時、あるいは感謝したい時は、合掌して勢至菩薩様の真言(真実世界の言葉)を唱えましょう。
 たとえ一日一回の行でも、信じて行なえば、ご本尊様へ必ず思いが届きます。
 続けて行う回数は任意ですが、基本は1・3・7・21・108・1080回となっています。

勢至菩薩(セイシボサツ)

「おん さんざんざん さく そわか」

今月の真言をお聞きになるにはこちらをクリックしてください。音声が流れます


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2014
06.05

6月の行事予定

20140604005 (2)

 芒種(ボウシュ)と夏至(ゲシ)の水無月(ミナヅキ)に予定している行事です。
 この世の幸せとあの世の安心のため、仏神と諸精霊のおわす聖地へおでかけください。

[第一例祭] 2014/6/1(日)午前10:00~11:00

 護摩法を行います。
 観音経や守本尊様をお讃えする経典などを唱え、み仏と万物と万霊をご供養し、願いをかけましょう。
 その月の守本尊様をお讃えする「讃歎経(サンタンキョウ)」は、リズムが良くとても読みやすい読み下し文で、何度も口にしているうちに、だんだんと有難味がわかってくるようになります。
 太鼓と共に観音経を唱えましょう。
 自由参加です。
 護摩の火に身を近づけ、悪しきものは焼き祓い、善き願いへ大きなご加護を受けてください。
 (願い事を書く護摩木供養は1体300円です)
・場  所  大師山法楽寺
・送迎申込 開始30分前に地下鉄泉中央駅そばの『イズミティ21』前へ送迎車がまいります。
 乗車希望の方は前日午後5時までに必ずご連絡ください。

[書道・写経教室] 2014/6/1(日)午後2:00~午後3:30

 髙橋香温先生は津波で被災されても書道一筋でがんばっておられます。
 先生の熱意と誠意を感じられる貴重な時間です。
 書道の基本を学び、100文字の写経も行います。
 イス席もありますので、お気軽にご参加ください。
・場  所  大師山法楽寺
・指  導  高橋香温(温子)先生
・ご志納金 1000円(未成年者500円)
(毎月第一日曜日午後2時から開催します)
・送迎申込 開始30分前に地下鉄泉中央駅そばの『イズミティ21』前へ送迎車がまいります。
 乗車希望の方は前日午後5時までに必ずご連絡ください。

[第一回新法楽塾] 2014/6/1(日)午後4:00~午後5:30

 正しい姿勢と呼吸をもたらす清浄体操から、梵字の「阿」と一体になる阿字観まで、正統な瞑想法を伝授します。身体を整え、心を正す修行を実践しましょう。足腰などの身体を締めつけず、ご本尊様の前で修行するにふさわしい服装でおでかけください。
 いつからでも始められます。イス席もご用意しますので、座れない方などもどうぞ心配せずにおでかけください。
 正式な伝授なので、録画・録音はできません。
 清浄な姿と心でご参加ください。
 なお、資料の準備などの関係上、ご参加される方は、事前に電話やファクスやメールなどでお申し込みください。
・場  所  大師山法楽寺
・ご志納金 1000円
・イス席もありますので、お気軽にご参加ください。
・送迎申込 開始30分前に地下鉄泉中央駅そばの『イズミティ21』前へ送迎車がまいります。
 乗車希望の方は前日午後5時までに必ずご連絡ください。

[第五十一回寺子屋『法楽館』 ―守本尊様はどういう方々か(その3)─] 2014/6月14日(土)午後1:30~3:30

 守本尊様に関するお話の最終回です。
 守本尊様は誰にとっても身近なみ仏なのに、どういう方なのか、どう祈ればよいのかといった肝腎なことごとについては、あまり知られていないのではないでしょうか。
 とてもわかりやすい経典を一緒に読み、正統な祈り方もお伝えします。
 質疑応答の時間もありますので、どうぞふるってご参加ください。
◎不動明王
「正しき道を歩めども○苦労ばかりで報われぬ○哀れ悲しき人々を○必ず救う慈悲心と○実行力を秘めしこと○信じひたすら○帰依(キエ)すべし」
 お不動様は、正しく生きていてもなかなか報われない人々を必ず観ておられ、救いの手を差し伸べられます。
 また、お不動様は、私たちの迷いと苦しみの元を鋭い剣で断ち切り、この世に人の道が実現するようご守護くださいます。

 参加は自由です。
 どうぞふるってご参加ください。
・講  師 法楽寺住職遠藤龍地
・日  時 この講座は、毎月第二土曜日に開催します
・場  所 法楽寺講堂
・参加費 1000円
・送迎申込 開始30分前に地下鉄泉中央駅そばの『イズミティ21』前へ送迎車がまいります。
 乗車希望の方は前日午後5時までに必ずご連絡ください。

[第二例祭] 2014/6/21(土)午後2:00~

 護摩法を行います。
 般若心経や守本尊様をお讃えする経典などを唱え、み仏と万物と万霊をご供養し、願いをかけましょう。
 その月の守本尊様をお讃えする「讃歎経(サンタンキョウ)」は、リズムが良くとても読みやすい読み下し文で、何度も口にしているうちに、だんだんと有難味がわかってくるようになります。
 太鼓と共に般若心経を唱えましょう。
 自由参加です。
 護摩の火に身を近づけ、悪しきものは焼き祓い、善き願いへ大きなご加護を受けてください。
 (願い事を書く護摩木供養は1体300円です)
・場  所 法楽寺講堂
・送迎申込 開始30分前に地下鉄泉中央駅そばの『イズミティ21』前へ送迎車がまいります。
 乗車希望の方は前日午後5時までに必ずご連絡ください。

[『ゆかりびとの会』総会] 2014/6/22(日)午前10:30~

 自主的に当山のサポーターとなってくださる方々の総会が行われます。
 当山の方向性などについて議論し、懇親を深めます。
 
 さて、当山は、ご縁の方々の心身の健康と心の浄化のため、金剛杖(コンゴウジョウ)を役立てていただく準備にいそしんでいます。
 この金剛杖は、宮城県黒川郡富谷町にある『木香舎(モッコウシャ)』を主催する家具職人増野繁治師の作品です。
 師の作品は、宮城県美術館や東京都根岸美術館などへ納められています。
 材料は世界遺産「紀伊山地」中の奈良県吉野山で採取された吉野檜(ヒノキ)です。
 同材は法隆寺の建材として名高く、高級風呂材などとしても珍重されている貴重な天然資源です。
 伝統に則り、長尺は四尺二寸(約128㎝)、短尺は二尺四寸(約72㎝)としました。
 天地にそれぞれ大日如来様と地蔵菩薩様の梵字を配した金剛杖へ、守本尊様十尊の法を結ぶので、善男善女の強力な御守となります。
 当日は、増野繁治師の作品数点を展示し、住職が誰でもできる杖術についてご説明いたします。
 この総会が皆様と当山と世の中のために意義あるものとなりますよう祈っております。

・場  所 法楽寺講堂
・参加申込 6月13日までにお申し込みください。
・送迎申込 開始30分前に地下鉄泉中央駅そばの『イズミティ21』前へ送迎車がまいります。
 乗車希望の方はお申し込みの時点で必ずお申し出ください。

お焚きあげ 2014/6/28(土)午前10:00~11:00

 お不動様のご縁日に、開運不動前にて「供養会」及び「お焚きあげ」を行います。
 人形や仏壇や写真など、燃えるものも、燃えないものも大丈夫です。
 一緒にお不動様のお経を読み、真言を唱えましょう。
お焚きあげをご希望の方は、必ず電話などで日時を連絡の上、お品をご持参、あるいはお送りください。
 当日とは限らず、いつでも結構です。

[機関誌『法楽』の作製] 2014/6/23(月)午前9:00~

 講堂にて、機関誌『法楽』を作り、機関紙『ゆかりびと』と共に発送しますので、ご協力をお願いします。
『実語教・童子教』も共に学びましょう。
 おかげさまにて、『法楽』は第290号、『ゆかりびと』は第154号となりました。
・場  所 法楽寺講堂
・日  時 毎月、最終月曜日に行っていますが、今月は月末に当たっており、一週間繰り上げて作製・発送を行います。

[隠形流(オンギョウリュウ)居合道場]

・日  時 毎週金曜日 午後7:00~9:00
・場  所 仙台市旭ヶ丘青年文化センター
 九字を切り、守本尊様のご加護をいただく密教独自の剣法です。
 高齢者の方々や女性が多く、厳しいながらも和気藹々(ワキアイアイ)と稽古しています。
 入門ご希望の方は、事前に連絡の上、まず、見学してください。




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2014
06.04

本当の懺悔はどのように行われるか? ―女児殺人事件を解決した栃木県警阿部刑事部長の苦衷―

201406020132.jpg
〈第一例祭を終えました〉

 6月4日のトップニュースは、栃木・旧今市で9年前に起こった女児殺害事件の容疑者逮捕だった。
 小学1年生だった吉田有希ちゃん(当時7歳)を殺したと目されているのは栃木県鹿沼市の無職、勝又拓哉容疑者(32)である。
 
 栃木県警の記者会見は異例の謝罪を含んでいた。
「慎重かつ粘り強い捜査を継続し、自信を持って逮捕するに至った」
「被害者、御遺族の無念を晴らし、地域社会の不安を取り除く使命を痛感し、最重要課題と位置づけてきた」
「8年6カ月の長期間を要し、御遺族にご心労、県民の皆さまにご心配をお掛けしたことにおわび申し上げる」
 みごとに責務を果たしたが、長期間を有したことを詫びたのである。

 一方、勝又拓哉容疑者の供述にも謝罪はあったという。
「私が有希ちゃんを殺害したことは間違いありません」
「今、言えることはごめんなさいということです」

 私たちが「詫びる」とはどういうことか?
 まず、自分の行為に悪意や愚かさが含まれていると認識しなければならない。
 そして、悪意や愚かさによって人格やいのちや生活やモノなどが損なわれた相手を思いやらねばならない。
 そして、悪意や愚かさに対する耐え難い後悔の念が起こらなければならない。
 そして、後悔の念は、起こしてしまったできごとを覆せないという現実に叩き潰されねばならない。
 そこに、どうにもならない時の〈呻き〉が生じる。
 私たちは快事に際して快哉を叫ぶが、その対極にあるのが呻きである。
 この呻きこそが懺悔の力となり、必然的に詫びないではいられない思いが起こり、それは有形無形の言葉となる。

 たとえば、若き日に思いを寄せた女性を妊娠させたが水子にしてしまい、やがて二人の接点がなくなった。
 闇雲にはたらく日々から解放され、老いて死を意識するようになり、ようやく、いのちの何たるかに気づき、思わず呻く。
 女性はどこでどのように暮らしているかわからず、どうすれば水子霊の供養ができるのかもわからず、詫びる言葉は空中を彷徨うしかない。

 たとえば、事業に失敗して損害を与えた恩人と音信不通になり、数十年が過ぎた。
 やがて、恩人が経済的に追いつめられていることを風の便りで知ったが、自分も又、苦境にあって何もできず、呻く。
 我が身が情けなく、詫びる言葉は空中を彷徨うしかない。

 つまり、溶けぬ苦しみを伴ってこそ、詫びる言葉は真実のものとなる。

 私たちの文化では、ここ半世紀あまりの間に、公衆の面前で大人大人へ「反省していますか?」と問うようになり、誰もがいち早く「反省しています」と頭を下げるようになった。
 他人様を厳しく糾弾する資格などあるかどうか疑わしい人々が、大衆に成り代わって正義の権化よろしく厳しい攻撃を行い、懺悔を求め、反省を形で露わにさせようとする。
 だから、白髪頭も禿頭も、容易に、ペコペコと下がる。
 要求する側も、される側も、見苦しい。
 なぜか?
 そこには〈大人〉が感じられないからである。
 大人とは、呻きを知っている人である。
 他人様の呻きに魂が揺れる人である。
 大人反省はただ一つ、責任をとることにしか結びつかない。
 もちろん、前述の二例共に責任のとりようはないが、それもなお、とれない責任を感じ続ける。
 これが大人である。
 だから大人は他人様へ反省を求めたりはしない。
 無論、そうした場面も無用ではなく、それは、大人が子供に対する時のみである。

 栃木県警阿部刑事部長の苦衷はいかばかりだったろうか。
 解決というよき結果を出したにもかかわらず、詫びずにはいられない。
 その心中は察するに余りある。
 ――大人を観た。




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「おん さん ざん ざん さく そわか」※今日の守本尊勢至菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。

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2014
06.03

宗教も科学も源をたずねてやまない ─「ダライ・ラマ『死の謎』を説く」を読む(37)─

20140602005.jpg

 平成6年、ジャーナリスト大谷幸三氏は、インドのダラムサラにおいて、ダライ・ラマ法王への質問を数日間かけて行い、回答をまとめた。
 それがテキスト「ダライ・ラマ『死の謎』を説く」である。

第6章 宇宙の法則 ―大宇宙の真実が語りかけるもの―

2 宇宙の創造

○相矛盾する仏教的宇宙観とビッグ・バン学説

「仏教の宇宙観から言えば、大宇宙、すなわち宇宙のすべて、宇宙の全体には、本来始まりもなければ終わりもない。
 もちろん、特定の、あるいは、個々の宇宙には、それぞれの始まりがあり、終わりがある。
 宇宙に散らばる個々の星雲には始まりがあったはずだし、その終わりも必ずやあるだろう。」


 仏教も科学も、必ず〈源〉への思いを持つ。
 お大師様は書かれた。

「性熏(ショウクン)我れを勧(スス)めて、
 還源(ゲンゲン)を思いとす。
 経路(ケイロ)未(イマ)だ知らず。
 岐(チマタ))に臨んで幾(イク)たびか泣く。」

(み仏の子として持つ仏性に励まされ、
 あらゆるものの根源を求めてやまない。
 しかし、そこへ至る道筋がわからない。
 道に迷い、いくたびも泣いた)

 そしてたどりついた経典が『大日経(ダイニチキョウ)』だったが、心のありさまについて説く第一章は読解できても、第二章以下は実践によってじかに悟りの世界へ入る方法が説かれており、伝授を受けない限り、わからない。
 それゆえお大師様は、唐をめざして海を渡られた。
 宗教的思考は必ず〈依って立つ〉ところをめざす。
 真実世界の〈源〉を求め、そこへ〈還〉る方法を求めないではいられない。
 それが還源である。
 還源の果てに仏教は「本不生(ホンプショウ…本来生ぜず)」すなわち、始まりも終わりもないという地点へたどりついた。
 一方、モノの世界には生滅がつきものである。
 すべては生まれ、滅する。

ビッグ・バン学説によれば、そもそもの宇宙の創世はは150億年ほど前に起こったとされている。
 すべてはそのときに始まったというわけである。
 これは仏教的な宇宙観から言えば、少々困ったことである。
 なにしろ、始まりも終わりもないのが宇宙であるのに、始まりが存在すると言うのだから。」


 アリゾナ州立大の宇宙物理学者ローレンス・クラウス教授は言う。

「わたしが本当に知りたいのは――そして、じっさいに科学が取り扱うことのできる問題は――宇宙に存在するいっさいの『もの』は、『もの』のない状態から、いかにして生じたのかということなのだ。」
「量子力学と重力理論を組み合わせると、奇跡的ではあるが奇跡ではないこの宇宙の性質として、何もない状態から何かが生じるということが導かれるのである。」(『宇宙が始まる前には何があったのか?』より)

 始まりを求めてやまない科学は、ビッグ・バンを考える。

「では、問わねばならない。
 どのようにして、そもそもの始まり、宇宙の創世ビッグ・バンは起こったのかと。」


 現代科学の最先端に立つ科学者たちと意見を交わし合っているダライ・ラマ法王は、ビッグ・バンと「本不生」とについてどう考えるのか?




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