--
--.--

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

2014
12.31

真智の開発をめざして(その12) ─親とご先祖様の恩を考えつつ新年を迎えましょう─

201412310005.jpg

 今年最後のブログです。
 やご先祖様に感謝しつつ、年を越えようではありませんか。

「五智」とは、優しさ・厳しさ・正しさ・優雅さ・尊さであり、その五光により、妄知(モウチ…おかげさまと心の底から思えない惑った心)も邪知(ジャチ…万事を我がためとするよこしまな心)も消え失せます。

 さて、「正しさ」は、五つのを深く想う時に実現されます。
 それは、国家社会のとご先祖様の、人間や生きとし生けるものの、師や教え導いてくださる方の、仏法僧のです。
 今回は、とご先祖様の恩を考えてみましょう。

1 ザビエルの困惑

 今から450年以上前、キリスト教による世界制覇を目指して日本へやってきたフランシスコ・ザビエルは当惑しました。
 日本人は、善人であれ、悪人であれ、逝った人を等しく悼むからです。
 を信じて天国へ行き、信じないで地獄へ堕ちるだけでは済まされないからです。
 そして、故国スペインへ書き送りました。

「日本の信者には一つの悲嘆がある。
 それは、私たち(キリスト教の宣教師)が教えること、すなわち、死後、地獄に堕ちた人は全然救われないことを非常に悲しむのである。
 亡くなった両をはじめ、祭祀や先祖への愛ゆえに、彼らの悲しんでいる様子は哀れである。
 死んだ人のためにおおぜいの人が泣く、そして私に尋ねる。
 祈りをもって死んだ人を助ける方法はないものか……と、しかし、私はただ、助ける方法はないと答えるのみである。」


 あの時代も、仏教を信じる日本人には追善供養という「助けられる方法」がありました。
 そして、現代人もまた、迷うことなくこの宗教行為であり文化的美風を実践していますが、それは、決して一朝一夕に成ったものではありません。

2 縄文時代

 亡くなった人を悼む日本人は縄文時代、死者のために土偶を壊して地中へ埋めました。
 そして、新たな土偶を作りました。
 大地へ還し、大地から創るという象徴的行為を行いました。
 死者がきちんと〈あの世〉へ行き、いつか又、この世へ再生できるよう、手助けしないではいられなかったのです。
 この世で人としての役割を果たした存在は、死によってこの世から消えたからといって、私たちと無関係になるのではありません。

 縄文時代に生きたご先祖様の心を想うと涙が溢れそうになります。

3 弥生時代

 『古事記』は、天照大(アマテラスオオミカミ)出現の様子を記しています。
 伊弉諾尊(イザナギノミコト)が、自分の首にかけていた頚珠(クビタマ)をとって、珠の音をさせながら天照大へ渡すのです。
 御倉挙(ミクラタナノカミ)と呼ばれるこの頚珠こそ、穀倉に祀られた稲の精霊の依り代であるとされています。
 珠(タマ)は霊(タマ)であり、弥生時代の人々は珠祀り(タママツリ=霊祀り)を行うことにより、穀霊や地霊などの力を受ける一方、人そのものもまた、珠から力を授かって無事安全に過ごせるよう祈りました。
 人がこの世とあの世を行き来するのと同じように、々もまた、常世の国から珠の音などを縁としてこの世に顕れてくださるという感覚が生まれました。

4 古墳時代

 時代が下り、三世紀の日本人の様子は『魏志倭人伝(ギシワジンデン)』に書かれています。
 死者が出れば葬儀を行い、沐浴を行った近者などは10日間、喪に服します。
 喪主は泣き、肉食は避けられ、他人は歌舞飲食を行いました。
 造られた古墳は穢れなき聖なる世界、すなわちの世界であり、死者の霊は神に昇華するという感覚が生まれました。
 この頃に生まれた黄泉(ヨミ…あの世)という言葉について、国文学者の中西進氏は指摘しました。
 「ヨ」は「世」や「代」であって生命を意味し、「ミ」は海神(ワタツミ)に通じる神霊を意味するので、黄泉は「生命を支配する神の世界」ではないか。
「人間は生きているから死ぬのであって、そういう意味では生は一時的な世界である。
 それに対して死の世界は永遠であり、死ねばさらに死ぬことはない。」
「永遠の生命つまり常世(トコヨ)が宿っている。」

 こうして私たち日本人は、二つの〈あの世観〉を熟成させてきました。
「人は死んで清まり、やがては神になる」
「人は永遠なるみ仏の世界からこの世へやってきた旅人であり、やがて故郷であるあの世へ還る」

 そして、悼み、供養し、あの世の御霊もこの世の私たちも深い安寧を得られる繊細で精緻な日本的方法を創造してきました。

5 トルストイの天使

 かつて、トルストイは指摘しました。
「人生における行動の最も重大な問題は、合理的な人間によって決定的に解決されない。
 なぜかと言うと、そこには彼の知ることのできない多くの結果があるからだ」
「人生の最も重大な問題は、個人的衝動によって導かれることも、情動の結果を考量することによっても導かれない」
「彼の先見し得る結果は多種複雑であって、時としては自分にも他人にも有益であり、無益であり、相互矛盾しているように見える」
 次に、決定的な寓話を挙げます。

一人の天使が地上に降りて来て、揺りかごに眠っている子供を殺した。
 なぜそんなことをしたかと訊かれた天使は、この子は成長して非常な罪人になり、この家の幸福を破壊するからであると答えた。

 私たち人間は、決して〈合理性〉だけでは耐えられず、生きられない存在です。
 トルストイの結論です。

「宗教は合理的な人間及び一切の合理的人類の生活上、欠くことのできないものであった。」

6 とご先祖様の恩

 私たちは、神道と仏教という二つの基本的宗教によって、〈耐えきれず、生きられない〉という状況を克服しつつ、明日を目ざすことができます。
 今年も、家族や恩人や知人の死に打ちのめされ、崩れそうな方々と共に悼み、供養することによって、立ち直り、救われる数多くの現場を体験してきました。
 遙かな時代から、ご先祖様方は尊い感覚を深めて来られ、両親は、いのちと共に、ご先祖様から受け継いだ感覚とそれに導かれた具体的行動の方法を子供へつなぎます。
 子供が成長し社会的役割を果たす過程において、合理的思考だけでなく、こうした感覚もはたらかせられれば、まっとうに生きて、大きく道を誤らないことでしょう。

 お父さん、お母さん、お祖父ちゃん、お祖母ちゃん、そしてご先祖様、ありがとうございます。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。




「おん ばざら たらま きりく」※今日の守本尊千手観音様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=IvMea3W6ZP0





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村
 
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン

 

スポンサーサイト
2014
12.30

真智の開発をめざして(その11) ─国家社会の恩を考える─

201412300007.jpg
〈河北新報様よりお借りして加工しました〉

201412300002.jpg
〈炭鉱の和気藹々(ワキイアイアイ)〉

201412300004.jpg
〈助け合う男女〉

五智」とは、優しさ・厳しさ・正しさ・優雅さ・尊さであり、その五光により、妄知(モウチ…おかげさまと心の底から思えない惑った心)も邪知(ジャチ…万事を我がためとするよこしまな心)も消え失せます。

 さて、「正しさ」は、五つのを深く想う時に実現されます。
 それは、国家社会の、親やご先祖様の、人間や生きとし生けるものの、師や教え導いてくださる方の、仏法僧のです。
 今回は国家社会の恩を考えてみましょう。

 12月28日付の河北新報は「米大学、絶えぬ性暴力 ―女子学生被害『5人に1人』」を掲載しました。
 その一部です。

「名門を含む米国の大学で女子学生への性暴力がなくならず、連邦政府が対策に本腰を入れ始めた。
 ホワイトハウスの報告書によると、被害者は女子学生の『5人に1人』。
 過度の飲酒を伴うパーティーが要因の一つとされる。
 オバマ政権は大学名を公表しながら実態調査を進め、声を上げる被害者も目立ってきた。

 大学の性暴力の被害者は6割以上が1年生とされる。

『米社会は女性を充分尊重していない。
 性的暴行を非難する声を上げるべきだ。』
 年初からこの問題に本格的に取り組んできたオバマ大統領は9月、根絶を呼びかけた。
 教育省は5月、性的暴力の事件を適切に扱っていない疑いがある55大学を発表した。
 ハーバード大やカリフォルニア大バークリー校など、世界的に知られた名門校が少なくない。

 ホワイトハウスがまとめた報告書は、防止策や事後の対応など4項目を勧告した。
 最初に挙げたのは実態の把握だが、実際には被害女性の13パーセントしか届け出ていない。」


 かつて、オバマ大統領は発言しています。

「大学で勉強している女子学生の5人に1人が、在学中に性的暴行を受けていると推定されています。
 5人に1人ですよ。」
「これは許しがたい事実です。」
「娘を大学にやったら、2割の確率で暴行を受けると考えたらとても送り出すことはできない」


 驚くべき実態と言うしかありません。
 こうした〈世界の現状〉を想像する時、日本に暮らすことのありがたさが強く感じられます。
 決して他国を誹謗するのではなく反面教師とし、あたかも空気のように〈あって当然〉と感じている日常的治安の安定がいかに貴重なものか、考えてみたいものです。
 女性の安全に関しては、統治機構のまじめなはたらきと共に、天照大神(アマテラスオオミカミ)に発する私たちの心のDNAが、女性を尊び、いたわる気持を連綿と受け継いでいることがベースにあると思われます。
 かつて日本中にあった炭鉱の町では、男性と一緒になって地下へ下りる女性もたくさんいました。
 暑さと湿気のため男性はふんどし姿、女性も半裸になってはたらきましたが、〈町〉の人々は家族づきあいをしており、それぞれの生活がきちんと守られていました。
 また、海女さんがほとんど全裸で仕事をしても、何ら問題はありませんでした。
 日本が「女性一人でも夜道を歩ける」安全な希有の国とされているのには理由があるのです。

 また、日本人は1年間に約62キロのお米を食べますが、田んぼ一枚をきちんと管理すれば、5~10人くらいは一年間、食いつなげます。
 もっとも、60キロは約400食分に相当し、1日3食の中で米を食べる割合をもっと増やせば、半分くらいになるかも知れません。
 かつて、托鉢行で生きていた当時、家に米があると、「ああ、これで明日も生きられる」という大きな安堵感を覚えたものです。
 そもそも日本は「豊葦原(トヨアシハラ)の瑞穂(ミズホ)の国」と呼ばれました。
 天地の神々に護られ、米が豊かに実る国です。
 世界が食料争奪戦と食料危機へ向かっている今こそ、自分で、あるいは自分たちで安全な米を作り、生きるベースにするという発想は広く共有される価値があると思えます。

 この国の文化と自然、そしてご先祖様の恩を静かに想うひとときを持ちたいものです。
 それが、社会的に正しく生きるための一歩とされいます。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「おん あみりたていせい から うん」※今日の守本尊阿弥陀如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=4OCvhacDR7Y





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン



2014
12.29

平成27年1月の行事予定 ―正月祈祷・例祭・書道教室・寺子屋・瞑想会・居合道場など―

201412290003.jpg
〈明治・大正・昭和親子三代で日本を支えてきたど根性ここにあり(仙北の町に住むAさんよりのご提供)〉

201412290001.jpg

201412290002.jpg
〈仙台市の『春昼堂(シュンチュウドウ)』さんにあります〉

 平成27年1月の行事予定です。
 各行事に際しては、地下鉄泉中央駅そばにあるイズミティ21前から無料送迎車が出ます。
 ご利用されたい方は必ず、前日の午後5時までにお申し込みください。


正月祈祷 2015/1/1(木)~3(土)午前10:00~11:00 午後2:00~3:00(3日の午後はありません)

 私たちは、生まれ年によって決まる守本尊様に一生を守っていただきながら日々を過ごしています。
 たとえば未(ヒツジ)年生まれの方なら大日如来様です。
 お正月には、新しい年の過ごし方を考え、さまざまな願いを込めてこうした一代守本尊様をご供養する『修正会(シュショウエ)』を行います。
 当山では、本尊大日如来の背後と、本堂上部壁面にすべての守本尊様を安置しています。
 護摩の火と、古来より伝わる大師茶などで心も身体も暖まり、新しい一年が開運の年になりますよう。

[一代守本尊]
★子(ネ)年生まれの方の守本尊……………………千手観音(センジュカンノン)様   
★丑・寅(ウシ・トラ)年生まれの方の守本尊……虚空蔵菩薩(コクウゾウボサツ)様
★卯(ウ)年生まれの方の守本尊……………………文殊菩薩(モンジュボサツ)様
★辰・巳(タツ・ミ)年生まれの方の守本尊………普賢菩薩(フゲンボサツ)様
★午(ウマ)年生まれの方の守本尊…………………勢至菩薩(セイシボサツ)様
★未・申(ヒツジ・サル)年生まれの方……………守本尊…大日如来(ダイニチニョライ)様
★酉(トリ)年生まれの方の守本尊…………………不動明王(フドウミョウオウ)様
★戌・亥(イヌ・イ)年生まれの方の守本尊………阿弥陀如来(アミダニョライ)様

 ご都合のよい時間帯におでかけください。
 ご祈祷を申し込まない方でも参加できます。
 願い事を書く護摩木(ゴマギ)は一体300円です。
・場  所  大師山法楽寺

[『みやぎ四国八十八か所巡り道場』参拝] 2015/1/3(土)午後2:00~3:30

 造営中の「八十八か所巡り道場」へでかけます。
 午後2:00に当山を出発し、送迎します。
 所要時間は、往復も含めておよそ1時間30分ほどになります。
・場  所 仙台市泉区福岡字菅の崎3

[第一例祭 2015/1/4(日)午前10:00~11:00

 護摩法を行います。
 お経の多くが読み下し文なので、内容がとても感じやすく、理解しやすくなっています。
 み仏と万物と万霊をご供養し、願いをかけましょう。
 その月の守本尊様をお讃えする「讃歎経(サンタンキョウ)」は、リズムが良くとても読みやすく、何度も口にしているうちに、だんだんと有難味がわかってきます。
 太鼓と共に般若心経を唱えましょう。
 自由参加です。
 み仏の智慧が輝く護摩の火に身を近づけ、悪しきものは焼き祓い、善き願いへ大きなご加護を受けてください。
 願い事を書く護摩木供養は1体300円です。
・場  所  大師山法楽寺

[書道・写経教室] 2015/1/4(日)午後2:00~午後3:30

 髙橋香温先生は津波で被災されても書道一筋でがんばっておられます。
 先生の熱意と誠意を感じられる貴重な時間です。
 書き初めには、守本尊様の御宝号を書きましょう。
 今月も、『舎利礼(シャリライ)』という72文字のお経を4文字づつ書きます。
 書道の基本を学び、100文字の写経も行います。
 イス席もありますので、お気軽にご参加ください。
・場  所  大師山法楽寺
・指  導  高橋香温(温子)先生
・ご志納金 1000円(未成年者500円)
(毎月第一日曜日午後2時から開催します)

[第十四回瞑想教室] 2015/1/4(日)午後4:00~午後5:30

 清浄体操から、梵字の「阿」と一体になる阿字観(アジカン)まで、正統な瞑想法を伝授します。
 お大師様は経典を根拠にして、阿字観こそがお釈迦様の悟りへ入る最終的な方法であると説かれました。
 しかも、難しい本格的な方法のみならず「光と一体」の観想だけという略法でも、み仏そのものになれるのです。
 身体を整え、心を正す修行を実践しましょう。
 身体を締めつけず、ご本尊様の前で修行するにふさわしい服装でおでかけください。
 いつからでも始められます。
 イス席もご用意しますので、座れない方などもどうぞ心配せずにおでかけください。
 なお、正式な伝授なので、録画・録音はできません。
 清浄な姿と心でご参加ください。
 資料の準備などの関係上、参加される方は、事前に電話やファクスやメールなどでお申し込みください。
・場  所  大師山法楽寺
・ご志納金 1000円

[第五十九回寺子屋『法楽館』―安心はどこから来るか「『安心章』を読む」―]
 2015/1月10日(土)午後1:30~3:30

 新年を迎え、私たちが確かな安心を獲得する道筋について説かれた『安心章(アンジンショウ)』のお話を申しあげます。
「煩悩(ボンノウ)に苦しむ私たちであっても、いったん、自分はみ仏の子であると確信できれば、無限の過去から続く迷いが解け、この場においてただちに大安心を得られる」
「いのちある者は必ず死に逝き、会った者とは必ず別れるのが人生の常であり、明日をも知れぬこのいのちゆえ、自分の行く末を想像しつつ生きる」
 質疑応答もあります。
・講  師 遠藤龍地
・テキスト 『安心章(アンジンショウ)』
・場  所 大師山法楽寺
・ご志納金 1000円

[第二例祭 2015/1/17(土)午後2:00~3:00

 護摩法を行います。
 お経の多くが読み下し文なので、内容がとても感じやすく、理解しやすくなっています。
 み仏と万物と万霊をご供養し、願いをかけましょう。
 その月の守本尊様をお讃えする「讃歎経(サンタンキョウ)」は、リズムが良くとても読みやすく、何度も口にしているうちに、だんだんと有難味がわかってきます。
 太鼓と共に般若心経を唱えましょう。
 自由参加です。
 み仏の智慧が輝く護摩の火に身を近づけ、悪しきものは焼き祓い、善き願いへ大きなご加護を受けてください。
 願い事を書く護摩木供養は1体300円です。
・場  所 大師山法楽寺

[第十五回瞑想教室] 2015/1/17(土)午後4:00~午後5:30

 清浄体操から、梵字の「阿」と一体になる阿字観(アジカン)まで、正統な瞑想法を伝授します。
 お大師様は経典を根拠にして、阿字観こそがお釈迦様の悟りへ入る最終的な方法であると説かれました。
 しかも、難しい本格的な方法のみならず「光と一体」の観想だけという略法でも、み仏そのものになれるのです。
 身体を整え、心を正す修行を実践しましょう。
 身体を締めつけず、ご本尊様の前で修行するにふさわしい服装でおでかけください。
 いつからでも始められます。
 イス席もご用意しますので、座れない方などもどうぞ心配せずにおでかけください。
 なお、正式な伝授なので、録画・録音はできません。
 清浄な姿と心でご参加ください。
 資料の準備などの関係上、参加される方は、事前に電話やファクスやメールなどでお申し込みください。
・場  所  大師山法楽寺
・ご志納金 1000円

お焚きあげ 2015/1/31(土)午前10:00~11:00

 お不動様のご縁日に、お不動様の前で「供養会」を行い、「お焚きあげ」を行います。
 今年最後のお焚きあげになります。
 人形や仏壇や写真など、燃えるものも、燃えないものも大丈夫です。
 一緒にお不動様のお経を読み、真言を唱えましょう。
お焚きあげをご希望の方は、必ず電話などで日時を連絡の上、お品をご持参、あるいはお送りください。
 当日とは限らず、いつでも結構です。
・場  所  大師山法楽寺

[機関誌『法楽』の作製] 2015/1/26(月)午前9:00~

 講堂にて、機関誌『法楽』を作り、機関紙『ゆかりびと』と共に発送しますので、ご協力をお願いします。
『実語教・童子教』も共に学びましょう。
 おかげさまにて、『法楽』は第300号、『ゆかりびと』は第163号となります。
・場  所  大師山法楽寺
・日  時 毎月、最終月曜日に行っています。

[隠形流(オンギョウリュウ)居合道場]

 仏法に生きる身と心をつくるために行います。 
 九字を切り、守本尊様のご加護をいただく密教独自の剣法です。
 高齢者の方々や女性が多く、厳しいながらも和気藹々(ワキアイアイ)と稽古しています。
 入門ご希望の方は、事前に連絡の上、まず、見学してください。
・日  時 毎週金曜日 午後7:00~9:00
・場  所 仙台市旭ヶ丘青年文化センター

◎清掃奉仕の日

 毎週金曜日、ご縁の方々が最も多くおでかけになられる土曜・日曜の前日に、境内地などの清掃や草取りなどを行います。
 皆さんのご都合に合わせて、何時でも自由にでかけられ、大きな徳積みをされてはいかがでしょうか。
 その日ごとに作業のポイントを貼り出しますので、ご覧の上、どうぞご参加ください。
 どなたでも参加できます。
・日  時 毎週金曜日午前9時~午後5時
・場  所 法楽寺境内地など




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「おん あみりたていせい から うん」※今日の守本尊阿弥陀如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=4OCvhacDR7Y





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン



2014
12.28

葬儀社様の商行為と寺院の宗教行為とは別ものであり車の両輪です ―安心なご葬儀とご供養のために―

201412280001.jpg
〈仙台市の『春昼堂(シュンチュウドウ)』さんにあります〉

 今年最後のQ&Aです。
 お寺とのできごとがいろいろあったAさんは、ネット上で質問、憤激、悔悟、落胆をされました。
仏教とは、お坊さんとは、供養とは…。
 何が本当なのかわからなくなり、だんだんと仏壇のお務め、供養もいい加減になりつつあります。
 これから供養を続けていく自信がなくなりました。」
 まず、冒頭に、仏教界の状況に問題があることを心よりお詫び申しあげます。
 以下、当山で最も多い人生相談の一つについて、少々突っこんだ視点から考えてみます。

1 亡き方を供養し、慰霊しないではいられないまごころに気づく

 人は太古の昔から、死と死人と御霊とを畏怖してきました。
 そもそも「畏」は鬼の頭をかたどっており、霊的な力の前でかしこまる気持のことです。
 そして「怖」は、怖い、と、おののく様子です。
 どこにでもあるのに、日常的感覚からの強烈な断絶を感じさせずにはおかない死も、逝く人も、そして、去ってしまった人も放置できないのは、私たちに霊性があるからです。
 一個の動物として見聞きできる範囲を超えた世界を感じとる能力を持っているからです。
 昨日生きたように今日を生き、明日もこれが続くと無意識に信じ、漫然と生きている自分をふり返り、もしも一瞬後に、あるいは明日、あるいは来月、自分が死ぬことをリアルに想像してみましょう。
 また、故人となった人々を想い、自分との関係をゆっくりと思い出してみましょう。
 きっと、目先のことごとに追われている時とは異なる心が動くはずです。
 いつの間にか合掌しているかも知れません。
 畏怖を伴う霊性のはたらき、言い換えれば一種の〈まごころ〉の活動は、他人との関係によって揺るがず、お寺がどうこうとは別問題です。
 ここのところをしっかり確認しておかないと、「寺がけしからん、僧侶がけしからん、だから仏教も葬式も要らない」といった短絡的な主張に乗せられ、自分のまごころから葬送供養の方法学び、考えるという大切な姿勢を失いかねません。

2 葬送慰霊供養が人生において大切なものであると考えるならば、それを依頼し、学ぶ相手を自分で探す

 私たちは病気になると、真剣に薬を求め、医者や病院を探します。
 自分で納得できない薬は服用せず、適当に医院の門を叩きもしません。
 病気は自分が処置できる能力の範囲を超えたできごとなので、信頼できるプロの力にすがらずにはいられません。
 ならば、〈死〉や〈死後〉について考え、何かを行おうとするならば、信頼できる宗教者や寺院などを探すのが当然ではないでしょうか。
 Aさんは「葬式業者数社と契約して、葬式ばかりして儲けるお寺もあると聞きました」と言われますが、商行為と宗教行為はまったく別世界の問題であることを、まず、確認しておかねばなりません。
 自分で宗教のプロを探し、納得や安心を得るというプロセスなしに端(ハナ)から業者任せにするならば、宗教行為が商行為、あるいは商行為の延長として行わてもよいと認める〈消費者〉になることを意味します。
 葬祭業者様は商行為として正当な業務を行い、僧侶宗教行為として異次元の法務を行い、両者が車の両輪としてそれぞれの持分を充分に発揮すればこそ、葬送がまっとうに行われます。
 そうした葬送を可能にさせるかどうかは、商業ベースに乗らず、あなた任せではなく、別々なものを別々な視点から〈自分で選ぶ〉方々の姿勢にかかわるところ、大なるものがあります。
 賢い消費者になることが正直な店を存続させ、消費社会のペースに呑み込まれない生活を確立させるのと同じではないでしょうか?
 最近は、お元気な方でも〈事前〉のご相談にご来山されます。
 そして、共同墓の生前契約をしたり、一代墓の図面を眺めたり、生前戒名の取得を申し出たりする方々も多くなりました。
 信念や方針が明確に掲げられている寺院を訪ね、住職と会い、重大事を〈託せる〉かどうか、ご自身の霊性で判断されるようお勧めします。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「のうまく さんまんだ ばざらだん かん」※今日の守本尊不動明王様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=EOk4OlhTq_M





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン


2014
12.27

忖度(ソンタク)ということ ―ラシェル・ジェイコブスさんについて―

201412270001.jpg
〈「みやぎ四国八十八か所巡り道場」は清浄な雪の世界です〉

 曾野綾子氏も産経新聞「透明な歳月の光」で触れていた小さなできごとを記しておきたい。
 12月15日、オーストラリアのカフェでイスラム教徒の男が人質をとって立てこもり、射殺された事件後、オーストラリア第三の都市ブリスベンで列車に乗っていたラシェル・ジェイコブスさんは、イスラム教徒らしき女性がスカーフを外す様子に気づいた。
 事件を起こした男と同じイスラム教徒がいることに乗客が不安や不快感を覚えないようにとの気遣いと思えた。
 女性と同じ駅で降りたラシェル・ジェイコブスさんは女性へ語りかけた。
「元通りかぶって。
 私はあなたといっしょに歩くわ」

 できごとはちょっとしたものだが、含まれている真実はとてつもなく大きい。
 皆がラシェル・ジェイコブスさんのような気持になれば、社会の雰囲気がいかに浄化されることか。
 異教徒への偏見や不信や憎悪、それに対する反発や猜疑心や怒りといった不毛のやりとりが薄れる。

 人間はどうやって社会を維持するか?
「他人心あり。
 予(ワレ)、これを忖度す」
「忖」の寸は、指一本分の長さを示す。
「度」は、計ることである。
 他人にも自分と同じく心があり、それをおしはかってこそ、人と人は交流できる。

 通じ合うとは、互いの心をおしはかり合うことである。
 その時、双方共に少々、我(ガ)を離れている。
 そして、人として美しくなれる。

 他国の街で起こった忖度のできごとは、小生の心を明るくした。
 この拙文を読まれた方々にも同じような明かりが差して欲しい。
 ラシェル・ジェイコブスさん、ありがとう。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「のうまく さんまんだ ぼだなん あびらうんけん」※今日の守本尊大日如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=LEz1cSpCaXA





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン



2014
12.26

幸福の探求 ―〈今〉が息を吹き返すために―

201412260001.jpg

 中原文夫の小説『幸福の探求』はそれぞれ一身上の問題を抱えた家族三人が自死を決意するところから始まる。
 夫は会社勤め特有の理不尽な扱いに耐えられず、妻はストレス性の喘息に苦しみ、娘は情緒不安による葛藤が引き金となって引きこもっている。
 こんな三人は家族会議で衆議一決する。
 奥多摩の渓谷で身を投げようというのである。
「手筈を決めた時、三人とも胸のつかえが下りたようで、とても晴れやかな心持ちだった。」

 ところが、古い吊り橋を見つけて渡り始めた時、不意にバランスを崩した三人は恐怖のあまりへたり込み、戻れなくなる。
 そこに現れた白髪の老人から言われる。
「あんたら、肉眼で見るから動きが取れんのだよ。
 さあ、目を瞑って心眼で歩いてみい」
 
 助かった三人はやがて、老人の言葉を思い出し、「万物研究所主宰・幸福学博士 山本杉作」と書かれた名刺を頼りに訪ねてみる。
「死ぬつもりになったんやら、わしの研究所に遊びに来てみろや」
 そして、帰宅する背に老人から言葉を受けた。
「まあ、見てみい。
 に上向いて来るでな」

 三年後、それぞれの運勢は確かに上向き、「別天地」のようになっていたが、忙しい家族がようやく、ゆっくりと談笑している時、思わぬ事態になった。
 せっかく「夢のある話で盛り上がったは、次第に湿っぽくやってゆく」のだ。
 それぞれ、苦労や文句や不満や不安を抱えていることが顕わになる。
 夫は思う。
「自分たちは大変な思い上がりをしているのではないか」
「窮地を脱してそれなりの安穏を得ても、すぐにあらたな不満が持ち上がるのだから、人間というのはわがままなものだ。」
 そして、衆議一決した。
「辛い時は、一番惨めだった頃を思い浮かべればいい」
「もう一度、奥多摩に行ってみようか。
 あそこで俺たち、現在のしあわせをつくづく噛みしめるといいんだ。」
 いつしか、運勢が上向いて嬉しいはずの〈〉が、「辛い時」になってしまっている。

 吊り橋は、こんな気持で渡り始められる。
「やっぱりは幸せなんだ。
 つまんないことで、こぼしたりするのは馬鹿みたいだよな」
 しかし、意外な展開が始まる。
「三年前の苦しみなんて、味わっている苦しみに比べたら印象も薄いし、ただ懐かしいだけだわ」
にしておもえば案外恵まれていたような気もするの」
「どうしてあたしたち、あの頃よりのほうが幸せだと、わざわざここまで来て自分に言い聞かせなきゃいけないのかしらね」
「決まってるじゃない。
 自信がないからよ。
 やっぱりあの頃のほうがよかったんだわ」
 ついに三人は同じ言葉を吐く。
「あの頃に帰りたい!」

 そして夢うつつに、あの老人の言葉を聴く。
「あんたら本当は、昔の自分を憐れんで蔑むためにここへ来たっち」

 やがて物語はどんでん返しとなり、老人と向き合った夫は気がつく。
「三年先から見たら、今の苦しみも、あの頃はよかったっていうことになる……。
 どんな仕掛けだか知らないけれど、つまり、そういうことなんでしょう」

 老人は訊ねる。
「ところであんたら、死ぬのはどうした」
 妻は、ぶり返した喘息の発作の中で答える。
「取りあえずもう少し生きてみますわ」
 足どり軽く老人のもとを去る三人の前に、「凛とした冬晴れの空」が広がっていた。

 当山にも、「もう、生きられない」といったご相談がある。
 何とかして「もう少し生きて」みていただきたい。
 生きてさえいれば、やがては、いかに辛い〈今〉も思い出になり、違った趣で〈今〉を支えるようになる可能性を持っている。
 これまで、〈過去因縁〉に苦しむ方々のために人生相談に応じ、ご祈祷やご加持などを行ってきた。
 確かに、抗しきれず押し潰されそうになる過去もあるが、智慧や汗やご加護によって過去を昇華させ、〈今〉が息を吹き返した時の感激はたとえようがない。
 この年末をどう過ごせばよいか悩んでおられる方々へ、作品社発行の『神隠し』へ収録されているこの作品をお勧めしたい。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「のうまく さんまんだ ぼだなん あびらうんけん」※今日の守本尊大日如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=LEz1cSpCaXA





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン



2014
12.25

いつまでも生きてて悪いな ―人も猫もいる場所―

2014122500012.jpg
〈仙台市『春昼堂』さんにある小さな相馬焼〉

 急逝したAさんは二つが口癖だった。

「いつまでも生きてて悪いな……」
 同居しつつ介護している長女が応える。
「いいんだよ、お祖父ちゃん。
 生きているからこうやって会えるんじゃない」

「嫁探し……。
 婿探し……」
 家族が応える。
「大丈夫だよ、おじいちゃん」

 ご遺体のそばで、お茶をいただきながら、お聴きした話である。
 また、家族を考えた。

「いつまでも生きてて悪いな……」は、場所が福祉施設であれ、病院であれ、家族以外の相手へ聞かせたならば必ず、波紋を生じる。
 家族だからこそ思いがそのままに伝わり、感謝や尊敬などをも生む。
「嫁探し……。婿探し……」もまた、よほど相手と雰囲気と場所を選ばなければとんでもない結果となり得る。
 余計なお節介、嫌み、セクハラなどと受け取られ〈地雷〉が爆発する怖れがないのは、祖父が孫を思う一心だからである。

 家族とは不思議な社会関係だ。
 同族の生きものとの同居することの価値は、何よりも、〈ここ〉が自分の生活圏であり、警戒せずともよい裸になれる場所であると認識させる点にあるのではないだろうか。
 最近では、犬や猫などのペットたちが、「癒し」を超えた「救い」すらも与える家族としての価値が広く認められるようになった。
 家族であるかどうかは、必ずしも〈血〉だけが問題なのではない証左と言える。

 家族同士における日常生活では、共有する光景を観る視点が共有されている。
 猫が空になった皿を眺めて「ニャーウ」と言う時、飼い主も同じ皿に餌が入っていない状態を目にして猫の空腹を直感する。
 同じ光景を映し出し、思いを理解する目がお互いに具わっている。

 しかし、同居していても、共有する光景が消えれば、〈ここ〉は、〈ここ〉ならではの価値を失う。
 同居者はトゲを持つ存在になり、裸になれる場所は失われる。
 たとえば、猫が他人を見るような目で飼い主を眺め、餌を待つのではなく自分勝手に餌を漁るようになった時を想像してみればすぐにわかる。
 いかに美しい、あるいは高価な猫であろうと不気味で恐ろしく、同居は続けられない。

 私たちは、縛りを離れ、自我の命ずるがままに生きられる空間を求め、個の自立を目指してここまで来た。
 日本においてはかなり理想が実現され、都会ではすでに行き着いてしまったかのような感さえある。
 その過程で、家族という人間関係はかなり希薄になった。
 しかし、この世で誰一人〈光景を共有する人がいない〉ままの日々でしかないならば、私たちは心の安定を保てるだろうか?
 自分の生活圏が〈ここ〉であるという根源的安心感を持てるだろうか?
 熊には熊が住む自然という熊の生活圏があり、鷹にも鷹が住む自然という鷹の生活圏がある。
 人間だけは地球上のみならず、宇宙のどこかすら生活圏に選び取る自由を持っている。
 しかし、小さな肉体と共に在る生きものとしては、熊や鷹と何ら変わりないのだ――。

 Aさんのそばで枕経(マクラギョウ)を修法した時、決して広くはない部屋に温かなものが満ちるのを感じた。
 冒頭のお話をお聴かせいただき、納得できた。
 家族三代が今、ここにおられる。
 一代目は見事に生をまっとうされ、〈仏様〉として家族を見守る立場へ移りつつある。
 二代目、三代目の笑顔も涙も美しい。
 ――ここには確かな〈ここ〉がある。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「おん さん ざん ざん さく そわか」※今日の守本尊勢至菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。

https://www.youtube.com/watch?v=qp8h46u4Ja8





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン



2014
12.24

パチンコ依存症の恐怖(その2) ―カジノ政策への暗雲―

 11月18日、「パチンコ依存症の恐怖 ―始まった克服への取り組み―(その1)」へ書いた。

 知人のジャーナリストは、マカオで取材したおりの衝撃を語ってくれたことがある。
カジノで一番の上客は誰だと思いますか?
 中国の成金です。
 二番目は、中国の政治家や官僚などの、いわゆる腐敗分子です。
 どの施設も、裏で仕切っているのは当然、マフィアです」


 ギャンブル依存症の日本人は男性438万人、女性98万人。
 アメリカでは大学生の6パーセントが依存症。
 こうした状況下で、日本へ最も先鋭的な攻撃姿勢をとっている中国の一部階級を最上の〈お得意様〉とするカジノをなぜ、造らねばならないのか?
 今なお東日本大震災や原発事故にからんで亡くなる方々を送る仕事に就いている者としては、復興に人もモノも足りず、被災者も役場も業者も苦しんでいる中で、オリンピックに次いでさらなる大規模建設が計画されること自体、信じられぬ思いである。
 つい最近、亡くなられたAさんは、大震災によって受けた精神的、身体的ダメージからずっと抜けられないまま、精根尽き果てた。
 直接の原因は震災だが、それまで安心して暮らしていた景色が一変し、崩れてなかなか復旧しないままの町と、切れた人間関係、そして不安な人々と共に生きた3年有余の日々が故人のいのちを梳(クシケズ)った。

 12月23日の産経新聞は報じた。 
 中国共産党幹部などが「豪遊を控え始めた」ために、マカオカジノ収入が前年より20%減少し、マカオ経済の先行きが心配になっているという。
 しかも、習国家主席は当地マカオで、いわば身内や同胞が気ままの限りを尽くしてきたその場所で、カジノ依存経済からの脱却を突きつけた。
 以下、全文を記録しておきたい。

 ポルトガルから中国に返還されて15年となったマカオで、経済の屋台骨を支えるカジノが不調に陥っている。
 11月のカジノ収入は前年同月比で20%近く下落し、6カ月連続のマイナスを記録した。
 最大の顧客だった中国共産党の幹部らが、習近平指導部の汚職摘発強化で、豪遊を控え始めたからだ。
 マカオの11月のカジノ収入は242億7千万パタカ(約3600億円)で、同19・6%の減少だった。
 1年を通じたカジノ収入は今年、1999年の中国への返還後、初めて前年を下回る見通しとなっている。
 7~9月期のマカオの域内総生産も前年同期比で2・1%減少しており、4~6月期の8・1%増から一転してマイナスに。10~12月期の減少も確実だ。
 カジノは中国本土では厳禁だが、陸続きのマカオでは合法。
 共産党の幹部らが汚職などで手にしたカネを懐に訪れ、マネーロンダリング(資金洗浄)の上、海外に持ち出すケースが多かったとされる。
 ところが、習指導部が今年7月、党の最高指導部メンバーだった周永康・前党中央政法委員会書記の立件捜査を決定。
「虎もハエも一網打尽にする」と汚職を厳しく取り締まる姿勢を明確にし、カジノで遊んでいる場合ではなくなった。
 マカオを訪れた習国家主席は20日の演説で、「適度に多元化された持続可能な発展の道を歩むよう求める」と述べ、カジノ依存経済からの脱却を突きつけた。


 時あたかも原油価格が下落し、ロシアを初めとする原油の生産国には暗雲が漂い(プーチン大統領はロシア経済の低迷が2年は続くと発表した)、かつてカジノで羽振りをきかした〈アラブの王子〉たちの威勢も、もはや昔の物語でしかない。
 ギャンブル依存症の人々と膨大なその家族たちが苦しみ、東日本大震災と原発事故に被災者たちが苦しみ、しかも実質経営者である国際資本と、上客と目されている中国人に商売の首根っこを掴まれるであろう状況下で、なお日本は、お金を得たいがためにカジノを造らねばならないのだろうか?
 ギャンブル依存症に苦しむ方々やご家族による人生相談、ご祈祷、ご加持(カジ)、あるいは弁護士の紹介などを数多く行ってきた当山としては、理解し難い。
 政府も、「国際観光産業振興議員連盟」(IR議連、通称:カジノ議連)のメンバーも、「1兆円市場」と称する政策の裏付けとなる〈国家百年の計〉をはっきりと示すべきではなかろうか?




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。




「おん さんまや さとばん」※今日の守本尊普賢菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=rWEjdVZChl0





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン



2014
12.23

鬼に笑われるかも知れませんが ―平成27年の運勢と注意点―

201412230001.jpg

2014122300023.jpg

 いささか時期尚早でしょうか?
 鬼に笑われるかも知れませんが、平成27年の運勢と注意点を書いておきます。

一 伸びるものを観て、伸ばすべきか、伸ばしてはならないか、よく見極めましょう。
 急速に発展するものには、勢いによる〈目くらまし〉があるやも知れません。
〈乗り遅れるな〉という心理に負けず、まず、実態や正体を確かめてから態度を決めましょう。

二 心の炎が清浄か、薄汚れてはいないか、ときおり、ふり返ってみましょう。
 心が沸き立っていると、限りなく〈希望的観測〉が膨らみます。
 そうした時こそ、心に疚しいところはないか、お天道様の下で堂々と胸を張って歩けるか、自省が必要です。

三 善きことの成就を願って急ぐあまり、軽率になると破れが生じかねません。
 アントニ・ガウディがバルセロナに造り始めた教会サグラダ・ファミリアは、同氏の死後百年目の平成四十二年に完成の予定です。この世でやり残せば、志は次の世に引き継がれます。
 続きをやるのは後輩か?
 それとも生まれ変わった自分か?
 楽しみなことです。

四 冷気に注意して身体を冷やさず、冷たい飲みもの、あるいは冷たい人にも要注意です。
 身体を温めると血流が順調になり、生気が高まります。
 冷やせば身体がこわばり、細胞までも活力を失う感覚があります。
 また、「アナと雪の女王」ではありませんが、閉ざされた心は周囲にも冷気を広げかねません。
 まず、朝陽に感謝し、自分が温かな存在であるよう心がけましょう。

五 目を惹く新しきものには善からぬたくらみや嘘などが隠れているかも知れません。
 自分の目が惹かれ、心が惹かれたならば、そうなっている自分の心を客観的に眺め、相手の引力がどこから来ているのか、よく注意してみましょう。
 オウム真理教の残党は、ヨガ教室などを隠れ蓑にし、いまだに信者を増やし続け、数億円もの資産を蓄えています。

六 舌禍の根本原因は本心、軽率さや高慢さや思いやりのなさが引きがねとなります。
 いつの世にも舌禍事件は絶えません。
 つい、うっかり口が滑り、取り返しのつかない結果を招くケースもたくさんあります。
 私たちはミスをする存在です。
 そのことをふまえ、火の元である邪な考えを持たぬことが肝腎です。

 以上のことごとを心の片隅に留め置き、無事安全に実りある一年を過ごされますよう。
 なお、未(ヒツジ)年の守本尊は大日如来様です。
 おりおりに、お詣りして心を清め、願いをかけ、ご加護をいただきましょう。
 よき社会、よき一年となりますよう祈っています。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。




「おん さんまや さとばん」※今日の守本尊普賢菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=rWEjdVZChl0





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン



2014
12.22

「わかげのいたり」と「真剣」について ―日本の女性、万歳!―

2014122200012.jpg
〈河北新報様よりお借りして加工した「わかげのいたり」〉

2014122200013.jpg
〈河北新報様よりお借りして加工した「真剣」〉

12月21日付の河北新報は「西会津国際芸術村公募展2014」の青少年の部において、宮城県宮城野高(仙台市宮城野区)美術科2年の生徒2人の作品が大賞と準大賞に選ばれたことを報じた。

 大賞となったのは、小野寺幸那さん(16才)=宮城野区=のアクリル画「わかげのいたり」である。
 評者は書いた。

「三角すいや円すいの物体を『自我』に見立て、ふとした瞬間、それを不安げに見詰める姿を通して、自我が固まらず揺れ動いている少女の内面を表した。」


 小生はこう観る。
 スカートの股を開きソックスを脱ぐ様子は明らかにセックスする、もしくはしたことを意味しており、左手に持つ筒状のものは男根であろう。
 そして、中に飛ぶ三角錐は処女を失ったおりの痛みであり、心の傷でもあろうが、それはすでに、宙へ浮くほど軽い。
 だから「若気の至り」である。
 ここには、人生の通過儀礼を少々、早く体験してしまったか、というゆとりがある。
 そこはかとなく伴っているはずの罪悪感めいたものは、三角錐と共に飛び去ろうとしている。
 およそ60年前、今回の総選挙で引退した石原慎太郎氏は一橋大学に在学中、『太陽の季節』を発表して第34回芥川賞に選ばれ、世間を驚かせた。
 あそこでは男根が障子を突き破る表現が仰天ものだったが、今や、護身を身上としているはずの女性が堂々と、活き活きと自分を開き、未来の人生へ向かっている
 いずれも、時代の半歩先を行く芸術の面目躍如である。
 小野寺幸那さんの談話。

「高校生の今しか描けない絵を描きたかった。
 作品が認められて自信になる。」


 準大賞となった阿部汐夏(キヨカ)さん(16才)=石巻市=の日本画「真剣」を観てみよう。
 評者は書いた。

「おにぎりを大切に抱える自分の姿に、食を大切にする思いを投影した」


 小生はこう観る。
 少女は胸のあたりに、〈食らいつかれる〉はずのおにぎりを山ほど抱えている。
 両隣にいる少女たちも同じである。
 そして、おにぎりたちは胸のあたりからどんどんと宙へあふれ出し、舞っている。
 おにぎりに象徴された乳房、そして乳という他者へ〈与える〉ことをいのちとするものが息づき、当人はやや、とまどいながらもそうした性ある者として堂々と、力強く足をふんばっている。
 不安の影をまといながらも、顔はきちんと正面を向き、肩から腰にかけてストンと落ちた線は、ウェストとヒップの凹凸で性を表現する方向と一線を画し、お地蔵様やこけしなどに通じる安定感が醸し出されている。
 決して浮つかぬ性がしっかりと表現されている
 阿部汐夏さんの談話。

「楽しんで描いた絵が認められ、自信につながる」


 さて、アメリカにあるソニーの子会社「ソニー・ピクチャーズエンタテインメント」が製作した北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)第1書記の暗殺を題材にしたコメディー映画『ザ・インタビュー』に関し、大騒動が持ちあがっている。
 映画は公開中止となり、北朝鮮当局が行ったとされるサイバー攻撃や強迫に対し、アメリカは報復を宣言した。
 また、製作費用として4200万ドル(約50億円)が投じられており、広告宣伝費も含めれば、損失は莫大なものになりかねないという。
 かつて、アメリカがイラクのフセイン大統領を捕らえた際、口を開けさせて歯形を調べる写真が公開された。
 侮蔑に満ちたおぞましい写真を見た瞬間、アメリカはイスラム世界に対して千年の怨みを生じさせたと暗澹たる気持になった。
 今回の『ザ・インタビュー』も同じく、北朝鮮側に不要の攻撃的姿勢をもたらし、北朝鮮とアメリカ、そして日本の関係を一気に悪化させた。
 一企業の不用意な商売が、とてつもない混乱をもたらした。
 儲けに目がくらむとはこのことである。
 文化や国情の異なる相手を見下し、心理的に貶めるという悪を犯してまで利を得ようとする事態は、本来の日本企業の体質とはあまりに異なっている。
 お金には国境も文化も善悪もない。
 だから、お金が主人公の世の中になれば、人間間でも国家間でも倫理は崩壊へ向かい、正義は限りなく相対化されて力を失う
 倫理なき世界では対立と憎悪と争いが膨れ上がり、そうした暴流にあって叫ばれる「表現の自由」は、あまりにも虚しい。

 ソニーの問題を持ち出したのは、公募展の記事を書いた評者の姿勢に一定の〈歯止め〉がかかっており、作品を書いた高校生たちの世界へ対する慎重で思いやりのある姿勢が感じられたからである。
 日本文化の慎ましさや、マスコミの良識が感じられたからである。
 少々、突っこんだ乱文を書いたのは、二つの作品が持つ大きな価値を指摘しないではいられないからであり、このおせっかいな行為はきっと、誰をも傷つけないであろうと思えたからである。
 古い時代を生きてきた者のささやかな応援歌が若い世代へ届けば嬉しい。
 女性たちは、お上が振る旗と関係なく、大活躍をしている。
 嬉しい。
 この喜びを共有したい。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。




「おん あらはしゃのう」
※今日の守本尊文殊菩薩様の真言です。どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=WCO8x2q3oeM





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン



2014
12.21

ありがとう、大橋巨泉 ―批判と笑顔を考える―

2014122100010.jpg

 12月19日夜、床へ就こうとしたらガンで闘病中の大橋巨泉の姿がテレビで大写しになっており、思わず妻へ「巨泉も死んだの?」と訊いた。
 笑われた。
 一夜限りで復活したクイズ番組『クイズダービー』の司会者として〈現役〉だったのだ。
 観るともなく観ていて、時代の流れを痛感した。
 巨泉が80才になっているという事実ではなく、出演者を〈立てる〉手法があまりに懐かしかったからである。

 ノンフィクション作家吉岡忍氏は、11月15日付の河北新報へ『人おとしめる風潮反映』という一文を寄せた。
 5月20日、吉岡忍は、朝日新聞の一面トップを読んだ。
 原発事故を起こした東京電力福島第一発電所において、所員の9割が所長命令に背き、〈逃げた〉かのような記事である。
 そこに「後味の悪さ」を感じた。

「一つは、この東電関係者の無責任さだ。
 過酷な事故の進行中に現場から撤退してしまったら、被害は何年にもわたって深刻化し、東日本は壊滅するだろう。
 原発事故の、ここが怖いところなのだ。
 なのに原発を動かしてきた大半の関係者が逃げ出すとは、人間の風上にも置けない連中だ。
 記事を読むと、そう思う。
 そう思わせられる書きぶりだった。」

「記事は一見冷静に見えながら、扇情的だった。
 読む者に東電関係者への侮蔑の気持を呼び起こさせるような筆致だった。
 朝日がこう書くのか、と私は思った。
 それが二つ目の後味の悪さだった。」


 そして指摘する。

「一部のネット掲示板やヘイトスピーチを持ち出すまでもなく、近年の議論や主張の荒っぽさには目を覆いたくなる。
 電車内や路上でいきなり怒鳴り散らすご仁もいれば、『見解の相違です』『何が悪いのか』などと開き直る政治家もいる。」

「言いたいことを言ったら、それでおしまいという態度だけはやめてほしいと私は思う。」


 最近、朝日新聞社の第三者機関「報道と人権委員会」がこの報道について「重大な誤りがあった」と結論づけた。
 それをふまえて締めくくる。

「根本的には、何かを批判するときの流儀の問題があるのではないか
 相手をおとしめ、罵倒し、否定する。
 世の中にあふれる風潮がすきま風となって新聞にも吹き込んでいないだろうか

 自戒を含めてだが、関係者には深い自省を促しておきたい。」


 氏の言う〈批判するときの流儀〉は、すでに死語に近いのではないか。
 新聞もテレビも、視聴者の目と耳を惹きつけるべく、より、刺激的、扇情的な場面や言葉や文章を競い合っている。
 論議の場ではいつも、声高で、無遠慮に相手の言葉を遮り、侮蔑する者が幅をきかしていはしないか?
 お笑いは、誰かを忍びがたい立場へ追い込む時、最高潮に達していはしないか?
 他人の居丈高な様子に愚かさを感じない私たちは、不必要なほど、居丈高にならされてはいないか?

 わずか数分しか観なかったが、巨泉は見事なほど、そうした風潮と無縁に屹立していた。
 確かに突っ込みはするが、決して無遠慮ではなく、言葉には、相手を圧倒しようとする空元気でなく、知性の裏付けがあり、結果的に相手から〈引きつった無理な笑い〉ではない親近感や感謝や尊敬すらも含まれる〈本当の笑い〉を引き出した。

 そう言えば、故河合隼夫はこう言っていた。

「一番遡った笑いは『』の天(アマ)の磐戸(イワト)の前の笑いですよ。
 あれはある意味では日本の笑いの原点ですよ。
 あれは全部解放するわけですよね。
 天の磐戸が開く。
 それからアメノウズメが裸になって開く。
 全部開くということに関係して、やっぱり解放っていうことの一つのすごい、われわれの原点になる。
 それがお笑いだとぼくは思いますけれどね。」


 覆われていたものから解放され、無垢の人間性が輝いて、喜びに彩られた真の笑いが生ずる

 巨泉は、思いやりと、錆びぬウィットでどの相手をも笑顔にした。
 視聴者である私も妻も笑顔になった。
 ありがとう、巨泉。
 多くのマスコミ関係者や芸人たちに、この番組を繰り返し観てもらいたいと思った。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「のうぼう あきゃしゃきゃらばや おん ありきゃ まり ぼり そわか」※今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=IY7mdsDVBk8





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン



2014
12.21

お正月のご祈祷と『みやぎ四国八十八か所巡り道場』の参拝を行います

201412210002.jpg

 お正月のご祈祷は元旦から3日まで、午前10時と午後2時の合計5回(3日の午後は『みやぎ四国八十八か所巡り道場』の参拝)修法します。
 私たちは、生まれ年によって決まる守本尊様に一生を守っていただきながら日々を過ごしています。
 たとえば未(ヒツジ)年生まれの方なら大日如来様です。
 お正月には、新しい年の過ごし方を考え、さまざまな願いを込めてこうした一代守本尊様をご供養する『修正会(シュショウエ)』を行います。
 護摩の火と古来より伝わる大師茶などで心も身体も暖まり、新しい一年が開運の年になりますよう。

一代守本尊
★子(ネ)年生まれの方の守本尊は千手観音(センジュカンノン)様です   
★丑・寅(ウシ・トラ)年生まれの方の守本尊は虚空蔵菩薩(コクウゾウボサツ)様です
★卯(ウ)年生まれの方の守本尊は文殊菩薩(モンジュボサツ)様です
★辰・巳(タツ・ミ)年生まれの方の守本尊は普賢菩薩(フゲンボサツ)様です
★午(ウマ)年生まれの方の守本尊は勢至菩薩(セイシボサツ)様です
★未・申(ヒツジ・サル)年生まれの方の守本尊は大日如来(ダイニチニョライ)様です
★酉(トリ)年生まれの方の守本尊は不動明王(フドウミョウオウ)様です
★戌・亥(イヌ・イ)年生まれの方の守本尊は阿弥陀如来(アミダニョライ)様です

 ご都合のよい時間帯におでかけください。
 どなたでも参加できます。
 願い事を書く護摩木(ゴマギ)は1体300円です。
 ご祈祷は、以下の内容を明示してハガキやメールやファクスなどでお申し込みください。

[必要事項]
・ご住所
・ご芳名
・お電話番号
・祈願の内容
・ご志納金の金額
・お札などの送付を望むかどうか

[ご祈祷の申込み例]
 商売繁盛 社運隆盛 社内安全 業績順調 就職実現 交渉円満 五穀豊饒 
 大漁満足 因縁解脱 除災招福 厄除開運 心願成就 運命転化 家内安全 
 家運隆盛 夫婦円満 身体健護 無病息災 当病平癒 交際円満 良縁吉祥 
 安産守護 方災解除 怪異消滅 交通安全 旅行安全 工事安全 学業成就 
 試験合格 災害不到 訴訟必勝 諸事順調 福徳長栄 福寿如意 金銀如意

[送り先]
・ハガキ:〒981ー3624宮城県黒川郡大和町宮床字兎野1ー11ー1
・メール:ryuuchi@hourakuji.net
・ファクス:022(346)2107

[ご志納金はこちら(宗教法人大師山法楽寺)へ]
・郵便局:02260-3-4604
・七十七銀行吉岡支店:普通口座 5446007
・古川信用組合吉岡支店:3383332

修正会祈祷授与品]
 御札・御守・高野山御線香・御清め塩・大師茶・御加持米・絵馬
(ご志納金によって異なります)

・日時:1月1日(午前10時・午後2時)、2日(午前10時・午後2時)、3日(午前10時)
・場所:法楽寺講堂
・送迎:開始30分前に、地下鉄泉中央駅そばの『イズミティ21』前へ送迎車がまいります。
 乗車希望の方は前日午後5時までに必ずご連絡下さい。
「~日、~時のご祈祷に参加します。車をお願いします」と日時をはっきりお示しください。
・『みやぎ四国八十八か所巡り道場』(仙台市泉区福岡字菅の崎3)参拝は3日午後2時に当山を出発し、送迎します。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「のうぼう あきゃしゃきゃらばや おん ありきゃ まり ぼり そわか」※今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=IY7mdsDVBk8





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン



2014
12.20

献体する場合のご葬儀はどのようにすればよいか

2014122000011.jpg
不戦日本の祈りは続いています〉

 ご質問がありました。
「結核菌の保有者だった身内が、本人の希望どおり病院からまっすぐ献体されました。
 ガードエプロンやマスクを付けてのお焼香というわけにもゆかないのでやむを得ない措置でしたが、心残りです。
 お戒名も、お葬式も、この後のやり方がわかりません。」

 お答えしました。

「当山では献体される方のご葬儀を何件も行っています。
 基本的な流れは一般的なご葬儀とあまり変わりありませんが、違いは、ご遺体が火葬場へ行かずに研究施設へ引き渡され、数年後にお骨となって戻ってくることです。
 貴方様の場合は、結核菌の問題もあり、お送りする手順を踏めませんでしたが、それは献体でない場合でも、孤独死などたくさんあります。
 今後の方法としては以下のとおりです。

1 ご遺体のないまま、普通どおり、戒名を求めてお通夜とご葬儀と百か日までのご供養、もしくはご葬儀のみを行う。
2 数年後にお骨が戻ってから、戒名を求めてご葬儀を行う。
3 お骨が戻ってから、ご供養をして納骨する。

 当山で最も多いのは(1)です。
 また、中には、戒名を求め、「とにかく供養しておいてください」と言われる方もあります。
 ご遺体が研究施設で処置されるイメージを抱いたまま、お送りするための文化的行為をしないままでは、釈然としない思いがずっと残りかねません。
 み仏からこの世とあの世の区切をつけていただくための引導(インドウ)が渡されぬままで成仏できるだろうかという宗教的な観点もあり、具体的な行為によって区切をつけることは、故人のためにも、ご遺族のためにも必要です。
 み仏は、相手を選ばずにお救いくださるからこそ、み仏なのであり、当山では、故人やご遺族が戒名を必要とするかしないかも含め、宗教宗派を問わず、皆さんが求められる修法を分け隔て無く行っています。
 社会的に告知する告別式の必要性もさることながら、何よりも大切なのは、去り逝く方へ引導を渡すご葬儀にあります。
 結婚の披露宴と、仏神の前で誓う結婚式の違いをお考えください。
 参加者の人数はまったく問題でなく、数名だけでお送りするご葬儀も珍しくありません。

 人類の歴史と共にある葬送の行為を実践されるようお勧めします。
 献体という崇高な決心をされた御霊の安寧を祈りましょう」




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「のうぼう あきゃしゃきゃらばや おん ありきゃ まり ぼり そわか」※今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=IY7mdsDVBk8





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン



2014
12.19

ダライ・ラマ法王の説かれた『般若心経』(その2) ―すべてが不生不滅、不垢不浄、不増不減とは?―

2014121600012.jpg
〈外は銀世界ですが、水槽ではタニシが大発生し、何ものかの卵も産み付けられています〉

 般若心経についてのご質問です。
「生じることもなく、滅することもなく、汚くもきれいなものでもない、減りも増えもしないものとは、具体的に何のことを言っているのですか?」
 今回は、(その1)で用いたDVDから少し離れますが、おおよそ、以下のようにお答えしました。

般若心経は『是(コ)の諸法は相(クウソウ)にして不生不滅、不垢不浄、不増不減なり』と説いています。
 字面をそのまま追えば、あらゆるものは生じたり、滅したりと無常であるのにどうしたことか?と疑問が生じるのはもっともです。
 考えてみましょう。
 そもそも、ここで言う『諸法』とは、私たちが日常生活で見聞きする現象世界そのものではありません。
 あくまでも観音菩薩の深い瞑想にあって〈(クウ)〉であると観られた世界を示しています。

 すべては因と縁によって仮そめに存在しているだけであり、本も、猫も、自分もここにあって、ここにいますが、の目から観れば独立して存在するものとしては、何一つありません。
〈不在〉なのです。
 なので、本や猫や自分と呼ばれるものの究極的ありようは、生じる何ものかでも、滅する何ものかでも、垢れている何ものかでも、浄らかな何ものかでも、増える何ものかでも〈ない〉というしかありません。

 ダライ・ラマ法王は、凡夫の目にとらえられる現象世界において、因と縁によって生じ、滅し、垢れ、清浄らかで、増し、減る状況を『世俗の真理』とされました。
 確かにそう見え、確かめられているから『真理』です。
 しかし、それは、それにとらわれて一喜一憂する凡夫の世界における真理でしかありません。
 現象世界のありようを根源からつかんだ観音菩薩の目に映り耳に聞こえる世界(般若心経の中身です)はただただ、であり、それを『究極の真理』と言います。

 だから、この一文は、究極の真理として現れているこの世の諸々のものはすべて、凡夫の間で用いる言葉にすれば〈~でない〉と表現するしかないことを意味しています。
 凡夫の目には生じており、滅していますが、同じ世界が観音様の目には、そのままにして、なのです。
 理解するポイントは、一つの世界が、凡夫の目には〈世俗的に〉とらえられ、観音様の目には〈究極的に〉とらえられるという二面性にあります。
 どうぞ、これからも、お励みください。」

 予断ですが、今日は暦上、一年に一日だけの特異な日です。
 一年を陽と陰に分けて運行する星の巡りが、昨日で陰の時期を終え、今日から陽の時期に切り替わる「陽転(ヨウテン)」と呼ばれる日なのです。
 大寒波で被害が出ている日本列島は、目に見えぬところで陽の気が動き始めました。
 今からおよそ200年前、イギリスの詩人パーシー・ビッシュ・シェリーは長編詩『西風に寄せる歌』をこう締めくくりました。

"If Winter comes, can Spring be far behind?"


「冬来たりなば、春遠からじ」という翻訳が有名です。

 また、22日は冬至を迎えます。
 一年で最も昼の時間が短くなり、翌日から確実に「日中」は長くなり始めます。
 そこで「一陽来復(イチヨウライフク)」と言われます。
 陰の気が極まり、陽の気がまた、勢いを持ち始めるのです。
 川崎展宏は詠みました。

をゆく鏡のごとき冬至の日」


 いかに寒くとも、荒天ではなく、好天で陽の時期を迎えたいものですね。
 空の鏡が発する陽光に照らされる善名善女の運気も陽となりますよう。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。




「おん ばざら たらま きりく」※今日の守本尊千手観音様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=IvMea3W6ZP0





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村
 
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン

 

2014
12.18

骨葬、共同墓、そして失った〈家族〉感覚について ―捨て去ったり、忘れたりしていたものは何か?―

2014121800010.jpg
〈今日は好天、自然墓をお見守りくださる笹倉山がはっきりと見えます〉

201412180001.jpg
〈正面のお大師様から縁結びの紐が延びています〉

 雪が降りしきる中で『自然墓』への埋骨を行いました。
 他県から連れてこられたのです。
 ほとんど、物音のしない世界で唱えた般若心経は、灰色になった視界の向こうにそびえる笹倉山へも届くかと思われました。
 本堂で熱いお茶をいただきながら、ご当主が言われます。
「みんなにも正面のお山を見せたかったけど、今日は残念だな。
 実に、『山へ還る』という感じになるんだ。
 来春、また、みんなでお参りに来よう」
 中学生の娘さんが、ストーブに手をかざしながら、明るく応えます。
「うん、来ようね。
 また、来よう」
 帰りしな、奥さんが入り口にある塗香(ヅコウ)に目をとめ、全員が作法どおりに心を清めました。
 本当は入堂する前に行うものですが、いつ、行ってはいけないという決まりはありません。
 きっと、桜の咲く頃にまたご一同で、ご来山され、今度は塗香の作法を終えてからご本尊様へお詣りされることでしょう。

 最近は共同墓への埋骨が増えています。
 名前を貼り出したりしなくてもよい方は『自然墓』、表札のように名前や戒名などを明確に示したい方は『法楽の礎』を選ばれることが多いようです。
 また、骨葬(コツソウ)も多くなりました。
 とにかく斎場でご焼骨をしておき、本堂でご葬儀と百か日までのご供養を行い、そのままお骨を預かったり、あるいは共同墓へお納骨したりと、一日で済まされるのです。

・当山でのご葬儀を求めておられながら、御尊家様と当山の日程がなかなか合わない。
・枕経、お通夜、ご葬儀納骨、と休日がとれない。
・ご遺族間で宗教の違いなどがあり、一連の流れでお送りできない。
・一連の流れを行う資金的余裕がない。
・まったく不意のできごとで、何もできないままに、ずっとお骨を置いてある。

 こうした方々が、本堂で引導が渡されたことを確認し、お骨が自然へ還る形を見届けて安心されます。
 ご葬儀を行わず、共同墓前でのご供養のみにてお納骨されるのも自由です。

 施設の方や役場の方や、あるいは司法書士の方からのご質問も相継いでいます。
葬儀をして納骨するのに、いくら用意すれば間に合いますか?」
 いつも、このようにお答えしています。
「いずれも共同墓ですが、『自然墓』へのお納骨は10万円、お名前を貼り出す『法楽の礎』へのお納骨は20万円、年間管理料など、その後でかかる費用は何もありません。
 ご葬儀については、戒名料も含め、みなさんの良識や常識へお任せしています。
 戒名を求めるかどうかも、みなさん次第です」

 立教大学の特任教授平川克美氏は、これからの日本について、こう指摘しています。

「人口が減少し、経済がシュリンク(縮小)していくこれからの日本では、おカネに頼ってばかりではいられなくなります。
 近くにいる人どうしが、助け合わなければ生きていけない時代が訪れつつあるのです」

「おカネだけが飢えから逃れる手段ではありません。
 コミュニティをつくるのも飢えから逃れるひとつの手段です」

「おカネがなくなる、あるいは無価値になる可能性は、現代においても誰にも起こりうることです。
 そうなったときにどうやって生き延びるか――。
 シンプルにいえば、まわりに助けてくれる人がいれば生きていけます

「最後は、人間ひとりでは生きられません。
 縁を大切にして生きていけば、人生そんなに悪いものにはならないと思うのです」

家族制度の歴史は、国家や企業の歴史代もずっと長く、人間の歴史と同じぐらい古いものだと考えることができます」

「わたしたちは、再び家族制度を復活させたり、因習的な世界に戻っていくことはできないでしょう。
 個人という概念、人権という考え方に目覚め、それらを克ちとってきた歴史を巻き戻すことなどできない相談です」

「この壊れた家族制度に代わりうるものを見出していく必要がある

家族制度に代わりうるものが何かを簡単に名指すことはできません。
 まだ、それがどんなものであるのかは、誰も知らず、誰も実践してはいないのです。
 そういった新たな共同体が簡単に根付くことができるとも思いません。
 わたしたちは、現代文明の恩恵を受けすぎており、その利便性や心地よさを簡単に手放すことはできないからです。
 それでもわたしはもう一度、わたしたちが捨て去ったり、忘れたりしていたものを思い出しながら、どこかに漂流しているそれらの切片を寄せ集めることぐらいならできそうな気がしています」


 東日本大震災の直後から、さまざまな方々がご来山されました。
「水を分けてください」
 このあたりは、電気も電話もダメでしたが、水道だけは生きていました。
「ローソクを分けてください」
 明かりを求めて来られました。
 また、全国各地から支援物資が届き、ご来山される方々へもお分けしました。
 長蛇の列に並び、ガソリンを届けてくださったご夫婦もおられます。
 ご不幸があった時は、ガソリンがなく、初めてご遺族の送迎を受け、ホコリと格闘している葬祭会館さんや、被災したご自宅でも引導を渡しました。
 やがて、お骨やお位牌を預ける方々が相継ぐようになりました。

 ここに来て今、思います。
 寺院とご縁を結ぶ方々は、知らず知らずのうちに、ある種の〈家族〉になっておられるのではないか
 失った身内を思い出しながら足を運び、日常的な〈追われる〉意識から離れてゆったりとした時間を過ごす方々は、淋しさや悔しさなどの度合いはそれぞれ異なっていても、一つの〈場〉に佇む人として、いっとき、同じ世界の住人になっておられるのではないでしょうか?
 そうした方々が言葉を交わし合い、自分のご先祖様だけでなく隣のお墓へもお線香を捧げ、あるいは寺子屋やお花見や芋煮会などで談笑するお姿を目にすると心の底から嬉しくなり、寺院を開基した甲斐があったとみ仏へ感謝する思いが強まります。
 皆さんと共に、「わたしたちが捨て去ったり、忘れたりしていたものを思い出しながら」やって行きたいと願っています。
 骨葬共同墓一代墓も、逝かれたお身内の安心を求めることが縁となり、新しい時代にふさわしい緩やかで温かなつながりを創り出すきっかけになって欲しいと願っています。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「おん あみりたていせい から うん」※今日の守本尊阿弥陀如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=4OCvhacDR7Y





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン



2014
12.17

現代人へストレスをもたらしているものの正体は? ―〈仲間〉について考える―

201412170001.jpg
〈雪深い加美町宮崎で20年以上の歳月をかけ、試行錯誤を続けてきた合鴨農法のグループがあります〉

 ご縁のAさんから、こんな話を聴きました。
 Aさんは仲間たちと共同で田んぼをやっていますが、慢性的悩みは当山の『法楽農園』と同じく、実際に汗を流す人員の確保です。
 ある時、Aさんが予定していた作業を代わってもらいたいと思い、仲間に相談したところ、めったにない頼みであるにもかかわらず、にべもなく断られました。
 人が良く、無償で汗を流すことを厭わないAさんは気づいたそうです。
「ああ、この人は〈仲間〉じゃないんだ……」
 Aさんはそれっきり黙りましたが、かつて、無一文になった小生には沈黙の意味がよくわかり、胸に異様なざわめきを覚えながら「そうですか」と小声で応えるしかありませんでした。

 立教大学特任教授の平川克美氏は著書「『消費者』をやめる」において、興した会社が経営危機に陥った時の体験を述べています。

「~かれらを仲間だと思っていた
「こちらが困った時は助けてくれる……、と思っていたら、それは単なる淡い期待でしかありませんでした。」
「おカネに困り、おカネが喉から手が出るほど欲しいと思えば思うほど、おカネがどんどん逃げていきます。
 おカネでおカネを増やす世界でずっと働き続ける人たちは、いったいどういう人種なのだろうと、自分との違いを感じざるを得ません。
 そして、おカネを求めてわたしのところに群がってきた、どこぞのMBAの取得者たちは、カネ回りの悪くなった会社から、我先にと逃げていきました。
 『ツラいときこそ一緒にやるんじゃないの』と引き留めても、『こんな会社に未来はない』と捨て台詞を残して去っていった者もありました。
「カネで集まってきた連中は、カネがなくなれば去っていくという単純な事実」


 そのとおりです。
 しかし、「カネで集まってきた連中」でない〈仲間〉は違います。
 小生が失敗したおりには、幾人もの仲間が、自分も傷を負いながら、自分へ傷を与えつつ深手を負い倒れた仲間を仲間のままで認めてくれました
 その時代を思い出すと、今なお、こみ上げてくるものがあります。

 平川克美氏は、前掲著において、日本がこれほどまでに格差の拡大と先行きの不安に苦しむ国家となってしまった成り行きを解き明かしました。
 その中の「『経済成長しない社会』が必要」の項で、ウルグアイのホセ・ムヒカ大統領の言葉が紹介されています。

「ドイツ人が1世帯で持つ車と同じ数の車をインド人が持てばこの惑星はどうなるのでしょうか?」


 かつてローマ・クラブが「成長の限界」を訴えてから42年、「限界を超えて-生きるための選択」を提唱してから24年が経ちました。
 しかし、今なお、国民国家を超えたグローバル企業は「富める者がより豊かになれば、大木から雫が滴り落ちるように、貧しい者にも自然と富が行き渡る」というトリクルダウンが有効であると主張し、「大量生産、大量消費のシステム」を世界中へ強制しつつ、地球の持つ資源が限界まで絞り尽くされ、発展途上国の人口増加が止まるまで、富の寡占へ突き進もうとしています。
 
 ホセ・ムヒカ大統領の言葉は悲痛です。

「このような残酷な競争で成り立つ消費主義社会で『みんなの世界を良くしていこう』というような共存共栄な議論はできるのでしょうか?
 どこまでが仲間でどこからがライバルなのですか?


 大統領が言う「仲間」とは血の通った人間同士であり、心が通い合う人間同士を指します。
 もちろん、そこでしか真の「共存共栄」は成り立ちません。
 しかし、消費主義社会を推進するグローバル企業の目的はただ一つ、自分の富の無限増大であり、「仲間」や「共存共栄」といった言葉は、そのための手段にはなろうと、「ツラいときこそ一緒にやる」といった実体を伴うことはあり得ません。

 思えば、これほどまでに心に病を抱える人々が多くなったのは、自然界の一部である人間から〈生きものとしての自然〉が限度を超えて消えつつあるからではないでしょうか?
 人間以外の生きものはすべて、〈自分たち〉に適した環境に住み、食物連鎖も含めて共存共栄しています。
 しかし、人間だけが生きものとしてのあらゆる環境条件を個々の自由意志で変え、選択しつつ生きています。
 しかも、〈自分たち〉から限りなく離れ、〈自分だけ〉の自由意志で生きられると思っています。
 それは〈仲間〉を不要とすることです。
 でも、自然界には〈仲間〉のいない生きものはいません。
 現代人のいわゆるストレスの根本は、自然界の存在でありながら、生きるために必須の〈仲間〉から限りなく切り離されつつある危機の顕れではないでしょうか?


 Aさんとは、来年も〈仲間〉としてやります。
 目と目で確認し合い、確信し合いました。
 当山の『法楽農園』に期待するところ大なるものがあります。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「おん あみりたていせい から うん」※今日の守本尊阿弥陀如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=4OCvhacDR7Y





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン



2014
12.16

人類に空爆のある雑煮かな ─東北関東大震災・被災の記(第159回)─

201412150003.jpg
〈凍えず、凛として勁(ツヨ)き外の猫〉

 雲が垂れ、すっかり雪景色になりました。
 こうなる直前に行った福島市の青空が思い出されます。

 小高い丘の上にある新しい団地では、除染が行われていました。
 ものものしい服装の男性が6人、近くに大きな車を2台止め、小さな道路標識をあちこちと動かしながら、通路や側溝を相手に丹念な作業を続けています。
 目的のお宅に訪問してから小一時間が経ち、外へ出てみたら、まだ奮闘のまっ最中。
 いくらも進んでいません。
 一緒に外へ出たこの家の主Aさんは、ちょっと失礼、とタバコに火を付けました。
「いったい、何をやっているんでしょうね。
 私はちっとも構わないんですが……」
 大きく広がった青空を見上げ、転じた視線の先では吾妻連峰が悠然と人間の営みを見下ろしています。
「――そうですよね……」
〝あの山々の岩陰にも、草むらにも降りそそぎ、地表から沈み込みつつある微少なものたちは、何万年もこの世にとどまっている。
 その圧倒的な存在力の前で、人間のものものしい行為はいったい、どれほどの意味と価値があるのか?と、科学者Aさんは嗤っておられる。〟
 原発事故の被害者Aさんは、悠揚迫らぬ態度でタバコをふかしています。
 あくまでも部外者でしかない小生には口にすべき言葉がありませんでした。
 そして、冒頭の俳句を思い出しました。

「人類に空爆のある雑煮かな」


 私たちはもうすぐ、お雑煮にありつきます。
 恵まれた家庭でも、あるいは路上生活者のためのテントでも、私たちは熱いお雑煮を食べて新しい年がやってきたことを実感します。
 俳人関悦史氏は、そうした〈我が生〉の確認作業中にあって、遠く離れた異国で行われている空爆に思いを馳せました。
 襲う者と襲われる者、殺す者と殺される者、憎悪による取り返しのつかない破壊、人間の手によってつくり出されるあらゆる不条理が彼(カ)の地にはまぎれもなく〈在るはず〉なのです。

 東日本大震災で自宅が半壊した関悦史氏は、こうも詠んでいます。

「激震中ラジオが『明日は暖か』と」


 激震に見舞われ生死の境にいる思いの被災者とは無関係に、ラジオは明日の天気予報を流しています。
 今この時、地上に併存する自分の恐怖と、遙かな地にある長閑さ……。
 冒頭の俳句をひっくり返せば、こうなりましょうか。
空爆中日本では熱々の雑煮
 雨あられと降る爆弾の下で、日本通の誰かは焼かれつつ、雑煮の場面を想像しているかも知れません。

 Bさんがやってきて、こんな話をされました。
「住職。
 原発事故の時、どうしてヨウ素剤が配られるか知っていますか?
 甲状腺はヨウ素を蓄積するので、放射性ヨウ素が溜まれば病気になる確率が高まります。
 そこで、あらかじめ、安定ヨウ素剤を摂取して甲状腺を満杯にしておけば、後からやってくる放射性ヨウ素の入る余地がないため、甲状腺を守られるそうです。
 診療放射線技師Cさんから聴いたのですが、何もわからなかった私は、とてもよく理解できました。
 万が一の時は、まじめにヨウ素剤を飲むつもりです」
 小生もようやく理屈が呑み込めました。
 言葉が具体的な想像力を伴うと、腑に落ちる具合はズンと増します。

 私たちはすべて〈井の中の蛙(カワズ)〉であると言えないでしょうか?
 見える対象も聞こえる対象も触れる対象もすべて、井戸の底から丸い井戸口の外に見える小さな空を眺める程度のものでしかありません。
 小さな世界であれこれ思念を廻らせていても、広い世間様や広い世界を相手にしているような気分でいます。
 しかし、広がっているのは、あくまでも気分でしかありません。
 わずかに、しかし、確かに〈他の井戸〉の住人と通じ合えるとしたら、想像力がはたらいた時ではないでしょうか。
 そもそも「思いやる」とは、「思い」を「やる」ことだったはずです。
 お釈迦様は、鳥についばまれる虫や、病人や老人や死人を思いやるところから、人生の根本を探求し始めました。
 見えるものも、見えぬものも、思いやりつつ生きたいものです。
 互いが互いに〈単なる井の中の蛙〉であれば、個々の人生も社会も、なかなか明るい方向へと進まないのではないでしょうか。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「のうまく さんまんだ ばざらだん かん」※今日の守本尊不動明王様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=EOk4OlhTq_M





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン


2014
12.15

ダライ・ラマ法王の説かれた『般若心経』(その1) ―色即是空とは?―

201412140009.jpg

 今年最後の寺子屋では、ダライ・ラマ法王が般若心経について説かれたDVDに学びましたが、あまりに高度で、なかなか理解できませんでした。
 一緒に学んだ方々も同様であったと思われますので、DVDから書き写した法王の説法をあらためて学びましょう。

「『般若波羅蜜多心経(ハンニャハラミタシンギョウ)』とは『完成された智慧の心髄』を意味しています。
 一般的に見れば、この世界には様々な宗教が存在しています。
 その中で仏教の持つ特性は何かと言うと、智慧の部分にあるのです。」


 仏教は、自分と世界のありようについてとことん探求する存在論が土台になっています。
 自分とは何ものか?
 見えたり聞こえたりする現象世界はどのように成り立っているのか?
 お釈迦様が瞑想修行で得られた智慧が一切智(イッサイチ)と呼ばれているのは、そうした問題について一切を余すところなく明瞭に理解され尽くしたからです。
 仏教は、お釈迦様が何らの前提なしに究極まで考え尽くした結果、成立したとも言えます。

「特に仏教においては、心を訓練していくために智慧を育む修行をしなければなりません。
 なぜなら、苦しみの源は『知らない』という心にあるからです。
 一時的な苦しみでも、究極的な苦しみでも、それは『知らない』という心から生じています。
 ですから、『知らない』という心を知性と智慧を高め、『知る』ことによって滅していかなければなりません。
 智慧によって、私たちは普通の凡庸な心を向上させていくことができます。
 ですから、智慧を磨く努力をしなければなりません。」


 お釈迦様が恵まれた生活を捨てて厳しい修行に入られたのは、人々の苦しみや悲しみを放置できないからでした。
 そして、無明(ムミョウ)という〈肝腎なことを知る智慧の明かりがない状態〉こそが、苦しみの根本原因であると悟られました。
 私たちが、自分の苦を脱し、誰かのためになりたいのならば、無明の退治は欠かせません。

「完成された智慧とは、凡庸で苦しみに支配されている状態を少しづつ向上させていき、最終的に彼岸つまり涅槃に至らしめる智慧のことを意味しています。」


 お釈迦様は「完成された智慧」にたどり着かれました。
 私たち凡人にとって智慧の「完成」は夢のまた夢ではありますが、仏教に学び、み仏に導かれ、「少しづつ」「彼岸」に近づくことは可能です。
 なにしろ、そうした修行の〈成功例〉として、さまざまなみ仏がおられるのですから。

「チベット語訳の『般若心経』の初めの方に、『その時釈尊は深遠なる現れという現象について、三昧(サンマイ…深い瞑想状態)にお入りになったのである』という部分があります。
 ここに出てくる『深遠なる現れ』という部分の『深遠なる』という言葉は、『深遠なる(クウ)』つまり『』を意味しています。
 そして『現れ』という言葉は大変重要です。」


 般若心経はさまざまな形で残されており、法王は、日本人に親しまれているものより少々長いチベット語の経文をテキストにされました。
 その経典の冒頭に、この経典は、お釈迦様が『深遠なる現れ』について探求し尽くした瞑想状態が記されたものであると書かれています。
 法王は『深遠なる現れ』に、この経典のエッセンスすなわち「色即是空(シキソクゼクウ)即是色(クウソクゼシキ)」を読み解かれました。

「すべての現象には『現れ』と『』があります。
 すなわち、世俗のレベルと究極のレベルが存在しているということです。
 現れという世俗のレベルにおける縁起(エンギ)と、という究極のレベルの縁起が説明されています。
 現れという世俗のレベルでは縁起は正しく機能し、究極のレベルでは、それ自体の自性によって成立しないので空であると説明されています。
『深遠なる現れ』とは『現れ』と『空』が分け隔て無く一つの本質であると理解できます。」


 ここでは、読解に欠かせない「世俗のレベル」と「究極のレベル」という言葉が登場します。
 世俗のレベルとは、今ここにいる自分は、明日も同じように生きているという感覚と前提に立った考え方です。
 これが人間同士で漏れなく共有されているからこそ、あらゆる〈契約〉が成立しています。
 今日の自分は同じ人間として明日も生きているし、今日の相手は明日も同じ人間として生きているはずだからこそ、未来の決着が約束されます。
 また、今日、ケンカした友だちにきちんと謝ったから、明日も一緒に遊べるといった原因と結果のつながりが信じられます。
 これが「現れという世俗のレベルにおける縁起」の姿です。

 一方、究極のレベルとは、あらゆるものが因と縁によって成り立っている現象世界には〈それ自体〉で存在しているものは何一つなく、自分も、相手も時々刻々と変化し続けており、明日どころか一瞬先のいのちさえ定かではないという本質的ありよう、つまり空を観る考え方です。

 そして、「『現れ』と『空』が分け隔て無く一つの本質である」というのは、見え、聞こえしているこの世も、この自分も確かに、ここに在るという世俗の感覚でとらえた世界がそっくりそのまま同時に、空でもあるという事態を示しています。
 世俗のレベルと究極のレベルと二つの世界があるのではなく、一つの世界に対する私たちの受け止め方が二つあるのです。
 普段の私たちは「現れ」をそのまま確かに在ると信じていますが、実は「空」です。
 また、「空」としてのみ、あらゆる「現れ」は在ります。
 自分をふり返ってみると、身体を構成している約60兆個もの細胞たちは、どれ一つとして不変のものはなく、今、こうしている間も、絶え間なく入れ替わりが続いています。
 自分はここにいますが、実態は空であり、空なるものとしてのみ、ここにいられるのです。
 「現れ」と「空」を切り離すことはできません。 
 だから経文に、「色(「シキ)…現象世界」が「即(ソク)…そのままに」「是(ゼ)…これ」「空(クウ)」であり、「空即是色(クウソクゼシキ)」であると説かれているのです。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「のうまく さんまんだ ぼだなん あびらうんけん」※今日の守本尊大日如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=LEz1cSpCaXA





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン



2014
12.14

過去にとらわれてしまう自分を何とかしたい ―ダライ・ラマ法王への質問について―

201412140001.jpg

 小雪の舞う12月13日午後1時30分より、今年最後の寺子屋を行いました。
 般若心経についてダライ・ラマ法王猊下が講演されたDVDを観ましたが、かなり高度な内容で、あとで文章にしてみなければ理解は困難といった感じでした。
 いずれそうしますが、質疑応答に興味深いものがあったので、書きだしてみました。
 聴衆の一人が「過去に思い悩む自分を何とかしたい」とお訊ねしたのです。
 以下が法王の答です。

過去は単なる記憶に過ぎず、もはや効果を及ぼすこともありません。
 しかし、過去の経験から私たちは何かを学ぶことができます。
 より重要なのはこれからの未来です。
 私たちはもっと未来について考えるべきなのです。
 そして、未来現在に属しています。
 そこで毎日の暮らしを幸せに意義ある生活をすることが大切です。
 意義ある生活とは、できれば他の人たちを助け、奉仕することです。
 たとえそれができなくても、少なくとも他人に害を与えないようにすることです。
 それが意義ある人生を過ごすということなのです。
 お金を儲け楽しんだり、有名になったりすることは、単なる一時的な目的に過ぎず、狭いものの考え方でしかありません。
 正直で、真実を語って人生を過ごしていくなら、あなたの人生は意義あるものとなります。
 そのように過ごしていけば、何十年にわたる貴方の人生は、意味のあるすばらしいものになるのです。
 そう思いませんか?」


 法王はまず、日常生活上の心構えについて説かれました。
 今の生活を真に意義あるものとすること。
 そのためには、何よりも、他のためになることです。
 自分の利益を求めているばかりでは、人生の意義はなかなか見いだすことができないかも知れません。
 しかし、他のためになれば、いかに小さな行動でも意義あるものとなり、心には揺るがぬ達成感と満足感と清々しさが生じます。
 その上、真実は何かと考え、真実を相手にし、真実を語っていれば、真実と共に生きていることになり、「人生は、意味のあるすばらしいもの」となります。
 教えの下地になっているのは、菩薩道(ボサツドウ)を歩む者の戒律である三聚浄戒(サンジュジョウカイ)です。
 1 摂律儀戒(ショウリツギカイ)………戒めを守り一切の悪行を行わない
 2 摂善法戒(ショウゼンポウカイ)……進んで善行を行う
 3 摂衆生戒(ショウシュジョウカイ)…一切の衆生を教化(キョウケ)し、利益を与える

「一方で、現在とはいつのことか分析してみると、現在を見つけることはできません。
 私たちの人生の中で、今日という一日は24時間から成り立っていて、日中の時間は約15時間あり、今は午後4時40分ですから、5時まであと20分の時を刻んでいます。
 そして現在の1分も60秒に分割することができます。
 さらにその1秒も前後の部分から成り立っているので、たった1秒の間にも過去現在未来があるのです。
 現在を見つけることはできません。

 現在はどこにあるのでしょう?
 現在がなければ、時を過去未来に分割することもできません。
 どうすればいいのでしょうね?」


 法王は次に、(クウ)を説かれました。
 過去を考えている自分がいるという認識は事実であっても、考えの対象となっている過去そのものは一体、何なのか?
 仏道修行に欠かせない〈分析〉という作業をしてみると、過去だけでなく、未来も現在も、「これがそうだ」と見つけ出すことはできません。
 幻を手でつかもうとしてもつかめないのと同じく、確かでないものを相手に格闘する虚しい作業のみで毎日を過ごしても仕方がないのです。
 ただし、この「仕方がない」という真実が腑に落ちるためには、自分自身で〈分析〉をしてみる必要があります。

 その経過をたどらずに、過去にも現在にも未来にに無関心なのと、分析の結果、そうしたこだわりを持たず今を力強く生きるのとでは、天地の違いが出るからです。

 法王は、現実的心構えと、自分で分析してみるという仏教的態度と、二つの面から答えられました。
 きっと、お釈迦様もお大師様もそうだったのだろうと思えました。
 こうして、今年最後となる第58回目の寺子屋を無事、終えました。
 ご縁の方々へ深く感謝申しあげます。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「のうまく さんまんだ ぼだなん あびらうんけん」※今日の守本尊大日如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=LEz1cSpCaXA





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン



2014
12.13

隠形流(オンギョウリュウ)居合の昇段試験 ―共にパッサーとなろう―

201412130005
高橋香温先生の書道教室における来年の書き初め(1月4日)は自分や家族などの守本尊様です。どなたも自由に参加できます〉

 隠形流(オンギョウリュウ)居合の昇段試験を行った。
 チャレンジしたのは60代の方と80代の男性である。
 いずれも剣を握ったこともないまま、還暦を過ぎてから入門された方々である。

 テストは25通りに剣を振るものだが、経文を暗誦する観想が楽ではない。
 じっと構えたまま、2分ほど続く観想もある。
 しかし、お二人共、見事、やり抜かれた。
 Aさんが笑顔で言われる。
「途中で、あっ、違う、と思ったらもう、どこをやっているのか、わからなくなりました。
 観想を口にしているうちに、足がプルプルになってきました」
 Bさんが深刻な顔で言われる。
「抜けた言葉に気づきませんでした。
 うーん、そうですか」
 
 テスト中、お二人は、気迫と尊厳に満ちた姿になっておられた。
 いい年をした男性が、自分に厳しい人、他人に優しい人、角張らない人、正義を貫く人、調和のとれた人になろうと真剣に過ごされたであろう準備期間は、見事な結実をもたらした。

 最近、読んだ神戸女学院大学名誉教授内田樹氏の著『街場の戦争論』にあるパッサーについて簡単な法話を行った。
内田樹師は言います。
 月謝を払って伝授を受ける行為は、対価を払って商品を買う行為とは違う。
 買えば、買い手はエンドユーザーになります。
 しかし、弟子が師について学べば、師から何かを受け取り、自分もそれを誰かへ受け渡すパッサーになるのです。
 私はこの文章を読んで考えました。
 確かに私は師から受け取りお弟子さんたちへ渡しながらここまで来たパッサーである。
 しかし、お弟子さん方は、誰しもが道場を開いて〈伝授する人〉になるわけではない。
 私も引退したらどうなるのか?
 そしてこう気づきました。
 今、学んでいるとおり、実の良縁にめぐり会ったおりに、舞い上がらず、自分へ厳しく生きられる人間になれば、その生きざまそのものが、接する人々へ無言で大切なものを渡していることになるはずだ。
 実の悪縁に苦しむ人へ、『こういう時こそ、心のどこかに和やかさを保ちながら生きてみましょう。周囲の善行に手を貸してみましょう』と言えるはずだ。
 剣法そのものを教えずとも、立派なパッサーになっているではないか……。
 皆さんは、必ずや、仮の良縁にあってはこれまでより優しく、仮の悪縁にあってはこれまでよりも正しく対応できるはずです。
 人生が変わり、大切な何ものかのパッサーになりました。
 今日の日を忘れずに、次の段位を目指して励みましょう」

 人間をつくる隠形流居合の目的は、仏法と剣法に導かれてよきイメージを持ち、その方向へ向かって生きることである。
 通称「高齢者」である方々がテストで見せた青年のようなまじめさ、終わって隠しきれなかった弾ける嬉しさに接したひとときは、師として弟子から受け取ったこの上ない宝ものだった。
 Aさん、Bさん、本当にご苦労さまでした。
 そして、ありがとうございました。
 また、やりましょう!

◎12月13日午後1時30分より行う寺子屋『法楽館』では、ダライ・ラマ法王が般若心経について説かれたDVDに学びます。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「おん さん ざん ざん さく そわか」※今日の守本尊勢至菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。

https://www.youtube.com/watch?v=qp8h46u4Ja8





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン



2014
12.12

ノーベル平和賞を受賞したマララ・ユスフザイさん ―【現代の偉人伝】第202話―

2014121200023.jpg
〈朝日新聞様よりお借りして加工しました〉

20141212000422.jpg
〈産経新聞様よりお借りして加工しました〉

 史上最年少の17歳でノーベル平和賞を受賞したパキスタンのマララ・ユスフザイさんの演説テキストを読んでいて、「ゆかりびとの会」会員Aさんから夏に届いた手紙を思い出し、再読してみた。

 Aさんがミョウガの間引きをしていた時、昔、お子さんが小さかった頃に出くわして恐ろしい思いをしたのと同じ「黄色くて大きな」蜂が飛んできて、「電信柱の様に」じっとしているうちに、Aさんの脳裏に読んだ本が甦った。

 上座部仏教の長老B師が、ヘビの大嫌いな日本人Cさんを連れてスリランカにある道場へ行った時のことである。
 壁面の穴の中にどう猛なヘビが眠っているのを発見したB師は、何食わぬ顔で穴の前に立ち、Cさんから見えないようにして説法を行った。
 ヘビは普段、人間の体温などに反応して飛び出してくる場合もあるが、ずっとおとなしくしていたという。
 B師は知っていた。
「こいつは何もしないし、グーグーと寝ているだけだ」
 しかも、慈悲の実践という修行中であり、ヘビに対しても「可愛い奴だ」という気分があった。
 こうして、自分を怖がらず危害を加えようともしない人間がそばにいるだけでは無闇に攻撃しないというヘビの本性のままに、平和な時間が過ぎた。

 Aさんは書いた。

「自分も、指されてもかまわないと捨て身になって『蜂とは仲良しだ。蜂は我が家の可愛いペットだ』と念じているうちに、鼻先近くまで来てブンブン飛び回っていたのが、気が済んだかのように、無事、他へ行ってしまった。
 その事があって、〝ダライ・ラマ法王〟が武力を持たない事への疑問が解けたような気がした。
 人々が互いに慈悲の心で接し合えば、やがて戦争なんか時代遅れとなる世の中が来るかも、との希望が持てたのだが……。」

 次に、マララ・ユスフザイさんの演説から抜粋しておきたい。

無償の愛を注いでくれる両親にも感謝したいと思います。
 私の翼を折らずに羽ばたかせてくれた父に感謝します。
 忍耐強くなることを教え、どんな時も真実を話すよう励ましてくれた母に感謝します。
 それがイスラムの真の教えだと強く信じています。」

「私はまた、子どもの権利擁護に長年取り組んできたカイラシュ・サトヤルティとこの賞を分かち合えて光栄に思います。
 彼が取り組んできた時間は、私が生きてきた時間の実に2倍もの長さです。
 私たちが力を合わせ、1人のインド人と1人のパキスタン人が平和的に団結し、子どもの権利のために共に取り組めると世界に示せることもうれしいです。」

「親愛なる兄弟や姉妹たちよ。私の名前はパシュトゥン人のジャンヌ・ダルクである(民族的英雄)マイワンドのマラライにちなんで付けられました。
 マララという言葉は、『悲嘆に暮れた』『悲しい』といった意味です。
 でも、私の祖父は少しでも幸せを呼ぶようにいつも『マララ、この世界で一番幸せな女の子』と呼んでくれました。
 そして本日、重要な目的に向かって私たちは共に立ち上がっており、私は本当に幸せです。」

この賞は私だけのものではありません。
 教育を求める、忘れ去られた子どもたちのためのものです。
 平和を求める、おびえた子どもたちのためのものです。
 変革を求める、声なき子どもたちのためのものです。


「私は子どもたちの権利のために立ち上がり、子どもたちに声を上げてもらうためにここにいます。
 今は彼らを哀れむときではありません。
 教育を奪われた子どもを目にするのが最後となるよう行動に移すときなのです。」

教育は人生の恵みの一つであり、人生に欠かせないものの一つでもあります。
 これは私の人生、17年間の経験で分かったことです。」

「私たちは教育を渇望していました。
 なぜなら私たちの未来はまさに教室にあったからです。」

「物事は同じようには続きませんでした。
 私が10歳の時、風光明媚(めいび)な観光地スワトは、突如としてテロの舞台となりました。
 400以上の学校が破壊され、女の子は学校に通うのを禁じられました。
 女性はむちで打たれ、罪のない人々が殺されました。
 私たちの誰もが苦しみました。
 そして私たちの美しい夢は、悪夢に変わったのです。」

「教育は、権利から犯罪へと変わりました。
 しかし、私の世界が突然変わった時、私の中の優先順位も変わりました。
 私には二つの選択肢がありました。
 一つ目は、沈黙したまま殺されるのを待つこと。
 二つ目は、声を上げて殺されること。
 私は後者を選びました。
 声を上げることにしたのです。
 テロリストは私たちを止めようとし、2012年10月9日に私と私の友達を襲撃しました。
 でも、彼らの銃弾は勝てませんでした。
 私たちは生き延びました。
 そしてその日から、私たちの声はより大きくなる一方でした。」

「私はハイヒールの高さを加えても身長約157センチです。
 1人の少女、1人の人間としてここにいますが、1人で声を上げているわけではありません。
 私は大勢(の代弁者)なのです。

 私はシャジアです。
 私はカイナト・リアズです。
 私はカイナト・ソムロです。
 私はメゾンです。
 私はアミナです。私は学校に行けない6600万人の少女なのです。
 人々はよく私に、どうして教育が特に女の子にとって重要なのか尋ねます。
 私の答えはいつも同じです。
 私が(イスラム教の聖典である)コーランの最初の2章から学んだのはイクラという言葉で、『読みなさい』という意味です。そして『ペンによって』という意味のヌーン・ワルカラム。」

「国連で昨年お話しした通り『1人の子ども、1人の教師、1本のペン、そして1冊の本が世界を変えられる』のです。」

「実際、第1次世界大戦から1世紀が過ぎた2014年ですが、100年前に何百万もの命を失った際の教訓を私たちが十分学んでいないことをあらためて思い知らされています。」

「何十万もの罪のない人々が命を失う紛争が今もあります。
 シリアやガザ、イラクでは多くの家族が難民となっています。
 ナイジェリア北部ではいまだに学校に行く自由のない女の子たちがいます。
 パキスタンとアフガニスタンでは、自爆攻撃や爆弾で罪なき人々が殺されています。」
 アフリカでは、多くの子どもたちが貧困のため学校に行けません。
 インドとパキスタンでは、多くの子どもたちが社会的なタブーのために教育の権利を奪われたり、児童労働を強制されたりしており、少女が児童婚を強いられたりもしています。」

「私と同い年のとても仲の良い級友の1人は、勇敢で自信に満ちた少女で、医者になることを夢見ていました。
 しかし、彼女の夢は夢のままで終わりました。
 12歳で結婚させられ、彼女自身がまだ子どもだった時に息子を産みました。
 わずか14歳の時です。
 彼女はとても良い医者になっただろうと思います。
 でも、それはかないませんでした。
 彼女が女の子だったからです。
 彼女の話こそ、私がノーベル賞の賞金をマララ基金に託す理由です。
 世界中の女の子たちに質の高い教育を与える手助けをし、指導者たちに私やメゾンやアミナのような女の子を支援するよう呼び掛けるためです。
 この資金は最初に、私の心のよりどころであるパキスタン、特に私の故郷スワトとシャングラでの学校建設のために使われます。」

「私の村では、いまだに女の子が通える中学校がありません。
 友達が教育を受け、夢をかなえるための機会を得られる学校を建てたい。
 私はそこから始めます。
 でも、それでおしまいではありません。
 全ての子どもたちが学校に行くのを見届けるまで、私は闘い続けます。
 銃撃されて死線をくぐり抜けた後、私はより強くなったと感じます。
 誰も私を、あるいは私たちを止められないと分かったからです。
 今や私たちは何百万人(もの仲間)になり、共に立ち上がっているからです。」

「親愛なる兄弟、姉妹たちよ。
 変革をもたらした偉大な人々、例えば(米公民権運動指導者の)マーチン・ルーサー・キングや(南アフリカで黒人解放闘争を主導した)ネルソン・マンデラ、(貧しい人々の救済に尽くした修道女)マザー・テレサや(ミャンマーの民主化運動指導者)アウン・サン・スー・チーは、かつてこの場に立ちました。
 彼らと同じように、カイラシュ・サトヤルティと私がこれまでしてきたことやこれから取り組むことが、長く続く変革をもたらしてほしいと思います。」

「私の大いなる望みは、児童教育のための闘いをこれで最後にすることです。
 これを解決し、最後にできるよう、皆さんには団結して私たちの取り組みを支持してほしいと思います。
 繰り返しますが、私たちは既に正しい方向に多くの歩みを重ねてきました。
 今こそ飛躍の時です。」


「教育がいかに重要か理解するよう指導者に求める時ではありません。
 彼らは既に知っているのです。
 彼らの子どもたちは良い学校に入っています。
 今こそ行動を起こすよう彼らに求める時です。」

「親愛なる兄弟、姉妹たちよ。
 いわゆる大人の世界は理解するでしょうが、私たち子どもには分かりません。
『強い』といわれる国々は、戦争を起こす上では非常に力強いのに、なぜ平和をもたらす上ではあまりに弱いのか。
 銃を渡すことはとても簡単なのに、なぜ本を与えるのはそれほど大変なのか。
 戦車を造るのは極めて易しいのに、なぜ学校を建てるのはそんなに難しいのか。」

平等と正義、そして平和をみんなにもたらしましょう。
 政治家や世界の指導者たちだけでなく、全員が貢献する必要があります。
 私も、あなたも。それが私たちの義務なのです。
 だから、立ち止まらず、努力しなければなりません。
 私の仲間である子どもたちに、世界中で立ち上がるよう求めます。
 親愛なる姉妹、兄弟たちよ。
 最後になることを決める最初の世代になりましょう。


「空っぽの教室、失われた子ども時代、生かされなかった可能性。
 これらを私たちでもう終わりにしましょう。
 少年や少女が子ども時代を工場で過ごすのは、もう終わりにしましょう。
 少女が児童婚を強いられるのは、もう終わりにしましょう。
 純真な子どもが戦争で命を落とすのは、もう終わりにしましょう。
 教室が空っぽのままであり続けるのは、もう終わりにしましょう。
 教育は権利ではなく犯罪だと少女が言われるのは、もう終わりにしましょう。
 子どもが学校に行けない状況は、もう終わりにしましょう。
 終わりにすることを始めましょう。
 私たちで終わりにしましょう。
 今ここで、より良い未来を築きましょう。

 ありがとうございました。」



 Aさんの平和への思いも、マララ・ユスフザイさんの教育への思いも、世界を牛耳る軍事産業や偏狭的教条主義が持つ強大な力の前では、〈蟷螂(トウロウ…カマキリ)の斧(オノ)〉のようなものとしか感じられないかも知れない。
 しかし、祖国チベットは中国軍に蹂躙(ジュウリン…踏みにじられること)されたままでも、ダライ・ラマ法王の思想は世界中の人々の心を動かしつつあり、マーチン・ルーサー・キング、ネルソン・マンデラ、マザー・テレサは世界を変え、アウン・サン・スー・チーもミャンマーの民主化を進めている。
 思い、願い、祈り、行動する人々によって必ず、世界は変わる。
 因果応報は真理であり、善き共業(グウゴウ…社会的な業)の結果として、善き社会が到来しないはずはないからである。
 今から約250年ほど前に活躍した慈雲尊者(ジンソンジャ)は祈った。
「いまだ悪を断じ、善を修せざる者は、願わくは、悪を断じ、善を修せしめん」
 当山でも日々、同じ祈りの文を祈っている。
 自らがそうありたいと願う善男善女と共に。
 何よりもまず、自分から始めたい。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。




「おん さんまや さとばん」※今日の守本尊普賢菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=rWEjdVZChl0





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン



2014
12.11

美智子様の以心伝心と、宝もののパッサーについて

201412110001.jpg

 12月7日、BS朝日は 「皇室スペシャル 美智子さま 傘寿に込められた想い 秘蔵映像で綴る愛と苦悩の80年」を放映した。
 同番組を観たA氏から連絡が入った。
美智子様は、ご自身が失語症になっていた間も、天皇陛下と共に各種被災地の慰問などにでかけられました。
 そのシーンで目を疑う場面がありました。
 美智子様は当然、言葉を発することができなかったのに、幾人かの人々は、はっきりと自分を励ます声を聴き、それが支えになったと証言していたのです。
 和尚が時々『通じる』と言うのは、ああいうことですか?」

 武道と哲学のための学塾『凱風館』を主催している内田樹氏は『街場の戦争論』において、演出家だった故竹内敏晴言葉を紹介している。

「私たちのからだは、聞く、つまり音を選んでいるのであって、無差別に音が飛びこんでくるわけではない。」


 聴覚の弱い竹内敏晴は、自分の魂と五感を総動員して〈聴く〉という能力を高めていた。
 それは、そこへある種の共振を起こさせるものにのみ反応するということでもあり、共振を発し沁み通ってこない言葉たちはただ、通り過ぎていった。

 内田樹氏は言う。

「僕たちは心に思ったことを適切な言葉に翻訳して口に出せば言葉が届くだろうと漠然と信じています。
 でも、それは違う。
 皮膚はある種の境界線として機能している。
 その境界線を超えることのできる言葉しか僕たちには届かない。」


 また、内田樹氏は、こうも言う。

「僕が門人に要求するのは、僕の身体に感覚的に同期することと、僕の話す言葉が直接身体に触れるのを経験してほしいということ、それだけです。」


 思えば、私が密教居合の伝授を受ける道場でもそうだった。
 他の行者や門人がどうだったかはわからないが、師の前では、全存在を目と耳と皮膚に特化し、あらゆる情報を残らず記憶しておきたいと願っていた。
 観たとおりに動きたいと願った。
 聴いたとおりに読誦したいと願った。
 受け取ったとおりに観想したいと願った。
 通じてくるように生きたい、そして、求める人には自分も通じさせたいと願いつつ、ここまで来た。
 内田樹氏と同じく、「学ぶ」とは、商品を買うことによって「エンドユーザー」になるのとは異なり、得たものを誰かに、何らかの形でバトンタッチする「パッサー」になることであると思っている。

 美智子さまはずっと、辛い境遇に陥った人々のすぐそばへ出かけ、思いやる心を言葉や表情や仕草や佇まいで表現してこられた。
 だから、慰問の場にあって、失語症のために物理的な喉の振動を起こせなくとも、心と全身から思いが発せられた時、それは〈境界線〉を超え、魂と五感を総動員して〈聴く〉ことに集中していた聴衆に伝わったのだろう。
 聴いた方々は、まぎれもなく、幻ではない宝ものを受け取られた。
 その宝ものはきっと、生きることに根本からかかわってくれるに違いない。

 教育も医療も宗教も何もかもが商品化される時代にあって、私たちは〈魂と五感を総動員して〉何を受け取るべきか?
 あぶくのように軽い言葉たちに満ちた情報に惑わされず、何を宝ものとして生き、何を「パッサー」としてパスするか?
 よく考えてみたい。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。




「おん さんまや さとばん」※今日の守本尊普賢菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=rWEjdVZChl0





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン



2014
12.10

真智の開発をめざして(その10) ─区別をつける先に空(クウ)を観る─

201412100001.jpg
〈松本零士のパンフレットとチケットをお分けしています〉

201412100002.jpg

五智」とは、優しさ・厳しさ・正しさ・優雅さ・尊さであり、その五光により、妄知(モウチ…おかげさまと心の底から思えない惑った心)も邪知(ジャチ…万事を我がためとするよこしまな心)も消え失せます。

 さて、厳しさは、〈愚癡〉〈好悪〉〈自他〉〈明暗〉〈公私〉という五つの問題がきちんと整理される時、〈人間がみ仏の子である証明〉として完成します。

[2の5]厳しさ─自他のものの区別をする

 これは、自分に属するものと、他人に属するものとをきちんと分けて揺るがないことです。
 ここが曖昧(アイマイ)になると、対象がモノであれば「不偸盗戒(フチュウトウカイ)」に反し、人であれば「不邪淫戒(フジャインカイ)」に反したりもして、徐々に他人から疎(ウト)んぜられてしまいます。

不偸盗戒について

 僧月照(ゲッショウ)は、不偸盗戒について詠みました。

「やまもりの ゆるさぬほどは たにかげに おちたるくりも ひろはざるなむ」


(山守の 許さぬほどは 谷陰に 落ちたる栗も 拾わざるなん)
 
 山道を歩く時、落ちている栗を見つけても、山を守っている人の許しがない限り、拾って自分のものにはしないという心構えです。
 現代人には理解しにくいかも知れませんが、それほどの心構えでいなければ、私たちは容易くここを越えてしまいます。

 慈雲尊者(ジウンソンジャ)は説きました。

不偸盗戒は、智者も持たねばその智を失う。
 愚者も持たねば刑罰を免れぬ。
 王侯大人も持たねば国治まらぬ。
 庶人も持たねば家整わぬ。
 誠に、万国古今に通じて道とすべき道なり。」


 誰であっても、他人様のモノへ手をかけてしまえば、自分が立場をまっとうする根拠を失い、墜落してしまう他ありません。
 独裁者の末路も、万引き少年の末路も、行く先は同じなのです。

不偸盗戒の中に我が福徳増長す。」


 自分の悟りを求める小乗(ショウジョウ)仏教においては、他人に属するものへの戒めが心に確立すれば、自分の福徳が膨らみます。

不偸盗戒の中に報土(ホウド)を荘厳す。」


 自他共に苦を脱しようとする大乗(ダイジョウ)仏教においては、他人に属するものへの戒めが心に確立すれば、この世は豊かな極楽になるのです。

不邪淫戒について

 僧月照は、不邪淫戒について詠みました。

「おみなへし にほふあたりは こころせよ いろかにみちを わすれもぞする」


(女郎花 匂うあたりは 心せよ 色香に道を 忘れもぞする)

 私たちは、五感を心地良く刺激するものに惹かれ、絵画も音楽もお香もストレスを解消させ、心を豊かにしてくれます。
 また、異性の引力は得に強大です。
 しかし、心地良い時間にもっと、もっととしがみつけば、いつしか人の道を忘れてしまう場合もあります。
 対象が他人に属している異性であれば、人倫を破壊し、人間関係を破壊し、果ては人生を狂わせかねません。
 
 慈雲尊者は説きました。

「国の乱れもこれを元として起こる。
 家の礼もこれを元として起こる。
 身の礼もこれを元として起こる。
 謹慎に守る者は、天神地祇(テンジンチギ…天地の神々)の冥助(ミョウジョ…仏神の助け)を得。
 男子、女人共に、我に属せぬ者には心寄するべからず。
 妄(ミダ)りに慣れ睦(ムツ)まじくすることなかれ。」


 男女間の乱れは、国から一組の男女まで、あらゆる異性のいるところに乱れを生じさせます。
 自分に「属せぬ」異性に対しては慎ましくありたいものです。

不邪淫戒の中に我が行、清浄なり。」


 自分の悟りを求める小乗仏教においては、他人に属する異性への戒めが心に確立すれば、修行は清浄に進められ、日常の行いにも汚れは生じません。

「不淫戒の中に、清浄の身心の到るところ禅定(ゼンジョウ)相応(ソウオウ)す。」


 自他共に苦を脱しようとする大乗仏教においては、他人に属する異性への戒めが心に確立すれば、いかなる修行中も心身が集中と観察を行うにふさわしい適切な状態に保たれ、日常生活でも安寧に過ごせます。

○結び

 このように、モノであれ人であれ、対象が誰に、あるいはどこに〈属して〉いるかを考えて行動することは社会人として欠かせません。
 なぜなら、私たちは、〈自分〉をそうした関係性の中において危うく見いだし、心の統一を保ちつつ生きていられるからです。
 そもそも、生まれた時は父親と母親の子供であり、家庭でも学校でも職場でも町内でも、あるいは何かのサークルや施設でも、社会内のどこかに属していればこそ〈自分〉の確認が可能です。
 あらゆるものが関係性の中で変化し続け、(クウ)であるように、自分自身も本当はなのです。
 だから、「自分探し」という言葉に乗せられて彷徨(サマヨ)っても、棒のように固く、何ものにも色づけされていない〈自分〉など、どこにも見つけ出せません。
 確かにあるのは、幻の自分に対する執着心だけです。

 こんなお経があります。

 宝間(ホウゲン)という比丘(ビク…男性の出家修行者)がいました。
 戒律を授けられ、正式に修行者になった時、お釈迦様へ訊ねました。
「どのように修行して悟りを得ればよいのでしょうか?」
 お釈迦様は説かれました。
「お前に与えられていないものを取らぬことである」
 宝間は、いったいどういうことなのかと考えぬきました。
 その結果、気づきました。
〝こうして天地の間に自分が存在している以上、存在するためのものは全て、与えれているではないか。
 天地が自分を生かし、一切が自分のためにある以上、すでに何不足、足りないものはない。
 新たに、手にすべきものなど、何もない〟
 こうして、宝間は、不偸盗戒をきっかけとして幻の我(ガ)から離れ、周囲のものへの執着心から離れ、アラカンになりました。
 
 み仏のお智慧は、を観る智慧です。
 み仏のお慈悲は、生きとし生けるものの何一つ、誰一人も見捨てられない平等な思いやりです。
 自他のものの区別つける不偸盗戒も、不邪淫戒も、〈属している〉ことを観る戒めですが、何ものも、お互いも、そして自分も〈属している〉からこそ安定した存在であることをよく観れば、やがてはの眼に近づけることでしょう。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。




「おん あらはしゃのう」
※今日の守本尊文殊菩薩様の真言です。どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=WCO8x2q3oeM





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン



2014
12.09

映画『セヴァンの地球のなおし方』が示すもの ―農民はつぶやく「農業が死ぬ」―

2014120900012.jpg

 平成4年、地球サミットにおいて、12才の少女セヴァン・スズキは、伝説のスピーチを行った。
 それから20年後、母親となったセヴァンは精力的な活動を続けている。
 ジャン=ポール・ジョー監督は、環境ジャーナリストのニコラ・ウロ、農業に従事している思想家ピエール・ラビ、分子生物学者エリック・セラーに教授らと共に、経済優先の世界に警鐘を鳴らす映画『セヴァンの地球のなおし方』を作った。
 その中には、平成12年、シュワブ財団より「世界で最も傑出した社会起業家」の一人に選出された合鴨農法家古野隆雄氏や、福井県今立郡池田町の農婦たちも登場する。
 映画の中に、4人の賢者が農場で食事しながら語り合う場面がある。
 その対話の一部を紹介したい。

「今は機械が人の代わりだ。
 収穫機を買うと政府から補助金が出る、作業員を雇うより安い、機械なら社会保障費も不要だ。
 だが石油問題を考えろ、機械による大規模耕作には未来がない、人の力に戻すべきだ」

「戦後、考案された効率のいい大量生産は古くなったわけだ、少なくともこの地域では」


 人類や環境や子孫を考えて有機農法に戻る人々の間では、機械化によって人間を不要とする大規模農業は今や、「古い」危険なやり方であると考えられている。

「単作や大規模耕作などバカげた考えだ。
 ボース地方やピルカディー地方なら大規模経営を考えるのも悪くないだろう。
 だがここでは複数の作物を作り、近くに出荷すべきだ」

「どの地方でも私は(大規模経営に)賛成できない。
 生物の多様性に対する犯罪に等しい行為だ、単作の話だよ」

「麦、米、トウモロコシ、大豆、世界の食糧生産の6割をこの4種が占め、その半分は米国で開発された遺伝子組み換え作物(GMO)だ。
 大豆とトウモロコシのことだ。
 地球上には3万種の食用作物がある。
 生物の多様性への一番の犯罪は、マイナー品種を絶滅させることだ。
 4大穀物に集中した状態で季候が変動したら、人類を養う食料が確保できなくなる、生物の特許化が進む要因にもなる。
 4大穀物の特許化と生産管理は、経済史上、最大の賭けと言ってもいい


 食べ物といういのちの根になるものを、世界的規模で利益を上げるための道具としている一部金融資本の牛耳るままにさせてよい理由がどこにあろうか?
 遺伝子組み換えを行った食物の危険性が叫ばれるようになって久しいが、食料の寡占化と工業化の危険性は省みられないままである。

「化学肥料を使えば、同じ作物の連作も可能になる。
 連作を嫌う作物を無理矢理、従わせるわけだ」

「農業従事者ゼロを目指す者の理想は、蛇口からデンプンが出てくる世界だ。
 バクテリアさえ遺伝子操作され、タンクの蛇口からトウモロコシが流れ出る、(これが)特許化による未来の農業の姿だ。
 世界の一部の人間に権力が集中する。
 農業の無人化をこのまま推し進めたら、農業が死んでしまう


「農業が死ぬ」とは、何と悲痛な心の叫びであろうか。
 人間の叫びは、生きとし生けるものの叫びでもあるように思える。

週に三回、肉を控えることで、世界の90億人を養える
 乳がんと大腸ガンの原因のほとんどが、動物性脂肪のとりすぎだ。
 動物性脂肪はさまざまな有害物質、農薬やプラスチックの成分を含んでいる。
 人類は大量の有害物質を自然の中に廃棄してきた。
 ローヌ川の汚染が、いい例だ。
 垂れ流しの有害物質が食品に入り、それを食べ続ける(それでいいのか?)」

農業従事者を(有機農場である)ここに呼び戻すということは、つまり、現状への反撃だ。
 人道的行為さ


世界が豊かで美しいのは多様性のおかげだ。
 人類は今、史上最大の危機に直面している。

 あらゆる生物の品種が2割から3割、消滅している。
 昆虫に魚、微生物、ほ乳類など、すべての種だ。
 世界はこの危機を乗り越えられないかも……。
 もし、ピラミッドから3割の石を引き抜いたらどうなる?
 ピラミッドの頂上にいてほかの生物に依存している我々のような種に絶滅の危機が訪れる」


 12月8日付の産経新聞は、京都大学教授佐伯啓思氏の「価値についての議論欠如」を掲載した。
 その中の一文である。

「地方創生にせよ、人口一億人維持にせよ、女性の社会進出にせよ、いまだ具体的な姿が見えてこないし、そもそも成長戦略たりうるのかもわからない。
 まだ何かが欠けているように思われる。
 では何が欠けているのであろうか。
 私には、根本にあるはずの価値についての議論が欠けているように見える。」

「それなりの景気回復を果たした後に、どのような社会を創出するのか。
 その社会像が見えてこないのである。」

「この10年、20年で、どのような社会を実現するのか、その将来像について、ある程度の見通しがなければならない。
 どのような価値に即して将来社会を構想するかという価値選択の問題でもある。」


 私たちはこのまま、「4大穀物の特許化と生産管理」の世界化へ向かう方向を是認してよいのだろうか?
 農業とは本来、その土地の気候風土に適したものを伝統的智慧と方法に学びながら作り、そこで消費してこそ、そこに生きる人々のいのちを養い、同時に心も豊かにする産業ではなかったか?
 自然の恵みをいただき、いのちを育む農業と、商業や工業とは本質的に異なる分野であり、農業が商業や工業の手を借りるに際しては、おのづから節度があるはずではなかったか?
 商業や工業がいのちにかかわる農産品を扱うには、おのづから節度が必要ではないか?
 節度が消える方向へと、このまま進む時、私たちの生殺与奪の権は、「経済史上、最大の賭け」として国際金融資本が握ることになる。
 いったい、誰が、いかなる理由でそれを望むのだろうか?

 私たちはいかなる「価値選択」をしようとしているのか?
 この映画に示される賢者たちの言葉は重い。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「のうぼう あきゃしゃきゃらばや おん ありきゃ まり ぼり そわか」※今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=IY7mdsDVBk8





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン



2014
12.08

12才の少女セヴァン=スズキが行った「伝説のスピーチ」をご存じですか?

201412070002.jpg
〈笹倉山近くに沈む有明の月〉

 平成4年、リオデジャネイロで行われた「地球サミット」において、12才の少女セヴァン=スズキが行った通称「伝説スピーチ」の全文です。
 私たちが今、本当に考えるべきことを、12才の少女は見事に言い当てています。
 
「こんにちは、セヴァン・スズキです。
 エコを代表してお話しします。
 エコというのは、子供環境運動(ECO: Environmental Children's Organization)の略です。
 カナダの12歳から13歳の子どもたちの集まりで、自然環境を守るための活動をしています。
 あなたがた大人たちに、どうか生き方をかえて頂くよう、お願いするために、自分たちでお金を集めて、カナダからブラジルまで1万キロの旅をして来ました。

 今日、私たちが話すことは、すべて嘘のない本心の言葉です。
 なぜって、私たちが環境運動をしているのは、私たち自身の未来のため。
 私たち子どもが、自分の未来を失うことは、あなたがた大人が選挙で負けたり、株で損したりするのとは次元の違う問題なのです。

 私たちがこれから話すことは、未来に生きる子どもたちのためです。
 世界中の飢えに苦しむ子どもたちのためです。
 そして、もう行くところもなく、死に絶えようとしている無数の動物たちのためです。
 世界中の飢えに苦しむ子どもたちの泣き叫ぶ声は、あなたがた大人の耳には届きません。
 どこにも行くところがなく、次々と絶滅して行く数え切れないほどの生き物たちのことも同じです。
 だから、世界中の子どもたちや生き物たちに代わって、私たちが話すのです。

 太陽のもとにでるのが、私はこわい。
 それは、オゾン層に穴があいているから。
 呼吸をすることさえこわい。
 空気にどんな危険な化学物質が混じっているか分からないから。
 お父さんと一緒に、よくバンクーバーで魚釣りに行っていました。
 数年前に、体中ガンでおかされた魚に出会うまでは。
 そして今、毎日のように動物や植物たちが絶滅していくのを、私たちは耳にします。
 一度絶滅してしまった生き物は、もう永遠にもどってはこないのです。

 私には小さいころからの夢がありました。
 それは、いつか野生の動物たちの群れや、たくさんの鳥や蝶が舞うジャングルや熱帯雨林を見ることでした。
 でも、私は見ることが出来ても、私の子どもたちは、見ることができるのでしょうか?
 あなたがた大人は、私ぐらいの年令の時に、今の私と同じように、未来の自分の子どもの心配したことがありますか?

 こんな大変なことが、ものすごいいきおいで起こっているのに、私たち人間ときたら、まるでまだまだ余裕があるようにのんびりと構えています。
 まだ子どもの私には、この危機を救うのに何をしたらいいのかはっきりわかりません。
 そして、あなたがた大人も、本当の解決法など持っていないと思います。
 だから、せめて、『本当の解決法など持っていない』ということだけは、自覚して欲しいのです。

 あなたがた大人は、オゾン層にあいた穴をどうやってふさぐのか知らないでしょう。
 死んだ川にどうやってサケを呼びもどすのか知らないでしょう。
 絶滅した動物をどうやって生きかえらせるのか知らないでしょう。
 そして、今や砂漠となってしまった場所にどうやって緑の森をよみがえらせるのか知らないでしょう。

 だから、大人のみなさん、どうやって直すのかわからないものを、壊し続けるのはもうやめてください。

 ここに集まっている大人のみなさんは、いろいろな国の政府の代表者や、企業や団体の代表者、そして、報道関係者の人たちです。
 でもほんとうは、あなたがたもだれかの母親であり、父親であり、姉妹であり、兄弟であり、おばさんです。
 そしてあなたがたの誰もが、誰かの子どもなんです。

 私はまだ子どもですが、ここにいる私たちみんなが同じ大きな家族の一員であることを知っています。
 そうです50億以上の人間からなる大家族であり、3千万種類以上の生物からなる大家族です。
 いろいろな国の政府や国境が、どんなに分け隔てをしようとも、私たち地球で生きるものたちが1つの大家族だということは、変えようがありません。


 私は子どもですが、みんながこの大家族の一員であり、ひとつの目標に向けて心をひとつにして行動しなければならないことを知っています。
 わたしは、今のひどい環境を見て、怒りで心が震えていますが、それでも、自分を見失ってはいません。
 わたしは、今のひどい環境を見て、恐怖で体が震えていますが、それでも、自分の気持ちを世界の人たちに伝える勇気を持ち続けています。

 私の国での無駄使いは大変なものです。
 買っては捨て、また買っては捨てています。
 そして、そんなにたくさんの物を無駄にしている北の国は、物が不足している南の国と分かち合おうとはしません。
 物がありあまっているのに、私たちは自分の富を、少しでも手放すのがこわいのです。

 カナダで暮らす私たちは十分な食物と水と住まいを持つ恵まれた生活をしています。
 食べ物も、水も、お家も、何でも十分にあります。
 時計、自転車、コンピューター、テレビ、私たちの持っているものを数えあげたらきりがありません。

 2日前ここブラジルで、家のないストリートチルドレンと出会い、私たちはショックを受けました。
 一人の子どもが私たちにこう言ったからです。

『ぼくが金持ちだったらなぁ。
 もしそうなら、家のない子すべてに、食べ物と、着る物と、薬と、住む場所をあげるのに。
 それから、やさしさと愛情もね。』

 住むところもなく、今日、食べる物もない一人の子どもさえ、自分のことだけでなく、みんなと分かちあうことを考えているのに、全てを持っている私たちがこんなに欲が深いのは、どうしてなんでしょうか?

 この子ども達は、私と同じぐらいの年齢でした。
 私は、自分と同じくらいの年齢の子ども達が、こんな生活をしていたことが、とてもショックで頭から離れません。
 同じ人間なのに、同じ大家族の一員なのに、どこに生れついたかによって、こんなにも人生が違ってしまう。
 もしかしたら、私がここブラジルのリオの貧民窟に住む子どもの一人だったかもしれないのです。
 そして、飢えに苦しむソマリアの子どもだったかもしれないし、大人たちの戦争の犠牲になった中東の子どもだったかもしれないし、インドで乞食をしている子どもだったかもしれないのです。


 もし世界中の国の大人たちが戦争のために使っているお金を全部平和のために使えば、環境や飢餓の問題のために使えば、この地球がすばらしい星になるでしょう。
 私はまだ子どもですが、それでもこのことを知っています。


 小学校で、いや、幼稚園でさえ、あなたがた大人は私たちに、世の中でどうふるまうかを教えてくれます。
 たとえば、

・争いをしないこと
・話しあいで解決すること
・他人を尊重すること
・ちらかしたら自分でかたずけること
・ほかの生き物をむやみに傷つけないこと
・分かちあうこと
・そして欲ばらないこと

 ならばなぜ、あなたがた大人は、私たち子どもに『するな』ということを、自分達はしているのですか?

 みなさんは、今日、何のためにこの会議に出席しているのか、どうか、そのことだけは忘れないでください。
 そしてこのような会議をいったい誰のためにやっているのか。
 それはあなたがたの子ども、つまり私たちのためなのです。
 あなたがたはこうした会議で、私たちがどんな世界に育ち生きていくのかを決めてようとしているのです。

 親たちはよく『だいじょうぶ。すべてうまくいくよ』といって子ども達をなぐさめます。
 あるいは、『できるだけのことはしてるから』とか、『この世の終わりじゃあるまいし』と言いますよね。
 だけど、今の地球の環境を見たら、もうこんな言葉を自分の子どもに向かって言えないと思います。
 わたしたち子どもの未来のことなんて、みなさんの議題の中にすら入っていないじゃないですか。
 みなさんは、私たち子どもの未来のことを本当に考えてくれているのですか?

 私のお父さんは、いつも、『人間の価値は、何を言ったかではなく、何をしたかで決まる』と言っています。
 でも、私は、あなたがた大人がこの地球に対していることを見て、泣いています。
 それでも、あなたがた大人はいつも私たち子どもを愛していると言います。
 本当なのでしょうか?
 もしそのことばが本当なら、どうか、本当だということを言葉でなく、行動で示してください。

 最後まで私たちの話をきいて下さって、ありがとうございました。」

 特に印象深いのは、以下の言葉です。

「どうやって直すのかわからないものを、壊し続けるのはもうやめてください。」

「まだ子どもの私には、この危機を救うのに何をしたらいいのかはっきりわかりません。
 そして、あなたがた大人も、本当の解決法など持っていないと思います。
 だから、せめて、『本当の解決法など持っていない』ということだけは、自覚して欲しいのです。」

 少女が持つ世界への危機感を、私たちはどれほど共有しているでしょうか。
 今の日本も、ある意味で、危機的状況にあると思われます。
 そして、地球規模の問題がからんでいる危機の淵源は深く、快刀乱麻のようなスッキリした解決策など、誰も持っているはずはありません。
 だからこそ、何よりも謙虚で、広く叡智を集める粘り強い姿勢が必要なのではないでしょうか。
 このスピーチは繰り返し、読まれる必要があると思えてなりません。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「のうぼう あきゃしゃきゃらばや おん ありきゃ まり ぼり そわか」※今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=IY7mdsDVBk8





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン



2014
12.07

年末、年始の過ごし方 ―種田山頭火に1万2千年の伝統を想う─

201412070001.jpg
〈タンポポの綿毛のように日々、托鉢を行っていた時代〉

 いよいよ年の瀬です。
 日本人が古来、御霊(ミタマ)祀りを行い、厳粛な気持で新たな年を迎えたことを思い出しておきたいものです。

 日本の仏教は、西から入ってきてすぐ、縄文時代に発すると思われる神道祖霊信仰と融合し、氏寺(ウジデラ…同じ氏姓を持った一族の祖霊を祀る寺院)として寺院建築が始まりました。
 それ以来、「死ねば仏になり、やがては神になる」という祖霊信仰が連綿として続いてきました。
 庶民は、明治の廃仏毀釈(ハイブツキシャク)によって仏教が弾圧を受けるまでずっと「仏神」と呼んで両方を尊び、家々に仏壇と神棚が設けられました。
 仏は無用という国家神道の暴風後、「神仏」と言葉が変わってから、わずか250年しか経っていません。

 およそ人類は、いかなる時代にあっても、いかなる国家にあっても、いかなる民族にあっても、必ず、先に逝く血縁者を手篤く葬る葬送儀礼を行い、血のつながりと心のつながりを尊んできました。
 因果応報輪廻転生(リンネテンショウ)を根本真理とする仏教は、儀礼を深化させ、この世とあの世のつながりを前提とする追善供養という精緻な形を創り上げました。
 他のためになることを、み仏の慈悲の顕れとし、菩薩(ボサツ)の心ともする大乗仏教(ダイジョウブッキョウ)は、この世の私たちが行う善行(ゼンギョウ)の功徳を、祈りによってあの世へも分かち合い、先に逝った同族などの安心を願うようになったのです。
 原始仏教にあっては、因果応報を信じ、善き結果をもたらす善き行為を行うのは、何よりもまず、自分自身が苦を脱するためでした。
 それが時代と共に、善き行為の根本は他のためになることであると気づかれ、自己中心を離れて他のためになろうとする存在こそ観音菩薩であり、地蔵菩薩であり、あるいは大日如来の使者である不動明王であると信じられるようになりました。

 ところで、最近は「日本の心を取り戻そう」という思潮に乗って、教育のありようなどが論じられています。
 最も取り戻したいものの一つが、いのちへの感謝です。
 それは、空間的に広げれば生きとし生けるもの、あるいは大自然や地球への感謝となり、時間的に遡ればご先祖様への感謝となります。
 空間的、時間的に隔っている存在への想像力がなければ、いのちへの感謝は深まらず、どこまで行っても〈今、ここにいる自分〉を可愛がる自己本位から抜け出せません。
 日本の心を考える時、1万2千年以上の伝統がある神道による祖霊信仰、千5百年に及ぼうとする仏教による追善供養を抜きにするわけにはゆきません。

 ちなみに、57才になった流浪の俳人種田山頭火は、母親の47回忌を迎え、詠みました。

「うどん供へて、母よ、わたくしもいただきまする」

「窓あけて窓いっぱいの春」


 母親の死後46年目の命日を迎え、うどんをお供えして年忌供養とし、それを自分も食べました。
 また、春の気配と共に母の気配もたくさん訪れてくれるように願い、居室の窓を大きく開け放ちました。

 49回忌にはこう詠みました。

「たんぽぽちるやしきりにおもふ母の死のこと」

「けふはよいたよりがありさうな障子あけとく」


 綿毛になったタンポポが、たちまちのうちに散ってしまう様子を眺め、突然、この世を去った母親のことごとが思い出されました。
 また、命日には、母親の思いが気配となって自分を訪れてくれるのではないかと期待して、障子を開けておいたのです。
  
 他界する半年前にまとめた句集『草木塔』の冒頭です。

「若うして死をいそぎたまへる母上の霊前に本書を供へまつる」


 わずか10才で失った母なる祖霊と共に生きた山頭火のまごころは、70年経った今も、私たちの心をとらえて離しません。

 新たな年を迎えるこの時期には、静かに自分のいのちと心をルーツを想い、自分を支えてくださっている無限のいのちあるものを想い、感謝しつつ合掌したいものです。
 そして、そのような者として、新たな夢や希望を描きたいものです。
 これこそが日本本来の年末、年始の過ごし方です。
 人と人との距離がどんどん遠くなり、淋しく、乾いた心になりつつあるこの時勢にあってこそ、時間的、空間的な縁を想って感謝し、麗しく、潤いに満ちたこの世、すなわち本来の日本を取り戻そうではありませんか。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。




「おん ばざら たらま きりく」※今日の守本尊千手観音様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=IvMea3W6ZP0





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村
 
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン

 

2014
12.06

グローバリゼーションの功罪 ―富の偏在と格差の拡大をもたらしたシステムについて―

201412060001.jpg
〈松本零士の招待券をお分けしています〉

 私たちの文明の行き詰まりはどこから来ているか?
 これほど成長!成長!のかけ声が世界中で叫ばれていながら、なぜ、ごく一部の人にのみ富が集中し、アメリカでも日本でもヨーロッパでも、民主主義を支えてきた中間層が没落し、格差が拡大し続けているのか?
 なぜ、先進国の背中を追いかけてきたはずの中国において、早くも、バブルがはじけかかっているのか?
 これまでの〈成長〉は、現実問題として、いったい、誰のためだったのか?
 
 そもそも、閉じられた世界であるはずの地球上で、限られた資源を用いた経済成長がどこの国でも、無限に成し遂げられるなどということがあり得るのか?
 限られた食糧は、科学力による増産だけで、増え続ける人口を満たし得るのか?
 ふり返ってみれば、私たちは、いつの間にか〈鼻の先にニンジンをぶら下げられた馬〉にさせられ、決して〈足を知る〉ことなく、〈もっと、もっと〉と、必要以上に貪るよう誰かから尻を叩かれているのではないか?

 こうした疑問へ見事に答えたのが、経済学博士水野和夫氏著『資本主義の終焉と歴史の危機』である。
 平成26年3月19日に発行され、8月現在ですでに第10刷となった隠れベストセラーである。
 豊富なデータと斬新な視点からの分析に満ちた同書を三度、読んだ。
 そして、多くの方々が参考にされればよいと思えてならない。
 なかなか専門書になじめない方や、読む時間のない方のために、データの分析といった部分を省き、前半の100ページにおけるポイントのみをいくつか紹介しておきたい。
 関心のある方は、ぜひ、全文を読んで見ていただきたい。

○新自由主義と金融帝国化との結合

「アメリカの金融帝国化は、決して中間層を豊かにすることはなく、むしろ格差拡大を押し進めてきました。
 この金融市場の拡大を後押ししたのが新自由主義だったからです。」

「新自由主義とは、政府よりも市場の方が正しい資本配分ができるという市場原理主義の考え方」

「資本配分を市場に任せれば、労働分配率を下げ、資本側のリターンを増しますから、富む者がより富み、貧しい者がより貧しくなっていくのは当然です。
 これはつまり、中間層のための成長を放棄することにほかなりません。」


 アメリカの金融審本はとっくに、モノづくりなどによる利益の追求から、お金そのものを秒刻みで転がすことによる利益の追求にシフトしています。
 強者に勝利が約束されている自由競争を唯一の正義とし、お金が世界中を自由に動き回れるようにするため、各国の〈事情〉をすべて排除しつつ、あっと言う間に、ここまで来ました。
 国民の安全と幸せに責任を持つ国家の縛りは、すでに、どこの国でも破壊されつつあります。
 自由競争は、地球上の地域それぞれに必ずあるあらゆる〈事情〉を許しません。
 そして、利益の〈分配〉が資本側の自由裁量に任されるなら、資本は原理的に資本の増殖を第一とするので、いつまで経っても、労働側を豊かにするために分配は起こりません。
 私たちが感じる現代の〈無慈悲さ〉はここから来ていると考えられます。

○「長い21世紀」の「空間革命」の罪

「グローバリゼーションが加速したことで、雇用者と資本家は切り離され、資本家だけに利益が集中していきます。
 21世紀の『空間革命』たるグローバリゼーションの帰結とは、中間層を没落させる成長にほかなりません。」

「資本主義は『周辺』が不可欠なのですから、途上国が成長し、新興国に転じれば、新たな『周辺』をつくる必要があります。
 それが、アメリカで言えば、サブプライム層であり、日本で言えば、非正規社員であり、EUで言えば、ギリシャやキプロスなのです。
 21世紀の新興国の台頭とアメリカのサブプライムローン問題、ギリシャ危機、日本の非正規社員化問題はコインの裏と表なのです。」


 ここで言う「周辺」とは、資本側に利益をもたらす地域であり、階層です。
 労働者は見事に道具となってしまいました。
 資本家によって自由に動かされる企業と派遣会社が、生殺与奪の絶対権力を持って支配しています。

○「資本のための資本主義」が民主主義を破壊する

「国境の内側で格差を広げることも厭わない『資本のための資本主義』は、民主主義も同時に破壊することになります。
 民主主義は価値観を同じくする中間層があってはじめて機能するのであり、多くの人の所得が減少する中間層の没落は、民主主義の基盤を破壊することにほかならないからです。」


 中間層がしっかり存在し、力を持っていればこそ、資本家と経営者と労働者との三者によって、三方共に妥当な利益を手にする健全なシステムが構築されます。
 しかし、資本が資本の論理のみで自由に活動する社会になれば、健全な民主主義は消えてしまうしかありません。 

○先進国の過剰マネーと新興国の過剰設備

「そもそも、グローバリゼーションとは、『中心』と『周辺』の組み替え作業なのであって、ヒト・モノ・カネが国境を自由に越え世界全体を繁栄に導くなどといった表層的な言説に惑わされてはいけないのです。」

「中間層が没落した先進国で、消費ブームが戻ってくるはずがありません。」

「現在の課題は、先進国の過剰マネーと新興国の過剰設備をどう解消するか、なのです。
 この問題の困難さは、このふたつの過剰の是正が信用収縮と失業を生み出すことにあります。
 時間をかけるしかないのです。
 そしてこの間、先進国ではゼロ金利、ゼロ成長、ゼロインフレが続くことになります。」


 資本主義は、発生以来、地球上のどこかに必ず、そこから儲けるための地域を探しつつ膨張してきました。
 かつては、海上の覇権を握ったイギリスなどが世界をまたにかけて儲けました。
 こうした構造を、「中心」、「周辺」と言います。
 現在のグローバリゼーションにあっては、空間的な「地域」はなくなりつつあります。
 新たな「地域」として、日本においては非正規雇用の労働者という〈階層〉が作られたのです。
 
○現代の「価格革命」が引き起こした実質賃金の低下

「1970年代半ばに現代の『価格革命』が起こりました。
 すなわち資源価格が高騰したせいで、企業はそれまでのように利潤をあげることができなくなり、その利潤の減少分を賃金カットによって補おうとしたのです。」

「企業の利益と雇用者報酬とが分離し、2006年に至っては企業の利益はあがっているのに、雇用者報酬が減少するという現象が起きてしまったのです。
 こうした傾向は、データが存在する130年間の歴史において初めてのことです。」

「資本側はグローバリゼーションを推進することによって、資本と労働の分配構造を破壊しました。
 グローバリゼーションを進めた資本側は、国境に捉われることなく生産拠点を選ぶことができるようになったのです。
 資本側の完勝と言ってもいいでしょう。
 景気回復も資本家のためのものとなり、民主主義であったはずの各国の政治も資本家のために法人税率を下げたり、雇用の流動化といって解雇をしやすい環境を整えたりしているのです。」


 世界をまたにかける大企業が空前の利益を上げている一方で、労働者の実質賃金が下がっているのは、資本と労働の健全な分配構造がなくなり、資本の都合第一のシステムがどんどん進んでいるためです。
 そもそも、完全な自由競争の社会になれば〈分配〉という理念自体が邪魔ものでしかありません。
 資本家にとっての労働者の価値とは、安い賃金ではたらいてくれること、そして、モノを継続的に消費してくれることの二つです。
 大企業が果てしなく儲かれば、やがて社会の隅々まで潤うなどということは、原理上、あり得ないのではないでしょうか。
 多くの国民が潤い、希望の持てる生活をするためには、国民の生活に責任を持つ国家による適切な〈分配〉が欠かせないと考えられます。

○新興国の近代化がもたらす近代の限界

「13.6億人の中国人全員が、あるいは12.1億人のインド人全員が豊かになるわけではない」

「16世紀に近代が幕を開けて以来、約500年をかけて、2010年時点の先進国12.4億人は豊かになりました。
 この近代資本主義の特徴は、およそ全人口の2割弱にあたる先進国が、独占的に地球上の資源を安く手に入れられることを前提としています。」

「70億人のエネルギー消費をまかなえるだけの化石燃料は地球上にないのですから、全世界の近代化というのは不可能なシナリオです。」


 閉じられて限りある地球上の資源を有利に用いてきた一部の国のみが、ここまで豊かになりました。
 全世界の国がそうした先進国と同じように資源を用いて豊かになるための資源的余裕はもはや、地球のどこにもありません。

グローバル化と格差の拡大

「現在のグローバリゼーションで何が起きるかというと、豊かな国と貧しい国という二極化が、国境を越えて国家の中に現れることになります。」

「バブル崩壊のたびに企業がリストラを進めるため、先進国では中間層が最大の被害者となるのです。」

「現代のグローバル資本主義では、必然的に格差が国境を越えてしまうので、民主主義とは齟齬(ソゴ)をきたします。」


 このまま進めば、資本はますます膨れ上がるでしょう。
 格差は「豊かな国」と「貧しい国」という国家間だけでなく、同一国内の「豊かな人々」と「貧しい人々」の間にも存在し、これからますます大きくなることでしょう。
 グローバル資本主義の〈原理〉によってもたらされた格差を、〈原理〉をそのままにして解消できましょうか?
 ましてや、〈原理〉をより、押し進めることによって解消できるなどということがあり得ましょうか?

○中国バブルは必ず崩壊する

「余剰マネーは少しでも利潤の多く得られるところを目指して世界中を駆け巡りますから、どうしても新興国に過剰な投資が集まります。
 すでに中国では誰も住まないようなマンションが建ち並んでいるようですし、景気の減速によって過剰投資が危険視されています。」

「過剰生産となれば、中国の外側に中国の過剰投資を受け入れることのできる国はないので日本以上のバブル崩壊が起きるのは必然だと思われます。」

「17世紀のイギリスがそうであったように、21世紀の中国も供給力過剰の『デフレの時代』を迎えることになることでしょう。」

「資本主義は内在的に『過剰・飽満・過多』を有するシステムなのです。」

「もはやグローバル資本主義に対して、国民国家は対応不全に陥っている状態なのです。」


 膨れ上がり、国家の枠を超えた資本が「余剰マネー」となって、世界中に「過剰」な状態をもたらしています。
 それぞれ異なった〈事情〉を持つ「国民国家」が、こうした気ままな行動を、自分たちの安全と幸せのために統御できないとは、何と恐ろしい事態でしょうか。

○資本主義システムの覇権交代はもう起きない

「近代を延命させようとする21世紀のグローバリゼーションは、エネルギーが無限に消費できることを前提としていますから、16世紀以来の近代の理念と何ら変わりがありません。」

「近代の延長線上で成長を続けている限りは、新興国もいずれ現在の先進国と同じ課題に直面していきます。
 むしろ、グローバリゼーションによって成長が加速している分、遠くない将来に同様の危機が訪れるでしょう。
 すでに、現在、少子高齢化やバブル危機、国内格差、環境問題などが新興国で危ぶまれていることからも、それは明らかです。」

「もはや近代資本主義の土俵のうえで、覇権交代があるとは考えられません。
 次の覇権は、資本主義とは異なるシステムを構築した国が握ることになります。
 そして、その可能性をもっとも秘めている国が近代のピークを極めて最先端を走る日本なのです」


 これまでと同じく、グローバル資本主義を押し進めることによって本当に、私たちは安全と幸せが得られるのでしょうか?
 破綻し、高齢化率が45パーセントとなった北海道の夕張市では、お金をかける医療行為がガクンと減ったのに、市民の工夫と助け合いにより、お年寄りも病人も希望を持ち、見事に長生きしています。
 ローラーをかけるように〈事情〉を押し潰すグローバル資本主義的発想へ任せるのではなく、〈事情〉に対応する現場の人々の思いやりと叡智が生きるシステムによってこそ、私たちの困難は根本から解決され、安全と幸せを求める確かな歩みが可能になるのではないでしょうか。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「おん あみりたていせい から うん」※今日の守本尊阿弥陀如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=4OCvhacDR7Y





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン



2014
12.05

夢見の悪い高齢者のお話 ―健さん、文太さんの影響―

201412050001.jpg

 高倉健菅原文太が相継いで亡くなった今、還暦をとっくに過ぎた男性Aさんから、夢見についてのご相談がありました。

「このところ、巨大な滝の上に立って、滝壺を怖々(コワゴワ)見下ろしているような夢を見るようになりました。
 目を醒ますと、汗びっしょりになっていたりします。
 どういうことなんでしょうか?」

 怨霊が憑いたわけではなく、生活上の不安もありません。
 ただし、Aさんは高倉健の古いファンであり、菅原文太の講演が最近、突然キャンセルされたことを,、とても残念に思っておられました。
 やはり、自分の人生と深くかかわってきた人々の死去がこたえておられるのでしょう。
 
 人は死を厭い、生を望みます。
 心のどこかに他者の死と自分の死を切り離すはたらきがあり、無意識の裡に「自分は死なない」と思っているので、明日をあてにし、今日を生きられます。
 しかし、それは一種の自己防衛的な心理でしかなく、本当は、〈あの人の死〉は〈自分の死〉の明らかな予兆であり、〈明日〉どころか、〈一瞬後〉のいのちさえ何ら保証されたものではありません。
 さまざまな情報によって、次々と感覚が刺激され続ける覚醒の時間を離れて就寝している時、気づかされながら脇へ置いたままの真実が立ち上がり、不安となって象徴的光景を描いたのがAさんの夢なのでしょう。

 Aさんは家族思いであり、友情に篤いまっとうな方です。
 それだけに、死の〈切り放つ力〉に対する怖れも強いに違いありません。
 こんな時は、般若心経を読んだり、自分の守本尊様の真言を唱えたりするのも一法ですが、まず、行いたいのは、〈自分をかけられるもの〉を見つけることです。
 それも、誰か自分以外の人に喜びや幸せ感を与えられるものであれば最高です。
 何も、無理をして大げさなことを行うばかりが能ではありません。
 町内会で役割を果たすとか、道路のゴミ拾いを行うとか、あるいは、何かの被災地へ小さな手紙を添えて義援金を贈るといったことでも構いません。
 床に入り、天井を見上げる時、喜ぶ人々の顔を思い出したり、あるいは自分なりの満足感を確認したりしながら眠られるならば、滝壺の夢はきっと遠のくことでしょう。





 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「おん あみりたていせい から うん」※今日の守本尊阿弥陀如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=4OCvhacDR7Y





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン



2014
12.04

なお翔ぶは凍てぬため愛告げんため ―折笠美秋の凍てつかぬ愛―

201412040001.jpg

 俳人折笠美秋(オロガサビシュウ)は昭和57年、48才で筋萎縮性側索硬化症(ALS)を発症し、8年の闘病後、世を去った。
 現在のように機器が発達していない頃、微かに動かせる目と口のみを伝達手段とし、最期まで俳句を詠み続けた。
 そして残りの力を振りしぼり、書き取り続けたへこの句を贈った。

「なお翔ぶは凍てぬため告げんため」


 たとえ身体は動かずとも、心はなお、活動し続けている。
 凍てついてはいない。

のうち吹雪いているのかもしれぬ」
「いちにちの橋がゆつくり墜ちてゆく」
「目覚めがちなる碑あり我れに眠れという」


 死はすでに実感されつつある。

「微笑がの慟哭雪しんしん」


 がつくる笑顔に隠された嘆きも手に取るようにわかる。

 それでもなお、新聞記者を務めた強靱な精神はへこたれない。
 いのちがあるとは、魂が常に飛翔していることである。
 その力をもたらしているのはであり、飛翔は、そのへ応えるで終わっている。

「七生七たび君を娶らん吹雪くとも」


 幾度、生まれ変わろうと、いかに過酷な境遇であろうと、自分のは君しかいないと詠む。

「逢わざれば逢いおるごとし冬の雨」


 が目の前にいなくても、心身を凍らせるような冬の雨が降りしきっていようと、一緒にいるという安心感はびくともしない。

「ひかり野へ君ならに乗れるだろう」


 自分はすでにあの世に真冬を観ているが、これほどのを持った君ならきっと、自由なとなり、ヒラヒラと光明の世界へ入って行けるだろう。

「覚悟とは甘えのことぞ冬残照


 この句については、すでに、ブログ「覚悟とは甘えのことぞ冬残照 ─死を正面に観た俳人折笠美秋─」へ以下のように書いた。
 冬の残照は有無を言わせない。
 非現実的なほど圧倒的な赤紫。
 人の世が燃やされる火事を映すかのような葡萄色に染まった空は徐々に黒く塗りつぶされ、西の山のあたりに余韻を残しながら、残照は去る。
 そして、のっぺらぼうな闇がやってくる。
 血潮の流れる五体をかけて誓う覚悟という気負いなぞ、何の苦もなく塗りつぶされる。
 あまりに確かな死によって。

俳句思う以外は死者かわれすでに」


 折笠美秋には最期まで俳句があった。
 最期まで俳句にかけた。
 俳句をもたらす想念は、もはや、一個の生きものと化し、折笠美秋そのものになっていたのだろう。
 仏法が説く「五力(ゴリキ)」の一つである念力の真骨頂である。合掌




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「のうまく さんまんだ ばざらだん かん」※今日の守本尊不動明王様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=EOk4OlhTq_M





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン


2014
12.03

隠者と羊飼いの話 ―真の修行はどこに?―

201412030001.jpg
〈出張からの帰山〉

 チベットの僧院で用いられているという逸話が忘れられません。
 

 一人の隠者が山中の洞窟に籠もって修行しています。
 たまたま、通りかかった羊飼いが尋ねます。
「何をしているんですか?」
瞑想をしている」
「何を瞑想しているんですか?」
忍耐である」
 つかの間、沈黙が降りた後、羊飼いは、隠者の前を通って去ろうとします。
 その時、振り向きざまに隠者を怒鳴りつけます。
「地獄へ行ってしまえ!」
 羊飼いの背中へ木霊のような言葉が浴びせかけられました。
「なんだと!
 お前こそ、地獄へ堕ちろ!」
 羊飼いは笑い出しました。
「あなたは忍耐修行をしていたのではなかったですか」


 この逸話を知った時、ああ、自分のことだなあ、と心がシワシワになる思いでした。
 決して、他人様を怒鳴りつけはしませんが、かつては、妻が指示された内容をいつまでも理解してくれない時など、時間に追われ、怒鳴ってでも先へ進まねばならない場面がいくつもあったからです。
 また、幾度も、「住職から怒鳴られました。修行している人なのに」という話を耳にしていたからです。

 この逸話は重大な問題を孕んでいます。
 だからこそ、行者たちへ広く、知られているのでしょう。
 隔離された空間における〈修行の限界〉をよく考えねばなりません。
 僧侶になってから最も多く受けた質問の一つを挙げましょう。
「何年、修行されたんですか?」
 こうお答えしながら、やってきました。
「私は昼間、托鉢(タクハツ)で生きながら、夜、修行した夜間行者ですから、大したことはありません。
 ただし、本当の修行は皆さんと接している時間にあり、いつも真剣の刃渡りをしているようなものです」
 歩きつつ生きた者としては、いかに肉体的・精神的に厳しい修行であっても、与えられた特殊な時間と空間の中で行われるものは〈練習〉であり、〈本番〉はあくまでも、娑婆の方々と接する菩薩(ボサツ)行の中にあると考えています。
 だから、ご縁となる皆さんはすべて等しく、行者がまっとうな僧侶となるために大切な恩人なのです。
 皆さんが、僧侶を真の意味で育て、一人前にしてくださると信じています。
 経典は説きます。

衆生(シュジョウ)は福田(フクデン)である」


 生きとし生けるものが人間を向上させ、福徳を積ませてくださることを、田んぼにたとえています。

 もちろん、一定期間行われる、高度で密度の高い修行は大切です。
 何のために何を行おうとしているのか、という根本を理解、納得しなければ、修行は皆、上の空になってしまう虞があるからです。
 また、基礎訓練は、合理的である限り、厳し過ぎるということがないからです。
 それは、ドライバーが免許を受けるようなものです。
 心構えと腕がいいかげんであれば、ドライバー自身にとっても、周囲の人々にとっても、免許証は危険なものでしかありません。
 大切なのは、実際の運転にあって事故を起こさず、徐々に、安全運転ができるドライバー、誰かの役にも立ち、誰も傷つけないベテランドライバーに育って行くことです。
 
 こうした成り行きは、人間が生きるどの道にあっても、もちろん、僧侶の修行にあっても変わりありません。
 お互いに、心してやりましょう。
 独り善がりな〈隠者〉にならぬよう、気をつけながら。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「のうまく さんまんだ ぼだなん あびらうんけん」※今日の守本尊大日如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=LEz1cSpCaXA





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン



back-to-top
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。