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2015
05.31

サルビアや砂にしたたる午後の影 ―俳句と血潮と―

201505310001.jpg

 いよいよ明日から6月、と思ったら一足早く、サルビアの句が頭に浮かんだ。

サルビアや砂にしたたる午後の影」 (津川絵理子


 この句を初めて読んだ時、カルロス・クライバーが指揮するベートーベンの交響曲第五番『運命』を思い出した。
 突然、音が降ってくる、あるいは噴出する、そして圧倒的な存在感でそこに在る。
 視野を塞ぐほど巨大な黄銅鉱が振動しつつ黄金色の光を八方へ放っているような無敵さ……。

 サルビアの紅色はあらゆる光を自分の中へ取り込み、漏れ出させまいとしながらも光を漏らしてしまっている。
 まるで、あるかなしかわからぬほど極薄の肌の下にある血管のように息づいている。
 その紅色の氾濫は、水はけのよい砂地にまで及ぶ。

 結句の「午後の影(ご・ご・の・か・げ)」は、まさに「ダ、ダ、ダ、ダーン」である。
 水無月と称される6月は〈水の月〉であり、暑さと湿度と陽射しで生きものを奮い立たせる。
 紅色はそれを映す砂地まで脈打たせているかのようだ。

 作者は40才代でこの句を詠まれたものと思われる。
 いのちと血潮が漲っている。
 俳句を詠む私たちの霊性、ばんざい!




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「のうまく さんまんだ ぼだなん あびらうんけん」※今日の守本尊大日如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=LEz1cSpCaXA





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2015
05.31

口永良部島の噴火は何を告げているのか? ―東日本大震災被災の記・第165回─

201505310003.jpg
〈これが、ただ事であり得ようか〉

2015053100022.jpg
〈朝日新聞様よりお借りして加工しました〉

 口永良部島噴火は凄まじい。
 最近、地震火山の活動が活発になっているような気がしてならない。
 あれほど「未曾有」と言われた東日本大震災があってなお、発生間近とされていた〈宮城県沖地震〉が終わったのかどうか、議論は分かれている。
 関東でも、関西でも、遠からず巨大地震に見舞われると予測されていながら、老朽化した橋や道路などの強化はほとんど進まず、発想力も労力も財力も〈未来〉へと駆けている。

 そもそも、日本は地球の陸地面積のうち、わずか0・25パーセントしか占めていないのに、活火山の7パーセントが集中している世界で最も危険な国である。
 火山噴火予知連絡会長の藤井敏嗣・東大名誉教授は警告する。
「これからは、もっと大きい噴火が別の火山で起きることも覚悟した方がいい」

 日本は火山列島であり、地震国である。
 東の蔵王、関東の箱根に異変が生じ、西の口永良部島で大爆発が起こった。
 ただごとではないという感じがある。
 畏れの気持が起こる。
 そもそも「畏」は霊的・神的な力であり、私たちは古来、畏れる気持が起こる時は、異次元におられる神の意志をおもんばりつつ、身を慎んで来た。
 〝何をお告げくださっているのか?〟
 こう謙虚に問い、その圧倒的な力が動けば小さな人間一人の力などではとうてい抗し得ないことを知りつつ、気をつけ、慎む思いを持った。

 私たちは今、心底、畏れているだろうか?
 そして、何かの面で慎んでいるだろうか?
 東日本大震災のおり、古老の言い伝えなどに耳を傾け、自然の力を畏れ、気をつけていたがゆえに助かった方々はたくさんおられる。
 わずか4年前、そうした方々の思いや行動は報道され、語られてきたが、もはや、被災地を除く日本列島は〈どこ吹く風〉といった雰囲気ではなかろうか。
 地震、津波、原発事故、避難生活の後遺症に苦しみ、いのちを落とす方々が続出しているというのに……。

 日本列島をお守りくださる神々は何を告げておられるのか。
 何の到来に備えよと教え、いかなる高慢の危険について警告してくださっているのか。
 謙虚に問う心を失わぬようにしたい。
 



 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
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「のうまく さんまんだ ぼだなん あびらうんけん」※今日の守本尊大日如来様の真言です。
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2015
05.30

平成27年6月の行事予定 ―寺子屋・ゆかりびとの会総会―

20150530001100.jpg

 平成27年6月の行事予定です。
 当山の法務時間は午前9時~午後5時(お通夜などを除く)ですので、その時間帯にご連絡、ご来山ください。
 なお、本堂にてのお詣りは自由ですが、人生相談やご供養などは完全予約制です。必ず事前に日時のお約束(022-346-2106)をお願いします。
 また、葬儀堂『法楽庵』の受け付けは24時間可能です。022(739)8541へご連絡ください。

[第一例祭] 2015/6/7(日)午前10:00~

 護摩法を行います。
 お経の多くが読み下し文なので、内容がとても感じやすく、理解しやすくなっています。
 み仏と万物と万霊をご供養し、願いをかけましょう。
 その月の守本尊様をお讃えする「讃歎経(サンタンキョウ)」は、リズムが良くとても読みやすく、何度も口にしているうちに、だんだんと有難味がわかってきます。
 太鼓と共に般若心経を唱えましょう。
 自由参加です。
 み仏の智慧が輝く護摩の火に身を近づけ、悪しきものは焼き祓い、善き願いへ大きなご加護を受けてください。
 (願い事を書く護摩木供養は1体300円です)

・場  所 大師山法楽寺
・送迎申込 開始30分前に地下鉄泉中央駅そばの『イズミティ21』前へ送迎車がまいります。
 乗車希望の方は前日午後5時までに必ずご連絡ください。
(毎月第一日曜日午前10時から開催します)

2015053000012.jpg
高橋香温先生のご自宅で展示会がありました〉

[書道・写経教室] 2015/6/7(日)午後2:00~午後3:30

 髙橋香温先生は津波で被災されても書道一筋でがんばっておられます。
 先生の熱意と誠意を感じられる貴重な時間です。
 立春を期して、心新たにやりましょう。
 今月も、『舎利礼(シャリライ)』という72文字のお経を4文字づつ書きます。
 イス席もありますので、お気軽にご参加ください。

・場  所  大師山法楽寺
・指  導  高橋香温(温子)先生
・ご志納金 1000円(未成年者500円)
・送迎申込 開始30分前に地下鉄泉中央駅そばの『イズミティ21』前へ送迎車がまいります。
 乗車希望の方は前日午後5時までに必ずご連絡ください。
(毎月第一日曜日午後2時から開催します)

[第二十回瞑想講座] 2015/6/7(日)午後4:00~午後5:30

 清浄体操から、梵字の「阿」と一体になる阿字観(アジカン)まで、正統な瞑想法を伝授します。
 お大師様は経典を根拠にして、阿字観こそがお釈迦様の悟りへ入る最終的な方法であると説かれました。
 しかも、難しい本格的な方法のみならず「光と一体」の観想だけという略法でも、み仏そのものになれるのです。
 身体を整え、心を正す修行を実践しましょう。
 身体を締めつけず、ご本尊様の前で修行するにふさわしい服装でおでかけください。
 いつからでも始められます。
 イス席もご用意しますので、座れない方などもどうぞ心配せずにおでかけください。
 なお、正式な伝授なので、録画・録音はできません。
 清浄な姿と心でご参加ください。
 資料の準備などの関係上、参加される方は、事前に電話やファクスやメールなどでお申し込みください。

・場  所  大師山法楽寺
・ご志納金 1000円
・送迎申込 開始30分前に地下鉄泉中央駅そばの『イズミティ21』前へ送迎車がまいります。
 乗車希望の方は前日午後5時までに必ずご連絡ください。

[『法楽農園』の草取り] 2015/6/7(日)午前6:00~午後4:00

 おかげさまにて、今年も無事、田植えと第一回目の草取りが終わりました。
 今年はササニシキを植えたので、大いに楽しみです。
 さて、除草剤を用いない自然農法においては第二回目の草取りが正念場となりますが、稲の根元から生える雑穀なので第一回目のように機械では対応できず、どうしても手作業になります。
 つきましては、一人でも多くの方々に、たとえ30分でも、お手伝いいただきたく存じます。
 どうぞよろしくお願いします。

・場  所  『法楽農園』 大和町宮床字中野84―2
       (当山のすぐ近く、セブンイレブンさんから車で1分です)

[第六十四回寺子屋『法楽館』 映画『ホタル』の鑑賞と懇談会]
 2014/6月13日(土)午後1:00~3:30

 高倉健は亡くなる13年前、自ら望んで映画『ホタル』を撮りました。
 太平洋戦争当時、知覧基地近くで食堂を営み、若い特攻隊員から母のごとく慕われていた鳥浜トメさんの話にうたれた高倉健は、「特攻とは何だったのかを問う映画を作りたい」と願い、降旗康男監督へ相談しました。
 そのおり、いくつもの特攻隊関連の映画に出演してきた高倉健は言いました。
「忠君愛国を信じて飛び立つ映画の中の若者と、トメさんの話は全然違っていた。
 本当のことを伝えずにギャラをもらい、そのまま死んでいくのは嫌だ」
 高倉健は、厳しい検閲を通り抜けた輝かしい特攻隊員の手紙や遺書とは異なるところにある苦しみに感応したのでしょう。
 監督は述懐しています。
「これはまた随分面倒な話を持ってきたな、と感じました。
 しかし、同時に、絶対にやらなきゃいけないテーマだとも思いました。
 これは高倉健がいなければ実現しなかった映画なんです。」
 もちろん、日本のためになるという信念で飛び立ち、鬼神のごとき勢いで突進した若者は多かったことでしょう。
 しかし、厳しい検閲を受ける手紙には到底書けない心の奥底を信じられる仲間や鳥浜トメさんなどへ言い遺し、あるいは託して散った若者たちも少なかったはずはありません。
 それは、迷いや疑問や反抗や探求や希望、あるいは不安や絶望が渾然一体となってどんどんとエネルギーを増しつつあった私たち自身の青春時代を思い出せば、すぐに想像がつくことです。
 高倉健の魂へ伝わった「本当のこと」とは、知性と情念の渦にあって生き、死んだ若者たちの膨大な〈実際の思い〉のうち、手紙や記録に記されて歴史を成す事実から〈漏れた〉事実ではないでしょうか。
 高倉健が演ずる年老いた特攻の生き残り山岡秀治(『昭和残侠伝』の花田秀次郎を思い出す)は、韓国人として堂々と散った金山文隆少尉の遺品を届けるため、余命いくばくもない妻(少尉の元許嫁)を伴って韓国へでかけます。
 待ち構えた親族に厳しい言葉を投げかけられますが、ぐっとこらえ、尊敬する少尉と語り合った最後の場面を誠実に伝え、御守を渡します。
 一方、山岡秀治と同じ特攻の生き残り藤枝洋二は、昭和の終わりに合わせ、八甲田山で自らいのちを断ちました。
 孫・真実は遺された日記を山岡へ見せ、物語が展開するのです。

※毎月第二土曜日に開催します。
※いつも時間が不足して、お話し合いをする時間が足りませんので、今月から、スタート時刻を30分、早めました。ご了承ください。

・場  所 法楽寺講堂
・ご志納金 1000円
・送迎申込 開始30分前に地下鉄泉中央駅そばの『イズミティ21』前へ送迎車がまいります。
 乗車希望の方は前日午後5時までに必ずご連絡ください。
(毎月第二土曜日午後1時から開催します)

[第二例祭] 2015/6/20(土)午後2:00~3:00

 護摩法を行います。
 お経の多くが読み下し文なので、内容がとても感じやすく、理解しやすくなっています。
 み仏と万物と万霊をご供養し、願いをかけましょう。
 その月の守本尊様をお讃えする「讃歎経(サンタンキョウ)」は、リズムが良くとても読みやすく、何度も口にしているうちに、だんだんと有難味がわかってきます。
 太鼓と共に般若心経を唱えましょう。
 自由参加です。
 み仏の智慧が輝く護摩の火に身を近づけ、悪しきものは焼き祓い、善き願いへ大きなご加護を受けてください。
 (願い事を書く護摩木供養は1体300円です)

・場  所 大師山法楽寺
・送迎申込 開始30分前に地下鉄泉中央駅そばの『イズミティ21』前へ送迎車がまいります。
 乗車希望の方は前日午後5時までに必ずご連絡ください。
(毎月第三土曜日午後2時から開催します)

[『ゆかりびとの会』総会] 2015/6/21(金)午前10:30~午後2:00

 新年度を迎え、平成27年度総会を下記の通り開催いたしますので、皆様方にはご多様とは存じますが、ご出席くださいますようご案内申し上げます。
 なお、総会出席の取り扱いを次のようにさせて頂きます。
○総会出席の方…総会出席連絡所に記入のうえ、電話・ファクスまたは郵便にて6月12日(金)まで連絡くださいますようお願いいたします。
○総会欠席の方…連絡は不要といたします。なお〝総会議決に関する事項は議長に委任する〟の取り扱いとさせて頂きます。
□連絡所送付先…法楽寺内事務局 鈴木康市まで
□送迎希望の方…午前10時に、イズミティ21前へ送迎車が参ります。希望される方はお申し込みください

・場  所 大師山法楽寺講堂

お焚きあげ 2015/6/27(土)午前10:00~11:00

 お不動様のご縁日に、お不動様の前で「供養会」を行い、「お焚きあげ」を行います。
 人形や仏壇や写真など、燃えるものも、燃えないものも大丈夫です。
 一緒にお不動様のお経を読み、真言を唱えましょう。
お焚きあげをご希望の方は、必ず電話などで日時を連絡の上、お品をご持参、あるいはお送りください。
 当日とは限らず、受け付けは毎日、行っています。
(毎月最終土曜日午前10時から開催します)

[機関誌『法楽』の作製] 2015/6/29(月)午前9:00~

 講堂にて、機関誌『法楽』を作り、機関紙『ゆかりびと』と共に発送しますので、ご協力をお願いします。
 『実語教・童子教』も共に学びましょう。
 おかげさまにて、『法楽』は第305号、『ゆかりびと』は第168号となりました。

・場  所 法楽寺講堂
(毎月最終月曜日午前9時から開催します)

[隠形流(オンギョウリュウ)居合道場]

 仏法に生きる身と心をつくるために行います。 
 九字を切り、守本尊様のご加護をいただく密教独自の剣法です。
 高齢者の方々や女性が多く、厳しいながらも和気藹々(ワキアイアイ)と稽古しています。
 入門ご希望の方は、事前に連絡の上、まず、見学してください。

・日  時 毎週金曜日 午後7:00~9:00
・場  所 仙台市旭ヶ丘青年文化センター

◎清掃奉仕

 毎週金曜日、ご縁の方々が最も多くおでかけになられる土曜・日曜の前日に、境内地などの清掃や草取りなどを行います。
 皆さんのご都合に合わせて、何時でも自由にでかけられ、大きな徳積みをされてはいかがでしょうか。
 その日ごとに作業のポイントを貼り出しますので、ご覧の上、どうぞご参加ください。
 どなたでも参加できます。

・日  時 毎週金曜日午前9時~午後5時
・場  所 法楽寺境内地など




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
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「おん さん ざん ざん さく そわか」※今日の守本尊勢至菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。

https://www.youtube.com/watch?v=qp8h46u4Ja8





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2015
05.29

死んでも残るものは何? ―死後を考える小学生―

20150529043.jpg

 小学生A君に訊かれた。
「和尚さん、死んでも残るのは何?」
 いきなりの質問にとまどった。
 霊魂、自分、思い出、……。
 どれも〈実体〉と思わせてはならない。
 歴史、……。
 まだ、難しすぎる。

 学生の頃に読んだマンガ『忍者武芸帳 影丸伝』(白土三平)のラストシーンを思い出した。
 影丸は言う。
「わしが死ねばその後をつぐ者がかならずでる。
 破れても人びとは目的に向かって多くの人が平等にしあわせになる日まで戦うのじゃ。
 そしてやがて武士も百姓もない世の中がくる……百年先か、先年先か……きっと、くる。」
 熱く、激しく、生きるくの一たちも輝きつつ、死ぬ瞬間まで自分の道を貫く。
 明美は愛のために、逃げず、刺されても、斬られても走り抜き、斃れる。
 蛍火は敵を倒すため「忍者は術に生きる。死しても、もし術が残れば生きることになる」と最後まで術にかける。
 昭和35年、東京都貸本組合連合会が行った漫画家ベストテンにおいて、代表100人のうち82人が白土三平を第一位に推している。
 以下、総合得点で第二位が長谷川町子、第三位が手塚治虫である。
 当時は安保闘争のあった〈政治の時代〉であり、左翼運動の闘士に重ねて読んだ向きも多かろうが、共産主義にはっきり疑問を抱き、生き方が見つからなかった小生のような学生へも、白土三平の思いは、はっきりと届いて来た。

「――記憶だよね。
 俺、みんなに覚えておいてもらいたいんだ」
 A君は自分で答を出した。
 ネットでたやすく〈知られる時代〉になった以上、知られないで死ぬことは、すでに小学生にとっても耐え難いのか。
 テレビの電波に乗せられたならば、ネットの有名人になれば、それが最高の生きた証なのか?

 慌てて軌道修正をはかる。
「他人に知られるかどうかよりも大切なのは、君がどう生きるかということさ。
 君がちゃんと生きていれば、そのことを君自身が知っている。
 家族や友だちにも、わかってもらえるだろう。
 君のよい行いに感動したり、感謝したりした人はきっと忘れないよ。
 ここから始めなきゃ。
 有名になるかならないかは、あくまでも結果さ。
 有名になることそのものを目的にすると、道を誤るかも知れないよ」
 脚光を求めての愚かな行為が日々、マスコミに流れていることを念頭に話したら、A君は今、野口英世を勉強しているという。
野口英世は、自分の手が治ったことから医学や細菌学を目ざして、人々のために一生を捧げたんだよね。
 誰かのためになる、自分をかける、ということが一番大切な生き方だよ。
 そうして一生懸命にやっていれば、きっと、君のことを本当に忘れない人たちといい縁ができるよ。
 私には忘れられない恩人や尊敬する人たちがいっぱいいるし、私のことを忘れないでいてくれる人たちもいると思う。
 しっかり勉強して、いいことができる人になろうね」

 幸いにして、A君は死を思い詰めているのではなく、未来の人生の先までイメージしようとしているようだ。
 情報化時代の落とし穴に堕ちず、まっとうに成長して欲しいと願ってやまない。




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2015
05.28

日本が戦争をする時、小学生はどうするか? ―寺山修司の「祖国」―

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 お祖母さんの年忌供養が終わり、皆さんがゾロゾロと本堂から出られる時、足を止めた小学生とおぼしきお子さんから突然、訊かれた。
「和尚さん、日本は本当に戦争をする国になるんですか?」
 驚きながら答えた。
 ご両親も真剣な顔で後に立っている。
「少なくとも、『絶対に戦争をしない国』という看板を下ろそうとしていることだけは確かなようだね。
 もちろん、お国を動かしている政府の人たちは、『戦争にならないための準備をしている』と言っているけれど、ほとんどの戦争は、自分の国を守るということを理由に掲げて始められた歴史を忘れてはいけないと思うね」
 そして、伏し目がちで黙った少年へ質問してみた。
「もしも、日本が戦争をする国になったら君はどうする?」
 即答が返って来た。
「ぼく、どこか他の国の人になるよ」
 二度、びっくりである。
 ご両親はごく普通の仕事をしている庶民的な方々である。
 世界をまたにかけて飛んで歩きもしなければ、社会的役割を放棄して知らん顔をするような無責任な方々でもない。
 いわゆる左翼的思想に強く傾いた考えを持っておられるとも思えない。
 そうしたごく普通の家庭環境にあるお子さんが平然と、しかも、何か確信めいたものを持って国を捨てると語る場面は見聞きしたことがなく、「そうか……」と応じるしかなかった。
 もちろん、社会に生きる人間には権利も義務もあるといった〈説教〉はチラリと浮かんだが、このお子さんはそんな理屈を遥かに超えた地点に行ってしまっており、今、口にしたところで何の意味もない。
 それにしても、小学生に国を選ぶという発想があるとは……。

 寺山修司の歌が脳裏に浮かんだ。
「マッチ擦るつかのま海に霧深し身捨つるほどの祖国はありや」
 敗戦後13年が過ぎ、日本中が復興にかけていた時代、22才の彼はこの歌が載った第一歌集『空には本』を発行する。
 触発された本歌は、昭和16年、太平洋戦争開戦の年に中国を転戦していた富沢赤黄男が詠んだ「一本のマッチをすれば湖(ウミ)は霧」である。
 寺山修司の名を知らしめた有名な一首であり、さまざまな解釈が行われているが、土台が崩れ行く先の見えない国家社会そのものの不安と青年期特有の不安とが重なり合って生まれたのだろう。
 彼は、この一身をかけて悔いなきほどの日本はあるのだろうか?と自分へ答のない問いを問いかけ、あとは霧に任せた。
 しかし、それから半世紀、少年はこともなげに、戦争をするくらいなら祖国を捨てると言う。

 こんなことを考えていたら、すぐに逆襲された。
「和尚さんはどこの国がお勧めですか?」
「そうだねえ、世界には、サンマリノ共和国といった戦争をする軍隊がなく、世界一長寿な人びとの住む国もあるよ。
 でも、いざという時は隣のイタリアに助けてもらうしかないし、何度も他国から占領されているよ。
 スエーデンでは税金が高いけれど福祉をしっかりやっているよ。
 でも、お年寄りは安楽死する慣習があるし、30人に1人は軍人として国を守っているし、お金持ちになりたい人は他の国へ出て行くという話もあるから、よく調べてみようね。
 一番、大事なのは、住む国を選ぶよりもまず、自分がどういう人になるか、ということじゃないかな。
 よく勉強してみようね」
 ご両親はホッとした表情で頭を下げた。
 お子さんの頭をなでて送り出しながら、若い世代の知力と情報量に感心した。
 ――自分が小学生の頃は、洟をたらし、かけっこして遊んでいた記憶しかないのに、この少年は自前の選択肢を持っている……。




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2015
05.27

私たちはなぜ、輝けないか? ―尊者アジタの問い―

20150527041.jpg

 尊者アジタは申し上げた。
「この世の人びとは何に覆われているのですか。
 この世の人びとはどうして輝かないのですか。
 何がそれ(=この世の人びと)を汚すのですか。
 そもそも何がそれ(=この世の人びと)の大きな恐怖なのですか。
 あなたは説いてください。」
 世尊はお答えになった。
アジタよ。
 この世の人びとは根源的な無知で覆われている。
 物惜しみと怠りによって[この世の人びとは]輝かない。
 貪りが[この世の人びとを]汚し、苦がその[この世の人びとの]大きな恐怖であると、私は言う。」

○私たちは根源的な無知に覆われている

 根源的な無知は、無明(ムミョウ)すなわち智慧の明かりがない状態である。
 無明とは、縁起(エンギ)を知らないことである。
 この世のすべては因縁によって仮そめに生じ、必ず滅してゆくことが腑に落ちていないと二つの執着心が生まれる。
 (ガ…自分)と処(ガショ…自分の所有物)に対する執着心は、あらゆる悪行(アクギョウ)に走らせ、悪しき結果をもたらす悪業(アクゴウ)を積ませる。
 悪業四苦八苦となって表面化する。
 
○物惜しみし、怠惰になれば輝かない

 (ガ)と処(ガショ)にしがみつけば、皆、惜しくなる。
 汗を流したくない、施したくない、怠けたいといった心でいれば、何もかも所有していて豊かであると錯覚するが、それは、せいぜい、ネズミが穴を塒(ネグラ)として生きているようなものでしかない。
 人が人として輝くのはどういう場合か?
 誰かのためになり、誰かに喜ばれている時ではないか?
 施すために努力している人こそが輝いている。
 そうした人の徳が周囲に喜びを生み、喜びが光となってその人を包む時、その人は輝くのではないか。

 糸井重里氏はコピーライターをやめたと言う。
「エルメスにキャッチコピーはないですよね。
 よいコピーをつくることと、売れるものをつくることは別。
 よくないものをコピーで売るなんて、やめたほうがいい。」
 では何をやっているか。
「売る名人じゃなくて、売れるに決まっているものをつくっています。」
「使う人に喜んでもらえるか、考えぬく。
 喜ぶ姿が光景として浮かびあがらない商品は、ダメですね。」(5月25日付朝日新聞)
 氏はまぎれもなく、輝いている。
 
○貪る者は汚れている

 貪っている時の姿はハイエナも人間も同じである。
 生存欲の燃焼は確認できるが、霊性は輝いていない。
 野性の生きものは生きることがすべての世界で美しく見えたりもするが、人間は違う。
 獰猛なワニや狡猾なネズミの脳に左右されたままの人間が美しいはずはない。
 貪る自他の汚れた姿を見落とさない心と視点を失わないようにしたい。

○苦は恐怖である

 四苦八苦の根本原因は、根本的な智慧が眠ったままの無明にある。
 お釈迦様はそれを見抜き、明確に説かれた。
 自分の愚かさが自分へ苦をもたらし、他者へも苦をもたらしていることに早く気づきたい。




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「おん あらはしゃのう」
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2015
05.26

開かれた仏教と市場経済の話

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 お釈迦様は説かれました。
宗教市場経済と同じであり、市場における自由売買にたとえられる」

 市場で野菜を売り買いする際に、社会的地位は問題になりません。
 売り手は買い手の身分を訊ねてから売りはしないのです。
 買い手もまた、売り手の人物とは無関係にモノを買います。
 お釈迦様は、宗教も同じであるとして、相手が王であろうと売春婦であろうと、等しく相手に必要な法を説かれました。

 バラモン教は師拳(シケン)と称し、社会的階級に合わせた宗教行為を行います。
 師の拳に隠された秘儀は階級によって選ばれた特定の人にしか明かされませんが、お釈迦様は相手を選ばず、最善を尽くされました。
 最善の手立ては、後に「方便」という仏教語となり、方便は万人に明かされ、与えられています。

 一方、お釈迦様は、宗教を医療行為にもたとえられました。
 熱冷ましや咳止めが与えられ、それを自分でまじめに飲み、指示に従って安静にしていれば風邪を治せます。
 しかし、外科手術が必要なら、技術のある執刀医に任せるしかありません。
 患者の理解と努力が関われる範囲は、病気の内容によって大きく異なります。
 それと同じように、求め、救われる道筋は万人に開かれていますが、どのように救われ得るかは千差万別です。

 教えは自由に選べるし、与えられるべきですが、求める人により、与えられる内容にはおのづから違いも限度もあります。
 5才の子供へ10才用のオモチャが与えられれば、使えず、壊すだけでなく、ケガをするかも知れないのと同じです。
 だから、それを見極める側の役割と責任は小さくありません。
 僧侶は必要な内容を説かなければ救えず、あえて説かなければ罪とされる一方で、相手の能力を超えたものを与えるのもまた、罪となります。

 こうした理由により、当山の人生相談は袈裟衣をまとい、三礼(サンライ)に始まる修法に入ってから行います。
 ちなみに、三礼とは、み仏と、教えと、み仏と教えを学び守り伝える人々、すなわち三宝を尊び、帰依(キエ)する礼拝です。

 仏教は、誰でもが求め、手に入れられる教えであり、救いです。
 しかし、教えも修法もお金に換算できず、いかにやりとりされるかは、み仏のご判断を仰ぐ行者に委ねられます。
 一方、三宝へ対する誠意として差し出されるお布施は、求める側の価値判断と経済事情に委ねられます。

 だから、お釈迦様が市場に例えてその開放性を説かれた仏教は、現実の市場経済に乗って売り買いされるべきものではありません。
 そもそも宗教は、一人一人が自分で心へ問い、人間へ問い、自然へ問い、世界へ問い、仏神へ問い、死者へ深く深く問うところからしか入れない世界ではないでしょうか。




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 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
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2015
05.25

樹木葬『法楽陵』は個別型で永代供養宮城県初です

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〈上記はイメージ図であり、実際は、豊富な天然石と樹木に囲まれた大きな墓域になります〉

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 好評の自然墓に、一人用の個人墓『法楽陵』を設けます。
 永代供養です。
 正面に笹倉山を望むなだらかな丘に芝を貼り、周囲は大きな自然石と、四季おりおりの変化に富んだ招霊木 (オガタマノキ)や桜や紅葉など多様な樹木で囲われます。
 実際にお納骨をしてから13回忌を迎えるまでの年間管理料込みで30万円。
 お納骨をするまでの年間管理料はかかりません。
 また、法楽寺のご本尊様である大日如来にお導きいただく時期となる13回忌に住職が墓地で修法し、その後、一番奥にある専用共同墓へお移しし、永代にご供養申し上げる費用も含まれます。
 この他に必要なのは、カロートを覆う御影石にご希望の文字を彫りたい場合の彫刻料と、墓地の横に設ける大きな掲示板へご希望の文字を表示する場合のプレート代のみです。
 芝生の生育を第一にし、お申し込みをお受けしてから芝生へカロートを造りますので、まず第一期として10区画を募集します。
 どうぞ、資料をご請求ください。
・電話:022(346)2106 ※午前9時より午後5時まで
・ファクス:022(346)2107
:メール:ryuuchi@hourakuji.net




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2015
05.25

家出する詩 ―若人へのある期待―

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 俳人中村苑子は少女の頃に家出を決意した。

故里

生きくる幾年
わが故里
出でむと思ひし今日なり
天城の山を眺むる我はも
故里捨てむと思ひ
幾日月睦みし人を
忘れんとはすれど
忘れかねつつ
ふと見やる心はむなし
ひろびろと
澄める秋空


 若き日には心の飢餓感がある。
 ここにいたままでは満たされないという不安や不満や予感もある。
 肉体の飢餓なら食事で消えるが、心の飢餓は何によって去るか、本人にもわからない。
 心が彷徨うだけではおさまらず、〈ここ〉にいるのに〈居場所〉を探す。
 そして、家を出る。
 故里を捨てる。
 行く先の茫漠たる広さだけが、あてもないのに、希望の受け皿となる。
 
 さて、フランスの社会学者ミシェル・ウェイビオルカ氏は、4月25日付の朝日新聞において、人と人とを「人種」や「文化」という言葉で分断しようとする思想・風潮の危うさを指摘している。

「必要なのはお互いに知り合いになることです。
 ある学校に貧しいイスラム教徒の子供しかいなくて、別の学校には中流家庭のユダヤ人の子供だけ、また別の学校には外交官や大企業のアメリカ人子弟しかいない。
 そんな風だと、みんな一緒に過ごした場合のようには、寛容で民主的になりにくい」

「異なる文化にこういう立場を採ります。
『私はあなたの特殊性を認める。あなたは私たちの文化の中で存在する権利がある』とした上でこう付け加えます。
『しかし、普遍的な価値は受け容れなければならない』

 例を挙げましょう。
 以前、アフリカのマリ系の移民の間で行われていた女子割礼について、フランスで問題になった。
 これは野蛮な行為です。
 普遍的な価値に反します。
 当事者たちには『あなたにはあなたの文化と共に暮らす権利はある。しかし、限界がある。女子割礼はそれを超える。ただ、それをわかってもらえるよう説明します』と」

「ほどほどの多文化主義というのは説明する多文化主義です。
 相当な時間もお金もやる気も民主的な精神も必要。
 しかし、この方向で進むしかないでしょう」


 今後、世界が一つになってゆく過程においては、無数の問題が出てくるに違いない。
 そうした場面では常に、先入見の縛りから離れた眼力と、柔軟な感受性や思考力、そして解決を目指して諦めない粘り強さが求められよう。
 それらは主として若い方々にある。
 異文化の人々と知り合いになり、お互いの文化の特殊性を認めつつ普遍的な価値について議論し、民主的な精神から離れず、多様で千変万化する状況へ勇敢に挑んで欲しい。
 年配者は、無謀さが何を招くか、頑なさが何を招くか、無慈悲さが何を招くか、思考停止が何を招くか、力に頼る安易な対立への傾斜がいかに危険で愚かしいか、これらのことごとを体験として語ればよいのではないか。
 
 中村苑子は87才で死を迎えるまで、この詩が納められた『表紙のとれた手帖』を持ち歩いていた。
 ならば、私たちはまっとうに老いるため、何を持ち歩こうか?




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2015
05.24

真智の開発をめざして(その17) ─他者の善行に感応する心─

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 五智如来のお智慧の内容を、私たちにわかりやすく説かれたのが「優しさ・厳しさ・正しさ・優雅さ・尊さ」という教えです。
 私たちの心にある仏心がきちんとはたらけば、み仏の光が発し、妄知(モウチ…おかげさまと心の底から思えない惑った心)も邪知(ジャチ…万事を我がためとするよこしまな心)も消え失せます。
 さて、今回は「優雅さ」について考えてみましょう。

2 善行者を讃歎する

 私たちが、餌や縄張りを争って醜く牙をむき出し、血を流す獣たちと違い、相手のためを思い合う優雅で穏やかな人間らしい心性を発揮しながら生きるためには、善行の人を素直に誉め称えられなければなりません。
 他人のき行いを見聞きして、自分が恥ずかしくなったり、相手が神々しく感じられたり、涙が滲んできたり、希望を持ったりする心を失わないようにしましょう。
 貶したり、無視したり、反発したりといった反応では情けないというしかありません。
 また、しきものを誉め称えてはなりません。

 ここで考えねばならないのは、そもそも、何がで何がかという問題です。
 慈雲尊者(ジウンソンジャ)は明確に述べました。

仏性(ブッショウ)に順じて心を起こすをといい、これに背くをという。
 本性に身口意(シンクイ)相応すれば十おのずから全きなり。」


(私たちが本来的に持っている〈み仏の子〉としての清浄な心の核に従って発せられた心のありようを善と言い、その核に背いて発せられた心のありようをという。
 人間が人間たる本来的な性根、性分に相応して身体と言葉と心がはたらけば、み仏が説かれた十の善き戒めは達成される)

 修法する身としては、経典に説かれている仏性を求めて心を深めて行けばすっかり解き放たれた状態となり、そこは「霊性の庭」とでも呼べるのではないかと感じています。
 この庭に立って行動しても、語っても、思っても、それ以外にありようはないので、普通のモノサシで白黒を判断するような意味での善ももありません。
 しかし、そここそが人間が人間であることを証す場であり、慈雲尊者が説かれた「善」は、この世界のことだろうと考えています。
 仏性霊性の「性」は決して観念的な文字ではなく、一身に実証できる〈本来性〉なのです。

 慈雲尊者はこうも説かれました。

「善は常に仏性に順ず。
 は常に仏性に背く。
 法として是の如し。
 ただ迷う者が迷う。
 知らぬ者が知らぬばかりなり。」


 最近、ドローンを飛ばし、他人や社会への迷惑を考慮しない少年(15才)と、その行為につながる人々の問題が報道されています。
 善悪の判断や法律の網を超えて広がったネット社会は、面白ければよい、ワクワクすればよい、珍しければよい、儲かればよい、目立てばよい、といったレベルの行動を広げつつあります。
 そこでは、自分の〈心の波の大きさ〉と、社会の〈反応の大きさ〉のみが問題であり、倫理は崩壊して行きます。

 また、親や配偶者の死を隠して年金を不正受給する事件が後を絶ちません。
 公私の別うんぬんという前に、人間は一人残らず〈おかげさま〉によって一生を生き抜く社会内存在であるという認識が消えて、死を個人的なものとしか考えられなくなった心の荒廃が背景にあります。
 また、最近、亡くなった妻のお骨を一部、スーパーのトイレに廃棄した男(68才)が逮捕されました。
 生前に苦労をさせられ、憎んでいたというのが男の言い分です。
 生まれる、死ぬ、といった人間の尊厳にかかわる決定的なできごとすら、損得勘定や憎しみといった感情と同列に置く社会は薄ら寒く感じられます。
 葬送に関することごとを壁や石に刻んだ古代人の温かな思いはどこへ行ってしまったのでしょうか。

 医学博士宮城音弥氏が『霊―死後、あなたはどうなるか』にこう書いたのは平成3年です。
「現代の日本には慣習的宗教はあっても、宗教心は希薄である。」
 宗教が消えれば倫理は基盤を失い、好き嫌いや激情が主役となり、善も悪もあまり意識されなくなります。
 それは、誰もが幸せを手に入れられなくなることを意味します。
 
 他者の善行に魂が震わされ、自分を省みられる人間であり続けるためには、自分の仏性を感得する必要があります。
 そのための導きが十善戒です。
 自分に「不殺生(フセッショウ)」と言い聞かせていれば、生きものを救う人の尊い行為に心が反応します。
 自分に「不瞋恚(フシンニ)」と言い聞かせていれば、じっと忍耐する人の尊い行為に心が反応します。
 何としても「ただ迷う」ばかりでなく、「知らぬ者」のままで過ごさぬよう、学びたいものです。




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2015
05.23

懺悔から救いへ ―普賢菩薩と即身成仏―

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 私たちは時として、自分の愚かさのゆえに自他を苦しめる行為に走り、「何てことだ……」と情けなくなります。
 あるいは、夜半、取り返しのつかない罪科を思い出して、「すまなかった……」と眠れなくなったりします。
 そうしたおりには、普賢菩薩様の経文が思い出されます。

「一切の業障海(ゴッショウカイ)は、皆妄想(モウゾウ)より生ず。
 若(モ)し懺悔(サンゲ)せんと欲せば、端坐(タンザ)して実相(ジッソウ)を思え。
 衆罪(シュザイ)は霜露(ソウロ)の如(ゴト)し、慧日(エニチ)能(ヨ)く消除(ショウジョ)す」

(あらゆる悪しき行為の影響力による悪しき結果の数々は、すべて、真実でないものを真実であるとする勘違いや、真理に背いた勝手な考えによって生まれる。
 もし、懺悔せずにおれなくなったならば、じっと座り、普段、見聞きしている世界の奧にある真のありように思いをいたすべし。
 そうすれば、さまざまな罪科は、朝陽を浴びた草の葉の露のように、明るい智慧の陽光の中で消え行き、心から取り除かれるであろう)

 何とありがたい教えでしょうか。
 自分の苦しみも、誰かへ与えた苦しみも、すべては真理・真実をきちんと観ていない自分の愚かさに発しているのだから、落ち着いて思いを凝らし、観る心の目が開きさえすれば、救われると太鼓判を押してくださっています。
 しかし、凡夫である私たちは、〝そうか〟と立ち止まってみても、真理・真実は簡単に明らかになってくれはしません。
 自己本位な自分はそのままだからです。
 そこで、み仏の〈示された世界〉が心の目を開くきっかけになります。
 
 昔、当山のある大和町宮床へ落ち着いて間もなく、地元のAさんにフキノトウを探しに連れて行っていただいたことがあります。
 初めての小生には、ただ、ところどころ雪の残った枯葉などしか見えていないのに、Aさんは「住職、ほら、そこにもあるよ」と指さします。
 エッと思ってそのあたりを手探りしてみると、枯葉の下に瑞々しいフキノトウがありました。
 
 このように、先んじて観てくださったみ仏は、フキノトウがあることと、探し方をお示しくださいました。
 それが経典です。

 では、フキノトウは何か、それが仏性(ブッショウ)です。
 私たちの心の奧へずうっと降りていってみると、必ず、霊性を感得できます。
 途中には、怨みや怒りや破壊願望や怠惰な気持などの悪心はあっても、それらは皆、本ものではありません。
 怨んでいる時は苦しく、怒りは必ず長続きせず、破壊しても心は晴れず、怠惰なままでは生き生きとした時間はありません。
 しかし、霊性に至ると、〈そのままでいる〉ことに何らの支障がなく、生き生きしてきます。
 これが本ものである証拠です。
 つまり、私たちは誰一人の例外もなく、み仏の心すなわち仏性を分けいただいたみ仏の子なのです。

 探し方は何か、それは空(クウ)を観ることです。
 私たちは普段、自己中心的で、勝手な欲に引きずられているために、つまらない枯葉を眺め、手に取り、ああだこうだとやっています。
 しかし、フキノトウを知っている人は、野原における枯葉の姿形や落ちている位置や湿り具合や重なりようなどを眺めてその下にあるフキノトウが探せるように、仏性を感じ、確信できる人は、枯葉である現象世界を参考に学ぶことはあっても、決して惑わされません。
 私たちが、好きだ、嫌いだ、知ったこっちゃない、と勝手に執着しようとしまいと、ありとあらゆるものは変化しつつ、とてつもない調和と創造の世界を紡ぎ続け、私たち自身も又、まぎれもなくその一部なのです。
 世界を調和の面から図で示したのが胎蔵界マンダラであり、創造の面から示したのが金剛界マンダラです。
 マンダラを眺めることは、空を実感し、自分を空の中へ溶け込ませる道です。

 このように、仏性のままに空を生きられるようになるのが、お大師様の説かれた即身成仏(ソクシンジョウブツ)であり、そこでは智慧と慈悲が完成しています。
 懺悔は実に、その入り口です。
 大いに、悩み、苦しみ、後悔し、そして、教えに光明を見出しましょう。




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2015
05.23

『ご加持の会』は無事、終わりました

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〈ご加持法を修法された龍慧寺室田龍慧師〉

 おかげさまにて、善男善女の願いを込めた『ご加持の会』が無事、終了しました。
 全国でこうした会を行っている室田龍慧師は、説法から修法の終了まで約2時間かけ、皆さんの願いに応えられました。
 その間、小生はずっと、お不動様の前で弘法大師法を結んでいました。
 守本尊法と弘法大師法の中で過ごされた皆さんはどなたも活き活きしたご様子で、お帰りになられる時の笑顔は忘れられません。
「ああ、軽くなりました」
「また、お願いします」
 遠方だったり、仕事中だったりでご来山できず、遠隔加持を受けられた方々も含め、皆様の除災招福を願ってやみません。合掌




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2015
05.22

現代の偉人伝第208話 ―弟子を我が子として育てる大相撲の女将三浦真氏―

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〈毎日新聞様よりお借りして加工しました〉

 5月21日、産経新聞は「番頭の時代 第3部スポーツを支える黒子」として大相撲湊部屋の女将(オカミ)三浦真(マコト・44才)氏を紹介した。
 氏は医師であり、湊親方の妻であり、人気力士逸ノ城(22才)などを育てている。
 氏がクリニックの院長と二足の草鞋(ワラジ)を履いているのにはわけがある。

相撲の世界はとても特殊。
 彼ら(力士)は入門すると角界が全てになってしまう。
 でも私はただ一人違う世界に生きている。
 彼らが一般社会に出たときに、順応できる子に育てないといけない」


 ほじめは手探りだったが、佐渡ヶ獄部屋の女将からアドバイスされて「心に少し余裕が生まれた」という。

弟子について迷ったときは、『自分の子供だったらどうするか』だけを考えて、思った通りにやればいいのよ」

 モンゴル出身の逸ノ城と接する時は、「郷に入っては郷に従え」という日本人の心を伝えようと努力している。

「角界に来た以上は、納得できなくても彼の中で我慢するしかないことがある。
 手を上げてでも分からせないと。
 本気で怒れるのは親方と私だけだから」


 逸ノ城が大関豪栄道を破った夜、兄弟子が好物料理を用意して待っていたにもかかわらず、外で食事しようとしたので「それは違うんじゃないの!」と怒鳴りつけた。

「横綱にならなくても彼は彼。
 強いから、人気があるから、大切だと思っているわけではない。
 親方と関取は師匠弟子
 でも私にとって彼は子供ですから」


 稿の結びである。

「本場所に向かう前、逸ノ城が不安そうな表情を浮かべることがある。
 日本のはいつも同じ言葉で送り出す。
『けがをせずに帰って来たらいいんだからね』
 若者の大きな体を、その細腕でしっかりと支えている」


 弟子にとって女将は二重の意味で特別な存在だ。
 師匠が専門的な力をつけてくださる一方、女将は人として生きて行く力を与えてくださる。
 小生の仏道修行においても、似たような面があった。
 プロとして突き詰めようと先鋭的になり、狭い道へ入りこんだ時、フッと和らげていただき、肩の力が抜けて救われたことがある。
 にっちもさっちもゆかないジレンマに陥った時、ありののままに認めていただき、いつの間にか本道へ戻っていたことがある。
 いずれも、直接、言葉や手紙で相談したわけではないが、観ているくださる、知っていてくださる、と感じただけで救われた。
 それはやはり〈親〉的な面と言えそうだ。
 師匠は切り拓く剣を厳しく鍛えてくださり、女将は拙い稽古をもそのまま、認めてくださる。

 師の「𠂤」は生け贄の肉であり、「帀」は切りさばく刀である。
 師は、戦い、勝利して祝う道を教え、統率する。
 女将は、師弟両方を見守っている太陽ではなかろうか。




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2015
05.21

宗教の垣根を考える ―現場の者として─

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〈パウル・クレーの『R町』〉

 よく、「仏教は何宗でも皆、同じでしょう?」と問われる。
 そんなことはあり得ないが、真実を理解してもらおうとすれば、立ち話では到底、不可能だ。
 人生相談の場で真剣に問われれば、袈裟衣をかけて答えようもある。

 また、「宗派垣根を超えて」とか「宗教の違いを超えて」やるべきだ、といった議論も耳にする。
 しかし、宗教的問題に対して一行者が選択し得る最善の対応法は限られる。
 たとえば、大事故が起こった現場で三回忌の慰霊を行う時、小生のような未熟者は護身法を結び、結界を張り、洒水加持(シャスイカジ…水を用いたお清め)を行ってからでなければ、最適な供養法を結ぶことはできない。
 もしも、三回忌の守本尊である阿弥陀如来に祈るという方法をとらぬのであれば、伝授に則って法を結ぶ行者としては形式的参加でしかなくなり、行者としてその場にいる真の意味はない。
 隣で牧師が「アーメン」とうつむいているのに、僧侶が散杖(ご加持に使う棒)を振っていれば、異様な光景でしかなかろう。

 また、たとえば、人生相談を受ける時、小生は袈裟衣をまとい、結界を張り、お互いが共にみ仏の子であるという観想に入ってから行うので、誰かと一緒に人生の大事についてお相手をすることはできない。
 相手の言葉の聞こえ方がまったく異なる人と共に、相手の言葉に同じ真実を見つけることは難しく、最も適切であるという確信をもって何かを語ることも、もちろん、法を結ぶこともできない。
 もしも、隣で心理学者が〝これは、小児期のトラウマが原因か〟と判断しているのに、僧侶が〝これは、死魔が動いているせいだろう〟と観たならば、〈二人して〉相手を救う方法はない。

 そもそも、宗教において「垣根」とは何か?
 祈りのない宗教はあり得ず、形のない祈りもない。
 つまり、ある形をとってのみ宗教的境地へ入り、深められるのであり、その形こそが宗教の違い、宗派の違いである。
 だから、もしも「形」を「垣根」と見なすのであれば、垣根のない宗教はなく、垣根を取り払った瞬間に宗教行為は単なる形式か、あるいは気分でしかなくなる。

 真剣に行ずる者ならば誰でも知っている。
 行者とは常に最善の方法を探求し続けて自分なりの一本橋を渡る者、真剣の刃渡りをやめない者である。
 天才的行者たちのつかんだ方法が歴史と共に重なって宗教となり、宗派となり、伝授書となり、門をたたく新たな行者一人一人の導きとなる。
 つまり、一人一人によって〈自分の存在をかけて生きられる形〉こそが宗教と言える。

 多様な宗教者たちが集い、社会的行動を起こすことは、それはそれで何らかの意義があるのだろう。
 また、宗教に関心を持つ行者以外の方々が宗教や仏教の全般について批判し、提言することにも何らかの意義があるのだろう。
 しかし、日々、求める方々一人一人と一対一で袈裟衣にかけた対応をし続けている〈現場の者〉としては、そうしたことごとに関与している余裕がない。

 では、当山は、真言宗の信者さんのみが対象となる法務を行っているのかと言えば、そうではない。
 人生相談やご加持はもちろん、当山で亡き方の菩提(ボダイ)を弔って欲しいと訪れる方々のほとんどは、他の宗教宗派に関係しているか、事実上無信仰である。
 当山は、ご縁を求める方々の内面へは一切、触れず、檀家になるかならないかといった区別もせず、ただ、信頼に応えるべく、どなたへも平等に接し、語り、必要な法を結ぶ。
 万人、万物のために法を説き、お救いくださっているみ仏へお仕えし、おすがりする行者として当然である。

 最近、当山を思ってくださる方から、ありがたいご提案をいただき、いわゆる「垣根」について小考しました。
 以上が、当山の現況であり、未熟な一行者の限界です。
 感謝しつつ、ご報告とさせていただきます。合掌




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「のうまく さんまんだ ばざらだん かん」※今日の守本尊不動明王様の真言です。
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2015
05.20

消えぬ声、届く声 ―東日本大震災被災の記(第164回)―

201505200001.jpg
〈今年の『法楽農園』はササニシキに挑戦です〉

 最近、再び、宗教の役割が意識されるようになってきた。
 カウンセラーや臨床宗教師やセラピストといった資格めいたものも議論されている。
 しかし、今さら特段の構えをとる必要があろうか?
 もちろん、宗教者が伝授された専門的分野だけでなく、心理学や医学や哲学や倫理学や社会学や文学や物理学なども学ぶのは意義あることだが、それは、一人のプロとして自己練磨する範囲の問題ではなかろうか?
 もしも、僧侶が経典と修法以外に何かマニュアルを求めるとしたならば、いかがなものだろうか。

 震災後、お骨を預かり、ご葬儀を行い、人生相談を受け、ご加持(カジ)やご祈祷やご供養を途切れさせることなく続けてきた者として、忘れられぬできごとは山ほどある。
 プライバシーに留意しつつ、そうした中の一つを記しておきたい。

 被災地で頑張る保母さんが人生相談を申し込まれた。
 強い陽射しの真ん中をやって来たショートカットのAさん(40代)は津波でご家族が行方不明となったが、子供たちのため、自分が崩れてしまわないため、張りつめた糸のような毎日を送っている。
 最近、夕刻になると子供の幾人かに不安な表情が浮かぶという。
 一人、二人と、遊び回る輪から離れてボンヤリし始める子供をどうすればよいかわからなくなる場合がある。
 また、Aさん自身も、いつということなく冷たいものに心を浸されるようになり、その時は抗し難くただ、沈んでしまう他ない。
 やや日焼けして化粧気の薄いAさんは、どうしたらいいのでしょうか?と真剣に訊ねる。

 ある浜で祈った体験を思い出した。
 いきものの気配が絶えた、だだっ広い空間は、白雲がボンヤリと浮かぶ青空と瓦礫があちこちで顔をのぞかせている泥地の間で、波が唯一の音を立てつつ寄せては返しているだけだった。
 空の鳥も、町の人もイヌもネコも、動くものは何もない。
 しかし、決して〈無〉ではなく、海を背にして走った人々の祈りや叫びはまだ、色濃く残っていた。
 ご葬儀で引導を渡す際に亡き人との感応を確認して行うのと同じく、耳には聞こえぬ膨大な声を受け止めながら供養法を結んだ。

 そうした〈声たち〉がまだ、消え去ってはいないのだ。
 子供たちがふと、心の耳でそれを聴けば、遊ぶ手足が止まるのだろう。
 また、Aさんにもきっと、それが別な形で届いている。
 家族が冷たい海に呑み込まれたという意識から離れられないAさんには、水に浸されるイメージに乗って何かが届いているのだろう。
 その時は無心に真言や御宝号を唱えることである。
 そうすれば沈み込まず、復活できる。
 ぼうっとする子供たちにはただ、沈み込みに負けないAさんが思いのありったけを込めたスキンシップで接すればよい。

 ある時、文字どおり長寿をまっとうしたお婆さんのご葬儀を行うことになり、ご本尊様へ祈って戒名を授かった。
 それを目にしたご遺族から指摘された。
 この世での生きざまが表れる真ん中の二文字に、若くして亡くなった母親の院号が入っているという。
 院号は魂の色合いを示す。
 きっと母親は、自分のように早世せず、長生きするようにと願いつつ旅立ったのだろう。
 その思いが娘へ伝わり、娘は見事に応えて見せたのだろう。
 母親の院号が娘の道号(ドウゴウ)となった事実が物語るものは深く尊い。
 戒名には人知を超えた背景がある。
 御霊と通じ合う宗教的感応の世界は、魂が震えるようなできごとに満ちている。
 
 ご加持を受けたAさんは法話に耳を傾け、合掌しながら伝授された真言を一緒に唱え、暗誦できるようになった。
 明るい声でお礼を言い、薄暗い玄関から燦々たる陽光の世界へと踏み出すAさんはまるで、船出をする人のようだった。




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2015
05.19

ご加持を受けられない人はいるか? ―バランスの回復・自己快癒力の増進・マンダラの具現―

201505190001.jpg
〈護摩法で煤けたマンダラ

 ご加持の会について、ご質問をいただきました。

「特別、切羽詰まった願いがなくとも、心身の健康のためにご加護をいただくということでも構わないのでしょうか?」

 もちろん構いません。
 自分自身の体験として、ご加持を受けると心身共に固まっている状態が揺り動かされ、自然に本来のバランスを取り戻すといった感覚を覚えています。
 終了後のゆったり感は得も言われぬものです。 

病気の治療中でも大丈夫でしょうか?」

 もちろん大丈夫です。
 自分自身の体験として、ご加持を受けた後の安心感は自己快癒力を高めてくれたと感じています。
 多くの名医は言われます。
「医者が病気を治すのではなく、医者のサポートで患者さんは本来の自己快癒力を発揮し、自力で病気に克つのです」

「他の宗教に入っているのですが、神仏の関係は大丈夫でしょうか?」

 もちろん神仏はぶつかりません。
 仏教的観点からすれば、人間的なぶつかり合いや争いを超えているからこそ、万人、万物を救うみ仏なのです。
 み仏は私たちの心中にある霊性の源であり、大自然、宇宙を成り立たせている根源であり、天地万物に偏在しておられます。
 マンダラはその心理を象徴しています。
 私たちそのものも小マンダラです。
 ご加持は、マンダラ世界を修法によって顕わにする秘法です。




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2015
05.19

ご加持の会を行います ―健康回復・能力開発・運命転化のために―

201505180003.jpg
〈手作りの霊符です〉

 持てる意欲を智慧と慈悲によって大きく生かしましょう。
 それが煩悩(ボンノウ)から離れ、大欲(タイヨク)に生きる菩薩(ボサツ)です。
 いのちも、心も、モノも、使いようによって、時には悪の様相をつくり、時には善の様相をつくります。
 人としてまっとうに使う道こそが仏道であり、善道です。

 ご加持(カジ)とは、み仏のご加護を直接皆様の心身へ伝えるためにお大師様から伝わっている秘法です。
 また、ご加持とは、み仏のご加護のお慈悲が「加」わるよう、そして、それを受けた方がしっかり「持」って離さず救われるよう、行者がアンテナの役割をする秘法です。

 経典は、ご加持の様子を「太陽や月の姿が澄んだ池の水面へ映って揺るがないようなものである」と説いています。
 ご加持の様子は決して第三者へ見せてはならず、行者と受者だけの閉ざされた空間で、千年以上も受け継がれている秘法が修されます。

 霊符(レイフ)はご加持法が結ばれるものであり、大日如来の使者として不動明王をはじめとする守本尊様方が守ってくださいます。
 霊符は、バッグへ入れても、仏壇へ置いても、枕の下へ入れてもかまいません。ある程度の期間を過ぎたなら納めてください。
 法を抜いてお焚きあげを行います。
 また、身代わり人形を用い、当山で面影加持と呼ばれる遠隔加持法を行えば、どこへでも法が届き、確かなご加護を受けられます。
 アメリカや東京で救われた方もおられます。
 どうぞ、確かなご加護がありますよう。

201505180006.jpg
〈手作りの身代わり人形です〉

 当山は開山以来、この秘法をずっと勤修してきました。
 特に、東日本大震災の後は、天変地異による精神的肉体的ダメージを受けた方々や、運転中に何者かに腕を引っぱられる方、あるいは避難先でうなされる方、あるいは残った建物で異様な気配を感じてしまう方など、たくさんの方々がご来山され、元気を取り戻されました。
 あるいは人の足音が聞こえる事務所や、怪異現象が現れる井戸や、取り壊す古家などへもでかけてご加護をいただきました。

 今般、龍慧寺(栃木県矢板市)の住職室田龍慧師と共に、この秘法を行います。
 龍慧寺(栃木県矢板市)の住職室田龍慧師は住職の兄弟子です。
 自ら托鉢などで開山し、人生相談やご祈祷やご供養、そして何よりも、ご加持の修法を柱とした活動を続けておられます。

 教典には、お釈迦様が法力で人びとをお救いになられた場面が多々、登場し、お大師様もまた、四国八十八霊場などで数限りない救済のエピソードを遺されました。
 修法によってご本尊様から下りる救済力が「加(カ)」であり、清らかな心でしっかり受け止めることが「持(ジ)」です。
 それはちょうど、陽光が静かな水面を明るく照らすようなものです。
 複数の僧侶で、大々的に複数の方々へご加持を行うのは初めてです。
 健康回復、運命転化、能力開発、因縁解脱、怪異消滅などを切実に求める方はこの機会にぜひ、おでかけください。

・日時:5月22日(金)午前10時30分~12時
・場所:当山講堂
・申込:会場準備の都合上、参加ご希望の方は必ず21日午後5時までに電話やメールやファクスにてお申し込みください。
・送迎:イズミティ21前より午前10時に出発します。乗車ご希望の方は必ず21日(木)午後5時までに電話やメールやファクスにてお申し込みください。
・ご志納金:5000円

 どうぞ、自他のため、よき願いを思い切り、願ってください。

除災招福 厄除開運 転迷開悟 運命転化 無病息災 当病平癒
安産守護 商売繁盛 社運隆盛 社内安全 業績順調 交渉円満
交際円満 良縁吉祥 恋愛成就 結婚成就 職場円満 仕事順調 
五穀豊饒 大漁満足 家運隆盛 家内安全 方災解除 怪異消滅
交通安全 旅行安全 学業成就 試験合格 就職実現 訴訟必勝
福寿如意 金銀如意 災害不到 火難守護 水難守護 心願成就




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2015
05.18

訪れてくる人のために工夫せよ ―イランのキャラバンサライとお茶室に想う─

201505180001.jpg

 建築家原広司氏(78才)は平成10年『集落の教え100』を書いた。
 その第5章「訪れてくる人 ―訪れてくる人のために工夫せよ―」の一節である。

砂漠であるかぎり、自由な交易が、集落の維持のためには不可欠である。
 一方、砂漠の中の都市であるかぎり、つねに襲撃の危険に脅かされている。
 この二面性を解決する巧妙な仕掛けが、この都市の図式なのである。」

 
 生きるに必要な水以外何もない砂漠にある集落は、訪れる人があってこそ存続できる。
 しかし、周囲に守ってくれるものもない砂漠では、常に侵入や略奪の危険にさらされている。
 その訪れを待っている相手は救いとなる客なのか、それとも災いをもたらす敵なのか、来てみなければわからない。
 いずれにしても、相手のために、もてなしと防御というまったく相反する準備を万端、調えておかねばならない。
 高い壁を持つキャラバンサライは、旅人の宿蓮施設であり、同時に、旅人を閉じ込める空間でもある。
 また、カレルは、賓客を迎え入れる領主の屋敷であると同時に、砦のはたらきもする。

 日本に住む現代人の生活感覚とは遠くかけ離れている。
 都市生活者の多くは、プライバシーを第一にして生きていると言っても過言ではなかろう。
 なんぴとにも訪れられない空間の確保が不可欠だ。
 そして、比較的治安がよい日本では、まだまだ、悪人への備えが薄い。
 

砂漠にはルールがあり、訪れる人の生命を守るための慣例がある。
 砂漠の人びとは、今日の厳しい社会体制下にある場合を除いて、大変親切である。
 今日の都市に住む私たちの態度とは、およそ異なった温かさがある。」


 私たちの「ルール」はどうなっているだろう?
 私たちの日常生活は「大変親切」と言えるか?
 私たちは「温かさ」が薄いのか?
 私たちの心の中心にあるのは、他者を排斥する気持ではないか?
 その一方で、私たちの心は、他者とのトラブルや、他者からの攻撃に対してあまりにも脆弱ではないか?

 イラク北部の農村の住居には茶室と呼ぶべきゲスト・ルームがあり、そこで行われるお茶のセレモニーは日本の作法に類似しているという。
 戦乱の雲に覆われた農家の方々はいかなる気持でお茶のセレモニーを行い、訪れる人をもてなしてくれるのだろう?
 平和な日本にいる私たちは「訪れてくる人のために」いかなる「工夫」をしているだろう?
 広い心で学びたい。
 自分の心と生活をたびたび振り返りたい。




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「おん さん ざん ざん さく そわか」※今日の守本尊勢至菩薩様の真言です。
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2015
05.17

今日は死ぬのにもってこいの日 ―ネイティヴ・アメリカンと仏教―

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 ネイティヴ・アメリカンであるタオス・プエブロ族の古老から聴いた言葉として記された有名な詩が『今日は死ぬのにもってこいの日』である。

「今日は死ぬのにもってこいの日だ。
 生きているものすべてが、私と呼吸を合わせている。
 すべての声が、わたしの中で合唱している。
 すべての美が、わたしの目の中で休もうとしてやって来た。  
 あらゆる悪い考えは、わたしから立ち去っていった。
 今日は死ぬのにもってこいの日だ。
 わたしの土地は、わたしを静かに取り巻いている。
 わたしの畑は、もう耕されることはない。
 わたしの家は、笑い声に満ちている。
 子どもたちは、うちに帰ってきた。
 そう、今日は死ぬのにもってこいの日だ。」


 彼は宇宙と一体化し、人間としてあるべき姿となり、人生に必要なものをすべて得ている。

 私たちは古代から、3つの面における霊性の到達点を感得していた。
 認識能力は「真」へ、実践能力は「善」へ、審美能力は「美」へ行き着く。
 そのために学問、宗教、芸術の道がある。
 しかし、アメリカの大地で自然と共に生きる人々は、ごく普通の生活の中でそれを実践していた。
 
 だから、なすべきことをなし終えてこの世を去るにあたり〈思い残すこと〉など、何一つない。

 およそ葬送祝祭は人間が社会を営みだしてからずっと行われてきたものと思われ、そこには文化の基盤のようなものが見えている。
 どう送るか、どう祝うか、思いが極まり、思いが爆発する場にあって人々の心性は隠しようもなく顕わになる。
 しかし、この古老は自ら祝祭の中で葬送を始めている。

 行き着いた姿を示しつつ去ろうとしている。
 こうして人生に対する根本的不安から脱した姿を見届ける人々に、伝えられるべき叡智はしっかり伝わることだろう。

 この詩を繰り返し読むと、私たちの手からこぼれ落ちつつあるものがよくわかる。
 私たちがいかに大切なものを失いつつ、儚く危ういものを掴もうとしているか、気づく。
 叡智と浅知恵の落差に愕然とする。
 方や、霊性の発露であり、方や、はからいとマニュアルである。

 私たちは、今日が〈死ぬのにもってこいの日〉であると思えるだろうか?

 この境地は仏教の目ざす場所に似ている。
 仏教は決して、「欲を捨て、枯れ木のようになり果てよ」などとは説かない。
 それは最も非仏教的な仙人的世界である。
 無論、「気ままに恋と革命へ走れ」などとも説かない。
 これもまた非仏教的な煩悩(ボンノウ)にまみれた世界である。
 年令にかかわらず、「智慧を磨き、慈悲を育て、常に〈自他のため〉を忘れず、まっとうにいのちを生かせ」と説くのが仏教である。
 もしも、お釈迦様が強く戒めた放埒(ホウラツ)な姿で生きれば、若かろうと年老いていようと、必ず大きく転び、他者を傷つけ他者の迷惑になるだけでなく、死が近づけば激しい後悔や懺悔の念に襲われ、安穏に死を迎えられはしない。
 老いればいのちの力が衰え、嫌が応でも枯れて行くしかなく、そんなありようが理想であるはずはない。
 老いてなお異性を求めることもまた、理想であるはずがない。
 何を行うにも智慧と慈悲による一挙手一投足、仏教の理想はここにある。

 もちろん、古老が仏教徒であるはずはないが、心はその近くにあったのではなかったかと思えてならない。
 また、家族といういのちと心の泉を涸らさず、守り守られながら生き抜こうとしていたこともまた、眩しいほど確かだった。 タオス・プエブロ族は今や、約2000人が世界遺産の周辺で暮らすのみとなっている。




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「おん さんまや さとばん」※今日の守本尊普賢菩薩様の真言です。
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2015
05.16

夢見が悪く困った時は ―怪異消滅・万霊供養―

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〈お大師様の手から五色紐が目の前へと伸びてきています〉

 ある時、中年にさしかかろうとするAさんがご来山されました。
「ここのところ、夢見が悪くて困っています。
 かなり魘(ウナ)されるようで、隣で寝ている夫も眠れないらしく、配です。
 出てくるのは亡くなった母親とか知人とかネコとか……。
 怖いとか気持ち悪いとは思いませんが、夫に言わせるとモゴモゴ言いながら振り払うような仕種をするみたいです。
 眠りの邪魔をされるからでしょうか。
 実際、寝不足で困っています」

 お答えしました。
「まず、全体的な運勢として、Aさんは、ありそうでなさそうなものに対して敏感になりやすい時期です。
 物陰に人の気配を感じたり、虹や陽炎にいち早く気づいたり、何かを予感したりといった具合です。
 特に変なものが憑いている様子はありません。
 ところで、最近、山へは行きませんでしたか?
 ――そうですか、山へも海へも行かれたんですね。
 ああ、配は要りません。
 そこで何かお化けを連れてきたわけではありませんよ。
 今、とても気持がよかったとおっしゃられたように、〈解放された気分〉が、無意識のうちに自分で張り巡らせている〈個のバリア〉を弛めたと考えられます。
 そうした弛みによって、幾重にもなっているの深い層との感応が起こっているのではないでしょうか。
 以前、お話ししたように、表面のでは〈自分〉という意識がはたらいていますが、その下のには、生まれてこのかた、知ったり感じたりしたもののすべてが蔵されています。
 さらにその下には、いのちの歴史が始まって以来のことごとが〈甦らない記憶〉として蓄えられています。
 そもそも睡眠中にはこうした古い記録が動きやすく、私たちは知らぬ間にたくさんの夢を見ているそうです。
 繰り返し、同じような夢を見ることがあるでしょう?
 それは、それだけ強い印象を伴って記憶されているということであり、もう一つには、夢として甦ったそのことがまた強い印象をへ刻みつけ、再度、あるいは再々度の蘇りを促したりもするからです。
 Aさんはきっと、このパターンになっておられるのでしょうね」

 そして、お大師様から伝わる怪異消滅の修法と万霊供養の修法を行いました。
 正面におられるお大師様とつながった五色の紐を両手にはさんで合掌したAさんは、ご主人共々、晴れ晴れしたお顔で帰られました。
 きっと、もう、大丈夫でしょう。

 そうそう、四国遍路などで被(カブ)る菅笠(スゲガサ)に『迷故三界城 悟故十方空 本来無東西 何処有南北』と書かれています。
 読み方は「迷うがゆえに三界(サンガイ)は城、悟るが故に十方(ジッポウ)は空(クウ)、本来東西なし、何処(イズレ)にありや南北」です。
 私たちは迷っているので、どこへ行ってもいろいろなものとぶつかってしまい、ままならぬ状態に陥ったりもします。
 しかし、ありとあらゆるものは原因と縁とによって仮そめに存在しているという空(クウ)の真理が腑に落ちていれば、どこへ行こうと〈それなりに〉生きられるようになります。
 そうした教えを心に抱いて歩きますが、すっかり腑に落ちてしまうまでの間には、いろいろな景色や、さまざまな声や音が気になるかも知れません。
 それらを〈見た〉〈聞いた〉と実体視すれば、怖がったり苦しんだり、あるいは、この世ならぬ啓示を受けて悟ったと勘違いしたりする虞(オソレ)があります。
 だから『大日経』は「十縁生句(ジュウエンショウク)」によって、心に浮かんで修行を妨害する十種類の勘違いを断つよう説いています。
 かつて書いた文章を転記しておきます。

①幻(ゲン)
 いわゆる「まぼろし」です。
 手品師が見せたり、薬物や呪術で見えたりする奇妙なものです。
②陽炎(ヨウエン)
 いわゆる「かげろう」です。 
③夢(ム)
 いわゆる「夢」です。
 よく「夢か現(ウツツ)か」と言いますが、ボーっとしていたり、過労になったりすると二つのものの境界があいまいになります。
④影(ヨウ)
 鏡に映った像などは、現実そのものにしか見えません。
⑤乾闥婆城(ゲンダツバジョウ)
 乾闥婆は、天上界で音楽を奏でる妖精のような神であり、その根城が乾闥婆城とされています。
 私たちの現実においては、いわゆる「蜃気楼(シンキロウ)」です。
 実体はないのに、いかにもありそうに見えます。
⑥響(コウ)
 音声によって生ずる空気の振動です。
⑦水月(スイガチ)
 水面に映った月です。
⑧浮泡(フホウ)
 水に浮かぶ泡です。
⑨虚空華(コクウゲ)
 目が眩んで星や花が飛ぶように見える場合があります。
 空に浮かぶ虹も、橋に見えますが橋がかかってはいません。
⑩旋火輪(センカリン)
 火のついた松明をぐるぐる回すと火の輪が見えます。
 しかし、輪はありません。

 これらはすべて無自性(ムジショウ…そのものを成り立たせている実体はないこと)で、幻も陽炎も夢も、それ自体が確たる存在ではありません。
 密教の行者は必ず「十縁生句(ジュウエンショウク)」を心に刻んでいます。
 初めて『大日経』を読み解いたお大師様に導かれるお遍路さん方にもぜひ、そうしていただきたいと願っています。




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2015
05.15

なぜ、僧侶が居合をやるのですか? ―剣と僧侶―

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〈鈴木芳男氏(仙台市泉区)が撮られた当山の水子地蔵様〉

 ときおり、ご質問をいただきます。
「どうして僧侶居合をやるのですか?」

 仏教の修行は、身体と言葉と心のはたらきを、み仏に合わせて生きる練習である。
 それは、畢竟、〈誰かのためになれる存在〉つまり、菩薩(ボサツ)を目ざすことに他ならない。
 菩薩は、時に応じ、ことに応じ、相手に応じたふるまい、言葉づかい、適切な思考と感情の動きをする。

 隠形流(オンギョウリュウ)居合は、気力や体力や斬る技術の錬磨を行うのではない。
 菩薩の姿になり、真言や九字や経文を口にし、み仏の世界をイメージする。
 だから、マンダラの中に膨大なみ仏がおられるように、斬る形も膨大にある。
 をもって大きく斬る形が心中で結ぶ印や切る九字となって魂へ刻みつけられれば、行者はやがてを持たずとも、文殊菩薩にも千手観音にもなれる。
 自然の一部である身体を最大限に生かして、菩薩へ近づく。

 は怖い。
 他を斬るための道具だからだ。
 もちろん、稽古中に自分自身を傷つけたりもしてしまう。
 それだけに、決して他人を傷つけぬよう最大限の注意をはらうのはもちろん、護身法(ゴシンポウ)を結ばずしてを手にすることはない。
 そうしてを知れば、は生きる。
 この世はマンダラであり、慈悲と智慧の目で観れば人は皆、み仏の子であり、モノは皆、法具となる。
 古(イニシエ)の時代には、人を斬る道具だった剣が、菩薩を目ざす者にとっては九字を切る法具となる。
 虚空蔵菩薩も不動明王も剣を持っておられるのには理由がある。

 こうして、あらゆるものを生かすのが仏法である。
 ただし、人間が欲と好奇心から生み出した道具の中には、なかなか菩薩たり得ない人間に使いこなしきれない道具もある。
 それが明白なのはである。
 道具が世界の主人公となって磁石のようにありとあらゆる欲を集め、人類を破壊させかねない危険が広く承知されつつも、既得権者は容易に手放そうとしない。
 もう一つは貨幣ではないか。
 貨幣が偏在することによって心に慢心、頽廃、怨恨、絶望が生じ、社会は軽薄で無慈悲になり、欺瞞的な希望の鐘が打ち鳴らされつつ、人はばらばらになって行く。

 稽古の冒頭に誓う言葉の一つである。
「我、権利より尊さを主張するは、人は万物の長であることを忘れず、自他の発展を願うがゆえなり」
 自己中心の我欲に流されず、他のためになろう。
 人が霊性を持っていることを忘れず、皆と共に向上心を持って生きよう。
 一同、こう誓ってから、剣をふるう。

 当山において居合を行うのは、おおよそこうした理由によります。

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〈仙台国包(クニカネ)の直刃(スグハ)を目ざし、七つ森の主峰笹倉山の麓で錬磨の一生を送った幻の刀工葉山丸(ヨウザンマル)の作品が納められました〉

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〈研ぎ上がりが楽しみです〉




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「おん あらはしゃのう」
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2015
05.14

クレーの『死と火』に想う ―弾圧にも揺るがぬ気高さ―

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 さる待合室で、60才の画家パウル・クレー(スイス)が、死ぬ年に書いた『死と火』を観た。
 1940年は、ドイツ軍がノルウェー、オランダ、アイスランドなどへ電撃的に侵攻し、パリを占拠する一方、ソ連はカティンの森で大虐殺を行い、リトニア・ラトビア・エストニアを併合した年である。
 昭和15年、日本もまた、紀元2600年を祝いつつ日独伊三国軍事同盟を締結して北部仏印へ侵攻し、中国に親日の南京国民政府を成立させている。

 画集は、クレーの日記を紹介している。

「何かが私の中で叫んだ。
 私は彼らに叫んで応え、しかも叫ぶことができなかった。
 ……私はひたすら叫んだ、涙ぬれて心の奥底から声をあげた。」(日記9269番S)

「私のすごす現(ウツ)し世の生よ、さらば、いつまでもそのままではいられないのだ。
 お前は気高かった。
 くもりない精神よ。
 物も言わずに一人淋しく。」(日記725番)


 中央には死に神の白い顔が大きく描かれ、細い手に魂とおぼしき黄色の玉を掲げている。
 斜め後から、角張った獄吏風の人物が棒で追い立てる。
 追い立てられる先は炎の世界。
 絵の上部から垂れ下がる3本の線は、魂を奪い去ろうとする何者かの指に見える。

 第一次世界大戦で従軍し、友人たちを戦死で失い、前衛的な作風でナチスから弾圧されたクレーは、思い通りに動かなくない手で46×44センチメートルの小さなジュート(黄麻の繊維で織られた布)へこの作品を描いた。
 もちろん、全体的に暗いのだが、絶望は感じられない。
 白い死に神はもしかすると、自分で魂をあの世へ運ぼうとするクレー自身かも知れない。
 持ち前のユーモアは最後まで失われていなかったのではないか。
 墓石に刻まれているクレーの言葉には、何となく、ゆとりすら感じられる。

「この世では、ついに私は理解されない。
 なぜならいまだ生を享(ウ)けていないものたちのもとに、死者のもとに、私はいるのだから」


 生きながらにして、この世ならぬ世界、この世ならぬ者たちと親しく過ごしていたのではないか。

 松岡正剛師は、『千夜千冊』に書かれた。

「一言でいうのなら、クレーには『スペーシャル・オーガニズム』があったのである。
 日記にはそのことをクレーが十全に検討していたことが綴られている。
 空間的有機体への確信だ。
 それとともに、クレーは、『インディビデュアル』ということを突きとめていた。
 これも日記を読んでいて、得心がいった。
 少しだけ、説明しておく。
 いま、英語でインディビュアリティ(individuality)といえば、誰もがみんな『個性』をさしているような気になっているようだが、"individual"とは、もともとは"vidual"(分割できるもの)に対する『非分割的なもの』を意味している。
 すなわち『分割できない有機性』がインディビデュアリティなのである。
 日記にはこう書いてあった、『無理にでも分割しようとすると、その引き離された部分は死滅してしまうのだ。分割できなくて融合していることが、本来のインディビデュアリティなのだ』。」


 クレーは何を題材にしても「空間的有機体」すなわち、この世全体を描いた。
 そして、「分割できない有機性」はあの世にまで及び、ついにあの世までユーモアという救済で包んでしまったのではないか。
 世界的規模で阿鼻叫喚の戦争が行われていた時代に、不自由な手で柔らかく温かなジュートへこの作品を描いたクレーの魂は、確かに「気高く」「くもりない」ものだったに違いない。




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2015
05.13

運気の流れをよくする方法 ―まごころと工夫―

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〈やってきたのは狸です〉

 私たちは、願っている方向へ進むのに役立つ材料が順調に集まってくると「運気がよい」と感じます。
 草取りに突然、助っ人が登場するといったケースです。
 また、思いもよらなかったよいできごとが起こると「運がよい」と感じます。
 財布を拾うといったケースです。

 その反対に、願っている方向へ進むのに役立つ材料が順調に集まらなかったり、邪魔をする材料がでてきたりすると「運気が悪い」と感じます。
 お祭なのに転記が悪くなるといったケースです。
 また、思いもよらなかった悪いできごとが起こると「運が悪い」と感じます。
 新車がぶつけられたといったケースです。

 ここで運には二種類あることがわかります。
 一つは、持っている願いが周囲に起こるできごとを分類して感じるもの。
 もう一つは、考えてもいなかったできごとにびっくりしつつ感じるもの。

 まず、願いを持っている場合に関して考えてみましょう。
 運気の流れがよい時は、自分へ厳しくする気持でやりましょう。
 そうすると、あと一歩というところでの失敗などがなくて済むはずです。
 運気の流れが悪い時は、周囲のためになる気持でやりましょう。
 そうすると結果的に、周囲から見直されたり、評価されたりしてマイナスを補ってもらえるかも知れません。

 次に、特段の願いがない時期のできごとを考えてみましょう。
 運気の流れがよい時は、有頂天にならず、謙虚な気持でやりましょう。
 そうすると、周囲からやっかまれずに何かを積み上げてゆけます。
 運気の流れの悪い時は、周囲のせいにせず、自分を省みる気持でやりましょう。
 そうすると、周囲から救いの手が伸びてくるかも知れません。

 最後に、もらった人形や撮った写真など、周囲に何か気がかりなものがある場合は神社仏閣へお祓いやお焚きあげにでかけましょう。
 そうしたモノ自体が障りになったりしているケースは稀ですが、身を慎む気持になり、仏神のご加護の場で時間を過ごすことは、心に小さな転機をもたらすかも知れません。
 また、どんな場合も、自分の一代守本尊様へ祈ることは大事です。
 困った時の神頼みでも大丈夫です。
 どうぞ合掌し、真言をお唱えください。
 よき運命転化が実現しますよう。




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2015
05.13

映画『日本と原発』の鑑賞会を終えました ―脱原発へ向けて―

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〈今は亡き吉田所長たちの献身的行動と、原因不明の僥倖が重なったおかげで今の日本があることを忘れるわけにはゆきません〉

 5月9日、たくさんの方々にご参加いただき、おかげさまにて映画『日本と原発』の鑑賞会を無事、終えました。
 映画の冒頭にある河合弘之弁護士の言葉です。

原発事故
 国民生活を工程から覆す。
 経済も文化も芸術も教育も司法も福祉も
 つつましい生活もぜいたくな暮らしも
 何もかもすべてだ。
 したがって、
 原発の危険性に目をつぶっての
 すべての営みは、砂上の楼閣と言えるし、
 無責任とも言える。
 そのことに国民は気が付いてしまった。
 問題は、そこで
 どういう行動をとるかだと思う。」


 映画で紹介されている事実です。

○原発が環境に優しいという主張はまやかしである

「被告(国)は,原子力発電所の稼働がCO2の排出削減に資するもので環境面で優れている旨主張するが,原子力発電所でひとたび深刻事故が起こった場合の環境汚染はすさまじいものであって,福島原発事故はわが国はじまって以来最大の公害,環境汚染であることに照らすと,環境問題を原子力発電所の運転継続の根拠とすることははなはだしい筋違いである。」(平成26年5月22日、福井地裁で出された原発差し止め判決より)

○すでに人類史「第四の革命」が起こっている

 世界的に眺めてみると、平成18年をピークに原子力発電の量が落ち始めている一方、自然エネルギーの発電量は急激に上昇している。
 自然エネルギーに関する設備投資などの投資額は、平成16年から7年間で約5倍となり、今後ますますスピードアップする。
 平成24年には、世界の設備容量において、〈風力+太陽光=約3億8千万キロワット〉、それに対して〈原子力=約3億7千万キロワット〉となり、21世紀に入ってから12年で逆転している。

 映画を鑑賞した方々から当山へ寄せられた思いです。(プライバシーの関係上、手を加えてあります)

○科学者A氏

「ここまで来れば、原発の問題は、もはや科学的にどうかというより科学の力を用いる考え方の問題になります。
 データが示すとおり、原発を離れ、自然の力を利用するという世界的傾向は動かしようがなく、人類が生き残るためにどうあらねばならないかは、もはや明白です。
 つまるところ、国策を決める政治の動き次第です。
 根本的な解決のためには国民一人一人がよく考え、選挙や輿論という形で政治を動かして行かねばなりません。
 政財界に、原発を使いたい〈今の都合〉があっても、この映画のように事実を伝える啓蒙活動が盛んに行われれば、人々の意識はきっと変わることでしょう。」

○某電力会社役員の友人がいるB氏

「友人は昔から、原発のことについては触れないでくれと言っており、友人づきあいも親戚づきあいも、それが絶対条件なので、彼の周囲で原発を話題にする人はいませんでした。
 彼は決して高望みをせず、黙々とはたらいていました。
 原発事故後は人が変わったように難しい性格になり、周囲は腫れ物に触るような感じで接しています。
 彼にとって、原発はよほど重いものなのでしょうね。
 この映画を観て、彼が抱えてきた苦しみや葛藤や心の闇が、いくらかは想像できるような気がしました。」
 
 映画の最後にある河合弘之弁護士の呼びかけです。

「想像してみてください。
 あなたの住む町が、放射能に犯されることを。
 目に見えない匂いも形もないものが、あなたの未来も過去さえも奪うことを。
 あなたがあなたの家に帰れなくなる。
 町から生活の音が聞こえなくなる。
 毎日挨拶していた人たちと会えなくなる。
 日本人はチェルノブイリを見ても、自分たちにも起こることとは想像できませんでした。
 そして、福島を見ても忘れてしまいそうになっています。
 この映画で感じたことをそばにいる人たちと分かち合ってください。
 この映画のことを新たな原発事故の避難所で思い出すことのないように。
 あなたができることを考えてみてください。」


 地震大国日本における原発の再稼働は世界の脅威ですらあります。
 子々孫々のために、世界のために、しっかり考え、行動したいものです。





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2015
05.12

「むかしの仲間」と「陶の器」 ―葉桜の頃に想う─

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 大正から昭和にかけて活躍した医学者、詩人、劇作家木下杢太郎(モクタロウ)の『むかしの仲間ふるき仲間)』は山田耕筰の作曲によって広く知られている。

ふるき仲間も遠く去れば、また日頃顔合せねば、知らぬ昔とかはりなきはかなさよ。
 春になれば草の雨。
 三月、桜。
 四月、すかんぽの花のくれなゐ。
 また五月にはかきつばた。
 花とりどり、人ちりぢりの眺め。
 窓の外の入日雲。」


 大学を卒業して学問の生活へ入った杢太郎は、「専門の学問と日々の業務」で過ごすようになってほどなく、絵や文学や酒を楽しんできた仲間たちがそれぞれの任地へと去り、会者定離(エシャジョウリ)の悲哀に促され、綴った。
 密かにこの歌を献じた友人とはその後二度、遭遇しただけであり、「一生のうちにもう一度会えるかどうか疑わしい」と書いた2ヶ月後、60才でこの世を去った。
 20代の若さで儚さを痛感した杢太郎は30代になると、ここまで行く。
 

「その昔の夢が、よしや譬(タト)ひ秋の日の
 大(オオ)な樟(クスノキ)の梢のやうに實(マコト)になつたからと云つて、
 それが何になる。
 それが爲めに今の此(コノ)おれが
 どれだけ幸福になつてゐる。
 どれだけ價値(ネウチ)を増してゐる。
 大都東京の街(マチナカ)で人が後を見返って、
 あれこそあの人だとささやき合つたからと云つて、それが何になる。
 人の金を借りて大きな地面を買ひ、
 それをまた人に賣る仲買人の榮耀(エイヨウ)は、
 それは取りたい人に取らせておけ、生から死までただ自分の本当の楽しみの為に本を読め
 ただ自分の本當(ホントウ)の樂しみの爲に本を讀め、
 生きろ、恨むな、悲しむな。
 空(クウ)の上に空(クウ)を建てるな。
 思ひ煩(ワズラ)ふな。
 かの昔の青い陶(トウ)の器(ウツワ)の
 地の底に埋れながら青い色で居る――
 樂しめ、その陶(トウ)の器(ウツワ)の
 青い『無名』、青い『沈默』。」


 何かで成功して財物を貯め、有名になったとて、人間の〈値打ち〉とは無関係である。
 浮き世の栄華や立身出世などに何の価値もない。
 そんなものに煩わされず、地中に埋もれた青磁が何百年経とうと、人知れぬまま、じっと青さに深みや味わいを加えてゆくさまを観よと言う。
 私たちが珍重する古代の青磁は、虐げられた無名の人々が黙々と作業した結果、その人生と汗と精進の結晶として残っている。
 私たちは、何か青磁のような〈本もの〉や〈値打ちあるもの〉を紡ぎ出しつつ生きているだろうか?
 約150年前、こう書いた人がいる。
「事物世界の価値増大にぴったり比例して、人間世界の価値低下が酷くなる」
 
 さて、還暦を過ぎると、仲間たちは加速度的に遠くなる。
 まるで「知らぬ昔とかはりなきはかなさ」で遠くなる。
 もう、死んでいて、さらに遠くなってしまっているかも知れない。
 ――お互い、何か〈青磁〉をつくっているか、あるいは何か〈青磁〉を眺めているか……。
 こうした姿勢と眼だけは失わずに老い、死んでゆきたいと願う。

 木下杢太郎が「むかしの仲間」を書いた「葉桜の頃」になると、こんなことを想う。




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「おん ばざら たらま きりく」※今日の守本尊千手観音様の真言です。
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2015
05.11

第六十四回寺子屋『法楽館』のご案内 ―映画映画『ホタル』を鑑賞して語り合いましょう―

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 6月の寺子屋『法楽館』では高倉健主演の映画『ホタル』を題材に語り合いましょう。
 なお、6月は午後1時30分ではなく、午後1時開始となります。
 イズミティ21前からの送迎車は午後12時30分に出ます。
 おまちがいのないようにおでかけください。



 高倉健は亡くなる13年前、自ら望んで映画『ホタル』を撮った。
 太平洋戦争当時、知覧基地近くで食堂を営み、若い特攻隊員から母のごとく慕われていた鳥浜トメさんの話にうたれた高倉健は、「特攻とは何だったのかを問う映画を作りたい」と願い、降旗康男監督へ相談した。そのおり、いくつもの特攻隊関連の映画に出演してきた高倉健は言った。

「忠君愛国を信じて飛び立つ映画の中の若者と、トメさんの話は全然違っていた。本当のことを伝えずにギャラをもらい、そのまま死んでいくのは嫌だ」


 高倉健は、厳しい検閲を通り抜けた輝かしい特攻隊員の手紙や遺書とは異なるところにある苦しみに感応したのだろう。
 監督は述懐している。

「これはまた随分面倒な話を持ってきたな、と感じました。
 しかし、同時に、絶対にやらなきゃいけないテーマだとも思いました。
 これは高倉健がいなければ実現しなかった映画なんです。」


 もちろん、日本のためになるという信念で飛び立ち、鬼神のごとき勢いで突進した若者は多かったことだろう。
 しかし、厳しい検閲を受ける手紙には到底書けない心の奥底を信じられる仲間や鳥浜トメさんなどへ言い遺し、あるいは託して散った若者たちも少なかったはずはない。
 それは、迷いや疑問や反抗や探求や希望、あるいは不安や絶望が渾然一体となってどんどんとエネルギーを増しつつあった自分の青春時代を思い出せばすぐ想像がつく。
 高倉健の魂へ伝わった「本当のこと」とは、知性と情念の渦にあって生き、死んだ若者たちの膨大な〈実際の思い〉のうち、手紙や記録に記されて歴史を成す事実から〈漏れた〉ものであろう。
 高倉健演ずる年老いた特攻の生き残り山岡秀治(『昭和残侠伝』の花田秀次郎を思い出す)は、韓国人として堂々と散った金山文隆少尉の遺品を届けるため、余命いくばくもない妻(少尉の元許嫁)を伴って韓国へでかける。
 待ち構えた親族に厳しい言葉を投げかけられるが、ぐっとこらえ、尊敬する少尉と語り合った最後の場面を誠実に伝え、御守を渡す。

 山岡と同じ特攻の生き残り藤枝洋二は、昭和の終わりに合わせ、八甲田山で自らいのちを断った。
 孫・真実は遺された日記を山岡へ見せ、物語が展開するのである。

 高倉健主演の映画では同じ降旗康男監督作品『冬の華』を最高傑作とする向きも多かろう。
 しかし、『ホタル』は「高倉健がいなければ実現しなかった映画」であり、最上にランクされるべき作品であると思う。
 ギスギスし、焦(キナ)臭い時代であればこそ、主義主張を離れ、死んでいった人の真実も生き残った人の真実も、ただそのまま描かれたこの作品を、心の裸眼で観ていただきたいと願ってやまない。

 なお、高倉健は東映創立50周年記念作品となったこの映画で第25回日本アカデミー賞の主演男優賞にノミネートされたおり、後輩へ道を譲るとして辞退しているが、特攻隊委員への思いが華やかなスポットライトを忌避させたのではなかろうか。
 死の4日前に完成した手記は「往く道は精進にして、忍びて終わり、悔いなし」と結ばれていた。
 あらためて、耐える姿を演じ抜いた御霊の冥福を祈りたい。

・日 時:6月13日(土)午後1時より(6月より、スタートを30分、早めます)
・場 所:大師山法楽寺
・参加費:1000円(お茶とお菓子付)
・送 迎:午後12時30分に「イズミティ21」前より送迎車有(前日午後5時までに要申込)




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「おん あみりたていせい から うん」※今日の守本尊阿弥陀如来様の真言です。
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2015
05.10

ご祈祷を受けた希望の軍団 ―会社は本来「COM=共に」+「PAN=パン」―

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 早朝、青い作業服姿の面々が10人、文字どおり一堂に会した。
 事業発展と仕事及び社内そして交通の安全を祈るためである。

 半月ほど前、旧知のAさんから電話が入った。
「おかげさまでウチの会社もどうにか~周年を迎えることができました。
 仏神へ感謝し、社会へ感謝し、皆揃ってあらたな気持で再出発したいと思っています。
 早朝ですみませんが、仕事前にご祈祷をしていただけないでしょうか?」

 自宅で起業し、実績と信頼をコツコツと積み重ねてきたAさんは、別な場所に事務所と駐車場を確保し、一歩づつ成長を遂げてきた。
 会社ではたらく漢(オトコ)たちはいつも〈本気な顔〉をしている。
 目には意志を込めた光が宿り、朝も昼も夜も、暑い日も寒い日も、だらけた姿勢は見たことがない。
 老いも若きも「やるぞ!」という気迫に満ちている。

 ご祈祷が終わり、背筋を伸ばしてイスへ腰掛けたままの面々へ申しあげた。
「一日、一日、一年、一年の積み重ね、ご苦労様でした。
 無事安全によいお仕事を続け、さらなる発展をされますよう、祈っています」
 ようやく、硬い顔がやや緩み、社長以下、笑みがこぼれた。

 カンパニーすなわち「会社」という言葉の語源を思い出した。
 「COM=共に」と「PAN=パン」から成り、〈同じ釜の飯を喰う〉仲間の集合体こそが会社である。
 そこには自ずから、〈共に汗を流す〉心が伴っている。
 個々人に経営者と労働者という立場と役割の違いはあっても、共にはたらき、共に社会の役に立ち、共に生きて行く願いを共有している。
 会社は社会的目的と、場と資金と仕事を用意して労働者へ生きがいと生活を保証し、労働者は団結して目的の実現に向かって持ち場なりの役割を誠実に果たす。
 その結果として、仲間が漏れなくパンを手にすることができる。
 全員が同じ志を持った同志である。
 経営者は労働者を〈使い捨ての道具〉として扱わず、労働者も会社を〈利用して稼ぐだけの場所〉と軽んじない。
 場を守り、水や養分や光を確保し、害虫や風雪を除けつつ会社という一本の樹を育て、同志や家族がおいしい果実を得るだけでなく、関係者や社会へももたらしてこの世に笑顔を広めるところにこそ、カンパニーの価値があるのではないか。
 歴史に類を見ない戦後日本の発展は、そうした形で躍動する会社たちや種々の組織がもたらしたのではなかったか。

 まなじりを決し、御札御守を手にした社長が先頭に立ち、次々と礼をして玄関から出て行く漢たちの背中へ朝の暖かい陽光は惜しみなく降りそそぐ。
 A軍団はまぎれもなく希望軍団であり、創造の軍団であり、平和の軍団である。
 〝日本は大丈夫だ……〟と思わされた。
 ただし、条件がつく。
 ――政治が余計なことをしなければ。
 まっとうにはたらく国民一人一人の生活がきちんと守られる公正な社会であって欲しいと切に願う。
 



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「おん あみりたていせい から うん」※今日の守本尊阿弥陀如来様の真言です。
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2015
05.09

5月9日、映画『日本と原発』の鑑賞会を行います

 寺子屋映画鑑賞会を行います。
 詳しくは、http://hourakuji.blog115.fc2.com/blog-entry-4559.htmlをご覧ください。
2015
05.09

丹田に力を入れて浮いて来い ―飯島晴子最期の句―

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 平成12年6月、20世紀最後の年も半ばにして、79才の飯島晴子は自死した。

「丹田に力を入れて浮いて来い」


 最後の句集となった『平日』はこの一句で締めくくられている。

 浮いてこいと呼びかけている対象は浮き人形である。
 セルロイドなどで作られた金魚や舟などの形をしたオモチャで、水中で手を放せばプカリと浮いてくる。
 子供たちは江戸時代の昔から、お風呂や縁日などで楽しんできた。

 そもそも、浮くようにできているから浮き人形であり、もしも沈んでしまったなら子供は当惑し、泣くか、あるいは壊したり捨てたりするだろう。
 しかし晴子は、丹田に力を入れれば浮き上がられるぞ、と励ましている。
 死が脳裏をかすめる生活にあって、自分自身を叱咤していたのかも知れないし、もはや浮く力がなくなりかけている自分へ実現しない希望を投げかけていたのかも知れない。
 

金蝿も銀蝿も来よ鬱頭(ウツアタマ)」

「蛍の夜老い放題に老いんとす」


 呆け、腐りかけている脳髄に金色のハエも銀色のハエも、さあおいで、と呼びかけている。
 蛍の飛ぶ静かな夜は思いが深まり、自分でハッとするような俳句も浮かんで来たものだが、老いた今は輪郭のぼやけた蛍の光を追いつつただ無心に目に入る光景を眺めているだけである。
 気迫は残っているが、もう、頭には深い受容も、鋭い反応も、鮮やかな創出も不可能になりつつある。

 しかし、老いてからの、こうした句もある。

蓑虫の蓑あまりにもありあはせ」


 そのあたりに落ちているものを寄せ集めただけの衣装で寒風に耐えている蓑虫へ、これ以上ないほど温かな目を向けている。

「揉みまくる神輿のたてる土埃」


 同時期に、お神輿が練り歩くお祭のエネルギーを舞い上がる土埃で表現している。

 生きる限りを生き、自分の人生を死ぬまで突きつめ、従容と逝った俳人の鮮やかさに合掌したい。



「のうまく さんまんだ ばざらだん かん」※今日の守本尊不動明王様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=EOk4OlhTq_M





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2015
05.08

原発の原理的問題点は、事故を教訓として生かせないところにある

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地震の多発地帯にたくさんの原発を持っているのは日本だけです〉

 いよいよ明日、映画『日本と原発』の鑑賞会を行います。
 この映画には、「これ一本で原発を取り巻くすべての問題を提起します」と宣言しているとおり、私たちが「原発とは何であるか?」を考えるための問題点がとてもわりやすく、かつ、客観的事実とデータに基づいて示されています。

1 科学の発展は、失敗と改良を繰り返す形でもたらされてきたが、原発においては、そうしたパターンが不可能である

 福島原発の事故には、次のステップへ進むための〈教訓〉とする余裕などありません。
 生活を奪われ、人と家の歴史を奪われ、希望を奪われ、病気や自殺などという形でいのちを奪われた膨大な被害者たちの人生を、いったい誰がどのように〈教訓〉として〈生かせる〉のでしょうか?
 個別的人間の生活が破壊されたというよりも、地域が根こそぎ破壊されたのです。

 被害が及ぶ範囲は、人間の生活上ほとんど〈無限定〉と言わねばなりません。
 放射線量が異常に高まり吉田所長以下が死を覚悟した状況から具体的対応へと進むことができたのは、まったく原因不明ながら放射線量が一時的に下がったからであり、もしもそうした奇跡的変化がなかったならば、手のつけようがない福島原発は放棄され、東京も人が住めない街となって日本は壊滅していたことでしょう。
 事実、そうなるだろうと覚悟したヨーロッパ圏の人々はいち早く日本を脱出しました。

 普通、事故死と言えば、事故によって誰かが亡くなる〈個別の死〉ですが、原発事故は、〈地域の死〉から〈国家の死〉へとつながり、最悪の場合は人間という〈種の死〉すらもたらす可能性を秘めています。
 避難した方々の病死や自殺は個別の死ですが、もはや人間が足を踏み入れることができなくなった山河や町は地域の死を表しており、現場放棄に至らなかった上記のできごとや燃料棒を貯蔵した場所への奇跡的水の流入など、いずれも人間の意志を超えた偶然が重なったために〈国家の死〉へ至らなかったことは忘れられません。
 もちろん、現場に踏みとどまり、今も汗を流している方々の姿勢と努力には感謝しきれません。
 しかしそれはいかに懸命であっても、与えられた土俵で相撲をとるようなものであり、土俵は私たちが科学的に作り上げたものでなく、偶然の重なりによってもたらされたという事実は動かし得ません。

2 原発事故は、検証不能であり、原因究明も困難である

 飛行機事故のような大事故でも必ず科学的方法による検証と原因究明が行われ、二度と繰り返さないための方策が練られ、責任の追及も法的に行われます。
 しかし、原発事故は放射能によってそうした科学的行動を許しません。
 事故から三年以上経った今なお警察も検察も現場検証ができぬままに、日々、病死や自殺などによっていのちを落とした方々のご遺族による訴訟が積み重なっています。
 そして、いったい、事故は地震によって起こったのか、津波によって起こったのか、あるいはいかなる複合によって起こったのか、原因の究明はなされておりません。

3 私たちのできることは、原発を続けるか、やめるかの選択しかない

 原発事故は起こるものであり、起こった時には手の施しようがなく、その被害は人類全体、生態系全体に及びかねません。
 今現在も、私たちの知らぬ間に、山や川や海や里にいる樹木も虫も獣も鳥も魚も、原発事故の放射能によって確実に影響を受けつつあるのです。
 これを繰り返すかどうか、二つに一つの選択は先延ばしできません。
 たとえば、この先30年の間に南海トラフ大地震が起こる可能性は87パーセントとされています。
 その際、真っ先に最も大きな事故が起こりかねないと想定されているのが中部電力浜岡原子力発電所ですが、やっていることと言えば、これまでと同じく防潮堤の建設です。
 そんなことよりも、早く廃炉を決め、いったん燃え出せば日本を壊滅させかねない大量の燃料棒を運び出すべきではないでしょうか。
 福島では、たまたま燃えずに済んだだけであることが、すでに忘れられているのでしょうか。
 そもそも、今現在行われている原発を再稼働させるかどうかの基準は、科学的に安全を保証するものではありません。
 原子力規制委員会の田中俊一委員長の言葉がそれを如実に物語っています。

「私たちは現行の規制基準に適合しているかどうかを判断しているだけであって、絶対安全ということで安全かどうかと言われるなら、それは私どもは否定しています」


 これが科学者の良心というものでしょう。

4 日本が原発を国策として動かし始めたのには二つの理由があった

 日本は資源小国なので、原発の開発による「自動完結型永久エネルギー構想」をもって世界に伍して行こうとしました。
 しかし、胆となる再処理も、高速増殖炉も、六ヶ所村ともんじゅで破綻していることは明白です。
 だから経済合理性を唯一のよりどころとしていますが、リスクが無限大に及ぶ以上、損得の計算は成り立ちません。
 これまでに生じ、これからも時々刻々と増えて行く福島原発の被害を正確に計算し、保証しようとするならば、東京電力はもちろん、日本国家すら成り立ち得ないかも知れません。

 もう一つの理由は、プルトニウム処理の技術を高めることによって核兵器をつくる力を養っておこうというところにありました。
 広島と長崎によって原爆の威力を知った各国首脳は、核兵器が世界を支配する最大の力であると考え、核ミサイルの開発に明け暮れてきました。
 しかし、一方では、核兵器があまりにも非人道的であるだけでなく、人類という「種」そのものを滅ぼしかねない恐ろしいものであるとの認識が広まり、核兵器廃絶は人類の悲願ともなりつつあります。
 被爆国である日本はさすがに表立った行動を控えてきましたが、原発を手放せない理由の一つがこの問題にあることは政府首脳の発言によっても明らかです。

 私たちの判断は子々孫々の生存に直接かかわる重大なものです。
 日本の原発政策がこのままでよいかどうか、目前の損得を離れ、事実をふまえた公の議論が高まるよう願ってやみません。
 



 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「のうまく さんまんだ ぼだなん あびらうんけん」※今日の守本尊大日如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=LEz1cSpCaXA





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