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2015
08.31

9月の守本尊様と真言 ―不動明王―

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〈家具職人増野繁治師の工房〉

 9月は、白露(ハクロ)と秋分(シュウブン)の長月(ナガツキ…9月8日より10月7日まで)です。
 9月は酉(トリ)の月なので、守本尊不動明王(フドウミョウオウ)様です。

 不動明王様は『種々界智力(シュジュカイチリキ)』という、人がいかなる世界の住人であるかを知る「智慧の力」と、無限なる「慈悲の力」を発揮してお救いくださるみ仏です。
 たとえば、地獄界にいる人にとっては光明こそが救いであり、餓鬼界にいる人にとっては飲食できることが救いです。
 住む世界によって何が救いになるかは違います。
 戦乱の中にあれば平和、いじめられている人にとってはいじめの終熄が最も切実な望みです。
 大日如来様の使者である不動明王様は、一人一人の救いとなるものをよく見極め、力をお与えくださいます。
 また、不動明王様は、酉年生まれの善男善女を一生お守りくださる守本尊様でもあり、身体においては、主として胴体をお守りくださいます。
 ご供養し、ご守護いただき、文化の月を心豊かに、無事安全に過ごしましょう。

「是(コ)の大明王は大威力(イリキ)あり。智慧の火を以て。諸(モロモロ)の障礙(ショウゲ)を焼き。亦(マタ)。法水(ホッスイ)を以て。諸(モロモロ)の塵垢(ジンク)を漱(スス)ぐ。
 或(アルイ)は大身(ダイシン)を現じて。虚空の中(ウチ)に満ち。或(アルイ)は小身(ショウシン)を現じて。衆生(ショジョウ)の心に随い。金翅鳥(コンジチョウ)の如く。諸(モロモロ)の毒悪を食(クラ)う。
 亦(マタ)。大(ダイリュウ)の如く。大智の雲を興(オコ)して。法雨(ホウウ)を灑(ソソ)ぐ。
 大刀剣の如く。魔軍を摧破(サイハ)し。亦(マタ)。羂策(ケンザク)の如く。大力の魔を縛(バク)す。
 親友(シンヌ)の童子の如く。行人(ギョウニン)に給仕(キュウジ)す。
 その心驚かず。不動定(フドウジョウ)に住(ジュウ)すればなり。」(『聖無動尊大威怒王秘密陀羅尼経』より)


(この偉大なる明王は無限の威力を持っている。智慧の炎でさまざまな悟りへの障害物を焼き滅ぼし、仏法の教えによって煩悩の穢れを流し去る。
 あるいは巨大な身体となって宇宙いっぱいに広がり、あるいは微細な姿となって人々の心の動きに合わせ、光輝く神の鳥のように、宇宙や心のさまざまな毒や悪を喰い滅ぼす。
 また、巨大なのように大きな智慧の雲を起こし、仏法の雨を人々の心へそそぐ。
 巨大な剣のように、魔ものたちの軍勢を打ち砕き、神力の縄のように、大きな力の魔ものたちをも縛りつけて動けなくする。
 まごころ溢れる童子のように、行者へ尽くす。
 その心は動じない。
 不動の瞑想と悟りの世界へ入っているからである)

 また、不動明王様は、酉(トリ)年生まれの善男善女を一生お守りくださる守本尊様でもあり、身体においては、主として胴体をお守りくださいます。
 ご供養し、ご守護いただき、名月の一ヶ月を無事安全に過ごしましょう。

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 写真は、永代供養を行ってご加護を受けるため、当山の講堂へ納められた不動明王様です。
 総丈は約35㎝あり、日本で唯一、護摩を焚いてできた灰が体内へ納められています。(奉納受付中)〉

 9月の守本尊様をご供養しお守りいただきたい時、願いを成就させたいと念じる時、辛い時、悲しい時、淋しい時、あるいは感謝したい時は、合掌して真言(真実世界の言葉)をお唱えしましょう。
 たとえ一日一回でも、信じて行なえば、ご本尊様へ必ず思いが届きます。
 回数は任意ですが、基本は1・3・7・21・108・1080回となっています。

「のうまく さんまんだ ばざらだん かん」

今月の真言をお聞きになるにはこちらをクリックしてください。音声が流れます


※お聞き頂くには 音楽再生ソフト が必要です。お持ちでない方は、
 こちらから無料でWindows Media Player がダウンロードできます。





 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。




「おん あらはしゃのう」
※今日の守本尊文殊菩薩様の真言です。どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=WCO8x2q3oeM





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2015
08.31

積極的平和とは何か?(その3) ―半世紀前から積極的平和を説くヨハン・ガルトゥング博士―

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〈クモの糸に絡み、宙に舞って落ちない枯葉〉

 8月26日付の朝日新聞に掲載された「『積極的平和』の真意」と題するインタビューである。
 以下〈〉内は北郷美由紀記者の質問、「」内はヨハン・ガルトゥング博士の言葉である。

〈世界各地で紛争の解決にかかわってきました。〉

「200以上の紛争で仲介役をしてきました。
 1958年に米国・バージニア州で人種隔離政策の調査をしていた時、黒人の子が白人の子と同じ学校に通うかどうかでもめていた地域の話し合いを手伝ったのがきっかけです」

〈20世紀に戦争を繰り返したエクアドルとペルーの国境紛争の解決がよく知られています。〉

「1995年に当時のエクアドル大統領から、国境線について意見を求められました。
 私は、土地を共同で管理するという想像力を持つことはできませんかと持ちかけたのです。
 当初は創造的すぎると受け入れてもらえませんでしたが、同国は3年後に二国間ゾーンを提案、これを一部採り入れる形で和平協定も結ばれました」

〈紛争解決の経験をもとに理論化を重ねてきました。〉

「暴力による解決ではない、別の方法はないものかとずっと考えてきたことが大きいですね。
 母国のノルウェーはナチスドイツに占領され、医者で政治家でもあった父は強制収容所に送られました。
 私は当時13歳、地下新聞を配りました。
 ガンジーの非暴力の思想にも大きな影響を受けています」

「私はずいぶん悩んで良心的兵役拒否をしたのですが、平和について学ぼうとしたら、戦争について書かれた本しかありませんでした。
 それで59年に『オスロ国際平和研究所』をつくりました」


 紛争仲介者による現場からの言葉は説得力がある。
 特に「共同管理」は重大な方法ではなかろうか?
 日本では、北方領土問題における現実的な解決策となりはしないだろうか?

 暴力に頼らず、当事者の双方が納得できるような論理的解決策を目ざす。
 平和裡の解決は誰しもが望む道だろうが、よけいな思惑などがからみ、根本的なところへ手をつける決心もつかないうちに抜き差しならぬところまで行ってしまい、ついには血が流され、いのちが失われる。
 ガンジーという普遍的模範があるのに、その何歩も手前でお茶を濁そうとしてしまう。
 権力者になったり、有名人になったり、莫大な資産を手にしたりすると、それらを失いたくない欲望がはたらき、目前を繕う方向へ行くのだろうか。

〈独自のネットワークを通じ、中東情勢をどう見ていますか。〉

「『イスラム国』(IS)の勢いは止まらないでしょう。
 イスラム教徒にとっての夢を語っている側面があるので。ある調査では、サウジアラビアの9割以上の人が、ISはイスラムとして正しいと答えています。
 首を切り落とすことは残虐ですが、民間人もいる地域に空爆を加えることも残虐です。
 ISの側からすれば、自分たちは米国よりも人を殺していないとなります」


 私たちは普段、こうした情報を得ているだろうか?
 ISは残酷非道な悪魔的集団であるかのように言われるが、いかに「(ISと同じ)スンニ派の盟主」と称されているサウジアラビアとはいえ、9割以上の人々が正しいと判断するのには、理由があるはずだ。
 思えば明治時代、日本人は、廃仏毀釈という政府の大号令によって、それまで祈っていた仏像の首を切り落とし、寺を焼き、僧侶を兵士や神官に衣替えさせ、従わない僧侶は殺されもした。
 ISが異教徒の文化遺跡を破壊する行為に対して「狂気である」と避難する資格があろうか。
 世論が一方的に動かされる時、人はたやすく狂気に走るが、空気が変わり正気に戻ると我が行為に唖然とし、深い悔悟の念にとらわれたりする。
 イスラム教徒であろうと仏教徒であろうと、アジアの人であろうとアラブの人であろうと、人はたやすく正気を失う。
 古人は、私たちが正気であるために、「人の振り見て我が振り直せ」と教えた。
 もし、私たちがISに戦慄し、嫌悪感を覚えるなら、私たちの歴史や社会に似たようなことはないか、また、自分自身の心に、同じような状況であれば同じように振る舞いかねない危うさはないか、よくよく省みたいものである。

〈文明の衝突が起きているのでしょうか?〉

「いいえ。今起きていることは、もっと深刻で重大なことです。
 コロンブスの航海に始まる西洋の植民地主義と、民族を分断する形で人工的にひかれた国境線。
 これを解消しようとする動きが生まれ、対立が起きているのです。
 ISは、かつてイギリスの植民地であったイラクを、フランスの植民地だったシリアを取り戻そうとしています」



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 中東やアフリカの地図は、誰が見ても異様である。
 国境線があまりにも直線的に長く長く伸びている。
 そこに暮らしている人々の生活圏と無関係に(きっと強制的に)引かれたことを物語っている。
 博士は、民族や言語や慣習や宗教などを無視して引かれた線に従って生きてきた人々が、矛盾と不条理に耐えきれなくなったのだろうと観ている。
 科学的知恵を武器に応用し、世界中のあらゆる地域を自分の領土として切り取り、世界中から富をかき集めようとしてきた西欧諸国の〈侵略の歴史〉へ「否」が突きつけられていると言うのだ。
 ならば、アメリカが最も尖鋭にIS撲滅を叫んでいる理由がよくわかる。
 イギリスから流れ着いた人々が先住民を滅ぼして奪った場所に建国されたのがアメリカ合衆国だからだ。
 侵略と線引きの歴史に対する否認が根底にあるとすれば、ISの挑戦はまことに「深刻で重大」だ。
 世界全体の激動に結びつきかねない。

〈日本はどのように向き合っていけばよいでしょうか?〉

「西洋の植民地主義に対抗した唯一の国が日本でした。
 当時の日本が非暴力の形で、支配されている人たちに呼びかけていれば、歴史は変わっていたかもしれません。
 安倍首相は戦後70年の談話で、戦前、日本が国際秩序への挑戦者となってしまった過去に触れました。
 けれども、植民地主義というものは挑まれて当然のものだったと思います」


 日本は今、「西洋の植民地主義」への挑戦と戦争の歴史を今の時点で正当化すべきだろうか?
 沖縄の翁長知事は述べている。
「沖縄県は自ら基地を差し出したことはありません。
 米軍に強制的に接収されて基地ができました。
 政府は、普天間飛行場の問題の原点は危険性の除去であると言っていますが、更なる原点は、在沖米軍基地が形成された歴史的経緯にあります。」(7月29日に東京で行われたシンポジウム「いま、沖縄と本土を考える」における発言)
 沖縄県民の8割が辺野古への移設に反対している本当の根拠を考えねば、沖縄における基地問題は解決できないところへ来ている。
 政治は、妥当な地点まで歴史を遡る智慧と覚悟が求められていると言えるだろう。

「日本が米国と軍事力を一体化させていけば、中東で米国の主導する作戦に従事することになるでしょう。
 そうなれば、植民地主義の継続に加担してしまいます。
 米国に追従するのではなく、歴史にもとづく独自性を、外交において発揮してもらいたいです」


 かつて、「西洋の植民地主義に対抗した唯一の国」だった日本の自衛隊が現在、西洋の雄アメリカ軍と一体化しようとしている。
 博士の「植民地主義の継続に加担」という言葉こそ、戦慄して受け止めるべき指摘ではないだろうか。
 私たちは、明治に始まり太平洋戦争の敗戦まで続いた「植民地主義に対抗」する姿勢を、戦後70年経った今こそ、軍事力ではなく、「非暴力」の形で主張すべきではなかろうか。
 そして、世界から戦争と核兵器をなくすという人類の理想を掲げる〈資格のある国〉としての立場を揺るぎなきものにしてこそ、70年を振り返る真の意義が見出せたことになるのではなかろうか。


〈■取材を終えて

「日本の平和運動は一国平和主義」「メディアは暴力ばかりとりあげて、解決策を探ろうとしない」。
 辛辣(しんらつ)な言葉が続いた。
 特別な思い入れがあるだけ、日本の今の状況がもどかしいのだろう。
 博士の指摘や提案を「理想に走りすぎ」「浮世離れしている」と遠ざけてしまうことは簡単だ。
 その方が頭も心も乱れないですむ。
 けれども、それこそが思考停止なのではないかと思う。〉




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※今日の守本尊文殊菩薩様の真言です。どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
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2015
08.30

お彼岸供養会・例祭・寺子屋・写経・お焚きあげ・稲刈り ―9月の行事予定―

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〈自然農法『はせがけ』〉

 平成27年9月の行事予定です。
 当山の法務時間は午前9時~午後5時(お通夜などを除く)ですので、その時間帯にご連絡、ご来山ください。
 なお、本堂にてのお詣りは自由ですが、人生相談やご供養などは完全予約制です。
 必ず事前に日時のお約束(022-346-2106)をお願いします。
 また、葬儀堂『法楽庵』の受け付けは24時間可能です。022(739)8541へご連絡ください。

[第一例祭] 2015/9/6(日)午前10:00~

 護摩法を行います。
 お経の多くが読み下し文なので、内容がとても感じやすく、理解しやすくなっています。
 み仏と万物と万霊をご供養し、願いをかけましょう。
 その月の守本尊様をお讃えする「讃歎経(サンタンキョウ)」は、リズムが良くとても読みやすく、何度も口にしているうちに、だんだんと、ありがたみがわかってきます。
 般若心経もしっかり唱えましょう。
 自由参加です。
 み仏の智慧が輝く護摩の火に身を近づけ、悪しきものは焼き祓い、善き願いへ大きなご加護を受けてください。
 (願い事を書く護摩供養は1体300円です)

・場  所 大師山法楽寺
・送迎申込 開始30分前に地下鉄泉中央駅そばの『イズミティ21』前へ送迎車がまいります。
 乗車希望の方は前日午後5時までに必ずご連絡ください。
(毎月第一日曜日午前10時から開催します)

[書道・写経教室] 2015/9/6(日)午後2:00~午後3:30

 髙橋香温先生は津波で被災されても書道一筋でがんばっておられます。
 先生の熱意と誠意を感じられる貴重な時間です。
 イス席もありますので、お気軽にご参加ください。

・場  所  大師山法楽寺
・指  導  高橋香温(温子)先生
・ご志納金 1000円(未成年者500円)
・送迎申込 開始30分前に地下鉄泉中央駅そばの『イズミティ21』前へ送迎車がまいります。
 乗車希望の方は前日午後5時までに必ずご連絡ください。
(毎月第一日曜日午後2時から開催します)

[第六十七回寺子屋『法楽館』 イスラームについて考える ―理解と共生にむけて―]
 2015/9月12日(土)午後2:00~3::30

 グローバル時代となり、イスラム教やムスリムと接する機会が増しています。
 相手を知ることが友好には欠かせません。
 今月は、アジア・アフリカ研究講座の教授としてイスラム圏の研究にたずさわってこられた黒田卓教授から、イスラムに関する基本的でわかりやすいお話をしていただきます。
 質疑応答もあります。
 どうぞ、ふるっておでかけください。
 黒田先生の言葉です。
「イスラームの宗教も思想も文化も、現実に創り出しているのは、ムスリムたちの人間的な営みです。」
 私たちはどうしても、自分の頭の中にある先入観をもって見聞きします。
 馴染みの薄い対象であるほど、その傾向が強くはたらきがちであると思われます。
 イスラムについては、IS(イスラム国)に代表される原理主義的集団によるテロや、排他的一神教といった固定観念だけで思考停止してしまいがちですが、それでは、現実にイスラム教を信じるムスリムの方々と接した時、通じるはずの心が通じなくなるかも知れません。
 世界中の人々と心を通じ合わせるため、誤解や不安などを消しておく努力が必要です。
 国籍や言葉や思想や宗教や生活ぶりがいかに異なっていようが、私たち人間は、等しく〈人間としての営み〉を日々、続けている人類という兄弟なのです。

・講  師 東北大学大学院 国際文化研究科教授 黒田卓先生
・場  所 日立システムズホール仙台(旧旭ヶ丘青年文化センター)研修室3
・ご志納金 1000円(飲物・お菓子付)
寺子屋は毎月第二土曜日に開催します)

[第二例祭] 2015/9/19(土)

 護摩法を行います。
 お経の多くが読み下し文なので、内容がとても感じやすく、理解しやすくなっています。
 み仏と万物と万霊をご供養し、願いをかけましょう。
 その月の守本尊様をお讃えする「讃歎経(サンタンキョウ)」は、リズムが良くとても読みやすく、何度も口にしているうちに、だんだんと、ありがたみがわかってきます。
 般若心経もしっかり唱えましょう。
 自由参加です。
 み仏の智慧が輝く護摩の火に身を近づけ、悪しきものは焼き祓い、善き願いへ大きなご加護を受けてください。
 (願い事を書く護摩供養は1体300円です)

・場  所 大師山法楽寺
・送迎申込 開始30分前に地下鉄泉中央駅そばの『イズミティ21』前へ送迎車がまいります。
 乗車希望の方は前日午後5時までに必ずご連絡ください。
(毎月第三土曜日午後2時から開催します)

[お彼岸供養会] 2015/9/23(土)午前10:00~午前11:00

 お彼岸には、御霊を供養し、迷いを離れ、人間としてまっとうに生きられるよう祈ります。
 迷いの岸を此岸(シガン)といい、悟りの岸を彼岸と言います。
 此(コ)の岸とは、自己中心でぶつかり合い、傷つけ合う不安と怒りの世界です。
 彼(カ)の岸とは、互いに互いを思いやり、手を差し伸べ合う安心と喜びの世界です。
 渡って行くのは自己中心という深く暗い川です。

 渡る船には六本の櫂(カイ)がついており、バランスよく漕げなければ暴流に勝てません。
 その櫂を六波羅蜜(ロッパラミツ)と言います。
 波羅蜜(ハラミツ)は般若心経でおなじみの波羅蜜多(ハラミタ)であり、「完全であること」「最高であること」などを意味します。
 だから、六つの修行を行って最高の境地に達すれば、彼岸に行き着くことができます。
 自己に関する執着を克服し、他のためにならずにはいられない利他の思いが起こるのです。
 そうなられたのがお地蔵様や観音様や文殊様などの菩薩(ボサツ)ですが、実は、私たちも、心がけ次第で、いつでも菩薩になれるとされています。
 それが即身成仏(ソクシンジョウブツ)です。
 この六つは、もう、皆さん、すっかりおなじみの教えです。
1 布施(フセ)…施すこと。お水を捧げて布施の実践を誓いましょう。
2 持戒(ジカイ)… 戒めを守ること。塗香(ズコウ)を手に塗って持戒の実践を誓いましょう。
3 忍辱(ニンニク)…忍耐すること。お花を飾って忍辱の実践を誓いましょう。
4 精進(ショウジン)…努力をし続けること。お線香を点して精進の実践を誓いましょう。
5 禅定(ゼンジョウ)…心身を整え心を乱さないこと。飲食物を供えて禅定の実践を誓いましょう。
6 智慧(チエ)…自己中心を離れ、真理・真実を観ること。お灯明を点して智慧の実践を誓いましょう。

 昨年同様、本堂での供養会が終了した後、不戦堂で「不戦日本」を百八返お唱えします。
 どうぞ、ご一緒にご唱和ください。
 方法はどうであれ、何としても『戦争をしない日本』の永続を共に祈ろうではありませんか。

・場  所 大師山法楽寺講堂
・参  加 どなた様も自由に参加できます。どこにおられる御霊の供養もできます。
・送迎申込 開始30分前に地下鉄泉中央駅そばの『イズミティ21』前へ送迎車がまいります。
 乗車希望の方は前日午後5時までに必ずご連絡ください。

[「はせがけ」の準備] 2015/9/23(土)午後1:00~午前

 無農薬・無肥料の『法楽農園』は今年も稲刈りの時期を迎えました。
 何とか頑張って伝統的な「はせがけ」による自然乾燥を行いたいと願っています。
 つきましては、はせがけの準備を行いますので、たとえ1時間でも、ご協力をお願い申しあげます。
・場  所 『法楽農園』大和町宮床字中野84―2 (当山のすぐ近く、セブンイレブン様から一分です。福祉施設『野のゆりホーム』様の看板からお入りください)

[お焚きあげ] 2015/9/26(土)午前10:00~11:00

 本堂のお不動様の前で「供養会」を行い、不動堂の後で「お焚きあげ」もいたします。
 人形や仏壇や写真など、燃えるものも、燃えないものも大丈夫です。
 一緒にお不動様のお経を読み、真言を唱えましょう。
※お焚きあげをご希望の方は、必ず電話などで日時を連絡の上、お品をご持参、あるいはお送りください。
 当日とは限らず、受け付けは毎日、行っています。
(毎月最終土曜日午前10時から開催します)

稲刈り] 2015/9/26(土)・9/27(日)午後8:00

 手押しの機械で刈り取り、はせがけの台へかけて乾します。
 たとえ1時間でも、ご協力をお願い申しあげます。

・場  所 『法楽農園』大和町宮床字中野84―2 (当山のすぐ近く、セブンイレブン様から一分です。福祉施設『野のゆりホーム』様の看板からお入りください)

[機関誌『法楽』の作製] 2015/9/28(月)午前9:00~午後1:00

 講堂にて、機関誌『法楽』を作り、機関紙『ゆかりびと』と共に発送しますので、ご協力をお願いします。
 『実語教・童子教』も共に学びましょう。
 おかげさまにて、『法楽』は第308号、『ゆかりびと』は第171号となりました。

・場  所 法楽寺講堂
(毎月最終月曜日午前9時から開催します)

[隠形流(オンギョウリュウ)居合道場]

 仏法に生きる身体と心をつくるために行います。 
 九字を切り、守本尊様のご加護をいただく密教独自の剣法です。
 高齢者の方々や女性が多く、厳しいながらも和気藹々(ワキアイアイ)と稽古しています。
 入門ご希望の方は、事前に連絡の上、まず、見学してください。

・日  時 毎週金曜日 午後7:00~9:00
・場  所 日立システムズホール仙台(旭ヶ丘青年文化センター)

◎清掃奉仕

 毎週金曜日、ご縁の方々が最も多くおでかけになられる土曜・日曜の前日に、境内地などの清掃や草取りなどを行います。
 皆さんのご都合に合わせて、何時でも自由にでかけられ、大きな徳積みをされてはいかがでしょうか。
 その日ごとに作業のポイントを貼り出しますので、ご覧の上、どうぞご参加ください。
 どなたでも参加できます。

・日  時 毎週金曜日午前9時~午後5時
・場  所 法楽寺境内地など




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「のうぼう あきゃしゃきゃらばや おん ありきゃ まり ぼり そわか」※今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=IY7mdsDVBk8





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2015
08.29

殺生は悪、いのちは一つ ―戦争について思う―

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 安全保障関連法案に関する国会での審理と輿論の動きに関し、宗教者としての懸念を述べてみたい。

1 不殺生について

 まず懸念の第一は、戦争〈について〉の議論は激しいが、その過程において戦争〈を〉考える視点が薄れているのではないか、という問題である。
 戦争は国家が意志を通すために他国を攻撃することであり、それはそのまま、他国の人々を殺し、生活を奪うことを意味する。
 すなわち、仏教で説く、不殺生戒に反する最悪の行為である。
「人を殺してはいけない」。
 これは誰でも知っている。
 しかし、人も国家も、たやすく人間が人間たり得る人倫の土台を忘れる。
 昭和18年11月、日本の遥か南東に位置する現キリバス共和国、ギルバート諸島のタラワ島及びマキン島で守備隊5383名が全滅した。
 このできごとを陸軍参謀本部の『機密戦争日誌』は記している。
「〝タラワ〟〝マキン〟占領さる。全般の戦争指導上問題とするに足らざる些事なるも、敵の宣伝価値大なり」。
 すでに南方諸島では敗戦に次ぐ敗戦で膨大な将兵が戦死し、ついには守備隊が全滅したという戦慄すべき事態に対し、ささいなできごとであると書く者たちは、もはや戦争〈を〉考えていなかったのではないか。
 
 戦争は手足が吹き飛び、腹に穴が空き、脳髄が流れ出て人間が死んで行くできごとである。
 1人の戦士は何10人、あるいは何100人もの人々へ耐えきれぬほどの悲嘆をもたらし、ついには生活の崩壊も招く。
 その真実を自分や家族や友人などに置き換えて想像する姿勢が霧消していたのだろう。
 その結果、沖縄の悲劇や日本中の空爆や原爆投下まで行ってしまったことは幾度でも思い起こされねばならない。
 無惨な殺し合いという戦争の真姿を忘れて机上の議論を続ければ危うい結論を導き出しかねないことをよくよく考えたい。
 殺生はまぎれもなく、決してなしてはならない悪事なのである。

2 輪廻転生について

 懸念の第二は、戦争は人間だけを殺すのではなく、数え切れない生きとし生けるものたちのいのちを奪うという問題である。
 そもそも、自分の「いのち」はどこにあるのだろう?
 ネコや鳥や花や樹木の「いのち」は?
 特定できず、指し示しもできないが、それぞれの身体を縁としていのちがはたらいていることは自明である。
 仏教はその真実を輪廻転生として説いた。
 いのちを分け持った特定の生きものとして誕生してきた私たち生きものは、拠り所とする小さな身体が亡びれば、いのちは拡散して元々の世界へ還って行く。
 この繰り返しにおいて、〈人間も他のいきものたちも何ら、区別がない〉。
 これが輪廻転生の本旨である。
 そして、いのちの世界がこの世としていかに現象し、変化して行くかは、今の生き方にかかっている。
 これが因果応報の倫理的側面である。

 しかるに、戦争という人間のみになし得る悪行は、標的とする人間を殺そうとして、物言わぬ無数のいきものたちをも殺し、生活の場を奪う。
 人間一人が斃れ伏す時、その何万倍もの生きものたちがいのちを落とす。
 戦争は実に、私たちがこの世に生を承けたことへの感謝ではなく、その正反対である恩知らずの行為であることを忘れてはならない。

3 明治以来の歩みについて

 思えば、明治以来の日本は、西洋に追いつけ追い越せと、西洋化を急ぐあまり、不殺生輪廻転生を忘れてきたのではないか?
 仏教者は、戦争に邁進する国家権力を怖れ、はばかって不殺生を説かず、科学へ傾斜する世論に任せて輪廻転生も説かず、ついに、ここまで来てしまった。
 自省し、恥ずること大である。
 今こそ、日本人の背骨であり足腰であったはずの不殺生戒と輪廻転生の思想をはっきりと取り戻したい。




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2015
08.28

花と闇に観る生と死 ―山﨑鈴子氏の世界―

201508280001静まるとき

 8月27日の産経新聞で画家山﨑鈴子氏を知り、ネットで調べた。
 朧に、しかし輪郭は確かに咲く花と、背景に広がる闇の彩りに驚いた。
 32才の彼女は、3年ほど前から花をモチーフにし始めたが、きっかけは、「夕方のハス池で花びらを散らしたハスを目に」し、「それまで花を意識したことがなかったのに、なぜかとてもきれいに感じてすぐに描きたくなった」からだという。
 特に好んで描くのは菊だが、観賞用の菊は、余分な蕾を摘み取ってしまわないと大輪をつけない。
 咲き損なった花々のいのちが一輪を育てる。

「美しく咲く菊は光の当たる部分とそうでないものがある。
 人も同じで、生きていくなかでいろいろ犠牲にしているものがある」


 展覧会「Middle World」にこんな言葉を寄せている。

「一日の始まりと終わり。
 その狭間には何か 特別な時間が存在している。
 それは光と闇に存在する目には見えない何かをつかみとる感覚、あるいは不安定な感覚を覚えるミステリアスな瞬間だ。
『夜でもあり、昼でもある。明るくもあり、暗くもある。』つまり、見方によって希望にも絶望にもなりうる。
 そのどちらとも言えない、またはその両方が融合した世界が《Middle World》なのかもしれない。
 私にとって世界は儚く、柔軟に変化し漂いながらバランスを保つものである。」


 ハスは早朝から咲き、昼を過ぎると早々に花びらを閉じ始めるが、氏のハスは夜に咲いている。
 咲くはずのないものがそこに息づいている。
 ハスは、存在していないはずのものであるがゆえに、強い自己主張はもたない。
 しかし、夜を支配する闇の確かさによって存在を薄められながらも、ハスは、そこにある。

201508280007夜半

 ある花育て名人から聴いた話を思い出す。
 春に咲く花を、秋のうちに、ちゃんと調整した土中に置くという。
 冬を越える時間の中で、寒さや氷などで変化する土に馴染み、春の変化をしっかり受け止めて見事に咲いてくれるらしい。
 冬は土も多くの植物もただ寝ていると思っていた小生は、目を見開かされた。
 冬には冬のはたらきがあるからこそ、目につく春の動きが生ずるのだ。

 氏の花たちはまるで、夜の闇から潤いをもらいつつ咲いているかのようだ。
 死の世界と生の世界が融け合っている。
 氏はあの夕刻、生と死の間(アワイ)を観たのではなかろうか。

201508280008夜想曲

 作品に『夜想曲』は東日本大震災があった年に描かれた。
 花びらたちが、暗い闇に融け入り、やや明るい闇に浮かびあがりながら舞う。
 氏は言う。

「今年、未曽有の災害が起き、多くの人が悲しみに打ちひしがれ、また生きていることの喜びを改めて感じただろう。
 私は両義性の象徴として『花びら』を描き、生きる喜びと同時に計り知れない悲しみがあることを表現しました。」


 氏の美は憩いとなり、安らぎとなる。

 季刊誌『風の旅人』の編集長佐伯剛氏は復刊第四号の最終頁で言う。

「あと10年ほどで、バブル崩壊後に生まれた人達が社会の主要なポジションにつくようになった時、人生観や幸福感が今とは異なった社会が出現するのだろうか。
 それとも、相変わらず贅沢品をたくさん購入する事が豊かで幸福であると、人々が錯覚しているのだろうか。」

「二〇世紀までは、人は、死を生の終わりとみなし、現在から未来の終わりに向かって直線的に時が進んでいくのが当たり前の感覚だった。
 そして、生が終わる前にできるだけ楽しくしようという発想は、消費文明と相性がよかった。
 しかし、これからは時間感覚や生命観が逆向きになる可能性がある。」

「二〇世紀の物質文明の呪縛から解き放たれ、冷静に考えれば誰でもわかることだが、私たちにとって何よりもかけがえのないものは、いつか必ず死ぬことが定められた、限られた命だ。
 人生のどの瞬間も最初にして最後の命。
 幸福や豊かさの実感は、その命のかけがえのなさを自覚して、自分の行動に結びつけて生きていくことができるかどうかに左右されるのではないか。」


 山﨑鈴子氏は、今、時代に求められて出現した画家ではなかろうか。




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2015
08.28

積極的平和とは何か?(その2) ―半世紀前から積極的平和を説くヨハン・ガルトゥング博士―

201508270005.jpg
〈仙台弁護士会が主催する市民集会〉

201508270006.jpg

 8月26日付の朝日新聞に掲載された「『積極的平和』の真意」と題するインタビュー記事である。
 以下〈〉内は北郷美由紀記者の質問、「」内はヨハン・ガルトゥング博士の言葉である。

〈――安全保障関連法案は、中国や北朝鮮からの脅威に備えるために抑止力を高めるものだと説明されています。〉

「日本が米国とともに集団的自衛権を行使するようになれば、中国はさらに軍備を拡張するでしょう。
 その結果、東アジアにはかつてない規模の軍拡競争が起きる。
 そこまで考える必要があります」

「北東アジア共同体の創設を提案したい。
 メンバーは日本と中国、台湾、韓国、北朝鮮、ロシアの極東部。
 本部は地理的にも中心で、琉球王国時代に周辺国と交流の歴史をもつ沖縄に置いてはどうでしょう。
 モデルはEC(欧州共同体)です」


 互いに喉元へ刃を突きつけ合う恐怖の軍事的均衡ではなく、隣組同士の親和をこそ目ざすべきではないかと説いている。
 EC(欧州共同体)をモデルにという提案はもっともである。
 永年にわたって敵対し、侵略もし合って来た国々が幾多の困難を乗り越えて一つになった。
 そして、そうした国家間の侵略事件は以後、起きていない。
 

〈――政治体制が異なり、領土問題も抱えるそれぞれの二国間関係を考えると実現は難しいのでは。〉

「政治体制が異なっても、協力はできます。
 協力することに慣れていないだけです。
 互いの悪い点ばかり見ていては関係はよくなりません。
 共同プロジェクトを通じて良い点を発見しながら、段階的に進めていくのです。
 すでにNGOや民間レベルでは、相互の交流や協力関係が進んでいます」

「領有権を主張しあっている土地は、共同管理とする。
 尖閣諸島も竹島も、北方領土もです。
 それぞれに言い分があるのですから、そうでないと解決できません。
 答えは実はシンプルなのです」

「大切なことは、未来の理想的な状況から考えてみることです。
 あなたは将来、どのような北東アジアに住みたいか。
 このことをそれぞれが真剣に考えていけば、共同体はそう遠くない将来に実現すると思っています」


 重要なキーワードは「共同管理」と「未来の理想」である。
 領土問題はどこかの時点で区切をつけねばならない。
 尖閣諸島、竹島、北方領土はこれまで、事実上の棚上げという対応策がとられてきた。
 しかし、一方からの強い主張や激しい行動がとられると、一気に国家間の緊張が高まる。
 各国政府が内政に行き詰まると領土問題にスポットライトを当て、政権の浮揚策に用いたりもしてきた。
 この繰り返しだけでは、常に火種を抱えているようなものであり、いつ、燃え上がらないとも限らない。
 お互いに未来の理想をイメージすることにより、叡智を寄せ合った解決策が導き出せるのではないか。
 博士は、数々の難問に対処してきた体験上、共同管理という方法の検討を提案している。
 本気になって解決をはかれば、道が見出せるのではなかろうか。

〈――日本とのかかわりが長く、中央大や立命館大などで教えてきました。
 積極的平和への理解は深まっていると思いますか。〉

「たとえば江戸時代は、消極的平和です。
 戦争はなかったものの、対外関係で何もすることがなかった。
 積極的平和を実現するためには、未解決の問題を解決して、紛争の種をなくしていく必要があります。
 解決には和解が伴わなくてはなりません。
 日本は中国や韓国との和解に向けたプロセスがまだ十分ではありません」

〈――平和貢献のために具体的に何が必要ですか。〉

「国際紛争を解決する手段として武力を放棄した憲法9条1項を堅持すると、国連総会の場で表明することです。
 条文と矛盾する政策は改め、攻撃能力の高い武器は手放す。
 そのうえで各国に9条の採用を呼びかけてほしい。
 1928年のパリ不戦条約を実現することにつながるからです」

「誤解しないでほしいのですが、私は専守防衛のための軍事力は必要だという立場です。
 百%の理想主義者ではありません」


 憲法9条1項の堅持とは、こういうことである。
「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」
 つまり、日本は戦争をしないという宣言である。
 また、パリ不戦条約は、昭和3年に、日本、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、イタリアなど15か国が署名し、後に63に膨れ上がった戦争放棄の条約である。
「パリ不戦条約 第一条
 締約国は国際紛争解決の為戦争に訴ふることを非とし且其の相互関係に於て 国家の政策の手段としての戦争を放棄することを其の各自の人民の名に於て厳粛に宣言する」
 この条約は簡単に破られ、世界大戦が起こった。
 しかし、地球上から戦争をなくすことは、戦争で設けようとする人々や国家以外、すべての人々が持つ永遠の願いである。 
 自ら戦争をしない今の日本なら、「地球上から戦争をなくそう」と主張する資格がある。
 この資格こそ、日本の国際的価値ではなかろうか。




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2015
08.27

積極的平和とは何か?(その1) ―半世紀前から積極的平和を説くヨハン・ガルトゥング博士―

201508270001.jpg
ヨハン・ガルトゥング博士〉

 ようやく「積極的平和」本家の真意が確認できた。
 ノルウェーの平和学者、ヨハン・ガルトゥング博士が8月26日付の朝日新聞で「『積極的平和』の真意」と題するインタビューに答えたのである。

「『積極的平和主義』を旗印に、戦後日本の安全保障政策の大転換に突き進む安倍晋三首相。
 半世紀近く前から『積極的平和』を説き続ける平和学の第一人者の目に、今の日本の姿はどう映っているのか。
 日本の市民らの求めに応じて来日したノルウェーのヨハン・ガルトゥング博士に聞いた。」

 積極的平和という言葉が1960年代から、氏によって提唱されているものであること、及び、その内容がいかなるものであるかという点について、これまで正確な報道がどれだけ行われてきただろうか。
 安倍首相の提唱する「積極的平和主義」と、半世紀前から訴え続けられてきた「積極的平和」をよく見比べ、平和と戦争を考えるきっかけとしたい。
 以下〈〉内は北郷美由紀記者の質問、「」内はヨハン・ガルトゥング博士の言葉である。

〈――安倍政権は日本の安全保障の基本理念として、国民の生命を守りつつ、世界の平和と安定のために積極的に取り組むという『積極的平和主義』を掲げています。
 一方、博士は1960年代に、戦争のない状態は『消極的平和』にすぎず、貧困や差別といった構造的な暴力のない『積極的平和』を目指すべきだと提唱しました。
 安倍政権の積極的平和主義をどのように評価していますか。〉

「積極的平和のことを、私は英語でPositive Peaceと呼んでいます。
 日本政府の積極的平和主義の英訳はProactive Contribution to Peaceです。
 言葉だけでなく、内容も全く異なります。
 積極的平和は平和を深めるもので、軍事同盟は必要とせず、専守防衛を旨とします。
 平和の概念が誤用されています」

「参院で審議中の安全保障関連法案は、平和の逆をいくものです。
 成立すれば、日本は米国と一致協力して世界中で武力を行使していくことになるでしょう。
 そうなれば、必ず報復を招きます。
 日本の安全を高めるどころか、安全が脅かされるようになります」


 博士の説く『積極的平和』は、戦争がない状態の先を目ざす。
 貧困や差別といった人権を破壊する要因がなくなってようやく、人は平和を実感しながら生きられるという生の真実に立った概念である。
 世界中に広がる貧困や紛争の現場で「構造的暴力」に苦しむ人々へ手を差し伸べてきた博士の深い思いやりが根底にある。

 一方、安倍首相の「proactive contribution to peace」は普通、諸外国からどう読まれ得るか?
 まず「proactive」は、「相手の行動を待たず、自らが先に行動を起こす」という意味である。
 米軍が愛用して有名なこの単語は、平和時には文字どおり被害が拡大する前の迅速な災害救助活動などとしてはたらくが、軍事的には、単純に「やられるまえにやる」という姿勢である。
 明らかに守るイメージではなく攻撃するイメージである。
 どこにも「専守」などという気配はない。
 また「contribution to peace」は「平和への寄与」であり、全体として読めば「先がけた平和への寄与」となる。
 今回のように軍事同盟の強化と共に用いられれば、「相手からやられる前に相手を倒し、自分がやられないようにする」ということになるのではないか。
 これは、米軍が世界中に基地を置き、アメリカがやられないうちに相手を攻撃するという日々、起こっている事象そのものではなかろうか。
 アメリカは世界を支配するため、6つの管轄地域を定めている。
 アメリカ北方軍(北米担当)、アメリカ中央軍(中東担当)、アメリカアフリカ軍(アフリカ担当)、アメリカ欧州軍( 欧州担当)、アメリカ太平洋軍(アジア・太平洋地域担当)、アメリカ南方軍(中南米担当)。
 また、平成21年の「アメリカ海外基地現状報告」によれば、米軍の海外基地数は706である。

 博士はこうした事実をふまえ、「成立すれば、日本は米国と一致協力して世界中で武力を行使していくことになるでしょう」と言い切っている。

〈外交や安全保障政策の発想に何が足りないのでしょう。〉

「日本外交の問題は、米国一辺倒で政策が硬直していることです。
 創造性が全くありません。
 外務省は米国と歩調を合わせることばかり気にしています。
 米国に問題がある場合は、そこから目をそむけてしまいます。
 あると言われた大量破壊兵器がなかったイラク戦争を検証していないのも、そのせいです」

「軍縮を訴えているのに、軍縮を実現するために必要な国際問題の解決策を打ち出そうとはしません。
 紛争解決に本当に後ろ向きだと思います。
 興味すらないのではと疑うほどです」

「硬直しているという点では、憲法9条を守れと繰り返すだけで、具体的な政策を考えてこなかった平和運動も同じです。
 私が日本に初めて来たのは1968年ですが、9条を『安眠まくら』にしている点は今も変わりません。
 そうしているうちに安倍政権による解釈変更で9条1項の精神が破壊されようとしています。
『安眠まくら』はもはや存在しないことを自覚すべきでしょう」


 平成を生きている私たちの後世に対するぬぐいきれない恥と慚愧は、いまのところ、二つあるよう思える。
 一つは、アメリカの言う正義に同調し、自衛隊が海外で兵士を運び燃料を補給して参加したイラク戦争の前提となる大量破壊兵器がなかったという事実に対し、当時の政治判断を含む検証がなされず、イラク国民へ結果的に膨大な被害と混乱をもたらした責任も議論されななかったこと。
 もう一つは、福島原発の事故と発生した甚大な被害について、原発の推進という国策を推進してきた人々の誰も、いかなる責任もとらなかったことである。

 また、『安眠まくら』の指摘は厳しい。
 9条1項は人類永遠の理想だが、2項がまったく空文化し、日米安保条約と日米地位協定によって日本はいまだに事実上、米軍の占領下にある。
 だから、たとえば、8月12日には、沖縄県うるま市の伊計島沖に米陸軍ヘリコプターH60が墜落して自衛官2名を含む6人が負傷し、8月24日には、相模原市中央区の米陸軍施設「相模総合補給廠(ショウ)」で爆発・火災の事故が起こっても、日本側は一切、捜査も裁判もできない。
 アメリカ人の住宅地では絶対に行わない低空飛行訓練を、沖縄はもちろん、日本中のどこででも自由にやるという明らかに日本人の人権を無視した差別に甘んじていなければならない。
 これで独立した国家と言えるだろうか?
 米軍が日本の領土内で何をやっても、「遺憾の意を示し、事実の報告を求め、再発防止策の徹底を申し入れる」だけである。
 これまでずっと、こうして来たし、このままでは、ずっと、こうして行くしかない。
 ――何十年も、何百年も。
 これ以上、9条2項と在日米軍に頼ってばかりいられないのではないか?
 そろそろ、持っているはずの「創造性」を発揮すべきではないだろうか?
 博士の言う「積極的平和」に向かって。
 ちなみに、日本国憲法9条はこうなっている。

「1. 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
 2. 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」




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「おん あみりたていせい から うん」※今日の守本尊阿弥陀如来様の真言です。
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2015
08.27

【現代の偉人伝】第210話 ―列車内テロを防いだ3人のアメリカ人

201508270002.jpg
〈右手前がスペンサー・ストーン氏。中央がアイユーブ・ハッザーニ容疑者〉

 8月21日、パリ発アムステルダム行きの交際高速列車内で、自動小銃カラシニコフなどで武装したモロッコ人のアイユーブ・ハッザーニ容疑者(26)が発砲した。
 列車には、映画「ベティ・ブルー」などで知られるフランス人男優、ジャン・ユーグ・アングラート氏を含む554人の乗客がおり、大惨事になりかねなかった。
 車掌が武装して手洗いから出て来た男を取り押さえようとして失敗したが、乗り合わせていた米空軍1等空士のスペンサー・ストーン氏(23才)、オレゴン州兵のアレック・スカーラトス氏(22才)、大学生のアンソニー・サドラー氏(23才)などが加勢してテロを未然に防止した。
 以下は、ウォール・ストリート・ジャーナルの記事である。

 男性らの家族は22日、テロ攻撃による大惨事を回避できたことと、3人の友人同士が九死に一生を得たことを嬉しく思うと話した。

 バプテスト教会の牧師であるサドラーさんの父親は「天のはからいだったと信じている。そこに彼らが居合わせ、事態が収まったことに感謝する」と語った。

 家族の話によると、男性3人はポルトガルのアゾレス諸島にある米空軍基地に配属されているストーンさんの休暇に合わせてオランダで合流し、アムステルダム発パリ行きの高速列車に乗車した。

 ストーンさんの母親によると、ストーンさんは列車の中で眠っていたが、車両のガラスが割れる音で目を覚ました。

 サドラーさんの父親によると、サドラーさんは父親にこう話した。
 車掌が車内後方へ走っていき、自動小銃カラシニコフで武装した男が手洗いから出てきたところを取り押さえようとしたが失敗した。そこで3人が加勢した、と。
 ストーンさんとスカーラトスさんは銃を持った男に飛びかかり、サドラーさんもそれに続いたという。
 男がカッターナイフでストーンさんに切りつけようとした時、スカーラトスさんが自動小銃を取り上げ、男が発砲するのを防いだ。

 ストーンさんの母親によると、男はストーンさんの背中を「複数回切りつけ」、片方の手の腱(けん)と神経が切断された。
 母親はストーンさんから聞いた話として、男はもみあいの最中に拳銃を取り出してストーンさんの頭に突きつけ、2回引き金を引いたが「発砲しなかった」と語った。

 当局によると、3人は他の乗客数人の加勢も得て、最終的に男を取り押さえた。
 ストーンさんのけがは生死にかかわるようなものではない。
 母親は22日、「今日(ストーンさんは)手術を受けた。手は完全に使えるようになる(と言われた)」と話した。
 3人が乗っていた列車は事件発生後、ベルギーとの国境に近いフランスのアラスで停車した。

 スカーラトスさんの父親によると、スカーラトスさんは事件の約2時間後にオレゴン州の自宅に電話をかけ、「お父さん、列車の中でテロリストをやっつけた」と話したという。
 父親は「(スカーラトスさんが)アムステルダムからパリに向かっていたことさえ知らなかった」と言う。
 スカーラトスさんも列車の中で眠っていたが、「発砲とガラスの割れる音」で目が覚めたと父親に話した。
 スカーラトスさんが男の銃の「弾倉が抜けたか、詰まったような音を聞き、その時、『よし、スペンサー、行こう』と言った」。

 父親によると、空軍兵のストーンさんが「男に飛びかかり、床に押し倒した」。
 そして自動小銃を取り上げ、その後に拳銃も奪ったという。

 ストーンさんの母親によると、カリフォルニア州サクラメント近くのカーマイケルで育ったストーンさんとスカーラトスさんは隣同士で、よく一緒にペイントボールや軍隊ゲームで遊んでいたという。
 またサドラーさんは、父親によると隣町のランチョコルドバで育ち、現在は近くの州立大学でスポーツ医学を専攻する4年生だという。
 3人とも同州フェアオークスにあるフリーダム・クリスチャン・スクールに通った。

 フランス当局者は22日、ストーンさんはすでに病院を後にし、同日遅くにパリに向かって出発したと話した。


 ハッザーニ容疑者は補充用の弾倉に270発の銃弾を持っていたほか、ガソリンや爆発物も用意していた。
 犯行前にイスラム過激派指導者が「武器を取り預言者のために戦え」と呼びかける動画を携帯電話で見ていたといい、計画的なテロ事件だった。
 ハートリー駐フランス米国大使は「彼らは真の英雄だ」と讃えた。
 フランスのオランド大統領は24日、3人と他の英国人男性1人の4人を大統領府へ招き、最高勲章のレジオン・ドヌールを授与し、「いのちがけで戦ってくれなければ、殺戮が起きていただろう」と謝意を述べた。

 アレック・スカーラトス氏が『よし、スペンサー、行こう』と声をかけたあたりは、9・11テロを描いた『9・11生死を分けた102分』にある以下のシーンを思い出させる。

 ビジネススーツに身を包んでいた会計士ディヴィッド・カーンズ氏は、現場へ向かう。

「事件のことを知った彼は、車でロングアイランドへ走り、海兵隊の装備をしまってある貸ロッカーへ行った。
 海兵隊勤務は数ヶ月前に終了していたが、彼の制服のズボンとジャケットはきちんとプレスしてあった。
 すばやく制服を身につけると、理髪店まで車で行って、髪をぎりぎりまで刈りこんだ。
 次に教会に寄り、牧師に頼んで祈りを捧げてもらった。
 そして新車のコンヴァーティブルの屋根をおろして、ロウワーマンハッタンを目指した」

「現場に着いてみると救助隊員たちは茫然自失の状態で意気阻喪し、組織だった捜索はまったく行なわれていなかった。
 カーンズは同じ海兵隊の男をみつけた。
 トマスという軍曹で、ファーストネームはわからない。
『行こう、軍曹』カーンズは言った。
『ひとまわりしてみよう』
 周囲にはひとりも人がいなかった。」



 ディヴィッド・カーンズ氏も、米兵らも、決断し、毅然と行動する真の勇者たちである。
 忘れられない。




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2015
08.26

性格は変えられない? ―過去世の因縁と人生の危機、そして決心―

2015082600102.jpg
〈密教世界を表す根来寺の多宝塔〉

 よく耳にします。
「生まれ持った性格(性分)だからどうしようもない」
 なぜ、性格や性分といったものは変わりにくいのでしょうか?

1 元々、その人固有のもので簡単には変わらないものを性格という

 あまりにも当然ですが、その人が〈どういう人〉であるかを表しているのが性格であり、もしも性格がコロコロ変わったならば、私たちはその人とおつき合いができません。
 私たちは、〈何ものでもない人〉や〈何ものにもなる人〉とは安定した関係を構築できないからです。
 そもそも、自分の性格が日々、変わるならきっと発狂することでしょう。
 もし、今朝起きた時、昨日とはすっかり別人のようになっていたなら、私たちは今日をどう生きればよいのかわかるでしょうか?
 少なくとも、怖(オ)ず怖ずと手探りするようにしか過ごせないのではないでしょうか。
 そして、次の朝も凄まじい変化があったなら、耐えられるはずがありません。

 性格は生まれ持ったものであり、その人が〈そういう人〉として生まれた原因は現在にも未来にもない以上、過去世因縁が〈そういう人〉として結実したのが性格であると言えましょう。
 もちろん、育ち方や生き方が性格に陰影や彩りや深みを与え、変化はしますが、なかなか大転換はできません。
 このように、姓名同様にその人を特定できるほど一定しているからこそ性格と呼ばれるのであり、変わらないのは当然です。

2 変わる場合もあるが、それは往々にして、危機がきっかけとなる

 こういう言い方も、よく、耳にします。
「あの人はすっかり別人みたいになった」
 なぜ、変わらないはずの性格が変わったのでしょうか?
 それは、その人がその人のままではいられないような危機に直面したからです。
 もしも、危機をうまく克服できれば、それは弱点や歪みが克服され、長所が伸びたことを意味します。
 もしも、危機をうまく克服できなければ、それは、弱点や歪みに負け、長所が破壊されたことを意味します。

 たとえば、好きな彼女が暴漢にからまれた時、虫一匹も殺せないほどおとなしく、ケンカをふっかけられては泣かされ、大声など出したことのない男性がその前に立ち塞がったとします。
 もちろん、足はガクガク、無我夢中かも知れませんが、気持一つで彼女を護ったならば、もう、立派な勇者です。

 たとえば、同様な状況で、いつも自分に自信があり、高慢で横柄な態度を取っていた男性が尻込みしたり、逃げたりしたならば、もう、彼は彼のままでこれまでと同じく振る舞うことでできないでしょう。
 私たちには多かれ少なかれ、自分を誇りたいという願望があるので、一生のうちに何度かはこれに似た哀れで情けない体験をし、落ち込むかも知れません。
 そうした人を見かけたならば、バカにしたり、無視したりせず、自分も同じような人間であるという立場で、そっと思いを寄せたいものです。
 の力をもらった彼は真に自分と向き合い、沈み込んだり歪んだりせず、克服できるかも知れません。
 を救うのはです。

 ただし、逃げるという手があるので、一孝と注意を要します。
 骨の髄まで卑劣な人は、自分を知らない人しかいない世界を求めて生活の場や人間関係をガラリと変え、仮そめの強気な〈看板〉を下ろさずに生きている場合もあります。
 こうした人は、以前よりも手酷い打撃を受け、骨の髄から揺さぶられるほどの痛みを味わうまで、変われないかも知れません。
 たとえば犯罪によって逮捕されるといった成り行きです。

3 人生丸の航路を決めるのは性格よりも学びであり決である

 危機によってしか、なかなか変われないとなると、自分で自分の性格を何とかしたい人にとっては困ったことになりますが、大丈夫です。
 私たちは決や覚悟一つによって、自分の願う方向へ〈生き方〉を変えられるからです。
 たとえば、バイクや音楽や旅行など自分の好きなことしかやらず、気ままに生きてきた男性が結婚し、子供ができた途端、別人のように家庭を大事にし始めたりします。
 この場合、彼は、バイクや音楽や旅行など、自分の人生そのもののような気がしていたものに没頭できないという意味でいったん、危機に瀕しています。
 そこで落ち込ませない太陽のような存在が妻であり、子供です。
 その光と温かさによって、彼のから新たな光と温かさが発し始めたのです。
 彼の中で、これまでの我がまま、短気、不精、などがいつしか克服され始めたのかも知れません。

 自分で自分の性格を「こうだ」と決めつけて長所と短所にあれこれととらわれるよりも、「生きとし生けるものすべてが苦を望まず、幸せを願っている」という真実を忘れずに、人や社会や自然と接することが大切です。
 そうしていると、その人なりに、心の太陽すなわち霊性が活性化されます。
 その時きっと性格は、佳き方向へと陰影や彩りや深みを増すことでしょう。 




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
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「おん あみりたていせい から うん」※今日の守本尊阿弥陀如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
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2015
08.25

連続する爆発に予告の縁を観る ―狂気と日本の役割―

201508250001.jpg
〈「ペシャワール会」様よりお借りして加工しました〉

201508250002.jpg
〈「津軽金山焼」この揺るがぬもの〉

 ここ1か月、爆発、炎上やそれに類するできごとが異様に多い。
 
 7月26日には、東京都調布市富士見町の民家に離陸直後の小型飛行機が墜落し、3人が死亡、4人が重軽傷を負った。
 8月4日には、南北軍事境界線近くの非武装地帯(DMZ)の韓国側地域で地雷が爆発し、韓国側に負傷者が出た。
 8月12日には、中国天津市塘沽港で化学物質の大爆発が起き、数百人とおぼしき死者の数や大気の汚染などは今なお、不明である。
 8月12日には、沖縄県うるま市の伊計島沖に米陸軍ヘリコプターH60が墜落し、自衛官2名を含む6人が負傷した。
 8月15日には、鹿児島市が桜島の噴火警報を受け、島の3地区へ避難勧告を出した。
 8月17日には、タイのバンコクで爆発物が爆発し、死者は20名、日本人1人を含む100名以上が負傷した。
 8月18日には、タイのバンコクで爆発物が水中爆発した。
 8月20日には、ソウル北方で北朝鮮が韓国側地域を砲撃した。
 8月22日には、中国山東省の化学工場で爆発事故が起こり、1人が死亡、9人が負傷と発表された。
 8月24日には、相模原市中央区の米陸軍施設「相模総合補給廠(ショウ)」で爆発・火災の事故が起こったが、詳細は不明である。
 8月24日には、川崎市の日鉄住金鋼管川崎製造所で火災が発生、隣接する大手日用品メーカー「花王」の川崎工も延焼したが、幸いにして爆発事故には至らなかった。

 運勢を動かし運命を創る〈縁〉は二段階で動く。
 まず仮の縁(予告の縁)が生じ、そやがて実の縁が現れる。
 たとえば、友人が結婚については、独身の自分にとって〈仮の縁〉が起こったと観られる。
 自分にもその時が近づいている可能性が高まっているかも知れない。
 そこで、こうした仮の良縁が実の良縁である出会いや交際につながって行くよう、自分にある思いやりの心を大いに発揮して生きればよい。
 しかし、〈仮の縁〉に気づかず、嫉妬したり、漫然と過ごしたりすれば、よき縁は仮のままで消えてしまいかねない。

 悪しき縁もまた、同じように観られる。
 まず、仮の悪縁が現れるのだ。
 こうした観点からすると、日本とその周辺に爆発・炎上の事故や災害が連続して発生している上記の状況は、ただごととは思えない。
 しかも、体感できる地震の何と多いことか。

 元国際司法裁判所裁判長のモハメド・ベジャウィ氏は初めて広島を訪れ、8月22日付の朝日新聞紙上で語られた。

「人類の狂気を知るために、すべての人がこの地を訪れるべきです。
 ご存じのように、私たちは地球を何度も破壊させるほどの数の核兵器を持ち続けています。
 いつでも発射できる高度警戒態勢の核爆弾もたくさんあって、数分以内にこの世界をなくせる。
 これは完全な狂気です。


「冷戦は終わったはずなのに、核大国は今も、核爆弾を載せた爆撃機の航空距離を伸ばそうとしています。
 私たちの頭上に飛んできて事故を起こすかもしれない。
 非常に危険で正気の沙汰ではありません。
 もっと前に広島を見ておくべきでした。」

「広島・長崎と福島。
 日本人は、核の軍事利用と民生利用の結果がもたらした両方の被害を、世界で唯一体験しました。
 これは想像を絶する異常な経験なのです。
 この二重の核被害という経験によって、人類に重要なメッセージを送る資格が与えられました。
 日本人はまさに、人類の『守り人』です。
 日本の皆さんは、我々の狂気に対して、我々すべてに対して注意を与えてくれる存在なのです。

 人類全体が日本人に敬意を表するべきです。
 世界で唯一、二重の核被害を生き延びた存在なのですから。」


 こうした人類に対する役割を認められている日本は、今、どのようにそれを果たそうとしているか?
 それを気づかない、あるいは忘れているのではないか?
 一方では、爆発・炎上の縁を日常へ持ち込もうとしてしているのではないか?
 戦争や爆弾テロが身近に迫っているのではないか?

 これまで幾度もとりあげた昭和14年の俳句を再々掲しておきたい。

戦争が廊下の奥に立ってゐた」(渡辺白泉)


 俳人は、それ行けどんどん、と政府が威勢のよいかけ声をかけていた頃、すでに死に神の到来を感じとっていたのである。
 事実、6年後に原爆が落とされ、日本は敗戦国となったのみならず、70年経った今も沖縄は事実上、米軍の基地と化したままであり、首都圏上空は治外法権的エリアとなり、オスプレイは日本中を自由に飛んでいる。

 ちなみに、仮の悪縁に対抗するために必要なのは〈正しさ〉であるとされている。
 正しさとは、狂気狂気と見抜く正気ではなかろうか。
 モハメド・ベジャウィ氏は、日本人の正気を認めておられる。

 パキスタンとアフガニスタンで医療、水源確保、農業支援の活動を続ける医師中村哲氏は、平成26年を振り返り、7月1日付の『ペシャワール会報』に書いた「戦(イクサ)や目先の利に依らずとも多くの恵みが約束されている」を読んでみたい。

「『緑の大地計画』が立案されたのが確か2002年でした。
 当時『アフガン復興支援』で世界中が沸いていましたが、私たちの訴え続ける干ばつと飢餓はあまり重視されなかったと覚えています。

 2014年12月、破壊と大混乱を残して欧米軍が去っていきました。
 あの軍事介入が何だったのか、『対テロ戦争』とは何であったのか、心おだやかにはなれません。
『テロとの戦い』と言いさえすれば何でも正当化されるような狂気が、この十数年の世界を支配してきました。
 実際アフガニスタンでは、異を唱える者がテロリストの烙印を押され、容赦なく抹殺されていきました。
 その多くが国際テロ組織とは無関係な、弱い立場の人々でした。
 無差別爆撃による膨大な犠牲は、『二次被害』と呼ばれました。

 イスラム教徒に対する偏見が意図的にあおられ、人々の間に多くの敵対が作り出されました。
 病的な残虐行為や拷問は日常でした。
 だが、欧米軍兵士もまた犠牲者でした。
 その多くは貧しい階層の出身で、社会的事情で志願し、半ば駆り出された人々でした。
 少しでも良心を持つ者の一部は、自殺に追い込まれました。

 これが現地で見た『テロとの戦い』でした。
 細々と保たれてきた人間の英知とモラルは、これによって一挙に後退しました。
 欧米では預言者を揶揄することが流行り、それが表現の自由であるとされました。
 世界全体が、露わな暴力主義と排外主義の毒に侵されていくように思われました。
 利権を主張して弱者を圧するのが当然のように言われ始めたのです。

 このような世界をためらいつつ歩んできた日本もまた、良心の誇りを捨て、人間の気品を失い、同様に愚かな時流に乗ろうとしているように思えます。
 先は見えています。
 アフガニスタンを破壊した同盟者にならぬことを願うばかりです。

 しかし、現地事業のおかげで垣間見える世界は、全く逆のものです。
 少し目を開けば、戦や目先の利に依らずとも、多くの恵みが約束されていることが解るからです。 

 今、次の段階への飛躍に当たり、立場を超えて実に多くの人々が協力しています。
 ここに希望と平和の基礎を見るからです。

 先は長い道程ですが、このオアシスこそ、飢餓に苦しむ人々だけでなく、私たち自身をも励ます力であることを訴え、変わらぬ協力に感謝いたします。」


 私たちは、予告の縁が何を教えてくれているか、「テロとの戦い」の現場はいかなるものか、そして、世界における日本の役割は何か、落ちついて考えてみる必要があるのではなかろうか。




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「のうまく さんまんだ ばざらだん かん」※今日の守本尊不動明王様の真言です。
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2015
08.24

安心な送られ方は? ―樹木葬・共同墓・生前戒名・お焚きあげ―

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 80才を過ぎたAさんがご来山されました。

「私はあまり目立たない人生を生きてきました。
 ただ、他人様に後ろ指を指されないように気をつけてはきたつもりです。
 もうすぐ、この世のお役ご免になりますが、残すモノは特になく、親族とのつき合いもあまりないので、年金で生き、死んで行くだけで何の心配もしていません。
 延命治療をしないよう息子に頼んだし、葬式も家族と、お世話になったご近所さんへのご挨拶程度で簡素にやる準備を終えました。
 あとはおだけですが、息子は将来、仕事で行ったことのある外国で暮らしてみたいと希望しているので、頻繁にお参りには来れないでしょう。
 妻と二人、どうにか生きてきた証(アカシ)が当分、残ればそれ以上、何も望みません。
 証は名前です。
 親からもらった名前と、あの世の戒名と、それが死後、当分の間、お参りしてくれる人のために残っていれば、自分のやるべきことは皆、終わります。
 そこまで準備をすればもう、本当に安心できると思っています」

 Aさんは近々に、奥さんの分と二基、樹木葬法楽陵』を契約し、生前戒名を求めに来られるそうです。
 そして、さらに思い切ったご提案をされました。

「父の作った家系図があります。
 コピーして息子へ渡しました。
 掛け軸なので私は床の間に懸けておきましたが、息子の生活とマッチしそうにありません。
 持参しますので、私の死後、お焚きあげをお願いします」

 こうした〈死後の願い〉には、さまざまあります。
 最近、多いご相談は、一定期間を過ぎてからのおの撤去です。
 新しく〈一代〉としておを建てるというお話よりも、各地にある既存のおについて、自分の代までにしたいがどうすればよいかというご相談です。
 また、死後と限らず、地の整理をして共同墓へ永代供養を求める方は五月雨のように続いています。

 お焚きあげのご相談もさまざまです。
 どうしても捨てられないでいた別れた奥さんの写真、若くして亡くなった娘さんの雛人形、将来を固く契りながらどこかへ行ってしまったままの彼氏からもらった指輪、父親が戦時中も隠し持っていた刀、弱かった自分が健康になるよう母親がお寺からもらった御札、施設へ入るので管理できなくなった仏壇一式、などなど。
 皆さんの清浄でかけがえのないな思いと共に、それぞれのお品が当山へ託されます。
 皆さんの多様な悩みや、心の引っかかりなどをお聴きしていると、『入菩薩行論(ニュウボサツギョウロン)』の一節を思い出します。

「もしも改めることができるなら、憂うべきことなどいったい何があるのだろうか。
 もしも改めることができないのならば、憂うことでいったい何の役に立つというのだろうか」


 変えられるものなら、変えればよいだけのことで、ウジウジと憂いている必要はありません。
 変えられないものなら、いくらウジウジと憂いても、まったく何の役にも立ちません。
 経典として説かれてはいますが、十分に科学的な教えでもあります。
 小生などはこう、割り切っています。
〝何とかなるものは、早く手を打っておこう。
 何ともならないものは、あの世まで持って行こう。
 何とかし続けねばならないものは、できるうちはやり抜こう〟
 分類をし、実行してしまえば、憂いはどこにもなくなります。

 現代は生き死にの選択肢が増え、自分なりの生活感覚や生活パターンで生き、死後の準備もできるようになりました。
 そうした中で、「この世の幸せとあの世の安心のために」と願っている寺院と仏教が何らかの役に立てればありがたいことですが、一つだけ、記しておかねばならないことがあります。
 私たちは、「自分の死後の〈準備〉はできても、自分で死後の〈始末〉はできない」のです。
 準備したとおりに死後のことごとが進み、本当にあの世で安心できるためには、準備する自分の心を理解してくれる人の存在が欠かせません
 また、モノやお金の準備と同様に、あるいはそれ以上にしっかりと、周囲の人々へ感謝し、報恩の行いで生き、死んで行く覚悟を固めたいものです。
 人は、生きたように死んで行くのです。




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「のうまく さんまんだ ぼだなん あびらうんけん」※今日の守本尊大日如来様の真言です。
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2015
08.23

ガンの発見・冠をかぶった如来・サメからの救出 ―梅原猛氏に想う―

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 ものつくり大学初代総長の梅原猛氏は、満で60才と72才の時にガンを発病したが、自分で早期発見し、いずれも克服して90才になる今なお、水木しげる氏と対談するなど活躍中である。
 病理学者翠川修教授から「二度も原発のガンを自己発見して全快する人は稀であり、三度目の原発のガンにかかり、また早期発見して、全快すれば世界記録になるがいかがですか」と言われた。

 最初の大腸ガンはこうして発見した。

「便に血が混じったというより、血の中に便が浮いているという感じであった。
 私はそれを見て不吉な予感がして、すぐに病院に行った。」


 二度目の胃がんはこうである。

「北京大学から名誉教授の称号が受けられる、中国での授与式に出席したが、招宴でおいしいはずのごちそうの味がまったくしなかった。
 帰国後、食べものがこれほど喉を通らないのは初めてだ、きっと胃ガンにちがいないと思って、早速、予定されていたフランス行きをキャンセルし、病院へ行くと、予想通り胃ガンであった。」(『神殺しの日本』より)


 このエピソードを読んで、〈研ぎ澄まされている〉ことに感嘆した。
 氏の博覧強記ぶりと発想の大胆さは神域を感じさせるが、その秘密は〈入り口〉にあるのではないか。
 きっと、あらゆる情報がすさまじい鮮度で取り込まれるのだろう。
 だから、密教の根本仏である大日如来が、如来ながらも、他の如来のように感覚を否定する裸体に近いお姿ではなく、菩薩(ボサツ)の姿で宝冠をかむっておられる理由を正確につかんだ。
 なぜ、悟りの境地にありながら、私たちの近くに来られる菩薩の姿をしておられるのか?

「人間を救うことを念願としている菩薩は、人間の利のために、けっして静かなさとりにはいられないのである。
 この現実世界にとどまって、衆生救済に努力している。
 衆生救済の手段は何か。
 衆生は欲望をもっている。
 そしてその欲望が、衆生の生存の根底である。
 欲望を離れて衆生はどこへ行くのか。
 欲望を否定することは生そのものを否定することではないか。
 欲望を否定することではなく、要望を清浄にすることが必要である。
 欲望を清浄ならしめるとは何か。
 それは欲望を肯定しつつ、同時に欲望に執着しないことである。
 心を堅固に保ち、小さな欲望にとらわれず、大きな欲望に生き、無礙自在な境地に生きる必要がある。」


 これは、著書『仏教の思想』において「『理趣経(リシュキョウ)』の本質、あるいは密教の本質」として説かれた文章である。
 日々、理趣経を読誦する行者として、一点の違和感も反論もない。
 悟りきったからこそ、欲望と共に生きる私たちの近くにいてくださるのである。
 これが、私たちからすれば即身成仏(ソクシンジョウブツ)となる。
 血肉を持った者として、そのままに、本来み仏である本質を生きることこそ、人間としての究極的生き方である。
 大日如来はそれを示しておられる。

 8月22日、衝撃的なニュースが流れた。
 以下、AFP=時事による。

「米フロリダ州ジャクソンビル沿岸の浅瀬で、サメに右足をかまれて重傷を負った10歳の少女が海で泳いでいた6歳の女児を助けようと、果敢に海に戻る救出劇があった。
 ケーリー・ザーマックさんは19日、サメに右足をかまれ、90針縫う大けがをした。
 父親によると、ケーリーさんは、かまれた時に後方を振り返ると『サメのひれが揺れ動いているのが見えたと話していた』という。
 ケーリーさんは海から上がり、友人らにサメの襲来を叫んで伝えたが、6歳の女児が海に残っていた。
 そこで海に再び入り、女児を救出。
 父親は『大きな傷痕は残るが、逸話としても相当だ』と娘の使命感に誇らしげだ。」


 この少女が菩薩でなくで何であろうか。
 大日如来の顕れでなくで何であろうか。

 梅原猛氏の感覚から大分、脱線した。
 私たちも、見聞きし、嗅ぎ、味わい、触れるものに対して、その情報を新鮮なものとして採り入れる感覚を錆びさせないようにしたい。
 それが、人生を真の意味で豊かにするだけでなく、自分を救い、誰かも救うことにつながるかも知れない。
 読経や写経は、錆びさせない方法の一つとして有効であると信じている。




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2015
08.22

トラウマと法話とご加持 ―過去によって振り回されないために―

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 ある時、ふとしたおりに過去の忌まわしいできごとを思い出し、強い罪悪感に襲われ、落ち込んでしまうAさんと対話した。

Aさん:「こんな自分と知りながら受け入れてくれる優しい伴侶がいるのに、思い出す自分はいつまでも忌まわしいままです。
 平和な時間の中で、いきなりそれが起き上がると、もう、抵抗できません。
 ただ、悲しく、恐ろしく、自分をどうしようもないもどかしさに、強張り、震えるだけです。
 伴侶や友人たちは口々に、もう過ぎたことでしょう、とか、誰にだって他人へ言えない過去があるよと言ってくれますが、そんなことは皆、わかっているのに、発作的に起こるので、〈その瞬間〉が来るともう、どうしようもありません」

小生:「私たちが、どこを探してももう、無い過去によって苦しめられる成り行きに二つの面がありそうです。
 一つは、できごとが持つ印象の強さです。
 小さな子供の時代をあまり思い出せないように、後から後からと記憶が積み重ねられるので、古いものほど思い出しにくいのですが、よきにつけ、悪しきにつけ、強烈な印象を伴ったできごとは、いつまでも繰り返して思い出され、デフォルメされたり、脚色されたりしつつも、残って行きます。
 Aさんの場合も、ずいぶん、昔のできごとだけど、あまりにも印象が強すぎたのでしょうね。
 もう一つは、性格など、その人のタイプです。
 ものごとを枠にはめて固く考えたり、感覚的にはじいてしまうものは決して受け入れられない潔癖症だったり、〈あるべき自分〉や〈ありたい自分〉以外の部分が自分へ許せなかったりすると、まずかったできごとは、いつまでもまずいままで残ります。
 未解決の嫌なできごとは、自分が未解決であることを知っているので、幾度でもよみがえり、同時に、嫌悪感罪悪感なども付随して心を占領します。」

Aさん:「私にとっては人生で最大のできごとのようにすら思えているので、性格だって変えようがないし、繰り返しは、どうしようもないんですよね」

小生:「そうですね。
 でも、私たちが普段生きているうちには、嬉しいことも嫌なこともそれなりに起こりますが、私たちは苦しみが閾値(イキチ)を超えない限り、今日、いくら泣いてもなぜか、明日また、ご飯を食べ、誰かと笑い、生きられますよね。
 それは、死ぬ時にお花畑を見る事象がドーパミンという一種のホルモンによるという説を思い出させます。
 私たちに具わったメカニズムとして、肉体は死へとプログラムされている一方、心は生存の方向へとプログラムされているのではないでしょうか?
 だから、嫌なことと嬉しいこととがあざなえる縄のように起こる日々にあって、いつしか、嫌な記憶よりも嬉しい記憶の方が強くはたらき、たとえば、上司の小言でムシャクシャしても、一杯やって仲間と愚癡を言えば明日も同じように出社できるのではないでしょうか?
 自分の人生を振り返り、皆さんのお話をお聴きし、周囲の人々を眺めているとそんな気がしてなりません。
 Aさんを苦しめる記憶のぶりかえしも、Aさんにとって価値ある人やモノやできごとに囲まれているうちに、そうしたメカニズムがはたらき、力を弱めるのではないでしょうか?」

Aさん:「そうですね。
 夫や子供は本当に救いです。
 でも、何かに没頭している時は絶対に大丈夫なのですが、休息している時や、何も考えていないような時間帯に、いきなり、やってきます。」

小生:「いわば、心のクセのようなものでしょうね。
 それを変えるには、お子さんが家庭に登場して気配の変わった今が一つのチャンスかも知れません。」

Aさん:「私は、元気な時も、元気を出そうとする時も、アウトドア派です。
 公園へ出かけたり、バーベキューをしたりといった状態です。
 そして静かになった時、〈それ〉が訪れます。」

小生:「休息してパワーを得るには、陽光を浴びる方法と、陽光を避ける方法があるのではないでしょうか。
 日陰で憩うやり方にも慣れると、心が陰った時に〈それ〉がやって来るというパターンを変えられるかも知れませんね。」

Aさん:「へええ、日陰で憩うとは考えたこともありませんでした。
 相手がやって来る時間を先取りしてしまうのですね。」

小生:「もう一つ考えてみるべきポイントは、すでに、よくおわかりのように、過去のできごとはもう、どこにもなく、Aさんの記憶の中身でしかありません。
 そして、それは関わった人たちにとっても、もはや、どこにもないものかも知れないのです。
 小生には、何十年ぶりのお詫びという体験があります。
 自分の心に刺さったままのトゲにも似た悔恨と罪悪感の元を断とうと、思い切って相手に詫びたのです。
 そうしたら、驚いたことに、Bさんはまったく気にしていなかったし、Cさんに至っては、できごとの記憶すら消えていたのです。
 独り相撲は滑稽でしたが、頭で考えていた時間と記憶の問題について動かぬ事実を突きつけられた体験は、大きな衝撃でした。
 空(クウ)を説く経典の理解、感得が一気に進んだような気持がしました。
 心に青空が広がったのは当然です。
 そして、その後、できごとの記憶は消えませんが、思い出す時に付随するのは、かつての辛い悔恨や卑下などではなく、淡い懐かしさになりました。
 不思議なものです。
 このように、Aさんにも、何かそうした体験が起こればよいですね。
 ご本尊様のご加護を祈って、ご加持を行いましょう。」

 こんなやりとりをしてから、ご加持を行った。
 Aさんはスッと法へ入り、安らかな時を過ごした。
 思えば、ご加持も、〈日陰で憩う〉パターンと言えるのかも知れない。
 そこで静かに守本尊様の真言を唱える時間が流れるようになれば、〈それ〉は訪れにくくなるか、訪れても、真言によって消えるようになるだろう。

(付け加えておかねばなりません。
 当山では相手により、状況によって、医者にかかるようお勧めする場合もあります。
 拝めば治る、のではなく、薬を飲んでさえいれば大丈夫、でもないと考えています。
 ささやかな法務を続けてきた者の体験上、宗教と科学の力は人生にとって車の両輪に思えます。
 なお、プライバシーを侵害せぬよう注意しながら文章を書いています。
 日々、人生相談にご来山される方々はどうぞご心配なく。)




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「おん さん ざん ざん さく そわか」※今日の守本尊勢至菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。

https://www.youtube.com/watch?v=qp8h46u4Ja8





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2015
08.22

原発がどんなものか知ってほしい(その4) ―ある技術者の遺言―

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〈『みやぎ四国八十八か所巡り道場』の守本尊地蔵菩薩〉

 ここで紹介する『原発がどんなものか知ってほしい』は、原発の建設、検査、配管工事の分野で現場監督を20年以上勤めた技術者平井憲夫氏が書いた〈現場からの報告〉である。
 今回の文章には、風評被害を引き起こしかねない内容や、強い誹謗の表現も含まれているが、資料として読むため、原文のまま掲載した。
 本文の妥当性については、ネット上に様々な知見があり、ご検討いただきたい。
 なお、平井憲夫氏は平成9年1月に58才で逝去されており、福島原発事故は約14年後に起こっている。

10 「絶対安全」だと五時間の洗脳教育

「原発など、放射能のある職場で働く人を放射線従事者といいます。
 日本の放射線従事者は今までに約二七万人ですが、
 そのほとんどが原発作業者です。
 今も九万人くらいの人が原発で働いています。
 その人たちが年一回行われる原発の定検工事などを、毎日、毎日、被曝しながら支えているのです。

 原発で初めて働く作業者に対し、放射線管理教育を約五時間かけて行います。
 この教育の最大の目的は、不安の解消のためです。
 原発が危険だとは一切教えません。
 国の被曝線量で管理しているので、絶対大丈夫なので安心して働きなさい、世間で原発反対の人たちが、放射能でガンや白血病に冒されると言っているが、あれは“マッカナ、オオウソ”である、国が決めたことを守っていれば絶対に大丈夫だと、五時間かけて洗脳します。  

 こういう『原発安全』の洗脳を、電力会社は地域の人にも行っています。
 有名人を呼んで講演会を開いたり、文化サークルで料理教室をしたり、カラー印刷の立派なチラシを新聞折り込みしたりして。
 だから、事故があって、ちょっと不安に思ったとしても、そういう安全宣伝にすぐに洗脳されてしまって、『原発がなくなったら、電気がなくなって困る』と思い込むようになるのです。

 私自身が二〇年近く、現場の責任者として、働く人にオウムの麻原以上のマインド・コントロール、『洗脳教育』をやって来ました。
 何人殺したかわかりません。
 みなさんから現場で働く人は不安に思っていないのかとよく聞かれますが、放射能の危険や被曝のことは一切知らされていませんから、不安だとは大半の人は思っていません。
 体の具合が悪くなっても、それが原発のせいだとは全然考えもしないのです。
 作業者全員が毎日被曝をする。
 それをいかに本人や外部に知られないように処理するかが責任者の仕事です。
 本人や外部に被曝の問題が漏れるようでは、現場責任者は失格なのです。
 これが原発の現場です。

 私はこのような仕事を長くやっていて、毎日がいたたまれない日も多く、夜は酒の力をかり、酒量が日毎に増していきました。
 そうした自分自身に、問いかけることも多くなっていました。
 一体なんのために、誰のために、このようなウソの毎日を過ごさねばならないのかと。
 気がついたら、二〇年の原発労働で、私の体も被曝でぼろぼろになっていました。」


 いわゆる安全神話の流布がほとんど国策とも言える規模で行われてきたことは事実であろう。
 こうした作業現場では、当然、徹底して「大丈夫」と思わせたことだろう。
 作業員が身の危険を感じたならば、必ず噂となり、はたらき手がなくなってしまいかねないからである。
 長い間、原発を推進しようとする人々は、立地する地域の住民と労働者へ対して無事故と安全を〈保証〉してきたのだった。
 保証が結果的に空手形となり、膨大ないのちと生活が奪われたにもかかわらず、推進者は誰も責任をとらない。
 そして、原発事故が起こった場合は、一基あたりで数十万人という避難者が想定されつつ、当然のことながら避難訓練などされないままに、再稼働となった。

 避難計画はコンピュータ上で住民たちを動かすだけの、文字どおり机上の話であろう。
 そうでないのなら、試しに、住民へ訓練であることを伏せたまま、たとえ1万人でも避難させてみればよい。
 福島原発事故では、詳しい情報を与えぬまま、防護服に身を包んだ人々が交通整理を行った。
 多くの住民は、自分たちが着の身着のままでバスに乗っている一方で、白い防護服の人が四つ辻に断っていることを訝りながら避難したのだった。
 それでも膨大な日数がかかった。
 今は、日本中の人々が原発事故が何であるかを知っている。
 事故が発生した瞬間から道路はマヒするに違いない。
 つまり、特別に優遇される人々以外、一般住民は誰も安全に逃げられはしないのだ。
 そのことも多くの国民は疾うに気づいていると思われる。
 それでもなお、再稼働となった。 

11 だれが助けるのか

「また、東京電力の福島原発で現場作業員がグラインダーで額(ひたい)を切って、大怪我をしたことがありました。
 血が吹き出ていて、一刻を争う大怪我でしたから、直ぐに救急車を呼んで運び出しました。
 ところが、その怪我人は放射能まみれだったのです。
 でも、電力会社もあわてていたので、防護服を脱がせたり、体を洗ったりする除洗をしなかった。
 救急隊員にも放射能汚染の知識が全くなかったので、その怪我人は放射能の除洗をしないままに、病院に運ばれてしまったんです。
 だから、その怪我人を触った救急隊員が汚染される、
 救急車も汚染される、医者も看護婦さんも、その看護婦さんが触った他の患者さんも汚染される、その患者さんが外へ出て、また汚染が広がるというふうに、町中がパニックになるほどの大変な事態になってしまいました。
 みんなが大怪我をして出血のひどい人を何とか助けたいと思って必死だっただけで、放射能は全く見えませんから、その人が放射能で汚染されていることなんか、だれも気が付かなかったんですよ。

 一人でもこんなに大変なんです。
 それが仮に大事故が起きて大勢の住民が放射能で汚染された時、一体どうなるのでしょうか。
 想像できますか。
 人ごとではないのです。
 この国の人、みんなの問題です。


 ここでは放射能がまるで細菌のようにとらえられているが、必ずしもそうしたものではなかろう。
 ただ、人命尊重は当然ながら、原発内部で起こった事故について、なるべく小さな報道で済ませたいという意向がはたらいているのは確かだろう。
 女川原発を身近に感じている身には、はっきりと推測できる。
 これまでいったい何十回、首長による申し入れが行われてきたことか。
「遺憾である。再発防止を徹底して欲しい」
 トラブルと抗議はもはや、日常的な風景、あるいは繰り返されるセレモニーのようですらある。
 慣れてしまい、恐ろしさを感じなくなることこそが本当に恐ろしい。

12 びっくりした美浜原発細管破断事故!

 皆さんが知らないのか、無関心なのか、日本の原発はびっくりするような大事故を度々起こしています。
 スリーマイル島とかチェルノブイリに匹敵する大事故です。
 一九八九年に、東京電力の福島第二原発で再循環ポンプがバラバラになった大事故も、世界で初めての事故でした。

 そして、一九九一年二月に、関西電力の美浜原発で細管が破断した事故は、放射能を直接に大気中や海へ大量に放出した大事故でした。

 チェルノブイリの事故の時には、私はあまり驚かなかったんですよ。
 原発を造っていて、そういう事故が必ず起こると分かっていましたから。
 だから、ああ、たまたまチェルノブイリで起きたと、たまたま日本ではなかったと思ったんです。
 しかし、美浜の事故の時はもうびっくりして、足がガクガクふるえて椅子から立ち上がれない程でした。

 この事故はECCS(緊急炉心冷却装置)を手動で動かして原発を止めたという意味で、重大な事故だったんです。
 ECCSというのは、原発の安全を守るための最後の砦に当たります。
 これが効かなかったらお終りです。
 だから、ECCSを動かした美浜の事故というのは、一億数千万人の人を乗せたバスが高速道路を一〇〇キロのスピードで走っているのに、ブレーキもきかない、サイドブレーキもきかない、崖にぶつけてやっと止めたというような大事故だったんです。

 原子炉の中の放射能を含んだ水が海へ流れ出て、炉が空焚きになる寸前だったのです。
 日本が誇る多重防護の安全弁が次々と効かなくて、あと〇・七秒でチェルノブイリになるところだった。
 それも、土曜日だったのですが、たまたまベテランの職員が来ていて、自動停止するはずが停止しなくて、その人がとっさの判断で手動で止めて、世界を巻き込むような大事故に至らなかったのです。
 日本中の人が、いや世界中の人が本当に運がよかったのですよ。

 この事故は、二ミリくらいの細い配管についている触れ止め金具、何千本もある細管が振動で触れ合わないようにしてある金具が設計通りに入っていなかったのが原因でした。
 施工ミスです。
 そのことが二十年近い何回もの定検でも見つからなかったんですから、定検のいい加減さがばれた事故でもあった。
 入らなければ切って捨てる、合わなければ引っ張るという、設計者がまさかと思うようなことが、現場では当たり前に行われているということが分かった事故でもあったんです。


 いかなる先端技術を駆使する現場も、最後は〈人間〉に行き着く。
 イラク戦争への出兵時には、自衛隊が危機一髪の状況に陥った。
 養護施設周辺で反米指導者サドル派と、自衛隊を警護していた豪州軍の間で銃撃戦となり、幹部は建物に閉じ込められ、十数人の自衛隊員は百人にもなろうとする群衆に「ノー・ジャパン」と囲まれた。
「ここで一発撃てば自衛隊は全滅する」
「撃つより撃たれよう」
 隊員たちは覚悟を決めたという。(8月20日付朝日新聞)
 いわゆる「ルメイサ事件」だが、隊員は一人残らずじっと堪え、最後は多くのイラク人に感謝されつつ無事、帰国した。
 万が一、「自分が殺されるかも知れないという緊張感」に耐えかねて誰かが引き金を引いていたならば――と考えると、鳥肌の立つ思いである。
 私たちは、このように巨大な破滅をもたらす可能性を持った状況へ、常に、神のごとく誤りない対応ができるものだろうか?

 このままでは海外の戦地へ赴くであろう自衛隊の人々と、原発の現場にかかわる人々とに課されるもののあまりの大きさにたじろぎ、〝常人には過酷ではないか?無理ではないのか?〟と思ってしまうのは小生だけだろうか?




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「おん さん ざん ざん さく そわか」※今日の守本尊勢至菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。

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2015
08.21

人間であることがすべての基本 ―自分を幸せにしたいならば……―

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〈『思いやること』より〉

 ダライ・ラマ法王は、『思いやること』において説かれた。

「私は人と話すときはいつでも、自分がその人の家族の一員であるという意識を持っています。
 たとえ初めて会う人でも、友達として受け入れます。
 それは、私が仏教徒だからでも、チベット人だからでも、ダライ・ラマだからでもありません。
 別の人間と話をする一人の人間として、そうしいるのです。」


 会話の目的は何だろうか?
 まず、自分の意志を相手に伝えること、そして相手の意志を知ることだろう。
 しかし、法王の言葉にはそうした〈用件〉を超えた世界が示されている。
 会話が成り立つには、通じることが前提条件であり、通じるとは心が行き交うことである。
 法王は、「家族」や「友達」という言い方でそれを示した。

「今この瞬間、あなたが『自分は人類の一員だ』と考えていてくれることを願っています。 
 アメリカ人、アジア人、ヨーロッパ人、アフリカ人、もしくは、ある国の国民、といった枠組みへの忠誠心は、あまり重要ではありません。
 あなたと私が、人間としての共通点を見出せば、基本的なレベルで心を通わせることができます。
 たとえ『私は僧侶だ』とか『仏教徒だ』と考えていたとしても、それは人間としての本質に比べれば、取るに足らないことです。」


 ここではっきり、「基本的なレベルで心を通わせる」とされた。
 それに必要なのは、お互いに「人間としての共通点」を見出していることである。
 道具としての言葉はもはや、背景に退いているようだ。
 同じ道具を使わずとも通じる。
 それは、ペットを飼っている方ならどなたでも納得できることだろう。
 である以上、思想や宗教の違いなどはましてや「取るに足らないこと」となる。

「人間であることがすべての基本で、私たちはみな、それを土台にしています。
 あなたは人間として生まれ、死ぬまでそれを変えることはできません。
 それ以外のこと、たとえば、学があるかないか、若者か年寄りか、金持ちか貧乏か、などはすべて、あまり重要なことではありません。
 実は、あなたと私はすでにお互いを深く知っています。
 そう、同じ基本的な目標を分かち合う人間として、私たちはみな、幸せを求め、苦しみを望んではいないのです。」


 私たちは誰でも、「人間としての共通点」を知っている。
 自分が幸せを望み、苦しみを望んでいないことを知っており、他人もまた同じであることを知っているのだ。
 それは、特段、難しい勉強をするまでもなく、生きているうちに気づき、誰からともなく教えられ、自省などを積み重ねなくても、いつの間にか知り、智慧の一部となっている。

「自分自身を幸せにするのは正しいことです。
 ただし、心に刻んでおきましょう。
 人生の本質でない事柄に没頭しても、不満というさらに大きな問題を解消することはできません。
 愛情、思いやり、他者への気遣いこそが、幸せの真の源泉です。
 これらが心に満ちあふれていれば、どれほど不快な状況にあっても、心が乱されることはありません。
 憎しみを心に抱いていたら、どれほどの富を手にしても幸せにはなれないでしょう。
 ですから、本当に幸せを望むなら、愛情の対象を広げなくてはなりません。
 宗教的に考えてもそうですが、基本的な常識に照らしても同じことがいえるでしょう。」


 お互いが幸せを求め、苦を厭う存在であることを知ればなぜ、心を通い合わせられるのか?
 自分が自分の幸せを求めるのが当然であり、「正しいこと」ならば、なぜ、他人との関係という〈その先〉が必要になるのか?
 カギは「不満」にある。
 幸せを求める欲望には限りがなく、欲望に追われていれば、〈今〉は常に〈過程〉でしかない。
 それは永遠に「満」たされ「不(ザ)」る状態であり、不満なのだ。
 まるで、鼻先にニンジンをぶら下げられた馬である。

 不満の克服法法は単純である。
 他人も自分同様の存在であることをただ知っているだけでなく、きちんと認識すればおのづから同類としての親しみが生ずる。
 同類の感覚は不思議なものだが、たとえば初対面の人と同郷であると知っただけで距離が縮まり、ましてや同窓生であるとなれば、その瞬間から私たちは先輩、後輩と呼び合う仲になってしまうのだ。
 法王が冒頭で述べられた「家族」や「友達」といった感覚である。
 親しみは愛しさと哀れさとして現れ、愛しさはよきものを与えたい気持となり、哀れさは悪しきものを除いてやりたい気持となる。
 仏教で言う慈悲心である。
 それを法王は「愛情」「思いやり」「気遣い」という非宗教的な言葉で説かれた。

 私たちは、自分の身体を拠り所として生きている限り、必ず自己中心的であり、そこから派生する自分や自分の周辺への執着心に24時間、突き動かされている。
 大切なのは〈お互いにそうである〉と心から認め合うことではないか。
 もしも、相手に角(ツノ)を感じるならば、自分にも必ず角があるはずなのだ。
 何と哀れであり、愛おしいことか。
 この感覚があれば「愛情の対象を広げ」られるのではなかろうか。
 互いを認め合い、互いに許し合う時、煩悩(ボンノウ)は『大日経(ダイニチキョウ)』や『理趣経(リシュキョウ)』が説く大欲(タイヨク)に昇華する。
 無限の対象へはたらく清浄な意欲となる。

 仏教は2500年の間にここまで来たが、法王はあくまでも仏教を超えた言葉で説く。
 私たちは何としても、「人間としての共通点」に気づき、「愛情」、「思いやり」、「気遣い」によって「心を通わせ」合いたいものである。




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2015
08.21

賃貸墓の説明会(一代墓、樹木葬、共同墓も)

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 東北初の『賃貸墓』について、石材業者さんが現地説明会を行います。
 なお、『樹木葬』や『共同墓』や『一代墓』についても自由に見学ができます。
 どうぞ、お気軽におでかけください。
・日時:8月22日(土)~23日(日)、8月29日(土)~30日(日)




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2015
08.20

春雷を秘することなかれ ―さあ、起きよ!―

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 お大師様が24才で書かれた日本初の比較思想論である『三教指帰(サンゴウシイキ)』に印象的な言葉がある。

春雷を秘することなかれ」


 厳しい冬が去り、春が訪れたことを知らせる春の雷は「虫出しの雷」とも呼ばれる。
 安穏と冬眠していた虫たちは皆、驚き、眼をこすりながらノロノロと動き出す。
 目覚めの時が来たのだ。

 お釈迦様は、たらふく喰い、惰眠を貪り、楽しく暮らすことしか考えない行者へ、厳しく説かれた。

「さあ、起きよ!
 何がゆえに眠りこけているのか。
 虫たちや貝類が、暗く不浄の場所で安楽を貪っているのと同じではないか!」


 肉体的な目覚めよりも、発心(ホッシン…覚悟を決めること)を求めている。
 そして、恐懼して礼拝する行者へ説かれた。

「昔、ビパシン仏がおられた頃、汝は出家したものの、やはり我が身をかわいがるばかりで教えを保とうと努力せず、たらふく食べては眠りこけ、無常を観る修行を怠っていた。
 死後、ジガバチとなり、5万年の後、今度はどぶ貝となり、やがて樹を喰う虫となった。
 その間、暗い場所を好んで我が身を守り、のんびりと隠れ住む暗い場所を我が家として楽しむばかりで、光明を嫌っていた。
 ある時、百年の眠りから目覚めたが、過去の罪科にからめとられたままで、輪廻(リンネ)から脱しようとはしなかった。
 今、やっと罪科の報いが尽きて出家修行者となれたのだ。
 それなのに、惰眠を貪るばかりで真の安寧を求めようとしないとは、何たることか」


 連綿と続くいのちの流れの中で、虫や貝などとしてこの世へ生まれた時期もあったはずだ。
 ようやく悟り得る人間に生まれたのに、〈これまで同様〉の暮らしをしているとは何たることか。
 喰って、寝て、楽をするだけならなぜ〈人間〉と言えるのか。

 小生はこの教えが含まれる『法句経(ホックキョウ)』に接した時、身震いすると同時に、猛然と意欲が湧き、全文を書写したものである。
「やらねば!」
 やがて、地域のNHK講座で数年、この経典に関する講座を開きもした。
 お大師様が『法句経』を念頭に置かれたかどうかは不明だが、自分の発心を確かめつつ冒頭の文を書かれたのではないか。
 お釈迦様の教えと共に、決して忘れられない教えである。
 



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2015
08.19

正義と虹 ―映画『黒い雨』に想う―

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矢部宏治著『戦争をしない国』よりお借りして加工しました〉

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〈何も知らない無辜の人々へ黒い雨が降りそそぐ〉

 3年前の8月同様、今年も井伏鱒二原作、今村昌平監督の映画『黒い雨』を観た。
 全編モノクロームの画面は、広島で被曝した人々が、ごく普通の日常生活を営みつつ、次々と死んで行く過程をリアルに描いている。
 カンヌ国際映画祭、日本アカデミー賞などで数々の受賞をした作品は、今なお色あせないどころか、原爆の記憶が風化しつつある中で、私たちにその非情さを突きつけて余りある名作である。

 被曝は、死に逝く者として生まれた人間へ、避けられない宿命をより過酷な形で突きつけ、決して逃げられない地点へと予測を許さぬ流れで追いつめる。
 小さな集落で一人、また一人と死ぬ人々を送りながら、自分自身もまた日に日に死の色を濃くして行く高丸矢須子を演じた田中好子の演技は、言葉少なく、淡々としながらも鬼気迫る。
 一家の大黒柱閑間重松を演じた北村和夫は何が起こってもたじろがず、今はもう死語になりかけている「家長」の風格を存分に見せてくれた。

 前回、観た時以上に胸へ迫ってきたのは原作になかった登場人物岡崎屋悠一(石田圭祐)である。
 穏やかで礼儀正しい少年だった悠一は、戦場にかり出され、敵の戦車の下へ爆弾を持って突撃させられるという過酷な体験から生き残った。
 しかし、エンジン音によってフラッシュバックを起こし、バスであれバイクであれ、何かを持ってその下へ飛び込まないではいられない。
 
 8月18日付の朝日新聞によれば、「日本人に精神力を協調する軍は、日中戦争開戦の翌年には、戦争神経症と欧米で呼ばれる病には1人もかかっていないと誇っていた。」という。
 その一方で、実際には国府台(コウフダイ)陸軍病院(千葉県)を拠点として治療に当たり、敗戦時には資料の焼却を命じた。
 しかし病院長諏訪敬三郎は八千冊に及ぶ病床日誌を倉庫に秘匿し、精神科医目黒克己は患者の〈その後〉を調査した。
 一例である。

「軍隊はひどいところで、まったく人間扱いされなかった。
 入隊9日目にひどい私的制裁(古参兵らによる暴行)を受けたのち、なにがなんだかわからなくなった」(元二等兵)
「何度も討伐に参加し、非戦闘員の殺傷などが重なった。
 最も打撃を受けたのは、燃えている家に、消せるはずもないのに手桶で水をかける中国人の老婆が母親そっくりにみえたことだ。
 ある討伐のあと、なにもわからなくなり、護送されるトラックの上で気がついた」(元一等兵)


 悠一が矢須子へ語る体験談にも「何が何だかわからなくなる」というセリフがある。
 人格が破壊される瞬間なのだろう。

 病苦と死苦に囲まれる重松は、ラジオから流れるニュースを聞く。
「朝鮮の新たな危機に対処するため、必要とあらば、中共軍に対し原子爆弾を使用することも考慮中である。
 決定は大統領に委ねられている」
 そして呟く。

「人間いう奴は性懲りもないものじゃ。
 我が手で我が首を絞めよる。
 正義の戦争より、不正義の平和の方がましじゃいうことが、何で分らんかのう」


 政治学者白井聡博士は『永続敗戦論』において、国家間の条約や領土の問題は、必ず双方に言い分があり、その根拠をどんどん遡れば、いかなる主張もし得ることを克明に説く。
 A国が父母の時代に起こったできごとや約束ごとを根拠とした主張をすれば、あいてのB国は祖父母の時代に起こったできごとや約束ごとを根拠として持ち出す。
 博士は、北方領土の帰属について事実を積み上げて見せ、客観的な視点から結論を出す。

「このように、国家の行動というレベルで日ソ両国の行ってきたことを振り返るならば、『どっちもロクでもない』としか論評の仕様がない。
 一般的に言って、国家の振りかざす『正義』なるものが高々この程度のものであることは、何度でも肝に銘じられるべきである。
 問題は自国の行動や主張に限っては無条件な正義と一致しうると考える幼稚な心性を清算すること(それは日本に限られた課題ではないが)である」


 国の振りかざす「正義」によって最後は戦争に行き着き、人間の人格が破壊され、いのちが奪われ、生活が奪われ、やがて新たな「正義」として拳を振り上げさせる怨みが残る。
 何と哀れな人類史だろう。

 倒れて病院へ運ばれる矢須子を見送りながら重松は思う。

「今、もし、向うの山に虹が出たら奇蹟が起る。
 不吉な白い虹でなくて、五彩の虹が出たら矢須子の病気が治るんだ」


 そして山を眺め続けるが、虹は現れぬまま幕切れとなる。

 虹は、人類の歴史と運命を見通す叡智ではなかろうか。
 第二次世界大戦後、「個別国家の戦争は違法」という理念のもとで叡智の結集をはかるはずだった国連は、アメリカが仕組んだ集団的自衛権の条項によって、機能停止した。
「本来、国連加盟国には許されないはずだった『独自の軍事同盟にもとづき、国連の許可なく戦争を始める権利』」(矢部宏治)という集団的横暴を、誰も制御し得ない。
 その典型がイラク戦争であり、日本も将兵や燃料を輸送して加担した。
 しかも、アメリカが開戦の理由としたイラクによる大量破壊兵器の準備など事実無根だったにもかかわらず、私たちは、イラクの破壊に加担したことの客観的検証も、責任の追及も、ほとんを行われぬうちに事実すら、忘れかけている。
 国益という名の悪魔的我欲を唯一の旗印とする愚かさを離れ、各国の叡智が結集されて五彩の虹となる日は来ないのだろうか。
 



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「おん あらはしゃのう」
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2015
08.18

夜叉と埋もれ火 ―高倉健『夜叉』に想う─

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 今からちょうど30年前の8月31日、高倉健主演の映画『夜叉』が公開された。

 漁師の修治(高倉健)はかつて大阪・ミナミで「人斬り夜叉」と呼ばれたヤクザである。
 足を洗い、若狭湾の小さな港町で妻や義母や子供たちと静かな生活を営んでいる。
 ある日、子連れの謎めいた美女螢子(田中裕子)が町に居酒屋『螢』を開く。
 やがて、螢子の情人矢島(ビートたけし)が現れて猟師たちへ麻雀を勧め、覚醒剤を売り始める。
 運び屋は何と、かつて修治の舎弟分だったトシオ(小林稔侍)だ。

 修治はミナミで出会った冬子(いしだあゆみ)の実家へ入り、地域の人々から結婚を祝福され、まじめにはたらいているが、冬子は修治が夜叉の魂を捨てられずにいることを知っている。
 母親うめ(乙羽信子)は言う。
「男は変えられんよ。どうするかは女房の腕次第だよ」
 冬子は修治へ尽くし切る。

 ある日、修治から忠告された螢子に覚醒剤を捨てられた矢島は怒り狂って本性を現し、刃物を振りかざしながら螢子親子を追い回す。
 町中がパニックになり、取り押さえようと駆けつけた修治のジャンバーが切られて、背中の入れ墨が顕わになる。
 その日から、修治も矢島も同類のヤクザと見る人々の眼が修治の家族を射す。
 居酒屋『螢』は閑古鳥が鳴き、覚醒剤の代金を払えない矢島は組織に監禁され、町へ来ては螢子から有り金を巻き上げる。
 矢島の子を宿していた螢子は、修治へ矢島の救出を依頼し、矢島が助かったなら腐れ縁を切ると約束する。

 修治は美しい螢子に接し、凶暴な矢島とぶつかり、二人の不幸を前にして〈自分のやり方〉で決着をはからずにはいられない。
 その自分とは夜叉である。
「他人をあてにせず自分そのものを懸ける。
 筋道を通す。
 根本的解決をする」
 これが修治にとっての不条理へ立ち向かう作法であろう。
 穏便に、傷や出血をできるだけ少なくしながらその場をやり過ごそうとする日常生活的作法とは根本的に違う。
 だから、夜叉だ。

 螢子の相談について修治から事態を告げられた冬子は言う。
「船を売ったら?」
 漁師にとっての魂である船を売っても、お金で解決できるのならと、妻は最後の望みを口にする。
 しかし、修治は斜め下を向いて答える。
「俺は金で金で始末をつけたことはない。俺のやり方でやるんじゃ」
 冬子は悲しみの涙が浮かんだ眼を見開く。
「あんたはやっぱりミナミの男だったんやね」
 子供たちの寝顔を見ながら、コートの下に拳銃を隠し持ち、「決めたんじゃ」と妻へ言い遺してミナミの修羅場へ赴く。

 ミナミで修羅場へ乗り込んだ修治は矢島を組織から奪い返し、トシオに身柄を託すが、トシオは救うふりをしながら矢島を刺殺する。
 そして修治へ土下座をして詫びる。
「わしがここで生きるには、こうするしかなかったんじゃ」
 夜叉として自分を懸けられる世界がもはやどこにもないことを悟った修治は、失意のまま港町へ帰った。
 修治から矢島の死を知らされた螢子は、その夜、ミナミへ旅立つ。
 冬子に迎えられた修治は、何ごともなかったかのように漁師の生活へ戻る。
 しかし、夜叉はきっと鎮まっているだけであり、消えてはいない。

 私たちは心のどこかにそれぞれの〈夜叉〉を宿しているのではなかろうか?
 修治にとっての夜叉は前述した三つの方法であり、解放空間としてはミナミの酒場であり、生死を懸けて意地をぶつけ合うヒリヒリした渡世人の世界であろう。
 私たちもまた若き日のどこかで、修治とタイプは異なっても、〈自分なりの作法や、魂が真に解放される空間〉をつかんでしまっているのではなかろうか?
 もちろん、その方法を通し、その空間にのんびりしていられるほど、人生は甘くない。
 妥協に妥協を重ねながら不条理の海を泳ぎ、どうにか生き存(ナガラ)える。
 しかし、修治同様、夜叉は埋もれ火のように〈その時〉を待つともなく待っている。
 多くの場合は、老いと死の訪れが夜叉を消し去る。
 哀しくも美しく懐かしく、最後の夢ともなってくれる夜叉は愛しい。
 
 修治と同じく私たちにも、消えぬ埋もれ火があるのではなろうか。
 それが幸か不幸かはわからないが……。




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「のうぼう あきゃしゃきゃらばや おん ありきゃ まり ぼり そわか」※今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=IY7mdsDVBk8





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2015
08.18

原発がどんなものか知ってほしい(その3) ―ある技術者の遺言―

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〈『不戦堂』のお釈迦様と生母摩耶夫人(マヤブニン)〉

 ここで紹介する『原発がどんなものか知ってほしい』は、原発の建設、検査、配管工事の分野で現場監督を20年以上勤めた技術者平井憲夫氏が書いた〈現場からの報告〉である。
 今回の文章には、風評被害を引き起こしかねない内容や、強い誹謗の表現も含まれているが、資料として読むため、原文のまま掲載した。

7 放射能垂れ流しの海

 冬に定検工事をすることが多いのですが、定検が終わると、海に放射能を含んだ水が何十トンも流れてしまうのです。
 はっきり言って、今、日本列島で取れる魚で、安心して食べられる魚はほとんどありません。
 日本の海が放射能で汚染されてしまっているのです。

 海に放射能で汚れた水をたれ流すのは、定検の時だけではありません。
 原発はすごい熱を出すので、日本では海水で冷やして、その水を海に捨てていますが、これが放射能を含んだ温排水で、一分間に何十トンにもなります。

 原発の事故があっても、県などがあわてて安全宣言を出しますし、電力会社はそれ以上に隠そうとします。
 それに、国民もほとんど無関心ですから、日本の海は汚れっぱなしです。

 防護服には放射性物質がいっぱいついていますから、それを最初は水洗いして、全部海に流しています。
 排水口で放射線の量を計ると、すごい量です。
 こういう所で魚の養殖をしています。
 安全な食べ物を求めている人たちは、こういうことも知って、原発にもっと関心をもって欲しいものです。
 このままでは、放射能に汚染されていないものを選べなくなると思いますよ。

 数年前の石川県の志賀原発の差止め裁判の報告会で、八十歳近い行商をしているおばあさんが、こんな話をしました。
「私はいままで原発のことを知らなかった。
 今日、昆布とわかめをお得意さんに持っていったら、そこの若奥さんに『悪いけどもう買えないよ、今日で終わりね、志賀原発が運転に入ったから』って言われた。
 原発のことは何も分からないけど、初めて実感として原発のことが分かった。
 どうしたらいいのか」
って途方にくれていました。
 みなさんの知らないところで、日本の海が放射能で汚染され続けています。


 冒頭で触れたとおり、こうした問題は放射能に関する安全基準に基づいて議論されるべきであり、一つまちがうと、とんでもない風評被害をもたらしかねず、表現も議論も慎重を要する。
 ただし、20世紀末に厳しい国際条約が締結されるまでの間、旧ソ連やロシアなどによって膨大な放射性廃棄物が海へ投棄されてきたのは事実である。
 海が無限の包容力を発揮して何でも引き受けてくれるといった誤った感覚は早く捨てねばならない。
 水への〈過信〉が川や海への垂れ流しに結びつき、日本を含め世界中へ凄まじい環境汚染と健康被害をもたらしてきたことは決して忘れぬようにしたい。

8 内部被爆が一番怖い

 原発の建屋の中は、全部の物が放射性物質に変わってきます。
 物がすべて放射性物質になって、放射線を出すようになるのです。
 どんなに厚い鉄でも放射線が突き抜けるからです。
 体の外から浴びる外部被曝も怖いですが、一番怖いのは内部被曝です。

 ホコリ、どこにでもあるチリとかホコリ。
 原発の中ではこのホコリが放射能をあびて放射性物質となって飛んでいます。
 この放射能をおびたホコリが口や鼻から入ると、それが内部被曝になります。
 原発の作業では片付けや掃除で一番内部被曝をしますが、この体の中から放射線を浴びる内部被曝の方が外部被曝よりもずっと危険なのです。
 体の中から直接放射線を浴びるわけですから。

 体の中に入った放射能は、通常は、三日くらいで汗や小便と一緒に出てしまいますが、三日なら三日、放射能を体の中に置いたままになります。
 また、体から出るといっても、人間が勝手に決めた基準ですから、決してゼロにはなりません。
 これが非常に怖いのです。
 どんなに微量でも、体の中に蓄積されていきますから。

 原発を見学した人なら分かると思いますが、一般の人が見学できるところは、とてもきれいにしてあって、職員も「きれいでしょう」と自慢そうに言っていますが、それは当たり前なのです。
 きれいにしておかないと放射能のホコリが飛んで危険ですから。

 私はその内部被曝を百回以上もして、癌になってしまいました。
 癌の宣告を受けたとき、本当に死ぬのが怖くて怖くてどうしようかと考えました。
 でも、私の母が何時も言っていたのですが、「死ぬより大きいことはないよ」と。
 じゃ死ぬ前になにかやろうと。
 原発のことで、私が知っていることをすべて明るみに出そうと思ったのです。


 ガンの宣告を受けた平井憲夫氏が「すべて明るみに出そう」としたことは重い。
 氏が書き遺した事実に私たちがいかなる真実を見つけるかは私たち次第である。
 知らされた者の責任もまた、重い。

9 普通の職場環境とは全く違う

 放射能というのは蓄積します。
 いくら徴量でも十年なら十年分が蓄積します。
 これが怖いのです。
 日本の放射線管理というのは、年間50ミリシーベルトを守ればいい、それを越えなければいいという姿勢です。

 例えば、定検工事ですと三ケ月くらいかかりますから、それで割ると一日分が出ます。
 でも、放射線量が高いところですと、一日に五分から七分間しか作業が出来ないところもあります。
 しかし、それでは全く仕事になりませんから、三日分とか、一週間分をいっぺんに浴びせながら作業をさせるのです。
 これは絶対にやってはいけない方法ですが、そうやって10分間なり20分間なりの作業ができるのです。
 そんなことをすると白血病とかガンになると知ってくれていると、まだいいのですが……。
 電力会社はこういうことを一切教えません。

 稼動中の原発で、機械に付いている大きなネジが一本緩んだことがありました。
 動いている原発は放射能の量が物凄いですから、その一本のネジを締めるのに働く人三十人を用意しました。
 一列に並んで、ヨーイドンで七メートルくらい先にあるネジまで走って行きます。
 行って、一、二、三と数えるくらいで、もうアラームメーターがビーッと鳴る。
 中には走って行って、ネジを締めるスパナはどこにあるんだ?といったら、もう終わりの人もいる。
 ネジをたった一山、二山、三山締めるだけで百六十人分、金額で四百万円くらいかかりました。

 なぜ、原発を止めて修理しないのかと疑問に思われるかもしれませんが、原発を一日止めると、何億円もの損になりますから、電力会社は出来るだけ止めないのです。
 放射能というのは非常に危険なものですが、企業というものは、人の命よりもお金なのです。


 よく「神は細部に宿る」と言う。
 この言葉は、各部分が完璧であって初めて全体の完全性が成り立つとか、おろそかにされない細部にこそ神のごとき力が発揮・表現されているなどとさまざまな意味で用いられる。
 平井憲夫氏の眼に映ったネジの処置をする光景は些事のようであっても、気づかれにくい真実をかいま見せている。
 原発の根源的問題が顕れているという意味では、「神は細部に宿る」と言えるのではなかろうか。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
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「のうぼう あきゃしゃきゃらばや おん ありきゃ まり ぼり そわか」※今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
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2015
08.17

原発がどんなものか知ってほしい(その2) ―ある技術者の遺言―

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〈『みやぎ四国八十八か所巡り道場』にて祈る〉

 ここで紹介する『原発がどんなものか知ってほしい』は、原発の建設、検査、配管工事の分野で現場監督を20年以上勤めた技術者平井憲夫氏が書いた〈現場からの報告〉である。

4 名ばかりの検査・検査官

 原発を造る職人がいなくなっても、検査をきっちりやればいいという人がいます。しかし、その検査体制が問題なのです。
 出来上がったものを見るのが日本の検査ですから、それではダメなのです。
 検査は施工の過程を見ることが重要なのです。

 検査官が溶接なら溶接を、「そうではない。よく見ていなさい。このようにするんだ」と自分でやって見せる技量がないと本当の検査にはなりません。
 そういう技量の無い検査官にまともな検査が出来るわけがないのです。
 メーカーや施主の説明を聞き、書類さえ整っていれば合格とする、これが今の官庁検査の実態です。

 原発事故があまりにもひんぱんに起き出したころに、運転管理専門官を各原発に置くことが閣議で決まりました。
 原発の新設や定検(定期検査)のあとの運転の許可を出す役人です。
 私もその役人が素人だとは知っていましたが、ここまでひどいとは知らなかったです。

 というのは、水戸で講演をしていた時、会場から「実は恥ずかしいんですが、まるっきり素人です」と、科技庁(科学技術庁)の者だとはっきり名乗って発言した人がいました。
 その人は
「自分たちの職場の職員は、被曝するから絶対に現場に出さなかった。
 折から行政改革で農水省の役人が余っているというので、昨日まで養蚕の指導をしていた人やハマチ養殖の指導をしていた人を、次の日には専門検査官として赴任させた。
 そういう何にも知らない人が原発の専門検査官として運転許可を出した。
 美浜原発にいた専門官は三か月前までは、お米の検査をしていた人だった」
と、その人たちの実名を挙げて話してくれました。
 このようにまったくの素人が出す原発の運転許可を信用できますか。

 東京電力の福島原発で、緊急炉心冷却装置(ECCS)が作動した大事故が起きたとき、読売新聞が「現地専門官カヤの外」と報道していましたが、その人は、自分の担当している原発で大事故が起きたことを、次の日の新聞で知ったのです。
 なぜ、専門官が何も知らなかったのか。
 それは、電力会社の人は専門官がまったくの素人であることを知っていますから、火事場のような騒ぎの中で、子どもに教えるように、いちいち説明する時間がなかったので、その人を現場にも入れないで放って置いたのです。
 だから何も知らなかったのです。

 そんないい加減な人の下に原子力検査協会の人がいます。
 この人がどんな人かというと、この協会は通産省を定年退職した人の天下り先ですから、全然畑違いの人です。
 この人が原発の工事のあらゆる検査の権限を持っていて、この人の0Kが出ないと仕事が進まないのですが、検査のことはなにも知りません。
 ですから、検査と言ってもただ見に行くだけです。
 けれども大変な権限を持っています。
 この協会の下に電力会社があり、その下に原子炉メーカーの日立・東芝・三菱の三社があります。
 私は日立にいましたが、このメーカーの下に工事会社があるんです。
 つまり、メーカーから上も素人、その下の工事会社もほとんど素人ということになります。
 だから、原発の事故のことも電力会社ではなく、メー力-でないと、詳しいことは分からないのです。

 私は現役のころも、辞めてからも、ずっと言っていますが、天下りや特殊法人ではなく、本当の第三者的な機関、通産省は原発を推進しているところですから、そういう所と全く関係のない機関を作って、その機関が検査をする。
 そして、検査官は配管のことなど経験を積んだ人、現場のたたき上げの職人が検査と指導を行えば、溶接の不具合や手抜き工事も見抜けるからと、一生懸命に言ってきましたが、いまだに何も変わっていません。
 このように、日本の原発行政は、余りにも無責任でお粗末なものなんです。


 平井憲夫氏の言葉はあまりに辛辣だと思えるかも知れないが、事実を見過ごさず、少し詳しく述べておられるだけである。
 科技庁の人が、「自分たちの職場の職員は、被曝するから絶対に現場に出さなかった」という言葉は、聞き逃せない。
 原発が常に人を被曝させるシステムであるとはどういうことか。
 それが関係者にとって衆知の事実であるとおり、広く日本人に知られているか?
 ほとんどの人がプラントに対して持っているイメージは、〈幾重にも安全が確保された職場〉ではなかったか。(少なくとも福島原発の事故が起こる前までは)
 だからこそ、莫大な札束が地元に落とされ、若者の職場も確保できるというバラ色の話を歓呼の声で迎え入れたのではないか。
 しかし、実際には、事実を知っている役人はそこへ足を運びたくないほどの、被曝地だったとは……。

5 いいかげんな原発の耐震設計

 阪神大震災後に、慌ただしく日本中の原発の耐震設計を見直して、その結果を九月に発表しましたが、「どの原発も、どんな地震が起きても大丈夫」というあきれたものでした。
 私が関わった限り、初めのころの原発では、地震のことなど真面目に考えていなかったのです。
 それを新しいのも古いのも一緒くたにして、大丈夫だなんて、とんでもないことです。
 1993年に、女川原発の一号機が震度4くらいの地震で出力が急上昇して、自動停止したことがありましたが、この事故は大変な事故でした。
 なぜ大変だったかというと、この原発では、1984年に震度5で止まるような工事をしているのですが、それが震度5ではないのに止まったんです。
 わかりやすく言うと、高速道路を運転中、ブレーキを踏まないのに、突然、急ブレーキがかかって止まったと同じことなんです。
 これは、東北電力が言うように、止まったからよかった、というような簡単なことではありません。
 5で止まるように設計されているものが4で止まったということは、5では止まらない可能性もあるということなんです。
 つまり、いろんなことが設計通りにいかないということの現れなんです。

 こういう地震で異常な止まり方をした原発は、1987年に福島原発でも起きていますが、同じ型の原発が全国で10もあります。
 これは地震と原発のことを考えるとき、非常に恐ろしいことではないでしょうか。


 恐らく、ほとんどの関係者は、原発がどこか〈手に負えない〉不気味な代物であると感づいているのではないか。
 しかし、それを言ったらおしまいなので、不可能という文字で表現するしかない状況の一歩手前までしか、思考や検討を及ぼさなかったのだろう。
 要は、統御も制御も完全になど行い得ないのだ。
 そう考える妥当性を否定できようか。

6 定期点検工事も素人が

 原発は1年くらい運転すると、必ず止めて検査をすることになっていて、定期検査、定検といっています。
 原子炉には70気圧とか、150気圧とかいうものすごい圧力がかけられていて、配管の中には水が、水といっても300℃もある熱湯ですが、水や水蒸気がすごい勢いで通っていますから、配管の厚さが半分くらいに薄くなってしまう所もあるのです。
 そういう配管とかバルブとかを、定検でどうしても取り替えなくてはならないのですが、この作業に必ず被曝が伴うわけです。

 原発は一回動かすと、中は放射能放射線でいっぱいになりますから、その中で人間が放射線を浴びながら働いているのです。
 そういう現場へ行くのには、自分の服を全部脱いで、防護服に着替えて入ります。
 防護服というと、放射能から体を守る服のように聞こえますが、そうではないんですよ。
 放射線の量を計るアラームメーターは防護服の中のチョッキに付けているんですから。
 つまり、防護服放射能を外に持ち出さないための単なる作業着です。
 作業している人を放射能から守るものではないのです。
 だから、作業が終わって外に出る時には、パンツー枚になって、被曝していないかどうか検査をするんです。
 体の表面に放射能がついている、いわゆる外部被曝ですと、シャワーで洗うと大体流せますから、放射能がゼロになるまで徹底的に洗ってから、やっと出られます。

 また、安全靴といって、備付けの靴に履き替えますが、この靴もサイズが自分の足にきちっと合うものはありませんから、大事な働く足元がちゃんと定まりません。
 それに放射能を吸わないように全面マスクを付けたりします。
 そういうかっこうで現場に入り、放射能の心配をしながら働くわけですから、実際、原発の中ではいい仕事は絶対に出来ません。
 普通の職場とはまったく違うのです。

 そういう仕事をする人が95%以上まるっきりの素人です。
 お百姓や漁師の人が自分の仕事が暇な冬場などにやります。
 言葉は悪いのですが、いわゆる出稼ぎの人です。
 そういう経験のない人が、怖さを全く知らないで作業をするわけです。

 例えば、ボルトをネジで締める作業をするとき、「対角線に締めなさい、締めないと漏れるよ」と教えますが、作業する現場は放射線管理区域ですから、放射能がいっぱいあって最悪な所です。
 作業現場に入る時はアラームメーターをつけて入りますが、現場は場所によって放射線の量が違いますから、作業の出来る時間が違います。
 分刻みです。

 現場に入る前にその日の作業と時間、時間というのは、その日に浴びてよい放射能の量で時間が決まるわけですが、その現場が20分間作業ができる所だとすると、20分経つとアラ-ムメーターが鳴るようにしてある。
 だから、「アラームメーターが鳴ったら現場から出なさいよ」と指示します。
 でも現場には時計がありません。
 時計を持って入ると、時計が放射能で汚染されますから腹時計です。
 そうやって、現場に行きます。

 そこでは、ボルトをネジで締めながら、もう10分は過ぎたかな、15分は過ぎたかなと、頭はそっちの方にばかり行きます。
 アラームメーターが鳴るのが怖いですから。
 アラームメーターというのはビーッととんでもない音がしますので、初めての人はその音が鳴ると、顔から血の気が引くくらい怖いものです。
 これは経験した者でないと分かりません。
 ビーッと鳴ると、レントゲンなら何十枚もいっぺんに写したくらいの放射線の量に当たります。
 ですからネジを対角線に締めなさいと言っても、言われた通りには出来なくて、ただ締めればいいと、どうしてもいい加滅になってしまうのです。
 すると、どうなりますか。


 この話も驚愕である。
「放射線の量を計るアラームメーターは防護服の中のチョッキに付けている」「作業している人を放射能から守るものではない」とは!!
 私たちは、十分に検討し尽くされた表現による情報を通じてものごとに対するイメージを作らされる。
 だから、あの白い服の中は安全地帯であると思い込む。
 いったい、どれだけの人々が、防護服は着ている作業員を守るためのものではなく、彼らの身体が直接放射能を浴びていると想像しているだろう。

 いつもアラ-ムメーターが意識され、気もそぞろといった話も、理解できる。
 修法においても同じだからである。
 小生の場合、一度、酷い目に遭ったし、歳に不足もないので、修法前に必ずトイレへ行くことを手順化している。
 どのような仕事であれ、没頭できなければまともな結果は出せない。
 表面的にはともかく、本当に〈仕上げた〉という不安のない達成感は得られない。
 こうした面からも、危険に身を晒している現場の過酷さが想像され、作業員の方々のお気持を察し、作業の危険性を思い、作業結果の完全性を考える時、原発が人間にとってどうしても必要な理由は見出せない。
 現場ではたらく人間の尊厳を切り刻むような道具は、いかなる経済合理性を持っていようと、〈あってはならない〉範疇に分類されるべきではないだろうか?




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2015
08.17

お塔婆(トウバ)の意義と処置について

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〈『不戦堂』の千羽鶴〉

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〈お塔婆の裏側〉

 今年のお盆期間中、お塔婆(トウバ)に関するご質問がたくさん寄せられました。
 最も多かったのが「古いお塔婆はどうすればよいのですか?」でした。
 『大日経』という深化した経典に基づく伝統的で尊い捧げものについて、皆さんの関心が高まっているのは嬉しいことです。
 何しろ、お大師様すら経典に基づき、お塔婆を書かれていたのです。

 さて、この質問へお答えする前に、お塔婆はそもそも何なのか?について、おさらいしておきましょう。

 それを考えるヒントは、お塔婆の形と、書かれている文字にあります。

 まず、形は下から、四角、丸、三角、半円、宝珠の5つが重ねられています。
 次に、文字は下から梵字(ボンジ…インドの文字)でア、バ、ラ、カ、キャであり、それぞれ、地・水・火・風・を象徴しています。
 それらはそれぞれ、固いもの、流すもの、温めるもの、吹き渡るもの、妨げぬもの、というこの世にあるすべてのものが持っている〈徳性〉を示しています。
 たとえば私たちの身体に当てはめれば、骨格、血液、体温、呼吸、バランスということになります。
 だからお塔婆は形と文字によって、この世のあらゆる徳性、すなわち、価値のすべてを表していることになります。

 古来、行者たちはお塔婆へ祈りを込めてきました。
「〈地〉のように堅固な、悟りを求める心を持ち、それが大地に植えられて育つ植物と同じく成就へ向かいますよう」
「〈水〉のように清らかな、心身の垢を流す心を持ち、円満に成就しますよう」
「〈火〉のように燃え上がる、罪障を燃やし尽くす心を持ち、煩悩を克服できますよう」
「〈風〉のように塵を吹き去る、自在な心を持ち、因縁の鎖から解き放たれますよう」
「〈〉のように何ものをも妨げない、広大で無我の心を持ち、悟りが実現しますよう」

 さて、お塔婆の裏には、たった一つの梵字が大きく書かれています。
 それは、心を象徴するバンです。

 こうして、一枚のお塔婆の表側には、目に見える世界の徳、そして裏側には、目に見えない世界の徳が表現されているのです。
 しかも、お塔婆には必ず、開眼(カイゲン)の修法が施されてから皆さんの手に渡ります。
 開眼とは、文字どおり、み仏に眼を開いていただく修法であり、この法を結ぶことによって、仏像は単なる像でなく、お墓は単なる石像物でなく、お塔婆は単なる板ではなくなります。
 何しろ、5つあるとされるみ仏の眼が開いておられるのです。
 み仏と一体になった行者は、法力によって仏像やお墓やお塔婆へ五眼を順番どおりに書き入れます。
 法力を会得していなければ、作法は日常生活上の延長として行われる儀式でしかなく、仏像はご加護の眼が開かれません。
 だからこそ、行者は修行に励みます。
 こうして法が結ばれたお塔婆を捧げるのは、御霊へ対する最高レベルの供養になります。

 ところで、私たちはこの世が在ると思っていますが、誰にでも同じように在るわけではありません。
 見えるように見え、見たいように見えているので、人それぞれ千差万別です。
 言い方を変えれば、身体のありようと心のありようによって、〈その人にとってのこの世〉があるのです。
 だから、お塔婆も、ある人にとっては、ただの板でしかなく、ある人にとってはありがたい法具であり、供物ともなります。
 この世を心豊かに過ごすため、価値あるものに気づきましょう。

 最後になりました。
 ようやくご質問への回答です。
 お塔婆はかつて、朽ち果てるまでそのままにされていましたが、今はスペースの問題もあり、あまり古くなったものは順次、修法の上、お焚きあげを行っています。
 どのあたりで「もういい」と判断するかは皆さんそれぞれであり、頻繁にお参りできるかどうかなどのご事情もそれぞれなので、各ご尊家様なり判断し、お焚きあげをお申し出ください。
 たとえ古びようと、一枚一枚のお塔婆は皆、み仏の眼が開いた尊い捧げものであることをお忘れなく。
 皆々様のご誠心にご加護がありますよう。合掌
 




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2015
08.16

おかげさまにて、お盆供養会を無事、終えました

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〈お子さん方へお菓子が配られました〉

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〈本尊大日如来〉

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〈火の中へお迎えするご本尊様、そして火を目印に降りて来られる祖霊の方々〉

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〈唱え始めた途端、山中のセミたちが声を限りに鳴き始めました。Aさん言わく「ご住職のお経に合わせたセミはすごかったですね。セミがお経を聴けるなんて、ほとんど奇跡でしょう。きっと人間に生まれ変わるんでしょうね」〉

 今年も本堂いっぱいに善男善女がご参拝に足を運ばれました。
 また、「ゆかりびとの会」有志の方が、お子さんたちのためにお菓子を用意されました。
 役員さん方は、会場の設営、受け付け、そして駐車場の誘導と大車輪でした。
 皆様のおかげで無事、お盆供養会を終えることができました。
 心より、深く、お礼申し上げます。

 さて、今年は例年とかなり異なる法話を行いました。
 日本が別な日本になろうとしている時、私たちは何を考え、何を祈るべきでしょうか?
 また、何ができるでしょうか?
 そんなお話でした。
 
 護摩法を終え、千羽鶴が飾られた『(仮)不戦堂』において「一心祈願不戦日本」を108回、唱えました。
 一回ごとに、秋田県からやってきた伏せ鉦を叩きました。
 ご唱和くださった方の中に戦争でご家族を亡くした方がおられ、「ずっと続けてください」とお励ましいただきました。

 いっとき、激しく降った雨が上がり、『みやぎ四国八十八か所巡り道場』を参拝しました。
 ご縁の八島さんがきれいに整備してくださった遍路道は清々しく、別世界でした。
 当地の守本尊であるお地蔵様、お大師様、そして、各札所のご本尊様へ万霊供養、そして不戦日本を祈りました。




「おん ばざら たらま きりく」※今日の守本尊千手観音様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=IvMea3W6ZP0





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2015
08.16

原発がどんなものか知ってほしい(その1) ―ある技術者の遺言―

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〈当山が造りつつある『みやぎ四国八十八か所巡り道場』の森〉

 ここで紹介する『原発がどんなものか知ってほしい』は、原発の建設、検査、配管工事の分野で現場監督を20年以上勤めた技術者平井憲夫氏が書いた〈現場からの報告〉である。
 氏は退社後「原発被曝労働者救済センター」をつくり、法廷においても証言を続け、平成9年、ガンにより58才で逝去された。
 これをどう読むかは人それぞれだろうが、一技術者がプロとしての良心をかけた言葉であることだけは、多くの方々が感じとられるのではなかろうか。
 氏の遺言として読んでみたい。

1 私は原発反対運動家ではありません
 
 二十年間、原子力発電所の現場で働いていた者です。
 原発については賛成だとか、危険だとか、安全だとかいろんな論争がありますが、私は「原発とはこういうものですよ」と、ほとんどの人が知らない原発の中のお話をします。
 そして、最後まで読んでいただくと、原発がみなさんが思っていらっしゃるようなものではなく、毎日、被曝者を生み、大変な差別をつくっているものでもあることがよく分かると思います。

 はじめて聞かれる話も多いと思います。
 どうか、最後まで読んで、それから、原発をどうしたらいいか、みなさんで考えられたらいいと思います。
 原発について、設計の話をする人はたくさんいますが、私のように施工、造る話をする人がいないのです。
 しかし、現場を知らないと、原発の本当のことは分かりません。

 私はプラント、大きな化学製造工場などの配管が専門です。
 二○代の終わりごろに、日本に原発を造るというのでスカウトされて、原発に行きました。
 一作業負だったら、何十年いても分かりませんが、現場監督として長く働きましたから、原発の中のことはほとんど知っています。


 特定の思想的立場や政治的意図などからの行動でなく、現場の者として自分の体験をそのまま記すという意味で、「原発反対運動家」ではないと言うのだろう。
 原発に対して、まず、稼働賛成、あるいは反対ありきでなく、事実を知ってもらいたいという一心に違いない。
 そうした気持は理解できる。
 小生も、たとえば、お戒名などについて、現場で行われていることや、現場で起こった事象に顕れた人生の真実を知っていただきたいという一心で、戒名の意義や決まり方や不思議なできごとなどについてお話ししている。
 そうした事実、真実を知った上で、要不要の自主的なご判断をしていただきたいと心から願っている。

2 「安全」は机上の話

 去年(一九九五年)の一月一七日に阪神大震災が起きて、国民の中から「地震で原発が壊れたりしないか」という不安の声が高くなりました。
 原発は地震で本当に大丈夫か、と。
 しかし、決して大丈夫ではありません。
 国や電力会社は、耐震設計を考え、固い岩盤の上に建設されているので安全だと強調していますが、これは机上の話です。

 この地震の次の日、私は神戸に行ってみて、余りにも原発との共通点の多さに、改めて考えさせられました。
 まさか、新幹線の線路が落下したり、高速道路が横倒しになるとは、それまで国民のだれ1人考えてもみなかったと思います。

 世間一般に、原発や新幹線、高速道路などは官庁検査によって、きびしい検査が行われていると思われています。
 しかし、新幹線の橋脚部のコンクリートの中には型枠の木片が入っていたし、高速道路の支柱の鉄骨の溶接は溶け込み不良でした。
 一見、溶接がされているように見えていても、溶接そのものがなされていなくて、溶接部が全部はずれてしまっていました。

 なぜ、このような事が起きてしまったのでしょうか。
 その根本は、余りにも机上の設計ばかりに重点を置いていて、現場の施工、管理を怠ったためです。
 それが直接の原因ではなくても、このような事故が起きてしまうのです。



 平井憲夫氏は、阪神淡路大震災の時点において、原発は「決して大丈夫ではありません」と断言している。
 地震によって破壊され、はからずも明らかになった土木建築工事のずさんさは、原発にも通じているという。
 東南アジアや中国でビルの倒壊事故などが起こると、私たちは、日本では緻密な仕事をしているのでああいうことは起こらないと考え、ほとんど自らをふり返りはしないが、日本の土木建築工事においても、そして原発のプラント工事においても、プロの目は粗雑な仕事ぶりを見抜いていた。
 

3 素人が造る原発

 原発でも、原子炉の中に針金が入っていたり、配管の中に道具や工具を入れたまま配管をつないでしまったり、いわゆる人が間違える事故、ヒューマンエラーがあまりにも多すぎます。
 それは現場にブロの職人が少なく、いくら設計が立派でも、設計通りには造られていないからです。
 机上の設計の議論は、最高の技量を持った職人が施工することが絶対条件です。
 しかし、原発を造る人がどんな技量を持った人であるのか、現場がどうなっているのかという議論は1度もされたことがありません。

 原発にしろ、建設現場にしろ、作業者から検査官まで総素人によって造られているのが現実ですから、原発や新幹線、高速道路がいつ大事故を起こしても、不思議ではないのです。

 日本の原発の設計も優秀で、二重、三重に多重防護されていて、どこかで故障が起きるとちゃんと止まるようになっています。
 しかし、これは設計の段階までです。施工、造る段階でおかしくなってしまっているのです。

 仮に、自分の家を建てる時に、立派な一級建築士に設計をしてもらっても、大工や左官屋の腕が悪かったら、雨漏りはする、建具は合わなくなったりしますが、残念ながら、これが日本の原発なのです。

 ひとむかし前までは、現場作業には、棒心(ぼうしん)と呼ばれる職人、現場の若い監督以上の経験を積んだ職人が班長として必ずいました。
 職人は自分の仕事にプライドを持っていて、事故や手抜きは恥だと考えていましたし、事故の恐ろしさもよく知っていました。
 それが十年くらい前から、現場に職人がいなくなりました。
 全くの素人を経験不問という形で募集しています。
 素人の人は事故の怖さを知らない、なにが不正工事やら手抜きかも、全く知らないで作業しています。
 それが今の原発の実情です。

 例えば、東京電力の福島原発では、針金を原子炉の中に落としたまま運転していて、1歩間違えば、世界中を巻き込むような大事故になっていたところでした。
 本人は針金を落としたことは知っていたのに、それがどれだけの大事故につながるかの認識は全然なかったのです。
 そういう意味では老朽化した原発も危ないのですが、新しい原発も素人が造るという意味で危ないのは同じです。

 現場に職人が少なくなってから、素人でも造れるように、工事がマニュアル化されるようになりました。
 マニュアル化というのは図面を見て作るのではなく、工場である程度組み立てた物を持ってきて、現場で1番と1番、2番と2番というように、ただ積木を積み重ねるようにして合わせていくんです。
 そうすると、今、自分が何をしているのか、どれほど重要なことをしているのか、全く分からないままに造っていくことになるのです。
 こういうことも、事故や故障がひんぱんに起こるようになった原因のひとつです。

 また、原発には放射能の被曝の問題があって後継者を育てることが出来ない職場なのです。
 原発の作業現場は暗くて暑いし、防護マスクも付けていて、互いに話をすることも出来ないような所ですから、身振り手振りなんです。
 これではちゃんとした技術を教えることができません。
 それに、いわゆる腕のいい人ほど、年問の許容線量を先に使ってしまって、中に入れなくなります。
 だから、よけいに素人でもいいということになってしまうんです。

 また、例えば、溶接の職人ですと、目がやられます。
 30歳すぎたらもうだめで、細かい仕事が出来なくなります。
 そうすると、細かい仕事が多い石油プラントなどでは使いものになりませんから、だったら、まあ、日当が安くても、原発の方にでも行こうかなあということになります。

 皆さんは何か勘違いしていて、原発というのはとても技術的に高度なものだと思い込んでいるかも知れないけれど、そんな高級なものではないのです。

 ですから、素人が造る原発ということで、原発はこれから先、本当にどうしようもなくなってきます。


 当山で墓石を組み立てる際、小生はよく現場を見に行く。
 そして、写真を撮ったりもする。
 それは決して職人さんのあら探しをしようというのではなく、こうして土を掘り、堅固な土台を造り、その上に細心の注意をはらいつつ慎重に組み立てられたのがお墓という〈あの世の家〉であるということを記憶と記録に留めておきたいからである。
 できあがったお墓を見ると「すばらしい」「安心した」という気持になるが、地中の土台も、流された汗も、込められた誠意も見えはしない。
 だから、せめて祈る者として全体を眺め、知っておきたいと思うのである。
 小生は墓石に関して門外漢素人だが、それでも、皆さんの真実に迫りたい心だけは保ち、観察と感謝を怠らないようにしたいと考えている。




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2015
08.15

敗戦の日に想う ―『戦争をしない国』を読む―

2015081500022.jpg
〈『戦争をしない国』に掲載された天皇陛下のお言葉です〉

「世界はなぜ、戦争を止められないのか―― 国連憲章と集団的自衛権」というA5版で5頁の文章がある。

 矢部宏治著『戦争をしない国 明仁天皇メッセージ』の[付録]として書かれたものである。
 氏はすでに一年前、著書『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』において戦後日本の憲法と安全保障に関する構造を明らかにしたが、今回は、進むべき道を示した。

 戦後世界は元々、「個別国家の戦争は違法」という基本構想に基づいてデザインされていたが、スターリンとの信頼関係で緊張緩和に力を尽くしたアメリカ大統領ルーズベルトの死と、原爆の活用にメドのついた昭和20年、アメリカによって、国連憲章へ突然、まったく新しい概念が付け加えられた。
 それが「集団的自衛権」である。
 国連本来の理念である「個別国家の戦争は違法」から「独自の軍事同盟にもとづき、国連の許可なく戦争を始める権利」を認めるという大転換が行われた。
 この条項を作ったダレス(サンフランシスコ条約と旧日米安保条約の生みの親)はアメリカ議会で述べている。

「軍事行動を国連安保理を通じて行うか、独自の軍事同盟にもとづいて行うかの決定は、そのときどきの国益に応じてアメリカが自由に選択することができます」


 この時点で、国連は〈お飾り〉になり果てた。
 戦争における国際的正義のありかは、国連とアメリカが同等に判断できることになった。
 さらに言えば、アメリカの判断による正義の旗さえあれば、アメリカと行動を共にする国々は世界のどこで勝手に戦争を始めようと、とがめられなくなったのである。

 そして、「もっともアメリカにとって都合のよい、事実上の占領継続条約」として日米安保条約が結ばれた。
 その結果、「日本というひとつの国の中に」「巨大な矛盾が生み出され」てしまった。

「あらゆる軍事力を放棄した憲法9条2項」[マッカーサー作]
「人類史上最大の攻撃力をもち、日本から自由に出撃して戦争する在日米軍」[ダレス作]


 私たちは「二度と戦争をしないことを誓って憲法9条を書いて出発した日本は、米軍を一種の国連軍と思ってその駐留を許可し」ながらも、「日本自身が集団的自衛権を行使すること[=海外派兵]だけは、平和憲法があるから絶対に無理です」という理由で自衛隊を海外派兵させぬよう努力してきた。
 しかし、今、私たちは自ら最後の砦であるこの〈理由〉を放棄し、自衛隊を米軍と一体化させようとしている。
 国会で「被爆国日本の自衛隊が、米軍の核兵器を運搬することになりはしないか?」という質問に対して、中谷防衛大臣は「日本が主体的に判断するのであり得ません」と答弁しているが、あまりの痛々しさと、言葉の空虚さに現実感を失いそうになる。

 氏は断言する。

「『集団的自衛権』という名のもとで、アメリカの違法な戦争(=先制攻撃ドクトリン)に加担することは、9条2項だけでなく、9条1項の完全な破壊です。」


 そして、二つの条項を書き込み、事実上の機能停止に陥った憲法を機能させようと提案する。

1 専守防衛、絶対に先制攻撃を行わない最低限の軍事力は持つ
2 外国軍の駐留は認めない

 
 これが「基地や原発や戦争など、さまざまな問題を解決するためのスタート地点」であると言う。
 ちなみに、日本国憲法第9条は以下のとおりである。

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 敗戦後、日本は、占領軍である米軍を日本中に駐留させたままにしている。
 沖縄問題や原発問題に明らかなとおり、米軍を背景とした米国の〈意向〉は事実上、日本国憲法以上の力を発揮している。
 8月12日、沖縄本島中部の沖合でアメリカ軍のヘリコプターが墜落したが、日本は一切、直接的調査も捜査もできない。
 政府はこう言うのみである。
 「事故の報告は受けているが、詳細については確認中だ。極めて遺憾であり、アメリカ側に迅速な情報提供と原因究明、再発防止を、政府として強く申し入れる」
 日本に許されているのは「確認」という儀式だけである。

 敗戦の日から70年、今、日本はいかなる状況におかれているか、いかなる方向へ行くべきか、熟慮せねばならないと思う。
 今日のお盆供養会でも、祖霊へ「不戦日本」を祈ろう、誓おう。




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2015
08.14

秋風やひとさし指は誰の墓 ―寺山修司のとまどい―

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〈田中一村『アダンの海辺』〉

 夜半の豪雨と雷鳴がおさまったら、とたんに虫たちが鳴き始めた。
 激しく空から降り、地を流れたであろう大量の水をかぶったはずの野辺にいる小さな虫たちは、どうやって災禍をやり過ごしたのだろう。
 明るみが増すに従って、声は小さくなる。
 外へ出てみればもう、無言の赤トンボが飛んでいることだろう。
 立秋が過ぎ、お盆に入った今、秋風がトンボを運び、数々の実りを運んでくる。

 そんな朝、ふと、寺山修司の一句を思い出した。
 

秋風やひとさし指は誰の


 秋風の吹く地で石たちを眺めている。
 そのどれもが、生きている人がいたことと、生きていた人が死んでいることを証している。
 誰のおも等しく……。
 途方もなく巨大な空虚に耐えかね、あれは誰のだろうと焦点を絞り、具体的に見ないではいられないが、その一方で言い伝えがふと、思い起こされる。
「おを指さすと、そのあたりにいる未成仏霊が憑いてくる」
 だから、心の人差し指は宙に浮く。
 人差し指は誰の墓をも指差せない。
 それでも、かつて人々がいたことは確かであり、それを特定するための指差しをやりたい衝動はおさまらない。
 揺れ動く心などにおかまいなく、秋風は飄々と吹き渡っている。

 寺山修司にはこうしたお墓の句もある。

「ちゝはゝの墓寄りそひぬ合歓のなか」


 合歓(ネム)の葉は、夜に閉じる就眠運動を行う。
 合掌するかのようである。
 合わせられた両手の内にこそ、歓びがある。
 ただし、これはあくまでも想像上の世界である。
 父親は出征先で病死し、母親は彼よりも長生きするのだ。
 早くに失った父親と、葛藤のあった母親……。
 合歓と同じであったろう彼の祈りは深い。
 
 今朝ももう、お墓を目指して善男善女が訪れている。
 誰のお墓も必ず、誰かのお墓である。
 誰々のお墓と人差し指を向けずとも、万霊供養の心でお参りをしたい。




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2015
08.13

すばらしい自然と穢す人間 ―チェルノブイリ、沖縄に思う―

2015081300012.jpg

 チェルノブイリにおいて、事故からわずか20数年後には自然界が復活したことに関し、自然界は大きな力を持っており、人間は自然界の邪魔者ではないか、また、そうした認識もなく、原発事故の処置もできぬままに再稼働をする私たちに対し、お釈迦様ならどうおっしゃるだろうかというご質問をいただきました。
 お釈迦様のお心についてはとてもお答えしかねますが、一仏教徒として雑感を書いてみます。

 人間も自然の一部ですが、他の生きものたちと決定的に異なるのは、〈反自然〉や〈非自然〉なるモノを作り出すというところにあります。
 医薬品は人間を長生きさせ、農薬は稲を大量に収穫させますが、その一方ではその反自然性や非自然性が、私たちに気づく形で、あるいは気づかない形で自然を破壊し、人間そのものをも破壊しつつあります。
 環境破壊、種の絶滅、あるいは各種アレルギーや精神的病気の増加などから、私たちは現代文明が孕む巨大な歪みを感じとっています。
 見えつつある恐ろしい因果関係はあまりに規模が巨大過ぎるため、私たち一人一人は何をすればよいかわからず、わかっても〈蟷螂(トウロウ…カマキリ)の斧〉の無力さにたじろぎ、すくみ、動けなくなっています。
 また、せっかく〈気づいた者〉となっても、麻薬のように効く便利さや快適さや利益の前に、負の因果関係から目を逸らしてしまいます。
 しかし、たとえば今、沖縄で起こっている基地問題は二重の意味で重大な問題を私たちへ突きつけています。

1 外国軍の基地を拒否するアメリカからの本格的な独立運動が起こったこと

 およそ世界の独立国で、首都のど真ん中に他国軍(米軍)が自由に飛行できる空域を設け、他国軍の基地(横田基地など)を通って出入りする人間がノーチェックなどという状況は、日本以外、あり得ないでしょう。
 沖縄では、敗戦によって住民が追い出された場所(全島の18パーセント)、そして上空のすべてが進駐した米軍にいまだ、占領されたままになっています。
 こうした中で半世紀以上も被占領者として塗炭の苦しみを負わされた人びとが、あたかも自由意志であるかのように新たな基地の建設を認めるなどということは耐えられるはずがありません。
 私たちは原発を止めようとして止められず、アメリカでは住宅街を避けコウモリの棲息にすら注意しながら用いられているオスプレイの全国的自由飛行を止められず、若者たちを国外の戦地へ送られようとしています。
 これほど明らかな〈非占領状態〉に対して本土の人々は鈍感ですが、毎日、現実的苦しみを味わってきた沖縄の人々は、我慢の限界を超えたのでしょう。
 
2 自然を破壊して基地を造るという行為への正面切った反対運動が起こったこと

 生きものである人間のいのちを食物によって支えてくれる自然、社会生活で疲れた私たちの心身を回復させてくれる自然に対する取り返しのつかぬ破壊と、自然に代わって戦争のための基地が現れることは、自然と親しみ合って暮らす沖縄の人々に耐え難いのです。
 これまで、心身の不調を訴えて当山を訪れた方々のうち幾人もが、御守などを手にして沖縄方面へ足を向け、回復のお礼参りに来られました。
 皆さんが口々に言われるのは、海の美しさと生きものたちの豊かさです。
 私たちが自己快癒力によって当病平癒が実現する場合の「自己」とは、〈自然の一部としての自分〉ではないでしょうか。
 本来の〈自然〉に無理がかかった時、不調になるのではないでしょうか。
 ならば、大自然は文字どおり私たちの故郷であり、母なのではないでしょうか。
 反自然の最たるものが殺人であり、戦争であり、それを最も嫌うのが母です。
 自然と基地との問題は、文明の行く末を考える時、決して避けては通れないはずです。

 さて、ここまできた人間はもはや、自然界にとって邪魔者でしかないのかという問いへ仏教徒として答えるならば、やはり輪廻転生(リンネテンショウ)と因果応報に依るしかありません。
 輪廻転生を観れば、目に見えぬいのちの世界から目に見えるいのちの世界へ生じ、再び見えぬいのちの世界へ還ってゆく者としての人間は、他の生きものたちと何ら変わらないという真実に気づきます。
 そして、いのちあるものたちがすべて、苦を厭っていることもわかります。
 また、人間以外の生きものはすべて、生きるという宿命的欲望を超えてまで他の生きもののいのちを奪いません。
 しかも霊性という高度な意識を持った人間は、そうしたありようを知り、判断し行動できます。
 ならば、モノ金を求めるなど勝手な目的で人間を含む他の生きものへ苦を与えることに何らの意義もなく、そうした行動は本来のありように背くという意味で穢れていると言えます。
 穢れの最たるものが殺人であり、戦争です。
 まず、これを止めることが、人間が〈邪魔者〉とならないための出発点ではないでしょうか。

 一方、私たちは、こうすればこうなるという因果応報を直感的に知っています。
 目前の現象としてはすぐに因と果の糸を結べなくても、心を深めれば、あらゆるものが糸で結ばれていることが疑いもない真理であると気づきます。
 自分がどう考え、何を語り、何をするかによって、必ずいつか、何らかの形で現象世界へ変化が現れます。
 温かい心と行為と言葉と笑顔が人の心を温め、自分も又、温かい心と行為と言葉と笑顔によって温められることを知っています。
 ならば、共に温め合うしかないではありませんか。
 私たちが自然界にとって、他人にとって〈邪魔者〉とならないために大切なのは、思いやりをもって生きることではないでしょうか。

 お釈迦様は「悪を為してはならない、善を為せ、自分を清めよ」と説かれました。
 ありがたいと思います。
 



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2015
08.12

いろいろに泣けた話 ―軍神広瀬中佐、九軍神をめぐって―

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〈午前3時前に起こされ、やや迷惑そうなクロ〉

 年をとると涙もろくなると言われるが、子供だって涙もろい。
 小学一年生の時、胸を患い、仰臥したままで画と文字の入った『嗚呼(アア)、広瀬中佐!』を読み、泣けた。

 明治37年、日露戦争のおり、旅順港の入り口を塞いで敵艦の一挙撃滅をはかる作戦がとられた。
 閉塞のために沈められる予定だった第二船福井丸の指揮官広瀬少尉(当時)は、敵駆逐艦からの魚雷攻撃を受けて沈没する船から全員が退去する時、部下の杉野孫七上等兵曹がいないことに気づいた。
 杉野は、船倉にある自爆用の弾薬へ着火する任務を課せられていたので、そこへ向かったものと思われた。
 広瀬は一人、沈み行く福井丸へ戻り、船内を三度捜索した。
「杉野は何処(イズコ)!杉野は居ずや!」
 この言葉と、叫ぶ広瀬の画は60年以上経った今も忘れられない。
 杉野はついに見つからず、とうとう救命ボートへ乗り移らざるを得なかった広瀬は敵弾の直撃を受け、戦死した。
 この時の広瀬について誰かが「軍神」と唱えた。
 そして、日露戦争戦勝30周年の昭和10年、中尉になった広瀬の故郷大分県竹田町に広瀬神社が創建された。
 軍神の誕生である。

 また、昭和16年、日本軍がハワイの真珠湾を攻撃した際に、5隻の特殊潜行挺に乗って敵艦へ体当たりした9人も軍神とされた。
 出陣に当たり、「行って参ります」ではなく「逝きます」と挨拶して出陣したという。
 敗戦後10年も経たない頃は、親孝行な若者が国家のため、自らいのちを投げ捨てたという戦意高揚の物語がまだ、残っていた。
 古本で読んだ小生は泣いた。

 ところが最近、新谷尚紀著『お葬式』を読んで驚き、己の浅はかさにうなだれた。
 九軍神の一柱である上田定(カミタサダミ)兵曹長(当時26才)の母親上田さくさんが、「九軍神」と報じられたことを受けて祝福に訪れた増本村長へこう言っている。

「あんた(あなた)にはおめでたいことかも知れんけど、わし(わたし)のためには、さだみの命を、国に捧げたことは、いっそ(ちっとも)おめでたいことじゃありません。
 あんたには親の心はわからんでしょう。
 はあ、えっと言わんこう(もうたくさんお話にならないで)、往(イ)んでくれんさい(帰ってください)。
 志願したわけじゃない、上の命令で行かずにならなくなった…、さだみは、しかたなしと言うとった…」。


 そうだろうなあ、と呟きつつ泣けた。
 もしも、自分の娘婿がこうして死んだならどうだろう、もしも孫がこうして死んだならどうだろう。
 母親ならずとも、誰が万歳できようか。

 同著は書く。

「女丈夫(オンナジョウブ)で知られた、さくさんの言葉を聞いた近所の人たちはみんな強く胸を打たれたという。
 戦時下のこと、そんなことは言ってはならないことと思いながらも、さくさんの、悲痛と激情については母親としてもっともだとみんな思ったというのである。
 しかし、それからまもなく、軍神の生家となった上田家には、各地からの『軍神の生家もうで』があいつぐようになる。
 世間の眼や社会の要請にこたえざるをえず、真夏の暑い日でもよそいきの着物でかしこかって訪問客に対応するさくさんの姿が痛々しかったという。
 もちろん、このような話は記録になどされていないし、声高(コワダカ)に話す人もいなかった。
 ただ当時の体験者たちの記憶に強く残っているだけである。」

「何よりも重要なのは、書き残されることのない、さくさんのような軍神の母親たちの真の心情と、その悲痛と激情の表現、というような歴史事実は、多くの場合、新聞報道や雑誌や書籍の記事による大量情報流通をもとに記述される歴史書の編纂という作業の中では、二度と確かめることのできないような闇の中に消えてしまう、ということである。
 民俗学をはじめとする広義の歴史学の射程とは、このような新聞や書籍に書かれることのない事実にも注意を怠らないものでありたいと思うしだいである。」


 新谷尚紀氏は、「大量情報流通」だけを調べて満足せず、現場を訪ね、当事者から話を聴いた。
 だから、「闇の中に消えてしまう」はずの真実をつかめた。
 小生も、托鉢に歩いたのでよくわかる。
 寺の中にいては決して耳にできないであろう本音を正面からぶつけていただいた。
 問題点も願いも、苦悩も怒りも、安心も信頼も皆、真実だった。

 私たちは知らねばならないと思う。
 生きて語る、あるいは語らない、もしくは語れない、そして語ることのできなかった人々の真実を。

 最後に、軍神とされた上田定兵曹長の弟上田武三氏が兄の五十回忌を前に初めて訪れた真珠湾で「花と米と酒を捧げた」時に、「腹の底から湧き上がってきた」思いを書きとめておきたい。

「骨を拾ってやりたい」


 またもや、深々と、泣けた。




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2015
08.11

仏教はなくなるか? ―供養と瞑想の真実―

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〈炎天下の屋外駐車場すら満杯に近い日、「DIYムサシ」では、入り口近くがきちんと空けられていた。我らの公共心ここにあり、と頼もしく思われた〉

 直葬という葬送儀礼を伴わない死者との別れが流行しており、仏教の危機も言われているが、仏教はなくならない。
 現代においては、二つの理由による。

1 仏教供養は、死者へのまごころが行わせる感謝と報恩の行為であるのみならず、送る人々にとって欠かせない人間修行の機会でもある

 これまで何度も書いてきたとおり、たとえばお線香を立てるのは、最後まで自分を燃やし尽くすお線香のように精進努力する心で生き、その姿を見せることにより、御霊に安心していただきたいからである。
 同様に、お水やお茶を供えるのは、生きとし生けるものを潤す水のように、誰かのためになる心で生きるためであり、お花を飾るのは、雨風に耐えて咲く花に忍耐を感じ、自分もつまらぬことで心を乱さずきちんと生きるためである。
 こうした人間修行の機会をすっかり失ってしまえば、感謝も報恩も忘れ、我欲でぶつかり合うしかなくなることだろう。
 霊性を心の核とする私たちはそうした状況に耐えられない。
 共に安心や満足を得ながら生きる方法を模索するならば、仏教の五種供養や六波羅蜜(ロッパラミツ)は、普遍的な道としてたち顕れることだろう。
 もしも、自分は忍耐力が弱いと自覚したならば、み仏や御霊へ花を飾り、あるいは忍辱波羅蜜菩薩(ニンニクハラミツボサツ)像へ向かい、誓詞と真言を唱えよう。
「我、雨風に負けず咲く花のごとく、堪え忍び、心の花を咲かせん。
 おん ばぎゃばてい きしゃんてい だりじ うん はった」

201508110001

〈忍辱波羅蜜菩薩〉

2 心を深める瞑想によって、いのちは自分だけのものではなく、生きとし生けるものと共にこの世にあることを感得すればこそ、本当の意味でいのちを大切にできる

 仏教は「自分のいのちを大事にしなさい」とは説かず、「生まれ変わり死に変わりする真実を心眼で観なさい」と説く。
 環境汚染が進み、気温の上昇や暴風雨などの凶暴化のみならず、世界中で種の絶滅が進む現状は明らかに危機的である。
 しかも、核兵器と原発の拡散はそれに拍車をかけている。
 アメリカによって兵器として開発され、イラク戦争で子供たちなどへ膨大な苦しみと死をもたらした劣化ウラン弾が、原発の稼働から生じる〈ゴミ〉の処理方法となっている恐ろしい兵器であり、韓国や台湾など世界中へ配備されつつある現状を見過ごせば、世界に未来はなかろう。
 私たちは、目前の損得や好き嫌いに振り回されているだけならばこの危機を乗り切れないだろう。
 今こそ瞑想によって、自分のいのちが広大な〈いのちの世界〉で循環しているという真実に気づきたい。
 生きとし生けるものを慈しみたい。
 いのちの根源に迫り、心を解放する阿字観(アジカン)の瞑想はますます重要度を増している。
 
201508110002.jpg

〈心の縛りを説く阿字観本尊〉

 上記のとおり、仏教は万人に開かれた人間修行の教えであり、この世をまっとうに生き、安心して死を迎えるための導きである。
 この世の幸せとあの世の安心を根本から求める人がいる限り、不滅であると信じている。




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2015
08.10

オタマジャクシと百合の歌 ―宿命・戦争―

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 昭和26年、39才の宮柊二(ミヤシュウジ)は詠んだ。

「群がれる蝌蚪の卵に春日さす生まれたければ生まれてみよ」(宮柊二


 蝌蚪(カト)は、オタマジャクシである。
 大正の幕開けと共に本屋の長男として生まれた宮柊二は、中学時代に早くも歌誌への投稿を始め、上京して新聞配達をしながら北原白秋などに学び、兵役を体験する。
 敗戦の翌年、処女歌集を発表し、活躍した。

 冒頭の光景は敗戦から6年目である。
 ゴチャッと水中にあるオタマジャクシの卵たちへ春の陽光が当たっている。
 じっと観ている宮柊二は、きらめく水面の下でいかにも孵化を待っていそうな者たちへ「生まれたいのかい?」と呼びかけた。
 しかし、一瞬後には生と死をつぶさに観て来た視点から次の呟きが出る。
「もし、生まれたければだが……」
 ここでは、自分自身の生が一瞬にしてふり返られている。
 この世へ生まれ出たことは祝福に値するのか、それとも……。

 逡巡の後に、きっぱりと言う。
「生まれたければ生まれてみよ」
 意志を問うてはいるが、、私たちが普段、考えている自由意志の次元ではなかろう。
 形は「もしも君自身が生まれたいと願うならば」となっているものの、実際にはオタマジャクシに選択する力などない。
 生まれ出る宿命を持った者として、ただ、条件が揃う時期を待っているだけである。
 他の生きものに喰われなければ、水が干上がらなければ、カエルとなって生まれ出るだろうし、そうならないかも知れない。
 それでもなお「生まれたければ」と言わねばならなかったところに、宮柊二の思いが隠されている。
「いずれであろうと、お前さん自身の問題なんだからね」
 否応なくこの世へ生まれ、生まれ出た者としての宿命を生きるという地点からは、やがて現れるカエルも宮柊二も何ら変わりはない。
 思うがままに過ごして祝福される生となろうが、酷薄な世間にもまれ呪詛を抱えつつ死へ向かう生となろうが、〈生まれ、死ぬ〉という宿命の前では平等である。
 だから、一抹の厳しさは含みながらも、力強さと慈しみのある呼びかけとなった。
「生まれてみよ」
 
 それにしても、ここには哀しみも確かにある。
 やがて、72才になった宮柊二は詠む。

「中国に兵なりし日の五カ年をしみじみと思う戦争は悪だ」


 死ぬ2年前だった。
 人生の締め括りだったのではないか。

 悪の暗黒は沖縄でも詠まれた。

「ふるさとのなべての百合よ心あらば今年ばかりはすみぞめにさけ」(千原繁子)


 敗戦の翌年、真和志村(現在は那覇市内)の人々が「ひめゆりの塔」を建てたおりに捧げられた一首である。
 百合のように清純で、希望も夢も未来も持っていた乙女たちが、すべてを奪い尽くされた者として祀られる。
 塔には百合の名が付されても、彼女らにとっての百合はもはや冥界のものでしかない。
 合掌するこの世の者たちにとっても失われた百合しかない。
 死者にあるのも生者にあるのも「墨染め」の百合である。
 清らかに芳しくこの世の故郷に咲く百合は真実の裏返し!心あるなら真実を顕わにせよ!墨染めに咲け、故郷の百合たちよ!

 私たちは、生まれた以上、死ぬ宿命を背負っている。
 つかの間の生をどう生きるか。
 それが自分自身にかかっているのはオタマジャクシも人間も同じ。
 せめて、戦争はせずに死んで行きたいものである。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「おん さん ざん ざん さく そわか」※今日の守本尊勢至菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。

https://www.youtube.com/watch?v=qp8h46u4Ja8





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