--
--.--

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

2016
04.30

タックスヘイブンとは? ─パナマ文書が教えること─

2016-04-08-016-007.jpg

 今、話題になっている「パナマ文書」とは、タックスヘイブン(租税回避地)の会社の設立などを手がける中米パナマの法律事務所「モサック・フォンセカ」から流出した内部文書である。
 1977年から2015年にかけて作られた1150万点の電子メールや文書類からなっている。
 国際調査報道ジャーナリスト連合(ICIJ)が入手し、各国の提携報道機関によって事実が明らかにされた。
 各国の指導者や芸能、スポーツ界の著名人、また、その関係者が多数含まれている。

 今般、アメリカ在住の後輩が同窓会を通じて問題の核心を伝えて来た。
 以下、ニューヨーク州の弁護士旦英夫氏が寄せた文章を転載したい。

「 今、世界中の話題となっているパナマ文書(the Panama Papers)。
 中米パナマの法律事務所から流失した膨大な書類により、世界のとりわけヨーロッパ、ロシア、中国などの資産家や政治家の一族が、タックスヘイブンを悪用して、税金を逃れる実態が明らかになりつつあります。 

 今回は関連する英語を押さえておきましょう。
 まずTax Haven。
 税金回避地と訳されますが、Haven とは船を嵐から守る避難港という古い言葉です。
(Haven がHeaven と勘違いされて、税金天国と書いた新聞もありました。
 実際、税金を払わないですむなら天国ではありますが。)
 そこに設立されるのがShell Company。
 Shell とは中身がない貝の抜け殻で、つまりは 実体がない会社ペーパー・カンパニー(和製英語)のこと。
 主な目的は脱税(To evade taxes) と資産隠匿(To conceal wealth) でしょうが、中には、不正に入手した資金を洗浄(To launder money) する目的にも使われているでしょう。

 世界のTax Haven に秘匿されている資金は数兆ドルもあるとか。
 今回パナマ文書が暴露する実体は氷山の一角(Tip of Iceberg) だと言われます。
 庶民が高い税金に苦しむ中、超富裕層(Super-rich) が脱税のためTax Haven を悪用することが許されるはずはありません。


 この事実をめぐり、世界中で騒動が勃発している。
 情報の共有者である朝日新聞の記事を整理してみた。

・香港
 中立的な報道で知識層に人気がある香港紙「明報」が「パナマ文書」をめぐる特集を組んだ直後に編集幹部を突然解雇した。
・中国
 パナマ文書流出を受け、中国当局は報道規制をかけている。
 オンラインニュースの一部の記事を削除したり、検索も制限しているようだ。
 ICIJによると、文書には中国の習近平国家主席など、同国の現職・旧指導部の一族に関連したオフショア企業が入っているという。
・アメリカ
 米司法省報道官は、米国の法律に違反する汚職などの行為がなかったかどうか司法省が調査に着手したとし、「米国、もしくは米金融システムに関連がある可能性のある汚職をめぐるすべての疑惑を司法省は非常に深刻に受けとめる」と述べた。
・フランス
 政府は、パナマの法律事務所から多数の金融取引文書が流出したことを受け、脱税に関する予備調査を開始した。
・ドイツなど
 財務省報道官が「仕事を始める」ことを明らかにしたほか、オーストラリア、オーストリア、スウェーデン、オランダも1150万枚以上に上る膨大なパナマ文書に基づく調査を開始したとしている。
・ロシア
 英紙ガーディアンによると、プーチン大統領の幼なじみでチェリストのセルゲイ・ロルドゥギン氏を含む同大統領の友人たちに関連する秘密のオフショア取引やローンは20億ドル(約2218億円)相当に上る。
・イギリス 
 裕福な株式ブローカーだった亡父とオフショア企業とのつながりについて記載されていたキャメロン英首相の報道官は「個人的問題」だとし、それ以上コメントするのを差し控えた。
・パキスタン
 シャリフ首相の子供たちがオフショア企業とのつながりが記載されていたことについて、いかなる不正も否定した。
・アイスランド
 グンロイグソン首相夫妻が租税回避地の企業とつながりがあると同文書にされていたことを受け、首相は辞任要求に直面。

 ピケティ氏は、ルモンド紙に寄稿した。

「16年の『パナマ文書』が明らかにしたことが何かというと、先進国と発展途上国の政治・金融エリートたちが行う資産隠しの規模がどれほどのものかということだ。
 ジャーナリストが自らの任務を果たしているのは喜ばしい。
 一方で、政府が果たしていないのが問題なのだ。


 問題は、税金逃れの場所があり、それを世界中の権力者や資産家たちが利用し、各国の権力者たちが事実を明らかにせぬような施策をとり続けてきたことにある。
 そして、こうした不実・不公正・国民への裏切りが情報の伝達によって明らかになった事実は、国家による言論統制が何を招くかを如実に教えている。

 きわめて単純な話だが、権力者と一般国民は対等ではないのだ。
 権力者は国家を思い通りにしようとするが、国民は願う通りにしようがない。
 国民が意思を表す唯一の機会である選挙はたまにしか行われず、国民が「何をやってもいい」と認めたわけでもないのに、権力者は自分が権力を保持している間に、自分のやりたいことを急いでやろうとする。
 このズレは世界中で起こっている。

 多数者である国民の願いを少しでも実現するためには、たとえ権力者にとって〈不都合な事実〉であろうと、起こっている現実を白日のもとで明らかにし、それに関して、社会的公正という尺度に照らした論議が、さまざまな場で正々堂々と行われねばならない。
 決して、権力者のやりたいことについて〈説明責任〉を果たせばよいなどという話ではない。
 説明は論議の入り口であり、聖徳太子が示したように、「必ず衆(モロモロ)とともに宜(ヨロ)しく論(アゲツラ)ふ」必要がある。
 説明責任という言葉が免罪符のように一人歩きしている日本の現状は異様だ。
 報道の自由は、この公正を確保するための最後のよりどころである。
 それが権力者の判断、都合によって左右されるようになった時に社会はどうなるか?

 権力者の煩悩は個人的悪業(アクゴウ)を積むだけではない。
 社会的共業(グウゴウ)という巨大な悪業を積む。
 その共業の顕れとしてたった今、起こっている富の偏在は、とっくに〈犯罪の域〉に達しているではないか。
 今回の事件はそこのところを教えているのだと思う。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「おん さん ざん ざん さく そわか」※今日の守本尊勢至菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。

https://www.youtube.com/watch?v=qp8h46u4Ja8





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン



スポンサーサイト
2016
04.30

奇瑞の落とし穴(その1) ―『チベットの生と死の書』を読む(16)―

2016-04-08-016-006.jpg

 チベット密教のソギャル・リンポチェ師は生と死について説く。

 師は20台前半の頃、通訳としてドゥジョム・リンポチェの教えを受けていた。
 ある日、「かつてない驚くべき体験」をする。

「それまでの教えのなかで語られてきたことのすべてが一度に起こり始めたのだ。
 ──周囲のすべての物質的事象が溶けるように消えていった。
 わたしは興奮して吃った。
『リンポチェ……リンポチェ……起こりはじめました!』。
 そのときのドゥジョム・リンポチェの顔に浮かんだ慈愛の表情を、わたしはけっして忘れないだろう。
 彼はわたしのほうに身をかがめ、わたしをなだめた。
『それでいい……それでいい。
 あまり興奮しすぎないように。
 つまるところ、それは良いことでも悪いことでもないのだから……』。
 驚きと至福にわたしは我を忘れかけていたのだ。
 良い体験は瞑想の道の有益な道しるべになりうるが、そこに執着が入り込むと、それは落とし穴になる。」

「その体験をこえて、より深い、より確固たる基盤に向かってゆかなくてはならないのだ。」


 私たちは、一心に祈っているうちに、さまざまな超常現象に出くわす場合がある。
 それで自分の霊感を確信したり、悟ったような気分になったりするかも知れない。
 あるいは、何かに取り憑かれたようで不安な気持になったりするかも知れない。
 それらはいずれも〈経過的現象〉である場合が多く、過去の行者たちは、真の悟りへ向かう一里塚として冷静に扱った。
 もしも実体視したり、慢心したりすれば、横道へ行く。
 だから、根本経典『大日経』は、行者が奇瑞(キズイ…吉の兆し)や魔境(マキョウ…バランスの崩れによって起こる超常現象)などにとらわれず、そこを超えて行く「十縁生句(ジュウエンショウク)」を説く。
 ここでは、1番から5番までを記す。

1 

 身体と言葉と心をみ仏へ合わせて行くと、菩薩(ボサツ)や神など、物理的に説明できないを見ることがある。
 それは普段、身口意が三つの(ゴウ)を積んでいる状態から離れて、み仏の不思議なおはたらきである三密(サンミツ)に転換しつつあるのかも知れない。
 いずれにせよ、真言や瞑想の不思議な力を知り、変化は受けとめても、見えたものそれ自体に深くとらわれず、修行を続けねばならない。

2 陽炎

 厳かな仏界が陽炎のように見えるかも知れないが、それを実体視せず、その荘厳さ、清浄さを感得し、自分の愚かさや穢れや思い上がりから脱することが肝要である。
 また、世間に漂う想念は陽炎のようなものを相手にして起こっている場合が多く、それらにとらわれず修行を続けねばならない。

3 夢

 夢もまた、瞑想の影響による一現象であると知って、とらわれない。
 そして、私たちの苦楽そのものが夢のようなものであり、み仏の悟りに入ればそれは生じていないと観じて修行を続ける。

4 影

 何かに映る影は実体がなく、そうしたものについてあれこれ言っても無益であり、淡々と瞑想を続けねばならない。
 真言の力で生ずる不思議な効験も、それ自体は影のようなものであると知って、修行を続けねばならない。

5 乾闥婆城(ケンダツバジョウ)

 体験したことのない境地になると、まるでこの世を離れた天界の宮殿にでも入ったような気持になるかも知れないが、そこもまた仮そめのものであり、自在な心で瞑想を続けたい。
 蜃気楼として顕れる宮殿は、修行の結果、もたらされたものではあるが、それを実体視してはならない。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「おん さん ざん ざん さく そわか」※今日の守本尊勢至菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。

https://www.youtube.com/watch?v=qp8h46u4Ja8





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン



2016
04.29

漢文『法句経』を読んでみる(その4)

2016-04-29-0001.jpg
〈陽の薄い曇り日に〉

 寺院や寺子屋 ではもちろん、戦前まで広く親しまれていた漢文の『法句経 (ホックキョウ)』を読んでみましょう。
 戦場へ赴く若者が懐へ忍ばせていたという話も聴いています。
 当山では、寺子屋やNHKの講座で読み通しており、学びの柱として欠かせません。
 小生の土台はこの教えによってつくられました。
 どれか一句でも、皆さんの心へピンと届くものがあればありがたいことです。
 新たになった読み下し文を意訳してみましょう。 (「新国訳大蔵経」によります)

 前回に続き【教学品(キョウガクホン)第二】です。

〔三一〕起(タ)ちて義を覚(サト)らんとする者は、学びて滅すること以(モッ)て固し。着(ジャク)滅(メッ)して自(ミズカ)ら恣(ホシイママ)なること、損(ソン)じて興(オコ)らず。


(一念発起して教えを理解しようとする者は、学び、煩悩が滅して再び迷わない。執着心が滅し、煩悩のままに翻弄されることはなくなる)

〔三二〕是(コ)れ向かうに強さを以(モッ)てし、是(コ)れ学ぶに中(マゴコロ)を得(エ)、是(コ)れに従(ヨ)りて義を解(ゲ)し、宜(ヨロ)しく行(ギョウ)を憶念(オクネン)すべし。


修行は強い志をもって行い、学ぶには苦行と怠惰を離れた瞑想によって精進し、学んで教えを理解し、なすべき修行を離れるなかれ)

〔三三〕学ぶには先(マ)ず母(モト)を断じ、君(キミ)と二臣(ニシン)を率(ヒキ)い、諸(モロモロ)の営従(エイジュウ)を廃す。是(コ)れ上道(ジョウドウ)の人なり。


(学ぶにはまず、自分可愛さを断ち、思い上がりを離れ、外道の見解や律に影響されず、それらの世界から毅然と離れて進む。これが腰の定まった行者である)

〔三四〕学ぶに朋類(ホウルイ)無く、友(ゼンユウ)を得(エ)ざれば、寧(ムシ)ろ独(ヒト)りを守りて、愚と偕(トモ)ならざれ。


(学ぶのに、自分にふさわしい同志がなく、き同輩を得られなければ、いたずらに仲間を探すことなくたった一人で行に邁進し、愚かしい人間と縁を結ぶなかれ)

〔三五〕を楽しみ行を学ぶに、奚(ナン)ぞ伴(トモ)を用いることを為(ナ)さん。独(ヒト)り(ヨ)く憂い無きは、空野(クウヤ)の象の如(ゴト)し。


めに沿った生活を楽しみ、修行を学ぶのにどうして同伴者が必要であろうか。一人で行を実践し憂いなく生きる行者は、広大な野を悠然と歩む象のように悠然たる者である)

〔三六〕と聞(モン)は倶(トモ)に善(ヨ)く、二者(ニシャ)孰(イズ)れか賢(マサ)らん。方(マサ)には聞(モン)に称(カナ)う、宜(ヨロ)しく諦(アキ)らかに学行すべし。


めを守ることと、教えを聞くことは両方ともに善きことであり、いずれが勝るということはない。戒めを守ってはじめて教えを聞く資格がある。しっかり明確に学び実践せよ)

〔三七〕学ぶに先(マ)ず戒を護り、開閉(カイヘイ)に必ず固くして、施して受くること無く、仂行(リョクギョウ)して臥(フ)すこと勿(ナ)かれ。


(学ぶにはまず戒めを守り、心を放恣にせず、他のためになっても我がものを得ようとせず、精進して怠けるなかれ)

〔三八〕若(モ)し人(ヒト)寿(イノチ)百歳ならんも、邪(ヨコシマ)に学びて不善を志(ココロザ)さば、生(セイ)一日にして、精進して正法(ショウボウ)を受くるに如(シ)かず。


(もし百才まで生きたとしても、邪道を学んで善からぬ生き方をするならば、たった一日であろうと、精進して正しい道理を学ぶ価値とは比べようもない)

〔三九〕若(モ)し人(ヒト)寿(イノチ)百歳ならんも、火を奉じ異術(イジュツ)を修さば、須臾(シュユ)の頃(アイダ)に、戒に事(ツカ)うる者の、福の称(タタ)うるに如(シ)かず。


(もし百才まで生きたとしても、林の中で火の神に仕える術を修するならば、たとえひとときでも、戒めを守る行者の福徳をたたえて供養することに及ばない)

〔四〇〕能(ヨ)く行ずるは之(コレ)を可と説くも、能(アタ)わずして空語(クウゴ)する勿(ナ)かれ。虚偽(キョギ)にして誠信(セイシン)無きは、智者の屏棄(ヘイキ)する所なり。


(懸命に修行するのは善きことだが、悟りを得てもいないのにそれらしい言葉をはくなど空虚なことを行ってはならない。偽って不誠実、教えを心から信じていないのは智者が排する態度である)




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。




「おん さんまや さとばん」※今日の守本尊普賢菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=rWEjdVZChl0





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン



2016
04.29

東日本大震災被災の記(第183回) ─避難者の死亡と交通事故─

2016-04-29-0002.jpg
〈福島民友様よりお借りして加工しました〉

 4月27日、東京地裁は、福島第1原発事故後に避難先で死亡した患者2人の遺族が東京電力に計約6600万円の損害賠償を求めた訴訟の判決を言い渡した。
 計約3100万円という金額は、交通事故の損害賠償訴訟の判例が基準とされた。
 1人当たりの慰謝料の基準は2千万円である。
 原告側の新開文雄弁護士は言う。
原発事故で死亡した苦痛は交通事故の場合より大きいと主張したが、認められず残念だ」

 原発事故交通事故に似た偶発的なできごとであろうか?
 東電の責任もさることながら、国策として推進してきた原発の安全神話がこの事態に大きくかかわった国家の責任はないのだろうか?
 この先、同様の判決が繰り返されるのだろうか。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。




「おん さんまや さとばん」※今日の守本尊普賢菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=rWEjdVZChl0





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン



2016
04.28

ペーソスと川柳 ─『ババァ川柳 女の花道編』─

2016-04-28-0001.jpg

 妙齢の美女に優しく言われる。
「上半身裸になって、ベッドでお待ちくださいね。」
 やがて、やってきて照明を落とす。
「明かりを暗くしますね。」
 ふんわりと横に座る。
「背中が私にくっ着くようにしてください。」

 別に悪いことをしようとしているわけではない。
 楽しいことをしようとしているわけでもない。
 病院でエコーとか言う検査を受けようとしているのだ。

 〝ああ、ここなのか〟と思った。
 川柳はここから生まれるのではないか……。

 自分の中に燃え続けているいのちの炎。
 それが揺らめく場面。
 二つは揃っていても、人生の段階が違えば形も意味も違い、ズレは笑いが伴うペーソスを生む。
 笑いは大きかったり、小さかったり、句により、詠む人により、また読む人によって振幅が大きい。

 4月30日、「みやぎシルバーネット」さんのシルバー川柳ババァ川柳 女の花道編』が発行された。

「茶柱は 立てど幸せ 待ちぼうけ」(坂本文美子 90才)


 流行歌の歌詞に出てきそうな句だが、すんなりと詠まれてみると、やはり自然に胸へ響いてくるものがある。
 できごとを少々、そちら側に置いている余裕は達観というものか。

「広くなる 毎年同じ 庭なのに」(小北道子 79才)


 この気づきは鮮烈だ。
 愕然とした瞬間、そして、続く沈黙がありありと伝わってくる。

 歌人の鳥居氏は言った。

「生きづらかったら短歌を詠もう」


 ならば、こう言えようか。
 哀しかったら川柳で笑い飛ばそう。
 『ババァ川柳 女の花道編』には救いがあると思う。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。




「おん さんまや さとばん」※今日の守本尊普賢菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=rWEjdVZChl0





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン



2016
04.27

軍人の妻

2016-04-08-020-011.jpg

 今から70年ほど前、太平洋戦争に負けた頃の話である。
 Aさんは職業軍人の妻だった。
 将校の夫は突然、満州へなだれ込んだソ連軍によってシベリアへ抑留され、消息不明になった。
 三人の子供を抱え、Aさんは必死に祖国日本へ向かった。
 途中、日本海の船上で二人の子供が体調を崩し、相次いで亡くなった。

 船員はAさんから子供を引きはがし、黒い海上へ捨てた。
 二度。
 
 Aさんは日本で生き、息子を育て上げた。
 老いてからは地域の活動へ控えめに参加し、戦中・戦後のことは黙して語らない。
 いつも背筋は見事なほど伸びている。

 Aさんの胸中を知るBさんはいつも思っているそうだ。
〝さすが、軍人の妻……〟

 小生は、このお話を聴いて思った。
〝──きっと、ご主人の御霊が守っておられるのだろう〟




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。




「おん あらはしゃのう」
※今日の守本尊文殊菩薩様の真言です。どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=WCO8x2q3oeM





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン



2016
04.27

通じる祈り

2016-04-27-0007.jpg

 み仏には三身(サンジン)があります。
 本体は法身仏(ホッシンブツ)、宇宙に顕れたのは報身仏(ホウジンブツ)、地球上へ顕れたお釈迦様やお大師様は応身仏(オウジンブツ)です。
 遠くにいる人へご加持をする遠隔加持(カジ)は、行者が報身仏と一体になって行い、目の前にいる人へご加持をする直接加持は、行者が応身仏と一体になって行います。

 法が〈通じる〉のは、ご本尊様のお慈悲と行者の法力と受者の誠心が感応し合う現象です。
 だから、行者は決して〈自分の定(ジョウ)〉へ入ってはなりません。
 アバウトな瞑想は、自分の妄想を膨らませるだけであり、少なくとも加持法を行う行者が入ってはならない場所です。
 ご本尊様の定へ入るのが鉄則であり、そのために、身体で印を結び、口に真言を唱え、心中では所定の観想を行います。
 写経を行ったり、お仏壇の前で読経をしたり、あるいは隠形流(オンギョウリュウ)の剣をふるったりするのも、心を込めて行えば、広い意味でご本尊様の定に入る修行になります。
 すべてはここから始まります。

 出家者と在家者とを問わず、瞑想や祈り方をいろいろ学んでも、結局は自分の霊性と感応しやすいタイプのものを用いるようになります。
 一部しか使わなくても、自分の血肉になったものは大きな力を発揮します。
 1000日間、1日も欠かさず写経した方は神経症を克服し、納経されました。
 また、たとえ少ししか学ばなくても、自分の血肉となったものは、必ず大きく使えるものです。
 一代守本尊様の真言が身についた方は、東日本大震災で大きく被災しても淡々と乗り越えられました。
 それはご本尊様の定へ入られるからです。
 無心に写経する時の心になれば、お仏壇の前で至心に読経する時の心になれば、あるいは浄心で剣をふるう時の心になれば、さまざまな場面で自他を救います。

 定へ入るためにこそ、自分の内にある四魔(シマ)が好むものを断たねばなりません。
 空(クウ)を観て自分や世界への勝手なこだわりを離れましょう。
 また、お釈迦様が悟られた時のように、あるいはお大師様が虚空蔵求聞持法を満願された時のように、魔ものを辟除(ビャクジョ…祓い除くこと)すべく、結界を張らねばなりません。
 ご葬儀も、ご供養も、お納骨も、ご加持も、さらには写経や隠形流の稽古もすべて結界の中で行われます。

 何を行う場合も、表面的なものを求めたり、表面的に見えたり聞こえたりするものにとらわれたりしないように気をつけましょう。
 たとえば、強い火を当てられた魚がすぐに焼けたように見えても、中まで火が通っていなければ食べられないのと同じです。
 四国で30か所を巡拝した皆さんは、だんだんに祈りを深められました。
 いわば〈火が通る〉のと同じく、心がご本尊様やお大師様へ〈通じる〉ようになったのです。

 自分なりに心を清め、深める方法と巡り会えるよう願い、行動したいものです。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。




「おん あらはしゃのう」
※今日の守本尊文殊菩薩様の真言です。どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=WCO8x2q3oeM





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン



2016
04.26

思いと祈り

2016-04-08-023-012.jpg
〈お大師様が虚空蔵求聞持法(グモンジホウ)を成満された土佐の御厨人窟(ミクロド)〉

 ご本尊様への祈りは、〈思う〉こととは別ものです。
 たとえば、平成26年に行方不明となった埼玉県朝霞市の女子生徒(15才)を誘拐・監禁した疑いで寺内樺風容疑者(23才)が逮捕された事件を考えてみましょう。
 若い女性を強引な方法で意のままに玩(モテアソ)ぶストーリーのマンガやアニメや小説などは巷(チマタ)にあふれており、そうした妄想(モウゾウ)にとり憑かれる男性はどこにでもいることでしょう。
 当然ながら、問題は、そうした妄想のような〈妄(ミダ)りな想念〉を持つことにあるのではなく、その現実化にあります。
 それは、思い通りにならない憂き世のことごとにムシャクシャし、幸せそうな家族を目にすると嫉妬心や憎悪や破壊欲が起こるケースも似たようなものです。
 銃の乱射事件を起こしてすべておしまいにしたいという妄想が時として起こっても、〈ならぬこと〉であるとそれを抑制し、追い払うことができて初めて、私たちは自他の尊厳や人権をないがしろにせず、まっとうな日々を生きられます。
 作家や画家や音楽家などが、頭に何を思い描こうと罰せられず、むしろ妄想も含めた創造行為である芸術作品が私たちの妄想をうまく処理してくれる場合もあるのです。

 さて、自分を追いつめそうになる〈思い〉に負けそうになるおりに最も有効な対抗手段が〈祈り〉です。
 特に、自分の身体と言葉と心のはたらきを、み仏の身口意と合致させる即身成仏(ソクシンジョウブツ)の祈りです。
 もしも誰かを好きになり、ついにはストーカーめいた行為にまでエスカレートしそうな時、好きな相手の一代守本尊様の真言観想によって相手の幸せを至心に祈れば、きっと、事件など起こさずに熱い思いを昇華できることでしょう。
 本当に相手の幸せを願い、霊性がはたらけば、相手が幸せを得るための手段が自分と親しくなることに限定されるはずはないという単純な事実に気づかぬはずはありません。

 やってはならぬことがわかっていながら、どうしてもやりたくなった時、すでに「~はいけない」という戒めによる抑制の効力は危うくなっています。
 そこではもう、心が〈別もの〉になるしかありません。
 見聞きして動く表面の心で右往左往するのではなく、み仏の徳へ合わせましょう。
 つまり、ダメな部分を抑制して否定的に改善をはかる〈遮情(シャジョウ)〉ではなく、肯定できる方向へと積極的に自分の仏心を活かす〈表徳(ヒョウトク)〉の祈りを行うのです。
 密教が戒めの遵守にとどまらず即身成仏を目ざすのは、このことに他なりません。
 困った〈思い〉に引きずられそうになった時、ぜひ〈即身成仏祈り〉を思い出し、信頼できる僧侶の導きを受けていただきたいものです。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。




「おん あらはしゃのう」
※今日の守本尊文殊菩薩様の真言です。どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=WCO8x2q3oeM





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン



2016
04.26

僧侶の数

2016-04-27-0001.jpg

 ある時、ご葬儀の申込みを受けた。
 若い頃から地域のリーダーだった方が大往生され、ご葬儀にはそれなりの人数が集まると予想されるらしい。
 喪主様へお尋ねした。
「通常は小生一人で引導を渡していますが、僧侶の頭数が必要ですか?」

 当然のことながら、行者は一人で必要な法を結ぶ。
 これまで、数百人規模のご葬儀でも一人で淡々と引導を渡し、法話を行ってきた。
 誰かの手を借りねばできないとか、何かが足りなくて法を結べない、などという言いわけは、通用しない。
 お釈迦様もお大師様も一人で歩き、説法し、修法をされた。
 しかし、娑婆の方々には立場もおありになるので、レアケースではあるが、念のためにご意向を伺ったのだ。

 喪主様は笑顔を交えながらきっぱりと言われた。
「私たちは、住職を頼りにして、お願いに来ているのです。
 大切な家族を送るのに、周囲の目や口を相手にしてはいられません。
 どうぞ、信念のままに送ってやってください。」
 ご一族は真言宗ではない。
 それでもなお当山を選ばれたので、諸々のご事情もあろうかと思って質問したのだが、ご尊家様は堂々としておられた。

「了解しました。
 ご信頼に感謝します。
 きっちりとお渡しします。」

 おしどり夫婦だった妻の名前だった花が咲く頃、後を追うように、夫もスッと旅立たれた。
 鴨居(カモイ)には手書きの慈顔が二つ並んだ。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。




「おん あらはしゃのう」
※今日の守本尊文殊菩薩様の真言です。どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=WCO8x2q3oeM





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン



2016
04.25

師から弟子へ ─法の実感を伝える─

2016-04-25-0006.jpg

 師資相承(シシソウジョウ)とは、密教の師僧から弟子へ面授、講伝など各種の伝授により修を継承して行くことを言います。
 即身成仏(ソクシンジョウブツ)を目ざす密教は必ず、即身成仏体験をした人からそれを目ざす人へと直接、受け継がれるものであり、読み書きによって得た知識だけではを動かせません。

 の動かし方にもいろいろあります。
 導師が相手に合わせるやり方をすれば娑婆妄想がはたらいて楽しくなり、信者は増えるかも知れませんが、世間的な世界で笑っているだけでは、仏的に虚仮(コケ…かりそめで真実がない状態)であると言わねばなりません。
 導師がご本尊様と一体になる本格的な修を行えば、別に楽しくもおもしろくもないでしょうが、が震える、目が覚める、心身のしこりが抜ける、ハッと何かに気づく、などの体験をするかも知れません。
 そうして、世間的な世界で苦しむたった一人が何らかの形で救われること、それがを結ぶ導師にとって願うことのすべてです。

 修法の伝授は、決して〈手順を受け渡す〉問題ではなく、血肉を道具としたの共振をもって体験的に伝わるしかありません。
 その瞬間は、手法を知らされた時というよりは、アッと感じた時と言えます。
 決してマニュアルの問題ではないのです。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「のうぼう あきゃしゃきゃらばや おん ありきゃ まり ぼり そわか」※今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=IY7mdsDVBk8





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン


2016
04.25

戦争を生き延びた青年 ─70年前の真実─

2016-04-25-0001.jpg
〈地域の長老にもご参加いただいたお花見会〉

2016-04-25-0002.jpg
〈一面の桜色〉

2016-04-25-0003.jpg
〈毎年、進境著しい詩吟〉

 90才になるAさんから、太平洋戦争に敗れた当時の生々しい話をお聴きした。
 20才のAさんは昭和20年11月に士官学校へ入ることになっていたが、4ヶ月早い7月になって突然、赤紙(アカガミ…召集令状)が来た。
 びっくりするいとまもなく、直ちに軍歌に送られた出征となった。

「♪勝って来るぞと 勇ましく
 誓つて故郷(クニ)を 出たからは
 手柄(テガラ)たてずに 死なれよか
 進軍ラツパ 聞くたびに
 瞼に浮かぶ 旗の波」

 宮城県大和町から軽便(ケイベン…コンパクトな鉄道)に乗り、着いた仙台市で空襲を受けた。
 小さな隊の隊長を命ぜられたAさんは、部下たちを引き連れて河原の土手へ逃げ、ヤブのあたりでじっとしていた。
 生き延びたと思えたのも束の間、そのまま九州へ送られた。
 仲間は、山形県と福島県で招集された若者たちだった。
 招集以来、まったく教育や訓練を受けていないし、武器へ触らせられもしない。
 目的も知らされぬ一行は、ひそひそと語り合ったり、思ったりした。
〝我々はきっと爆弾を持たされ、上陸してきた米英軍へ突っこまされるのだろう〟
 九州に着いたら、山腹で野営させられた。
 相変わらず訓練も武器もなく、食糧さえ満足に配られず、近所の畑からサツマイモを盗り、生のままで食べたりした。
 仲間がどんどん痩せたり、病気になったりしているうちに、突然、帰省を許された。
 汽車などに乗り継ぎながら仙台市を経由し、大和町へたどりついたら11月になっていた。
 途中のことは思い出したくもないと言う。
 何しろ、地べたにこぼれている米粒を広い、ゴミを払ってこれも生のまま食べて生き延びた。

 山腹を目ざして行軍する途中で歓声を上げ、やがて沈黙した時のことは忘れられない。
 立派な高射砲陣地だと思ったら、近づいて見ると、それは木材にペンキを塗ったシロモノだった。
 あの時、日本は負けると誰もが確信したという。
 
 Aさんは思う。
「私らは日本がどれだけやられているか、さっぱりわかりませんでしたが、天皇陛下はすっかりわかっておられて終戦の御聖断を下されたんでしょうね。
 あと少し戦争が延びたら、どういう形で死ぬにしても、私らのいのちはなかったでしょう。
 あの時、生き残った私ら若者は皆、口でどう言うにしても、心の底では、戦争が終わってよかったと思いながら、東北に帰ってきたんです。
 そうして、今の子供たちや孫たちがいます。」




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「のうぼう あきゃしゃきゃらばや おん ありきゃ まり ぼり そわか」※今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=IY7mdsDVBk8





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン


2016
04.24

言葉は運命を変える ─懺悔と遍路─

2016-04-08-030-004.jpg

 一緒に懺悔(サンゲ)し、人の道にそって生きることを誓うと、運命が変わります。
 言葉は必ず心を動かすからです。
 たとえば、こんな具合です。

「我昔所造諸悪業(ガシャクショゾウショアクゴウ)
 皆由無始貪瞋痴 (カイユムシトンジンチ)
 従身語意之所生(ジュウシンゴイシショショウ)
 一切我今皆懺悔(イッサイガコンカイサンゲ)」


 この自分が、無限の過去から生まれ変わり死に変わりしてきた中で積んできたさまざまな悪しき(ゴウ…影響力)はすべて、
 無限の過去から行ってきた貪りと怒りと愚かさという三つの毒によってつくられたものです。
 自分は今まで、身体のはたらきも、言葉のはたらきも、心のはたらきも、三つの毒に染められたままでした。
 それらのすべてをたった今、心から懺悔し尽くします。

 ご本尊様へ合掌し、心からこう唱えれば、身体のはたらきも、言葉のはたらきも、心のはたらきも影響を受けないはずはありません。
 いのちのはたらきにまつわる毒の穢れが薄れ、消える時、運命の変わらぬはずはありません。
 また、無数の行者も、在家の人も、自らの意思と、大いなるもののご加護と、の力とによって生き方を変えてきました。
 それは、四国遍路の方々が真っ白な笈摺(オイズリ)をまとって歩く姿に表れています。
 お遍路さんはそれぞれよき目的を持ち、自力と、お大師様のご加護と、遍路を成り立たせるあらゆるのおかげとによって一歩づつ、自分を変え、運命を変えています。
 自力に偏らず、他力に偏らず、自分の功徳(クドク)と、み仏のご加持(カジ)と、真実世界のとの三力(サンリキ)がすべてを動かします。
 幾度も唱える同じ言葉が、微妙に変化し、深まり、おさまりがついてきます。
 それは心と運命の変化を意味しているのです。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。




「おん ばざら たらま きりく」※今日の守本尊千手観音様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=IvMea3W6ZP0





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村
 
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン

 

2016
04.24

寺院から送られるもののはたらき ─辟除と結界─

2016-04-24-0001.jpg

 寺院から発送されるものはすべて清められています。
 寺院がご本尊様のおられる聖地であり、日々、法が結ばれているからです。
 そのはたらきはこう説かれています。

○届いた先にいる亡者を救い、魔ものを祓う

 辟除(ビャクジョ)という祓いの法と、結界(ケッカイ)というご守護の法によります。

○送られたものを見たり触れたりする人にまつわる魔を祓う

 この世は物質的原理と精神的原理とによる二つの世界が融通無碍(ユウズウムゲ…互いに邪魔をせず、影響し合っていること)に絡み合って生じており、通じる人には通じるものがあります。

○送られたものを見て亡者へ祈ると成仏させられる

 ここでいう「見る」は、感謝し、心で何かを感じながら「観る」ことです。
 精神世界のことごとは私たちの感覚器官を通じて動いており、〈受ける〉のも、〈出す〉のも、それによります。
 女性が男性を蠱惑(コワク)する時は、流し目から始めるではありませんか。

○送られたものを見て、考え、あるいは聴いたり訊ねたりする人の六根清浄になる

 寺院の修法はすべて仏法に基づいて行われています。
 仏法清浄な世界から流れ出る清水のようなものとしてはたらき、積極的にそれを感得する人にとっては、その〈流れ〉が心身へよき影響を与えます。
 原因となることを行えば、必ず、何らかの結果は生じます。
 仏法に関して最も共通する部分が清めです。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。




「おん ばざら たらま きりく」※今日の守本尊千手観音様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=IvMea3W6ZP0





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村
 
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン

 

2016
04.23

目覚めの訪れ ―『チベットの生と死の書』を読む(15)―

2016-04-23-0003.jpg

2016-04-23-0001.jpg

 チベット密教ソギャル・リンポチェ師は生と死について説く。

第4章 心の本質

 師は説く。

「みずから作りあげた暗くせまい牢獄に閉じ込もって、それが全宇宙だと思い込んで、ほとんどの人は現実の異なった次元を想像してみることすらできないでいる。」


 そして、パトゥル・リンポチェが行った蛙の話をする。
 大海からやってきた一匹の蛙が、生後ずっと井戸の底で暮らしてきた年老いた蛙を訪ねる。

「おまえさんはどこからやってきたのかね」と、井戸で暮らしてきた蛙。
「でっかい海からだよ」と、大海からやってきた蛙。
「その海とやらはどのくらいでっかいのかね」
「すんごく、でっかいね」
「このわしの井戸の四半分くらいかな」
「もっとだね」
「もっと?じゃあ、半分くらいか」
「いんや、もっとでっかい」
「じゃあ……この井戸くらいでっかいか」
「くらべもんになんねえな」
「そんなことがあってたまるか!わしが行って、この目で確かめてやる」
 二匹の蛙は旅立った。
 井戸からやってきた蛙が大海を見たそのとき、驚きのあまり、その頭はパァンと破裂し、千々に飛び散った。


 まさに〈想像を絶する〉という状況である。
 井戸にいた蛙の脳は対応できなかったが、対応できた時に得られるものは凄まじい。
 たとえば、9才のおりに起こった師の体験である。

 ジャムヤン・キェンツェから石窟の中に呼ばれ、こう言われた。

「今からおまえを、おまえの本源たる〈心の本源〉に導く。」


 そして、金剛鈴と小さな太鼓を手に祈った後で、突然問われた。

「心とは何か!?」


 師は驚く。

「心は砕け散った。
 言葉も、名前も、思考も吹き飛んだ。
 まさにまったくの無心だった。」

「あの驚きの瞬間に何が起こったのだろう。
 過去の思考はかき消え、未来はまだ起こっていなかった。
 思考の流れは断ち切られた。
 あのひたすらな衝撃の中でひとつの裂け目が生じ、その裂け目のなかから、すべての執着を離れた、透明で直感的な、〈今〉への目覚めが姿を現したのだ。
 それは単純で、裸で、本質的なものだった。
 その裸の単純さははかり知れない慈悲の温もりを放っていた。」


 これは、当山が求めに応じて行う引導(インドウ)の修法に似ている。
 生前によほどの覚悟をしておかなければ、死は、つかまる生が逃げて行くという状態でやってくることだろう。
 手放す思いしかなければ、心は死を迎えた時に行き場を失う。
 夏目漱石は短編集「夢十夜」の第七夜にそれを書いた。
 人生の意味も目的も見つけられない男がある夜ついに、海へ飛び込む。

「自分はますますつまらなくなった。
 とうとう死ぬ事に決心した。
 それである晩、あたりに人のいない時分、思い切って海の中へ飛び込んだ。
 ところが――自分の足が甲板を離れて、船と縁が切れたその刹那に、
 急に命が惜しくなった。
 心の底からよせばよかったと思った。
 けれども、もう遅い。
 自分は厭でも応でも海の中へ這入らなければならない。
 ただ大変高くできていた船と見えて、身体は船を離れたけれども、
 足は容易に水に着かない。
 しかし捕かまえるものがないから、しだいしだいに水に近づいて来る。
 いくら足を縮めても近づいて来る。水の色は黒かった。」

「そのうち船は例の通り黒い煙を吐いて、通り過ぎてしまった。
 自分はどこへ行くんだか判らない船でも、
 やっぱり乗っている方がよかったと始めて悟りながら、
 しかもその悟りを利用する事ができずに、
 無限の後悔と恐怖とを抱いて黒い波の方へ静かに落ちて行った。」


 恐ろしい話ではないか。
 夏目漱石自身が「この作品が理解されるには長い年月がかかるだろう」と言ったとおり、十の短篇はいずれも深刻で、とりわけ、この男の話はきつい。
 引導は、こうした不安と恐怖が最も高まった場面で行われる決定的な修法行為である。
 去ろうとしている御霊へ法をかけ、瞬時に〈渡す〉。
 御霊はそこでようやく「はかり知れない慈悲の温もり」を感じられることだろう。
 夏目漱石は、我がこととして「無限の後悔と恐怖」を把握していたはずだ。
 さすが、と言うしかないが、〈その先〉を受け持つ宗教が日本でこれほど疎んじられる時代が来ると想像していたかどうかはわからない。

 冒頭の寓話が示すとおり、私たちは、自分の心が作った〈井戸〉で暮らす。
 日々、飲むもの、食うもの、着るものを他人様へ迷惑をかけることなく手に入れ、自分の寝床で寝て、ときおりセックスを行い、子供ができれば育て、親が老いれば面倒をみる。
 そうした日常だけであれば、最後は「夢十夜」の男のように望もうと、あるいは望むまいと、ある日、場合によっては突然、戸惑いの中で無の闇に引き込まれ、生を終える。
 死後に引導を受ければまだしも、生きている間中、もっとも確かな〈私〉だったはずの肉体を焼かれただけの状態であれば、彷徨う御霊はどうなるか……。
 だから、日々、修法の最後に唱える願文において慈雲尊者の言葉を口にする。
「いまだ成仏せざるものには、願わくは、成仏せしめん」
 祈らずにいられない。

 さて、ソギャル・リンポチェ師の体験だが、それは生前に引導を受けるようなものではなかったか?
 瞬間の導きである。
 そうして「はかり知れない慈悲の温もり」を感じたことのある者にとっては、幻の〈井戸〉がそもそもなかったと気づくことがそれほど困難ではない。
 師はそのことをこう言う。

「弟子自身のなかに息づく悟りの存在に、弟子を目覚めさせるに過ぎないのである。」


 生と死におけるいかなる瞬間が〈目覚めの瞬間〉なのかは、さまざまである。
 仏縁としか言いようがないと思う。
 その願いを込めて当山ではよく「仏縁の皆様へ」と呼びかける。
 師弟の目覚めが感応するとは、弟子の目覚めが師をさらに目覚めさせることも含む。
 だから、師弟は「おかげさま」であり「お互いさま」の関係であると思っている。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「おん あみりたていせい から うん」※今日の守本尊阿弥陀如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=4OCvhacDR7Y





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン


2016
04.22

詩と死そして平和 ─「詩のカノン」に想う─

2016-04-22-0001.jpg

 長田弘氏は平成27年5月3日、去した。
 亡くなる前日まで仕事を続け、同年7月1日、推敲を重ねた『最後の詩集』が出版された。
 その中に「のカノン」はある。

のカノン

昔ずっと昔ずっとずっと昔、
川の音。山の端の夕暮れ。
アカマツの影。夜の静けさ。
毎日の何事も、だった。
坂道も、家並みも、だった。
晴れた日には、空に笑い声がした。
神々の笑い声は平和な詩だった。
平和というのは何であったか。
タヒラカニ、ヤハラグコト。
穏ニシテ、變ナキコト。
大日本帝国憲法が公布された
同じ明治二十二年に
大槻文彦がみずからつくった
言海という小さな辞書に書き入れた
平和の定義。平和は詩だったのだ、
どんな季節にも田畑が詩だったように。
全うする。それが詩の本質だから、
も、詩だった。無くなった、
そのようなが、何処にも。
いつのことだ、つい昨日のことだ、
昔ずっと昔ずっとずっと昔のことだ。


 小生も学生の頃、『言海』には独特の味わいを感じていた。
 研究者の『英和辞典』のように。
 それにしても、この定義はどうだろう。
 平和とは「世の中も人も心も平らかにして、各々が和らぎをもって生きること、そして日々が穏やかにして急な変事が起こらないこと」であると言う。
 そこでは「全う」されている。
 何が?
 人の生が、生きとし生けるものの生が。

 むろん、人生に雨風はつきものだ。
 しかし、テレビで観る限り、九州で地震の被害に遭った方々の中には、あれほどの天災に遭ってさえ、静かな諦観を抱きながら避難生活を送っている方もおられる。
 平らかでない、和らげない、穏やかでない、変事のただ中にある。
 そこでは暴動も、強盗も、強姦も、殺人も起きず、の恐怖さえ伴うほどの苦はじっと耐えられている。
 お一方(ヒトカタ)お一方のこれからの人生は、どなたも見通せないことだろう。
 しかし、避難所の静けさ、感謝の言葉はどうだ……。
 ようやく始まったボランティアの方々と避難者の方々の交流はどうだ……。
 ここでも「全う」されているではないか。
 こう書いていると涙が出そうになる。

 ある時、斎場でお唱えする御宝号(ゴホウゴウ)「南無大師遍照金剛(ナムダイシヘンジョウコンゴウ)」に幾人もの方々が突然、ご唱和くださった。
 真言宗ではないご一族だが、ブログなどで当山の法務を知り、小生は大役をおおせつかった。
 それだけに驚き、感激もした。
 ご葬儀で、お別れの言葉などは特段、なかったが、誠実一筋だったという故人へ届いた電報はいずれも形式的なものではなく、会場から押し殺す嗚咽が聞こえた。
 ご葬儀の最後には、さらに多くの方々がご唱和くださった。
 南無大師遍照金剛──、南無大師遍照金剛──、南無大師遍照金剛──。
 粛然と、どこか温かく、ご葬儀は終わった。
 怖れずに言えば、あのは詩だったのではなかろうか?
 あれが「全うされた」でなければ、長田弘氏の言う「どんな季節にも田畑が詩だったように」全うされる死など、そもそも、人間には与えられていなかったと言うしかない。

 我々は、詩であるように生き、詩としての死を死んでゆけるのではなかろうか?
 長田弘氏はそうだったのではなかろうか。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「おん あみりたていせい から うん」※今日の守本尊阿弥陀如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=4OCvhacDR7Y





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン


2016
04.21

地域や家族のありようを求めて ─団地の畑─

2016-04-20-000122.jpg

 ある通夜ぶるまいの席に珍しく町内会関係者がたくさんおられ、箸を動かしながらお話に聴き耳を立てました。
 若い方も年配の方も、町内にある作りや、その作物で開催する芋煮会などのエピソードで盛り上がっていました。
 子供の頃、そのあたりで遊んでいた人もいれば、転勤を終えて戻って来た人や、退職後にメンバーとなった人もいます。
 故人と共に、無心に、無邪気に過ごした日々の思い出話はとても好もしく聴こえ、思わず、遺影を振り返って眺めたほどです。
 穏和なお顔は「おい、おい」と語りかけてくるようでした。

 都市にある団地
 それは、関心を持つ人にとってはかけがえのないものであり、無関心な方にとっては風景の一部でしかないかも知れません。
 のみならず、カラオケ同好会であれ、書道教室であれ、何人かが集う場があれば、それでいいのではないでしょうか。
 参加は自由という基本原則さえ確保されれば、意欲のある人々の創意と工夫で続くものは続き、消えるものは消え、新たに生まれるものもありましょう。

 無言の強制や、その裏側にある村八分や肩身の狭さ、こういった日常生活の夾雑物に現代人は堪えられません。
 地域が生きるかどうか、豊かであるかどうかは、住民が無心に、無邪気につき合える、あるいは何か生きがいが感じられる多様な機会があるかどうかにかかっているのではないでしょうか。
 同時に、孤独で過ごしたい人にはそっとしておく思いやりも必要です。
 皆が皆、〝病院で手厚い看護を受けながら1日でも長生きしたい〟と願っているわけではないのです。

 たとえ夫婦別々な趣味の時間を過ごそうとも、それぞれに活き活きと生き、それぞれなりに死んで行きたいと多くの年配者は考えています。
 生き方、死に方についての人生相談は絶えません。
 生き方はまだしも、死に方は自分一人でどうこうできるわけではないからです。
 必ず誰かの手を借りない限り、死後の自分はこの世からスムーズに消えられず、戦中戦後を生きた人々は〈始末〉の大切さと自己責任の重さを骨身に沁みて知っているからです。

 小生が記事に書いた「新たな家族のありよう、地域のありよう」も「新たな時代」も、これからの自由で創意に満ちた工夫によって徐々に創り上げられて行くことでしょう。
 いすれにせよ、忘れてならないのは、人間の尊厳であろうと思っています。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「のうまく さんまんだ ばざらだん かん」※今日の守本尊不動明王様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=EOk4OlhTq_M





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン


2016
04.20

〈初めての行動〉を重ねる自衛隊

2016-04-08-021-028.jpg

 昨年来、自衛隊はもはや、〈自衛〉の軍隊という枠を取り払ったかのようである。
 政府と軍と軍需産業との一体的活動もまた、堂々と行われるようになった。

1 初めて行われた自衛隊と米豪軍の合同演習

 平成27年7月11日、自衛隊はアメリカ軍とオーストラリア軍の大規模な合同演習へ初めて参加した。
 根拠となったのは、4月に改訂した「日米防衛協力のための指針」(ガイドライン)である。
 これまでに制約となっていた「日本周辺」の言葉はなくなり、日米両国が第三国と連携を強めることになっている。
 自衛隊は、米軍とだけでなく、その同盟軍とも一緒に、地球上どこででも戦争を行う軍隊になった。
 豪ニューサウスウェールズ大のアラン・デュポン教授は指摘した。

「日豪は米国を挟んだあいまいな友人から、機密を共有する明確な盟友になった。
 中国の台頭や、米軍事予算の削減からくる自立の必要性がある。
 その集大成が両国の潜水艦技術の協力である。」


 初の大規模演習参加は、オーストラリア軍が導入予定の潜水艦12隻を売りつけようとしている日本の軍需産業に対する強い後押しとなったに違いない。

2 初めて行われた自衛隊のカムランワン寄港

 平成28年4月12日、自衛隊の護衛艦「ありあけ」と「せとぎり」が、南シナ海に面するベトナムの軍事要衝カムラン湾の国際港に初めて寄港した。
 両軍は共同操艦訓練を行う予定。
 根拠となったのは、昨年の11月に行われた中谷元・防衛相とベトナムのフン・クアン・タイン国防相(当時)との寄港合意である。
 中谷氏は12日の記者会見で言った。

「わが国にとって南シナの航行の自由やシーレーン(海上交通路)の安全確保は重要な関心事項である。
 今後も米国や豪州とも連携しつつ、南シナ海周辺国との関係強化に向けた努力を積み重ねたい」


 2隻は、この直前にフィリピンのスービック港へ潜水艦を伴って寄港している。
 理由はこう語られている。

「最近の周辺国の状況に対応するため」


 一連の行動は、、アメリカ軍、オーストラリア軍はもちろん、フィリピン軍やベトナム軍とも一緒に中国を相手に戦うという決意表明以外の何ものでもない。
 そして、日本はフィリピンとベトナムへ巡視船の供与を進めている。

3 初めて行われた自衛隊の潜水艦の豪州寄港

 平成28年4月15日、海上自衛隊の潜水艦と護衛艦2隻は初めてオーストラリアのシドニー港へ寄港した。
 潜水艦はそうりゅう型の「はくりゅう」、護衛艦は「あさゆき」と「うみぎり」。
 太平洋戦争で奇襲攻撃を行った日本軍の寄港は「日本の潜水艦が歴史的な寄港」と大きな話題になったという。
 目的は共同訓練である。
 また、豪政府が目ざしている最新鋭潜水艦の調達に関し、日本政府は豪州政府へ伝えている。

「そうりゅう型に基づく建造計画案がリスクが低く、豪州の要求に合ったものである。」


 ドイツ、フランスと受注を争う日本の軍需産業への大きな後押しが行われた。

4 知らぬ間の変質

 日本の国民はいったい、いつ、こうした自衛隊の変質を望んだのだろう?
 また、いつ、政治と軍と産業との一体的活動を求めたのだろう?
 もちろん、国防は相手があってのことであり、中国や北朝鮮などの動きに影響されることは子供でもわかる話だが、問題は、〈いかなる状況の変化により、いかなる対応をせねばならないか〉という肝心な点が国会ですら事実上隠されたまま、自衛隊が米軍などと同じ〈普通の〉〈日本軍〉として世界中へ進出しつつあるという事態の重大さにある。
 そして、それを産業界が待ち望んでいるという事態は、ゆゆしきことと言わざるを得ない。

 明治から昭和にかけて戦争の恐ろしさを知った日本人は、軍隊の海外進出を止めたはずではなかったか?
 軍需産業と一体化する政治を止めたはずではなかったか?
 今から約半世紀前、戦勝国アメリカのアイゼンハワー大統領は退任演説において、軍需産業の必要性を認めながらも、政治的・軍事的・経済的複合体ができつつある状況に対して強烈な警告を発した、

「我々は、政府の委員会等において、それが意図されたものであろうとなかろうと、軍産複合体による不当な影響力の獲得を排除しなければなりません。
 誤って与えられた権力の出現がもたらすかも知れない悲劇の可能性は存在し、また存在し続けるでしょう。
 この軍産複合体の影響力が、我々の自由民主主義的プロセスを決して危険にさらすことのないようにせねばなりません。


 しかし、アメリカの軍産複合体は膨張し、今や政府支出の2割前後を占めるとされる軍事予算は国家財政を締め付けている。

 ところで、建築家の磯崎新氏(84才)は、新国立競技場の旧計画案を作ったザハ氏と安保法制の関係につき、小生が抱いていた疑念を明確に示した。

「五輪は本来、都市の祭典で、国が表に出てくる必要はない。
 国家の五輪としてはナチス政権下の36年のベルリン五輪が典型だが、今回も国が前面に立ったために、大きければいい、派手ならいい、という国や政治家たちの意向が働いたのではないか。
 もはや建築の議論ではなかった。

 旧計画の白紙撤回が表明された昨年7月17日は、安保関連法案が衆院本会議で採決された翌日。
 競技場問題で安保法制の隠蔽(インペイ)をはかったという見方もあったと思う。
 2度目の公募への参加申請が締め切られた翌日に、参院本会議で安保関連法が可決・成立した。
 そして、施行の2日後にザハが亡くなった。

 この奇妙な符合に、彼女は日本の戦争と平和を巡る議論に巻き込まれたように感じた。」(4月18日付朝日新聞)


 現在、私たちが最も関心を持っている(持たされている)ものは何だろう?
 そして、秘されたまま進んでいるものは何だろう?
 国民一人一人がよく考えてみる必要があると思う。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「のうまく さんまんだ ぼだなん あびらうんけん」※今日の守本尊大日如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=LEz1cSpCaXA





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン




2016
04.19

大相撲の「張り手」について ─何が問題なのか?─

2016-04-19-000122.jpg
〈水子地蔵様に風車を飾りました〉

 大相撲の「張り手」について考えてみたい。

1 禁じ手石原慎太郎

 大相撲の「張り手」は禁手になっていないので、近年、多用される傾向にある。
 禁手(通称「禁じ手」)とは、「相撲競技に際して、左の禁手を用いた場合は、反則負とする。」とされている8つの攻撃法であり、「握り拳で殴ること」や「胸、腹をけること」などが含まれる。
 作家石原慎太郎氏は、4月18日付の産経新聞に『横綱の張り手』という一文を載せた。

 氏は、詫びや寂びの風情、あるいは工芸や料理の独自性などを挙げ、グローバライゼイションによる風俗の変化が「民族の特性を疎外し弱体化し日本人の持つしなやかな強さまでを淘汰してしまうのだろうか」と書く。
 そして、大相撲における最近の傾向に言及する。

「風俗なるものは所詮一時的なものに過ぎず、世界化なるものが何をもたらそうと私たちは己の持つ本質的なものまでを失うつもりはない。
 余計な連想かも知れないが最近の相撲を眺めていてもそう思う。
 外国人の横綱が下の力士に平気で張り手をかます。
 中には相手の顔の真ん中を張って鼻血を出させて突き飛ばす。
 彼らが憧れてみせる双葉山は決して張り手なぞしなかった。
 無類の大関だった前田山は張り手をするというので嫌われ出世が遅れたものだった。」


 張り手はルール違反ではないが、自(オノ)ずから慎みつつ用いられるべき技であり、その慎みの中にこそ伝統の粋があるという意味だろう。
 そして、締めくくる。

「相撲がどう変わろうと、私たちは伝統が破壊されることで民族の本質だけは決して失いたくないものとただしみじみ思う。」


 ここには横綱白鵬の張り手など、外国人の土俵態度が日本人の感覚からすると美しくない場面をもたらすことへの苦言がある。

2 白鵬の涙
 
 3月27日、横綱白鵬は千秋楽、横綱日馬富士に勝てば優勝という大一番において、右手を伸ばしながら左へ飛ぶという奇手を用い、日馬富士にほとんど身体を触らせず勝負をつけた。
 会場には怒号が渦巻いた。
「何やそりゃ!」
「勝てば何でもええんか!」
「恥を知れ!」
 白鵬は優勝インタビューで幾度も「すみません」を繰り返し、泣きつつ詫びるというまことに異例な展開となった。
 しかし、支度部屋に戻ってからは本音を言っている。
「稀勢関も変化があったから、これで文句は言われないでしょう」
 優勝を争っていた大関稀勢の里も大関琴奨菊相手に変化で勝っていることを指して、自分だけがどうこう言われる筋合いはない、モンゴル人だからといって差別されるのはフェアじゃない、と反発している。

3 「民族の本質」はどうなっているか

 石原慎太郎氏は「民族の本質」と言っているが、その本質から生まれる「忖度」という態度や「暗黙のルール」を守るといったふるまいが壊れつつあるのは、何も大相撲に限ったことではない。
 多士済々だった自民党が全会一致という総務会の伝統を壊して多数決にしてしまい、現在の独裁的雰囲気をもたらしてしまったことはどうなのか?
 法律の専門家である政治家が決まりを巧みに用いて辞職や解散を繰り返し、権力のままにふるまっていると見られる状況はどうなのか?
 聖徳太子の精神が薄れている現状をこそ、憂うべきではないのか。
 十七条憲法はこう始まる。

「和(ヤワラギ)を以て貴しと為し、忤(サカ)ふること無きを宗とせよ。」


 そしてこう終わる。
「夫(ソ)れ事独(ヒト)り断むべからず。必ず衆(モロモロ)とともに宜(ヨロ)しく論(アゲツラ)ふべし。」
 和を目ざし、険悪な対立を招くなと言う。
 独断はならぬ、衆知によって決せよと言う。
 私たちそれぞれが未熟な存在なのだから、政治が誤って社会へ混乱や不幸をもたらさないよう、尊い仏神を仰ぎ、思いやりと知恵を寄せ合って共に生きる社会を目ざそうと説かれたのだ。

4 張り手の可否

 さて、張り手そのものはどうか?
 下位の者が上位の者に繰り出す張り手は無礼である。
 上位の者が下位の者に繰り出す張り手は無慈悲である。
 まして、顔の前面へ繰り出す張り手は鼻血を出させ、顔を傷つけ、身体を大切な道具としていたわるスポーツマン同士の競い合いとしては、はなはだ醜い。
 いずれもが〈見苦しい〉と感じられてならないのは小生だけだろうか?

 横綱白鵬はまだ31才である。
 大鵬を目ざし、双葉山を畏敬する若者がまだ、日本の文化に潜む「本質的なもの」を充分に理解していないからといって、差別され、懸命な努力と立派な成績に泥を塗られるのはおかしい。

 文化や風俗に国籍がなくなりつつある時代にあって、石原慎太郎氏が言うように「伝統が破壊されることで民族の本質だけは決して失いたくない」のなら、大相撲が変わるしかないのではなかろうか。
 つまり、張り手を禁手にするのである。
 それは、〈日本人〉である小生の感性からすると当然のことと思われる。
 道具の使いようが多様になり、危険性が生じたならば、道具そのもののありようを放置してはならない。
 相手の身体をいたわるという当然のスポーツマンシップからしても、ルールの改善は考えるべきであろう。
 頭からぶつかり合って出血するのはやむを得ず、決して見苦しくはない。
 しかし、叩かれ、突かれて出血するシーンは決して〈美しくない〉と思えてならない。
 さて、どうだろうか。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「のうまく さんまんだ ぼだなん あびらうんけん」※今日の守本尊大日如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=LEz1cSpCaXA





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン




2016
04.18

ペット葬のこと

2016-04-18-0002.jpg
〈四国の霊場で出会った白猫〉

 このところ、ペット葬(ペットのご葬儀)が相次いでいる。
 仙台在住のAさんは、15年の生涯をまっとうした猫を送るため、化粧を施し、丸くなって寝ているかのような風情をまとったご遺体を連れてこられた。
 短い願文(ガンモン)を唱えると、列席者皆さんのすすり泣きが聞こえた。
「あなたは家族、あなたは友、~」
 心からそう思う。

 大崎市在住のBさんは、何年も手放せないでいたワンちゃんのお骨を抱えてご来山し、ご葬儀と共同墓へのお納骨を申し込まれた。
「C君は長い闘病生活を送り、病院で亡くなりました。
 家族は誰も見送ってやるることができませんでした。
 生きている間はずっと私たちを見守ってくれていたのに、最後に何もしてやれないことを悔やんでいました。
 これでようやく、罪滅ぼしというか、肩の荷が下りた感じがします。」

 昔は、一族郎党を意味する眷属(ケンゾク)という言葉で、馬や牛、そして犬や猫を呼んだが、今はペットと言うしかない。
 ペットとは愛玩動物のことである。
 イメージとしては、言葉どおり〈愛でられるべきいのちあるオモチャ〉という風情である。
 しかし、今やペットたちの存在感と存在意義はそうした範疇を遥かに超えている。
 願文のとおり、家族であり、友なのだ。

 そうした〈家族〉を失った時、ペットロス症候群に結びつく凄まじい空虚観を味わう場合がある。
 離れて暮らす家族や親族や友人などと比べようもないほど大きな衝撃を受ける場合すらある。
 そして、人間ならお戒名を授与されご葬儀を行い、火葬して埋葬するという手順を踏むうちに、だんだんと事態がおさまりを見せるものだが、ペットについてはそうした〈安心をもたらす手順〉が知られていない。
 だから途方に暮れ、人生相談を申し込まれる。

 そんな時はお応えする。
「人間は大日如来か、その顕れであるみ仏に導かれて成仏への道を歩みますが、眷属の場合は、お地蔵様がお導きくださいます。
 お地蔵様の修法を行えば、亡くなった方が安寧を得られるのはもちろん、送る皆さんも必ず何かしら安心のきっかけをつかめることでしょう。」
 そして、ご葬儀に参列された方々は修法後、異口同音に言われる。
「やっていただいて安心しました。」

 ぜひ、お地蔵様と感応する送りの場を体験していただきたい。
 確かな救いを感じていただきたいと切に願ってやまない。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「おん さん ざん ざん さく そわか」※今日の守本尊勢至菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。

https://www.youtube.com/watch?v=qp8h46u4Ja8





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン



2016
04.18

【現代の偉人伝】第225話 ─万葉集を読み解いた秦野桃子さん─

2016-04-18-0001.jpg
〈花曇りの夕刻に出会ったカタクリの後姿〉

 第8回万葉こども賞コンクールの入賞者が発表された。
 2000点を超える作文と絵画が応募され、作文の部では神奈川県在住の秦野桃子さん(日本女子大附属中学校3年生)が最優秀賞に輝いた。
 秦野桃子さんは大伴家持が詠んだ万葉集唯一のカタクリに関する一首について新鮮な解釈を示した。
 読んでみよう。

「物部の 八十少女らが 汲みまがふ 寺井の上の 堅香子の花 (巻十九 四一四三 大伴家持

(※読みは以下のとおり「もののふの やそをとめらが くみまがふ てらゐのうへの かたかごのはな」)

(※大意は以下のとおり「(もののふの)たくさんの少女たちが入り乱れて水を汲む寺院の井戸の傍らに群がり咲いているかたかごの花」)

 舞台は越中。
 大勢の少女達が水を汲んでいる寺の井戸の傍らには、堅香子の美しい花が咲いていた。
 家持はこの雪深い越中にも訪れた春に対して、心の中に広がっていくささやかな喜びをこの景色と味わったのだと思う。

 春というと華やかな印象が強いが、春の訪れは静かで繊細で、その不確かさがまた味わい深い。
 早春、入り乱れて水を汲む少女たちのまぶしく明るい雰囲気の中に、愛らしい堅香子の花が咲いていた。
 堅香子の花はかたくりの花のことで、紫色で小さく、先端にひとつだけ下向きに花を咲かせる。
 いかにも春を連想させるような姿でこそなく、上を向いて主張してきたりはしないけれど、そんなけなげで控えめな様子がまた上品で貴重なものに思えてくる。
 家持は、少女たちのいるにぎやかさの中でも、無言でひっそりとしたどこか物悲しいような花の姿に惹かれるものを感じたのだ。

 実は四千五百首程もある万葉集の歌の中でこの堅香子の花が取り上げられるのは唯一この歌だけだ。
 誰もが目を向け気に留めるような、ありきたりな花ではないからこそ、彼が本当にこの花に何かを訴えかけられ引きとめられたのだということが伝わってくる。
 家持はこの堅香子の花の寂しげなさまに少なからず自分と近しいものを感じたのだろう。
 大伴家持は様々な葛藤を生き抜いた人だ。
 強くあり続けながらも、心の奥に秘めていた孤独が歌にも表れていると思う。
 弱々しくも力強く耐えて咲いている愛らしい堅香子の花は、まるで彼自身の内面を映し出しているかのようで、家持は見失って捉えられなかった自分自身を見つけたような気持ちになったのではないかと思う。

 家持の心でこそ感じることのできた春の訪れは、他の誰が感じることもできない絶妙なものだ。
 いつもと変わらないような日常の風景が少しずつ春に染められていく。
 その誰も気付かないような初めの一滴に彼は気付いたのだ。
 春が来たからといって生活に変化がもたらされる訳ではないだろう。
 けれど、日常がほんの少しだけ色付いていく。
 代わり映えなく続いていく日々の中の、ちょっとしたスパイスとしてこの春があればいい。
 ずっと明るい春ではなくても、日常の中に些細な楽しみを見つけて生きる、そんな生き方もいいものだと思わせてくれる。」


 一読し、最後の述懐に目を瞠らされた。
 15才の少女が「日常の中に些細な楽しみを見つけて生きる、そんな生き方もいいものだ」と思わされたとは。
 今から約1270年前の西暦750年、越中(富山)に赴任していた32才の大伴家持は、雪深い冬を過ぎて都の春を想う時、やはり同様に考えて自分を慰めていたのではなかろうか。
 そうした気持が遙かな時を超えてうら若い少女の魂と感応したできごとは、歴史という長い時間をかけて選ばれ、保持され続けてきた古典が持つ力と価値を再認識させられる。

 ここでカタクリが選ばれたのは絶妙である。
 うつむき、他の植物と日光を奪い合うことなく、まだ寒さの残っている頃に、さり気なく咲く。
 日光が弱い時や夜間には花を閉じる。
 アリに運ばれる種子は地表に落ちてから8年の月日をかけてようやく咲く。
 しかも、鱗茎はデンプンの材料となる。
 若さが溢れ華やかな少女たちではあるが、はじらいや、ためらい、あるいはつつましさや、しおらしさ、そして謙虚さや献身的姿勢などがいのちの輝きに好ましい彩りを与えている。
 カタクリそのものではないか。
 
 物部とは、「文武の官」であり、無数にあることから「八十(ヤソ)」にかかる枕詞(マクラコトバ)になった。
 カタクリの花たちは、都から遥かに離れた地で春を迎えた大伴家持へ、宮中に仕えるたくさんの少女たちを連想させた。
 その一方で、黒い土の上で背低く、開花期間も短いカタクリは儚げであり、春に咲く花を言う「スプリング・エフェメラル(春の儚いものたち)」にふさわしい。
 カタクリの佇まいは、「誰も気付かないような初めの一滴」として春の訪れをそっと告げる。

 ちなみに、カタクリの花言葉は「初恋」「嫉妬」「寂しさに耐える」などとされる。
 そうしたパターンにはまらず、この一首へ自分の視点から注目した秦野桃子さんの力量は将来が楽しみである。
 日本の若者の実力を示した。
 偉人伝に記しておきたい。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「おん さん ざん ざん さく そわか」※今日の守本尊勢至菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。

https://www.youtube.com/watch?v=qp8h46u4Ja8





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン



2016
04.17

熊本大地震に想う ─我々は気づけるか?─

2016-04-08-008-007.jpg

 東日本大震災から5年、またもや惨状を目にするとは……。
 亡くなられた方々のご冥福をお祈りすると共に、被災者の方々が耐え抜く力を保ち続けられるよう祈ってやまない。
 今朝方、夢うつつに考えたことごとを記しておきたい。

1 熊本大地震

 4月14日午後9時26分頃、最大震度7に達する熊本大地震が発生した。
 寝床へ入る直前、妻の「お父さん、大地震だよ!」という叫びを聞き、テレビの前へ戻った。
 そして、また、深く思った。
〝人間は自然に太刀打ちできない〟
 5年前は東北に生きる蝦夷(エミシ)の子孫たちが難儀に遭い、今度は九州に生きる熊襲(クマソ)の子孫たちが難儀に遭った。
 そして、日本を牛耳る関東も関西も、首都直下巨大地震あるいは南海大地震に近々、襲われることが確かであろうと言われている。
 それにもかかわらず日本政府は、立地条件として世界一危険な原発を手放そうとしない。
 今や、世界中の科学者が「原発事故は収束した」あるいは「日本の原発は世界一安全である」などということを信じられはしないだろうに。

 福島原発の事故に際してもつくづく思ったが、我々人間のやっている仕業は、自然にとって〈余計なこと〉に違いない。
 ネアンデルタール人が体毛を深くせず、毛皮をまとったために過酷な季候の変動を生き抜いて我々の祖先となったが、それ以来、人間はずっと〈ほどほどにしておく〉ことを考えず、突っ走ってきた。
 一部の宗教者を除いて。
 福島原発の事故は、いわば人類への最後通告ではなかろうか?
 今の日本でアンケートをとったなら、きっと過半数の人々がこのまま原発を稼働して行くことに反対だろう。
 それは、生きものとしての切実な勘に違いない。
 しかし、政界・財界を問わず経済第一主義の人々はきっと、「科学の発達を知らず〝羮(アツモノ)に懲(コ)りて膾(マナス)を吹く〟ような愚かな人々に左右されるわけには行かない」と思いつつ原発を動かし、外国へ売りつけ続けるだろう。
 こうした切実な言葉は無視され続けるだろう。

「原発と核兵器はリンクする。
 日本の原発輸出は行き詰まる世界の核産業に力を与え、アジアの軍事緊張を促進する。
 福島の事故や広島、長崎の原爆を経験してきた日本が原発を輸出するのは、日本国民の非核の願いをも壊すものだ。」(インドの市民運動家ラリター・ラームダース氏〈76才〉)

「福島の事故がいまだに収束していないのに、輸出を考える日本は誠実とはいえない。」(トルコの市民運動家メチン・グルブス氏〈49才〉)


2 ホーキング博士の地球脱出

 さて、熊本地震の2日前、物理学者のスティーヴン・ホーキング博士、ロシアの投資家で物理学者のユーリ・ミルナーの両氏は、「ブレイクスルー・スターショット(Breakthrough Starshot)」計画を発表した。
 地球が存続できなくなる前に、他の天体へ移住しようというのだ。

「今日、私たちは、宇宙への新たな一歩を踏み出すための努力をはじめる。」
「私たちは人間で、人間は本能的に飛びたいと願うからだ。」


 各記事は述べる。

ホーキング博士は、地球に最も近い恒星系であるアルファ・ケンタウリ(Alpha Centauri)に、地球から小さな宇宙船を大量に送りこみ、人類が居住可能な場所を見つけようとしている。」
「計画の総額は50億ドル(約5000億円)から100億ドル(約1兆円)と想定されている。
 ひとまずの研究資金として、ミルナーは1億ドル(約100億円)を出資する。」


 ホーキング博士の言葉である。

「20年以内にナノクラフトが生命体を見つける可能性はとても低い。」
「地球は小惑星や、超新星、私たち自身が起こす危機にさらされている。」
「人類が種として存続したいと願うのならば、自分たちの外に、生命体のある場所をみつけなくてはならない。」


3 科学における「人間原理」

 イギリスの物理学者ポール・ディラックは大胆な仮説を発表した。

「宇宙における物理定数は永久不変なのではなく、たとえば10の40乗倍という比率のような一定の相関関係をもって時間とともに変化していくのではないか」


 これでは、代表的な重力定数も、過去の方が大きかったことになり、もはや〈定数〉ではあり得ない。
 エネルギー保存の法則を無視した考え方である。
 賛否両論の中で、プリンストン大学のロバート・ディッケのような考え方も登場した。

「ハッブルの法則にもとづく百六十億年という現在の宇宙の年令は、決して偶然なのではない。
 知性を持った宇宙の観測者すなわち人間を生み出すために、宇宙の年令はそれ以外の値をとることができないのだ」


 つまり、人間の存在が宇宙の年令を決定していると言う。
 こうした考え方が後に「人間原理」と呼ばれる宇宙論をもたらした。
 アインシュタインが「宇宙をつくるにあたって、神には選択の余地がどれだけあったろうか」と言ったとおり、人間が宇宙に誕生するために〈これ以外〉あり得ないような精妙なバランスを持って宇宙はビッグバンを起こし、現に在る。
 だから、ホーキング博士は指摘する。

「われわれが存在するがゆえに、われわれは宇宙がこのようなかたちであることを知る」

「科学理論は元来、われわれが観測を記述するためにつくった数学的モデルに他ならず、われわれの精神の中にしか存在しない」


 これはまさに、仏教の唯識論(「ユイシキロン)そのものではないか。
 およそまっとうな現代の仏教で、物理的原理から独立した精神的原理を考える唯識と、空(クウ)を極める中観(チュウガン)と二つの哲学に立脚しないものはない。
 ここで参照した『宇宙誌』の著者松井孝典博士は最後に述べている。

「科学が明らかにできるのは、宇宙における人間の位置と物理的存在理由だけである。
 そのような科学の限界を超えて『我々とは何か?』という人間存在の本質を問うのであれば、科学は否応なく哲学の領域に足を踏み入れていかざるを得なくなる。
 何であるかではなく、なぜと発する人間原理は、科学が再び人間の問題に立ち戻ろうとする新たな一歩になり得るかもしれない。
 と同時に、科学は科学以外の他の領域(たとえば哲学)と積極的な関わりを持つことが必要だろう。
 それは科学の問題というより、科学者の問題である。」


 私たちは、日常生活を根底から破壊する圧倒的な力を前にしつつ生き残った時、立ち止まって問いを発しないではいれらない。
「これはいったい何なのか?」
 そして、我が身と人間の営みを振り返り、その矮小さ、空しさ、健気(ケナゲ)さ、そして共業(グウゴウ…社会的な業)の恐ろしさ、愚かさを知る。
 地震も津波も原発事故も、そして戦争も肝心なことに気づかせる。
 もし、ホーキング博士の「ブレイクスルー・スターショット」が成功したとしても、人間自身がその内側に依然として貪り・怒り・愚かさの三毒を抱えたままであれば、人類は、太陽の寿命を待つまでもなく、今日にでも崩壊する可能性を持った存在であることに何ら変わりはないことを忘れないようにしたい。
 九州で生きる方々の悲嘆に感応しつつ、「人間の問題に立ち戻」ることを忘れないようにしたい。
 



 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。




「おん さんまや さとばん」※今日の守本尊普賢菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=rWEjdVZChl0





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン



2016
04.16

14才の奮戦 ─二本松少年隊の秘剣─

2016-04-16-0001.jpg

 福島県の二本松藩は、幕末の動乱にあって最後まで薩摩・長州軍と戦い抜き、滅んだ。
 そこに数え年12才から17才までの62名よりなる少年隊(通称)が結成された。
 隊長は木村銃太郎(22才)である。
 以下、原田伊織著『明治維新という過ち』より記す。

「現実の前線では武家クラスの藩士たちは、できるだけ少年たちを後ろへ後ろへ下げた。
 最前線に立たせることを避けようと心掛け、できることなら逃げ延びることを願ったのである。
 このことは、敵味方を問わず少年たちに対する情としてみられた事実である。」


 納得できた。
 小生は、万が一、外国から侵略を受けたなら、必ず立ち上がるであろう若者たちよりも敵前へ行き、先に死のうと覚悟している。
 もちろん、素手である。
 素手の年寄りたちが若者を護って死んで行く姿は、必ずや衛星を通じて世界へ流れ、観る人間たちの霊性を覚醒させ、それは日本を救う何ごとかにつながるであろうと信じている。
 
 隊士成田才次郎(14才)は、父からたたき込まれていた。

「敵に相まみえたら、斬ってはならぬ、ひたすら突け!」


 彼は重傷を負いつつも死に場所を求めて城下を彷徨い、ようやく長州兵の一団を見つけた。

「やっとの思いで身長からすれば長過ぎる刀を抜き払い、白熊(ハグマ)の冠りもの(熊毛頭…クマケガシラ)を付けた隊長と思(オボ)しき者だけを眼中に収めて突きかかった。
 この指揮官が、長州藩士白井小四郎(31才)であったことが分かっている。
 白井に油断があり、成田の剣は父の教え通り、白井を斬らずに真っ直ぐ突いた。
 白井はその場で絶命。
 絶える息の間に『己の不覚。この子を殺すな』といったらしいが、周囲の兵たちは聞こえなかったのであろう、銃を逆手にとり、成田を撲殺した。」


 才次郎の父親成田外記右衛門がいかなる人物であったかはわからないが、必殺剣として〈突き〉の技を教え込んだことは納得できる。
 相手から外されにくい一方、外されたならこちらのいのちはない。
 また、剣と身体が一体になり突きの姿勢で突っこむ時、防備は面はほぼ、なくなっている。
 だから、各流派において秘されている技の多くが突きであろうと言われている。
 当隠形流(オンギョウリュウ)居合においても事情は変わらない。

 藤沢周平の小説「必死剣 鳥刺し」は映画にもなった。
 平成22年、主人公兼見三左エ門を演じた豊川悦司は見事な立ち回りを見せた。
 彼は、秘剣を繰り出し必ず死なねばならない〈その時〉のため、日々、心身の鍛錬を欠かさず、ついに自分のいのちとひき換えに秘剣を成功させる。
 ぜひ、今からでも、多くの方々に観ていただきたい大傑作である。

 ところで、解剖学者の養老孟司氏は、選挙権年令が18才以上に引き上げられることについてこう述べている。

「1945年8月15日、日本が180度ひっくり返ったのに、実際には(日本人は)ケロッとしている。
 だから、政治って実は大事じゃないということになるんじゃないか。
 政治に何ができるのか、そこが大きな疑問になっている。
 政治は一番ややこしくて、ウソが入りやすい。
 18や19の若い人がそんなこと分かる訳はない。
 今の人は自分の人生は自分のものだと思っているから。
 『特攻』を考えてください。
 (特攻隊員の人生は)自分のものじゃない、あれは将来の子どもたちのため、身近な人たちのため。
 遺書にもそう書いてある。」(時事通信)


 そうかも知れないが、二本松少年隊の史実に接すると、若者を信じたくなるし、年寄りの役割も認識させられる。
 必ずしも剣法に限らず、自分なりの秘剣を胸に育てつつ生きることは、老若男女を問わず人間を真実体験へ導くのではなかろうか。

2016-04-16-0002.jpg




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。




「おん さんまや さとばん」※今日の守本尊普賢菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=rWEjdVZChl0





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン



2016
04.15

花曇り捨てて悔なき古戀や ─桜に想う─

2016-04-15-000111.jpg

 芥川龍之介が詠んだの俳句である。

花曇り捨てて悔なき古戀や」


 芥川龍之介は「偶感」としてこの句を詠んだ。
 ほぼ『羅生門』の頃である。
 花曇りは薄ら寒さともあいまって心を重くする。
 そんな日に思い出す終わった恋は、活き活きとしていない。
 けだるさの中で〝もういい〟と思える。

 花曇りの頃、終わりかけた水芭蕉を観に行った。
 人気もない夕刻、小生と入れ替わりに、薄いカーディガンにジーンズ姿の地味な女性が駐めた車から伏し目がちに降りて、「こんにちわ」と消え入りそうな挨拶をしつつ森へ向かった。
 青い軽自動車は、たった一人の主人を降ろし、ポツネンとそこにいた。
 彼女は何かの〈悔い〉を置きに来たように思え、振り返ったらもう、暗さを増しつつある路しか見えなかった。
 

「熱を病んで櫻明りに震へゐる」


 芥川龍之介は「病中」としてこの句を詠んだ。
 ほぼ『地獄變』の頃である。
 桜明かりとは、の白さが夜の闇に浮かび上がっている様子である。
 普段、人は夜に眠る。
 しかし、病気によって悪寒(オカン)が走ると、夜中でも目が覚めてしまう。
 そんな時、昼の爛漫たる勢いとは別に、観る人とてない夜でも存在を主張しているの白さが目に入り、〈夜の活動〉を感じる。

 芥川は『地獄變』の中で横川(ヨガワ)の僧都にこう語らせている。

「如何(イカ)に一藝一能に秀でやうとも、人として五常(ゴジョウ)を辨へねば、地獄に墮ちる外はない」


 五常とは、儒教が説く人間の道である。
 焼き殺される娘を目にしながらなおも画を描き続けた男にある業(ゴウ)を我が身にも感じていたのではなかったか?
 震えは、身体に起こり、心にも起こっていたのではなかったか?
 

「夜櫻や新内待てば散りかゝる」


 芥川龍之介は「即興」としてこの句を詠んだ。
 ここで言う新内とは新内節の師匠を指す。
 同時期の作品である。

「遠火事の覺束(オボツカ)なさや花曇り


 この覚束(オボツカ)なさが塚本文との結婚につながるが、作家の業(ゴウ)は続く。

「新婚当時の癖に生活より芸術の方がどの位つよく僕をグラスプするかわからない。」


 グラスプとは、ぐっと掴み離さないことである。
 新婚なのに、夫婦で暮らす喜びが生きる柱とならず、創作活動が自分を惹き付けてやまない状態に苦しみ始める。
 芥川は、長男の出生にすらとまどう。 

「何の為にこいつも生れてきたのだろう?
 この娑婆苦の充ち満ちた世界へ。」


 芥川には創作しかない。
 人間が題材なのに、人間との暮らしはいつも、不如意(フニョイ)を生む。
 人間と暮らす人生はあまりにも困難に満ちている。

「人生は地獄よりも地獄的である」

「誰か僕の眠っているうちにそっと絞め殺してくれるものはないか?」


 やがて芥川は自殺する。
 小生も彼の苦しみは理解できる。
 自分の役割に生き、死ぬしかない。
 それ以外、罪滅ぼしのしようがないのだ。
 他のことごとは「ごめんなさい」と言うしかない。
 しかし、何らの才能を持たない小生の役割は、お釈迦様もお大師様も説かれた〈利他〉以外にない。
 ご縁の方々に「この世の幸せとあの世の安心」を得ていただくことがすべてである。
 人生の地獄をいくばくか観ても、まだ、生きる余力は残っている。
 それが尽きるまで使い果たしたい。

 を眺めた。
 無心に、麗らかな生と静かな死を告げている。
 生があって死があり、死があって生がある。
 散る花びらは舞うもよし、散り敷くもよし。
 ありがとう。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。




「おん あらはしゃのう」
※今日の守本尊文殊菩薩様の真言です。どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=WCO8x2q3oeM





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン



2016
04.14

明治を象徴する廃仏毀釈とは何だったのか? ─『明治維新という過ち』に学ぶ─

2016-04-14-001.jpg

 もうすぐ70才になる小生は、特段「長生きしてよかった」と思う瞬間をもたないし、「もっと長生きしたい」とも思わない。
 ただ、なすべきことをなしたい、その願い一つで生きている。
 しかし、今般、ついに「ここまで生きてきてよかった」と思わされた。
 一冊の本、すなわち原田伊織氏の『明治維新という過ち』に巡り会ったからである。

 氏は小生と同じく昭和21年の生まれ、そして、小生と同じく安保動乱の時代を少数派として過ごした。

「左翼と称される者は、自分たちの主張に賛同しない者はすべて『右翼軍国主義者』と決めつけたものであった。」

「私の大学でも、学生の九十五パーセント以上が民青や全共闘か、そのシンパであった時代、社会全体を左翼思想が支配しており、それが正義であった。」


 氏は丸太を抱え、「ヘルメット学生」が築いたバリケードへ「突進していった」そうだが、小生は、木刀一本をぶら下げ、教室へなだれ込もうとする彼らの前に立ち塞がったことがある。
 もしかすると、どこかで会っていたかも知れない。

 彼が「時代のままの思想傾向」に染められずに済んだきっかけは、「『廃仏毀釈』という、俗にいう『明治維新』というものを象徴する言葉」だった。

「明治元年に長州・薩摩を中心とする新政権の打ち出した思想政策によって惹き起こされた仏教施設への無差別な、また無分別な攻撃、破壊活動のことを指す。
 これによって日本全国で奈良朝以来の夥しい数の貴重な仏像、仏像、寺院が破壊され、僧侶は厳しい弾圧を受け、還俗を強制させられたりした。
 ひと言でいえば、長州・薩摩という新勢力による千年以上の永きにわたって創り上げられた固有の伝統文化の破壊活動である。
 現代のイスラム原理主義勢力・タリバーンや『イスラム国』を思えば分かり易いであろう。


 目から鱗が落ちるとはこのことである。
 紆余曲折の末に、若い頃は思いもよらなかった僧侶となり、もっとも不可思議でいつか調べたいと願っていたのが廃仏毀釈だった。
 記録を読んでも実感がわかないし、神仏を尊び、あれほど高水準だった江戸文化が突然、自らの根源を破壊するような政権を生んだのはなぜか。
 西洋列強に対抗するため、国家神道を確立するためなどと教科書では教わったが、それらの目的が人々の拠り所となっている寺院の破壊へどう結びつくのか、納得ができなかった。
 しかし、IS(イスラム国)的な政権の仕業であったのなら、理解できる。
 氏はそれを、「復古」の旗印で起こされた「気狂い状態」と呼んだ。

「『復古』『復古』と喚いて、激しく『尊皇攘夷』を口先だけで主張し、幕府にその実行を迫ってテロを繰り広げた長州・薩摩人は、このように古来の仏教文化さえ『外来』として排斥したのだが、政権を奪うや否や一転して極端な西洋崇拝に走った。」


 そして、新政権政府がドイツから招いたベルツ博士の日記を紹介する。

「日本人は、自分たちの過去=歴史を恥じている。
 また、日本には歴史なんかありません、これから始まるのです、という」


 明治維新の核心を衝く。

「これほど激しい豹変を、それも昨日と今日の価値観が逆転するといった具合に短期間に行った民族というのも珍しい。
 どちらの態度も(「廃仏毀釈」と「脱亜入欧」を指す)、己のアイデンティティを破壊することに益するだけであることに、彼ら自身が気づいていなかったのである。」


 彼らは「テンション民族」と呼ばれるような「気狂い」の中で寺院を破壊したが、それを止めさせたのは、生活の根の破壊へ抵抗する民衆の力だった。
 政権の根本政策がたった4年で終熄するまでの間に吹き荒れた「仏教文化の殲滅運動」はいかなるものだったか、現代におけるイスラム過激派の行動に当てはめれば想像がつく。

 この本には、現代に生きる私たちがどのように「明治維新像」を刷り込まれてきたのか、立ち止まって振り返る重く深いヒントがある。
 多面的に観られるべき歴史が、時代の常とは言え、権力を握った側から一面的に〈与えられてきた〉ことに気づく。
 氏は「あとがき」をこう締めくくる。

「今、私たちは、長州・薩摩政権の書いた歴史を物差しとして時間軸を引いている。
 そもそもこの物差しが狂っていることに、いい加減に気づくべきであろう。
 その為には、幕末動乱以降の出来事をすべてそのまま、飾り立てなく隠すこともなく、正直にテーブルの上に並べてみるべきであろう。」


 もちろん、この本の内容がすべて妥当かどうかはさまざまな見方があるだろう。
 しかし、現に仏法をもって生きている一行者の実感として、廃仏毀釈というあまりにもおぞましく、日本で起こったとはとても想像できがたい蛮行について、イスラム過激派の行動に重ねてみてようやく理解できたという真実は曲げようがない。
 一人でも多くの方にこの警世の書を読んでいただきたいと願う。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「のうぼう あきゃしゃきゃらばや おん ありきゃ まり ぼり そわか」※今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=IY7mdsDVBk8





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン


2016
04.13

妨げられている再生可能エネルギーの利用 ─メルトダウンを隠した東電と原発政策─

2016-04-08-004-005.jpg

 福島第一原発は、メルトダウンという致命的な事故を起こした。
 その事実を認めたのは事故発生から2カ月後である。
 しかも東京電力はこれまで、「メルトダウンを判断する根拠はなかった」というおよそ信じがたい説明をしてきたが、今年の4月11日、岡村祐一原子力・立地本部長代理が、メルトダウンの判断基準が社内にあることをようやく認めた。
 何と、事故当時、「個人的な知識としては知っていた」という。

 このたび、新潟県の技術委員会は、〈国へ対して報告が義務づけられている〉メルトダウンの事実が隠されてきた経緯を明らかにするよう、東電へ申し入れた。
 成り行きをしっかり見守りたい。

 これはあまりにも重い事実ではないか。
 定められている報告義務を果たすための根拠がなかったという会社の説明はいったい、誰の判断によって行われたのか?
 また、法的義務を果たすための根拠を持っていないという東電の説明を「そうですか」とそのまま放置してきた政府の責任者は誰なのか?
 国民の生命にかかわるこれほど重大なことごとを、本当に政府は〈知らなかった〉のか?
 それで済むのか?
 全国の原発がいったい、いかなる管理をされているか、政府関係者を除く人々の手によって再度、徹底検証が行われるべきではないか。

 ことの重大さは、とてつもなく大きい。
 それは、原発を食品に置き換えてみれば、より明確に想像できる。
 たとえば、多数の人命にかかわる重大事故を起こした会社が、食品に用いられるいかなる物質が危険であるか決めていなかったために、報告義務をおっている危険な事態の発生に気づかず、放置したようなものだ。
 こんな会社が何ら責任を問われず、何ごともなかったかのように存続が許され、以前と同じ商売を続けるなど、社会正義からも、社会常識からもあまりにかけ離れているではないか。
 国に守られた核発電の会社なら何をやっても、何をやらなくても、責任を問われぬまま存続が許されるのか?
 あの当時、福島県どころか、東日本、あるいは日本全体が破壊されかねない状況だったのに……。

 ブログ「あらためて、原発(核発電)の非人間性を想う」へ書いた身近なできごとが裏付けられた。
 共同通信は4月5日、「原発優遇 市場ゆがめる」によって、電力小売全面自由化が形だけのものであるという事実を告発した。

原発の電力は使いたくない」

「価格は高くても再生可能エネルギーの電気を使いたい」


 こうした一般国民の願いが、自由化というスローガンと裏腹に、巧妙な手口で妨げられている。

消費者に提供する電気がどのような発電方式によってつくられたものかを示す『電源構成』の公表が進んでいない

原発事故後、再生可能エネルギーの急拡大に危機感を持った既存の電力会社が『自由化が進んだら高コストの原発は維持できなくなる』と訴え、制限なしに受け入れを拒否することが認められた


 これでは、消費者は発電会社を選びようがなく、発電会社は電力を消費者へ送りようがない。
 

「この結果、原発を抱える電力会社が市場に大量の電力を供給し、小規模な再生可能エネルギーの電気を排除することになる」


 これが現在の電力行政の実態だ。
 膨大な被害者を生んだ世界史的なできごとである福島原発の事故は、原発に群がり目先の利益を求める企業群と、そこから莫大な政治資金を得る政治家によって、あたかも〈なかった〉かのように扱われている。

 ちなみに、福島原発の事故によって国の方向を変えたドイツはこうなっている。

「電源構成はもちろん、発電時に出る放射性廃棄物の量まで公表が義務づけられている」

再生可能エネルギーを最優先で電力網に受け入れ、(再生可能エネルギーを生み出す電力会社に対する)安易な出力抑制を認めない」


 これこそが、日本国民の大多数が望む姿ではないか。
 しかし、日本の電力政策はその正反対である。
 国民の声に背き、原発最優先のまま、何も変わっていない。
 

「真の自由化を実現し、消費者の多様な要望に応えるには、情報公開の徹底に加え、発電設備を持つ既存の電力会社が送電網を支配する体制を早急に改め、独立した送配電会社が発電事業者に公平なアクセスを保証することが重要だ」


 この指摘には、過半の国民が同意するのではなかろうか。
 私たちは本気になって原発問題にぶつからねばならない。
 福島では、吉田所長らのいのちがけの奮闘はもちろん、たまたま溜めたままになっていたプールの水がうまい具合に燃料棒を浸すなど、僥倖としか言いようのない数々のできごとが重なったため、東日本全体や日本全体が破壊されるところまでは行かないで済んだ。
 それでも数十万の人々が直接的・間接的な被害に苦しみ、自死すらも相次いでいる。
 あの時、アメリカ人やドイツ人など、事態を正確に把握していた国の政府から情報を受けた人々は、たちまちに日本から脱出していたことを忘れてはならない。
 メルトダウンにより日本は〈終わる〉と予想されていたのだ。

 政治家の本音を見極め、国民の意思を明らかにしようではないか。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「のうぼう あきゃしゃきゃらばや おん ありきゃ まり ぼり そわか」※今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=IY7mdsDVBk8





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン


2016
04.12

『生存圏』『破壊的国家』『科学の否定』と向きあう ─ティモシー・スナイダー教授の衝撃─

2016-04-08-003-014.jpg

 エール大学教授ティモシー・スナイダー氏は、この先、起こり得る大量虐殺について警告を発した。
 その新著『ブラック・アース』について、朝日新聞の論説委員国末憲人がインタビューを行った。
 以下、4月5日付の記事「ホロコーストの教訓」を抜粋しつつ論点をたどってみよう。

 氏は、ホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)について、人類はきちんと学んでいないと言う。

「欧米でも、ホロコーストはドイツ国家が関与し、ドイツのユダヤ人の身の上に起きた悲劇だと思われてきました。
 実際には、犠牲者の大半がドイツとは関係ない。
 殺されたユダヤ人の97%は、当時のドイツの外にいたのです


「本当に何が起きたのか、実はまだ知られていない。」


 まったく驚かされた。
 なぜ、こうした事実が広く知られていなかったのだろうか?

「アウシュビッツは、100万人ものユダヤ人が殺された現場です。
 ただ、1941年に始まる大量虐殺で、ここが舞台になったのは主に末期の43~44年です。
 なぜ虐殺が始まったのかは、この施設を見てもわかりません」

実際には、犠牲者の約半数が収容所ではなく、公衆の面前で殺されました。
 何が進行しているのか、市民は知っていたのです。」


 ドイツだけでなくさまざまな国の人々が注視する中で大量虐殺は起こった。
 ユダヤ人たちは強権的に連行された密室の中で皆殺しにされたというイメージとかけ離れた実態だ。



「ヒトラーをナショナリストと見なすのは間違いです。
 人種に基づいた帝国を築こうとした彼は、もっと過激な何者かです。
 彼にとって、国家はそのための手段に過ぎなかった。
 ドイツで国家の力が強大化したからホロコーストが起きたと考えるのは、誤りです」

「38~39年のドイツは、当時のソ連ほど強圧的ではありませんでした。
 虐殺を本格化させるのは、ドイツが国境を越えて外に出た後です。
 そこは、バルト3国やポーランドの国家がソ連侵攻で破壊されて生まれた無法地帯でした。
 だからこそユダヤ人虐殺が可能になった。
 国家の有無がホロコーストの決め手となったのです

「つまり、直接ホロコーストの責任を負うわけではないにしても、ソ連が演じた役割は大きい。
 ドイツの求人に応じて虐殺に協力したのも、ソ連の市民でした」


 国家が崩壊した無法地帯で、人々は特定の人々を虐殺する……。
 実行者は「私たちとさほど異ならない人だ」という。
 それはたった今、アフリカや中東の諸国で起こっている光景そのものだ。
 ならば、私たちもいつか同じ道をたどるのではないか。



「現代社会は『犠牲者の立場』に配慮します。
 問題は、『犠牲者だ』と考えること自体が純朴とはいえないこと。
 誰かを攻撃する人々の大半が、自分たちを『犠牲者』と位置づけるからです。
 ナチスも同様でした。
 国際的な陰謀にさらされていると考えたナチスは、すべてを『自分たちを守る行為』として正当化したのです」


 今、北朝鮮は「アメリカから偉大な祖国を守るため」と称して開発を進めている。
 中国もまた「死活的利益を守る」ためと称して海洋進出を進めている。
 ロシアは「専横と暴力からクリミア住民を守る」という上院の決議を元にクリミアへ出兵した。
 常に、「守る」という錦の御旗が立てられる。

「では、何が普通の人を人殺しに変えるのか。
 ドイツの歴史家の多くは、訓練と思想だと考えました。
 確かにそういう面はありますが、私はここでも『国家の破壊』が持つ重要性を指摘したい」

「国家が破壊されなかった西側のフランス国内と、国家が破壊された東側のポーランドやソ連領内とで、ドイツ人は全く違う振る舞い方をしました。
 国家に伴う諸制度が消滅し、無法地帯に陥った東側で不安にさいなまれた人々に、ドイツ人は『国家を再建する代わりに、ユダヤ人攻撃に協力せよ』とささやいたのです。 
 国家の崩壊は、人が殺人者になるうえでの社会学的な条件です。




 私たちはホロコーストから何を学ぶべきか?

「私たちはホロコーストを理念、思想、意図といった面から分析するあまり、物質的な面から分析する営みをおろそかにしてきました。
 しかし、ヒトラーが重視したのは物質面。
 すなわち、限られた資源、土地、食糧を巡る戦いです。
『ドイツ人の絶え間ない闘争をユダヤ人の倫理観や法感覚が妨げている』との考えが、ヒトラーの反ユダヤ主義の基本でした」

「多くのユダヤ人が暮らすウクライナや東欧にドイツが進出したのは、何としてでも豊かな土地を征服し、食糧を確保したいという思いからです。
 生き残りの危機が迫っていると信じ込むようなパニックに陥ったことに、ドイツの問題があった。
 この種の精神状態に加え、国家が消滅した環境、特定の集団を攻撃する思想が重なった時、虐殺が起きるといえます


「ルワンダやスーダンで起きた大虐殺も、生存パニックと国家の崩壊に起因しています。
 現在のシリアにも、国家崩壊の状況がうかがえる。
(イラク戦争で)米国がイラクの体制を転覆させた時も、同様の問題を引き起こしました」


 危機が迫っていると信じ、特定の人々を排斥する動きは、アメリカやフランスを初め世界各国で起きつつある。
 アメリカ大統領選挙では何が叫ばれているか。
 氏は、ここから衝撃的な予想を行う。

「日米欧では、食糧問題をそれほど重大な政治課題だとは考えません。
 でも、例えば中国のような国は、30~40年後に(ナチス・ドイツと)同じような視点から世界を見ていないとも限りません」

「これはもちろん、予言ではありません。
 いくつかの要因が存在することを指摘しただけです。
 大躍進や文化大革命で多数の犠牲を出した経験がある中国は、ナチス・ドイツが30年代に悩んだ『生存圏』に似た問題を抱えています」

「中国の指導部は、消費社会としての生活水準を守ろうと、気を使っています。
 だから、食糧問題には非常に敏感です。
 50年後、中国が土地不足と水質汚染に見舞われると何が起きるか、想像に難くありません。
 一方で、中国が再生可能エネルギーの開発に非常に熱心であるのは、希望を持てます」

「ロシアの行動にはもっと懸念を抱きます。
 2013年からのウクライナ危機以来、ロシアは主権国家をないがしろにする態度を取っているからです。
 ロシアはチェチェンやウクライナで民間に大きな犠牲をもたらし、その後シリアで多数の市民を殺害しています」


 そして、アメリカも大量虐殺にかかわる可能性があると指摘している。

「ヒトラーの『生存圏』の発想の背景には科学不信がありました。
 ヒトラーにとって、科学はユダヤ人がつくった妄想でした。
 現在の米国も、少し似た意識を持っています。
 つまり、 科学の基礎を信じようとしない。
 大惨事を防ぐための技術を認めないのです」


 アメリカ人の中では、進化論を否定し、キリストの復活を事実であると信じる人の割合がずば抜けて多い。
 また、地球温暖化も信じない人々が多いため、中国共々、そうした環境保護の国際組織から一定の距離を置いている。
 ちなみに、3年前に発表された二酸化炭素の排出量における各国の割合は以下のとおり。

・中国:28.7パーセント
・アメリカ:15.7
・インド:5.8
・ロシア:5。0
・日本:3.7
・ドイツ:2.3
・韓国:1.8
・メキシコ:1.5
・ブラジル:1.4
・イギリス:1.4

「問題はむしろ、共和党の内部にあるでしょう。
 米国は先進国で唯一、人口の相当部分が地球温暖化を信じようとしない国です。
 中国には『生存圏』問題があり、ロシアは『破壊的国家』だとすると、米国のお家芸は『科学の否定』です


 これまでに、こうした三国の文化的・政治的問題点を指摘した人はいただろうか。
 ちなみに、弾頭の保有量は、およそ以下のとおりと推定されている

・ロシア:18000基
・アメリカ:10000基
・中国:400基
・フランス:350基
・イギリス:200基
・インドとパキスタン合計:100基

「米国がイラクを攻めた時のことを思い出してください。
 国家が破壊されたイラクで、米兵は故郷では決してしない虐待行為に手を染めました。
 米国は豊かで安定した大国なのに、すでに異常なことをしでかしているのです。

 ホロコーストを正しく理解していたら、米国はイラクを破壊しようなどと考えなかったに違いありません」

「私たち個人がすべきことは、自らの歴史の暗部をしっかりと見つめることです。
 それは『日本は正しい』『米国が悪い』などという評価とは次元が違う話です。
 自分の国が他の国の人々に何をしたのか。
 世論操作を受けないためにも、私たち一人ひとりがじっくり考えるべきでしょう


ホロコーストは歴史上の特異な出来事だと思われています。
 でも、それを引き起こした原因は今もあちこちに見いだせるのです


 私たちが学校で習った範囲では、〈ホロコーストはヒットラーという悪魔的人物が独裁的に行った特異な仕業である〉というイメージだった。
 しかし、人間が人間を大量に虐殺するという行為は確かに世界中で行われてきた。
 それはいまだに行われており、アメリカ・ロシア・中国を含む各国にすら、これから起こり得る深刻な「原因」が潜んでいる。
 私たち一人一人が目を見開き、一人間として何をなすべきか、日本はいかなる道を歩むべきか、自分の頭でよく考えてみたい。
 幸いにして、今の日本は、「生存権」確保への恐怖、「国家破壊」への願望、「科学否定」の文化、いずれとも縁遠い状態にある。
 そうしたものに巻き込まれず、日本と日本人をいかして保って行くか、課題は重い。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。




「おん ばざら たらま きりく」※今日の守本尊千手観音様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=IvMea3W6ZP0





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村
 
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン

 

2016
04.11

〈無常〉から〈変わらざるもの〉へ ―『チベットの生と死の書』を読む(15)―

2016-04-08-021-006.jpg

〈祈りの場に咲くもの〉

○変わらざるもの

 ソギャル・リンポチェ師は『チベット生と死の書』において、恐怖や不安が友であると説く。

「西洋の詩人ライナア・マリア・リルケは、わたしたちの深奥にひそむ恐怖は、わたしたちの深奥に眠る宝を守る龍である、といっている。
 無常がわたしたちのなかに呼び覚ます恐怖、何ものも実体を持たず、何ものも永続しないという恐怖、この恐怖がわたしたちのもっとも大いなる友であるということを、わたしたちはやがて知ることになるのである。
 なぜこの恐怖が友なのか。
 なぜなら、この恐怖ゆえに、わたしたちはみずからにこう問いかけるようになるからだ。
『森羅万象すべてのものが死にゆき、変わってゆくのなら、本当の真実とは何なのか。
 事象の向こうに何かがあるのか。
 果てしなく限りなく広やかなる何かが、そのなかで変化と無常がダンスを踊る何かが、そこにはあるのか。
 本当に頼りとできる何かが、死と呼ばれるものをこえて生きる何かが、そこにはあるのか』
と。」


 師は〈問題意識〉について語っている。
 あらゆるものが無常であり空(クウ)であるならば、私たちの存在意義はどこにあるのだろうか?
 鴨長明は『方丈記』に書いた。

「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。
 淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。
 世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。」

 人間も、家も、川の淀みにポッカリと浮かんではすぐに消えてしまう水の泡のようなものであれば、私たちの営みはすべて、あまりにも空しいではないか。
 束の間の生にいかなる意味があるのだろう?
 こう、問わずにはいられない恐怖や不安や焦燥こそが、目に見える無常な世界の〈向こう側〉を観るための第一歩となる。
 そして、生きるために、社会的存在であるがゆえの役割を果たすために、さまざまなものを得る努力をしつつ、それら〈空しいもの〉にすがらない心で生きていると、現象世界の意義や価値が徐々に姿を顕してくる。

「手放すことについての観想と実践をたゆまずつづけていると、自分のなかに何かが、何か名づけえないもの、語りえないもの、概念化しえないものが姿を現してくる。
 この世界にあまねく変化と死の、その向こうに横たわる『何か』をわたしたちは実感しはじめる。
 そして、不変への妄執がもたらす偏狭な欲望と気散じが、崩れ、消えはじめる。」


 我欲(ガヨク)が薄れれば、つまらぬ怒りが起こらず、愚かしい考えも持たなくなる。
 慈雲尊者(ジウンソンジャ)は説かれた。

「貪欲(トンヨク…貪り)ある者は必ず瞋恚(シンニ…怒り)あり。
 瞋恚ある者は必ず貪欲あり。
 その悪不善法たることは一つなり。
 貪欲を離るれば瞋恚も薄くなり、瞋恚を離すれば貪欲も薄くなる。
 その善功徳たることは一つなり。」

 すがっても甲斐のないものへすがらなくなれば、何もなくなるわけではない。
 師の説く「偏狭な欲望と気散じ」という邪魔ものがなくなるだけのことである。
 それでもなお、自分は生きており、生きものたちも生きている。
 ただし、ここで気づかれた〈生〉と〈存在〉は、貪り、怒り、真理を離れた考えに縛られていた時のそれと同じではない。
 自分の生き方が変わることによって、〈生〉と〈存在〉もまた、異なる相貌を見せ始めるのだ。

「こういったことが起こるようになると、無常の真理の背後に広がる広大な意味がときおり燃えたつようにきらめくのを、わたしたちはかいま見るようになるだろう。
 それはまるで、これまでのいくつもの生にわたって暗雲と乱気流のなかを飛行機に乗って跳びつづけてきたわたしたちが、ひときわ高く舞い上がり、見わたすかぎりの晴れわたった空のなかに飛び出したようなものだ。
 この新たなる自由の次元に飛びこんだことに刺激され励まされて、わたしたちは自己の深みにある安らぎ、喜び、信頼を見出す。
 それはわたしたちを大いに驚かすだろう。
 そして、わたしたちのなかに『何か』があるのだという確信を、何ものにも打ち壊されることのない、何ものにも変化させられることのない、けっして死ぬことのない『何か』があるのだという確信を、徐々にしっかりと根づかせてゆくことになるだろう。」


 師は聖者ミラレパの言葉を挙げる。

「死を恐れて、わたしは山に逃げ込んだ
 日夜、死の時の定めがたさについて瞑想を繰り返し
 不死にして不滅の心の本質をわがものとした
 今、死の恐怖は消え去った」

 問題意識と問い続ける生き方は、救いへと結晶する。

「わたしたちは何なのか、わたしたちはなぜここにいるのか、わたしたちはいかに振る舞うべきなのかといったことが、個人的に、まったく非概念的に、明かされるのである。
 こういったことのすべてが最終的にたどりつくのは、他でもない、新しい生、新しい誕生である。
 それを復活と呼んでもかまわない。
 変化と無常の真理について、絶え間ない、恐れを知らぬ瞑想をつづけてゆくうちに、やがて感謝と喜びのうちに、不変の真理に、不死の真理に、不滅の心の本質に、向きあっている自分に気づくのである。
 何と美しい、何という治癒力をそなえた神秘であることか!


 仏教の修行、あるいは仏法を体した生活は、このように意識も意欲も変える。
 こうした意識の転換を転識得智(テンジキトクチ)と言い、転換した清浄な意欲を大欲(タイヨク)と言う。
 版画家棟方志功は晩年、こう言った。

「俺もとうとう自分の作品に責任を持たなくてもよいようになってきた。」

〝この俺が自分に恥ずかしくないような作品を創る〟という意識から離れて創作活動ができるようになったという意味だろう。
 彼はいつしか、自分が生み出すラカンさんや観音様に導かれていたのだろうか。
 師の言う「治癒力をそなえた神秘」とは、根源的な救いの世界を述べて余すところがない。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「おん あみりたていせい から うん」※今日の守本尊阿弥陀如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=4OCvhacDR7Y





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン


2016
04.10

あらためて、原発(核発電)の非人間性を想う ─身近な現実─

2016-04-08-012-008.jpg

〈お大師様へ過去の罪業を詫びて許される衛門三郎〉

 四国から帰山して早々、原発に関する生々しい話を聴き、あらためてその非人間性を想わされた。

1 身近な現実

 Aさんは太陽光発電を計画し、土地の取得をはじめ許認可などの手はずを整えた。
 着手するため、最終的な見積作業に入ったところ、とんでもない事態が待っていた。
 システムから電線を伸ばす電柱を建てるための費用が、当初の数倍に膨れ上がっていた。
 電力会社とかけあっても「資材などの高騰」という決まり文句が返ってくるだけで埒があかない。
 Aさんは、一般からの電力を買いたくない、ソーラーをやらせたくないという電力会社の強い意志をあらためて痛感させられた。
 そして、その後盾となっている政府の原発稼働という方針に強い憤りを感じたという。 
 Aさんは、福島原発事故を起こして間もなく、ドイツのメルケル首相が語った言葉を忘れられない。 
 

「極めて高度な科学技術を持つ国で福島のような事故が起きたのを目の当たりにし、原発には予想しないリスクが生じることを認識した」


 そしてドイツは脱原発に舵を切った。
 安全神話が崩れた日本でも同様な受けとめ方が広がったはずなのに、オリンピック騒動やカジノ構想などの華々しい花火によって、被災者以外の人々の頭から「リスク」の恐ろしさが忘れられつつある。
 企業家であり義侠心もあるAさんは、自分がやらねばと立ち上がったものの、巨大な壁を前にして重大な決断を迫られている。

 Bさんは知人から「どうしても」と頼まれ、社員を福島の事故現場へ派遣した。
 団結力の強い社員たちは、一言の文句も不安も口にせず、でかけた。
 しかし、間もなく、古参幹部から切実な情報が寄せられた。

「社長、実は、福島へ行くと家族に言えない者が何人もいます。
 毎日、別な現場へ行くと言ってでかける彼らの気持を考えるとたまりません。
 社長もおわかりのとおり、現場で一緒にはたらく人々の雰囲気も、あまりに異様です。
 科学的にどの程度、被曝するかという事実よりも、被曝への不安と、事故を起こした原発ではたらかねばならないところまで追いつめられた作業員の切迫感が尋常ではありません。
 被曝など身体の問題はもちろんですが、きっと、心がやられる者が出てきます。
 部下たちがあまりに不憫なので、申し上げました。」

 Bさんは、ただちに派遣を中止したという。

2 河合弘之弁護士の戦略

 テーブルを囲んでの勉強会で河合弘之弁護士から聴いた脱原発への〈戦略〉を思い出した。

○省エネに励もう

 私たちがエネルギーの消費量を減らせば、その分だけ発電施設を用いず、施設を造らないのと同じことにになる。
 アメリカで最も電力を使っているのはペンタゴンであり、30パーセントの削減命令が出されている。
 軍事上の被害のうち30パーセントは燃料補給の段階で発生しているので、限りなく現地調達を目ざしている。
 世界の歴史を眺めれば、資源の奪い合いが大戦争の原因になっており、エネルギーの争いがなくなれば、戦争原因も除去できる。
 現在、諸外国の現状を視察した結果をまとめて、映画「自然エネルギー ─未来からの光と風─」を制作中である。

○自然エネルギーを進めよう

 自然エネルギー産業への労働吸収力を増やせば、原発ジプシーと呼ばれる危険で不安定な雇用の労働者に頼らない経済が確立できる。
 ドイツでは自然エネルギーへの信頼が高まり、すでに、供給電力の30パーセントを超えている。
 自然エネルギー産業儲かる分野として育成し、爆発的発展を引き寄せたい。

○運転を差し止める訴訟を起こし、危険な再稼働を遅らせよう

 東日本大震災前の差し止め訴訟は20連敗だった。
 半世紀にわたって行われてきた「安全安心キャンペーン」が裁判所にも染みついていた。
 福島原発の事故という現実によって、裁判所の気配も変わってきた。
 原発は安全なものとして扱うことができないというあまりにも明らかな事実が認識されるよう訴え続ける。
 また、具体的避難準備ができないうちに再稼働させるのは非人道的であることも重大だ。

3 ジャーナリスト山岡俊介氏の告発

 40年以上にわたって世界中の原発労働者被曝問題を取材してきた山岡俊介氏が福島原発事故から半年後に現場を取材した『福島第一原発潜入記』は、作業員としてはたらく人々の真実を述べている。
 そのエピローグである。

「ボクが原発作業員の生の声にこだわったのは、原子力発電は、事故のときだけでなく、日常的に作業員の被曝リスクのうえに成り立っているという現実を知ってほしかったからだ。」


 上記のBさんの証言も、あまりに生々しい。
 人間の肉体も精神も蝕みつつ発電した電力で、私たちはいったい、いかなる幸せがつかめようか?
 現代人の倫理観が厳しく問われている。
 今回の事故で膨大な被害者が出たように、子々孫々へいったい、どれだけのツケが回ることか……。
 考えるだに恐ろしいではないか。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「おん あみりたていせい から うん」※今日の守本尊阿弥陀如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=4OCvhacDR7Y





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン


2016
04.09

健全な肉体と健全な精神の話(その2) ─コントロールのこと─

2016-04-08-012-002.jpg

1 私たちが欲するものの危険性

 四国遍路を前にして、「健全な精神は健全な肉体に宿る」の虚構性を知り、難問を抱えながら巡拝してきた。(ブログ「健全な肉体と健全な精神の話(その1)」)
 そもそも、古代ローマの詩人ユウェナリスはこう言ったのだ。

「健やかな身体に健やかな魂が願われるべきである」


 その理由は、多くの人々が手に入れたいと切望する〈富・地位・才能・栄光・長寿・美貌〉などが身の破滅をもたらしかねないからである。
 しかし、私たちは、社会に生きる生きものとして、それなりの衣食住や人間関係などを欲しがらずにはいられない。
 寒い時期にシャツしかなければ心もとなく、風邪をこじらせて死ぬかも知れないし、暑い時期に毛皮で身体を覆うしかなければ、ネアンデルタール人が寒暖のくり返しへ適応できずに滅んでいったように、健康な日々は望めない。
 地位があれば自分の意思を通しやすく、才能があれば周囲から認められやすく、賛辞があればやりがいも生まれ、長寿であれば人生の四季を知り、美貌があれば異性の関心を惹きやすい。
 つまり一般的に、富や地位などは人生を明るくする材料と期待されている。

 それにもかかわらず、それらは人生を破滅させかねない。
 4日間テレビを観ず、新聞を読まずに帰山したら、男子バドミントン界のエースと目されている桃田・田児両選手が闇カジノで賭博をしていたことが発覚し、ニュースになっていた。
 先輩の田児賢一選手(26才)は賭博で借金を抱えており、桃田賢斗選手(21才)は普段から高級時計などを身に着け、派手好きだったという。
 若く、人一倍健康な彼らは、地位にも名誉にも財産にも恵まれていた。
 そして転落しようとしている。

2 危険なものをコントロールする

 彼らほど飛び抜けて恵まれてはいない私たち凡人は、とんでもないと柳眉を逆立てたり、ざまあみろと溜飲を下げたり、別世界のできごとと知らん顔をしているだけでは、情報が生きない。
 凡人の多くも、なにがしか、後ろめたさを伴うことごとで日常生活のバランスをとっているものだ。
 臨時収入をパチンコですってしまったり、人妻がスポーツクラブのインストラクターに熱を上げてしまったり、ロクでもないことをやる。
 大々的なニュースに接し、ニュースにならない自分の姿を客観的に眺めるきっかけとすれば、〈あそこ〉までは行かないための小さからぬ歯止めになることだろう。
 孔子は、「水清ければ魚棲まず」と言った。
 清廉過ぎる人は他人が近寄りがたく、孤立しがちになるとの教えである。
 いわゆる聖人君子然とした堅物には人望が集まりにくい。
 それは、一人の人間の内面を観ても、似た事情になっている。
 パチンコや横恋慕は決して推奨されるものではないが、そのような部分があってようやく、私たちは人の道を大きく踏みはずすことなく生きていられるのではなかろうか。
 全体としてまっとうであれば、人として立派なものであると思える。

3 手段目的

 さて、私たちがぜひ考えたいのは、地位や名誉や財産や健康などは、いずれも、それらを得ることが人生の〈目的〉とはなり得ないことである。
 地位であれ、お金であれ、健康であれ、計り得るものはすべて、根源的価値を持たない人生の〈手段〉だ。
 それらを何のために用いるかという目的にはその人なりの人生をかけた価値観が伴い、この価値は計数化できない。
 たとえば私たちがお金が欲しいと思う時、それを使う目的の価値はどうなっているだろう?
 たとえば私たちが政治に経済発展を望む時、経済の膨張が私たちへいかなる人生上の価値をもたらすと考えているのだろう?

 ちなみに、ホセ・ムヒカ前ウルグアイ大統領は、水資源と環境問題が人類の取り組むべき最も大きなテーマではないと言う。

「マーケットをコントロールしなければならない。
 根本的な問題は、私たちが実行した社会モデルなのだ。
 私たちは生活スタイルを見直さねばならない。」


 あらゆる文化の多様性を無視し、国家の枠を超えて消費社会を煽り、馬のような私たちの目の前へおいしそうなニンジンをぶら下げ、世界中から富を集めるごく一部の人たちが操っている世界規模の経済システムこそが、人類にとっての大問題であると警鐘を鳴らしている。
 彼は、数値的にはかられる経済の発展そのものに価値があると考えさせられている私たちの錯覚を衝く。
 私たちは、〈目的〉を考えないよう、数値化した〈手段〉によって目くらましをさせられているようなものだ。

 私たち一人一人が生活に〈価値〉を感じられるよう役立つ政治には〈救い〉という要素が欠かせないはずだ。
 それは、さまざまな面で、持てる者から持たざる者への分かち合いが行われるようなシステムを構築し、動かす政治である。
 欠かせないものは「コントロール」である。
 あらゆるコントロールを拒否するグローバリズムや自由競争へ任せたままの政治に〈救い〉のあろうはずはない。

4 修行と成満

 どうにか、四国遍路の3分の1は成満した。
 それぞれなりの〈価値〉を求めた旅は無事、終わった。
 成満のためにこそ、歩き、祈れるだけの健康が求められ、願われた。
 全員が年配者であり、言葉には出さなくても、何かを抱えつつ乗り切った。
 そのためには、その人なりのコントロールが欠かせなかった。
 コントロールがユウェナリスの言う「健やかな身体」と「健やかな魂」をもたらした。
 コントロールする過程全体が修行であるとも言える。
 お釈迦様は何と説かれたか?

「身体と言葉と言葉による欲望のコントロールこそが修行である」


 健康が手段であり、心の清めが目的であるとしても、二つは切り離せない。
 手段は、目的によって価値あるものとなり、価値を持つ目的は、しっかりした手段によって達成された。
 そこに確かな価値が生まれた。
 これから、成満された方々は、じっくりとその価値を味わうことだろう。
 そして誰一人、自分の力だけで達成されたと思う人はいないに違いない。
 あらためて〈おかげさま〉を知ったのだ。
 南無大師遍照金剛。
 



 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「のうまく さんまんだ ばざらだん かん」※今日の守本尊不動明王様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=EOk4OlhTq_M





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン


2016
04.08

今月の寺子屋は、四国巡りのお話です

 今月の寺子屋法楽舘」では、四国八十八か所巡拝のお話をします。
 画像処理が間に合えば、今回、巡拝した写真もお目にかけられます。
 四国霊場は、日本の宝とも言うべき〈生きた聖地〉です。 
 ご関心のある方はどうぞ、おでかけください。

・日時:4月9日(土)午後2時~
・場所:法楽寺講堂
・参加費:千円(中学生以下:五百円)
・送迎:午後1時30分に地下鉄泉中央駅そばの「イズミティ21」前から送迎車が出ますので、乗車を希望される方は前日午後5時までに電話(022-346-2106)などでお申し込みください。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「のうまく さんまんだ ぼだなん あびらうんけん」※今日の守本尊大日如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=LEz1cSpCaXA





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン


back-to-top
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。