--
--.--

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

2016
09.30

栗原市一迫で祈ること

2016-09-30-0001.jpg
〈「星と写真の部屋」様よりお借りして加工しました〉

 いよいよ栗原市での活動を始めます。

 栗原市伊豆沼へ飛来するマガンなどを保護し続ける「日本雁を保護する会」の呉地正行会長にはかつて、当山の寺子屋にてご講演をいただき、会長は、大自然を家とする生きものたちへの畏敬を教えてくださった。
 そして、マンダラのような多様性と互いの関連性が生きものたちを生かしており、それらを破壊し、種の絶滅さえもらたしつつある私たちの愚かさも語られた。
 40年以上の活動が実を結び、渡り鳥たちは順調に飛来するようになり、ラムサール条約湿地に登録された蕪栗沼・周辺水田では「ふゆみずたんぼ」が広がりつつある。

 福島原発の事故により放射性物質が降りそそぎ、農林業がダメージを受け、しかも放射性物質の最終処分場候補とされた栗原市
 事故現場から遠く離れた地域なのにキノコが出荷できず、牧草も使えない人々は天を仰いでおられた。
 岩手・宮城内陸地震で土砂に呑み込まれた旅館「駒の湯温泉」跡で、いったん打ち切られた行方不明者の捜索が再開され、災害から一年以上経って二人とも発見された栗原市
 お身内の方は「早く土から出してあげて空気を吸わせたいと思っていた」と語られたのだった。

 故菅原文太は、太平洋戦争の際、東京から疎開した築館中学校に通い、田舎での体験はやがて民間非営利団体「ふるさと回帰支援センター」の名誉顧問就任、国民運動グループ「いのちの党」結成へなどへつながった。
 衆議院議員武藤貴也氏が会食の席上、法律を変え自衛隊を出動させてでも中国船舶を追い払い日本の名誉を守れと主張した時、一喝した。
「君が行くのか。そこで一発でも銃弾が飛んだら戦争に発展し自衛官の命が失われる。それでもいいのか?名誉など後でいくらでも取り返せるが人命はそうは行かない。君は何も分かっていないんだ。帰れ」

 ご縁をいただいた栗原市一迫真坂は、典型的なシャッター街です。
 日中、歩いている人はあまり見かけません。
 人の出入りが多いのは地域のほぼ中央にある銀行と、「しんこもち」屋さんくらいなものです。
 たった一軒のお寿司屋さんも、つい最近、店じまいをされました。
 こうした地域に仏神のご加護をいただき、ご縁を求める方々のためになれるよう、地道に祈り始めます。
 スケジュールの関係上、第一日曜日の夕刻となってしまいますが、祈りに参加されたい方、関心がおありの方、ご相談ごとがおありの方はどうぞお気軽におでかけください。

・日時:10月2日(日)午後5時より
・場所:栗原市一迫真坂本町一番地
・問い合わせ:022(346)2106

 最後に、平成25年10月12日、呉地正行会長をお招きして行ったシンポジウムにおいて、「生きものの賑わいは、なぜ必要か」というテーマにおいて会長が引用された『酋長シアトルからのメッセージ』を再掲しておきます。

「亡き祖母の声は、こう語った
 おまえが教わってきたことを、おまえの子らに教えなさい。
 大地はわたしたちの母であることを。
 大地にふりかかることはみな、大地の息子とむすめにも、ふりかかるのだということを。」
 
「建てることや所有することへのきりのない欲求のために、
 私たちは、かえって、持っているもののすべてを失いかねない。」

 万葉集においてホトトギスの次に多く題材とされたガンを呼び戻すことが、失われつつある生態系の回復につながると考え、東北大学を去ってまで活動家になられた会長の志が伝わってくる引用ではありませんか。
 守るべきものを守りたいものです。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。




「おん あらはしゃのう」
※今日の守本尊文殊菩薩様の真言です。どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=WCO8x2q3oeM





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン


スポンサーサイト
2016
09.29

10月の守本尊様と真言 ―阿弥陀如来―

2016-09-29-0001.jpg
〈ご加持の印〉

 10月は、寒露(カンロ)と霜降(ソウコウ)の神無月(カンナヅキ…10月8日より11月6日まで)です。
 10月は戌(イヌ)の月なので、守本尊阿弥陀如来(アミダニョライ)様です。

 阿弥陀如来様は、『遍處行智力(ヘンショギョウチリキ)』をもって、人々がどのような世界へ行こうとしているかをご覧になり、地獄界や餓鬼界などの悪しき世界へ入らぬよう、お導きくださいます。
 正しく念ずるならば、そのお力により、必ず善き所へ連れて行ってくださるのです。
 また、阿弥陀如来は、戌亥年生まれの善男善女を一生お守りくださる一代守本尊様でもあり、身体においては、主として脚をお守りくださいます。
 そして、特に今年、数え年で2才、11才、20才、29才、38才、47才、56才、65才、74才、83才、92才、100才の方をご守護くださいます。
 ご供養し、ご守護いただき、心豊かに、無事安全に過ごしましょう。

「それ衆生(シュジョウ)界一切の○業障重罪(ゴッショウジュウザイ)ことごとく○消滅すまで大慈悲の○無量の願を捨てざると○誓約された阿弥陀仏○三密加持(サンミツカジ)のその時に○目(マ)の当たりにぞ拝すなり」


(生きとし生けるものたちすべての悪行による悪しき影響力や障りを招く可能性、そして重い罪そのものをことごとく消滅させるまで、無限の願いを捨てないと約束された阿弥陀如来を、私たちは、身体と言葉と心とをみ仏と一体化させるその時に、ありありと拝することができる)

 私たちは、うわべだけでなく、心の底から自分自身を省み、身体でよきことを行い、思いやりのこもった言葉を用い、み仏の世界やお姿を心に描く時、慈悲の権化(ゴンゲ)である阿弥陀如来様のお力やお姿を感得せきるかも知れません。

「亡き人と○一切衆生(シュジョウ)の成仏を○至心に廻向(エコウ)・祈念して○阿弥陀如来の真言の○無量無辺の加持力(カジリキ)と○利益を信じ誠心(ヒタスラ)に○大師と共に誦持(ジュジ)すれば○阿弥陀の光に包まれて○その法悦に随喜(ズイキ)せん」


(亡くなった人と、生きとし生けるものが成仏できるよう、心の底から、自分の善行がもたらすよい影響力をふり向け、成就するよう祈り、阿弥陀如来の真言が持つ限りない救済力を信じつつ、お大師様と一緒に唱え、没頭すれば、やがて阿弥陀如来の光に包まれ、ご加護を受けている実感を喜べることだろう)

 四国遍路をする人はすべて、心に「同行二人(ドウギョウニニン)」の思いを抱き、「南無大師遍照金剛」と唱えます。
 どこでもお大師様と一緒であり、どこの札所におられるご本尊様に対しても、お大師様と一緒に般若心経や真言を捧げ、善願の成就を祈ります。
 お不動様やお地蔵様や阿弥陀様など、各札所におられるどなたもが、まごころを捧げる善男善女へ救いの手を差し伸べられます。
 まごころを捧げる具体的な方法、すなわち、即身成仏(ソクシンジョウブツ)する方法が、身体と言葉と心をみ仏に一体化させることであり、合掌し、真言や経文を唱え、心が清浄になってご本尊様と一体化すれば、「加持力」に包まれる状態と言えるのです。
 その〝ああ、お救いいただいている〟という実感こそが「法悦に随喜」と称する中身です。
 
2012097.jpg

 写真は、永代供養を行ってご加護を受けるため、当山の講堂へ納められた阿弥陀如来様です。
 総丈は約35㎝あり、日本で唯一、護摩を焚いてできた灰が体内へ納められています。(奉納受付中)

 10月守本尊阿弥陀如来(アミダニョライ)様をご供養しお守りいただきたい時、願いを成就させたいと念じる時、つらい時、悲しい時、淋しい時は、合掌して真言(真実世界の言葉)をお唱えしましょう。
 たとえ一日一回でも、信じて行なえば、ご本尊様へ必ず思いが届きます。
 回数は任意ですが、基本は1・3・7・21・108・1080回となっています。

「おん あみりたていせい から うん」

今月の真言をお聞きになるにはこちらをクリックしてください。音声が流れます


※お聞き頂くには 音楽再生ソフト が必要です。お持ちでない方は、
 こちらから無料でWindows Media Player がダウンロードできます。





 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「のうぼう あきゃしゃきゃらばや おん ありきゃ まり ぼり そわか」※今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=IY7mdsDVBk8





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン


2016
09.28

「裏勝り」なバーがある

2016-09-28-0001.jpg
〈「着物さくさく」様よりお借りして加工しました〉

 仙台市営地下鉄泉中央駅の近くに年配者も立ち寄れるバーがある。
 かつて、一度しか行ったことはないが、あるシーンが心から離れない。

 久方ぶりに「裏勝(ウラマサ)り」を見たのだ。
 高校生の頃、江戸時代の「奢侈(シャシ)禁止令」について習った。
 贅沢(ゼイタク)を敵視し、質素倹約を旨とするよう指示するお達しだが、もう一つの狙いもある。
 身分制度を守るために、分相応の服装を強いたのだ。
 
 しかし、安定した時代に生活を楽しむ人々は、「はい、そうですか」では済まなくなる。
 感性が〝佳い〟と反応することを制御することはできない。
 こうした背景で「裏勝り」という美意識が生まれたらしい。

 男性用の羽織は普通、地味な色合いだ。
 それをきちんと身につけて歩くのは、着流しよりも落ちついた風情があり、他家を訪ねる際などの礼儀にもかなっている。
 こうした羽織裏地は当然、材質も色合いも質素に作られた。
 ところが、ケンカと色恋が大好きな江戸の男性たちは気づいた。
 〝いざという時、パッと脱いだ羽織裏地が鮮やかだったらどんなに粋だろうか〟
 しかも、裏地は脱がない限り見えないので、過差(カサ)として取り締まられることもない。
 羽二重(ハブタエ)などの高級地を用い、色、柄共に凝った羽織裏地を楽しむ「裏勝り」は、江戸の男女を虜にした。
 
 さて、バーの「裏勝り」はトイレのそばにあった。
 私たちは必要に駆られてトイレへ向かうので、扉をめがけてまっすぐに進む。
 周囲のものはあまり、目に入らない。
 このバーでは、自分の席へ戻ろうとした時に、通路脇の生け花が目に入る。
 しかも豪華な作品は、視線の高さなどに飾られているのではなく、普通なら扉が付いて掃除用品などが入れられるような場所に置かれている。
 だから、その存在に気づかなかったり、あまり目にとめない酔客も多いらしい。

 トイレから戻り、落ちついた感じのママさんへ言った。
羽織裏地ですね」
 ママさんは応えた。
「あれが飾れる限り、やって行こうと思っています」
 この店が何に勝負をかけて営まれているか、わかるような気がした。
 希有(ケウ)な店の名はMARLマール)という。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「のうぼう あきゃしゃきゃらばや おん ありきゃ まり ぼり そわか」※今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=IY7mdsDVBk8





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン


2016
09.27

犬と猫の寿命は延びたが……

2016-09-27-0001.jpg

 東京農工大と日本小動物獣医師会の調査によると、日本でペットとして飼われている平均寿命が過去最高になった。
 平成26年現在、13・2歳、11・9歳である。
 過去25年間で、は1・5倍、は2・3倍に延びた。
 ワクチン接種の普及などにより感染症対策が進んだことが主たる理由である。
 また、屋内で飼われるなど、生活環境がよくなったことも影響しており、のワクチン接種率が低いことを見ても、寿命はまだ延びる可能性が高いという。

 昔はを飼い、今はを飼っている小生の実感としては、屋内飼育という環境の変化はもちろんだが、何よりも食べる餌の質が上がり、薬や医療が進歩したことが寿命を延ばしていると思う。
 人間が高齢化しているパターンとまったく同じである。

 は血統によって寿命に顕著な違いがあり、は雄雌で違う。
 ちなみに、の純血種は12・8歳、雑種は14・2歳。
 猫の雄は11歳、雌は12・9歳。
 いろいろと考えさせられるデータではある。

 また、ペットのご葬儀やご供養をしている者の実感としては、この調査から約2年を経過している現在、寿命はきっとさらに大きく伸びていると思う。
 犬の15歳や猫の13歳は当たり前といった感じである。

 Aさんは大型犬を居間の真ん中で飼い、ついに寝たきりになったので、床ずれしないよう、不眠不休の介護をして送った。
 もう一匹は認知症になったのか、夜と昼の生活が入れ替わってしまったので、それに合わせて餌やりなどをしているうちに、自分が体調を崩してしまった。
 Bさんは、立派な高齢者で病気も抱えているが、「歳とった猫たちを全員送るまではあの世に行けません」と明るく笑う。
 Cさんは、捨てられる犬たちへ手を差し伸べているうちに使命感が募り、ついに支援組織を作って生涯をかけることにした。

 ところで、人間もペット長寿は結構だが、遠からず、大きな転換点を向かえることだろう。
 科学技術が進み、生活レベルが上がる一方で、人間の格差が各方面で広がり、進歩の恩恵にあずかれない人々が続出し、それに伴って哀れなペットたちも増えるに違いない。
 所得や学歴だけでなく、医療や食事といった面でも凄まじい勢いで格差が広がりつつあり、それはすでに世代間で受け継がれ始めている。
 富裕層に飼われる高級なペットたちはますます長生きし、一般庶民に飼われるペットたちの寿命は近々に頭打ちとなり、やがては捨てられ、殺される者が続出するだろう。
 かつて、当山で生まれた仔猫たちを欲しい方々へお届けした時、飼われる環境の違いを痛感させられた。
 人間の呻きを慰めるペットたちは、人間の生活レベルの範囲内でしか生きられないのだ。 
 Cさんたちの〈善意の連帯〉にも限度があろう。

 ペットの長寿を手放しで喜べないのは、団塊の世代長寿を手放しで喜べないのと同じである。
 高度成長時代の貯えを持った世代が去り、次の世代が遺産を消費し、あるいは国際資本に奪われた先はどうなるか?
 生々流転のこの世では、あらゆるものが〈満つれば欠ける〉運命を逃れられない。

 犬の13・2歳は、人間ならばおよそ69歳、猫の11・9歳は、人間ならばおよそ64歳だとされる。
 それはもっと延びるかも知れないが、一般人の生活向上は、すでにピークを過ぎた。
 冒頭の調査が行われた平成26年、年収300万円以下の人口はついに全給与所得者の4割を占めた。
 国家の豊かさを示すGDP(国内総生産)は世界第3位なのに、OECD(経済協力開発機構)の調査による貧困率において世界第4位である。
 ここ数年で就職率は上がったが、可処分所得は下がっている。
 国民の大部分が安い給与で使われる仕組みは着々と進行している。

 犬や猫の寿命は延びた。
 しかし、人間の生活そのものの質はどうか?
 テレビの画面には千円以上のラーメンや、五百万円以上の高級車などが紹介されているものの、多くの庶民には無縁だ。
 別の画面のお笑いで慰められつつ日々を送る間に、日夜、いっときの休みもなく格差は拡大し続けている。
 それはきっと、犬や猫の未来にも暗雲となることだろう。
 多くの国民が犬や猫と一緒に安心して長寿を喜べる社会になって欲しいと、心から願う。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。




「おん ばざら たらま きりく」※今日の守本尊千手観音様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=IvMea3W6ZP0





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村
 
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン

 

2016
09.26

薬草も毒草も生きる世界 ─10月の聖語─

2016-09-19-00063.jpg
〈一迫別院は、地域の氏神様を引き継ぎます〉

 10月の聖語です。
 お大師様は説かれました。

「大山、徳広ければ、禽獣(キンジュウ)争い帰し、薬毒まじり生(オ)う。
 深海、道大いなれば、魚集まり泳ぎ、龍鬼(リュウキ)並び住む。」


(大きな山は、広大な徳を持っているので、鳥もけだものも、争うように集まり、棲み、薬草毒草も混じり合って育つ。
 深い海には生きる道がたくさんあるので、魚たちが集まり、暮らしているが、龍や鬼なども住む)

 これは、お大師様が法相宗(ホッソウシュウ)という宗派の特徴を示した文章の一節ですが、そのまま、密教が説くマンダラの表現にもなっています。
 山と海は自然界を意味し、そこでは文字どおり、あらゆる生きものたちが暮らしています。
 それらは、人間の都合による善悪や好悪などの判断を超えており、たとえば、人間によって薬にされる薬草も、食べた者を害する毒草も、それなりの場所で共生・共存しています。
 人間の食卓に並ぶ魚も、災厄を及ぼす凶暴な龍や鬼たちも、海はすべて受け容れ、生かしています。

 世界はこのように人間の思惑を超え、絶妙のバランスで成り立っており、〈共生〉こそが、ありのままの姿であると言えます。
 その真実を象徴的に描くのがマンダラです。
 だから、マンダラには根本仏である大日如来や、その使者である不動明王や、大日如来の徳を分け持つ阿弥陀如来や文殊菩薩などのみ仏だけでなく、血肉を食らう毘舎遮(ビシャシャ)、あるいは屍体を貪る女夜叉(ヤシャ)である荼吉尼天(ダキニテン)なども描かれています。
 私たちは、〈共に生きる〉以外、生きようがありません。

 しかし現在、私たちは、何もかもを〈人間中心主義〉で覆い過ぎてはいます。
 異常気象が教えるとおり、環境への並はずれた影響力を持つ私たちは、目先の快適さを求めるあまり、知らぬ間に、あるいは知っていながら、あまりに環境の破壊を進め過ぎました。
 もはや、悪因悪果の因果応報は明らかです。
 私たちが酷い苦しみを感じ始める前に、もう、他の生きものたちは苦しみ、絶滅させられてもいます。
 私たちが「大山」の「徳」を消滅させ、「深海」の「道」を埋めてしまうならば、マンダラは成り立たず、いのちは萎み、消えて行くことでしょう。
 
 生きとし生けるものものはすべて、この世全体のバランスによって生かされています。
 ゆめゆめ、忘れぬようにしたいものです。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「おん あみりたていせい から うん」※今日の守本尊阿弥陀如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=4OCvhacDR7Y





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン


2016
09.25

いのちの重し ─お捕まりになられませんよう─

2016-09-25-0001.jpg

2016-09-25-0002.jpg

 小生はときおり、妻からきつい注意を受ける。
「捕まんないでよ!
 罰金、いくらだと思ってんの!」
 スピード違反の話だ。
 お巡りさんから渡された振込用紙の金額を見てたまげ驚き、こっそり払おうと隠しているうちにバレたという前科もあるので、思い出した時に騒がれるのは仕方がない。
 今場所の豪栄道関ではないが、集中力が高まっている時は、前方のねずみ取りも、後方から忍び寄る白バイも早めにピンときてしまうので大丈夫。
 娑婆にいたころさかんにやっていた麻雀で、ツモる予感がするのと同じだ。
 しかし、考えごとをしていたり、カーステレオの音楽に夢中になっていたり、あるいはボーッとしたり(これはそもそも運転自体が危険でもあるが……)といった状態では、アウトになりやすい。
 酷い時は、後からサイレンを鳴らすパトカーに追跡(!)され、ついに赤信号で前へ回り込まれるまで気づかず、快走していたという実績もある。

 こんなわけで、つい最近も、法具など準備万端調い、さあ、出発というタイミングでいつもの注意を受けた。
 口では「はい、はい」と言いながら、内心では〝わかってるよ!〟と小さく叫びつつ寺務所を出ようとしたら(身・口・意が一体になっていないのだが……)、背後から重ねて、静かに声がかかった。
「お捕まりになられませんよう」
 職員の森合さんだ。
 さあ、出撃!という勢いが削がれた。
 これではもう、スピードを出すわけにはゆかない。

 もちろん、小生は暴走族と無縁で、いつもいつも国禁を犯しているわけではない。
 それでは「社会的に正しく」という教えに背く。
 だから常日頃は羊のようなものだが、やむを得ない時にはウィーンとやらかす。
 この衝動についてはひところ、妻や娘から「人が変わったようになる」と攻撃されもした。
 まあ、こうした〈小さな牙〉を隠し持つのは、かつて少年だった男性に共通の悪癖とでも言うべきものだろう。

 その小さな宝ものが、雅(ミヤビ)な一言で木っ端微塵にされてしまった。
 ダメなものは明らかにダメなのだ。
 そう割り切らせてしまわない何かがある。
 それは、修法中の自分と、日常生活を営んでいる時の自分とを異ならせている何かでもあろう。
 困惑しつつ考えた。
〝──私はようやく、〈少年〉から脱皮しようとしているのではなかろうか〟
 古希(コキ)になり、お迎えがそこまで来ているのに少年もないものだが、しわくちゃのお婆さんにだって〈少女〉が潜んでいたりするのが人間だ。

 村岡空氏の詩『身』を思い出す。
 そこにはこんな一節がある。

「生きるということは
 だんだん透きとおっていくことであろうか
 それとも
 しだいに意識のように濁って
 手や足をうしなって
 ついにはささえきれずに
 死の高みへ
 ふわりと浮かびでることなのか」


 私たちがいつまでも〈少年〉であり、〈少女〉であることは、浮かびでようとするものに細い糸一本でつながる重しなのかも知れない。
 そう言えば、もはや10冊を数える「シルバー川柳」シリーズに載っている作品は、どれもこれも、揺れ、輝いている。
 それらのうち、いくつかの正体は、糸につながれた〈重し〉たちではなかろうか。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「おん あみりたていせい から うん」※今日の守本尊阿弥陀如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=4OCvhacDR7Y





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン


2016
09.24

一迫別院がスタートします

2016-09-24-00012.jpg
〈「しんこもち」様よりお借りして加工しました〉

 10月2日(日)17時より、栗原市一迫字真坂本町一番地において、第一回目の例祭を行います。
 当山は、かねてから大衡村、加美町、大崎市、栗原市など、仙北地域に住まわれる方々とのご縁も多く、少しでも皆様のお近くで修法できればありがたいことであると考えています。
 場所は、名物「しんこもち」で広く親しまれている『有限会社もちっ小屋でん』様の北隣です。

 ご縁があって広い土地建物をご寄進いただきましたが、とても使い切れません。
 そこで、一階の入り口を小さく仕切り、修法の場としました。
 古い建物なので立派な伽藍(ガラン)ではありませんが、古い平屋を道場とし、托鉢で修行を始めた頃を思えば、夢のようなお話です。

 毎月、一度、第一日曜日の夕刻に行う例祭から始め、地域の方々とのご縁と、当山のスタッフとのかね合いを考えつつ、新たな聖地として造り、守り、徐々に活動を広げて行きたいと願っております。
 もしも、この日に、ご供養や、ご祈祷などを希望される方は、本山となる大和町へ電話(022ー346ー2106)やファクス(022ー346ー2107)やメール(ryuuchi@hourakuji.net)などで3日前までに(急では対応し切れません)お申し込みください。
 ご縁を求める方の宗教や思想は一切問いませんので、おを抱えたままお困りの方なども、どうぞお気軽にご相談ください。

 一軒一軒とお訪ねする托鉢で皆さんのナマの声をお聴きし、皆さんの希望や期待や悩みや怒りに接して、行者と寺院の〈あるべきよう〉を模索してきた当山の姿勢はこれからも、代替わりをしようとも変わらず、揺るぎません。
 どんなことでもお申し出いただき、ご指導をたまわりますよう願う気持ちは尽きません。
 ただただ、ご縁を求める皆さんのため、できることをもって役立たせていただきたいと祈っております。合掌




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「のうまく さんまんだ ばざらだん かん」※今日の守本尊不動明王様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=EOk4OlhTq_M





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン


2016
09.23

オバマ大統領の心を想う ─国連の演説について─

2016-09-23-0001.jpg

 目を閉じると「カッチン、カッチン、カッチン」という柱時計の音しか聞こえない。
 ここは日本だ。
 しかし、戦乱の続く中東では空から爆弾が降り、病院も、食糧や水を運ぶ車も爆破され、子供や妊婦や松葉杖をついた人々が逃げまどっているはずだ。
 膨大な国民が難民となり、逃げる途中でいのちを失い、逃げた先では生きる場もなく、邪魔もの扱いの中で続々と死んでいるのに、祖国では果てしなく殺し合い、廃墟となった国土を奪い合っている。

 9月20日、かねて「核なき世界」を提唱してきたアメリカのバラク・オバマ大統領は、国連総会で最後となる演説を行った。

我々が核兵器の拡散を止め、核兵器のない世界を追求しない限り、核戦争の危険性から逃れることはできない。
 北朝鮮の核実験はすべての国を危険にさらす。
 合意を破る国は必ず重大な結果に直面する。」

アメリカを含む核保有国は核兵器の削減を追求し、核実験を二度と行わないよう再確認する責任がある。


 世界各国で、〈外敵〉を執拗に攻撃して人気を博す指導者が激増した。
 彼らは一様に拳を振り上げて「攻撃的なナショナリズム」を煽り、世論には「粗野なポピュリズム」が広がっている。
 強権的にことを運ぼうとする指導者が好まれ、果実を早くもぎ取ろうとするあまり、少数意見や専門家の知見は無視される。

「歴史を振り返れば、力に訴える者らには2つの道筋しか残らないことが分かる。
 一方は永久弾圧で、これは自国内で衝突をもたらす。
 もう一方は国外の敵への責任転嫁で、戦争を引き起こしかねない。


 世界の方向性が「弾圧」と「戦争」であるという指摘は恐ろしいが、現実である。
 日本でもそうした徴候は顕著だ。
 9月22日付の読売新聞である。

「大分県警の隠しカメラ問題、捜査員らを略式起訴

 大分県警別府署の捜査員が参院選候補者を支援する団体が入る建物敷地内に無断でビデオカメラを設置した事件で、別府区検は21日、同署の阿南和幸刑事官と守口真一刑事2課長(肩書はいずれも当時)、同課の捜査員2人の計4人を建造物侵入罪で別府簡裁に略式起訴した。
 起訴状などによると、4人は共謀し、参院選公示前の6月18~21日、民進党や社民党の支援団体が入る別府地区労働福祉会館(大分県別府市)への出入りを録画するカメラの設置などのため、敷地内に計5回、無断で侵入した、としている。4人は容疑を認めているという。
 一方、地検は21日、建造物侵入容疑で告発されていた同署の横山弘光署長と衛藤靖彦副署長については不起訴とした。
 地検は『関与を認めるに足る証拠はなかった』としている。」


 確かに、彼らの行動そのものについて刑事責任が問われるのは、他人の敷地へ無断で侵入したこと、撮影された人物のプライバシー権を犯す可能性があったこと、などでしかなかろう。
 しかし、行動の目的を推測してみれば明らかなとおり、この事件における真の問題は、そうした微罪などにありはしない。
 公権力が行っている、国民1人1人の、あるいは個々の政治団体や組織の思想・信条に関するチェックが、ついに、こうした粗雑な行動によってあからさまになるほどの域に達したことこそが重大だ。
 反権力の存在、反権力と権力との緊張感、反権力と正対する権力の自省があればこそ、権力は健全性を保つことができる。
 民主主義も思想・信条・報道の自由も成立する。
 しかし、反権力を潰そうとするなら、それは腐敗と独善と暴走への道に相違ない。

 最近、剣聖上泉信綱が話題になっているらしい。
 有名な話が残っている。
 賊が子供を人質にして立てこもった現場に遭遇した信綱は、僧侶になりすまし、握り飯を手にして賊へ近づき、放り投げられた握り飯に気を取られた賊をたやすく取り押さえたという。
 彼がその〈強さ〉をもって賊を斬り捨てようとすれば、やすやすと実行できたことだろう。
 公衆の面前での鮮やかな剣さばきは、彼をますます高名にしたかも知れない。
 しかし、人質である子供のいのちは、なくなっていた可能性が高い。
 彼は、相手を斃す力を持っていながらそれを直接用いず、周到に作戦を立て、僧侶や住民に理解させ、協力を仰ぎ、最後は自分のいのちをかけて実行した。
 無論、充分な勝算があればこそだろうが、修羅の現場では何が起こるかわからないのに、彼は子供のいのちを守ろうとして剣を持たずに踏み込んだ。
 彼は、いのちの価値も、失う哀しみも、奪う恐ろしさも、胆の髄までわかっていたのだろう。

 ところで、アフガニスタンにおいて不屈の活動を続けている医師中村哲氏は2年前の暮れ、現地から警告を発した。

日本はこれまで、アフガニスタン国内では民生支援に専念してきた。
 そのことが日本への信頼であり、我々の安全保障であった。

 それが覆されようとしている。
 戦争の実態を知らぬ指導者たちが勇ましく吠え、心ない者が排外的な憎悪を煽る。
 『経済成長』が信仰にまで高められ、そのためなら何でもする。

 武器を売り、原発を復活し、いつでも戦ができるよう準備するのだという。
 それが愛国的で積極的な平和だとすれば、これを羊頭狗肉という。
 アフガンへの軍事介入そのものが、欧米諸国による集団的自衛権の行使そのものであり、その惨憺たる結末を我々は見てきた。
 危機が身近に、祖国が遠くになってきた。
 実のない世界である。」


 世界一の武力を抱えたアメリカの大統領が、職を去るに際してアメリカと国際社会へ言い遺そうとした言葉は重い。
 持てる者がまず、持てる者自身へそのありようを問うという姿勢こそ、「攻撃的なナショナリズム」や「粗野なポピュリズム」といった反知性的暴流への防波堤である。
 日本も学ぶところ大なるものがあるのではなかろうか。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「のうまく さんまんだ ぼだなん あびらうんけん」※今日の守本尊大日如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=LEz1cSpCaXA





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン



2016
09.22

情報流と入我我入の話

2016-09-22-00010.png
〈寺林俊様よりお借りして加工しました〉

2016-09-22-0011.jpg
〈「東北大学 菅沼・阿部研究室 研究室紹介よりお借りして加工しました〉

 あるテーマの研究をめぐり、東北大学の工学博士菅沼拓夫教授をお訪ねした。
 研究室のビジョン「情報流制御による次世代ICTの創生」は大変興味深いものだった。
 私たちが生きものとして過ごしている〈リアル空間〉と、コンピューターやネットワークが創り出す〈サイバー空間〉の間に発生する〈情報流〉が、両者の間をスムーズに流れ、双方を生かすシステムや技術を開発しておられるという。
 白鳥則郎名誉教授が提唱する「共生」の実現へ向かうのだ。

 情報流は現在、個人情報がどんどん集められるなどして、サイバー空間の方へは順調に流れているが、リアル空間への流れは、サイバー攻撃や個人情報の悪用などの問題が多く、課題山積らしい。
 菅沼・阿部研究室としては、そこを突破しようとしておられる。

 お話を聴きながら、「入我我入(ニュウガガニュウ)」つまり、ご本尊様が行者へ入り、行者もまたご本尊様へ入る密教の即身成仏(ソクシンジョウブツ)法を考えていた。
 ご本尊様を前にして、あるいは思い浮かべながら印を結び真言を唱え、行者は徐々にご本尊様へ近づく。
 行者の口から出る真言がご本尊様へ吸い込まれて行く。
 しかし、これだけでは一方通行であり、修法としては未成立だ。
 ご本尊様の御口から木霊(コダマ)のように真言が還って来なければならない。

 もちろん、軽々に「お化けが見える」「神の声が聞こえる」と称する世界の話ではなく、行きと返りが同時となる往還(オウカン)の感得に全身全霊をかけねばならない。
 行者の気持ばかりが先行すると、いくら夢中になって唱えても、行きっ放しになる。
 自分が唱えた実感があるだけでは、いかに盛大であろうが即身成仏に無縁だ。
 そうかといって、ご本尊様から発するものを感じ取ろうとする意識ばかりが先行すると、前述のように妙な思い込みが起こる。
 そうして〈行き〉にのめり込むのも、〈返り〉を求め過ぎるのも、熱心な行者が非常に陥りやすい世界であり、『大日経』は、そこに留まることを厳しく戒めている。

 極めて微妙で深遠な往還を求める密教の修法は、科学の世界で菅沼教授が探究しておられる形に通じるものがあると思えた。
 私たちの心がきちんとしないまま、安易に仮想空間へ入って行けば、人生の浪費や現実の混乱などをもたらしかねない。
 仮想空間からの情報を安易に受けとめれば、いかなる者に意識を操られるかわかりはしないし、思わぬ自滅が待っているかも知れない。
 科学の分野であれ、宗教の分野であれ、こちら側と向こう側、一見、異次元にも思える2つの世界の情報が融通無碍(ユウヅウムゲ…互いに障りとならず、生かし合うこと)に流れる時、霊性が開発され、私たちの心も文明も、確かなステップアップを行えるのではなかろうか?




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「のうまく さんまんだ ぼだなん あびらうんけん」※今日の守本尊大日如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=LEz1cSpCaXA





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン



2016
09.21

【現代の偉人伝第234話】 ─子供たちを発達障害から救い出す青木彰氏─

2016-09-21-0001.jpg
〈「ぐっぷの会」様よりお借りして加工しました〉

 ある時、ご縁があって特定非営利活動法人「みんなの教室」を主宰する青木彰氏と対話した。
 教師として勤め上げた氏は、宮城県大崎市田尻において法人を設立し、LD(学習障害)、ADHD(注意欠陥多動性障害)、広汎性発達障害など、軽度の発達障害を持った子供たちを支援してきた。
 悲哀の湖から発する霊光のような色合いをたたえた氏の視線は、たとえようもなく勁(ツヨ)い。
 どんな暴風にも消えない灯火のようだ。

 人生相談やご加持(カジ)で、そうしたお子さんや親御さんと接してきた小生は、率直にお訊ねした。
「皆さんの状態が改善されて行くためのポイントはどこにありますか?」
 間髪を入れず、答が返ってきた。
「個別指導です」
 小中高といった伸び盛りの子供たちのうち、6・8パーセントに障害がある。
 40人の教室なら2人以上のお子さんが支援を必要としているが、教師の数にも能力にも限りがあり、学校での個別指導は望むべくもない。
 そこで、退職後に自ら救いの手を差し伸べ始めたという。

「お釈迦様の対機説法(タイキセッポウ)ですね」
 この言葉にも、すぐ、答があった。
シュリハンドクは、十六ラカンの中で、最も多くのお弟子さんがいました。
 彼は発達障害でした」

 学ぶ意思はありながらも、お釈迦様の教えを頭に入れられず、苦しんでいたシュリハンドクへ、お釈迦様は「塵を払わん、垢を除かん」と口ずさみながら掃除をせよと指導した。
 彼はやがて天眼通(テンゲンツウ)という一切衆生(シュジョウ)の過去世を知り尽くす眼力がそなわり、悟った。
 青木氏の目には、子供たち1人1人が障害を抱えるに至った原因も、生きている環境も明らかに見えるのだろう。
 そして、個別の原因と環境がわかれば、それに応じた個別の対処法もわかるのだろう。
 つまり、真の救いは個別にしかもたらされないのだ。

 問題は一般的でも、問題は個々人に千差万別の色合いで現れる。
 一般的対処法だけでは、問題の根を抜くところまでは行けない。
 ある施設で耳にしたお年寄りの言葉である。
「職員さんは、決しておざなりな仕事をしているわけではないが、私の病状や身体の状態をすっかりわかってくれている人はいない。
 だから何でも、通り一遍でしかない。
 病院に連れて行ってもらって、私の身体をわかっている先生に会うのが一番の安心だ」
 それはそうだろうと思いつつ、この世の〈可能〉と〈不可能〉について考えさせられた。

 青木彰氏は、はっきりと旗を掲げておられる。
みんなの教室は、完全な個別指導の形態をとっています。
 教師と生徒がマンツーマンで、子供に合った個人別のカリキュラムを実践し、自分は自分のままでいいと知ってほしいからです。」
 自分の身体を張って、誰かの花を1輪づつ確実に咲かせている。
 生き仏と言えるのではなかろうか。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「おん さん ざん ざん さく そわか」※今日の守本尊勢至菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。

https://www.youtube.com/watch?v=qp8h46u4Ja8





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン



2016
09.20

Q&A(その29) 導師がネコのように静かに歩き、棒を振るわけは?

2016-09-20-0004.jpg
〈み仏の両眼には日輪と月輪が〉

2016-09-20-0002.jpg
〈梵字のマ、日輪〉

2016-09-20-0003.jpg
〈梵字のタ、月輪〉

 これまで、葬祭会館の方などから幾度もご質問を受けました。
「どうしてご住職はあれほど静かに歩くのですか?」
 答は以下のとおりとなります。

 真言密教の行者は、修行道場であれ、あるいはご葬儀場であれ、修法する道場へ入る際には人知れず、いろいろな観想を行っています。
 たとえば、右の目には梵字のマ、左の目にはタを置きます。
 マは日輪(ニチリン…輝く陽光)、タは月輪(ガチリン…円満な月光)です。
 陽光は智慧の光で真実世界をくまなく照らし、月光は瞑想に入った行者へ悟りの心を開かせます。
 道場内をこの両眼で観ながら静かに入ります。
 心には梵字のウンを置き、金剛薩埵(コンゴウサッタ)というみ仏に成り切っています。
 こういう状態で進む足は一輪づつ、目には見えない蓮華を踏んでいます。
 だから、スリッパを引きずるような音などは決して出さず、肩を揺すって歩くなどということもありません。
 蓮華の花びらを散らさぬよう、足をそっと置くように一歩、一歩と歩むので、正面を向いているご参詣やご参列の皆さんには足音がほとんど聞こえないはずです。

2016-09-20-0001.jpg
〈滝田商店様よりお借りして加工しました〉

 もう一つ、よくあるご質問へお答えしておきましょう。
「どうして最初に棒のようなものを振るのですか?」

 実は、以下のとおりの手順で、道場のお清めを行っているのです。
 導師の左側には二つの仏器と、その間に1本の棒が置いてあります。
 手前の仏器には塗香(ヅコウ)という手に塗るためのお香が入っており、着座した導師はまず、蓋を開けてそのお香を両手に塗ります。
 そして護身法を結びます。
 次は、奧にある仏器の蓋を開け、左手に数珠、右手に三鈷杵(サンコショ)という仏具を持って、仏器の中に入っている水を加持(カジ)します。
 この時に、カラン、カランという音が21回、聞こえるはずです。
 数珠に三鈷杵を当て、水を21度、清めています。
 それから散杖(サンジョウ)という棒を水へ入れて回します。
 これは、水を重ねて清め、清浄な乳水に変えているのです。
 それから、散杖の先に水を着け、道場や心を清めるために、横、縦に振ります。
 
 修法を行うには、まず、その場を清めます。
 家庭でも、学校でも、職場でも掃除をするのと同じです。
 そして、目的の修法がきちんと行われるように、導師や善男善女の心も清めます。
 それだけではありません。
 これらが終われば必ず、結界の法を結び、魔もののようなものを一切シャットアウトしてから、ご供養やご祈祷やご葬儀の法を順々に進めます。
 清めと護身法結界の手順を踏まない修法はありません。

 今回は、導師が道場へ入り、お清めを行うあたりまでの大まかな作法について書きました。
 何となく想像していただければありがたいことです。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。




「おん さんまや さとばん」※今日の守本尊普賢菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=rWEjdVZChl0





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン



2016
09.19

『プライベートバンカー』を読んで

2016-09-19-0002.jpg

2016-09-19-0001.jpg
格差を示す指標は「ジニ係数」、0~1の間で1に近いほど格差が大きくなる。日本は世界のほぼ中位である〉

 午前2時から庫裏で始めた読書が終わり、寺務所へ向かう4時、真っ暗な廊下の向こうから7回、鐘を打つ音が聞こえた。
「コンー、コンー、コンー、コンー、コンー、コンー、コンー」
 一体誰が?
 電灯のスイッチを入れながら考えた。
 歩き始めて気づいた。
 きっと昨日、お預かりしたお焚きあげの行李(コウリ)に古い柱時計が入っていたのだろう。
 職員は相手様もお荷物も確認しているが、ご縁の方から〈いわく因縁〉をお聞かせいただく場合は別として、修法するだけの小生はいちいち中身のチェックをしない。
 それにしても、4時ちょうどに7回鳴るとは、妙な1日になりそうだ。
 今日、人生相談に来られる方々のお話を暗示しているのかも知れない。

 ところで、清武英利氏が書いたノンフィクション『プライベートバンカー』を読み、小生は門外漢ながら、なるほど、そうだろうな、と思えた。
 物語は、富裕層の金融資産を運用するプライベートバンクで生きるバンカーと顧客の世界を描いている。
 金融資産1億円以上を持たない庶民は、そうした銀行に口座も開設できない。
 だから、ほとんどの人々とは無縁の世界だが、組織があり、それを構成する個人個人が希望や悩みを抱え、称賛や満足や失敗や転落に至るという意味では、この世の一場面であることに相違ない。 

 ただし、地球を股に掛ける巨大な歯車が、粛々とこの世に不正義と不条理を積み上げている事実には慄然とさせられる。
 その回転に連なる小さな歯車たちの人生にいかなる個々の夢や正義感があろうと、それらはすべて、一つの結果を生んで行く。
 持てる者と持たざる者との間にある格差の拡大である。
 プライベートバンカーたちの顧客となる持てる者たちは、カネそのものの力でカネを増やし続ける。
 シンガポールなどの国々には、そうしたシステムがあるのだ。
 だから、一定期間シンガポールで暮らすなどして、日本で儲けたカネを無税のまま増やそうとする人々が群がる。

 平成27年、総資産額百万ドル超の資産家は以下のとおりである。
 第一位、アメリカ、1565万人。
 第二位、イギリス、236万人。
 第三位、日本、212万人。

 一方、9月15日付の河北新報は、厚生労働省が発表した平成25年の調査結果を掲載した。
 世帯ごとの所得格差は過去最大となり、今後もその拡大が予想されるため、「社会保障などによる所得再分配の機能強化や、非正規労働者の賃金底上げなどの格差対策が求められる」という。
 世帯ごとの平均所得は400万円を切った。
 つつましく生きる庶民から確実に集められた税金でこの国は成り立っている。
 その一方で、儲けた一部の富裕層は資産を海外へ移しつつある。
 パナマ文書は、国家の体制を問わず世界中の富裕層が無税の国へと財産を移し替え、移住もしているという事実の一部をかいま見せた。
 しかし、巨大な不正義はうやむやにされる。

タックスヘイブンをめぐって大掛かりな税逃れが発覚するたびに、為政者たちは眉をひそめてみせるが、租税回避地の存在を根本から問う議論になったことがない。
 その地を利用する国と金融機関、それに権力者の存在があるからだ。」


 私たちは一人残らずどこかの国民として生まれ、人間として生きられる環境の整備を目指すどこかの国家で暮らす。
 環境整備の基礎となる税金を払いつつ。
 しかし、一部富裕層は、どこかの国で手に入れた大金を持ったまま地球の「修身旅行者」となり、カネだけを頼りに暮らそうとする。
 無論、彼らにも悲哀があるのは、持たざる人間と何ら変わりはしない。

「問題は、修身旅行者になると、犯罪の多い国では自分の身は自分で守らねばならないことだ。
 そして真の友人をみつけづらいことである。」

 
 この本は帯紙にあるとおり、「怜悧で狡猾というプライベートバンカー像を覆して、人間味と向上心にあふれた人々」を描いている。
 人間はどこでも「人間味と向上心」にあふれた日々を送られる。
 それは、ナチスのホロコーストや毛沢東の文化大革命においてすらそうだった。
 しかし私たちは、人類的不正義を行う巨大な歯車を見つけ、たとえ「蟷螂(トウロウ…カマキリ)の斧」に見えようと対峙する見識と矜恃を持たねばならないと思う。
 タダでは踏みつぶされないという強固な背骨を保ち続けたい。
 そして、踏みつぶされそうになっている隣人は見捨てたくない。
 無論、歯車へ何らかの一矢を放ってから死にたい。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。




「おん さんまや さとばん」※今日の守本尊普賢菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=rWEjdVZChl0





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン



2016
09.18

お不動様になったお大師様

2016-09-18-00012.jpg

2016-09-18-00022.jpg

2016-09-18-0003.jpg

 9月17日、第二例祭護摩法が終了した後、ご参詣の方々へ短い法話を行った。

 密教行者の究極的関心事は、お大師様が入定(ニュウジョウ…瞑想状態のまま他界すること)されたご心境にある。
 もちろん、各種の資料は、〈その日〉を知ったお大師様が京の都と高野山を往復するなど入念に準備し、「弥勒菩薩(ミロクボサツ)の浄土から見ているのでしっかり励め」と言い遺されたことを示している。
 それにしても、最後のお心は……。
 凡夫にはわかりようがない、とあきらめてしまえばそれまでだが、行の果てにあるイメージは、そこにありそうでもつかめない。

 鎌倉時代、最初の東寺座主(ザス)となった真光院禅助(ゼンジョ)は、その秘密について言い遺した。

「不動の三摩地(サンマジ)に入り給うなり。
 右の杵(ショ)はこれ剣なり、左の数珠は索(サク)なり」


 三摩地はサマーディであり、心が深まりきった状態をさす。
 つまり、お大師様は、お不動様のご心境に成り切ったのだと言う。
 お大師様が右手に持っている五鈷杵(ゴコショ)は先端が尖っており、元々はインドの武器だった。
 それは、お不動様が右手に持っている剣を意味する。
 また、お大師様が左手に持っている数珠は、お不動様が左手に持っている索を意味する。
 お大師様は常々、お不動様のお気持ちではたらかれ、そのまま旅立たれたのだ。
 そういえば小生も入門早々、指導された。
「人々の僕(シモベ)である不動明王を目ざしなさい」

 そもそも、お不動様はお大師様によって日本へ招来された。
 唐から帰国する途中、暴風雨の海上でお不動様に船を守っていただいて以来、大日如来の使者である不動明王は、修法の中心となった。
 密教行者は365日、不動法を結ぶ。
 護身法と不動結界法は、あらゆる修法に欠かせない。

 後宇多上皇に密教を授け、後醍醐天皇の護持僧でもあった禅助は、さすが国師と称されただけのことはある。
 84才という当時では桁外れの長寿をまっとう切るその瞬間、きっと、師と同じく不動明王の世界へ入り、弥勒菩薩の浄土を目ざされたことだろう。
 ご関心のある方は、お不動様のお姿とお大師様のお姿を見比べて欲しい。
 鎌倉時代に説き明かされた真実に度肝を抜かれることだろう。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。




「おん あらはしゃのう」
※今日の守本尊文殊菩薩様の真言です。どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=WCO8x2q3oeM





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン


2016
09.17

ネコの十三回忌供養 ─あなたは家族、あなたは友─

2016-09-17-0001.jpg

 雨の晴れ間を待っていたかのように陽光が満ちた秋晴れの日、Aさんご夫婦がネコの十三回忌供養にご来山された。
 三回忌以来、ご遺骨と10年ぶりの再会となった。
 ねんごろに供養し、廻向之証をお渡しする。
 安心されたご様子に、こちらの気持も柔らかくなる。
 いつの日か、ネコと一緒のおを建てたいという。
 当山ではペットと一緒に眠る方がどんどん増えている。
 人間のおにお線香をあげ、ペットのおにもお線香をあげる。
 あるいは、ペットの命日に人間のおもお参りされる。
 生きとし生けるもの同士として、人間もペットも何ら変わりはない。

 思えば、私たち生きものは、天地自然が持つ造化のシステムと力の中で生まれ、死んで行く。
 これがモノとしての側面。
 同時に私たちは、どこからか来た者として存在し、死後もまたどこかへ行く。
 お大師様は説かれた。
「行行(ギョウギョウ)として円寂(エンジャク)に至り、去去(ココ)として原初に入る」
 人生上の重大事にぶつかり、どうにもならない呻きの中で真言仏界のイメージに導かれ、一心に行ずる時、心の行く先が感得される。
 すべてが因果の理において円満し、心が輪廻転生(リンネテンショウ)の中を貫いている真実にうたれる。
 私たちが〈在る〉ということの根源へと心が深まり、母なる仏界に抱かれる。
 これが心としての側面である。
 私たちは肉体としてのモノであり、同時に心としては、モノと違う原理で存在している。
 もちろん、二つは交わらない2本のレールではなく、互いに互いへ影響し合っている。
 二つが微妙に関わるところに運命も、意思も、修行も躍動する。

 当山ではペットに関する修法において呼びかける。
「あなたは家族、あなたは
 人間でない家族、人間でないは、人間とは何者か?生きものとは何か?と問わせ、答も教えてくれる。
 都市の文明はどんどん自然から離れ、自然を忘れさせもするが、ペットはその危うさに気づかせ、心の乾燥を緩和してもくれる。
 やはり、かけがえのない家族であり、である。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「のうぼう あきゃしゃきゃらばや おん ありきゃ まり ぼり そわか」※今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=IY7mdsDVBk8





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン


2016
09.16

【現代の偉人伝第233話】いじめの撲滅に立ち上がる子供たち 

2016-09-16-0001.jpg
〈朝日新聞様よりお借りして加工しました〉

 9月15日付の朝日新聞は「校内に響く『いじめ反対』」を掲載した。
 東京都足立区立辰沼小学校の子供たちが、いじめ防止に立ち上がり、毎日、校内で呼びかけ活動を行っているという。
 パトロールのリーダーが、かけ声を発する。
「みんなで、いじめを、なくしましょう」。
 後に続く隊員が応ずる。
「いじめを、しない、させない、ゆるさな~い」。

 平成23年、大津市で起こったいじめ自殺事件を機に、仲野繁校長と児童会役員らが対策を話し合い、「解決」より「未然防止」を目ざそうといういことになり、翌年、「辰沼キッズレスキュー」(TKR)が誕生した。
 組織は入会も脱会も自由、現在は全校児童447人のうち、254人が隊員の登録を行っている。
 毎日、2時間目と3時間目の間の休み時間に、隊を持ち鉢巻姿となった隊員が、交代で校内を練り歩く。
 放課後の会議もあり、縄跳び選手権や一発芸の選手権などを企画してきた。
「学校が楽しくなれば、だれかをいじめたい気持ちは薄れる」

 治療よりも予防をやろうという姿はすばらしい。
 しかも、活動は毎日である。
 仙台市周辺のピンクチラシ撲滅運動を思い出した。

 平成10年、東北随一の繁華街国分町を中心とした地域に蔓延していた悪名高いピンクチラシを撲滅すべく、宮城県社交飲食業生活衛生同業組合(理事長上村孝氏)が立ち上がった。
 4年間、毎月欠かさず行った「国分町環境浄化デー」のデモ行進とチラシ回収運動が功を奏し、全国初となった「宮城県ピンクチラシ根絶条例」の制定、歓楽街としては歌舞伎町に次ぐ防犯カメラの設置など、一つ一つ成果を積み重ね、平成17年、ついにチラシはなくなった。
 20年戦争と言われた戦いは7年で終結した。
 組合員が一致団結し、チラシの背景にある暴力団の存在、チラシを撒くしか生きようのなくなった人々の生活など、表面に出ないさまざまな問題に粘り強く取り組んだ活動が高く評価され、平成26年、上村孝氏は旭日双光章を受賞した。

 辰沼キッズレスキューの運動にも、さまざまな困難が降りかかってきていることだろう。
 事実、昨年度、同校が把握したいじめの数は28件あり、運動開始以前よりも増えている。
 しかし、仲野繁校長は言う。
「いじめの『芽』のうちに見つけてしまう」ので「深刻なケースは起きていない」。
 子供たちが生活する環境の空気が変われば必ず、子供たちの心も変わる。
 環境と心は鏡が照らし合うように互いの世界を映し出し、互いの世界に影響を与え合う。
 すでに、子供たちは立ち上がり、心が変わった。
 環境である学校の姿が変わらないはずはない。

 何としても、いじめの撲滅という理想を降ろさないで欲しい。
 にかける生き方の体験は、を手にした子供たちの人生を後押ししてくれることだろう。
 小学生の頃、小生はクラスの歌を作り、合唱した。
 先生も仲間もあまりにすばらしく、和を失いたくないと思ったからだ。
 数年前、恩師が他界し、ご自宅でお線香を捧げた。
 運転してくれたのは仲間の一人、講演会にもときおり、仲間が来てくれる。
 共に掲げた心のは半世紀以上経っても、降ろされてはいない。
 
 小生の当時とはまったく比較にならぬほど困難な活動だろうし、やっかみや妨害なども経験するだろうが、あきらめずに続けて欲しい。
 子供たちと日本の未来のため、山里から応援の祈りを続けたい。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「のうぼう あきゃしゃきゃらばや おん ありきゃ まり ぼり そわか」※今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=IY7mdsDVBk8





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン


2016
09.15

家族はあの世でもまた家族 ─連なりの意識を考える─

2016-09-15-0001.jpg

 ご葬儀の際、最後の法話までが導師の法務と心得、法話が終わり会場を後にしてから、喪主様のご挨拶となる流れが多かった。
 しかし、ある時、喪主のご挨拶後に導師の席を立つよう要請され、久方ぶりに座ったまま、お話を聴いた。
 内容には圧倒された。

「母はあの世へ旅立ちましたが、これで家族がなくなったわけではありません。
 母は私たちより一歩先にこの世から離れただけのことです。
 やがて私たちも次々に行くので、またを結び、あの世で楽しく暮らしたいと思います。
 その日のために、この世で導いてもらったとおり、あの世から見ている母に恥ずかしくない生き方をしようと思っています。」

 この方が仏教徒かどうかは知らないが、ご一家はキリスト教徒でなく、生前の故人共々、当山の法務に納得して墓地を求め、仏教によるお別れをされた。
 これまで幾度か、お会いした印象からすれば、喪主様の言葉は特殊なドグマなどを信じてのお話ではなく、自然な感覚をそのまま口にされたのであろうと思う。
 要は、人は死んでも無にならず何かが残り、この世で家族となった縁は、家族の死によって消えないと感じておられるのだ。
 だからこそ、お墓を造り、お参りをする。
 親の導きや戒めは、親が亡くなれば消えるのではない。
 新たに与えられることはなくなるので、子供としてはいっそう、大切にして行かねばならないものとなる。

 人倫とはこのことの謂いではなかろうか。
 白川静著『字通』によれば、「侖は相次第して、全体が一の秩序をなす状態のもの」である。
 また、「輩(トモガラ)」であり、「道」でもある。
 だから「倫」は一字だけで人倫を意味する。
 とすれば、人倫の根本には〈連なりの意識〉がなければならない。

 さて、9月14日付の産経新聞は「特権階級が社会を牛耳る」と題して、中国の農村部で根付く読書無用論について書いた。

「『勉強する必要はない』という『読書無用論』は、農村部を中心に今も大きな支持を得ている。
 中国青年報が2014年、四川省の雲郷雍村で行った調査では、村の262世帯の約4割に当たる106世帯が子供を学校に行かせる必要はないと考えていた。
『字を知らなくても金は稼げる』『教育費が高すぎる』などの理由からだという。」


 この風潮は悪名高い毛沢東の文化大革命から広まった。

「最高指導者の毛沢東自身が読書家であるにもかかわらず知識人を嫌い、68年には小中学校を含めて『授業を中止して全身全霊で革命に尽くせ』と呼びかけた。」


 人々から、ものごとを鵜呑みにせず自分で考える力を奪い、一つの思想で染めて統治しやすくした。

「文革期の読書無用論は、党中央が推進する政策や、党幹部の特権などに異論を差し挟む知識人を打倒し、物事を考える力を奪う『愚民政策』の一環だったと指摘される。
 現代の農村部とは事情が異なるように思えるが、『本質は全く同じだ』との指摘もある。
 『文革期、中国を動かしたのは優秀な人材ではなく、特権を持った人々だった』。
 北京のある文化人はそう前置きした上で、次のように語った。
 『最近は、元高官の二世などの特権階級に社会が再び牛耳られるようになった。
 庶民は努力しても報われることが極端に少なくなった。
 特に農村部の保護者たちは、子供に勉強させること自体がバカらしくなっている』。」


 このとおりだとすれば、中国の指導部は、国民を二分しようとしていることになる。
 特権階級と、それ以外の人々だ。
 文化大革命では分断策により、家族関係や師弟関係などを問わず凄まじい密告・暴力・虐待・殺人などが起こっただけでなく、暴風がおさまった後も、被害者の自殺、加害者の罪悪感、生き残った人々のPTSD(心的外傷後ストレス障害)など、広汎な人間性の破壊が行われた。
 明らかに、〈連なりの意識〉が家庭からも、社会からも奪われたのだ。

 ひるがえって日本を眺めてみればどうか?
 確かに「」が叫ばれてはいる。
 しかし、それは主として空間的に、言わば〈横に広がるもの〉として、とらえられているように思われる。 
 手をつなぐ意識である。
 無論、それはそれで結構だ。
 しかし、私たちの文化はそもそも時間的に、言わば〈縦に連なるもの〉として紡がれてきたのではなかったか?
 お祭りなどの行事であれ、学問であれ、技術であれ、各種の芸能であれ、もちろん宗教であれ。
 そして、神棚も仏壇もお墓も、特に言挙(コトア)げするまでもなく、切れるはずのないを象徴するものだった。
 江戸時代までは、こうした空間的なと時間的なのバランスがよかったのではなかろうか?
 そこを見抜いたからこそ、故杉浦日向子はこう言ったのではなかったか?

「江戸時代は、自分と他者の境界線がものすごく曖昧で、融通し合っていた。
 その辺から、パワーなり、エネルギーなりが生まれていた。」
「250年続いた泰平の世は、言うならば、低生産、低消費、低成長の長期安定社会。」


 時間的に縦に連なるものに懸ける者同士として、空間的に横に連なるのは当然であり、そこに文化の創造性があると説いたのが故三島由紀夫だった。
 彼はたった一人で東大へ出かけ、約千人の学生を相手に2時間、討論した。
 議論の中心は時間と空間の問題だったように思われる。

 個人主義が膨れ上がり、極端な消費社会になり、緊張と不安と競争に明け暮れる私たちは、〈連なりの意識〉を忘れつつあるのではなかろうか?
 横にを求める一方で、家族や先祖などとの自ずから与えられている縦の絆を、あまりにも脇へ追いやってきたのではなかろうか?
 冒頭に挙げた喪主様の言葉には、風潮に流されない人、自然に絆を育ててきた人の明晰で強靱な自覚がある。
 救われている方に救われる思いだった。
 そうそう、今後はなるべく喪主様のご挨拶をお聴きしてから退場しようと思う。合掌




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。




「おん ばざら たらま きりく」※今日の守本尊千手観音様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=IvMea3W6ZP0





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村
 
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン

 

2016
09.14

救いのありか ─観るべきもの─

 お大師様は説かれた。

「もし自心を知るはすなわち仏心を知るなり
 仏心を知るはすなわち衆生の心を知るなり
 三心平等なりと知るをすなわち大覚(ダイカク)となづく」


(もし、自分自身の心の真姿を知るならば、それはそのまま、み仏のお心を知ったことになる
 み仏のお心を知るならば、それはそのまま、人々の心を知ったことになる
 自分自身の心と、み仏のお心と、人々の心の3つをつぶさに知る人を、大いなる覚りを開いた方という)

 自心仏心衆生心が平等であるという教えは、すでに『華厳経』で説かれている。
 華厳宗を高く評価されたお大師様は、この平等を得る方法として具体的な修法を示された。
 私たちはそもそも、み仏のお心を宿した者同士であり、そこに気づき、そこを開き、顕せば、み仏に成れる。
 即身成仏(ソクシンジョウブツ)の可能性はすべての人々に与えられている。
 真の平等は、この気づきによってもたらされ、自分が本来の尊さをもって生きられるだけでなく、誰もが尊い者として生きられる世界になる。

 私たちは生まれた時点で、一人一人が持って生まれたものも、生まれ育つ環境もすでに平等ではない。
 しかし、厳格な階級社会にあってすら、お釈迦様は、人は生まれによって人間としての貴賤は決まらず、生き方が貴賤を決めると説かれた。
 国王に対しても、極貧の者や売春婦に対しても、わけへだてせず、真に救われる先を示された。
 仏法によって誰もが救われ得るのは、誰もが等しく救われる可能性を持っているからである。
 その可能性の根拠が〈仏心〉の共有である。
 この真実は経典に説かれ、それを現実化させる方法として修行や修法がある。

 当山にはさまざまな事情を抱えた方々が来山される。
 これまで宗教を考えたこともなかったが、急に自分のいのちがあといくばくもないことを知って、死後の相談に駆け込まれる。
 困った成り行きで親のお骨を埋葬できなくなった方、あるいは宗教が違う親子や夫婦も、途方に暮れて足を運ばれる。
 私たちの生きざまや困りごとは、お釈迦様の時代も、お大師様の時代も、今も変わらないのだろうと、いつも思う。
 僧侶や寺院は、お釈迦様やお大師様の心で〈絶対の平等〉に立ち、ことに当たるだけだ。

 それを仏性と言おうが霊性と言おうが構わない。
 要は、お互いが、お互いの心の源底に持っている尊いものを認め合うこと。
 そこから〈真の平等〉の世界が必ず観えてくる。
 ことを行う具体的な手段は知恵であみ出せばよい。
 問題はその前の平等を観る智慧にある。
 仏法の空気を吸うだけでも、冒頭の教えに一歩、近づける。
 救いの扉は皆さんのそばにある。
 



 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「おん あみりたていせい から うん」※今日の守本尊阿弥陀如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=4OCvhacDR7Y





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン


2016
09.13

現代の偉人伝第232話 ─爆弾を捨てに行った警察官ハミード・アルマーニ氏─

2016-09-13-0001.jpg
〈産経新聞様よりお借りして加工しました〉

 パトカーへ爆弾らしいものを投げ込まれた警察官が、逃げ出さず、遠くまで運んで人々を救おうとした。
 にわかには信じがたい行動である。
 以下、9月11日付の産経新聞から転記した。

【米中枢同時テロから15年 市民守るアフガン移民の警官がNYのヒーローに】 

 米中枢同時テロの発生から11日で15年を迎えるニューヨークで、アフガニスタンから移民したイスラム教徒の警察官が「街のヒーロー」と称賛を浴びている。
 今夏、爆弾にみせかけた不審物がパトカーに投げ込まれたが、市民を巻き込まないために死を覚悟で避難させた。
 同時テロ後に広まったイスラムフォビア(イスラム恐怖症)が大統領選でも物議を醸す中、アフガン移民の警官の勇気ある行動は、ニューヨーカーの心を捉えている。
 この警官は、ニューヨーク市警のハミード・アルマーニさん(37)。
 7月20日夜、繁華街のタイムズスクエアでパトカーに不審物が投げ込まれ、同僚の警官が「爆弾だ」と叫び、とっさに考えたのは「周囲の数千人もの市民を巻き込んではいけない」。
 自分は犠牲になるつもりで人通りの少ない場所までパトカーを移動させた。
 不審物は爆弾ではないことが後に判明したが、この行動がメディアで伝えられると、アルマーニさんら2人の元に感謝のメッセージが殺到。
 勤務中、10分おきに記念撮影を求められるほどの人気者となった。
 
 アルマーニさんはニューヨーク市警で唯一のアフガン生まれの警官だという。
 2000年にニューヨークに渡り、翌年に同時テロが起きた。
「人種や宗教が何であれ、罪のない人々が殺害されるのは最も悲しい」。
 思いが重なったのは、戦争で疲弊していたアフガンでの暮らしだった。
「アフガンでは通りを歩くことも安全ではなかった。警察が助けてくれる場所に住みたかった」。
 故郷での日々と同時テロの経験から「人の命を助ける職業に就きたい」と願うようになり、05年にニューヨーク市警の警官となった。
 ニューヨークでの生活でイスラム教徒への偏見や差別は「終わることはない」が、「人々に話しかけて理解してもらえば、印象は変わってくる」と強調した。
 12歳の女児を持つシングルファーザーは「私はヒーローではない。ただ、一人の警官として感謝されるのはうれしい」と照れながら語った。


 同じ紙面に、テロを企てた女性のグループが摘発されたという記事が載っている。
 フランスでのできごとだ。
 これも転載しておきたい。

【パリでテロ計画、ISが女グループに指示 検察が摘発】

 パリのノートルダム大聖堂付近でガスボンベを積んだ不審車が見つかった事件で、フランス検察は9日、テロを計画した女中心のグループを摘発したと発表した。
 女らがシリアのイスラム教スンニ派過激組織「イスラム国」(IS)メンバーから指示を受けていたことも明らかにした。
 事件は大聖堂付近で4日未明、ガスが充填されたボンベ5個を積んだ放置車両から可燃性の液体の瓶やたばこの吸い殻が見つかったのが発端。
 当局は、車両ごと爆発させる計画だったとみて現在、7人を拘束中。

 このうち15~39歳の女5人が計画の中心メンバーとされ、19歳の女は車両の所有者の娘。
 過去にシリア渡航を図り、情報機関の監視対象だった。
 所持していたカバンからISへの忠誠を誓った文書が見つかった。
 また、23歳の女は6月のパリ郊外での警察幹部殺害容疑者の男の婚約者で、容疑者が事件で射殺後、7月に仏北部で発生した教会襲撃事件の容疑者の男と婚約していた。 両事件ともISが犯行声明を出した。
 モラン検事は記者会見で「テロ組織は男だけではなく、若い女までも利用している」と強調した。


 自分のいのちを捨てても人々を救おうとする人がいる一方で、自分のいのちを捨ててまで人々を殺そうとする人もいる……。
 ──自分のいのちに執着せず、死を厭わない人々。
 死の恐怖をどう超越するかによって、行動は天と地の違いになる。
 もっと淡々とその向こうへ行った人もいる。
 お釈迦様の弟子ウハセンナだ。
 
 彼は、王舎城に近い森林の洞窟で瞑想するのを日課としていた。
 ある時、何かが身体を這い、咬みついたことに気づいた。
 それは、咬まれたら助からない毒蛇だった。
 ここで死ねば皆に迷惑がかかると考えた彼は、修行仲間の舎利弗(シャリホツ)を呼んで、洞窟から出してもらうように頼む。
 舎利弗は彼の顔色がちっとも変わっていないことに驚いて、本当に咬まれたのかと訊ねる。
 彼は平然と答える。

舎利弗さん。
 この人間の身体は四大(シダイ…地・水・火・風)の集まりで出来た塵芥にすぎないのではありませんか。
 私とか、私のものとか云ふ考えからはなれてゐる私達は、本来空(クウ)なのですから、空なものが毒蛇に噛まれたって、顔色が変わるわけはないでせう。」(武者小路実篤著『釈迦』より)


 仲間の手で巌窟から出された彼は、毒が回っても瞑想したまま何も語らず、従容として涅槃(ネハン)に入った。
 お釈迦様も彼の死に打たれたという。

 私たちはこの世をどう観ているのだろう。
 自分のいのち、他人のいのち、生きとし生けるもののいのちをどう考えているのだろう。
 死生観、人生観によって、生き方も死に方も千差万別だ。 
 8月6日号『週刊ダイヤモンド』の調査発表によれば、3分の2近い人々が「自分の死」を考えたことがある一方で、「死生観」を持っている人は1割もいない。
 ハミード・アルマーニ氏、女性テロリストたち、ウハセンナは、そんな私たちを立ち止まらせる。
 しっかり立ち止まり、どう生き、どう死ぬか、自分自身の頭で考えたい。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「おん あみりたていせい から うん」※今日の守本尊阿弥陀如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=4OCvhacDR7Y





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン


2016
09.12

病院のベッドから魂が抜け出して自分のお墓を見に行った話

2016-09-12-0001.jpg

〈「唱歌を唄う会」でご指導いただいた小山裕之先生〉

 秋晴れのある日、母親と娘さんがおの引き渡しを受けに来られた。
 ご一家で考えに考えた理想のおがようやく完成し、母娘は笑顔だった。
 それから小一時間ばかり経って、寺務所へ電話が入った。
 お父さんが亡くなられたので枕経を頼むという。
 職員共々、驚いた。

 ご自宅へ駆けつけ、枕経の終了後、成り行きをお聴きした。
 病院で付き添っていた母娘は、数日前から悪化した各種の数値は気になるものの、引き渡しの約束をしていたので、当山へ向かった。
 思い通りのおを確認して間もなく、病院から至急、戻って欲しいと連絡が入った。
 まさかと思いつつ急ぐ途中で訃報を聞いた。
 厳しい闘病生活が続いていたにもかかわらず、お父さんは文字どおり眠っているようにしか見えなかったという。

「きっと、お父さん、一緒におを見に行って安心したんだよ」

 東京から駆けつけた妹が言うと、誰もが目に光を取り戻し、静かな笑顔になった。
 母親を車に乗せておを受け取りに向かった長女も急いで応える。

「きっとそうよ。
 毎日、付き添っていたのに、お母さんと一緒に病院のベッドを離れる時も、全然、心配しなかったよね。
 自分でおのスケッチを描いたりしたお父さんだから、私たちについて来て安心したんだね」

 みんなの視線があたらめて横たわるお父さんに集まり、厳粛な和らぎが居間に満ちた。
 本当にそう思う。
 住む家が完成して安心しない人がいようか。
 お父さんのあだ名は「観音様」だったという。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「のうまく さんまんだ ばざらだん かん」※今日の守本尊不動明王様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=EOk4OlhTq_M





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン


2016
09.11

唱歌の会と「小さな木の実」のこと

2016-09-11-0001.jpg
〈広島平和記念資料館に展示された犠牲者の作品〉

 おかげさまで、「真の優しさを考え、歌う会」は無事、終了しました。
 鎌倉女子大准教授小山裕之先生の合唱指導には舌を巻きました。
 時間が経つにつれ、自分と歌の距離がどんどん縮まり、歌に込められているものが自分の心から湧き出してくるのです。
 いかなる境遇にある方でも、先生の前に出れば、きっと、〈自分の歌〉を唄い元気になることでしょう。

 唄ったのは以下の5曲です。
「ふるさと」では、息継ぎと、盛り上げる場所を教わりました。
「赤とんぼ」では、高音の出し方と、抑揚のつけたかを教わりました。
小さな木の実」では、音符とそれに合わせた言葉の一つ一つを追うだけでなく、歌詞が紡ぐ物語を意識し、歌が表現しようとしている世界へ入ることを教わりました。
「見上げてごらん夜の星を」では、一つの曲が持つ波をつかみ、大きく、小さく、ゆっくり、早くといったメリハリのついた唄い方を教わりました。
「もみじ」では、習ったことの総集編として、全員で立ったまま唄いました。

 最後に先生がご自身でピアノを弾きながら外国語の歌を一曲ご披露され、万雷の拍手でお開きとなりました。
 本当はアンコールとなったところですが、会館の使用時間に制限があるため、次回を期して閉会宣言を行いました。

 先生は、楽譜は読めても読めなくても大丈夫と言われました。
 音符と発声を合わせようとばかりしていると、肝腎のものがかえってつかみにくくなる場合さえあります。
 歌詞のイメージと、メロディーの流れに入れば、唄えるのです。
 ただし、「学生はちゃんと読まなければならないんですが」と、小さな声でつけ加えました。
 さすが、四国の霊場を巡拝し、お大師様のご加護を実感された方であると感じました。
 お大師様は、般若心経を読み解いた文章の中でこう言っておられるからです。
「名医は薬草を見つけ鉱山技師は宝石を見つける。
 秘されている価値を見いだすかどうかはそれぞれの問題である」
 同じ草や石も、目にする人の心によって現れ方が違います。
 貴重な薬草も、それを見分ける力がなく、必要としてもいない人にはただの雑草であり、草刈りの対象となって刈られてしまうことでしょう。
 宝石を含んだ石も、それを見分ける力がなく、宝を求めてもいない人にはただの石ころであり、意識にもとどめられないか、蹴飛ばされるか、モノを叩くのに使われるかわかりません。
 厳密に楽譜を追い、正確に朗々と唄う能力を高めねばならない立場を目ざしてもいない私たちは、書かれたものを大まかにつかみ取り、自分の心を開いて楽しく唄えば、それで楽譜は役割を果たしたことになります。
 先生は、この胆のところを言われたのでしょう。

 5つの歌それぞれに深い感興を覚えました。
 特に、初めて唄った「小さな木の実」の歌詞を先生が朗読された時には、身体が震えました。
 帰山して調べ、驚きました。
 作詞家海野洋司が未発表にしていた自作の「草原の秋」が元になったこと。
 ビゼーの旋律に打たれた編曲者石川皓也(アキラ)が、それを心にしまっておいたこと。
 歌手の大庭照子が、自分でなければ唄えない自分の歌を追い求めていたこと。
 三者三様の深い思いがの糸で結ばれた時、珠玉の歌が生まれました。
 それから約40年、いまだに老若男女の情緒へ訴えかけ続けているているこの歌は、これかもきっと唄い継がれることでしょう。
 いつか又、皆さんと一緒に唄いたいものです。
 ご参加くださった方々をお見送りしました。
 一期一会の楽しいひとときでした。

小山裕之先生は仙台市でも歌の指導をしておられます。
 ご希望の方は直接小山先生へ連絡してみて下さい。℡080-1839-6579




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「のうまく さんまんだ ぼだなん あびらうんけん」※今日の守本尊大日如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=LEz1cSpCaXA





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン



2016
09.10

再び、優しさを考える ─困った父親、秘訣を教える、捨てて救われる─

2016-09-10-0001.jpg
〈広島の原爆供養塔。自然墓『法楽の郷』と同じイメージです〉

 「優しさ」を考えましょう。優しさ、つまり、思いやりにまさる救いはありません。思いやられる相手だけでなく、思いやる人そのものがすでに救われています。

1 信じる

 ある時、Aさんが人生相談に来られた。
 父親がギャンブルから抜け出せない。
 Aさんと母親を心配した親戚一同が集まり、父親と別れて暮らせるようにしようということになったが、Aさんも母親もそうしなかった。
 Aさんは、困り者の父親を見捨てられない。
 苦しみつつ、老いてくる母親を支えているAさんは、呻くように言う。
「それでも父なんです」
 申し上げた。
「お父さんご自身の因縁は簡単に解けないかも知れません。
 それでも、親子の縁を切ろうとしないAさんの誠意は見事です。
 こうした事態の解決に絶対的な方法はないでしょう。
 それぞれが、それぞれのやり方で対応しつつ生きるしかありません。
 言えるのは、Aさんが事態から逃げず、お父さんを見捨てない姿勢が人としての誠意を示しているということです」
 誠を尽くす大切さは、誰かのためになるから、という面が一つ、そしてもう一つは、そうするその人そのものがそうしないではいられないから、という面である。
 この後者こそが、「信じる」意味の行き着くところ。
 信じるところから真の人間関係も優しさも生まれる。。

2 認める

 Aさんの父親は、ギャンブルの影響で事件も起こす。
 母親は何度も警察や刑務所へでかけ、父親を連れ帰った。
 Aさんは、そんな母親を哀れと思う。
 さんざんな目に遭っても別れないのは、やはり夫婦というものなのだろう。
 周囲は、母親もAさんも巻き込まれて不幸だからと、夫婦別れを促す時期もあったが、今はもう、余計な口出しをしない。
 父親は、母親にとって〈丸ごと〉夫であり、Aさんにとって〈丸ごと〉父親であり、その現実から逃げようとしない姿を知ったからだ。
 丸ごとそのままの相手を相手にするのが「認める」意味である。
 自分に都合良く、利用する部分だけ切りとって誰かを認めたりはしない。
 親が、長所も短所もひっくるめて我が子を愛おしく思う、これが本当の優しさである。

3 教える

 自分がそうなっていて気づかなくても、誰かが崖っぷちの方向へ歩いていると気づく場合がある。
 それを教えないではいられない。
 誰かに難事が起こりそうな場合も、誰かが好事をつかまえそこなおうとしている場合も、教える。
 ところで、私たちが理想的人間である菩薩(ボサツ)になろうとするならば、『大日経(ダイニチキョウ)』が説くとおり最低、4つの戒めを守らねばならない。
 一つ、正しい法を捨ててはならない。
 一つ、悟りを求める菩提心(ボダイシン)を捨ててはならない。
 一つ、正しい法を伝えず惜しんではならない。
 一つ、生きとし生けるもののために役立たねばならない。
 この3番目が問題である。
 私たちは〈つかんだ秘訣〉を自分だけのものにして、優位に立とうとする。
 それは優しさと無縁である。
 真に教えることは、自分の人生の一部を分け与えるのと同じである。
 これもまた、真の優しさである。

4 与える

 俳優の杉良太郎氏は、刑務所慰問、被災地支援、ベトナム人の里親など、ありとあらゆる慈善活動を行ってきた。
 売名と批判されても「ええ、売名ですよ」と平然として答えるらしい。
 人は普通、あって当たり前のものがないと、罪を犯すかも知れないし、死ぬかも知れない。
 戦乱の地や暴風雨で壊滅した地域などでは、世界中いたるところで食糧の略奪が起こり、暴力事件も殺人事件も起こり、餓死者も出る。
 与えられることでようやく、人倫が保たれる場面は哀しく、美しくもある。
 そうしたギリギリの地点を知っている人は、与えずにいられない。
 杉良太郎氏は、刑務所で憂さを忘れる時間を与え、被災地で生き残る安心を与え、ベトナムで向上できる希望を与え続けている。
 これが優しさでなくて何だろうか。

5 守る

 10年前の10月2日、アメリカ東部ペンシルバニア州ランカスター郡で、キリスト教の一派であるアーミッシュが運営する学校へ賊が押し入った。
 錯乱した近所の運転手が女子児童5人を射殺した挙げ句、自殺した。
 その中には、友達を救うため「私から撃って。ほかの子は解放して」と前に出た13才と11才の姉妹が含まれている。
 現場へ駆けつけた犯人の妻と子供3人はアーミッシュたちに抱擁して慰められ、妻は葬儀にも招かれた。
 アーミッシュは「善をもって悪へ応えよ」と育てられている。
 どうしても誰か、何かを守らねばならない時、私たちは自分の何かを捨てる場合がある。
 それはモノであり、時にはいのちでもあるが、核となっているのは自己中心的な思いの放棄だ。
 私たちは本当に何かを守ろうとすれば、必然的に我欲を離れ、誰かを赦し、誰かを救う。 
 自分も根本的に救われている。
 優しさはここに極まる。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「のうまく さんまんだ ぼだなん あびらうんけん」※今日の守本尊大日如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=LEz1cSpCaXA





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン



2016
09.09

映画『太陽の蓋』を観てください ─東日本大震災被災の記(第187回)─

2016-09-09-0001.jpg

2016-09-09-0002.jpg
〈どこか懐かしい露地〉

2016-09-09-0003.jpg
広島平和記念資料館に新しく展示された血染めの服。真っ白だったのに、いくら洗っても色が落ちないという〉

2016-09-09-0004.jpg
広島平和記念公園に立つ招霊木(アガタマノキ)は、いつ眺めても味わいがある 〉

 広島平和記念資料館でのうち合わせを終え、広島市の「横川シネマ」へ向かった。
 佐藤太監督の『太陽の蓋』を観るためだ。
 原爆から再興した時期と変わりないかのような小さな商店街の中に映画館はあった。
 数軒先に暖簾のかかった食堂があり、昼食を摂ろうと覗いたら、スタンドだけの店内は、常連客とおぼしき中高年の男性でぎっしり。
 皆さん、昼飯を食いに来たのではなく、昼酒を飲みに集まっているのだ。
 お邪魔にならぬよう早々に辞し、近くの蕎麦屋で空腹を満たして上映時間よりかなり早く映画館へ入った。
 ちょうど前の作品が終わったばかりらしく、ご高齢の男女が次々と出てくる。
 ひげ面ながら、さっぱりした風情の館主は快くホールでの待機を認めてくださり、読書をしながら待った。

 河合弘之弁護士の事務所から連絡があって知った作品は、期待を超えた完成度だった。
 あの大震災と原発事故からの5日間、政府と東電と報道機関はどのように対応し、被災した人々はどのように行動したのか?
 現役の政治家などが実名で登場する「真実のジャーナリスティック・エンターテインメント」と銘打っただけあり、充分な資料に裏付けされたことが窺える力作だ。
 制作者橘民義氏はパンフレットの冒頭で信念を述べている。

「地震国にいっぱい原発を造った人たちがいる。
 その人たちはそれを安全だと言い続けた。
 その人たちは、これほど大きな事故が起きても、子供たちが甲状腺ガンになって苦しい思いをしても、ふるさとに帰れない人が10万人以上いても、それでも反省の色もなく原発を再稼働しようとしている。
 そしてもう一つ見逃せないのは、その人たちは事故の責任を自分たちではなく、他のある一点に押しつけようと画策した
 私がこの映画を作りたいと思ったのは、事故以来今日まで大きく歪曲して伝えられた事実を正確に伝え直したいと思ったことに他はない。
 改めて検証した資料は、現場に一番近いところから選んだ。
 その場にいてモンスター(原発)と闘った人が書いた文献、虚偽の発言が許されない国会事故調査委員会の記録、どうしても事実を隠すことが出来ない東京電力に残されたビデオ、そして直接取材して得られた多くの人々の生の声などだ。
 ここから発見された新しい事実は今までの日本のメディアが伝えてきたものと大きく違う
 これら真実に一番近い情報を元にドラマとして構築した。
 この映画は世界の隅々まで広めたい。
 真の物語として100年先200年先まで残したい。」


 私たち日本人はあの時、それぞれなりの最善を尽くそうとしたのではなかったか?
 それでもなお、原発は人間が到底コントロールしきれないモンスターであることを、私たちは骨の髄まで教えられたのではなかったか?
 日本が生き残れたのは、各現場の尽力もさることながら、原発4号機の燃料プールへ水が流れ込んだ奇跡的と言うしかないできごとなど、数々の僥倖によることを知り、〈次の事故による生き残りはない〉と知ったのではなかったか?
 だからこそ、私たちはあの時、原発からの脱却を決意したはずではなかったか?

 止められた原発の再稼働について、事故に際しての避難経路の確保があらためて厳しく問われ、〈本当に逃げられるのか〉と調べてみれば、そんなことは不可能であることを、この事故と事後の経過は明らかにした。
 狭い国土に密集しながら生活している私たちは逃げようがないのだ。
 だからこそあの直後、欧米人や中国人などはこぞって日本を後にした。
 原発を造った会社は、事故を事実上〈起こり得ない〉と主張してきたが、それが虚構であることを、この事故は明らかにした。
 産・官・学が何を主張しようと、島国であり地震国である日本では、今回同様、いつ、〈想定外〉の地震や津波に襲われようと何の不思議もない以上、「安全」な原発など造りようがないではないか。

 私たちはいつの間にか、「あの時の対応が悪かったからこうなっている」というイメージを刷り込まれてきた。
 そして、「ああいうことが起こらないようにすれば大丈夫」と思わされつつある。
 この二つのイメージコントロールこそ、この映画が断罪しているものだ。
 
 プロデューサー大塚馨氏は「プロダクション・ノート」をこう締め括っている。

「本作で描けたのは震災や原発事故のほんの一片かも知れない。
 あれから5年、これからも新たな事実が次々と明らかにされていくのだろう。
 しかしながら人々の記憶は薄れ、問題意識から遠ざかる一法であることは確かだ。
 あの時発令された『原子力緊急事態宣言』は今だ解除されていない
 首の皮一枚でかろうじて何を逃れた東日本。
 その危機的状況が現在も続いているという認識をどれほどの人が持ち続けているだろうか……。
 これは本作に関わった全てのスタッフが自分自身に問いかけた疑問でもあった。
 この作品はまだ序章に過ぎない。
 そしていつの日か新たな一歩を踏み出すため、明瞭な解を得ることを願ってやまないのである。」


 仙台市における上映は「フォーラム仙台」(仙台市青葉区木町通2-1-33)にて本日まで。
 上映開始は、11時55分。
 ぜひ、一人でも多くの方々にご覧いただきたい。
 午前2時にようやく帰山したまま、この拙稿を書いている。
 真実の力が蓋をはね除けて輝くよう、願ってやまない。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「おん さん ざん ざん さく そわか」※今日の守本尊勢至菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。

https://www.youtube.com/watch?v=qp8h46u4Ja8





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン



2016
09.08

信心が連れて行く先は? ─漢文『法句経』を読んでみる(その8)─

 前回にひき続き、今回も『法句経(ホックキョウ)』の「篤信品(トクシンボン)第四」を意訳します。

〔七五〕士に信と行(ギョウ)有れば、聖の誉(ホ)むる所と為(ナ)る、無為(ムイ)を楽しめば、一切(イッサイ)の縛(バク)解(と)かる。


比丘が信じ、実践すれば、聖者に称賛される。因果を離れた絶対の安心の世界に憩う時、迷いの生存をもたらすすべての束縛から解き放たれる)

〔七六〕信と戒と、慧意(エイ)もて能(ヨ)く行(ゴウ)ずれば、健夫(ケンプ)は恚(イカ)りを度(ド)し、是(コ)れに従(ヨ)りて淵を脱(ノガ)る。


(信じ、戒めを守り、智慧の心でしっかりと修行すれば、強壮な人は怒りに左右されなくなり。迷いの淵から脱する)

〔七七〕信は戒を誠ならしめ、亦(ま)た智慧を受(ウ)く。在在(ザイザイ)に能(ヨ)く行き、処処(ショショ)に養わる。


(信じれば戒めはよく守られ、智慧も授かる。あちこちにでかけると、どこででも供養を受ける)

〔七八〕方(マサ)に世利(セリ)に比すれば、慧(エ)と信とは明らか為(タ)り。是(コ)れ財の上宝(ジョウホウ)、家産(カサン)は非常なり。


(世間的な利益に比べれば、智慧信心とは明らかに財物中最高の宝ものである。世間的な財宝は無常でしかない)

〔七九〕諸(モロモロ)の真を見んと欲し、法を聴講(チョウコウ)するを楽しみ、能(ヨ)く慳垢(ケンク)を捨(シャ)す、此(コ)れを信と為(ナ)す。


(さまざまな賢者たちと会い、教えを聴き学ぶことを楽しみ、我がものを手放したくないと執着する心の汚れを捨て去る。これが真に信心ある人と言える)

〔八〇〕信は能(ヨ)く河を度(ワタ)り、其(ソ)の福奪い難(ガタ)し。能(ヨ)く禁じて盗みを止(ヤ)めよ。野は沙門(シャモン)の楽しみなり。


信心ある人は、迷いの岸から悟りの岸へ渡り、その福徳はなんぴとも奪えない。喧騒を離れた閑静な場所には行者の楽しみがある)

〔八一〕信無(ナ)きに習(シュウ)せざれ。好んで正言(ショウゴン)を剥(ハ)ぐこと、拙(ツタナ)く水を取るが如し。泉を掘るに泥を揚ぐ。


信心のない人に慣れ親しんではならない。そうした者は正しい言葉が身から離れ、うまく水を得られないのと同じである。泉を掘り当てようとして泥しか挙げられないようなものである)




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。




「おん さんまや さとばん」※今日の守本尊普賢菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=rWEjdVZChl0





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン



2016
09.07

仏壇とフロイトの話 ─西洋人が見つけ、日本人が失いつつあるもの─

2016-09-07-0001.jpg

 私たちは、家に仏壇があって当たり前、そのお世話をするのが母親やお祖母ちゃんの役割であると思ってきた。
 しかし、仏壇が徐々に消え、大人が子供に合掌を教えなくなりつつある。
 それは習俗や慣習や生活感覚が〈変わった〉と簡単には言えない大きく深刻な問題を孕んでいるように思う。

 今から30年ほど前、初めて日本を訪れた宗教心理学者デニス・クラス氏は、日本に就職した息子の友人宅を訪れ、どの家でも神棚や仏壇を目にした。
 関心を持った氏は訊いた。

「これでどのような儀式をするのか?」
 
「特別なことはなく、ただ朝夕に手を合わせて挨拶する。
 大切な事がある時は、仏壇の前に正座し、静かに亡き父の声を聞き、その大切な事が無事に終われば、父に報告する」

 氏は驚いた。
 そのあたりのことを宗教学者カール・ベッカー博士は『愛する者は死なない』にこう書いている。

「親が亡くなると、まるでこの世に存在しなかったかのように二度とその声を聞くことのない西洋人として『いったい死者をどのように考え、扱ってきたのだろうか』と、その父親は衝撃を受けた。
 日本では、すでに「あの世に逝った」親が息子の心の中で生きており、その知恵、その教え、その姿が、遺された者の人生に活かされている。
 『これぞ文明だ』と痛感した
のである。」


 この体験に基づき、デニス・クラス氏は『続いていく絆』を書き、欧米で大反響を呼び、続編も出た。
 それは、西洋人の心のどこかにも、「大切な人を忘れたくない」という気持があるのに、フロイトが「死者を忘れろ、前へ進め」と示した方向性が宗教的絶対性を持ち、死者を忘れない者は異常者扱いを受けていたからである。
 第一次世界大戦により家族を失った数百万人もの遺族は、あたかも「何もなかった」ことにして前を向かされつつ、ここまで来たが、今や、他の文明、フロイト流と異なる思想に触れて心が動かされたのだ。

 カール・ベッカー博士の言葉は重要だ。

「日本人は、聖書のように決まった教典を読み宗教を理解するのではない。
 家族のつながり、お盆やお墓参り、時代劇などのテレビ番組といった庶民文化を通して、死やあの世についての考えを身につけているのではないであろうか。」


 そのとおりである。
 しかし、氏が言う「庶民文化」は薄れつつある。
 8月6日号の「週刊ダイヤモンド」によれば、「自分なりの死生観(生と死の考え方)を持っている人」は、わずか9・5パーセントである。
 30才~79才の男女1万人に対する調査は、「死後の世界について考えたことがない人」30・9パーセント、「存在するのは現世の生だけで、死んだら無になると考える人」28・8パーセントという結果を出した。
 無信仰の人は約7割である。
 新築のきらきらしい住居のどこにも、神棚や仏壇は居場所を与えられなくなってきた。
 そして、祖父母4人全員の名前を言える人はわずか4割しかいない
 中国の文化大革命によって家族や師弟などの絆を断たれ、親や祖父母に対する人倫的感覚を忘れた人々、あるいは継承されてきた文化を弊履のごとく破壊した人々を批判した日本人もまた、自ら似たような道を歩もうとしているのではないか?
 とめどない学校や職場でのいじめ、パワハラやセクハラなどの卑劣な行為、それらは、人倫の荒廃、文化の劣化を表しているのではなかろうか?

 わずか30年前、西洋人の魂を揺り動かした私たちが共有している宝もの(文化・文明)をあらためて見なおしたい。
 経済第一主義、科学的合理性への極端な傾斜、弱肉強食を放置する強者の自由、つまりは、自分さえ儲かればよい、見えるものしか信じない、強い者が勝ちで弱い者など知ったこっちゃない、という危うい方向の危険性に気づきたい。

 西行が詠んだ辞世の句である。

「願はくは 花の下にて 春死なむ そのきさらぎの 望月のころ」


 お釈迦様が入滅された花の季節にあの世へ逝きたいと願い、そのとおりになった。

 同じ頃、義経に殉じた武蔵坊弁慶も詠んだ。

「六道の 道のちまたに 待てよ君 遅れ先立つ 習ひありとも」


 あの世で地獄界に堕ちようと、修羅界で再び闘おうと、必ずおそばへ逝くから待っていて欲しいと思いのありったけを叫び、堂々と後を追った。

 さいわいにして私たちにはまだ、こうした句に共鳴する部分が残されている。
 立ち止まり、振り返りたい。
 子供たちと日本の未来のために。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。




「おん さんまや さとばん」※今日の守本尊普賢菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=rWEjdVZChl0





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン



2016
09.06

入れ歯の拾いもの ─見世物になったジャック・ロンドンと村上春樹氏のこと─

2016-09-06-0001.jpg

 晴れた日、入れ歯を拾った。
 墓地の入り口付近、アスファルト道路の真ん真ん中だ。
 まるで生きているかのような肉色と白く光る歯並びに驚いた。
 さっそく丁寧に持ち帰り、職員たちに見せたところ、〝何てものを……〟というように眉をしかめ、「すぐ、水に入れなきゃ」と言う。
 乾くとダメになってしまうのだそうだ。
 それに数十万円すると聞いて、また、仰天した。
 あとは2人に任せ、作家村上春樹氏のエッセー『ジャック・ロンドン入れ歯』を思い出した。

 氏と誕生日が同じアメリカの作家にジャック・ロンドンという人がいた。
 過去形で書くのは、彼が名声の絶頂で自殺してしまったからだ。
 彼が日露戦争の従軍記者として朝鮮半島へ出かけた時、単身、宿泊した辺鄙(ヘンピ)な村の役人から頼まれた。
「村のものたち全員が御尊顔を拝したいと申しております。
 もしよろしかったら、広場でみんなにお顔を見せてやっていただけますか」
 彼は、自分の文名がこんな寒村にまで知れ渡っていることに驚きながらも、感激した。

 さて、ぎっしりと聴衆で埋まった広場へでかけた彼に、役人は言った。
「申し訳ありませんがちょっと入れ歯を外して見せていただけますでしょうか」
 それまで入れ歯というものを目にしたことのなかった観客は熱烈な拍手を送った。
 お立ち台に立って、30分もの間、入れ歯を外したり入れたりしながら、彼は心底、こう思ったという。
「人間がどれだけ死力を尽くして何かを追求したところで、その分野で人々に認められるのは稀なことなのだ」

 村上春樹氏はこの一件について思う。

「これを読んで僕は、ロンドンという人は本当に偉いと思った。
 感動さえした。
 もちろん腹も立てずそのまま半時間も入れ歯を出したり入れたりしていた親切さも相当偉いと思う。
 顎の筋肉だってずいぶん疲れたことだろう。
 しかし僕がそれ以上に感心したのは、その教訓の学び方であった。
 もし千人の人間がまったく同じ立場に置かれたとしても、そこからこんな特殊な教訓を引き出せる人は彼の他にまずいないのではないだろうか。」
「しかし考えてみればまあそのとおりだよな、と僕も思う。
 人は何かに向かってたとえ血の滲むような努力をしても、必ずしもそのことで他人に認められるとは限らないのだ。
 それはたしかに人が肝に銘じておいていい事実であるだろう。
 僕はこのエピソードを読んで、ジャック・ロンドンという作家が以前にも増して好きになった。」


 ところで、地震、津波、大雨、大風など、地球温暖化現象による生活環境の激変は凄まじい。
 今は主として、自然の中で暮らしてきた山村、農村、漁村の人々が甚大な被害を蒙っているが、ある限度を超えると、次には、都会の機能が麻痺することだろう。
 もしも、日本三大鍾乳洞の一つである龍泉洞(岩手県)のように、東京都の地下鉄が水没したならば、あるいは環状線が水没したならば、どうなろうか。
 被災地では、アッと言う間に生活の基盤を失い、手の施しようがない人々のもとへ、ボランティアの人々が黙々と足を運び、黙って汗を流す。
 しゃがみこんだ老婆の横で若者が泥を運び出す絶望と希望が交錯する光景には、目まいを感じることさえある。
 無惨であり、神々しい。
 そして、ふと、思う。
〝ボランティアの善男善女は、あれだけ崇高な行為を実践できる魂なりの評価を受け、それにふさわしい生活環境を得ておられるだろうか?〟
〝常々、抗えない無常や不条理に打ちのめされ、声にならない呻きを抱えていればこそ、呻く人々に対して、じっと傍観者になってはいられないのかも知れない〟
 確かに、「どれだけ死力を尽くして何かを追求したところで、その分野で人々に認められるのは稀なこと」なのだろう。
 そうであろうと、ジャック・ロンドンは置かれた立場で誠意を尽くした。
 ボランティアの方々も、場と相手とを問わず誠意を尽くす。
 村上春樹氏はこの誠意を感じたから、「以前にも増して好きになった」のだろう。
 人知れず祈ることくらいしかできなくなった小生もまた、ボランティアの方々があふれさせる誠意には強く励まされる。

 さて、拾った入れ歯です。
 しっかり確保し、職員たちがケアしております。
 お心当たりの方はどうぞ、お早めにお申し出ください。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。




「おん あらはしゃのう」
※今日の守本尊文殊菩薩様の真言です。どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=WCO8x2q3oeM





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン





2016
09.05

最初の在家信者は息子を失いそうになった長者夫婦 ─高野聖の原形は絶望した若者にあった─

2016-09-05-0003.jpg

〈「法楽の会」会員の皆様と、善男善女のご芳志により、護摩法を続けています〉

 お釈迦様がある朝、河のほとりを散歩しておられました。
 そこに若者が駆け寄ってきました。
「苦しくてなりません」
 若者はヤシャといい、地域の長者の息子です。

 前夜、パーティーに疲れて眠り込んだヤシャは、夜中にトイレへ向かった時、心を寄せている舞姫が楽団員とたわむれているのを目撃しました。
 絶望した彼は裸足で邸宅を飛び出し、河まで走って来たのでした。
「よき若者よ。
 ここは安穏無事である」
 こう言って話を聴いてくれたお釈迦様の前で、泣くだけ泣き、彼は無常を骨の髄まで知りました。
 お釈迦様は諭します。
「さあ、ご両親が心配しておられるだろうから、もう、家へ帰りなさい。
 たとえ家にいて豪華な衣装をまとっていても、五欲(ゴヨク…食欲・財欲・色欲・名誉欲・睡眠欲)から離れれば、本ものの出家者だ。
 たとえ娑婆(シャバ)を離れて山に住んでも、五欲に惹かれれば本ものの出家者ではない。
 大事なのは心だ。
 だから、家に帰りなさい」
 しかし、ヤシャはその場で弟子入りを希望し、お釈迦様も許しました。

 さて、朝になって息子がいないことを知った父親は半狂乱になって探し、河までやってきました。
 お釈迦様は、息子を知らないか、と訊ねる父親をそばへ座らせ、他者のためになる布施(フセ)や、人としての戒めを守る持戒(ジカイ)などの大切さを説きました。
 説法に納得した父親は人生の空(クウ)も、財物が生きる上の根本ではないことも知りました。
 その様子を見極めたお釈迦様は、ヤシャを呼んで対面させました。
 自殺したのではないかと案じていた父親がとても喜び、息子の出家に賛成したことは言うまでもありません。

 誰かに問題が生じた時、本人を無理に変えようとするよりも、できごとを正面からとらえて相談に来られた方にまず、考え方や生き方を変えていただくことによって、問題の当人も救われるというパターンは頻繁(ヒンパン)に起こります。
 この世のできごとはすべて、〈関係性〉の中でのみ発生するからです。
 それが空の教えであり、因果応報の教えです。
 この場合は、息子であるヤシャに問題が起こり、父親がお釈迦様のところへ来るより先に、もう帰依(キエ)していました。
 しかし、人生相談の現場においては、追いつめられた息子さんを救おうと相談に来られた親御さんやご家族にご自身の生き方を変えていただくというケースが多いのです。

 さて、自分の生き方を深く省みた父親は、長者のままで弟子入りすることを希望し、お釈迦様も許しました。
 このクリカラ長者が最初の優婆塞(ウバソク…男性の在家信者)です。
 邸宅での供養と説法を請う長者に承諾したお釈迦様は、翌日、出かけました。
 その場で母親も信者となり、最初の優婆夷(ウバイ…女性の在家信者)が誕生しました。
 やがてヤシャの仲間50人も出家し、お釈迦様は総勢61人に膨らんだ弟子たちがそれぞれ、諸国へ説法の旅に出るよう促しました。
 こうして、日本における高野聖(コウヤヒジリ)の原形とも言うべきスタイルができました。
 托鉢(タクハツ)で修行を始めた小生も、未熟者ではありながら、気持の上ではヤシャや高野聖のような志を持って歩いたものです。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「のうぼう あきゃしゃきゃらばや おん ありきゃ まり ぼり そわか」※今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=IY7mdsDVBk8





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン


2016
09.05

第78回寺子屋「法楽館」 ─優しさを考え、唱歌を唄う会─

2016-09-05-00012.jpg

2016-09-05-000223.jpg

 第78回寺子屋「法楽館」では、優しさについて考え、「もみじ」「小さな木の実」「ふるさと」などの唱歌や童謡を唄って心の潤いを取り戻しましょう。
 東日本大震災で被災された方々も、どうぞ、ホッとするひとときを持ってください。
 お誘い合わせの上、お出かけになられますよう、言い出しっぺの小山先生共々、お待ちしております。
・日時:9月10日(土)午後2時~4時
・指導:鎌倉女子大准教授小山裕之先生(先生は、仙台、東京、鎌倉などで、唱歌の指導と合唱団の指揮に励んでおられます)
・法話:住職遠藤龍地
・場所:「イズミテイ21」小ホール(403席 車椅子可)
・会費:1000円 中学生以下、東日本大震災被災者の方は無料
・申込:不要 直接会場へお出かけください




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「のうぼう あきゃしゃきゃらばや おん ありきゃ まり ぼり そわか」※今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=IY7mdsDVBk8





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン


2016
09.04

Q&A(その28) 喪失と子供の不調について

2016-09-04-0001.jpg

 子供神経質になった、急に成績が落ちた、などの場合、環境の激変が影響しているかも知れない。
 こうした子供や孫に関する人生相談もたくさんある。
 カール・ベッカー博士によると、小さなお子さんの〈喪失〉体験は7つのリスクをもたらすという。
 ここにおける喪失とは、親や兄弟など身近な人の死、あるいは親や仲間から見捨てられる、いじめられる、虐待される、といった人間関係の決定的な切断である。
 以下、博士著『愛する者の死とどう向き合うか』を参照しつつ、考えてみよう。

1 不安と恐怖が異常に高まる。

 ちょっとしたできごとや物音でも、不安になり、恐れる。

2 重度の抑うつになる確率が高まる。

 全員が抑うつ状態になるわけではなく、大人になってから強い落ち込みになりやすいという研究報告がある。
 
3 健康上の問題や事故などが増加する。

 喪失による悲嘆がストレスとなって健康を害しやすくなるし、周囲に対する注意力が散漫になったりもする。

4 学業成績が低下する。

 環境の激変により、誰かの手助けがないと、勉強へ集中しにくくなったりする。

5 自己評価(セルフ・エスティム)が低下する。

 生きるための杖を失ったように思うし、他者からの心ない言葉が、より所のない気持を強めたりもする。  

6 外的なLOC(統制の所在)が著しく高まる。

 不幸の多くが運の悪さから生じ、自分の運命は抗えない他者によって統制されていると感じる「外的統制者」になりやすい。
 反対に「人生の不幸の多くが自分の過ちから生じていると考える人間」は内的統制者である。

7 後の人生において、悲観的になりやすい。

 やれると思えばやれそうなことも、やれないと思うことによってやれなくなり、悪循環に陥りやすい。

 もちろん、喪失を体験した子供すべてがこうした問題を抱えるわけではないが、いくつかに当てはまると判断した場合は、適切な手を打つ必要がある。
 たとえば、こうしたポイントである。

遊びの時間を充実させる。

 遊ぶことによって、子供は自分がいる世界の意味を理解し、その理解は喪失の理解へとつながる。
「遊ぶ子は、ストレスに直面しても不安定になったり、人間として持っている自己治癒力を失ったりすることはめったにありません。」

○その子供なりの性質・性格のうち、立ち直りに役立ちそうなところをうまく動かす。

 自分でどんどん立ち直れる子供もいれば、ショックに弱い子供もいて、性格は簡単に変えられないことをよく理解した上で導く、

○家族間で何らかの信念や実践を共有する。

 なぜ、と疑問のまま、説明できないできごとにぶつかっても、家族として精神的な信念体系を持っていれば、できごとの意味を見つけやすい。
 たとえば、家族の中で掃除などの役割を淡々と果たしている子供は、不測の事態に適応しやすい力を持っている。
 大人も子供も、何かしらスピリチュアルな信念を持っている人と、持っていない人とでは、現実に耐え、適応する力が違う。
 自分の信念や行動によって〈自分の世界〉をつかんでいれば、そこに生じたできごとも、理解し、受け容れやすいのだろう。

○外部からのサポートを行う。

 家族以外に頼れる人がいない場合、第三者の手助けは力になる。

○状態を判断した上で、喪失した相手とのつながりを保たせる。

「(あの世へ逝った)お父さんは今、何を考えているんだろう」
 こうした姿勢が出てくれば、できごとはおさまりをつけつつあると言える。

 もしも、我が子に異変を感じた際は、学校でのいじめなどと共に、環境の激変によるストレスを考えてやるようにしたい。
 ただし、できごとが起こった時期と変化が生ずる時期の間にかなりなズレが生ずる場合もあり、慎重な検討が必要。
 いずれにしても、変化は必ず何かのシグナルである。
 キャッチしてあげたい。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「のうぼう あきゃしゃきゃらばや おん ありきゃ まり ぼり そわか」※今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=IY7mdsDVBk8





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン


2016
09.03

映画『後妻業の女』を観て ─悪徳と問いかけ─

2016-09-03-0001.jpg

 ご来山される方々の口からときおり耳にする映画『後妻業』を確認した。
 娯楽映画なので登場人物の言動は当然、誇張されてはいるが、人倫を無視するところまで色欲と財欲が暴発し、良心もいのちも破壊されてゆくさまは、現実世界のわずか半歩、先に何があるかを実感させられた。

 婚活会社に勤める後妻業のエース小夜子(大竹しのぶ)の言動は、私たちの心のどこかにある〈本音〉に通底しており、小気味よい。
 しかし、日常生活で〈本音〉に蓋がされているのは、それが背徳的で、前面に出れば〈おしまい〉になることを私たちが知っているからだ。
 無論、〈本音〉とは言っても、表面の心のすぐ下あたりに時として湧き出す曇り程度のもので、その奧には、曇りを笑い飛ばしたり、吹き飛ばしたりする仏性(ブッショウ)がある。
 客席のほとんどを埋める中高年のカップルは、小夜子のセリフや行動に思わず笑ってしまうが、そこには余裕があるはずだ。
 お互いにわかっているからだ。

 小夜子の活躍で大いに儲けさせてもらっている婚活会社の社長柏木(豊川悦司)も、2人を恐喝する探偵本多(永瀬正敏)も、小夜子を「化けもの」だと言う。
 小夜子は男性にとって佳い女を演ずるだけで、心の中にはあらゆる悪徳がある。
 お釈迦様は「十善戒」という行動目標を示され、江戸時代の傑僧慈雲尊者(ジウンソンジャ)はそれを「人の道」として生涯、説かれた。
 ところが、殺すなかれ、盗むなかれ、犯すなかれ、嘘つくなかれ、などの戒めは、どれもがことごとく小夜子の意中にない。
 だから、普通の人なら必ず生じるはずの人倫に背く祭に生ずる葛藤など、無縁だ。
 そのあっけらかんとした〈欠落〉こそ、化けものの、化けものたるゆえんだ。

 あまりにも見事に小夜子を演じた大竹しのぶは、原作を読んだ時、「あっ、これ、絶対映画になるな」と思ったという。
 そして、彼女の実年齢より遥かに年上の小夜子役がテレビや映画から回ってきて驚いた。
「えっ、なんで、みんな、そう思うの。こんな怖い女を私が?」
 もちろん「現実にいたら絶対許せないとんでもない女」と断言しているが、もしかすると幾分か〈地〉も入っているのではないかと思わせるほどの成りきりぶりは圧巻だ。
 痛快とまで感じられるほど、悪徳に徹底している小夜子が可愛いのは、愚かではあっても本気だからだ。
「ものすごいポジティブ志向で、自分は絶対に幸せになる、何があっても私は大丈夫、人生をうまく生きてやるぞという女でもあるので、やっていて楽しかったですね。」
 この「ポジティブ志向」に観客は救われる。
 スクリーンでは、背徳が、必ずもたらすはずの無惨な結果へとつながっては行かない。
 小夜子と一人息子との間で完全に破綻している親子関係がもたらす怒鳴り合い、つかみ合い、奪い合う悲惨なシーンですら、一種の活劇になっている。
 愛を知らない小夜子の一生懸命さによって、観客はペーソスや笑いや同情が引き出される。
 とても完成度の高い娯楽映画であると言えよう。

 とは言え、この映画が私たちへ突きつけてくる問いはどれもが重い。
 たとえば、子供が親を見向きもしない時、たとえよからぬ魂胆があるとしても、日々、楽しく過ごさせてくれる異姓がそばにいれば、本人にとって〈それはそれでよい〉のではないか?
 小夜子に殺された耕造(津川雅彦)の次女明美(尾野真千子)は真実に気づき、奪われた遺産を取り戻そうと小夜子を追いつめるが、耕造が秘匿していた遺書に「最後の最後まで、おもろかった」と記載されていることを知り、「父の金は父のもの。誰に残そうが自由」と思う。
 当山へ人生相談に来られる方の中には、親が生きているうちにもう、財産は自分のものだと錯覚している人が少なくない。
 親子関係にはいろいろあり、錯覚から悶着は生じるのは、決して珍しくないパターンである。
 このあたりは、悪徳からの行動によってあぶり出される一人の男性における人生の締め括り方すなわち終〈括〉の問題だ。
 そして、あの世まで持って行けない財産をどう処置するかという人間性の問題だ。

 映画は、小夜子の悪徳ぶりと、この問いかけとが二本の柱となっている。
 大ヒットしているのも当然だ。
 ただし、もしも本当に後妻業を営んでいる女性がいた場合、この映画が力強い応援歌になっては少々、困るのだが……。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。




「おん ばざら たらま きりく」※今日の守本尊千手観音様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=IvMea3W6ZP0





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村
 
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン

 

2016
09.02

9月の聖語 ─魔除けはどのように行われるか?─

2016-09-02-00032.jpg
〈隠形(オンギョウ)法にて魔除けを行う〉

 今月の聖語です。
 お大師様は説かれました。

四魔現前(ゲンゼン)すれば、すなわち大慈三摩地(サンマジ)に入り、四魔等を恐怖(クフ)し降伏(ゴウブク)す」


四魔(シマ)が現れたならば、無限の慈悲心そのものになって四魔を恐れさせ、屈服させる)

 四魔とは、煩悩魔(ボンノウマ)・天魔・死魔・蘊魔(ウンマ)という私たちの心に巣くう魔ものたちです。
 自己中心的な欲で心身を悩ます煩悩。
 善行(ゼンギョウ)を邪魔する天魔。
 死に神。
 心身が苦悩の原因となる蘊魔。
 私たちは常に、こうした魔ものたちの襲来を受けつつ、日々を暮らしています。
 お大師様はここで、たとえば子供がオモチャを欲しがるように、ダイエット中にもかからわずアイスクリームを食べたくなったなら、その気持を敵視するのではなく、他の方法でやろうと説いておられます。
 三摩地(サンマジ)とは、インドの言葉サマーディを音写したもので、瞑想が深まりきった状態です。
 だから、無限の慈悲心そのものに成り切った状態が「大慈三摩地」でしょう。
 イソップ寓話の「北風と太陽」のように、太陽に成り尽くすところを目ざします。

 では、どうすれば、そこへ〈入られる〉か?
 もちろん、行者ならば伝授された法を修することになりますが、一般的には、各人がご縁となった修行法を信じてやるしかありません。

 では、たとえば、自分の守本尊様をイメージし、合掌して真言を一心に唱えるといった行為がなぜ、そこへ導くのか?
 それは、私たちの心の奥底にある〈み仏の心〉が活性化されるからです。
 お大師様は40才になったおりにこう詠まれました。

「浮雲いずこより出(イズ)るとも、本これ浄らかなる虚空なり」


(空の浮き雲はどこから湧き起こるかわからないが、いずれにしても、湧いてくるところは清らかな虚空である)

 お大師様が説かれた方法は確かです。
 自分の心に「浄らかなる虚空」があることを信じられるか?
 それを感得できる瞬間があるか?
 自分自身に問うしかありません。
 魔除けには結局、自分の心のありようが最終的な問題なのです。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「おん あみりたていせい から うん」※今日の守本尊阿弥陀如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=4OCvhacDR7Y





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン


back-to-top
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。