【現代の偉人伝】第五十六話 ―国宝の流出を阻止した人―
現代の偉人伝〜隣にいる英雄たち〜とは
アレキサンダー大王、
ジンギスカン、ナポレオン、織田信長・・・戦争が生んだ、偉人とされる人々・・・。それよりも、自らを他人のために投げ打って、人や命を助けた人々の生き様こそ、学ぶべきではないでしょうか? あなたの身近にいる偉人を紹介してください!当山では、身近な人々の善行に関する情報を集めています。
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3月18日、クリスティーズで注目の競売が行われ、国宝クラスの一品は無事、海外へ流出せずに済んだ。
日本人は恥をかかずに済んだ。
快哉を叫びたい。
出品されたのは、北関東地方在住の美術品収集家が所有する鎌倉時代の仏師運慶作と見られる「木造大日如来坐像」である。
落札価格は2億円程度と予想されていたが、実際は約12億5000万円だった。
落札者は三越であり、国内の顧客からの依頼によると発表されたが、今後の展示や一般公開などの予定はないという。
渡海文部科学相の談話である。
「わが国の貴重な文化財が海外に流出しなかったことに安堵している。今後、この仏像が適切な環境の下で保管され、多くの方々に公開されることを期待する」
まさに安堵したが、成り行きには大いに不満がある。
そもそも、所有者は、平成14年に東京国立博物館が鑑定し運慶作であろうと判断した時、自分が持っているには荷が重すぎるとして文化庁に引き取りを依頼したという。
ところが価格の折り合いがつかず、文化庁は文化財指定を検討したにとどまった。
重荷を下ろすことが叶わぬ所有者は競売にかける以外、方法がなくなった。
約1万3千人もの足利市民たちが海外流出防止を訴える署名を集めたが、文部科学省は受け入れなかった。
事前に報道された落札予想価格を知った時、それを蹴った文部科学省の判断に「何を考えているのか」と憤激してしまった。
生命保険も、福袋も、天下りの官僚が手にする退職金も、マンションも1億円があたりまえになった今の時代、これだけの「国の宝」へ1億円や2億円を国が投じられないはずはない。
もちろん、灯油代を気遣いながら生きている身にとって億のお金は途方もないものだが、子孫へ残す国の宝ものの対価としては、何ら驚くべき水準ではない。
私などは、「本当にこんな価格で落札されるのか?」といぶかったほどである。
10億を超えたのは当然である。
遙かな峯のように屹立する運慶が彫った根本仏大日如来である。
しかも、内部には秘法が結んであるに違いない五輪塔の形をした木札や水晶の玉が納められている。
価値が判らなかったのか、国宝の流出を黙認する恥ずかしさはないのか。
もはや、「何を考えているのか」というしかない。
さて、この件をとりあげたのは、もちろん、落札者を称賛しないではいられないからである。
江戸時代に世界最高水準にあったとされる日本の文化がレベルダウンしていると評されて久しいが、ここで国宝を確保できないようでは、「ことここに至れり」だった。
ところで、財欲が煩悩(ボンノウ)の一つとされているのは、我がために「もっと、もっと」と果てしなく欲しがり、我がモノを「惜しい」と他のために手放せない執着心が自他を苦しめる迷いだからである。
財物そのものに穢れはなく、財物を敵視するのもまた、自分の執着心をモノのせいにする煩悩である。
モノを手放せば煩悩がなくなるように言うのは、本人がものごとを他のせいにする心や自分の困窮を自己弁護する心を持っているか、もしくは、モノを巻き上げたい下心を持っているか、あるいは単純に勘違いしているかである。
もちろん、何かを手放すのがモノへの執着心を克服するための一方法であるのは理解できるが、決して、「敵であるモノを手放せば良い」のではない。
だからこそ、聖徳太子は、裕福な維摩居士(ユイマコジ)が文殊菩薩などと丁々発止のやりとりをする『維摩経(ユイマキョウ)をもって、国を導く経典と定められたのである。
当然、財物は、無いよりもあった方が良い。
今回の一件でも明らかなように、自他のために役立つからである。
畢竟、問題はどう用いるか、その心である。
財物を敵視してはならない。
三越への落札依頼者は、日本を恥さらしにしなかった。
大欲(タイヨク)と言いたい。
※この文章を書いた後で、文部科学省は買値4億円を提示し、持ち主は8億円を要求していたらしいとの報道があった。
それにしても、オークションが始まって数分も経たぬうちにセリ値が10億円を突破し、手数料を含めて14億円を支払う買い主はとても喜んでいたと聞けば、文部科学省の判断は甘かったと言えるのではなかろうか。
アレキサンダー大王、ジンギスカン、ナポレオン、織田信長・・・戦争が生んだ、偉人とされる人々・・・。それよりも、自らを他人のために投げ打って、人や命を助けた人々の生き様こそ、学ぶべきではないでしょうか? あなたの身近にいる偉人を紹介してください!当山では、身近な人々の善行に関する情報を集めています。
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3月18日、クリスティーズで注目の競売が行われ、国宝クラスの一品は無事、海外へ流出せずに済んだ。
日本人は恥をかかずに済んだ。
快哉を叫びたい。
出品されたのは、北関東地方在住の美術品収集家が所有する鎌倉時代の仏師運慶作と見られる「木造大日如来坐像」である。
落札価格は2億円程度と予想されていたが、実際は約12億5000万円だった。
落札者は三越であり、国内の顧客からの依頼によると発表されたが、今後の展示や一般公開などの予定はないという。
渡海文部科学相の談話である。
「わが国の貴重な文化財が海外に流出しなかったことに安堵している。今後、この仏像が適切な環境の下で保管され、多くの方々に公開されることを期待する」
まさに安堵したが、成り行きには大いに不満がある。
そもそも、所有者は、平成14年に東京国立博物館が鑑定し運慶作であろうと判断した時、自分が持っているには荷が重すぎるとして文化庁に引き取りを依頼したという。
ところが価格の折り合いがつかず、文化庁は文化財指定を検討したにとどまった。
重荷を下ろすことが叶わぬ所有者は競売にかける以外、方法がなくなった。
約1万3千人もの足利市民たちが海外流出防止を訴える署名を集めたが、文部科学省は受け入れなかった。
事前に報道された落札予想価格を知った時、それを蹴った文部科学省の判断に「何を考えているのか」と憤激してしまった。
生命保険も、福袋も、天下りの官僚が手にする退職金も、マンションも1億円があたりまえになった今の時代、これだけの「国の宝」へ1億円や2億円を国が投じられないはずはない。
もちろん、灯油代を気遣いながら生きている身にとって億のお金は途方もないものだが、子孫へ残す国の宝ものの対価としては、何ら驚くべき水準ではない。
私などは、「本当にこんな価格で落札されるのか?」といぶかったほどである。
10億を超えたのは当然である。
遙かな峯のように屹立する運慶が彫った根本仏大日如来である。
しかも、内部には秘法が結んであるに違いない五輪塔の形をした木札や水晶の玉が納められている。
価値が判らなかったのか、国宝の流出を黙認する恥ずかしさはないのか。
もはや、「何を考えているのか」というしかない。
さて、この件をとりあげたのは、もちろん、落札者を称賛しないではいられないからである。
江戸時代に世界最高水準にあったとされる日本の文化がレベルダウンしていると評されて久しいが、ここで国宝を確保できないようでは、「ことここに至れり」だった。
ところで、財欲が煩悩(ボンノウ)の一つとされているのは、我がために「もっと、もっと」と果てしなく欲しがり、我がモノを「惜しい」と他のために手放せない執着心が自他を苦しめる迷いだからである。
財物そのものに穢れはなく、財物を敵視するのもまた、自分の執着心をモノのせいにする煩悩である。
モノを手放せば煩悩がなくなるように言うのは、本人がものごとを他のせいにする心や自分の困窮を自己弁護する心を持っているか、もしくは、モノを巻き上げたい下心を持っているか、あるいは単純に勘違いしているかである。
もちろん、何かを手放すのがモノへの執着心を克服するための一方法であるのは理解できるが、決して、「敵であるモノを手放せば良い」のではない。
だからこそ、聖徳太子は、裕福な維摩居士(ユイマコジ)が文殊菩薩などと丁々発止のやりとりをする『維摩経(ユイマキョウ)をもって、国を導く経典と定められたのである。
当然、財物は、無いよりもあった方が良い。
今回の一件でも明らかなように、自他のために役立つからである。
畢竟、問題はどう用いるか、その心である。
財物を敵視してはならない。
三越への落札依頼者は、日本を恥さらしにしなかった。
大欲(タイヨク)と言いたい。
※この文章を書いた後で、文部科学省は買値4億円を提示し、持ち主は8億円を要求していたらしいとの報道があった。
それにしても、オークションが始まって数分も経たぬうちにセリ値が10億円を突破し、手数料を含めて14億円を支払う買い主はとても喜んでいたと聞けば、文部科学省の判断は甘かったと言えるのではなかろうか。


