普賢菩薩の六根清浄法 1
普賢菩薩は、まず六根(眼・耳・鼻・舌・身・意)のありさまを直視し、懺悔せよと説かれました。
このように示されると、「見えるから、聞こえるから、善いことも行ってきたはずだ。確かに悪しきことを行ったが、それだけを取りあげるのはなぜか」と思うやも知れません。
しかし、善行を行えば悪行が許されるはずはなく、過去の過ちを省み、意識するとしないとにかかわらず六根によって動かされる心のはたらきがいつ、誰を傷つけるか判らないことを怖れるならば、潜在意識や深層意識までをも清めておかねばなりません。
たとえば、ちょっとした言葉のやりとりが殺人事件にまで進んでしまうのは、深い意識にそうした粗暴なものがたくさん蓄えられているからであり、ただ、殺人はいけないと知っているだけでは瞬間的に起こる激情とそれに触発される行動を抑え尽くすことはできません。
日々の精進により、こうありたいと願う方向へと心を導いておかねばなりません。
心は正直です。
必ず因縁によって動きます。
考え、語り、行動する主体(因です)となる心を訓練しておき、人間関係を含め清浄な環境(縁です)を選んで生活することが、清浄で創造的で生き甲斐のある人生をもたらします。
そのためには懺悔が欠かせません。
そして、『六根懺悔の偈』を読んでから経典を読誦すれば六根は清浄になると説かれています。
無限の過去から重ねた目のはたらきによる因縁が見えるものへの執着心を起こさせ、それが欲しい、惜しいという欲をかき立て、苦を招いている。
無限の過去から重ねた耳のはたらきによる因縁が快なるものに惹かれ執着させ、不快なるものにはさまざまな煩悩を生じさせ、悪しきはたらきが悪事を招き、常に不快なものによる苦に悩まされている。
無限の過去から重ねた鼻のはたらきによる因縁が佳き香を求めさせて止まないがために、勝手な分け隔てを行い、輪廻転生の原因を作っている。
悪業が原因となって不妄語戒、不綺語戒、不悪口戒、不両舌戒に背き、誹謗し、嘘をつき、邪見を褒め、無意義な言葉を用いている。
無限の過去から身体は殺生し、盗み、邪淫を重ねてきた。
無限の過去から心は不善すなわち、貪り、怒り、愚かしい考えを重ねてきた。
このように示されると、「見えるから、聞こえるから、善いことも行ってきたはずだ。確かに悪しきことを行ったが、それだけを取りあげるのはなぜか」と思うやも知れません。
しかし、善行を行えば悪行が許されるはずはなく、過去の過ちを省み、意識するとしないとにかかわらず六根によって動かされる心のはたらきがいつ、誰を傷つけるか判らないことを怖れるならば、潜在意識や深層意識までをも清めておかねばなりません。
たとえば、ちょっとした言葉のやりとりが殺人事件にまで進んでしまうのは、深い意識にそうした粗暴なものがたくさん蓄えられているからであり、ただ、殺人はいけないと知っているだけでは瞬間的に起こる激情とそれに触発される行動を抑え尽くすことはできません。
日々の精進により、こうありたいと願う方向へと心を導いておかねばなりません。
心は正直です。
必ず因縁によって動きます。
考え、語り、行動する主体(因です)となる心を訓練しておき、人間関係を含め清浄な環境(縁です)を選んで生活することが、清浄で創造的で生き甲斐のある人生をもたらします。
そのためには懺悔が欠かせません。
そして、『六根懺悔の偈』を読んでから経典を読誦すれば六根は清浄になると説かれています。


