宮床開運守本尊 大師山 法楽寺 〜法灯により法友とともに法楽に住せん〜

2008-09

行者の心得 その4

10 結界を張ること。

 結界において一番気をつけねばならないのは、自分が仏神であると思いこんで死んだ人がそのまま妄者となって現れて来る場合があるので、それを決して入れないことです。
日本霊異記』などを読めば、意志を通したいと我を張ったまま妄者となった怨霊のすさまじさが解ります。
 正統な修法結界を結ばないと、念の力が妄者を呼び寄せてしまうことも珍しくありません。
 テレビで怪しい占い師や霊能者が、何かにとりかかるとすぐに気持が悪くなったり、不安げな表情になったりするのは、自分でそうした流れを作るからであり、護身法の力を甲冑としてまとう正統な行者は何ものを相手にしても淡々としており、何ものにも怯えません。
 気持が悪くなったり怯えたりしたら勝負は負けに決まっています。
 だから、第三者の目から見れば、特殊な場合を除けば、何ら〈それらしい〉ところがないままに、修法は終わります。
 護身法は、自分自身へ結界を張るものであり、隠形流行者は迷わず、惑わされず、ただただ素直に伝授を信じ、励みましょう。
 まず、きちんと自分の身を護られればこそ、いかなる亡者をも安心の世界へ導くことができます。
 泳げない人は、溺れている人を救うことはできないのです。

11 念力ではなく法力でことを行うのが仏法を信ずる行者の務めである。

 念ずることにおいて制限はなく、その内容は、善であったり悪であったりします。
 なぜなら、誰でも勝手にできるからです。
 しかし、法を結ぶことは、決して勝手にできはしません。
 なぜなら、法力を動かせる行者からしか法力は受け継がれないからです。
 だから、お大師様は、法の伝授は「器から器へ移すようなものである」と説かれ、弟子が密教を伝授されるべき器であるかどうかを見極めるのが、師となる者の大事な仕事です。
 そして、受け継がれたものは、正しい修行方法によって正しく行者の血肉にならなければ決して生きません。「知った」だけになってしまい、宝は持ち腐れとなります。
 
 法力によって事態が動いたからといって驚く必要はありません。
 法力は加持力となっていのち全体へはたらきかけており、たとえ目立たないとしても心が変化していることは、何よりも大きなできごとなのです。
 修法の場を体験された方が、「霧が晴れました」「心が軽くなりました」「前へ進めそうな気持になりました」などと述懐されるとおりです。

 なお、仏法において「念ずる」とは、心へしまい込むべきものをきちんとしまい、努々(ユメユメ)疎かにせず、決して離さないことを意味します。
 釈尊は、それを「正念(ショウネン)」と説かれました。

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