もうすぐ64歳になる老体を気づかい、行者里佳さんは「先生、たまには休んでください」と控え目に言い、懇願してもくれるのだが、こちらは〝やらねばならぬことがある〟と意地を張る場合がほとんどだ。
でも、言外に〝いいかげんにしてくださいよ〟と、自分の歳を忘れている点を厳しく注意をしてくださっているありがたさに、たまにはそうしようと思う。
とは言え、一旦、出家した以上はもう、娑婆の人間ではない。
たとえ道路脇に停めた車中で短い仮眠をとっていて訝しがられても、料理屋の片隅で作家ととりとめのないヒソヒソ話をしていても、あるいは銭湯でアゴに手を当てて瞑目していても、あるいは9時前に寝ようとして妻にあきれられても、24時間、行者である。
と、いう次第で、今回は、午後から一関市にある樹木葬の墓苑「長倉山知勝院」を訪ねた。
田舎に住んでいる者には見慣れた里山だが、きちんと間伐され、墓園の手前には三枚の棚田がある。
チップを敷き詰めた狭い参道を歩きつつ、始めた時から手伝っているという中年の女性が案内してくれる。
墓地そのものの入り口には二本の角塔婆が立てられており、見学者はここから先へは入れないという。
そうだろうなと納得する。
何しろ、里山として管理するプロの手になっている聖地である。
納める時か供養する時でなければ、極力、管理人以外は入らない方が良いに決まっている。
しかし、数珠を手にしていたせいか、少々足を踏み入れることを許可してくださった。
お聞かせいただいた内容には、あえて、触れない。
ただ、里山を守るという、とてつもなく手間と根気の要る、決して手を緩められない事業を永遠に続けるのには、巌のような覚悟が不可欠であると理解できた。
10分ほどの説明が終わり、山門を離れる時、「質問はありませんか?」と尋ねられた。
「こちらの方針に理解・納得・共感・満足できた方々がご縁になられるのでしょうね」
何しろ、JR一関駅から車で片道5000円かかる立地である。
そうですという待っていた答に、またまた「志」の力を再確認させられた。
カメラを手にして入山したが、墓苑となっている地帯へレンズを向けはしなかった。
帰り道、全国有数のジャズ喫茶「ベイシー」を覗き、20分間ほど懐かしい音を聴いた。
カウンター奥にいた店主に目で挨拶をして席に着いたらユラリと立ち上がって注文をとりにきた。
耳元近くで「コーヒーと紅茶を」と小さく告げる。
店内ではアベックが一組じっと大音量のジャズに身をまかせているだけだが、これが礼儀である。
彼は黙って角張った肩に垂直な頭を立てたまま去り、やがて腰から上体を折りながら飲み物をセットしてくれた。
前の演奏がすぐ終わり、次はセロニアス・モンクだった。
静寂を背景にした嵐が起こる。
彼のいのちと彼の時代が音と空気になって奇跡のようによみがえり、私の魂で眠っていた部分もまたよみがえった。
帰りの車中で、極楽は花畑の向こうで待っているというイメージが強烈に浮かんだ。
ぶつくさつぶやき、時には確信的に語る言葉に、助手席で聞き役になっている妻は「また始まった」とあきれている。
急いで帰山し、イメージに導かれた法務の夢をとり憑かれたように語り出すと、里佳さんは「しょうがないわねえ」と、これまた(心で)あきれ顔になった。
夜になり、「ベイシー」で買い求めたステレオサウンド誌発行の「聴く鏡」を読んだところ、おもしろいエピソードがあった。
著者(店主)菅原正二氏が手術のため入院することになったが、9時消灯なので原稿が書けず、待合いロビーで「原稿用紙と筆記用具を持って転々としていた」そうである。
私も四国八十八霊場巡拝のおり、夜中しかメモの整理ができないので、やはり旅館の寒いロビーでウロウロと明かりを求めたことがあり、苦笑してしまった。
さて、里山霊苑と「ベイシー」は何に結実するのか。
今日もご本尊様へ懺悔し、結果を待ちましょう。
「のうまく さんまんだ ぼだなん あびらうんけん」※今日の守本尊大日如来様の真言です。
どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
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でも、言外に〝いいかげんにしてくださいよ〟と、自分の歳を忘れている点を厳しく注意をしてくださっているありがたさに、たまにはそうしようと思う。
とは言え、一旦、出家した以上はもう、娑婆の人間ではない。
たとえ道路脇に停めた車中で短い仮眠をとっていて訝しがられても、料理屋の片隅で作家ととりとめのないヒソヒソ話をしていても、あるいは銭湯でアゴに手を当てて瞑目していても、あるいは9時前に寝ようとして妻にあきれられても、24時間、行者である。
と、いう次第で、今回は、午後から一関市にある樹木葬の墓苑「長倉山知勝院」を訪ねた。
田舎に住んでいる者には見慣れた里山だが、きちんと間伐され、墓園の手前には三枚の棚田がある。
チップを敷き詰めた狭い参道を歩きつつ、始めた時から手伝っているという中年の女性が案内してくれる。
墓地そのものの入り口には二本の角塔婆が立てられており、見学者はここから先へは入れないという。
そうだろうなと納得する。
何しろ、里山として管理するプロの手になっている聖地である。
納める時か供養する時でなければ、極力、管理人以外は入らない方が良いに決まっている。
しかし、数珠を手にしていたせいか、少々足を踏み入れることを許可してくださった。
お聞かせいただいた内容には、あえて、触れない。
ただ、里山を守るという、とてつもなく手間と根気の要る、決して手を緩められない事業を永遠に続けるのには、巌のような覚悟が不可欠であると理解できた。
10分ほどの説明が終わり、山門を離れる時、「質問はありませんか?」と尋ねられた。
「こちらの方針に理解・納得・共感・満足できた方々がご縁になられるのでしょうね」
何しろ、JR一関駅から車で片道5000円かかる立地である。
そうですという待っていた答に、またまた「志」の力を再確認させられた。
カメラを手にして入山したが、墓苑となっている地帯へレンズを向けはしなかった。
帰り道、全国有数のジャズ喫茶「ベイシー」を覗き、20分間ほど懐かしい音を聴いた。
カウンター奥にいた店主に目で挨拶をして席に着いたらユラリと立ち上がって注文をとりにきた。
耳元近くで「コーヒーと紅茶を」と小さく告げる。
店内ではアベックが一組じっと大音量のジャズに身をまかせているだけだが、これが礼儀である。
彼は黙って角張った肩に垂直な頭を立てたまま去り、やがて腰から上体を折りながら飲み物をセットしてくれた。
前の演奏がすぐ終わり、次はセロニアス・モンクだった。
静寂を背景にした嵐が起こる。
彼のいのちと彼の時代が音と空気になって奇跡のようによみがえり、私の魂で眠っていた部分もまたよみがえった。
帰りの車中で、極楽は花畑の向こうで待っているというイメージが強烈に浮かんだ。
ぶつくさつぶやき、時には確信的に語る言葉に、助手席で聞き役になっている妻は「また始まった」とあきれている。
急いで帰山し、イメージに導かれた法務の夢をとり憑かれたように語り出すと、里佳さんは「しょうがないわねえ」と、これまた(心で)あきれ顔になった。
夜になり、「ベイシー」で買い求めたステレオサウンド誌発行の「聴く鏡」を読んだところ、おもしろいエピソードがあった。
著者(店主)菅原正二氏が手術のため入院することになったが、9時消灯なので原稿が書けず、待合いロビーで「原稿用紙と筆記用具を持って転々としていた」そうである。
私も四国八十八霊場巡拝のおり、夜中しかメモの整理ができないので、やはり旅館の寒いロビーでウロウロと明かりを求めたことがあり、苦笑してしまった。
さて、里山霊苑と「ベイシー」は何に結実するのか。
今日もご本尊様へ懺悔し、結果を待ちましょう。
「のうまく さんまんだ ぼだなん あびらうんけん」※今日の守本尊大日如来様の真言です。
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