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2014
03.27

輪廻転生の始まりは? ─「ダライ・ラマ『死の謎』を説く」を読む(14)─

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〈『法楽農園』の横を流れる宮床川〉

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〈整備されつつある河川敷〉

 平成6年、ジャーナリスト大谷幸三氏は、インドのダラムサラにおいて、ダライ・ラマ法王への質問を数日間かけて行い、回答をまとめた。
 それがテキスト「ダライ・ラマ『死の謎』を説く」である。

第二章 輪廻転生(リンネテンショウ)の法則

3 ダライ・ラマ輪廻

○高い叡智(エイチ)は、より大きな輪廻をもたらす

「私は常々、仏教の幾多の教えの中にある、輪廻思想に対する解釈や論理を学びつづけねばならないと考えている。
 仏教思想、仏教哲学には、生きとし生けるものは転生する、さまざまな理由が見出される。」

「より深く学ぶこと、もちろん、個々の経験も重要だが、学び修養を積めば、当然、理解は進むものだ。
 それでも、輪廻のある重大な部分については、言葉では表明できない場合も起こりうる。
 あなた自身が、高い経験を蓄積し、高い叡智に触れるしかない。
 それが、より大きな輪廻をあなたに示してくれることになるであろう。」


 ダライ・ラマ法王ほどの方でも、仏教徒としては凡人と同様、一修行者であり、学び続けておられる。
 ただし、生まれ持ったものはもちろん、経験も叡智も凡人とは次元が違うので、輪廻転生に関する〈理解〉の内容は、凡人がうかがい知ることはできない。

ダライ・ラマの輪廻転生は、どう確認されたか

「ただし、輪廻転生を選び取る、あるいは獲得する方法は、主に前世か、もしくは前々世といった過去の人生の記憶の内容いかんにかかっている。
 もちろん、私自身の輪廻転生もその例外ではない。」

「十三世ダライ・ラマの没後、その転生した十四世となるべき私を捜し求める使者たちは、私を試す、あるいは確認すべく、いくつもの試験を実施した。
 それらはすべて、私がいかに強い前世の記憶を保持しているかを調べるためであった。
 本物のダライ・ラマの輪廻転生を、記憶によって確認することが、それらの試験の主たる部分を占めていたのである。」


 十四世ダライ・ラマ法王は、十三世の死後1年半で転生したとされている。 

「今日、複数の心理学の学者、研究者たちが。前世、前々世といった過去の人生の記憶を鮮明に保持しているとされる人間たち、特にこど子どもたちの研究を実施している。
 たとえばアメリカ・ヴァージニア大学のステーィブンス博士や、その同僚たちは、ひじょうに注目すべき多くの実例を含んだ、数千ものこのような記憶を保持する人間たちの記録を作成している。」


 イアン・スティーヴンソン博士は『前世を記憶する子どもたち』及び『前世を記憶する子どもたち2』などで、生まれ変わりに関する科学的検証の結果報告を行っている。
 こうした本には、前世を知っていることが事実と認めるしかない事例が示されている。
 まだ、万人の輪廻が証明されているわけではないが、輪廻は現代科学の光によって、徐々に客観性を獲得しつつあるように思える。
 そして、輪廻は、超絶的な宗教体験の世界における真実であるだけでなく、私たちの存在を道理によって把握し、倫理に根拠を与える仏教の根本思想である。

○ダライ・ラマはチベット人として再生するとは限らない

「ここで注意を喚起しておかねばならない。
 ダライ・ラマはけっして、チベット人としてのみ輪廻転生を行うとは限定されてはいないということを。」

「ところが、現在においてさえ、われわれチベット人の社会は、数千もの転生ラマを有している。
 こうした転生ラマたちの場合、輪廻転生が常に健全な形で起こっているとはいいがたい。
 ときとして、転生ラマの輪廻転生が偶然に、いわゆるカルマの必然を伴わないで、起こってしまうことがある。
 その輪廻が本物か否かを問わず、一人の転生ラマ、チベット語でトゥルクだが、そのトゥルクが死ぬと、人々は生まれ変わりを欲することになる。
 それが、このような不自然な転生を実現してしまう。」

「不幸なことだが、チベット社会においては、トゥルク、転生ラマは社会的な地位を獲得する。
 ステータス・シンボルである。
 これほど非健全、非健康的なことはない。
 そのため、1960年の前半期に、私はかくのごとき必然性を持たないトゥルクたちの削減に、大いに努力しなければならなかった。
 ただし、もちろん高次の輪廻を具現している、また歴史的な価値を有するトゥルクたちが、削減の対象から外されていたことは言うまでもないだが。」

「しかし、私の努力はチベット社会の支持が十分に得られず、その目的を達することはできなかった。
 無用の、輪廻転生を確認する必要のないトゥルクたちが、今もたくさん存在する。」


 トゥルクが生まれた一族は、一気に社会的ステータスを上げる。
 ダライ・ラマ法王は、宗教的権威にまつわる弊害を除去しようとされた。

○ダライ・ラマの存在は、仏陀以前に遡る

「ダライ・ラマ、私自身については、ダライ・ラマという名前を持った存在が、十四回にわたって輪廻を繰り返してきたということである。
 しかし、それは、第一世ダライ・ラマが最初の存在であることを意味しない。
 ダライ・ラマの輪廻転生は、はるか遠くの過去にまで、仏陀の時代にまで遡ることができる。
 それらすべての時代を貫いた、このダライ・ラマに続く転生の系譜は七十代に及ぶものである。」

「そればかりではない。
 仏陀の時代の存在さえも、それが最初の存在ではない。
 それよりはるかに以前の、遠い遠い過去へと遡ることができる。
 輪廻転生は始まりもなく終わりもないのだから。」


 仏法は、造物主や創造主を必要とせず、すべては因と縁によって生じると、ありのままに観る。
 因縁によって生じているものには、必ず〈先立つもの〉がある。
 それを無限にさかのぼってみても、〈最初にあったもの〉があるはずはない。
 それにすら、〈先立つもの〉があったはずだからである。
 つまり、現象を生じさせている大本(オオモト)はつかみようがない。
 しかしながら、私たちがいのちをつなぎつつ生きているのは厳然たる事実であり、この事実の奧に隠れているつかみ切れぬほどはかり知れない深遠な事態を「本不生(ホンプショウ…本より生じず)」と言い、梵字の「阿」で表現する。
 阿は、言葉の母であり、赤ん坊が発する「おぎゃあ」に含まれており、口を大きく開いた金剛力士像は万物を生み出す阿にその全存在をかけている。
 阿という字には人知を超えた真理・真実があり、密教にはそれを感得する方法として、阿字観という瞑想法がある。

 ダライ・ラマ法王が言われている「輪廻転生は始まりもなく終わりもない」とは、このことを指している。
 過去のどこにも、泉としての〈最初のダライ・ラマ〉は発見され得ないが、流れる河水の最先端にダライ・ラマ十四世は厳然として、おられるのである。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「のうまく さんまんだ ばざらだん かん」※今日の守本尊不動明王様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=EOk4OlhTq_M





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