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2014
05.13

空(クウ)をつかむ ─「ダライ・ラマ『死の謎』を説く」を読む(34)─

 平成6年、ジャーナリスト大谷幸三氏は、インドのダラムサラにおいて、ダライ・ラマ法王への質問を数日間かけて行い、回答をまとめた。
 それがテキスト「ダライ・ラマ死の謎』を説く」である。

第6章 宇宙の法則 ―大宇宙の真実が語りかけるもの―

1 時間の概念

○自然の法則の一切が、(クウ)の中に含まれる

「したがって、われわれは事象そのものを、文字どおり、あるがままに理解することは不可能である。
 近代物理学でさえ、諸現象を具体的な事象として捉えようとしているが、その存在の本質は個々の具体的事象とは別のものであると考える。
 存在そのものを示す真実と具体的にものごとが現れる表現との間にズレがあるということだ。」


 お釈迦様は悟られた後、こう考えた。
「執著のこだわりを楽しみ、執著のこだわりに耽り、執著のこだわりを嬉しがっている人びとには、縁起という道理は見がたい。」
 
 私たちは、花を見ても、人を見ても、車を見ても、〈そこに、そう、在る〉と思い、無意識のうちに、一瞬後も〈そこに、そう、在る〉し、明日も〈そこに、そう、在る〉と思う。
 満開の花なら目に見えない範囲で萎れつつあるし、元気な人も刻々と脳細胞が崩れ死へ向かっているし、車も又、たとえ事故に遭わずとも、モノとして古びつつあるのに。
 物理学もまた、観察の限界を突破しては次の限界に挑む繰り返しである。
 存在そのものを示す〈真実〉は、考えたり測量したりする際の対象である〈表現〉とは別の次元にある。
 

「このズレが、われわれをして、ひじょうにしばしば表現を真実と見誤らせ、重大な過誤に陥れる。
 この過ちからわれわれ自身を解き放つことは、いかように強調してもしすぎることがないほど重大なことである。
 ことの本質にかかわることである。
 それは真実を見極めることだからである。」


 私たちは見える世界を言葉に翻訳し、概念を用いて考え、記憶の箱へ入れる。
 花が咲いている、あるいは桜が咲いているとキャッチすれば、すでに、自分の記憶にある「花」や「桜」として捉えている。
 また、食堂へ行けば、カレーライスや肉まんをそうした言葉で捉え、〈辛いものは嫌い〉あるいは〈肉は食べない主義〉などが瞬間的に付随し、〈あそこの食堂に私の食べられるものはない〉という印象などが記憶される。
 こうした範囲の反応や記憶だけでは、「存在そのものを示す〈真実〉」はなかなか観えない。
 もちろん、観えなくても、普段の平穏な生活にあっては、別に何の支障もないだろう。
 法に触れる行動をせず、社会内の役割を果たしていれば、それなりに生きられる。
 しかし、上司の非情な仕打ちに我慢できなくなったり、突然の大病に倒れたり、いのちがけで育てた子供が急死したりすると、〈そのように見えていた〉あるいは〈そのように見えていた〉光景の中で生きて行くことが難しくなる場合がある。
 その時、私たちは意識せずとも、「存在そのものを示す〈真実〉」に迫りたくなる。
 あるいは、それに気づかされることによって眼前の光景が変わり、生きて行く道が見つかったりする。

 お釈迦様は、愛娘を失い気がふれたようになっているキーサゴータミーへ、「一人の死者も出したことのない家を見つけたなら必ずあなたを悲しみから救おう」と約束した。
 彼女は一心不乱に村中の家々を訪ねたが、もちろん、死者を出したことのない家はない。
 必ず亡き親やご先祖様がいるからだ。
 疲れ果て、気落ちしてお釈迦様のもとへ帰った彼女へ、お釈迦様は諭す。
「この世は無常であり、人は必ず死ぬのです」
 こんなことは当たり前であり、誰でも知っているが、私たちは普段そのように人を観てはいないし、自分や自分の家族にその理がたった今、適用されるなどと想像もせず、起こった事態を簡単に受け容れられもしない。
 しかし、悲しみの底の底まで悲しみ、ボロボロになるまで疲れ果てた結果、聖者の言葉として耳に入ったからこそ、普段の〈当たり前〉が、真っ暗な心を照らす〈真実〉としての光を放った。
 苦しみ抜いたキーサゴータミーだからこそ「真実を見極める」ことができ、救われた。
 日常生活を埋める〈表現〉の先へ行けたのである。

「仏教用語を使って表現すれば、真実とは『(クウ)』である。
 サンスクリット語でいうシューニャー、すなわちゼロである。」
「これは仏教の根源にかかわる理念であって、人間の心理の歪みを極力小さくするためには、どうしても理解しなければならない概念である。」


 私たちへ苦をもたらす〈心理の歪み〉は、を観る目にベールをかけている。
 を観る努力は、〈心理の歪み〉を矯正する方法である。


 とは満たされていることを意味する。
 同時に、満たされたものはすなわち空である。
 そして、空はすべての事象を含むものである。
 自然の法則の一切が、空の中に含まれる。
 それそのものだけで、独自に存在しうるようなものは存在しないからだ。
 ここが重要な部分だろう。」


 般若心経の説く「色即是空(シキソクゼクウ)」は「満たされたものはすなわち空である」ことを示している。
 同じく「空即是色(クウソクゼシキ)」は「空はすべての事象を含むものである」ことを示している。
 こうした言葉を見聞きして頭で理解すれば〈当たり前〉と思えるかも知れないが、それだけでは、真実をつかめない。
 キーサゴータミーも、人は死ぬと、疾うに知っていたにもかかわらず、錯乱した。

「この空の概念を把握するためには、般若心経を暗誦せよ。
 このスートラ(経典)には物事の本質が秘められている。
 般若心経を声を上げて唱え、学べ。」


 仏教は古来、瞑想と読誦を修行としてきた。
 読誦の大切さは最近の科学が解明しつつある。
 目で読んだだけでは左脳のブローカ野が言葉を発信し、ウェルニッケ野が情報を受けとるだけだが、顕在意識のはたらくウェルニッケ野に抱かれた聴覚野は深い意識へと情報を届ける。
 また、〈音〉として聴いているものは右脳をはたらかせ、活性化させ、イメージ力直感力を高める。
 たとえ意味がわからなかろうと、経典や真言の読誦が仏道に欠かせぬ修行であることには深い理がある。
 虚空蔵菩薩の真言を百万返唱える密教の虚空蔵求聞持法(グモンジホウ)がお大師様をはじめ、無数の行者たちによって修法され続けているのは、現実的効果があるからに他ならない。
 世界の人口に占めるユダヤ人の割合はわずか0・3パーセントなのに、ノーベル賞の受賞者においては約20パーセントに跳ね上がる。
 ユダヤでは3才の頃から聖書を読誦、暗誦する教育が行われており、教育法とノーベル賞との関連性を指摘されている。
 私たちも、古来、寺院や寺子屋で行われてきたように「般若心経を声を上げて唱え」学びたい。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「のうまく さんまんだ ぼだなん あびらうんけん」※今日の守本尊大日如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=LEz1cSpCaXA





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