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2014
07.04

知力と情緒で〈真の人間〉になろう ─「ダライ・ラマ『死の謎』を説く」を読む(40)─

2014070400111.jpg

 平成6年、ジャーナリスト大谷幸三氏は、インドのダラムサラにおいて、ダライ・ラマ法王への質問を数日間かけて行い、回答をまとめた。
 それがテキスト「ダライ・ラマ死の謎』を説く」である。

第7章 「知」と「心」の融合 ―求めつづけることの大切さ―

1 無限の利他

知力に感情が伴えば、無限の利他へとつながる

「自然現象の必然というものがある。
 その極みが肉体の死であろう。」


 もしも、「どうしても避けられないものを、たった一つに絞って挙げなさい」と言われたなら、多くの方々が「死」を選ぶのではなかろうか。
 私たちは、動物としては生まれながらに〈人〉だが、精神的には、成長しつつ、だんだんに人間らしくなる。
 知恵がはたらくようになり、情緒が豊かになるからである。
 さらに、霊性をきちんとはたらかせつつ生きるためには、人の道を学ばねばならない。
 だから、慈雲尊者は、行うべきことと、行ってはならぬことをきちんと分けて考え、行動するのが〈人になる方法〉であると説き、「人となる道」を著した。
 しかし、私たちの肉体は、精子と卵子が出会った瞬間から、死へ向かって歩み始めている。
 まさにモノの世界における必然であり、精神の世界における宿命である。
 アジソンは言った。
「人間の一生は、ちょうど橋のようなものだ。
 生から死へかかっている橋、その橋を一歩一歩渡ってゆくのが人生だ」

 ビクトル・ユーゴーは言った。
「人間は死刑を宣告されている囚人だ。
 ただ、無期執行猶予なのだ


「その不可避な死を恐れおののかずに迎えるには、人間の知と心のどちらが有効だろうか。
 人間は肉体を内部から知と心によって支えている。」


 私たちの脳には、魚のように、とにかく呼吸や心拍を続けようと、生命維持に懸命な脳幹がある。
 そして、爬虫類のように、本能や縄張り意識などで動く大脳辺縁系がある。
 さらに、ネズミやモグラのように、情動を司り、うまく立ちはたらこうとする大脳旧皮質がある。
 これらがある以上、私たちは必ず死を恐れ、死を避ける行動に動く。
 こうしたワニやネズミの脳のはたらきをコントロールするのが、ほ乳類の大脳新皮質である。
 人間らしい知や心は、死の恐怖へ立ち向かう。

「したがって、この両者の結合にこそ意味がある。
 どちらが優位にあるか、どちらがより大きな影響を及ぼすか、どちらがより人生の節目を決定する力を有するか、そうした問いに答えることは不可能に近い。」


 知力情緒があいまって、過たず、生きがいのある生活が可能になる。
 どちらがより、私たちを幸福にし、どちらがより、不幸にするかはわからない。

「いかなる知、即ち知力、知識、学識なども、心の働きの助けなしには機能しない。
 知の助けなしに心は動かない。
 心がこもらない知によっては、何を行おうと有効にものごとを成し遂げることはできない。
 と同時に、知に支えられない心は狭くなる。
 このように知と心は、ともに助け合いながら働くべきものなのだ。」


 理性が強すぎると、冷たい人になりかねない。
 感情が強すぎると、ばかな人になりかねない。
 信頼される人格者は必ず、冷たくないし、ばかでもない。

「たとえば、心だけならどうだろうか。
 心に生まれる感情は、多くの場合、あまり芳しからざる働きをする。
 心だけでは、ときとして善からぬ働きをすることがある。
 理性とも知力とも無縁で働く場合がそうだ。
 たとえば、憎しみである。
 憎悪もまた心の所産である。
 たとえば、執着といった感情である。
 愛着が執着になったなら、これは悪しき感情の働きだと言わねばならない。
 したがって、心がこもればすべて善いというわけではない。」


『中阿含経』は説く。
「実のごとく苦の本を知るとは、いわく、現在の愛着(アイジャク)の心は、未来の身と欲とを受け、その身と欲とのために、さらに種々の苦果(クカ)を求むるなるを知る」
 執着すなわち、空の真理を知らず、囚われてもいたしかたのないものに囚われ、自ら苦を生じてしまう。
 執着心と苦との絡み合いが解け去らない限り、地獄界や修羅界など、苦の世界における輪廻転生(リンネテンショウ)から抜けられない。
 私たちは、輪廻転生の中で、戦争に苦しんできた。
 しかし、戦争のない時も又、苦しんできたのである。
 知力情緒も、持ち合わせていながら……。

「心は感情の生まれるところである。
 感情といえども、けっして悪しき心の働きだとは言い切れない。
 仏陀自身も激しい感情の持ち主であったはずだ。
 仏陀の説く無限の利他は、理性の基盤の上に、たっぷりと感情がこめられている。
 知力に感情が伴えば、利他の精神はより強められるということだ。
 仏陀は利他を強力な感情だと説かれたと理解したいぐらいである。」


 要は、思いやりを持ち、人の道を学ぶことに尽きる。
 そして、大事に際しては、いかに腹を決めるかである。
 み仏の表情は静かだ。
 しかし、決して冷たくはない。
 手を合わせると無性に懐かしさに似た感謝の感情が起こったりする。
 故郷や親のような無条件に受け容れるお慈悲がそうさせるのだろう。
 み仏には、みじんも揺るぎは感じられない。
 もちろん、迷いもまったく感じられない。
 み仏を慕い、み仏に憧れて合掌を繰り返し、知力、情緒を怠らず、向上させたい。
 そうすれば、きっと、利他の思いが深まることだろう。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。




「おん ばざら たらま きりく」※今日の守本尊千手観音様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=IvMea3W6ZP0





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