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2014
07.08

責任を引き受ける愛 ─「ダライ・ラマ『死の謎』を説く」を読む(41)─

2014070500124.jpg

 平成6年、ジャーナリスト大谷幸三氏は、インドのダラムサラにおいて、ダライ・ラマ法王への質問を数日間かけて行い、回答をまとめた。
 それがテキスト「ダライ・ラマ『死の謎』を説く」である。

第7章 「知」と「心」の融合 ―求めつづけることの大切さ―

1 無限の利他

○人間の頭脳は超能力の住処(スミカ)である

「人間の頭脳というこの小さな空間は、まさに超能力の住処(スミカ)だと言える。
 知と心とがこの中に生きている。
 しかも、それらは単一のものではない。
 何千、何万、何百万という、脳細胞と神経細胞の組み合わせが、それこそ無数の異なるレベルの知と心の融合を実現している。
 その融合が、人が生きるうえで必要なさまざまな役割を果たしてくれる。
 その働きの中でも、もっとも大事なものといえば、愛情を作り出しているということだろう。」


 電波に例えるなら、頭脳は発信基地であり、中継所であり、受信装置でもある。
 目に見えない「知と心」は、目に見えない世界にまで届く。
 東日本大震災で犠牲者になった方々とのやりとりを書いた『想像ラジオ』(いとうせいこう著)は、私たちがずっと保ち続けてきた死者との交流という大切な感覚を大胆に広げて見せた。
 この「知と心」がうまく融合すれば、人間的な愛情の泉ともなる。

「愛情、それもロマンティックな愛はすばらしい働きをする。
 男と女がいようとも、ロマンティックな愛の存在なしには性の営みさえうまくいかない。
 次の世代が絶えてしまう。
 いわゆる再生産のメカニズムが機能しなくなるわけである。
 このような感情は人の本質にかかわるものである。
 したがって、ロマンティックな愛の感情は自然の発露であると言える。」


 男女は、磁石のプラスとマイナスのように引き合うとは限らない。
 しぐさ、目線、言葉など、何であれ、パチンと火花が散るような機縁が必要である。
 そこから「ロマンティックな愛」も生まれる。
 異性間のつながりは、同性同士では、あるいは同性だけのグループでは生まれにくい微妙な潤いを生む場合が多い。

「だが人間の知性は、もっとはるかに遠くまでその力を及ぼすことがある。
 限界を超えることがある。
 自然の発露としての役割以上のことを成し遂げることがある。
 であるからこそ、考えなければならない。」


 この「限界を超える」知性のはたらきは、自分の意志で自分のいのちを捨てるところまで行く。
 ブログ「守ってこそ真の優しさ」に書いた日本武尊(ヤマトタケルノミコト…倭建命)の妃である弟橘媛(オトタチバナヒメ)がその典型である。
 再掲しておきたい。

 火攻めに遭い、相模から逃れて上総をめざした船が暴風に襲われたおり、日本武尊と共にいた弟橘媛はこう言って入水しました。
「いま風が起こり波が荒れて御船は沈みそうです。
 これはきっと海神のしわざです。
 賎しい私めが皇子の身代りに海に入りましょう」(『日本書紀〈上〉全現代語訳』より)
 姫が海中に消えると、さしもの暴風もたちどころにやみ、日本武尊は無事、役割を果たします。
 旗山崎にある走水神社には、故事にちなんだ絵画や石碑があります。
 弟橘媛が日本武尊へ遺した一首です。
「さぬさし 相武の小野に 燃ゆる火の 火中に立ちて 問ひし君はも」
 御歌意訳です。
「相模の国の野原で、敵に四方から火をかけられあわや焼け死にそうになった時、あの、あなたは、剣で草をなぎはらい、大丈夫か、おまえ、と声をかけてくださいましたね。」
(「弟橘媛」より)

 この「燃ゆる火の 火中に立ちて 問ひし君はも」は、日本人の情緒そのものである。
 危機的場面で私を救ってくれたから、今度は私がお返しをするという話ではまったくない。
 おそらく、弟橘媛の心はこうであろう。
〝あの時の貴男の姿も言葉も、自分にとって〈決定的だった〉からこそ、自然に身代わりとなるのであり、身代わりとならずにはいられない。
 あの時の喜びと、今の喜びは変わらない〟

 性愛を媒介とした男女間ではあっても、淫欲や嫉妬や怒りが絡まって相手のいのちを奪いかねない世界とは正反対である。
 ここには、仏神の世界に通じる明らかな知性がある。

「知性を伴う愛、それがロマンティックな愛の形を取ろうとも、正しい愛であるならば、愛はある種の責任を引き受けることを意味する。
 正しい愛は幸せな結婚を実現するだろうし、その結婚は長く幸せを持続させ、生命のある限り続くものになるだろう。
 子どもを産み、育てる。
 幸せな結婚とはそうしたものだろう。
 これもまた、自然の摂理が湧き出るように実現されるもののひとつだと言えるだろう。」


 重要なのは、相手へ「求める」のではなく、「責任を引き受ける」覚悟の伴う愛こそが「知性を伴う愛」であり、そうした愛が、引き合う男女の幸せだけでなく、人類の存続にかかわるという点である。
 愛という言葉は決して免罪符ではない。
 ワニのように、本能や縄張り意識などで動くだけでは情けない。
 ネズミのように、感情を主として自己本位にうまくやろうとするだけでは情けない。
 私たちはワニやネズミのレベルを脱し得る大脳新皮質を持った高等なほ乳類であり、み仏の世界に連なる霊性を具えた人間である。
 この言葉を忘れないようにしたい。
「正しい愛であるならば、愛はある種の責任を引き受けることを意味する。」

20140708000111護摩
〈おかげさまにて、無事、第一例祭を終えました。『法楽の会』会員様をはじめ護摩木に記した善男善女の願いは確かにご本尊様へお届けしました〉




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。




「おん さんまや さとばん」※今日の守本尊普賢菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=rWEjdVZChl0





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