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2014
09.26

真智の開発をめざして(その9) ─五智の教え・明と暗の区別をすること─

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〈朝日新聞様よりお借りして加工しました〉

五智」とは、優しさ・厳しさ・正しさ・優雅さ・尊さであり、その五光により、妄知(モウチ…おかげさまと心の底から思えない惑った心)も邪知(ジャチ…万事を我がためとするよこしまな心)も消え失せます。

 さて、厳しさは、〈愚癡〉〈好悪〉〈自他〉〈明暗〉〈公私〉という五つの問題がきちんと整理される時、〈人間がみ仏の子である証明〉として完成します。

[2の4]厳しさ─明と暗の区別をする

 ほとんどの方が中学校か高校でソクラテスの「無知の知」について習ったはずです。

「知らないことを知っていると思い込んでいる人よりも、知らないという事実を直視できる人の方が賢い」


 また、論語にある一節も習いました。

「知らざるを知らずと為(ナ)す是(コレ」)知るなり」


 こうした言葉を学校で習うのは、事実から遠い〈知っているつもり〉や〈知ったかぶり〉が、人の生き方を損ねてしまうからです。
 手にしているグラスに入っている甘い香りの飲みものが滋養に富んだものなのか、それとも身体に害を及ぼすものなのか、事実を知らないままに、知っているつもりで飲むことを想像してみれば、こうした思想に接することの大切さは、すぐにわかります。
 さて、私たち自身はどうでしょうか?
 明らかなことと明らかでないこととを、きちんと判別しているでしょうか?
 少し、考えてみただけでも、すぐに実態の怪しさに気づくことでしょう。

1 社長との対話から

 社長はいつも現場で率先垂範してはたらき、しっかりした会社を経営しています。
 息子さんも社員の一人としてまじめに汗を流しています。
 そんなさんに声をかけました。
「息子さん、頼もしいですね。
 立派に後を嗣がれるのでしょうね」
 さんは嬉しそうに応えました。
「いやいや、あいつはまだまだ苦労を知りませんからね。
 もちろん、会社を始めた頃の苦労など、彼に体験しようもないし、自分と同じような苦労などさせたくもありません。
 和尚さんは、立派な跡継ぎを育てていると聞きましたが、和尚さんの時代のような托鉢などはもう、できないでしょう?」
 いきなりこちらへ話を振られ、あいまいに返事をしたまま、後で考えてみた。
 
 自分の托鉢時代は何だったのか?
 そもそも、何をしていたのか?
 屈辱や忿怒や落胆や絶望があったはずなのに、もはや記憶の彼方へ遠ざかり、光景のほとんども定かでありません。
 ただ、托鉢で生きる体験は貴重であると考える一方で、若い人に自分と同じことをさせたくないという気持もいくらか、あります。
 自分にとっては結果的にありがたい試練となったが、誰しもが同じようにそこをくぐり抜けられるとは限りません。
 サボるだけでなく、詐欺や不倫をはたらくとんでもない者すらいるのです。
 いずれにしても、ついには狭心症にまでなった真夏の一歩一歩はリアルに思い出せないし、多額のお布施をくださるお宅や、優しくお茶を出してくださるお宅や、美人がいるお宅などを選んで歩きたくなる気持とどう戦ったのかも、今となってはリアルに思い出せません。

 自分でやってきたことすら、ありのままに思い出せないなら、托鉢で生きたはずの私はどう「托鉢」を語る資格があるのでしょうか?
 自分にとって都合良く、あるいは、何か目的に応じた内容にして語るしかありません。
 明らかなことと、明らかでないこととの区別はとても難しいのです。

2 中村文則氏の『』について

 気鋭の作家中村文則氏は短篇小説『』において戦場の心理を描きました。
 日本の軍人が支那人の捕虜を殺す場面は日本軍を貶めようと意図したものではなく、戦場における〈一般的光景〉であると考えられます。
 行為を終え、発狂寸前の「私」の背に手を置いた上官は、その手に「父のような温かさ」を感じさせながら諭します。

「この行為は、誰にも知られることはない。
 この死体は深く埋められる。
 お前の行為も、私達の行為も、誰にも知られることはない。
 なぜならこれは神話だから。
 私達にはもう退路がない。
 私たちが勝てばこんな行為は揉み消せる。
 私たちが戦争に負けても、これらの行為は敵側によって大げさに語られていき、やがて実態を失う。
 実態から外れていけばもうそれは真実ではない。
 いずれ私達の国の連中がその信憑性に異議を唱えるだろう。
 我が国に汚点などないと。証言記録など伝聞に過ぎぬ、写真など細工できると言いながら。
 我々のことなど何も理解していない、過去を直視することすらできぬ臆病者どもがそう叫び続けるだろう。
 彼らは我々の苦悩も体験も理解しようとせず、ただ取り憑かれたかのように綺麗ごとだけを並べ続けるだろう。
 敵も味方も真実よりその時代の都合で歴史を語る。
 消失にしろ強調にしろ、何もかもが実態からうやむやになっていく。
 つまり私達は歴史から断絶している。
 この場は、この場にいる私達は、過去と未来から断絶し、歴史と断絶し、ただこの時間と空間の中に孤独に存在しているだけだ。
 だから私達はその孤独の中でしっかりと結びつかなければならない。
 私達は仲間だ。
 歴史から断絶された存在同士の」


  最後の一行です。

「部下達が私を囲む。
 笑顔に満ちている。
 私はこれほど人間を愛したことがなかった。」


 こうした現場から「圧倒的な運を持ち続け」て生還した人々は誰とも孤独を共有し得ず、多くの場合は黙し続けるか、もしくは精神が持ちこたえられなくなるか、どちらかではないでしょうか。
 戦争に〈ついて〉考える私たちは、はたして戦争〈を〉知った上で考えているのか?
 明らかなことと、明らかでないこととは、いかに判別が難しいか……。

3 事実を知りたくない心理

 9月13日付の朝日新聞は12月から始まる投資信託トータルリターン通知制度について報じました。
 もちろん、営利事業を行わない当山は一円の投資信託も保有してはいませんが、イラストが面白くて読んでみました。
 要は、「自分が投じたお金が最終的に利益を生み出しているかどうか」を日本証券業協会が自主的に知らせるというものです。
 とにかく毎月きちんと分配金が受けとられればそれで安心という高分配を喜ぶ投資家心理は、お金を出した先の実態にあまり関心を示さない場合があり、トラブルになったりします。
 希望的観測のまま、お金を預け放しにしておきたいのです。
 イラストは、不倫関係にある男性に妻子があるのではないかと勘ぐりつつも、知りたくない一心で過ごす女性の様子が描かれています。
 私たちにもこうした〈知りたくない〉心理があり、それが事態を複雑化させたり、のっぴきならないところへまで追いつめてしまう危険性があることは承知しておいた方がよいのではないでしょうか。

 今回のテーマは容易ならざる面を持っているようです。
 自省し、よく考えてみたいものです。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。




「おん ばざら たらま きりく」※今日の守本尊千手観音様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=IvMea3W6ZP0





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