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2014
10.03

しろい昼しろい手紙がこつんと来ぬ ―藤木清子を想う─

2014100300022.jpg

「しろい昼しろい手紙がこつんと来ぬ」


 戦前、謎の俳人とされる藤木清子が詠んだ一句である。
 あらゆるものの色も形も覆ってしまうほど強い陽光が視界を満たす真昼どき、一通の手紙が届く。
 その封筒は更に白く、陽光の中ではどこか非現実的ですらある。
 手紙はハガキと異なり、いささかは重い内容であるはずだが、まるでドアを軽くノックするようなさりげなさで「こつんと」届いた。
 もちろん、内容は重いのかも知れないが、陽光の激しさは、そうしたあらゆる〈主張〉を許さぬほどの暴君ぶりだ。
 白い巨大な空間の中で、手紙の到着という小さな動きが際立っている。

きりぎりす清貧の血の一筋に」


 冬という休息の時期へ向かう秋を彩る生きものたちは、何もかもが儚さを伴っている。
 早暁の暗がりで鳴くキリギリスは体長わずか2~3センチだが、「ギーー、チョン」という声は立派に響き渡る。
 冷たい露のそばで、ぎりぎりまで絞りきったようなフォルムから猛烈なスピードで羽を震わせる力はどこにあるのか。
 ここには余分なものが何もない。
 ――貧しさの極みでなお残るいのちの力。
 清貧と言うしかないのは、藤木清子そのものだったのではなかろうか。

「ひとすじに生きて目標うしなへり」


 昭和15年、新興俳句運動の象徴である『旗艦』へこの句を投稿して藤木清子は姿を消す。
 元々は夫と共に伝統的な俳句を詠んでいたが、夫の死と戦争は大転換を遂げさせた。
 現実と向き合い、非現実とも向き合った。
 そして行き着いたのが目標の喪失だった。

「ひとりゐて刃物のごとき昼とおもふ」


 昼だからといって、俳人はまどろみに堕ちない。
 感性や思念を鈍化させる緩んだ真昼は、俳人の存在を切り裂こうとする刃物であるかのようだ。
 こうした希代の俳人を行き詰まらせたものは何か?
 ただ、惜しいと思う。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「のうまく さんまんだ ぼだなん あびらうんけん」※今日の守本尊大日如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=LEz1cSpCaXA





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