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2014
11.07

私たちの仏教、輪廻のポイント、心の供養、お墓の移動 ―「マイベストプロ宮城」講演会―

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 11月6日、以下の要領にて、「マイベストプロ宮城」秋の生活相談会を行いました。
 以下、簡単におさらいをしておきます。
 いつもこの欄を読んでいてくださる方々にとっては「又か」と思われるかも知れませんが、行きたいのに出席できなかったという方々のためにまとめました。

1 お釈迦様の時代の仏教と私たちにとっての仏教
2 輪廻(リンネ)を信ずる者としての心構え
3 供養の真実
4 お墓の問題

1 お釈迦様の時代の仏教と私たちにとっての仏教

 お釈迦様は、〈苦〉なる輪廻(リンネ)から脱しようとして苦悶し、苦闘し、成就して仏陀(ブッダ…悟りし者)となられた。
 輪廻を脱した以上、もはや再び生まれないし、死にもしない。
 如来となった以上、苦界であるこの世とは永遠におさらばである。
 自分は何者であるか、自分とこの世を存在させている根本的ありようはいかなるものであるか、という生存にかかわるすべての真理をつかんだ智慧は、もはや欠けるところがないので、一切智(イッサイチ)と呼ばれる。
 一切智を得るための方法として、お釈迦様は、凡夫が独力でつかめるはずのない真理を披瀝し、それを徹底して思考し、納得し、生きる血肉にもする修行法を指導した。
 おそらく、高弟たちは、人知れず仏陀となり、この世を去りきったであろう。
 なお、心が乱れていれば智慧を獲得するために行われる瞑想修行の邪魔になるので、慈悲心を持つ有効性も説かれた。
 慈悲はあくまでも、輪廻から脱するための手段だった。

 こうしたお釈迦様の教えは完ぺきであり、遊行しながら教えを説き、人生問題を解決するお姿も神々しいものだったので、教団は拡大した。
 ところが実際に出家し、悟れるのは当然、一握りの人々でしかなく、長い年月が経つうちに多くの人々は、〈この世から永遠に去る修行をしない限り、決して苦から救われないのか?そもそも、この世を永遠に去ることが本当に自分の究極的望みなのか?〉と疑問になったと思われる。

 現に、私自身、出家する際に不生や不死を望んだのではなく、自分の愚かさを去り、罪滅ぼしをし、ご縁だった人々や社会へ恩返しをしたいというのが理由だった。
 お釈迦様が説かれた「この世はままならず、それには原因があり、原因がなくなればままならぬ状況も克服でき、その方法は確かにある」という根本原理は、それ以外ありようはずがないと思える。
 原因と結果として示した十二因縁も納得できるし、修行法としての八正道もありがたい。
 輪廻転生も、すべてを貫く因果の道理も真理とわかる。
 それらをふまえた上で、〈自分がまっとうに生き、まっとうな社会にしたい〉からこそ、自分は修行し、僧侶として生きている。

 解脱して如来になることではなく、まず自分がよりよく生きて、輪廻転生する娑婆をよりよいものとしたいという人々の偽らざる願いが、菩薩(ボサツ…限りなく如来に近いが仏界へ入らず、娑婆と仏界の橋渡しとして人々を救う存在)という観念を生んだのだろう。
 お釈迦様はご存命中に人々へ「菩薩になれ」とは説かなかったが、お釈迦様が説かれた真理を信じて生きる人々が百年、千年をかけて〈菩薩という生き方〉に気づき、熟成させてきたのだろう。
 その過程において、西洋心理学に遥か先立って唯識(ユイシキ)という思想が生まれ、空(クウ)の思想も又、仏教を深めた。
 だから、お大師様は決して、お釈迦様の時代に説かれた仏教を否定せず、そうした仏教をよく学んだ上で菩薩を目ざす大乗仏教を学び、それらの素養を持った者として密教を学べと説かれた。
 当山でも、お釈迦様のナマの言葉に近い『法句経(ホックキョウ)』を数年かけて皆さんと共に学び、今でも法話に生かしている。
 決して自分だけの安寧を求めず、他のためになるところにこそ生きがいも人間の尊厳も見いだす仏教徒でありたい。

2 輪廻(リンネ)を信ずる者としての心構え

 インドで消滅する前の仏教の最後の姿を忠実に受け継いだチベット密教における最高指導者であるダライ・ラマ法王は、輪廻の決め手について端的に述べておられる。
 まず、第一には、〈より後の行い〉が、輪廻へより強い影響を持つことである。
 たとえば、いかに功成り名遂げて社会へ貢献した人でも、晩年にストーカーになったり、暴力事件を起こしたりすれば、社会的立場を失うだけでなく、死後の行く先も危ういものとなることだろう。
 第二には、〈より慣れ親しんだ生き方〉が、輪廻へより強い影響を持つことである。
 たとえば、戦士が戦場で敵を斃した場合、殺生という悪事と、救国という善事と、善悪正反対の行為のどちらがより重いかと言えば、常々の生きようが問題となる。
 人殺しも厭わない荒んだ心で戦場に出た者と、虫も殺せぬ優しい心で生活していたのに、国難に当たって心ならずも戦場へ出た者では、まったく違う。
 第三には、死の瞬間に悪しきものを心に浮かべれば、人生で積み上げてきた善悪こもごもの平衡が一気に崩れ去るほどの影響力を持つことである。
 もしも、人格者で通り、看護師さんへいつも「ありがとう」と言っていた模範的な患者でも、最期になって気にいらない嫁へ憎しみを抱いたままこの世を去れば、恐ろしい結果となる。
 より安心な世界へ転生(テンショウ)したいという功利的な考え方ではなく、輪廻転生を信じようと信じまいと、最期まで人間としてまっとうに生きる努力をするための指針として心しておきたい。

3 供養の真実

 いつもと同じく、五種供養のクイズを出した。
 供える物とその心の関係である。
○線香…精進
○花……忍辱(ニンニク…忍耐)
○水……布施
○燈明…智慧
○飯食…禅定(ゼンジョウ…心身のおさまり)
 見ていると、なかなか左の欄と右の欄が結べず、苦労しておられる。
 いかに、供養が形式的になっているか、いつもどおり、実感させられる。
 それだけに、このクイズと解説の必要性を痛感する。
 この頃、最も皆さんの反応が強いと感じるのは、花についての話である。
 高価な花をいつも仏壇やお墓やご本尊様へお供えすることはできない。
 しかし、真の供養は、必ずしも花というモノを手にせずともできる。
 野辺の花を目にした時、「ああ、私もこの花のように雨風に耐えて生き抜き、自分らしい花をきっと咲かせます。だから、お母さん、安心していてください。見守っていてください」と心で祈れば、立派な花の供養になるのである。

4 お墓の問題

 時間の配分が悪く、ここまで到達できなかった。
 時間外のご相談でも提起された〈よくある人生相談〉に二つだけ、お答えしておきたい。

○お墓、あるいはお骨を遠くへ移動すると、ご先祖様は嫌がるか?

 そんなことはない。
 立場を変えてみればすぐにわかる。
 もしも自分がお墓を依り代としている御霊である場合、「子供の頃からここにいたから動きたくない」などと思うだろうか?
 あるいは、お墓参りに来たいのになかなか来れず、悶々としている子や孫をそうさせたまま、「元々いた所だから動きたくない」などど我を張るだろうか?
 子や孫の近くで、無理なくお詣りしてもらった方がどれほど安心で嬉しいことか。
 我を張るのはこの世の私たちである。
 御霊を見くびってはならない。
 お墓の移動に関する人生相談はとても多い。
 ご遠慮なく相談の申込みをしていただきたい。
 皆さんが確かな安心を得られるために。

○本家でもないのに、仏壇でご先祖様を拝んではならないか?

 そんなことはない。
 そもそも、仏教が広大なインド中へ広がったのは、アショーカ王がお釈迦様のご遺骨を分骨したことに始まる。
 だから、分骨して複数の人々が供養するのも、お位牌を複数作ってあちこちの家で供養するのも、すべて尊い行為である。
 また、仏壇はそもそも、ミニ寺院であり、どなたでも、どこへでも用意してご本尊様やお位牌へ手を合わせるのはすべて尊い行為である。
 こうした諸問題については、誰かからこう言われた、ああ言われたと悩まず、プロである寺院へ相談することをお勧めしたい。

 以上です。
 次は来春の生活相談会になることでしょう。
 また、河北新報社の会議室でお会いしましょう。
 皆々様へみ仏のご加護がありますよう。合掌




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「おん さん ざん ざん さく そわか」※今日の守本尊勢至菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。

https://www.youtube.com/watch?v=qp8h46u4Ja8





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