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2014
11.22

地域の宗教と個人の宗教 ―周囲からの押しつけが我慢できません―

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 ご相談がありました。
「嫁いだ先の地域が一つの宗教で固まっており、否応なしにさまざまな形で参加させられるのがたまりません」
 以下のとおり、お答えしました。

 考えるべきポイントは三つです。

①一心の自由は何ものにも替え難い

 自主的な選択が許されないところに真の宗教心はありません。
 宗教は心を縛るものではなく、解放するものだからです。
 目をつむった時、好きな人の顔がすぐ思い浮かべられるように、お地蔵様のお顔などが自然に思い浮かべられ、その状態に留まることが心の安寧ならば、それがその人の宗教心の核であると言えます。
 この安寧こそが解放状態です。
 だから今、周囲で習慣的に行われ、貴方様も参加している宗教行為が、貴方様にとって真の宗教として救いとなっているかどうか、調べてみましょう。

②宗教的慣習はどこにでもある

 戦争に負けた日本は、国家神道が戦争をリードしたことにかんがみ、教育の現場などからあらゆる〈宗教的〉なものが徹底して排除されたため、世界的に異様なほど自称無宗教の人々がたくさん暮らす国となりました。
 それでも私たちは、お祭やご葬儀の時は、伝統的作法によって喜びや安心を得ています。
 そこには宗教心があります。

③あまり〈正しさ〉を優先させず、優雅さや穏やかさを優先させる

 個人的宗教と地域的慣習の二つは重ならない場合が多くあり、問題や悩みが生じたりします。
 具体的な選択肢としては、まず、社会的儀礼と割り切って慣習的宗教行為に従い、心には誰も踏み入ることのできない自分の世界をきちんと保つ意識になってみること
 。論語に「君子は和して同ぜず」とあります。
 和することは、同じになり、自分が融けてしまうことではありません。
 どうしても自立心を保てず、和することもできず、苦しい気持が募る場合は、問題が起きるたびに、自分なりの験直しなどを行い、一件落着とするよう、工夫してみましょう。
 また、正しさばかりを優先させず、優雅さや穏やかさを優先させる気持でことに当たることも大切です。
 世の中は正しくないことだらけです。
 それは、正しさの基準が人それぞれ千差万別であり、正しさは人の行動をうながす要素の一つでしかないからです。
 誰しもがそうして社会を生き、社会に生かされています。
 柳眉を逆立てず、おりをみて新住民としての意見を発しつつ、穏やかな慣習の変化を待つことがベストです。
 いのちは無常であり、主役は必ず入れ替わります。
 この理をよく観て、何とか自立心を保ちながら慎重な判断をされますよう。




「のうまく さんまんだ ぼだなん あびらうんけん」※今日の守本尊大日如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=LEz1cSpCaXA





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