--
--.--

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

2014
11.24

この国の魂と相撲の神様に認められた白鵬 ―【現代の偉人伝】第201話―

 横綱白鵬が32回目の優勝を飾り、ついに大鵬の記録に並んだ。
 君が代を聴きつつ涙を堪えきれなかった白鵬は、感想を簡潔に述べた。

「この国のと相撲の神様が認めてくれたからこの結果があると思います」


 言葉に驚嘆し、考えさせられた。

 平成22年の暮れまで白鵬は63連勝し、谷風の記録に並んだ。
 双葉山が谷風の記録を破ったのは、157年後のことである。
 それから71年後、白鵬が双葉山の記録を破るかと注目されたが、64連勝はならなかった。
 敗れた後、こう告白している。

「やっぱり休場も考えた
 心と体がひとつにならないんじゃないかとも考えたし、中途半端な気持ちで臨んではいけないからね」


 これは、神の領域へ踏み込まねばならず、逡巡している者の思いではないか。
 双葉山の偉業はもはや、神の次元にあるととらえられている。

 こうした思いの延長線上に今回の言葉がある。
 それにしても「この国の」とはどういうことか?
 白鵬は大相撲という世界に息づいている日本の、自分に具現している日本の、をありありと感じている。
 日本はもはや、意志となる心であり、肉体にみなぎるいのちであり、一息ごとに存在を許す空気である。
 そのはたらき全体がとなっている。
 律するものは「相撲の神様」であり、〈個〉の意志などは意識されなくなっている。

 かつて、小林一茶は詠んだ。

「日本と砂へ書きたる時雨かな」


 冬の気配が濃くなる頃、うつろう気配に日本(ヒノモト)という言葉が浮かび、砂へ二文字を書いたおりもおり、時雨がやってきて、見る間に文字を消してしまう。
 文字は消えても、心に浮かんだ日本という観念は、佇んでいる自分のと感性のすべてをとらえきっている。
 白鵬流に言えば、俳句の神様が詠ませたのです、ということになろうか。

 白鵬はついに〈畏れ〉をつかむに至った。
 自分の心技体をあるいは認め、あるいは叱ってくれる者の前では、畏(カシコ)まる他ない。
 特定の〈道〉に精進する者は、多かれ少なかれこうした〈畏れ〉を感得するのではないか。

 本居宣長にとって何かが「なる」とは、大いなる者が自然におりなすことごとの結果として生まれ出ることだった。
 また「むすび」とは「ひ(霊威)」が「むす(産出する)」ことである。
 注連縄(シメナワ)も俳句も、見えぬ世界のできごとが見える形をとったものである。
 松岡正剛氏はこう述べている。

ウツからウツロイをへてウツツが派生してくるという光景」


 ウツとは「虚(見えぬ世界のことごと)」であり、ウツツとは「現(現象世界のことごと)」である。
 白鵬は土俵の注連縄に、日本の神のなせるわざを感じ、一茶も又、おのづから成ってくる俳句に、日本の神のそれを感じたのではなかろうか。
 
 白鵬は横綱としてむすびの一番をとる。
 その一番の勝敗は、神様が心技体を認めれば勝ちと成り、認めなければ負けと成る。
 だから白鵬は、大鵬に並ぶ今回の結果について「神様が認めてくれたから」と言った。
 相撲道に邁進する白鵬は、畏れ、畏まりつつも、清明な心で別世界へ溶け込みつつあるのではなかろうか。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「おん あみりたていせい から うん」※今日の守本尊阿弥陀如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=4OCvhacDR7Y





[投票のご協力をお願いします。合掌]

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へにほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 真言宗へ
にほんブログ村

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 悩み・苦しみ・迷いへにほんブログ村



blogram投票ボタン


スポンサーサイト

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。