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2014
12.03

隠者と羊飼いの話 ―真の修行はどこに?―

201412030001.jpg
〈出張からの帰山〉

 チベットの僧院で用いられているという逸話が忘れられません。
 

 一人の隠者が山中の洞窟に籠もって修行しています。
 たまたま、通りかかった羊飼いが尋ねます。
「何をしているんですか?」
瞑想をしている」
「何を瞑想しているんですか?」
忍耐である」
 つかの間、沈黙が降りた後、羊飼いは、隠者の前を通って去ろうとします。
 その時、振り向きざまに隠者を怒鳴りつけます。
「地獄へ行ってしまえ!」
 羊飼いの背中へ木霊のような言葉が浴びせかけられました。
「なんだと!
 お前こそ、地獄へ堕ちろ!」
 羊飼いは笑い出しました。
「あなたは忍耐修行をしていたのではなかったですか」


 この逸話を知った時、ああ、自分のことだなあ、と心がシワシワになる思いでした。
 決して、他人様を怒鳴りつけはしませんが、かつては、妻が指示された内容をいつまでも理解してくれない時など、時間に追われ、怒鳴ってでも先へ進まねばならない場面がいくつもあったからです。
 また、幾度も、「住職から怒鳴られました。修行している人なのに」という話を耳にしていたからです。

 この逸話は重大な問題を孕んでいます。
 だからこそ、行者たちへ広く、知られているのでしょう。
 隔離された空間における〈修行の限界〉をよく考えねばなりません。
 僧侶になってから最も多く受けた質問の一つを挙げましょう。
「何年、修行されたんですか?」
 こうお答えしながら、やってきました。
「私は昼間、托鉢(タクハツ)で生きながら、夜、修行した夜間行者ですから、大したことはありません。
 ただし、本当の修行は皆さんと接している時間にあり、いつも真剣の刃渡りをしているようなものです」
 歩きつつ生きた者としては、いかに肉体的・精神的に厳しい修行であっても、与えられた特殊な時間と空間の中で行われるものは〈練習〉であり、〈本番〉はあくまでも、娑婆の方々と接する菩薩(ボサツ)行の中にあると考えています。
 だから、ご縁となる皆さんはすべて等しく、行者がまっとうな僧侶となるために大切な恩人なのです。
 皆さんが、僧侶を真の意味で育て、一人前にしてくださると信じています。
 経典は説きます。

衆生(シュジョウ)は福田(フクデン)である」


 生きとし生けるものが人間を向上させ、福徳を積ませてくださることを、田んぼにたとえています。

 もちろん、一定期間行われる、高度で密度の高い修行は大切です。
 何のために何を行おうとしているのか、という根本を理解、納得しなければ、修行は皆、上の空になってしまう虞があるからです。
 また、基礎訓練は、合理的である限り、厳し過ぎるということがないからです。
 それは、ドライバーが免許を受けるようなものです。
 心構えと腕がいいかげんであれば、ドライバー自身にとっても、周囲の人々にとっても、免許証は危険なものでしかありません。
 大切なのは、実際の運転にあって事故を起こさず、徐々に、安全運転ができるドライバー、誰かの役にも立ち、誰も傷つけないベテランドライバーに育って行くことです。
 
 こうした成り行きは、人間が生きるどの道にあっても、もちろん、僧侶の修行にあっても変わりありません。
 お互いに、心してやりましょう。
 独り善がりな〈隠者〉にならぬよう、気をつけながら。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「のうまく さんまんだ ぼだなん あびらうんけん」※今日の守本尊大日如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=LEz1cSpCaXA





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