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2015
01.07

お寺にご葬儀やご供養などを頼むにはどうしたらよいか? ―宗教心が消えゆく危機―

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 Aさんからご質問がありました。
「親が亡くなった時、どうしようかと思い、それとなく家の宗派を訊ねても親そのものがよくわかりません。
 どうすればお寺に頼めるのでしょう?
 また、信者にならなければなりませんか?
 そもそも、信者になるとはどういうことなのでしょうか?」

1 ご葬儀とは何か

 親がだんだん年老いて心もとなくなって来ると、〈いざという時〉が心配になります。
 僧侶に頼みたいと思っても、どうしたらよいかわかりません。
 こうしたケースで最も大切なのは、当然ながら、亡くなった方の御霊をあの世へ渡す法を結ぶ導師になる僧侶の選択です。
 私たちは病気に罹ると、治したい一心で薬を選び、医者を選びます。
 家族などの死に際して〈送るプロ〉である僧侶へご葬儀を依頼するのはそれと同じです。
 〈誰でもよい〉はすはありません。


 また、葬儀を単なる儀式と考えるならば、結婚式を単なる儀式と考えるのと同じです。
 たとえ披露宴がどのような形になろうと、あるいは行うまいと、結婚式では、伴侶となる相手だけでなく、仏神やご先祖様など目に見えぬ方々や、場合によっては大自然や未来に対してまでも、伴侶となってくれる人を必ず幸せにしようと誓う純粋で思いやりに満ちた心になっているはずです。
 それならば、親であっても誰であっても、この世で精一杯の役割を果たし終えてあの世へ旅立つ人の人生を敬い、恩に報いようとする時は、告別式がどうであろうと、あるいは行うまいと、安心の世界へ行ってもらいたいというまごころをもって、できるだけのことを行わずにはいられないはずです。
 結婚式を吟味してご葬儀を軽視するならば、人の道にあったやり方、生き方であると言えるでしょうか?

 だから、葬儀導師として誰を選ぶかは、送る立場にたった人、あるいは生前に送られることを深く自覚した人の人生観が問われる重大場面です。
 具体的な方法としては、会ってみるしかありません。
 あるいは、いかなる寺院で、いかなる住職が、いかなる信念や方針で、いかなる法務を行っているか、ホームページなどで調べてみましょう。
 もしもブラックボックス状態であったなら、選びようがありません。
 そもそも寺院は住職のものでも宗派のものでもなく、社会の公器であり、その認識があれば情報を公開しているはずです。
 また、檀家になったり、高額なお布施を払ったりしない限りご葬儀を行わない寺院も当然、問題です。
 どこの寺院にも必ずおられるご本尊様は相手が誰であれ、すがる人を選ばずに救うことを誓いとしているみ仏です。
 寺院を守る僧侶が都合の良い条件をつけてすがる手を払いのけるなどあってはなりません。
 当山には、あらゆる生活困窮者の方の支援を行っているNPO法人「ワンファミリー仙台」様が建立した『一家族の墓』があります。

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2 仏教の信者になるとはどういうことか

 さて、仏教の信者になる、つまり仏教徒になる方法は、はっきりしています。
 仏法僧(ブッポウソウ)の三宝(サンポウ)に帰依(キエ)することです。
 ご本尊様の前で敬虔な気持になり、教えに深く道理を感じて生き方を変えたいと願い、菩薩(ボサツ)になろうとしている僧侶や、菩薩(ボサツ)のように他のために汗を流している人々を敬う気持になればもう、立派な仏教徒です。
 檀家になることや、高額なお布施を差し出すことそのものが仏教徒である証ではありません。
 心から仏法僧を大切に思えるかどうかだけが条件です。
 もちろん、すべてのみ仏が好きになり、すべての教えを理解し、菩薩を目ざすすべての人々を敬う必要はなく、そうできるはずもありません。
 縁の中での巡り会いにかけるのみであり、仏縁(ブツエン)とはそうしたものです。
 ちなみに小生が僧侶になったのも、み仏が手を差し伸べてくださった仏縁であると考えています。

3 ご葬儀から消えゆく宗教性

 ところで、年末、さる葬祭会館様へ家族葬にでかけたところ、かつて当山へご相談に来られたBさんご一家が偶然、隣の部屋におられました。
 長期間にわたる介護の末、事情が重なって福祉葬となったため、当山へ連絡もできず、まっすぐに火葬するしかないのです。
 時間は切迫していましたが、矢も楯もたまらず、故人の枕元へ駆け込んで肝腎な法を結びました。
 もうすぐ火葬場へ行かねばならないBさんは泣きながら、正月明けにご家族で当山へお骨を連れてこられ、ご葬儀とご供養と納骨を行いたいと言われました。

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 1月5日、河北新報の「新春トップインタビュー」において「心が乾きがちなご時世です。心といのちを考える仏教をもっと生かしてください」と訴えました。
 何人もの方々から同感の電話やお手紙をいただきました。
 凄まじい格差社会が人々から「葬」という死者を悼む尊い宗教行為を奪いつつあります。
 凄まじい経済合理性第一主義が本来、お金と異次元の宗教行為までをも〈安さ〉を競う自由競争の渦に巻き込み、物販同様、商売としての囲い込み合戦によって真の宗教的部分が排除されつつあります。
 本来、「葬」は、草の下へ死者を埋めて土に還すことのみを表した文字ではありません。
 孟子も指摘しているとおり、遙かな昔には死者を住居群から離れた荒野へ置くしかありませんでしたが、そのままではとても忍びないので、後にお骨をかき集め、あらためて祀る複葬(フクソウ)が行われていました。
 こうした〈何かをせずにはとてもいられないやるせなく必死の思い〉から宗教行為が起こり、「葬」という非日常的できごとに際して死者と送る人々の安心を祈るプロの宗教者が現れ、祈り方が研究されて葬儀の形が徐々に形成され、洗練されて今に至ったのではないでしょうか?
 しかし、今の日本では、格差とお金第一の感覚によって「葬」は単なる手続きと化し、遙かな昔、孟子の時代にすら行われていた本来の宗教行為から遥かに離れつつあります。

 こうしたことを書くのは、宗教者である小生が自分の立場を心配しているからではありません。
 やむを得ず何もせぬままお骨にしてから当山でご葬儀を行った方々の深い安堵と感謝の涙を幾たびも見せていただき、また、故人の魂を意識しながら引導を渡した時に生ずる霧が晴れたような清浄感を数知れず経験している者として、こうした宗教行為が行われない人間社会はいったいどうなって行くのか、あの世と輪廻転生(リンネテンショウ)の未来はどうなるのか、とてつもなく大きな危機感をもっているからです。
 驚くべきことに、ウィキペディアには、福祉葬についてこうした記述があります。
「政教分離原則から自治体が宗教行事を行うわけにはいかないので、本来の葬祭扶助は、『直葬』『火葬』のみであって、宗教的な形を踏んだ『葬儀』というのは正しくないという見方もある。」
 社会から果てしなく宗教を排除しかねないこうした理念や論理だけで、私たちは、まごころをはたらかせ、真に安心な死への対応が可能でしょうか?
 私たちの心に生ずる〈何かをせずにはとてもいられないやるせなく必死の思い〉が徐々に封印され、やがてはたらかなくなり、〈死〉が何ということもない日常的なできごととなり果て、そして死と連動する〈生〉もまた、そうなった時、私たちはまっとうな人間でいられるでしょうか? 
 もちろん、高額なお布施を請求するような宗教者の存在がこうした風潮をもたらした一因になっていることは否めない事実であり、それは宗教界全体が猛省せねばなりません。
 その上で、この文明的危機について諦めずに発言してかねばならないと考えています。
 当山は、福祉葬・骨葬・家族葬・密葬など、あらゆるご相談をお受けしています。
(http://hourakuji.net/sougi-bochi/jiinsou.html)

4 結びに 

 Aさん、寺院を訪ねるのはどうしても億劫に感じられることでしょう。
 しかし、病気になって医者を探したり、結婚式を挙げる場所を選んだりする時の真剣さを考え、逝こうとしている人のために、あるいは逝った御霊のために、まず、ネットで調べることです。
 真剣にやれば必ず、本来の公器として開かれている寺院が見つかります。
 思い切ってメールをするなり、電話をするなりといった先に、「ああ、よかった」というみ仏のお救いが待っていることでしょう。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「のうまく さんまんだ ぼだなん あびらうんけん」※今日の守本尊大日如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=LEz1cSpCaXA





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