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2015
01.25

平成27年2月の運勢 ―立場、教育、ドナルド・キーン氏を考える―

 今月は和を尊び、横に連帯を深めると共に、補佐役的な役や、つなぎ役などの立場やはたらきを重視し、上下それぞれが〈立場なりに〉分を尽くして邁進しましょう。

○教育の現場について

 埼玉県教育委員会は、一月九日の通知「教職員の不祥事防止について」をもって県立学校の全教員に対し、生徒との適切なコミュニケーションに徹するよう指導しました。 具体的には、生徒との私的な電話、メール、ラインなど無料通信アプリによる連絡の禁止、一対一の指導やマイカー同乗の禁止などです。
 昨年末、生徒へのわいせつ行為が相次ぎ、県立高校の教諭四人が懲戒免職になったことを受けたものですが、免職処分では退職手当が普給になる、停職処分では生涯賃金が五百万円少なくなる、などの警告も発しています。

 当山はかねて、服装と言葉は、立場にふさわしいものでなければならないと考え、人生相談においても、アドバイスをしてきました。
 教師が、生徒を導く指導者すなわち師としての覚悟も誇りも、服装と言葉使いにきちんと表現していれば、おのづから自分の心持がシャンとし、生徒も又、必要な緊張感をもって師へ対するはずです。
 法に触れれば賃金が減るといった面よりも、教師は「生徒を教える役割に自分の存在をかける師」であるという自覚が重要であり、それがふるまいと、服装などの準備に反映されていなければなりません。

 もしも、教師と生徒が似たような服装と同じ言葉使いで触れ合えば双方に無用の気安さをもたらし、師弟であることを忘れた友人や恋人という関係へ堕落する危険性を高めます。それは教師から魂を抜く過程に他なりません。

 欧米には欧米流の文化があり、イスラム諸国にはイスラム教に支えられた文化があるように、日本には、立場を重んじ、各種の敬語などを適切に用いる繊細で奥行きの深い文化があります。
 それが生きる教育の成否は教師の自覚と覚悟にかかっています。
 打算ではなく、国のゆくえを左右する〈教育のプロ〉としての矜恃をもって、まず、服装と言葉をふり返っていただきたいものです。

ドナルド・キーン氏の危機感について

 1月15日付の読売新聞は、日本文学研究者ドナルド・キーン氏の「伝統忘れた日本に『怒』」を掲載しました。
 日本人よ、自分たちが受け継いだ宝ものの価値に気づいて欲しい、という氏の人生をかけた呼びかけです。

「日本の文化は現在、世界の勝者になった。
 漫画や映画、和食は産業として成功し、日本の小説は数多く翻訳され、ベストセラーにもなる。
 美術、建築、さらにせいかつのあらゆる場面で、日本的なセンスと造形は、世界的な美の基準になりつつある。」

「合理的で洗練され、自然と響き合うこの国の美的センスを、すでに多くの欧米人が共有する。」

「今では海外の大学らしい大学ならば当然、日本語を教えている。」


 これほどのレベルに達した文化を呼吸していながら、私たちは、今、どうやって暮らしているのでしょうか?

「小学校から英語が推奨され、自国語の教育を圧迫している。」
「『源氏物語』の悲哀を行間に味わう暇も与えず、中学、高校では文学ではなく文法を教え込む。」

「大阪市は文楽協会へ補助金を出すかどうか、観客数で判断した。
 関西を代表する伝統芸能に対する何という冒瀆(ボウトク)か。
 要するに海外でこれほど価値が認められつつある日本文化を、当の日本人は粗末に扱い続けてきた。
 そんな70年間でもあった。」


 私たちは、遠く室町時代、あるいはもっと遙かな過去にさかのぼる独自の文化の泉を用いながら、時代なりに洗練の度を加えてきました。
 今の日本人は世界に通用する文化を享受しています。
 しかし、その泉のありがたさを忘れているのではないか、このままでは泉を涸らしてしまうのではないか、と氏は指摘します。

「戦争に古来の文化が援用された反省や嫌悪は長く続いた。
 類を観ない高度成長を実現し、多忙だったろう。
 とはいえ日本人は、過去の歴史や慣習を簡単に手放しすぎたのではないか。」

「今はただ、近代文学の絶頂期に居合わせた幸福を想う。
 当時はわからなかった。
 50~60年代の日本文学は、平安王朝の女流、そして近松、西鶴、芭蕉らがいた江戸元禄記と比肩する、隆盛期だったのを。」

「世界的水準の戦後文学は、古書店に並ぶ遺物とされ始めている。」


 氏が言う「絶頂期」の川端康成、三島由紀夫、安部公房などの文学に育てられたのは、団塊の世代でした。
 作家たちが逝き、世代が去りつつある今、早くも「遺物」になり始めているとは……。

 ではどうすればよいか?

「他の国は一流芸術だけがあり、第二、第三はない。
 素人が参加できる第二芸術がこれほど豊かな国を知らない。
 格式ある家元から地域の集いまで、多種多様な組織が共存し、老若男女が研鑽(ケンサン)を積み合う。
 それが日本の美意識を支えている。」


 俳句も短歌も、踊りや太鼓も、私たちは身近なものとして生きていますが、氏の言う「円熟を重ねる高齢者は若い世代を感化する」ところまで行っているかどうかはわかりません。

「能、文楽、歌舞伎のファンは世界中で増え、茶道、華道、書道など、日本人の向上の源である『道』は、世界へ広がるだろう。
 それぞれの土地で翻訳、アレンジされ、21世紀の人類共通の喜びとなる日が、やがて来るのではないか。
 その時、本家日本の文化はどれほどの水準を維持しているか。
 楽観せず、見守りたい。」


 92才になった氏は、やがて、あの世からも「見守りたい」と願っておられるのではないでしょうか。
 私たちは、〈今すぐ役立てたい〉〈今すぐ儲けたい〉〈今すぐ能力アップしたい〉といった功利主義にとらわれているように思えます。
 子供たちの新鮮な驚きや疑問や意欲を上手に導き、ご先祖様から脈々と受け継いできた感性や感覚を目覚めさせることよりも大切な教育があるでしょうか?
 学生が深い懊悩や懐疑や探求心を抱き、世界や人間や自分の存在と対峙する貴重な人生の時間を、すぐに〈腕を上げる〉ため、あるいは〈就職しやすい肩書をつける〉ために用いさせ続けるならば、「本家日本の文化」は危ういかも知れません。
 お金を生まない「第二芸術」が不要なものとされ、庶民の生活から消えれば、危機はいっそう深まることでしょう。

○「立場なりに」を考える

 だいぶ横道にそれました。
 誰であれ、自分が社会的に何者として生かされているかを考えれば、〈何者でもない存在〉は気まま心が要請する幻想に過ぎないことに気づくことでしょう。
 今ここで生かされている自分なりのあるべき姿にも目覚めることでしょう。
 そこに表れる言葉や服装や仕種は必ず「形」を伴っています。
 この形こそが文化そのものです。
 万事、〈のっぺらぼう〉に流れやすい今月は、このあたりに気をつけながら、心豊かに過ごしたいものです。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「のうぼう あきゃしゃきゃらばや おん ありきゃ まり ぼり そわか」※今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=IY7mdsDVBk8





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