事故の記 2
病室(重症患者専用で、二人の家族しか面会できない)へ入ったら長女が駆けつけて来た。
泣いている。
ブルトーザーで転落という妻からの留守番電話を聞いて身体がが震えてしまい、運転できなかったらしく、課長に連れてきていただいたという。
すっかりグチャグチャになっていて死ぬかも知れないと想像し、かなりのショックだったようだ。
「これは、きっと休みなさいというお知らせよ」と三人は声を揃える。
「いやあ、何があっても乗り越えられるというお知らせさ。
でも、それも2、3割はありそうだな」と手を打った。
トイレへ一人で行くところを見せれば三人はいくらか安心するだろうと思い、点滴の台にすがって実行した。
それぞれ、役割があるので、早々に帰らせた。
特に、妻は、大変なことだろう。
一人になってから、「絶食です。明日までずっと点滴を続けます」と担当の看護婦さんに教えられてみると、痰がからまって苦しそうなご老人や「うわー、うわー」と呻く若い男性など、あたらめて重症患者のフロアであることを認識した。
痛み止めの薬は早めに服用した方が効果ががあるらしく、徐々に増してくるあばら骨の痛みに耐えかねて頼んだ。
抗生物質と一緒に飲んだ一錠のはたらきはすばらしく、たちまちに痛みは消えた。
いくらかまどろんでいるうちに、やはり、痛みはぶり返した。
6時間おかないと飲めませんから、あとは座薬をしましょうと聞いてはいたが、これから先はガマンしようと決めた。
イラクの人々を思うと、これは「痛みを知れよ」というみ仏からの思し召しとしか考えられない。
深夜に様子を見に来た看護婦さんへ、痛いけれどももう結構ですと言ったら、くったくない笑顔に似つかわしくない言葉。
「2、3日するともっと痛くなりますよ」と一撃をくらった。
法句経に説く通りの夜となった。
(眠れぬ夜は長く、疲れた者には道のりは遠いのと同じく、愚かな者には人生はただむやみと長いだけである。それは正しい法を知らぬためである)
長い夜の間中、重篤者たちの呻きや看護婦さんたちの献身的な活躍は昼間と変わりない。
朝が来た。
まだ薄暗いが日本晴れだ。
ご家族はいつ来るんですか(タオルなどが必要)と尋ねられ、いろいろあるはずなのでお昼近くになるでしょうと言いながら、恐らく何十本もの電話に応答しているに違いない妻が心配になった。
こちらは完全看護で無事安全な身だが、妻は私の代わりに戦争状態になることだろう。
それにしても、現状はご加護としか思えない。
頭の傷は、なぜ包帯を巻いているのか判らなくなるほど自覚症状が無く、何度調べても内蔵機能の数値には問題がない。
胸は肋骨が一本折れ、片方の肺は鬱血しており、立って歩くとさすがに胸全体がバラバラになるように痛いが、医師の言うとおり後は自然快癒を待つだけだから何の問題もない。
膝はやられているが半月板が割れてはいないので、
これも快癒は時間の問題だろう。
メガネが完全に壊れ目の廻りは内出血しているが視力に支障はない。
救急隊員が「60歳男性が10メートル下の崖にブルトーザーごと転落。頭部から出血、意識はしっかりしています!」と連絡をしていた緊迫感が嘘のようだ。
ちょうど皆さん寝静まっているので、他の患者さんに聞こえないよう気遣いながら、今日四十九日のご供養予定だった御霊のために微音でお経を唱え法を結ぶと、きっちりした修法になる。
これには本当に安心した。
たまたま前回の隠形流居合の稽古で、座ってできる剣の修法を伝授したところだった。
お弟子さんたちには、是非信じてやってもらいたいと願う。
明日の例祭は、できれば護摩を焚きたいが、医師に身体を預けた以上、どういうことになるか判らない。
場合によってはここでやろうと決めた。
内護摩の法である。
トイレへ行き、目を細めて、眉を隠した包帯と黒みがかった目の縁、そして生命力が後退した自分の顔全体をまじまじと眺め、死の淵からの生還を知った。
長女の想像通り、骸なっていて何の不思議もなかった。
手足の1、2本折れても、目が潰れても、半身不随になっても、内臓がやられても、寝たきりになってもおかしくないのだ。
それにしても携帯電話の件は不思議である。
あれだけ破損したということは、固い二つのものの間へ入ったということだ。
一つはブルトーザーの一部、もう一つは腹でしかない。
腹へ携帯電話がめり込まなかったのは、落ちる瞬間、無意識の裡に「かーっ」と気合を発し、丹田に力が満ちていたのかも知れない。
感謝と、やらねばの意気に涙がにじみ、メガネがないためただでさえはっきりしない視界が、すっかりぼやけた。
今日、『法楽の苑』では、私が現場にいなくても、石屋さんによってペットと一緒に眠れるお墓の案内が行なわれ、KさんとSさんは、懸命に水子地蔵様の周囲整備をしてくださることだろう。
ことは着実に進んでいるのだ。
「南無大師遍照金剛」「南無守本尊法楽寺如来」
看護婦さんから無理はしないでくださいよと注意されながらここまでの稿を書き終え、さすがに疲れを感じて横になった午前9時過ぎ、主治医が現われた。
どう見てもまだ40前後。
二人の看護婦さんを従えて堂々としている。
大したものだ。
「もう一度レントゲン写真で確認し、問題がなければ昼食を食べられます。
退院はご希望なら今夜にもできますが2、3日いても良いですよ。
今後は通院の必要はありません。
金曜日に縫った部分の抜糸を行ない、その時にもう一度検査をしましょう。
骨折と肺に溜まった血の解決まで数週間はかかるでしょうね。
退院はいつにされますか?
ご家族と相談されますか?」
間髪を入れず、今夜にでもと答えると看護婦さんと一緒に微笑み、お大事にとの言葉を残して去った。
一部の隙もないような物腰と、無駄のない言葉だけを口にしていながら優しさを含んでいる話しぶりに感心した。
ベッドに腰かけていると、さすがに胸の痛みが増す。
帰山と決まったが、明日の例祭で登壇はできるかどうか。
空は真っ青で雲の影もない。
小さく流れているのはウィヴァルディの『四季』。
再出発である。
泣いている。
ブルトーザーで転落という妻からの留守番電話を聞いて身体がが震えてしまい、運転できなかったらしく、課長に連れてきていただいたという。
すっかりグチャグチャになっていて死ぬかも知れないと想像し、かなりのショックだったようだ。
「これは、きっと休みなさいというお知らせよ」と三人は声を揃える。
「いやあ、何があっても乗り越えられるというお知らせさ。
でも、それも2、3割はありそうだな」と手を打った。
トイレへ一人で行くところを見せれば三人はいくらか安心するだろうと思い、点滴の台にすがって実行した。
それぞれ、役割があるので、早々に帰らせた。
特に、妻は、大変なことだろう。
一人になってから、「絶食です。明日までずっと点滴を続けます」と担当の看護婦さんに教えられてみると、痰がからまって苦しそうなご老人や「うわー、うわー」と呻く若い男性など、あたらめて重症患者のフロアであることを認識した。
痛み止めの薬は早めに服用した方が効果ががあるらしく、徐々に増してくるあばら骨の痛みに耐えかねて頼んだ。
抗生物質と一緒に飲んだ一錠のはたらきはすばらしく、たちまちに痛みは消えた。
いくらかまどろんでいるうちに、やはり、痛みはぶり返した。
6時間おかないと飲めませんから、あとは座薬をしましょうと聞いてはいたが、これから先はガマンしようと決めた。
イラクの人々を思うと、これは「痛みを知れよ」というみ仏からの思し召しとしか考えられない。
深夜に様子を見に来た看護婦さんへ、痛いけれどももう結構ですと言ったら、くったくない笑顔に似つかわしくない言葉。
「2、3日するともっと痛くなりますよ」と一撃をくらった。
法句経に説く通りの夜となった。
「寐(イ)ねずんば夜は長く、疲倦せば道(ドウ)長く、愚には生死(ショウジ)長し、正法(ショウボウ)を知ること莫(ナ)ければなり」
(眠れぬ夜は長く、疲れた者には道のりは遠いのと同じく、愚かな者には人生はただむやみと長いだけである。それは正しい法を知らぬためである)
長い夜の間中、重篤者たちの呻きや看護婦さんたちの献身的な活躍は昼間と変わりない。
朝が来た。
まだ薄暗いが日本晴れだ。
ご家族はいつ来るんですか(タオルなどが必要)と尋ねられ、いろいろあるはずなのでお昼近くになるでしょうと言いながら、恐らく何十本もの電話に応答しているに違いない妻が心配になった。
こちらは完全看護で無事安全な身だが、妻は私の代わりに戦争状態になることだろう。
それにしても、現状はご加護としか思えない。
頭の傷は、なぜ包帯を巻いているのか判らなくなるほど自覚症状が無く、何度調べても内蔵機能の数値には問題がない。
胸は肋骨が一本折れ、片方の肺は鬱血しており、立って歩くとさすがに胸全体がバラバラになるように痛いが、医師の言うとおり後は自然快癒を待つだけだから何の問題もない。
膝はやられているが半月板が割れてはいないので、
これも快癒は時間の問題だろう。
メガネが完全に壊れ目の廻りは内出血しているが視力に支障はない。
救急隊員が「60歳男性が10メートル下の崖にブルトーザーごと転落。頭部から出血、意識はしっかりしています!」と連絡をしていた緊迫感が嘘のようだ。
ちょうど皆さん寝静まっているので、他の患者さんに聞こえないよう気遣いながら、今日四十九日のご供養予定だった御霊のために微音でお経を唱え法を結ぶと、きっちりした修法になる。
これには本当に安心した。
たまたま前回の隠形流居合の稽古で、座ってできる剣の修法を伝授したところだった。
お弟子さんたちには、是非信じてやってもらいたいと願う。
明日の例祭は、できれば護摩を焚きたいが、医師に身体を預けた以上、どういうことになるか判らない。
場合によってはここでやろうと決めた。
内護摩の法である。
トイレへ行き、目を細めて、眉を隠した包帯と黒みがかった目の縁、そして生命力が後退した自分の顔全体をまじまじと眺め、死の淵からの生還を知った。
長女の想像通り、骸なっていて何の不思議もなかった。
手足の1、2本折れても、目が潰れても、半身不随になっても、内臓がやられても、寝たきりになってもおかしくないのだ。
それにしても携帯電話の件は不思議である。
あれだけ破損したということは、固い二つのものの間へ入ったということだ。
一つはブルトーザーの一部、もう一つは腹でしかない。
腹へ携帯電話がめり込まなかったのは、落ちる瞬間、無意識の裡に「かーっ」と気合を発し、丹田に力が満ちていたのかも知れない。
感謝と、やらねばの意気に涙がにじみ、メガネがないためただでさえはっきりしない視界が、すっかりぼやけた。
今日、『法楽の苑』では、私が現場にいなくても、石屋さんによってペットと一緒に眠れるお墓の案内が行なわれ、KさんとSさんは、懸命に水子地蔵様の周囲整備をしてくださることだろう。
ことは着実に進んでいるのだ。
「南無大師遍照金剛」「南無守本尊法楽寺如来」
看護婦さんから無理はしないでくださいよと注意されながらここまでの稿を書き終え、さすがに疲れを感じて横になった午前9時過ぎ、主治医が現われた。
どう見てもまだ40前後。
二人の看護婦さんを従えて堂々としている。
大したものだ。
「もう一度レントゲン写真で確認し、問題がなければ昼食を食べられます。
退院はご希望なら今夜にもできますが2、3日いても良いですよ。
今後は通院の必要はありません。
金曜日に縫った部分の抜糸を行ない、その時にもう一度検査をしましょう。
骨折と肺に溜まった血の解決まで数週間はかかるでしょうね。
退院はいつにされますか?
ご家族と相談されますか?」
間髪を入れず、今夜にでもと答えると看護婦さんと一緒に微笑み、お大事にとの言葉を残して去った。
一部の隙もないような物腰と、無駄のない言葉だけを口にしていながら優しさを含んでいる話しぶりに感心した。
ベッドに腰かけていると、さすがに胸の痛みが増す。
帰山と決まったが、明日の例祭で登壇はできるかどうか。
空は真っ青で雲の影もない。
小さく流れているのはウィヴァルディの『四季』。
再出発である。


