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2015
02.05

ムーミン・スナフキンに救われる話 ―北川美由季氏のトーヴェ・ヤンソン―

2015020500022.jpg

 午後5時はもう暗い。
 原稿の執筆中、遠くでウーウーウーとサイレンが鳴り、爆音も聞こえる。
空襲だ〟と思い、戦慄が走った。
 緊張した表情で頭を屹立させた様子に気づいた職員の森合さんが、帰り支度の手を休め、「パトカーに追いかけられているのかしら、ヘリコプターも飛んでいますね」と言った。
〝――そうか、ここは日本だ〟
 音楽を聴きながら暴走し、前方へ回り込んだ白バイに「聞こえなかったのですか?」と呆れられたことを思い出したが、苦笑は起こらない。
 瞑目する。
〝一瞬、魂がワープした〈あそこ〉はどこだったのか?〟
 すぐに、中東の光景が甦った。
 かつてイラク戦争へ出征した自衛隊員の無事を祈る日々、夢で隊員の一人になった自分が歩いている〈あの町〉である。
 手を止めた原稿は、大震災と原発事故による犠牲者を供養するものだった。

 その夜、夢を見た。
 巨大な樹木の枝が一本、根元から折れ、垂れ下がっている。
 どうしたのだろうと、根元近くへ入り、枝葉によって薄暗くなっている上方を見上げた時、ゆっくりと樹木全体が倒れ始めた。
 まずいと思い、逃げようとしたが、もう背中は、押し潰しにかかる圧力を感じた。
 這いながら枝葉の切れ目となっている明るい方向へ急ぐが、かまぼこ型をした明かりの窓は次々と閉じられる。
 ようやく一か所残っている隙間をくぐり抜けようとして眼が醒めた。

 昨夜、就寝前に読み返したのは、平成26年8月に出版された『ユリイカ』の「特集ムーミントーヴェ・ヤンソン 戦争から生まれたもの」である。
 トーヴェと同じ月日に生まれた執筆者北川美由季氏は、戦争と作品の関係を丹念にたどっている。
 1929年、15才のトーヴェが描いた風刺画は風刺雑誌『ガルム』に掲載される。
 対ソ戦の最中もトーヴェは苦悩しつつ描く。

「息の詰まる時代の中、トーヴェはおとぎ話を書こうとするが、うまくいかない。
 王子様やお姫様が出てくる物語は書けなかったという。」


 その後、書き始められたムーミン・トロールの物語は1948年の『たのしいムーミン一家』にたどりつく。

「これ以後、物語からは不安が影を潜めてゆく。
 パパがいて、ママがいて、仲間たちがいて、時に事件があり、日々を重ねる。」


 ここへたどり着く前の1941年、トーヴェは親友への手紙に書いている。

「私は、どうせ戦争でぶち殺される子どもなんか産みたくない」


 北川美由季氏は、最後に書いた。

「トーヴェは、小国の国民、言語的少数派、子どもを産まない女性、レズビアンとして生きた。
 戦争からムーミンの物語を生み、マイノリティの視点を加えて、物語の世界を理想郷に変えた。」


 トーヴェのように、戦争と戦いつつ生き残った人は、お釈迦様が説かれたように自分との戦いの結果〈この世を照らす〉存在になれる場合もあるが、それは稀でしかない。
 多くは苦悩と共に生き抜くか、否応なく苦悩が断ち切られるような死を迎える。
 ムーミンはどんなできごとにぶつかっても、どこか茫洋としており、心の重心を失わない。
 スナフキンは〈世間一般の視点〉にとらわれず覚醒している。
 苦の海を悠然と渡るかのごとき二人は、文字どおり「理想郷」の住人である。
 好んで争いを求めず、多数派として勢い込むことなく、少数派として絶望せず、進みたい。
 二人は、戦争の郷(サト)の正反対である理想の郷からそのことを示している。
 あらためて二人を眺めさせられ、合掌した。
 



「おん ばざら たらま きりく」※今日の守本尊千手観音様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=IvMea3W6ZP0





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