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2015
02.28

平成27年3月の運勢です ―キーワードは「争い」と「親密」―

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 平成27年3月の運勢です。

1 今月のキーワードは「争い」と「親密

 今月は、個人的には争う気分が高まり、国家的には政治、あるいは軍事面において大きな動きが出るかも知れません。
 争いの多くは、当事者のどちらに正義があるかの競い合いです。
 そして私たちの社会的行為において普段、第一とするように求められるのが〈正しさ〉です。
 正しさとは、決まり事に準じる徳であり、基準とされるものは法律、道徳、戒律、あるいは地方や地域ごとの取り決め、また、慣習なども含まれます。

2 親密さを壊すものは何か

 気をつけねばならないのは、親密さの減少が、本来、生じないはずの不穏な空気を招いてしまう、あるいは問題の解決を遠ざけてしまう点にあります。
 相手がよくわからないための疑心暗鬼、相手が気に入らないという気分、これらが嵩じると、ふとしたはずみで双方が引くに引けないところへ迷い込んでしまう場合があります。
 最近、記憶に残るできごとが3つありました。
 一つは、2月11日の産経新聞に掲載された曾野綾子氏のコラム「『適度な距離』保ち受け入れを」が、南アフリカ駐日大使など各方面から人種差別であるとの攻撃を受けたできごとです。
 批判の的になった部分です。

「もう20~30年も前に、南アフリカ共和国の実情を知って以来、私は、居住区だけは、白人、アジア人、黒人というふうに、分けて住む方がいい、と思うようになった。
 南アのヨハネスブルグに、一軒のマンションがあった。
 以前それは、白人だけが住んでいた集合住宅だったが、人種差別の廃止以来、黒人も住むようになった。
 ところが、この共同生活は、間もなく破綻した。
 黒人は、基本的に大家族主義だ。
 だから彼らは、買ったマンションに、どんどん一族を呼び寄せた。
 白人やアジア人なら、常識として、夫婦と子供2人ぐらいが住むはずの1区画に、20~30人が住みだしたのである。
 住人がベッドではなく床に寝ても、それは自由である。
 しかし、マンションの水は、1戸あたり、常識的な人数の使う水量しか確保されていない。
 間もなくそのマンションは、いつでも水栓から水の出ない建物になった。
 それと同時に白人は逃げ出し、住み続けているのは黒人だけになった。
 爾来、私は言っている。
『人間は、事業も研究も運動も何もかも、一緒にやれる。
しかし、居住だけは別にした方がいい』」


 もう一つは、同志社大学大学院教授内藤正典氏が著書『イスラム戦争 中東崩壊と欧米の敗北』の中で、人種や民族や宗教で差別することを禁じているヨーロッパ各国において実質的なムスリム排除が進んでいると指摘したことです。
 ドイツの例です。

「モスクには小さい子供たちの補習をする塾のようなものが併設されているところがあります。
 これもテロ組織の温床になっているとヨーロッパ諸国ではこぞって非難されますが、決してそんなことはありません。
 クルアーン教室もありますが、おもにドイツ語、英語、数学、コンピュータの使い方などを教えていました。
 そこで若者は上野世代だけではなく、目を輝かせて自分たちを慕ってくれる子どもたちとも出会いました。
 ただ、それだけのことです。
 こういう出会いが若者たちを善行に駆り立て、根無し草のような生活から救っていくことは少なくありません。
 移民の若者が信仰の中に心の安らぎを得たというのはこういうことなのです。
 街に出て、非行少年になっていくのも一つの道ですし、たいへんな努力をして大学に進学し、運良く、エリート社会への切符をつかむことも一つの道です。
 しかし、どちらも、ドイツ社会の中で心の平安をもたらすものではありませんでした。
 後者の青年たちでも難しかったのは、たいへんな努力をしても、そのままドイツ社会でエリートになっていくにはさらなる関門が待ち受けていたことです。
 就職での差別、居住に関する差別。
 名前を言うと、トルコ人であることはすぐにわかりますから就職の際に不利になってしまう。
 ある程度、経済的にも余裕ができて移民街からでようとマンションを探しても、とたんに管理組合から拒絶されることも珍しくありませんでした。
 こういうことを繰り返していると、みな、故郷が同じトルコ出身者が多い地区から出るのをためらうようになります。
 その方が気楽だからです。」


 イギリスの例です。

「イギリスの移民政策の特徴は、移民たちの文化を尊重する多文化主義型を採用してきたことです。
 一見すると、イギリス社会との共生にとって良い方法に見えますが、そう簡単ではありません。
 多文化主義型の移民政策の場合、特定の地区に出自を同じくする移民たちが集中することをむしろ奨励します。」
政府からみれば、移民たちが自主的に移民街に集中したことになるでしょうが、移民からみれば、ほかのところに住む選択肢がなかったということになります。
「もともと第一世代の移民たちがついた仕事は、白人のイギリス人がやりたがらなかった仕事です。
 しかも、不況になるたびに先に移民から仕事を失っていきます。
 そのような社会的・階級的な格差の拡大をイギリスが新自由主義経済のなかで放置したことは、若いムスリム移民たちの間に憎悪をふくらませる原因となりました。
 そういうことも含めて、我々は今、この世界の成り立ちというものを再考すべきときに来ているのだと思います。」


 そしてもう一つは、2月26日付の朝日新聞「論断時評」で紹介されたヴォルテール著『寛容論』の一節です。

「われわれの虚弱な肉体を包む衣服、どれをとっても完全ではないわれわれの言語、すべて滑稽なわれわれの慣習、それぞれ不備なわれわれの法律、それぞれがばかげているわれわれの見解、われわれの目には違いがあるように思えても、あなたの目から見ればなんら変わるところのない、われわれ各人の状態、それらのあいだにあるささやかな相違が、また『人間』と呼ばれる微少な存在に区別をつけているこうした一切のささやかな微妙な差が、憎悪と迫害の口火にならぬようお計らいください」

 
3 『悼む人』について
 
 さて、直木賞を受賞した小説で映画にもなった『悼む人』の主人公坂築静人は、見知らぬ死者がかつて愛した人、愛された人、誰かに喜ばれた行為などを訊ね、亡くなった場所で、「あなたがこの世にいたことを忘れません」と死者へ誓います。
 人は誰でも人生のどこかで誰かに愛され、誰かを愛し、この世で人間らしい何かをしてから去るのであり、それを確かめて心へ刻む人に起こる心の変化は、音叉のように人々へ感応を広げ、一見、勝手で無意味とも思われる行為によって周囲の人々の心が徐々に変わります。
〈あなたにあった愛〉が〈私の愛〉となり〈私たちの愛〉となります。
 そこへ至る時、過去の愛憎や悲惨な経緯はすべて霧消し、生者も死者も、共に霊性を持った同士として触れ合えます。
 争いの空気に流されず、大切な親密さを保持するために、「悼む」ことについて考えてみたいものです。

4 むすび

 ここで危険なのは、〈自分の正義〉に閉じこもり、思考停止になってしまうことです。
 相手を〈不義〉と断じ、いきり立って断罪した瞬間から、親和の醸成や回復は遠くなり、考えてもみなかった結果へと転がり落ちる可能性があります。
 戦争のほとんどが、互いに主張する正義と正義とのぶつかり合いであり、防衛意識から始まることを忘れないようにしたいものです。
 叡智に学び、霊性の伴った想像力をはたらかせ、親密さを失わないことによって、何としても不毛な争いを避けたいものです。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「おん あみりたていせい から うん」※今日の守本尊阿弥陀如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=4OCvhacDR7Y





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