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2015
03.19

たのしみは朝おきいでゝ昨日まで無りし花の咲ける見る時 ―人生の楽しみとは―

201503190001.jpg

 3月14日の寺子屋『法楽館』において、講師藤原範典(ノリスケ)博士は橘曙覧(タチバナアケミ)の歌を紹介した。
 およそ政治・行政の要諦は、人々の何気ない暮らしを保つところにあるという。

「たのしみは朝おきいでゝ昨日まで無(なか)りし花の咲ける見る時」


(人生の楽しみは、朝起きて、昨日まではなかった花が咲いているのを目にした時にある)

 福井県福井市の商家に長男として生まれた橘曙覧(タチバナアケミ)は、年若くして両親と死別し、28才で隠遁生活者となり、歌の道へ入った。
「藁屋(ワラノヤ)」と称する質素な家で寺子屋などをしながら過ごし、正岡子規は「源実朝以後、歌人の名に値するものは橘曙覧ただ一人」と高く評価した。
 冒頭の一首は平成6年、天皇皇后両陛下が訪米した際、ビル・クリントン大統領によって引用された。
 この一首を含め全部で52首ある『獨樂吟(ドクラクギン)』のうち数首を読んでみたい。

「たのしみは草のいほりの筵(ムシロ)敷(シキ)ひとりこゝろを靜めをるとき」
(人生の楽しみは、質素な家にムシロを引き、一人でじっと心を静めている時にある)

 本居宣長を崇敬していた彼は、古代人になったような気持で過ごしたのだろうか。
 清貧がもたらす静謐(セイヒツ)は神のようだ。

「たのしみは紙をひろげてとる筆の思ひの外に能くかけし時」
(人生の楽しみは、紙を広げて書く歌や書などが思いの外、うまくできた時にある)

 仕事の達成感がこのように得られる人はどれだけいるだろうか?
 「よし、これでいい」と思える時を持ちながら仕事ができれば、まぎれもなく幸せだ。

「たのしみは妻子(メコ)むつまじくうちつどひ頭(カシラ)ならべて物をくふ時」
(人生の楽しみは、妻子が仲良く食卓を囲み、頭を並べて食事する時にある)

 心身に甲冑(カッチュウ)をまとわず、寝て、起きて、共に飯を喰う。
 かけがえのない時間と空間をもたらす家族の価値は、ここに言い尽くされているのではなかろうか。

「たのしみは空暖かにうち晴(ハレ)し春秋の日に出(イ)でありく時」
(人生の楽しみは、暖かな空気に包まれた春や秋の日に、外出する時にある)

 四季が廻る365日のうち、〝おお寒い〟でもなく〝うわあ、暑い〟でもなく、何とも心地良い暖かさを感じる日が何日かある。
 たまたま、そうした日に外出して心身が嬉しくなれば、生きものとしての喜びは極みと言えそうだ。

「たのしみは書よみ倦(ウメ)るをりしもあれ聲(コワ)知る人の門(カド)たゝく時」
(人生の楽しみは、書物を読み疲れたおりもおり、知った声の人が玄関を叩いて訪れてきた時にある)

 相手は友人か知人か門人か。
 いずれにしても、人と〈会う〉ことがかけがえのない価値であった時代ならではの嬉しさがある。

「たのしみは錢(ゼニ)なくなりてわびをるに人の來(キタ))りて錢(ゼニ)くれし時」
(人生の楽しみは、お金がなくて侘びしい思いでいるところに誰か訪ねて来て、お金をくれた時にある)

 哀しい安堵(アンド)ではあるが、小生の妻などにとっては「これで支払いができる」という最高の救いであろう。
 出家者の小生は、成り行きをご本尊様へお任せしているので、訪れてくださるご縁の方々へただただ、感謝あるのみ。

「たのしみはとぼしきまゝに人集め酒飲め物を食へといふ時」
(人生の楽しみは、たとえ貧窮していても、集まった人々とあるだけのものを飲み食いし、語り合う時にある)

 これは、そう感じられるタイプと感じられないタイプとがあり、普遍性は怪しいが、こうできる人にとっては最高に心が盛り上がるひとときである。
 毎月開かれる『ゆかりびとの会』役員会や、春のお花見、秋の芋煮などは貴重な機会である。

「たのしみは神の御國(ミクニ)の民(タミ)として神の敎(オシエ)をふかくおもふとき」
(人生の楽しみは、神の国である日(ヒ)の本(モト)に生まれた者として、神の教えを深く考え、感じる時にある)

 彼は、本居宣長の諡(オクリナ)「秋津彦美豆桜根大人(アキヅヒコミヅサクラネノウシ)」を床の間へかけておくほどの人だった。
 今の世の考え方からではなく、神の代に生きた古人の心になって『古事記』を読まねばならないと説いた本居宣長の魂と交感していたのだろうか。

 最後に、上記の世界とまったく異なる作家辺見庸氏の『自分自身への審問』から抜粋しておきたい。
 なお、これは、脳出血による後遺症を抱え、ガンの手術を受ける前後に、死を意識しつつ病院のパソコンに打ち込んだものである。

「早寝早起きと犬連れの散歩を励行、定期健康診断をしっかり受けて、眠剤がわりに『失われた時を求めて』をたった三十頁読んではうとうとと眠りにつくような日々をなぜ送れなかったのだろう。」
「特別ミサからそれほど時を置かすにおびただしい数の巡航ミサイルが洋上から発射され、貧乏な兵士たちだけでなく抗議する術をもたない多数の生活者の五体を破壊し、着弾現場近くの赤ん坊や母たちの精神を狂わせる。
 投資家たちの眼が輝く。
 戦争は〝買い〟だ。
 明々白々たる不正と非道と狂気はフランクルが生き延びたナチスの時代だけでなく、どっこいいまももっともっと大きな規模になって存続している。」
「変哲もない平穏な家庭というものが実は血なまぐさい世界に一番近い、と私は思っている。
 平穏無事な家と血まみれの世界を分かつ境界なんかない。」
「罪も恥も、もうどこにも顕在しない。
 かつてよりますます日々の風景にさりげなく融けこんでしまっている。
 公園の樹の幾枚かの病葉(ワクラバ)が昼下がりの風に舞い飛び、別の葉たちとカサコソと交わって留めている小さな闇のようにさりげない。
 その闇を、辛うじてほんの一瞬、遠い罪や恥辱を宿すものとして見咎(トガ)めるのは、誰でもない、自己の内奥(ナイオウ)の眼でしかないのではないか。」
「顔を鬼のように歪(ユガ)めて怒り、粗野な声を張り上げて訴えることをためらうべきではないころあいというものがあるだろう。
 どうしても諾(ウベナ)うことのできない時がある。
 これからも、私が生きてはいないかもしれないこれからも、憤怒はそのわけではなく醜さゆえにこの世から蔑(サゲス)まれるだろうけれど、そうであればこそ抑えてはならない。」

 橘曙覧(タチバナアケミ)の眼も、辺見庸氏の眼も、人間は持ち得る。
 さて……。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「おん さん ざん ざん さく そわか」※今日の守本尊勢至菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。

https://www.youtube.com/watch?v=qp8h46u4Ja8





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