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2015
04.11

「卯月来ぬ自分に飽きてゐる自分」(三橋 鷹女) ―4月の不安―

201504110001.jpg

 四月は卯月(ウヅキ)と呼ばれてきた。
 何と言っても、卯の花が咲く時期である。
 卯の花空木(ウツギ)に咲く花である。
 アジサイの仲間である空木は人の丈を遥かに超える植物なのに茎は中空。
 空っぽなので空木と呼ばれるようになった。

卯月来ぬ自分に飽きてゐる自分」(三橋 鷹女


 この句は、そこをふまえ、空っぽな自分に嫌気がさしている気分をそのまま詠んだ。

 卯の花の白色は緑色の葉を背景にして輝く。
 耀きには、緑色に含まれる黒色のはたらきが大きくかかわっている。
 この時期に日陰で紫色の小さな花を咲かせる青木の葉などは、まるで背景の闇を自分の身にまとったかように黒光りする見事な緑色を見せる。
 空木は緑色の不思議さを際立たせながら白い卯の花を結ぶ。
 桜の花は桜色であろうが白色であろうが紅色であろうが、見られた以上、〈そこにいる〉だけというわけには行かない。
 私たちの心へ、希望や安堵や、あるいは不安など、何かを生じさせる。
 しかし、空木は違う。
 じっと眺めていても、細やかな白たちは特に何を主張するわけでもなくじっと〈そこにいる〉。
 そうした空木のありようも鷹女に「飽きてゐる」と詠ませたのだろうか。

 鷹女にはもう一句ある。

卯月来ぬましろき紙に書くことば」


 4月卯月と呼ばれるようになった理由について、上記とは別の学説もある。
 ものごとが始まる「初(ウブ)」や「産(ウブ)」によるという。
 私たちは確かに、学校も会社も4月をスタートとする文化の中で生きている。
 4月になって桜が咲くと、多くの人々の心に「さあ、これから」という気持が漲る。
 鷹女は、どのような運命も創り得る〈原初の状態〉を白色で表現したのだろう。
 真っ白なカンバスには何でも描けるのである。

 しかし、冒頭の句を読んでしまうと、必ずしもそうした希望的張り切りようだけでは済まないような気もしてくる。
 どこかボンヤリとした気分にまつわれ、「ましろき紙」が目の前にあるのに「書くことば」が出てこないのかも知れない。
 何しろ、三橋鷹女の心には一筋縄ではゆかない尋常ならぬものが潜んでいるのだ。

「この樹登らば鬼女(キジョ)となるべし夕紅葉(ユウモミジ)」


 夕陽に包まれ血の色さえも帯びつつある紅葉を眺めているうちに、紅葉の樹と同化して鬼女になってしまいそうだという。
 樹に手をかければもう人間ではなくなるギリギリのところに人知れず佇んでいる。
 こうした俳人が、始まりの時期だからさて、どうしようかなどという、我々のように凡庸な気持でいるわけはない。
 きっと、空木に通じる空虚さや何でもでき得る自由の不安に立ち止まっているのだろう。

 いずれにせよ、4月は実に複雑な時期である。
 鷹女の句はそこを表現してあまりにも秀逸だ。
 だからこそ没後半世紀になろうとしている今なお、こうして読まれているのだろう。
 ボンヤリと飽きていないで、何かを書いてみたい。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
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「おん さんまや さとばん」※今日の守本尊普賢菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=rWEjdVZChl0





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