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2015
05.07

年忌供養は誰に向かって拝むのか? ―百か日は観音様、三回忌は阿弥陀様―

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十三仏に守られた共同墓『法楽の礎』〉

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十三仏に守られた納骨位牌堂『法楽殿』〉

 共同墓『法楽の礎』を契約したAさんからご質問がありました。

「私が亡くなった後の年忌供養はどこでやっていただけるのですか?
 お墓の前ですか、それともご本堂ですか?」

 還暦はとっくに過ぎたご夫婦ですが、何でも真剣に問われます。
 基本的には本堂ですとお答えしたところ、共同墓でお骨を拝むのではないんですか?と二の矢が飛んできました。
 そこで、少々詳しくお答えしました。

「どこのお寺でも三回忌などのご供養を本堂で行います。
 その理由は第一に、ご本尊様のご加護は時空を超えているので、ご本尊様へお祈りすれば何ごとも通じるからです。
 たとえ御霊の依り代となるお骨が遠くの山中にあろうと、至心に祈った場所から法は届きます。
 当山には、東京の墓苑に埋葬されている方のご供養や、アメリカ在住の方のご加持などが申し込まれており、皆さんにご安心を得ていただいています。
 法が時間を超えて先亡の御霊へ届き、空間を超えてどこへでも届くのは、モノの世界の原理とは異なる聖なる世界があるからです。

 第二に、ご本尊様は、どらえもんの『どこでもドア』のような存在であり、どなたへ祈ろうと広大無辺な仏界へ通じ、いかなるみ仏のご加護もいただけるからです。
 たとえば百か日忌は観音様が守本尊ですが、ご本尊様がお不動様のお寺でも当然、問題はありません。
 それは、お不動様を入り口として法を結び、法の世界へ入った行者は、さらに観音様の世界へも進めるからです。
 十三仏の教えによるお不動様の役割は、死後、初七日のお導きであり、百か日のハードルを無事、越えさせてくださる観音様ではありません。
 それでもお不動様の前で百か日のご供養が成立するのは、お不動様と一体になる法を結ぶ行者は、日常世界を超えた仏界へ入り、無限の仏界において観音様の法を結ぶことが可能だからです。
 同じようにして、一周忌の勢至菩薩、三回忌の阿弥陀様、あるいは三十三回忌は虚空蔵様と、確かなご加護をいただけます。

 もちろん行者は、必ずしも眼前へ尊像をお祀りしなくとも、修法によって仏界へ入られます。
 また、数多くのみ仏がおられるのは、私たちの心に多様で無数の徳があり、徳の極まりが仏界だからです。
 こうした理由から、ご本尊様をお祀りしない葬祭会館でもご葬儀ができるのです。
 古家や古井戸を取り壊す前に供養と因縁祓いの修法を行う際、現場で特別にご本尊様をお祀りせずに修法するのも同じ理由からです。

 もちろん、お寺の帰りに、魂入れの済んだお塔婆をお墓へ立て、あらためてお線香を点して合掌するのはとても尊い行為です。
 モノと心とのあらゆる徳を捧げる象徴であるお塔婆は最高のご供物であり、それをわざわざ依り代の近くまで持参するのは深い誠意の表現です。
 なお、古来、神社仏閣が山上に建てられたのは尊いものを高くお祀りするのが第一の理由、第二の理由は、わざわざ遠くまで足を運ぶまごころが仏神と凡夫との距離を縮めるからです。
 ご理解いただけたでしょうか?」




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「のうまく さんまんだ ぼだなん あびらうんけん」※今日の守本尊大日如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=LEz1cSpCaXA





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