宮床開運守本尊 大師山 法楽寺 〜法灯により法友とともに法楽に住せん〜

2008-08

もの惜しみ

『法句経』にある一節です。

「諸々の真を見んと欲せば、楽(ネゴ)うて法を聴講し、能(ヨ)く慳垢(ケンク)を捨(シャ)す、此を信と為す」



(さまざまな真理を知ろうとするならば、自分から進んで教えを聞き、もの惜しみという心の垢を捨てよ。そうした態度が信じるということである)



 この教えの要点は「慳垢」にあります。

 もの惜しみとは、いわゆるモノ金のことだけではありません。むしろ、それ以外の、時間、労力などが問題です。

 今のように便利でなかった時代には、人生の疑問を解こうとするならば聖者のもとへわざわざでかけて行き、そこで聴いたことを反復復習してしっかり心へ入れる(「念ずる」の真の意味です)ことが必要でした。

 もし、疑問があったなら、質問し、理解と納得を得て疑いを除くことも欠かせません。

 あそこまで行くのは面倒だから、時間がかかるから、お布施をするのが嫌だから、といった態度では、真理をつかみ、それを自分の血肉にすることはできないのです。

 聖者は一切の営利活動をしないので、教えを受けた人々が自然に布施で支えますが、布施をするのは、聖者とその教団のためであると同時に、布施をする人が救いの中へ入るためでもあります。



 これまでも何度か書いたとおり、タイのバンコクでは、毎朝、若い修行僧たちが黄色の袈裟衣姿で托鉢に歩きます。

 町の人々は、跪いてお金や食べものなどを捧げます。

 たとえ相手が小さな子供であっても、行者を相手にする時は、敬虔な気持で接し、喜んで布施をします。

 自分のため、家族のため、会社のため、などなど、世間の荒波を越えるにはさまざまな応用問題を解くことが欠かせません。修羅場で自分を穢し、汚してしまう場合もありましょう。

 布施という清らかな行には、そうした業を洗い流す力があります。

 だから、人々は、行者のためであって同時に自分のためでもある布施を、感謝と共に行ないます。

 少年行者は、こうした経験を経て社会人になり、国家社会を支え、発展させます。



 

 さて、正しく信じる人は、他人を悪の道へ誘ったり、傷つけたり、不快にさせたり、利用したりすることはありません。



「信は他を染せず、唯、賢を人に与う」

(信のある人は、決して他人を悪に染めることはない。与えるものは正しい智慧である)



 しっかりした信仰を持った人と接すると、佳い空気を吸ったような気持になります。心が浄められ、活き活きします。無意識の裡に身を正していたりもします。

 こうした感じを与えるのは、ただ宗教心を持っている人に限ったことではありません。

 どの道にあっても、まっとうな信念を持って一筋に生きている人には、似たような雰囲気があるものです。

「惜しまず」に、黙々とやっておられるからでしょう。

 やはり、ここにも「慳垢」はないのです。

法楽寺のサイトも是非ご覧ください


テーマ:伝えたいこと - ジャンル:日記

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