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2015
06.01

お焚きあげしたモノの因縁は天まで届くか ―モノの世界と見えない世界―

20150601025.jpg

 お焚きあげに来られた方から、ご質問がありました。
「苦労の中で亡くなった姉の遺品をお焚きあげしていただきたいのですが、燃やした煙が天に届いて、姉はまた、苦労を思い出すのではないでしょうか?
 私たちは、死によって姉もようやく楽になってくれたかという思いでいるものですから……」
 お答えしました。
「そうですか。
 ご愁傷様でしたね。
 そうした心配は要りません。
 当山が行う修法は、モノにまつわる因縁を消し、モノと関係の深かった方の心が解き放たれるよう、お不動様のお慈悲をいただく祈りです。
 必ずこうしてからお不動様をお祀りしている炉において、モノを焚き、天地自然へ還します。
 炉の火は、お不動様がまとっている火炎であり、その炎はあらゆる迷いを解き放つ智慧の象徴とされています。
 だから、お焚きあげの根本は、心とモノの〈解き放ち〉にあるので、現存中の方も、亡くなった方も、必ず安心を得ていただくという信念でお大師様から伝わる修法を続けています。

 また、亡くなっても消えてしまわない魂というものをあまり実体化しないようにしましょう。
 私たちは、一つには(ゴウ)という目に見えない影響力と、もう一つには精子と卵子の結合というモノの創造力との因縁で、この世に生まれました。
 そして、モノとしての耐用年数が過ぎれば、肉体というモノは分解されて分子になりますが、(ゴウ)は、善きものも悪しきものも、目に見えぬ世界のどこかへ刻まれ、記録されるはずです。
 もしも、それがなければ、私たちが〈唯一無二の存在〉としてこの世に生まれ出ることはあり得ません。
 やがて、私たちが亡くなってしばらく経ち、かつて生まれたのと同じように、二つの世界が交差する因縁の形成があれば、私たちはきっとこの世へ転生(テンショウ)してくることでしょう。
 私たちが亡くなった方を想い、安心を祈るのは、モノの世界でなく目に見えない世界での通じ合いを信じているからです。

 ちなみに、三回忌などの年忌供養において、亡き方用と、なかなか供養してもらえない無縁の御霊用と、供養善を二膳、捧げるのは、実際に料理を食べていただくためではありません。
 目に見えるモノの世界で〈自分にできる限りの準備〉をすることによって、〈自分にとって精一杯の誠意〉を捧げるという心になり、その心をあの世へ届けるためです。
 私たちの心は、見聞きするモノと連動しており、モノを通じての心の表現は欠かせません。
 日常生活におけるマナーもそうです。
 服装や言葉づかいや身ぶり手ぶりに、その人の社会に対する誠意が表れています。
 よき心さえあればそれでよい、のではありません。
 本当によき心のある人は必ず、たとえ目立たなくても、それらしい、その方なりの表現を実践しているはずです。
 だから、形をいいかげんにすることは、ほとんど、心をいいかげんにすることにつながっています。
 もしも、〈形式的なことは嫌い〉でも、人生や社会へ対して誠意のある人ならば、必ず、誠意を表現するその人なりのフォームを持っているはずです。

 お話が少々、脱線しましたが、貴方様がお身内の方の心と、思いのこもったモノとに対してお焚きあげという形で対応されることは、貴方様の誠意の表現です。
 ご説明申しあげたとおりに一生懸命修法しますので、どうぞご安心ください」




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「のうまく さんまんだ ぼだなん あびらうんけん」※今日の守本尊大日如来様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=LEz1cSpCaXA





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