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2015
06.11

音信不通だった親の供養について ―供養の本質―

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〈希望〉

 ある時、子供の頃から深い確執のあった父親を亡くしたAさんからご相談がありました。
「どこにいるかわからなかったのに、突然、亡くなったという知らせが来て、お骨を守ることになりました。
 供養すべきであるとは思いますが、そもそも、供養ということがよくわかりません。
 どう考えればよいのでしょうか?」

 お答えしました。
供養は、インドの言葉プージャ(敬意をもって懇ろにもてなすこと)です。
 漢訳の『供養』は供給資養を略しており、『供』は身体と言葉と心のはたらきすべてをかけて何かを捧げることです。
 また『養』は尊い相手に対してへりくだり、相手のためになるよう何かを捧げてお仕えすることです。
 つまり、み仏や先亡の御霊を敬い尊ぶまごころから何かをしないではいられなくなり、自分にできる限りの精一杯を尽くすのが供養です。

 お水は無条件で施す〈布施〉、塗香(ズコウ)という手に塗るお香は戒めを守る清らかな〈持戒〉、お花は雨風に耐える〈忍耐〉、お線香は淡々と自分を燃やし尽くす〈精進〉、飲食物は心身を調えて行う〈禅定〉、お灯明は自己中心でなくすべてを遍く照らす〈智慧〉、それぞれの実践をお誓いする心で捧げましょう。
 この六つの心をつくる修行は菩薩(ボサツ)になるための道であり、ご本尊様やご先祖様へのご供養は、自分自身が一歩一歩と菩薩に近づく道を歩む過程でもあります。
 それは、相手のためを思って実践する清らかな行いの功徳は、決して相手のためになるだけでなく、あたかも鏡が照らし合うように、自分をも人間として向上させることを意味します。
 人間であれ、ペットであれ、どなたでも先に逝った方は、自分の死をもって、私たちへご供養するという尊い機会をお与えくださったのです。
 どのように生きようと、最後の最後にはこの機会をつくるところに、生きとし生けるものの尊厳があります。

 また、経典によれば、み仏への供養は、自分が大きな福徳を得られるだけでなく、生きとし生けるものへ安楽を与えます。
 仏法への供養は、深い智慧を得られます。
 み仏と仏法を守る者への供養は、福徳を得る材料を増やします。
 こうした仏法僧への供養によって自他共に安心を得、悟りへ向かって進めます。
 
 お墓やお位牌の開眼供養、あるいは人形や御守などのお焚きあげ供養も同じく、私たちが自分中心の日常生活から離れ、生まれ持った仏心を輝かせる貴重でかけがえのない機会です。
 大切にしましょう。 
 過去にはいろいろあったお父様でしょうが、御霊となれば、ひとしくみ仏の世界へと溶け込んで行く尊いご先祖様です。
 どのようにしたらよいか、どうぞ、ご自身の胸に問い、悔いのない対応をしてください」

 Aさんはこう言って当山を後にされました。
「思えば、帰って来てくれたんですよね。
 私が父の〈帰る先〉になったのはどういうことか、お線香を点けたりしながらよく考えてみます。
 ありがとうございました」

(当山はご縁の方々のプラバシーを守りつつ、広く皆さんに仏法をお考えいただくため、人物を特定できないようあくまでもフィクションとして表現しています)




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「おん さん ざん ざん さく そわか」※今日の守本尊勢至菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。

https://www.youtube.com/watch?v=qp8h46u4Ja8





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