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2015
07.01

東日本大震災被災の記(第169回) ―南三陸町佐藤仁町長の決断―

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 6月30日、南三陸町佐藤仁町長は、東日本大震災で津波に遭い、33人の職員を含む43人が犠牲になった防災対策庁舎を県有化する方針の発表に踏み切った。
 被災の半年後、「防災庁舎という言葉を口にすることさえはばかられた」雰囲気の中で、いったん、町長は解体を決めた。
 行方不明の方々を探し、亡くなられた方々を弔い、生きて行く方々の生活を立て直さねばならない中で、町には悲劇の象徴を保存するという精神的余裕も、財政的余裕もない以上、やむを得ない判断だったと思われる。
 しかし、町民にも、県民にも、「後世に伝えねば」という強い思いがあったことも確かであり、震災後4年目を迎える今年の1月28日、宮城県の村井嘉浩知事は南三陸町防災対策庁舎の20年間県有化を申し入れた。
 すさまじい災厄の後で未来を見すえた事業の方向を決め、実行して行くには時間の経過が必要であり、最終判断までの間、町に代わって県が保存しておこうという提案である。
 知事は「原爆ドームも20年かかった」と話した。
 それから5か月、町民からの意見公募の結果、県有化賛成が6割に上ったこともあり、ついに方向転換となった。

 知事の言葉である。
「県有化受け入れに至るまで町民の皆さんは真摯に考え、悩み、協議してくださった。
 苦渋の決断だったのではないか。
 感謝申し上げたい。
 今後は町の意見も聞きながら、遺構としての価値を失わないような保存方法を検討する。」(河北新報による)

 町長は語った。
「この問題には『間違い』がない。
 保存も解体も全て正しい。
 どう選択すべきか悩んだ。」
「将来に向かって庁舎が果たす役割を議論できる環境になってきた。」
「三陸地方にはまた津波が来る。
 命をどう守るのかを中心に据えながら議論しなければならない。」
「判断の根っこにあるのは犠牲になった仲間たち。
 どんな思いでわれわれを見ているのかと常に考えている。」(河北新報による)

 町長は幾度も幾度も、町民たちと文字どおり膝を交えて話し合いを行ってきた。
 県有化賛成の人とも、反対の人とも、分け隔て無く。
 反対の老婦人と静かにやりとりする町長の丸まった背中が忘れられない。
「庁舎を見ると思い出してたまらないとおっしゃる気持は私もわかります。
 でも、見えなくなれば、たまらない気持はなくなるんですか?」
 町長はまぎもなく、〈たまらない気持〉を抱えた者同士として、そこに居た。
 言葉なき死者たちとも、魂で、無数のやりとりを交わしていたに違いない。

 津波の報を受け、逃げることなく防災対策庁舎に詰めていた町長は目の前で仲間たちを失い、「流された職員の分まで頑張らなくちゃいけない」「拾った命。町民のために全力を尽くす」とそのまま全力をあげて復興に取り組み、今日に至っている。
 
 町長は決断後、「まず遺族に町の考え方を伝えたい」と述べるのみにとどめた。
 これから、亡くなられた方々と向き合い、生きる方々と向き合い、全身全霊でその望みとするところを受け止めつつ、衆知を集めて具体策を決めてゆくのだろう。
 真摯な町長と町の人々の行方を見守りたい。
 防災庁舎はきっと、亡くなった方々も安心され、喜ばれ、未来の町民、県民から感謝される方向へと向かうことだろう。




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「のうぼう あきゃしゃきゃらばや おん ありきゃ まり ぼり そわか」※今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=IY7mdsDVBk8





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