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2015
07.24

君こそは光と朝だ ―チェーザレ・パヴェーゼ―

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〈パヴェーゼを魅了したコンスタンス・ダウリング〉

 イタリアの詩人チェーザレ・パヴェーゼは、1931年、23才のおりに詩『祖先』を書いた。

「この世界に呆然としているぼくに、ある年齢が訪れて
 虚空に拳を振りあげたまま、ぼくは独り泣き濡れていた。

 仲間を見つけるたびに、ぼくは自分を見つけてきた。

 土を見つけるたびに、ぼくは仲間を見つけてきた、

 ぼくらはあの丘から丘を流離うために生まれてきた、
 女は連れずに、両手を後ろに組んだまま」


 父親を早く亡くし、文学に深い関心を持つ青年は、〈自分〉の頼りなさを知った。
 丘に消え、丘に憩う祖先に自分のいのちが連なっていると感じて、ようやく立つことができた。
 しかし、祖先たちも、自分も等しく孤独である。
 最も関心のある女性に近づけず、実を結ばない果樹のように、観念だけが肥大し、さまよう。
 まるで彼の未来を予言しているかのようである。

 詩や小説を書き、高い評価を受ける作家となったが、女性を求めつつ「女は連れずに」歩くしかない苦しみに堪えかね、42才で自殺する。
 彼のもとを去った女優へ宛てた手紙が絶筆となった。

「君こそは光と朝だ
 死が来て、君の瞳を奪うだろう」


 現代の心理学は「思い出の興起(レミニセンス・バンプ)」という現象を見つけている。
 その説によれば、自分の人生を振り返った時、記憶としてよみがえる圧倒的力を持っているのが15才から25才までの時期に生じたできごとであるという。
 喜び、哀しみ、苦しみ、恐怖、驚愕、あるいは発見といった強烈な感情を伴った人生初の体験は、いつまでも記憶から去らない。
 私たちがなぜ、その後、似たような体験をしながらも〈目新しさ〉に彩られたできごとを忘れられないのかはまだ、よくわかってはいない。
 ただ、パヴェーゼは鋭く指摘している。

「我々はその日を覚えているのではない。
 瞬間を覚えているのだ」


 これはちょうど、恋に落ちる瞬間そのものではないか。

 彼はいかなる瞬間に、「丘」で「仲間」と出会ったのだろう。
 彼はいかなる瞬間に、どこで「君の瞳」と出会ったのだろう。

 確かに、私たちをとらえて放さない瞬間はある。
 私たちの情緒は、こうした瞬間たちを蓄えた宝石箱から密やかにたち上る香気のようなものではなかろうか。
 



 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「のうぼう あきゃしゃきゃらばや おん ありきゃ まり ぼり そわか」※今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=IY7mdsDVBk8





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