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2015
08.17

原発がどんなものか知ってほしい(その2) ―ある技術者の遺言―

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〈『みやぎ四国八十八か所巡り道場』にて祈る〉

 ここで紹介する『原発がどんなものか知ってほしい』は、原発の建設、検査、配管工事の分野で現場監督を20年以上勤めた技術者平井憲夫氏が書いた〈現場からの報告〉である。

4 名ばかりの検査・検査官

 原発を造る職人がいなくなっても、検査をきっちりやればいいという人がいます。しかし、その検査体制が問題なのです。
 出来上がったものを見るのが日本の検査ですから、それではダメなのです。
 検査は施工の過程を見ることが重要なのです。

 検査官が溶接なら溶接を、「そうではない。よく見ていなさい。このようにするんだ」と自分でやって見せる技量がないと本当の検査にはなりません。
 そういう技量の無い検査官にまともな検査が出来るわけがないのです。
 メーカーや施主の説明を聞き、書類さえ整っていれば合格とする、これが今の官庁検査の実態です。

 原発事故があまりにもひんぱんに起き出したころに、運転管理専門官を各原発に置くことが閣議で決まりました。
 原発の新設や定検(定期検査)のあとの運転の許可を出す役人です。
 私もその役人が素人だとは知っていましたが、ここまでひどいとは知らなかったです。

 というのは、水戸で講演をしていた時、会場から「実は恥ずかしいんですが、まるっきり素人です」と、科技庁(科学技術庁)の者だとはっきり名乗って発言した人がいました。
 その人は
「自分たちの職場の職員は、被曝するから絶対に現場に出さなかった。
 折から行政改革で農水省の役人が余っているというので、昨日まで養蚕の指導をしていた人やハマチ養殖の指導をしていた人を、次の日には専門検査官として赴任させた。
 そういう何にも知らない人が原発の専門検査官として運転許可を出した。
 美浜原発にいた専門官は三か月前までは、お米の検査をしていた人だった」
と、その人たちの実名を挙げて話してくれました。
 このようにまったくの素人が出す原発の運転許可を信用できますか。

 東京電力の福島原発で、緊急炉心冷却装置(ECCS)が作動した大事故が起きたとき、読売新聞が「現地専門官カヤの外」と報道していましたが、その人は、自分の担当している原発で大事故が起きたことを、次の日の新聞で知ったのです。
 なぜ、専門官が何も知らなかったのか。
 それは、電力会社の人は専門官がまったくの素人であることを知っていますから、火事場のような騒ぎの中で、子どもに教えるように、いちいち説明する時間がなかったので、その人を現場にも入れないで放って置いたのです。
 だから何も知らなかったのです。

 そんないい加減な人の下に原子力検査協会の人がいます。
 この人がどんな人かというと、この協会は通産省を定年退職した人の天下り先ですから、全然畑違いの人です。
 この人が原発の工事のあらゆる検査の権限を持っていて、この人の0Kが出ないと仕事が進まないのですが、検査のことはなにも知りません。
 ですから、検査と言ってもただ見に行くだけです。
 けれども大変な権限を持っています。
 この協会の下に電力会社があり、その下に原子炉メーカーの日立・東芝・三菱の三社があります。
 私は日立にいましたが、このメーカーの下に工事会社があるんです。
 つまり、メーカーから上も素人、その下の工事会社もほとんど素人ということになります。
 だから、原発の事故のことも電力会社ではなく、メー力-でないと、詳しいことは分からないのです。

 私は現役のころも、辞めてからも、ずっと言っていますが、天下りや特殊法人ではなく、本当の第三者的な機関、通産省は原発を推進しているところですから、そういう所と全く関係のない機関を作って、その機関が検査をする。
 そして、検査官は配管のことなど経験を積んだ人、現場のたたき上げの職人が検査と指導を行えば、溶接の不具合や手抜き工事も見抜けるからと、一生懸命に言ってきましたが、いまだに何も変わっていません。
 このように、日本の原発行政は、余りにも無責任でお粗末なものなんです。


 平井憲夫氏の言葉はあまりに辛辣だと思えるかも知れないが、事実を見過ごさず、少し詳しく述べておられるだけである。
 科技庁の人が、「自分たちの職場の職員は、被曝するから絶対に現場に出さなかった」という言葉は、聞き逃せない。
 原発が常に人を被曝させるシステムであるとはどういうことか。
 それが関係者にとって衆知の事実であるとおり、広く日本人に知られているか?
 ほとんどの人がプラントに対して持っているイメージは、〈幾重にも安全が確保された職場〉ではなかったか。(少なくとも福島原発の事故が起こる前までは)
 だからこそ、莫大な札束が地元に落とされ、若者の職場も確保できるというバラ色の話を歓呼の声で迎え入れたのではないか。
 しかし、実際には、事実を知っている役人はそこへ足を運びたくないほどの、被曝地だったとは……。

5 いいかげんな原発の耐震設計

 阪神大震災後に、慌ただしく日本中の原発の耐震設計を見直して、その結果を九月に発表しましたが、「どの原発も、どんな地震が起きても大丈夫」というあきれたものでした。
 私が関わった限り、初めのころの原発では、地震のことなど真面目に考えていなかったのです。
 それを新しいのも古いのも一緒くたにして、大丈夫だなんて、とんでもないことです。
 1993年に、女川原発の一号機が震度4くらいの地震で出力が急上昇して、自動停止したことがありましたが、この事故は大変な事故でした。
 なぜ大変だったかというと、この原発では、1984年に震度5で止まるような工事をしているのですが、それが震度5ではないのに止まったんです。
 わかりやすく言うと、高速道路を運転中、ブレーキを踏まないのに、突然、急ブレーキがかかって止まったと同じことなんです。
 これは、東北電力が言うように、止まったからよかった、というような簡単なことではありません。
 5で止まるように設計されているものが4で止まったということは、5では止まらない可能性もあるということなんです。
 つまり、いろんなことが設計通りにいかないということの現れなんです。

 こういう地震で異常な止まり方をした原発は、1987年に福島原発でも起きていますが、同じ型の原発が全国で10もあります。
 これは地震と原発のことを考えるとき、非常に恐ろしいことではないでしょうか。


 恐らく、ほとんどの関係者は、原発がどこか〈手に負えない〉不気味な代物であると感づいているのではないか。
 しかし、それを言ったらおしまいなので、不可能という文字で表現するしかない状況の一歩手前までしか、思考や検討を及ぼさなかったのだろう。
 要は、統御も制御も完全になど行い得ないのだ。
 そう考える妥当性を否定できようか。

6 定期点検工事も素人が

 原発は1年くらい運転すると、必ず止めて検査をすることになっていて、定期検査、定検といっています。
 原子炉には70気圧とか、150気圧とかいうものすごい圧力がかけられていて、配管の中には水が、水といっても300℃もある熱湯ですが、水や水蒸気がすごい勢いで通っていますから、配管の厚さが半分くらいに薄くなってしまう所もあるのです。
 そういう配管とかバルブとかを、定検でどうしても取り替えなくてはならないのですが、この作業に必ず被曝が伴うわけです。

 原発は一回動かすと、中は放射能放射線でいっぱいになりますから、その中で人間が放射線を浴びながら働いているのです。
 そういう現場へ行くのには、自分の服を全部脱いで、防護服に着替えて入ります。
 防護服というと、放射能から体を守る服のように聞こえますが、そうではないんですよ。
 放射線の量を計るアラームメーターは防護服の中のチョッキに付けているんですから。
 つまり、防護服放射能を外に持ち出さないための単なる作業着です。
 作業している人を放射能から守るものではないのです。
 だから、作業が終わって外に出る時には、パンツー枚になって、被曝していないかどうか検査をするんです。
 体の表面に放射能がついている、いわゆる外部被曝ですと、シャワーで洗うと大体流せますから、放射能がゼロになるまで徹底的に洗ってから、やっと出られます。

 また、安全靴といって、備付けの靴に履き替えますが、この靴もサイズが自分の足にきちっと合うものはありませんから、大事な働く足元がちゃんと定まりません。
 それに放射能を吸わないように全面マスクを付けたりします。
 そういうかっこうで現場に入り、放射能の心配をしながら働くわけですから、実際、原発の中ではいい仕事は絶対に出来ません。
 普通の職場とはまったく違うのです。

 そういう仕事をする人が95%以上まるっきりの素人です。
 お百姓や漁師の人が自分の仕事が暇な冬場などにやります。
 言葉は悪いのですが、いわゆる出稼ぎの人です。
 そういう経験のない人が、怖さを全く知らないで作業をするわけです。

 例えば、ボルトをネジで締める作業をするとき、「対角線に締めなさい、締めないと漏れるよ」と教えますが、作業する現場は放射線管理区域ですから、放射能がいっぱいあって最悪な所です。
 作業現場に入る時はアラームメーターをつけて入りますが、現場は場所によって放射線の量が違いますから、作業の出来る時間が違います。
 分刻みです。

 現場に入る前にその日の作業と時間、時間というのは、その日に浴びてよい放射能の量で時間が決まるわけですが、その現場が20分間作業ができる所だとすると、20分経つとアラ-ムメーターが鳴るようにしてある。
 だから、「アラームメーターが鳴ったら現場から出なさいよ」と指示します。
 でも現場には時計がありません。
 時計を持って入ると、時計が放射能で汚染されますから腹時計です。
 そうやって、現場に行きます。

 そこでは、ボルトをネジで締めながら、もう10分は過ぎたかな、15分は過ぎたかなと、頭はそっちの方にばかり行きます。
 アラームメーターが鳴るのが怖いですから。
 アラームメーターというのはビーッととんでもない音がしますので、初めての人はその音が鳴ると、顔から血の気が引くくらい怖いものです。
 これは経験した者でないと分かりません。
 ビーッと鳴ると、レントゲンなら何十枚もいっぺんに写したくらいの放射線の量に当たります。
 ですからネジを対角線に締めなさいと言っても、言われた通りには出来なくて、ただ締めればいいと、どうしてもいい加滅になってしまうのです。
 すると、どうなりますか。


 この話も驚愕である。
「放射線の量を計るアラームメーターは防護服の中のチョッキに付けている」「作業している人を放射能から守るものではない」とは!!
 私たちは、十分に検討し尽くされた表現による情報を通じてものごとに対するイメージを作らされる。
 だから、あの白い服の中は安全地帯であると思い込む。
 いったい、どれだけの人々が、防護服は着ている作業員を守るためのものではなく、彼らの身体が直接放射能を浴びていると想像しているだろう。

 いつもアラ-ムメーターが意識され、気もそぞろといった話も、理解できる。
 修法においても同じだからである。
 小生の場合、一度、酷い目に遭ったし、歳に不足もないので、修法前に必ずトイレへ行くことを手順化している。
 どのような仕事であれ、没頭できなければまともな結果は出せない。
 表面的にはともかく、本当に〈仕上げた〉という不安のない達成感は得られない。
 こうした面からも、危険に身を晒している現場の過酷さが想像され、作業員の方々のお気持を察し、作業の危険性を思い、作業結果の完全性を考える時、原発が人間にとってどうしても必要な理由は見出せない。
 現場ではたらく人間の尊厳を切り刻むような道具は、いかなる経済合理性を持っていようと、〈あってはならない〉範疇に分類されるべきではないだろうか?




 原発事故の早期終息のため、復興へのご加護のため、般若心経の祈りを続けましょう。
 般若心経の音声はこちらからどうぞ。(祈願の太鼓が入っています)
 お聴きいただくには 音楽再生ソフトが必要です。お持ちでない方は無料でWindows Media Player がダウンロードできます。こちらからどうぞ。



「のうぼう あきゃしゃきゃらばや おん ありきゃ まり ぼり そわか」※今日の守本尊虚空蔵菩薩様の真言です。
 どなたさまにとっても、佳き一日となりますよう。
https://www.youtube.com/watch?v=IY7mdsDVBk8





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